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三新法町村の町村会と「寄合」

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Academic year: 2021

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(1)

はじめに

と呼ぶ、かつての研究では、政府が施そうとし、実際に施した政策の推移を追跡することに終始していた。ま

も、政府の政策に対する町村指導者層ないし地域社会の側の反応を、彼らと自由民権運動との関わ

し、い。は、う、

三新法町村の町村会と「寄合」

栃木県鹿沼の事例

奥  田  晴  樹

(一) 

(2)

きな障壁が立ち塞がっている。あれこれの特定の地域社会の事例をもって、この間の歴史認識を構成し得る、などと夢想するならば、

その方法的見地は、夙に学問上の歴史遺産となっている「世界史の基本法則」の再版にすぎまい。拙速を戒める研究の王道は、所詮

は一時の作業仮説の域に止まる学問的運命にある以上、その類型化にすら禁欲的な研究姿勢をもって、個別事例の追跡に沈潜し、そ

れを堆積させていくほかにはないだろう。

筆者は、かような方法的見地から、かつて該地域の自治体史編纂事業に関わった、栃木県鹿 ぬまと石川県の事例の追跡を企て、鹿沼 については、すでにその一部を公表してい 。そこでは、鹿沼における「大区小区制」の編制について検討を試みており、これに関 しては栗原祐斗による批判的検証と分析の深化がなされてい

鹿

なお、ここで言う「三新法町村」とは、「大区小区制」に代わり、「市制町村制」施行時までの地方制度であった、いわゆる地方三新

た、る「鹿は、年( 日付で編入された旧 あわ 町域を除く、現鹿沼市域である。

は、に、が、 し、

り、い。は、て、

点に立ち、個別事例の堆積に努める立場から考察を試みたい。

  地方三新法の施行

  地方三新法の制定

政府は、明治一一年(一八七八)四月一〇日から五月三日にかけて開催された第二回地方官会議での審議、さらに元老院での修正

を経て、いずれも同年七月二二日付の、太政官布告第一七号で「郡区町村編制法」、同第一八号で「府県会規則」、同第一九号で「地

方税規則」、いわゆる地方三新法を制定し

(二) 

(3)

