ヒルファディング経済政策論の再検討:経済学史の 視点から
著者 上条 勇
雑誌名 金沢大学経済学部論集
巻 27
号 1
ページ 103‑155
発行年 2007‑01‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/9963
ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討
‑ 経 済 学 史 の 視 点 か ら ‑
上 条
Ⅰ
は じめに
Ⅱ
ヒルファディングの経済学方法論 と経済政策論
Ⅲ
『金融資本論』第
5篇の構 成
Ⅳ
ヒルファディング 「 帝国主義」論 と自由貿易政策論
Ⅴ
ヒルファディング 「 帝国主義」論解釈の視点‑ 諸説の批判
Ⅵ
ヒルファディング経済政策論の展開‑ むすびにかえて‑
Ⅰ は じめに
これまでわが国の 『金融資本論』研究史 においては,研究が理論の部 (第
1‑4
篇) に集中 してきたのであ り,政策の部 (第5
第) に関す る研究 はそ れほど多 くない。政策 の部では,経済政策論 として ヒル ファデ ィングの 「帝 国主義」論が展開されているのだが,概 して レーニ ンの帝国主義論以上 にで るものではないとみなされてきたせいなのであろうか ? 周知のように, レー ニ ンは, カウツキー批判,すなわち帝国主義 を 「金融資本の好んで もちいる 政策」などと規定 して暴力的政策以外 に平和的政策 もあ りうると述べ るカウ ツキーにたいす る批判 を企て, 「段階 としての帝 国主義論」 を形成 した。 つ ま り, レーニ ンは,帝国主義 とは,政策ではな く,資本主義 の独 占段階,最 高で最後の段階であると規定 し,世界の分割 ・再分割闘争 において戦争 を不 可避 とす ることを示 した。それい らい,概 して,帝国主義を政策 と規定す る 帝 国主義論 にはマイナスのイメー ジがつ きま とわれて きた とい ってよい。『金融資本論
』
を学説史 ・思想史的に評価す る場合 において も,「帝国主義 ‑ 政策」論であるにもかかわらず,帝国主義の 「段階認識」を示 しえた とい うことに関心が集 ま って きたよ うに思 われ る。 とりわ け ヒルファデ ィングのカ ルテル保護関税論 の評価 においては, これを 「帝 国主義的段階認識」 の一環 をなす とみなす ことに力点が置かれてきた。 こうした観点か らすれば,第一 次大戦以降彼が 自由貿易政策論 を唱えたのは, この 「段階認識」か らの大幅 な後退を意味す る。
帝国主義論史が,左翼主義的な立場 で書かれ,第一次大戦 まで しか視野 に 入れなか った限 りでは,以上 の評価 はあま り疑問 とされなか った。 しか し, われわれは,今 日, 旧 ソ連,東欧諸国における リアル ・ソー シャリズムの体 制が崩壊 した一方 で, グローバ リゼー シ ョンの名でますます発展を とげる現 代資本主義 を 目撃 に している。 また,第二次大戦以降GATT(そ してWTO) 体制の もとに, アメ リカを中心 と して, 自由貿易政策が積極的に追求 されて きた事実 を知 っている。 したが って,現代資本主義 を視野 に入れて帝国主義 論史 を考察す るな らば, われわれは, 自由貿易政策論が ヒルファデ ィングの 思想の中でいかな る位置 を 占めていたのか,『金融資本論』 まで さかのぼ っ て検討す る必要 を感ず る。 その際,わた しの到達 した考えは,彼の帝国主義 論 を評価す る場合,経済政策論であ った 「にもかかわ らず」ではな く,逆 に そ うであ った ことにその魅力 と積極的な意義を兄 いだすべきであるとい うこ とである。 わた しは, レーニ ン,つ ま り 「帝国主義 ‑段階」の名の もとに, 政策論的認識 をほとん ど欠 くまま,世界 の分割 ・再分割闘争か らただちに戦 争 を導 き出 し,平和を一時的な息継 ぎとするいわば 「万年戦争論」におちいっ ているレーニ ンよりも,『金融資本論』 に発 して時代の推移 とともに政策論的 認識を発展 させていった ヒルファディングにかえって魅力を感ずるのである。
帝国主義論史 の方法 に関連 して述べ るな らば, しか し, ここで問われ るの は,現代の観点 にた って過去 の学説 と思想 を裁断す ることではない。絶えず 反省 され鍛 え られ るわれわれの 「新たな認識水準」 の もとで,それぞれの時 代 と社会 に生 きた学説 ・思想 として, これ らを史実 に基づいてできるだけ正 確 に把握す ることを心が けると同時 に,時代的制約 を越えて現代 と未来を照 射す るその理論 的可能性 を兄 いだす ことである。 こうした二重の視点た って こそ,帝国主義論史研究 において これ まで注意をひかなか ったか見落 とされ て きた新 たな事実 や論点が浮か び上 が る。 以下, こうした関心か ら,『金融
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ヒル フ ァデ ィング経済政策論の再検討 ( 上条)
資本論』第 5篇を中心 に ヒルファデ ィングの経済政策諭 について再考す るこ とに したい暮。
Ⅱ ヒルファデ ィングの経済学方法論 と経済政策論
周知のように, ヒル ファデ ィングは,『金融資本論』 を理論の部 と政策 の 部 に二分 している。 これまで彼がなぜ第1‑4篇を一括 りに して理論 の部 と し, これを第 5篇の政策の部 と区別 したか,論述対象の違 いという以外 には あま り深 く考 え られて こなか った。 『金融 資本論』 全体 か ら帝 国主義論 の
「一般理論」的性格を読 み とるという見地か ら, ヒル フ ァデ ィングにあ って は両者が一貫 した連続的叙述をなす もの と意図 されていた と考えるのか普通 であ った と言える。だか ら,第5篇の中にそれ以前 とは違 った叙述の仕方 を 兄いだ し,彼の一貫性 のなさを指摘す る考 え もあ った。 わた しは, こうした 理解 とは異な り,理論 の部 と政策の部への二分の中に, ヒルファデ ィングに よって明確 に意識 された叙述の方法論的相違 を読み とる。叙述のこの方法論 的相違 を無視 して, 『金融資本論』 において抽象か ら具体へ の金融資本 の
「一般理論的」叙述が貫かれていると平板 に解釈す ることはできない。確 か に レーニ ンの帝国主義論 においては,政策論 を抜 きに して 「五つの基本標識」
に基づいて一般理論的に論述す る指向が強 い。 この ことか ら類推 して 『金融 資本論』 にも同種の指向を兄いだすのは,理論 と区別 された政策論の独特 の 意義 を見落 とす ことにつなが る。 われわれ は, ヒル フ ァデ ィングが敢 えて
『金融資本論』 を理論 の部 と政策 の部 に分 けた意味をまず は追求 しなければ な らない。以下, この点, ヒル ファデ ィングの経済学方法論 に立 ち入 って考
* 本稿 は,
2004年
12月 に,拙稿
「R.ヒルファデ ィング‑ 帝 国主義論か ら現代資本 主義論へ
エ 」( 太 田一度篇 『経済思想 6 社会主義 と経済学』第 5 章, 日本経済 評論社,
2005年)のために用意 した草稿の うち,紙数の都合上 これに収録できなか っ た経済政策論 に関す る部分をベースとしつつ も, これを大幅 に書 きかえ拡充 して発 表す るものである。 その際,本稿の Ⅴ と Ⅵ の間に位置す る,経済政策論 に関す る草 稿の一部 は,「 金融資本 と国家」 とい うタイ トルの もとに,上記 の拙稿 にすで に収 録 している。なお,本稿では, 引用の出所,典拠等 については,本稿末尾 に掲 げ る 参考文献の番号 と真数を本文中に示す こととす る。
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察す ることに したい。
『金融資本論
』
を著す以前 に, ヒル ファディングは,「カール ・マル クスに おける理論経済学 の問題提起 につ いて」 という論文 を発表 し,彼の経済学方 法論 を述べてい る。 この論文では,彼 は,理論経済学,経済史,経済政策 とい う三分法で経済学体系 とらえている。『金融資本論』 もこの三分法 に基づ き論述 されている。 しか し,経済学体系 のこのよ うな三分法 は,明 らかにマ ル クスの方法 とは異 な ってい ると言 わ ざるをえない。 マルクス主義者を自認 するヒルファディングは, どのような経緯でこの三分法にいたったのだろうか ? 歴史的に見 るな らば, こうした三分法 は,古 くは フ リー ドリッヒ ・リス ト に見 られ る。 リス トは,周知 のよ うに,経済学 を,哲学 (理論),歴史,政 策 に三分 している ([
