ユーラシアの美術交流 : ケルトから視る(シンポジ ウム 東西文化交流と比較神話)
著者 鶴岡 真弓
雑誌名 東西南北
巻 2002
ページ 26‑41
発行年 2002‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003600/
私は︑ケルトの美術・文化の研究でアイルランドに留
学後︑八○年代の初めに︑和光大学で非常勤講師として
教壇に立たせていただきました.その意味で私は和光大
学の﹁卒業生﹂でもあります︒その後も前田先生を座長
としていろいろな形で支えてくださっている先生方とと
もに︑表象と芸術︑イメージ︑そういったキーワードの
研究会に参加させていただきました︒
現在は︑京都の立命館大学文学部で︑芸術について講
じておりますが︑そもそも自明のものとしてアートやデ
ザインがあるというのではなくて︑文学ないし人文学︑
つまり人間とは何か︑私と世界との関係は何か︑私が生
きる中で私はどういう世界像を持って生きていくのか︑
そういうヒューマニティーズの根本にできるだけ触れな
がら︑芸術やデザインについて講じているつもりです︒
ケルトから視る 鶴岡真弓
シンポジウム○東西文化交流と比較神話ユーラシアの美術交流
・立命館大学文学部教授
きょうの﹁東西文化交流と比較神話﹂というお題をい
ただいたのは何ヵ月か前でした︒ヨーロッパと日本を隔
てながら同時につないでいるユーロアジア︑ユーラシア
大陸は︑今は不幸なことに戦争に巻き込まれています︒
そこにはさまざまな地域や文明がありますが︑その西側
と東側を研究することにおいて︑日本の大学の中では和
光大学の研究会や調査隊が非常にご活躍されています︒
ですから︑﹁東西文化交流と比較神話﹂というお題をい
ただいて︑私は非常にまともに反応しまして︑ユーラシ
ア大陸をつないだ世界像はたくさんあるけれども︑その
中で非常に重要な﹁動物イメージ﹂︑﹁動物という神﹂︑
﹁動物﹂というものに人間が思いをいたすときに︑どう
いう形︑意味︑意匠を込めていたのか︑その共通性と違
いを考えようとしました︒ つるおか・まゆみ早稲田大学大学院修了後︑ダブリン大学留学︑現在立命館大学文学部教授︵西洋美術史・ヨーロッパ文化史・ケルト芸術・表巣研究︶︒編著訳著﹁ケルト/装飾的思考﹂︵筑摩榔房︶︑﹃ケルト美術﹂︵ちくま学芸文庫︶︑﹁ジョイスとケルト世界lアイルランド芸術の系譜﹂︵平凡社ライブラリー︶など︒近年は︑日本の装飾美術についての著作も手がける.
026
−
おそらく︑共通性と違いは何かを考えるときのコイン
の裏表であり︑そのどちら・かを強調することではないと
思います︒私は囲碁はやりませんし︑将棋もチンプンカ
ンプンですが︑碁の世界で言うと︑グリッドの中に白い
石であれ黒い石であれ石を置いたときに︑それは石とし
て一応そこに存在はしていますが︑その置かれた碁石は︑
隣の石あるいは一○センチ離れたところにある黒い石︑
あるいは自分の手前のほうにある白い石︑などとの﹁関
係﹂の中で初めて生命を持ってそこにあるということで
すね︒
例えばケルトの美術をやっていますと︑ケルトの美術
畠
"凸餌
一
I というその繭玉の中で︑ケルトの美術があたかも糸を非常に純粋に紡いでいるような形として考えてしまいがちです︒しかし︑きょう︑お話しするように︑ロシアのある研究者の方から言えば︑ケルトはスキタイとバルカン半島周辺で間接的ではあれ文化的な接触を起こしており︑﹁ケルト﹂文化や美術も大いなる﹁関係﹂の中に存在していることがわかります︒たとえば吉田先生は︑実際ケルト神話の中の聖なる象徴物と日本の神話の中にある聖なる象徴物︑そして真ん中にあるスキタイの象徴物が非常に連関を持ってながめられるという考え方を︑神話学のほうから提示されました︒さらに日本人である吉田先生はそれを展開させて︑師匠のデュメジルを超える日本からの考え方の例証というものを世界に発信しておられるわけです︒
美術史の上でもそういうものがあって︑今の吉田先生
のお話に倣えば︑ケルトはユーラシア大陸の東のほうと
非常につながっているという様相を予測できるわけです︒
物の世界11美術は一つのマテリァの中にクオリァ︑観
念を表しているわけですから11人が動かなくても︑貿
易や交易で物が動き︑それによってひとつの﹁世界観﹂
つまり﹁文化﹂が伝わっていくわけです︒
