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ディアスポラ・コモリエンヌによる海外送金と家族 戦略

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ディアスポラ・コモリエンヌによる海外送金と家族 戦略

著者 花渕 馨也

雑誌名 北海道医療大学人間基礎科学論集

号 44

ページ 1‑21

発行年 2018‑11‑30

URL http://id.nii.ac.jp/1145/00064645/

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ディアスポラ・コモリエンヌによる 海外送金と家族戦略

花 渕 馨 也

北海道医療大学看護福祉学部・大学教育開発センター

Remittances and Household Strategies of "Diaspora Comorienne"

Keiya HANABUCHI

Abstract:In anthropological perspective, family remittances are not only economic behaviors but also so- cial transactions that build family ties and create new transnational relationships. This article explores the relationship between remittances and household strategies of the “Diaspora Comorienne” in the transna- tional space through a case study approach.

Key words:Diaspora Comorienne, Remittance, Household strategies, Transnational motherhood

はじめに

世界銀行によれば,2017年に世界の外国人労働者約2億6600万人が,母国の発展途上国に送金し た額は約4660億米ドルに上る。送金額の大きさではインド,中国,フィリピン,メキシコなどの大 きな新興国が上位を占めるが,対GDP比では,人口が少なく,経済規模も小さい貧しい国々が上位 を占める。

東アフリカの極小島嶼国家であるコモロ連合国もその一つである。フランスに多くの移民を送出 しているコモロでは,2000年代になり海外送金の額が急増し,2016年には海外送金額の対GDP比が 約21.2%となり,国家経済だけでなく,社会構造や伝統文化,人々の日常生活にも大きな変化をも たらしている。

移民による海外送金に関する研究は1980年代に登場し,2000年代になると,海外送金が発展途上 国の貧困削減や開発において果たす役割に注目が集まり,世界銀行やOECDなどの国際機関による 取組みが始まるとともに,開発経済学の分野において研究が盛んになった。開発経済学の研究で は,量的調査と統計的分析に基づき,海外送金が発展途上国の貧困削減や開発にもたらす正負の影 や,政策決定にも関わる海外送金の動機が主なテーマとして議論されてきた。

経済学的な海外送金研究の多くが,海外送金のフローや生産性といった経済的有用性の側面に焦 点を当てるのに対し,移民研究を背景とした社会学や人類学の分野における海外送金の研究では,

海外送金を単に金銭的授受としてではなく,送金者と受給者のやり取りを一種の「贈与」や「互酬

海外送金が開発にもたらす影響については,NELM(New Economics of Labor Migration)などの労働移動の理論モ デルに基づき,当事者間の直接的な援助である海外送金が有効な「下からの開発援助」として評価される一方で,

「海外送金依存」や「オランダ病」といったモラル・ハザードや「頭脳流出」など負の側面も指摘されてきた(Cf., de Haas 2005, 2007, Rapoport & Docquier 2006, Salomone 2006)。

平成30年8月30日受理

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的交換」として捉え,より広い社会的文脈における「取引き」transaction)の社会的実践を通じて 構築される「社会関係」(social relation),およびその義務と責任をめぐる道徳的側面に焦点を当て てきた(cf., Åkesson 2011, Carling 2014, Cligett 2003, 2005, Cohen 2011, Piot 1999)。

移民による海外送金は,故郷に残した家族の生活のために必要な金銭を送るという行為であるだ けでなく,空間を隔てた家族が,金銭を媒体として,トランスナショナルな関係を構築し,維持 し,調整し,更新するといった「家族戦略」ともいえる実践の全体にかかわっている。本稿では,

このような視点から,フランス在住のコモロ人移民による海外送金を通じたトランスナショナルな 家族戦略の実践的方法について,ある移民女性の事例検討から,特に母子関係に焦点を当てて考察 してみたい