2
],4 5
頁以下)。すなわち リス トは,『経済学の国民的 体系』 において, アダム. ス ミスの経済学を 「交換 の科学」 とし, これに自 らの 「生産諸力 の理論」(国民 的生産力 の理論) を対置す る一方で,理論 と 政策 の間に歴史 (的発展段階)が介在す ることを強調 した。 そ して, ス ミス の 自由貿易論が発達 した国民経済 に対応す るものであるとして,歴史的に後 進的な発展段階 にある国民経済 につ いて は, これを育成す る関税政策を対置したのである。
ヒル フ ァデ ィングは,『金融資本論
』
第21章で リス トの育成関税論 に触れ てお り, また リス トにかかわ る書評 ([3] )
をひ とつ残 している。彼が, リ ス トを読み込み, そ こか ら三分法を学んだ と十分 に考え うるものの, これを 確証 しうる資料 は見 あた らない。む しろ,彼の三分法 は,直接的には,オー ス トリア学派 の始祖 であるカール ・メンガーにたいす る批判を とお して確立した と思われ る。 この点, ヒル ファデ ィングは, こう述べている。
「経済史 と理論経済学 との混 同が方法上 の論争 に起 因す るものであるか ぎ りにおいて, はや くもカール ・メ ンガーは, この点 の理解で大 きな取 り違え を暴露 している。 ここでは,通例経済学 の第三部 門に帰せ られ る経済政策の 地位 について,一言す るにとどめよ う。経済政策 は応用科学であ り,その点 では, われわれ はメ ンガー と一致す るけれ ども, しか しそれはかな らず Lも 理論経済学の学説 の応用であることを要 しない。 そのようになるのはただ理 論経済学が経済政策 にたい しては じめて原理を提示 しなければな らないばあ
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ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
いだけである
。 」
([4],121頁)つ ま り, ヒルファデ ィングは,歴史学派 における 「経済史 と理論経済学 と の混 同」 にたい してメ ンガーが歴史か ら切 り離 された方法論的個人主義 に基 づ く理論経済学を主張 したのを,「大 きな取 り違 え」 であると批判す るので ある。 メンガーにおいては,歴史 ‑個別的な ものに関す る科学,理論的国民 経済学 ‑一般的な ものに関す る科学,経済政策 ‑実践的科学 とす る三分法が 存在す る ([5],第1章の三 「理論 ・歴史 ・政策」 を参照)。 ヒル ファデ ィ
ングは, このメンガーの考えを批判 しつつ, 自らの三分法を確立 した。 ヒル ファデ ィングは, まず,経済史 と理論経済学の関係 について, こう述べ る。
経済史は,「いっさいの社会構成」 を対象 とす る。 それにたい して,理論 経済学 は,「一定の歴史的社会組織」すなわち資本主義 を対象 とす るので あ り,交換の法則を発見 し, これ に もとづいて,資本主義社会の運動法則を理 論体系的に説明す ることを課題 とす る。「こう した課題 とともに, 同時 に理 論経済学の範囲が厳密 に定式化 され, またその方法が規定 されたのである。
理論経済学は経済史か ら分離 された
。 」
([4],121頁)つ ま り, ヒルファデ ィングは,社会主義 を含 めて,資本主義 (商品経済) 以外の 「社会構成」 が 「生産関係が意識的に規制 され るところの社会」であ り, そこには交換の法則がない と考 え る。 彼 の こうした考えは,「人間の生 産共 同社会 (produktionsgemeinschaR)は, 原則 と して二様 の方法 で構成 さ れ うる
」( [
1],(1)55頁) とい う 『金融資本論』 の書 き出 しに反映 されて い る。 「二様」 とい うのは,意識的 に規制 された社会 と交換 の法則 によって成 り立つ社会の2つをあ らわ している。 ヒルファデ ィングによれば,理論経済 学の任務は,「社会の運動法則」 たる交換の法則 の発見 にある。 したが って, 理論経済学は,交換の法則によ って成 り立つ資本主義社会を対象 とす る。す なわも,私的所有 と商品生産によって諸個人 に分解 している資本主祉会を社 会的に成 り立たせ, その社会的関連を示す 「社会の運動法則」 たる 「交換 の 法則」 を対象 とす る。 この意味で,理論経済学 は,「い っさいの社会構成」を対象 とす る経済史か ら分離されているが,一定の歴史段階に対応 している。
こうして ヒルファデ ィングは,理論経済学が資本主義 という特定の歴史段階 を対象 とすることを強調 して,歴史か ら切 り離 された理論を提唱す るメンガー
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を批判す るのである。彼 によれば,オース トリア学派が とりあげる交換の分 析 は,資本主義の法則 とはかかわ りない 「純粋に私的な行為」の分析である。
つま り,彼の述べ るところはこうである。
「実際の ところ,教室でのペ ン軸 と切手の交換,社会主義社会の二成員間 における乗馬 と自動車の交換は,私的な‑ 出来事であって,理論経済学にとっ てはまった くどうで もよいことである。純粋に私的な行為 としての交換を分 析す ることによって,資本主義社会の法則を探求 しようとす ることは,限界 効用説の根本的迷妄である
。 」( [
4],120頁)以上, ヒルファデ ィングは,理論経済学における歴史認識の問題 を説明す る。そ して,歴史的視点 にた って,マル クス価値論 における交換形態,商品 形態の分析の意味を強調す るのである。 彼によれば, ここでいう形態 とは歴 史的形態の ことなのである。 この歴史的形態を強調す ることが ヒル ファデ ィ ングの前掲論文の主要 な任務であったが,われわれは, ここではその指摘 に とどめ,三分法の問題 に もどろう。
われわれは, ここで,資本主義がいかなる形で経済史の対象になるかにつ いて,つま り資本主義 の経済史 については, ヒルフ ァデ ィングか ら聞 くこと はできない。彼 は,理論経済学が 「一定 の歴史的組織 においては じめて成立 す る」 ことを語 り, その ことによって理論経済学 と経済史の 「分離」 を語 る のみである。資本主義 の発生 ・発展 ・消滅の問題 は, ヒルファディングにお いては, どのように位置
づ
け られているのだろうか ? 彼にあっては,経済 史を対象 とす る独 自な論稿 はない。 そ して,後 に見 るように, この間題 は経 済政策論 に著 しく引きつ け られて考え られているようである*。 したが って, われわれは,理論経済学 と経済政策論 の関係に関す る考察に移 ろう。先の引用 において, ヒル ファデ ィングが,経済政策を応用科学 とす るメン
* 高 山満氏 は, 「 『金融資本』分析 と価値法則」 とい う論文 において, ヒル フ ァデ ィン グが経済史 の課題 と して生産 関係 の生成,発展,衰滅 を史的に記述す ることを意図 してい るのか,生産 関係 間の 「移行 の必然性」を記述す ることを意図 して い るのか 判然 と しない と しなか ら, 「少 な くと も, これ らの論 点 が 『理論経済学』 的処理 の 埼外 の ものであ ると, ヒル フ ァデ ィングが考えていた ことだけは確かであ る」 と指 摘 してい る ([
6],
134頁)
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ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
ガ一にたい して,その限 りでは賛意 を表 しつつ も,理論経済学 と経済政策 の 関係 については異論 を唱え ることが注 目され る。つ ま り, ヒル ファデ ィング によれば,経済政策が理論経済学の応用であるのは,資本主義 とい う特定 の 歴史段階に限 られ る。 それにたい して,「社会主義社会 においては,経済政 策の原理 は総体の利害 であ り,技術の能 うか ぎ り合理 的な応用を基礎 とす る
ものであって,理論経済学を基礎 とす るものではない
。 」
