• 検索結果がありません。

児童・思春期の心理と人間福祉 *

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "児童・思春期の心理と人間福祉 * "

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

今, 荒れる学校がささやかれている。 立て続けに起こったナイフ事件, 新しいタイプの校内 暴力, 小学校では学級崩壊が取りざたされている。

本稿では, 荒れる青少年の心理やその家庭の背景にはどのような問題があるのか, どのよう に問題を理解し, どのような援助が考えればよいのかを検討してみたい。

1 ナイフ事件

栃木県黒磯市の中学校で女性教師が生徒にナイフで刺され死亡した事件は, 教育関係者のみ ならず様々な領域に大きな衝撃を与えた。 平成10年1月のことである。 その後, ナイフに関連 した事件が立て続けに起こったことも記憶に新しいところであろう。 この一連のナイフ事件で 注目されたのは, 加害少年について 「普通の生徒」 という答えが教師たちから返ってきたこと である。

大変な時代になった。 普通の生徒が先生を刺す時代になった これは一種のパニックを我々 に起こさせたのではないだろうか。

しかし, すこし冷静さを取り戻すと, 「ちょっと待てよ。 ほんとに普通の生徒たちなのか」

と疑問を持つようになった方も多いのではないだろうか。 かくいう私もそうである。 そこで, この 「普通の生徒」 ということについていろいろと考えているうちに, 私はこの 「普通の生徒」

という表現には大きな落とし穴があるのではないかと考えるようになった。 そして, この問題 を深く考えていくと, そこから現代の非行問題, ひいては教育病理について様々な問題が見え てくることを実感するようになったのである。

2 「普通の生徒」 の落とし穴

まず, そもそも教師たちが言う 「普通の生徒」 とは, 我々が考える 「普通の生徒」 と, どう も意味が同じではないらしいと考えるようになった。 「普通の生徒」 というと我々は何を考え るか。 おそらく, 平均的な生徒, あるいはノーマルな生徒というふうに考えるのではないだろ

児童・思春期の心理と人間福祉

−荒れる青少年のこころの奥にあるもの−

村 尾 泰 弘**

*On the Psychology of Youth and Human Well-being

**Yasuhiro MURAO (立正大学社会福祉学部人間福祉学科)

キーワード:非行, 校内暴力, ギャング・エイジ

(2)

うか。 しかし, ここではそういう意味で使っているのではないらしいのである。 どういう意味 かというと, 「自分達は (当該生徒を) 不良少年としてチェックしていなかった」 と, そうい う意味で使っているのではないかと思われるのである。 「不良少年としてチェックしていなかっ た」 という意味と 「ノーマルな生徒」 という意味は決して同じではない。

「不良少年としてチェックしていなかった」 とはどういう意味か。 これは 「(彼が) 目立つ 不良グループの一員でなかった」 「不良グループとして目立ってなかった」 ということではな いだろうか。 ここが問題なのである。

我々は, 不良といえば, 群れたがると考える。 そして集団でつっぱって, 妙な格好や言動を して反抗する……こういう固定した見方で見てしまうのである。 ところが, 最近の子どもたち はそういう見方では捉えられなくなってきている。 そういう見方では, もはや非行少年は理解 できなくなってきているのである。 「普通の生徒」 とはまさにこの問題を我々に突きつけてい ると思われるのである。

このことから私はまず何を言いたいかというと, 少年たち一般に, おしなべてグループを形 成する力が弱くなってきているということである。

3 校内暴力の変遷

最近新たな校内暴力の問題がクローズアップされている。 なぜ 「新たな」 問題かというと, かつての校内暴力との質の違いが指摘されているからである。 かつての校内暴力はいわゆるつっ ぱりが集団で反抗したが, 最近の校内暴力は単発型で 「キレる」 といわれている。 つまり気に 入らないことがあると自分をコントロールできなくなるのである。 反抗というよりも感情的な 混乱が強調されており, まるで家庭内暴力が学校で起こっているかのような印象さえ受ける。

