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代行返上と成熟化との関係に関する研究

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(1)

代行返上と成熟化との関係に関する研究

⎜⎜ 暗黙契約の理論の視点から ⎜⎜

上 野 雄 史

■アブストラクト

本稿は代行返上の意思決定要因と退職給付制度の成熟化との関係を暗黙契 約の理論の視点から検証したものである。サンプルは2001年3月期と2002年 3月期の金融業などを除く東証1部上場企業を対象とし,総数は1,141とな った。統計手法として,t検定,Mann‑Whitney検定を用いた。本稿の結 果から,終身年金が義務付けられている厚生年金基金を保有する企業は保有 していない企業と比べて成熟度(加入者に対する受給者の割合)が高くなっ ており,暗黙契約の不履行を行うインセンティブが強くなっているというこ とが明らかになった。さらに,そのインセンティブは早期に代行返上を行っ た企業の方が強いという結果が算出された。本稿の結果はPetersen(1992),

DʼSouza et al.(2006)などの先行研究の実証結果と一致し,代行返上に関 する意思決定要因に退職給付制度の成熟化が影響していることが明らかにな った。

■キーワード

代行返上,暗黙契約の理論,成熟化

1.代行返上と成熟化

2002年4月の確定給付企業年金法の施行により,厚生年金基金制度から確

*平成18年6月17日の関西部会での報告による。

/平成19年1月4日原稿受領。

【査読済み論文】

(2)

定給付企業年金への移行が可能になった。確定給付企業年金への移行の際に,

厚生年金の代行部分は国に返上され,上乗せ部分を新しい企業年金制度へと 移行する。この移行は一般に代行返上と呼ばれている。2002年3月末時点で は1,737基金あった厚生年金基金は,2007年10月末時点で624基金にまで減少 した 。そのうち約800基金は代行返上によるものである。

短期間に代行返上が進んだ主要因として挙げられるのは,退職給付会計基 準の適用である。2001年3月期に適用された退職給付会計基準では,公的年 金である代行部分と企業年金である上乗せ部分を区別せず,同一のものとし て負債,費用の認識測定を行う。厚生年金基金が代行している公的年金の年 金資産・債務は制度の半分以上を占めているため,代行部分の負債・費用の 認識・測定は各企業の貸借対照表,損益計算書の会計数値に大きな影響を与 え,企業経営者が代行返上を意思決定する引き金になったと考えられている。

しかし,代行返上の意思決定を左右した要因として挙げられるのは,退職 給付会計基準の適用だけではない。退職給付制度の成熟化も深く関係してい ると考えられる。2007年問題ともいわれる団塊世代の高齢化により退職給付 制度の成熟化が深刻になっている。企業年金連合会の調べでは,受給者を加 入者で割って計算する人数ベース(受給者╱加入者)で測る厚生年金基金の 成熟度は1995年に16.1から2004年には40.4まで上昇した 。

本稿の目的は,退職給付制度の成熟化が代行返上の意思決定要因に与えた 影響を検証することにある 。検証方法として暗黙契約の理論を援用する。

暗黙契約の理論は,退職給付制度の変更に関する意思決定要因を検証する際 に説明変数として用いられる。本稿のサンプルは2001年3月期と2002年3月

1) 現在の厚生年金基金数に関するデータについては,企業年金連合会ホームペ ージ(http://

www

.

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)を参照されたい。

2) 本稿における退職給付は,企業年金と退職一時金などの勤務を事由として退 職後に支給される給付を全て含んだものをさしている。成熟度のデータについ ては企業年金連合会(2005,p.129)を参照されたい。

3) ここでいう成熟度は加入者に対する受給者の割合によって表される。

(3)

期の金融業などを除く東証1部上場企業を対象とし,総数は1,141となった。

統計手法として,t検定,Mann‑Whitney検定を用いた。なお本稿におい ては,連合型・総合型の厚生年金基金については,財務データが乏しく,設 立形態を把握することが困難のため検討対象としなかった。

2.代行返上の意味

厚生年金基金は,企業が公法人を設立し,老齢厚生年金のうち報酬比例部 分を代行する制度である。国の厚生年金の一部を国に代わって支給するとと もに,企業の実情に応じた独自の上乗せを行う。従業員に対してより手厚い 老後所得を保障する目的で,1965年に厚生年金保険法を一部改正し,創設さ れた。厚生年金基金は,公的年金を国から代行して運営するという性質上,

他の退職給付制度と比較して厳しい運営基準が設けられている。厚生年金基 金の代行部分の債務は,加算型であれば全体のおよそ半分,代行型であれば そのほとんどを占め,代行部分の年金資産と自社の年金資産を組み合わせる ことで運営されている。

企業が報酬比例部分を代行することで,国が運営する厚生年金本体におい て代行部分に要する費用が不要になり,国に払う厚生年金の保険料の一部が 免除される。これを免除保険料という。免除保険料は,個々の基金が代行給 付を賄うために必要な保険料率に応じて,2.4%から5.0%の範囲内で厚生労 働省によって決定される 。また基金設立の認可基準で,代行部分の最低3 割以上の水準をプラスアルファ部分として確保することとされていた。この プラスアルファ部分にさらに上乗せして独自の給付を加算部分として設立す ることが認められている。代行部分とプラスアルファ部分のみによって運営 されているのが 代行型 であり,代行部分とプラスアルファ部分にさらに 加算部分を上乗せしているのが 加算型 である。その他には給付額を最終

