• 検索結果がありません。

ミルに於ける憤値並に貨幣の観念大泉行雄

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ミルに於ける憤値並に貨幣の観念大泉行雄"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ミ ル に 於 け る 憤 値 並 に 貨 幣 の 観 念

大 泉 行 雄

西暦前三百年の頃︑アレキずンドリアの地に︑命名隠れなき幾何學者あう︒人呼んでユークリッ

ドと言ふ︒其の著﹁幾何學綱要﹂の第一編第五命題はコニ角形の爾邊相等しき時は︑之に劉する角

も亦相等しLと言ひ︑當時︑之を羅明する≧と甚だ困難とせられ︑依つて︑人々之を名附けるに

(2)

()

団o諺9ωぎo≡∋(﹁騙馬の橋﹂の意)を以てせムと傳ふ︒蓋し︑其の意は︑騙馬の如き魯鈍なる者の渡

り得ない橋の義であつて︑專ら︑初學者の賢愚を試みるに用ひられπものであると言はれる︒

降つて+九世紀の中葉︑ミルは其の大著﹁経濟學原理﹂を公にしπのであるが︑その中︑地代を

論じ完庭に於て︑地代論は︑實に﹁経濟學上の蜀︒コ︒︒製ωぎ︒≡3と竜稽せらるべき竜の﹂と言つπの

であつ尤(註})︒然乍︑ミルが世を去つて五十蝕年後の今日︑之を観れば︑ミルが団︒話9︒・ぎ︒暑ヨの

僻を呈すべかりしは︑地代論ではなくて︑寧ろ慣値論ではなかつたらうか︒少くとも筆者を以てす

れば︑経濟學上の債値論こそ︑︼つの団︒房餌︒︒写o﹁⊆ヨを形造つてゐるものと信ずる︒然るに︑今日︑

経濟理論の中で︑極めて重大なる部分を戒し︑從つて叉︑論議の最竜錯綜して居る領値の問題に就

ては︑やがて明にする如く︑ミルが︑其の先行者の成就しπ所に︑更に寄與しだ所は︑大であると

言ふことが能きない︒否︑反つて寧ろ少しと言ふも過言ではないのである︒此の事は︑ミル自身の

言葉に依つて置明せらる\所であつて︑﹁経濟墨原理﹂の慣値論初頭に於て︑﹁幸にも︑慣値の法則

に關しては︑現在(一入四入年)及び將來の學者が︑更に開拓すべき除地更に存在せず︒憤値の理

論は︑既に完成せられて居る︒僅かに残されπる障凝は︑理論の實際的適用に於て生ずべき困難を

豫想して︑之を解決し得る標に表示することのみである﹂(註二)と明言してゐる之とよウするも察知

(3)

するととが能きやう︒從って︑ミルの領値説の中よム︑特に新らしき何物かを讃者の前に捕へ出す

之とは不可能なことであう︑叉筆者は其の事をさして必要の事とも思はない︒筆者が︑此の一丈に

於て企圖する所は︑正統派経濟學の潮流にて︑集大成者の立揚に在るミ〃が︑慣値論に於て︑如何

に其の先行者の説く所を集成してゐるかを明かにせんとすることが其の一︒次いで屡々過渡的思想

家と稽せらる\ミルの領値説は︑ミル以後に成育を遽げた償値理論に封して如何なる關係を採るか

を示さんとするが其の二︒最後に慣値の問題と密接なる關連に立つ貨幣の観念に就き︑ミルの説く

所の一斑を傳へんとすることが其の三︒我々は先づミルの慣値観念よb伺ふであらう︒

(註一)}・ω.旨ロ"午ぽo凶笠$oh男9三〇巴国8ぎ§矯(巴犀①伽ず圃︾・・巨超)唖b⇔内・口"9.×<ど℃.お炉

(註二)H三創̀宰ホ9

使(<o)(<

6×σq)(q一ぐ)

(団ε6︒︒)π

 

(4)

ρ

9

()

