文字の修辞学 : 『野ざらし紀行画巻』推敲の一側 面
著者 濱 森太郎
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 4
ページ 47‑60
発行年 1993‑05‑30
URL http://hdl.handle.net/10076/6463
文字の修辞学
‑『野ざらし紀行画巻』推敲の一側面‑「天理本」「画巻本」の間には、二〇種類の
仮名字母の変更がある。しかも、この二〇種
類の仮名字母の変更には、書き安く読み安い
字母を選び、その限られた仮名字母を集中的
に用いる用字意識が認められる。
この変更によって、芭蕉は複数の汎用字母
の括抗状態を解消すると共に、汎用文字の性
格を失った字母を機能上限定し、特殊化した
のである。
一、はじめに
コンピュータを用いたテキスト研究の提案は、最近目立
った傾向の一つである。テキスト・データの学術利用をめ
そる学会・.研究会も次のように増えている。
⑤情報処理語学文学研究会
濱森太郎
②テキスト・データベース研究会
③アート・ドキュメンテーション研究会
④傍報知識学会
⑤情報処理学会内「人文科学とコンピュータ研究会」
⑥国文学とコンピュータシンポジュトム
⑦国層学会「平成4年虔テーマ、国語研究資料の「電子化」
とその利用」
⑧DBWeSt
また、最近、コンピュータを用いたテキスト研究の提案
を特集した雑誌は、次の通りである。
①「新tいデータ・新しい研究」(『日本語学』明治書院
‑冨N\○巴
②「古典とコンピュータ」『月刊しにか』・(大修館書店
‑賀S皇
〈注1)
次に、この間鬼に関する最近の主だった研究発表には、
次のような物がある(注2)。
①
「パソコンによる漢文テキスト・データベースの作成」
テキスト・データベース研究会
(於東京大学大型計算機センター一誌芸\ヨ\‑巴
②
「国文学研究とパーソナルコンピューター」
テキストエア‑夕べース研究会
(於東京大学大型計算機センター一‑冨ミ3\‑ご
③
「TEIと日本文学研究」
テキスト・データベース研究会
(於東京大学大型計算機センターノー冨‑\○ミN巴
④
「テキストデータとテキストデータベース」
国文学とコンピューターシンポジューム
(於国文学研究資料館一‑冨‑\‑N\‑ご
⑤
「電子化テキストと本文校訂‑「白氏文集」を例とし
てー」文献情報のデータベースとその利用に関する研究会(於統計数理研究所)
⑥
「電子化テキスト総論」嘗山日出夫
(平成4年度国語学会‑冨N\冨\Nご
⑦
「電子化テキストと画像データ」伊藤雅光.
(平成4年度国詩学会‑冨山\○ミNご
⑧
「日本古典文学作品本文データぺ1スの開発とデータ
記述文法について」安永尚志
(『国文学研究資料館紀要』18.号‑冨山\ご
⑨
「上田秋成自筆本『春雨物語』における仮名字母の用
法に付いて」木越治
(金沢大学教養部論集人文科学編路号‑冨ご
⑳
「近世文学作品における字母の用法についてー『ます
らを物語』『おくの細道』『教訓私儀育』の場合‑」
木越治(『国語文字史の研究一』前田官棋縮、岩忘和
泉舌院刊)∴
中には、「⑧日本古典文学作品本文データベースの開発
とデータ記述文法について」(安永尚志)、「⑨近世文学
作品における事母の用法についてー『ますらを物語』
『お くの細道』『教訓私儀育』の場合‑(『国帯文字史の研究
一』前田音韻編、呂.¢和泉書院刊)」など興味深い発育も
あるが、いずれも本論のように作者別の「文字データベー
ス」を作成し、用字法の諸相を「文字レベル」で詳細た解
析する事を狙ったデータベースではない。
二、文字データベース
さて、言うまでもなく表記を司る知覚は、人間生来の生
理的知覚ではない。それは人間が文字を利用する過程で獲
得する文化的な知覚である。この知覚の文化的側面の解明
に当たって、取り扱う文字表象は大まかに次のように区分
される。
①一般通用の字体・音体・書式など、規範的な表象
②筆者が書記を通じて自得した字形・字配り・書法など、
個体的な表象
③筆者が相手や立場によって変更する書体・書式など、
選択的な表象
これら位相を異にする三種の知覚の仕組みや作用を追いか
け、その変化を詳細に記述することで、筆者の表象感覚の
生態を再現する事が可能になる。
この表象感覚の再現作業に必要なことは、文字という表
象を細大滞らさず集積することである(注3)。それも、・
作者別・作品別・時代別に分精した文字データをデータベースの形で集積することが望ましい。その理由は、集積し
