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『金色の眼に映った反映』

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(1)

『金色の眼に映った反映』 

―A Gothic & Neo‑Freudian Novel―

 〈はじめに〉

 最初の長編小説であり彼女の出世作となった「心は淋しき狩人」 (.MyH6απi5α Loπ6砂H〃刎6γ1940)に出版許可がおりた1939年, C.マッカラ遥ズは「金色の眼に映っ

た反映」 (Rげ1θ6廊。π5伽αGo146πEy61941)に野心を燃して取組んだ。「狩人」が 世界的な不況とナチズムの箆頭,それに国内的に黒人問題を抱え,暗雲のたちこめた30年 代のアメリカを背景に孤独な人々の魂を凝視し,魅力的な人物群を創造したのに対し,

「反映」はアメリカ南部のある陸軍基地を舞台にしたグロテスクな絵物語であるq)。進歩 主義的批評の立場から,また道徳的保守主義の立場から観れば,それぞれ後退であり,頽 廃と考えられるこの作品の意図が何であったのかを考察してみる。

1. 『反映」とGothicism

 「反映」はゴシック小説と称されるがゆえに(2), Gothic grotesque の語源ならびに歴 史的な関係を把握しておく必要がある。 Gothic は12世紀後半から15世紀の終りまでの出 世の西ヨーロッパの建築,絵画,彫刻等の芸術様式を表示する言葉だが,最初に barbaric

の同義語として造語されたのは16世紀でイタリアである。英国で最初に用いられたのは,

J.T. Shipleyの「世界文学用語辞典」によれば,17世紀の初めである(3)。

 他方, grotesque は,1500年頃ローマで発掘された古代ローマの壁画に由来し,ミメ ーシスを根本とするローマ文化とは異質のこの壁画の様式(異質の要素,例へば,植物,

動物,人間,建築の形象の混在)を表示するのに用いられた,イタリア語のg70漉(=

caves jから派生した grottesco から来ている。

 このように Gothic と grotesque は語心的には異なるが,正統に対する異端という点 では同質性を有していた。それゆえ,18世紀の古典期には両者とも軽視され,また理性中 心の古典主義に対する反動としてロマン主義が起ると,両者とも重視され,それが例へば

「ノートルダムの嘔倭男」とか「フランケンシュタイン」といったゴシック的で且つグロ テスクな作晶を産み出すもととなった。

 Ph.トンフ。ソンはグロテスクの性質について次のように指摘する。

(1)勿論, the moment one of the people took Gne of the truths,called it his trut五, and tried his life  by it, he became a grotesque and the truth he embraced became a falsehood.,(S. Anderson,

  既πθs伽プ8,0扉。)というアンダーソン流のグロテスクの定義に従えば,『狩人』の登場人物も   全てグロテスクなのだが。

(2)  1ヒ召ノ166距。πsづπαCo14θ7z Ey8 is a Gothic novel,, Oliver Evans, Cの soπ 〃6C%〃θ7s(Pθter

  Owen,1965)P.60.

(3) Dげ6ガ。〃〃yo/170〃4上げ∫6プ〃y 7167〃zs, ed. J.T. Shipley(George Allen&Unwin,1955)

(2)

58 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号

《グロテスクの性質を定義しようとする19世紀に於ける個別的ではあるが,注目に価する いくつかの試みにもかかわらず,グロテスクが重要な美学的分析と評価の対象になったの は,故独逸の批評家W.カイザーの書物『芸術と文学に於けるグロテスク」が1957年にあ

らわれてからである。前の時代はその中に奔放な不調和の原理しかみなかったし,それを 粗筆なコミックの種類だと考えたのに対し,現代の傾向は,(中略)グロテスクを根本的

に両面価値をもったものとして,敵対物の激しい衝突として,またそれゆえに,すく、なく ともその形式のあるものにあっては,未解決である生存の様態の適切な表現としてみよう

