開発コミュニケーション : その理論と実践
その他のタイトル Perspectives on Development Communication : Theory and Practice
著者 久保田 賢一
雑誌名 情報研究 : 関西大学総合情報学部紀要
巻 9
ページ 23‑51
発行年 1998‑07‑05
URL http://hdl.handle.net/10112/1007
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Perspectives on Development Communication:
Theory and Practice
Kenichi Kubota
Abstract
The term "development communication" has not been well recognized by de- velopment professionals and practitioners in Japan because Japanese policy has not embraced such a perspective of connecting "development" and "communication".
In this paper, the author describes the paradigm shift from mainstream devel-
opment to alternative development Accordingly, this paradigm shift influenced the
field of development communication, which has shifted from a diffusion model to
an empowerment model. People's participation has become the key concept for al-
ternative communication in which the use of small media, such as popular theater
and participatory video, are utilized as examples of new communication strategies.
1. はじめに
増加の一途をたどってきた政府開発援助(ODA)の予算が、 1998年度から10%削減される ことになった。これからのODAは、予算的に厳しくなったうえ、 「量」から「質」への転換の 必要性が問われており、新たな局面を迎えるbこれまでの国際協力は、公共事業の枠組みと して、道路、港湾、ダム、建物などのインフラ整備が中心であった。それが「箱もの援助」
と批判されるようになりく次第に保健、教育、福祉などの社会開発や人間開発を中心とした 開発援助の重要性が指摘されるようになってきた。このような「量」から「質」へ方向転換 は、これまでの国際協力の理念そのものを問うものであり、それにともない援助体制を抜本 的に見直していかなければならない。
本稿では、 「開発コミュニケーション (developmentcommunication)」という概念を紹介し、
開発の中心にコミュニケーションをおいた開発プログラム・プロジェクトの事例を通して、
これからの国際協力が目指す開発援助の方向性について考察する。
これまで「開発コミュニケーション」という用語は、わが国の開発関係者の間であまり知 られておらず使われてこなかった。歴史的に見てもわが国の政策のなかに「開発」と「コミ
ュニケーション」を結びつけるという視点はなかった'。しかしながら、 「開発コミュニケーシ
ョン」という用語は、わが国にとってあまりなじみがなくとも、西欧の国際協力の分野では 40年以上にわたって使われてきた用語である。海外の開発関係者は「開発コミュニケーシ ョン」の重要性を1960年代から認識しており、これをさまざまな開発プログラム・プロジェ クトの基本概念にしてきた。海外の援助機関やNGOがどのようなコミュニケーション戦略を 開発プログラムやプロジェクトに取り入れ、実践してきたのか調査することにより、国際協 力の質を改善するための一助となるのではないだろうか。本稿は、これまでの開発コミュニ ケーションの成果を整理し、開発コミュニケーションの方法を取り入れたいくつかの開発プ ログラム・プロジェクトを事例として紹介し、どのような実践が行われているかを考察する。
2. 開発コミュニケーションの枠組み
2.1 「開発」概念の変容
国際協力の基本概念である「開発」という用語はこれまでさまざまな意味合いに捉えられ てきた。たとえば、わが国では60年代に「所得倍増計画」と抱き合わせに「全国総合開発計 画(全総)」が打ち出され、高度経済成長を目指した開発は、プラスのイメージがあった。し かし、時とともに「開発」は「環境」の対立概念として使われ、ネガティブなイメージに受 け取られるようになってきた。このようなコンテキストで語られる「開発」は、 「リゾート開 発」、 「ゴルフ場開発」、 「都市開発」など自然環境を破壊する大型プロジェクトであり、 「乱開 発」という印象を与えるものである。しかしながら、本来「開発」とは、 「社会がよりよい方
−24−
向へ向かうための働きかけ」であり、どのような社会が「よりよい社会」であるのかが、時代 により変容してきたといえる。
このような開発概念の変化は、国際協力に関しても同様にある。 「第三世界における開発」
を考える際の「開発」とは、これまで「経済開発」をさしていた。つまり、第三世界の問題は 貧困にあり、経済的に豊かになることが「よりよい社会」を作ることであると考えられていた。
この時の開発の目的は経済発展であり、GNPの増加率で開発の進度を測ることができると考 えられていた。
ところが、60年代後半になると経済発展をめざして全力を傾けてきた第三世界の国々もそれ を支援する先進国も開発が思うように進んでいないことを認めざるを得なくなってきた。さら に、70年代にはいると世界経済は大きな激変を経験した。2度にわたる石油ショックは対外債 務を累積させ、80年代は多くの第三世界の国々が債務危機に陥った。その結果、開発に向けて さまざまな努力がなされたにもかかわらず、南北の格差は広まっただけでなく、一国内におい ても貧富の差が拡大した。
