現代企業と従業員 37
現代企業と従業員
桜井克彦
1 序
2 イールズの責任論 3 従業員に対する企業責任 4 個人的権利尊重の責任 5 雇用維持の責任
1 序
企業が社会的存在を認められて存続していくためには,それは,その環境 を構成するさまざまな主体がそれに対して抱く多様な期待に応えていくこと を不可欠とする。企業環境の構成主体が企業に対して抱くかかる期待,換言 すると,環境構成主体に対して企業が負う不可避的な責務が,いわゆる企業
(1)
ないし経営者の社会的責任である。現代の多元化し複雑化した産業社会にあ っては,企業の環境構成主体の種類は多様であって,それ故,企業の社会的 責任というものの内容も広範かつ複雑である。企業が有するそのような社会 的責任の中の主要なものの一つに,その従業員に対する責任を挙げることが できる。本稿では,環境構成主体の,もしくはいわゆるインタレスト・グル ープの代表的なものの一つである従業員に対して現代の大企業が負う責務を 検討することによって,現代企業の社会的責任の内容解明のための一助とす
ることにしたい。
註(1)社会的責任を企業と環境諸主体との関連において理解する見解としては.高111磐
「経営の目的と責任」,昭和45年,を挙げることができる。
2 イールズの責任論
企業の内外をめぐるグループ,つまり企業環境の構成主体としては,従業
員,経営者,出資者,債権者,消費者,販売先,仕入先,同業企業,地域社 会,国家政府,一般大衆,等さまざまのものを挙げる乙とができる。乙れら のグループのうちでとりわけ従業員は,企業における機能的諸活動と経常的 かつ全人格的に係わり合っており企業の人間組織を構成するD 従業員は真に 企業の内部者であり,他のグノレープは経営者を除けば,たとえ出資者といえ ども,企業の外部者であるD かかる従業員は,その経済的生活および非経済 的生活の基盤のかなりのものを企業に置くに至っており,それ故,企業に 対するかれらの要求は,他のグノレープのそれとかなりに性格を異にしてい
る。
従業員が企業に対して必然的に提示するところの要求,つまり,企業が従 業員のために不可避的に受け入れねばならないところの責任は,その一般的
(1)
性格がイーjレズの所説のうちにある程度示されているO
イーjレズは,従業員 (employees)に対する企業責任についてかなり詳細 に検討しており,以下かれの検討の内容をみていく乙とにしたいD なお,か れにあっては従業員なる範時に社長をはじめとする経営者が含められている こと,すなわち,従業員は経営者的それと非経営者的それというこつの範時 に分けうるとされていることに留意せねばならぬ。
さて,イーノレズはまず,従業員に対する責任の一般的性格について述べ るD すなわち,第lに,従業員関係は,企業に貢献し要求する他のクツレープ に対する企業の関係とは根本的に異っているということである。つまり,ま ず従業員は組織の内部にあり,かれらから企業は広汎な忠誠を要求するO 吏 に,企業はかれらの生計の主要な源泉である。また,企業の性格によって規 定されると乙ろのパターンへと,かれらの生活の構造は編み込まれているの である。第2に,企業の統治における権限と命令の構造は階級制度的・命令 的であるか,民主的・自由的であるが,いずれの場合においても,その従業 員に対する企業の責任の中味は,留保もしくは移譲される権限の程度と種類 に従ってかなりに変わる。権限が社長室から下方に殆んど移譲されていない 場合には,全ての他の従業員に対するヨリ大きな責任は必然的に社長lζ置か れるのである。第3I乙非経営者的従業員l乙対して権限を適切に行使するとい
現代企業と従業員 39 う経営者的従業員の責任の存在は,両範明の従業員に対する企業責任の存在 を意味するoすなわち,企業は株式会社としての義務を果すためにその経営 者的人員の中に適切な命令の鎖を確立し維持することを期待されているので あって,その結果は,企業に対する非経営者的従業員の要求と経営者的従業
(2) 員のそれとの聞に大巾な相違が存在するという乙とであるD
つぎにイーノレズは,従業員とりわけ非経営者的なそれに対する責任の内容 に関して述べるo非経営者的従業員に対する企業責任は,かれらを代表する 組合に対する契約的義務によって複雑化されているが,他方,経営者的従業 員に関する企業の義務は直接に個人に対している。組合代表と経営者代表に 外部の裁定者を加えて,かれらの下で権利と義務の新しい一群が展開されつ つあり,非経営者的従業員に対する企業責任の完全な説明は,この新しい一 群における権利と義務とについての体系だったステーツメントを合むであろ う。一方での強い組合化傾向と他方での組合関係に関する専門経営者の発展 がみられること,また,その結果として大部の法が団体交渉協定から生じて いる乙とを考えると,非経営者的従業員に対する企業責任の中味は,主観的 な前提からの演律的推論によってでなく,この増大する法のうちに見出す乙
(3) とを期待すべきである。
