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高 齢 化 社 会 と 地 域 福 祉 ――広域合併後の高齢者の意識の変容――

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(1)

―  ― 1 4 1   は じ め に

1 調査対象地域(旧芸北町)の特徴と高齢化

2 旧芸北町の医療・保健・福祉への政策対応と広域合併 3 旧芸北町における高齢者の意識の変化

  3 _ 1  旧芸北町における高齢者の意識(合併前)

  3 _ 2  旧芸北町における高齢者の意識(合併後)

4 旧芸北町O集落における高齢者の意識の変化   4 _ 1  旧芸北町O集落の概要

  4 _ 2  旧芸北町O集落における高齢者の意識(合併前)

  4 _ 3  旧芸北町O集落における高齢者の意識(合併後)

5 今後の研究課題

は じ め に

  1 9 9 0 年の「高齢者保健福祉推進 1 0ヵ年戦略」 (ゴールドプラン)などに始 まる,近年の福祉制度改革は「地域福祉」をキーワードとし,市町村(地 域)をその受け皿としてきた。

 さらに,政策的方向づけとして,社会福祉法では( 2 0 0 0 年)の第1条

(目的)で地域福祉を「地域における社会福祉」と規定し,第4条(地域福 祉の推進)では「地域住民,社会福祉を目的とする事業を経営する者及び 社会福祉に関する活動を行う者は,福祉サービスを必要とする地域住民が

――広域合併後の高齢者の意識の変容――

日隈 健壬・辰己佳寿子・高崎 義幸

(受付 2006 年 5 月 10 日)

1 )  広島修道大学総合研究所調査研究費( 2 0 0 5 〜 2 0 0 6 年度)を受けた「高齢化社会

と地域福祉―広域合併後の高齢者の意識の変容―」 (研究代表者 広島修道大学日

隈健壬)の研究成果の一部である。

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―  ― 1 4 2

地域社会を構成する一員として日常生活を営み,社会,経済,文化その他 あらゆる分野の活動に参加する機会があたえられるように,地域福祉の推 進に努めなければならない」とその内容を規定している。これらを推進す るために第6条では,国及び地方公共団体の責務は, 「福祉サービスの提供 体制の確保,福祉サービスの適切な利用の推進に関する施策等」という,

福祉サービスの直接実施責務でなく,条件整備者としての責務が規定され ている。さらに 1 0 7 条と 1 0 8 条では,都道府県地域福祉支援計画と市町村地 域福祉計画を策定することが定められているが,これらも義務規定ではな く, 「地方分権」の見地から策定し,その変更は地方自治体の裁量に委ねら れているのが実態であった。

 地域福祉の前提条件は大きく三点に分けられる,①地域福祉を遂行する 空間として地域社会の存在とその主体としての地方自治体,そしてそれが 存立するための地方自治の確立,②地域福祉サービスを供給し支える人の 存在,③経済的な余剰の存在といわれてきた。①の地域社会を総括する主 体として地方自治体は,現実には財源難の中で周辺自治体との合併問題を 通して課題を残しながらもすでに医療,保健,福祉は広域的な連携の中で 実行されてきた。また,②のマンパワーの育成から雇用にいたっても広域 的に展開されてきた。③にいたっては,すでに財源に自治体格差が顕在化 しており,自治体の広域合併を通してより実現に向けて対応可能な規模に 再編されているのが現実である。

 本研究の目的は,こうした地域福祉の前提条件としての「地域福祉の概

念」と,その「前提条件」が今日,対応可能な現実性をもっているのかど

うか,特に広域合併後,地域社会を構成する一員としての高齢者の意識に

どのような変化が生じたのか,そして地域と高齢者をつなぐ家族の役割の

変化について,総合的に捉えることである。すでにかつての家族は核家族

化,少子化を通じて解体し,地域社会もまた,その機能を喪失している現

実の中で,地域社会をキーワードとした福祉制度改革の実行性の問題点を

浮き彫りにしたいということを当研究調査では目的としている。

(3)

―  ― 1 4 3

 調査対象地域の旧芸北町(現北広島町)では,2 0 0 5 年2月に周辺3町と の4町合併を済ませ,それぞれ旧自治体との間で医療,保健,福祉が三位 一体となって,その需要に応じたサービスを,限られた財源の中で,地域 のもつ知恵と工夫で対応にせまられているが,合併に対する住民の不安が なかったわけではない。本稿は上述した目的に接近するために,高齢者に 対する意識調査の結果を市町村合併前と合併後で比較し,高齢者の意識変 化を整理する。なお,今回の調査( 2 0 0 5 年5月と 2 0 0 6 年2月)は合併後 3ヶ月〜1年という合併直後の実施ということもあって住民の意識に顕著 な変化は見られない。本稿は 2 0 0 6 年度継続調査研究全体の中間報告として 位置づけられる。

 本研究の構成は以下のとおりである。第1章では,旧芸北町の特徴と高 齢化について概観し,第2章では地域福祉政策の推移と市町村合併につい て整理する。第3章では旧芸北町全体の高齢者の意識を合併前と合併後で 比較し,第4章では旧芸北町の中でも特に高齢化率の高いO集落に焦点を 絞り,合併前と合併後の高齢者の意識変化を分析する。第5章では今後の 課題をまとめる。

1.  調査対象地域(旧芸北町)の特徴と高齢化

 芸北町は,高原性の地形で積雪量が多く,農閑期の冬場の産業の中心に なるスキー場はかつて最盛期には年間 1 0 0 万人を超えるスキー客が中四国,

九州などからも訪れ,そのための民宿も数多くある。また,青空市場が各 地で開かれ,観光農園や市民農園なども定着している。伝統的には,農業 や林業という第1次産業が主体であったが,近年では,自然観賞・スキー などの観光スポーツには西日本一帯からの需要があり,そのため第3次産 業,とくにサービス業や飲食店,小売業が多くなっている。

 旧芸北町の 6 5 歳以上の人口割合は,1 9 7 5 年は 1 6 .8 %であったが,2 0 0 0 年

には 3 7 .0 %に増加し,7 5 歳以上の後期高齢者の人口は 1 9 7 5 年の 6 .5 %から

2 0 0 0 年の 1 3 .3 %と,1 5 年間に2倍以上に急増している。高齢者福祉保健実

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態調査によると,2 0 0 3 年の一人当たり平均世帯数は 2 .8 8 人であり, 「ひと り暮らし老人」は総世帯数の 1 5 .9 %である。 1 9 8 0 年の「ひとり暮らし老 人」の割合が4%であったから, 「ひとり暮らし老人」の割合が急増して いる。しかし, 「寝たきり老人」は 2 .2 %にすぎない。 1 9 9 8 年度の在宅高 齢者基本調査によると,在宅の高齢者のうち「要援護高齢者」は全体の 2 3 .0 %,日常生活自立度判定基準は日常生活動作(ADL)でみると,ほと んどの活動動作項目において,7 0 %前後の高齢者が「介助なしにひとりで できる」と回答しているが,入浴と着替えは 2 0 %弱が全面的に介助を必要 としている。

 高齢化と労働力動態からみるかぎり,農山村地域は明らかに少子高齢化 によって社会的活力を失い,その経済的自立だけでなく,社会的にも地域 は崩壊に追い込まれていると捉えられる。具体的に,各自治体の財政力指 標の推移をみると,広島全県総数では,1 9 9 6 年( 0 .6 7 0 ) ,2 0 0 4 年( 0 .6 4 6 ) の中で,旧芸北町は 1 9 9 6 年( 0 .1 6 9 ) ,2 0 0 4 年( 0 .2 0 5 ) ,合併した旧大朝町 は 1 9 9 6 年( 0 .1 5 1 ) ,2 0 0 4 年( 0 .1 8 6 ) ,旧豊平町は 1 9 9 6 年( 0 .2 2 4 ) ,2 0 0 4 年