とする。(4)》

 このように,グロテスクの評価は19世紀以前とは決定的に異なり,シリアスな,従って リアリスティックな面が強調される。他方,18,19世紀のロマン;期のGothicismがあくま で一つの仮想された世界であったのに対し,さらに通俗的に換言すれば,個人的趣味,も しくは風俗的流行であったのに対し,今世紀におけるGothicismは,審美的効果を,ロマ ン期のゴシック的想像力から受け継ぎはしたが,リアルな現実認識にささえられている。

現代の情況は,18,19世紀のゴシック的想像力に対し皮相的,審美的な影響を及した中世 よりも,商業資本が発展し教皇権が失墜した中世末期に酷似している。中世末期には信仰 が懐疑・諦念にかわり,信仰の与えるやすらぎは不安と野卑なものを好む傾向にとってか わった(5)。これは神を喪失し,圧倒的な機械物質文明の脅威におびえる現代人の精神情況 に極めて類似していると云わねばならない。

『反映」は単調で,無表情な語り口で始まる。

 《平和時の陸軍基地は退屈なところである。事件は起る。しかし何度も何度も繰り返し 起るのだ。基地の概観自体が単調さに輪をかける。巨大なコンクリート造りの兵舎,皆そ っくりにつくられ,きちんとならんだ士官用の家屋の家並,ジム,礼拝堂,ゴルフ・コー ス,それからプールー全てがきっちりした型に従って設計されている。しかし,おそら くは基地の退屈さはまず一番に周囲に対し,閉鎖的であり危険がなく安楽の度がすぎるこ とに原因があるのだろう。ひとたび軍隊にはいると誰もが前を歩く兵士の踵についていけ ばよいからだ。そうではあるが,時折再び起りそうにない事が基地では起るのだ。アメリ カ南部に,二,三年前,殺人事件が起きた基地がある。この悲劇に参加した者は二人の士 官,一兵卒,二人の女,フィリッピン人,そして一頭の馬である。(6)》

 マッカラーズが基地の生活を単純化していることは明白だが,この構図を非現実的とし て退ける訳にはいかない。何故なら,平和時の基地の「退屈さ」と「閉鎖性」は一見自由 にみえるにもかかわらず,機構化され,管理化された我々の世代の戯画として読み取るこ とができるからだ。成程,悲劇に馬が参加するというこの作品の設定は「非現実的」かも しれない。しかし「現実」を「内実」と置き換え,この作品の意図は表面的リアリズムと

(4)Philip Tomson,丁乃θ(穿プ。 θs4%θ(Methuen,1972)P.11.

(5)ハンス・H・ホフシュテッター著『象徴主義と世紀末芸術』(美術出版社)PP.67−97参照。

(6)C.McCullers, Rθ.〃θ6 ゴ。πsゴπαOo14βπEyθ, Peu呂ui五Books, P.7.

(3)

いうより,その象徴にあるとすれば「反映」は充分に真実を語った作品であるといえるの だ。この馬の設定は先に述べた,ミメーシスとは異質の,植物,動物,人間,建築の形象 が混在した様式と発想が著しく近いようにおもわれる。ある価値観によって構成された社 会秩序が個人の内面的な欲求を満足させることが出来ず,それゆえにその反動として生じ た様式がグロテスクな相貌をしていたように,『反映」の世界も馬と人間が同一平面で和 合しまた拮抗するグロテスクな世界なのだ。この世界をアメリカ南部の没落した名門グリ アソン家を描いたW.フォークナーの短篇「エミリーへの薔薇』同様,「閉ざされた世界」

といってよいだろう。過去の夢となりつつある南部の名門という誇りと北部人ホーマー・

バロンを失うまいとする我欲が結びついた時,バロンの毒殺事件が起り,毒殺によりバロ ンを永遠にわがものにしようとした瞬間から,換言すれば,物理的な時間の流れと外界の 影響を拒否した時から,エミリーの世界は「閉ざされた世界」となり,彼女自身は怪奇な 相貌な帯びるようになる。しかし,すくなくとも,この短篇ではエミリーの「閉ざされた 世界」の外部には罵主主義を標榜する新しい世代の「開かれた世界」が存在していた。し かし『反映」の世界はあまねく「閉ざされた世界」なのだ。『反映」の登場人物を瞥見し てみよう。