ところでイールズは,続けて,いわゆる組織人の問題,すなわち企業への 従業員の服従の問題を企業責任に関連してとり上げるoかれは論ずるo団休 交渉を通じて組合が経営者の機能を徐々に侵害しているとしばしばいわれる が,大企業の支配形態が組合と経営者の共同支配形態となる可能性は考えら れず,今日の経営者的従業員は,会社と組合を越えた多くの多様なグループ の利益をバランスさせねばならないという立場をとっている。この乙とは,
利害関係者の利害のすべてを見積りそれらの公平な保護のための適切な政策 を取締役会に勧告するという義務を会社が経営者的従業員にますます課して いることをな味する。かかる傾向の一つの結果は,非経営者的従業員lこ対す る適切な権限の移譲の責任をば経営者的従業員に負うことを取締役会が認識 していることである。ここで企業政策の真実の戦場に到達したのであり,そ れは組織人対個人の自由という問題をめぐる闘争の坊であるo かかる闘争の
結果は,なんらかの形態の内部立志制の確立であるかもしれず,権利条顎お よび他の憲法条項の下で会社権力から個人を保護するための司法的検閲の拡 張であるかもしれない。いずれの場合も,問題の要点は手続的な問題,すな わち,会社権力の乱用からの救済手段を提供する会社統治プロセスの開発で ある。
大会社の官僚制度は,政府におけるそれに強く似ている。両者ともにサー ビスの継続と活動の効率性との必要が大組織の解体を阻んでおり,大組織が 現に存在しているのであるが,しかしながら,その内部的統治構造はパプリッ
クの必要が命ずるとき変更を受けるのであって,その人員に対する大組織の 責任を画くに際しては管理的でもあり政治的でもある理論領域に入り込むの であるo行政の場合には,国益が主要視されていた2・3年前と異って,そ の公務員の忠誠心調査・等をめぐり国益と個人の自由との対立が社会の関心 を集めるに至っている。企業の内部においても,これまで存続と成長なる企 業エンティティの要求に重点、が置かれていたが,序々にこの正当な要求と個 人的従業員に対する人間的配応の要詰との聞にバランスが達成されるであろ うo この場合,団体交渉協定の中に具体化される従業員の権利によっては,
かかるバランスは部分的にのみ反映されるであろうo経営者的従業員にとっ てはそのような契約は,会社政治における正義の用具とは殆んどならないで
(4) あろうからo
なおイーノレズは,従業員の個人的自由の問題への十全な接近のためには,
そのメンバーに対する組合の権力の問題を考慮に入れるべきことを指摘す るo従業員の全体的な生活に深く影響する,企業内のあらゆる決定に組合は 参加しているD 遅かれ早かれその従業員に対する会社の責任の全体的問題は より大きな準拠枠の中で作り直されねばならぬという結論が不可避であるよ うにみえるo経営者の特権についての一般化の縮少と,経営者の義務範囲に ついてのより入念な限定とが,一つの結果であろう。他の結果は,そのメン ノイーに対する組合権限の制限であろうo個人的労働者の観点からは,そして 自由社会における市民の観点からは,問題は,会社暴政の危険のみならず,
なんらかの組織による人間の生活への専制的コントローJレの危険であるo専
現代企業と従業員 41
制的な使用者と専制的な組合の間で選択をしなければならない社会は,殆ん ど自由社会ではない。従業員に対する企業責任がとり上げられねばならない
(5) のは,かかる大きな準拠枠の中においてなのであるo
以上がイーノレズの所説の概‑要であるD イーノレズは従業員なる範酵を広く解 して経営者をもそれに加えているo経営者も従業員も,いずれも,その内容 は異るにしても労働サービスを企業に提供しており,また,その生活の経済 的基盤,更には生活構造全般は企業に密接に結びついているのであって,乙 の意味では経営者を従業員の範百三に含めることは適切であるかもしれない。
しかしながら,イーノレズも認めるように,経営者は従業員と異って,企業の 主体者として利害調整者の役割を遂行しているのであって,現代の経営者に みられるかかる特質を念頭に置くとき,経営者と従業員を別の範院に区分す ることが適切であると思われるD それはともかくとして,イールズの責任論 を眺めるとき,まず明らかになることは,かれが従業員に対する企業責任と いうものを客観的,事実分析的な形で論じていることであるo企業の主任を 科学として論ぜんとする限り,それは規範としてでなく必然的な論理として 展開されねばならない乙とはいうまでもないのであって,イーノレズの論理辰
(6) 開はこの点では適切であるといわねばならない。
問題は現代の企業に課せられている必然的な責任の具体的内容であるが,
イールズはそのようなものが現実の労働協約の内容の検討のうちに知られう ること,および,企業への従業員の精神的・肉体的従属の問題がすぐれて企 業責任の一端を構成するに至っている乙とを指摘するo責任内容をめぐるイ ーノレズの所説を眺めるとき,企業が呆さざるをえない種々の責任の梗概は明 らかとなるように思われるが,それにもかかわらず,かれの見解は未だ具体 性を欠いているといわねばならない。次節では,責任の内容について更に眺 めることにするo
註(1) Richard Eel1s, The Meaning of Modern Business, 1960. (2) Ibid., pp. 236,...,.238.