( 0 .2 2 9 ) ,旧千代田町は 1 9 9 6 年( 0 .3 9 4 ) ,2 0 0 4 年( 0 .4 3 4 )というように合 併4町はどこも低く,その中で4町合併が進められ,2 0 0 5 年5月に合併新 町「北広島町」として出発した。

2.  旧芸北町の医療・保健・福祉への政策対応と広域合併

 旧芸北町の福祉事業としては,1 1 の医療施設(個人開業医も含む)があ る。この中で「保健」 「医療」 「福祉」が一体となり,包括的に地域医療が 行われているのが「芸北ホリスティックセンター」である。この地域包括 医療システムの要となる「芸北ホリスティックセンター」 ( 1 9 9 4 年7月設立)

の構想,計画,建設は, 1人の医師と歴代の首長のリーダーシップをもっ

て,1 9 9 2 年頃から当時の町議会議員や建築業役員,その他9つの集落の総

代が集まって始まっている。初期の頃からセンター所長の吉見医師はメン

バーに誘われている。仲間からは, 「いかにも診療所みたいなものだけは

(5)

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つくりたくない,高齢者になっても人間として生きがいをもって生きたい。

そのためにも廊下はギャラリーのように絵をたくさんかけて,庭には高齢 者のスポーツと,リクレーション空間をとって,山野草を育て,とにかく 淋しくなるような医療施設を感じさせないものにしよう」という合言葉か ら始まっている。先ず彼らは先行して土地を安く買い,それを町に出すと いう念の入れようであった。しかし,そこは皮肉にも圃場整備率日本一と 言われた旧芸北町における第一号の優良農地でもあったことから異論も百 出したが,建設予定地とされた雄鹿原は町内の中心地区であり,また平坦 地が広がった絶好の条件を備えていた。この施設では, 「医療部門」では内 科・小児科・歯科・眼科が付設され, 「福祉部門」では食事の提供,日常機 能訓練などのディサービス及び成人病をはじめとする各種の定期検診,健 康診断が行われている。そして施設の裏手には,グランドゴルフ場があり,

グランドゴルフや料理教室,手芸や折り紙などの高齢者の痴呆予防や趣味,

娯楽など啓発事業も実施され,合言葉どおり生きがいをもって生きたいと いう高齢者たちの交流の場とする地域生活支援体制を確立している。

 高齢者福祉計画としては,国の「ゴールドプラン」を受けて地域福祉計 画『芸北すこやかグリーンプラン―芸北町老人福祉計画( 1 9 9 4 年度) 』が策 定され,その基本理念は「誰でも人間として尊重される社会」「相互扶助 の推進に基づく社会」 「地域で住み続けられる社会」の3つが掲げられた。

また,1 9 9 6 年度に『芸北町第3次長期総合計画―ときめきプラン 2 1 』の中 でも高齢者福祉の充実が策定の中にもり込まれ,在宅福祉の充実,施設福 祉の充実,生きがい対策の充実,高齢者の健康づくりの推進,高齢者にや さしい居住環境の整備の5つが目標とされている。さらに,2 0 0 0 年には

「ゴールドプラン」を大幅に修正した「新ゴールドプラン」のもとに, 『芸

北すこやか生活プラン―芸北町新高齢者保健福祉計画・芸北町介護保険事

業計画』が作成されている。ここでは, 「介護が必要な高齢者への自立支

援」 「健康で若々しく暮らせる環境づくり」 「地域福祉の推進」の3つを基

本理念とし,介護サービスの基盤整備及び質的向上と痴呆(以下当時のま

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ま)高齢者支援の推進,介護予防,社会参加の推進,また福祉のまちづく りを目指し,高齢者の支援サービスだけでなく,高齢者自身の自主性の促 進も計画の目標とされている。

 さて,旧芸北町が位置する山県郡の平均在宅老人比率( 1 9 9 7 年)は 3 3 .4 %。広島県下では北部に位置する双三郡,比婆郡と共に高い高齢化率 を示している。以下,山県郡下の旧町村別在宅老人の実態をみてみると

( 1 9 9 7 年) ,太田川流域の中心部の旧加計町が 3 1 .5 %,旧筒賀村 3 5 .3 %,旧 戸河内町 3 4 .7 %,旧豊平町 3 3 .4 %,旧芸北町 3 1 .2 %,旧大朝町 2 9 .9 %,旧 千代田町 2 4 .1 %となっている。また,同じ生活圏域でありながら流域の異 なる江の川沿いの旧千代田町と旧大朝町は,高度経済成長下における日本 海と瀬戸内海を結ぶ西中国山地広域ネットワークの再編の中で,高速自動 車道による島根県浜田市と広島市との直結ルートの形成と共に工業団地と しての拠点性を高めながらひとつの地域活力のポテンシャルを高めてきた。

これまで山県・高田両郡はひとつの西中国山地の生活圏域としてとらえら れてきたが,流域の異なる江の川流域の旧大朝町と旧千代田町,そして太 田川流域の上流に位置する旧戸河内町,旧芸北町,旧豊平町と旧加計町,

旧筒賀村では広島へのアクセスの違いから,生活の様相は異なったものだっ た。

 山県郡一帯の労働力の動態をみると,1 9 2 9 年と 1 9 9 0 年の 6 5 歳以上1人当 たり 1 5 〜 6 4 歳人口比率は,1 9 2 9 年で 7 .1 人で,つまり 7 .1 人で1人の 6 5 歳以 上人口を支えていたものが,1 9 9 0 年では 2 .4 人で1人の 6 5 歳以上人口を養う ことになっている。倍率にすると,7 0 年間で約3分の1に減少している。

  「山県郡の中でも千代田を除くと, 限りなく介護される時代になってしも

うて, 1世帯で2人が『寝たきり寸前』というのが現状です。そういう私

のところもそうなんです」 , (栄田重人,6 0 歳,1 9 9 6 .4,当時芸北町福祉住

民課・課長) [日隈 1 9 9 6 ] 。多くの標準家族2人のうち1人が寝たきりにな

ると,残りの1人は就業できず,介護に当たらなければならない時代に突

入していた。当時の栄田さんの話のように,旧芸北町では訪問看護ステー

(7)

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ション活動報告( 2 0 0 1 年度)を見るかぎりでも「寝たきり度」では,自立 は5人,ランクC4人,ランクB5人,ランクA4人がこのセンターでサー ビスを受けている。ランクCは最も重度の人で,自力で寝返りができない 状況を指し,当然,年齢別では後期高齢者が圧倒的に多く,疾患別では脳 血管障害が多く言語障害,片麻痺,痴呆など後遺症の人がほとんどで,入 浴介助やリハビリを必要としていた。介護は配偶者が最も多いが,中には ヘルパーとのペアでローテーションを組んで介護負担の軽減を図っている。

 こうした地域社会の現実の中で,1 9 9 0 年に始まる「旧ゴールドプラン」 , 1 9 9 5 年の「新ゴールドプラン」の理念は, 「利用者本位」 , 「自立支援」 , 「普