4) 免除保険料率とは,厚生年金の保険料のうち,代行部分の給付に必要なもの として,国に納めることが免除される保険料のことをいう。免除された分は厚 生年金基金に掛金として納められ,代行部分の給付の原資となる。

(4)

給与または最終の一定期間の平均給与を用いて代行部分とプラスアルファ部 分を一体として算定し,運営する 共済型 がある。 共済型 は公庫や公 団などの政府関係機関に少数あるだけで,基金の80%以上が加算型,15%程 度が代行型である 。

以前は一旦代行部分を請け負うと,代行返上するには基金そのものを解散 するしかなかったが,2002年4月に施行された確定給付企業年金法により代 行部分のみを返上し,残りのプラスアルファ部分と加算部分を新しい企業年 金制度(確定給付企業年金制度)へ受け継ぐことが認められるようになった。

厚生年金基金の代行部分は公的年金であるため,給付水準および積立水準,

予定利率などの制度骨格は,全て厚生年金保険法によって規定されている。

代行返上に伴って厚生年金本体に返還する必要のある部分は,最低責任準備 金である。最低責任準備金とは,企業が厚生年金の代行部分として最低限積 み立てておくべきことが求められる年金資産のことである。

企業会計上,代行部分は企業の持分として会計処理されている。代行部分 は厚生年金の一部であるが,上乗せ部分である企業年金制度と一体で運営さ れており,それを区分して会計処理を行うのが困難であるという判断からで ある。代行返上時には代行部分の債務と最低責任準備金との差額を損益計算 書上に計上する。代行部分の債務評価は継続基準,最低責任準備金は非継続 基準で評価されているため,代行返上の際には利益が計上されるケースが多 い(図表1参照) 。

5) 本稿における厚生年金基金に関する記述および数値は,企業年金連合会

(2005,pp.76‑140)を参考にした。

6) 1999年9月から2005年4月まで免除保険料および保険料率が据え置きとなり,

代行部分に対応する費用として厚生年金保険料率も見直しが行われず凍結され ていた。凍結期間中の最低責任準備金(代行部分の給付債務)は以下のように 計算される。

⑴凍結期間中の最低責任準備金は 凍結開始直前時点(1999年9月末)で固定 した最低責任準備金の額 に 解散までに発生した収入額 と 解散までに発 生した支出額 を引いたものとし,運用収入としては厚生年金本体の2年前の 実績利回りを使用する。

(5)

厚生年金基金の代行部分を返上した場合,企業の拠出部分を確定給付企業 年金へ移行し,加算部分とプラスアルファ部分は新しい企業年金制度へと引 き継がれる。公的な代行部分を返還するだけであるため,一見何ら変わらな いように思える。しかし,代行返上後は,これまでの厚生年金保険法から確 定給付企業年金法の下で運営が行われることになり,法的な違いから制度運 営のあり方は全く異なる。両法律の主な違いは,給付水準,支給期間,受給 権保護にある。

図表2は,給付水準,支給期間,受給権保護のための取り組みに関して確 定給付企業年金と厚生年金基金とを比較したものである。厚生年金保険法で は代行部分に見合うだけの給付水準を維持することが求められていたが,確 定給付企業年金法ではこの制約が一切ない。また支給期間についても5年以 上とし,終身年金であることが義務付けられなくなった。最大の違いは受給 権保護の取り組みにある。厚生年金基金では支払保証制度があり,解散時に 積み立て不足があったとしてもある程度の給付が保証される 。支払保証の

⑵責任準備金は,代行部分と上乗せ部分を分けて算定することとし,⑴の最低 責任準備金を代行部分の責任準備金とする。

7) 1994年に解散した基金がはじめて支払保証の適用対象となった。その際には

(出所)筆者作成

図表1 代行返上の仕組み

(6)

財源は各基金からの拠出金によって賄われ,基金の規模に応じてその額は決 められている。確定給付企業年金法は初めて受給権について言及した法律で あるが,支払保証制度などの受給権保護を目的としたセーフティネットは設 けられていない。解散時に積立不足があった場合の拠出が確実に行われると いう保証はない 。確定給付企業年金では支払保証に対する拠出がなくなる ため,運営に掛かる費用は軽減される。このように制度設計に関する自由度 は厚生年金基金と比べると確定給付企業年金は高い。

代行返上後の給付設計の見直しのケースとして,㈱九電工とプリマハム㈱

の例を挙げる。㈱九電工の場合,2003年度時点で代行返上が実施されると同 時に,加算部分の給付利率を下げ,4,653百万円相当の債務の減少が発生し

およそ保証対象給付の4割が給付された。詳しくは久保(1999,p.164)参照 されたい。

8) 支払保証制度については当初検討されていたが, 継続基準・非継続基準に基 づく財政検証の実施等によって担保すべきである という経済団体連合会(現 在の日本経済団体連合会)の反対もあり,設立されなかった。詳細については,

経済団体連合会(2001

a

),経済団体連合会(2001

b

)を参照されたい。

(出所)厚生年金保険法・確定給付企業年金法に関連する法令より筆者作成。

支払保証制度あり。

終身年金

プラスアルファ部分のうち,65歳以 降の終身で支給される部分の現価相 当額が代行部分の65歳以降の終身で 支給される部分の現価相当額の5%

を下回ってはならないこと。

プラスアルファ部分の給付水準は,

代行部分の5割程度まで確保してい ること。

年金給付の水準は,代行部分相当部 分に3.23を乗じて得た額に相当する 水準に達するよう努力すること。

特になし。

5年以上 特になし。

受給権保護のための取り組み 支給期間

給付水準

厚生年金基金 確定給付企業年金

制度の種類

図表2 確定給付企業年金と厚生年金基金との違い

(7)