言ふ︑使用債値甚だ大なるも︑交換慣値の僅少叉は皆無のものがあう︑之に反して︑交換慣値は最

大なるに︑使用償値の殆ど無いものもあると︒前者の例としてスミスは水を基げ︑後者の例として

は︑ダイヤ毛ンドを畢げて居る(註一)︒然るにミ〃は︑スミスの此の考察の総べてに勢しては︑必ず

しも賛同しない︒前者︑即ち使用債値大なるにも不拘︑交換慣値の殆ど無い揚合あるは︑ミルも認

めるけれども︑此の逆に就てはスミスと見解を異にするのである︒何となれば︑ミルに於て︑敷用︑

或は有用性(口︒︒︒津言①ω︒・)とは︑人間に劃しで快戚(コ$ω葺︒)を與ふるものである︒斯く観れば︑人

がダイヤモンドを所有する乙とは︑之によつて何等かの快戚又は満足を得て居るものと言はなけれ

ばならない︒換言すれば︑使用慣値を認めて居ると言はなければならないのである︒されば︑交換

償値甚だ大なるに竜不拘︑使用慣値の殆ど無きものあうと言ふスミスの考は︑ミルにとつては矛

盾と言はねばならない︒若し︑スミスの言ふ所が正しとすれば︑﹁人は自己の欲望を満足せしめんと

て或財を求めんとする時︑それに封して認める債値以上をば︑提供する﹂と言ふ背理を導くに至る

()

携て︑経濟學で︑,輩に債値と言ふ場合には︑常に交換慣値を指すものである︒然らば︑債値と慣

格とは如何なる關係に立つか︒曰く﹁債値及び慣格なる用語は︑初期の経濟學者間には涯別せずに

(5)

9

用ひられ︑リカーードトに於てさへ︑︑常に明確なる識別が行はれた6とは言はれない︒然し︑現代の

嚴正なる論者は︑一個の観念に︑二個の貴重なる科學的用語を濫用するをば避けるため︑慣格を以

て︑貨幣に關係せしめπる慣値と解するのである︒換言すれば︑交換に於て提供せらる\貨幣量で

ある︒それ故︑物の債格とは︑貨幣にて示されπる慣値と観らる\︒而して︑軍に物の便値叉は交

換憤値とは︑其の竜の\有する一般的購買力を言ふ︒換言すれば︑其の物の所有によつて︑購買し

得る財一般に樹して有する支配力を言ふのである﹂(註三︑四︑五)︒

財が交換償値を有するためには︑二個の要件を必要とする︒其の一は︑其の財が敷用を有する乙

とであり︑其の二は︑獲得の困難の存在することである︒後者に關しては︑更に之を三つの揚合に

分つて観察する乙とを必要とする︒

第一は︑分量に絶封的制限の存する時︑

第二は︑資本・勢働を塘加する乙とによつて︑生産費を高めることなく再生産し得る揚合︑

第三は︑勢働と資本とを壇加するにつれて生産が逓減的なる場合︑

即ち是である︒︑︑

籾て第一の揚合に︑慣値を愛動ぜしめる原因は︑需要と供給との關係である︒蝕に需要とは︑・ア

ρ

(6)

()

ダム・スミスが言つだ様に︑購買力を件ってる要求︑即ち有効なる需要(国験O讐﹂騨一自Oヨ"5α)を指す︒

かくて︑需要・供給の何れか一方叉は双方に憂化が生ずれば︑領値は從つて愛動し︑需要・供給が

相適合する一黙に於て定るのである︒領値憂動と需給との關係は相互的である︒需給の不均衡によ

つて︑慣値艇動を生ずれば︑此の愛動に依つて定うだる慣値はヌ需給を相適合せしむるからである︒

されば︑供給に絶劉的制限ある財の慣値法則は︑ミルの語を以てすれば次の如くになるであらうー

﹁今需要と供給との間に不均衡が生ずれば︑競孚が之を均衡ならしめる︒其の状態は償値の調整

となる︒需要培加すれば慣値上り︑需要減少すれば償値下る︒之に反して︑供給減少すれば領値上

ウ︑供給増加すれば償値下る︒斯くの如くして調整せられπる償値が︑不均衡なる需要と供給とを︑

再び李衡黙に落附かせるのである﹂(註六)︒

去う乍ら︑右に示す需要・供給の作用が無制限に作用するものであると考ふるは早計に失する︒

如何なる揚合に於ても︑一定の最低限が存在する︒﹁債値が生産費を同牧し︑同時に通常︑期待せら

る\利潤を生ずるに非れば︑生産は縫績せられない︒資本家(企業家の意⁝⁝筆者註)は︑損失を

敢てし乍ら絶わず生産を績けては行かぬであらう︒否︑假令︑利潤あわとするも︑それが生計を支

ふるに足ら顧揚合には︑等しく生産は績行せられないのである﹂(註七)︒ミルは此の限界たる債値を

(7)

