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ショーにおけるフェビアン 社会主義の確立過程

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(1)

ショーにおけるフェビアン   社会主義の確立過程  

木 村 正 身  

Ⅰ  

(1)   

聾者は別稿紅おいて,シ㌧−(GeorgeBernard Shaw,1856−1950)がその   社会思想,とくに.その基礎としての経済理論を確立していった過程を,(1)ジ  

ョー・ジ(Henry George)の影響で社会主義紅眉ざめた段階,(2)民主連盟  

(DemocraticFederation,のらの社会民主連盟SocialDemocraticFedeIation  

〔SDF〕)の集会参加およぴマルクス『資本論』貨1巻との出会いに伴って社   会民主主義者として自認し,対外的にはマルクスの立瘍を擁護しながら,そのじ   つ,マルクスの価値論をじゅうぷん紅把握できないまま,内面的紅『資本論』  

を検討しつづけ,これと併行して直観的軋フェビアン協会(Fabian Society)  

紅加入する紅いたる段階,(3)マルクスの立場からクイックステイーード(P.  

H.Wicksteed)と論争し,′かえってクイックステイードのジュグヵ・ンズ的主観   価値論紅事実上説得された段階。(4)フェビアン協会の中心的人物としてフェ  

ビアニズムの経済理論を確立・唱導する顔階,(5)フェビアニズムの経済理論   をとく軋端的軋所得平等論軋しばった段階。・−−−.以上の5段階町分訊 このう   ち(1)から(3)までの推移に・りいて,すなわち,ショ」−がフェビアン社会主  

(1)拙稿「ショー・とクイックステイ・−ドーイギリス社会主義思想史のひとこま−」   

香川大学経済学部『研究年報』15,1975年。なお,同稿で使用した.如才査 ㌧および    乃−かqγ掲載諸文献のテキスト紅ついては,筆者はプリティツリユ・ミ.ユ.ジアムか   らのマイクロフィルムによったが,同稿発表後紅,つぎの便利な収集本があることを    杉原四郎教授から教わり,かつご所蔵のものを借盟させて頂き,有益であった。同教    授紅心から謝意を表したい。■−R・W.Ellis(ed・),ββ′ ガα′ d∫カ〃紗&励γJ肋7■∬.  

.4づ恒例如扇−〟揮ヱβ朗−・∫β99,New YoI・k;1930.なお,同番は,後掲脚注(31)所掲   

の拙稿で訳出したコ像β州跡β〝〃7月βl/わ′研β7 所載の文献をも収録している。   

(2)

貨50巻 籍3・4号  

−} 2】   328  

義の理論を確立する直前までの経緯濫ついて,考察を試みた。本稿では,それ   を承けながら,すすんで(4)の段階におけるレヨ−・の所論の展開状況の前半   局面を検討したい。この段階の後半局面ほ,いわゆる「フェビアン時代」(tbe   Fabian Era)紅踏みこむこと紅なるのであるが,この後半局面の検討ほ,さ  

らに別稿紅ゆずらなけれほならない。ここでもまた,ショ−の思想のモリス  

(.WilliamMoIris)のそれとの対比が,内々筆者の念頭に.あるけれども,本稿   ではモリスについてほ末尾で,ショ−の所論への批別としてすこし触れるにと   どめるはかないこと,また,行論を簡単軋するため,クェップ(S.Webb)以   下の重要な諸人物との思想的交渉状況の複線的展開確ついても割愛しなければ   ならないことを,おことわりする。  

(2)   

本稿の課題範囲としてほ,すで紅ヘムステッド。ヒストリック・グループに  加わっての『資本論』学習を縫ながら同時に・早々にドリフトしてクイックステ  

イ−・ドらの経済グループから限界効用理論の洗礼を受け,内面的紅労働価値論   を放棄するにいたったショーが,すすんで,1887年の『資本論』英訳への書評   や1889年の『フェビアン社会主義論集』中の両葦など紅おいて,どのように本   格的なフェビアンとしての経済社会理論を確定。展示したかを考察すること   を,中心としたい。しかレ,1887年以前のレヨ一紅ついて前稿で見残した事項   も少ぐないと思われる。この点,本稿の考察課題との関連で,レヨ−の思想展   開の(3)までの段階紅ついて,さかのばるが若干の補充説明をあらかじめし  

(2)最近のマッケンジー夫妻の研究によれば,このグル−プほ,ハムスタッド・ヒース    北辺紅あったクイルスソ夫人(アナキストのフェビアン)の家で,かの女の肝入りで    発足し,かの女自身はこれを Ka軍−1MarxClub と称したが,のち,より無難に  αHampstead HistoricSociety〃と称されるように・なり,本来のマルクス主義者(バ  

ックス,ジョインズ,J・バーー・ンズら)とフェビアン協会有志(ピ」−ズ,クラーク,   

クェップ,ガーリダイア,ンヨ−,ウオラス)とを集めたという。このうち主宰者を除   くフェビアン牽ちがドリア卜して,ノ、ムスタッドのべつのグループ一株式仲買人    鱒.R ビ・〜トン宅での経済学研究グル−プ(のち,BritishEconomicAssムciation   

となる)−の定期会合にも盛ん把参加し,あたらしい経済理論たる効用価値論を,   

クイックステイ」−ドやエックワ・−スから学ぶことになったようである。以上の点,前    稿申の関連記述を補正したい。Cf.Norman andJeane MacXenzie,7he Firsi    ダ廠鋸〃〝ざ,1977,pp巾63−64.この点は,コー・ル夫人も全然明ちか把.していなかった。   

Cf.Margaret Cole,7he Siory ofFabiallSocialim,1961,p.23. 

(3)

329   ショーに・おけるフ.エビアン社会主義の確立過程  

− β −・  

ておきたいと思う。   

はじめに・,ニアエビアン協会紅・レヨ−が加入したときのかれの階級意識状況に   ついて−,一言したい。フェビアン協会は,もと,アメリカから漂来した1心霊   哲学者デイヴィドスン(ThomasDavidson)を囲んで1883年秋にロンドンで   結成された小さな研究会−「最高の道徳的可能性」をめざした「新生活の友  

の会」(The Fellowshipofthe NewLife)−が,指導者の退去後に,棺神沢   と現実派とに分裂し,後者が独立してできたものだと言ってよい(正式設立,  

1884年1月4日)。協会は,発足早々,折しも「社会主義復活」機運把おうじ,  

貧困と競争のない理想社会を目ざす点でみずからをひとつの社会主義団体とし  

て認識するとともに,とりあえず漸進的実践を考えてファピクス将軍の名を協   会名に採ったものの,ポドモア段階では,ジョーー汐主義やSDFからどののよ  

うにみずからを区別すべきかが分明でなかったようである。唯一・の労働者メン   バ−だったフィリブス(W.L.Phillips)の書いた,往時のチャ−テイストの   枚文かプラッチフオ⊥ドの『クラリオン』をおもわせるような調子の,トラク  

(3) 卜籍1冊紅惹かれてショ、−が加入した(同年9月5日)という事実ほ,興味ぶ  

かい。  

1892年の時点から回顧して−,レヨ−は,創立期紅おけるフェビアン協会の性   格が,きわめて素朴に一切包摂的であったこと,アナキズム叫ウィルスン夫   人(Mrs・CharlotteWilson)−をもふくんで大い紅多面的に戦闘的であり,  

他方,「議会主義」などという発想ほ全然未登場だったこと紅ついて,注意を   喚起している。「1年間かそこいらは,われわれほまさに.社会主義同盟(So−  

CialistLeague)〔SL〕なみに偲政窄主義的だったし,〔.社会民主〕連盟なみに  

(4)  

叛乱的だった。」この回顧で,レヨ・−は,「では,そ・の場合,なぜわれわれほ.,  

(3)R・F・Rattray,BernardShawl:一4Chroni−cle,1951,p.48;PaulA.Hummert,   

BernardShau,,sMarxian Rbmance,1973,p・28;Margaret Cole,Ob.cit.,p  7..Cf.、Tm.γaY e the Man.y Poor?Fabian Tract,No.1,1884.  

