柳少年と竹とんぼ(地域社会における在日朝鮮人と GHQ / 朝鮮研究会編)
著者 高橋 正美
雑誌名 東西南北 別冊01
巻 01
ページ 138‑140
発行年 2000‑12‑01
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00004450/
柳少年と竹とんぼ
私がはじめて朝鮮人を身近な存在として認識したのは︑ 高橋正美
一九三三年︑小学三年の夏で︑泳ぎにでかけたときである︒
その川には約六○メートルの川幅一杯の堰提があるた 一九九七年一二月に本研究会は高橋正美さんからお手紙をいただいた︒その中に﹁柳少年と竹とんぼ﹂という手書きのエッセイが同封されていた︒こ
れは︑ご自身の故郷での事件で︑その故郷とは︑宮城県の﹁栗原郡岩ヶ崎町と称し︑人口約四二○○人でしたが︑一九五五年︑周辺五力村と合併し︑人
口約二万四千人の栗駒町となる﹂と書かれ︑﹁私の朝鮮人問題の原点となったものである﹂と高橋さんは述べている︒
手紙の最後に︑高橋さんは次のように密き記している.
﹁実は︑横浜での学生寮の同室者であった台湾出身の長田氏︵台湾︑国民政府の官僚︶と沖繩出身の平敷氏︵琉球大学教授︶両氏との交流︑戦中から戦
後にかけての朝鮮人とのつきあいで考えさせられたことを具体的に書く予定でしたが︑雑事に追われて断念せざるを得なくなりました︒だが︑どうして
も野いておきたいと思っているそのひとつを伝えておきます︒
かつて︑私たちの植民地であったが故に分割された南北朝鮮は︑屈辱の歴史をバネとしてそれぞれが民族の尊厳と誇りをかけて国づくりに努めている︒
しかし︑異なる政治体制での事業は克服せねばならない多くの困難な問題を抱えている︒この過程で生じた現象面だけをとらえて︑私たちが評議的立場
での批判や︑中傷︑非難する資格は全くないと思う︒むしろ︑私たちは分割された民族の悲哀を私たちのそれと受け止め︑一日も早く民族の統一と自立
を通じて繁栄するように物心両面にわたって協力することこそが︑犯罪的植民地政策に加担した私たちの責務である﹂ 本研究会は高橋さんに改めて心からお礼を申し上げます︒︵R・リケット︶
めに泳ぎの練習には絶好の場所であった︒私が川に入る
準備をしていたところ︑突然上流の方でざわめきが起こ
り︑泣き叫ぶ溺れかかった子どもが流されているのが見
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えた︒すると︑その近くで箱眼鏡を覗き︑ヤスをもった
少年が素早く子どもを抱き上げ︑川岸に運んだ︒子ども
らが集まって来る︒泣きじゃくる子どもがしがみついて
いる︑赤銅色に日焼けした少年を見た途端︑私は思わず
りゆう
息を飲んだ︒その少年はまさしく柳君である︒
我が家から約百メートルから離れたところに細谷横丁
と言われた小路があり︑その両側に朽ち果てんばかりの
長屋があった︒その中程に柳君一家が住んでいた︒彼の
父は酒好きで︑いつも鉢巻きをした赤ら顔で粗末な下着
に短いズボンをはき︑長煙管を分厚い胴巻にさしこんで
いる頑健で大柄の人だった︒母親は小柄で年中朝鮮服を
まとい︑錆だらけのリヤカーで家々を廻って鉄屑︑古衣︑
空き缶︑瓶を買い集めていた︒私と同じ年齢の柳君は学
校にも入れず︑軒下で母の買い集めた品々を分類︑ハン
マーでの缶つぶし︑りんご箱を踏み台にして大きな木箱
に空き瓶を整理︑頼み上げるのが日課である︒
そうした柳一家は時折災難に見舞われた︒隣町に住む
朝鮮人たちと︑柳さんを中心とする町の朝鮮人たちとの
