三弦 トラス構造橋梁 を例 とした
産業遺産 の定性栂評価 プロセスに問す る研究
今 尚 之
1.は じめに
2.産業遺産 とその保存 ・評価 の重要性
(1) 産業遺産
(2) 産業遺産 としての土木構造物
(3) 技術 アセスメ ン トと産業遺産の保存 ・評価 の意義 3.産業遺産特 に土木構造物の技術評価基準 と評価 プロセス
(1) 土木構 造物評価 の問題点 と土木史的評価 の段 階的実施
(2) 土木構造物 に対す る定性 的評価基準
(3) 走性 的評価 にお ける計画 ・設計評価 の必要性 4.大夕張三弦構 造 トラス橋へ の技術 的評価 の実施
(1) 三弦 トラス橋 の建設経緯 と概要 (2)三弦 トラス橋 の技術 的特徴
(3) 三弦 トラス橋 の技術 的評価
5.大夕張三弦構造 トラス橋 の計画 ・設計思想
(1)三弦 トラス橋 の計画 (2) 三弦 トラス橋 の設計者
(3) 有江義晴の略歴 と技術 的背景 6.まとめ
1.はじめに
お よそ150年前, 日本 は欧米先進各国 よ り近代工学技術 を導入 し,産業の近 代化 を開始 した。そこでは工学技術 を用いた社会資本の整備が積極的に取 り組
〔269〕
270 商 学 討 究 第47巻 第4号
まれ,近代国家 として発展す る基礎が形成 された。社会資本の充実は災害 を防 ぎ交通を発達 させ ることとな り,そのことは産業の発達 をもた らした。そ して, 産業の発達 は国家財政 を豊かなもの とし,社会資本の充実,蓄積 を促 した。そ の結果が今 日の経済的な発展 と反映をもた らしたことは衆人の認めるところで ある。 そ して21世紀 を間近に迎 えるこの時点 において も,将来の豊かな生活の ため,新 しい視点による産業の育成,社会資本の充実が必要 とされている。 こ のためにも,文明財 ともいえる産業遺産に対 し技術史的観点による評価,意義 の考察 を実施することは,現代 に生 きる我 々にとって欠 くべか らざる営為 とい えよう。
さて,近年,明治以降に導入 された近代工学技術 によって作 られた数々の産 業機械 ・建築物 ・構造物 を, 日本の近代化過程 を示す歴史的資料価値 を保有す る産業遺産,すなわち近代化遺産 として捉 えること‑の関心が高ま りつつある。
しか しなが ら,現時点ではそれ らの所在調査が始 まった ところであ り,その調 査 は 日本国内では地域的な偏 りがあって,欧米各国のように国全体で所在 を明 らかにするには至 っていない。 さらに,評価基準や評価 プロセスに関す る議論 はいまだ不十分である。 このため現時点における調査,評価 は散発的なものが 多い。 また,その大部分 は郷土史的あるいは地域史的観点か らなされ,なおか つ体系的に行われているとはいいがたい。 このため,記録情報が中途半端 な場 合が多 く,それ らが作 られるに至 った背景やデザインの思想 を知 ることは困難 である。 さらに,技術的な継承 を行 う場合 に不十分 な情報 しか与 えられていな い。 このように現在の 日本 における産業遺産 ・遺構 に対す る研究は後進的であ るといえよう。
それで も,産業遺産の うち,社会資本 に直接関係する土木構造物 に関 しては 全国規模の調査 も進み,所在 などについては明か となってきてはいる。しか し,
そこでは注 目された構造物一つ一つの定性的な評価,特 に解題的な評価 は十分 になされていないのが現状である。 土木構造物の場合,一般に評価問題が取 り 上げ られるのは機能的に不十分 となったときの撤去に伴 うことがほとん どであ る。 そ して,構造物の評価 は保存 を前提 として実施するため,財源確保や住民
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 2〃
運動 を恐れて評価その ものはもとよ り,関連す る記録情報の収集 も行われずに, 撤去 ・廃棄がなされて きたのであった。た とえ幸いにも,関連資料が収集 され 評価 された として も,そこでは構造物その ものに関る資料収集や意匠などの評 価が中心であ り,その構造物が作 られるに至 った背景 として,計画や設計思想, 技術的な背景 さらには社会的な要請,期待 などについては評価 ・検討 されるこ
とはほとんどなされてお らず,いわば片手落ち ともいえる状態 となっている。 このことは工場 などで稼働す る産業機械 にも当てはまる。 この ように産業遺産 に対 し記録情報 を安易 に廃棄 した り,収集 を行わずに構造物その ものを撤去す ることは社会に不可逆的な損失 をもた らす ものである。
本研究では,以上の背景 よ り,産業遺産,特 に土木構造物 を近代化遺産 とし て定性的に評価するプロセスを検討 し,検討 されたプロセスに基づ き,三弦 ト ラス構造の橋梁 を事例 として評価するものである。
2.産業遺産 とその保存 ・評価の重要性
(1)産業遺産
(∋ 生活活動の所産 を記録する情報源
人間生活の営みを支 えてきた物質文明は精神文化 とな らび人間の歴史にとっ て重要な役割 を担 っている。人間は生活の安定,向上 を目指 し自然 を利用 して きた。そ こではより安定,大量に作物が稔 るように品種改良が行われた り,秩 水 などの天災か ら身を守るために堤防を造 り,あるときには河道を変えるなど, 生活のために自然 を改変することにも取 り組んで きたのであった。 さらに, よ
