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(1)

常田 :和光大学現代人間学部心理教育学科の 常田です。今日は先生方、本当にお忙しい中、

どうもありがとうございました。それぞれに、

お子さんの姿が目に浮かんでくるような話、

元気が出るような話を聞かせていただいて、

大変嬉しかったです。

私自身は保育の人間というより発達心理学 の人間です。先ほど打ち合わせをしている時 に、加藤先生が「心理学者は個別の人間関係 のことは言えても集団の意味は語れない」と おっしゃって、どうかなと思ったり「やはり そうだ」と深く落ち込んだりしつつ、今日コ メントさせていただこうと考えております。

私自身は20年来、保育現場におじゃまして、

発達に障害のあるお子さんのことを中心に巡 回相談を行っております。そういう中で、先 生方のお話にもあったように、ちょうど90年 代に入った頃から、保育園の先生方から、子 ども達がおかしいとか家庭がおかしいとかい ったお話を聞くようになりました。そのくら いの時期から、昔だったら何とかやれていた 子がやっていけないというかたちで、小さな 障害や偏った家庭環境を持つ子の問題が表に 出てきたように感じています。そして、私自 身、障害児心理学の立場からということにな ると思いますが、そういう子ども達のコミュ

ニケーションについて考えてまいりました。

今日のお話の中で、3人の先生方がそれぞれ の視点から対話ということについて取り上げ られていたことからも、対話やコミュニケー ションは本当に保育の中核の一つだという確 信を深めました。

そこでまず、心理学の立場から少し対話の ことを話させて頂いて、そこから先生方への 質問につなげていきたいと思います。

私自身は対話というものについて、このよ うな図を描いて考えております

(図1)

。ま

ディスカッション

206

公開シンポジウム◎少子社会日本の保育

司会 :三人のパネリストの先生から、子どもたちの近年の変化や保育・幼児教 育の改革をめぐる現代の動向をふまえた興味深いお話をうかがいました。先生 方、どうもありがとうございます。

後半は、ご報告をもとにディスカッションを行い、さらに深く現在の保育の 課題を考えたいとおもいます。

まずは和光大学教員の常田秀子先生から、コメントをお願いします。

図1

子ども (A)

(B)

(C)

子:

見て!

大人:

できたね!

子ども

大人

子ども

活動の区切り

大人

(2)

ずこんなふうに、子どもの遊んでいる時の気 持ちの流れがあるとします(A)。幼い子ど もの場合ですと、たいていここに誰かが寄り 添って波長を合わせて遊ぶわけですね(B)。

そうすると遊びがフッと盛り上がったところ で、例えばこのあたり(C)で、子どものほ うが「見て」って何か自分が遊んでいるもの をお母さんに見せて、お母さんが「ああ、面 白いね」とか「できたの?」とか応える。そ れが共感ということになります。

遊びの中で子どもと大人が共感しあうこと によって、子どもの遊びのプロセスは一つの 区切りのある経験としてまとまるのだと、私 は考えています。お母さんの「できたね」と いう言葉で、自分がこれまでやってきたこと が達成したのだ、という形で子どもの心にス トンとまとまるのです。

しかし、このように共感してフッと区切り がつくということが、うまくできない時があ りますね。例えば子どもとお母さんが、うま く波長が合わせられない。親が親の事情で

「はい、ここでおしまい」ってパッと片付け ちゃうとか、「はい、やめなさい」って、子 どもがあっちへ連れて行かれちゃうとか、あ るいは子どもが一人で遊んでいて、結局誰に も声をかけられないで、そのうちに飽きてや めてしまう、そういう時は活動に区切りがつ きません。このような区切りがつかなかった 活動は、子どもの中で経験として育っていか ないのではないかと思います。

私はよく子ども達に、「昨日、何をして遊 んだ?」と聞きます。月曜日の学校に行った 時に、「昨日、何をして遊んだ?」と聞くと します。そうすると、例えば家でゲームばか りして過ごしていたような子は、何も言うこ とがなくて「別に」と答えるだけのことが多

いです。そのゲームの中には山も谷もあるん でしょうけれども、やっぱりある終着点とい うのはなくて、時間で切らざるを得ないので しょう。だからそういうことだけずっと繰り 返している子の中には、語るべき経験が蓄積 されない。

そう考えますと、この語るべき経験の積み 重ねが、一つの自我が育っていくということ なのではないか。少なくとも、自分が積み重 なっていくということになると思うのです。