1.ディアスポラ・コモリエンヌ

コモロ諸島は,東アフリカのモザンビーク海峡に浮かぶ4つの島々,グランドコモロ島(Grande

Comore),アンジュアン島(Anjouan),モエリ島(Mohéli),マヨット島(Mayotte)から成り,フ

ランスが実質的に統治し,現在はフランスの海外県であるマヨット島を除く3島がコモロ連合国に 属している。3島の面積は1,862!,人口は806,200人[2016]である。コモロ諸島に住む人々は コモロ人(wakomori)と呼ばれ,コモロ語を話し,ほとんどがイスラーム教徒である。

19世紀まで,コモロ諸島は複数のスルタンによって統治されていたが,19世紀半ばからフランス に植民地化され,1975年に独立を果たした。しかし,その後は度重なるクーデタや分離独立紛争な どにより政治的混乱が続き,経済的発展も遅れてきた。資源に乏しく,クローブやバニラなど香料 の原料となる商品作物の輸出以外に産業が発達していないため,ほとんどの住民は自給自足的な農 業や漁業によって生活している。GDPは6.17億米ドル,一人当たりGDPは744.78米ドル[2016],

人間開発指数HDIは0.498で160位/188ヵ国中[2015]と,アフリカの中でも特に開発が遅れてお り,国連により「後発開発途上国」LDC),かつ「小島嶼開発途上国」SIDS)に指定されている。

コモロの経済的貧困とグローバル化の進展を背景として,20世紀半ばから,経済的豊かさを求め てフランスへ移動する人々が次第に増えてきた。植民地時代の1940〜50年代,インド洋とヨーロッ パを結ぶ海運会社で働くコモロ人航海士が,マルセイユやダンケルクなどフランスの港町に移住す るようになったのが最初期のコモロ人移民だとされている。その後,1970〜80年代にかけて,現金 収入を求める男性の単身出稼ぎ移住や学生の留学が徐々に増加した。1990〜2000年代には,家族呼 び寄せにより女性や子供の移住者が急激に増加し,フランス生まれの移民2世や3世も多くなって きた(Slimani−Direche et Le Houérou 2002, Vivier 1996)。

現在,フランスには「ディアスポラ・コモリエンヌ」(Diaspora Comorienne)と呼ばれる20〜30 万人のコモロ人移民が住んでいるとされており,彼らの90%以上がグランドコモロ島出身者である

(Abdillahi 2011, FIDA 2007)。コモロ人移民の多くはパリやマルセイユ,リヨンなど都市部に集中 し,最も古い移住地であるマルセイユには推計8万人が住んでいるとされる。現在では,移民2世 や3世の世代が増えてきており,コモロ人移民の80%はすでにフランス国籍を取得していると推定 されているが,新たに非合法なルートで移住してきた,滞在許可証をもたない非正規移民も多くい

本稿は,マルセイユでの調査(2010, 2011, 2012, 2014, 2016, 2018),およびグランドコモロ島での調査(2012, 2014, 2015, 2017)に基づいている。本研究は日本学術振興会・科学研究費補助金(研究課題番号:JP21520827, JP15K 03050)による助成を受けた。

1975年の独立以来,コモロはマヨット島の領有を主張しており,実効支配を続けるフランスと係争中である。

Diaspora という呼称は,「海外在住者」という広い意味で2000年代になってよく使用されるようになり,今では

コモロ人移民一般を指す言葉として定着している。

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る(Abdillahi 2011, Katibou 2011)。

2.海外送金の増加と影響

ディアスポラ・コモリエンヌは故郷の家族や村と強いつながりを維持しており,その媒体となっ ているのが「海外送金」(remittance)である。コモロ人移民による故郷の家族や村への海外送金は 2000年代になり急激に増加し,コモロ国家の経済に大きな影響を及ぼすようになっている。West-

ern UnionMoney Gramなどグローバルな海外送金業者がコモロに進出するとともに,送金手数料

を引き下げる国際的な取り組みなどにより,公的ルートによる海外送金も増加してきてはいるが,

全体の75〜80%は旅行者を介した現金の手渡しなどインフォーマルなルートによる送金だとされて

いる(Katibou 2014)。「海外送金」に関する近年の議論では,公的なルートによる海外送金に加

え,インフォーマルな送金だけでなく,物資の援助,投資や不動産の購入,移民の帰国時における 消費なども含める場合が多いので,本稿でもそのように広義の意味でこの言葉を用いることとす る。