ている。さらに2005年度には加算部分をキャッシュ・バランス年金制度(以 下,キャッシュ・バランス制度という。)へ移行し,同時に退職一時金制度,

税制適格退職年金制度を廃止し,キャッシュ・バランス制度と確定拠出年金 制度へ移行した。キャッシュ・バランス制度は,年金の受け取り額を国債な どの金利と市場連動させるため,固定利率で運用する確定給付企業年金制度 と比べて債務の計上額が少なくて済む。代行返上と同時に行った加算部分の 変更により4,653百万円相当の債務減少が,またその後,キャッシュ・バラ ンス制度と確定拠出への移行により5,616百万円相当の債務減少が発生して いる 。

図表3 ケース①代行返上後の㈱九電工の制度状況

(注)加算部分にはプラス・アルファ部分も含んでいる。適格とは税制適格退職年 金のこと。点線部分は改定による債務消滅部分。数値の単位は百万円。数値 の記載が無い箇所があるのは詳細な金額が不明なため。

(出所)公開されている有価証券報告書に基づき作成した。

9) 確定給付企業年金法に基づく代行部分の返上は,その公布日から2年6か月 以内の政令で定める日から施行されることとなったため,長期間,代行返上を 行えない企業を配慮して,一定の条件を満たす場合には,過去分の 返還の日 に代えて将来分支給義務免除の日において,代行部分に係る退職給付債務及び 年金資産が消滅したとみなして会計処理をする経過措置が設けられた(2004年

(8)

キャッシュ・バランス制度への移行ではなくとも,給付設計を見直す企業 もある。プリマハム㈱の場合,2003年度に代行返上が完了した後,2004年に 適格退職年金と厚生年金基金の加算部分を合わせて確定給付企業年金へと移 行している。この移行にあわせて,終身給付部分の見直しと給付利率の引き 下げが行われている。その効果で2003年から2004年にかけての債務は約 2,000百万円減少している(図表4参照)。

この2社のケースのように代行返上後,加算部分(プラスアルファ部分を 含む)をキャッシュ・バランス制度に移行したり,また給付水準などを変更 する企業は多い。有価証券報告書,新聞等で報道されている情報によると,

東証一部上場企業で2002年度に代行返上を行った138社のうち,59%が代行

(注)加算部分にはプラス・アルファ部分も含んでいる。適格とは税制適格退職年 金のこと。数値の単位は百万円。点線部分は改定による債務消滅部分。2004 年の給付水準の引き下げによる債務減少額は不明であった。数値の記載が無 い箇所があるのは詳細な金額が不明なため。

(出所)公開されている有価証券報告書に基づき作成した。

図表4 ケース②代行返上後のプリマハム㈱の制度状況

3月31日まで)。そのため実際に代行返上の会計処理が認められてから,実際 に返還され,新しい制度に移行するまでには将来分支給義務免除の日から1年 から2年掛かる。そのため,多くの企業は2002年に代行返上が認められてから,

実際に代行返上が実施される2003年,2004年に退職給付制度を改定している。

(9)

返上後に給付を減額させる何らかの手続きを行っている(図表5参照) 。 確定給付企業年金は,給付水準,支給期間,受給権保護など,厚生年金基 金と比較して企業経営者が守らなければならない規制が緩和されている。こ れは企業経営者の立場からは柔軟な制度設計が可能になったといえるが,従 業員にとっては厚生年金基金のときと同じ給付水準,支給期間,受給権保護 を受けることが出来なくなっている。次に暗黙契約による退職給付制度の変 更に関する理論について述べる。

3.暗黙契約とその不履行

暗黙契約 とは,労使間における 明示的でないさまざまな契約 を指 す。Ippolito(1985) によれば,企業経営者は退職給付制度により労働者に 各期に限界生産物に相当する報酬を支払わないことを労働者(従業員)に提 示する。総報酬の現在価値は同じであるが,報酬を支払う時期は,後回しに

図表5 2002年度に代行返上をした企業の改訂状況(138企業)

(注)新しい企業年金制度に移行した後に,給付削減に関連する制度改訂を行っ ているかどうかを調査した。調査対象は後述するサンプルと同じものを用 いた。

(出所)EDINET,日本経済新聞,日経金融新聞に基づき作成。

10) 企業年金制度の実態は有価証券報告書の中でも詳細に開示されている訳では なく,集められる情報は限られている。そのため41%の中に,給付を減額させ る手続きをした企業が多く含まれていると推測される。

(10)

される。

図表6は限界生産物と賃金+退職給付(総報酬)との関係を示したもので ある。M前においては,労働者は限界生産物を下回る報酬を,そして,M 後において限界生産物を上回る報酬を受け取っている。労働者に対するこの 提示と引き換えに,企業は労働者に対して退職給付制度を維持するという暗 黙の取り決めをする。このように雇用者は労働者に対し,退職給付によって 一部の報酬を後払いにすることにより,早期の雇用の段階においては限界生 産物を下回る報酬,後期においては限界生産物を上回る報酬を提供すること で労働者の退職時期をコントロールする。

