はじめに
これまで長年停滞してきた官製労働組合運動の性格を大きく塗り変えた二〇一〇年春の一連のストライキについては︑中国における労働運動の今後のゆくえを占う一つの「試金石」として︑中国の国内外で広く研究者らの注目を集め︑ここ二︑三年︑さまざまな形で議論されてき ﹀1
︿た︒とりわけ︑中国広東省仏山市のホンダ部品工場で二〇一〇年五月︑大規模なストライキが発生し︑一八〇〇名余りの従業員が参加していったことは︑きわめて大きな意味合いを 持っている︒それは単なる「山猫ストライキ」として行使されたものではなく︑官製労働組合︵以下︑工会と略︶が工場内に存在するものの︑この改組を非正規労働者たちが「下から」求めるという︑あくまでも「合法的」労働運動として繰り広げられていた︒この九日間にわたるストライキで︑ホンダ側が二・三億元の損失を出す一方︑労働者側は賃金︑手当てなどの報酬面で三三%の上昇を実現してい ﹀2
︿る︒
これら一連のストライキが発生した原因については︑いくつかの理由が考えられる︒第一に︑二〇〇八年一月︑「労働契約法」が施行されたことである︒同法は︑一〇年
中国における
「個別的
」労使関係から
「集団的
」労使関係への移行可能性をめぐり
石井知章
●●●●● 論 説 ││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││中国社会の矛盾と展望
目かつ連続二回以上の労働契約更新からは「無期雇用契約」とするなど︑従来︑低賃金と過酷な労働条件を受け入れざるを得なかった短期雇用労働者に対して︑その権益を一定範囲で保護し︑労働者としての権利意識の向上を促すことに大きく寄与し ﹀3
︿た︒第二に︑経済のインフレ傾向にともなう急激な物価の上昇である︒二〇一〇年五月の消費者物価指数は︑前年同月に比べ三・一%上昇し︑とくに日常生活と密接に関わる食品︑日用品などの価格高騰により︑とりわけ低所得層の生活を直撃してい ﹀4
︿た︒第三に︑それまでの農村から都市への労働力移動の圧力が︑逓減しつつあったことである︒急速な経済発展にともなう農村都市化の進展により︑労働人口が少なからず減少したことに加え︑それまで二億ともいわれていた農村での余剰労働力の存在にも変化が見られた︒すなわち︑農民工は︑これまでの上海や広州など︑沿岸地域の大都市への出稼ぎよりも︑むしろ開発が急速に進みつつある︑身近な内陸部の中小都市への短期労働を選ぶという傾向に変化していっ ﹀5
︿た︒ だが︑こうした直接的に説明されるいくつかの理由以前に︑よりマクロレベルでいえば︑グローバリゼーションの進展にともなう市場経済の急激な発展によってもたらされた雇用制度︑雇用形態に大きな変化がみられたことであ ﹀6
︿る︒いわゆる「非正規雇用」は︑すでに広範な安定雇用を補足するものとして急速な拡大を遂げており︑雇用吸収 の重要な手段となってきた︒今日︑中国において非正規労働に従事する労働者の過半数は︑都市の農民工︑下崗︵レイオフ︶労働者︑失業者︑企業の余剰人員といった労働者集団であり︑既述のホンダをはじめとする日系企業など現地工場での労働者による一連の労働争議を呼び起こしたのも︑こうした不安定雇用の増大であったといえる︒したがって︑本稿では︑グローバリゼーションにおける労使関係の変化を「市場化」のプロセスの一部としてとらえ︑その形成過程を概観しつつ︑「個別的」労使関係から「集団的」労使関係への発展の可能性を探 ﹀7
︿る︒
一 中国における「ストライキ権」の再検討
広東省仏山市のホンダ部品工場でのストライキ︵二〇一〇年五月︶は︑ストライキ権がいまだに社会的自然権として基礎づけられていない党=国家体制下にある中国の労働社会において発生したものであり︑その特殊な法的性格を考察するために︑スト権をめぐる中国の法制史的再検討がその前提作業として求められることはいうまでもない︒日本を含めた西側社会では︑通常︑スト権は労働組合法や労働関係調整法などの労働法で定められているのに対し︑中国におけるスト権は︑第一義的には一貫して憲法によって