(4),(5)G∴臥Shaw,TheFabidnSociet.γ∫ZtsEarl.yHistor二y・Fab享anTract,   

No.41,1914,p.4.なお,創立期のフェビアン協会の思想的振幅の広さにらいて    は,ショ−のいわゆる「さいわいにもはとんど知られていないわれわれのトラクト」   

たる What Sociali $mZs,Fabian Tract,No.4,1886.をみよ。そこでは,イギ   

(4)

欝50巻 葦3・4号  

ー・4 −   330  

べつの協会をつくるかわり把.それら紅加入しな・かったのか,とただち軋たずね   られるだろう」と自問し,つぎのように・自答している。「 そう,モ・の表面的な理   由は,われわれのはうは兵卒も指揮者たちもとも紅.,すべて一貫して,当時ミ 

ドルクラスだったのに・たいして,同盟も連盟も,そ・の兵卒紅おいてまったくプ   ロレタリア的だったという点にあった。が,この点への考慮の歪みは.,一山般会   員の場合ほどうであれ,じつのところフエビアン協会の指導者紅とっては,ゼ   ロであった。かれらほ,おおかた実際同時に.連盟の活動的メンバ叫でもあった   からである。われわれがおたがいの客間で会合して:いたあいだほ.,これで労働   者がフェビアン協会に加わるのが妨げられたが,他方,いやしくも・それと知ら   れたフェビアンの誰でもが,労働者階級の組織に加わることは,妨げられなか   った。分立の本当の原因は,もっと深いところ紅あった。のち紅表面化し固定   すると.とに.なった相違点が,最初からフェピアソたちの気質・性格のうちに・潜   伏していた。私自身が,社会民主連盟におおかた加入しかけたところで,気を   かえてそのかわり紅フェビアン協会紅加入したとき,私ほ.ぺつだん綱儀または   原則上の・それと発見しうるような差異に.よって−みらびかれたのでほなく,ただ   ひとえに,連盟でほ.なくてフェビアン協会のはうが,私自身のような傾向・知   的習慣の人間を惹きつけるだろうという本能的な感じ紅よってみちぴかれたの  

(5)  

だった。」   

ここに苫われている「私自身のような傾向・知的習慣の人間」とは,レヨ・一   自身のべつの表現紅んたがえば,「教養あるミドルタラス・インテリグンチプ,  

(6)   (7)  

つまり,実際,私自身の階級」のこと紅はかならない。このようにミドルクラス   

リス社会史の批判的回顧ののら,海外の社会主義的見解がいまや明瞭に.集産主義・無    政府主義の2派を形成して−おり,イギリスでほまだ未分化だが,いずれやはりこの2    派が成立するだろうとして,とくに.2部を設け,・一方はべ叶ベル『婦人論』からの引    用によって集産主義の見地を述べ,他方はウイルスソ女史の起草で,無政府主義的見    地を説明している。  

(6)Dan H.Laurence(ed.),Bcrnard Shaw.Collected Letters,1874−1897.  

1965,p.18.  

(7)念の牽め言えは,「ミドルクラス」(middleclasses)とは,イギリスにおける近世    以来各期ビとの新興ブルジョアジ・−のことであって,邦語の「中産階級」「中間層」  

とはまったく異った概念である。19世紀の用語として−は,近代商工業ブルジョアジ−   

(5)

シヲ−・払おけるフ,エビアン社会主義の確立過程   −5一 

331  

的社会主義を標梼したショーの姿勢をしめすかれ白身の文章ほ豊富だが,とく   に.,かれがVヨイ(Andreas Scheu)軋あ{:た1884年10月26日付の手紙で,  

ts\  

かれ自身の起草したフェビアン・トラクト算2冊(『1宣言』)紅かんして,つ   ぎのように.述懐していることは,ジョイがオ−ストリアから亡命してきた革命   的社会主義者であり,SDFの執行番昆であり,モリスの親友であり,、エディ   ンバラで先鋭かつ有力な労働運動を指導し,ハイソドヤンの嫉視を買うはどに   なっていた人物であるだけに,注目に.催いする。「フェビアンたちは,みずから   社会主義者たることを信ずるところのミ.ドルクラス博愛主義者の団体です。こ   のまぎらわしい印象を利用して,かれらに私の『宣言』を採用させ,印刷させ   たわけです。もちろん,ミドルクヲ.スのあいだでの頒布を目ざしています。ミ  

ドルクラスのしっぼ−それは,多くの,そして部分的に.教育を受けた,プロ   レタリア−トを構成するのですが・−一に働きかけてわるい理由は,見いだせま  

(9) せん。」  

思想的に几、って,ショ・−−のこの述懐は,−一画では.すでに労働運動および労働   者の実態にくわしかったジョイへの,ミドルクラス左派イデオロギーの弁明と  

して受けとってよいであろう。しかし他面,かえ.りみれば,マルクス主義や無   政府主義もまた,大陸型の近代プル㌢ヨアジ−左派知識人の思想の2つの型な   のであった。したかって,以上の述懐自体を根拠としてただち紅レヨ−および   その他のフェ.ビアンたちの思想のブルジョア性紅ついて結論してしまうことほ   性急すぎるだろう。問題は,そこ紅包懐されている社会主義思想が,革命的・  

階級的認識(労働者階級の立場)をどう維持できるかということ紅かかってお   り,・その維持状況は,思想家の1人ごと,また各思想家の思想展開段階ごと紅,  

種々に.異なりうる問題だというべきであろう。そ・してショーー・の場合,自分でほ    をさす。この点,くわしくは,ジ盲ン・ラスキン,木村正身訳『ムネラ・プルクエリ   

スー政治経済要義論−・』閑番院,1958年,290ぺ・一汐(訳者解説中)を参照された   い。  

(8)A』如加ノ々ざれFabian Tract,No・2,18鋸・  

(9 

InternationalInstitute ofSocialHistory,Amsterdam.Cf.E.P.Thompson,  

耶JJ≠α∽肋7・7よ5,見川相加翫ねj録鋸南離〃乃α7「γ.bndon,1955,p.386.   

(6)

第50巻 第3・4号  

33:三  

− 6 −  

盛ん紅ミドルクラス所属を吹聴しながら,「いやしくもそれと知られたフェビ   アンの誰でもが,労働者階級の組織紅加わることほ,妨げられなかった」とい  

う状況を最大限軋利用して,自在活発に.労働者の諸集会私人りこんでいったと   いう事情が重要である。すくなくとも1887年の 血の日曜日 までの時期でほ,  

上記の述懐にほショ−一偏の逆説が大いぬこめられているにらがいなく,いわ  

ばトロイの属紅のりこんだ作戦部隊のようなショーの気負った姿勢がそこにあ  

り,それがこの段階でほ労働者階級の立場をしっかりつなぎとめていたと,い   えるのでほなかろうか。ただし,ショー・の労働者階級にたいする期待は,以後   何回か推転するはずであり,総じて晩年紅向かうほど階級的問題意識が後退し   てV、ったとみられる。労働者階級紅絶望し,革命に絶望して,社会主義の意味  