間で起こる流血の争いである︒その度毎に傷ついた二〜
三人の朝鮮人が警官に捕まえられる︒恐怖におののき︑
片隅にうずくまる蒼白の柳君とその母親が何とも哀れに
思えてならなかった︒それぞれが買い集める地域を設定
いず
したのに何れかが侵し︑唯一の生活基盤が脅かされる︑
言わば縄張り争いが集団での暴力沙汰に発展したらしい︒ 勿論︑当時の私には詳しいことは知る由もなかった︒だ が︑朝鮮人をこれほどに追いつめる生活環境を誰が作り だしたのかを正しく理解するまでには以後一○数年の歳 月を要したのである︒
柳君は子どもらが遊んでいるところへは決して入らな
かったし︑子どもらもまた彼を遊び仲間に加えることは
決してなかった︒従って︑彼はいつもひとりっきりでコ
マ廻し︑ケン玉などで楽しんでいた︒特に彼の竹とんぼ
は見事だった︒ある日︑子どもらから離れたところで彼
は竹とんぼに夢中であった︒ところが︑空中高く上がっ
た竹とんぼが運悪く子どもらの輪の中に舞い降りた︒途
端に子どもらは柳君を睨みつけるや否や︑﹁帰れ!こ
の朝鮮っ子!朝鮮っ子!﹂と一斉に怒号や罵声を浴び
せながら逃げ惑う彼を追う︒
やがて︑子どもらがいなくなった跡には︑無残に踏み
にじられた竹とんぼだけが残された︒私は常日頃彼の竹
とんぼの素晴らしさに関心をもっていたので︑その残骸
を持ち帰った︒羽根の削り工合︑廻しやすく工夫された
軸棒︑見れば見るほどそれは精巧に造られているのに私
は驚き︑感心せざるを得なかった︒私はその造り方が知
りたく︑思いきって彼の家を訪ねた︒彼も彼の母親も快
く迎えてくれた︒私と彼が夢中で話をしている間にでも
造ったであろうオャッーメリケン粉︑味噌︑それに黒
砂糖を混ぜ︑茗荷の葉に包み︑フライパンで焼き上げた
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ものlの美味しかったのがいまだに忘れられない︒
以来︑私と柳君は急速に接近し︑わが家に誘うと︑彼
は竹材︑細工道具一式を抱えて来ては箱權︑竹馬︑竹ス
キー︑釣り竿の造り方まで︑たどたどしい日本語で丁寧
に教えてくれた︒そんなときの彼の瞳はキラキラ輝いて
いた︒こうして私と柳君は茸狩り︑あけぴ取り︑スキー︑
魚釣りなどで私の友も交えて遊ぶ機会が多くなった︒連
れの友と彼がふざけ合い︑談笑するのを傍らで眺めてい
た私は無性に嬉しかった︒
だが︑こうした柳君との交流も長くはなかった︒私が
小学五年になった頃︑帰宅した私に母は告げた︒今朝程︑
柳君を伴った母親が来てこの町を去るとのことだった︒
私は驚いて彼の家まで走った︒戸は固く閉され︑軒下の
品々は跡形もなく片付けられていた︒私は何か貴い物を 失った思いが一杯で家路を歩む足取りは重かった︒以来︑ 柳君とその家族の消息は絶え︑二度と会う機会はなかっ
た︒キラキラ輝く真夏の太陽の下︑取り巻く子どもらの前
で︑しがみつく子を抱きしめて川岸に立っていた柳少年
は際だって大きく見え︑全身から醸し出された形容しが
たい威厳と清々しい誇りに満ちた雰囲気が私の脳裏に刻
み込まれている︒町を去った彼は︑多感な青春時代を︑
旧態依然たるいわれなき偏見と差別のなかで︑どこで︑
どうして生きていったのだろうか︒少年期にめぐり合っ
た柳君は以後の私の人生観形成にいかに重要な役割を果
たしたことか︒竹とんぼの柳君は私の心の中で絶ゆるこ
となく息づいている︒
柳君!ありがとう︒
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