規定されており︑このこと自体︑「労農国家」たる社会主義中国独自の扱われ方をしてきたことを物語っている︒ 中国の憲法は︑一九四九年の中華人民共和国の成立以降四回にわたり制定され︑それにともないスト権に関する規定も変化してきた︒まず︑一九五四年憲法では︑スト権は公民の権利としては規定されず︑その後一九七五年憲法で︑「公民は言論︑通信︑出版︑集会︑結社︑行進︑示威︑およびストライキの自由を有する」という条文として盛り込まれた︒さらに一九七八年憲法では︑「公民は言論︑通信︑出版︑集会︑結社︑行進︑示威およびストライキの自由並びに「大鳴︑大放︑大弁論︑大字報」を行う権利を有する」と規定されるに至る︒だが︑一九八二年の現行憲法では︑「ストライキの自由」という規定が削除され︑スト権をめぐる法的地位は︑これ以降︑法的権利として明確に肯定されてはいないものの︑けっして否定されているわけでもない︑いわばグレーゾーンに置かれてい ﹀8
︿る︒
一九八二年憲法から「ストライキの自由」が削除されたのは︑当時の政治的背景が少なからず関係しているとされるが︑だからといって︑政府がこれによってストライキを禁止しているわけではけっしてない︒当時︑憲法から削除された理由として︑張友漁は「一九七五年憲法に定められた「ストライキの自由」は極左思想の産物であり︑社会主義の発展の利益に相応しくなく︑中国の実情に適合しな い︒中国の企業は人民に属し⁝⁝ストライキ後︑生産が停止することは︑労働者階級を含む人民全体の利益の破壊である」と記してい ﹀9
︿る︒だが︑これに対して常凱︵中国人民大学︶は︑「憲法でストライキの自由を記述することは極左思想の産物であると簡単に言い切ってしまうのは不適切である」と主張する︒たしかに︑一九七五年には︑まだ「左」︵=保守派︶の強い影響力にあったが︑中国共産党はストライキ関連の法整備に関する思想的︑あるいは理論的基礎をすでにある程度は有していたといえる︒毛沢東は一九五六年の「中国共産党第八期中央委員会第二回全体会議での演説」で︑「労働者によるストライキ︑民衆による示威を容認する︒示威行為は憲法における根拠がある︒今後憲法を改定するにあたり︑ストライキの自由を加え︑労働者によるストライキを容認することを強調したい︒そうすれば︑国と工場長と民衆との間の矛盾を解決するのに役立つ」と指摘しているが︑こうしたいわば「鶴の一声」によって︑七五年憲法にスト権条項を盛り込むことが可能になったとはいえ︑なぜそれが二〇年もの月日を経た七五年であったのかについては明らかではな ﹀10
︿い︒ たしかに︑スト権は現行の憲法で規定されているわけではないものの︑党=国家はこれまでもストライキを実質的に容認している︒一九五四年憲法が施行されていた一九五七年︑中国共産党中央委員会が公布した「ストライキ・同
盟休校問題の処理に関する指示」では︑ストライキの問題について︑「民衆がこうした行為を行うことを禁止せず容認する︒第一の理由は︑民衆のこうした行為が憲法違反ではないからである︒第二に︑禁止することは問題解決にはつながらないからである」と明確に規定されている︒ここから︑当時の党=国家が労働者︑および大衆に対して信頼を置いていたこと︑そしてストライキ問題を解決できると確信していたことが窺え ﹀11
︿る︒ さらに重要なのは︑二〇〇一年二月に全国人民代表大会常務委員会で「経済的︑社会的および文化的権利に関する国際人権規約」が批准されたことである︒同規約第八条第一項⒟は︑「同盟罷業︵ストライキ︶を打つ権利︒但し︑この権利は各国の法律に従って行使されることを条件とする」と規定している︒中国が同規約採択の際に発表した声明では︑この内容に関する保留︑またはその他の特別な説明は一切行われなかった︒同規約は国際法であり︑同規定は中国国内法に対する効力を有するものの︑その実現には中国国内におけるストライキ権関連の法整備が必要となる︒恐らくはこの「同盟罷業をする権利」という国際法の原則に基づいて︑中国政府はストライキを暗黙裡に容認しているといえるものの︑同規約を中国にそのままには適用できないという難しい立場にある︒しかし︑中国でストライキが違法であるという結論に至れば︑中国政府は国際社 会で窮地に立たされることにな ﹀12