(10) をも変化させるとき,かれの立場は.,はじめて名実ともにミドルクラス化する  

こととなろう。  

ⅠⅠ   

ところで,こうしたミドルクラス社会主義を標樟しながらも,なお事実上シ   ョーを,クイックステイードとの遭遇まで労働者階級の立場紅連結していた装   置は,社会主義の理論と思想,すなわち伝統的労働価値論とリガードゥ=ジョ  

−ジ的レン1理論,そして不労所得排撃と土地・資本の国有化の論理であっ  

(11) た。だが,別稿で考察したとおり,ショーーは,1885年から1886年ごろにか仇  

マルクス『資本論』の立論の当否をめぐるクイックステイードとの論戦に・おい   て,いちおう全力をあげてマルクスを擁護したにトもかかわらず,反論紅答え・ら   れず,論争終了後にハムステッド・ヒストリック・グループ紅加わっ七『資本   論』や階級社会史を共同研究するかたわら,参加仲間たるクェップ,ウオラス  

(G.Wal1as),オジヴィア(S.01ivier)ととも紅ぺつの経済研究グル−プの会   合に.も出席して直接紅クイックステイ−ドらの教導を受け,ジュグォンズ理論  

(10)この点についてほ,つぎの文献が標準的展望を与える。l−・James W・H111se,   

風紺〟扉ね扁ざねよ乃エβ〝♂0〝.A5■加わ刊=徹佗 び棚摘肌ね∬ぶ加査αJ査ざね,1970,eSp.  

cbaps.Ⅴ,ⅤⅠⅠⅠ 

(11)脚注(1)参照。   

(7)

ショーに.おけるフェビアン社会主義の確立過程   − 7 −   333  

の轟諦を体得するように.なり,つい軋マルクス的労働価値論を放棄してクイッ   クステイードの軍門に降った。表見的労働価値論者,表見的マルクス擁護者だ   ったショーほ,メタモルフオ−ゼをとげて,いまや汐エヴヵ・ンズ=クイックス   テイー・ド的限界効用理論に.よって武装された近代主義的経済理論家として,再   登場すること紅なる。それでは,かれほ,伝統的理論のすぺてを捨てるのか。  

しかし,社会主義の主張は断乎として堅持するのであり,そのために」は,やは   り伝統的理論諸装置のうち,ある委要な部分を継承しなくてはならないだろ   う。それは,なにか。こ.の点を追求することが,われわれの中心課題となって   くる。−あらかじめ見当づけるなら,ここでのショ一にとっての課題は,リ   カードク=ジョージ的なレント=不労所得の範疇をば,折しも独占資本主義の国   際的出発進行のもとで迫進しようとする独占利潤範疇とともに.,統一・的紅.とら   えながら,この緻一・範疇を「近代社会主艶」=近代理論に.よってこ再・規定し,そ   こから19世紀70年代から20世紀初頭紅かけての産業的収奪の統一・論理を,レヨ  

−なりに.確認するということでほあるまいか。もしそうだとすれは,かれが再   登場するに.あたってリカ−ドゥ的地代概念を保存継承することは,−・定の限界   内に.おいてかなり意味ぶかいものとなるだろう。   

そこで,メタモルフオ−ゼ以前碇届けるショーの社会主義の立論内容紅つい   て,ここでおくればせながらこれまで言及しなかった若干資料に.より,補充点   換を試みておきたい。  

(⊃0  その第1は,若干さかのばることになるけれども,さき紅引用したショイあ  

てのショ−の手紙に言及された『1宣言』の中味である。そこに.みられるレ。  

−の社会哲学は,陽示された諸命題の範観では,その後もかわらなかったと,  

(12)  

ピLアズは,1916年の時点で述べているから,変身の前後をつうじてショーー紅お  

(13)  

いで一貫していた論理を考察するうえで,参考に償いするであろう。  

(12)Edward R.Pease,The HtsioYly Ofthe Fabian Soclet.y,1916,p.43. 

(13)ア−ダインは,この『1宣言』が「G.B.S の文体・思想のすべての烙印を帯び  

ている」としている。Cf.StJohn E工Vine,Bernard Shaw,His Lije,lVork  

ダブjβ乃d.s,1956,pp.128−129.   

(8)

第50巻 第3・4号  

− ∂ −−    334   

ショ−−・の起草した『1宣言』の内客ほ,つぎのとおりであった。一−−   

「フェ.ビアン協会員ほ,・そ・の支持する以下の見解をひろめ,かつその実際   的な帰趨を論議するために,結集するものとする。/現状では,富咋,不名誉   なしに.は享受されえず,貧困なし紅ほ独り歩きしえないものであること。/自   分自身の労働紅.よって自分の欲求をまかなうことは,国家構成各員の義務であ   ること。/国民の土地および資本紅たいする生涯的権益ほ,おなじ国に生まれ   た各個人全員の生得の権利であって,この生得の権利への接近ほ,本人以外の   どんな私人の意思紅.も依存してほならないこと。/国民の土地および資本を私   人たらに.請負わせるという現制度の最も顕著な結末ほ,社会をば,1極紅食欲   は大きいが食事のない階級,他極に食事は大きいが食欲のない階級という,た   がいに敵対する両階級に分割したことであったこと。/国民の土地を私人たち   に.たいして・,かれらがそれを最もうまく用だてするであろうと期待して,信託   するとV、うならわしは,かれらが逆に・一潰しでそれを最もぁるく用だててきた  

ということにノよって,袋ぎられたのであり,なんらかのかたちでの土地の国有   化は,ひとつの公的義務であること。/資本主義は発明をはげまし,その利益   を,達成しうる最も公正なやりかたで分配サるものだとV・、う言い分も,19世紀   の経験に.よって一基ぎられたこと。/国民の産業の組織をなりゆきまかせ紅して   おくという琴行制度でほ;競争ほ′,商品の粗悪化や不正直な取引や人権無視を   必然化させるという効果をもつこと。/が,生産者間の競争は,たしか紅属衆に  最も満足できる生産物を保障するものであるから,国家ほ,全力をあげて生産   各部門に.おいて競争に加わぉるぺきであること¢/たとえば,郵便独占の侵害   を処罰したり救貧院・刑務所の労働を市場と遮断するなどの規制は,廃止すべ   きこと。/どんな産業部門も,これを中央行政が利潤をとって運営してはなら   ないこと。/国の歳入ほ,直接税の戚課に・よるぺきこと。中央行政ほ,いやし  

くも国庫補充のために.その管理する産業の収得金の山部を留保するなんらかの  

法的権限をもってほならないこと。/国家ほ,どの児童もその生みの保護者の  

暴虐や放置からのがれられるように・,児童たちのため紅・しあわせな家庭を供与  

することに.おいて,私人たち,とく紅両親たちと競争をおこなうぺきこと。/   

(9)

ショ一紅おけるフェビアソ社会主義の確立過程   −9 −    335  

男子は,自己を女子からまもるための特別の政治的特権をもはや必要とせず,   

両性は,これからほ,平等な政治的権利を享受すべきものであるこ.と。/どん    な個人も,男女を問わず,自己の両親その他縁故者が国家にたいして果たした    貢献のゆえに特権を継承してほならないこと。/国家は,その構成各単位着払    たいして自由教育と国家産業における平等な分け前とを,保障すべきこと。/   

現体制の政府は.,ロンドンの煤煙がみずからを天候とは呼称しえないのと同    様,もはやみずからを国家と称する権限をもたないこと。/現世紀のような苦    難の世紀に.くりかえして直面するよりも,むしろ内乱紅膚面するほうが,まし    であること。」  

