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[書評] 大橋昭一著『ドイツ経営共同体論史』

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[書評] 大橋昭一著『ドイツ経営共同体論史』

その他のタイトル [Book Review] Shoichi Ohashi, Theorien uber die Betriebsgemeinschaft in deutscher

Betriebswirtschaftslehre, 1966

著者 市原 季一

雑誌名 關西大學商學論集

巻 15

号 2

ページ 185‑193

発行年 1970‑06‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021183

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〔書評〕

大橋昭ー著『ドイツ経営共同体論史』

市 原 季

大橋昭ー教授はドイツ経営学史の研究に没頭しておられる。かねてより多 くの論文を発表しておられ,学界の注目を集めておられた。先年その蓄積を ー著にまとめられた。 『ドイツ経営共同体論史』がそれである。年月をかけ て諸文献を精読された努力のあとがうかがわれ,また意欲的・独創的見解に 接することができる。

この著は,今世紀初頭からナチスの時代にいたる間のドイツにおける経営 共同体に関する諸主張の学史的研究をこころみたものである。登場する経営 共同体論の学者は6名に限定されている。シ アー,プィートリッヒ,ニー レンベルヒ,ニックリッシユ,アウラー,ザンディッヒがそれである。この うちニーレンベルヒのみが国民経済学者であり,他の5名は経営学の領域に 属する学者である。著者は,この6名の経営共同体論を詳しく紹介するとと

もに特色づけ,それぞれに相違があることを指摘しようとしている。みずか 「批判するよりもまず理解し把握することを心がけた」と書いておられ

全体は3編に分けられている。第1編は,「ドイツ経営学の生成期の経営共 同体論」と題するものであり,シェアー(第1章),ディートリッヒ(第2章),ニ ーレソベルヒ(第3章)の三つの共同体論の研究がこれに属している。第2 は,「ニックリッツュの経営共同体論」と題するものである。ここでほ,まず 私経済学時代のニックリッツユ,すなわち経営共同体論を主張する以前の二 ックリッシュの立場を,その初期の著作に見(第4章)つぎに彼の経営共同体 論の形成過程をえがき(第5章),さらに,彼の価値論を検討し(第6章),最後に,

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186 (80)  大橋昭ー著『ドイツ経営共同体論史』(市原)

彼の経営共同体論の特質を明らかにしている(第7 第 3編ほ,「ナチス時 代の経営共同体論」と題するものであり,アウラーの有機的経営経済の理論

8章),ザソディッヒの家族的経営共同体の理論(第9章)がとり上げられて いる。全9章中,ニックリッツュの経営共同体論に関する研究が4章を占め ており,本著の重点も,この4章に置かれていると見ることができる。全体 の構成ほ,ニックリッシュの所論を中心に置き,それとそれ以前の経営共同 体論との相違,さらにそれ以後のナチスの時代の経営共同体論との根本的な 相違を示すという形をとっている。章を追って,その内容を示そう。

I I  

シェアーは,その著『商業経営学』 (1911年)によって, ドイツにおける経 営学創設の先駆者として位置づけられているが,著者はシェアーに対し,ゃ や特殊な解釈をこころみておられる。すなわち'・シェアーは,その経歴から みても人生観からみても,何よりもまず協同組合主義者であり,消費組合の 活動家であったとされる。シェアーは協同組合の職員の子として育ち, 28オ にしてスイスチーズ製造組合を設立し,組合長としてその運営に努力したの をはじめ, 1903年チューリッヒ大学の教授になるまでにスイスの消費組合運 動の指導者の一人であった。彼は後にドイツのペルリ`ノ商科大学に招かれ,

そこで商業学の科学化という課題を担うのであるが,その場合,彼は協同組 合的社会連帯主義思想にもとづいて商業の国民経済機能に着目し,利潤追求 を排除した商業概念を設定することにより,独自の商業経営学を桐立したと される。著者によると,消費協同組合こそがシェアーの考える社会改良運動 の唯一の基本組織であり,シェアーは,この種の社会連帯主義において,個人 主義・資本主義における利己主義的営利主義,少数の富者に対する多数のも のの従属が克服され,社会主義・共産主義における全体のための個人の犠牲,

非人間性が克服されると考えており,個人の自由,幸福,人格が社会の調和 のもとにおいて展開できると信じている。著者は,「シェアーの考える経営は あくまで協同組合である」と断言し,シェア・‑の共同体思想ほ,「流通過程に おける共同体の思想」であり,その共同体論は「協同組合的国民共同体論」