た大量のデータを作者別・作品別・時代別に比鼓し、
①当時の書記習債を反映した規範的な表象
②筆者が自得した字形・字配りなど個体的な表象
③筆者が相手や立場に応じて変更する選択的な表象
に区分する必要があるからである。この区分作業の申から
発見される筆者の用字上の詩傾向・諸秩序こそ、私たちが
探求する表記意識の実態である。したがって、必要なものは「文字データベース」、つま
り一文字単位で蓄積した多量の文字データを一挙に正確に
分頬・整理するデータベースの構築である。当然、文字は 自筆であることが望ましく、編集された文字は二次資料として扱われる。また、登録の基本単位は「文字」であって「単薄」ではない。テキストを文字に分解し、一文字毎に必要と思われる付属情報を添付するのである。画像処理された文字データ一文字につき、十数項目の付属情報を「タイトル情報」の形で登録する必要がある。
この「文字データベース」の用途は、広いものになるだ
ろう。用字意識の戟察・テキストの推敲過程・系統序列・
書物の真贋の判定・紛失した書物の復元など、テキスト研
究の諸分野で従来の研究を大幅に精密化することができる。
また、これによって」従来の研究成果を全く別の角度から
検証することも可能となる。
ただし、当面の利用目的は、冬作者の用字上の傾向や秩
序を一文字毎に詳細に観察し、分析し、捻合することにあ
る。先の十数項目の付属情報が、実際の文字解析作業の中
でどの様な役割を担うかば省略するとして、要するに、こ
の文字情報・付属情報の集積を当時の規範的な表象、個体
町な表象、随意的な表象に区分することで、筆者の用字上
の傾向や秩序を詳細に分析し、再現することができるので
ある(注4)。
三
『野ざらし紀行』の仮名字母
元より「文字データぺIス」の構築は容易ではない。勇
一に、デト夕べースの基本設計までの試行錯誤、煩雑なデータ入力と校正の手間、データベース・ソフトの運用技術
欄習得、データ解析の手法開発など、事前電解決すべき間
産は多岐に渡る。もし、これらの諸問題を先送りしてデー
タ入力に取りかかるなら、聞産が起こる度にデータベース
全体の再構成に追われることになる。が、その種の困難を
列挙し、間魔の複雑さを強調することが私の狙いではない。
私の狙いは「文字データベース」の利用の報告、つまり『
野ざらし紀行』文字データベースを用いて行なった『野ざ
らし紀行蘭巻』の異同並びに仮名字母の分析報告である。
ただし、この内『野ざらし紀行』の異同の詳細は既に別
の機会に報告したので、.ここではこれまでとかく等閑視さ
れてきた仮名字母の用字法に限って報告したい。
まず桧尾芭蕉が『野ざらし紀行』で用いた仮名字母の総
字数・異なり字数は、「天理本」一七一七字・九八字母、「画巻本」〓ニ三八字・八九字母、「濁子清書画巻」±ニ
四九字・九二字母、「泊船木」一五二四字・一〇〇字母、
「孤屋本」一三九八字・八二字母。これを異なり字数の少
ないものから順に並べると、次のようになる。
①「孤屋本」八二字母、.②「画巻本」八九字母、③「濁
子清書画巻」九二字母、④「天理本」九八字母、⑤「泊 船本」一〇〇字母。この序列は、「孤屋本」 「画巻本」が
草稿、「天理本」「泊船本」が読者の愛蔵版であることと
関わるだろう。「画巻本」を清書した「濁子清書画巻」は
その中間に位置する。
次に『野ざらし紀行』には筆録者の変化に関わりなくほ
とんど変化しない字母が、十四字(異なり字母数の約二〇
%)存在する(表一、次貢)。
この十四字は、当時、一般書記用字母として、すでに選
択の余地無く固定化していた文字であろう(これを「汎用
文字」という)。
一方、逆に栓尾芭蕉が『紀行』・で用いた仮名字母には、
筆録者の変化に関わりなく必ず複数の字母が併用される文字(併用文字)が七文字≡八字母、異なり字母数の約二
二%)存在する(表二、次頁)。
義一集中的に用いられる字母の比較
表二
複数の字母が併用される文字の比較
天理本
.画巻本 満子本 泊船本 孤屋本
レヽ
☆以
32 19 19 31■ 27う
☆宇
10 6 6 6 5、え
☆衣
田 6 6 正瓜お
☆於
13 田 9 10 6か
☆可
101‑
67 7() 81 80く
☆久
53 29‑ 30 ・44 30さ
☆左
23 11 田 15. 12‑■
ち
☆知
26 田 10・ 15 12・巳 ☆部
20 12 12 14 16ま
未
38 20 20, 26 19・も
☆毛
29 27 28 30. 3 0や
☆也.