つまり神話の言葉と同じように︑美術には物の言葉が
あって︑さらに物の言葉は単なる石ころの言葉ではなく
て︑そこにはそれをつくった職人や民族の世界像のメッ
0 2 7 − −
私のタイトルは﹁ユーラシアの美術交流﹂というのが
メィンタィトルで︑サブタイトルは﹁ケルトから視る﹂
というものにさせていただきました︒
﹁ケルト﹂というのは︑いくつかの見方がありますが︑
皆さんが一番よくご存じなのは︑地中海のギリシャ・ロ
ーマ文明に対するアルプス以北の北方文明であるという
のが一つあります︒
二つ目は︑キリスト教が入って来てからの中世ョIロ
ッパの世界観から見ると︑キリスト教の世界に対立する セージが含まれているはずです︒同じ丸を描いても︑それは白いお餅だと見る日本人の文化と︑サークルを描けば中は空洞だというように考える西洋の人たちの文化は違うわけです︒﹁丸という形﹂は︑人が行かなくても︑一枚の写本とか一個の丸い金属とかが動くだけで交流します︒
﹁交流﹂というのは人間にとって︑自分はより十全な
碁石としてありたいという︑そういう願いのようなもの
が交流史であると思います︒ですから︑きょうのタイト
ルの﹁文化交流﹂というのは︑ただ自明の交流というこ
とでなくて︑実際に交流がどうあったのかということを
科学的に認識すると同時に︑ひとつの文化の担い手が自
分の存在を交流的なものとしてどれだけ生きたかという
視点から見られる問いでもあると思うんです︒ 異教的な伝統文化を持っている文化文明であるということです︒
三つ目は︑近世・近代になりますと︑イギリスやフラ
ンスという近代的な社会をつくり上げていった﹁中心﹂
に対して︑非常におくれた周縁の地域であるということ
です︒
しかし︑これはさっき言った繭玉の中の三つの定義に
すぎません︒きょうはその繭玉からはじけて︑﹁ケルト﹂
文明の四つ目の側面として︑ユーロアジアつまりユーラ
シア大陸の中で一八世紀末から一九世紀︑二○世紀と展
開してきたインド・ヨーロッパ比較言語学の体系の中の
最も極西の部分に︑その言語体系の一員である人たちが
形づくった文化としてのケルトという位置から見ていき
たいわけです︒さっき吉田先生が引用されたトゥアハデ
ダナンなどの神話はゲール語︵ケルト語︶で書かれたもの
で︑インド・ヨーロッパの言語の体系からすると一番西
にあり︑そしてインドやイランやヨーロッパ諸語と親戚
関係にあるわけです︒インド・ヨーロッパ世界の一番極
西部をしっかりと保っている文化であるという側面です︒
それから五つ目は︑きょうお話しすることですが︑イ
ンド・ヨーロッパ比較言語学が想定した範囲は西ヨーロ
ッパからインドまでですが︑ユーラシア大陸はその範囲
を超えてインドより東にもうちょっとあり︑中国が代表
としてありますね︒インド・ヨーロッパの範囲より東方
− 0 2 8
にかかわって参照できるケルト︑つまりユーラシア大陸
の極西から極東までの文明の関係︑交流というものの一
端を担う文化︑それが五つ目になると思います︒
五つ目の問題は︑一八世紀末から一九世紀の前半期に︑
スカンジナビアやロシア︑ドイツ︑英国など︑主にヨー
ロッパ北方の研究者たちが︑アニマル・スタイル︑動物
様式ないし動物文様︑動物意匠を研究して︑今言った五
番目の世界像の中にケルトを入れ込んでいく︑そういう
研究をしてきました︒
皆さん動物というと︑ミッキーマウスをすぐ思い浮か
べる人︑金魚などを思い浮かべる人︑それから日本の神
話とかが好きで八岐大蛇などを思う人とか︑あるいは身
近にペットを飼っていらっしゃって︑犬とか猫を思う人︑
いろいろいらっしゃると思うんです︒その中で一番意味
深いのは私はミッキーマウスのような気がしますが︑こ
れはキリスト教文明が生んだ﹁神の理性を与えられた﹂
動物で︑これはこれでまたいろいろ論じられるんですが︑
それをやっているとまた遅くなるので今回はやめます︒
皆さんの中で動物を飼っている人もいると思いますが︑
動物というのは愛らしい︑それから人間の続きで生命を
持った同胞である︑そういうことがあると思いますが︑
なぜ飼ったり︑動物園に行ったり︑ミッキーマウスのシ
ールとかを持っているかというと︑それはおもしろいか らだと思うんです︒おもしろいというのは︑思いがけない他者︑存在で︑思いがけない存在というのはおもしろいんですね︒恋人が最初は思いがけない他者だったのに︑付き合ってみたらその思いがけなさがなくなって︑すごく色があせていったりするわけで︑つまり思いがけないという衝撃はすごく大きいんです︒