暗黙の取り決めを企業が破ることを暗黙契約の不履行といい,退職給付制

度における暗黙契約の不履行は企業が暗黙のうちに約束された年金債権を払 うことなく済ましてしまうことを指す。

暗黙契約の下で,企業が労働者に支払うべき報酬を後払いすることは,そ れが支払われるまでの間,労働者が企業の債権者になることを意味する。そ の債権の額は,労働者が勤務を重ねるに従い増大していく。労働者が働き始 めたときは,年金債権は0であるが,徐々に蓄積され受給権が付与される前

図表6 報酬の時期と限界生産物

MPは限界生産物,W

は賃金,RBは退職給付を表している。

(出所)Petersen(1992,

p

.1038) の図を本稿に合わせて加筆修正した。

(11)

にピークに達する 。企業が暗黙契約の不履行を行うインセンティブは,労 働者が債権者として所有する額が増加するに従い高くなると考えられている。

暗黙契約の不履行を説明する上で,退職給付制度の成熟度に関連する変数 が,代理変数として最もよく用いられる。各企業に蓄えられた年金債権の額 は,退職給付制度の成熟度が高いほど大きいと考えられるからである。

成熟度は退職給付制度の年齢構成を表す指標である。勤務年数の短い加入 者数が,勤務年数の長い加入者数よりも多い場合はその制度の成熟度は低い。

制度は時間の経過とともにその集団の特性を変化させていく。制度発足から 相当年数が経過し,勤務年数が長い加入者が勤務年数の短い加入者を上回る 場合,その制度の成熟度は高くなる 。

暗黙契約の不履行は,企業と従業員間の情報の非対称性により生じる。情 報の非対称性がもし存在しなければ,従業員は将来暗黙契約の不履行を予定 している企業とその契約を結ぶことは起こりえないからである。企業はしば しば従業員との情報の非対称性を利用し,不利益な契約を結ばせる 。

4.先行研究

退職給付制度の変更に関する実証研究が本格化したのは,1980年代である。

1980年代,アメリカにおいて国から規定された積立水準を超過する年金資産 を保有する企業年金制度の清算が相次いだ(図表7参照)。特に1983年と

11) 退職給付制度においては受給権の規定が存在する場合,受給権付与によって 年金給付を法的に受け取る権利が確定するので,受給権獲得前に年金債権の額 が最も大きくなる。

12)

McGill et al.

(2005,

pp

.499‑503) は,企業年金制度の成熟化を 定常集 団 (

stationary population

) , 成熟集団(mature population) , 未成熟集 団 (

undermature population

) , 過 成 熟 集 団(overmature population) というグループに区分している。

13)

Shleifer and Summers

(1988,

pp

.42‑43) は,情報の非対称性により生じ る暗黙契約の不履行を事例を通じて明らかにしている。

(12)

1984年は,100件以上の企業年金制度の清算が行われた 。

こ の 意 思 決 定 要 因 に つ い て,Stone(1987),Thomas(1989),Mittel- staedt(1989) は,債務契約仮説や利益調整仮説に 関 す る 理 論 に 加 え,

Myers and Majluf(1984) が 提 唱 し た ペ ッ キ ン グ オ ー ダ ー(pecking order)理論を援用して検証を行い,負債比率やキャッシュ・フローなどの各 

企業の財政的要因(financial considerations)から企業年金制度の清算が 生じていることを明らかにした。財政的要因により外部からの資金調達コス トが高くなっている企業は,企業年金制度を清算し,その超過部分を回収す ることによって資金調達コストを低く抑えようとする。これらの研究の成果 は,Stone(1991),Haw et al.(1991) など,他の退職給付制度の変更に 関する意思決定要因の研究に応用され,またMittelstaedt et al.(1995) のように退職給付制度以外の職場保障制度の変更に関する意思決定要因の研 究にも応用された。

企業年金制度の清算が暗黙契約の不履行であったかどうかについては,

Thomas(1989)の中でも言及されていたが明確な証拠は示されていなかった。

それを明確にしたのは,Petersen(1992) である。Petersen(1992) は,

企業の財務諸表のデータだけでなく,企業年金制度に関するデータを用いて 検証した。その結果,高齢の従業員の割合が多い企業年金制度を保有する企

14) 超過積立の企業年金資産に関する理論的考察については,柳瀬典由(2002,

pp.78‑106)を参照されたい。

図表7 アメリカの積立超過企業年金制度の清算数 年度 頻度

1980 1981 1982 1983 1984 1985

9 35 81 161 319 6

(出所)Thomas(1989,

p

.376)

(13)

業ほど,企業年金制度を清算する傾向にあるという結果を算出した。Peter- sen(1992) の研究を応用したのがDʼSouza et al.(2006)である。DʼSouza

et al.(2006)は確定給付の企業年金制度からキャッシュ・バランス制度への 

移行に,企業年金制度の清算の場合と同じく暗黙契約の不履行が生じている ことを,成熟度に関する代理変数を用いることによって示した。その一方で,

Niehaus and Yu(2005) は,キャッシュ・バランス制度への移行が暗黙契 約の不履行に一致しているという証拠はなかったと述べ,税金最小化の観点 から,確定給付企業年金からキャッシュ・バランス制度への移行について,

超過年金資産に対する課税を避けるためであったことを実証している。また Niehaus and Yu(2005) はキャッシュ・バランス制度へ移行する企業とそ うでない企業との3年間のROA(Return on Assets)の平均値の差を比較 している。その結果は,キャッシュ・バランス制度へ移行する企業のROA がそうでない企業よりも高いというものであった。これはキャッシュ・バラ ンス制度の移行が,企業年金制度の清算とは異なった意思決定要因により行 われている可能性を示唆するものである。

