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映像と記号のエチカ : ロラン・バルトの『ジュリアス・シーザー』論をめぐって

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誌1954年1月号においてのことだが,バルトがパリの国際演劇祭でベルリ ナ一・アンサンブルの『肝っ玉おっ母』を見るのは1954年5月なのであ る。 「映画におけるジュリアス・シーザー」は1957年1月に出版された単行 本の『現代社会の神話』に再録されるが,そこではタイトルは「映画にお けるローマ人たち」と変更されている。また,初出版のテクストには,カ ルヴェが注目していた「演劇性」という語も存在している。それゆえ,私 たちは『レットル・ヌーヴェル』誌のテクストをLN版,それから約3年 後にスイユ社の「ピェ-ル・ヴイ-ヴ」叢書に入る単行本のテクストは PV版と呼んで区別し,それら両版の異同に関する分析を考察の軸にして ごい みたいと思う。 LN版とPV版の問における書き換えは,その内在的な性質から見て, a)単語単位の文体論的な微調整, b)方法的な概念レベルの文脈的な修 正に大別することができるように思われる。 a)のグループに属する書き 換えは,この論稿における映像分析の内容に決定的な影響を及ぼすもので はなく,個々の修正個所としても局所的・単発的な変更であって,相互に 22) 有機的な関連を持つものではない。これに対して, b)のグループは記号 学の理論的な位相に関与するものであり,次の個所もカルヴェの提起して いた「演劇性」という概念の関連において注目に値する(太字による強調 は引用者)。

On voit done op6rer ici a d6couvert le ressort capital de la th6・

atralit6, qui est le signe. (LN, 150)

On voit done op6rer ici a d6couvert le ressort capital du

spec-tacle, qui est le signe. (PV, 26)

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信じている」 (PV,8)と書きつけている。言い換えれば,時評的エッセ イによって採取された一見多彩でばらばらな「記号」の群れの中に浮かび 上がる反復性には, 「記号学」によって論理的に総合化・体系化されるの とは別の次元での統一性がありうるとバルトは言っているのだ。それは神 話学者自身の「身体」のことである。古代ローマという物語世界の現実感 ll) そのものを構築している前髪の「現実効果」 (1'effetder6el)や,加害者 たちと被害者の立場の差異化をを通じて映画の主題そのものを具現化して いる発汗の演出効果は,無意識的に回帰する「現実的なもの」 (1er6el) を包摂するような批評的地平においてはじめて語りうるものとなる。不可 視の起源を可視化する代理-表象としての映画という構図を離れ,神話学 者はここではあくまで■眼前の出来事として画面に生起する微細な「記 号」,つまり彼の「身体」に到来した意味生産の新たな単位の分節化から 出発して批判理論を展開しようとしているのである。 4 記号学への「体系的本能」 エーコたちにせよカルヴェにせよ,バルトが個々の「記号」の観察とい う水準から「記号」の総体の関係性に関わる体系的水準を志向していたと いう意味では,議論の前提を共有している。だが, LN版からPV版への 生成過程を見るかぎり,そこには「体系的本能」という秩序化に抵抗する ような修正が認められる。女優たちの髪型に関する議論のなかの,以下の 変更箇所を比較されたい(太字による強調は引用者)。

Dans l'Ordre de la s6miologie capillaire, voici un sous-slgne,

celui des surprises nocturnes. (LN, 151)

Dans l'ordre des slgmifications capillaire, voici un sous-slgne,

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殻変動に対応している。 ただしソシュールの仕事にも,よく知られているように複数の多様な面 がある。比較文法学者としてのソシュール,構造言語学の創始者としての ソシュール,そしてアナグラムやゲルマン神話の研究者としてのソシュー ル--・。 もちろんバルトは,ソシュールのこれらの多面的な仕事の総体と一挙に 接触したわけではない。 『ジュリアス・シーザー』論の時期のバルトが接 していたソシュールについて言えば,これは記号学という知を提唱した 『一般言語学講義』 (cours de linguistiquege'ne'rale)の著者としてのソ シュールである。言い換えれば,ゴデルによって1957年以降に公表される