加藤先生のお話の中で、次第に第二の自我が 出てくるというお話がありました。それまで は、大人が寄り添って共感を通して自我を作 っていたのが、だんだん子どもが育っていく と、自分の活動にオチがつけられるようにな ったり、友達との関係の中で経験の区切りが つけられるようになって、自分で経験をふく らませていけるようになる。そのことなのか な、などと考えながら聞かせていただきまし た。

ただ私は心理学者ですので、やはり自我が 個人内でどう育つかというモデルしか考えら れないのです。そこで先生方にお聞きしたい ことがあります。子どもが幼いうちは親と子 ども、あるいは先生と子どもという個人間の 関係の中で共感的な関係をつくっているのが、

4歳児ぐらいから徐々に協同的な関係に広げ

ていくというお話がありました。これは保育

の中で非常に重要なことなのだろうと感じま

した。つながった結果については、加藤先生

のお話のカエルの実践や大瀧先生からお話の

あった実践からイメージできたのですが、ど

のようにつなげていくのかというところにつ

いては、あまりよくわからなかったかなとい

うような気がいたします。個人的な共感の関

係から協同性のところにつなげていく技、ど

(3)

のようにつなげていけばいいのか、あるいは そこで一体何が起きているのかといったこと を、教えていただければと思います。

もう一点お聞きしたいことがあります。汐 見先生のお話の中で、どういう保育をするの か、何をするのかということが非常に大事だ というお話がありました。一方で大瀧先生の お話の中では、例えば種まきの実践のお話の 中で、子どもの発想を大切にしていくという ことを強調されました。どのような保育をす るかという構想と、子どもの発想を大切にす るということについて、先生方がどのような 関係を考えられているのかということを、ぜ ひお聞きしたいと思います。

加藤 :私からお答えします。

別に「心理学者は……」といったんじゃな いですよ

(笑)

。ただ恐らく心理学という学 問からは、汐見さんがおっしゃったような3 つの目標論は出てこないだろうな、という思 いで言っただけなのです。この社会をどう変 えるために赤ちゃんの頃からどう育てようか、

といった議論は、心理学は通常は守備範囲に していないですよね。でも保育の世界は心理 学の人が圧倒的に多くて、教育学よりも心理 学の人達の言葉を聞く機会のほうが多いし、

影響も大きい。そこのつながりがないこと、

学問をやっている者同士が保育の目標を一緒 に語り合うことができていないことに、僕は 危惧を感じています。

個別の関わりを協同的・集団的な関わりへ とつなげていく、そのつなぎの問題について お話ししますね。もちろん0〜1歳のころは 大人と子どもの個別な関係が重要になるでし ょうね。そして4〜5歳になると仲間との関 係がすごく重要になる。それは確かに大きな

流れですが、割合の問題でもあります。転換 点のところ、例えば生後10ヶ月から1歳半頃 の乳児の終りの時期の集団保育を考えてみま す。保育園の中で、例えば11〜12ヶ月頃の子 どもたちを保育する時に、保育者にとって何 が大事かというと、やはり常田さんのお話に あったように、波長を合わせて区切りをつけ るということですよね。僕はこの区切りをつ けるというのはすごく面白いと思いました。

ここで経験が意味づけられるわけね。最初は 自分では言葉で言いませんから、大人に言葉 で意味づけてもらう。それが次第に自分で意 味づけることができるようになる。一区切り の経験を自分の物語として語る力がついてく る。あるいは自分の経験を1つの物語として 整理することができてくるということですね。

おそらく子どもが育っていくということは、

そうして多くの経験をしながら、かけがえの ない自分の物語を蓄積していくことなんだろ うなと、僕も思っています。ですから10ヶ月 から1歳半頃の子どもに対して保育者がやる べきことは、単に波長を合わせるだけでなく、

言葉を添えていくことですね。例えば子ども が犬を見ていて、大好きな先生にそれを伝え ようとする。子どもと対象物である犬と保育 者と、この3つの三角形をつないでいくため に、子どもが「アーアー」と指差しをすると、

保育者はそれを「ああ、ワンワンいるね。ワ ンワンのところに行くんだ」という形で切り かえしていくんですね。つまり子どもの行為 を物語として意味づけ、それを丁寧に繰り返 すことで、自分が犬との間に作ろうとしてい る物語を大人たちの言葉で意味づけることを 子どもは学んでいくんです。言葉をきちんと つける、このことが重要でしょうね。

それで2歳から3歳ぐらいが非常に面白い。

(4)