︿る︒
中国政府がストライキ行為の権利を認めていることは︑中国の現行法により間接的に表現されているし︑労働者のスト権についても関連の規定がある︒二〇一一年制定の「工会法」では︑一九九二年「工会法」のストライキ︑および職務放棄に関する規定が改定された︒これには全国人民代表大会における「経済的︑社会的および文化的権利に関する国際人権規約」の批准が関係しているとされる︒改定後の「工会法」では︑「企業︑事業所において作業停止︑職務放棄が発生した場合︑工会は従業員を代表して︑企業︑事業所又は関係方面と協議を行い︑従業員の意見および要求を報告し︑且つ解決のための意見を提出するものとする︒企業︑事業所は︑従業員の合理的な要求を解決するものとする︒工会は︑企業︑事業所が業務を適切に行い︑生産および業務の秩序を早期に回復させるのに協力する」︵第二七条︶と新たに規定されてい ﹀13
︿る︒ここでは「作業停止」という概念が用いられているが︑「作業停止」と「ストライキ」は事実上︑同義であるといえる︒同条文は︑作業の停止︑職務放棄の発生後︑まず工会が従業員を代表して使用者側と協議を行い︑従業員の意見および要求を報告し︑さらに使用者は従業員の合理的要求を解決しなければならず︑最後に工会は︑生産秩序の早期回復に協力する︑というステップを踏むことを求めている︒
たしかに︑ここでは労働者がスト権を有すると規定されているわけではないが︑ストライキの解決は︑労働者によるスト権の保持が前提となっていると解釈するのが妥当であろう︒同条文においては暗に示されているだけであるとはいえ︑ストライキの発生に際して求められているのは︑労働者・従業員の代表としての工会がその要求を使用者側に報告し︑使用者が労働者・従業員の合理的要求を解決し︑工会が生産秩序を早期に回復させることである︒前者二つの行為が︑労働者・従業員によるストライキの「合法性」を前提にしたものであると解釈することには︑それなりの「合理性」がある︒なぜなら同条文は︑もしストが非合法であれば︑それを行った労働者・従業員をどのように処分・処罰するかを具体的に規定するにとどまり︑労働側の代表としての工会が要求を提出し︑さらに使用者が労働側の合理的要求を解決に導くように要請できなくなるからである︒さらに︑ストライキ状態を解決し︑業務を再開することは︑労働側の「合理的要求」の解決を前提としているのであり︑ここでは要求の「合理性」が「合法性」を担保しているのだ︑ともいえる︒こうした条文の表現の意図が︑労働者・従業員によるストライキの法的保護にあることは︑そのロジックの順序からも読み取れるのであり︑この労働側の「合理的要求」をめぐり︑ストライキの権利を行使する労働者・従業員に対しては︑逆に「合法的要求」 であることが求められている︒というのも︑ここでの「合理的要求」の具体的基準は︑一般的には労使双方の協議により決定されるのであり︑したがって︑ここでの「合法性」は︑この労使間協議・交渉を通して形成される「合理性」によってこそ担保されるからである︒いいかえれば︑ここでの「合法性」の確保には︑完全に「法的」には規定しきれない︑一定レベルでの「政治的」性格が残されているといえる︒ だが︑こうしたきわどい法的解釈をめぐる議論の余地を残していること自体︑中国におけるスト権の立法はいまだに不完全であり︑さらなる法的精緻化・細分化が求められていることを示している︒既述のように︑憲法を含む現行中国法はスト権に関して明確に規定してはいない︒しかし︑その立法の原則︑および成文法の規定は︑従業員がスト権を有するという前提の下に成り立っている︒そして「工会法」︵第二七条︶は︑中国における現行法のうち︑ストライキの問題を解決するための最も中心的かつ明確な規定であり︑ストライキへの対処︑およびストライキの基本的︑かつ唯一の法的根拠となっている︒とはいえ︑「工会法」︑および一部の地方法規で労働者によるストライキの合法性が消極的な方法で容認されたとしても︑憲法︑および労働関連法には「スト権を有する」とは規定されていない︒さらに︑スト権の保障︑およびスト権行使に関する具