年金債権は従業員の勤務年数に応じて増大していく。年金債権を取り消す ことによって得られるリターンは,多額の年金債権を保有している労働者の 割合が高いほど大きくなる。つまり,成熟度の高い制度の方が成熟度の低い 制度よりも変更によって得られる年金債権は多額である。退職給付制度の変 更を行う可能性は,成熟化が進んでいるほど高くなると考えられている 。 Petersen(1992) やDʼSouza et al. (2006) は,暗黙契約の不履行の代 理変数として成熟度に関連する変数を用いることで,暗黙契約の不履行が退 職給付制度の変更に関する意思決定要因の1つであることを明らかにした。

成熟度によって動機付けられる暗黙契約の不履行は,退職給付制度の変更に 関する意思決定要因を説明する上で財政的要因と並んで強い説明力を有して いる 。本稿では暗黙契約の不履行に関する理論を前提として2つの仮説を

15)

Petersen

(1992,

p

.1043),Dʼ

Souza et al.

(2006,

p.31).

16) この他の説明力の高い要因として,税金の最小化(tax minimization)も

(14)

設定する。

5.仮説設定

5.1 厚生年金基金の成熟度

成熟度は,制度が始まった当初から(脱退,死亡,障害,および引退によ り)出ていく人数が一定であり,一定数の新規加入者が決まった割合で,し かも一定の割合で入ってくるとすれば,最初の加入者が定年を迎える頃に,

制度集団の人数および年齢別と勤務年数別の分布は一定となる。この場合,

成熟度は加入者と受給者の割合が一定である事から,必然的に成熟度もまた 一定水準に安定することになる。しかし,退職給付制度はあくまでも企業の 自主的な取り組みであり,退職給付制度を運営するために企業運営している わけではない。事業の縮小や合併・買収などによる事業拡大などにより脱退 者と新規加入者の数は変動し,成熟度に影響する。また成熟度は加入者に対 する受給者の割合で変動するため,受給者の死亡率の変動は成熟度に影響す る。

ただし,この死亡率の変動は,支給方法が年金形式であるかどうか,支給 期間が終身年金であるかどうかによって異なる 。確定給付の場合であれば,

そのほとんどが税制適格退職年金で,かつ終身年金によって運営されている アメリカとは違い,日本の退職給付制度は退職一時金制度と企業年金制度が 存在し,さらに企業年金制度には3つの制度,厚生年金基金と税制適格退職 年金,確定給付企業年金などが設けられている 。それぞれの制度の支給期 間の規定は異なっている。厚生年金基金は支給期間を終身とし,税制適格退 職年金,確定給付企業年金は5年以上とされている。終身年金の場合,平均 寿命の延びに相当影響を受けることになる。終身年金が義務付けられている

挙げられる。

17) ただし日本の企業年金では一時金で受け取ることも可能であり,一時金で支 払えば,退職一時金制度と同様に死亡率による影響は受けなくなる。

18) 他にも中小企業退職金共済制度などがある。

(15)

厚生年金基金の成熟度の高まりを示したのが,図表8である。

厚生年金基金は終身年金を義務付けられていることから,退職給付制度の 中で,近年の平均寿命の延びに最も強い影響を受けている。図表4から分か るように成熟度は右肩上がりに上昇し続けていた。代行返上が実施され,厚 生年金基金数が減少してから,一転して成熟度が減少している。この変化か ら,代行返上と成熟度に何らかの関係があることが伺える。

日本企業は,2つ以上の退職給付制度を併用している場合がほとんどであ る。そのため個々の企業が保有する退職給付制度の種類によって成熟度は左 右される。成熟度が退職給付制度の変更に関する意思決定と結びついている とすれば,所有する退職給付制度の種類によって退職給付制度の変更数に違 いが生じると考えられる。図表9は2002年度の時点で東証1部上場企業を,

厚生年金基金を保有している企業と保有していない企業との2つに分け,退 職給付制度間での移行が容易になった2002年度以降の退職給付制度の変更数 を集計したものである 。

図表8 単独型の厚生年金基金の成熟度の推移

(注) 成熟度は受給者に対し加入者で割ったもの。

(出所)企業年金連合会 (2006,p.139) のデータを加工。

19) サンプルの集計方法は後述するサンプルと同じ方法によって収集している。

(16)

厚生年金基金を保有する企業と保有していない企業とでは他の退職給付制 度に移行する選択肢や状況に違いがあり,移行に伴う条件も異なるため,単 純比較することは適当でない点もある。しかし,図表5を見ても分かるよう に確定給付企業年金へ移行する企業を含んだ退職給付制度の変更数は,厚生 年金基金を保有する企業が圧倒的に多い。

成熟度が高ければ暗黙契約の不履行を起こすインセンティブが強くなると すれば,集団的な行動と思える厚生年金基金の代行返上は,厚生年金基金を 保有している企業の成熟度が,保有していない企業と比べて高いことが影響 していると推測される。そこで次の仮説を設定する。

仮説1 厚生年金基金を保有する企業は保有していない企業と比べて成熟 度が高い。

仮設1を前提とすると,終身年金の影響により制度全体の傾向として厚生 年金基金は他の退職給付制度と比較して成熟度が高くなっており,厚生年金 基金を保有している企業は暗黙契約の不履行を生じさせやすくなっている。

図表9 厚生年金基金保有企業と非保有企業との比較

年度 退職給付制度変更数 (うち確定給付企業年金への移行)