(︒・)

第二の場合は︑生産費を高めることなく︑無限に壇加せらる\財に關するものであるが︑斯る財

の必要的憤値は︑競箏にして完全に作用する限わ︑同時に最高憤値(寓9×一ヨ=§<巴器)をなすもの

である︒何となれば︑通常以上の利潤を生じつ︑ある事業に向つては︑他よう資本︒勢働が流入し︑

供給壇加を結果するπめ︑利潤を少くし︑斯くの如くして常に耶均せらる\傾向があるからである︒

アダム・スミス及びりヵードーの所謂︑自然領値(叉は自然偵格)が即ち之である︒かくて︑無限に

塘加し得る財に就ては永久的には需要供給の原則は︑最早作用し得ない︒需要供給は︑輩に︑供給

を攣化し得ない一時的の間に限つて償値を決定するに過ぎないのである︒而して︑生産費を高める

Zとなく無限に壇加し得る財の慣値は︑生産によつて定められる︒此の生産費によつて決定せらる

る便値が︑需要供給を愛動せしめて行くのである︒

第三の揚合は︑牧穫遍減の法則に支配せらる\財の債値であつて︑例へば農産物の如き其の一例

である︒此の種の財に在つては︑最も不利なる條件の下に生産せられπる財の生産費が︑他の総べ

ての優位にあるもの\慣値を決定するのである︒

如上の説述に依つて知る所は要するに次の黙に在る︒財の債値は︑一時的には需要供給關係によ

便

(8)

σ

()

つて決定せられ︑永久的には︑生産費によつて決定せらる\︒然らば︑謂ふ所の生産費とは如何な

る組成を有する竜のか︒之が吾々の次いで聞かんと欲する所である︒

生産費の第一を成すものは︑先づ勢働である︒勢働には直接的の竜のと︑原料等に投ぜられπる

間接的のものとを含めねばならない(註入)︒

第二は賃銀である︒賃銀が生産費を成す揚合は︑賃銀の一般的なる高低ではなくて︑相封的なる

場合に限る︒詳言すれば︑一般的に影響する賃銀の高低は︑絡べての財に同一影響を與ふるが故︑

相互の交換慣値には︑何等の愛化を來さないからである︒

第三には利潤である︒輩に利潤と稻するも︑其の中には︑自ら二種の性質相異なる竜のあるを認

めねばならない︒一は資本主の節欲に劃する報酬であり︑二は原料の生産者が︑それに轄嫁せしめ

πる彼の利潤を︑買手が支彿ふもの是である︒而して利潤が生産費の一部を組成してることは︑同

一勢働量の成果が︑必ずしも総べて同一債値を有しないことによつて容易に看取することを得る︒

例へば葡萄酒は︑時間の経過と共に︑その慣値を壇加するが如きは︑利潤による竜のと言はなけれ

ばならない︒利潤も亦賃銀と同じく︑一般的壇減は之を考慮に入れる必要が無い︒唯特殊的にして︑

相蜀的なる揚合︑例へば︑利潤の登生が時間的経過に關係をもち︑而して︑その時間的経過の間に︑

(9)

O 財によつて差異あるが如き揚合に償値に影響を興ふるのである︒

第四には︑差別的租税が債値に影響を與へ︑從つて生産費の一要素πる乙と竜︑右に叙べπると

同じ意味に於て明かであらう︒更に叉︑原料が稀少憤値を有するものである時も︑その鯨分なる慣

値は生産費を形造る一要素となる︒

然らば最後に地代は生産費を成すや否や︒地代の磯生は生産に於て︑牧穫逓減律が作用する揚合

に在る乙とは蝕に改めて説くを要しないであらう︒即ち之が問題となるは︑嚢に叙べπ三種の生産

の中︑第三の場合である︒而して︑斯る財の債値は︑生産條件の最も劣れるものによつて決定せら

る\ことも既に述べπ︒最も劣れるものとは︑別言すれば︑地代を磯生しないものに外なら諏︒故

に地代は︑生産費を形成しない乙とが明かとなるのである︒曰く

﹁されば地代は︑農産物の領値を決定する生産費には︑全く含められない・⁝:⁝︒

地代は︑全く︑慣値の原因ではなくして︑特権の値である︒その特権とは︑最も條件の劣れる

土地の生産物以外のものが(土地の豊度に慮じて)︑種々異なる程度の報酬を受け得る特構であ

る⁝二・:︒

されば地代は︑法律によつて︑特に壇加せられ諏限蚕︑消費者に樹し負澹とならず︒從つて穀

(10)