遍主義」 , 「総合サービスの提供」 , 「地域主義」で,そのことが旧芸北町の 計画の理念にも確固として付されることになった。

 さて,今回の調査は過疎地における地域包括医療システムのモデルとし て全国的にも高い評価を受けてきた旧芸北町である。地域を取り巻く高齢 者の動向は,いわれてきたところの過疎化が一応人口流出の面では底をつ いた 1 9 8 0 年からにしても,1 9 9 8 年度と比較すると 4 ,1 1 3 人から 3 ,2 6 7 人と総 人口で 1 2 .8 %減という中で,逆に 6 5 歳以上人口は実数で 1 ,0 6 8 / 7 2 9 人,

2 0 .2 %増というのが実態である。

  「芸北町の場合,6 5 歳以上人口が約 1 ,0 0 0 人,うち自分で働けるという健 康老人が 7 0 %で,3 0 %が病気がち。そのうちの半分が,寝て起きて,排泄 が出来て,食事もとれる,という日常生活だけはなんとか出来るにしても,

残りの 1 5 %は完全に介護しなければならない時代がもうすぐです。だから といって,町の一般会計 4 0 億のうち,老人健康保険が4億を超える時代な のに,一向に老人が安心感をもてないのが現実なんです。 1 9 9 4 年と 1 9 9 5 年 では, 1ヶ月当たりで 2 ,0 0 0 万円ほど,年間2億円の老人医療費が増えてい ます。 」 (栄田重人,前掲) [日隈 1 9 9 6 ] 。

 ちなみに,介護保険事業状況報告( 2 0 0 2 年4月分)では,要介護(要支

援)認定者数 1 7 3 人,居宅介護(支援)サービス受給者数 1 1 0 人,施設介護

サービス受給者数 4 7 人となっている。しかし,保険者別1人当たり医療費

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は通常山間部が高く,都市部は低いのが特徴でもあるが,芸北町は県平均 と比べて一般の受診率は高いゾーンに分布されているが,保険者の1件当 たり費用額(県平均 1 8 9 ,0 5 5 円)では約 1 3 万円台に位置し,最も低い自治体 となっているのが特徴となっている。ここには,ホリスティックセンター のユニークな活動としての「ふれあいサロン」の貢献が大きいと所長の吉 見医師はいう。 「ふれあいサロン」では調理,健康体操,介護,福祉用具の 紹介から,参加者が気がねなく楽しい時間を過せるように,ホリスティッ クセンターと社協が共催し,民生委員と地域ボランティアの協力で推進し ている町内8ヶ所にサロンの施設がある。 2 0 0 1 年度は, 延 1 6 2 回,延参加者 1 ,7 2 2 人,うちひとり暮らしは 5 8 6 人であった。また,老人保険では( 1 9 9 9

年度)1人当たり県平均約 7 5 8 ,0 0 0 円であるが,芸北では 6 0 0 ,0 0 0 円ライン に位置している。また受診率も県平均より低いのは特徴的である。

 こうした旧芸北町の高齢者実態の中で,老人にとってのニーズは,内科,

眼科,歯科,医療などの総合的な検診が可能な施設がほしいということは 明らかであった。

 ホリスティックセンター建設の背景には,そうした過疎化に悩むこの地 域の保健医療施設が将来的なニーズや展望や構想のないままこれまで放置 されてきた, という疑問があった。しかし,もちろん多くの地域住民にとっ て各地の総合病院や特養の運営実態はあまり知られていない。とにかく町 内にないのは不安だから,ないよりあった方がいいという程度だった,と いう関係者もいた。

 診療所長の吉見医師をリーダーとする町内のビジョンづくりグループは,

強力なリーダーシップをもつ首長との連携の中で当初の段階での基本的方 向性を,地域包括医療の拠点化に据えた。 「よく他人様に聞かれるので答え るのですが,私に何か長年の地域医療の理想があったわけではないのです。

日ごとに降りかかる問題を解決していくうちに,今日まで来たというのが

素直なところです。医療と保健がドッキングすることになったのも,芸北

のような過疎地で,高齢化と少子化が進めば,医療が前面に出る場なんか

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―  ― 1 4 9

少なくなるばかりです」 (吉見昭宏,5 8 歳,医師) , [日隈 1 9 9 6 ] ) 。  それから6年後のインタビューでは, 「そうですよ。医療制度も大きく変 わりましてね。これまでは検診が主で精密検査となると街(広島市)に出 てましたが,今ではここで胃も腸もノドもやれますからね。また,若くて 技術の高い先生に来ていただいていますので在宅診療でもこれまでは出来 なかったかなりの水準のものまでやれることが多くなりまして,ついこの 間とは大きく変わりました。同じ山県郡でも都市近郊の農村地域の医療だ と法人(民間)が多くて自分のところの患者だけで地域とか住民に目が向 くことはありません。しかし,我々のところは全ての住民に主体を置いて 考えなければいけませんから医療だけでなく,保健,福祉の3本が1つに 連携されたものが必要なんです」(吉見昭宏,前掲) , [日隈・宮本・広田 2 0 0 3 ] 。

 現実に,疾患の主なものは脳血管障害が多く,言語障害,片麻痺,痴呆 などその後遺症がほとんどで入浴介助やリハビリを必要としている。医療 依存度は年々増えている。そのうち,胃 (ろう)チューブを使って栄養 治療を在宅のまま行っている人が3人いることや,気管切開を受けて在宅 療養をしている高齢者もいて,家族の介護負担は計り知れない。そうした 人たちを週3回の訪問看護と週2回の訪問診療で対応し,若くして芸北の 過疎地で診療を続けてきた所長の吉見医師にとっては実に隔世の思いがあ ると語られる。先生と呼ぶよりも,若々しいリーダーであり,もうムラの 長(おさ)である。その吉見医師のもとでセンター構想がスタート時には,

町役場で林務専門だった近藤紘史次長がいた。植木のように時間のかかる 地域福祉時代の人づくりもまた彼の専門で, 「西中国山地デザイン会議」の 初代プロデューサーでもあった。彼らは町づくり,人づくりを全ての生態 系がシステムとなった森をイメージした「地域福祉」に据えた。

 それは,医療・保健・福祉が三位一体となったもので,診療所を中核と

した「国民健康保健高齢者福祉センター」の全国的なモデルケースを目指

す,という壮大な計画であった。当時は,町内の医療機関は加計町立病院

(10)

―  ― 1 5 0

を核にして,戸河内町立病院,島根県浜田市・国立病院,広島県・安佐市 民病院などのネットワークを効果的に利用してはいたが,旧芸北町内にさ らに広がりと深みのあるネットワークシステムに仕上げるという意気込み であった。

 そのためには,まずこの基本構想・基本計画が「特別総合保健福祉事業」

として補助認可を受け, 高齢者福祉 1 0ヶ年戦略,いわゆる「ゴールドプラ ン」にも十分に資することができるものでなければならなかった。

 更には,この国民健康保健直営診療施設に併設,または機能の連係を図 り,検診の事後指導,健康管理講座,生活習慣改善指導,健康づくり事業 などを行うに必要な保健施設部門,また在宅の老人に対する生活指導,健 康チェック,入浴,給食サービスを提供する老人ディサービス部門及び,

高齢のため居住において生活することに不安のあるものに対して,一定期 間居住を提供することができる住居部門を有する施設であること,あわせ て在宅寝たきり老人などに対して,看護士などが訪問し,療養上の世話及 び看護サービスを提供できる老人訪問看護部門の併設は,市町村の任意の ものであっても,整備については補助対象となる,という事業の整理,理 念の作業から始められた。