 「反映』の登場人物はCh.アイジンガーの指摘をまつまでもなく,レオノーラ・ベンダ ートン,モリス・ラングドン少佐・とエルジー・ウイリアムズのグループとウエルドン・ベ ンダートン大尉,アリソン・ラングドンとラングドン家のボーイ,アナタレイトのグルプ ーに大別される(了)。前者は動物的なレヴェルの生活をしており,他方後者は動物的なレヴ ェルでの生活を楽しめず,文化的,知的な生活を余儀なく送っているのである。例へばレ オノーラは次のように椰楡される。

 《彼女は暑がりで,すでにカヴァを裸の両胸の下に押しやっていた。彼女は眠って微笑 した。すると大尉には妻がいま夢の中で料理した七面鳥を喰っているのだということがわ

かった。(8)》

 レオノーラはラングドン少佐の愛人であり,二人はセックス,料理酒が大好物といっ た即物的人物である。ベンダートン大尉やアリソンと違い,彼等の過去の説明がすくない のは注目すべきで,作者が彼等と立場を異にしていることを物語っているのだ。夫の不義 に苛まれるアリソンが気が狂ったのだと誤解され,治療上の評判よりも,「驚ろく即値の はる」入院費ゆえに選ばれたあるサナトリウムに入院した翌日の晩,アリソンは心臓発作 をおこして死ぬが,その死ですら少佐の俗物根性を払拭出来ない。彼はわが身の不幸をな げくだけで,この悲しみから逃れるために「立派な動物になり,祖国に仕える」ことに没 頭しようとするのだ。

 このグルーフ。の最後の一人兵卒ウイリアムズはベンダートン大尉と対蹴をなす人物であ

る。

(7) Oliver Eva皿s, oφ.6髭, P.78.

(8) 0.ρ. 毒.,P.53.

(4)

40 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号

 《彼は寡黙な若い兵卒で,兵舎では敵も味方もなかった。丸くて陽に焼けた顔は油断の ない無邪気さを表わしていた。その厚い唇は赤く髪の房が額に鳶色にもつれていた。碗珀 と鳶色が奇妙にまじりあった眼には,普通動物の眼に見受けられる押し黙ったような表情

があった。(9)》

      

 ウイリアムズは過去に肥料運搬車のことで黒人を殺害し死体を隠したことがあり,それ ゆえ,彼はいわゆる「高貴なる蛮人」ではない。文明の毒に汚染された蛮人なのだ。

一方,アリソンとボーイのアナタレイ『gは文明社会の軋礫を感じ,レオノーラのように 自然のレヴェルで生活出来ず,彼らだけのヴィジ・ンをもって生きている。二人は芸術的 センスをもっており,この作品の視点を示唆する。

 《それから彼は両手で顎をかかえ瞑想に耽けるような態度で腰をおろし,媛炉の燃えさ しを見つめた。「ある種の,身の毛のよだつ程に緑色の孔雀。巨大な金色の眼がひとつ。

そしてその中にちいちゃい一あるものの影が一一」彼はその言葉をみつけようと努力し て親指と人差し指を合わせ手をあげた。手は背後の壁にとても大きな影を投じた。「ちつ ちゃくて一」「グロテスクな」彼女は代って云い終えた。(10)》

 『反映』の「金色の眼」はベンダートン家でおこる事件を全て観察する兵卒ウイリアム ズの「琉珀と鳶色の奇妙にまじった眼」,また催眠薬をのみ眠りにつく大尉がみる巨大な 黒鳥の「険しい金色の眼」とイメージの上で関連しているが,1.ハッサンが指摘するよ うに,「金色の眼は反映するだけで,見はしない(ll)」のだ。この「金色の眼」は芸術 的客観性をもってグロテスクな人々の姿態・行動を丹念に過不足なしに映し出すのであ