()

(︑+)

()

()

()

()

()

()

ωけFoh9︒(巴ξO§§)℃︿oH̀ヒd.oげ8H09

}.QQ.9om

ζωS

o

ABCBC

A

o

(冨"9︒・"

O)︒

.

oo

侍ooBohΦo一)

︑と(7幌一O凶喧一〇m".目)o

H9

(11)

()

()

()

(+) H

㌧と(空$a99目◎︒)︒

§

}.ωo一霧..

(

彿.

.

oo

使(

o

8

(12)

()

前節に示したるが如も︑ミルが慣値を論ずるに當つては︑﹁幸に竜慣値の法則に關しては︑將來開

拓すべき何物竜残されて居ない﹂と︑極めて樂槻的態度を探つπのであつた︒然るに︑ミルが此の

如く揚言してより︑僅かに約二十年を経て償値論は︑一大新生面を開くに至つπ︒今日勢働慣値説

と相劃立して︑重要硯せらる\主観的債値説即ち限界敷用説が︑ジエヴオンス︑メンガー︑ワルラ

等によつて唱へらる\に至つπ乙と即ち是である︒.正統派経濟學の債値説に共通なる態度は實に其

の客観的立場に在る︒而して︑ミルに在つても亦之は當然なる所であつπ︒限界敷用の観念か︑ミ

ルに於て術ほ現はれて居ない消息は︑有名なるミルの國際慣値説を観れば一雇明かになる︒即ち︑

ミルは︑外國貿易螢生の原因を︑彼の比較生産費説に求める︒而して︑此の揚合︑看過し得ない一

つの重大なる假定は︑貿易する二國に於て︑一定の勢働と資本とを投ずれば︑如何なる財と錐も︑︑

生産し得らる\と言ふことでなければならない︒假設例を以て示さう︒

今︑一定の勢働と資本とを投ずる時︑甲國に於ては︑絹二輩位叉は小姿入輩位を生産し︑乙國に

於ては︑絹三軍位又は小褻十入輩位を生産す︒然る時は︑二財の交換割合︑甲國では絹一に封して

小憂四︑乙國では絹一に劃して小姿六となるであらう︒甲乙雨國が貿易を開始すれば︑比較生産費

の理によつて︑甲は絹︑乙は小姿を生産し︑相互に交易する︒而して︑交換割合は︑絹一に封し︑

(13)

小褒四乃至六の間の一黙に定らねばならないのである︒其の理は極めて明瞭であつて︑甲國若し其

の提供する絹一に樹し︑乙國の小褒六以上を要求するとすれば︑乙國は︑國内に於てさへ︑小姿六

に劃して︑絹一を求められるのであるから交易を欲しないであらう︒反封に︑乙國がその求めんと

する絹一に封して︑小姿四以下を提供せんとすれば︑甲國は交易を欲しないであらう︒從つて絹一

に劃して︑小褒四乃至六は︑何れも其の交換比率が決定せらるべき最高・最低の限界をなすものと

言ふ乙とが能きる︒然るに︑此の理論が成立ち得る禿めには︑甲乙何れも絹・小褒の二財を生産し

得る乙とが敏くべからざる前提である︒然るに︑事實︑貿易の行はる\多くは︑其の國に於て生

産し得られない財を目的とする乙と多く︑斯くては︑以上の如き交換債値決定の限界が存在しない

之と\なう︑比較生産費説は成立し得ないこと\なるではないかとの疑問が生ずる︒クールノーが

斯説に加ヘカる論難は正に此の黙に存する︒然るに︑ミルを擁護せんとするバステーブルは答へて

言ふ︑比較生産費説が其の敷果を有するのは︑各種の財が︑各國に於て生産し得る場合に於て讐あ

る︒若し︑何れかの國に於て︑生産不可能なる財が交易目的物となる場合には︑債格の決定は︑限

界数用の根本理に依つてなされねばならないと︒ミルを擁護せんとするバスターブルの企ては︑反

つて寧ろミルの説︑從つて叉正統學派の償値説の映階を明示する乙とになつπ事は︑夙に上田博士

(14)