り利便性 を持たんがために人間の手,足 に変わる機器,機材 を考案 し,作成 し て きた。それ らは人間の営みにおける所産であ り,人間が地球上で どのように 暮 らして きたかを示す歴史的な所産で もある。 そ してそれ らの所産は重層的に 後の世代 に受け継がれ より改良が加 えられていったのであった。現在の我々の 生活 もその流れの中にあるものであ り,過去か らの所産 を継承 し,将来を見据 えた形で,改良,発展 させてゆかな くてはいけない。そのためには過去の記録
272 商 学 討 究 第47巻 第 4号
情報が重要 な役割 をはたす こととなる。 したがって,産業遺産は,人間の所産 の中で も生活に密接 した領域 において,主 として生産活動 に用い られるものの 中で,過去の技術や考 え方 を端的に現わ し示す現物記録情報源 をい うのである。
情報源であることが遺産 として価値 を待つに至るのである。
② 近代化 を記録す る産業遺産 としての近代化遺産
現在, 日本 における産業に関する遺物,遺構 などのうち,明治以降に作 られ た ものの所在や現状の調査が文化庁や通産省 などを中心 に進め られている 1)0 文化庁の調査が対象 とす る 「近代化遺産」 とは①近代的手法で作 られた建造物 (各種構築物,工作物 を含 む )で,産業,交通,土木 にかかわるもの。 ②江戸 時代末期か ら第二次世界大戦終了時(1945年 )までに造 られた もの とされてい る。文化庁が対象 としている近代化遺産は建造物であるが近代化遺産は何 も建 造物 に限 らない。産業にかかわる道具,例 えば,漁業や商業に関する道具 も近 代的な手法で作 られた ものな ら近代化遺産なのである。
したがって,近代化遺産 とは,まず第一に近代的手法で作 られた ものをい う。 さらに,近代以降の地域の生活や文化の変遷 を,端的に表す現物資料 をい うの である。 このため近代化遺産 を見ること,学ぶ ことによって,地域 の発展 を理 解することも可能 となるのである。 す なわち近代化遺産 とは過去,現在,未来
の人達の情報の共有 に必要な,現物の記録情報源 ともいえよう。
ここで注意すべ き点は,一般 に遺産 とい うと遺物,遺構 と同意義に捉 え,現 時点では機能が満たされな くなった もの と考 えられがちである。 しか し,現在 で も機能を果た しているもの もその誕生か ら現在 までの歴史性 によっては近代 化遺産 となるのである。それは近代化遺産の遺産が 「ヘ リティジ」 という言葉 の翻訳であ り,「継承」 とい う文化 を母体 とす る考 え方であることか らも理解
され よう。
(2)産 業遺産 と しての土木構造 物
土木構造物は社会資本の一つ として築造 されることがほとん どである。すな わち生活や産業 を支える構造物である。 例 えばエネルギーを供給するために作
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 273 られる発電 システムでは, ダム,水路,発電所建屋 な どが該当する。 また人々 の交流 を促 し物資の輸送 を容易 な らしめる交通 システムの整備 では,鉄道や道 路,港湾それぞれのシステムが対象 とな り,例 えば港湾では防波堤,埠頭,倉庫, 建屋 な どが該当する。 また,道路,鉄道では,橋梁,隊道,駅舎 な どである。
この ように土木構造物 は直接生産 にかかわるものではな く間接的な生産財 とし て捉 え られるものであ り,様 々な産業 を育成す る基礎 的基盤 として機能す ると ともに, 自らが様々な産業 によって生産 されたその結果 となる性格 を持つ もの である。 さらに,土木構造物 は建築物の ように個人や企業な ど特定のグループ が利用す るもの と性格 を異 にす るものである。 また 自動車や家庭電化製品のよ うに不特定多数 を対象 とす るものの個々人が所有 し,そのために大量生産がな される もの とも違 う。 土木構造物の多 くは 目的,機能, 自然環境 にあわせて設 計 されるため単品生産 *となる。もちろん利用者 (受益者 )は不特定多数 となる。 この ような性格 を持つ土木構造物であるため,産業遺産 として考 えた とき, 次の点が他 と異 なる。
① 規模が大 きいので現物保存が困難である。 特 に隊道な どは移設 はほ とん ど不可能 といって よい。 また倒壊 な どの恐れ もあるので保存 においては安 全性 の問題がある。
(む システム として機能す ることが多いので,保存対象が広範囲に及ぶ場合 が多 い。 このシステム性 ゆえに一部個所が機能 を充たさな くなった時の置 き換 えによって,全体 の産業遺産的価値 の低減が生 じる。このため,保存 ・ 活用 にコンフリク ト問題が生 じる。
(卦 関係す る資料が膨大である。 このため記録 を保有するためにスペースが 必要 となる。
(3)技術 ア セ ス メ ン トと産 業 遺産 の保 存 ・評価 の意 義
現在,我 々は多資源乱費型 ともいえる物質文明の中で生活 している。安価 ・
*
例えば鉄道用の橋梁の桁などは規格が決まっていることからある程度まとまっ た数が生産される。 しか し橋桁 はシステムを構成するパーツであ り,設置され る個所にあわせて橋脚の形状 も変わため,システムで見ると単品生産となる。274 商 学 討 究 第47巻 第 4号
