韓景職牧師の民主主義観 : 日韓教会交流(関係)の 歴史研究(第四回)
著者 高 萬松
雑誌名 聖学院大学総合研究所紀要
号 No.55
ページ 193‑213
発行年 2013‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1477/00001411/
Title
韓景職牧師の民主主義観 : 日韓教会交流(関係)の歴史研究(第四回)Author(s)
高, 萬松Citation
聖学院大学総合研究所紀要, No.55, 2013.3 : 193-213URL
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韓景職牧師の民主主義観
︱︱日韓教会交流︵関係︶の歴史研究︵第四回︶
高 萬 松
はじめに
聖学院大学総合研究所とソウルの長老会神学大学校は二〇一〇年度より﹁日韓関係一〇〇年︵一九一〇︱二〇一〇︶と日韓キリスト教会の交流に関する日韓共同研究﹂を実施している
て︑韓国教会が﹁民族史的な事件において神の声を聞かずに生きのびて来た﹂と批判している 民主主義をめぐって韓国教会に対して批判的に見たのは池明観である︒彼は﹃流れに抗して﹄︵一九六六年︶におい 民主主義のためにどれほど寄与していたかに関して考察したい︒ モクラシー憲法と両国教会・世界情勢﹂であった︒本稿では韓国教会が一九四五年八月一五日以後︑大韓民国の建国と ︒二〇一二年度の研究主題は﹁一九四五年以降のデ 1
である︒その革命が不義に対して起きたもので︑韓国教会がその時点に至るまで不義に沈黙していたという見方から出 何も貢献しなかったという否定的見方である︒この見方は︑上記三つの中で﹁四・一九学生革命﹂を強く意識したもの の﹁解放﹂以後︑一九五〇年勃発の朝鮮戦争︑一九六〇年の﹁四・一九学生革命﹂を経た韓国教会が民主主義のために ︒これは一九四五年八月 2
た言葉である︒別の言い方にすれば︑﹁解放﹂以後の韓国教会が民主主義に無益な存在であったような印象さえ与えている︒果たしてそうであろうか︒本稿ではそのような見方に逆らって韓国教会が民主主義に寄与したと見ている︒ここでは韓国プロテスタント教会において大きな影響を及ぼした韓景職牧師に注目する
いる︒ いるその教団の機関紙﹃基督公報﹄である︒何よりも︑韓景職の説教が収められている全一八巻の説教集を重点的に用 本稿で用いる資料はその教団の総会会議録である﹃大韓イエス教長老会会議録﹄︑そして一九四六年から発行されて を見逃しては捉えることができなくのではないかと思われる︒ 主義への貢献は隠れているものの︑漸進的に寄与するという流れになる︒韓国教会における民主主義への寄与は︑そこ い︒むしろキリストによって新しく生まれた﹁再生﹂の経験者がそれを担うと見ている︒それゆえ︑教会における民主 としての教会が教育的使命を果たしたと見なす︒韓景職は新しい国が新しい政権や制度によって作られると考えていな ︒彼は韓国教会が戦前からの民主主義の経験者であり︑その経験者 3
1 建国とキリスト教
歴史的な節目において︑韓国教会は本当に歴史的意識なしに存在し︑また新しい国づくりのために何もしなかったのであろうか︒ここではこの問いを意識しつつ︑韓国教会は時代ごとに民と共に悩み︑問題意識を持って発言していたことを明らかにしよう︒
( 1)キリスト者としての問題意識
一九四五年八月一五日は韓国に変革期をもたらした︒それ以後二〇年間を見ると︑大きく四つの節目が挙げられる︒第一が﹁解放
民族の危急存亡の秋です 第一に︑﹁政治的自由﹂への関心である︒﹁今︑大韓﹇韓国﹈民族は重大な危機に直面しています︒このような時代は 心事であり︑その関連では以下の三つが挙げられる︒ る︒キリスト者もその課題に共感を示している︒例えば韓景職の思想においても︑新しい国づくりというのは大きな関 が一九六一年の﹁五・一六軍事クーデター﹂である︒この四つの時期に共通に台頭したのが新しい国づくりの問題であ ﹂︑第二が一九五〇年勃発の﹁朝鮮戦争﹂︑第三が一九六〇年の﹁四・一九学生運動︵革命︶﹂︑そして第四 4
す︒これが我が民族の至上命令です﹂と語っている 求められている︒彼は︑﹁政治的自由なしに︑信教の自由とその他の自由はありえません︒従って︑とりあえず独立で る︒当時︑﹁解放﹂はされたものの︑またアメリカ軍政下に置かれていた時代であり︑彼の説教では政治的自由が強く ﹂︒これは彼の一九四七年の説教の一句で︑当時韓国の状況がどれほど切迫していたかが窺え 5
第二に︑﹁キリスト教の国﹂への関心である ︒ 6
れは正義のあるキリスト教的国家であり︑その背後には神信仰が据えられている ︒韓景職は新しい国づくりをめぐって︑彼独特の理想を持っている︒そ 7
とする︒韓国に対する神からの計画が﹁キリスト教の国﹂であって︑その使命が北東アジアに福音を宣教することにあ 状態などが挙げられている︒それらは民族の苦難と関わっており︑彼は神義論的問いを発して︑次のような答えを得た 一九四五年の八月﹁解放﹂の前後にはソ連軍の侵入︑朝鮮戦争による南北の分断︑その戦争の余波による民族の自棄の の説教で彼は二〇世紀における韓国キリスト教史を振り返る︒日本帝国主義による苦難︑それに伴う殉教者の発生︑ ︒朝鮮戦争の休戦直後︑一九五四年 8