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であるとし,その後の経営共同体思想の先駆的形態として位置づけうるとし ておられる。

ディートリッヒの『経営科学』 (191峠三)は800ページにのぼる大著である が,出版時にはそれほどの反響はなく, 1920年代の末ごろから次第に注目さ れるようになった。シェアーが流通過程に問題を見たのに対し,ディート

ッヒは生産過程をとり上げんとする点において,両者は対照的である。著者 はディートリッヒに対しても,経営がそこでは協同組合的に考えられている という解釈をこころみておられる。ディートリッヒにおいてほ,経営は経済 的範疇であるとともに社会的範疇としてとらえられる。社会的範疇としての 経営は,人的肢体の労働共同体として規定される。経営の経済的側面におい て,経営成果の配分問題が重要な位置をしめている。この見解の基礎に,経 営内の人間が経営における共働によって経営の所有権を与えられるという考 え方がある。著者は,この点をとらえて,「経営は人的肢体がその生活維持の ための手段として,協同組合的に経営するものと考えられていることを意味 するのではなかろうか」と見ておられる。そして,ディートリッヒが理論の 中心においた人間は,「協同組合的人間である」とされる。さらに,シェアー の所論が「消費組合を基礎とした協同組合的国民共同体論」であったのに対 し,ディートリッヒのそれは,「生産組合を基礎とする協同組合的労働共同体 論」であると特長づけられる。

ニーレンベルヒは,その論文『近代企業の本質』 (1906年)その他において,

株式会社における出資と経営との分離を強調している。彼によれば,株式会 社は,出資者たる資本家,頭脳労働者たる企業者,肉体労働者たる一般労働 者の三者によって分業的に運営される企業である。しかも,企業そのものは,

これらの三集団のいずれもから独立した別個の存在として把握される。そし て,一般労働者と企業者との労働力の結合関係が労働共同体として規定され る。著者は,ニーレンベルヒが市場を出発点としていることに着目し,この 所論を社会経済の立場よりする経営共同体論であるとし,ディートリッヒの 経営の立場に立った労働共同体論と対立させておられる。また,ニーレンペ ルヒの所論を,第一次世界大戦以前の対外進出期におけるドイツの独占資本

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188 (82)  大橋昭ー著『ドイツ経営共同体論史』(市原)

の要請を反映する経営共同体思想であるとして位置づけておられる。独占資 本の要請とは,対外的発展のための基礎としての国内の産業平和の実現の必 要であり,世界市場制覇のための生産費切り下げの必要であるといわれる。

ニックリッシュの経営共同体論については,著者は紙面をとって詳論して おられる。この経営共同体論の特色は,それが,シェアーやディートリッ 1::.

にみられた協同組合的という前期的なものから脱皮しており,近代的な資本 主義的企業を基礎として確立されているところに求められる。著者は,ニッ

クリッシュの所論を理解するために,その生成発展の全過程を詳しくえがき,

その基礎となっているドイツの経済との関係を究明しようとされる。ニック リッツュの初期の著作は,経営共同体論とは直接の関係はない。その内容も 今日まであまり人の関心をひかなかったものである。しかし,著者は文献史 研究的態度をもってそれととり組み,注目すべき特色をそこからとり出して おられる。ニックリッツュの初期の著作を代表するものは,その著『一般商 事経営学』 (1912年)である。著者によれば,ニックリッツュiま,ここでは国 民経済学に依拠して私経済学を樹立せんとしているが,その国民経済学は限 界効用学派の経済学である。また,この立場から,ニックリッシュは私経済 学を没価値的な理論科学として提唱している。すでに彼は,企業規模と企業 形態の二つの面から,労働と経営と出資が分離し,企業は出資者とは別個の 独自的な存在となるとともに,出資者は企業の一機関に化するとしている。

自己資本利子が費用として把握されていることも注目される。個別経済の最 高使命は自己維持にあり,利潤追求もこのために役立つべきものとされてい る。しかし,この時代のニックリッシュが考えた企業は資産の組織であって 人間の組織ではなかった。著者はこの段階を私経済学時代のニックリッシュ と表現し,その所論が, ドイツ帝国主義繁栄期のドイツ独占資本,特に大商 業資本の階級的利害に完全に照応するものとしておられる。

第一次世界大戦後,ニックリッシュの経営学は修正されてくるのであるが,

著者によると,この修正は,方法論的には限界効用学派的な個体主義から浪 漫主義的普遍主義としての全体主義への移行であり,没価値的な経験論がら 規範論への移行である。また内容的には,人間論の登場,経営共同体思想の