大量 をキー ワー ドに した製 品の開発 が進 め られた結果,物 と情報 が溢 れ,一見 豊 か そ うに見 えなが ら資源 の枯 渇 と環境汚染 を招 来 した。 *さ らに豊 か さ も一 部地域 のみであ り地球全体 と してバ ラ ンス の とれ た もので はない。本 莱,我 々 の生活 を豊 か にす るべ き文 明財 とそれ を開発 す る技術 は,逆 に我 々の生活環境
を悪化 させ ていた ともい え よ う。
この ような現状 は我 々の生活 に利便 性 を与 える文 明財 とそれ を生産 す る技術 の開発 の在 り方 に多角 的 な検討 を加 える こ とに無 関心 で あった こ との現 れで も あ る。 生活環境 に厳 しさが増 しつつ あ る現在 ,現 有 の資源 を最 適 に活用 し,将 来 に渡 って持続可 能 な発展 をす るため には,技術 史 的 な評価 ・考察 ,それ を も
とに した技術 アセス メ ン トが求 め られ るのであ る。
特 に物 質的 な所 産 を生 産す る技術 は,継承性 と重層性 の二点 を抜 きに考 える こ とはで きない。現在 の技術 は従 来の技術 の延 長線上 で考 え られ る もので あ る。
現在 陸上 交 通 の担 い手 と して全 世界 で活 用 され てい る 自動 車 は馬車 の延 長 で あ った。初期 の 自動車 は まさに馬 のか わ りに小型 のエ ンジ ンを馬車 に取 り付 け た ものであ った。 そ して,現在 の 自動車 も基 本 は まった く変 わ らず,速 く ・安 全 に移動す る 目的 を よ り高度 に果 たす ため に改 良が加 え られて きたのであ る。 そ して 自動 車 に よる大気 汚染 が 問題 となる と,内燃機 関その もの を見 直す前 に, 内燃機 関の効率 を向上す る こ とや汚染 物 質 を除去 す る装 置 を開発 す る こ とが ま ず取 り組 まれた。 この ように技術 開発 の ほ とん ど全 て は過去 の資産 の上 で展 開 され てい るので あ る。 そ して, この こ とは科学 において も同様**であ り, アイ
*
安価 ・大量 は持てるもの ともた らざるものの差 を縮めることになった。生産技 術 の発展 は平等化 を促進 した もの として歴史的に評価す ることはで きよう。 しか し,工業製品の生産 による環境汚染 は もとより,食料増産 を目指 した農業生 産では薬付 けと表現で きるほ どの農薬使用 と肥料使用 に よって環境汚染 を招来 している。 また,漁法の改良は魚族の大量捕獲 とな り,資源の枯渇 を招 くなど, 従来のパ ラダイムで進む安価 ・大量 を目指 した生産行動 は もはや限界点 に到達
しつつある。
* *
これに対 して精神文化 にかかわる分野では,重層性,継続性 は余 り重要視 され ない といえよう。すなわち, ミケ ランジェロとピカソは全 く独立 な物であ り, その個別な画風 こそがそれぞれの芸術的価値 を高めているのである。三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 275 ンシュ タイ ン(A.Einstein)の理論 はニュー トン (Ⅰ.Newton)の理論 を有 る特 殊 な事例 として包括 してお り,ニュー トンの理論 はガ リレオ (G.Gaileo)やケ プラー (∫.Kepler)の理論 を基礎 としているのである。 現代 の技術 が科学 的理 論 を利用 しているか ぎりこの重層的な継続性 は見落 とす ことので きない点 なの である。そのためにこそ,記録情報源 として産業遺産の価値が存在す るのであ る。
3.産業遺産特 に土木構造物の技術評価基準 と評価 プロセス
(1)土木構造物評価の問題点 と土木史的評価の.段階的実施
現在,土木遺産 に対す る評価 の実施では,例 えば,技術的な評価 と保存 のた めの評価が混在 してお り,結果 として調査 ,評価 も行 われず構造物 の撤去 など が行 われる例が多い。 また,評価 プロセスが明確 でな くエキスパー トの判断に 任 されることが多 く,必ず しも多角的に評価 されていないな どい くつかの問題 点が指摘 され る2)。 これ らの問題 に対 し筆者 らは,土木史的 な評価 では事業 やそれによって構築 される構造物 を評価す る技術 的評価 と構造物 を保有す るた めの評価 を分離 し,それぞれ個別 に段階的に行 うことが望 ましいこととそのた めの評価 プロセス を提案 して きた3)4)。土木遺産 はかつての計画や投下 され た技術 に関す る意思決定 を現在, さらには未来 に伝 える貴重 な現物史料 (記録 情報源)である。 土木遺産の評価 なき撤去 は社会 に不可逆的な損失 をもた らす
ことにもつなが るものである。
また ,保存評価 の結果 ,保存 ・活用がで きない と判 断 されたな らば ,で きうる 限 りの資料 を収集 し,しかるべ き機 関によって資料 の保存等が なされ るべ きで ある。そのためにも,産業技術 に関す るアーカイブス5)の設置が強 く望 まれる *。
*
特に公共によって整備される社会資本関連は,その便益は広範な地域を対象 とし ている。受益者のみならず整備主体関係者も複数の個人のみならず複数の組織が かかわるなど多岐に渡る。このため一企業に任せるのではなく,学術団体などが 積極的に取 り組むべ き性格のものであろう。2/‑6 商 学 討 究 第47巻 第4号
(2)土木構造物に対 する定性的評価基準