る。彼らは自己をグロテスクだとは思っていない。しかし「金色の眼」に映った彼らの姿 はまぎれもなくグロテスクなのだ。例へば,ラングドン少佐とアナタレイトを並べてみる

とどうなるのか。

 《「アナタレイトだったら軍隊の炊事係ね」レオノーラは云った。

 「アリソンはいっだって,俺がその 話を口にのぼすのは,ただ意地悪からだと云ってい た」と少佐は云った。「しかし,そうじやないんだ。アナタレイトは軍隊にはいっていた ら幸福にはなれなかったろう,確かに,でも彼を人並みの男にしていたろう。奴から呆け たところは一切なくなっていたろうに。(12)》

 《ちびのフイリッピン人は肩をすくめた。主なる神が彼自身とアリソン夫人を除いて 一この唯一の例外は脚光の背後にいる人達,小人,偉大な芸術家それからこれこれの

      

伝説的な人達であるが一万人を創造するのにとんでもないヘマをしたと,彼が考えてい ることは周知の事だった。(13)》

(9)乃砿P.8.

㈹ 乃グ4,P.87.

α鵡 Ihah Hassan, R厩ダ6α11πηooθπ66(Princeton Univ. Press,1961)P.216.

(12) Rθノ7」{%∫げ。〃s.P.112.

(13} 1bゴ4., P.42.

(5)

 夫の不義が原因で,二,三ケ月前発作的に植木鋏で乳首を切り落したアリソンとボーイ のアナタレイトはゴシック・ロマンスの双生児のいわばパロディとしての役割を果すが,

彼らの価値観は,ラングドン少佐の代弁する社会ならびに軍隊の規律への服従ということ にうかがわれる価値観とは対踪的に異なる。そして,この二つの価値観のはざまで動揺す るのがベンダートン大尉だと云っていいだろう。前者は自然ないし利潤の追求が労働の目 的となる以前の社会生活,後者は「自然」と訣別し,それとは別の体系をもった社会の価 値観である。しかし,「自然」の果す役割は,例へばフォークナーやロレンスの作品に於 いて「自然」が果す役割と比較すると,はるかに後退しているようにみえる。フォークナ ーやロレンスの作品では森林は文明に汚染された人間を「自然」個有の力で再生させる場 なのだが,「反映』では有効な力を発揮しえないのだ。

 10月のある午後,大尉はこれまで三度しか乗ったことがないレオノーラの持馬「火の鳥」

Firebird にのり,死ぬような目にあうのだが,大尉と「火の鳥」との関係は単に人間と 馬との関係ではないのだ。大尉は危機が去り馬からおりると,馬をそばの樹木に結びつけ,

木枝で猛烈に( savagely )答打つのだ。それから大尉は疲れ切り,地面に身を沈め両腕 に頭をかかえ奇妙な恰好で横になるのである。

 《基:地を離れたこの森の中では大尉は鳴れてうち棄てられた人形のようにみえた。彼は 声をあげて泣きじゃくっていた。q4)》

 大尉は多分に無意識的な動機から「火の鳥」に乗らなければならなかったのであるが,

「殿れてうち棄てられた人形」のイメージは大尉がこの試みに失敗したこと意味する。大 尉のこの敗北は既にこの物語の導入部で暗示されている。屋外パーティの為に裏の森の一 部を兵卒ウイリアムズに刈り取らせた時の,ウイリアムズの失敗にいらだつ大尉に予示さ れているのだ。彼の「動揺はこれくらいの災難では説明出来ないようにみえた。森の中に一

