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詩的統合化の構造とロマン的想像力 −「深夜の霜 」と「失意のオード」−

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

詩的統合化の構造とロマン的想像力 −「深夜の霜

」と「失意のオード」−

著者 門田 守

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 48

号 1

ページ 99‑105

発行年 1999‑11‑10

その他のタイトル The Structure of Poetic Integration and the Romantic Imagination −'Frost at Midnight' and 'Dejection: An Ode'−

URL http://hdl.handle.net/10105/1464

(2)

奈良教育大学紀要 第48巻 第1号(人文・社会)平成11年

Bull. Nara Umv. Educ ,γol.48, No KCult. &Soc), 1999

詩的統合化の構造とロマン的想像力

‑「深夜の霜」と「失意のオード」‑

門 田   守 (奈良教育大学英米文学教室)

(平成11年4月30日受理) キーワ‑ド: ロマン派、コールリッジ、想像力

1 は じ め に

コ‑ルリッジ(Samuel Taylor Coleridge)の「深夜 の霜」 (̀Frost at Midnight," 1798)と「失意のオード」

(̀Dejection. An Ode,'1802)は詩的統合化に向かう過 程を表している詩である。詩的統合化とは詩人にとって、

2つの内面的意味をもっ。最初は何とかして詩を閉じた 構造として提示したいという芸術的達成としての詩人の 欲求である。もう1つは自己の苛立ち、落ち着かない分 裂した意識を単一の対象へと収敵させようとする、自己 救済としての意味をもっ詩的平安さを得ようとする試み である。 「深夜の霜」においては、時の重層的構造か想 像力によって統合化され、複数の時か単一‑・の視点でまと

め上げられる。 「失意のオード」では、フラグメント化 し、自然を生きた諸相において捉えきれない、枯れ果て た自らの詩的感性を友人への愛をきっかけに代償的に再 活性化させようとする試みが為される。どちらにおいて も精神の統合化が詩人にもたらされるか、そこにはロマ ン的想像力が大きく介在している。ここではこれら2つ の詩を細かく読解することにより、それらの詩的統合化 の過程を追い、コールリッシ、の想像力の特質に迫りたい0

2 「深夜の霜」における時の重層構造

「深夜の霜」は4つの時の層から成り立っている詩で ある。それそ、れの部分を分析していこう。

1つ日は第1ボエティLL/ク・パラグラフであり、これは 現在の時の層を表している。この部分は究極的な静寂の 時に属しているO 詩人は暇想に耽った状態で登場し、こ の詩全体が眼想詩であると言うこともできるであろう。

辺りの静寂の様子を見ておこう。コールリッジの詩の引 用はOxford Authors版による。また、括弧内の数字は 行数を表している。

‥ Sea, hill, wood,

jy

This populous 〜.ullage! Sea, and hill, and wood, 1iVith all the numberless goings‑on of life, Inaudible as dreams! ... (1043)

"Sea, hill, wood"というように大きな構造物から、

"all the numberless goings‑on of life"という村の市 井の生活に視点が移る。さらに詩人の視点は" . the thin blue flame / Lies on my low‑burnt fire, (13‑14)とあるように、小さなものへと移動していく。

小さなものとは、身近なものの謂でもある。外の自然の 巨大さ、想像の中で捉えた村の喧嘩、内の落ち着きのw 界へと視点か動く中て、われわれは次第に囲まれ、かつ 守られているような安堵感をもつであろう。外の闇の世 界では"The Frost performs its secret mimstr了"(1) とあるように、霜があくまでも詩人が現在見ていない外 の世界の中で、誰の日にも触れず、ミステリアスな宗教 的務めを行っている。この霜の働きについては、後でま た振り返ることにしよう。部屋の中でも辺りは闇に囲ま れ、暖炉の薪の燃える光のみが詩人の傍らで平和そうに 眠る赤子の顔を照らす。詩人は現在の時の中で安住して いるように見える。

ところがそうではない。彼の精神は現在の時の中で統 合化されてはいないのだ。彼の内部にある時間は過去を 含み、彼の意識は彼の過去の記憶を辿る。彼の意識のそ の在りようの客観的相関物は暖炉の格子の上で揺れるス