存は、結局のところ、近世以来の諸町村に依拠するものだったの (1

、少なくもその指導者層には幾分かの反対給付を措置せざるを得

なくなっていっ ((

。だが、その財源も「民費 (1

である限り、軋轢は、府県と町村指導者層の間から、町村指導者層と一般町村民の間

へと転移していくこととなろう。これは、「大区小区制」が基盤とする伝統的な町村秩序を揺るがしかねない。

しかも、改租によって諸町村に対する「村請制」の規範が解除された後、近世以来の町村秩序が従来通り存続し得るか否かは不透

明だった。かくして、「大区小区制」下の地方行財政のあり方を制度と運用の両面で抜本的に改革することは喫緊の政策課題となり、

九年(一八七六)以来、政府部内で地方制度の改革論議が繰り広げられてい (1

。地方三新法の制定は、それが一応の決着を見た結果

だった。また、この時点で立法がなされた背景には、地租改正事業の進め方をめぐり、九年に和歌山・茨城・三重などの諸県で相次いで勃

て、年(の「で、

し、も、

減させ (1

、中央―地方の財政事情があろう。

地方三新法はまた、八年(一八七五)四月一四日付で渙発された「漸次立憲政体樹立の詔」で、下院相当の立法審議機関として開

催されることとなった地方官会議と、同じく上院相当機関として開設された元老 (1

での審議において、その政府原案が大幅な修正を

経て、法制化されている点にも注目せねばなるまい。地方制度は、国家機構の根幹を構成する不可欠の一契機である。かかる国家基

本法令が、上下両院相当の立法審議機関での審議をともに経て立法されたのは、わが国ではこれを嚆矢とする。この点は、立憲政体

成立史研究の視 (1

からは見落とすことはできまい。

地方三新法により、従来の「大区小区制」に代わって、地租の地価賦課基準に由来する改租事業の作業区分である市街地と郡村地

の地域区分に準じて、府県の下に、市街地には区、郡村地には郡が置かれ、それぞれ、その下に町村を所属させることとなった。

この町村は、近世以来の町村をそのまま自治団体として法認し、その区域を行政区画ともするというのが方針だった。しかし、表

1に表示したように、すでに八年から一〇年までの間に、改租事業、とくにその経費の負担などの関係で、全国で六一五〇、全町村

の七八六パーセント弱が合併で消滅してい (1

(三) 

(4)

また、市街地の区の場合、大半が町で、それらの町々は、わずかな面積に多くの戸数がひしめきあい、し

かもかならずしも富裕な住民ばかりではなく、独立した自治団体として行政事務とその経費の負担を引き受

けるのは、合理的でもない上、実際に困難でもあった。そこで、大抵は、町々を組み合わせて、首長である

る、た。は「も、

から認められてい (1

。また、府県の中には、石川県のように、この制度を郡村地でも地方三新法の施行当初

から実施しているところもあ (1

  栃木県における「郡区町村編制法」の施行

11

、「」(

」)「ニ依リ、各支庁及各大小区ヲ廃シ、更ニ左ノ通、郡役所ヲ設置候条」と布達し、県の支庁と大区小

区制を廃止して、新たに あしかが やな しも さむかわ かみ かわ しお の一〇郡を設 け、八つの郡役所を置いた。このとき、従前の 郡が かみ しもに分割された。また、足利・梁田両郡と下都 賀・寒川両郡の郡役所がともに連合となった。郡役所の設置位置は、足利梁田が あしかが町、安蘇が 町、下 都賀寒川が とち 町、上都賀が鹿沼駅(宿)、河内が つの みや駅(町)、芳賀が おか町、塩谷が いた村、那須が おお

わら駅(宿)であ 1(

。ついで、同県は、同月一一日付の県達乙第二八二号 11

、八名の郡長を撰任した。下都

賀寒川が佐藤保之、安蘇が倉持盛明、河内が森岡真、上都賀が野村惟一、芳賀が佐藤信哉、足利梁田が内田

祐宣、那須が藤田吉亨、塩谷が坂部教宜である。なお、郡役所と郡長の列順に違いがあるが、郡長の官等な

いし県庁席次などによるものと考えられる。

、「

11

れ、た。し、年(

11

、「 (ママ)シ、

ニ戸長役場ヲ設置候条」と布達して、同年六月三〇日までに、従来の事務所を廃止し、各町村に戸長役場を設置することとした。も

表1 「市制町村制」施行以前における町村合併

年 次 全国町村数 合併による消滅町村数 町村増減差引数

明治7年 78,280

  8~10年 6,150

  7~19年 ▲7,346

注)東京市政調査会『自治五十年史』第一巻 制度編(亀卦川浩執筆)、良書普及会、1940年 12月、266頁を参照。

(四) 

(5)

も、 11

は、

の事務取り扱いを継続し、末端の行政事務に空白が生じないよう、念を押している。

る。

間に一年前後を要する状況は、他の諸府県でもおそらく大同小異であったと思われる。

は、く、

11

然、く、に、

れ、と、る。

も、は、ず、

る。際、

年(で、 11

り、全町村の八割強が、その時点で独立した自治団体だったのである。鹿沼の諸宿村も、

て、

ている。なお、栃木県では、これも表2に表示したように、町村とともに「宿 しゅく」、 しんでん」・

ごうる。は、 の「域・ 11

る。は、の「を、

らず、単位名まで含むものと解釈したと見られる。

が、い、

く、年(た『 11

る。は、合、宿数、と「へ、

表2 「郡区町村編制法」施行後における栃木県の郡と町村(宿、新田・郷)