4〜5歳になると結構仲間で目的的に生きる ことができますが、2歳、3歳あたりで個別 の大人−子ども関係から、子ども−子ども関 係に移っていく。面白い時期です。3歳の実 践で、さっき時間がなくてお話できなかった のですが、「死んだごっこ」という傑作な遊 びがありました。3歳過ぎのモエちゃんとい う子が、部屋の中で仰向けに寝転がっていた んです。そうしたらそのモエちゃんのそばに エミちゃんという子が来まして、「あ、モエ ちゃん死んでる」と言ったのです。そしたら モエちゃんは「あ、死ななきゃいけない」と 思って、すごく一生懸命に、真面目に死んだ マネをするわけ。そうしたら周りの子が来て

「どうしたの?」「モエちゃん死んでる」って。

モエちゃんはそう言われた手前、死んだ人間 をずっと演じるんですよ。そうしたら周りの 子が、「死んでるかどうか確かめなきゃ」と 言って、「息はしてませんね」とか「熱は高 いですね」とか、わけわかんないこと言いな がら遊んでいたわけです。それから「この子 を生き返らせなきゃ」と言って、「人工呼吸 をします」なんて蘇生ごっこが始まりました。

最後は「へそだ、へそだ」なんて言って、

「おへそくすぐれ」なんてやって、もう耐え られなくなって「生きてるよ」と言って終わ ったんですけど。

その日の帰りに、子どもたちはもう、「ね え、明日誰死ぬ?」って相談してるんです。

それを聞きながら先生は悩みます。なぜ悩む かと言ったら、テーマが悪い

(笑)

。だって 人の死を遊んで、けらけら笑ってるのは不謹 慎でしょう。保育者が認めたり、助長したり、

一緒にやってはいけない気がするでしょ。で も先生は止められなかった。理由は子どもた ちが輝いていたからです

(笑)

。そのずれが

悩みなんですよ。それを対話的に受け止めて、

そして意味づけて、発展させる。皆さんだっ たらどうしますか?「ああ、この子ら、こう いうことを面白がってんだ」までは簡単です。

それを保育者としてどう意味づけて発展させ るか。これ、なかなか保育の現場だけで議論 していても、答えが出ないと思う。先輩にき くと、みんな「そりゃ、死なんか遊んじゃだ めでしょう」って、「悪いことは悪い。それ を教えるのが保育者でしょう」と言うのです。

それでやっぱり止めなきゃいけないかなと思 うけれど、もう一方で、でもこの面白さは何 なんだって思うんですよ。

担任の先生は子どもたちに、「あのさ、死 んだごっこって面白いの?」って聞きました。

いい対応ですね。子どもたちは「面白い」っ て言います。それで先生は「そう面白いんだ。

でもさ、モエちゃんが死んだという話を聞く と、遊びでも先生は悲しくなるな。だからや めたほうがいいと思うんだけど、やめない?」

って。「お母さん聞いたらもっと悲しいと思 うよ」って。子どもたちが「やめない」って 言って、この説得はだめでしたけど。けれど もなんとなく保育者としてまっとうな関わり だという気がしますね。

実は世界的に、子どもたちが大きくなる場 所が、学校的なところだけ、幼稚園・保育園 的なところだけになりつつあります。でも、

そうだとすると、幼児の生活は先生と子ども の関係だけで1日の物語が完結してしまう。

先生と子どもの関係だけで人間になっていく

のでは、あまりにも狭いじゃないですか。僕

は、幼稚園・保育園という社会が子どもを守

る大事な砦だとしたら、その中にもっと自然

な、先生のいない時間や空間も保障しなきゃ

いけないんじゃないかと思います。昔の地域

(5)

社会が持ってたような、大人のいないところ で冒険を繰り返すような時間と空間を意識的 に保障する。すると「死んだごっこ」という のは、大人がいないところでは認められるの です。大人がいると「やめなさい」と言う。

大人っていうのはそういう存在だから。けれ ども保育者が、その両方を大事にすることは 不可能に近いのです。だから僕は言いました。

「もしもこんな遊びを大切にしようと思うん なら、背中で子どもを見てなきゃだめです。

そばにいたら注意しなさい。でも離れて、見 て見ぬふりをしながら背中で見ている、そう いう関わり方も教育的に意味があるんです」

と。

でも、それだけじゃだめです。もう一つ、

この遊びの本質を見抜き、それを発展させる ことが重要です。死というテーマは奨励しな いけれど、本質は発展させる。そうすると

「この遊びの一番の面白さは何なんだろうか」

ということを知る必要があります。僕は話を 聞きながら、「これは『だるまさんがころん だ』と同じ遊びではないか」と思いました。

皆さんそう思いません?「だるまさんがころ んだ」と言う時に、子どもたちは自然に止ま っていれば一番つかまりにくい。でも、わざ と足あげたりしゃがんだり、辛い格好で止ま