そしてたぶん動物文様美術︑アニマル・スタイルを古
代につくってきた民族︑スキタイもケルトも中国の人た
ちも︑動物という存在に︑笹の中にぱっと見えないとか︑
天を飛んでいる空想とか︑あるいは身近にいるミミズま
で含めて︑全部それは人間にとって何かすごいものだと︑
つまり畏敬の念というのを持っていたはずで︑その畏敬
の念が形になって現れている︒ですから︑これはただ遊
牧民であるからとか︑動物が身近にいたから描写したと
いうのではなくて︑つまり﹁実態﹂から﹁イメージ﹂を
作ったのではなくて︑﹁イメージ﹂から﹁実態﹂へアプ
ローチする︑すごく大きな手段だった︒考えることの手
段あるいは生きることを構築していくことを表す表象だ
ったということです︒
ついでに言いますと︑これは授業でよく言うことです
が︑特に若い学生さんがいらっしゃるから言いますけれ
ども︑何か勉強するのは︑この世界には何か私が知らな
ければいけない実態が石のようにいっぱい転がっていて︑
それを一個一個手にとって全部調べないと自分は何もも
0 2 ー
さて︑イメージから実態への一番印象的なデザインと
しては次のようものがあげられます︒図lは︑アイルラ
ンドのダブリンから車で一時間ほど行ったケルズ修道院
というところで完成された﹁ケルズの書﹂という福音書
の︑Tというラテン語のアルファベットの頭文字に動物
が結合している︑何とも奇妙なものです︒ジェイムズ・
ジョィスはこれを﹁フィネガンズウェイク﹂でパロディ
に使いました︒トゥンク・ページと言いますが︑これを
ごらんいただいただけでも︑何か気持ちの悪い︑しかし
パワフルで何か圧倒的な感じを受けるのは私だけではな
いと思います︒
これは動物という実態を描写してこうなったのではあ
りません︒たとえばカントは死ぬ瞬間に︑私の外に広が
るマクロコスモスと︑私の内面に広がるミクロコスモス
は本当にわからない︑つまり内の実態も外の実態もわか
らない八と言いました︒﹁動物﹂の表現も動物の実態を
確信したものではなく︑それへの畏敬や謎めく存在への
関心の総体を﹁イメージ﹂として表したといえる︒その
民族や個人が自分には世界はこう見えるというイメージ のが言えないと思っていることも含めて︑それは﹁実態﹂から﹁イメージ﹂を作り世界を解釈する方法ということになります︒しかし実際はその逆の方法で︑世界像や思考が構築されていくのではないでしょうか︒ をまず提示して︑実態にアプローチする扉を開けるということです︒
さきほど吉田先生が︑スキタイの人たちは金属をすご
く尊重していたとおっしゃいました︒それは神殿みたい
な大きい金属ではなくて︑実際にはすごく小さいわけで
す︒ブローチとしてつけるような︑腰にじゃらっと下げ
るようなものが宝物になった︑そういう小さな世界なん
です︒
そこにこういうデモーニッシュな動物が形どられてい
るわけですがlこれはちょっと見たら取るに足りない︑
実際の動物を何か下手うまで描写したようにさえ見えて
しまうものなんですが11実は彼らは実態を描写したの
ではなくて︑端的に言えば︑彼らが世界を見るときに︑
自分たちにとって畏敬すべき動物という神︑動物という
意外な存在︑動物というすごくおもしろい存在︑思いが
けない生き物︑それが私にとって何かすごい意味を持っ
ているということ︑それをこういうイメージにすること︑︑︑︑によって︑自分たちの実態というのは何だろうというよ
うに扉を開いたのです︒ですから︑デザインとか美術と
かイメージというのは︑実態への最初の扉であって︑実
態の転写ではないわけです︒
写実主義的な美術の権威︑古典的な権威︑そういうも
のがずっとあって︑それはそれですばらしい美術です︒
ギリシャとか︑ローマとか︑あるいは日本人も近代にな
− 0 3 0
って模倣したようなのはすごく重要なんですが︑それは
人間がつくり出す営為の車輪の片方なんです︒
もう片方は︑自分の心とか頭の中で﹁構成される世界
像﹂つまりイメージによる世界像の構築がある︒ふっと
冷たい風が吹いてきた︑コヨーテが鳴いた︑パシャッと
B 公
The ぁbG hq
, t 画
『 あ
a
負 負 負
9 画 ● 9 画 ●
夕b{1
上TU
図1『ケルズの書」頭文字Tの怪獣
金魚がはねた︑そのときに私が描く﹁イメージ﹂から私