経済成長を促す努力は、必ずしもよりよい社会の建設につながらなかった。貧困は依然とし て蔓延し、環境は悪化している。このような経済第一主義が必然的にもたらした行き詰まりの ため、 「人間として幸せ」を目的とする「人間開発」の観点からの新しい開発の概念が生まれ た2・それは経済領域を越えて、倫理的、文化的、環境的側面まで開発概念を広げたものであ る。UNDPは「オルタナテイブな開発」として新しい方向を提示し、最近の開発報告書では
「経済成長と人間開発」、 「貧困と人間開発」というタイトルのもとに貧困の削減や不平等の是 正、紛争の解決などをめざしたより公正で人間の能力が開花できるような方向での開発につい て議論している。そして人間開発の指標として平均余命、識字率、就学率、実質GDPなどを 考慮した人間開発指数、人間貧困指数、ジェンダー関連開発指数を提示し、社会開発の側面に
も注意を向けるような提案を行っている。
2.2. 開発コミュニケーションの領域
開発コミュニケーションとは、第三世界の開発プロジェクトにおけるさまざまなコミュニケ ーションに関わる取り組みの総称である。マスメディアを利用したエイズ撲滅キャンペーン、
農業における新しい技術の普及、コミュニティ開発のために地域住民を巻き込んでおこす地域 運動、簡易トイレを普及するためのフィールド・ワーカーの普及活動、識字教育のための教育 教材の開発と教授法、小規模融資を利用した女性たちへのエンパワーメント ・ トレーニングな ど、社会開発の分野に属するプロジェクトではコミュニケーションが重要な役割を担ってい
る。
さらに、国際機関や援助機関、国際NGOなどのスタッフが現地の人々とどのようにコミュ ニケーションを図るかという戦略も開発コミュニケーションの領域の一つである。したがって、
開発コミュニケーションでは、参加型のコミュニケーションをどのように計画、運営していく
かが重要なポイントとなる。
また、先進国援助機関による開発プロジェクトは、異なる文化に属する人たちが協力し、一 つの目標のもとに活動をする場である。互いに異なる文化に属する人たちで共通の目標を設定 し、開発計画を実行する過程において、思い違いをなくし、意思疎通を図るには、コミュニケ ーションが重要な役割を果たす。その意味で、第三世界と先進国との異文化間コミュニケーシ
ョンも開発コミュニケーションの一領域であるといえよう。
このように開発コミュニケーションの領域は、コミュニティの人々を対象にしたコミュニケ ーションから、プロジェクト立案から運営におけるコミュニケーション、さらに異文化間コミ ュニケーションまで、開発プロジェクトにおけるコミュニケーションに関わる活動すべてを含
む。
2.3. 「開発」と「開発コミュニケーション」
開発の概念と開発コミュニケーションへの取り組みは密接に関係しており、開発の概念が変 容するとともに開発コミュニケーションのアプローチも変化してきた。
これまで開発とは、欧米先進国のように経済的に発展することであり、先進国がこれまでや ってきたことと同じ道をたどりさえすれば、第三世界の国々も発展することができると信じら れていた。そのためには、先進国のマスコミユニケーシヨンや普及学研究の成果を開発プロジ ェクトにそのままあてはめれば良いと考えられ、 「開発を加速させるコミュニケーション」と 呼ばれた。このアプローチをとることで途上国の人々の考え方が西欧化され、開発が加速され ると考えられた。つまり、近代化とは、途上国の人々が西欧的な価値観を身につけることであ り、そのためにはマスメディアを整備し、大規模に情報を流すことが必要であり、それによっ て急速に発展するものと考えられた。
ところが、実際の開発プロジェクトが実施されても期待していたような成果を上げることが できなかった。マスメディアを利用してコミュニケーションを促進するだけでは開発の障害に なるものを取り除くことはできず、国際社会や国内における経済、社会、政治面で不平等な構 造を改革しなければならないことが分かった。また、開発とは外国からの援助や資本集約型の 支援を仰ぐ"ことでなく、適正技術、自助努力を支援することであると理解されるようになっ
た。
−26−
開発を加速させるコミュニケーション
マクロレベル、国家レベル
漠然とした方向 広範囲、おしつけがましい 技術に依存した性格を持っている
(大規模な施設、機材が必要)
マスメディア中心
トップダウン中心 たくさんの変数、調査が困難開発を支援するコミュニケーション
ミクロレベル、コミュニティ ・レベル
具体的な方向、効果的 時間を限定、キャンペーン
内容重視
注意深く内容が組み立てられている 伝統文化を基礎にしたメディアの利用
双方向性を持つ、参加指向 わかりやすい変数、調査が容易
信頼性を獲得した
国連、国家、国際機関、NGOにおいて 広く取り入れられている これまでの活動のなかで信頼性を失った
表1 :開祭コミュニケーションの二つのモデル3
このような開発プロジェクトの失敗が、開発の概念を変容させ、それに伴い開発コミュニケ ーションのアプローチも変化してきた。そこからは、従来のマスメディアを利用したコミュニ ケーション戦略に対する大きな失望が伺える。開発コミュニケーションは、コミュニケーショ
ンそのものが開発につながると考える「開発を加速させるコミュニケーション」 から、 コミ
ュニケーションは単に開発過程を後押しするだけの小さな役割をになう 「開発を支援するコミ ュニケーション」に変化してきたのである。コミュニケーション戦略に過大の期待を寄せすぎ たことへの反省から、コミュニケーションは開発プロジェクトがより適切に進むための支援の 一つにすぎないという認識に至ったのだ。表1に示すようにそれは、地域を限定し具体的な目 標を決め、コミュニケーションに中心的な役割を担わせるものではなく、コミュニケーション
を支援と捉えるアプローチである。