この『1宣言』の諸命題は,なるはどひとつひとつフエビアン協会の討議湛  付され,承認されたものではあったが(うち,特権継承反対の命題は衆議匿.よ   

って付加され,他方,3命題〔内容不評〕が中途削除されたという),しかも,   

家庭福祉の視点,・一層の富。産業への平等参加権の提唱,間疲税否定,産業の    国家独占反対と競争への国家参加の唱導,公営企業の原価主義の主張などほ,   

ピー・ズの1916年の時点での回想紅よれば「もちろん,まぎれもなくショーその  

(14)  もの」であり,「シ′ヨー椚民の社会哲学の・一貫性ほ.,顕著」であった。しかし他   

面,この『1宣言』は,ビーズもショ−とともにみとめるように.,社会主義と    無政府主義との区別認識を欠いていた点,また,な紅よりも「いまだわれわれ    は労働大衆の要求・目標紅つ小て知らなかった。このわれわれの宣言は,広範    囲をカバーしたけれども,協同組合。労働組合運動・賃金・労働時間について    ほなんら触れるところがなかった。われわれほ,土地と資本,産業と競争,個  

(15)   

人 

限界をもっていた。なお,最後の2命題が革命について肯定的である点が,注    意される。  

ⅠⅠⅠ  

く)○   算2紅,1885年1月28・29・30日の3日間に.わたってピカディリ−・のプリン   

Vズ・か−ルで開催された「産業報酬会議」(IndustrialRemuneration Con・  

(14),(15)Pease,Ob.cit.,pp.43−44.   

(10)

寛50巻 欝3・4号  

−ヱ0−   336  

ference)における論議の状況およびとくにそこでVヨーがおこなった発言につ  

(16)  

いて−,−・言しよう。   

この会議は,エディンバラの1匿名特志家(ミ‥ユ.ヲL一某)が,労資間の分配の   平等の促進が円滑狂すすめられる手段の発見を希求して,とくに.1,000ポンド   の金子を提供したの軋呼応し,この問題を討議するも牢として周到に準備・閑  

l 催された画期的な研究討論集会であって, 「産業生産物が社会の諸個人・諸階  

級間紅分配されるための現行制度方式は,満足すべきものであるか。もしそう   でないとサれば,この制度を改善しうるなんらかの手段があるか。」という共通   論題をかかげ,7名のTrusteesと6名の統計協会員とから成る準備委員会が,  

6名の事務スタフを置き,全国のめぼしい労資双方の諸団体の代表者や著名な   大学教授・′代議士ら,総計125名が招かれ(構成:資本家代表24%,労働組合40  

(17)  

%,友愛組合8%,協同組合12%,その他16%),サー。チャ」−−ルズ・ディルク   が総議長となり,封27の報告と,それらをめぐる計8回の討論とが,活発にお  

こなわれた。区分テーマとして,算1日ほ,「過去100年のうちに,産業生産物   の増加ほ,資本家・雇用者の利益,または労働諸階級一職人・賃労働者・そ   の他の別を問わず−の利益の,どちら紅最も貢献し,またその相対割合ほ,  

任意の所与期間払おいて,どうであったか。」発2日は,「なんらかの諸救済理   念ほ,(a)産業雇用の維持,(b)賃金率,(C)労働諸階級の福祉,紅かたよっ   た影響を与えるか。」第3日は,「資本および労働のより鵬・般的な分配,または   資本や土地の国家管理は,富の生産および社会の福祉を促進するのか,そこな  

うのか。」以上が掲げられた。この会議紅.,フェビアン協会からほステイプル   トン(S.G.Stapleton)とブランド(H.Bland)とが出るはずが,後者が支  

(16)この会議の詳細な議事録および詳細な解説を付したその再刷として,つぎを参照。 

一丁乃血ぶγ∠αJ皮β研〝乃β7・αfよ0〝C∂形ノeγβ狸Cβ〔ヱβ∂5■いっ職工勧郎両 ゾf加00ぬ掬郎  

and Papers,London,Casselland Col,1885;Reprinted,withanIntroduction   

( TheBackground to theIndustrialRemuneration Conferenceof1885 )by   

Tobn Saville,1968.  

(17)この百分比数字ほ,Vヨーの紹介記事に・よる。George Bernard Shaw, The   

IndustrialRemunerationConference,け The Commonweal,March1885(Vol.   

1,No.2),p.15 

(11)

ショ一におけるフ‡ビアン社会主義の確立過程   −JJ−  

337  

障で,ミ/ヨ−・が臨時に.これに代った。ステイプルトンは.弟1日午後の賃金率論   議湛.,またショーほ算3日午後の土地国有化論議嘔.,それぞれ自由討論者とし  

(18)  

て発言した。   

Vヨーは,パルプオア(A.J.Balfour),ウオーレス(A.R.Wallace),お   よびニュ、−マン(F.W.Newman)の土地国有化論報告にたいして,総じて  

「土地の分配_lの意味が曖昧だと指摘した。ショL−・によれば,「土地のより一・一般   的な分配」が,もし土地の物理的細分剖を意味するのなら,そうした細分割ほ  

かえって1筆の土地紅必要な農耕労働患を増すから,富の生産もコミュニティ   の福祉も,そこなわれるであろう。ただし,家庭の菜園や果樹園ほ,この限り   でない。すなわち上土他のより一・般的な分配なるものの可否は,事情次第であ  

り,むしろ轟の根本問題は,.土地および資本申利用が国民に可能になること紅   ある。資本および土地の国家管理が,運用よろしきを得れば,私人の管理とお  

なじ効率性をもちうることほ,郵便制度の例から,言いうる。  一方,海軍省な   ど,政府の非能率な部門は,特殊な非民主的停滞からきているの紅すぎな小。  

ただし,国家公務員も民間労働者も自営業者も,ひとしく「本来,コミュ.ニチ   イ全体に偲かならないところの国家」の奉仕者である。一方,コミュニティの   福祉一般問題紅ついていえば,国民になんらの奉仕を返すことなしに−−国の産   業の生産物を費消するような階級紅ついては,弁護の余地がない。議長の要請   に.より,あえて特定階級に背痛を与え.ることを言うつもりはないが,強盗も,  

株主も,そして地主も,コミュニティ紅.たいしてひとしくまったく同一の性質   の侵害を加えるものであり,現状改革の前提として,まずこうした状態をなく  

しなければならない。地主・資本家を収奪することほ,不正で不道徳だ,云々   といわれるかもしれないが,真実は,まさにかれらが日々,他人の労働を収奪   していることを,これ以上ゆるすことこそ,絶対的紅不道徳だ。経済学者も,地   代や利潤の法則を人間対人間の関係としてただしく述べなおすことに.よって,  

(19)  

役だつものとなろう。−このように,レヨ−ほ討論を展開した。  

(18)点β♪〃′■f〃ノ■タグ〝郎成乃g∫α〝dPα♪βタ・s,pp.120−123,399−401.  

(19)∫∂∠d.,pp.399・−401.   