るでしょう。それは、こっちが止まるとあっ ちが動く、あっちが止まるとこっちは動く、

その動と静の対比が面白くて遊んでいるんだ と思います。「死んだごっこ」をしている子 どもも、実は身体は止まっているのに、心だ けはドキドキ動いている、そういう感覚を面 白がっているのではないか。だったらその面 白さを広げて実践へとつなげていくことが、

子どもの遊びの本質を発展させる道です。そ ういうことが見えない保育者は、子どもと対 話できません。

そういうふうに考えていくと、個人の物語 と仲間の物語をつなげていくには、年齢ごと に、ある必然性があるような気が、僕はして います。コミュニケーションということにつ いて汐見さんが話してらっしゃいましたが、

僕も対話とコミュニケーションはセットだと 考えているんですけれども、聞きながら考え ていたことはベイトソンのいう「メタコミュ ニケーション」についてです。メタコミュニ ケーションについては、こういうふうに考え たらいいかなと思っています。ここに A ちゃ んという子がいます。Bちゃんという子がい ます。 A ちゃんという子がお母さんの役をや っていて、Bちゃんという子が子どもの役を やっています。お母さんと子どもでお母さん ごっこが成立しています。ごっこ遊びという のを成立させている時には、 A ちゃんは A ゃんだけど、お母さんの役になっています。

役割を交流している時に子どもは面白く生き るのですが、ここで何が起きているかを考え てみましょう。 A ちゃんと B ちゃんには生身 の人間のコミュニケーションがあります。そ して役割上のコミュニケーションがあります。

けんかをしていても本当は嫌いな子でも、ご

っこの中ではいい母といい子を演じなきゃい

(6)

けない。ベイトソンは、ライオンの赤ちゃん がじゃれつき遊びをしているところを見なが ら、ライオンの子ども達の中に「これは遊び だぞ」という約束が成立しているではないか ということを言いました。遊びだということ で噛んでいる。そういう関係が成立している。

これがメタ・メッセージとしての「これは遊 びだよ」という気分です。「これは遊びだよ」

という気持ち、空気みたいなものです。ただ お母さんがお母さんの役をやっているからお 母さんごっこが成立するのではなくて、誰が どう出しているかわかんないけど、この不思 議な「これは遊びだ、This is play.」という空 気を共有しているから、ごっこがごっことし て成立している。

実は、コミュニケーションの難しい子ども が増えている、人との関係が難しくなってい るというのは、このメタ・メッセージを出す ことが苦手なタイプの子と、メタ・メッセー ジを受け止めることが苦手なタイプの子が増 えているんじゃないか。そういう気がしてい ます。現実世界でくり広げられるストレート な人間のメッセージと、お話を聞かせるよう なメッセージばかりでなく、「今、これはこ ういう関係だぞ」という役をわかり合ってい くような、そんなメッセージの育て方が必要 ではないかと思います。それは2〜3歳の頃 には、ごっこ遊びの中ですごく簡単にできち ゃうことなので、それを大事にしたらいいか なと思います。

それからもう一つ、大きな問題があります。

汐見さんが言った保育の課題といったことと、

目の前の子どものこと、今ここの子どもの要 求を大事にするという大瀧さんの話をどう結 び付けるかということが、僕は一番面白い問 題だと思います。僕がそれについてどういう

ことを考えるかと言うと、赤ちゃんからだん だん人間に育っていく道筋に寄り添っていく と、実はその中に、汐見さんが言った「そも そも人間とは」という関係がすごくシンプル に存在している。それを子どもの願いとつな げていく道筋を考えると、人間の社会の本来 的なあり方はこうでしょうというところにつ ながっていくような気がしています。

そういうふうな議論を乳幼児期からするこ とが大事です。いやむしろ、乳幼児期しかで きないんじゃないか。そういう思いで、そこ をつなげていく議論ができたらなと、今、僕 は考えています。

司会 :目の前の子どもの意志を大切にする保 育と、普遍的な価値を求める保育の関係を問 う、という大きなテーマが見えてきた所です が、フロアからたくさんご質問をいただいて います。残り時間があと15分ほどになってし まいましたので、フロアからのご質問をご紹 介したいと思います。全部はお答えいただけ ないかもしれませんが、3人の先生からお答 えをいただきつつ、少しまとめていこうかな と思っております。

汐見先生への質問から紹介します。まず

「保育者養成は今のままではいけないと思う のですが、どのようなことを重視すればいい ですか」と。これは、私たちもお答えが聞き たいと思う問題です。

汐見先生がお話しくださった幼稚園教育要 領と保育所保育指針の改定に関わって、大き な質問がいくつか来ております。まず「日本 の教育・保育予算が少なすぎるとのこと。ど うしてなのでしょうか。どこが変われば予算 を増やせるのか、よい方法を教えてください」。