スである。ススは"fil111'蝣(15)であり、ジャクスン(H, J. Jackson)の注(701)に従えは、コ‑ルリッジは初期 のこの詩の版には"In all pai,ts of the kingdom these films are called strangers and are supposed to portend the arrival of some absent friend"という注 を自ら付けていたと言う。このススがしばらく会わなかっ た友人の到来を知らせるという言い伝えは、イギリスの 一般的な迷信に過ぎない。ただし、この迷信には詩人に とって特別の意味があった。彼は子供時代、この今の時 と同じように、ススを眺めながら友人との選遍に心躍ら

(3)

100

ilil 圏

せたことがあったのだ。しかも、ここでは、次のように 詩人の心は外部世界に投影されている。

Methinks, its [the film's]motion in this hush

of nature

Gives it dim sympathies with me who live, Making it a companionable form,

Whose puny flaps and freaks the idling Spirit By it own moods interprets, every where Echo or mirror seeking of itself,

And makes a toy of Thought. (17‑23)

ススの気まぐれなはためきを"the idling Spirit''たる 詩人の心は、自/分の気分に合わせて解釈するO彼は光に ぼんやりと照らされた目に見える範囲のすべてに、己の 心の状態の反映あるいは似姿を求めるのである。ススは 詩人の心の状態を写しつつ、彼の心はススに自らの見た いと思う人の姿を追い求める。ススの動きは自律的なも のではあるか、詩人の心から絶えず意味解釈を受け取り、

詩人の心の外在化された投影物となる。内は外となり、

外は内となるO ロマン的なi三体と客体の溶融状態か起こ るのだ。

さて、ここから詩は第2の時の層、詩人の少年時代へ と下降を開始する。詩人の心は少年時代にロンドンのク ライスツ・ホスピタル(Christ's Hospital)という寄 宿学校で過ごした記憶を辿る。厳しく人間味のない教師 の監視の下、彼は教室のドアを開けて故郷の知人か訪ね て来てくれることを一生懸命に祈念している。 「見知ら ぬ人」と呼ばれているススが、故郷の誰でもいいから、

知人の姿を取ってくれまいかと期待しているのである。

̀̀‥. have I gazed upon the I)ars, / To watch that

fluttering'stranger.′''(25‑26)というように、詩は彼の 気持ちを語ってくれる。誰かが自/分を田舎の自然の中に 連れ帰ってくれまいかと、彼は期待しているのだ。

詩はさらに過去の層へと降卜し、詩人の過去の過去へ とわれわれを誘う。それは第3の時の層と呼ぶべき、詩 人の田舎での記憶の世界に属する。彼は故郷での楽しい 市の立っijの思い出を一心不乱に心に浮かび上がらせよ うとしている。田舎生活の心象風景はこのようである。

. the old church‑tower,

Whose bells, the poor man's only music, rang

From morn to evening, all the hot Fair‑da、‑,

So sweet亙that thev stirred and haunted me

With a wild pleasure, falling on mine ear Most like articulate sounds of things to

come! (28‑33)

ここで問題にしたいのは、 "Most like articulate sounds of things to come"であるQ これから起こるべ きことを告ける鐘の普くらいの意味であろうか。カラカ ラと高い音調で鳴る鐘の音はこれから開かれる市の楽し

さを期待させるものである。西洋の市の多くは聖人祭日 などに定期的に立っものであり、余興や飲食小屋もあっ て賑わう楽しい行事であった。 R本の縁Rと同じ種類の ものと考えればよいであろう。これから開かれる市の楽 しさへの期待感は、いっ何時やって来るかもしれない