([4],121頁) ヒル ファデ ィングは, このよ うに,社会主義社会 においては,私的利害 で はな く社会全体の利害が貴 書,交換の科学た る理論経済学 は介在す る余地 は な く,技術の合理的応用を原理 として,その上 に経済政策が成 り立つ とす る。生産関係が交換 によって規制 されないい っさいの社会構成 において も,経済 政策 は,同様 に理論経済学を基礎 とは しない。経済政策 が理論経済学 を原理 とす るのは,資本主義 とい う特定の歴史段階 においてのみである。彼 は,以 上 のようにメンガーを批判 し,経済政策の原理 を さらに こう述べている。
「経済政策の原理 はつね に一定 の利害 関係 であ る。 この利害関係が,理論 経済学的分析 によっては じめて明白に認識 され うるばあいにのみ,政策 は理 論経済学の うえに基礎づ け られ るのである。 この ことは,経済的諸階級 の利 害関係が問題 とされ るばあいにのみ生 じうることであ る。 そ して,社会的生 産 におけるこれ らの階級の機能が理論 によって明示 された ときに, は じめて
この利害関係が明白に認識 され うるのである
」( [
4],121頁)ヒルファデ ィングは,以上の ごとく,経済政策 の原理 が階級の利害関係 で あ り, この利害関係が理論経済学的分析 によって認識 され うる場合 には じめ て,政策が理論経済学 の上 に基礎づ け られ ると述べている。 ここで ヒル フ ァ デ ィングが,経済政策 の原理が経済的諸階級 の利害関係 にあると述べてい る ことが注 目され る。 これは,『金融資本論』第5篇の性格 を明 らかにす る上 で重要な指摘である。彼 は,その序文 (「原著者序文」)において,理論 の部 と政策の部の関係 につ いて, こう述べている。
「だが,理論的にとらえ ようと した こう した発展 は, 同時 に社会 の階級 構 成 に大 きな影響をあたえ るものである。 そ こで,最後の一第では, それが ブ ル ジ ョア社会の諸大階級の政策 におよぽす主要 な諸影響 を追 うことが適 当だ
とお もわれた
。 」( [
1],(1)51頁)ここで, ヒル フ ァデ ィングが,「諸大階級の政策」 と述べていることが注 目され る。 つ ま り, われわれ は,「金融資本の経済政策」 とい う第5篇の タ イ トルに幻惑 されて,第5篇では もっぱ ら金融資本 の政策 ‑帝国主義が論ぜ られていると理解 しが ちである。 しか し,第5篇の課題 は,金融資本の理論 経済学 に基づ き, まず は金融資本の経済政策を導 きだ し, これが 「諸大階級 の政策」 にいかな る影響 を及 ぼすかを明 らかにす ることにある。経済政策論 の課題 は, あ くまで も諸階級 の利害関係 とこれか ら導 きだされ る政策 を明 ら かにす ることにある。 よ り具体的に言 うと,金融資本の政策 ‑大 ブル ジ ョア の政策をまず明 らかに し, これにたいす る小市民諸階級,大土地所有者, サ ラ リーマ ン, よ うす るにプロ レタ リアー トを除 く諸階級の対応 ‑政策 を明 ら かにす ることにあ る。 そ して, その上で, プロ レタ リアー トの政策を展開す ることにある。 これが,第5篇の基本的な内容であ り構成 をな している。 し たが って,われわれ は,第5篇が,経済政策 とい う形を とりなが らも帝国主 義 の 「一般理論」 を展開 した ものであるとはとうてい理解できない。第5篇 には, マル クスの経済学批判 のプラン体系後半 を発展 させ ようとか,世界経 済論 を発展 させ ようとい うヒル ファデ ィングの意識 は見 られない。第5篇は, 経済史 ・理論経済学 ・政策 とい う,マル クスとは異 なる経済学の独特の三分 法 に基づ き,理論経済学 を原理 と しなか ら,その応用 として,諸階級 の利害 関係 とこれに対応す る政策 を分析 とした ものである。そ してそこに貫 くのは, 歴史的な視点である。つ ま り,重商主義, 自由主義,帝国主義 とい った経済 政策の歴史的諸段階の認識 である。第5篇は,重商主義 にたいす る自由主義 の闘争か らは じめて, まず は 「国家権力 にたいす る資本家階級の関係」 の変 化を論 じている。
第5篇では,確か に,重商主義 に関す る詳 しい分析 は見 られない。 そ こに は,「大 きな商事会社および植民会社の特権や独 占」([1],(2)209貢) といっ た重商主義 の利害関係 に関す る簡単な指摘があるだけである。 しか し,興味 深 いことに,重商主義 に関す る ヒル ファディングのまとまった論述がまった くないわ けではない。 それ は,『金融資本論』 とほぼ同時期 に発表 された彼 の 「初期のイギ リス国民経済学 よ り」 という論文 に見 られ る。 ヒル ファデ ィ ングは, この論 文 で, 主 と して 「イギ リス重商主義 の基本 的文献 で あ る」
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ヒル ファデ ィング経済政策論の再検討 ( 上条)
([4],
8 4
頁) トマス ・マ ンの 『外国貿易 によるイギ リスの財宝』( 1 6 6 4
年) を取 り上げて論 じている。重商主義 に関す るヒル ファデ ィングの基本的な考 えは, こうである。「フイジオクラ‑ トおよびアダム ・ス ミスがか くも熱心 に, かつ歴史的正 義 に もえて,反動的であると反対 しているこの体系 も,その成立の時期 には 徹底 的に革命的であ ったのであ り,マ ンの時代が実現 したときに,古典派 の 学者 たちか らかれ 自身が攻撃 されたの とおな じ激 しさを もって, 中世的経済 政策 の諸障碍 に反逆 したのである。重商主義者 は, まさに産業的生産の支配 を 目指す と同時にその植民政策 において本源的蓄積の最 も重要な源泉の一つ を開いたところの,商人資本および高利貸資本の,代弁者であった。マ ン自 身 は,まだ商業資本の利益を第一 にみている。 けれ ども,かれはすでに,坐 産政策 に徹底す ることの重要 さを明 らかに している。 かれの後継者 において は,産業的生産への関心 はます ます前景 にあ らわれ,そ してついにコルベー ル主義の体系 とな って,国家は全力をあげて 自分 自身の国民的産業の育成 と 発展 に奉仕することになるのである
。 」( [ 4
],1 0 2 ‑1 0 3
頁)つ ま り, ヒルファデ ィングは,重商主義を反動的 とみなすス ミス ら古典派 経済学 にたい して,重商主義が資本主義の本源的蓄積期 に積極的な役割を果 た し,商人資本および高利貸 し資本の利害 に基づいていると評価す る。 それ は,反動的 とな った 「中世期的経済政策」,すなわち自然経済 (欲望充足経 済)的基礎の上にたち,交易の点では,貨幣的富を国内に蓄蔵 させ るために 個人のいかなる商取引を も取 り締 ま りと監視の対象 とした経済政策 にたい し て,譲渡利潤 と貿易差額 を求め,「一 国の総括的な外国貿易をば,一般的政 策 という方法」 によって規制す ることをめざした。 そ して,貿易を発展 させ るために,中世期的経済政策による個 々の商取引の規制 ・監視の撤廃 を求 め た ものであった。その意味で進歩的だ ったのである。 ヒル ファデ ィングによ れば,マ ンの考えは,彼の後継者 において産業的生産への関心 にも結 びつ き,
コルベール主義の体系へ と進んでい く方向を示 している。 われわれは, ここ で,重商主義を反動的 と決めつ けるス ミス らにたい して, コルベール主義 を 取 り上げ,重工主義の意味で重商主義を再評価す る リス トの主張を思 い出す。
ヒル ファテ ィングは,『金融資本論』 で産業資本主義 の経済政策 として 自
由主義を取 り上 げる場合 に, イギ リスにおける自由貿易にたい して,大陸で は リス トの育成関税政策が妥当 した と述べている。つま り,彼は,産業資本 主義の経済政策 においては, イギ リスの 自由主義を典型 としつつ も,大陸に おける育成関税政策の併存 も認めたのである。 リス トは,国民経済 における 歴史的発展段階の相違 に相応す る経済政策つま り後進国における産業育成の 政策 として育成関税政策 を唱えた。 ヒル ファデ ィングの経済政策論 も,歴史 と各国の個別事情 を考慮 し, イギ リスを典型,大陸諸国を特殊型 とす るいわ ば 「タイプ論」的性格 を有 していた。
こうして, ヒル フ ァデ ィングは,『金融資本論』 において, その歴史認識 に基づ き,①資本主義 の本源的蓄積期の経済政策 ‑重商主義,②産業資本主 義 の経済政策 ‑自由主義 (と育成関税政策),③金融資本の経済政策 ‑帝国 主義 とい うごと く,経済政策を段階的に論ず るのである。彼によれば,重商 主義政策 はまだ理論経済学 に原理的に基づ くものではない。つま り,「重商 主義的経済政策 にたいす る闘争 は理論経済学の発展 のための強い‑動力 とな る