郡 名 町(宿)数 村(新田・郷)数 町・宿名 新田・郷名

足 利  1   41 足利町

梁 田  2   15 梁田宿、福居町

安 蘇  6 52 葛生町、多田宿ほか

上都賀  8 91 日光町、鹿沼宿ほか

下都賀 15 215 (ママ)木町、小山宿ほか 大杉新田ほか、稲葉郷

寒 川  0 12

河 内  7 180 宇都宮町、雀宮宿ほか 猿山新田ほか

芳 賀  3 180 谷田貝町、真岡町、茂木町 谷貝新田ほか

那 須  8 221 烏山町、大田原宿ほか 山中新田ほか、大山田上郷・

大山田下郷

塩 谷  2 137 氏家宿、喜連川宿 富野岡新田ほか

合 計 52 1,144

注)内務省地理局編『郡区町村一覧』復刻版、ゆまに書房、1985年11月、163~169頁を参照。

(五) 

(6)

それぞれ算入されている。したがって、内務省は、地方制度上、栃木県の「宿」(二七)は町、「新田」(三六)と「郷」(三)は村と

して扱うことにしていたものと考えられる。

  三新法町村の成立

  「小区会」の行方

「郡区町村編制法」施行直前の時点の「大区小区制」下で、鹿沼の諸宿村が所属したのは、第一大区十小区だっ 11

。この十小区では、

明治一一年(一八七八)七月六日に「小区会」の「初会」を開いてい 1(

。しかし、それから半月後には、地方三新法が制定されたわ

けである。一体、この「小区会」はどうなったのか。

、「

鹿宿

宿

調宿 11

     戸長会議目 乙第二百八拾壱号御達山林原 (ママ)地位等級調査互撰改租委員撰挙之事、第十二年十一月二日到着之日より十五日以内タルヘキ事、

何日ト定ムル哉

改租担当人并ニ戸長集会ハ本月七日ヲ以テ鹿沼宿木村屋ヘ出頭之上、改租委員ヲ撰挙ノ期日決ス

  但、本月七日午前九時開会之事

一村々協議費割合方法ハ戸数ニ何分、地価ニ金高何分割賦スル議、協議費金額ヲ三分シ、壱分ヲ戸数ニ賦課シ、残二分ヲ地価金

高ヘ賦課徴 (ママ)スルニ決ス

右之条々決議候也

   十二年十一月四日 (六) 

(7)

旧十小区宿村々 この議定の内容は次の通りである。

  【議題】県達乙第二八一号で、山林原野の(地租改正のため、その地所の)地位等級の調査にあたるため、

(当該地所の地主た

ちによって)互撰される「改租委員」の撰挙を、一二年一一月二日から一五日以内に行うことが指示されているが、これを何日

に定めるか。

   【議決】宿)「」(鹿宿「木

村屋」で集会を開き、「改租委員」の撰挙実施期日を決定することとした。なお、七日の集会は午前九時に開会する。

  【議題】各(宿)村の協議費について、戸数へ何割、地価へ何割、賦課するか。

   【議決】協議費総額の三分の一を戸数、三分の二を地価へ賦課・徴収することを決めた。

ここに見られるように、個々の行政課題に応じて、戸長など諸宿村の代表が合議する場は適宜設けられていたものと思われる。

  三新法町村と「小区会]

宿ち、て、は、

として継承され、一二年一〇月付で、「凶荒予備蓄積規約書」が次のように定められてい 11

凶荒予備蓄積規約書

今般一村協議之上、凶荒蓄積方法ヲ更始スル意趣ハ本年十月十八日、県令従五位 (幹)君自身御巡回ノ上、凶荒予備蓄積ナクンハ

后年万一非常ノ凶荒ヲ来タスアラハ米穀糴輸之道絶ヘ人民飢渇ニ及フ時ハ他ニ人命ヲ救助スヘキ術ナキ旨趣、懇々御説諭ニ原キ

速ニ村落人民ト協議ヲ尽シ、爰ニ蓄積規約方法ヲ開設スル、左ノ如シ

第一条

一村協議蓄積之儀ハ本年一月一日現在人口ヲ以テ本籍・寄留ヲ不問、一口ニ付、荒稗弐升ヲ目途トシ蓄積法ヲ開設スルモノトス

第二条

当村人口五百七人、壱人ニ付、荒稗弐升江乗スレハ其穀数拾石壱斗四升ナリ、之ヲ壱ヶ年ノ定額トス

(七) 