30 22 22 23 21よ
☆与
25 24‑ 23 ・25 23ら
☆良
35■・ 32 32 41 36字母数 全字母比
440 25.6%.
294 22.0%
298 22.2%
366
3i8
24.・8%22.9%
天理本
画巻本満子本 泊船本 孤鹿本
け
介.
10田
‑
3 田 Zl 20計 田 2 4 13
遭
18 18 田希 気、
ケ
ロ
・,王g
7 7 口
ロ 田
す
春
頚 寸
16 13
二、5 19
5
19
24
・2.
J 17 10
ス 6 6 1 2
に
耳
43 19 12 47 262
■73 2
仁
5 31 29 16ホ
21 79 67 72丹
66ロ
3
口
22
1 3
※‑仮名の表記に用いられる字母総数の八五パーセント以
上を一つの字母が占める状態を、集中的に用いられる状
態と音う。
は
者
29 2d'. 19 30 21盤
波
/\
Ⅰ3̀
25
田 田
田
9
6 5
11
14 25
ふ
不・
田■
20 20' .17 20婦 布
18
ロ
5◆ 5
ケ
4ほ
保
14 3 瓜 9 6李 5 10 10 2 6
む
武
13 田 13 .g 14無
16 5・ 5 10 43
口
舞
ム田 4′ 4
字母数
362 289 291 312 305全字母比
21.1% ・21.6% Zl.6% 2【).5% 22.0%この七文字(二八字母)は、複数の仮名字母を併用す
る当時の書記習慣を反映したものと推測される。
したがって、残る二七文字(「あ」「き」「こ」「し」
「せ」「そ」「た」「つ」「て」「と」「な」「ぬ」∴ね」
「の」「ひ」「み」「め」「ゆ」「り」「る」「れ」「ろ」
「わ」「ゐ」「ゑ」「を」「ん」)が、作者毎の用字習性
やその時や場の条件に連れて変動する文字と推定される。
以上、これを図示すると、次のようになる。
表三‑「『野ざらし紀行』」の字母の分類
※l仮名の表記に用いられる字母総数の八五パーセント以
上を一つの字母が占める状態を、集中的に用いられる状
態と言う。.(以下同じ)
ま
̲■L̲▼
ふ は む
汎用層;(グレーゾーン)
̲̲̲̲̲̲̲̲l̲̲̲̲̲̲一̲̲一̲̲
えくへや
̲
うかちもら
いおさまよ 次に、これら中間層(「グレーゾーン」)にある二七文字を、各本毎に用字法のレベルで観察すると、さらに興味深い事実を拾い上げることが出来る。・
まず、「天理本」の使用字母の
特徴を、次の表四に纏めた(次頁)。
表四
「天理本」の使用字母の特徴
○印は、併用層に位置する仮名字母
*酔は、「グレトゾーン」の仮名字母
★即は、各本共通して集中的に用いられる仮名字母
☆印は、「天理本」で集中的に用いられる仮名字母
※仮名字母は、使用頻度の高いものを一つ掲げた。
※複数字母を併用する仮名については、「天理本」で使用
頻度の高い仮名字母を掲げた。
※「ゐ」は用例○のため記入を略した。(以下同じ) 仮名文字、四七字の内、二二字で一つの字母が集中して用.いられるのは、仮名字母を一種に絞って書く用字意識が働くからであろう。そのため「グレーゾーン十にある二七字の内、「こ」「つ」「ね」「み」「ゆ」「わ」「ゑ」の
仮名字母が新たに集中利用されている。加えて、本文の推
敲と共にこの用字意識が更に集約的に働くことは、後に述
べる通りである。
この「グレーゾーン」の七文字も含めて、集中的に用い
られる二二の字母が好まれる理由は、字形が単純で書き安