商學討究第一巻(下)四五八

が之を指摘する所である(註一)︒之を要するにミルの債値説の中には︑彼以後に於て一大螢展を遂げ

るに至つπ主観的慣値説の思想は存在しなかつた事が明になるのである︒

ミルは慣値決定の要素を生産費に求めだ所より︑彼の學説は屡々︑償値論上︑生産費読なるもの

の範疇に含められる︒而して論者︑往々にして慣値の根源を論ずるに當う︑需要供給説︑或は生産

費説の勢働説︑若しくは敷用説等を並列に置いて論評を加へる︒斯る論者が︑生産費説に封して加

へる批評の要旨は次の一黙に在る︒生産費説なるものは︑財の慣値が︑生産に要しπる費用によつ

て決定せらる㌧と云ふものであるけれども︑斯くの如きは何等慣値の原因を明になし得る學説では

ない︒何となれば︑生産費なる費用そのものが︑既に一つの慣値をなすものであるから︑徒らに循

環論となう終つて︑問題は決して解決せられπものではないと︒

若し︑生産費を以て︑償値の根源を説明せんとするものならば︑筆者は︑右の如き論者の批評が

當然なる竜のであると思ふ︒而して︑斯くの如き立揚よb生産費説を観察する限りに於ては︑慣値

の読明に當つて︑殆ど一顧の偵だに無きものとなり終るであら5︒然乍︑筆者は鼓に︑生産費説な

るものに劉して︑一つの異なる解繹を試み尤い︒之に依つて︑生産費説をば︑極めて同情深く解繹

して見たく思ふ︒其の解繹は︑時には鯨hに同情に過ぎ︑時には蝕うに囚はれ禿る立場を擁護する

(15)

ものであるかも知れ諏けれども︑一つの解繹として蝕に公にするを許されたい︒

惟ふに︑経濟學上の慣値に關する問題に就ては︑二個の異なる観黙よう︑之を究明することが出

來ると思ふ︒其の一は︑償値そのもの\根源を窮めんとするもの︑換言すれば︑憤値の原因に關係

するものであう︑其の二は︑慣値の凝動を観察せんとするもの即ち之である︒從って︑斯くの如く

領値に劃する観察の立場を分つ時は︑莫然︑需要供給説・生産費説・勢働説及び敷用説等を並列せ

しめて論評することは︑要當なる方法でない︒筆者を以てすれば︑本來︑需要供給説︑及び生産費

説は︑贋値磯生の原因を示さんとする竜のではなくて︑軍に慣値の増減・攣動を示さんとするもの

である︒故に︑之等が慣値そのもの\根源に就て繹明する所無しとするも︑直にそれを以て非難す

るは不當ではなからうか︒若し︑生産費説が非難せらる\場合ありとすれば︑それは︑慣値の根源

に關係するものではなくて︑債値の愛動に關係するものでなければならない︒之を例ふれば︑生産

費説の債値論上に於ける位置は︑術温度を指示する寒暖計の如きものであらう︒寒暖計は種々に攣

化する温度の高さを決定す︒然れど竜︑之によつて外氣の温度の原因が示される竜のではない︒氣

温の原因は寒暖計によつて明かになる竜のではなくて︑全く異なる研究を必要とする︒故に︑寒暖

計は︑氣温の原因を敷へないことを以て非難さるべき理由を有π瞭︒若し非難さるべき黙ありとす

ミルに於ける便値並に貨幣の観念四五九

(16)

()

れば︑其の示す所が氣温の愛動と相一致するや否やの黙でなければならないのである︒筆者の言は

んと欲する所は次の黙に在る︒生産費説は債値を説明する上に於て全く要當なる學説ではないかも

知れない︒それは筆者も認める︒唯︑その批剣は︑之を以て慣値の原因を解明し得ないてふ黙に加

へられてはなら汲ことである︒批剣は生産費が︑交換慣値の高さを決定する唯一の要素なbや否や

の黙になされねばなら澱と言ふのである︒

そこで進んで考へる︒財の債値の高さを決定する要素として生産費を掲げる之とは︑之を他面よ

り観れば︑償値漫動の原因をぱ︑財の供給側ようのみ説かんとするものである︒資本と勢働とを塘

加するも生産費を高める乙となく生産塘加し得る財の債値は︑正常慣値叉は自然領値に定う︑牧穫

逓減律に支配せらる\財の債値は限界生産費によつて定めらる㌧と言ふ場合にも︑之等は総べて︑

財の供給側に於ける慣値決定の要素である︒然乍ら︑財の債値は︑軍に供給者側のみの一方的事情

によつて定まるものではなくて︑之を要求する需要者側の事情をも考察しなければならないのであ

る︒此の需要者側に立つて︑債値の問題を取扱はんとするものが即ち限界敷用説である︒

限界敷用説は︑主観的・心理的立場を採る︒財の需要者は︑その求むる財の檜加すると共に︑そ

れによつて得る数用は削減せらるる︒從つて︑その財に認める慣値が漸減する︒此の如くして行け

(17)