体的規範は限られており︑中国における「集団的労使紛争」︑および「集団的」労働行為を解決するための規則はけっして十分とはいえない︒こうした状況は︑現在中国で起きているストライキの大多数が無秩序かつ制御不能であり︑その権利規定がグレーゾーンに置かれているがゆえに︑ストライキが有効な法的保護を受けられないという現実となって表れている︒したがって︑ストライキ関連法の整備︑労働者・従業員のスト権の明文化︑および合法的ストライキの刑事免責︑民事免責の明確化が︑中国における「集団的」労使関係︑および労働紛争の解決に関する法制化・規範化の実現のための喫緊の課題となってい ﹀14
︿る︒
二 中国における労使関係の「市場化」のプロセス
既述のように︑ホンダのストライキに象徴される新たな形態の「非正規」労働運動を可能にした労使関係の「市場化」は︑「労働契約法」︵二〇〇八年︶の成立を一つの到達点とする︑一連の政治・経済体制改革のプロセスのなかで進んでいった︒それは大まかに︑以下のような三つの段階を経ている︒ その第一段階は︑一九八〇年代中頃から一九九〇年代はじめにかけてである︒それは国営・国有企業改革の一部と しての雇用制度改革期であると同時に︑労働契約制普及のための前提条件をなす︑さまざまな労働改革の試行期間でもあった︒西側の資本主義国家とは異なり︑社会主義市場経済体制下における中国の労使関係は︑自由主義的経済発展とともに自然に形成されたのではなく︑むしろ計画経済に対する政府主導の改革の一環として政策論的に築かれたのである︒ここで労使関係の「市場化」とは︑経済体制の移行期における中心的局面を含んでいるが︑とりわけ八〇年代後半における趙紫陽の時代には︑「所有権と経営権の分離」を背景にして︑労働雇用制度の改革として実施されていった︒この「所有権と経営権」をめぐる政治・経済体制改革は︑企業の財産権の明確化と独立経営の原則に基づき︑労働雇用制度の改革に沿って進められた︒それ以前の計画経済体制下における労働者とは︑たんに国の財産権の一部を有する「人民」であったにすぎないが︑今や労働市場において労働力を提供し︑それが自由に売買される「商品」となったのである︒この改革の直接的目標とは︑労働力が需給の論理によって流通する一つの労働市場を創出することであり︑そのうえで「市場化された」労使関係を築くことであった︒ 第二段階は︑ポスト天安門事件期にあたる一九九〇年代初めから二〇〇〇年代初めにかけてである︒それは党=国家による強力なリーダーシップの下︑近代的企業制度の確
立を目標としつつ︑全面的改革の実施に着手された時期である︒国有企業の大部分が市場化されたのにともない︑これらの企業の労働者・職員は︑はじめて労働市場における「被用者」となった︒また同時に︑数億人もの農民が農業から離れ︑「農民工」として近代産業に従事するようになり︑純粋に市場化された産業労働者となったのもこの時期である︒さらに第三段階は︑二〇〇〇年代初めから︑「労働契約法」が公布︑実施された二〇〇八年までである︒とりわけこの時期︑「労働契約法」の公布・施行は︑労使関係の「集団化」への移行の転機となった︒中国の労働法制史において︑従来の関連法を踏襲しつつ︑新たな諸条件を生み出したのである︒その公布・施行は︑労使間の個別交渉に関する法的枠組み構築の初期段階が完了したことを示しており︑かつ労使関係と団体交渉に関する起点として︑労使関係の団体交渉に関する法的基盤ともなっ ﹀15
︿た︒そのことを実証するかのように︑同法施行後の二〇〇九年前半期の労働紛争受理件数は︑前年比一七%増に当たる一七万件余りに達し︑二〇一〇年のそれは︑前年比一二・一%増の四〇・六万件に︑さらに二〇一一年には︑一三一・五万件にまで急速に増えてい ﹀16
︿る︒