難しい質問ですね。次に「幼児教育課には、

(7)

幼稚園、認定こども園、保育園までも包摂す るという話でしたが、保育園もというところ が理解できません。幼児教育課になったこと は、管轄省庁の一元化が日程に上がっている ということでしょうか」。そして「幼稚園教 育要領が将来なくなるかもしれないというこ とは、初めて知りました。その議論の経緯を 知りたいと思います」とのことです。それか ら「保育指針に対して、今から園内研修をす るところです。せめぎ合いでできたものを、

子どもたちのためによりよく生かすためのア ドバイスを、もう少しください」との質問も きています。

あまり時間がなくて申し訳ありません。汐 見先生、簡潔にお答えの方、よろしくお願い します。

汐見 :「保育者養成はどうしたらいいか」と いうテーマで一日シンポジウムがやりたいで すね。

今、いろんな課題を抱えていて、「保育を やりたい」と言う学生さんに、こういう仕事 の夢というものを感じてほしいんですよね。

教育の世界は大変だと言われます。いじめが あるわ、学力低下があるわ。今回の学習指導 要領も、 PISA の点数を上げろ、競争をしろ というような学習指導要領になってしまって います。 OECD は本来、持続可能な社会をつ くること、持続可能な資本主義を目指してい るんですね。そういう議論はすっ飛ばして、

点数を上げることだけが目指されて、現場で は今まで以上に発表の力が大切だとかなんだ とかいうことになってしまう。そういう面だ けを伝えると、やはり大変な仕事だというこ とになると思う。

でも、そういう現実はあったとしても、こ

の教育という仕事、人が人を育てるという仕 事は大事な仕事です。その時に育てている人 が「生きるということはすばらしいことだよ」

ということを伝えられなくなっちゃったら、

絶望しか広がっていかないでしょう。そうい う意味で、保育者をどう養成するかというと きに、未来の社会に希望があるということを 感じてもらわなきゃいけないし、それだけの 知恵と能力を人間は持っているはずだという ことを感じてもらわなきゃいけないと思う。

そういう意味で、瀬戸際のところで踏ん張ら なきゃいけない時代になってきているような 気がしています。僕らも大変さばかりを見る んじゃなくて、人間が頑張っているところを 自分の確信にして伝えていくということを、

本気になってやらないと。口で言っていても、

心の中で絶望感が強くなっていったら、やっ ぱりやれないと思うんです。だからこそ大変 だと思うんです。

それから僕は今、保育者養成の大学にいる のですが、なんと過密なことかと思います。

特に保育士になる人には、15時間の授業で1 回も休講にしてはいけないということが課せ られています。15回をきっちりやれば優れた 保育士が育つという、そんな単純な問題じゃ ないですよね。それから実習がものすごく多 い。実習は大事ですよ。でもコマ数も増えて、

実習も多いと、4年間びっしりです。保育を 見つめ直すとか、外国の保育を見てくるとか、

そんなゆとりはありません。「ちゃんとした 養成をしたい」という国の意気込みはわかる のですが、そういうカリキュラムのあり方を、

行政レベルでもう一回考え直すべき時期がき ていると思います。

それからやはり実際に子どもと接してみて、

そこで学んだことを財産にしながら現場に行

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ってもらいたいと思います。僕らが学校で、

こういうすばらしい保育があるということを 教えれば教えるほど、行って就職したところ が全然違うということで辞めてしまう人も多 いんですよね。これも気の毒だなと思います。

だから、こういう可能性もあるんだけどそう 簡単にはいかないぞということをわかって、

現場に行ってもらいたい。いろんな課題があ るということを、是非交流していきたいなと 思います。

文科省の幼児教育課が保育所を将来管轄す るようになるということは、まだ正式には決 まっているわけではありません。ただ幼稚園 と保育所のカリキュラムは同じものにすると 言っているわけですから、幼児教育課となっ た以上、将来的にはそうなると思います。文 科省がカリキュラムを一元的に管轄するため の布石ですよね。ですから、先ほどお話しし た三条市をはじめ、保育園の管轄を教育委員 会に移したところが出てきているわけです。

実は福祉施設でもあるから、財政は厚労省絡 みなんですけどね。それから親が幼稚園と保 育園で別々に申し込まなきゃいけない状況を 改める、という文章が出ています。自治体レ ベルでは同じ所で申し込めるようにしなけれ ばならない。つまり、つかさどる役所を一元 化しろということです。そういうことも含め て、先々はやはり、保育所が文科省の管轄に なる可能性は高いと思います。