"a friend to come"とでも呼ぶべき、 Eij合の友人との 避退への期待感と重なってくるQ しかしながら、この期 待感は裏切られてしまった。

詩は第2の時の層まで再び上昇してくる。子供時代の 詩人は眠たい目を擦りつつ、寝室の中で一心不乱に暖炉

の格子目こはためくススを見つめている。夜はそんな調 子で過ごしているものだから、翌朝の午前中は眠気に苛 まれ涼月になりつつ、授業を嫌々受けているのである。

ただし、不意に教室のドアが開いたときは別であるo そ んなときは来訪者の顔を見つめっっ、彼は神経を異常に 興奮させるのであった。

ここで詩は現在の時の層に戻ってくる。詩人の目の前 には安らかに眠る赤子かいるD 夜の静寂の中でその子の 徴かな寝息のみか、詩人には、辺りの空虚な空間と詩人 の思考のとぎれとぎれを埋めてくれるように思われる。

美Lすぎる赤子の横顔を眺めていると、彼はこの子の将 来にある期待をかけざるを得ない。詩人は大都会で、し かも狭い学校の回廊に閉じ込められるようにして育てら れたのであった。愛おしいものと言えば、回廊の上に広 がる空と星でしかなかった。だから、詩人は我が子にこ

のような期待を込めるのてある。,

But thou, mT babe! shalt \1,ander like a breeze

Bv lakes and sandl: shores, beneath the crags Of ancient mountain, and beneath the clouds,

Which image m thピIr bulk both lakes and shoiでS

And mountain crags: ‥(54‑58)

詩人が赤子に抱く期待は第4の時の層、未来に属してい る。そして、これは詩人の体験した子供時代の裏返しで もある。子供には都会の喧嘩から離れて、自然の中で伸 び伸ひと育ってもらいたいという期待が開陳されるので ある。また、子供の教育に対して、詩人は"them shalt lPEu,n far other lore, / And m fai'other scene!"(50‑

51)と願望を叫ぶ"far other lore"とは他国語のこと かもしれず、また学問一般として、詩人がクライスツ・

ホスピタルで学んだのとは違う種頬の教えや知識のこと を指しているのかもしれない。蝣'far other''という違い の程度まで言及しているので、後者の学問内苓一般のこ

とを"lore"は指しているのだと思う。その方が詩人の 教育体験と赤子が受ける未来のそれとの差を明確化でき、

詩の解釈としてより高い合理性か得られるであろう。詩 人と赤子の教育の顕著な差は前者が厳しい教師のIFで監 視されているのに対し、後者か広い自然の懐に抱かれて

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詩的統合化の構造とロマン的想像力

いることにある。自然の中で我が子にたくましく育って もらいたいと願うことには、ロマン派詩人特有の自然観 がある。未来のこの子の受ける教育は、さらにこのよう に言及されている。

… so shalt thou see and hear

The lovely shapes and sounds intelligible Of that eternal language, which thy God Utters, who fr‑om eternity doth teac‑h Himself m all. and all things in himself.

Great universal Teacher! he shall mould Thy spirit, and by giving make it ask. (58‑64)

クライスツ・ホスピタルの偏狭なる教師に対して、赤子 の未来の教師は"Great universal Teacher"たる自然そ のものである。あるいは自然として措定された神そのも のと言ってもよいであろう。 "bさgiving make it ask"

とは、教えることが即教えられる側の意欲の刺激に貢献 する理想的な教師と生徒の関係を表している。ともあれ、

これは自然との有機的な関連の中で、伸び伸びと育っ我 が子の姿を表す未来の時の描写である。

さて、これらここで提示された4つの時の層は巧みに 統合化されていく。分析のために、あらかじめ最終ポエ ティック・パラグラフを引用しておこう。

Therefcire all seasons shall be sweet to thee, Whether the summer clothe the general earth With greenness, or the redbreast sit and sing

Betwixt the tufts of sno†,v on the bare branch Of mossy at)pie‑tree, while the nigh thatch Smokes m the sun‑thaw; whethei、 the eal,e‑drops

fall

He唱rcl onll一 m the trances of the blast,

01、 if the secret ministry of frost Shall hang them up m silent icicles,

Quietly sliming to the quiet Moon. (65‑74) 五胡冬パラグラフでは、すべての季節がこの赤子を優しく いたわってくれるものになるだろうと未来への期待感が 吐露される。その後の"Wilether"で導かれた節は現在 形ではあるが、厳密に言うと未来のことに言及しているQ 未来の夏、冬、春の典型的な自然現象を挙げっっ、その ような自然現象が現れるすべての季節において、我が子 が安寧でありますようにという願いが謡われているので あるo 詩人の意識は未来に向かっているはずだ。実際、