(3) Ibi d., pp. 238,...,.239. (4) Ibid., PP.239"""242.
(5) Ibid.. pp. 242~244.
(6) 社会科学としての経営学の性格については,筆者は拙稿「現代企業と存続目 標J.径営と経済, 123号,において簡単に論じている。
3 従業員に対する企業責任
それでは,その従業員に対して企業が負うところの責任とは,具体的に は,どのようなものであろうか。多くの論者が従業員に対する企業責任の具 体的内容について触れており,かれらの間でかなりに志見の一致がみられる といっても差し支えない。しばしば,経済的な程類の企業責任として,賃金 をめぐる責任が,また,非経済的な種類の企業責任として,仕事の満足をめ ぐる責任が主張されるのであって,かかる主張の一例としてケイスらの所説 を指摘することができるo従業員に対する企業責任の基本的な性格と具体的 な内容とについてのかれらの所説は極く簡単なものではあるが,それは以下 のようである口
労働者に対する責任の基本的な性格について,ケイスらは,法律は労働者 に対する事業家の責任のある局面を確認しており,企業はかかる最小限の責 任を受け入れるべき義務をもつが,しかしながら責任はそれにとどまらない ことを,また個人の仕事はかれとその家族の生計の手段ならびlこかれの満足 の第一次的な源泉であって,されば労働者に対する企業の義務は企業責任の 他の局面に比して,多少異質にしてヨリ喫緊の範時に属することを指摘す
(2)
るD そして,かれらは,政策々定に際しての事業家の第一の仕事が労働者の 生活に対するその政策の影響を真面目かっ正直に考慮に入れることであっ て,その際には,物質的ベネフィットと賃金計画を超えて,人事政策の心理 的ならびに社会的な意義が,つまり人間関係が考慮されねばならないとす る。人間関係の問題は,経営者が生産労働者との直接的な接触をますます欠 きつつあるような時代には,また経営者のそのような関係が個人よりも労働 者集団とのそれとなりつつあるような時代には,とりわけ重要とされるので
(3) あるD
現代企業と従業員 43
そしてケースらは,労働者に対する責任の明細に関しては,責任の概念は 動的なものではあるが,立派に運営される企業で今日:受け入れられている責 任の範囲を述べることは可能であるとして,賃金,休暇,仕事の満足,等を 挙げている。これらの責任についての,かれらの説明はつぎのようである。
まず,賃金についていえば,企業は労働者に生活賃金を支払う責任をも ち,それを法律で要請されているが,しかしながら,かかる賃金政策は,少 くとも経営者の他の金銭的責任と両立しうる程度に,労働者の生活を出来る 丈十分たらしめることを目指すべきであり,過去においてはこの原理は,賃
(4) 金の者実な増加と週間労働時間の減少とを意味してきているo
休暇に関しては,米国の法律は使用者が従業員に有給休暇を与えることを 要請していないが,労働者は有給休暇の権利をもっと感じており,大部分の
(5)
事業家も同意するD
職務の満足に関していえば,米国の場合,その物質的な繁栄は人間の大き なコストの下で達成されており,個々の労働者は余りにもしばしば,個性も しくは認識をもたない名なき実体となっているのであって,産業における課 業の多くは卑小にして,創造的思考もしくは熟練的な肉体的操作のための機 会を殆んど提供しない。個々の労働者は,着実に規模を増大する機構の中 の,ますます小さな歯車となっているのである。
心理学者は適切な自己表明に対する人間の要求を認識してきているが,労 働はそれが人間の時間の多くを占めるが故に,他の活動以上に自己表明の機 会を潜在的に提供するD されば,人間の心理的満足における職務の役割は顕 著となるのである。大部分の人間はなんらかの才能をもち,もしそれが用い られず評価されないならばかれらは当然に挫折感を感ずるのであって,より 惑いことには,産業において有利に用いられうる才能の浪費が存在するので
(6) ある。
その他の責任についていえば,経営者は今日,その労働者に対して,作業 上の傷害の補償,失業補償,および退職基金に関してなんらかの責任がある
(7)
と考えられており,法律もそれを認めてきているo
なお,ケイスらは,企業がその労働者に対する責任をもっこれらの基本的
領域が,われわれがやっと把握を始めつつある問題の中の小さな要素に過ぎ ないこと,および, もしわれわれが現在の企業構造を維持せんとするならば 企業は人間の諸要求(語の最も広い意味で定義されるそれら)を充すに適切 な,労働者の職務情況をそれ自身の内部にいかにして創造するかを発見せね
(8) ばならないことを,指摘しているD
従業員に対する企業責任をめぐるケイスらの見解は,上述の如くである。