」( [
1],( 2 ) 2 1 0
頁)のであって, 自由主義 こそが,か くして発展 した理論 経済学 (イギ リス古典派経済学)を原理 とした経済政策であったのである。それにたい して重商主義 は,理論経済学を基礎 としないが,商人資本および 高利貸 し資本の利害 に基づ く経済政策である。 自由主義 と並んで帝国主義が 理論経済学 (金融資本の理論) に基づ く経済政策である。 これ らの経済政策 は,資本主義の歴史的発展段階に対応 した ものであ り,典型的形態 としては 任意 に選択可能 な ものではない。 こうした考えが,『金融資本論』序文 にお いて価値判断論争 への彼 の言及 に結 びつ いてい く。 ヒル ファデ ィングは,
『金融資本論』序文 において,政策 と価値判断の問題 との関係 につ いて こう 述べている。
すなわち,政策 は規範論であ り,価値判断によって決まるが,価値判断は 科学の仕事ではないか ら,政策を扱 うのは科学的考察の範囲外だという考え がある。 しか し,「商品生産社会 における諸法則の認識 は, 同時に, この社 会の諸階級の意思 をきめる決定的諸要因を もしめす ものである。階級意思の 決定 をあぱ くことは, マル クス主義の見解では,科学的な政策つま り因果関 係を記述す る政策の任務 なのだ。 マル クス主義では,理論 とおな じく政策 も
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ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
また価値判断か らは自由である
。 」( [
1],( 1
)52頁)このように ヒルファデ ィングは,政策 も因果関係 を記述す る任務を もち, 科学の対象をなす と述べ る。理論経済学を基礎 として因果関係 によって記述 され る政策 は, したが ってその時 々の現実 に応 じて 「必然的な」政策なので ある。 ヒル ファデ ィングは,『金融資本論』では,価値判断によって決 まる, 任意 に選択可能 もの として政策を考えない。帝国主義政策論 も,金融資本 の 理論経済学をベースとしつつその応用 として,通商政策 と国家をめ ぐる諸階 級 の態度の変化,階級的利害関係 の変化 において,金融資本の 「必然的」 な 政策が国家の政策を規定す るとい う形で論 じられ る。科学 としての経済政策 は,理論経済学を基礎 ‑原理 として因果関係的に諸階級の意思決定要因を暴 露す ることを任務 とす る。 しか し,それは科学ではあるが理論 (経済学) と は明確 に一線を画 されている。 この区別は, どこか ら生ず るのだろうか ? この区別は,たんに理論 と応用 といった表面的な区分 によって説明され る も のではない。そこには, ヒルファデ ィング独特 の方法論的区別がある。
『金融資本論』では,恐慌諭 によって 「理論 の部」 が締 め くくられ る。彼 の恐慌論 は,「恐慌 の性格 における変化。 カルテル と恐慌」 において景気循 環のあ り方の変容が指摘 されるものの,景気循環論 を基本 とす る。つま り, 恐慌論では,交換を とお した社会的連関の法則,社会的物質代謝の法則であ る価値法則が景気循環 の うちに貫徹 してい くことが示 され る。 この景気循環 論 としての恐慌論で 『金融資本論』の理論 の部が終わ るのであるか ら, ヒル ファデ ィングにあっては,理論経済学の描 く資本主義 は,永遠の循環運動 を な している。実際に彼の理論経済学 は,資本主義 の変化 と発展の論述がある ちのの,その発生 と消滅の説明を含む ものではない ([7] を参照)。景気循 環を否定す るような資本主義の組織化の究極の傾向にたい しては社会的 ・政 治的にあ りえない もの として歯止 めがかけ られ る。彼 にあ っては,資本主義 の発生 と消滅の説明, さらには発展の各国別 ・具体的な様相の説明は,理論 経済学の外に,経済史 と政策論 に委ね られているように見える。
これは,明 らかにマルクスの方法 とは異な る。 そ して, こうした相違 は, 結論を少 し先取 りして言えば,根本的には ヒル ファデ ィングの弁証法理解 に 基
づ
いている。 この点,立 ち入 って検討 しよう。ヒル ファデ ィングは,『金融資本論』 の序文の書 き出 しにおいて,資本主 義的発展の経済的諸現象を 「科学的に」把握す ることを 目指 し, これを 「か のぺテ ィ
W.
Petty[ 1 6 3 2‑1 6 8 7 ]
には じまってマル クスにその最高の表現 を みいだす古典派経済学の理論体系の うちに組み入れ」 るという意図を述べて いる ([1],(1)49頁)。彼 は, たんにマル クス主義 とかマル クス経済学 を発 展 させ ると書 いているのではない。われわれは, ここに若 きヒルファデ ィングの気負いをみいだす こともできるが,それだけではない。 マルクスを古典 派経済学 に含め, その頂点をなす と述べていることに も注 目しなければな ら ない。確かにマル クスの 『資本論』 は,古典派経済学 にたいす る経済学批判 の書であ り,その意味では古典派経済学の延長線上 にあると言 って もいい。
しか し,そこにはパ ラダイム変換があ り,マル クスの経済学を古典派経済学 に含めるのにはやは り問題がある。 に もかかわ らず ヒル ファディングは, い かなる意図か らマル クスの経済学を古典派経済学 に含めたのであろうか ?
このことは, これまでの ヒル ファデ ィング研究ではほとん ど問題視 されて こ なか った。 しか し, われわれは,『金融資本論』 の出版直後 に書かれた ヒル ファデ ィングの論文 「マル クス経済学前史 より」の 「Ⅰ.科学史の記述の方 法 について」の中にこの解答を兄 いだす ことができる。 これは, カウツキー 版 『剰余価値学説史』の最終巻の刊行 に向けて書かれた論文である。 その中 には,『金融資本論』の先の書 き出 しと類似 した文が兄 いだされる。
「 (
『剰余価値学説史』 において‑ 引用者) マル クスが叙述 したのは,商 品 と貨幣の共通者 としての労働を認識す るぺテ ィおよびフランクリンの最初 の正 しい洞見 には じまってマル クスの体系 に終わ るところの,国民経済学の自己発展 にはかな らない
。 」
([4],6頁)ここで,彼は,労働価値説 に もとづ く経済学を科学 とす る。われわれはこ こで,国民経済学 を古典派経済学 と置 き換えることができ,また古典派経済 学が理論経済学 と同義 に用 い られていると考えることができる。マル クス以 前の古典派経済学の歴史 においては,労働価値 と賃金の相違,価値 と利潤率 の均等化法則 (生産価格論)の関係 な ど,現実の経済現象 と突き当た って, 労働価値説は難題 に直面 し,認識矛盾におちいった。古典派経済学がおちいっ た認識矛盾を解決 したのかマル クスの経済学であ り,『剰余価値学説史』 は,
‑ 1141
ヒル ファデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
まさにこの経済学の発展史を描 いていると, ヒル ファデ ィングは考え る。 そ して,古典派経済学 を労働価値説 に基づ く理論経済学 とし,その頂点 にマル クスを位置
づ
けるのである。 この点, ヒル フ ァデ ィングによれば, 「ぺテ ィ およびフランク リンにおける労働価値法則の最初の定式化 よ り 『資本論』第 二巻および第三巻の もっとも綿密な詳論 にいた るまでには,論理的経過 を も つ一発展が生ず るのである。 」( [
4],25頁)われわれは, ヒル ファデ ィング のこの文言 においてはパ ラダイム転換 の意識が希薄であることを読 み とる。これは,科学史が 「増築」の歴史であると彼が述べていることに も現れてい る。 このような認識 に基づいて,先 に引用 した 『金融資本論』序文の書 き出 しがなされていると解釈 される。
この点,われわれは,「科学史 の記述 の方法 につ いて」か らの先 の引用 の 中で,国民経済学の 「自己発展」 とい う表現が用 い られていることに注意 し なければな らない。 じつは, ここに ヒル ファデ ィングな りのヘーゲル弁証法 理解 が兄 いだ され る。 この論文 の中で は彼 は, 『剰余価値学説 史
』
全体 に「ヘーゲル」が貫かれていることに 「大 きな驚 き」 を もって見ている ([
4]