締めくくりの"lf"で導かれた節は未来時制であり、明 瞭に一連の時間が未来に開かれていることかわかる。

しかし、ここで未来と現在の両方に跨る自然現象が登 場してくる。それが深夜の霜なのである。今現在、深夜 の霜は詩人の家の屋根のひさしからぽたぽたと落ちてい る水滴をっららに変えつつあるかもしれない。ここで未 来と現在とが奇妙にも溶け合ったような感覚が得られて

101

くる。今、つららを輝かせているであろう月は今現在、

詩人の家の上に出ている月であろうか、それとも未来に おいて夜空に浮かぶであろう月であろうか。ここで冒頭 において謡われた"The Frost performs its secret ministry, / Unhelped by any wind …"(し2)という 詩行を思い起こそう。詩人か詩想に耽っていたときにも、

霜はずっとその厳かなる勤行を為していたのである。最 後の霜は最初の霜と平行して存在しているのである。こ

こでわれわれは詩がウロボロスの如く、最初と最後が繋 がったような感覚を抱くであろう。詩人が2種類の過去、

現在、未来という呉合に4層の時の構造に沿って恩索を 試みていたときも、霜は依然として厳かな現在の時に存 在していたのである。ここで得られる感覚は、霜という

ものを挺子にして2種類の時と現在と未来の時間が一つ に結び合わされた、時間が統合された感覚である。いろ いろな時かこの詩では提示されているけれども、どの時 も細切れ的に他の時から独立しているわけではない。何 らかのイメ‑ン、たとえは暖炉の炎の上げるススの暗示 力、教師の怖い懲罰のイメージ、さらには自然の優しさ のイメ‑ジなどでそれぞれの時が有機的に、身体感覚的 に繋がっているのである。 4つの時はここで夜空にJk皇め く、現在の時にある小さなっららの輝き、その‑‑」!一凝 縮してくる。 4つの時は溶け合い、詩人の過去の記憶へ のわだかまりは安定した現在の時の中へと超克されるの である。しかも、ここで重要なのは詩人は深夜の霜を一 切見てはいないということなのである。深夜の霜はミラ キュラスな働きをするか、同時に不在の霜でもあるのだ。

霜か本当につららを形成しつつあるのかどうかは、誰も 知らないのである。霜はあくまでも想像されたものに留 まり、詩人の想像力を受ける対象としてのみ存在してい るのである。

霜の働きについて、もう少し考えてみよう。霜は不在 の形象であるか故にこそ、想像力か働きかける余地を与 えたのてある。コールリッジは己の想像力説について、

このように論じている。引用はペンギン版による。

The IMAGINATION then, I consider either as primary, or secondary. The primary IMAGINATION I hold to be the hl‑ing Power and prime Agent of all human Perception, and as a repetitic‑n in the finite mind of the eternal act of creation in the infinite I ‑AM. The secondary Imagination I

consider as an echo of the formei∴ CO‑existing with the conscious will, yet still as identical with the primary in the kind of its agency, and differ‑

ing only m degree, and in the mode of its opera‑

tion. It dissolves, diffuses, dissipates, m order to re‑create; or where this process is rendered impos‑

sible. yet still at all events it struggles to

(5)

102

門 田

idealize and to unify. It is essentially vital, even as all objects (as objects) are essentially fixed

and deadつemphasis mine] (516)

コールリッジに従えば、第1想像力は人間の感覚機能に 関わるものであり、ここでは芸術に関わる第2想像力の 方が重要となる。下線を施した部分に見えるように、第 2想像力は再創造するために分割や細分を行うが、結局 は統合化の過程を経なければならない。芸術創造の過程 において、統合化する精神の働きは不可欠なのだ。 「深 夜の霜」においては、時の蔓層構造が1つの点にまとめ 上げられ、詩全体に調和がもたらされるのはこの第2想 像力の働きの故である。