これら一連のプロセスは︑主に改革による成果の定着を図り︑新たな労使関係を確たるものとし︑法的にもそれを確立させた時期にあたる︒だが︑これまでのプロセスは︑ 日本を含む西側の労使関係に比べれば︑中国の労使関係における「市場化」の初期段階であったにすぎず︑必ずしも労使関係の「市場化」への移行が完了したことを意味するわけではない︒なぜなら︑これまで「労働契約法」の諸規定によって確立している労使関係とは︑あくまでも「個別的」雇用関係について言及したものであり︑「集団的」労使関係を築き上げなければ︑その「市場化」への移行が完了したとはいえないからである︒こうした意味では︑いまだに「市場化」が遅れている国営︵あるいは国有︶企業における労使関係は︑旧態依然たる党=国家中心のガバナンスのままであることが大きなネックになっている︒たとえば︑習近平は二〇〇九年五月一日のメーデーで︑中華人民共和国の成立以来︑個別労働者の権益拡大よりも国家全体の生産性向上を目指した現代の「スタハーノフ運動」ともいえる労働競争の果たした役割とその意義の重要性を強調してい ﹀17
︿る︒さらに︑中央関連の国有企業では二〇一二年の時点でさえ︑江沢民による「三つの代表論」の下に労働競争の意義が強調されているという事実は︑工会をはじめとする労働者集団に対する中国指導層内部の保守派のもつ政治的基盤の堅固さを理解するうえできわめて重要であ ﹀18
︿る︒
三 民営企業における労使関係の変化
既述のように︑一九八〇年代の国有企業改革にともなう雇用制度改革︵第一段階︶を経て︑さらに進んでいった一九九〇年代︵第二段階︶では︑総合改革としての近代的企業制度の確立を目標とし︑全面的改革が開始されることとなった︒これら二つの時代を画する中国の労働社会での大きな変化は︑政・労・使による三者構成主義という「社会的多元主義」の確立に象徴的に見られ ﹀19
︿る︒なぜなら︑国有企業改革の進展は︑それまでの「公的」部門の「民営化」を意味し︑その自立した「私的」部門の拡大が︑こうした新たな制度的枠組みの内部で効果的にコントロールされなければならなかったからである︒中国は一九九〇年一一月︑すでにILO条約一四四号︵三者構成主義︶を批准し︑労働社会保障部と政府関連部門が︑全国レベルでの三者構成システムの構築に乗り出しつつあった︒労働社会保障部と中華全国総工会︑中国企業連合会などの各部門は二〇〇一年︑ILOのイニシアティブの下で︑「国が労使協調三者会議制度を確立するにあたっての意見」をまとめ︑国家レベルでの三者構成システムを正式に確立させていった︒これによって︑労使間での平等な交渉システム︑および労働協約締結のシステムが成立した企業は二〇〇二年に は六三万五〇〇〇か所に及び︑すでに工会が存在している企業の四八・七%に当たる約八〇〇〇万人の労働者がカバーされるに至っ ﹀20
︿た︒さらに二〇〇三年八月には︑労働社会保障部︑全国総工会︑中国企業連合会により︑三者構成主義による労使関係の建設が正式に宣言されるとともに︑二〇〇四年には︑国のレベルだけでなく︑大多数の省︑市︑県などの各レベルでも三者構成システムが導入され︑その数はこの時点ですでに全国の五六〇〇か所に︑二〇〇六年には八二一三か所に及んでい ﹀21
︿る︒たしかに︑政・労・使の三者によって二〇〇六年︑「労働契約締結推進三か年行動計画」が取りまとめられ︑二〇〇八年までには労使間の労働協約の下︑法に基づく個別の労働契約の締結によって︑一定レベルでの規範化︑法制化が達成されたのは事実であ ﹀22
︿る︒だが︑二〇〇七年の全国七つの省・市の七四二企業を対象に行った調査では︑労使間での労働協約を締結している企業数が四三・二四%に達していたものの︑賃金決定をめぐる労使間での団体交渉に乗り出している企業はそのうちの四三・六九%を占めているにすぎな ﹀23
︿い︒その後︑二〇一一年九月には︑全国の民営企業で工会を組織した労働者は八六七五・六万人に達し︑中華全国総工会員二億七三〇四万人のうちの三二%を占めるまでに拡大してい ﹀24
︿る︒ このように︑民営企業における個別の労使関係については三者構成システム「内」の工会の効果がいまだに十分に