グループで行動するという問題ではないのである。

私は, このような現状を 「集団化できない生徒たち」 という言葉でまとめてみたいと思って いる。

4 いまどきの暴走族族の言い分

さてここで最近の暴走族を取り上げてみたい。

かつて暴走族は大集団で走ったものである。 ところが最近はこじんまりとしたグループが目 に付く。 私はこのような暴走族諸君にこんなふうに尋ねてみたことがる。

「どうして君たち大集団で走らないの?」 すると, どういう返答が返ってきたかというと,

「かったるいから」 という返答が返ってきた。 要するに, 「オレら気の合う仲間だけで気ままに 走りたいんだよ」 というわけである。 暴走族といえば, アタマ, つまりリーダーがいて, 切り 込み隊長がいて, 何々がいてと, いろいろと役割を分化させていたものである。 そしてそうい う大集団になると, また様々な制約が生じる。 いついつ集まれ, ああしろこうしろ, こうする な……今時の暴走族たちはこういう制約が 「かったるい」 というのである。 要するに 「先輩か

(3)

ら一々指図されるのは嫌だ」 だから 「仲間だけで気儘に走るのが一番」 と, こういうことにな るらしい。 これをどう考えればよいのだろうか。

5 不良の古典とニュータイプ

かつては, 不良といえば, 先輩後輩, そういう上下関係の秩序を非常に重んじたものである。

こういういわば古典的な不良集団は, 居住地, とくに地元の中学校を中心に形成される。 とこ ろが最近の不良のなかには, こういう集団に入るのが嫌だという連中も目に付く。 「先輩に指 図されたくない」 というのである。

その一方で, あたらしい不良集団, つまり都市型の不良集団が出てきている。 「チーム」 で ある。 そこに入っている少年たちは 「チーマー」 といわれる。 これは前者 (古典的な不良集団) とは形成の形態が異なる。 居住地で形成されるのではなく, 人が集まってくる大きな駅や繁華 街を中心に作られるのである。 いろいろなところに住んでいる少年たちが集まってきて作るわ けである。 だから人間関係は希薄である。 したがってその分残酷なことができたりもする。 と ころが, この両者のどちらにも属することができない, いわば集団行動がとれない生徒達が数 多くいることに注目したい。 要するに, チーマーに加えてもらう勇気もなければ, 地域の先輩 後輩の上下関係に縛られることも拒むという連中である。 彼らは問題を抱えていないとはかぎ らない。 しかし, 集団化しないので 「非行少年」 として目立たないのだ。 そのような子ども達 が問題を起こすとどうなるか。 「普通の生徒達」 と表現される可能性があるのではないか。

6 子ども部屋をのぞいて驚いた父親

さてもう少し年齢を下げて小学生に目を向けてみよう。 最近の小学生はギャング・エイジを 経ない子どもが増えているという指摘がある。 ギャング・エイジというのをご存じだろうか。

これは, 子どもたちが小学校の高学年頃に至ると, 同性同士で親密なグループを形成する。 そ ういう時期のことをいう。 今まで, 親のいうことを従順に聞いていた子どもも, 親のいうこと よりも, グループの取り決めのようなものの方を重要視する。

例えば今まで母親が 「4時には返ってらっしゃい」 といえば, 「はーい。 ママ」 と, それに 従っていた子が, グループの仲間からこんなことを言われる。 「なんだ, おまえ4時に帰んの かよ, 5時まで遊ぼうってみんなで約束したじゃないか」 当然この子は困るわけで, 今帰ら ないとママに叱られるけどナ……今帰ると仲間外れそうだしナ……困ったナ 結局 いいや, ママには悪いけど5時まで遊ぼう とまあ, こんなふうになるわけである。 これは社会性を身 に付ける上で, 大切な要素も有している。 ところがファミコンなどの遊び方の変化や塾通いな どの生活の変化から, このギャング・エイジを経ない子どもが増えてきたと言われているので ある。