, 6頁)。その際,彼 は,友人マ ックス ・ア ドラーのヘーゲル弁証法解釈 を論 文注でとりあげ, この解釈をとり入れている。つ ま り, ア ドラーは,ヘーゲ ルの弁証法に,思惟の様式 と存在の様式の二様の方法が同一名称の もとに入 っ ていると理解す る。 そ して,後者 の存在の 「対立」 をあえて 「敵対」 と名づ け,ヘーゲルの混乱 を取 り除き, それ とは切 り放 たれた 「論理的範噂の 自己 運動」の法則 と して,思惟を把握す ることこそ, 「弁証法 の核心」 であると 主張す るのである ([4],13頁)。 ヒル フ ァデ ィングも, ア ドラーの この理 解を継承 し,認識矛盾 によって 自己発展す る思惟の法則,叙述 の論理的方法 として弁証法を理解す る。そ して, この模範的適用を 『剰余価値学説史』
に 兄いだすのである。興味深いことに, ヒル ファデ ィングは, その際,す ぐ後 で,「エル ンス ト・マ ッ‑は,科学 の発展 は思惟 の事実への適合 であ り, か つ思惟相互の適合であると述べている」([4],19頁) と指摘 して,弁証法 を 「マ ッハ主義」的に理解する方 向を示 している。 また,マル クスの 「経済 学批判序説」 における下向法 ・上 向法の論述 を取 り上 げ, あたか も上 向法的 叙述方法を弁証法 と同一視 しているような記述 もお こな っている。理論 と政策 の区分 において, ここで注 目され るの は, ヒル フ ァデ ィングが,弁証法 を 思惟 の方法,科学史 とか理論 の記述方法 として理解 していることである。 そ の際,彼 は,客体 の弁証法 とか存在 の弁証法 とか につ いて は重視 しない。 そ ればか りか,次 のよ うに さえ述 べて い る。
「われ われ はマル クスその ひ とが ま った く意識 的 にヘ ーゲルの方法 を経済 学 に適用 した ことを知 って い る。 ところが この適用 は, な によ りもまず,ふ つ うそれが要求 され る箇所 には,す なわ ち,諸 階級 の現実 的対立 の叙述 や, 資本家 的生産方式 の社会歴史 的制 限性 と,資本家 的組織 か ら発生 しなが ら, しか もたえず ます ます成長す る生産諸力 を支配せん とす る社会的要求‑ そ れの担 い手 はプロレタ リアー トである‑ との矛盾 の暴露 にはこれをみいだす ことができないのである。 それは, む しろ経済学 的諸概念 の形成 と叙述の仕方 の うちに, その特殊 な論理 的役割をはた しているのである
。 」( [
4],10頁)ヒル フ ァデ ィングの この指摘 は, 『金 融資本論』 の構成 を理解す る上 で重 要 で あ る。 つ ま り,彼 は,弁証法 の適用対象 とす る諸概念 の展開の叙述 を,
「理論 の部」 で お こな う。 それ にたい して, マル クスの 『資本論』 とは異 な り,諸 階級 の現実 的対立, 資本家 的生産方式の社会歴史 的制 限性,生産関係 と生産 力 の矛盾 の叙述 は, 弁証法 の適用外 の対象 と して, 「理論 の部」 す な わ ち理論経済学 の対象外 に追 いや られ るのである。
それで は, これ らは, い った い どこで取 り扱 われ るのだ ろ うか ? 残念 な が ら, これ につ いて ヒル フ ァデ ィングは必ず しも明 白に述べているわけで は ない。 とはいえ, われ われ は,先 に示 した ごと く, ヒル フ ァデ ィングが,経 済政策 が階級 の利害 関係 を原理 とす ると述べていることか ら, この間題 の回 答 をあ る程度 を推量す ることがで きる。 ヒルフ ァデ ィングにあ っては, 階級 利害 に基 づ く階級 の意思決定 が経済政策 の内容をなす。 そ うであるとすれば, 彼 の い う経済政策論 の内容 は, 階級 の利害関係 にまつわ る もろ もろの問題, 階級 対立 ・闘争 と階級 的立場 ひいては社会変革 の問題 も含 む と推察 され る。
また, そ う理 解 しな けれ ば, 『金 融 資本 論
』
第2篇 中の株 式会社 に関す る「マル クスが ここで考察 して い るの は, わ けて も株式会社 の経済政策 的作用 であ る
」( [
1],( 1 ) 2 2 0
頁) とい う ヒル フ ァディングの奇妙 な指摘 をわれわれ は理解 で きまい。 ヒル フ ァデ ィングは, ここで,株式会社 を社会主義への過‑116‑
ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
渡的企業形態 とす るマル クスの叙述を引用 して, これを 「株式会社の経済政 策的作用」 と特徴づ けている。「彼が こう指摘 したのは,社会主義 を経済政 策の問題 と考えていたか らだと言える
。 」( [
8],112頁)経済政策 の この間題 に関連 して,「科学史 の記述 の方法」 においては, ヒ ルファデ ィングは,「労働価値理論 の発展か らか け離れた諸見解 は,経済政 策的関心性か ら明 らかにされる」 ものであると指摘 している ([
4]
,2 7
頁)0 これ らの諸見解 とか教説 は,「歴史的 ‑社会学的意味」,「実践的 ‑経済政策 的意味」 において取 り上 げられ るものである。 た とえば,「労働価値理論 に 反対するマルサスの立場 は,同時に貴族的‑英国教会的利益の, 自由主義的‑市民的‑産業的要求 にたいする一つの擁護である
」( [
4],26頁)。 これは,「純粋な経済学それ 自体 とは無縁 な社会学的立場」 を表明す るものであ り, 経済政策の中に位置づ け られる。階級利害 に基づ く階級的立場を表明す る所 読, これは経済政策論 の対象をなす。 ヒル ファデ ィングは,経済学の研究者 が,理論研究す る際に,経済政策的な立場 と目的に影響 されていることを認 める。つ ま り,「経済政策的動機 と利害 が経済理論的見解 に影響 を及 ぼす」
とか,「科学的立場にたっ経済学者 も,経済政策的理想および利害関係 によっ て動機づけ られた り,決定 された りす る」 と述べている ([4],33,35頁)0 具体的には,彼 は, こう述べている。
「重商主義理論 の支配,重農主義理論 の支配, アダム ・ス ミスおよび リカ ア ドオ理論の支配,そ して一方 におけるマルサスの保守反動的理論 と他方 に おける社会主義者の倫理的‑社会主義的反対論の崩壊, これ らの ものこそは, まず最初 に商業資本の,ついでは産業資本の,経済的支配の表現であるとと もに,一方の側 においては保守的‑地主的階層 による,他方の側 においては 生成 しつつあるプロレタ リアー トによる,産業資本への攻撃の表現 にはかな
らないのである
。 」( [
4],33頁)このように, ヒルファディングは,経済学者 における階級的立場,経済政 策的立場 と経済学理論 の関係を述べている。 これは,彼がマル クスの 『剰余 価値学説史』か ら学んだ見解である。 彼 の見解 は,研究者の階級的立場 と経 済学ひいては社会科学の関係を考 える上で興味深 い。 とはいえ, ここでは, これ以上 この間題 に立 ち入 ることはせず,以上の例証か ら, ヒル ファデ ィン
グにあ っては,経済政策論 が,階級利害,階級の意思決定,階級的立場,階 級対立 ・闘争,社会変革 (社会主義), 階級イデオ ロギーな どを内容 とす る と指摘す るにとどめよう。そ して,われわれは,重要な事実 として, ヒルファ デ ィングによって これ らの諸 問題 が弁証法的論述方法か ら除外 されたことに 注 目 したい。
つ ま り,結論的に言 うな らば, ヒル ファディングは,理論経済学 と経済政 策論 で は叙述の方法が異 な ると考 えているのである。 そ して, この方法論的 区別 は,彼の弁証法理解 に基づいている。前述のように,マ ックス ・ア ドラー に したがいつつ, ヒル ファデ ィングは,ヘーゲルの弁証法を思惟 の方法 と存 在の方法 に二分す る。 そ して前者 を理論経済学の方法 として位置づけるので あ る。 彼 にあ って は,他方 で後者 の存在 の問題, 「諸階級 の現実的対立」,
「資本家的生産様式 の社会的歴史 的制 限性」,社会変革 に関す る問題 は,弁証 法の適用対象外 をなす。 そ して これ らの問題は,経済政策 において取 り扱わ れ ると考 え られていると言 って よい。『金融資本論』 における理論 の部 と政 策の部への二分 は, ヒル フ ァデ ィングの こうした弁証法理解 と結 びついた方 法論的認識 に基づ いている。理論 の部 は,理論経済学 として, ヒルファデ ィ
ングの理解す る思惟の弁証法的方法 に基づ く。それにたい して,政策の部 は, 弁証法 の適用外の対象をなす。理論 の部 と政策の部 では,叙述の方法がま っ た く異 な ってお り,方法論 的に大 きな断絶がある。 われわれは, このことを 無視 して,政策論 が一般理論 た る理論経済学の論理 的延長線上 に連続的に論 述 されていると考 えてはいけない。 また, レーニ ンの帝国主義論全体の一般