2002 2003 2004

厚生年金基金保有企業 非保有企業

厚生年金基金保有企業 非保有企業

厚生年金基金保有企業 非保有企業

379 418 218 418 109 418

169 7 102 31 63 31

147 1 85 2 50 5

(注1)退職給付制度の変更は,確定給付企業年金,確定拠出企業年金,キャッシ ュ・バランス制度への移行,退職給付制度の一部廃止などを含んでいる。

(注2)厚生年金基金保有企業とは各年度末時点で厚生年金基金を保有している企 業である。非保有企業とは2002年度末時点で厚生年金基金を保有していな い企業である。

(出所)東証1部上場企業(金融業を除く)で3月期決算の企業を対 象 と し て

EDINET

に掲載されている各企業の有価証券報告書より収集した。

(17)

そのため,厚生年金基金の多くが代行返上を行ったと考えられる。

5.2 意思決定要因としての成熟度

制度全体として成熟度が高いとしても,当然のことではあるが,制度ごと に差が存在する。また成熟度がある一定の水準まで達したときに制度を変更 するインセンティブが生じるとしても,制度変更のコストが低くなければ実 行への障壁は高い。代行返上の他には厚生年金基金を解散するという手段も あり,実際にそれも制度変更の主要な方法の1つであるが,労働者の合意を 得ることは簡単ではない。

確定給付企業年金法の施行を待っていたかのように2002年度に東証1部上 場企業において1╱3以上の企業が代行返上の申請を行った(図表9参照)。

成熟度がこの退職給付制度の変更に関する意思決定に影響をもたらしている とするならば,この時点で代行返上した企業の成熟度は,しなかった企業と 比べて高いはずである。そこで次の仮説2が考えられる。

仮説2 2002年度に確定給付企業年金への移行を決めた企業は,そうでな い企業と比べて成熟度が高い。

6.リサーチデザイン

6.1 サンプル選択

厚生年金基金保有企業と非保有企業との成熟度を比較し,仮説1を検証す るために,退職給付制度間の移行がまだ可能となっていない2001年3月期

(2000年度)の財務データを用いる。そして仮説2を検証するために2002年 3月期(2001年度)の財務データを用いる。これは退職給付制度の変更の手 続きを行う場合,様々な諸手続きが必要であり,退職給付制度の終了や他の 制度への移行などの意思決定要因には前年度の状況が影響していると考えら れているためである 。

20)

Dʼ Souza et al.

(2006,

p

.15)

(18)

さらに対象企業は以下の条件を満たすサンプルを対象とした。

①わが国東証1部上場企業の3月期決算(銀行・証券・保険業・その他金 融機関を除く)で,決算期の変更が無いこと。

②連結決算数値を開示していること。

③SEC準拠企業ではないこと。

④2001年3月期から退職給付会計基準を適用していること。

⑤退職給付会計基準における会計処理で簡便法を適用していないこと。

⑥退職給付会計基準における会計処理で複数事業主に係る計算手法を適用 していないこと。

⑦期間中に合併していないこと。

簡便法は小規模(従業員300人未満)の企業において,特別に認められる 会計処理である。簡便法では保険数理の手法ではなく期末自己都合要支給額 により給付債務を算定し,各期の退職給付費用が計上される。複数事業主制 度とは,複数の事業主が共同して1つの企業年金制度を設立する場合をいい,

連合設立型厚生年金基金,総合設立型厚生年金基金,共同委託契約および結 合契約の適格退職年金制度が該当する。複数事業主制度を採用している場合,

自社の拠出に対応する年金資産の額を合理的に計算することができないとみ なされ,当該企業年金制度への要拠出額を退職給付費用として処理し,債務 をオフバランスすることができる。簡便法や複数事業主に係る会計処理を適 用している企業は,他の企業と同一の会計処理を適用しておらず,サンプル に含めるのは適当ではないため除いた。

代行返上に関するデータおよび財務データは,EDINETおよび各企業の ホームページ,決算広告に掲載されている連結財務データおよび注記項目よ り抽出した。

サンプル数は,仮説1においては799,仮説2においては375となった。仮 説1のサンプルにおける厚生年金基金保有企業は380,非保有企業は419とな った。仮説2のサンプルにおける代行返上企業は165,非代行返上企業は210 となった。

(19)

さらに仮説2におけるサンプルでは,厚生年金基金を廃止した企業,厚生 年金を廃止した上で確定拠出へ移行した企業,代行返上の処理と同時に別の 退職給付制度へ移行した企業などは,他の要因が影響している可能性があり,

代行返上のみを行った企業と区別して取り扱う必要があるため,対象から除 いた。一方,代行返上を行わなかった企業でも,退職給付制度の一部終了や 確定拠出への移行などを行った企業は除いた。退職給付制度の変更という意 味では同じ企業行動ではあるが,それぞれ別の要因が影響している可能性が あるためである。最終のサンプル数は2002年3月期のデータで342となった

(図表10参照)。

仮説1において,厚生年金基金保有企業⑴,非保有企業0とし,t検定,

Mann‑Whitney検定を用いて比較を行う。さらに仮説2においても同様に 代行返上を行う企業を代行返上企業⑴と代行返上を行わない企業を非代行返 上企業0とし,t検定,Mann‑Whitney検定を用いて比較する。