それはかなりに通説的なものであるといえようoすなわち,他の論者を挙げ (9)
るならば,例えばゴイダーは,そのような責任として,第1~乙,従業員が地 域社会の構成員の一員でもあるところから地域社会に対する企業責任の履行 を,第2!乙,高賃金と短時間労働,より良き地位,労働の目的と結果に対す るより大なる意義,ある程度の経済的保障,および仕事に対する従業員の支 配の増大を挙げる。なお,経済的保障に関連して失業補償基金の設定の必要性
(10)
が指摘されるD コ、、イダーの挙げるこれら2程の責任のうちの第1の範時のそ れを対従業員責任の内容に合ましめることは,従業員と地域社会をひとまず 別個のインタレスト・グループとして取扱いうる以上,必ずしも適切とは考 えられない。それはともかくとして,第2の範時の責任についていえば,ケ ースらの主張における諸責任は,それとかなりに共通する内容をもっといい
うるであろう。
さて,イーノレズ,ケースら,更にはゴイダーの諸説のうちにも明らかな如 く,従業員に対する企業責任には,経済的な性格のそれから非経済的な性格 のそれへとわたる広汎な種類の責任が存在するが,結局のところ,企業がそ の従業員に対して呆さざるをえなくなりつつある責任としては 2つの範時 のものを挙げることができょうロ一つの範時は,経済的・貨幣的・物質的な 種類の責任であり,他の範時は,非経済的・非物質的な種類の責任であるG
前者の責任は従業員の金銭的・物理的な欲求と係わりあい,後者の責任は従 業員の精神的な欲求と係わりあう。責任の範鴎についてのかかる区分はかな りに便宜的であり,企業責任のあるものはそれをいずれか一方の範時に明確 に帰属せしめるのが困難ではあるが,しかしながら,上述の区分は責任の内 容についての整理に際して一応の意義をもっと思われるo
現代企業と従業員 45 まず,企業は,第1の箱時の責任,つまり主として経済的な種類の責任に 関しては,雇用の維持,賃金と労働時間,福利厚生施設,退職・疾病・労働 災害に対する保障,作業環境,有給休暇といった面で責任を負うo これらの 責任は,企業が積極的にその履行を心掛けねばならぬところの,いわば積極 的な種類の責任である。企業が基本的には社会の経済的な機関であり,第一 次的にはそれは一面では財貨と用役の提供を,他面ではその所得の分配を行 なっていることを,また,現代の大企業にあっては特定企業の存続・発展に 多数の従業員がその経済的厚生を依存するに至っているととを考・えるとき,
経済的な種類の諸責任,とりわけ,服用の維持の責任および賃金の増大と公 正支払の責任は,従業良に対する企業責任の大宗を構成するとみて差し支え ないであろうO
つぎに,非経済的な責任の箱崎に関しては,企業は従業員に対して仕事の 満足,機会の提供と公平な入手,個人的権利の尊重といった面で責任を諒せ られているといいうるD 従業員に対する責任の主たるものが経済的性格の責 任であることは否定しえないが,しかしながら,従業員がその生活のかなり の部分を企業との直接的な係わりあいの中に過している以上,仕事の満足,
等の非経済的な性格の責任もまた軽視しえないであろう。かかる非経済的な 責任には,仕事の満足に関する責任の如き,いわば積極的な程類の責任と,
個人的権利の尊重に関する責任の如き,いわば消続的な種類の責任つまり企 業に対する禁止的な責任とに大別されうるとともに,それは,ある芯味で は,従業Hの自由をめぐる責任として要約しうると思われるD イーノレズやケ ースらが指摘するように,これらの非経済的責任は,企業権力の問題ないし 組織への従属の問題,またいわゆる人間疎外の問題が生じてきている現代企 来にあっては,ますます怠義を増大しつつあるといわねばならない口
以上のような経済的ならびに非経済的な諸責任が現代の大企業にあっては 問題とされるに至っているのであるが 4節および5節ではこれらの責任の うち,応用維持の責任および、従栄員の個人的権利に関する立任について更に
I食言すを加える乙とにしたい。
註(1) Lyman A. Keith and Carlo E. Gubellini, Introduction to Business Enterprise, Second edition, 1967.
(2) Ibid., pp. 596'"'‑'597. (3) Ibid.,p.597.
(4) Ibid., p. 597. (5) Ibid., pp. 597'"'‑'598. (6) Ibid., p. 598. (7) Ibid., p. 598. (8) Ibid., pp. 598'"'‑'599.
(9) George Goyder, The Responsible Company, 1961 (喜多了祐訳「第三 の企業体jJi!J‑‑一大企業の社会的責任‑J,昭和38年) .