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生成,指導原理としての経済性論の登場などに特長を求めうる。ニックリッ シュの経営共同体論が体系的に究極的な姿において展開されるのほ,彼の著

『経営経済』 (192932 においてである。そこにおいて彼は.経営の生活 は経済の生活であるが,経済の生活は,人間が価値を捕捉,産出し.それを 欲望充足のために準備するところに尽きるとしている。著者は,ここにいう 価値に関心を示し,ニックリッシュの価値論を詳しくとり上げておられる。

著者はニックリッシュのいう価値をマルクスのいう価値と比較せんと努力し ておられる。そしてニックリッシュのいう価値ほ範疇的には,時にはマルク スのいう商品にあたるものであり,また価値循環といわれる湯合の価値は,

マルクス的には資本に相当すべきものであることなどを指摘される。マルク ス的に資本であるものが,後期のニックリッシュの体系の中に価値として存 しているとされる。ニックリッシュのいう価値は主観的な価値であるから,

マルクスの価値論とのそれの比較は,もっと根本的に行なわれなければなら ないであろう。著者はまた,ニックリッシュが利潤を軽視していないが,マ ルクスのいう利潤はそこに存在しており,ニックリッシュがそれを隠蔽して いるにすぎないという主張を.マルクス主義経済学の立場に立ってのべてお られる。最後に著者は,ニックリッシュの価値論が分配のための価値論であ ること,価値概念の規定が浪漫主義的普遍主義へ移行していることを指摘し ておられる。

著者は,ニックリッシュの経営共同体論の特色として,それが単なる空想 ではなく完全な実現性をもちうるものであること.それが資本主義的企業を 出るものではないことを強調される。分配問題が重要視されているが,その 観点があくまで企業の立場であって,全体経済の立場でもなく企業構成員の 立場でもないとされる。ニックリッシュが出発点としているのは,資本主義 的企業の存立維持のみであり,そのために要求される企業のあり方が問題と

されているとされる。この点において,彼の経営共同体論ほ,企業を民族共 同体の一肢体であるとし,民族への奉仕を強調するナチス時代の経営共同体 論とは軌を一にしないとされる。

アウラーの著『有機的経営経済』 (1935年)を,著者はナチスの主張を代弁

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するものとしてとらえられる。そして,その根本的特長は,企業と企業外部 との関係において国民経済的観点を一切の観点に優先させることを主張する 点にあり,また企業内部の管理運営に関して指導者原理を最高原則として適 用させる点であるとされる。そこでは労働を重要視することが強調されては いるが,ニックリッシュにあったような労働する人間の経営に対する主体的 関係は全く否定されるとされる。ナチス的経営共同体は,決定を一人の人間 が行なうという指導者原理がそこに貫かれているから,人間の尊重をもたら

さず,人間の酷使を生むとされる。

ザソディッヒの著『経営共同体』 (1937年)は,旧来の経営共同体論を出発 点とし,それをナチズムヘ適応させんと試みたものとして位置づけられてい る。ザンディッヒによれば,経営共同体は,自発的精神を土台とする労働共 同体であり,それは,企業所属者が企業目的を自己の目的として自発的に承 認することにより可能となる。この考え方はニックリッツュ的である。しか るに,ザンディッヒほ,ニックリッシュから離れてナチス労働戦線の主張に 走り,家族の理念を可として,経営が一つの家族として形成され,その中の 上下の関係も家長と従属者との関係としてとらえられるべしとする。著者に よれば.この結果として,経営構成員の経営に対する主体的関係は全く否定 され.ザ ノディッヒの立場はニックリッシュのそれと違ったものとなる。ま たザソディッヒにおいても,企業者は企業の物質的繁栄を第一とすべきでは なく. ドイツ民族共同体を第一とするものでなければならないとされている。

ナチス時代にはニックリッシュも若干の著書論文を残している。著者は,そ れらとナチスとの結びつきを厳しい目で検討し,本著を結んでおられる。ニ ックリッシュの消極的な迎合のあともないことはない。しかし,著者は,ニ ックリッシュの著『新しいドイツ経済』 (1938年)において,個人は全体の肢 体であるが同時に個人は一つの全体であることが強調されており,個人の側 から問題が論じられていることを指摘している。また民族共同体の立場がと