このような開発コミュニケーションのアプローチの変化は、多くの研究者が認めるところで はあるが、実際のプロジェクト現場でのコミュニケーション戦略は、 まだ従来型のメディアに 重点を置いたアプローチから抜け出ていない。それは実践するうえで、住民参加を促す柔軟な 対応を求める新しいアプローチが、援助機関のトップダウンの取り組みと対立するからである。
開発コミュニケーションの研究の成果を実際の開発プロジェクトに生かす方法をより実践的に 探る必要があるだろう。
開発プロジェクトにおけるコミュニケーション戦略に関する研究は、普及学、マスコミユニ ケーシヨン理論、コミュニケーション理論、教育学、社会学、文化人類学、保健学、公衆衛生、
マーケティング、農業普及、などさまざまな分野にまたがっている。それゆえ、開発コミュニ ケーションは、開発に関わるコミュニケーションを総合的に研究する学際的な研究分野である と見なすことができる。次節では、研究分野としての開発コミュニケーションがどのように変
化してきたかについて述べる。
3. 研究分野としての開発コミュニケーション
3.1 パラダイム・シフト
開発と開発コミュニケーションに関する視点が大きく変化してきたことは、社会科学の方法 論の変化と相互に関係していると言える。このような学問上の大きな枠組みの変容は、パラダ イム・シフトと呼ばれ、自然科学のパラダイムの変容はクーンにより明らかにされた。パラダ イムとは、研究者が属する集団が暗黙の前提を共有していることである。その前提を共有して いる研究者たちの間では共通の世界認識があり、研究の視点や方法をその枠組みのなかから無 自覚的に選択するといわれている
50
シュワルツらは、すべての学問のなかでおきているパラダイム・シフトについて言及し、物 理や科学などの自然科学だけでなく、心理学、哲学、言語学などの社会・人文科学におけるパ ラダイムも転換しつつあると述べている。つまり表2に示すように主流のパラダイムと新しく 出現しつつあるオルタナテイプなパラダイムの 7つの特徴を対比し、さまざまな学問領域にお いて主流からオルタナテイプなパラダイムヘと変化を遂げている
60
主流のパラダイムによると、世界の現象はいくつかの変数を組み合わせることにより説明可 能である。つまり、世界は階層構造のもとに成り立っており、キーとなる変数をいくつか見つ けだせば、未来の出来事について予測可能であるという視点に立っている。世界はゼンマイ仕 掛けの機械であり、学問の役割はその機械を動かす基本構造を調べることにある。
それに対しオルタナテイプなパラダイムは、世界を異種的なものが複雑に絡み合い、不確実 で予測不能なものであると捉えるら世界を理解するには、個々の要素を調べるのではなく、全 体を全体として捉え、相互依存関係を持った複雑系と見なすことが重要である
70
主流のパラダイム 単純(simple) 階層的(hierarchy)
. . . . . . . . . . . . . . . . . .
機械論的(mechanical) 決定論的(determinate) 因果関係Oinearlycaused)
組み立て的(assembly) 客観的(objective)
オルタナティブなパラダイム 複雑(complex) 異種的(heterarchy)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
全体論的(holographic)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
不確実的(indeterminate)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
相互依存関係(mutuallycausal) 形態発生的(morphogenesis)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
遠景的(perspective) 表2 :二つのパラダイムの比較(シュワルツほか,1978)
‑28‑
3.2社会科学のパラダイムシフト
人文科学や芸術の分野において近代(モダン)からポスト .モダンへパラダイムがシフトし てきたように、社会科学の分野においても論理実証主義や客観主義のパラダイム(主流のパラ ダイム)から社会的構成主義あるいは解釈主義のパラダイム(オルタナテイブなパラダイム)
へ転換(シフト) しつつある。
客観主義のパラダイムは、世界を客観的な実在と捉え、この実在をできるだけ科学的な方法 で発見することであるという前提をとる。自然科学の客観性、厳密性を求めてあくまでも科学 的であろうとする方法論をとることに、客観主義の特徴を見つけだすことができる。このパラ ダイムでは世界のなかに起こる現象を分析し、いくつかの変数を見つけだし、法則性を発見す ることが目的である。法則性を見つけだせば、将来を予測することができ、 より効果的に対応 することができると考える。そのために推測統計学の手法を用い、未来を予測する。このよう に見るとミクロ、マクロ経済学のパラダイムは、客観主義つまり主流のパラダイムに沿った学 問領域といえる。
それに対し、社会的構成主義のパラダイムでは、世界に対する見方は人々のおかれている文 化・社会状況により異なり、知識は人々の相互作用を通した社会的関わりのなかで構築されて いくという立場をとる。それは世界を説明するための大理論(grandtheoly)を発見すること をめざすのではなく、それぞれの状況に密着したデータを収集し、そこに埋め込まれたさまざ
まな考えを読み解く、データ対話型理論(groundedtheory)を構築する方向である8.
客観主義(主流) と社会的構成主義(オルタナテイブ)のパラダイムを比較すると、基本的 な前提が大きく違うことがわかる。次に二つのパラダイムの特徴を、客観性、研究目的、文化 的側面の3つの角度から考察する。
(1 )客観性
客観主義の研究者は、自然科学の方法論を厳密に適応することで、研究者自身の偏見や間違 った視点に惑わされることなく、客観的に「実在」を探ることができると信じている。そのた め、研究者は研究対象とは離れ、個人的な関与を避けることで、研究結果を「汚染すること」
なしに分析しなければならない9o