は世界を見ている︑ということです︒絵師︑金工師だっ
たら︑それをかたどるでしょう︒﹁イメージ﹂とは常に
実態に還元されたり︑実態にご相談申し上げて︑こうい
うデザインをやっているのではない︒イメージというの
はもっと旺盛なもので︑実態にいつもお伺いを立ててビ
クビクしてこういう形ができたわけではありません︒
これは言語の活動と同じであるでしょう︒言語は非常
に抽象度が高く︑絵というのは何か具体的で感覚的だか
ら︑言語に比べると抽象度が低いような誤解を受けます
が︑私は抽象度が高いと思います︒端的に言えば︑観念
が言葉をつくり観念がイメージをつくっているからです︒
九世紀のアイルランドの﹁ケルズの書﹂を書いた修道
士がつくったTという文字に合体している動物は︑その
人たちが動物というのはこうであると﹁観念した﹂形象
でありましょう︒九世紀の立派なキリスト教の時代にな
っても︑こういうものを描き続けている︒キリスト教で
は龍みたいなものやヘビみたいなものはご法度ですから︑
普通だったら描けない︒だけどこれをやはり描いてしま
う︒﹁ケルズの書﹂は立派な修道士の記念として︑典礼
用の写本として︑ケルズの修道院に九世紀のときにあっ
たわけです︒
Tというのは︑キリストが逮捕されるときの非常に重
要な頭文字ですが︑それを描かなければならないと考え
" 1 ‑
要するにきょうの結論は︑ケルトの動物文様は西ヨー
ロッパにあって︑もちろんケルトという非常に独特なも
のを持っていますが︑それはさっき吉田先生が話された
スキタイあるいはサルマタィースキタイは前期の南ロ
シアの動物文様であり︑後期にサルマタイの様式がある ているその人の頭の中には︑こういう動物をイメージする文化的な観念が強烈にあった︒
だから︑言語の活動とイメージの活動は両輪なんです︒
どっちが偉くてどっちが低いとか︑どっちが抽象的にわ
かって︑どっちが感覚的だからわからないとか︑そうい
うふうにずっと区分しているのは非常におかしい︒言語
にしる美術にしる表現のスタートラインは人間の直観と︑
それが昇華してつくり上げる観念なんです︒
以上︑前おきのつもりでちょっと長く話してしまいま
した︒和光大学ではイメージ表現を研究するディシプリ
ンがあって︑﹁イメージ﹂や﹁表現﹂を扱っていますね︒
そういうものがもっと前にどんどん出ていって︑文章を
読むということとイメージについて語ることが︑本当に
両輪で回転していくことの重要性を発信していると私は
思うんです︒そうした大学でのシンポジウムであるだけ
に︑言葉とイメージの両輪ということをまず大前提にし
て話さないといけないと思って︑つい時間を消費してし
まいました︒ lそうしたものが中国の動物文様までつながっているという﹁交流﹂的見方の紹介です︒ロシアのロストフセフという人が一九二○代︑三○年代にそういう考え方をたくさん書きましたが︑こういった考え方を非常にかためようとした時期があるんです︒
さて︑ケルト美術は︑金工︑石︑羊皮紙の三つのマテ
リァル︵素材︶の中でパラレルに展開しました︒キリス
ト教時代︑五世紀から九世紀の最盛期︑渦巻など︑キリ
スト教が入ってくる以前のケルト的な文様美術が表現さ
れました︒その一番の輝きとして︑さっきから出ている
﹁ケルズの書﹂というのが︑八○○年ごろにケルズの修
道院で完成しました︒
﹁ケルズの書﹂はダブリン大学のトリニティ・カレッ
ジ︑﹁ガリバー旅行記﹂を書いたジョナサン・スイフト
やオスカー・ワィルドが卒業した大学のトリニティカレ
ッジにあります︒三四○葉︑六八○ページぐらい現存し
ていますが︑その中にさきほどのケルト文様と言われる
ものがたくさん描かれています︒
その文様のディテールを今ごらんいただきます︒動物
と文字が組み合わされたり︑鳥の文様などたくさんの動
物系文様が表されました︒動物の足であるとか︑あるい
はくねらせた体躯であるとか︑くちばしだとか︑アーモ
ンド型の目であるとかI関節のところを強調した渦巻︑
非常にデモーニッシュな湾曲の体躯︑写実を超えた鋭い
− 2
湾曲のくちばし︑ドロップ型の目11そういうものがキ
リスト教の図像の影に隠れて︑異教時代のケルティック
なものがディテールにでてきます︒そういうものは全部
歴史的に異教時代のケルト美術にありました︒
動物だけではなくて︑人間が組紐化しているという︑
。 勤
唖
@
鐘
●