(10) 同訳苫, 31 頁~57瓦。
4 個人的権利尊重の主任
前節では,現代の企業が果さざるをえない必然的な程類の責任として,そ の主要なものを列挙した。むろん,乙れらの責任以外にもさまざまのものが 存在すると思われる。ところで,上述の必然的な諸責任は,大別して経済的 な種類のそれらと非経済的な程類のそれらとに分類しうる。今日の資本主義 経済社会における巨大企業にあっては,経済的な責任の重要性はむろんの 乙と,イーノレズやケイスらが強調するように,非経済的な責任の重要性もま た看過しえない。非経済的な責任のうちでも,個人的自由の尊重と促進の責 任の重要性が強調されねばならないのであるo
現代は大組織の時代であり,個人に対する組織の権力の問題,ないし,組 織への個人の従属の問題が社会的関心を集めるに至っているのであって,企 業にあっても従業員の個人的権利および仕事の生き甲斐をめぐる責任が,企 業自身にとってのみならず従業員にとっても意義を増している。されば本節 では,個人的権利尊重に関する責任を中心にこの程の責任について検討を加 えることにしたい。乙の種の責任は,前述のイーノレズをはじめとして,現代
(1)
の大企業の権力ないし支配力に関心を寄せる諸論者によって考察が加えられ
現代企業と従業員 47 (2)
つつあるが,ここではデヴィスらの所説に従って検討を進めたい。
デヴィスらは,従業員が一人の個人的人間としての役割において企業なる 組織と関係するときに生ずる問題を検討している。従業員は,固有の尊厳,
統合性,独立性,およびプライパシイの権利をもっ人間でもあり,乙の役割
(3)
においてはかれは企業の外部者であり,企業環境の一部なのであるD
さて,デヴィスらは,個人的人聞が組織に対してもつ関係を理解するため には,個人が組織になにを期待するかを一般的な方法で調べることが必要で あり,かかる一般化は個人が顧客であれ,地域社会の住民であれ,株主であ れ,妥当するとみており,かれらは,通常の場合に個人は組織とのその社会 的な取引に際しては3程の基本的なペイオフないしベネフィットを要求する とみるO 獲得されうるところのそれぞれのベネフィットが多い程,他の事物 が等しい限り,関係は個人にとり上首尾なものとなるo かれらによると三程 の要求とは,改善(これは,個人が組織と関係するに際しての心理学的な目 的である) ,独立性(協力に際して要求される個人的対価である) ,および
(4) 公正(組織に関係するに際しての社会的基準である)であるO
これらの要求について更に眺めるならば,まず,改善とは,個人が組織の 相手方となる乙とを選ぷ基本的な理由である。自己の役割投資に対してかれ は,自分をその目標により近づけるところのペイオフを期待するO 改善は,
機会,貨幣,認識,および個人的開発のごとく,かれが受ける報酬の観点か ら表わされる。良き製品と利潤とは,それぞれ顧客および所有者に対する改
(5) 善であるD
独立性とは,人がその協力と引き換えに組織に対してなすところの基本的 な要求である。かれは自身の全てを与えようとはしない。かれは,自身のイ ニシアティプ,自己決定,およびプライパジイのために幾ばくかを留保する のであり,組織との相互作用に際して幾らかの,行為の自由を主張する。か れは,自身により多くの独立性を与えるような組織実践を求めるoそれは,
人間としてのかれの自然的街勤であるのみならず,かれの文化的遺産の一部
(6)
であるD
公正とは,組織とのその関係を継続するためにひとが組織から期待すると
ころの処遇に関する基準である。公正は,集団生活をがまんできるものたら しめるのであり,それは,組織の行為における公明正大さ,道理,および思 慮分別に基礎づけられるo それは,集団とのその取引に際して個人を保設す るが故に,人間の尊厳に対して実体と意味を与える口それは,組織の結合を 自発的協力のうちにもたらすものであり,ひとはたとえ独立性と改善の面で は良好な状態にあるとしても,もし不公正を蒙るならば組織への役割投資を やめるであろう口
ひとが組織から典型的に求めると乙ろの公正とは,投資と報酬の聞のバラ ンスに関する分配正義であって,一般に,投資と報酬が一致していないなら ば,ひとびとびとは情況が公正を欠いていると感ずるのであるO 公正とは他 者との社会的比較であって,他者の受領分の変化は,自己のそれと同様に,
ひとに不公正感をもたらしうるとともに,公正はまた,歴史的な基盤をも っO ひとは,過去におけるその貢献分および受領分と,現在におけるそれら との聞にある関連が存在すべきであると感ずる。公正な組織は,歴史との関 連において,ならびに他者の投資およびベネフィットとの関連において,各
(7) 人の投資をベネフィットに関係せしめるo