さらに厚生年金基金保有企業に対する検定では,統合したサンプルの他に,

業績により企業を分類して行う。Ippolito(1986)や,Ippolitto and James

(1992)らによれば,財政的な困難に直面している企業はそうでない企業に 比べて,暗黙契約を不履行とするインセンティブは強いと考えられている。

204 342

6 138 210

16 1 10

サンプルとする企業 最終のサンプル数

退職給付制度の一部終了の処理を行った企業 サンプルとする企業

代行返上を行わなかった企業 厚生年金基金を廃止した企業

厚生年金基金を廃止した上で確定拠出へ移行した企業 別の退職給付制度へ移行した企業

165 代行返上を行った企業

図表10 仮説2のサンプルの内訳

(20)

企業業績によって,暗黙の契約を不履行するインセンティブが異なる可能性 があり,企業属性をコントロールする必要がある。そこで,2002年度の税引 前当期純利益が01年度と比較して上昇している企業と,そうでない企業とで サンプルを分けて検定を行う。前年比利益増の企業は142,前年比利益減の 企業は200となった。

6.2 代理変数

成熟度を示す代理変数として,確定給付債務(Vested Benefit Obliga- tion:以下,VBOとする。)または累積 給 付 債 務(Accumulated Benefit Obligation:以 下,ABOと す る。)を 予 測 給 付 債 務 (  Projected Benefit Obligation:以下,PBOとする。) で割るという方法が挙げられる。これは 

年 金 資 産 の 積 立 の 意 思 決 定 要 因 に 関 し て 検 証 し たFrancis and Reiter (1987) や本稿において先行研究として取り上げたDʼSouza et al.(2006)で 用いられた代理変数である。

VBOは現時点において受給の確定している退職給付額を基礎とする概念 である。ABOは,VBOを包括する概念で現時点において勤務を提供した ことにより発生した退職給付額である。ABOは,従業員の過去の勤務に対 する給付の累積額である。ABOでは受給権の確定部分だけでなく,給付を 受け取るための勤務を提供したが,受給権の確定していない部分も含めて認 識する。PBOは,VBOとABOを包括する概念で,ABOにさらに将来の 昇給部分を加えた退職給付額である。

PBOに占めるVBOまたはABOの割合が大きければ成熟度が高いとい えるし,逆に割合が小さければ成熟度が低いと推定される。そのためPBO でVBO,ABOを割ることは,成熟度の代理変数として有効であると考え られている。

しかし,現在の日本の会計基準では,VBO,ABOは開示されていないた め,先行研究の代理変数を用いることは出来ない。そこで岩田(2002),上 野(2004)が用いた勤務費用╱退職給付債務を代理変数とする。式は以下の

(21)

通りになる。

Maturity=勤務費用╱退職給付債務

退職給付制度の成熟度が低い場合は,発生している退職給付債務に対する 勤務費用は相対的に大きくなる傾向にある。一方で退職給付制度の成熟度が 高い場合は,退職給付債務に対する勤務費用の割合は相対的に小さくなる傾 向にある。このような関係から,勤務費用を退職給付債務で割った数値を成 熟度の代理変数として用いる 。この代理変数は時間軸と逆の動きであるた め,成熟度が高ければ高いほど低い値(原点に近づいていく。)が算出され る。

7.検定結果と考察

21) 詳しくは,岩田 (2002) を参考にされたい。

図表11 仮説1の記述統計

N 最小値 最大値 標準偏差 0.035 0.570

‑0.012

Maturity

799

片側1%水準で有意

‑10.184

‑7.856 0.051 0.063 0.040

0.045

⑴<0 Maturity

 

Zt

中央値 平均

中央値 平均

仮説 変数

Mann‑Whitney t検定 検定

非保有企業0 N=419 厚生年金基金保有企業⑴

N=380

図表13 仮説1の検定結果 図表12 仮説2の記述統計

N 最小値 最大値 標準偏差 0.020 0.210

‑0.011

Maturity

342

 

(22)

上記のように仮説1,2通りの結果が算出され,両方の検定においてそれ ぞれ片側1%水準で有意な結果となり,仮説を支持する結果が得られた。仮 説1が検証されることにより,支給期間が終身である厚生年金基金を保有し ている企業が保有していない企業と比べて成熟度が高く,暗黙契約の不履行 を生じさせる状況に陥りやすいことが明らかになった。

さらに仮説2が検証されることにより,確定給付企業年金法が施行された 2002年度において代行返上を行った企業は,行わなかった企業と比べて成熟 度が高く,暗黙契約の不履行を行うインセンティブが強いということが明ら かになった。この結果は前年度に比べて税引前当期純利益が増加している企

<前年度比利益増企業>

‑2.984

‑2.884 0.036 0.045

0.040 0.039

Maturity ⑴<0

 

Zt

中央値 平均

中央値 平均

仮説 変数

Mann‑Whitney t検定 検定

非代行返上企業0 N=204 代行返上企業⑴

N=138

図表14 仮説2の検定結果

代行返上企業⑴ N=80

非代行返上企業0

N=62 t検定 Mann‑Whitney 検定 変数 仮説 平均 中央値 平均 中央値 tZMaturity ⑴<0 0.041 0.035 0.048 0.044 ‑2.120 ‑2.085

<前年度利益減企業>

代行返上企業⑴ N=76

非代行返上企業0

N=124 t検定 Mann‑Whitney 検定 変数 仮説 平均 中央値 平均 中央値 tZMaturity ⑴<0 0.037 0.035 0.043 0.040 ‑2.115 ‑2.235

片側1%水準で有意 片側5%水準で有意

(23)