「理論」 的展開か ら類推 して, ヒル ファデ ィングも,第5篇で,「帝国主義の 一般理論」 を叙述 した と考 え ることはで きない。つ ま り,第5篇は,金融資 本 の理論経済学 をベース と しつつ, そ こで理論的 に取 り扱われた独 占と金融 資本 の発展が 「社会の階級構成 に大 きな変化をあたえ」 る事実, またこうし た事実が 「ブル ジ ョア社会 の諸大階級の政策におよぽす主要 な諸影響」 を対 象 と している。理論 の部 か ら政策 の部へ の移行規定 をなす,『金融資本論』
序文 におけるこの叙述が, これ までの ヒルファデ ィング研究でその意味をあ ま り深 く追求 されて こなか った とい う事実 は,驚 きとせ ざるをえない。われ われは, この移行規定 と 『金融資本論』第5編の叙述を読 み合わせ ることに
一 118‑
ヒル フ ァデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
よって,第5篇では,帝国主義 「理論」が展開 されるのではな く,金融資本 を担 う大資本家の経済政策‑金融資本の経済政策, この政策をめ ぐっての, プロレタ リアー トを除 く諸階級の政策的意思決定, プロレタ リアー トの経済 政策を柱 とす る,経済学の三分法 に基づ く経済政策論が内容をな しているこ
とを読み とりうるのである。
そこで,弁証法の適用対象外た る経済政策論 の叙述方法は何かが問われ る。
ヒル ファデ ィングは,方法論 と して これを明示 しているわけではない。 が, われわれは, まずは,理論の応用 として,理論 を基準 とした形での政策論 的 事実 の具体的叙述 を思 い浮かべ ることができる。実際に,後述 のように,第 5篇 におけるヒルファデ ィングの叙述方法 は,歴史的 ・個別的 ・具体的分析 の性格を有 している。つまり,第5篇では,金融資本の理論経済学が典型国 ドイツの事実か ら抽象 した もの として論ぜ られてお り,典型国 ドイツを政策 論的分析の基準 としつつ も,各国の事情 の相違 が考慮 され, そ して対象 とな る。経済政策論が理論経済学を原理 とす るというヒルファデ ィングの見解 は, 具体的にこうした形で生かされている。結論的 に言えば,理論経済学は,弁 証法的叙述法 に基づ く一般理論 である。 それ にたい して,政策論 は, ドイツ を典型国 とした歴史的 ・個別的 ・具体的な論述法 に基づ く。 そ もそ も経済政 策論 において政策的意思決定の分析をお こな う場合 には,その性格か らして, 一定の理論的基準をベースとしなが らも,国家 と政策をめ ぐる,各国の事情 (階級構成的現実) に応 じた諸階級 の利害関係 と国家 にたいす るその具体的 な態度に立 ち入 らざるをえないのではないだろうか。
注 目すべ きことに,『金融資本論』 において理論 の部 と政策 の部 とで は論 述方法に相違 があるという事実 は,すでにわが国の ヒルファデ ィング研究 に おいて気づかれてきた。 この点,早 くは,星野 中氏の次のような指摘がある。
「‑‑‑第21章 における関税政策 の具体的叙述 は,『理論的部分』 にみ られた 上向的展開の継続 としてではな く,金融資本の基本的性質 にかんす る理解 を 前提 としつつ, その具体的蓄積過程 の条件 および結果 として,具体的歴史的 条件 にそ くして分析 されたのであ り, またその際 に前提 された 『金融資本』
規定 は,『理論的部分』 におけるそれ とは別 の方法で把握 され, 内容的に も かな り異なる側面を持つ ものであ った。」([9],261頁)
星野氏 は, このように,理論 の部 と政策の部の間に叙述 の仕方の 「断絶」
がある事実 を指摘す る。 これは卓見であ ったと言 わなければな らない。 しか し,星野氏 は, この 「断絶」 を 「疑問点」 として取 り上 げ,その原因が理論 の部 における 「金融資本規定の一面的性格」にあったと考えている。つま り, 独 占の分析 (第3篇)をあたか もはみだ した部分のように諭ず るその 「信用 一元論」的叙述 と 「銀行の産業支配」 の一面的強調 にあ った と考えている。
星野氏 は,結局,理論 の部 と政策の部 の叙述方法の断絶,すなわち一般理論 的叙述 と具体的歴史的条件 にそ くした叙述 との断絶が,以上の理論的欠陥か ら生 じた ヒル ファデ ィングの一貫性 のな さによるものであるととらえている と理解 され る。
降旗節雄氏は,星野 中氏 の上記の見解 を受け,『金融資本論
』
「第1‑4篇 と第5篇 との間に方法上 の 『断絶』がある」
([10],122頁) ことを確認 した 上で,宇野段階論 ・タイプ諭 の見地か ら, ドイツを典型国す るヒルファデ ィングによる金融資本の具体的歴史 的叙述 を高 く評価す る。([10],第4章) その際,降旗氏 は, ヒル フ ァデ ィングの方法論的一貫性のなさを強調す るの である。結局, この間題 について星野氏 と降旗氏は,両氏 とも, ヒルファディ ングの一貫性 のな さ,方法論 的矛盾 を指摘することで終わ っている。
しか し,本稿で これまで示 してきたよ うに, これは, ヒルファディング理 論の論理 的 ・方法論的破綻 を意味す るものではない。そ もそ も理論の部 と政 策の部では方法論が初めか ら異なるせいであり, この方法論的相違を ヒルファ デ ィングは,明確 に意識 していたのである。 この相違 は,経済史,理論経済 学,経済政策 と経済学を3部門に分 ける ヒルファデ ィングの三分法 に基づ く
ものであ り, また,弁証法 の適用対象 となる理論経済学 と適用対象外 となる 経済政策論 を分 けるといった彼 の弁証法理解か ら生 じた ものであった。つま り,理論 の部では,単純か ら複雑への上 向法的な一般理論的叙述 になるが, 政策の部では, まさ しく 「応用科学」 と して,存在 の対立,階級対立の現実 的叙述,階級利害関係 に基づ く政策的意思決定の歴史的 ・個別的 ・具体的叙 述が採用 され る。政策の部 では,理論経済学は,典型国 ドイツにおける階級 関係の変容 を明 らかにす るとい う形で貫徹するのであ り,叙述がきわめて具 体的になる。金融資本 も,第5篇では, カルテル化重工業 と大銀行が結 びつ
‑120‑
ヒル ファディング経済政策論の再検討 ( 上条)
いた 「大金融団」([1],
( 2 ) 2 0 9
頁) とい うレベルで多 くは論述 され る。政策 意思の形成の点で歴史的 ・現実的な階級 の利害関係を考慮す る意味で, イギ リス, ドイツ, アメ リカなどの各国の異 な る事情の分析 も不可欠 となる。 と りわけ国家の政策意思形成は,一般理論的に説明されるものでな く,その時々 の歴史的な階級の利害 と力関係の具体的分析 によって説明 され るとヒル ファ ディングが考えているように思われ る。 これは,因果関係的に決 まる, した が って 「必然的」 とヒルファデ ィングが政策をとらえる場合で もそ うである。Ⅱ
『金融資本論』第5篇の構成以上, ヒルファデ ィングの経済政策論 の方法論を検討 してきた。われわれ には,次 に, ヒル ファデ ィングの経済政策論 の方法 に関す る以上 のよ うな解 釈 に基づ き,『金融資本論』第5第の構成 を明 らかにす る課題 が課せ られて いる。第5篇は,保護関税,資本輸 出,植民地政策を内容 とした金融資本の 経済政策体系たる帝国主義の分析 を中心 にすえた,諸階級の階級利害 に基づ く政策的意思決定,国家 と国家の政策への諸階級の対応 に関す る迫真 に富ん だ具体的叙述 に満 ちている。保護関税論,資本輸 出論,植民地政策論,移民 論,帝国主義 イデオ ロギー論,国家の経済政策的意思決定論 な ど数 々の興味 深い論点を含んでいる。 しかるにこれまでの研究では, ヒル ファデ ィングの
「帝国主義」論 の特徴づ けをおこな うことに関心が集 中 し,第5篇 の叙述 に そ くした全体的 ・具体的な研究 はほとん どないと言 っていい。 したがって, 第5篇を分析する新たな方法論 的視点を得た今, わた しは, その詳 しいコン メンタールを作成 したいという気持 ちに駆 られるのであるが,本稿では,残念 ながら第5篇の構成 とその特徴に関 してスケ ッチするにとどめざるを得ない。
まず第5篇の構成の全体的特徴 を述べ ることか らは じめよう。 この点,第 5篇は 「金融資本の経済政策」 とい うタイ トルであるが, 内容の点では,金 融資本の経済政策 (第