られず,人間の良心が最後まで登場していることを指摘しておられる。

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][ 

ドイツ経営学に関する学史的研究は, ドイツはもとより,わが国において も盛んに行なわれている。その中で,本著は経営共同体論史という形をとり,

登場学説を代表的類型的意義のあるものに限定し,それを深く追求し刻明に それぞれの特色を示した点において,注目に価する存在である。

ツェアーの商業経営学の主張を,著者は消費組合を基礎とする協同組合的 国民共同体論であるとされたが,かかる解釈は著者によってはじめて提出さ れたものである。著者はこの主張のためにツェアーの経歴をしらべるととも に,協同組合に関するシェアーの著作を詳しく検討しておられる。加うるに ヨーロッパにおける協同組合思想の二系譜たるプッシュとボックーの系譜を 調べ,シェアーが後者に属することを論証しておられる。著者がツェアーの 所論を流通過程の共同体論とすることは理解できるし,ツェアーの立場をよ くうかぴ上らせるものである。中間商人による搾取の排除はシェアーの念頭 にあったと思われる。この点に著者が着目したことは,学史研究として大き い業績である。しかし,「シェアーの考える経営はあくまで協同組合」という 著者の見解はシェアーの商業経営学を狭い特殊研究と位置づけてしまうこと にならないか。その胸中に協同組合の理想があったとしても,シェアーの商 業経営学は商業経営一般の学と解すべきであると思う。

ディートリッヒの共同体論も,わが国では本著によって最も詳しく取り上 げられたといいうる。著者はこれをも協同組合論的であるとし,「生産組合を 基礎とする協同組合的労働共同体論」であるとされる。この点も著者独自の 解釈である。この共同体論は,かってのツァイス工場の経営者アッベの政策 からヒントをえているが,当時のツァイスの企業が生産組合的といわれてい たことも事実であり,著者の主張を理解することができる。シェアーとディ

ートリッヒの二つの共同体論をたくみに協同組合思想と結びつけたことは本 著の特色であり,著者の功績である。ただ`,シェアー研究にみられた消費組 合思想の調査の程度に,ここに生産組合思想の調査があったならば,ディー トリッヒの生産組合的思想の特長が一層明らかになったであろうと思われる。

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192 (86)  大橋昭ー著『ドイツ経営共同体論史』(市原)

ニーレンベルヒの共同体も,わが国ではこれをとり扱ったものはなく,著者 の開拓である。

ニックリッシュの経営共同体についてほ,わが国ではよく知られている。

これに関する著者の研究の成果をあげれば・,第一に,この経営共同体が完成 するに至る段階を入念に追い,それぞれの段階を背景との関係において明示 したことである。第二に,著者が特に一章を設けて,ニックリッシュの初期 の著作を詳しく検討していることである。この領域はこれまで人の近よらな かったところである。ここでは著者は初期ニックリッシュの立場をたくみに えがき,その特色をとり出している。学史研究として極めて優れたものであ る。第三の成果は,著者がニックリッシュの価値論に関しても一章を設け,

詳論していることである。彼の価値論をこのように詳しく取り上げた例はな い。この価値論が分配のための価値論であったという著者の結論も独創的で ある。最後に著者は,ニックリッシュの経営共同体論に興味ある意義づけを こころみ,それが資本主義企業自体の存立維持のみをめざしているとしてい る。しかし,ニックリッシュの見解には,エーレンベルヒにみられた企業の 全体主義観よりも深いものがある。企業構成員の主体性の尊重がカントの哲 学を土台として主張されている点である。このことによってニックリッシュ は,カントを個人主義者として批判した全体主義者シュパンと離れ,またナ チスからも離れるのである。この面がもっと重視されねばならないと思う。

ナチス時代の経営共同体に関する著者の研究は,戦後に行なわれたものと しては最も充実したものである。ニックリッシュの経営共同体論と比較する ためにナチス的経営共同体論の研究が行なわれていることも有意義であると いえる。両者の関係について著者によって客観的な判定が下されていること は本著の大きい収穫である。

第二次大戦後も, ドイツでは経営共同体論が根強く発展している。ミュン ヘン大学のフィッシアーの所説などわが国でも注目されており,彼自身度々 わが国に招かれている。大橋教授の研究領域に属するものである。本著では 戦前までの発展をえがいて筆をおかれたが,春秋に富む著者に,その後の発 展を追及してほしいものである。本著を前編として位置づけ,後編を完成さ

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れたならば,大きい労作となるであろう。これこそ大橋教授にのみ期待しう るところであると考えている。

(A 5 294ページ,昭和417月,中央経済社,定価1,000

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