図 2 ケ ル テ ィ ッ ク ・ イ ン タ レ ー ス
非常に奇妙な︑キッチュな︑ちょっと笑ってしまうよう
な︑そういうものもあります︒
キリスト教の信者たちにとっては非常に重要なキリス
ト像のページのアーチのところにも︑キリスト教が禁じ
た怪獣︑ヘビ様やドラゴン様の動物が描かれています︒
描かれたのは八○○年で︑キリスト教が入ってきて四○
○年もたったときです︒
これは一体何なのか︒動物文様や動物イメージに対す
る非常に強い何かがあるはずだということなんです︒
ではもう一度ケルト文様の構造を確認してみましょう︒
図をごらんください︒ケルトの文様に対する意識︑つま
りケルトは文様を描くことによって世界像を描いている︑
語っているということがわかると思います︒
﹁ケルト文様﹂には三種類ありまして︑図2のケルテ
ィック・インタレース︑ケルトの﹁組紐文様﹂︑二つ目
は図3のケルティック・スパイラルというケルトの﹁渦
巻文様﹂で︑三つ目﹇前掲・図l﹈は︑ズーモルフィッ
ク・インターレースないしはズーモルフィック・パター
ンという﹁動物文様﹂で︑この三つの文様がメインにな
って︑五世紀︑六世紀︑七世紀︑八世紀︑九世紀と︑ヴ
ァイキングが来るまで︑修道士のスクリプトリウム︵写
字室︶ではこういうものをずっと描いていました︒
ケルト美術の編年をつくったり︑体系化した人の中で
0 3 3 ‑ ‑
ヤコブスタールという重要な研究者が︑ドイツのナチス
の迫害でロンドンに逃げて﹇初期ケルト美術﹂という本
を一九四四年に英語で瞥きましたが︑彼の有名な言葉に︑
﹁ケルトの美術にはゲネシスがない﹂︑つまりケルトの美
術には創世期がないという有名な言葉があります︒
ケルトの美術以前に何らかの美術があって︑そこから
ケルトの美術が発展的にでき上がったという考え方は可
能だけれども︑彼は︑圧倒的な文様の非常に狂気じみた︑
あるいは人をくったような︑おもしろさに満ちたこうい
うものは前例がない︒つまりゲネシスなき美術というふ
うに言ったんです︒けれども︑彼もだんだんそれを受容
していったと思うんですが︑ケルト以前にいろいろな美
術があって︑さっきから言っている交流史があって︑そ
の中でできてきたものですね︒
二つ目のケルティック・スパイラルは︑コイルをただ
巻いているんじゃなくて︑コイルの外に流れ星のしっぽ
みたいなものがムニュッと出ているのが特徴なんですが︑
このケルティック・スパイラルは造形的なテンションが
高くて︑すごく厳しい感じがします.だからインカ帝国
や中国の古代の土器の渦巻とは違うもので︑これはケル
ティック・スパイラルとしか言えないものなんです﹇図
3﹈︒
これをAとしますと︑B﹇図4﹈が︑①︑②︑③︑④︑
⑤と下りてきます︒①はエトルリアの文様で︑真ん中が パルメット︵シュロ︶で︑ロータス︵ハス︶が囲まれています︒もう一つ︑アカンサスというアザミの葉があります.︑この三つが︑もちろん前にエジプトもありますが︑ギリシャ︑ローマ︑エトルリア︑マグナグライキアと︑全部ギリシャの系譜をつくるところです︒
それがだんだん変形して⑥になると︑これはフランス
で発見された金工品の中にあるものですが︑交流の中で
接触して︑変形して︑渦巻っぽい文様になった︒こうい
うふうに変型したんだという説もあります︒このような
説明は︑二○年前に大英博物館でガリァの美術展があっ
たときにちゃんとカタログに載せられていますから︑一
つの発展的な文様史観として認められています︒︒
けれども皆さん︑一目見てAのスパイラルとBのスパ
イラルは︑私がさっき言ったテンション︑緊張感が違う
な︑それから外側にホウキ星の尾っぽのようなものがム
ニュッと出て旋回しているデザインのAとBは11感覚
的にでいいんですが11出必定的に違うなとお思いになる
でしょう︒
さて次に動物文様を見ましょう︒
ブルガリアから出ている︑ロストフセフが検証したユ
ーラシアの動物文様の関連で出された卍型の動物装飾を
見ると︑ケルトのAの渦巻とユーラシアの動物文様をつ
なぐものがあったことを思わせます︒
私は︑このスパイラルは地中海の植物文様が変形して
− 0 3 4
できたのではなくて︑ユーラシアのこうした動物文様の
回転する構造を持ったものが非常に強く作用して︑ケル
トのスパイラルというものlこれはいわゆるラテー
ヌ・スタイルという紀元前五○○年のスパイラルなんで