3 「失意のオード」における断片化と統合化

もうーっ、コールリッジの意識の統合化に関わる詩を 見てみよう。 「失意のオード」である。

これはコールリッジかワーズワス(William We)i'ds‑

worth)の義理の妹になるサラ(Sara Hutchmson)に 宛てた「韻文形式の手紙」 (̀'a verse letter")の形で、

自らの想像力の枯渇を詩に論ったものである。書き出し は、スコットランドの伝承バラッド「サー・パトリック・

スペンスの歌」 (̀Ballad of Sir Patrick Spenceう に取 材している。天気を予想することに長けた伝説の船長で あるサー・パトリック・スヘンスについて言及すること により、詩人は天気の形象から自分の心の中の状態を述 べている。彼の精神は強風を受けて狂ったように音を鳴 らすアイオロスの竪琴(一心o〕  lute)に似て、落ち着 きがなく、何事にも集中することができない。アイオロ スの竪琴は風風琴ともいい、自然に吹く風によって調和 された音を発するようになっている。しかし、今詩人の 目の前にある竪琴は不調和で不快な雑音しか発すること ができない。この竪琴の不協和音は、詩人の心の不協和 音を反映している。彼の心は詩的霊感を失い、力なく萎 え果て、悲鳴を1二げているのだ。

嵐かやって来そうである。ただし、詩人はその嵐が今 の萎え果てた想像力をかき立ててくれればよいだがと、

このように希望する。

Those sounds which oft have raised me, whilst they awed.

And sent my soul abroad,

Might now perhaps their wonted impulse gil‑e, Might startle this dull pain, and make it molTe

and live! (17‑20)

まず、最初の状態では詩人は想像力を失い、心はバラバ ラで統制を失っていることを確認しておこう。

「失意のオード」は想像力の取り戻しを歌いっつ、そ れが結局は不可能であったことで終わる詩である。その

描写における大事なモチーフとして、断片(fragment) あるいは断片化(fragmentation)という考え方が用い られているように思われる。断片化の様相は、最初のア イオロスの竪琴がどうしてもまとまらない音しか発さな い、あるいは無音であった方が良いくらいだという部分 から既に認められる。竪琴の

‥ the dull sobbing draft, that moans and rakes

Upon the striヱigs <Jf this.一哉olian lute.

Which better far were mute. (6‑8)

という様子は、音の断片化した様子、あるいは互いの有 機的連関のなさを伝えている。

そして、詩人は旨の精神の高揚していた時代に戻りた いと謡っているか、これはバラバラになって無機質化し た精神を活性化したいという願望の現れであろう。いわ ば精神の断ILTイヒを嘆いていると言ってよいであろう。こ の断片化した精神を埋め合わせるのか、後に言及する想 像力による復興なのである。

第2スタンサて、詩人は夜空の星々や月か美しいのは 確かにわかると語る。しかしそれらか美しいことを詩人 は感じとれないのだと嘆くO 「わかる」ことと「感じる」

ことの差は、その風景の中に自己投入して、自分の精神 の動きとして対象を見ることができるのか否かにかかっ ている。当然ながら、対象に自己投影しなければならな いのか「感じる」ための要件であり、そうできなければ 単に美を「わかる」あるいは「理解する」という反応の 範囲内に留まるであろう。言い換えれば、 「外」の状況 を「内」の心の在りように取り込んで、活性化Lて描か なけ抽ま、風景は生きたものとして提示することはでき ないのである。詩人か夜空とそこに浮かぶ星々に対して

I see them all so excellent!, fan\

I see, not feel, how beとIutiful the¥‑ are!(37‑38)

と狙うとき、この活性化され得ない精神状況のことを言っ ているのである。

詩人はだんだんと弱腰になってくる。今まで積極的に 望みとして想像力の取り戻しを謡っていたのが、その想 像力の復興は不可能ではないかと疑うようになるのだ。

自然の中の風の力を想像力と思いみなして、その力を挺 fにして、内側の想像力を奮い起こそうとするが、詩人 には"My genial spirits fail''(39)と謡うことしかで きない。ただし、彼はH分の問題点は痛いはどよくわかっ ている。 ‑‑i=iで言って、彼の問題は