(12)

罪50巻 第3・4号   338   

−・ヱ2−  

なお,そ・のショー自身は,この会議の模様紅ついて7伽C〃∽御〝ぴβαJの  

\ 1885年3月号紅.詳細な報道記事を書いているが,そのなかで,この会議が,す  

ぐれて「■イギリス国民のいわゆる代議的性格」のものだったこと,発1日紅お   けるギッフェソ(RobertGiffen.統計協会会長)以下の専門統計家たちの活   躍,代議士サー・・卜;ス・プラッV−(Sir ThomasBrassey)の雄弁,汐ヨ  

−ンズ(LloydJones)のすぐれたマルクス的産業事情史をめぐる活発な労資   闇の論争,算2日では,マー{ンヤル教授(A.MaISball)の報告が臆病でつま   らなかったが,ビ−・ズリ教授(E.S.Beesly)の発言は光っていたこと。籍3   日は,「社会主義者や土地国有論者の紅ぎわいβ_lとなり,ウオーレス,ハリス   ン(F.Harrison),の報告とクラーク(G・B・Clarke),バ,ンズ(J・Burns)  

およびへ.ツドラム師(Rev.S.Headlam)の発言が日だったことなどを,伝  

(20)  

えている。もっとも,この記事は,つとめて客観的記述に終始しており,ショ   ー自身の意見をたどることほほとんどできないようである。   

この会議紅ついてのJ.サブイルの評価を付記しておこう。「産業報酬会議の   諸議論は,社会問題にかんする公開討論がヴィクトリア期的諸前提紅立脚して  関催された場合の最後の主要な催しの1つを代表している。数年たつうち紅,  

チ・ヤーールズ・プー・ス,フェビアンたち,そして新組合主義者たちが,貧困の性   質・範囲を評定するためのあたらしい諸事実,ぺつの諸原理の双方を提供する  

よう紅なる。以後,社会問題はあたらしい次元を獲得し,1由9年堺後は,分析   も議論も,ヴィクトリア中期の議論とは.まったく異なった脈絡のものとなっ   た。産業疲酬会議で発言した労働者たちも,こ.の10年間のあたらしい問題認識   を反映していたのであり,かれらほ,貧困を個人の資質の産物だとするミドル   クス的主張からほ離れつつあったものの,なおその議論ほ,社会的事実のなか   紅確乎とした革礎をもつものでほなかった。会議紅出席した社会主義者のう   ち,示唆的な点を示した者も少くはないが,そ・の努力はなお宣伝中心でご どく   大ざっばな分析以上のものを,欠いていた。農民土地所有制,職場自主管理, 

(20)Shaw, TheIndustrialRemunerationConference,〃年C・ぞit・   

(13)

ジョーー・に.おけるフェビアン社会主義の確立過程   ・−ヱβ−  

339  

利潤分配制など,若干の即応的な万能策ほ,さら軋批判粧さらされたが,社会主  

(21)  

義着たものほうは∴∴壊奥的・破壊的で,積極的提案をしなかった0……….」− 

つまり,1889年は,時代のもう1つあたらしい曲り角であり,プ−・スのロンド   ン(イー・スト・.ヱ∴/ド)貧民調査の舞1巻と,『フェビアン社会主義論集』と   が刊行される年であっで,調査・理論の両面では′じめて没教義的・近代主義的  

(22) なアプローチが前進を開始し,「プ−・.ス=フェビアン時代」「自由集産主義とフ  

(23)  

エビアン的社会上学の時代−1がおとずれる。シ′ヨー1は,アースとならんで,そ   の先頭紅.立った。一岬−しかし,それ紅もかかわらず,産業報酬会議で発言した   レヨーの盗奪の論理ほ,かれのメタモルフォーゼ以後もじつは継承されること   となるであろう。そ・して−リカードクのレント理論がフ それを支えるであろう。  

ⅠⅤ   

『フ=ビアン協会初期史』払おいて,ショ−−・ほこう述べている。「1885年で   は,まだわれわれの特異点ほ,潜在的で本能的なものだった。で,われわれは,  

産業報酬会議では,資本家たらを盗人だときめつけたし,仲間うちでは,革命  

・アナ・キズム。労働券(1abor notes)対パス帳(pass−books),その他一切を   論じあった−− 教育せよ,扇動せよ,組織せよ という標語をもったわれわ   れの運動の目的は,完全な社会主義紅.ひきつがれるぺき,現在社会のすさまじ   い粉砕であるのだという暗黙の仮定紅.立って。そしてこれは,われわれが,現   在社会,社会主義のいずれについてもなんら真実の実際的理解を有しないこと   を,意味していた。ただ,こ.の点をまだまったく決定的紅.は気づいていないま  

(24)  

まながら,われわれほ,ある程度までそれを感得しつづけた。……・」われわれ  

(25)  

はさら紅.,E.P.トムスン紅ならって,この状態の魅続を「1886年までは」と  

(21)John Saville, TheBackground totheIndustz.ialRemunerationConference   of1885,〃dれC去−f.,p.42.  

(22)′∂占d,,p.40n.  

(23)′∂よd−・,pp.43−44.  

(24)Shaw,The Fabian Society,etC・,p.4.  

(25)丑.P.T血ompson,Ⅳよ路反別〜仇椚琉,見川脚痛−c f¢ 皮¢〝β如去0〝〃γ.γ,1955,p.  

385.   

(14)

寛50巻 寛3・4号  

・−ヱ4−   340  

す−ることもできよう。   

すなわち,すでに.みたように,1885年から86年初に.かけて,ショ−自身のメ   タモルフオ−ゼ一社会主義のための基礎理論における換骨奪胎−がおこな   われ,内面的な転向が確定するのであるが,あわせて実践的にも,レヨ一にと   ってのあたらしい前進が開けることに.なった。すなわち,まず,フェビアンたち   の主流ほ,1886年に失業問題をめぐるアジテーショソの興奮に面しながら,街   頭でのセクト的アジ競争にかわる独特の実践方針をペナント夫人(Annie Be−  

Sant)の創唱のもとに」はじめて打ちだそうとし,6月9・10・11日にはサウス  

・プレイス・チャぺルで土地・資本の国有化紅かんする超党派的な大集会を産   業報酬会議にならって開催して政策論議をおしすすめた。もっとも,こ.の会議   はSDFがボイコットし,なんらまとまった結論を出せなかった。そこでベサ   ント夫人らは,−・歩をすすめ,協会執行委員のウイルスン夫人をも暗にふくめ   た無政府主義者たち全体(そゃ中心ほSL派)と決定的紅対決して社会主義政   党の結成を呼びかけるぺく,9月17日紅・アンダトン・ホテルで白熱の討論会を   催し,モリスらの反対を押しきって提案採決紅成功し,このあと,協会内アナ  

キスト派と−−L線を画したフェビアン議会同盟(FabianParliamentaryLeague)  

を作って宣言を出し,こうしてつい紅.ウイルスン夫人らを事実上協会主流から  

(26)  

締めだすこと紅成功したのであった。   

では,以上の事態進行紅.ジョ−ほ.どう対処したであろうか。珍しくも,かれ   ほ.終始沈黙していたのである。両会議とも;ショ一発吉の記録ほ.ないらしい。  

というのも,ショ⊥は,1884年末ごろ,とく紅ウイルスン夫人のため無政府主   義の宣伝K,加担する1論文 What sina Name?(How an Anarchist might   putit) をなんの気なく書き,これが,セイモア(H.Seymour)の手配で  

rゐβA〝α7・Cゐ之、ぶ才の創刊号(1885年3月)匿.掲載され,フェビアン協会主流の動   向と背離することが判明する紅おまんで,ショ一自身をひどく困惑させたらし  

(26)Shaw,The Fabian Societ.y,etC・,pp.7−15.Cf,N,andJ.MacXenzie,0?.   