すがlそういうものをつくり出したのではないかとい
うことを︑もう一度ちゃんと考えてみようと思いました︒
それはきょうのお題をいただいて︑改めて動物文様の
体というものを見てみると︑曲線とか︑エロティックな
なまめかしさに満ちていて︑結局それを造形すると渦巻
になっていくというような︑そういうものすごい動物の
体というものをその人たちは造形化したんだなというこ
とが何となく目に濃く入ってきたからでした︒
鯉
A
図 3 ケ ル テ ィ ッ ク ・ ス パ イ ラ ル
①IIV②ItV③lもV④11V⑤11V⑥ そのなまめかしい体を持った動物﹇図5﹈は︑フランスの︑ドイツに近い東のほうのバス・ユッというちょっと変わった名前のところから出て︑大英博物館に蔵されているワインを注ぐフラゴン︵注ぎ器︶についているものです︒取っ手になっている動物の耳が突っ立っているというか︑すごくぴんと張っている︒くちばしが噛みつくようになっている︒あごからくちばしにいくまでが波打っている︒それから︑体が弓のような曲線を持っています︒これは紀元前五○○年とか四○○年のケルトの首領の墓から出たものです︒
それから一○○○年後の中世においても︑動物文様は
盛んに表されました︒
潅 /
、
嘘 、 '
B
図4古典的植物文様からケルト渦巻文様への変遷 0 3 ー
紀元後の六八○年にアイルランドの修道院で﹁ダロウ
の書﹂が書かれまして︑動物がびっしり描かれているん
ですが﹇図6﹈︑これを分解すると三頭の文様になりま
す︒この三頭はくちばしのところが非常に強く突き出て
いる︒耳が鋭くとんがって突っ立っている︒関節のとこ
ろが強調されている︒それから︑体がS字というか︑湾
曲したような形になっている︒三番目のものは︑S字を
逆にぴんとはね上げたようなのけぞるような形で︑︑非
常に躍動感がある︒
そして︑図7の二つをごらんいただくと︑関節が強調
され︑右の牛の関節は完全に渦巻になっています︒左の
ライオンは渦巻まではいっていませんが︑S字曲線がは
っきりと埋め込まれています︒そして︑くちばしも強調
され︑四足獣なのに特にライオンの方はすごくきついく
ちばしのようになっています︒
要するに﹁ダロウの書二は紀元後の六八○年に書かれ
た︑現存するアイルランドの写本では一番古いものです
が︑さきほどの紀元前五○○年の首領の墓に出てきたバ
スュッのフラゴンと同じような威力を持ったデザインを
持っています︒
ここで︑ケルト側の歴史・美術からアニマル・スタイ
ルを整理すると︑四つの特徴があげられます︒
一︑アーモンド型の目
二︑肢の付け根に渦巻ないし涙型ないしドロップ型の 文様があって︑強調されている
三︑エロティックにくれる体躯
四︑三の要素を強調した明確な輪郭線
また︑金工品でクロワゾンネというのがあって︑金工
の中にガラスを入れて焼くいわゆる七宝ですが︑金属で
輪郭線を強調していく︑まさにたがをはめていくわけで
すけれども︑その手法が右下のライオンとか牛にも見ら
れるし︑﹁ダロウの書﹂の三匹のそれぞれの動物の輪郭
線が非常にくっきりとしているのがおわかりになると思
います︒さて︑こうしたアニマル・スタイルは︑ケルトの修道
院の美術では紀元後の七○○年とか八○○年まで続いた
わけですが︑それの起源というのは一体どこから来たも
のでしょうか︒
ピョートル大帝が集めた︑エルミタージュ美術館にあ
るスキタイ・コレクションを見ていただきますが︑図8
は二頭の動物が闘争している動物闘争紋です︒左はライ
オンで右は馬らしいのですが︑ライオンにはグリフォン
的な羽があり︑ライオンよりもやられているほうの馬を
ごらんになると︑馬の耳と足の付け根に不要な渦巻とい
うかドロップ型のようなものがあり︑どちらもS字に曲
線を描いていて結合しています︒
これはスキタイの金工だけではなくて︑図9はヤギと
− 0 3 6
グリフォンが闘争している︑有名なスキタイの織物にも
見られます︒ヤギの関節のところは︑日本の太鼓にある
ような巴紋のかたわれでもって関節を強調しています︒
これはスキタイの金工品にも織物にも見られます︒それ
から図加はヒッタイトの動物ですが︑馬のところをよく
ごらんいただくと︑足の関節の付け根もそうになってい
るし︑目もドロップ型の目を持っています︒
次のビックティッシュ・ストーンと言われるスコット
ランドに散在するケルト系のピクト美術の動物は︑スコ