それから教育予算・保育予算が少ないとい うことについては、実は文科省や厚労省の役 人たちもわかっているんです。政権内でも、

いわゆる行政改革、財政改革ということで

「国の支出を絞れ」という考えと、「そんなこ とやっていたら、大変なことになるんじゃな いか」という考えのせめぎ合いがありますよ

ね。状況も複雑です。

去年の12月の末に出た「子どもと家族を応 援する日本」重点戦略会議の報告があります。

それはいろいろなところにばら撒く子育て支 援をやめて、ここにバーンと注ぎ込もうとい う提案をしています。その中の一つは、働き 方の根本的な見直し、ワーク・ライフ・バラ ンスを本当にやらなければならないというこ と。それから保育を受ける子どもを増やす。

この先10年間で、0〜2歳の子どもで保育を 受ける子どもをあと100万人増やし、学童保 育を150万人増やすというものです。このこ とは2月の閣議で決まったのですが、12月の 重点戦略会議の方針を具体化したものなんで すね。でも「待機児ゼロ作戦」は、あれだけ やって十何万人しか埋まらなかったんです。

それをあと10年間でさらに100万人埋めると いうと、保育園を1万ヶ所くらい新設しない 限りできません。

それでもやるというのは、将来の労働力不 足があるからです。あと20年ぐらいたつと、

日本は毎年毎年人口が100万人近く減ってい きます、ということは、納税者が毎年100万 人近くいなくなって、働く人が毎年600万人 いなくなって、ということになるわけです。

それでは社会が持たないと考え始めたんです ね。そこで労働力や購買者の確保をやらなけ ればならないとなると、どうするか。財界は 移民に頼ろうと考えているようですが、それ に対して「それは大変な問題をいっぱい抱え るから」という反対がある。考えてみると、

日本は共働き率が先進国の中で最低水準なん

ですね。特に0〜2歳を育てている女性が働

く率は、例えばフランスの半分以下です。で

すからフランス並みにすれば、毎年何十万か

の労働力を確保できる。そこで女性に子ども

(9)

を育てながら働いてもらうという戦略を採用 し、そのために保育を受ける子どもを100万 人増やすと言ったわけです。ではお金はどう するのか。そのために毎年2兆〜2兆4000億 円を新しく工面してくるといいます。今の財 政の配分の仕方を抜本的に見直すのと、もう 一つは消費税の値上げです。消費税の値上げ 1%が、ほぼ2 . 4兆円なんです。

そうなっても、結局、保育園は100万人な んて増やせません。実際的に考えるならば、

保育ママさんだとか、認証保育所だとか、あ りとあらゆる保育施設を使うことになります。

心配なのは質です。今の保育ママさんは、保 育士か看護師の資格が必要ということになっ ています。でもそうすると足りないんです。

そこで、その制限を外そうという議論が始ま っています。21世紀の保育を考える時に、数 を増やすことによる質の低下をどう防ぐかと いうことが重要になってくるでしょう。数は 確かに増やさなきゃいけない。だけど、それ でも質が下がらないようにするためには、や はりお金を注ぐしかないですよね。

私たちはありとあらゆるところで、「私た ちはこのレベルの保育をしたい。日本の子ど もをちゃんと育てたい。だけどそのためには、

1人で三十何人を見なきゃいけない、幼稚園 の今のあり方を何とかしろ」と言わねばなり ません。そういうことは国の答申にも出てい るんです。幼稚園の先生の数を2割ほど増や すことも、ちゃんと国の方針になっている。

でもお金がないから、方針は出していても実 施されていない。今日このシンポジウムが終 わったら、職場へ戻ってむしろばたをつくっ て、「金増やせ、人増やせ」って行進すべき かもしれませんね

(笑)

。とにかく何兆円と いった予算を子どもに回さない限り、日本は

話にならない状況になっていると思います。

保育指針や幼稚園教育要領をなくそうとい う議論もあります。100万人増やさなきゃと いうことになると、そういうのを虎視眈々と 狙っている業者の世界があるわけです。しか も保育ママさんも保育士資格がいらないとい うことになると、バーッと増えるでしょう。