ぱ︑塗には︑需要者が︑辛じて需要の希望を惹き起す黙まで低減して行くであらう︒此の黙を越え

ては最早何等の敷用をも駿生しないものであるから︑之即ち限界黙であつて︑此の限界黙に於ける

敷用が限界敷用叉は最絡敷用と言はる\ものである︒而して︑需要者に於て償値を決定するものは︑

實に限界敷用によるものであるとなすのが主観的慣値説の骨子である︒

此の二者は如何なる關連を有するか︒之を明かならしめる爲めに︑蝕にプライスの言ふ所を援用

しやう︒即ち其の説く所によれば︑費手の側に於ては︑生産費が慣値を決定し︑買手の側よbすれ

ば︑限界敷用が慣値を決定する︒曰く

﹁正常債格に影響を興へる勢力は︑或は責手の側よう︑或は買手の側よう考察せらる\であらう︒

而して完全なる理論を築かんとすれば︑其の各々の側に於て︑別々に求め得πる結果を綜合せしめ

ねばならない︒云々﹂(註二)︒リ

スミスに依つて先づ指摘せられ控る慣値の二種‑交換領値と使用償値ーの中︑ミルが採つて

以て考察の封象としたのは前者だけであつπ︒然るに︑限界敷用値に依るものは︑その主観的立揚

よゐ︑主として後者を採って研究劃象としπのであつた︒而してプライスの如きは︑綜合的態度を

探つて︑二者何れにも具理の存するものあれば︑一方のみに偏することを許さず︑双方を按配すべ

ミルに於ける債値並に貨留の観念四山念

(18)

商學討究第一巻(下)四六二

きことを唱ふるのである︒

嚢にも言へる如く︑憤値論の問題は︑債値登生の根源の問題と︑慣値憂動(叉は慣値の高さ決

定)の問題との二つとなる︒債値その竜の\本質︑即ち之が如何にして登生するかに就ては︑之を

勢動に求める方法もあらう︒之を欲望満足てふ財の効用性に求める方法もあらう︒それ等の當否は

今鼓に問題としない︒唯︑少くとも︑交換債値としての高さを決定せらる\場合には︑需要側叉は

供給者何れか一方の事情‑ー例へば生産費と言ふが如きのみによるものではなくて可双方の事

情によるものなのである︒ミルも︑一時的なる慣値の攣動は需要供給の關係に依ると論じて︑需要

の黙にも燭れπのであるけれども︑然し︑需要者側の問題は︑是以上登展せしめられず︑途に生産

費説の中に其の位置を占むるの外途なきに至つπものである︒

経濟償値の問題は︑輕濟理論中の難關であつて︑現在と蹉も解決せられたものとは言ふ乙とが能

きない︒ミルは彼の先人の説きし所に満足して︑既に曲盤されだりと言つπが︑反つて︑慣値論上

の錯綜は︑ミ〃'以後に至つて︑局面を轄換し︑論議の舞皇を現出せしめたと言はねばならないので

ある︒再びプライスの語を以てすれば︑ミルは憤値説に於ても︑彼の纒濟思想全禮の傾向と同じく︑

過度的であつπのである(註三)︒

(19)

()

()

() .上()