 吉見医師グループのセンター建設アセスメント調査研究結果を要約する と, ( 1 )芸北町の老人人口比率は現状でも県比率を大幅に上回っているが,

この傾向は今後も継続される。 ( 2 )さらに予想される生産人口や若年層の

流出,合わせてより積極的な女性の社会参加を考えると,家庭における家

族の介護力の低下は避けられない。 ( 3 )特に,後期高齢者の増加,痴呆性

老人に対して地域包括医療の確立など,過疎地域における在宅福祉の新た

な取り組みが必要となる。 ( 4 )そのためには,高齢者サービス調整チーム

の組織強化,医療・保健・福祉関係者が一同に会する機会,相互学習の場

づくりなど機動性のある組織づくりが必要である。その他,ケースマネー

ジメントシステムやコーディネータ,スタッフの育成。更には,総合病院

との広域ネットワークの強化,他町村診療施設との病院連合(アライアン

(11)

―  ― 1 5 1

ス)の必要性が求められている。 (芸北ホリスティックセンター基本構想・

計画書,勉強会。 1 9 9 3 年,報告書。 1 9 9 4 年提出)こうした考え方に至るま でに,当時全国国保診療施設協議会会長山口昇博士(国立みつぎ総合病院)

へのヒアリング調査研究,あるいはキーマンヒアリング,町民ヒアリング 調査を重ねながら構想と計画の最終目標に近づいている。センター建設が 構想されていた当時,地元の関係者は,淡路島の五色町が先行していたよ うに,診療所を核とした特別養護老人ホームや医療施設,デイケア機能,

健康道場を完備した複合型の施設をイメージしていた。

 国の「ゴールドプラン」を待たずして,旧芸北町では吉見医師が僻地医 療の現場経験から,時間をかけて暖めていた高齢化時代と地域保健医療へ のビジョンが着々と進められていた。それは,歴代の町長に受け継がれな がら広く町民全体のコンセンサスとして形成されていた。そうした中で,

この福祉関連上位計画の国の「ゴールドプラン」と「広島県高齢者対策推 進指針」の2つは共に「地域」 , 「在宅」がキーワードであり,こうした福 祉政策のトレンドは吉見医師の思いと全て重なるものだった。ちなみに,

旧芸北町の地域包括医療を中心に保健・福祉を三位一体とする支援セン ターの構想段階( 1 9 9 2 )から完成( 1 9 9 4 )を経て,1 0 年を過ぎた 2 0 0 6 年3 月,終始リーダーシップであった吉見医師は定年を迎えたが,地域の要請 を受けて嘱託医師として務めている。

 時期を同じくして,2 0 0 0 年には,旧芸北町を含む山県郡7町村の「山県 郡広域合併問題研究会」が設置された。 2 0 0 2 年には,現在の北広島町の旧 4町にしぼり込まれた形で「山県東部合併推進協議会」が設置された。協 議会では,合併の効果として以下の四つを挙げている。合併にあたって,

住民からは, 「きめ細やかな行政サービスが受けられなくなるのではない か ?」「周辺部が取り残されるのではないか ?」という意見も出たが,こ れらに対しては,合併後 1 0 年間を想定した「新町建設計画」を均衡ある計 画にすると回答されるにとどまっている。

 新町建設の基本方針には,①魅力づくり,②つながりづくり,③やさし

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―  ― 1 5 2

さづくり,④元気づくりの4つの機軸があり,③の中で豊かな高齢社会の 形成と地域福祉の推進が言及されている。高齢者が生き生きと暮らせるよ うに,生活支援サービスや健康づくり,高齢者の能力活動や交流活動など による生きがい創出と社会参加を進めるとして,具体的には,介護予防・

生きがい活動支援サービスの拡大,ふれあいサロン実施箇所の拡大,健康 づくり体操教室の充実等が触れられている

。新町の基本的なスタンスは 旧芸北町と同様で,福祉事務所機能を持つ福祉保健センターを設置し,地 域の事情に応じた保健・医療・福祉の総合的な体制づくりをめざすとされ ている。

  「芸北ホリスティックセンター構想・計画の時代は,確かに在宅介護が オールマイティでした。しかし,ゴールドプラン見直しに向けて,現実の 問題を取り入れなくてはならないのです。そのテーマが『特別養護老人ホー ム』です」 (栄田重人,前掲) 。センター建設当時は「在宅福祉」をうたい 文句で実現したことは事実です,と芸北ホリスティックセンターの役場窓 口担当はスバリと証言する。また,在宅を中心とするセンター建設時に高 いニーズがあった特別養護老人ホーム(特養)建設も,2 0 0 0 年に美和地区 に 3 0 床の特養が完成し,合わせて社協経営のショートステイ( 1 0 床)やグ ループホーム6床(現在では 1 2 床)も完成した。

 すでに高齢化率が 3 0 %を超える過疎地では老人ふたりがお互いをいたわ り合いながら介護している。しかしながら,すでに町民所得は,増えるの は年金だけで,5 0 %を超えている。圃場整備率が県下でナンバーワンとい われた旧芸北町だけに,今のところ( 1 9 9 6 年)いわゆる小作料が年寄り世 帯にも入ってくる。しかし,新食管法改正でコメからの収入が減少する時 代を迎えるとどうやって在宅で暮らせるのかと,1 9 9 6 年度の調査ではすで に多くの人たちが回答している。 2 0 0 5 年度聞き取り調査(O集落)ではす でに小作料は支払われていない。

2 )  http://www.town.kitahiroshima.lg./jp/gappei-archive/index.htm および山県

東部合併推進協議会( 2 0 0 5 )より。

(13)

―  ― 1 5 3

  「ゴールドプラン」を受けて,旧芸北町自らが策定した「芸北老人福祉計 画」 ( 1 9 9 4 年)では, 「特養は,国庫補助金と自治体の起債と自己資金でで きることにはなっていますが,問題はスタッフです。ショートスティ,軽 度老人ホーム併設でも,5 0 人は必要だと書かれていましたが,そのために は常に入所者が満員でなければ経営は成り立たない,というのを各地の施 設で聞きました」 (栄田重人,前掲) 。もちろん,スタッフとしてのマンパ ワーの供給だけではない。それを支える財源も大いに乏しいのが過疎の自 治体の共通の悩みでもあった。

 ところが,1 9 9 6 年のインタビューでは増えつづけると思われたマンパ ワーのコストを心配していたが,現在( 2 0 0 6 .6 )の特養( 3 0 床・やまゆり) , ショートステイ( 1 0 床)にしても,同じく社協が経営しているグループ ホーム( 1 2 人入所)にしても,ゴールドプラン策定時の供給(マンパワー)

試算は下方修正できるほど現場では工夫されている。

3.  旧芸北町における高齢者の意識の変化

3 _ 1.  旧芸北町における高齢者の意識(合併前)

 第3章第1節では,2 0 0 3 年8月〜 1 0 月に旧芸北町在住の 3 0 2 人に対して実 施した調査票を用いた聞き取り調査及び直接訪問聞き取り調査[日隈・仁 井谷 2 0 0 4 ]から得た回答から,地域住民の医療,保健,福祉に関する不安 に関する調査からみると多くの市町村の「老人福祉計画」は,行政当局の 意志とは相違し,計画達成には相当の困難が予測され,とりわけ,財源措 置の問題,人材確保の問題,広域連携における各市町村の「地域エゴ」の 調整の問題などを中心に克服すべき多くの課題が山積しているといわれて いた。