βよfりpp.81−83,   

(15)

ンヨ一におけるフェヒアン社会主義の確立過程   −ムダーー  

341  

(27)  

いからである。もっとも,かれが一・時加担したのほ,おそらくゆるやかな個人   主義的無政府主義軋すぜなかったし,これを捨てることも迅速だった。この点   ほ別途の細部吟味が必要であるが,いずれ紅しても,ここに.にもレヨーの変身   の1局面がみられるし,それ裾,かれの経済学=価値論における変易と照応し,  

おなじ時期紅2面の変化が進んだこ.とが注目される。1885年から86年にかけて   の期間は,肇論的にも実践的にもショ一に.とって再出発のための重要な省察期   であったと思われる。そして87年紅」は,かれほすでに筋金入りのフェビアンと   して再登場することになった。   

おりしも1887年1月に,サミ.ユニエル・ムーアとエ・下さワー・ド・・エイダリング紅   よるマルクス『資本論』発1巻の英訳の初版(2冊本)が,スワン・ゾネンシ  

ャイン社から刊行された。Pα〟且勉〝G(Zgβ地紋の同年5月6日号に.ほ.,同書の   書評(匿名)が掲載された。そ・こでレヨ−は,いまや立って同紙紅・投稿し,上   記の番評を批判するととも紅,これをノ\インドマンが側面的紅反批判するや,  

これにたしても応執することに.なった。すなわち,Pα〝肋〝G(Zgβ≠才β斌の書   評が,『資本論』をI ̄近代社会主義のテキスト。ブック」と呼んだのにたいし,  

ショーの投稿(5月7日号)は,「近代社会主義ほ,マノレクスの価倦論軋立脚   してほいない_箋 と指摘したb これにたいしてハインドマンの投稿(同紙,5月   11日号)は,γヨーの轟意をはかりかねながらも,いったい誰がマルクスめ経   済的。歴史的理論を放棄したのか,と反発するととも紅,かつて二托一βqγ誌   でクイックステイ−ドの『資本論』批判紅対抗して勇んでマルクスを擁護した   はずの人が,どうしたことか,と皮肉った。そこでショ−は,もう1つの投稿  

(同紙,5月12日号)において,ハインドマンが予想どおりに自分の投稿につ   いて反発。誤解。中傷しているが,じつのところ,自分のクイックステイ−ド  

(27)この論文についてレヨJrは,「私自身の信念の表明というよりもむしろ,イギリス    で無政府主義文書が進むであろう方向についての私の見当を,ウイルスン夫人紅示す   ため紅番いたものだった」と言う。Shaw to Henry Seymour,5tllJanuaIy1884   

〔1885〕;Laurence(ed.),OP.cit.,p小109.なお,Vヨ−が無政府主義派との決別の    意思を示した苔簡として,Shaw to HubeItBland,8thFebruary1886;Laure‡lCe   

(ed.),0♪ c査才一・,p.150.を参照。   

(16)

第50巻 算3・4号  

−J6−   342  

への批判は,7ゎーかαプ誌のたっての要請で,無理と知りながら,同氏からの応   答を頂くことを条件に.,やむなく! ̄り九−ドクないしケアン.ズ的見地から」書   いたもの軋すぎない,と答えた。なお,これ紅.はノ\インドマンが再反発し(同   紙,5月16日号),つい紅アニ・−。べサントが出動して.(同紙,5月24日付),  

フェビアンたち全体の立場から,マルクスの労働価値論が形而上学軋属し,科   学的な用に.立たないことを論じてハインドマγを突きはなし,これでようやく  

(28)  

この論争シリ−ズに.ケリがついたようである。   

この論争の導火線となったレヨーの,近代社会主義は労働価値論を必要と   しないのだ,という爆弾提言が,社会主義運動界に.まきおこした影響ほ,深甚   なものがあったであろう。しかし,盲/ヨー自身は,もとよりこれを予期し,手   順を周到軋計算していた。この論争の結末近く、紅エイダリングからもらった愚  

(29)  

問および腰間の書簡に・たいして,ショ」−が書いた返信(1887年5月17付)は,  

この時点でのかれの経済学的立場をよく物語っていると思われるので,若干長   くなるが,引用しておこう。・−−−   

「私の爆弾提言のショックで他聞がまだゆらいでいるところで頂戴した親切   なお手紙で,大いに安らいでいます。奥様〔エリナ−・マルクス〕紅.ほどう対処   申しあゅるぺき嘉ゝ,お教え頂ければ助かりますが。ところで,本題を申しあぼ   るまえ紅,どうか落ち着いてお考え頂きたいのです。ニュ.−トンも,光紅.つい   てほダメでしたし,ゲーテも色彩はタメ,ダークインも自然淘汰を強調しすぎ   ましたね。マルクスも価値論がまちがっているという可能性がすくなくともな   いかどうか,お考えください。私でさえ,かつてまちがいました。/さて,ど   うか落着いて轟実を耳札入れてはしい。私ほ,その価値論はきっとまちがって 

(28)仏TheText・bookof Modern Socialism (PallMallGazette,Mqy6,1887,   

p.5);Bernard Shaw,砧Marxand Modem Socialism〃(di ito,May7,1887,   

p.3);Ⅱ.M.Hyhdman, Marx,sTheories (diito,Mayll,1887,p.11);   

G・BeInard Shaw, Socialists at Home (diito,Maylろ,1887,p・11);H・   

M.Hyndman, Marx,s Theories〃(ditio,May16,1887,p.2);AnnieBesant,  

㍑Marx,s Tbeo王y Of Value〃(成抽,May24,1887,p.2).  

(29)Shaw to Edward Aveling,17th May,1887.Laurence(ed.),OP.ci t・,Pp.   

1(∋8−1(∋9.   

(17)

レヨ・−・におけ・るフェビアン社会主義の確立過程   −J7−  

343  

いる,断じて,マカロック(McCulloch)ぐらいひどくまらがっていると思   います。おまけ軋,そのトリックも,もう皆に判っています。マロツク(Ma・ 

1lock)その他の連中ほ,価値論を社会主義と同一視して,社会の救済者風よる  

しくいたるところでそれをやっつけようとしています−。私は,この国で誰より   も奔走しでマルク.ス擁護の戦いをしてきただけに.,それが予測できます。私   は,.み誠一cβ誌上で,その創刊後1カ月もたたぬうち紅,マルクスの剰余価値   の導出軋致命的欠点があることを指摘してからも,それに・もかかわらず,馬鹿   な批評家たちに.たV、してほマルクスを全面的に擁護しました。、…小‥しかし,あ  

らしが来るのがわかると,この理論ほ海中投棄しなければならないと知りまし   た。私は,これを,できるだけそっとやりました。私ほ,それがまちがってい   るとは申しませんでした。ただ,社会主義はそれ紅.もとづいてはいないこと,  

また;それが反駁されるのを社会主義者たち自身が予期しでいたということ   を,申しただけです。ここでハインドマンが,救V、がたい思想混乱状態で登場  

して,代表的イギリス社会主義者として−のかれを公的軋やっつけようと待ちか   まえている私紅,チャンスを与えてくれるわけです。かれの最終投稿軋答えた   とこ.ろですが,編集人がゆるすかぎりは,どこまででも続ける覚悟です。なぜ   なら,かれがいちばんいい線だなどという貴兄のお考えは,マルクス的幻想で   あるからです。私の最近の投稿がのれば,社会主義が 価値論 によって−立った   りころんだりするものでほないことを,3向くりかえす勘定紅.なります。私   ほ,フェビアン協会(それは,イギク・不社会主義の本当の実質の一切を,とら   えています)をば,ハインドマン主義の社会主義的解毒剤として,公衆に.知ら   せてしまうことになるでしょう。ご留意,衆愚は,偉大なるジョ一式ジョーク   のことを全然ご存じでありません。これは,まったく本気なのです。が,ヒミ   ツを教えますと,まじめな話,貴兄がたの誰1人,本当の意味が全然おわかり   ではありません。クイックステイーードの件について申せば,かれの論文ほ,リ   カードク理論紅対抗するものとして服決定的なものとは息えませんでした。  

で,もし万一・,その批判と私の回答とをみられる機会がおありの節は,私の回  

答に.は道徳的根拠があったのだという点を,おわかり頂けると思います。」   

(18)