しかし、社会的構成主義のパラダイムでは、研究者の「客観性」はそれを構成している科学 的な言説の一つでしかないと見なしている。なぜなら研究者は、世界を把握するためには枠組 みが必要であり、ある特定のパラダイムを持たなければならないからである。ところが、ある パラダイムのもとでの理論構築は、他のパラダイムの研究者から見ると、基本的前提が違うた め客観性を持ち得なくなる。社会的構成主義における客観性とは、 「唯一の真実」を見つけだ すことにあるのではなく、問主観性(それが真実であると認める人々の間)のなかで作られる
と考える。
知識は、ある枠組みを通して世界をみることから生まれるのであり、それは社会的な相互作
用を行う一群のグループのなかで共有され、そのグループの利益のためにこそある。その意味 で、中立な知識はあり得ないのだ。だからこそ研究者は研究対象と関わることによってのみ、
研究が遂行でき、研究成果は研究対象との間で作る共同作品となる。言い換えると、研究とい う枠組みのなかに、研究者と研究対象が協同で参加することを通して新しい視点が生まれるわ
けである。
(2)研究の目的
社会的構成主義では、客観主義の言う真理の探究は無意味であり、多様な世界に対する見方 を受け入れるという、 より相対的な立場をとる。したがって社会的構成主義における研究目的 は「真理」の発見ではなく、社会における「現象」の対象との関わりのなかで解釈し、理解す ることにある。そのような研究の目的は、実践的であり、政治的でもある。つまり、研究者に よる現象の「解釈」が、社会変化を必要とする人たちに何らかの有用性をもってフィードバッ クされる必要がある。このような研究は「アクション・リサーチ」 (社会変容と介入を、その 明示的な目標としてもつ研究) とも呼ばれ、政治的色彩の強い活動である。
たとえば、社会的構成主義に立った研究をすることにより、第三世界の貧しい女性たちにと ってどれほど有益な情報を還元できるか、それによって女性たちの生活状況がどのように改善 されるか、女性たちのエンパワーメントにどれだけ役立つのかという点が研究の目的としてあ げられる。このような研究では単に、統計資料を使って、第三世界の女性たちの状況を先進国 の研究者たちに客観的に説明するのが目的なのではない。
社会的構成主義における研究とは、研究者という職業をもつ人たちの独裁的な行為ではなく、
研究対象と研究者の関係を含めた活動である。 「研究する側」と「研究される側」、 「教える側」
と「教わる側」、 「開発する側」と「開発を受ける側」といった二項対立的な視点を持つのでは なく、それぞれの立場が交錯するなかで、社会のさまざまな現象を解釈していこうとする立場
をとるl0o
その意味で第三世界に関わる研究者は、単にアウトサイダーとして開発プロジェクトに携わ るべきではない。研究対象としてのコミュニティの人々とともに開発プロジェクトに関わり、
対等なコミュニケーションを保ち、研究活動を共有するプロセスを大切にすることが求められ
る。
(3)文化的な特殊性
開発の目的である「よりよい社会」を目指すうえで、先進国の文化を無批判に第三世界に当 てはめようとするこれまでの開発の立場は、非難されるべきであると前述した。しかしながら、
文化はそれぞれ対等であり、優劣をつけることなく互いに尊重すべきであるとする文化相対主 義の立場も、 「よりよい社会」を作りあげる責任を回避するものであると批判されている。
このような点をふまえ、人類の普遍的な価値、たとえば、人権擁護、差別の撤廃、民主主義
−30−
などを前面にかかげた開発プロジェクトを推進しようとしても、先進国の押しつけと受け取ら れてしまう。このようなアプリオリに真実があるという前提で普遍的な価値を提示する前に、
相手の文化を尊重し(app'eciate)、相手の文化の深層をよりよく理解しようという真蟄な姿勢 で接し、相互信頼関係を築くことがまず第一に必要なことであろう。
科学的な手法を使い唯一の真実を前提とする客観主義は先進国の価値観を強要しがちである が、社会的構成主義の立場は、相手との平等なコミュニケーションを持つことによりともに生 きる視点を大切にする。それは、押しつけでもなく、迎合でもなく、相手の文化のなかでとも に考える姿勢である。離れてみていたときは一枚岩のように見えた文化も、その中に入るとダ イナミックな変化が見え、可塑的である。一つの文化のなかにある価値観もさまざまであり、
研究者自身が対象の文化に入り関わるなかで開発の多様な方向が見えてくる。
開発プロジェクトのあり方は「西欧中心主義」対「文化相対主義」という二項対立的な図式 から考えるではなく、多様な発展があることを認め、 より地域の文化にあった発展の仕方を模 索していくところにある。そして、多様性を認めるなかで普遍的価値を捉え、その土地に根ざ
した文化を基礎に立て直していく必要があるだろう。
2.3. パラダイム・シフトのまとめ
主流のパラダイムからオルタナティブなパラダイムへの移行は、社会文化の大きな潮流とし て、 さまざまなところで起きている。開発分野においては、経済中心の「主流の開発パラダイ ム」が、持続可能で人間中心の「オルタナテイブの開発パラダイム」に移行しつつある。また、
それに呼応して、マスメディア中心の「主流の開発コミュニケーション」は、参加やエンパワ ーメン卜を目指した「オルタナテイブな開発コミュニケーション」に変わろうとしている。こ のような変化は、研究分野における客観主義の研究方法論から社会的構成主義のそれへの移行 プロセスと平行して起きているといえる (図l参照)。
次節以降では、開発と開発コミュニケーションにおけるこのような転換について、理論、実 践両面にわたり考察していく。
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図1 :開発におけるパラダイムの転換
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4. 開発コミュニケーションの変遷
主流のパラダイムは過去のものになったわけではない。それは、 「近代」の枠組みのなかで 発達し、現在においても強固に残っている。特に、経済学の領域における問題設定の方法や、