I may not hope from outward forms to win The passion and life, whose fountains are

within. (45‑46)

ということなのである。本来は内に源があるはずの感情 を、外側の事物から取り出すことがもはや自分には不可 能ではなかろうかということなのである。言い換えれば、

内側の感情を外側に投影できてこそ、詩的想像力が働く

(6)

詩的統合化の構造とロマン的想像力

のである。この内と外の交流ができなければ、ロマン派 詩人としての命が絶たれたようなものである。

その後で、詩人はその想像力の枯渇の原因を理解し始 める。それは一言で言って、甥性主義が自/j)の頭を占め るようになったということである。理性や論理が自分の 思考のバク‑ンになってしまった。そして理性とは対象 を分析してしまうこと、つまり断片として、フラグメン

ト化して見ることLかできないのである。これはコ‑ル リッジが頭の中ではわかっているが、苦し紛れに公式化 して述べている"we receive but what w,e give''(47) という部分に明らかであろう。 「われわれは、われわれ が与えるものしか受け取ることができない」とは人間が 感じ取れるものは外のものを一度内のものとして取り込 んで、それをもう一度外に描出Lてこそ受け取ることが 可能である、という意味である。白と他の精神的交流が、

真の詩的認識には必要なのたo エイプラムズ(M. H .llirarllS)はロマン派芸術におけるこの日と他、あるい は内と外の関係を『ミラーとランプ』 (TheユImlL)7・ and the Lamp)の中でこう述べている。

A work of art is essentially the internal made external, resulting from a creatil,e process operat‑

mg under the impulse of feC蝣Iing, and embodying

the combined produC・t ()f the pL>et s perceptions,

thought、こmd feelings. (22;

内は外となってこそ、詩人の思索や感情を芸術作品に昇 華できるのてある。これを芸術作品を生み出す上での表 出理論(the expressil‑e theorv‑ of art)というrJ特に 詩作に関して、エイブラムス"はこう言う。

Pne恒‑ is the o\erflow, utteranc、e. °r projecti<⊃n of the thought and feelings 。f the poet; or else

(m the chief variant formulation) poetry is

defined m terms of the mìaginati\:e process which modif'iビs and sさ,nthesizes the images, thoughts.

and feelings of the ¥)oet. This ¥vaさ, of thinking, nl

vhich the artist himself becomes the major eleillent generating l⊃oth the artistic produc、t and the criteria bv which it is to be nidged, I shall call the e判)ressil‑e thenrr of art. (21)

詩作の中心が詩人であり、詩人の内面の感情であるのな らば、詩作品はその感情の投影あるいは表出されたもの であってしかるべきである。エイプラムズの詩論の中核 は著書名に現れているように、ミラ‑とランプの比職の 対比的構造である。詩人の心はミラ‑となり、自然の事 物をそのまま忠実に写してはいけないのである。むしろ 詩人の心はランプとなり、ほのかに外側に内側の状態を 照らし出さねばならないのである。コ‑ルリッジがここ で言っていることは、まさに自分の心は鏡として外のも のを写しLLけだけになってしまったのであり、ランプと

103

してもう一度自然にいったん内面で受け取ったものを差 し出すことができなくなってしまったということなので ある。そしてもちろん鏡とは理性であり、コールリッジ か自然を美しいものとして「見る」ことができたという 能力に対応するo逆にランプは想像力であり、コ‑ルリッ ジが自然を美しいものとして「感じる」ことができたこ とに対応するのである。

コールリッジは見ることから感じることへと態度を変 えようとする。それは私には精神の断片化を解消しよう とする、あるいは少なくとも断片の輪郭を畢そうという 手段を取る戦略であるように思える。第4スタンザでコ‑

ルリッシは心から発した光か地上を満たし、包み込むの だと述べる。これはいわばランプに照らし出されて、断 片か解消した状態であると言ってよいであろう。実際の 詩行を見てみようQ