寛50巻 寛3・4号   344   

ー ヱβ −  

ところでショーは,さらに.すすんで,おそらくこの機にマルクス『資本論』  

と自分の社会主義との関係,ないしほマルクス主義とフェビアン社会主義との   関係を,洗いざらいほっきりさせること紅よって明確な区切りをつけ,今後の   前進に備えようとしたのであろうか,上記の『資本論』英訳本にたいしてみず   から長文の本格的な書評を書き,これはセキュラリスト派の機関紙 mβⅣα−  

(30)  

抽犯αJ屈βメ■0タ・∽♂7・の同年8月7・14・21日号の計3回にわたって連載された。  

すで紅.ここでほショ−は,自分自身のこれまでの労働価値論を,架空の「奉る   紳士」の意見に.みたてて,おもはゆげに,しかし完全にこれを撤回し,かわり   に.明確に限界効用理論(ジュヴヵ・ンズ=クイックステイード)の立場に・立ちなが   ら,英訳書の出来はえ.を論評するよりもむしろマルクスの原典そのものの見解   について正面から対決レ,その採りえない所以の詳細な論証に努めているので  

(81)  

ある。シ′ヨ一−のこの書評についてほ.,筆者は別稿で訳出を試みたので,ここで   は,その内容の紹介は省略することとし,同駅につけた筆者のほしがきから,  

つぎの記述を引用する紅・とどめたい。   

「ともあれ,イギリスにおける砧限界革命 の大きな影静−・般の開始状況と,  

その影響のもとでとく紅レヨ−をり−ダーとするフェビアン社会主義の経済理   論が『資本論』をいわば捨て石として形成されてゆく初期状況とが,ショ−−の  

この書評をつうじてヴィヴィッドに看取される。ショ−は.,この書評に・よっ   て,フェビアン協会に.おける中心的経済理論家としての地歩を築いたとみられ   る。同時に.,すでにイギリス人に・なりきっていたショーの経験主義が,『資本   論』紅.おけるドイツ風に・独自な理論・歴史の唯物弁証法的統一・の視点紅たいし  

て早々に.拒否反応を示し,いきおい,そうした歴史的=理論的方法視点と整合   しうる唯一・の価値論としての労働価値論の意義をも終始ついに.理解しえないま   ま,たんにこれを 形而上学 として棄却しさることになった。また,ジェヴ  

(30)G.BernaId Shaw, KarIMarxand DasXapital , TheNationalRqfbrmeY.,   

August7(pp.84−86),August14(pp.106−・108)andAugust21(pp.117−11、8),  

1887. 

(31).一拙稿「G.バ−ナード・ショ」−くカ−ル・マルクスと『−資本論』〉(訳)」『■香川大学   

経済論艶』第49巻第1号,1976年4月,49−73ぺ−ジ。   

(19)

レヨ・一におけるフェビアン社会主義の確立過程   −ヱ9・−  

345  

オンズ理論のブルジョア的性格をめぐる難点に・づいてはかれはふしぎにも終始   日をつぶり,楽天的にこの学説に・傾倒してゆくが,これほかれの如偶像破壊   

の重要な例外となるであろう。このあたりに,ショ−・の経済思想家としての限  

(32)  

界が示されていると言ってよい。」  

Ⅴ   

なおVヨ ̄・−は,1887年10月ごろに・「あたらしい急進主義」(砧The New Ra一  

(33)  

dicalism )と題する原稿を書いているが,この論文は,イギリスの時事的政   治問題を素材として,流血のない漸進的・実際的な社会主義の必然を説き,か   つ,それが,いまやとりわけで地方自治体を拠点として,産業競争に具体的に   参加しうる展望に・立っているものとし,これを「あたらしい急進主観」とし七   唱導した点に,特色をもっている。   

またVヨ−は,1888年の後単に,「社会主義と財産」(仏Socialism and Pro−  

(34)  

pef・ty )と適する原稿を執筆していて−,ここでは,個人の自由と国家との関係   を論じ,抽象的な自然権は抽象的な国家権力無限迫進説ととも軋不毛であり,  

どちらも制約を受けるべきものとし,前半では古典哲学的な議論を展開し(J.  

S.ミル,H.スぺンサ−,ブラッドロ−,へ−ゲルらを引照する),後半では,  

労働事情の歴史的鍍述のうち紅・,上記の趣旨を論証してヽ、るが,ショ−・として   ほ.めずらしく重い文体のもので,かれの日記(11月14日付)紅.よれは,ナット   ン版大学シソ−ズのための社会主義論の書物の冒頭部分として.執筆されたもの   だろうといわれる。   

ところでかれは,さらに1889年秋紅フェビアン協会企画の連続講演会〈社会   運動の1世紀〉の最終講演者として,12月20針紅「あたらしい政略」( The  

(35)  

New Politics )と題した講演をおこなったが,これほ,いわば大陸に.おける  

(32)同上訳,同誌同号,51ぺ−ジ。  

(33)LouisCrompton(ed.),BernaY dShau,,TheRoadtoEqualii.y.Ten thiPub・   

J≠Sゐβdエ♂f才♂㌢Sα乃d且sIS卿S,ヱβ朗−ヱ9Jβ,1971,pp.19−36.  

(34)∫∂よdりpp.37−54.  

(35)J∂査♂りpp.55−∬.   

(20)

第50巻 第3・4号  

−2クー   346  

フェビアニズムのル−ツさがしを試みたもの・と㌧て,その論旨が注目される。  

同革演は,まず政治の内幕は,演劇のそれとおなじことで,軌道型俳優や軌道   型政治屋でほ.なぐて,理想主義的なオリジナルな運動家の登場で進められるも   のだと,・一一・般論を述べたのち,18亜年以降のドイツに.おけるラサ−ルの活動風  かなりの紙幅をさき,若きラサールの友人だったマルクス,こエンゲルス,ヴォ   ルフその他のへ・−ゲル派の小サークルの人々が「われわれの精神的父」である   ことを指摘しながら,ラサ−ルの生涯,哲学,階級史観,ベラミ−の思想(ミ  

ドルクラス支配どまりの幻想)とくらべてのラサ、−ルのそれの卓越,を論じ,  

すすんでかれの経済学,とくに.労働者解放条件分析および経済政策論を考察評   価している。シ′ヨ「紅.よれぼ,ヲサ′−ルは,ヅか−・ドゥのメリットが「 ミドル  

クラスの見地から」私有財産の経済学を統合したという点に.あることを看取   し,リカ−・ドゥのミドルクラス的な賃金生活費説を,労働者階級の立場からみ   なおし,りか−ドク法則のもとでほ生活改蓉のすぺがないことを労働者紅訓戒  

しただけでなく,すすんでその解決のたやの経済政策を提示し,課税により資   本家階級から得て.国家が供与する資本紅よる生産協同組合の全国的設立と自由   な運営とを唱導したが,これ軋よって私企業資本ほしだいに国家補助下の生産   協同組合紅.よって袋奪されることは,手織機が力織機紅よって袋奪されるのと   同様紅必至なはずであり,「州評議会の産業活動を不労所得課税で得られる資   本紅よって拡大するという,わがフユ.ピアンの綱領も,ずばり,ラサ−リレの提案  

(3の  

をわが地方政治機構に.適用することに.はかならない。」すすんでショ−は,ラサ   けルの政治実践論をもきわめて高く評価しながら,その労働者階級の政治権力   奪取の主張およびそのための労働者政党結成および普通選挙権獲得の主張を紹   介し,「ここにりその諸要素をすべて完全に備えたわれわれの現在の緬領一あ  

(3て) たらしい政略−がある」とする。もとより,社会主義・集産主義・廃済学・  

哲学・国家産業工場・普通選挙権・労働史のどれも,ラケールが発明したもの   ではなかった紅.せよ, 

(36),(37)J∂よd.,p.64.   