ところで,組織は一般に,個人が有するこれら3桓の要求に応えねばなら ないのであって,乙の乙とは企業なる組織に関しても同様であるロしかるに 近年,個人と組織の間の関係の妥当性が,独立性なる個人的要求をめぐって も論議せられていることは,周知のごとくであるD すなわち,個人の自由と プライパシイへの組織による侵害が,大組織とりわけ大企業をめぐって社会 的な問題となっており,それはいわゆる組織人をめぐる論議をもたらしてい るoデ、ヴィスらに従うならば,組織人の問題,とりわけ企業への従業員の従 属をめぐる問題は,以下のように理解される。
まず,デヴィスらは,いわゆる組織人なる主題に関して検討を加えてい るO ホワイトをはじめとする諸論者によって組織人なる概念の提唱と組織人 に対する批判とがなされていることは周知のごとくであるが,これらの論者 の基本的な主張をデヴィスらはつぎのごとく説明する。組織人の概念の基底 にあるものは,独立性に対するその要求を脅かすような方法での,個人によ
現代企業と従業員 49
る組織への服従であってホワイトは,心からの献身と忠誠とに対する組織の 要求を合理化せんとして析しい社会的倫理が展開されてきていることを批判 的に述べているが,組織人の概念が全体社会に適用されるとき,その結果 は,個人が着実に意義を喪失するようになるにつれトータjレ・システムが完
(8)
成するところの,社会についての昨の巣モデルなのである,とD かかる組織 人概念に対して,デヴィスら自身はそれが一面の真理をもつも,必ずしも全 面的妥当性はもたぬとみる。かれらはいうD
「組織人なる主題には,真実の要素が存在するo個人の目標と組織のそれ とは異っているD しかし,乙のことは,話の一面に過ぎない。ひとびとは組 織を必要とするO 組織なくしては,現代の社会的目標の多くは達成できな い。……個人もしくは組織のいずれかが勝ちを占めねばならぬような究杭的 な対立は,存在しない。むしろ,個人により良く奉仕するために組織をば改 善しうるよう,絶えず組織を再評価する必要が存在するのであるo
残存する差異は必ずしも望ましからざるものではない。個人は挑戦を通じ て開発されるO したがって,いくらかの差具は心理学的ならびに社会的には
(9)
健全たりうるのである。……」
なお,デヴィスらは,組織人の問題ないし服従の問題が企業にのみ固有で
( 10)
もなければ,また大組織にのみ固有でもないことも指摘するO
以上のような形で,デヴィスらは組織人なる主題について検討を行なって いるD そしてかれらは,組織人なる主題はときどき誇張して述べられる乙と があるにしても,それは,個人の自由とプライパシイとへの最小の佼入を伴 って組織が社会の必要に奉仕するよう警戒せねばならならない乙とを,示唆 しているとみる。すなわち,かれらは,従業員 lに乙対する組紘の影1ヂ特F開巧~I~ の正当↑
l
に乙関してつぎのようlにζ論i設足を巡める。
はじめにかれらは,服従とは独立的思考なく他者の規範に依存することを 怠味すること,また,集団の規範に対する其の服従を眺めた;場合,ひとが服 従する集団には組織それ自身,非公式的な作業集団,および外部の共同社会 という 3程のものがあり,はじめのもののみが組織に対する服従であること
(11)
を指摘するD そして,組織の影詳の限度と正当性を明らかにするために,
組織により 生ずる彩響
、 、 、 、 、 ¥ 回オt臼 、八二戸川ρ
、
¥ ¥ 、私的 動機 職務無 関連的 実質的./ .‑‑t ‑ 職務¥ 関連的// 職務上 護合的
ノ ノ / / / / ノ / / / ¥ ノ'最も正当性がないことが明白に定義しうる領域 仁J 情況により定義しえない領域
現代企業と従業員 51 組織の影響が正当であるような領域について図のごときモデノレを示してい
( 12) る。
かれらによると,図は,研究と経験の両者を反映するところの,正当性の システムを示している。システムにおける項目が高次であるほど,その項目 に対する経営者の影響を従業員と社会とが疑問視する確率は増大する口シス テムはレーチンな整合的要請が最も容易に受け入れらるこれとを示してい る。実質的な諸項目は,必要とされる作業の特質のごとく,経営者による職 務の諸選択とより直接に関連するO しかしながら,行為と職務との結びつき がよりあいまいになるほど,正当性の受け入れはより少くなる傾向にある。
職務外のふるまいに関して更にいうならば,その望みを強制するために懲戒 的権力を組織が行使するという権利に関しては,われわれは,職務外の従業 員のふるまいに対しては懲戒的権‑力を行使しえないという前提で始めること
( 13)
ができるo もっとも,区分科lを引くことは困難である。
ところで,デヴィスらはまた,企業への服従に関述して,従業員以外のひ とびとをも含めてそのプライパシイの権利について検討を行なっている。か れらはプライパシイの権利に関していうo 図は,正当性が最も少ない領域が 私的な思想・志見・動機である乙とを示している。この文脈でのプライパシ イとは,個人の私的な(非会社的な)活動をよりも,かれの私的な人間もし くは精神をより指している。従業員,顧客,および他のひとびとは,自分注 の宗教的,政治的,ならびに社会的信条が自身の内なる自己の部分であり,