(8)

第三条

蓄積法ハ村内人民ヲ三等ニ分チ、上等ナルモノハ壱ヶ年壱人ニ付荒稗凡三升ツヽ、中等ハ同断ニ付弐升ツヽ、下等ハ同断ニ付壱

升ツヽ、毎年十二月十日ヲ以テ蓄積スルモノトス

但、本条ノ外、有志ノ輩寄特ノ積穀ヲナスモノハ其穀数并ニ姓名ヲ記入スルモノトス

第四条

積穀毎年之ヲ行、十ヶ年目ニ至リ前年ノ蓄積ハ該年ノ新穀ト倶ニ交換シ前年分ハ本人ニ還付ス、漸次準之且毎年積立期ハ十二月

十日ヲ以テ戸長并ニ蓄積取締リ立会ノ上、相改メ請取済之上ハ立会封印シ鎖ノ鑰ハ戸長之ヲ預リ置クモノトス

但シ倉庫ハ本年新築致ス社倉ヲ以テ貯蓄ス

第五条

倉庫ノ内ヘ樅或ハ松ノ壱寸板ヲ以テ穀櫃ヲ製シ、壱ヶ年毎ニ区別シ何ノ何年何月積立分ト記載シ掛札致シ置クモノトス

第六条

凶荒ニ際シ七分以上ノ損毛不作ノ時ハ一村協議ノ上、所管郡庁ヘ伺済ノ上、開倉シ、其分配ハ人口ニ応シ分配スルモノトス

第七条

凶荒ノ節、困民穀粟ヲ以テ生命ヲ繋キ飢渇ヲ免ルヽ上ハ翌年ヨリ八ヶ年賦トシ全穀ノ内ヲ以テ社倉ヘ償却スベシ

但シ償却スル期ハ年々蓄積計算之期ヲ以テスベシ、最モ償却スル不能モノハ此限ニアラス

第八条

蓄積ニ付テノ費ハ協議費ヲ以テ支弁スルモノトス

第九条

蓄積并ニ倉庫取締ハ戸長ノ外、公撰ヲ以テ別ニ取締壱名ヲ設ケ万事負担セシメ不取締無之様、注意スベキ事

第十条

戸長及ヒ蓄積取締ノ者、蓄積ノ事ニ付、奔走スル時ハ壱人ニ付、日当金拾銭ヲ給与スルモノトス

但シ郡庁其他ヘ出頭之節ハ休泊共賄料ヲ給スベキ事 (八) 

(9)

第十一条

転居又ハ送籍スル者ヘハ蓄積ハ割戻サザルヲ法トス、最モ入籍スル者ハ其年ヨリ規約ニ照準シ蓄積セシムルヲ法トス

第十二条

盗難・火災等ノ防禦、予シメ設ケ置クヘキ事

但、村内ニ於テ失火ノ節ハ別段注意ヲ加ヘ防禦人足ヲ付与スヘキ事

栃木県下野国上都賀郡藤江村凶荒予備蓄方法規約前条々ノ通、協議決スル条件ヲ互ニ確守違背スベカラザル為メ各記名調印候也

明治十二年十月

上都賀郡藤江村      秋沢新六     (以下、六八名の連署・連印は省略) 伍長        藤江  定助              宇賀神  茂吉             藤江  要八              宇賀神  勝次郎   筆生        藤江  弥三郎    戸長        藤江  要吉     (九) 

(10)