さて, ある父親が自分の息子である小学校5年生の男の子についてこんな話をしてくれたこ とがある。

(4)

「先週の日曜日, 子どもの部屋に友だちが4人遊びに来たんですよ。 で, 私がおやつを持っ て行ってやったんです。 そしたら, びっくりしました」 どういうことかというと, 「みんなバ ラバラなんですよ。 二人くらいは別々に漫画よんでる。 ひとりはゲームやってる。 ひとりはテ レビ見てるという具合で。 要するに同じ場所にいるっていうだけで, 全員が別々のことをして いるんです」 と, このお父さんはたまげたとおっしゃるのである。 そして, 「こういうの, 一 緒に遊ぶっていうのでしょうか」 と首を傾げられるのである。 なるほどもっともな疑問である。

おそらく, 現代では, 多くの親御さんたちが似たり寄ったりの体験をされているのではないだ ろうか。

7 キレるということと, 切れているということ

また, 最近の子どもは喧嘩をしなくなったという指摘もある。 こういうことは何を意味する かというと, 子どもたちは深い対人関係を体験できなくなっているのではないかという疑問で ある。 私には, これが集団を形成できないひとつの原因だと考えている。 そして, こういう状 況は, 何を生み出すかというと, 孤立した子供たちを作り出すわけで, そうなると, 子どもは 腹を割って話をする場がなくなるのではないだろうか。

例えば, 教師から注意されるとする。 我々の中学生時代でも, 先生から注意されたりすると, 友だち同士で 「あの先生, 頭にくるな, ぶん殴ってやりたいな」 などと言ったこともあった。

しかし, 実際に殴ることはなかった。 要するにそういう会話の中で鬱憤を晴らしたのだ。 とこ ろが, 腹を割って話をする場がないと, どうなるだろうか。 こういうふうに友人との会話の中 で鬱憤を晴らしたりすることもできなくなるのではないだろうか。

こういうことも, 短絡的にキレることの一因のように思われるのだ。 つまり, 怒りや悲しみ などを吐き出し合う人間関係がないのではないかという疑問が起こってくるのだ。 そう考える と, 「キレるのは, すでに (人間関係が) 切れているからだ」 「切れているからキレるのだ」 こ んなふうにも思えてくるのである。

8 成田離婚と 「キレる」 ことの関係

こういうことは成田離婚とも関係してる。 意外かもしれないが, 若年夫婦の離婚事例に接す ると, こういうことを感じるのである。 成田離婚とは, 新婚旅行のような, きわめて早期に結 婚生活が破綻してしまうことをいう。 このような若年夫婦を見ていると, この人たちはこれま でに深い人間関係を持たないで成人になってしまったのではないかと痛感させられることが多 い。 恋愛というものはある種, お互いの幻想のような中で進展する。 お互いに, 相手を美化し, 相手に自分の願望を投影しているから, 相手は実物よりはるかに素晴らしく見える。 まさに恋 愛で熱くなってしまうわけである。 これも大事なことだろう。 ところが結婚して新婚旅行に行 く段階になると, 地に足が付いて, 現実的になってくる。 そして, お互いに汚いところが見え てくるわけである。 すると, もう駄目なのだ。 もう耐えられない, それで, 結婚生活が破綻……

(5)

このような結果に至るのである。 こういう夫婦を見ていると, この人たちは今までに, 深い 人間関係を体験してこなかったのではないか と思わざるを得ない。 深い人間関係が扱えない のである。 人間関係が切れやすいという点ではまさに共通しているのである。

9 凶悪事件の舞台裏

このように対人関係がもてないことは, 非行の凶悪化や冷酷化ともつながっている。

最近の非行は凶悪化している, 冷酷化していると言われる。 ただ字づらだけでみれば, けし からん, 取締を強化しようというような紋切り型の発想しか出てこない。 しかし, 現実はそれ ほど単純ではない。