『原資料』 (Leg Sources manuscrites du Cours de linguistique ge'ndl

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た価値の低い地点として切り捨てられるしかないだろう。だが,これらの 一連の修正を導いているのは「体系的本能」というよりもむしろその逆向 きのベクトルを持った力学系であり,それはバルト的な細部への志向に根 ざした倫理学の練成という自己更新の試みとして位置づけられうるはずで ある。 『現代社会の神話』の魅力は, 「エッセイスト」としてのバルトの批評 的な試行の多様さ,敏捷さ,柔軟さにあるのだが,映像論におけるこうし た「記号学的領野」の導入の試みを否定することは, 『現代社会の神話』 という書物の革新性,実験性,つまり「エッセイ」的本質を否認すること にもなりかねない。なるほど,第 一部の「諸々の神話研究」を各論とする と,同書の第二部にはいわば総論とも言うべき長編論文「今日における神 話」が「後書き」として尾錠を飲めるかたちで控えており,それが断片か ら体系へ,観察から理論-,神話学から記号学-という構図を読み手に折 り込むことになりやすい。そのためバルト的な映画の神話学もまた,先験 的な方法論の体系化という単線的な収束の構図で捉えられやすい。だが, 「本能」という名のもとに「天才」という文学的な「神話」を生き延びさ せてしまうよりも,むしろバルトの批評経験を多彩なトライ・アンド・エ ラーからなる立体的な「知」の作業場として考えるべきであろう。そのよ うな知的緊張のみなぎっている空間であるからこそ,記号の生態系を批評 してきた「モラリスト」としてのバルトの仕事は,今Hの読者にたいして もなお貴重な刺戟を与え続けているのである。 注 *バルトの全集版からの引用はスイユ社の五巻本に準拠している(Roland

Barthes, αuuT・eS COmPl占tes, vol. 5, Seuil, 2002)o H典はOCという略記FJ・のあと

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映像と記号のエチカ  265

1 ) Umberto Eco et lsabella Pezzini, 《La s6miologie des Mythologies≫, trad. de

M.-L. Lantengre, CoTnmunications, No. 36, 1982, p.25.

2 ) Louis-Jean Calvet, Roland Barthes, Flammarion, 1990, p. 159.

3) OC,Ⅰ,692. 4) OC,Ⅰ,693.

5) Calvet, op. cit., p. 160. 6) Ibid.

7) OC,Ⅰ,33.

8 ) Russell Jackson (ed.), The Calnbridge CompagTmin to Shakespeare on Film , Cambridge University Press, 2000.

9 ) Kenneth S. Rothwell, A History Of.Shakespear on Screen.・ A centuTT OfFilm

and Television , Cambridge University Press, 1999.

10) Russell Jackson, "From play-script to screenplay", The Cambridge CoTn-pagnion to Shakespeare on Film, p.161

ll) Neil Taylor, "National and racial stereotypes in Shakespear films", Russell

Jackson (ed.), op. cit., p 262.

12) Calvet, op. cit., p. 159. 13) Ibid. 14)Ibid. 15)バルトはこのドキュメンタリー映画の極彩色に溢れた「東洋」の描写に対し, 「世 界に着色することは,いつでも世界を否定する方法である(ことによったら, ここではカラー映酎こ対する訴訟を起さなければならないかもしれない)。どん な実質も奪われて,色彩のなかに押し込められ, 『イメージ』の豪華さn体に よって現実から遊離した東洋は,映LhJ'が用意してくれるごまかしの操作にいつ でも思いのままになる」 (OC,Ⅰ,798)というオリエンタリズム批判を提起して いる。

16) Calvet, op. cit., p. 159. 17) Ibid.

18) Ibid.

19) Op. cit.,p. 160. 20) Ibid.

21)初出時と単行本化のテクストはそれぞれ卜記の通りである。

LN : 《Jules C6sar au cin6ma≫, Leg Lettres nouuelles, janvier 1954, p.

150-153.

pv : (:Les Romains au cinema:), Mythologies, Seuil, 1957, coll. "Pierres

vives'', p. 26-28.