そうすると、そういう人達が保育を支えてい るのだけど、実際には保育指針が守れない、

空文化していく可能性もあります。業界から は現場裁量を拡大するということで無くして ほしいという要請が強くなる、そういう流れ も予想されます。実は、高等学校の学習要領 をなくそうという意見もあるんですね。現場 が自分たちで創意工夫しないのは、上からそ うやって決めてきたからだという批判がある わけです。取っ払っても、高校ならばやれる んじゃないか。そのようなかたちで、上から 一律に学習指導要領で縛ってきたやり方をそ ろそろ撤廃して、現場に裁量を与えるべきだ という意見もあるんですね。そういう議論の 中で考えなければならないのは、現場に裁量 が来るのは確かにいいことかもしれないけれ ど、ある水準を維持できるような保障がある かどうかということも同時に大切だというこ とですね。

だから僕らは保育について、「これだけは 絶対に守らせなきゃいけない」とか「これだ けは譲っちゃいけない」、そのためにどうし ても「お金を増やさなきゃいけない」という ことを、世論として高めていかなきゃいけな いだろうと感じています。混乱させられ、私 達は何をさせられているのだろう、という感 じになることを、最も恐れています。だから こそ、カリキュラムを自分達でつくっていく。

加藤さんが対話的なカリキュラムを構想され

(10)

ているように。もう一度、自分達がどのよう な子どもを目指しているのか、どういう職場 を目指しているのか、職員同士も対話しなき ゃいけないし、保護者とも対話しなきゃいけ ないし、地域とも対話しなきゃいけない。

地域の中に「ここに来ると、ほっとできる わね」というかたちで存在している、そんな 幼稚園や保育所をみんなでつくっていきたい ですよね。そこで救われた、いろんな人と出 会えた、そういう場所をつくっていくという 夢をみんなで持って。それを共感、対話とい ったいろんな言葉で語り合いながら。それで、

私達がやっていることはとても重要だ、ここ にお金を注がない社会はおかしい、そのよう に議論していけるような力が必要です。上か ら言われることに翻弄されるような状況にな らないように、ということが、僕から一番強 くお願いしたいことです。

司会 :汐見先生、どうもありがとうございま す。

大瀧先生には、非常に具体的な、保育実践 上のいくつかのご相談が来ています。一つ紹 介いたします。一時保育クラス担任の方から、

「週2回ほどの通園をしている子どもですが、

2歳児の母親は娘のイヤイヤにとても困って 叱る姿ばかりです。『もっと制作などの楽し める活動を』というお話がありましたが、非 常に疲れた母親の様子を見るにつけ、若い母 親にどう接するか考え中である。いいアドバ イスがあれば、お願いします」ということで す。

自分でコントロールできない親・保護者が 増えていることに対して、どう対処していっ たらいいのか、これは深刻な現場の悩みです ね。大瀧先生、よろしくお願いします。

大瀧 :僕らの幼稚園でも今、2歳児を含め幼 稚園に入る前の子どもたちを集めて、お母さ んの子育て相談会というのをやっています。

お母さん達はやはり、2歳児の言うことの聞 かなさ、2歳児のイヤイヤに辟易しているこ とが多いですね。その中で、まずはお母さん の話を聞くということが、とても大事だと思 っています。日本は今、子育てで家にいる人 が一人になってしまっていますよね。昨年で したか、そうやって集まってきたお母さんか ら、「子どもを怒る時には、家の窓を全部閉 めるのよね。でないと『虐待ね』と言われち ゃうから」という話を聞きました。近所とそ ういう関係になっているんですよね。それで お母さん達も悩みながら、どうしていいかわ からないんですよね。

ですから、幼稚園や保育園が話を聞く場と して、人と関わりを持てるような場として、

地域のコミュニティのようになると、本当は いいんだろうと思うんです。ただ僕らにはや はり、その仕事にあたる人を抱えられるほど の財政的な余裕はない。園長や主事が片手間 にやっているから、ずっとは関わっていけな いんです。でもお母さんたちは、ずっと自分 一人で抱えているわけだから、イライラしち ゃいますよね。その上に社会不安が強まって くると、「この子をどうしようか」なんて考 えるだけで、子育てが暗くなってしまう。そ れが子どものほうに向けられちゃうという悪 循環を、どこかで断ち切らなくてはいけない と思います。

司会 :大瀧先生、どうもありがとうございま す。

加藤先生にも幾つも質問がきています。ま

ず「3歳の万能感、5歳児の有能感へ誘う保

(11)

育実践を、もっと具体的に話していただきた い」というもの。それから保育士の方からで すが、「保育指針の改訂が行われ、概説書が 出ますが、今回の改訂はとても重みがあるよ うに思いますが、先生が見た改訂の一番重要 な観点はどこだと考えておられますか」との ことです。汐見先生からお話があったことに ついて、今度は加藤先生にお聞きになりたい ということですね。