く、字体がポピュラーで読み安いなど、書き手の書記上の
利点から説明される。また、その利点に依拠する当時の書
記習慣の影響も大きいに違いない。
しかし、「併用層」にある仮名(当時複数字母が併用さ
れていたと見られる仮名)「け」「す」「に」「は」「ふ」
「ほ」「む」の七文字には、集ヰ使用の形跡が無い。
もとより、仮名字母の用方は多分に慈恵的な部分を含ん
でいる。書き安さ、読み安さ、見栄えの良さ、書記習慣に
加えて、筆者の書き癖や筆運びの滑らかさも影響する。だ
が、その変化に幻惑されて、字母全体の変遷まで疑うのは
賢明ではない。要は、作者の用字法に即して、規範的な部
分・経験的な部分・随意的な部分を区分して扱うことであ
る。
ちなみに、これらの字母の大部分は、現在一般に便思を/
れる仮名字母とも重なり合う。重ならない字母は次の六字
だが、この六字の内にも現在通用の仮名字母より却って書
き安いかと疑われる文字が、三字は含まれている(表五★
印)。
表五
現在通用の仮名字母から外れる字母・
臣二重亘旺
恐らくこの三文字も当時一般通
用の仮名字母だったものと思
われる(注5)。
また、残る三文字の内、9「遣」・30「本」の二字は、後に述べ
るように「天理本」から「画巻
本」
への推敲過程で仮名字母が
交替し、初めて集中的に用いら
れる文字である(24「ね」は用
例が一例のため除外する)。し
たがって、この二文字には芭蕉
固有の意図ないし嗜好(書き癖)
が疑われる。
四
『野ざらし紀行』の字母の変化
しかし、改めて言えば、一つの字母が集中使用される原
因は、書き易く読み易い字母を集中的に使用するためとは
限らない。また、複数の字母が併用される理由も、複数の
仮名字母を随時併用する書記習慣によるとは限らない。芭蕉が多用する廠名字母の用法を詳細に分析すると、各
文字毎に以下のような、個別の習性が見いだされる(表六、
次頁)。
先ず全体を細かく見ると、ここからは使用字母の収赦・
統合に向かう表記史の流れを読み取ることができる。版本
の盛行に連れて仮名字母は大方統合され、大衆化するが(注6)、その変化の兆候は、先ず仮名文字に.「汎用字母」
が現われることにある。
ただし、ここにはまだ大方の場合に用いられる汎用字母
の二字併用例が、「た」「て」「と」「な」「ハ」「ひ」
「ふ」「ほ」「む」.「る」と一〇字残っている。
また∵「グレーゾーン」の二七字の内、集中傾用される
文字は「あ」「く」「こ」「つ」「ねJ「み」「ゆ」「わ」
「ゑ」(用例は二例)の九字、さらに「き」「し」「の」
「り」「る」「れ」「を」には、次のような限定的な用法・
が窺われる。
表六
天理本の使用字母の特徴
☆印は、一字母が集中的に用いられる仮名
*印は、「グレーゾーン」にある仮名字母
○印は、併用層にある仮名字母 ※「阿5(若頭5)」は、阿、用字総徴5、語頭5の意。※汎用文字‑使用に制限が認められない文字。※偏用文字‑用いる単語の品詞や位置に制約がある文字。
※装飾‑装飾文字。表記の修飾に用いられる文字。
汎用文字 天 理 本 の ■偏 用 文
字
☆1
☆2
☆3
☆4
☆5
☆6
*「あ」安
「い」以
「う」宇
「え」衣
「お」於
「か」可
阿5(賢頭5)
加1(装飾)・閑1(装飾) 7
*「き」幾
支18(語尾16)☆8 「く」久 九4(装飾)
‑9
☆10
☆11
田
13 14
O「け」気
壷「こ」己「さ」左
*「しj之
O「す」寸*「せ」世.