ットランドの人たちがこうしたのではなくて︑ずっと大
蝿 、 …
§
鑿
函 鐘陸からやってきた︑ユーラシアのアニマル・スタイルを
分かち持っています︒ここにビックティッシュ・ストー
ンの牛﹇図ul左﹈とオオカミ﹇図ul右﹈があります
が︑スコットランドだけではなくて︑イングランドから
も金工でブローチとかそういうものが出土しています︒
そこにも関節の強調︑目︑くちばし︑S字の体︑こうい
うものが全部出ています︒
ここで仲間外れなのが図吃の﹁エヒテルナッハ福音書﹂
です︒エヒテルナッハというのは今のベネルクス三国の
あたりですが︑これはちょっと違うオリエント系の動物
図 5 バ ス ・ ユ ツ の フ ラ ゴ ン
職︲識醗
翰 須
戯
=lu
図6『ダロウの書jと分解図fo1.192V
①「ダロウの谷」b1.1蛇v
②左打パネルの動物
③上下パネル内側の動物
④l急 ドパネル外側の動物
ー
だということがたぶんおわかりになると思います︒
こうしたものを﹁ケルズの番匡と﹁ダロウの書﹂で見
てまいりましたが︑ユーラシアのアニマル・スタイルと
の比較で重要なのが︑すでに示しました﹁ダロウの書﹂
のフォリオ一九二というすごく有名なページ﹇前掲・図
6﹈です︒三頭の動物はダロウ・アニマルとも言われま
すが︑これはバルカン半島でユーラシアのスキタイと接
触したケルトが︑ユーラシアの動物を摂取した︒それを
﹁ダロウの書二がまず受け継いで︑その後︑﹃ケルズの書二
などの立派な写本に受け継がれていったことが︑以上の
ようなディテールのタイプの共有に示されています︒ア
ニマル・スタイルの系譜に︑アイルランドの中世のダロ
ウ・アニマルがあり︑その連続性が問われてきました︒
アニマル・スタイルの研究の大家の一人は︑ロシアに
輩出しました︒アニマル・スタイル︑動物文様の起源を
論じたのは︑さっき一度名前が出ているロストフセフと
いうロシアの歴史家で︑考古学者で︑美術家です︒その
人の代表的なものに︑プリンストン大学でレクチャーし
た﹁里俺昔言画昌ご詩雪昏冨忌曾曽冒画員g冒旦があり
ます︒これは復刻版の本物で︑もちろんロシア語で書か
れてから英語版になったものですが︑彼は一九二九年に
アメリカでのレクチャーをもとにしてこれを書きました︒
次の︑冒昌電冒昌︒ミ︒蔚偽言冒昏冨暮雪冒旦は︑準備は
されましたが︑刊行されませんでした︒ ロストフセフは﹁アニマル・スタイルは人類があらわ
した装飾美術の中で最古のものだ﹂と述べています︒彼
の結論は︑スキタイ文化の動物文様は︑それを取り囲ん
でいる南のシリアとかギリシャ︑つまり南ロシアから見
たギリシャ方面︑シリア方面の動物文様と実際に関連が
あるのではない︒西と南東部との関係に起源があるので
はなくて︑東のほうを見ていかねばならないということ
でした︒
セントラル・アジアから南ロシアには紀元前八世紀か
ら七世紀はスキタイがいて︑その後四世紀から二世紀に
サルマタイの人たちが来るわけです︒このイラン系のサ
ルマタィの人たちは︑インドの西側のボーダーのあたり
からやって来て︑南ロシアにおいて︑先ほどはスキタイ
のほうをお見せしましたが︑動物文様を完成させたとい
うことです︒
そして︑サルマタイの人たちの動物文様︑特にグリフ
ォンのような怪獣の文様はどこから影響を受けているか
と言うと︑中国の周から漢︑特に周です︒西周と東周か
ら始まって戦国時代があって︑前漢︑後漢で紀元後の三
世紀になっていきますがllもちろん段の青銅器なども
ロストフセフの中にはいっぱい引用されていますがl
周から前漢︑後漢のあたりまでのスキタイ人は︑中国と
北アジア︑インド︑イランという地理的な関係の中で交
流があって︑特に幻想獣は中国との関係を持っていると
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考えられます︒
ただ︑さっきのくちばし︑関節の強調︑目がドロップ
型であることは周や漢のものと関係があるけれども︑漢
は実はギリシャのものと交流があるとか︑いろいろ複雑
に絡んで来ます︒造形的にどのようにドロップ型やくち
ばしのようになっていくかは︑細かいことをいろいろた
図7「ダロウの書」動物の肢の付け根・関節の文様化 ノr:;ライオン、bL192v5イi:牛、ib1.124V,
どっているわけですが︑それは割愛しまして︑サルマタ