2 1 ‑2 3
章) とプロ レタ リアー トの経済政策 (第2 4
,2 5
章)の2つを柱 としている([8],
1 1 3
頁)。そ して,金融資本の経済政策 は, その分析それ 自体 (第2
1,2 2
章) と金融資本の経済政策がプロレタ リアー ト を除 く諸階級の政策意思形成に与え る影響 (第2 3
章)の分析 とい った2つの‑121‑
部分 に分 かれている。 第5篇全体 は,独 占と金融資本への資本主義の発展に よる諸階級の利害関係および政策意思の決定の変化が国家 とその政策をめ ぐる 諸階級の対応 にいかなる変化をもた らすかという視点 によって貫かれている。
ヒル フ ァデ ィングは, まず,第
2 1
章 「貿易政策 における転換」で,資本主 義 の 自由主義 の時代 には, ブル ジ ョア ジーが,国家 による経済的諸規制を排 除す るために 「国家敵対」 的な態度 を とっていた とい う事実 を確認す ること か らは じめている。 そ して, この時代 における経済政策 と して,イギ リスの 自由主義 的 ブル ジ ョアジーの 自由貿易政策を基準 と しつつ も,他方で経済強 国イギ リスに対抗 して,大陸 ヨー ロ ッパでは育成関税政策が導入 された事実 を指摘す る。つま り, この時代の経済政策の分析 において,典型 と特殊 といっ た タイプ論 的な認識 を示 してい る。彼 によれば, 自由主義時代 のこの経済政 策 にたい して, カルテル化産業が成立す ると,保護 関税が機能転化 し, カル テル保護 関税 とな り, これ まで 「弱者 の防衛武器だ った ものだが,強者の攻 撃武器 とな った」( [
1],( 2 ) 2 2 7
頁)。 この点, ヒル ファデ ィングは,すでに1 9 0 3
年 の論文 「保護 関税 の機能変化 ・現代の貿易政策の傾向」 において,保 護関税が機能変化 し, カルテル保護関税 となった事実を明 らかに し,その結 果 と して 「資本家階級 による国家 の公然 たる占取」 がお こなわれ,「社会主 義社会の直接の前段階」が到来 している事実を指摘 している ([11],1 7 2
貢)。これ にたい して 『金融資本論』第
2 1
章 では,イギ リス, ドイツ, アメ リカと い った各 国の事情 に立 ち入 り,歴史的 ・具体的に貿易政策 の転換を論 じてい る。 その中で 「資本の集 中および集積の程度を標準 とすれば,すなわちカル テルや トラス トの発展,産業 にたいす る銀行の支配 な どの程度,要す るに, あ らゆ る資本 の金融資本化 の程度 を標準 とすれば, 自由貿易国のイギ リスで はな く, かえ って保護関税 国の ドイツやアメ リカが,資本主義的発展の典型 国 とな った」([1],( 2 ) 2 1 6
頁) とい うヒルファデ ィングの指摘 は興味深い。われわれ は, ここに歴史的 ・現実 的 ・具体的とい った彼の政策論的記述方法 の適用 を兄 いだす と同時 に,金融資本 に関する彼 の理論経済学が ドイツ ・ア メ リカ, とりわ け ドイツを典型国 と しつつ思惟的に抽象化 し一般化 して論 じ られていることを読 み取 りうる。
第
2 1
章 では,保護関税 の機能転化論 を中心に して, 自由主義 の時代か ら帝 一122‑ヒル ファデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
国主義の時代への交代 において,国家 とその政策へのブル ジ ョア ジーの対応 にいかなる変化が生 じたかを明 らかに している。 この章 において,歴史的 ・ 個別的 ・具体的な経済政策の叙述方法,金融資本の理論経済学の経済政策へ の応用方法が集 中的に論ぜ られ る。つ ま り, 自由主義の時代 はイギ リスを典 型国 とす る一方で,帝国主義の時代 は ドイツを典型国 とし, これを基準 に し て各国の経済政策の特徴を論ず るとい う仕方である。
第22章 「資本の輸 出と経済領域 をめ ぐる闘争」 は,第21章での論述 を基礎 として,まずはカルテル保護関税政策を叙述の出発点にすえる。 われわれは, 第21章を保護関税の機能変化論,第22章 を 「資本輸 出と経済領域拡大闘争」
論 と機械的 ・形式的に分 けることはできない。第22章 は,その叙述の圧倒的 部分が資本輸 出と植民地政策の分析 にあて られ るが, カルテル保護関税論 が 一本の赤 い糸 として,叙述の論理 を全体的に貫 いてい く。第22章では, カル テル保護関税政策,資本輸出,植民地政策が 「有機的に」組み合わ されて, 金融資本の経済政策体系 として帝国主義が明 らかにされ る。 ここでは経済政 策論 としての帝国主義論が本格的に展開 され るのである。その意味で,第21 章 は,第22章を本論 とす る,その準備的考察をな していると言 ってよい。
具体的に見 ると, ヒルファデ ィングは,資本主義的生産 にとって経済領域 の広 さの意義が高ま り, 自由貿易 こそが世界市場 を統一的経済領域 に し,合 理的な国際分業を可能 に し,最高の生産性 を実現す ると述べ ることか らは じ めている。 ヒル ファデ ィングの こうした見解 は,古典派経済学の 自由貿易論 に通ず る考えだが, これに関す る彼の言及 はない (もっとも,第21章では, 自由貿易は,経済強国イギ リスの経済政策 と して位置づ け られている)。 そ れはともあれ, ヒル ファディングによれば, これにたい して保護関税が世界 市場を分断 し,合理的国際分業の形成 を妨 げ, したが って生産諸力の発展 を 抑止す る。だが,保護関税はカルテル保護関税 に機能変化 してお り,資本家 階級 はそれが与える特別利潤を放棄 しえない。だか ら, カルテル保護関税 に よる生産性の阻害を, 自由貿易の実現 によってではな く,保護関税 によって 囲まれた経済領域の拡大によって補 う努力がなされる。 ここで,われわれは, 帝国主義の暴力主義的領土拡大政策が, 自由貿易の もた らす合理的国際分業
と最高の生産性がカルテル保護関税政策 によって阻害 され る代償 と して追求
され るとい うヒル ファデ ィングの主張 に留意 しなければな らない。 また,帝 国主義政策がカルテル保護関税を起点 と して説明 されていることの意味につ いて も留意 しなければな らない。 しか し, ヒル ファデ ィングのこの考えの も つ意味 につ いては,続 く諸節で と りあげることに したい。 ここでは第22章の 構成 につ いて考察 を続 けよう。
ヒル フ ァデ ィングによれば, カルテル保護関税 は, これに対抗す るために 他国 における保護関税の導入 を誘 う。 そ して, この壁 を うち破 るために資本 輸 出が強行 され る。 この場合,他国の保護関税を利用す るために,工場進 出 が企て られ る,つ ま り,産業資本 の形での資本輸 出がな され る。 そ してカル テル化 した産業資本 と銀行資本が共 同の利害によって資本輸 出をおこなわれ ることを考 え ると, それ は金融資本 の形態での資本輸 出 とな る。 この産業資 本 (金融資本)の形態での資本輸 出 と並 んで貸付資本の形態での資本輸 出が ある。 この貸付資本の形態での資本輸 出は,カルテル保護関税政策 とは直接 には関係 がない。 この後,資本輸 出の問題が様 々な角度か ら詳 しく論ぜ られ る。 この点, ヒル ファデ ィングの資本輸 出論は, カルテル保護関税を起点 と す る彼の経済政策論体系か らはみ出す叙述部分を含んでいると言わざるをえ ない。今 日, われわれは,資本輸 出 (対外投資)論 が世界経済論 において重 要 な理論 的位置を占めることを知 ってお り,その中で他国の保護関税を利用 す るための資本輸 出はあ くまで もその‑誘因にす ぎないと考 え られている。
資本輸 出は,様 々な誘因や動機 を考慮 した多国籍企業 ・多国籍銀行の世界的 経営戦略の一環 と してな され る。 しか し, ヒルファデ ィングにあっては,世 界経済論 を展開す る意 図はな く, したが って世界経済論 の一環 として,資本 輸 出論 を体系的に論ず る意 図はない。 それは,あ くまで も経済政策論 として 論ぜ られ るのであ り, カルテル保護 関税‑資本輸 出‑経済領域 の暴力的拡大 (植民地政策) とい った金融資本 の経済政策体系の一環 として論ぜ られ る。
その結果 と して,貸付資本 の形態 と しての資本輸 出論 は, ヒル ファデ ィング の経済政策論 の全体 の論理 か らはみだ しているように見え る。 これはどう理 解 した らよいのだろ うか ?