国際開発組織や援助組織の組織運営においては主流のパラダイムが中心で、開発プロジェクト はそれに沿って実践されている。これは、官僚組織における運営方法は「近代」の枠組みのな かで発展してきたものであり、容易に変わらないことを示している。わが国の公共事業の運営 方法、行政改革のプロセスなどを見ても、官僚組織の構造を変える難しきがうかがえる。
それに対し、オルタナテイブな開発は、開発プロジェクトを人々と共に作り上げて行くべき ものと捉え、そのためのコミュニケーション戦略をどのようにするかを考えていこうとするも のである。このようなプロジェクトの取り組みには柔軟な組織構造を持つNGOの方が対応し
やすい。
前節において概観したように、 「開発」に対する考え方と「開発コミュニケーション」との 間には密接な関係がある。開発の概念と開発プロジェクトに適用するコミュニケーション理論 は整合性を保ち、開発コミュニケーションの実践が行われてきた。開発の概念が時代と共に変 化するのにともないコミュニケーション理論も変化している。本節では60年、 70年代に全盛を 極めた主流の開発コミュニケーションと80年以降のオルタナティブな開発コミュニケーション
を対比しながら、その変遷を追ってみる。
4.1. 主流の開発パラダイム
第二次世界大戦から1960年代半ばまでは、途上国も先進国も経済発展することに至上の価値 をおき、一丸となって開発に取り組んだ時期である。開発とは「経済成長」することを指して いた。国連は当時のケネディ大統領の呼びかけに従い、 1960年代を「開発の十年」と宣言した。
それ以降「開発の十年」は4度にわたって続けられた。その根底には、第三世界の国々を開発 し、西欧の国々のように発展させる事が最良であるという価値観がある。つまり、高度な消費 社会を生んだ先進国のようになるために、第三世界の国々が開発努力を惜しまず、頑張らなけ
ればいけないと見なされた。
(1 )近代化論
近代国家という概念は、 もともと西欧の国々の発展を土台にしている。伝統的な農業社会か ら産業社会に一方向的に変化していく過程は、ダーウィンの生物の進化の概念をアナロジーと して社会変容にあてはめることで理解できる。ロストウは伝統経済社会から近代産業社会の段
階にいたるまでの5段階のモデルを提唱した''。それは、第一段階である「伝統社会」から社 会は発展し、 「離陸前の状態」、 「離陸(take‑off)」、 「成熟へ向かう段階」へとすすみ、最終段 階の「大量消費の時代」に至る直線的なモデルである。この理論は開発の頂点に西欧社会をお
−32−
き、その段階に到達するには、近代化、西欧化、工業化の道を歩む必要があるという考えであ る。ここでの開発とは経済的な発展を指し、経済学者が中心となり開発計画を立て、開発の指 標としては国民総生産(GNP)を使っている。
離陸前の状態において、人々がよりよい暮らしを目指すのには、経済成長が必要であると考 えるようになると、銀行などの組織が作られ貯蓄を促進するようになるoそして人々は、少々 の危険を冒しても利益を得るために努力を惜しまなくなる。そのうち社会的なインフラ (道路 や電気通信など)が整い、近代社会に向けての離陸体制ができてくる。すると新しい産業がお き、資本が投資され、 ざらにそれが農業部門にも反映され、農業の生産性が飛躍的に増大す
る。
離陸が成功すると、経済状態は安定し、少々人口が増加しても、新しい産業構造により雇用 を促進することができる。最終的には、大量消費社会に移行し、生きていくうえで基本的に必 要なもの以上の消費が行われるようになる。このように、近代化論ではすべての社会がこの5 つの段階を経て発展していくと考えられた。
この理論は、 19世紀の社会進化論の考え方の延長線上にあり、社会が進化するにしたがいさ まざまな制度が次第に複雑になってくると捉えられた。社会制度が単純で家族が再生産から生 産活動まですべての機能を担っていた伝統社会から、次第に社会が発展するにしたがい、機能
は細分化され、それぞれ専門の制度が出来上がってくると見なされた。
開発プランナーはこの近代化理論に則り、第三世界の国々も西欧社会が経験したような道筋 を経ることで、達成できる開発モデルを当てはめようとした。 「近代社会」対「伝統社会」と いう二項対立は、西欧社会の優位性を示すことであり、第三世界の伝統社会は劣るものであり、
伝統的な考えは捨て去るべきものであると位置づけた。
(2)近代的思考
ラーナーは伝統社会が近代社会に移行するためには、人々の価値観や考え方が大きく変わら
なければならないと考えた'2.人々の考えが変われば、行動に変化が表れ、近代社会に向けて
の推進力となる。そのためには、伝統的な考え方を捨て去る必要がある。伝統的な社会にいる 人々は、教育がなく、頑固で、自己中心的であり、人の立場に立って考える「感情移入(em‑
pthy)」の能力に欠けている。そのため、 自分の生活を革新していこうとする意欲に欠けてい るのだと考えられた。そこでマスメディアを利用し、人々に「感情移入」の能力を植え付けさ せようとした。マスメディアを利用し、新しい考え方を普及すれば、人々の行動が変わり、教 育を受けようとし、収入の増加や政治的参加に対する意欲も生まれてくる。さらに、いろいろ な組織が制度的に整備され、人々の間に相互作用が生まれ近代化が加速されると思われた。
近代的な思考とは、行動する意欲や達成欲求を持ち、効果的、効率的に、少ない労力で目標 を達成しようとする態度である。このような思考を人々に身につけさせるには、経済的なイン センテイブを与えなければならない。
インケルは第三世界の6カ国の調査により、個人の近代化の程度を示す指標として次の9つ
の態度や行動をあげた'3。
①新しい経験を受け入れる用意やイノベーションに対して好感を持つ
②自分の意見を持つ
③民主的な指向をする
④計画を立てる習慣をつける
⑤人間の力を信じる
⑥世界は予測できると信じる
⑦人間の尊厳に対する意識を持つ
⑧科学・技術を信頼する
⑨公正さを信じる
経済成長を果たすためには、このような態度をもち、行動するようにならなければならない。
西欧文化では、ここにあげたような近代化のための前提条件を各個人がもっている。したがっ て、途上国においてもこのような態度や行動を個人が身につけるれぱ、近代化ができると考え