      ロ       ロ    

人立つと彼は小男だった。㈹」しかも大尉の心の裡では兵卒ウイリアムズは不快な連想 として厩と「火の鳥」と結びついているのであり,さらに第二章の終りでウイリアムズと 森と太陽との結びつきが明らかにされるがゆえに,大尉が反自然の立場にあることは明ら かである。基地とそれを囲む森,換言すれば社会と自然のロレンス流の設定はマッカラー ズが明確に意図したものなのだ。概念的にいえば discipline と innocence の対立となろ う。しかし生の象徴である「火の鳥」は「午後のうちに純血種から耕作用の駄馬に変貌し たようにみえ」そのあと「決してもとのようにはもどらなかった」のである。他方,大尉 の方も「火の鳥」を制禦出来ないばかりか,大尉と兵卒ウイリアムズの関係が逆転する事 態が起るのだ。大尉の意識が少年時代の過去からもどると,眼前の樫の木にもたれて裸の 男が彼を見おろしているのである。裸の男は大尉の延した躰をよけて歩こうともせず跨い で,木につながれていた「火の鳥」の手綱をとき,欝蒼とした森の中につれてゆくのだ。

この事件以後,大尉の兵卒ウイリアムズに対する「憎しみ」は日毎に増大し,ウイリアム ズ射殺という結果をむかえるのである。

U4) 1ゐ44., P.72.

㈲ 乃夢4.,P.15.

(6)

42 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号

 《大尉は壁に躰をぐったりともたれかけていた。奇妙な,粗い:地の部屋着をきた彼は意 志がくじけ体力が消耗しきった修道僧に似ていた。死んでも兵卒の躰はなお,あたたかい 動物的な愉悦の表情をうかべていた。彼の荘重な表情の顔には変化がなく,陽に焼けた両 の手は掌を上にしてあたかも眠っているかの如く絨鍛のうえに横たわっていた。㈹》

 射殺された兵卒ウイリアムズが「あたたかい動物的な愉悦の表情」をうかべ「あたかも 眠っているかの如く」みえ,射殺した大尉が「意志がくじけ体力が消耗しきった修道僧」

にみえるこの結末は明らかにアイロニックである。大尉は,「自然」を射殺しながら,勝 利をおさめることが出来なかったのである。何故なら,大尉の敵である「自然」はどす黒

くわだかまって大尉自身の中にも存在していたからである。「反映』の性格と限界につい ての1.ハヅサンの指摘は当を得ているようにみえる。

 《孔雀の金色の眼の中では各人物の恐しい存在は不可解のままである。この小説の焦点 は人物からまた別の人物へと移るが一これは肖像画廊なのだ一明晰な意識がたちあら われ,その全貌を解明したり評価したりすることはまるでない。(中略)読者から反対が出 るのはその底に横たわる恐しさの存在にではなく,むしろ生の欠如に対してである。(17)》

 マッカラーズの作品に於ける「生の欠如」を確認するためにハッサンはD.H:.ロレンス とW.フォークナーを例にあげ,彼女が Primitivist ではないとし,「彼女は原始的衝動 がとる型(forms)は認知出来るが,他方最良の Primitivists が光を投げかける歓喜と挑 戦といった感覚を描けないし,倫理的な知力で激情を制限することも出来ない㈹」とい う。事実『反映」の登場人物は内なる盲目の力につき動かされて破局をむかえるのであ り,「自然」と「社会」のはぎまで方向性を見失いいらだち喘ぐか,レオノーラの様に動 物的レヴェルにとどまりいわば半盲として生きるかしか出来ない。「自然」がもはや立ち 帰る場となりえず,「社会」が方向性を見失い「閉ぎされた世界」となる現代こそゴシッ クを復活させたものなのであり,個人の内なる「自然」が「社会」の機構,規律に発現を 阻止され抑圧され歪められる時,グロテスクな表出となるのだ。

2. 「反映」とNeo−Freudianism

 この章ではベンダートン大尉の兵卒ウイリアムズ射殺までの彼の心理の推移と行動の軌 跡を辿ることによって,大尉の心のメカニズムを明らかにしたい。

 兵卒ウイリアムズの大尉に対する比重の変化は,10月半ある午後「火の鳥」に乗り,森 で兵卒を見た日に起る。この時点以前の大尉の心理情況を(1)生に対する不安,この時点以 後の大尉の心的情況を(2)「憎しみ」の感情による不安からの逃避とその失敗と規定できよ

う。以後は「反映』のプロット順に話をすすめる。

 (1)1年半前歩兵中隊を指揮していたある中尉のもとで当番兵をしていた兵卒ウイリアム ズから絹地のズボンを珈瑳で汚され,またこの日,裏の森の一部を伐り取らせて大事な樫

(16} 1b ご♂., P.125.