構造物の技術的な評価 を行 うためには,その構造物の建設経緯 を知 り,諸元 や工法など技術的な特徴 を把捉 し,他の構造物 との差異 を明確 にする必要があ る。従来の技術的評価,特 にエキスパー トによる評価では,諸元や意匠などハー ドウェア的な側面 に主眼が置かれ,必ず しも地元にとって納得で きる評価 とは ならなかった。 また事業主体側の資料 にたより,新聞記事 など受益者側の資料 を評価資料 として活用す ることはほ とんどなされずに来た。
構 造 物 の 技
術的評価一次 7宵だ#
図 1構造物の評価基準
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 277 構造物 を土木遺産 として評価 ・活用す ることは もとよ り評価結果 を今後 の社 会資本整備 の情報 として活用 す るためにはハ ー ドウェア的側面 の評価 のみ な ら ず,計画や設計思想 ,社会的環境 な どソフ トウェア的側面の評価が不可欠 であ
る。
以上の観点 よ り技術 的な評価 を行 うための基準 を束ね る軸 として, Ⅰ :計画 な どソフ トウェアに関す ること,Ⅱ :諸元 な どハ ー ドウェアに関す ること, Ⅲ :当時の技術水準 な どの周辺環境 の三軸が指摘 で きる。 これ らの評価基準 につ いて図 1に示す。
(3)定 性 的評価 にお け る計 画 ・設 計 評価 の必 要性
計画,設計思想や系譜 をよ り明 らかにす るためには,構造物 の計画者,設計 者 の特定や彼等 の技術 的なバ ックボー ンの評価 が不可欠である。しか しなが ら, 土木構造物 は建築構造物 と異 な り設計者や施工 に携 わった技術者 の氏名が前面
に出て くるこ とは趣 くまれである 事。 これ は,土木構造物 は大規模 なシス テム であることか ら一人の技術者 によって計画,設計か ら施工管理 までなされるこ とが まれであること,公共が主体 とな り工事が行 われ ること,施工期 間が長い ため担 当者の移動 な どがあることな どによる。
しか し,技術 的な評価 を行 う場合 には計画 ・設計思想 の よ り深 い考察が必要 である。そのためには計画者 ない し設計者 の特定 と,計画,設計思想 の背景 と
なる経歴経験等 を明 らかにす る必要がある
* *
。*
このことは機械製品などにも当てはまり,システム化が進むほどあるいは大衆向 けの大量生産品であるほど顕著 となる傾向を示 している。例えば自動車において は1960年代以前は大衆向けの製品であっても設計者名がはっきりと意識されてい た。すなわち,ドイツの 「フォルクスワーゲン」はポルシェ,イギリスの 「ミニ」はイシゴニス, 日本の 「スバル360」は百瀬などと設計に携わった中心人物の名 前は広 く知 られてお り,時にはそれが表面に出てきていた。しかし,現在特に1980 年代以降の製品では個人の名前はおろかグループの名前 も出てこなくなった。代
わ りにメーカー名のみが知れ渡るようになった。
* *
個人のプライバシーの問題 も有 りこの件は難 しい点があると思われる。情報/Ji開E 制度の在 り方 とともに注意深 く接する必要があろう。27g 商 学 討 究 第47巻 第4号
4.大夕張三弦構造 トラス橋への技術的評価の実施
(1)三弦 トラス橋の建設経緯 と概要6)7)
かつて炭都 として栄 えた夕張市 は森林資源 にも恵 まれ,市内を貫流する夕張 川の上流部一体 を中心 に林業 もまた盛 んに営 まれ,最盛期 には市内に営林署 を
2ヶ所 も抱 える北海道で も有数の林産地であった。
夕張川上流部 は1889(明治22)年 に御料林 として編入 され,第二次世界大戦 前 は帝室林野局 によって管理 ・経営 されていた。伐木は1934(昭和 9)年度 よ
り導入 された森林鉄道 によって搬 出されていた。その後,林政統一の1947年4 月における夕張地域の森林鉄道ネ ッ トワークの稔延長は43.8kmと道内で も有数 の規模 とな り,大量の木材が森林鉄道 によって搬 出された。その結果,林業 は 石炭 と並ぶ夕張市の主要産業 となった。
林野行政統一後,夕張川上流部の森林 開発が進む中で1952(昭和27)午,夕 張川上流部のシューパ ロ川 (夕張川本流) とパ ンケモシューパ ロ川 との合流点 下流約150mの地点 (夕張市南部地区) に当時 日本 で も最大規模 の大夕張 ダム の 建 設 調 査 が 始 まっ
た。大夕張 ダムは夕張 川下流部の農業潅瀧用 水 の確保 と発電 をその 主な 目的 とした利水専 用多 目的 ダムであった が, この ダムによる堰 止湖 (シューパ ロ湖) によって大夕張営林署 管内の森林鉄道下夕張
線 と夕張岳線の一部が 写真 1 シューパロ湖上の三弦 トラス ト橋の全景 水 没 す る こ と と なっ 写景 (1994年9月撮影)
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 279 た。 このため,北海道開発局では延べ
延 長9,583mにお よぶ森林鉄 道 の移設 補償工事が行 うこととした。 この補償 工事では,あ らたに隊道が2ヶ所掘削 され,12ヶ所 の橋梁が架橋 された。特 に,夕張岳線 においてはダム直上流で シューパ ロ湖 を横 断す るた め,全 長
381.80mの三弦構造の トラス橋 (夕張 岳線第 1号橋梁)が架橋 されることと
なった。 (写真 1,図 2)