8"oooho8v.91N

.=N ,

貨幣の問題に移るに當つて︑吾々は先づミルの貨幣概念を説明して置かねばならない︒貨幣の本

質に就ては︑ミルの思想中︑莫然乍ら︑今日の所謂︑指圖諮説と相通ふ所無いわけではないけれど

も(註一)︑然し︑全禮の思想の根底となう︑一貫的脹理をなして居る竜のは︑今日の貨幣論上の用語

に於ける金属説の思想である︒

貨幣は如何なる事情よb磯生するに至つπかの︑貨幣起元論に關しては︑ミルも︑・多歎學者によ

つて採用せられてゐる物々交換の不便に基くてふ思想に依つてる(註ご)︒貨幣の本質は︑流通媒介物

(Ω8二算言σq暮島ニョ)たる黙に在ウとミルは考へる︒從つて︑斯る流通媒介物の存在しない物々交換

の揚合には︑異う控る種類の償値を秤量する爲めの共通尺度がないであらう︒斯くては︑交換が圓

滑に行はれ得ないが故に︑蝕に流通を媒介すべき第三者が必要となるのである︒斯くの如き必要か

(20)

()

ら求めらる\媒介物は︑次の三性質を有たなければならない︒

ライ分割性(︼︼<凶ω凶σ二凶梓く)Mロ一般に需要あること((甲050﹁9一飢O紛凶﹁O)Mハ耐久性(け二轟σ一=受)(

之等三個の特質を具有する代表的なものは︑即ち貴金風たる金銀である︒此の故に入間は︑金銀

を貨幣として採用するに至つ禿のであつπ︒金銀が貨幣として適性を有つ乙との更に重大なる理由

二つある︒其の一は︑金銀の償値の安定なること︑換言すれば︑他の一般財と比較して︑金銀は比

較的に其の慣値愛動する乙と少い乙とであ釦︑其の二は︑品質の均一性之である︒例へば寳石の如

きは︑耐久性あり且つ一般に強く要求せらる\ものであるけれども︑品質に著るしい差異あると共

に︑分割性に甚だ乏しい儒め︑貨幣力るの資格を有ち得ないとミルは論ずる︒

()}oQMo.Q◎N

()

()便

()

.()︒.

(21)

o

O

h貨幣の概念を右の如くに解くミルが︑貨幣の慣値に甥しては如何なる態度を持するか︒先づ彼は︑

貨幣の慣値(<巴二︒ohヨ9δ図)なる観念に就て︑分析を與へ︑異なる二個の観念を示す︒その一は

本來の意味であつて︑貨幣の購買力を稽す︒從つて︑反面よう之を言へば︑物慣であつて︑二者は

表裏の關係に立ち︑互に反比例するものである︒其の二は︑商取引上に於ける用語であつて︑此の

揚合には︑借入資本に劉して支彿はる\報酬(即ち利子)をば稽す︒而して︑蝕に問題とするのは︑

前者πる貨幣の購買力に外ならない(註})︒

貨幣の購買力即ち蝕に所謂貨幣の慣値に就て︑ミルが採る立揚は︑一言にして端くせば︑嚢にも

言へるが如く金属主義である︒詳言すれば︑﹁貨幣は一種の財であつて︑其の債値は︑他財に於ける

と等しく︑一時的には需要供給の關係によう︑永久的には(孚均的には)生産費によつて決定せら

る\﹂のである(註二)︒

貨幣の慣値は︑一時的には需要供給の關係によつて決定せらる㌧︒貨幣の供給とは︑人々が提供

(22)

()

せんとする貨幣の分量である︒詳しく言へば︑人々が保藏叉は留保せる部分を除いπ残うの全部の

貨幣量であつて︑或る一定の時に流通する貨幣の総量を指す︒貨幣の需要とは︑費却に供せられる

財の総量よう成立する︒何故なれば︑財の提供者は︑他面よりすれば貨幣の買手となるからである︒

右の如くに考ふれば︑財の需要供給と︑貨幣の需要供給との關係が明白にせらる\︒即ちーー

財に封する需要は︑貨幣の供給であう︑

財の供給は︑貨幣に劉する需要となる(註三)︒

此の如き關係より︑必然的に導き出される結論は︑貨幣藪量説に外なら糠︒即ち︑他の事情にして

同一ならば︑貨幣の慣値はその藪量に反比例の關係に立つ︒藪量塘加すれば︑債値は低落し︑藪量︑

減ずれば︑憤値は塘加する(註四)︒

然乍︑輩なる貨幣の歎量は︑其の流通上の藪量と同一ではない︒何者︑同一の貨幣が︑幾同も用

ひられるからである︒而して︑此の事は財に就て竜言はれねばならない所であつて︑同一財が藪同

實買の目的物となるのである︒從つて︑今若し︑財の数量と︑之が轄責せらる\同籔とを一定なう

とすれば︑貨幣の憤値は︑貨幣の藪量と流通の同歎とに依存すと言ひ得るのである︒換言すれば︑

﹁財の数量とその取引同藪とが一定なうとすれば︑貨幣の慣値は︑其の数量に︑流通の速度を乗じπ

(23)