介10(語頭9・肋動詞けり8) 逮5(助動詞けん4・助動詞けり1) 古2(語頭2)、
志22(語頭20) 勢6(語尾5)
15 *「そ」曽 楚2(助詞ぞ2)
☆17四
*「た」多堂
「ち」知
太1.(装飾)
☆18 19 20
四22
☆23
* 「っ」川
*「て」天草
*「と」登止
*「な」奈那
O「に」丹*「ぬ」奴
帝6(助詞て6)
耳43(語尾43・助詞に40)
ホ21(語尾21)・仁5(助詞に4)
☆24
田
*「ね」年
*「の」乃 能42.(助詞の42)26
四
28
O「は」者ハ
*「ひ」悲比 O「ふ」不婦
盤13(助詞は13)
布1(装飾)
☆29 30 31
☆32 33
「へ」部 O「ほ」保本
丁ま」末
*「み」美:
O「む」無武
遍1(装飾)
満3̲(装飾)
舞5(助動詞けむ3・助動詞む2) 34
☆35
☆36
☆37
☆38
*「め」女
「も」毛
「や」也
*「ゆ」由
「よ」与
免1(装飾)
適1(装飾)
☆39・
40
「ら」良
寧「り」利 梨.8(語尾8)・里.1(・装飾) 41 * Fる」流留 留23(語尾Z3)・類11(語尾11)̲
̲4243
☆44
☆4̲5 46 47
*「れ」礼
*「ろ」路
*「わ」和
*「ゑ」憲
*・「そ」遠
*「ん」元
連7(語尾7)
超41(助詞を40).
①「き」1支18(藷革16)
②「し」‑志22(番頭.20)
③「の」‑能42(助詞の由)
④「り」‑梨8(蘇尾8)・里1(装飾文字)
⑤「る」‑留23(藷尾23㌻類11(語尾11)
⑥「れ」‑遵7(萬尾7)
⑦「を」‑越41(助詞を40)
字母の統合が進む過程で汎用字母から脱落した各字母が、
字形の特徴を生かす形でそれぞれ小さな役割を分担してい
るのである。こうした各字母毎の小さな用字特性もまた、
一つの字母の集中利用を促進する原因となり、逆に複数の
仮名字母が併用される理由ともなるのである。
次に、「天理本」から「画巻本」に到る推敲によって生
じた新たな仮名字母の変化を拾うと、次の二〇種類が上げ
られる(表七、下段)。
希春
●
●、
登 仁
無 留連
・
」・安幾遭寸世多天止奈ホ年比不本武利類礼遠充
→
→
→
」
」
→
→
」
」
」
→
」
→
→
→
→・」
→
T
阿
介寸世要事止那耳
比婦
武梨流速遠充
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
安支気須勢多天萱奈丹祢悲不保無利留礼越ン」」」」‑J
J J J
J」一J
J J
J」・」」」」
」 あきけすせたてとなにねひふほむりるれをんトト「lト,トト「tトトトトトrlトトトト
トト ト
**0〇.*****○**000*****
123456、789101112㍑14151617用1920・
☆☆
☆☆☆
☆
☆☆
☆☆☆☆☆
表七
推敲に伴う仮名字母の変化 ※☆印は、一字母が集中して用いられ始めた例※無印は、主流となる字母が交替した例※*印は、「グレーゾーン」の仮名字母※○印は、併用層の仮名字母改めて言えば、芭蕉は筆者である。筆者は、最も自由な筆録者の一人であって、彼なら青葉も字母も文字の配列も自由に変えることが出来る。そして、事実「天理本」
「画
巻本」の間には、右の通り二〇種頬の仮名字母の変更があ
る。しかも、この二〇種類の仮名字母の変更にも、書き安
く読み安い字母を集中利用する傾向が認められる。表七に
示す通り、仮名字母二〇種の内、十三種(☆印)が新たに
集中利用される字母となり、その内の十種で、複数の仮名
字母が一種の仮名字母に統合されているからである。
しかも、その二〇種の字母の内、一四文字(「あ」「き」
「せ」「た」「て」「と」「な」「ね」「ひ」「り」「る」
「れ」「を」「ん」)は、「グレーゾーン」に位置し、ま