図2 三弦 トラス橋の位置図 (国土地理 院2万 5千分 の 1図 に加 森林鉄道の補償工事 は1953‑1958年の間に行 われ,三弦 トラス橋 は補償工事 が完了 した1958年6月 より供用 された。 なお, ダムの完成 は1961年である。 こ のため供用 開始時 においてはダムが完成 してお らず湛水 されてい なかったの で,川面 よ り桁 まで68mの高 さとな り, 日本の森林鉄道 において最 も高い橋梁 高 となった。
以上の経緯 により架設 された三弦 トラス橋 であるが,林野庁の森林経営方針 の変更 に伴い,伐木輸送が森林鉄道か ら トラック輸送 に切 り替 え られ,1963年 に森林鉄道夕張岳線が廃止 となったことにより森林鉄道 での供用 は終了 した。
当時は,森林鉄道廃止後その軌道敷跡 は トラック輸送用の林道 (自動車道) と して再利用 されることが一般的であった。 しか し,三弦 トラス橋 の場合建築限 界の関係か ら転用 はなされなかった。
すなわち,森林鉄道 における有効高,幅員 はそれぞれ3,755mm,2,600mmであ る8)のに対 し,林 道 (自動車道) のそれ は4.5m,4.6mと森林鉄道 に比べ て 大 きい ものであった9)。このため下路構造 を採用 した三弦 トラス橋 には トラッ クを通す ことがで きず, 自動車道‑ の転用が不可能であった。いわば,三弦 ト ラス構造 とい う特異 な構造が 自動車道用橋梁 としての転用 を妨げた形 となった のであった。
森林鉄道の廃止後,三弦 トラス橋 はシューパ ロ湖の周遊歩道の一部 として利
280 商 学 討 究 第47巻 第4号
用す ることなどの検討 もなされた。しか し,検討のみで終わ り森林鉄道廃止後30 年間, まった く供用 されず現在 に至 っている。
(2)三弦 トラス橋 の技術 的特徴
(a)三弦 トラス橋 の諸 元10)ll)
三弦 トラス橋 の総延長 は381.80mで,39mスパ ン1連,77mスパ ン1連,52m スパ ン5連の計 7連の単純 トラスか ら構成 されてお り, 7連すべ てが鋼製の下 路 ワー レン トラスである。 さらに,下路桁 の幅は6.0m, トラスの高 さは8.0m である。 これ らの トラスは リベ ッ ト打 ちで組み立 て られ,約450tの鋼材 が使 用 された。 また,設計荷重 は森林鉄道一級線 (E.R.S.12)が適用 され,12kg の軌条が45cm間隔 に置かれた18cmx20cmx200cmの枕木の上 に敷設 された。 図
3に橋梁全体 の側面図を,図4に52mスパ ン トラスの正面図を示す。
また,橋 台,橋・脚 は鉄筋 コンクリー ト製である。橋脚の形 は7T型で,左右 の ピア問を横桁で連結補強する構造で,基礎 は10m x16mである。 さらに,最 も 高い橋脚 は42.5mの高 さを持 ち,ダム貯水前 における川面か らの橋梁高 は68m であった。 なお,工事費 は152,785,336円であった。
‑‑.一一̲・‑ ‑I ‑‑‑ ‑ ‑‑・h L▲一半 ・‑JLJL‑ ‑ ‑ ・一一 一・日.
tJUモ±一撃p‑I..̲,̲士空きとtZ一.̲..?.・■∫‑JEN.Jr.■柵JW.̲.■■▼.̲■州 ■」J̲̲」叫■・Jt■■J̲J■■・P■■.・ ■■
図3 三弦 トラス橋の側面Eg (一般図)
(東京鉄骨橋梁製作所 :夕張岳線第 1号橋梁架設構造計算書お よび設計 図面 よ り)
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 281
( b )
三弦 トラス構造 の特徴12)三弦 トラス構造の特徴 としては経済性 と安定 性があげ られる。
応力計算での必要断面積 は三弦で も四弦で も 大差がないが,上弦材が 1本である三弦の場合, 細 部構 造 の重 量 が 半減 され る こ とに な る。
シューパ ロ湖三弦橋 の77mスパ ンにおける鋼重 では,上弦材 とポータルの鋼重 を合計 した場合, 三弦構造では23.4t,四弦構造では40.4tと約1/2 の鋼重 となっている。 この結果重心が低 くな り 安定 した構造物 となる。
三弦 トラス橋では格点が問題 となるが,当時 アメ リカな どで用 い られていたInclindTruss
.一血‑4PP
i
lJjr2m
図4 三弦 トラス橋正面図 (一般図) (52mスパン)
(東京鉄骨橋梁製作所 :夕張岳 線 第 1号橋梁架設構造計算書お
よび設計図面 より)
用の型鋼が使用で きなかったことと,ガセ ッ トプレー トを曲げることな く施工 するため, シューパ ロ湖三弦 トラス橋 では, トラス線 と三角の頂点が一致 しな い断面が採用 された。
また,斜材 は部材長が長 くなることか ら端部の斜材 を除いて,すべて部材の 細長比 によって決定 された。その構造は,下弦材の格点では2枚のガセ ッ トプ レー トが,上弦の格点ではシングルガセ ッ トが使用 された。その結果,途中で 斜材が絞 られる構造 とな り曲げ点のタイプレー トが補強 された。
三弦橋 では水平荷重 に対 し,上弦材応力 は0になるが斜材 を通 して, ラテラ ル ・ブレーシングに加わって くるものの,設計重量では綾構 は約2割軽 くされ た。このように70‑80mの下路三弦橋が四弦橋 よ りも経済的になるのは対傾構, 上綾構,上弦材の細部構造が軽量化 されることによる。 この結果,細部構造が 単純化 され架設時の作業が容易 となった。
(C)設計思想 にお ける特徴 と しての三弦 トラス構造 採用 の理 由
旧森林鉄道夕張岳線第1号橋梁が三弦構造の トラス とい う極めてまれな トラ ス構造 を採用 した理由として,