職務の獲得もしくは遂行のための必要条件として調査されたり分析されるべ きでないと信ずる口同様の見解は,個人的な会話K,ならびに,会社の休 憩室や個人の家庭のごとき個人的な場所にも妥当する。職務への係わりあい がはっきりと証明され,証明の義務が会社にあるような場合にのみ,例外が
114) しぶしぶ許されるのである,と。
デヴィスらは,プライパシイの権利について問題が生ずるいくつかの傾域 として,うそ発見器,性格テスト,感受性訓練,医学的調査,監視,機密記
( 1
銭の取り扱い,および個人の住居への頼まざる郵便を挙げている日o はじめの 4程の領域はとりわけ従業員に関連し,後の3科:は主として顧客に関迎する
が,従業員関係の諸領域のうちのいくつかについて簡単に触れるならば,ま ず,うそ発見器は,その正当性がしばしば疑問視される用具であり,いくつ かの州では雇用の場におけるその使用を禁じているO 性格テストの使用と乱 用も等しく問題となっており,社会的責任についての重大な問題を生じてい るO 乱用是正のために法規が期待されるかもしれず,多分,行為と区別され る私的な劫機の権利を保障するために,従業員の権利条唄が必要であるかも しれない。感受性訓練は単なる集団的訓練方法であるかもしれず,集団lこ自 己の精神をむき出しにするところの高密度の情緒的な集団的会合を用いるか もしれない。もし後者であれば,それはプライパシイの侵害である。もし感 受性訓練が特別の地位と利益への道となるならば,そしてそれを欠いている ひとびとが昇進から外されるならば,かれらは自分達がプライパシイの侵害
(16) であると信ずるものに従うことを強制されつつあるのであるO
上述の諸領域においてプライパシイへの侵害が存在するかの判断について は,デヴィスらはつぎのようにいう1"情況には多くの種類のものが存在し ており,そのあるものはプライパシイへの侵害を恐らく構成するが,他のも のはそうでない。プライパシイ侵害の程度の決定を助けるために 4つのテ ストが用いうるであろうD 第1は,方法がうそ発見器や性格テストの如く,
精神を侵害しないかであるO 第2は,方法が不必要に秘密ではないかという ことであるD 諸会社が種々のタイプのコントロールのために常規的にテレビ
・カメラを用いつつあるが, しかしそれは,秘密ではない作業観察であり,
されば従業員は自分がみられているかどうかを知るという,そしてもしかれ が望むなら装置に挑戦するというなんらかの機会をもっている。第3のテス トは活動もしくは用具が,偶発的にして第二次的なプライパシイ侵害を伴い つつ,すぐれて公益的な目的(万引の観察の如き)に奉仕しているかどう かであるD 第4は,私的な行為もしくは居所が観察されつつあるかどうかで あるO この基準に従って,更衣室の隠しカメラやマイクは非難されてきてい
( 17) る。」
デ、ヴィスらは,以上のような形で個人に対する組織の責任を論じている が,没後lこかれらは,組織に対する個人の責任についていうO
現代企業と従業日 53
「組織に対する個人の関係、は典型的には,相互的な社会的取引であり,そ して相互的責任がそのような関係から生ずるo もしいずれか一方が他者の必 要に向って,責任あるように行動しないならば,この相互的関係は悪化す るロ個人が相対的な自由をもっところの進んだ文明は,その諸組織によるの みならずその諸個人による責任ある行動の上に樹立されているD 例えば,個 人による組織からの盗みは,組織による個人からの盗みと全く同様に,無責
(18) 任であるoJ
「個人と組織のそれぞれに対する相互的責任を包括的に反映するところの 言葉は,統合性(Integrity)であるo統合性の概念は,二つの別の語怠に 当てはまるD 第lは,社会的取引におけるそれぞれの側は他者の統合性を尊 m.することを必要とするのであり,そのことは他者の個性と社会的機能を受 け入れることをな味する口第2は,それぞれの側は,他者とのその関係にお いて統合性を実践することを必要とする口乙の文脈における統合性とは,そ れぞれがごまかしと浅薄さなしに公開的にして責任ある方法で行動すること を意味するO もし両者が統合性をもって応えるならば,かれらは投入に関連 してより大きなベネフィットを展開することが可能であろうし,そして社会
( 19) はかれらに対する多くの社会的なコントロールを緩和しうるであろうoJ
つまり,デヴィスらは,個人と組織の間の相互取引が相互的責任をかjり出 し,そして,これが統合性をもって果される場合には,相互的ベネフィット が支配的となるにちがいないことを指摘するのであって,結局,つぎのよう な言葉でかれらの所説を結んでいる。 ‑r最終的な分析においては,われわれ は組織をば,個人を制限するためにのみならず個人を開放するために用いう ることを知るのであるo{9IJ えば,共和 ~ìlj 支配なる,より洗練された構造は,
( 2日 ひとびとを玉による専制的支配から開放したのである。」