た残る大文字(「け」「す」「に」「ふ」「ほ」「む」)
は、複数字母の併用が慣例に近い「併用層」に位置してい
る。これは推敲に伴う字母の整理が、並の筆者の規範意識
の作用しにくい領域にまで及んだことを示している。
そして、その中にはやや個性な変更も認められる。その
個性的な変更とは、次の二例である。
(2)「け」気・介↓遣 (13)
「ほ」保
↓本
この二例の字母の交替は、必ずしも書き安く読み安い字母
とは言い難い点で個性的である。
もとより、どの字体が書き易いかの判断は、個人の書き
癖や筆運びの習熟によって微妙に食い違う。が、この三字
は、先に上げた芭蕉の意図または書き癖が疑われる三文字 と重なり合い、しかも、書き安く、読み安い字母を用いて表記を整える芭蕉の修正作業の中から、例外的に浮かび上がった文字である。したがって、ここには少々強固な芭蕉の書き癖または意図が予測される。つまり、「遭」「本」
の二字が揃って主要字母となる芭蕉関係の筆跡には、芭蕉
筆またはその写しの可能性が高まるのである。
五
汎用文字・偏用文字
次に、先の二〇種類の仮名字母が「画巻本」で集中利用
される原因を示すために、次の表八を掲げた(表八、次頁)。
表八
推敲に伴う仮名字母集中利用の原因
※☆印は、一字母が集中して用いられ始めた例
※無印は、主涜となる字母が交替した例
※表内の数字は、用例数
字 母 の・変 化 汎用文字 偏 用 文 字
☆1 「あ」安・阿→安 安18 阿0
2 「き」・支・→幾 幾27・ 支1(装飾)
亭う(装飾5) 掌3(語頭3)・
3
「け」気・介→遭 達18
4
‑「す」須・寸→寸・春 ー寸19
‑☆5
「せ」勢・世→世
☆6・ 「た」多・掌→多̲ .世8■ 多38.
☆・7
「て」天▲亭→天
,天了9 帝2(装飾2)
8・rと」萱・止→止 止48
登I4(語頭14)☆9
「な」奈・那→奈 ■奈27 那1(■一句宋)
10 「に」丹・耳→ホ・仁
ホ79 仁31(・語尾31)・.一耳1さ
☆1壬
「ね」祢 →年 年、1 (助詞に18・)
☆i2̲
「ひ」悲・比→比 比10
飛1■(装飾).・13.‑「ふ」不⊥婦→不
.不■20 婦5(前字漢字・句中,5.)
1'4
「ほ」保 →本 本1q
舞や(助動詞ん4)
田
「む」無・武→武 武11
☆16
「り」利・梨→科 利叫
流2(■助動詞ける2)
☆1ケ 「̲る」留・流・類?留 留53
‑☆18
「れ」礼i連→礼 、礼25 連4(装飾・語尾3)
■■☆19
「を」越・遠→遠 遠57 越6(格助詞を6)
‑
☆20「ん」ン・元→元 元■10
・強力な汎用字母の出現が、この二〇種の仮名字母の集中
利用の原因であることは既に述べた。この字母の出現によ
って、汎用字母の併用状態が解消すると共に、他方で汎用
字母の性格を失った文字が偏用字母の形で機能上特化した
のである。この特化した偏用字母の増加もまた、先の汎用
字母の集中利用を促進する原因の一.つである。
例えば、⑤「多」に押さゎた「堂」が語頭に用いられる。
②「止」に押された「萱」が帯頭に用いられる。
③「奈」に押された・「那」が句末の「かな」に用いられる。
@「ホ」に押された「仁」が語尾に用いられる。
などは、併用する仮名字母め一方を、語頭・吉尾・句末を
飾る装飾文字に変更したことを示している。これは作品の
視覚的な鑑賞を意図した文字選択であろう。
また、例えば、
⑤「ホ」に押された「耳」が助詞「に」に用いられる。
⑥「武」に押された「舞」が助動詞「む」に用いられる。
⑦「留」に押された「流」が「ける」.(助動詞「けり」の
連体形)に用いられる。
⑧「遠」に押さゎた「越」が格助詞「を」に用いられる。などは、字母の一方の使用範囲を一部の単常に限定したこ