  「地域で考えろといわれてもね。すぐには対応できませんよ。それが今

更のように地方分権とか,自治の基本なのだからといわれても,とくに過

疎地の自治体そのものに受け皿になるものが育っていなければね。権限だ

けもらっても財源がなければやっていけませんよ」 (近藤紘史,5 4 歳,芸北

(14)

―  ― 1 5 4

ホリスティックセンター次長) 。 「例えば,公的介護保険制度がスタートす るとすれば,芸北町が保険者になって,サービスも運営も資金も用意しな くてはならなくなる。そうなると国が考えているイメージを芸北町が実現 できるかどうか不安です。具体的に考えても,重度の者に対してはかなり 頻繁にヘルパーを派遣しなければならないのですが,芸北町ではそんなマ ンパワーは用意できませんよ」 (栄田重人,前掲) 。 「すでに, ゴールドプラ ンの推進にしても市町村で格差のあるくらいですから。たとえ,公的介護 保険制度がスタートしても現実には地域格差があって,何のサービスも受 けられない人が出るわけです」 (吉見昭宏,前掲) 。

 ところが6年後の 2 0 0 6 年5月,インタビューでは,当時の心配の種で あったサービスの地域間格差,地域内格差は予想したほど表面化しなかっ たと吉見医師はいう。介護保険による一割負担も低所得者控除制度などあっ て,現状では問題が表面化していないと話している。

 ただし,ホリスティックセンターも 2 0 0 2 年度には重度の者に対しては目 標の数値を超えることもあった。地方の中小自治体ではモデルケースとし て高く評価され,全国から視察団が訪ねてきていた旧芸北町においてさえ もこのような不安を抱えて「地域福祉」時代の幕開けを待っていたのが現 状であった。当然,広島県の中では,政策的にも高齢者福祉モデル地域と なっており,そうした位置づけがされていた中で, 「老人保健福祉計画」は 旧芸北町においては目標年次どおりでなくとも,概ね達成された。

  「芸北町のホリスティックセンターは,あくまでも在宅福祉の発想の原点 になっている施設です。町ではそうした在宅介護が中心で,重い病気は広 島のような中核的な都市の病院で対応していただきたいということですよ ね。そして,各家庭がセンターを診療所のような気持ちで往診や介護が受 けられる,というのが吉見先生のお気持ちなんです。私もそれが芸北では,

イチバンだと確信しています。国からも県からもそうした指導がありまし

たし,私共も同じですが,それでもね,ひとりきりで寝ているお年寄りに

は近くに入院や入所(園)できる施設がない,という不安が残るんです」

(15)

―  ― 1 5 5

(栄田重人,前掲) 。

 更に具体的に高齢者自身と「家族関係」 , 「地域環境」 , 「社会参加」 , 「生 活満足度」の4つのキーワードを基に,社会構造の『個人(高齢者) 』 , 『家 族』 『地域社会』との関係性とその相互の機能に関して,2 0 0 3 年に実施した 高齢者の意識調査を分析すると以下のようになる。

 健康に関する質問項目の中では,自分の「健康感」と「年齢」の関連性 が見られ,加齢とともに健康感が低下する傾向にある。 「健康感」と「自覚 症状の個数」では自覚症状がない人は自分で「健康である」と答えている。

しかしその自覚症状は,加齢とともに増加する傾向にあったが,それは日 常生活動作に直接的に影響を及ぼすというわけでなく,加齢と日常生活動 作 (ADL) との関係性はあまり見られなかった。加齢と日常生活動作 (ADL)

の低下との関係性は,加齢とともにその自信が低下するものの個人差があ ることは明らかであり,その境界線となるのは,質問項目の集計結果から 見るかぎり,8 5 歳という年齢を境に日常生活動作の自立に低下傾向を見せ ている。 「買い物」や「郵便局」などでの用事という特定の場所まで外出す るのは年齢だけでなく地域差もあり,旧芸北町の高齢者にとっては,公共 交通が利用できるか,または他の交通手段があるかということが大きく左 右されている。このことは,日常生活に支障が出た場合,高齢者の外出を 困難にしていることがわかる。

 日常生活動作(ADL)の低下を抑制する要因として,高齢者自身の「積 極性」があげられる。ここでの積極性とは,質問項目では「目標立て」 ,

「新聞の購読頻度」 , 「週の運動量」の三つから抽出集計し, 高齢者自身の自

発的な行動が日常生活での健康寿命の延長に影響している。その積極性を

もつことにより公的サポートを受けようという意識が低くなり,積極性が

医療費の公的負担の抑制をする働きをもっているとみることもできる。先

述したように旧芸北町は県平均と比べて,一般の受診率は高いゾーンに分

布されているが,保険者1件あたり,費用額では県下で最も低い自治体と

なっている。しかしながら,総じて,8 5 歳を堺に積極性や何らかの物事に

(16)

―  ― 1 5 6

対する意欲が低下する傾向にあることも事実である。

 社会参加としては伝統的な地域の活動である「社会参加」と行政による

「活動参加」があげられる。前者は,高齢者にとって地域社会とのつながり が伝統的に受け継がれる地域での助け合いなどの活動,これは地域社会の 伝統や習慣とも言い換えることができるが,そこでの役割が年齢を重ねる と,家族社会,地域社会を囲む社会,経済環境の変化の中で情報の高度化 や技術の変化(進歩)に,高齢者自身がそれについていけず,これまでの 役割 と 地位 を低下させ, 高齢者自身の「生きがい」や地域での存在 価値までもが低下するという傾向が見られる。それを補完するかたちで,

後者は行政による新たな「活動参加」高齢者活動の創出として「ふれあい サロン」 , 「介護予防教室」 , 「ことぶき大学」などによって失われた高齢者 の地域や家族での役割と地位の回復を図る機能を果たし,そこでの活動が 高齢者の不満・不安を少なくし,生活満足へとむかわせているという本研 究調査の仮説であった。これまでの調査結果からして,それらの活動に参 加する目的が「仲間づくり」 「健康維持」が多かったということ,また高齢

図1 因果モデル( 2 0 0 3 年調査)

(17)

―  ― 1 5 7

者同士のつながり合いが健康寿命を延長させる一つの要因であるという仮 説が一応立証されたとみてとれる。

 また,地域の不便を感じることが少ないと地域満足度が高いという設定 で分析を行なったが,質問項目の回答集計では「道具的サポート」との関 連性が見られた。これらは「車いすへの抵抗感」 , 「家電製品の理解度」 ,

「住宅におけるバリアフリー」の3項目からなっているが,分析結果から

「住宅におけるバリアフリー」について何らかの自覚症状,日常的に障害 が発生した後,それぞれが住宅において部屋間の敷居の段差,風呂,トイ レなどをフラットに改良するなど,バリアフリーをすでに行っていたり,

今後しようと考える傾向にあった。しかしこれを地域社会環境という問題 に置き換えると,多少,日常生活に支障があろうとも,住みなれた地域で 暮らし続けたいという住民の願いが強い。こうしたことから見ると,高齢 者自身の自助努力だけでは限界があり,高齢者自身の生活不安・不満を低 下させるためには,家族関係,地域社会への参加,地域環境の満足と密接 に関連していることを考慮する必要がある。

3 _ 2.  旧芸北町における高齢者の意識(合併後)

 第3章第2節では,2 0 0 6 年2月6日〜 1 0 日に実施したアンケート調査の 結果を通して,合併後の高齢者の意識について整理する(配布数 1 0 0 枚。回 収率: 9 3 :有効数 9 0 %) 。