(17) 0ノ).6げf.,P.218.

(1鋤 乃赫.

(7)

の大木の大枝を切り落されることがあり,大尉はウイリアムズを不快におもっていた。そ して夜いつものように一階の書斎の机につくが,一向に仕事に手がっかない。そして不図,

大尉はこの兵卒が軍隊の規律を犯しているところを捕え,彼を軍法会議にかけ裁く手助け をする情況を空想し,気持をすこしなぐさめるのだった。それから台所へ行くと妻のレオ ノーラは女中に乗馬用の長靴を脱がせ素足で歩きまわり,しまいには媛炉の前で全裸に なるのだ。大尉は顔を一撃されたかのように度胆を抜かれおこった顔でみつめ,階段を昇 ってゆくレオノーラにむかい喉をしめられたような声で「殺してやる」と云うのだ。が,

レオノーラに「裸の女に襟首をつかまれ通りに引きずり出され答打たれたいの」と反撃さ れ,すすり泣くような声を出す。しかし彼の顔には涙はみえない。 、

 この夜全裸のレオノーラをみてから10日余り毎日ウイリアムズはベンダートン家の周囲 を調べ,12日目の夜,レオノーラの寝室にはいるが,一方大尉は二,三ケ月前アリソンが 興奮し自宅で植木鋏で乳首を切り落して以来,アリソンが夫のラングドン少佐と離婚した あと,レオノーラと少佐が彼を見放すのではないかと怖れているのだ。が,大尉には彼を 愛しまた彼が愛するものはいず,いまの惨めな気持を忘れることが出来る「憎むべき相 手」もないのだ。

 (2)その翌日の午後,大尉はこれまでに三度しか乗ったことのない妻の持馬「火の鳥」に 乗る。彼はいつも馬を怖っており,「火の鳥」の動きを制禦出来たとき大尉は得意満面にな

るが,丁度保有地の森林が数マイルに亘って見晴せる崖に近づいた時,「火の鳥」は突然 暴走し斜面をかけ下るのだ。そして「生きる事を諦めた時,突然生き始めた。狂おしい程 の歓喜が全身に湧きたった。」しかしこの歓喜は永くは続かず,馬が疲れ切り拠り出され る危険を感じた瞬間,大尉はおびえ,無事に馬からおりると「火の鳥」を猛烈に答打つの である。疲労困遅し地面にうずくまった大尉は「早れてうち棄てられた人形」のようにみ

える。しばらくの間大尉は意識を失い,その後五人のオールド・ミスに真実の愛情もな く,ただ南部人として誇りをもって生きることを教えられた少年時代を想い出す。我にか えると,眼前の樫の木にもたれ裸の男が大尉を見つめているのだ。この日の経験以来,大 尉にとって兵卒ウイリアムズは「憎しみ」の対象となり,彼に努めて会おうとするのだ。

奇妙なことに,大尉には「あたかも彼とζの若い兵卒が裸で肉体と肉体をぶつけあい死ぬ まで格闘しているような感じ」がするのだ。

 11月にはいり,この冬の初めの数日,ウイリアムズは大尉が彼の後をつけているのに気 づいていたが,一方,大尉は兵卒が近くにいると,まともにみたり聞いたりすることが出 来ない自分に気づくのだった。そしてある午後大尉は兵舎の前でウイリアムズを認め車を 止めるが,彼が中にはいってしまい周囲が暗くなっても立ち去ろうとしないのだ。灯のと もった兵舎の食堂の中で陽気にさわぐ兵士達の笑い声を聞き,大尉の眼に涙がこみあげ,