イと中国の周から漢の動物金属に施された関係というの
を非常に強調いたしました︒ロストフセフはロシア人と
して︑南ロシアのサルマタイの動物文様が︑南西側つま
りギリシャやシリアからやってくるという考え方を退け
て︑圧倒的に中国までつなげて考えていくことをしたわ
図 8 ス キ タ イ の 動 物 闘 争 文
図 1 0 ヒ ッ タ イ ト の 浅 浮 彫 り 図 9 ス キ タ イ の 織 物
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最後に︑松村先生のお話につながっていくかどうかわ
かりませんが︑イメージという言葉という両輪において︑
動物はもちろん神であったところもあるでしょうし︑神
話に語られたところもあるでしょう︒近代の人たちが︑
古代人のものの考え方を神話から見ていこうとするわけ
ですが︑それは近代のいろいろなイデオロギーとか︑国
民主義の盛り上がりとか︑ロマンティックな民族主義と
かl日本の﹁古事記﹂が尊重された明治時代の状況を
考えるだけでも我々はわかるわけですがlどんなに私
たちは一人の純粋な一個人だと思っても︑グリッドの中
の碁石であることで立たせていただいているということ
を考えれば︑一九二○三○年代のロストフセフも時代 けです︒
図週の上から三番目のものが︑骨製の用具です︒これ
がサルマタイの人たちのものにかかわっていく︑くちば
し︑それから︑目は真ん丸ですけれども︑スキタイとサ
ルマタィの連撹プレーで南ロシアに完成していった︑非
常に洗練された動物文様です︒そしてこれらユーラシア
の動物文様は︑﹃ダロウの書﹂の三頭の動物のくちばし
や体や関節に驚くほど似ています︒こんなことがあって
いいのかと思うぐらい︑あらためてロストフセフの集め
たものを見ていくと︑サルマタイのものが発見されてい
るということがわかるわけです︒ の状況にせき立てられるようにして︑ユーラシア︑南ロシアのアニマル・スタイルの美術史の体系というのをつくるのに至ったのではないかと思います︒
インド・ヨーロッパの比較言語学が︑美術史の枠組み
や考古学の枠組みをつくりました︒ケルトとインドとい
うのは関係があるというように言われるわけです︒それ
を土台にしているからこそ︑ケルトとサルマタイとイン
ド︑イランが関係があり︑中国まで引っ張っていけるん
じゃないかという考え方が︑ロストフセフの一九二○年
代であり︑三○年代に入っていくときでした︒
そのときロストフセフは︑はっきりと起源はギリシャ
やシリアではない︑西には求められないと主張した︒東
へどこまでも引っ張っていくという説で︑その当時の美
術史や言語学や神話学の人たちが共有していた︑まさに
世界像にくみした︒そしてその中で彼もまた中国という
ものを水平線のかなたに立ち上がらせて︑ギリシャ的な
ものよりも︑イランを介して東方とギリシャもつながっ
ていくということや︑スキタイだけではなくてサルマタ
ィを見ていくということにおいて︑南ロシアの重要性を
考えていく一つの大きな考え方の枠組みの︑いい意味で
時代の範購の中にあった人だと思います︒
このように雄大につないでいくものの考え方は︑﹁ケ
ルト学﹂にも大きな影響を与えました︒ケルトもまた︑
インド・ヨーロッパ語族の一つの文化として非常に尊重
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図11スコットランドの石彫に表された動物像 ノf:バーグヘ・ソド、牛イ『:イースター・ロス、オオカミ
され︑持ち上げられました︒だけどもそこには一つの西
欧のイデオロジックなものとか︑政治的なものとか︑い
ろいろなものが絡み合って尊重され︑めでられ︑そして
ほめられながらおとしめられているというところもあっ
たと思います︒
しかし少なくとも古代において﹁アニマル・スタイル﹂ の要素や︑﹁動物﹂を重要な表象として共有する集団的心性というものが︑速度をもってユーラシアのある部分を横断していたということは︑ロストフセフたちの研究で明らかになった︒その辺をご紹介して︑次の松村先生にお渡ししたいと思います︒
どうもありがとうございました︒
図12『エヒテルナッハ福音書」fo1.75v.マノ
I
図13南ロシア出土の動物装飾
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