果たされるに至ってはいないものの︑全国レベルでの政・労・使間での政策立案での影響力行使の増大という意味では︑すでに二〇〇一年の段階で現れていたことはきわめて興味深い︒すなわち︑それまで労働者代表大会の設立は国有︑および集団企業に限られていた旧工会法の改正に際し︑全国人民代表大会常任委員会による改正案では︑中華全国総工会の代表の意見が反映され︑民営企業を含むあらゆる形態の企業・事業所にも労働者代表大会制度を設立すべしとする新規定︵第三七条︶が盛り込まれ ﹀25
︿た︒これはすべての企業・事業所に労働者代表大会制度を確立することが︑⑴基層民主建設の促進に寄与するとともに︑労働者による改革への参与︑管理︑および労働者に対する合法的権益擁護を促進し︑⑵労働者階級に誠心誠意依拠するという党の方針を貫徹すると同時に︑労働者の積極性と企業の健全な発展を促し︑⑶健全な労使関係の育成と協調関係の確立と労働者に対するよりよい合法的権益の擁護にとって必要であるから︑などを根拠にしているとされてい ﹀26
︿る︒ 現在の中国における民営企業は︑労働分配率の差異に応じて︑主に⑴資本主導型︑⑵管理重視型︑⑶技術刷新型︑⑷労働集約型という四つの型の企業に分けられる︒まず︑資本主導型は︑企業主︵株主︶が利益の多くを自らの収入とするのにもっとも効果的な経営を行う企業のことを指し︑逆に経営管理者や技術者︑労働者などの収入はそれに 見合ったものになっておらず︑比較的低いレベルにとどまるタイプの企業を指している︒たとえば︑二〇一〇年春︑ストライキが起きたホンダの経営形態とはまさにこのタイプであり︑東南部の沿海地方の多くの有名企業がこのなかに含まれており︑農業︑金融︑自動車の部品工業などがおもな業種となっている︒ある調査によれば︑このタイプの企業では︑企業主が収入︵利潤︶の六五%を労働分配として自らのものとする一方で︑経営管理者はわずか九%を占めるにすぎず︑それと同じ程度に技術者には六%︑労働者には二〇%と︑低い分配率にとどまってい ﹀27
︿る︒管理重視型とは︑管理の強化︑規範の運用︑採算取りの精密化︑コストの節約︑効率の向上など︑経営の管理面を重視しながら︑利益の最大化を目指す企業のことを指している︒ここでは経営者個人の能力が問われ︑企業の収益もこの経営者の資質によるところが大きい︒したがって︑企業主と経営者との間の労働分配には比較的合理性があり︑経営者の能力に応じて高い分配になっている一方︵三五%︶︑収入が低いと︑技術者も労働者もこの企業を離れるという傾向がある︒このタイプでは︑企業主が利潤の四〇%を自らの収入に占めているのに対して︑経営管理者にも三五%と︑比較的に高い利益の分配がなされる一方︑技術者のそれは五%︑労働者は二〇%を占めているにすぎない︒また技術刷新型企業では︑企業内に占める技術者の数が多く︑製品
に占める技術の割合が高いために︑もともと企業の経営そのものが︑技術者に多くを依存している︒この経営は︑技術革新が製品の向上に直接つながっており︑したがってその成長も︑この技術革新の成果にかかっているような企業である︒ここでは企業主が収入の三〇%を占める一方︑経営管理者が二五%︑労働者が一五%にとどまるのに対して︑技術者は企業主と同じ三〇%を占めている︒さらに労働集約型は︑生産に多くの労働力を費やす一方︑製品に占める技術の割合は低く︑したがって生産活動そのものが技術よりも単純労働に依存しているような企業のことを指している︒ここでは企業主が利益の五〇%を占める一方で︑経営管理者が二〇%︑技術者がわずか五%であるのに対して︑労働者が二五%を占めてい ﹀28
︿る︒たしかに︑上記のいずれの型の企業でも︑労働者に対する労働分配率は二〇〜二五%と︑トータルな割合としてはけっして低いわけではない︒だが︑いうまでもなく︑ここで量的に圧倒的多数を占めているのは労働者であり︑その数が多ければ多いほど労働者個人に対する実質的分配は少なくなる︒それゆえに︑一人ひとりの収入については︑個別の労働者のケースを問題にしない限りその多寡を論じることはできず︑この分配率そのものにはあまり意味がないといえる︒ こうしたなかで︑とくに非国営︵あるいは非国有︶企業における労働者︑とりわけ単純労働者の抱えている最大の 