282 商 学 討 究 第47巻 第4号
(彰使用鋼材量 を減 らし,建設 コス トを下げることがで きる。
②安定性の高い構造 とす ることがで きる。
③周辺の景観 を損ねない構造的意匠を持つ設計 としたかった。
の3点があげ られる。
架設 コス トの低減であるが,当初夕張岳線の補鹿工事はシューパ ロ湖の上流 部に架橋 し,橋梁延長 を短 くする計画であった。 しか し,迂 回距離が長 くな り 営林事業に支障をきたす ことか ら湖 を直角に横断す る形 に変更す るよう要求が 出され13),第一号橋梁 の橋梁延長が延 びることとなったO この面か らもスパ ン長が長い場合,通常の四弦構造の トラス橋 よりも使用鋼材量の面で有利 とな る三弦 トラス橋が採用 されたのである。 さらに,水没補償工事 によって架設 さ れた鉄橋11橋 の うち半数近 くの5橋 が転用架設14)であることか らも,架設 コ ス トの低減が徹底的になされた ものと思われる。
また,安定性の向上であるが,ダム堰堤が近いため橋梁高が非常 に高 くなる (68m)ので重心が低 く安定性が高い構造15)として採用 した ものである。
さらに,周辺環境へのマ ッチ ングであるが, この件 に関す る記録 は残 ってい ない。 しか し,遺族,関係者‑のヒアリングによると,北海道開発局における 設計者であった有江義晴は,地元大夕張出身であ り 「ダム湖であるシューパロ 湖完成後,借景 となる夕張岳の眺望 を壊 さず,周辺環境 にとけ込む構造 とした かった」 と常 に述べ ていた とい う16)。その結果,三弦橋 はシューパ ロ湖 のラ ン ドマーク的存在 として地元で高い評価 を受けるにいた り,地元の観光ス タン プの図案 にまで用い られることとなった。
この ように工事費の節減 と同時に周辺環境 との調和 を目差 して構造様式が決 定 されたことは,極めて高い評価 を与 えることができよう。
(d)施工 における特徴
① 橋脚17)
橋脚 の架設 に伴 う工事用道路の建設など附帯する工事は1956(昭和31)年の 冬 より開始 された。
橋脚,橋台部の地盤は粘土混 じりの土砂や泥粘土岩,硬岩であった。岩の掘
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 283 別 で はダイナマ イ トが使用 され,その作
業 は1957年 の前半 において行 われたため, 寒 中作 業 となった。 また,手積 み搬 出の ため小 割 り発破 が多用 され た。 なお,橋 脚の根入 れは3‑ 8mで掘削 された土砂 , 岩 は軽索道 に よって搬 出 された ほか,埋 戻 しに用 い られ た。 なお,基礎掘 削 中に 平バ ケ ッ トが転 落す る事故が発生 してい
る18)0
橋脚 の足場 は丸太組み によった。また,
図5 橋脚 の コンク リー ト打設 (大成建設株 式会社札 幌支店大夕張 作業所大夕張二股堰堤工事記録 よ り) コンク リー トの打 設 は,橋脚 の近傍 に建
てた鉄骨の塔 を支柱 とす るケーブルに よってバケ ッ トを運搬 し打設す る方法が 取 られた。 (図5) これ らの工事 は大成建設株式会社 によって行 われた。
写真 2 77mスパ ン橋の架設工事 写真 3 ステージングによる架設 (東京鎖 骨橋梁製作所 大夕張森 (東京鎖 骨橋梁製作所 大 夕張森林 林鉄道第壱号橋梁写真集) 鉄道第壱号橋梁写真集)
284 商 学 討 究 第47巻 第4号
② トラス橋19)
トラス橋の架設は,1957年9月より1958年6月にかけて行われた。 この期間 中1958年1月〜 3月 までは冬季の積雪寒冷時期 となるため工事は行われなかっ た。架設は7連すべてが1957年中に行われ,1958年中には絞鋲,塗装な どが行 われた。 (図6)
架設工法は当初全スパ ン にわたってケーブル架設法 を採 用 す る予 定 で あった が,工期 と地勢の関係か ら ケーブルエ レクシ ョン法 と ステージング架設法が併用
され た。 エ レク シ ョン タ ワーは30m,15mの ものが 建て られた。運搬策は全ス パ ンにわたって2本張 り渡
1 2 3 4 5 8 7
図 6 三弦 トラス橋の架設計画図 (土木技術 vol.13No.12より)
され,途中15m高のエ レクシ ョンタワーか らサグ受けを作 り,巻 き上げ,横行 きケーブルを2分 し,キャリヤーケーブル4台が使用 された。 また,ステージ ングは第5,第6,第7スパ ンにおいて使用 され,300石の木材が使用 された。
実際の架設 は株式会社東京鉄骨橋梁製作所が担当 し,当時東京鉄骨橋梁製作 所 に勤務 していた黒 田幸治20)を中心 として設計,工場組み立て,現場架設が 行われた。 (写真 2,写真 3)
(e)系譜 にお ける特徴
三弦構造の下路 ワー レン トラス橋の鉄道橋の採用 はシューパ ロ湖三弦 トラス 橋が 日本 における初めての ものであった21)。 しか し, この構造が採用 された 鉄道橋 としては,Kbln‑Aachenを結ぶ鉄道におけるnirenの Ik 川 に架設 された78mスパ ンの複線橋梁が報告 されている22)。 この橋梁 は第二次世界大 戦中連合軍の爆撃 によって破壊 された とい う23)。 シューパ ロ湖の三弦 トラス 橋の設計者が この橋 を念頭 に置いていたことを直接示す資料 はない。 しか し,
三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 285 遺族によるとあ らか じめ知 り得ていた可能性 はあるとい う24)。