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の三個所が存在している。一一一一つ[=ま映画のなかで古代ローマ人を演じている男

優たちの散についての形容の適正化である。

[・・・・・・] dont la minceur a de tous temps signa16 un m6lange sp6cifique de

droit, de vertu et de conquete. (LN, 150)

[・.・-・】 dont l'exigu'it6 a de tous temps signa16 un m61ange sp6cirlque de

droit, de vertu et de conquete. (PV, 26)

次は《universelle≫ という形容詞のニュアンスを文体論的に微調整している 例である。

【・--・] questions somme toute universelles, 【-・-】. (LN, 150)

卜‥-】 questions 《universelles≫,卜・・・1. (PV, 26)

同じような形容詞の修正例がもう一つある。シーザー役の俳優ルイス・カル ハーンに関して,古代ローマの将軍という配役にはイく適切だと指摘している個 所である。

Jules C6sar est incredible, [・・.・・・]. (LN, 151) Jules C6sar est incroyable, [・・・・・・]. (PV, 27)

23) OC,ⅠⅠ,p. 308. 24) OC, ⅠⅠ, p. 304. 25) OC, ⅠⅠ, p. 304-305. 26) 1947年にノバート・ウイナー(1894-1964)が提唱したこの学問は,対象が生物 の場合でも機械の場合でも,通信・制御・情報処理という本質的な問題は同一 であり,統・的な立場から研究すべきだとする立場であり,彼の『サイバネ ティックスと社会』の仏訳が1952年に紹介されている(Wiener, Norbert, Cyber-ne'tique et socidte', traduit de l'anglais, Deux-Rives, 1952)0

27) OC, ⅠⅠ,p. 305.

28) Bernard Dort, ≪Barthes, un d6fi auth6atre≫, Magazine litteraiT・e, No. 97, f芭vrier 1975.

29) JeanJos6 Richer, ≪L'affaire C6sar≫, Cahiers du cine'ma, No. 29, d6cembre

1953, p. 46.

30) Jean-Paul Sartre, (:Qu'est-ce que la litt6rature?:), Situations, II, Gallimard, 1948, p. 60

31) Sartre, op. cit., p. 62. 32) Sartre, op. cit., p. 64.

33) Sartre,op. cit.,p. 63.この《1'empiredessignes≫という表現はバルトの著名

な口本論のタイトルと同じものである。

34) Joseph L. Mankiewicz, Julius Caesr, (M 200274), 1989, 122 minutes.

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映像と記号のエチカ  267 37) OC,ⅠⅠ,323.この舞台衣装諭のなかで言及されているアメリカ西部劇的な顔貌 は, 『ジュリアス・シーザー』諭における「フランス人には,アメリカ人の顔に まだ何かエキゾチックなところがあるように見えるので,あの悪覚一保安′lJlの 相貌とローマ風の髪の組み合わせは滑稽だと判断する」 (LN, 151 ; PV,691) という個所と対応している。

38) Corinne Fran90is-Denらve, Roland Barthes : Mythologies, BR丘AL, 2002, p.

66.

39) The Standard Edition of The Complete Psychological Works of'sigmund

Freud, tr. by James Strachey, V. XIII, London, The Hogarth Press, 1953, p.

222.

40) Edgar Wind, Art and Anarchy, Northwestern University Press, 1985 (1963),

p32.

41) 「現実効果」はバルトが「歴史のデイスクール」 (OC,ⅠⅠ,p.1261-1262)およ

び「現実効果」 (OC, ⅠⅠⅠ,p. 30-32)という論稿で定義した写実主義的な細部描

写による物質的存在感の喚起である。俳優たちの髪型がこの「現実効果」を発

揮していることは,以卜のバルト研究にも指摘されている(hicCobast,My-thologies de R. Barthes. Premi占res lecons, PUF, 2002, p. 47)

42) Ferdinand de Saussure, Cours de linguistique ge'ne'T・ale, Payot, 1964, p. 33.

43) OC,Ⅰ,462.

44) OC,I,462.

45) Brecht, Ecrits sur le the'atre, Gallimard, "Biblioth包que de la P16iade", 2000,

p.818.

46) Brecht, op. cit., p. 821.

47) Barthes, 《petite mythologie du mois浄, Les Lettres nouuelles, mars 1955, p.

480.

48) Taylor, op. cit., p.266.

49) Calvet, op. cit" p. 124.

50) oc, ⅠⅠ1, p. 1033. 51) OC,ⅠV,p. 522. 52) OC,Ⅴ,p. 440.

53) Barthes, 《petite mythologie du mois浄, Les Lettres 'wuuelles, mai 1955, p.

798.

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