られた。
4.2マスコミュニケーション理論
マスメディアを利用したトップダウンのアプローチは、西欧においてラジオが普及し始めた 1920年代から始まったマスコミュニケーション研究からの理論をもとにしている。ここでは主 流の開発コミュニケーションの基礎となった「弾丸理論」、 「二段階流れモデル」、 「シャノンと
ウイーバーのコミュニケーション・モデル」について説明をする。
(1 )弾丸理論
1920年代に、ラジオという新しいメディアが生まれ普及するようになると、政治宣伝の媒体 として大衆に大きなインパクトを与えた。そこで、このような社会現象を分析し、受け手に与 えるマスメディアの効果は直接的かつ即時的で、 しかも強力であると主張する弾丸理論が作ら れた。マスメディアの影響は、ちょうど弾丸が体に当たるような強いインパクトであると考え られた。マスメディアの皮下注射モデルも、マスメディアからの情報は、ちょうど注射をする ことでその効果が即効的にあらわれるという考えに基づいて作られている。
別な言い方をすると、マスメディアをうまく利用すれば、大衆を操作することができると考 えるわけであるが、そのような見方は単純で機械的であり、マスメディアの効果を正確に捉え るにはあまりにも雑であるという批判もある。1940年代に優勢であった行動心理学の刺激反応 理論の考え方も、弾丸理論と整合性がある。その後、 メディアから送られた情報は受け手に直 接届くのではなく、そのコミュニケーシヨン過程において、特定の人を介して意思決定が行わ れることに着目し、生まれたのが次の「二段階流れモデル」である。
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(2)二段階流れモデル
1940年に、大統領選挙における投票行動が分析され、つぎのような「コミュニケーションの 二段階の流れ」仮説が作られた。
①政治に対する関心が高く、すでに投票相手を決定している人たちは、マスメデイアによく 接触するが、そうでない人たちはあまり接触しない。
②マスメディアは、受け手の意見や態度を変えるというよりも、それらを補強する形で影響 を与える。
③一般に情報は、ラジオと印刷物を通じてオピニオン・リーダーに流れる。そしてオピニオ ン・リーダーは同じ集団の非活動的な構成員にそれを伝える。これは、オピニオン・リー ダーによる影響力の方がマスメディアのよりも大きいことを示している。ここで言うオピ ニオン・リーダーとは、社会の一般構成員に比べて「知識」があり、社会規範を代弁する 存在で、コミュニケーションの流れに重要な役割を果たす人のことである。
この仮説は、投票相手の決定という政治的行動だけでなく、 日用品の購入、フアツシヨン、
映画鑑賞という日常的な生活領域における意思決定にも当てはまり、マスメディアより対人関 係の影響力、すなわちパーソナルな影響力が強いことを示している。
その後、このモデルをもとに、二段階だけでなく、何人かのオピニオン・ リーダーを経て情 報が伝えられる「多段階モデル」が作られたが、両モデルとも基本的な考えは同じである。つ まり、情報はマスメディアから直接人々に伝わるのではなく、 まずオピニオン・リーダーに伝 わり、それから一般大衆に伝達されるという点である。
(3)シャノンとウィーバーのコミュニケーション・モデル
1949年にシャノンとウイーバーが開発したコミュニケーション・モデルは、電気通信の数学 的モデルである。このモデルは電話などの電気通信におけるコミュニケーション作用を描いた もので、送信メッセージと受信メッセージとの間の信頼度をいかに高めるかという点に注意を 向けたものである。それを一般化し、人間のコミュニケーションにも当てはめ、広い意味での コミュニケーション・モデルとして使われている。このモデルでは、 メッセージが送受信中に 雑音源からでるノイズに妨害されることに着目し、いかにノイズを減らすかという点に注意が 払われている。
図2 :シャノンとウィーバーのモデル
上述の「弾丸理論」、 「二段階流れモデル」、 「シャノンとウイーバーのコミュニケーション・
モデル」に共通して言えることは、情報の受け手よりも送り手の方に注意が払われ、コミュニ ケーションは一方向に流れていると見なしている点である。送り手がメッセージを忠実に、正 確に、効率よく、迅速に送ることができれば、情報の受け手も同じ情報を受け取ることができ
ると考えられたので、受け手に対してはあまり関心が払われていない。これらのモデルは、主 流の開発コミュニケーションを実践するうえで基礎になった理論であり、それゆえ開発プロジ
ェクトではマスメデイアに重点が置かれた。
4.3マスメディアの役割
シュラムは、彼の著書「マスメディアと国家開発」のなかで、ラーナーの開発理論をもとに、
西欧のマスコミュニケーション理論をあてはめ、マスメディアを中心にしたトップダウンのア プローチをとることを勧めているM・
十年後に彼は、このアプローチの限界を認めているが、マスメディアの役割は、次のような ものであると考えていた。まず第一に情報を伝達する働き、第二に意志決定を助ける働き、第 三に必要な知識や技能を教育する働きである。そしてマスメディアの役割を積極的に評価し、
導入しようとする戦略を立てた。
(1 )情報を伝える働き
シュラムの説明によると、第三世界の人々は、閉鎖的な小さな村で生活しているため、外界 を知らず迷信や呪術のはびこる伝統的な社会から抜け出すことができないでいるという。この ような状況から抜け出すためには、外の世界の情報を伝えることが必要であり、それによって 近代化が促進されると考えた。つ・まり、マスメディアを使って、新しい情報を全国に一斉に流 せば、国の隅々まで的確に伝わり、その結果、開発が進むと考えた。
確かに第三世界の農村地域にラジオやテレビなどのマスメディアが導入されると、人々に大 きな影響を与える。伝統社会に生きる人々が、はじめてマスメディアに接したときは、まるで 魔法のように感じたことだろう。見たことや会ったことのない人々に関する情報をマスメディ アを通して得られるとは、思っても見なかったに違いない。このような初期の珍しさと驚きは やがてなくなるが、それでもマスメディアを通して他の地域の人々の生活を知ることができる ということは、自分の生活を見直したり、新しい考え方をもつことにつながる。このようにマ スメディアは人々に遠方の情報を伝達するという大きな役割を担っている。