るということである
と見なされている 第三に︑時代の節目を﹁変革の機会﹂と捉えている︒特に﹁四・一九学生運動﹂後の説教ではそれが﹁第二の機会﹂ ︒ 9
えてくださいましたが︑私たちはその機会に失敗しました﹂と言う 共和国を建設中にあります︒悲しいことですが︑神が一回目にわが民族に解放を与え︑第一共和国を建設する機会を与 あったが︑それは失敗に終わったと見て︑次のように再起の希望を語っている︒すなわち︑﹁今私たちは国家的に第二 ︒一九六〇年八月の説教で︑韓景職は﹁解放﹂以降の十数年の時代が新しい国づくりの第一の機会で 10
︒ 11
(
2)建国のモデルとしてのアメリカ
アメリカの建国理念は︑﹁解放﹂直後の韓国キリスト者にとって羨望の対象であったと思われる︒﹃基督公報﹄第一号に︑﹁詩篇一二七篇はアメリカ独立のとき︑建国憲章に入れた聖句だと聞いた
ある﹂と述べられている ︒これは韓国の建国の憲章となるべきで 12
にアメリカは建国以来︑今日に至るまで世界で最も祝福を受けている平和の国となりました 新しい国づくりにおいてもアメリカに倣って神と聖書に基づく建国を願っている︒韓景職の思想もそうであった︒﹁真 ︒これは一九四六年発行の﹁建国の基礎﹂と題する寄稿文の一句である︒その執筆者は韓国の 13
る 物主により︑生命︑自由及び幸福の追求を含む︑奪うことのできない一定の権利を与えられている﹂という一句があ 価ではなく︑その国の中核にある建国精神に注目した言葉である︒その独立宣言に︑﹁すべて人は︑平等に造られ︑造 ﹂︒これは単なる外形的評 14
︒韓景職によればその箇所は﹁主権の根本がすべて神から由来する﹂という意味を持つ 15
源流に関するもので︑彼があまりにもアメリカを強調したので︑聴衆たちはイングランドにおける﹁パトニー会議﹂の 由がそこにあったのである︒ただし︑ここで説教者としての韓景職の限界を指摘してよいであろう︒それは民主主義の ︒アメリカをモデルとした理 16
ような﹁民主主義の源流﹂を知ることはできなかったと考えられる
︒ 17
(
3)キリスト者のモデルとしての清教徒
アメリカ清教徒たちの信仰に注目して︑﹁北米の荒野に清教徒たちが建てた教会なしに今日のアメリカの富強﹂はあり得ないと述べられているように︑彼の注目対象は一七世紀に迫害を逃れてニューイングランドに移住した清教徒グループである
挙げられている 標準﹂として用いられたこと︑﹁神の御心﹂が家庭と社会と国家政治に行われるよう信仰生活を堅持したという特徴が ︒次のように聖書中心︑神中心という清教徒の特徴を挙げているのは正しい︒聖書が﹁教会と国家政治の 18
たことに意義がある ︒特に﹁解放﹂後︑混乱状態に置かれていた韓国のキリスト者に清教徒信仰を信仰の模範として提示し 19
︒ 20
2 民主主義の教育の場としての教会
韓国の長老派教会は民主主義の教育の場としての役割を担っていた︒ここでは教会が民主主義の理念をどれほど聖書に立脚して教えていたかに重点を置く︒
( 1)韓国教会の教育的使命
﹁我々は朝鮮時代から︑民は主権者でなく被治者と見なされ︑また日本帝国主義時代には日本の天皇の権威の下に置かれていたので︑伝統的に民主的立憲主義政治に対する認識が欠如している
れているのも民主教育でしょう﹂と述べられている が民主主義であると見ている︒そこでは﹁現今︑韓国で要求されているのは民主教育です︒事実全世界において要求さ なろう︒彼の一九七四年の説教は︑当時高麗大学校の学生たちの前で行われた説教であるが︑彼は当時最も必要な教育 説教者であった韓景職もその民主主義教育の重要性を強調している︒その点は韓国教会の民主主義への寄与の実例に のためにできることは民主主義教育であったと考えられる︒ 命﹂︑﹁軍事クーデター﹂が起きた︒韓国教会を取り巻く上記のような緊迫した状況の中で︑教会が民主主義国家の確立 一九五〇年から三年間には朝鮮戦争があり︑人々は生存問題に直面していた︒一九六〇年になると﹁四・一九学生革 はアメリカ軍が駐屯するようになり︑民主主義と共産主義に対する思想的混乱が激しかった︒﹁解放﹂の五年後である いうちには思想的混乱があった︒一九四五年八月にはソ連軍が朝鮮半島の北地域に駐屯し︑九月になると南の地域に 韓国教会が民主主義教育を担わなければならなかった理由について︑もう少し見てみよう︒まず﹁解放﹂後︑間もな れる︒その文脈では憲法教育の重要性が強調されているが︑民主主義教育の重要性と言い換えてよいであろう︒ が東亜日報記者との対談で語った言葉である︒﹁解放﹂を迎えた韓国民がどれほど民主主義に不慣れであったかが窺わ ﹂︒これは金チョルス・元ソウル大学教授 21
る︒そこに意義がある︒すなわち︑﹁記憶しなさい︒自由民主主義制度がキリスト教文化から起きたことは偶然ではあ で取り上げる意味がなくなるであろう︒彼の言う民主主義教育の根幹をなすのが次のようにキリスト教であったのであ ︒韓景職の言う民主主義教育が単に教科書的次元のものならばここ 22