シューパ ロ湖の三弦 トラス橋が架橋 された後,国道237号線 に上弦材 を 2本 とし下弦材 を1本 とした逆三弦 トラス構造 を採用 した, 日高大橋が北海道開発 局 によって架橋 されている。 日高大橋 は上路 トラス橋 として下路三弦 トラス橋 における建築限界の支障 を避 けている25)。 また,鬼怒川水系 の川治 ダム (香 木県)近傍の林道では下路 トラス橋 として架設 される26)な ど,開発局,林野 庁 とシューパ ロ湖の三弦 トラス橋 に関 りが深い機関によって架橋がなされてお
り,シューパ ロ湖の ものがそれ らの基礎 となった もの と思われる。 (千)意匠における特徴
シューパロ湖三弦 トラス橋 は,三角断面のためシャープさと安定感 を与 えて いる。 しか し,高欄や門柱 な どに意匠的な工夫は全 くなされてお らず,意匠的 な特徴 は,その構造様式による部分のみである。 これは森林鉄道 とい う産業鉄 道用の橋梁のため,必要な機能を満たす ことに第一の主眼が置かれたことによ
るもの と考 えられよう。 さらに,北海道開発局 における設計者である有江 は, 理論にしたがって合理的に無駄な く設計 された構造物が一番美 しい とい う持論 を持ち続 けていた27)といい,このことか らも構造様式 による美 しさを優先 し, 高欄や門柱 をは じめ橋梁に装飾 を加 えなかった もの と思われる。
(3)三弦 トラス橋 の技術 的評価
北海道の近代土木遺産調査 デー タベースによって検索 した結果,三弦 トラス 構造の橋・梁は他 に登録 されてお らず,また,現存する鉄道用 トラス橋 として橋 長が長いグループに属するものであることがわかった。 さらに,北海道の森林 鉄道に用い られた構造物で往時の面影がそのまま残 っている唯一の構造物であ
ることもわかった。
以上の技術的特徴 より,シューパ ロ湖三弦橋の第‑番の評価点 として,その 特殊 な構造様式があげ られ よう。
三弦 トラス構造 を採用 した例は日本 において初めてで,その構造 を採用 した ために独特の構造美を持つに至 っている。 特 に,昭和30年代前半において,周
286 商 学 討 究 第47巻 第4号
辺景観 とのマ ッチ ングをも考慮 に入れ構造様式 を決定 した ことは,やや もすれ ば構造物本体 のみに気 を取 られ,奇抜 なデザインのあま り,周辺景観 との調和 がなされていない構造物が 目立つ最近の傾向に対 し,再考 を促す好例 とな り得
るであろう。
また, 日高大橋 の例 に見 るように派生例 を生 じたことは三弦 トラス橋 が技術 的に成功 した ことの現れで もあ り,評価 されるべ き点 と思われる。 しか しなが ら,下路 トラス橋梁 としたために自動車道用橋梁 に転用 されず に,わずか5年 の供用 しかなされず,工事 関係者 にとっては建設の労苦が十分 に報われた もの とはな らなかった28)。 この ことは,計画時 にお ける将来予測 と稔合 的判断の 重要性 を改めて教 えるものである。
さらに,森林鉄道用橋梁 としては最長であ り,最高の橋梁高 を持 ち,北海道 内に残 る数少 ない森林鉄道構造物であることは,土木工学的な評価 のみな らず, 夕張市 はもとよ り北海道 における営林事業 を改めて偲ぶ産業遺産 として も評価
され よう。
5.大夕張三弦構造 トラス橋の計画 ・設計思想
(1)三弦 トラス橋の計画
三弦 トラス橋 の供用期 間は5年 間 と総工費の割 には短い ものであった。 この ため林道転用 も視野 に入 れた計画がなされなかったか とい う疑問が生 じる。
1952(昭和27)年 より着工 された桂沢 ダム (幾春別川) ダム建設では森林鉄 道は廃止 され,林道 と トラックによる伐木輸送 に切 り替 え られている。 さらに
「夏季輸送 において も当所 は森林鉄道が唯一の輸送機関なんですが輪力増強計 画 によ り昭和36年 よ り トラック輸送 となるようです」 29)とい う記録 もある。
しか し,北海道で林道 による トラック輸送が本格的に開始 される *のは1954年
*
北海道で伐木輸送に トラックが使用された例は第二次世界大戦以前からある。 し かしその導入が進んだのは1954(昭和29)年9月の洞希丸台風による大量の風倒 木処理における機動力が評価されてからで,その進展は急激なものであった。三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 287 以降で,大夕張ダムの計画時にはまだ森林鉄道が中心であった。 さらに,桂沢
ダム建設で森林鉄道 を廃止 し林道による トラック運材 に変更 したことは営林当 局では極めて不評であった とい う。 このような事情か ら大夕張ダムでの水没補 償工事では森林鉄道での利用が前提条件 とな り,結果 として三弦 トラス構造が 採用 されるに至った と思われる。
(2)三弦 トラス橋 の設計者