(2)意思決定を助ける働き
マスメディアからの情報は、人々の意志決定には直接つながらないかもしれないが、話題を 提供する働きをする。保健や農業に関する新しい情報をマスメディアで提供すれば、人々はそ れを話題にする。国家の指導者が、全国の村々を回って、新しい考えを普及することは不可能
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だが、マスメディアを利用すれば容易に指導者の考えを広範囲にわたって伝達することができ る。そして国民に国家開発のための共通認識を持たせ、 もっと発展させたいという意欲をかき 立てることができる。
その際に開発プロジェクトの農業普及員、保健婦、ソーシャルワーカーが、オピニオン・リ ーダーとして活用できるのである。 「二段階流れモデル」によると、このようなオピニオン・
リーダーたちは一般民衆よりも新聞やラジオなどのメディアに接する機会が多いため、マスメ ディアからの情報をいち早く取り入れ、人々に知らせることができる。加えて、彼らは尊敬さ れているので、人々は彼らの意見に耳を傾ける。マスメディアから情報を得たオピニオン・リ ーダーたちは、民衆の意志決定を促すという重要な役割を負っている。
(3)教育をする働き
マスメディアは、情報の発信や、人々に発展しようという意識付けをするのに役立つだけで なく、知識や技能を身につけるための教育やトレーニングの支援にも活用できる。教員や学校 が少ない地域においても、マスメディアを利用して社会教育や識字教育を実践できる。さらに、
小中学校の現職教員の研修や企業での技術トレーニングにも利用できる。
第三世界の国々では、教員が不足しているだけでなく、教員たちの教育技術も十分ではない という問題がある。また、第三世界には読み書きのできない人が多いため、教育を受けたいと いうニーズは非常に高い。ラジオやテレビなどを積極的に活用すれば、このような教育ニーズ に応えられ、質の高い教育を提供することができる。マスメディアを利用した教育と従来の教 育とを比較してみても、教育効果は劣らず、 より多くの人に費用をかけないで教育するにはこ のようなメディアの利用は有効である。
このようなシュラムの見解によると、開発プロジェクトを推進し近代化を押し進めるには、
マスメデイアが不可欠であり、現在では楽観的すぎるともいえるほどマスメディアに信頼を置 いていた。60,70年代の第三世界の多くのコミュニケーション・プロジェクトは、このような 考えのもとに大規模なメディア戦略を展開していた。
5. オルタナテイブな開発
5.1 主流の開発理論への批判
60年代後半から70年代前半に入ると、西欧の開発理論をそのまま第三世界に当てはめる開発 戦略では、第三世界は発展できないといわれるようになった。なぜなら、第三世界には独自の 歴史、文化、社会があり、西欧の発展に沿った一元的な発展はしないということがわかってき
たからだ。
主流の開発理論では、第三世界の構造そのものに問題があり、人々の意識が変わらないがゆ えに、社会が発展しないと見なされていた。しかし、実際には第三世界の国々にも近代的な制
度や組織ができあがっており、それなりに機能をしていたのである。たとえば、貨幣制度、官 僚組織、市場などがその良い例である。また、主流の開発理論では社会によって発展の度合い が異なることについて十分な説明をすることができない'5。このように、発展への道筋は一本 しかないという前提で理論を構築したロストウヘの批判は高まり'6,第三世界が発展しないの は、第三世界に内在する要因が問題なのではなく、先進国による植民地政策や新植民地主義こ そが発展を妨げているのだという主張が台頭してきた'7.
60年代後半にはフランクやバランなどネオ・マルクス主義の経済学者が、低開発は第三世界
の責任ではなく、先進国の経済発展がもたらした結果であるとする「従属論」を展開した18・
開発と低開発は別のものではなく、同じプロセスのなかにある二つの側面で、西欧の開発によ って第三世界の低開発が引き起こされたのである。低開発はその地域の資本不足から起きるの ではなく、資本主義の発展による歴史的な過程のなかで生み出されたものである。西欧の経済 発展により第三世界は周辺に追いやられ、西欧のさらなる発展のために搾取されたと考えられ た。第三世界の国々は、西欧の発展初期段階にあるのではなく、歴史の結果として低開発の状 態に押さえ込まれたのである。低開発の要因は、第三世界の人々が保守的だとか、怠慢だとい う問題ではなく、先進国と途上国との歴史的な関係のなかで作り上げられた経済構造にある'9.
それは、主流の開発理論の指標は、GNPだけでは説明できない次のような問題が表面化し
てきたことからも指摘できる釦。
①70年代の石油問題のおり、オイル産油国によって国際間のルールが変えられ、突然、途上 国に外貨が蓄積されだした。このことで低開発の原因は、途上国の内部の問題ではなく、
外部の原因によると指摘されるようになった。
②これまで主流の開発に沿って第三世界の開発が進められたが、その結果、富や権力の集中 がおきて、高い失業率、食糧不足、都市のスラム化などの問題が引き起こされた。
③先進国で起こった開発問題として環境汚染による生態系の荒廃があげられた。これに伴い、
先進国では人口増加の問題、資源枯渇の問題など環境に及ぼす影響が強く意識されるよう になってきた。
さらに、経済面では第三世界に大資本が投資されたが、北と南のギャップは埋まるどころか、
かえって増大した。このようなことから、経済の枠組みだけで開発を捉えるのではなく、文 化・社会・政治的な側面からも考えるべきであり、 より大きな枠組みで開発を考えていく、オ ルタナテイブな開発の方向が模索されはじめた。
しかしながら、経済優先の開発モデルは現在でも主流であり、経済発展を目指した世銀・