ある凶悪事件の舞台裏を紹介してみたい。 これは非常に冷酷な事件である。 年配の女性が歩 いていたところ, うしろから少年が近付いてきて, いきなりその女性の頭を棒で殴打して財布 を奪ったのである。 「いきなり殴打」 である。 どうだろうか。 凶暴そのものではないか。 とこ ろが, この少年の実態はというと, 凶暴なイメージとかなり違っているのである。 口数が少な くて, ひ弱そうな少年なのだ。 そして, じっくりこの少年をみていくと, なぜ, この少年がこ んなことをしたのか納得するに至った。 想像がつくだろうか。

要するに, この子には話術がないのである。 話術である。

恐喝という行為をご存じだろうか。 具体的にどのように行われるか知らない人も多いと思う ので, 少々, 解説を試みることにする。 まず, 相手に声を掛ける……

「よう, ちょっと金貸してくれよ!」 貸してくれと言っても, 返すつもりは毛頭ない。 しか し, 一応貸してくれと言うのである。 そして, すごみをきかせる。 すると相手は恐怖心にから れて金を出すという寸法である。

ところがいつもそううまくいくとは限らない。 「そんな, 金持ってないです」 などと言って すんなり金を出さない相手もいるわけである。 そういうときにはどうするかというと, 例えば である。 「そんな綺麗な鞄もってんじゃないか。 金がないわけないだろ。 黙って出せよ」 とい うようなことを言って, またすごむのである。

おわかりだろうか。 こういう 「やり取り」 をするのである。 会社員でいえば, 営業活動であ る。 ところがこの少年は, こういう営業活動ができないのである。 そのために, 「いきなり殴 打」 という 「冷酷な」 展開になるのである。 冷酷と言えば冷酷だが, 少しニュアンスが違うの がおわかりになるだろうか。

単に冷酷化していると言えば, 取締を強化しようということになるのだが, どうだろう。 そ れでこの問題は解決するといえるだろうか。 この少年に必要なことは, 対人接触の仕方をしら ないことや, 対人交渉ができないことへの手当てではないか。 つまり, ソーシャル・スキルや コミュニケーション技能についての手当てである。 そして, そういうふうに問題を捉えていく 方が, この少年の非行はよく理解できるし, 指導法も見えてくるのではないだろうか。

このように児童や生徒たちは孤立化し, 濃密な人間関係がもてなくなっていることを述べて

(6)

きた。 私は, このような, 子どもたちの孤立化や社会性の欠如が昨今の青少年のこころの荒れ の背景にあると考えているのである。

10 どのような教育が必要か

では, 子供たちのケアには何が必要か, どんな指導が求められるのか。 このことに話を進め たい。 私は三つの方向のケアが必要だと考えている。

ひとつは, 深い人間関係を樹立する指導。 二つ目は社会化の促進。 そして, 三つ目は, 表現 教育である。 今の子どもたちは, それこそ 「むかつく」 「キレる」 ではないが, 非常にあいま いな表現を多用する。 自分の気持ちや考えをきちんと言葉で表現できるようにするということ。

これはコミュニケーション技能を高めるのみならず, フラストレーションの低減という点でも 大きな意味を持つと思うのである。 私なりのささやかな問題提起である。

参照

関連したドキュメント

 終章「抵抗と包摂のコミュニティ実践」では、東九条におけるコミュニティ実践の集積は人間としての尊

4 H30 児童家庭福祉 AP 後・地

を回顧するとき,そう信ぜざるをえない.この確からしい事柄は,悲痛であると同時に,限

ものからは,政策の具体的展開としての社会福祉施設や方法に関し,政策批判の視点を貫ぬく分

つぎに、人間とは何と言っても「考えるいのち」だと言うことができ

能不全に陥っていると考える.そのため新自由主

婚活支援に関しては,少子化対策に直結するか不明確という意見や,結婚は当人同士,個人の意思であるという意見も存在するが,婚

Ⅰ.問題と目的  近年,子どもが学校に行かないという現象のとらえな