Ah! from the soul itself must issue forth

A light, a glorさ‑, a fair luminous cloud EnvヒIoping the Eai‑th‑

And fr<つm the soul itself must there be sent

A sweet and potent l‑oice, of its own birth, Of all sweet sounds the life and elementl

(53‑58)

詩人は断片の閉じた状態を、いささか多幸症気味に歌い 上げている。魂からあたかも光か発せられて、それが大 地を満たし、自然は栄光に満ち溢れるO

その栄光は喜ひであるo 詩人の心は"wedchng

Nature to us, gives in dower / A new Earthと川d

new Heaven" (68‑69)という喜びでいっぱいである。, とすると、この段階では断片は詩人の心からは失われて いるように思える。想像の日で見られた世界は、新しく 造り変えられた世界なのである。主観と客観は一体化し ているので、精神の断片は閉じられていると言えるであ ろう。

しかL、こういう喜びはコ‑ルリッジの願望として語 られているのであって、実際には彼は完全に精神の断片 化から免れたわけではない。第5スタンザは全体がサう に対する呼ひかけなのであるか、完全に多幸症の雰囲気 で満たされている。むしろ詩人は無矧こ拳を振り上げ、

自らの幸福感を演じている気味がある。

Joy, virtuous Lady [Sara]! Jo¥, that ne'er lvas given,

Sa\‑e tc the pure, and in their purest hour.

Life, and Life's effluence, cloud at once and

shower∴

Jo), Ladv! is the spirit and the power、 (64‑67)

ここでは詩人は想像力のことを謡っているのであろうが、

むしろ想像力の与える喜びよりも、その性質の規定の方 にこだわっているように見える。確かにわれわれに想像

(7)

104

門 田

力は喜びであると説得することにのみ、詩人は没頭して いるようだ。またそれが心活き者に、最も活き時間にこ そ与えられるものであると謡われていることにも一抹の 寂しさがある。コ‑ルリッジには、もはやそのような活

き時間が訪れるのであろうか。

やはり、コールリッジはどうしても世界を分析的にし か見ることができない。その悩みは第6スタンザで

And haplv bv abstruse research to steal From mv own nature all the natural man‑

This was mv sole resource, mv onl¥, plan:

(89‑90) と言っていることから読みとれる。己が唯一できること は、分析的研究しかないのだと彼は語っているのだ。部 分にしか彼の関心は向かうことしかない。彼は世界を全 体として有機的連関をもって眺めることかできない。そ れはつまり彼の内面か変質してしまったことを表わして いる。彼は科学的な宇宙観でしか自然に接することがで きなくなったのである。

かくして、外の自然は統合されず、断片は依然として 残っている。第7スタンザでは、如実に自然を統合して いくことができないと語られている。アイオロスの竪琴 は狂ったように統合されない、耳障りな昔を掻き鳴らす ばかりである。それは"a sc'ream / Of agony by torture lengthened out" (97‑98)なのであるG それら のけたたましい音のさなかに寂しく響く、親からはぐれ てしまった子供の泣き声が聞こえてくる。これは詩人自 身の自然との隔絶感を嘆く声でもあるのかもしれない。

ところが最終的に第8スタンザで断片はもう一回閉じ られるように恩われる。それはサラに対しての思い、彼 女の幸福をのみひたすら願う思いにおいてである。ちり ぢりになった詩人の心は、ここではサラの幸福を願う純 粋さにおいて一つになっているのである。詩の最終部分 を見てみよう。

May all the stars hang bright above her dwelllllg,

Silent as though t′hey watched the sleeping

Earth

With light heart may she rise, Gav fancy, cheerful eyes,

Jov lift her spirit, jov attune her voice.

To her may all things live, from pole to pole, Their life the eddying of her living soul!