森林鉄道の水没補償工事 は,ダム建設 に直凍 関係 した部署ではな く,北海道 開発局建設部道路課が担 当 した。当時道路課 において橋梁係長は有江義晴で あった。有江が個人的に残 していた手帳の記鉢 によると 「一 日中大夕張電源開 発 に伴ふ森林鉄道専用の橋梁の計画に没頭する。吊橋 と構橋 の二案 を構想 に入 れる」 30)とある。 また,当時部下であった小野修氏 によれば橋梁構造の決定 および基本設計のすべては有江氏 にまかされ,その結果 としていままでに例の ない三弦構造の トラス橋 となることに決 まった とい う。 後年,有江義晴は自分 が生 まれた大夕張に,例のない三弦橋 を作 ったことを誇 りとし, また,三弦橋 のおかげで首都高速の仕事 に携 わることがで きた と回想 している31)。 また, 当時の開発局の担当者や東京銭骨橋梁の関係者か らは構造様式の決定について 合議はなされず,あ らか じめ三弦 トラス構造が決 まっていた とい う回答が よせ
られた。
以上 より,有江義晴がシューパ ロ湖三弦 トラス橋の構造様式の決定 と基本的 な設計 を行 った もの と考 えられる。 なお,実際の架設は株式会社東京鎖骨橋梁 製作所が担当 し,当時東京鎖骨橋梁製作所 に勤務 していた黒田幸治 *を中心 と
して設計,工場組み立て,現場架設が行 われた32)。
*
1960(昭和35)年に独立し,現在,黒田設計株式会社社長288 商 学 討 究 第47巻 第4号
(3)有江義時の略歴 と技術的背景
① 有江義晴の略歴
有江義晴 は1913(大正 2)年 8月1日に北海道の夕張 に生 まれた。父親 は三 菱 の大夕張炭砿 の事務長 で後 に町会議貞 も務 めた33)。 また,弟 に元北海道大 学学長 の有江幹男がいる。夕張か ら旧制札幌第一中学校 に進学,理数系 に強い 関心 を示 し電気 関係 の技術者 になることを目指 して,北海道帝国大学予科 に進 学 した。予科在学 中土木工学科 の鷹部屋福平教授 *の講義が好評であることを 聞いた ことと力学 に強い関心 を持 った ことか ら工学部土木工学科 に進学,吉町 教授,鷹部屋教授 に師事 し,特 に鷹部屋教授の 自他共 に認め られる愛弟子 となっ た **。北大 の同期生 による と有江 は凡帳面 な性格 で,製図や力学 については右 に出る人 はいなか った とい う。1936(昭和11)年 に北大 を卒業,卒業論文 は 「無 鋲 開側洪橋鳥川橋改築」34)であった。
卒業後株式会社横河橋梁製作所 に入社 ,東京工場技術部勤務 とな り,1937年 11月完成のNHK川 口放送所 の建設工事 に携 わってい る35)。 1938年か ら日中戦 争 によって爆破 された津浦線大黄河橋梁 の修復 ,正太線改軌工事 な どに従事 し た36)0
1941年12月横河橋梁製作所 か ら華北交通株式会社 に移 り,工務局橋梁課 を経 て1944年華北交通徐州工務段長兼華 中鉄道株式会社嘱託 とな り終戦 を迎 え,衣 族 を伴 い中国 よ り引 き揚 げ し,その後,1954年,総理府技官 として北海道 開発 局建設部道路課勤務 (橋梁係長) となった。1955年7月には土木試験所兼務 と
な り翌1956年4月建設部道路課課長補佐,1958年 9月札 幌開発建設部技術 長 と
*
工学部土木一期会編 : 『北大工学部土木の源流 (1987年)』によると,鷹部屋福 平 (1893(明治26)年〜1975(昭和50)午)は,1925(大正14)年か ら1942(昭 和17)年まで北海道帝国大学教授 として構造力学などを教授 した。鷹部屋は構造力学分野で世界的に高い評価を受けてお り,固定ばり,ラーメン, フィンレンデルなど不静定構造物について多 くの研究があ り,特に高層 ラーメ ンに関する研究はその後の高層建築に多大な影響 を与えたといわれる。 また土 性力学にも多 くの業績を残 している。
* *
夫人の有江道子氏によれば,鷹部屋氏 に対 し批判をする人は上司であっても強 い語調で反駁するほど,徹底 した傾倒振 りであったという。三弦トラス構造橋梁を例とした産業遺産の定性的評価プロセスに関する研究 289 なった。 この時期 に三弦 トラス橋 の架設 に携 わっている。
1959年 7月首都高速道路公団に転 じ工務部第二設計課長 とな り,1965年 6月 同公団理事 となった・37)。 その後 オ リエ ンタル コンサル タン ト社社長 とな り, 1987年10月28日に64歳で亡 くなっている。
(9 有江義晴の技術 的背景
有江 は以上の略歴か らわかるように,北大卒業後 は常 に第一線 の技術者 とし て主 として橋梁の架設 に活躍 していた。 しっか りとした構造計算 を優先 し,檎 造的な合理性 による様式美 を好 んだ ことは,現場 の経験か ら来 るものであった
のであろう*。
さらに,有江 は北大時代 に薫陶を受けた鷹部屋福平 に生涯師事 してお り,理 論的な相談等 を していた とい う38)0
鷹部屋 は 「まことの 「橋 の うつ くしさ」 は単 なる 「か ざ り」,「装飾」だけで 得 られる ものではない。均整の とれた 「橋 の美 しさ」 は,いずれの部分・をとっ て眺めてみて も,それが力学上の理論に したがって計算か ら合理的に設計,蘇 駄 に遊 んでいる ところがない とい うことが大切 である。 (中略)必要 なだけの 生 きた材料が活躍 しているのが力強い美 を示すのである。 しか し,橋 が単独 に 美 しくて もそれは,片手落ち となる ものであって,周囲の景色 との調和,環境
と比べ ての適合性が忘れてはな らない他 の反面の重要 さである」39)と述べ て いる。 このことは,有江の構造物 に対す る基本的な姿勢 とも一致す るものであ るO有江 の技術観は鷹部屋 の影響 と現場 での架設経験 によって培 われた もの と いえよう。
以上 よ りシューパ ロ湖三弦 トラス橋 は,有江 と鷹部屋 の技術観 を端的に表 し た構造物 ともいえよう。