ものに比例するL︒而して︑﹁流遮に於ける貨幣の藪量は︑責却せられπる総べての財の貨幣的評慣

をば︑流通速度にて除しπるものに等しい﹂(註五)︒

貨幣の償値の一時的愛動は︑右に叙ぶるが如く︑需要供給の關係による竜のであるが︑永久的に

は︑生産費によつて支配せらる\︒舷に︑ミルの金属説的立場が最竜明瞭に認められるのである︒

即ち今︑何等の入蔦的制限が貨幣の数量を左右せず︑自由鋳造が行はる\と假定すれば︑貨幣の慣

値は︑それが形造られてゐる材料πる地金銀の償値と一致する︒而して︑地金銀の債値は一般財と

等しく生産費によつて決定せらる\が故に︑貨幣の慣値竜亦永久的には生産費によつて決定せらる

ること\なる(註六︑七)︒

貨幣の慣値に關する・︑ルの説は︑凡そ上述するが如きものである︒之によつて明かなることは︑

其の慣値観念が一般財に於けるものと何等の差別なきことである︒筆者は本稿の前段に︑ミルの慣

値論一般を紹述しπが︑その説き方は︑貨幣に於て竜其のま\適用せられて居るのである︒之・・︑ル

は︑結萄に於て︑貨幣も亦一種の財に外ならないと言ふ根本思想を擁するがπめである︒

貨幣を財なりと實燈的に観察し︑財の慣値は生産費によって決定せらる︑が故に︑從つて貨幣の

債値も亦︑之を形造る素材の債値によつて定められると言ふ金風學説を探る限り︑貨幣の慣値に關

(24)

()

しても︑之を購買力と解繹する以上の考察は行はれないのが常である︒然るに現在︑貨幣本質理論

上の問題は︑金厨學説と名目學説との封立であつて︑而竜一般傾向としては︑後者が前者を歴倒し

つ\ありと観る乙とが能きやう︒而して名目説の立場に立つ時は︑貨幣の債値なる親念に關して︑

更に一歩進め尤考察を試むることが必要となる︒何となれば︑名目説を探る人々の間には︑貨幣の

償値を否定せんとする者があるからである.素材債値を以て︑直に貨幣の債値となし︑而して︑三

轄して之を貨幣の購買力となす金腸説に於ては︑貨幣自燈の儂値なる観念と其の購買力なる観念は

同一とせらる\からで︑之等二個の観念の間には間隙が有う得ない︒然るに名目説に在つては︑筆

者を以てすれば︑之が必ずしも一致する観念では無いことを認めざるを得ないものである︒否︑進

んで論ずれば︑此の間隙あればこそ︑名目説が金騒説に封立する意義一履聞明せらる\と思はれる︒

蓋し︑貨幣の購買力とは︑貨幣と財貨との交換關係に於ける現象であるから︑如何なる學説を探る

とする竜常に存在するものである︒然るに貨幣の慣値に至れば︑名目説を採る入は︑素材慣値なる

観念を最も勇敢に樋棄するものであるが故に︑他に之を求めねばならない︒或は︑然らざれば︑何

等か異なる解繹を與へねばならない︒蚊に於てか︑貨幣の慣値は︑その端くす所の⁝機能に存すると

論ずる機能慣値論が登生する︒之は︑貨幣の慣値をば素材慣値以外の何物にか求めんとする立場の

参照

関連したドキュメント

3 軸の大型車における解析結果を図 -1 に示す. IRI

西九州新幹線は、武雄温泉・長崎間、線路延長約 66km

成される観念であり,デカルトは感覚を最初に排除していたために,神の観念が外来的観

の総体と言える。事例の客観的な情報とは、事例に関わる人の感性によって多様な色付けが行われ

人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ

小学校における環境教育の中で、子供たちに家庭 における省エネなど環境に配慮した行動の実践を させることにより、CO 2

41 の 2―1 法第 4l 条の 2 第 1 項に規定する「貨物管理者」とは、外国貨物又 は輸出しようとする貨物に関する入庫、保管、出庫その他の貨物の管理を自

商業登記法第十二条の二第一項及び第三項の規定に基づき登記官が作成した当該電子