アフリカ開発銀行(BAD 2008)やコモロ中央銀行(BCC 2008, 2014)の推計では,1985年から 1995年の10年間で,海外送金額は推計200万米ドルから480万米ドルに増加し,2000年から2005年の 5年間には,3125万米ドルから7900万米ドルと2倍以上に増加した。2013年には1億4700万米ドル に達し,その額はGDPの25%,海外からの開発援助であるODAの380%に相当する。対GDP比で は,世界で8番目[2016],アフリカでは4番目[2015]であり,極小島嶼国家であるコモロの国 家経済における海外送金の影響力はきわめて大きくなっている。

海外送金の大部分を占めるのは,移民個人から故郷の家族への送金である。アフリカ開発銀行の 調査によれば,送金者の66%が非熟練労働者,10%が退職者,8%が無職や一時雇用労働者であ り,多くの移民は給与が低く,不安定な経済状況にありながら,年に平均7回,月に収入の10〜

15%にあたる100〜160ユーロを故郷の家族に送金している。グランドコモロ島の多くの世帯が移民 を送出しており,1世帯には平均して2名の送金者がおり,一世帯あたり年間平均2460ユーロを受 け取っているとされる(BAD 2008, Abdillahi 2011)。

また,海外送金には個人による家族への送金だけでなく,コモロ社会の基本的単位である「村」

(mdji)や地域を受給者とした集団による海外送金も含まれる。90年代以降,同じ村出身による移 民の「同郷組合」(association)が組織され,故郷村への援助活動を活発に行うようになった。同郷 組合は定期的に募金のためのイベントを開催し,道路,電気,水道などのインフラの整備や,学校 や診療所,図書館,公共広場,モスクなどの建設,学用品やサッカー用品などの寄贈など,国に代 わって村や地域の公共事業のほとんどを担っている(花渕2008)。また,火山噴火やサイクロン,

水害,コレラの流行など災害が発生した時には,有志の募金活動により多額の支援金が送られるこ ともある(Abdillahi 2011)。

このように現在のコモロ社会では,それ無くしては日常生活が成り立たないほど,海外送金は経 済的に大きな位置を占めており,その影響力は経済的側面にとどまらず,人々の社会や文化を大き く変えつつある。特に,移住により離ればなれで暮らす家族にとって,海外送金は単に経済的支援 なのではなく,家族のつながりと関係性に大きく影響する実践となっている。

3.ファミリーヒストリーと収入

移民個人による家族への海外送金は,移民先と故郷のふたつの社会のあいだで,家族が生き残 り,つながりを維持し,豊かになり,社会的に成功するための,状況に応じた「家族戦略」に利用

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されている。以下では,ザイナバ(仮名)という一人の移民女性と家族のライフヒストリーを事例 として,海外送金と家族戦略の実践について検討したい

本稿が個別事例を取り上げるのは,経済学的な統計的一般化や機能的説明への還元によって取り こぼされる事実を掬い取り,状況に応じた選択としての海外送金の実践と,それによって生じる社 会関係の関係性について,できるだけ具体的な相において捉えてみたいからである。筆者はこれま で26名のコモロ人移民からライフヒストリーについて聞き取りを行ってきたが,最も長期にわたり 詳しく話を聞いてきたのがザイナバとその家族である。ザイナバの事例は,コモロの海外送金に関 する開発経済学による研究や社会学的研究などが示す一般的傾向やパターンと一致する典型的な 事例であるとともに,家族戦略の具体的な実践のダイナミズムがたいへんよく表れている事例であ る。まずは,ザイナバがグランドコモロ島の村からマルセイユにたどり着くまでの家族のヒスト リーを,時系列に沿って,世帯構成と収入の変化に焦点をあててまとめておきたい