(21)

ショーに.おけるフェビアン社会主義の確立過程   −2ヱ・− 

347  

会民主主義ほ,1862年からはじまるのであり,ラサールほ一そ・の建設者だとみな  

(38)  

されなければならない。」−   

こ 

見いだしているこ.と,また,ラサール社会主義の想源として,−・方でへ−ゲル  

(39) 的理想国家観,他方でリカ−ドゥ経済学を重視していることほ,興味ぶかい。  

この後者の点についてほわれわれは,ショ一にとってリカー・ドゥが,クイック   ステイードとその限界効用理論にたいしですら不死身であると解されていたこ   と(「クイックステイ−ド問題について申せば,かれの論文は,リカ−ドゥ理論  

(40)  

を排して結論を出せるものとは思えませんでした」)を,あわせて想起しておく   ぺきであろう。   

なおすすんでショーは,  この講演で,インタ−・ナショナルおよびパリ。コミ   ュ−yの歴史を概観しながら;1871年以降のイギリスの社会民主主義運動史紅  移り,最後紅フェビアン協会の登場の説明をもって結んでいるが,講演のこの   後半部は,ハンディな「社会主義復活」史ともなっていて,部分的に・『フ.エビ   アン協会初期史』(トラクト第41冊)よりも詳細な 

この講演の思想的特徴は,ショーが「社会民主主義」の理念をSDF中寺売特   許とはさせないで,むしろフエビアン社会主義を筆頭とするすべての社会主義   運動の理憩。政策概念だとして確認していること,そしてラサ−ルをそ・の理念   の先駆的確立者として認定したところ紅あるといえよう。  

ⅤⅠ   

とこでようやくわれわれは,『フェビアン社会主義論集』(Fα∂よ〃花見∬呼ぶ豆お   助c£αゐ−5沼,1st ed.1889)に・おけるレヨ−の見解を検討する局面紅到達する。  

協会自身によって自費出版された本書が,シ戸−の周到綿密な企画と編集,よ   き人選と統一を得て出されたとはいえ,予想外の大成功をおさめ,この種の出  

(38)J∂∠d・,p.56.  

(39)∫∂紘,pp.61−62,へ・J−・ゲルを賞扮するのとは反対に・,レヨ・−・はベラミ・−(E・   

Bellamy)の.ユ−・トピアにおける国家のミドルクラス性を酷評している。  

(40)ShawtoAveling,17thMay,1887・Laurence(ed・),Ob・Ci−t・,p・169・   

(22)

算50巻 寛3・4弓   348  

−22∵−  

版物としては驚異的な売れ行きをしめし,やがて諸外国版も出たはどであった   が,もとよりこのように注目されたのに成内容的な理由が大きかったであろ  

う。すなわち,本番ほ,社会主義の通念をドラスティック紅・書きかえたのであ   った。ビーズの説明にしたがえは,80年代のこの時点までのSDFおよびSL  

に.よって代表された社会主義が,「革命一・辺倒」で,モリスらの例外ほある紅し   ても「−・般に騒乱的・独断的。ユ−・トピア的で,はとんど理解もできないもの  

(41)  

だった」のにたいして,本書は,はじめて「社会主義の筋みちを誰にもわかる   平明な言葉で提示した。社会主義の基礎を,ドイツの1哲学者の思弁紅ではな  

くて,われわれの周囲にみられるとおりの明白な社会進化に履いた。公認のイ   ギリスの教授たちが教えたとおりの経済科学を受容したし,現存の政治・社会   諸制度の基礎のうえに,社会主義の組織を構築したし,社会主義が,18世紀産   業革命に続いた諸変化によって不可避となった社会発展の,つぎのステップ紅  

(42)  

すぎないということを,証示した。」   

だがピ−ズは,労働組合運動の役割にかんする永書の評価がじゅうぶんでな   いことをみとめ,かりに.1889年の労働組合高揚期のあと紅.本書が書かれていた  

ら,この欠点は改まっていただろうとし,また協同組合運動への批判的見解も  

(43)  

著者たちの若さと酎口のせいだとしている。いったい本質的にミド)レクラス社   会主義を標模する協会の執筆者たちが,そのような新局面で労働組合運動を基   本的ににわかにどう拡大的に・評価しえたであろうかは,問題のように、思われる   が,ともあれピ−・ズは,労働党への展望のことを示唆したのであろう。たしか   紅,終章「展望」を担当したブランドほ,労働党の出現も,自由党の変貌(ロ  

イド=ジョ」−ジの活動)も,予言しえなかった。編集者たるショ一自身の労働   運動への関心と期待のうすさは,本番以前から続いていたようである。これほ,  

特殊実践的には,80年代の社会主義高揚期に・おいて労働者自身があまり有効な   行動や組織をもってこれ紅呼応しなかったこと,またとくに1887年11月13豆の  

(41),(42)Pease,0れCit・,pp.90−・91.  

(43)J∂∠d一・,pp.9ト92.   

(23)

ショー・に.おけるフエビアン社会主義の確立過程   れ2β・−  

349  

(44)  血の日曜日 に.おけるデモが当局の弾圧に.抗しえず,み.じめな「敗北」に・おわ  

つて,労働者を主体とする革命の希望が遠のき,フェビアンたちが要するにLこ  

(45)  

の事件を機に.労働者階級への幻滅を深めたこと,と関連していよう。   

ショ−は,同書の「−経済」の章では,冒頭からミル,フか−セット,マーシ   ャル,レジクイック,クか−カ−・らの学説を枚挙的に.引照したあと,とくに 

(46)  

「かれらの師,タカ−ドゥ」の較差地代(レ∵/ト)成立。増大論を紹介する。  

地代の成立。増大は,私有財産制度のもとでは,桝境の開拓ととも紅必然的で   あるが,すすんで人間の能力に.もそれが生ずる。いわゆる利潤とほ,人の能力   のレントにはかならない。そして,較差地代は,それ自体すでに限界原理によ   ったものでもあるのだが,これを農耕から交換紅移して考えれば,最終(限界)  

効用による価格ないし交換価値の説明となるわけだ十とされる。この場合,生   産費は,耕境における生産費のことだし,それが全生産者にあてはまる。資本   主義の害悪は,結局不労所得の諸形態の存在・拡大に・あるが,「社会主義ほ,そ  

うした諸所得の支払V、を廃止し,それによって−浮く富を労働所得に付加するも   のである。1・・…・私有財産紅もとづく〔不労〕所得紅腰,経済地代・年金・テナ   ント権再賃料・利子(じつは地代の一種で,資本を投下して土地を特別に生産   紅向けることで得られるもの)があるが,すべてこれらほ,労働者の労働の生   産物と……・その労働の価格−−一度金・俸給。賃料・利潤−−との差から支払わ   れる。(脚注:労働の生産物がその労働の価格を超過するこの部分を,カ−ル・  

マルクスは印象的効果をもって単一・の範疇として取り扱い,これを砧剰余価値り   と呼んだ。)その全体は,経済地代以外は,たんに.それをズバリ労働者から搾取   するのをやめることだけで,労働者の所得紅・直接加えることができる。【二他方,〕  

種々の肥沃度や位置の利から生ずる経済地代は,つね紅共同のまたは社会的な   富とみなされなければならないし,現在の課税に.よる歳入と同様,共同目的紅  使用されるべきである。うち,国営保険および資本調達をば,社会主義は最重  

(44)Sbaw,7カβダα∂よα乃∫〃C毎秒,etC・,p.10 

(45)Cf.E。P.,Thompson,0♪.cit.,pp.586L588.  

(46)BeInard Shaw(ed.),Fabian Essaysin Socialism,1889;Jubilee edition,   

1948,p.6.   

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