加藤先生、本当に残り時間がなくて申し訳 ありません、一言お願いします。

加藤 :私はさきほど話しましたから、本当は 指針の問題で言うべきこともあるのですが、

一言だけお話しして終わりにしますね。

三人の話で何がつながっているのか。どう いう一貫性があるのか。よくわからないかも しれないけれど

(笑)

、でもいいと思うんで す。それは常田先生のお話じゃないけれど、

自分の中で一つの区切りをつくればいいんで すよね。つまり自分と響きあったところで物 語をつくる。そういうことを積み重ねていく ことが必要だと思います。今日はすごく大き なことと小さなことが一緒に議論されました。

それが同時に起きているから、今、保育が混 乱し、苦しく、でも面白いんです。

大きなところ汐見さんが最後に言われたよ うな話がある。保育の問題は子どもの問題だ と考えられていますが、実は大人たちの労働 力の問題であり、女性の労働力に対する期待 の問題もあるのです。そういうところから制 度が改革され、保育園や幼稚園のありようが デザインされてしまう。そこでお金の配分を はじめ、いろんなことが問題になる。場所を つくるお金は出しても、保育者の専門性を評 価した、専門家としての地位を認めるだけの

給料を保障する金は準備しない。「保育者は たいした給料がなくても、やっていけるでし ょう」って、そういうレベルで語られている 保育とは、いったい何なんだろうか。そうい う矛盾が総体として今、生み出されているこ とを、保育者は知らなければいけない、考え なければいけないと思います。そして親たち も、そのような文脈をふまえて保育のことを 議論しないと、子どもの幸せは守れないと思 います。

もう一つ、保育の小さな物語と大きな目標 論をつなげていく議論は、今いろんな職場で 丁寧にしてほしいと思います。そして、そこ のところは、さっきから言いかけてやめてい るところなんですが、汐見さんは保育を発想 する三つの立場を提示しました。僕も、この 三つの立場から目標論を議論することが必要 だと思う。けれども同時に、大瀧さんが言っ たような子どもの今ここにあるもの、「これ したい」とか「カエル捕まえたい」というレ ベルの子どもの要求と、大きな目標とがどう つながるのか、考えなければならないと思い ます。

僕は今まで子どもの要求から出発すること を中心に議論を展開してきました。子どもの 要求をちょっと発展させる。それをまたちょ っと発展させる。それを友達とつなげていく。

実はこういった実践をするためには、すなわ ち子どもの今ここにある要求を発展させてい くためには、保育者はやはりどんなふうに賢 い子になってほしいか、どんなふうな関係を 友達とつくってほしいかということを持って ないといけないんです。ですから大きな目標 をくぐりながら、子どもの次の活動を考えて いるはずなんですね。次のレベルの目標を、

保育者はいつも見ているの。その視点をつな

(12)

げることを保育の現場でしていると、実は私 たちが子どもの小さな要求を質の高い要求へ 発展させていく営みの連続の中に、この社会 をどうしたらいいんだろうという人間の思い がつながっていく。そういう議論を、保育か ら起こしていくことが、今大事なのだと思い ます。それが和光で準備された「少子社会日 本の保育―いま求められている保育の質とは 何か―」という壮大なテーマのもとで行われ た、私たちの一つ一つの報告をつなげる視点 かなと思います。以上です。ありがとうござ いました。

司会 :加藤先生、どうもありがとうございま した。

今回のシンポジウムは非常に大きなテーマ で開催しました。これはどこが論点になるん だろうと私も悩んだのですが、先生方はビッ グな方たちなので何とかなさるだろうと思っ

(笑)

。汐見先生が「問題の立て方が大事 なんだ」という問題提起をされて、それがこ の大きなテーマのシンポジウムの方向をつけ

てくれました。それに対して大瀧先生が非常 に具体的なお話をしてくださって、加藤先生 がその両方を繋いでくださって。それぞれに きっちり受け止めてくださって、それこそ良 い対話ができて、感謝しております。

あとは残された議論ですね。その一つは、

汐見先生のお話にもありましたが、今後、学 力ということが問題になってくると思います。

そういうことと幼児期の対話的な能力の関係 を、もっと具体的に深められればと思います。

もう一つは、協同的ということについてです。

今回の幼稚園教育要領で、中教審で言われた 協同的な学びということが、協同的な遊びと いうような形で入ってきていますね。それが 幼少連携等の文脈で現場に下りてきた時に、

子どもの発想を大切にする共感的な保育にど のような課題が生じるのか、お聞きしたかっ たです。

具体的な保育者養成のあり方をめぐる議論 も必要です。またこのような議論の機会を持 つことができればと思っております。先生方、

今日は本当にどうもありがとうございました。

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