グランドコモロ島からマヨット島へ

ザイナバはグランドコモロ島の出身で,9人の子供をもつ50歳代前半の女性である。2018年の時 点で,彼女はフランスのマルセイユ郊外のHLM(公的低家賃住宅)で,夫と3人の子供,娘 婿,3人の孫とともに暮らしている。

ザイナバは,まだコモロがフランスの植民地だった1968年に,グランドコモロ島の南西部にある 小さな漁村S村で7人キョウダイの次女として生まれた。父親は漁師であり,家族の畑でとれる調 理用バナナやキャッサバなどの作物と,魚を売ったお金で一家は暮らしていた。

1980年,ザイナバは父親が決めた男性Aと12歳の時に最初の結婚をした。コモロは妻方居住婚の ため新居は母方の屋敷であり,そこで長男と次男を産んだ。しかし,5年後,夫が突然家を出てし まい離婚する。その後,ザイナバは別の村出身の男性Bと再婚し,3男を生むが,子供が生まれる とすぐに男は彼女の元を去ってしまい,それ以来,子供を見にくることも一切無かった。

1988年,ザイナバはフランス資本の香料会社で運転手をしていた村の男性Cと3度目の結婚を し,4男,5男と,長女を生む。もう一人女児が生まれたのだが,その子は幼くして死んでしまっ た。夫Cの給料は月に30ユーロほどしかなく,生活は苦しかったが結婚生活は6年あまり続い た。しかし,夫Cが村の年齢階梯制度に基づく「アンダの大結婚式」(後述)を行うために,別の女 性を2人目の妻10として娶りたいと言いだしたことで喧嘩になり,結局1994年に離婚する。

当時,ザイナバは26歳でまだ若かったが,6人の幼い子供を抱え,生活は困窮した。元夫たちか らの養育費の援助は一切なく,わずかな畑の収穫と親族の援助を頼りに暮らしていた。父親は1990 年に亡くなり,母親もすでに高齢であり,兄弟姉妹もみな貧しかった。コモロには女性の雇用はほ とんど無く,彼女には子供たちを育てる手段が無かった。そこで,ザイナバは姉と相談し,姉が自

インタビュー内容の使用については本人の同意に基づいているが,匿名性を保つために,本稿に登場する人物名は 全て仮名にしている。

コモロ人の経済学者Imani(2008, 2011a, 2011b)とKatibou(2011, 2014, 2015)の研究は,海外送金がコモロの開発 に及ぼす影響について計量的分析に基づき検討している。

Andillahi(2011)は,コモロとフランスでのアンケートおよび聞き取り調査により,海外送金が村社会に与えてい

る影響の実態について記述的に明らかにしている。

より詳しいザイナバのライフヒストリーに関しては,花渕(2014a, 2014b)において記述している。

コモロの通貨は「コモロ・フラン」(kmf)であるが,フランスからコモロへの海外送金はほとんどユーロで行われ ており,ザイナバの聞き取り調査でも金額はユーロで語られていたので,以下の記述ではユーロ単位を用いる。ま た,金額はすべておよその金額である。

10イスラーム社会であるコモロでは,男性は法的に4人まで妻を娶ることができる。

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分の1人娘とともにザイナバの6人の子供の世話をしてくれると言うので,姉に子供たちを預け,