この備荒貯蓄規約制定の直接のきっかけは、前文に記載されているように、同月一八日に栃木県令鍋島幹が巡回視察で藤江村を訪

れ、た。し、は、る「

スノ議 11

を、かなり継承したものとなっている。以下で、その点をふまえて、各条の内容を見てみよう。

  この備荒貯蓄規約が「一村協議」、つまり近世以来の各戸一名(大抵は戸籍上の戸主)が出席して開催される、「寄合」での協

議をふまえて、制定されたことが先ず謳われている。実際、末尾には、合わせて六九名の署名は規約本文と同筆であり、「筆生」

が書き上げたものと思われるが、五名を除き捺印がなされており、近世以来の「寄合」の議決形式に則っている。

   備荒貯蓄は、①同年一月一日現在の人口を基準として、同村に本籍を置く者と、寄留する者全員に、②「 あらびえ」を、③一名に

付き二升宛を拠出させる。このうち、②の「荒稗」を備蓄する点は、「小区会」議案の第二条を継承している。

  藤江村の人口は五〇七名なので、第一条の基準に従えば、一ヶ年の備蓄高は一〇石一斗四升となり、これを年間備蓄の「定額」

(目標高)とする。

 

、「

   しかし、「小区会」議案の第三条では、毎年二月現在の村民全員から均等に二升ずつ拠出させることとなっている。藤江村では、

村民間に存在する資力の差異を考慮し、村民を三等級に区分して、それぞれの拠出額を定めている。こうした資力に応じた不均

等割は、近世以来の「村入用」や、それを継承した「大区小区制」下の民費、地方三新法体制下の地方税や協議費(後述)にお

ける「戸数割 11

の不均等賦課方式と同軌のものと言えよう。

  備蓄は一〇年間継続し、一〇年目以降は、当該年の新穀と交換に、「前年分」を拠出者へ還付する。

   この規定は、「小区会」議案の第五条を継承している。なお、「前年分」が一年目と九年目のどちらを指しているのか、「小区会」

議案ともども不明だが、如何に備荒食糧とは言え、八年目までの備蓄分をそのまま存置するということは考えにくいので、おそ

る。お、は、を「し、

八年分(おそらく前半の八年分)を拠出者へ還付することとなっているが、藤江村の規約にはそうした一括還付の規定はない。 (一〇) 

(11)

   と、る「は、と「し、

る。を「し、宿は、

に規定されている。また、その鍵の戸長保管は、同じく第四条に規定されている。

  し、る。は、

関する具体的な規定はない。

  (

際、①「上、て、き、

村民各戸へ人口に応じて分配する。

   ち、は、は、が、

る。た、は、

務づけている。

   両者の規定の間に、こうした大きな相違が生じたのは、事業主体が、小区という県の管内統治機関から、三新法町村という自

治団体へと変わっていることによるものであろう。ここでは、備荒貯蓄が、その実質的な行政的機能は同一であっても、事業主

体の法的性格の相違によって、執行手続きが大きく異なって来ている点が注目されよう。そこにこそ、三新法町村がわが国の近

代的な地方自治の最初の荷担団体であることが如実に顕現していると思われる。

  凶荒時の開倉出穀により飢饉を凌いだ後、出穀分は翌年より八ヶ年賦で、毎年の拠出期日に社倉へ返還する。ただし、返還で

い。は、の「

文言とともに、八年賦返還や還付困難者免除の規定を受け継いでいる。

  備蓄に要する経費は、村の協議費により支弁する。

   は、課・た、で、 ノ入費ハ其区内・町村内人民ノ協議ニ任セ、地方税ヲ以テ支弁スルノ限ニアラス」とさ 11

、さらに、前出の「施行ノ順序」の第

で、ハ、

スヘキモノハ地方税支弁ノ部ニ属シ、其町村限・区限又ハ区町村共同ノ利害ニ係ルモノハ其町村又ハ区内限協議費ノ支弁ニ属ス

(一一) 

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