胸は孤独感に痛むのである。またある夜,疲労で意識が昏迷した大尉の口に突如「兵卒ウ ェルドン・ベンダートン」という言葉がもれるのだ。それからというもの大尉には兵卒ウ イリアムズとその生活以外世の中の事が全て無意味におもえ,彼の心の眼に「容貌の醜 い,グロテスクな形をした人形のイメージ」が映るのである。そしてウイリアムズが七度 目,これが最後の機会となるが,レオノーラの寝室に忍び入った時,大尉は彼に気づき射 殺するのだ。

(8)

44 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号

 以上が一月程の間に起るベンダートン大尉の心理の推移と行動の軌跡だが,次に新フロ イド派のE.フロムの性格構造論を『自由からの逃走」 (E50α1》θノケ。〃z Fγ8640駕 1941)

から紹介し,彼の性格構造論が大尉の性格にいか程に合致しているかを検討してみる。

 フロムによれば,すべての入間に程度の差こそあれ,サディスト的傾向とマゾヒスト的 傾向が共存している。サディスト的傾向とは,外的な権威により他人を自己に依存させ支 配しようとする傾向であり,マゾヒスト的傾向とは,自己を外的な権威に服従させ自己を 滅却せんとする傾向である。これらの傾向はしばしば善意・誠意・忠誠という形で合理化

され,また社会的にも合理化された形で承認されている。

 過度のサディズムもまた過度のマゾヒズムも神経症的で,前者は他人を全く無意味に苦 しめ苛ますことを目的とし,後者は自己を苦しめ苛ますことを目的とする。そしてこれら の過度の傾向が肉体を通して表現され,性的感情と結びつく場合,それぞれマゾヒスト的 倒錯,サディスト的倒錯と呼び,それらの傾向が全人格を支配し,自我が意識的に到達し ようと試みるすべての目的を破壊する場合,精神的マゾヒズム,精神的サディズムもしく はマゾヒズム的性格,サディスト的性格と呼び,さらに,彼がおかれている社会的・文化 的・階級的状況下で正常とみなされている場合,特に「権威主義的性格」とフロムは呼ん だ。しかし一見相反するこれらの傾向は,耐え難い個人の孤独感・無力感・劣等意識を動 機として,この状態から逃れようとする願望をもっているのだ。したがってこれらの傾向

は「自由からの逃走」であり,支配・服従を目的とするがゆえに,平等性の放棄であり,

また真の他人愛・真の自己愛とはなりえないのである。

 『反映』の中でベンダートン大尉が5人のオールド・ミスに育てられ,かれらは彼を

「自身の重たい十字架の重荷をかかえるためのいわば支柱として(19)」使ったのであり,

「彼は決して真の愛をしらなかった(20)」という作者の記述は大尉の性格との関連を示す ものとして重要である。大尉は真の愛を経験することなく,南部人としての誇りを徹底的 に教えこまれたのである。彼は完全に外部の道徳規範によって人格を支配されてきたので あり,その結果「士官と下士官は同じ生物学上の類に属しようが,かれらは全く別の種に 属する(2D」と考えるようになったのである。

 また大尉の全裸のレオノーラに対する態度に過度のサディズム,また彼女の反撃に苦悶 しつつも涙をみせぬ大尉に過度のマゾヒズムがみられ,さらに兵卒ウイリアムズを軍法会 議にかけ処罰することを夢想し気持をなぐさめる心的傾向,またさらに内心怖れている馬

にのり死に直面した後「火の鳥」を猛烈に答打つ大尉の行為に強度のマゾ・サディスト的 傾向がうかがえるのだ。

 しかし強度のマゾ・サディスト的傾向の他に大尉が homosexual であることに留意し なければならない。S.フロイドは性対象の異常を性的転倒(Inversion),性目的の異常を 性的倒錯(Perversion)として両者を区別したが,同性愛は前者に,マゾヒズム・サディ

ズムは後者に属する。それゆえ性的転倒者であり,性的倒錯者である大尉は異性に対し

q9), 〔2①  1ゐゴ。ζ., P.72.

(21) 1bげ41., 】P.14.