  「なじみの深い芸北町から,北広島町という町の名前に変りましたが,

少し慣れましたか?」という問に対し, 「はい」が 6 2 人( 6 8 .9 %)で「いい え」 1 5 人( 1 8 .7 %) , 「どちらでもない」4人( 4 .4 %)を大きく上回った。

  2 0 0 5 年5月から6月にかけて同地区において行った聞き取り調査では,

「北広島町」 (4町が合併)になって間もない頃だったこともあり,新しい 町名に馴染みがないと答えた人の割合の方が多かったが,合併してちょう ど1年経ったこの時期には住民も町名に慣れてきたようである。

  「新しい役場(旧千代田町)に行かれたことはありますか?」という問に

(18)

―  ― 1 5 8

対し, 「はい」が 2 3 人( 2 5 .6 %) , 「いいえ」 6 7 人( 7 4 .4 %)で旧千代田町に ある新庁舎を訪ねていない人の方が圧倒的である。また, 「はい」と答え た人に用件を尋ねると,仕事,事務届け,見学,年金,議会,などバラバ ラであった。この 2 0 0 5 年5月から6月にかけて同地区で行った聞き取り調 査では,芸北支所で用事は事足りるため新しい役場には行かないという人 が多かった。

  「合併されるという話をきかれたとき,何か不安や心配がありましたか?」

という問に対し, 「不安,心配は多少あった」 , 「不安,心配はあった」が

「不安,心配はなかった」 , 「わからない」を大きく上回った。その中でも,

「医療(病気) 」を心配,不安に思った人が多かった。2番目に「教育(学 校) 」 ,3 番目に「年金など」を心配,不安に思った人が多かった。第1節で 触れたように,地域包括医療サービスに対して住民の満足度が高かっただ けに,広域化することで「医療」への不安が残ったと思われる。

  「子どもさんたちは芸北町内ですか?」という問に対し, 子どもが町内に いる人の割合は 6 2 .2 %( 5 6 /9 0 )と比較的子どもと同じ町内で暮らしている 人が多かった。

 現在の「生きがい」については「畑仕事」という回答が 9 0 人中 4 5 人

( 5 0 %)で最も多かった。以下, 「テレビ」 3 4 人( 3 7 .8 %) , 「旅行」 3 1 人

( 3 4 .4 %) , 「新聞」 2 9 人( 3 2 .2 %) , 「孫・子供との交流」 2 2 人( 2 4 .4 %) ,

「グランドゴルフ」 2 1 人( 2 3 .3 %) , 「お花・盆栽」 2 0 人( 2 2 .2 %) , 「読書」

1 9 人 ( 2 1 .1 %) , 「山仕事」 1 8 人 ( 2 0 .0 %) , 「神楽」 1 2 人 ( 1 3 .3 %) , 「地域の お世話」 1 1 人( 1 2 .2 %) , 「カラオケ」 1 1 人( 1 2 .2 %) , 「ゲートボール」8 人 ( 8 .9 %) , 「ペット」7人 ( 7 .8 %) , 「人形・陶芸 (工芸) 」4人 ( 4 .4 %) ,

「舞踊」3人( 3 .3 %) , 「絵画」2人( 2 .2 %) , 「生け花」2人( 2 .2 %) ,

「合唱」1人( 1 .1 %) , 「俳句(文芸) 」1人( 1 .1 %) ,無記入7人( 7 .8 %)

であった。

 昔の「生きがい」は「生け花」が8人( 8 .9 %)で最も多かった。以下,

「畑仕事」6人( 6 .7 %) , 「山仕事」6人( 6 .7 %) , 「神楽」5人( 5 .6 %) ,

(19)

―  ― 1 5 9

「お花・盆栽」 4人( 4 .4 %) , 「合唱」4人( 4 .4 %) , 「人形・陶芸(工芸) 」 4 人( 4 .4 %) , 「地 域 の お 世 話」4人( 4 .4 %) , 「ゲ ー ト ボ ー ル」3人

( 3 .3 %) , 「グランドゴルフ」3人( 3 .3 %) , 「ダンス」3人( 3 .3 %) , 「読 書」3人( 3 .3 %) , 「俳句(文芸) 」2人( 2 .2 %) , 「舞踊」2人( 2 .2 %) ,

「旅行」2人( 2 .2 %) , 「絵画」1人( 1 .1 %) , 「カラオケ」1人( 1 .1 %) ,

「テレビ」1人( 1 .1 %) , 「新聞」1人( 1 .1 %) , 「孫や子どもとの交流」1 人( 1 .1 %) ,無記入 6 3 人( 7 0 .0 %)であった。

 現在の「生きがい」の「その他」の内訳は「飲み会」 , 「パチンコ」 , 「友 達との食事会,お茶会」 , 「地域の変革,5 0 年歩んだ組織人としての道程。

5 0 年組織人として仕えた上司としての実績。 5 0 年の地域の米の生産を残す こと」 , 「写真」 , 「地域の子どもの野球指導」 , 「友人交流」 , 「大正琴」 , 「パ ソコン」 , 「温泉」 , 「スポーツ」がそれぞれ1人ずつであった。また, 「体調 が悪く何もしていません」 , 「冬は畑仕事ができない」といった意見もあっ た。昔やっていた「生きがい」は「ゴルフ」 , 「釣り」 , 「モトクロス」がそ れぞれ1人であった。

4.  旧芸北町O集落における高齢者の意識の変化

4 _ 1.  旧芸北町O集落の概要

 これまでの旧芸北町全般をみてきたが,第4章第1節では 1 9 9 7 年から調 査を行ってきた島根県境のO集落に焦点を絞り,高齢者の実態をより具体 的に把握していきたい。

 O集落は 1 8 8 9 年(明治 2 2 年)中野村として合併するまでは, 9つの村と そして調査地のO集落(当時は村)の 1 0ヶ村であった。それが 1 9 5 6 年9月,

八幡村,雄鹿村,美和村と中野村の4ヶ村が合併して芸北町となり,更に 2 0 0 5 年2月,千代田町,大朝町,豊平町と芸北町の4町合併によって北広

島町となった。  

 旧中野村は藩政時代,風土の関係上産業は米の単作以外に副業がなく,

村の総面積の9割以上を占める森林に恵まれていながら交通網が未整備だっ

(20)

―  ― 1 6 0

たため,山は収入にはつながらなかった。それでも大田川流域の山々で行 われていた鉄山すなわち砂鉄製錬業は存在した。しかし,明治になり砂鉄 洗取方法は採算が合わなくなると廃止され,明治中期以降は道路の改修に よって物資の移出入が容易になり林産物の搬出が行われるようになった。

大正末期から昭和に入ると職業も多種多様になり,なかでも終戦後は社会 情勢の変動と経済構造の激変によって,農作業の専業だけでは生計が難し くなり,林業やその他の職業に就く人が次第に増加した。今日ではこれま での伝統的産業で生計を立てている世帯もなければ人もいない。特に,高 齢者の主な収入は年金であり,副業は農業や第2次,第3次産業への就業 である。