出稼ぎのために仏領マヨット島へ渡ることを決断した。

1980年代以降,コモロからすぐ隣りの仏領マヨット島に渡る人々が増え始め,1995年に,フラン スが島間の国境を封鎖し,渡航にヴィザを課すようになってからは密航者が急激に増加するように なった。コモロの経済が停滞する中で,「マヨット島に行けば仕事があるし,フランスに渡るチャ ンスもある」という噂話が流通し,多くの若者が希望を抱いて海を渡ったのだ。その中には,女性 も多数含まれており,ザイナバのように子供を置いて出稼ぎに出る母親も珍しくなかった(花渕 2006, 2014a)。

1995年,密航業者を介し,隣のアンジュアン島から小さな密航船でマヨット島に渡ったザイナバ は,運良くすぐに仕事を見つけることができ,80歳近い高齢男性Dの家で,月に150ユーロほどの 給料で家政婦として働くようになった。その後,この男性と結婚し,1年足らずで離婚したが,離 婚した時に男性の子供を妊娠しており,1996年に7番目の子として次女を出産する。

同じ年に,故郷の母親が亡くなるが,滞在許可証をもたない不法滞在者であるザイナバは葬式に 帰ることができなかった。しかし,その後,離婚した男性Dが娘の出生届を出すことを承諾したた め,出生地主義を原則とするフランスで子供を産んだ母親の権利として,ザイナバは10年の滞在許 可証を取得することができた11

離婚した夫Dから養育費の支払いは無く,娘の出産後すぐに,ザイナバはマヨット島の病院に勤 務するフランス人看護師の家で家政婦として働くようになった。1996年から2003年にかけての約7 年間,月に約200〜500ユーロの給与を得ることができ,その収入で生活していた。共同で借りてい た部屋の家賃50ユーロ,食費その他を100ユーロ以下でやりくりし,残りのお金を故郷の子供たち への送金と貯蓄にあてていた。

マヨット島からマルセイユへ

フランスの滞在許可証を取得し,定期的な収入を得ることができるようになったザイナバは,新 たな移動について考えるようになる。1998年,長男をマヨット島に呼び寄せたザイナバは,息子と 2人で話し合い,フランスへの移住計画を立てた。2000年,ザイナバが渡航費用を捻出し,まず長 男がフランスに渡った。長男は,ザイナバのイトコである遠い親戚を頼りにマルセイユに住むよう になった。

2001年,ザイナバはマヨット島に渡ってから初めてS村に一時的に帰郷し,6年ぶりに子供たち に再会した。この時,子供たちの面倒をみていた姉と話し合い,ザイナバがフランス本土に行き,

働いてお金を送り,そして,いずれ子供たちをフランスに呼び寄せるという家族移住の長期計画を 決めた。マヨット島に戻ると,ザイナバは家政婦の仕事を続け,S村の子供たちへ送金するととも に,節約してフランスへの渡航費用を貯蓄した。

2003年,ザイナバは次女とともにフランス本土に渡り,マルセイユで小さな部屋を借りて,長男 と3人で暮らすようになった。長男はフランスに来てから3年あまり無職であり,全く収入が無か ったので,ザイナバはすぐに仕事を探し始める。月額600ユーロが支給される6ヶ月間の公的就業 研修を受けた後,2004年に家政婦としての仕事に就き,月額800ユーロの給与を得るようになっ た。フランスで定期的な収入を得ることができるようになったため,ザイナバは故郷の子供たちへ

11「出生地主義」(droit du sol)を原則とするフランスのマヨット島で子供を産むことで,女性と子供はフランスの滞 在許可証,あるいはフランス国籍を取得することができるようになるため,1990年代から,妊娠した女性がマヨッ ト島に密航して子供を産むケースが急増した(花渕2006, 2014a)。

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の仕送りを増やすことができた。

2005年,フランスで生活するための手続きを役所に相談しに行った先で,ザイナバは相談員をし ていたコモロ人男性Eと出会い,結婚し,2005年に6男,2008年には3女を出産した。男性はレス トランの皿洗いの仕事で給与を得ていたが,結婚以来ザイナバに生活費を渡すことは一度もなく,