(9)

ても愛を実現することが出来ず,また同性に対して大尉であるという社会的身分(22)からラ ングドン少佐に対しても,また兵卒ウイリアムズに対しても実現不可能な愛を抱くだけで あり,その不可能な愛を裏切られたがゆえに,大尉はウイリアムズを射殺したのである。

 マッカラーズは『反映」の中で愛と憎しみの機能について次のように述べている。

 《人間の最も強い欲求が愛する何かをもっこと,拡散した感情をあつめるある焦点をも っことであるような時がある。また精虫のように落ちつかぬ,生に対するいらだち,失 意,そして恐怖が憎しみとして解放される必要がある時がある。(23)》

 ここで「愛」と「憎しみ」が不安,孤独感からの逃避として同じ機能を果していること がわかる。創造的な「愛」の機能は残念ながらうかがえないのだ。1.ハッサンが指摘して いうように「生の欠如」がみられるだけである。大尉自身も彼の本当の敵が何者であるか 意識下ではわかっていたのだ。

 《大尉は寝台に添え付けた卓の抽出から短銃をとりだし,廊下を横切って,妻の部屋の あかりをつけた。この時,眠ったように動かぬある記憶の断片が一窓辺のもの影,夜の

もの音が一二に作用した。自分にはすべてわかっているのだと彼は心の中で眩いた。

が,彼にはわかるその何かを口に出して云えなかったろう。これが終りだということだけ が彼には確信がもてた。 24)》

 マッカラーズがフロイドの著作から直接的であれ間接的であれ影響を受けていたこと は,例へば「死の本能」という『反映」中の語句とその概念をベンダートン大尉に適用し た例にうかがえるのであるが,彼女がE.フロムの著作を読んでいたか否かは定かではな い。フロイドは最初サディズム・マゾヒズムを単純に性的現象と考え(25),のちに「死の 本能」が性的エネルギーと結びついたものと解釈したが,フロムのように社会心理学的

に,社会内に於ける個人の不安・孤独・無力感・劣等意識と結びつけて考えることはなか った。この功績はフロムのものであり,彼の「自由からの逃走』が出版されたのが1941年 で,しかもその序であきらかにしているように,ナチズムの擁頭という危機に直面して急 遽出版することになったいきさつからして,39年に着手し4/年に出版された「反映』がフ

ロムの影響によって書かれたとは考え難いのである。創造ノート(丁加FZo初θr伽g D紹α〃z1959)の中でマッカラーズは幼年時代を回想して次のように語っている。

《四歳くらいの子供だった時,私は乳母と修道院の前を歩いて通りすぎようとしてい た。その時に限って修道院の扉はあけられていた。そして私は子供達が円錐形のアイスク

リームをたべたり,鉄製のブランコにのったりしているのを見た,それで私は魂を奪われ

22)McCullersは「陸軍基地では士官が下士官と個人的な接触をもつことは容易でない」 (P.95),

 特に大尉のように陸軍学校で仕事をしているものにとっては困難である,と説明している。

(23116ゴ4.,P.50

②2 1ゐゴ4.,P.歪23.

㈱ 『精神分析入門』第20章参照。

(10)

46 長崎大学教育学部入文科学研究報告 第25号

たように見いった。這入っていきたかったのだが,乳母は私がカトリックでないので駄目 だといった。しかし毎年毎年,中でおこっていること,私がそこから締め出されているこ の素晴しいパーティのことを考えていた。(26)》

 精神的な孤独とそこから脱出し「わたし達」であろうとする試みはマッカラーズの作品 の主要な,むしろ唯一のテーマといってよいのだが,上に引用した幼年時代の回想の中に 象徴的といってよいくらいによく表現されている。そして社会内に於ける個人の孤独とい う問題意識が性的転倒者であり,且つ性的倒錯者であるベンダートン大尉のイメージと結 びついた時『反映』が誕生したといえるだろう。

26)C.McCullers.丁乃θ〃。グ 8σ8θ4 五τεαプ ,(ed.)Margarita G. Smith.(Houghton Miffliロ

 Company)P.274

参照

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