 O集落は,文政2年3月( 1 8 1 9 年3月)の国郡志御用ニ付下しらべ書出 帳によると, 戸数は 5 6 軒,人頭は 2 1 8 人,うち男 1 1 1 人, 女 1 0 7 人と記されて いる。また同時期の「芸藩通志」 (第 5 8 巻)によると 3 5 戸 2 6 9 人と記されて いる。明治 1 4 年( 1 8 8 4 年)調べでは,O集落 3 5 戸 1 7 3 人となっている。地区 内には森ヶいち社(大明神,森市霊)があり,仁徳天皇を祭社し,その後 応神天皇を合祀,氏子数 3 3 戸。浄謙寺,1 6 8 3 年改宗して真宗となり,天和 3年( 1 8 3 3 年)本寺は浄泉寺西派,明治5年( 1 8 7 2 年)の調べでは門徒数 4戸とあるが浄土真宗西本願寺派ということで,地域の同宗派の人たちに とっては精神的な支えとなってきた。

4 _ 2.  旧芸北町O集落における高齢者の意識(合併前)

 第4章第2節では,2 0 0 1 年8月 2 7 日〜 2 9 日にO集落(総世帯数は 2 5 世帯)

に住んでいる 6 5 歳以上の高齢者に対して実施したアンケート表を用いた聞 き取り調査[日隈 2 0 0 2 ]を用いて合併前の高齢者の意識を整理する。

  「身体的健康度」では,最も回答者数が多かったのは, 〈気になるところ

がある〉と答えた 1 3 人( 7 6 .5 %)であった。 「どのくらい薬を飲んでいます

か」の質問項目のうち最も回答者数が多かったのは, 〈毎日2種以上〉と答

えた9人( 5 2 .9 %)であった。この結果から多くの高齢者にとって何らか

(21)

―  ― 1 6 1

の〈気になる〉という不安や身体的にも不安を抱えていることがわかる。

  「経済的サポート」に対する回答は, 〈今収入のある仕事をしている〉と 答えた人は5人( 2 9 .4 %) , 〈今収入のない仕事をしている〉6人( 3 5 .3 %) ,

〈今は仕事をしていない〉6人( 3 5 .3 %)となった。さらに, 〈収入のない 人〉 〈収入のある人〉の割合は, 〈収入のない人〉 1 2 人( 7 0 .6 %) , 〈収入の ある人〉5人( 2 9 .4 %)で,現実には年金以外の収入を得ている人は 3 0 % 弱に過ぎないことがわかる。

  「自分で目標を立ててやっていることがある」の質問項目のうち最も回答 者数が多かったのは, 〈あまりない〉 1 1 人( 6 4 .7 %)であった。この結果か らしても「生きがい」として素直に回答できるものがない,のではないか

図2  1 9 9 7 年・旧芸北町O集落(聞き取り調査)

(22)

―  ― 1 6 2

と感じられる。「いろいろ外にでたり,旅行をしたりしたい」の質問項目 のうち最も回答者数が多かったのは, 〈あまりない〉9人( 5 2 .9 %)であっ た。この結果からしても積極的な意味での「満足度」は弱い。

 以上, 6つの質問項目をみてきたが,それらはすべて不満,不安に置き 換えたもので間接的ではあるが,回答者の不安(不満)度を知る手掛かり となった。しかし,次の項目では,高齢者の不安度は低く仮説を否定する 根拠にもなった。

  「住宅においてバリアフリーなど,老後のために工夫することを考えて

図3  2 0 0 2 年・旧芸北町O集落(聞き取り調査)

(23)

―  ― 1 6 3

いますか」の質問項目のうち最も回答者数の多かったのは, 〈あまり考えて いない〉6人( 3 5 .3 %)であった。 「命のベルを持っている」の質問項目の うち最も回答者数の多かったのは, 〈もっていない〉と 1 5 人全員が答えた

( 8 8 .2 %) 。この〈命のベル〉は,ひとり暮らしの高齢者が緊急時の連絡に は不可欠なものである。しかし実際,2 0 0 2 年の調査ではひとり暮らしの高 齢者が2人いたにも関わらずもっていなかった。 「段差があるところは避け て歩くようにしている」の質問項目のうち最も回答者数の多かったのは,

図4  2 0 0 6 年・旧芸北町O集落(聞き取り調査)

(24)

―  ― 1 6 4

〈あまりない〉と答えた8人( 4 7 .1 %)であった。 「歩道を歩く際,危機感 を覚えたことがある」の質問項目のうち最も回答者数の多かったのは, 〈あ まりない〉と答えた8人( 4 7 .1 %)であった。

 以上のことから,調査集落のO地区は元気な高齢者が多いにもかかわら ず,日常生活においては, 「不安度」は高くはないと考えられる。 「年金だ けでも派手な生活をしなければ,少しの畑の野菜づくりと合せて結構やっ ていける」という人が多かった。 「生きがい」というほどの農作業に対する 積極的認識はないが,生活習慣となった土いじりがストレス解消になって いると見られる。

 ただ,高度情報化社会と称される今日,すべてがネットワーク上で結ば れており,コンピュータ,携帯電話とあらゆる媒介を通して,より速く,

より効率よく,利益性を手に入れることができる日常の社会環境では,高 齢者は対応できない。情報化社会の中で高齢者は弱者となっている。モノ の消費社会だけでなく,新しい情報化社会への対応能力が時代の価値基準 とされ,伝統的・経験的な知恵はその価値さえ失ってきた傾向は,高齢者 にとって家庭中だけでなく,地域社会での役割さえ喪失させる結果を招き,

社会の中での自分の役割が見出せなくなる。そして,不安・孤独につながっ ている。これが現在の高齢者の不安,不満,孤独を形成する一因となって いることも推測される。

 以上のことから,高齢者の社会的役割の喪失こそが,高齢者の不安の一 つの主な原因となっていることがいえる。 それは,伝統的農村社会のもつ,

共同性の解体と,家族の機能と役割の崩壊,それにかわって国家の進出に

よる「福祉国家」への道といった社会変動が高齢者の地位と役割を曖昧に

させ,高齢者の孤立を生む要因となったという一般論を,実態調査を通し

て確認するという作業でもあった。現在,少子高齢化が急速に進み,国も

この問題に対処するためゴールドプランを修正し, 「福祉」を国家から地域

社会に戻し,地域と住民の自立を柱に置くという新たな福祉改革を打ち立

て,1 5 年が過ぎようとしている。その中で個人のニーズにあった介護サー

(25)

―  ― 1 6 5

ビスやその受け皿としての地域社会の機能充実の重要性が高まっている。

それは経済が成長期から成熟期に移り,それに伴う国家財政の伸び悩む中 で対応が修正された。それが,高齢者自身に役割を与え,健康寿命の延長 と自立を可能にさせ,社会保障支出の削減につながるという理念の実現に 期待が寄せられたものでもあったが,その成果が出るには時間がかかる。

4 _ 3.  旧芸北町O集落の高齢者の意識(合併後)

 第4章第3節では,2 0 0 5 年から 2 0 0 6 年にかけて行った聞き取り調査から 高齢者の意識変化を把握していきたい。

  「なじみの深い芸北町から, 北広島町という町名になって3ヶ月経ちまし たが,何か自分の中で気持ちに変化したものがありますか?」という質問 に対しては,調査時( 2 0 0 5 )が合併後3ヶ月しか経ってないこともあって