O simple spirit, guided from above, Dear Lady! friend devoutest of my choice, Thus mayest thou ever, el,ermore rejoice.(130‑39)

最後で万物が彼女のために生き、極から極までが、つま り自然の世界の全体が彼女自身の生きている魂を取り囲 む渦巻となるように謡われている。中心に彼女の魂が存 在する世界が想定されているのだ。これらはすべて詩人

の願望であるo Lかし詩人は自分がもはや感受できない 自然との融合関係をサラに抱かせようとしているのであ る。愛する人に自分には失われた自然への感性を与えら れるようにひたすら願うことで、詩人は代償的に精神の 断片化を解消したのである。

この「失意のオ‑ド」はカンヴァセ‑ション・ピーシ ス(Conversation Pieces)と名付けられた連作の一つ として書かれたものである。カンヴァセーション・ピ‑

シズとは、 18世紀のイギリスで流行した家族団肇の様子 を描いた絵画のことであり、普通は開墾図と呼ばれてい るり コールリ../ジの場合は会話詩と言うべきであろう。

何故なら、詩の中で家族や友人に呼びかけるというパター ンを通常取っているのだから。ちなみに「深夜の霜」も 会話詩の一つである。会話詩の中でも、 「失意のオード」

はサラへの愛情に溢れた、ラブ・レク‑として見ること もできるであろう。そうしてみれば、サラやサラをめぐ る家庭的交流の中での人間的で、有機的な交流の中にコー JL,リッジは自然とは柏結べなかった‑イ本感を、つまり断 片のない状態を求めたのではないてあろうか。

自然との交流が人間との語らいへと変貌したのである。

それはちょうどワーズワスが自然への愛から人間への愛 へと詩作のモチ‑フを変えたことと奇しくも一一一一致する。

コールリッジはワ‑ズT7スと同しようなレベルで、自然 から人間へと目覚めたと言えると思うのである。

4 結 三五Elロ

この小論では、コールリッジの「深夜の霜」と「失意 のオ‑ド」を取り上げて、詩的統合化の構造とロマン的 想像力の関係について論じてみた。これらの詩を検討し た理由は前者か時の重層的分割、後者が詩人の内面の断 片化という対照的な問題を扱っているからである。いわ ば、時間と空間の両面における断片化と統合化という議 論ができるだろうと考えたからである。前者では不在の 霜の暗示力を挺子にして統合化は成功し、後者ではサラ への愛情の故に断片化は最終的に解消されたと考えてい

る。

参考文献

Abrams, M. H. The JIirror and the Lamp:

Romantic Theory and the Critical Trad乙tion.

Oxford: Oxford UP, 1953.

Coleridge. Samuel Taylor. Sarγmel Taylor Coleridge:

The Oxford ノAuthors Ed. H. J. Jackson.

Oxford: Oxford UP, 1985.

The Portable Coleridge. Ed. I. A.

Richards. Harmondswort′h: Penguin, 1977.

(8)

詩的統合化の構造とロマン的想像力

The Structure of Poetic Integration and the Romantic Imagination

‑ ̀Frost at Midnight and ̀Dejection: An Ode'‑‑‑

105

Mamoru KADOTA

{Department of English and American Literature, Nara University of Education, Nara 630‑8528, Japan) (Received April 30, 1999)

Samuel Tavlnr Coleridge'ヽ 'Frost at Midnight' (1798) and ̀Dejection: An Ode' (1802) are the poems

which show the process of the poet s struggle for poetic integration. The poetic integration herein investigated consists of two types of internal meanings for the poet. The first )ne is the effort to show his poem as a self‑sufficient artistic Cibject. The second one is the wish to compose his disorganized self and to attain

self‑sall,atnコn through artistic creation.

̀Frost at Mユdnight'presents a time structure with 4 different phases. These aspects are to be ol,ercome

with a miraculous mtegi、ation 。f the quadruple‑layered temporal scheme. The chief image which make this sさ,‑nthesis piコssible is that 0日he "unseen''frost.

̀Dejeeti°n. An Ode'delineates the loss of artistic imagination of the poet. I eェplored the process in which

this fragmentation of his spirit is arrested through his affection to Sarとi Hutchmson.

Coleridge's two ty,pes of poetic integration can be seen in these pLiems. The former tさ,pe is associated with temporal scheme and the latter trpビwith spatial scheme.

Kev Words: Romanticism, Coleridge, Imagination

参照

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