とを示している。恐らく、単帯の区切れを明示すると共に、
表記のメリハリを狙った文字選択と思われる。
また、先の二〇字の範囲からは外れるが、
⑨「乃」は汎用文字I「能」は格助詞「の」
⑬「者」は汎用文字I「盤」は係助詞「は」
⑫「部」は汎用文字‑「遍」は語頭に用いられる装飾文字
⑫「礼」は汎用文字‑「連」は発句・行頭・行末を飾る装
飾文字
など、幾つか機能上限定された文字を見出すことが出来る。
これもまた視覚に訴え、単語の区切れを明示する用字であ
ろう。
また、これを表六と比較すれば、この十二種の修辞的な
用字法が、既に一部「天理本」に芽生えていることが確認
される。この修辞的な用字法が「画巻本」で推進される理
由は、芭蕉がより美しく読み易いテキストを尋ねて、文字
打系統的な利用を試みたためであろう。大量の汎用字母の
集中利用と、それにと虻ない役割が特殊化した「偏用文字」
の誕生に「画巻本」の推敲の一面があったのである。
六
おわりに
改めて言えば、「天理本」「画巻本」の常には、先の通
り、二〇種類の仮名字母の変更がある。しかも、この二〇
種類の仮名字母の変更には、書き安く読み安い字母を選び、
その限られた仮名字母を集中的に用いる用字意識が認めら れる。この変更によって、芭蕉は模倣の汎用字母の括抗状態を解消すると共に、汎用文字の性格を失った字母を機能上限定し、特殊化したのである。
ただし、中には例外もある。その例外とは、次の二例で
ある。
(2)「け」気・介トー・V遣
(13)
「ほ」保‑↓本
この二字からは、少々強固な芭蕉の書き癖あるいは意図が
予測される。
また、先の十二種の偏用文字のきめ細かな用字法は、筆
者芭蕉がより美しく読み易いテキストを尋ねて試みた探求
の成果でもある。
版本の流布、汎用字母の盛行に連れて、この微妙な文字
の諸用法は消滅する運命にあるが、それが一挙にしかも急
速に進行すると考えてはならない。そこに到る様々な用字
法の変化を追跡することで初めて、繊細に流動する各個人
の表記意識を再現することが出来るからである。しかも、
その繊細に涜動する用字意識が、あたかも傭人の声紋のよ
うに、個性の痕跡を留める証拠となるのである。
注1
なお詳しくは、「パソコンによる古典研究/関連学会の紹介」坂橋秀一、『月刊しにか』‑琵\○巴参照。
注2
最近の物とは青い難いが、次のような論文も重要で
ある。浜田啓介板行の仮名字体‑その収敢的傾向について
ー(『国語学』‑‑¢、昭和54年9月)
浜田啓介出版と文字の歴史(『講座日本語』明治書
院刊、昭和▼57年5月)
前田富萩近世にはどんな仮名文字が行なわれていた
か(『国文学』昭和.57年朋月)
注3
ノこの計画全体のシステムは、次か6種の機器・ソフ
ト・資料によって構成される。
①画像処理用「光ファイリングシステム」
②データベース作成用パソコン
③データベース作成用ソフト④「光ファイリングシステム」 ∵データベース相互の
情報交換用ソフト
⑤高性能の日本帝入カソフト
⑥画像処理用の筆文字データ
注4
具体的に登録される文字情報は、最低でも次の十四
項目が必要と思われる。
①登録する文字の位置情報 ②一文字分のテキスト③漢字・仮名の区別④仮名の場合は字母情報⑤ルビ情報⑥一単語内での語頭・語中・語尾情報⑦品詞情報⑧括用形情報⑨単帯(終止形)情報⑳文節情報.⑫地の文・俳句の区別⑳行頭・行末情報⑬該当する文字の前・後に位置する文字情報⑯テキストの異同情報
注5一般通用の仮名字母について俳背分野が未調査のため、「川柳の仮名‑国語字体史の視点からー前田富萩」
(『日本語・日本文化研究論集』4号)によった。
注6
浜田啓介「板行の仮名字体‑その収赦的傾向につい
てー」(『国帯学』こ∞、昭和54年9月)参照。
[本学教官]