「あまり変わらない」という回答が多かった。その中でも, 町名に馴染みが ないという回答があった。 「北広島町という名前にはなじみがない(女性 7 7 歳) 」 「手紙など書くとき,ついつい芸北町と書いてしまう(女性 6 7 歳) 」 「も ともとはこの辺りは「芸北」じゃけえ。芸北町ともいうが芸北地域ともい う。 「北広島町」は言いにくい(男性 6 0 歳) 」 「合併してまだ少ししか経って ないからあまり変らない。手紙を書くとき住所を間違えるくらい(男性 4 8 歳) 」 。 「やたらと書類の作成をしなくてはならなくなった(男性 8 5 歳) 」と いう手続き上の煩わしさの声も聞かれた。「合併して,色んなものが遠く なった。デメリットが大きい(男性 4 8 歳) 」 。経済的な側面では, 「町営住宅 の家賃が1万から2万円にあがった(女性 6 2 歳) 」という回答があった。

  「芸北町時代の役場や役場の人たちのサービスは昔と変わりませんか?」

という質問に対しても, 「変わらない」との回答が多かった。 「芸北支所の 機動力がなくなった(男性 4 8 歳) 」という回答もあった。留意すべき点は,

「役場に行くことがないからわからない」という回答があったことである。

8 0 歳の男性は「農業もやらないし,役場に用がない」という。 「新しい役場

(北広島町役場)には行かれたことはありますか?」という問いには,2 1 人

(26)

―  ― 1 6 6 中2人以外は行ったことがないと答えた。

  「合併されるというお話を聞かれたとき,何が最も不安,心配でしたか?」

という問いに対しては,1 9 人中 1 1 人が何らかの不安を抱いていた。

 現在は,将来に対する不安を多くの人が抱えているようである。 「トップ が変わって勝手が違うし,その上,削減予算のなかで,少人数でこれまで のサービスを住民には提供しなければならないから,これまで通りのサー ビスが出来るかどうか不安はある(男性 6 0 歳) 」 「今のところ気持ちの変化 はないけど,病院への送迎など交通手段がないのは心配のまま(男性 8 4 歳」

「冬の除雪作業。福祉については,この辺りは儲からないから民間も入って こんけぇ,自分らでやらにゃあいけん。今後,行政サービスはよくならな いだろう。中心部ばっかりよくなって,ここらは取り残される(男性 6 0 歳) 」 「二人とも病気になったら寝て治すしかない。なるようにしかならん よ(女性 6 7 歳) 」 「バスの運行整備をして欲しいという希望はあった。今は 目の前のバス停からバスが出るので便利(ことぶき大学への参加,買い物,

病院等の用事) 。今後どうなるかはわからんけれども,今はヘルパーさん が週に2回来てくれるので大丈夫。合併で予算が削られてヘルパーさんが こなくなるというようなことがあると困るが・・・ (女性 8 2 歳) 」 。 「厚生年 金のこと。少なくなったり,もらえなくなったりするかも知れないという 話を聞くと不安(男性 7 9 歳) 」 「社会福祉協議会の合併などで,どう変わる かが心配(男性 6 2 歳」というふうに,今後の不安を抱えている。

 具体的に直面している問題は, 「交通手段」のことが多かった。 「病院が 遠い。雄鹿原診療所まで行くのが面倒(女性 7 8 歳) 」 「バスが緊急のときに 来ないから,病院にすぐに行けない(女性 7 7 歳) 」 「病院への送迎などの交 通手段がない(男性 8 4 歳) 」という声が聞かれた。

<旧芸北町O集落 Sさん(男性,5 6 歳)へのインタビュー>

「芸北町時代の役場や役場の人たちのサービス(お世話)は昔と変わりま

せんか?」

(27)

―  ― 1 6 7

 まだ合併したばかりで,何の変化もない。新年度の予算が決まらんとど うにもならんのんじゃない。合併しても 1 0 年間は旧町のこれまでの計画を 継続するという話だったから大丈夫と思う。しかし,合併後に大変になっ たのは芸北支所の職員なのでは( 2 7 人が残り,その他は千代田本所へ移動) 。 トップが変わって勝手が違うし,その上,削減予算のなかで,少人数でこ れまでのサービスを住民には提供しなければならないから,これまで通り のサービスができるかどうか不安はある。

「合併されるという話を聞かれたとき,何が最も不安,心配でしたか?」

 そりゃあ,みんな心配はあったよ。その中でも多くが心配していること は,冬の除雪作業。今までは町でやってくれていたけど・・・・町道が通 れんかったら困るけぇ。福祉については,この辺りは儲からないから民間 も入ってこんけぇ,自分らでやらにゃあいけんということでやってきたが,

これまで芸北町は他の町よりも,社会福祉協議会の運動が活発で,進んで いると思う。

 芸北は,ホリスティックセンターの吉見先生の方針で「在宅」が中心だ から家で誰かがみるしかない。介護する方も大変じゃが・・・・。しかし,

ホリスティックセンターは長期滞在は難しいが,ショートステイは簡単に 利用できる。まあ,ここじゃ今はKさんの奥さんが寝たきりじゃけど,そ れ以外はまだ大丈夫。だけど,これからどうなることか。うちはいいけど,

周りには今のところ元気じゃけど高齢者だけだから,そのうち,その人達 の誰かが倒れ始めたら続きそうな気がする。

「農業についてはどうですか」

 現在,代かき中。5月 2 0 日頃田植えの予定。他の田ではすでに田植えを しているところがあるが,田植えの方法が違うため少し遅めになる。代か きの機械は 3 0 0 万円くらい,共同で購入。

 うちはまだいいけれど,田が耕せんようになったところは,委託して耕

(28)

―  ― 1 6 8

してもらっている。O集落で全部自分でやれるとことは少なく3軒のみ。

うちと,FさんとAさんのところ。もう耕せなくなった人は,O集落の下 地区はUさん(大規模農家:大体 1 0 ha もっていたら大規模という。Uさ んの所有は 2 0 ha ぐらい)に委託している。委託しても条件の良いところ は多少はあっても,多くはそのリターン(小作料)はなし。米が安くなっ たのであまりもうけにはならない。休耕田にせんだけいいようだ。八幡の 方は放棄地がみられる。

 芸北町には二つの農業法人がある。雲月山の土橋(つちはし)法人。 1 0 年前くらいに発足。そこに県の農業普及員がいたので,その人の力ででき た。ここの上地区は土橋法人に委託することが多い。ちなみにもう一つの 法人は大佐法人。花やしいたけ等の協業組合をつくってやる元気はもうな い。昔は花が米の 1 0 倍の値段じゃったけえ,ここらでもみんなやりよった けど,今はバブルがはじけたぐらいから消費者が花を余り買わなくなって 花の値段も下がった。今は, 3軒程度がやっている。畦にりんどうを植え ている。

 O集落 2 5 戸のうち農業収入があるのは9戸(純生産農家)で,その他は,

田は持っていてもほとんど委託している。農業機械が高額で稲刈り機は約 7 0 0 万円。農協が肥料や燃料を売りに出入りするが,農協の肥料や燃料,農 機具賃借料は高いためこの辺の人は農協を通さないで農機具メーカーから 買っている。それに,広域合併で農協職員も地元出身者でない人が多く なった。芸北出身で芸北に勤務する農協職員は 3 0 人弱だと思う。金融窓口 も臨時職員が多くなったから地域のことはあまり知らんし相談事も出来な い。

 O集落の最大農家はUさん。息子(次男)が広島から通って農業を手 伝っている。長男は親と一緒に暮らしている。息子は冬スキー場で働いて いる。Uさんは農業のほかに土建業もやっている。

 だいたいここらの田は全部で 4 0 町。米は一袋が 3 0 kg で 6 ,1 0 0 円。一反で

約 5 0 0kg 収穫できる。 1 0 反で1町だから,5 0 0 (kg) × 1 0 (反) × 4 0 (町) =

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