デヴィスらは,企業組識に対する従業員の従属の問題をめぐって以上の如 く論じている。かれらは,なかんずく規律維持に対する組織の要求が,さま ざまな形で従業員の肉体的ならびに精神的な自由を拘束していることを指摘 するo そして,かれらは,自由への拘束に対する正当性が幾つかの領域では 欠如するか疑問視されており,かかる領域においては企業は,自由をめぐる
従業員の個人的権利に対して考慮を加えることを不可避的たらしめられる傾 向にあることを主張するO なお,その際にかれらにあっては,とりわけプラ イパシイの権利に対する企業責任が強調されるのであるD
デヴィスらの所説は,仕事の満足の提供をめぐる企業責任の問題にも触れ てはいるが,それは主として,いわば抑圧からの自由に対する従業員の個人 的権利を強調するものであり,かかる権利への考慮に関する企業責任の重要 性を指摘するものであるO そ れ は と も か し 現 代 の 複 雑 化 し 変 動 す る 環 境 の中でその存続を指向せんとする巨大組織は,その構成員に対して従属をま すます要求するに至っており,されば,デヴィスらの強調する従属に関する 企業責任は,その意義を増しつつあるといえようO もっとも,組織への従属 をめぐる責任のうち,プライパシイの権利を中心とする責任はともかく,仕 事に対する個人の主体性の実現に係わり合うようような,あるいは仕事への 生き甲斐の充足に係わり合うような責任については,企業によるその十分な 遂行はなかなか困難であると忠われるO 現代の企業にあっては生産工程の大 規模化・専門化・自動化は企業活動の制御のためのシステム概念の導入と相 まって,製造をはじめとする多くの企業機能の分野で職務の規固化を不可避 的に招来するに至っているからである口
註(1) 現代企業の支配力に関しては,拙杭「現代企業と支配力J.経済科学.17巻2 号,を参照のとと。
(2) Keith Davis and Robert L. Blomstrom, Business, Society and En vironmen t. 1971.
(3) Ibid., p. 148. (4) Ibid., p. 149. (5) Ibid., p. 150. (6) Ibid., p. 150. (7) Ibid., pp. 150""'‑'151. (8) Ibid., pp. 151""'‑'152. (9) Ibid., pp.152""'‑'153. (
10) Ibid., pp. 153‑‑‑‑154.
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(11) Ibid., pp. 154,....,155. (
12) Ibid., p. 156. (13) Ibi d., pp. 156""" 157. (
14) Ibid., p. 158. (
1
日 Ibid.,pp. 158,....,162. (
16) Ibid., pp. 158,....,160. (
1引 Ibid.,p. 162. (
18) Ibid., p. 163. (19) Ibid., p. 163.
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(抑 Ibid., p. 163. このことに関連してデヴィスらは他のところで,従業員の個性 を促進し組織への従属を減少せしめると乙ろの多くの経営実践が展開されている ことを指摘する。かれらによるとかかる経営実践の一つの範隔は,組織梢造の修 正であり,この例としてはマトリックス組織,組織なき管理 (nonstructured management) ,および,より古い方式であるが,分権制が存在する。マトリ ックスキ且~~とはフ。ログラム・マネジメントもしくはフ。ロジェクト・マネジメント
としても知られており,それは技術工学および科学の諸領域でその有効性が証明 されている。マトリックス組織では生産プロジェクトに関する責任を,企業の機 能的諸分野から派遣されるプロジェクト・マネジャーが担当するのであって,マ トリックス組織は組織のより高いレベルのひとびとに対しイニシァティブと自己 劫機づけの柿四を拡げる。組織なき管理とは,ある電子装置製造企業でとりわけ 成功を納めている生間管理方式であって,組立ラインを廃止して怒っかのグルー フ。!と生慌を自由にまかせる方式である。分fMI;I]では,企業のポリシイへのも服 f述。は依然として必要とされるが,執行上のより大きな独立性が可能となる。経 常実践の他の施陪は人事面の実践の改苦二であって,人間関係論的な実践,コミュ ニケーションの改善,参加,助言的監評といったものがそれである。例えば,ス キャンロン・プランは, 目恨の自己設定を通じての従業員による参加を可能にす る。マイナスをももっ他の例としては,感受性iViI純ないしTグlレーア。訓練,もし くは宍験室訓練を挙げえ,これは環境よりも人imを変えようとずるものである
(K. Davis and R. L. Blomstrom, Business and Its Environment, 1966, pp. 141~143) 。