業とそうでない企業でも違いは無かった。統合したサンプルと比較してやや 値が低くなったものの,統計的には有意な結果が得られた。企業業績による 結果の差は無かった。

8.暗黙契約の不履行に関する便益とコスト

本稿の結果から,終身年金が義務付けられている厚生年金基金を保有する 企業は保有していない企業と比べて成熟度が高く,暗黙契約の不履行を行う インセンティブが強くなり,厚生年金基金の代行返上が相次いだ可能性があ ることが示された。さらにそのインセンティブは,早期に代行返上した企業 において強いことが明らかになった。本稿の 結 果 は,Petersen(1992),

DʼSouza et al.(2006) などの先行研究の実証結果と一致し,退職給付制度の 変更に関する意思決定要因に暗黙契約の不履行が影響していることが示され た。

暗黙契約の不履行に関する便益とコストという視点から,代行返上をどの ように捉えることが出来るであろうか。暗黙契約が不履行とされた場合,従 業員の労働生産性は低下し,さらに企業の評判もまた低下する可能性があ る 。企業はこうした機会費用を考慮した上で,暗黙契約を不履行とするか どうかの意思決定を行うと考えられる。つまり,暗黙契約によって獲得でき る便益とその不履行により生じるコストを比較検討し,その便益がコストを 上回る場合には契約を不履行とし,コストが便益を上回る場合には契約は継 続される(図表15参照)。

厚生年金基金の変更方法には,代行返上ではなく厚生年金基金の終了とい う手段もある。しかし,その数は本稿のサンプルで15と,代行返上した企業 数156と比較すると少ない。多くの企業は代行返上を経て,新しい企業年金 制度を設定する手段を選択した。代行返上による制度移行は,これまで約束 していた給付の保証を反故にするものである。しかし,代行部分の返上後,

22) 企業の評判と暗黙契約との関係については

Kreps

(1990) などを参照された い。

(24)

従来の給付水準・保証内容ではないとしても,一定水準の給付と保証が新し い企業年金制度の下で確保されている。

厚生年金基金を終了する方が,代行返上と比べてより多額の年金債権を獲 得することが出来る。しかし,同時に厚生年金基金の終了は従業員や企業の 評判に与える影響は大きく,代行返上と比べて高いコストが生じる。つまり,

多くの企業が厚生年金基金の終了という手段を選択しなかったのは, 便 益<コスト であったためと推測される。代行返上を行った企業は,厚生年 金基金の終了に関しては 便益<コスト であったが,代行返上に関しては 便益>コスト であったと解釈できる。多くの企業は代行返上を従業員や 企業の評判に過度な影響を与えず,かつ便益を享受するための手段として用 いたと考えられる。

9.本稿の課題と意義

本稿では,成熟度と退職給付制度の変更に関連があるという結果は得られ たもののモデル化までには至っていない。暗黙契約の不履行は,財政的に困 窮 し て い る 企 業 に お い て 生 じ や す い と 考 え ら れ る。Petersen(1992),

DʼSouza et al.(2006) らが構築したように財政的要因と暗黙契約の不履行と を組み合わせたモデルを設定する必要がある。本稿の結果では,業績の悪化 している企業とそうでない企業とに差が見出せなかった。これはNiehaus and Yu(2005) がキャッシュ・バランス制度への移行について実証した結 

果と類似している。企業業績と代行返上との関係についてもより詳しく検討 する必要がある。これと合せて代行返上と株価・配当との関係を検証し,従

(出所)柳瀬(2002,p.97)を基に作成。

不履行による便益>不履行により生じるコスト:

暗黙契約の不履行(年金債権のデフォルト)

不履行による便益<不履行により生じるコスト:

暗黙契約の継続(年金債権の発行)

図表15 暗黙契約の不履行に関する意思決定

(25)

業員から株主への富の移転が行われているかを実証することも必要である 。 こうした課題はあるにせよ,本稿の結果は各企業における退職給付制度の 成熟化の進行が代行返上の意思決定に影響していることを示唆している。本 稿の結果に基づき退職給付制度の変更に関するモデルを構築することは,団 塊の世代が定年退職を迎え,今後ますます成熟度が高まっていく日本の退職 給付制度の今後を予測する上で役立つであろう。

わが国の人口構造は急速な高齢化が進行しつつあることから,退職給付制 度は公的年金を補完し,国民が老後を安定して過ごすための役割が期待され ている 。しかし,高齢化による影響を受けているのは公的年金だけではな く,退職給付制度もまた同様である。代行返上を多くの企業が行ったことは,

老後所得の負担を退職給付に担わせることの難しさを象徴している。

(筆者は静岡県立大学経営情報学部助教)

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23) こうした研究として,Alderson and VanDerhei(1992),

VanDerhei

(1987),

Mittelstaedt and Regier

(1990) などが挙げられる。これらの研究 はいずれもアメリカの企業年金制度の清算を対象としている。

24) 確定給付企業年金法の第一章の総則で,企業年金制度の役割期待について次 のように記載されている。 この法律は,少子高齢化の進展,産業構造の変化 等の社会経済情勢の変化にかんがみ,事業主が従業員と給付の内容を約し,高 齢期において従業員がその内容に基づいた給付を受けることができるようにす るため,確定給付企業年金について必要な事項を定め,国民の高齢期における 所得の確保に係る自主的な努力を支援し,もって公的年金の給付と相まって国 民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。今後の本格的な高 齢社会の到来を控え,公的年金を土台としつつ,老後の備えに対する自主的な 努力を支援していくことが必要である。

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参照

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