IMFの勧告は、第三世界の福祉分野を圧迫してきた。世銀・IMFの構造調整政策では、歴史も 文化・社会的文脈も異なる国々に対して画一的に金融引き締め政策を実施するように要求し た。その結果、コミュニティのなかでかろうじて保たれてきた伝統的ネットワーク (協同助け 合い、インフオーマルな組合組織など)が、国家を通じた市場原理の強制によってつぶされて しまった。マクロ経済の視点からは地域の多様性は見えてこないにもかかわらず、主流の開発
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は現在でも、経済発展を目指して画一的に推し進められている21。確かに40年前のような単純 に西欧のやり方が良いという一辺倒な見方はしていないが、基本的な姿勢は変わっていない。
5.2. オルタナティブな開発
主流の開発理論への批判とともに、オルタナテイブな開発のあり方が模索され、実践に移さ れるようになった。第一に、国連や世銀などの国際援助機関が社会開発の重要性を認めるよう になり、貧困、環境、栄養、女性、住居などの分野を重視するようになった。第二に、巨大技 術を移転する方法が批判され、相手の文化・社会状況を考慮した中間技術・適正技術の導入が
「持続可能な開発」につながると見なされるようになった。第三に、外側からの援助により開 発を進めるのではなく、第三世界の人々による内発的開発の試みが小さいながらもいろいろな 地域で起こり始めた。そこでこれらの動きを概観する。
(1 )基本的ニーズ(BHN)から人間開発へ
経済開発のもたらす社会問題が深刻化してくるのに伴い、"援助機関の間で「人間の基本的ニ ーズ(BasicHumanNeeds)」という新たな援助分野が取り上げられるようになった。その一 つに貧困撲滅対策がある22。BHNの目的は、衣食住.保健.教育・雇用などの財とサービスの
必需品を剥奪されている集団を対象に、人間として生きていくための必需品を供与し、必要最
低限の生活の質を維持していけるよう支援することである23.BHNのプロジェクトには、食糧
や水の供給をはじめ、快適な住居建設、教育、雇用の確保、十分な交通手段の確保など、貧困 層を対象としたものがある。
さらに国連開発計画(UNDP)は人間開発という概念を打ち出し、 1990年から「人間開発報 告書」を毎年発刊するようにした。人間開発を人々の選択の幅を拡大するプロセスと定義し、
貧困のなかで選択肢のない人々に対し、人並みの生活水準を確保し、人間の尊厳や自尊心を持 って生きていくことの重要性を強調している。報告書では、識字率、幼児死亡率、平均余命、
就学率などを採り入れた「人間開発指数」を利用し人間開発の基本的側面、すなわち寿命、知 識、生活水準を各国別に測定している。このように経済一辺倒であった開発パラダイムは、 よ
り広い視点から人間開発という視点で総合的に捉え直す必要があると考えられてきた。
(2)中間技術、適正技術
シユーマッハは、著書「スモール・イズ・ビューテイフル」において、これまでの資本集約 型の巨大技術によって引き起こされるさまざまな問題を批判し、伝統文化や地域の特殊性を考 慮した労働集約型の中間技術の重要性を訴えた24。
当時、小麦や米の生産性は国際的な農業研究所による品種改良で飛躍的に高まり、 「緑の革 命」と呼ばれた。しかし、恩恵を受けたのは資本に余裕のある中間層以上の農民で、貧しい小 作人や土地なし労働者はかえって職を失う結果になってしまった。新しい品種を育てるには、
灌概設備、化学肥料、農業機械などが必要であり、資本がなければ新しい技術を導入できなか ったのだ。土地なし農民は、 トラクターや農業機械の導入により職を失い、都市のスラム地区 に移住せざるを得なくなり、貧富の差はますます広がった。
そこで地域の文化にあった適正技術を活用し、地域の人材、材料、資金などを生かせば、雇 用の確保だけでなく、地域経済の活性化にもつながる。このような地域の市場を対象にした小 規模で自助による開発を行えば、外部に依存しない「持続可能な開発」につながっていく。
(3)内発的発展
南アジアで行われているサルボダヤ運動25やタイにおける仏教開発などは、西欧型の開発と は違うオルタナテイブな方向を示している。サルボダヤ運動では、仏教の教義をもとに、開発 とは「全人格を目覚めきせる」ことであると定義し、 「新しい人間づくり」を主目的とした。
この運動では、宗教的側面や伝統文化を大切にし活動に参加することにより、個人が覚醒しそ れが村の覚醒につながり、最終的に国家の覚醒につながっていくという考え方をとっている。
そのためには人間が開発の中心に据えられるべきであるという理念に基づいてコミュニティ開
発が実践されている。
サルボダヤ運動の姿勢は、運命主義的に現実を受け入れることでもなく、不条理な社会に正 面から対立することでもない。建設的で、非暴力の民衆の力を活用し、自助、自立的な開発を 行い、人々をエンパワーすることをめざしている。つまり、人々を高いレベルで自覚させ、現 実にある社会・自然環境と関わりを持つことを大切にすることである。
このように地域の文化・社会状況の多様性を認め、それぞれの文化の独自性を重視した内発 的発展には、社会の特徴にあわせたさまざまな発展の可能性がある。スウェーデンのハマーシ ョルド財団は、内発的発展の要件として、①衣食住や教育などの基本的ニーズを満たす、②地 域のコミュニティの人々の協同による発展をめざす、③自然環境と調和を保つ、④社会内部で
構造的変革を必要とする、の4つを提案し、内発的発展の概念の普及につとめた路。
5.3. オルタナテイブな開発における視点
UNDPを中心とした国連機関は「人間開発」の考えを、多くのNGOの実践現場では「適正 技術」を、そしてアジアにおける独自の開発実践のぱでは「内発的発展」を、 というように、
立場の違う人々がそれぞれ主流の開発の問題点を指摘しつつ、異なった視点でさまざまな方向 を提示した。80年代に入りオルタナテイブな開発は、草の根レベルで少しずつであるが、確実 に実施されるようになってきた。それは、第三世界のNGOが力をつけ、数のうえでも増加し てきたことと関連している。
オルタナテイブの開発は、焦点を経済から人間へ移し、特に社会のなかの弱者と見なされて いる人たちを対象に、社会的公正、エンパワーメントを目指した持続的な開発を目指している。
そのための視点として、以下の4点を上げる。