問題は︑なんといっても賃金︑とくに不公正な分配︑収入格差の拡大である︒近年︑たしかに労働者の総体としての収入レベルは不断に向上してはいるが︑不公正・不合理な分配制度︑労働対価=報酬の低さなどが依然として労働者の不満の主な原因となっている︒これらの問題はとくに非国営・非国有企業で顕著であり︑経済の成長と賃金の増大とがけっして同じ歩調で進んでいるわけではなく︑むしろ経営者︑管理者︑そして労働者との分配格差が不断に拡大する傾向にあることを示している︒とくに紡績︑皮革︑玩具︑照明器具といった加工業の非国営・国有中小企業など︑既述の労働集約型企業では約八〇%が出来高払い賃金制度を実施していることが︑そうした現状を象徴している︒このために︑少なからぬ労働者は︑毎日︑勤務時間外労働を続けることで︑ようやく最低賃金のレベルに達しているというありさまであ ﹀29
︿る︒こうした労働集約型企業では︑出来高払い制が採用されていることを盾に︑通常︑二︑三時間の超過勤務を半ば常態化させており︑法定勤務時間外手当ての支払いから免れようとするブラック企業のようなケースがあとを絶たず︑したがって労働紛争が絶え間なく起きる大きな原因となっている︒本来︑こうした労働条件は︑労働者との間で結ばれる個別の労働契約による明文化で︑前もって想定される労使間での摩擦を回避できるはずであるにもかかわらず︑実際には︑労働契約が結ば
れていないことの方がむしろ一般的である︒というのも︑企業は︑一年間ごとに一つの労働契約を結ぶことが通常であるが︑こうした労働集約型企業では︑農民工をはじめとして︑季節労働者など︑短期の非正規労働者として働いているケースがほとんどを占めているからであ ﹀30
︿る︒清華大学社会学系の調査でも︑二五%の農民工が七か月以内に︑五〇%が一・八年以内に︑それぞれ職場を変え︑平均で二年ほどの短期契約の下で働いていることが分かってい ﹀31
︿る︒ こうした労働者にとって厳しい状況を前に︑労働分配率を実質的に高めるためには︑労働者個々人が「集団的に」連帯して︑企業主︑あるいは経営者と交渉する他に道は残されておらず︑労働者にとって工会の設立は死活問題ともいえる︒だが︑国営︵あるいは国有︶企業はともかくとしても︑より競争原理が働いているはずの民営企業においても︑実際にはなかなかそうはなっていないのが現状である︒たとえば︑二〇〇六年︑浙江省でおこなわれた民営企業に対する調査では︑沿海地区での中小企業で工会が設立されている割合は二〇%前後にとどまっているばかりか︑個人として工会活動に参加している労働者の数はわずか一三%を占めるにすぎな ﹀32
︿い︒一九七八〜二〇〇二年の民間企業における被用者の賃金増大率は︑国内総生産の増大率よりも低く︑かつ非企業労働者の賃金増大率よりも低いままでとどまっている︒都市部の一万七〇〇〇戸の労働者・従 業員家庭に対する全国総工会による調査では︑当地の平均賃金の半分にも満たない労働者の数は四三四九人にのぼり︑現地の最低賃金にすら達していない労働者が︑全労働者・従業員の一三・五八%にあたる三〇一七人にも及んでいたことが分かってい ﹀33
︿る︒全国工商連による調査︵二〇〇七年︶でも︑賃金の決定方法をめぐっては︑企業の経営幹部が決定するか︵三二・六四%︶︑あるいは人事部が決定しているケースが大半を占めており︵二七・四七%︶︑労使間の団体交渉によって決定されているのは三九・八九%にとどまってい ﹀34
︿る︒もちろん︑団体交渉による賃金決定の割合が四割という数字を高いと見るか低いと見るか︑恐らくここで議論が分かれるところだろうが︑少なくとも「外部」から行政的影響を受けやすい国営︵あるいは国有︶企業における賃金決定の現場よりも高いであろうことは容易に推測できる︒同じ全国工商連の調査では︑「工会が労働関係の協調︑労働者権益の擁護に役立っているか」との問いに対して︑「たいへん役立っている」︵二六・七七%︶と「まあまあ」︵三七・一一%︶と約六割強が肯定的に回答しており︑「基本的に役立っていない」︵一一・八二%︶よりも大きな割合を占めているこ ﹀35
︿とは︑少なくとも民営企業における工会の存在が︑賃金交渉などの面でそれなりに積極的役割を果たしていることが窺える︒