この点,第22章 の叙述 において も, ドイツを典型国 とした帝国主義的経済 政策 の分析 とい った視点が貫かれている。また,経済政策論 の特徴 として,
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ヒル ファデ ィング経済政策論 の再検討 ( 上条)
各国の経済政策の個別的 ・具体的分析 がな されている。 それは,典型国 ドイ ツを基準 と して述べ られてお り,他国が世界市場 をめ ぐる激 しい競争 に巻 き 込 まれ,多かれ少なかれ ドイツの影響 を受 け,保護関税 には保護 関税 を もっ て対抗 し, また競争 を有利 に展開す るために植民地争奪戦 に巻 き込 まれ,帝 国主義的世界対立 におちいってい くと論 ぜ られ るのである。古 い資本主義 国 であるイギ リス も, ドイツとの対抗上,保護 関税を志向す るよ うにな る。つ ま り,「一 国の保護関税 はかな らず他 国のそれをひきお こす
」( [
1],(2)252 頁) というわけである。 また独 占と金融資本の発展 による特別利潤の獲得 は, 発展の遅れたイギ リスの資本家 にとって も魅力 とな り, その発展 を促進す る ためにも,保護関税が評価 され る。 ヒル フ ァデ ィングは,か くして近 い将来 にイギ リスにおいて も自由貿易か ら保護 関税への移行がな され ると見込むの である。 このイギ リスでは,古 くか ら蓄積 された資本 は異常 に大 き く, これ が貸付資本 の形態 での資本輸出の誘 因 とな る。 「資本 のゆたかな国は貸 しつ け資本 と しての資本 を輸 出す る。 」( [
1],(2)266頁) それ にたい して,産業 資本 (金融資本) の形態での資本輸 出は, 「もっとも発達 した諸形態 にお け る資本輸 出」( [
1],257頁)である。 ヒル フ ァデ ィングの ここでの叙述 を見 る限 りでは,典型国を基準 とした各国分析 の視点 は,資本輸 出論 において も 貫 いているようにみえ る。われわれは, ヒルファデ ィングの資本輸 出論 に少 し立 ち入 りす ぎたようだ。
ここで第22章 の位置づ けについてま とめ ることに しよう。
第22章で ヒル ファデ ィングは,保護 関税政策 を起点 と して,資本輸 出 と植 民地政策 の問題 を詳 しく分析 し,結局 は資本 の投下領域 を独 占的 に我が物 に し,そこでの市場を独 占的に確保す ることを志 向す る結果,保護関税 に囲 ま れた経済領域 の拡大闘争が生ず ると結論 している。帝国主義 の経済政策 は, か くして金融資本の経済政策体系 として明 らかにされ るのである。 そ こでの 分析 は,前述 のように,典型国 ドイツの経済政策を基準 としつつ, その影響 を受 けた各国の経済政策の分析 も含んでいる。 ヒル ファデ ィングは, このよ うな視点で,各国の経済的利害か ら帝 国主義 的世界対立が生 じ, これが激化 す る方向を示 している。 そこでは,資本輸 出論 な ど金融資本 の経済政策体系 の分析 においては一見かな り経済理論 的 に思 われ るような叙述がみ られ る。
だが, これ は一般理論 の形成 を志 向す る ものではな く,理論経済学 を基礎 と し, その応用 と して経済政策 を論 ず るとい うよ うに,理論 と政策 が交錯 した 結果 と して生 じた印象であ る。 全体 的 にはあ くまで も歴史的 ・具体的 ・個別 的叙述 の手法 が と られてい る。 なお,第
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章の課題 は,帝 国主義 を金融資本 の経済政策体系 と して明 らか にす る と同時に, それ によって国家 にたいす る ブル ジョアジーの態度が変化す る事実 を述べることにある。つ ま り,国家の経 済政策 を支配 し, 国家 を軍 国主 義 的 に強化 しようとい う金融 資本を担 うブル ジョアジーの国家への態度 と 「新 しいイデオロギー」 が論 じられるのである。第
2 3
章 「金融 資本 と諸 階級」 につ いて は,「は じめ に」 で示 した別稿 で論 じたので, ここで手短 にま とめ るに とどめたい。第2 3
章 は,金融資本が国家 を支配 し, 国家 の経済政策 を規定す るにあた って,大土地所有,小土地所有 の農業階級, 中小資本,小市 民 階級 (中間階級), 「不 当に も 『新 中間階級』と呼ばれて い る」 サ ラ リーマ ンが その支持勢力 とな る事実 を明 らか に してい る。 この内, サ ラ リーマ ンの大部分 が,後 にプロ レタ リア陣営 に加わ ること が期待 されて い る。 第
2 3
章 で ヒル フ ァデ ィングは, 結局, 「労働者 階級 の前 進 に対抗 し」 て,大 資本 の主導 下, 「ブル ジョア ジーの全階層」 が 「共通 の 利害 関係」 か ら 「団結」 す ると結論 す る。 そ して, この事実 こそが金融資本 の国家支配 を保 障 し, その経済政 策 が国家の政策 と して貫徹す ることを保障 す ると考 え るのであ る。以上,第
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章 は,金融資本 の経済政策 と国家 の政策へ のその貫徹, さ らには金融資本 による国家支配 を論 じた ものであ る。 これ にたい して第24章 と第25章 は, プロ レタ リアー トの経済政策が取 り扱 われてい る。以下, その エ ッセ ンスだ け述べ よ う。第24章 「労働協約 をめ ぐる闘争」 では,労働組合 を とお した 「純経済闘争」
が, いか にその 「政治 的代表」 す なわ ち 「独立 した労働者政党」 の国家 をめ ぐる政治 闘争 に発展す るかが論 じられ る。 つま り,企業者組織 と労働組合組 織 との大組織戦 の時代 には,企業者 か ら譲歩を獲得 し改良的成果を得 る可能 性 が少 な くな り,労働組合 の 「全産業部面をおそ う大闘争」す なわち大 ス ト
ライキ闘争 が展 開 され るよ うに■な り, その解決 のためには,結局, 「国家 の 干渉
」
「政治闘争」 を求 め るにいた ると説 明され る。 こうして, ヒル ファデ ィー126‑