それは,62歳で年金受給者になってからも同じであった。

この男性Eとは,フランス式の婚姻届による結婚ではなく,コモロ式のイスラーム法に基づく結 婚であったため,フランスの法律上ザイナバは単身者であり,子供を産んだ場合には,まず出生一 時金として国から1,000ユーロほどが支給され,さらに公的扶助として,母子世帯への「家族手 当」(Allocation Familiale)の受給資格を得ることができた12。2005年に6男が誕生したことで,家政 婦の仕事は辞めたが,無職の母子世帯への家族手当として月額1,200ユーロと,住宅手当として月 額400ユーロほどが支給された。さらに,2008年に3女が誕生すると,家族手当が加算され,月額 1,500ユーロを受け取ることができた。ザイナバにとって,この家族手当は海外送金のための大き

な資本となった。

2012年には,次女が16歳,3女が4歳になったため家族手当の支給額が減り月額800ユーロとな る。そのため,2013年から,月額600ユーロの給与で家政婦の仕事をはじめたが,1年ほどで失業 する。2016年には,さらに家族手当が減額され月額400ユーロになったため,2017年に,月額600 ユーロの給与で家政婦の仕事を再開した。

以上,2017年までの家族の移動と収入について見てきたが,子供たちの成長にともない,家計状 況も変化してきた。長男は,2005年に滞在許可証を取得後,2006年から大手スーパーで契約社員と して働き始め,月に1,200〜1,300ユーロの給与を得るようになった。ザイナバの扶養を受けずに生 活できるようになり,2009年には結婚して別々に暮らすようになった。

次男は,ザイナバからの支援によって,2004年から2006年までセネガルの大学に留学した。セネ ガル留学後はコモロで国会の事務職として働いていたが,仕事を辞め,2015年から2017年まで,再 びザイナバの支援を受けてハンガリーの大学に留学した。2016年にS村出身の女性と結婚し,2017 年にはフランスに移住し,妻と子供と3人でパリに住んでいる。滞在許可証はなく無職であり,妻 の母親の収入で暮らしている。

4男は,2010年にザイナバの支援を受けてコモロからマルセイユに移住し,長男の家に居候して いたが,2013年に結婚して独立した。2人の子供をもつが,まだ無職であり,妻子の家族手当で暮 らしている。

マヨット島生まれの次女は,2014年にS村出身の男性とマルセイユで結婚し,現在3人の子供が いる。ザイナバと一緒に住んでいるが,夫は警備の仕事をしており,家族手当の支給も受けている ので家計は独立している。

その他の子供たち,長女,3男,5男はコモロのS村にとどまっている。長女は従姉(ザイナバ の姉の娘)の家で暮らし,中学校を中退して家事手伝い。3男は専門学校を出て広告印刷業を起 業。5男は建築業の労働者である。ザイナバはたびたび彼らに海外送金している。

支出については,世帯構成の状況により時期ごとに異なる。2018年時点において,ザイナバは3 LKの公共アパートに夫と次女とその夫と3人の孫,6男と3女,合計9人で住んでおり,家賃が 540ユーロだが住宅手当が402ユーロ支給されているので実質的に138ユーロ,電気代90ユーロ,ガ

12婚姻に関するフランスとコモロとの法律上の違いを利用し,コモロ人移民女性が子供を産み,一人親世帯として家 族手当を受給する方法は広く行われており,生活のためだけでなく,海外送金のための資本獲得手段にもなってい る(花渕2014b)。

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ス代90ユーロ,電話とインターネットプロバイダ代50ユーロ,食費200〜300ユーロほどで生活して いる。また,毎年100ユーロほどを,S村出身者の同郷組合による故郷への援助活動に募金してい る。

「夫はお金をくれないし,生活は大変です。夫は,故郷にいる元妻と子供にお金を送っているの です。私には一度も,食費さえくれません。だから,生活はとてもきついです。食費に困ることさ えあります。 … フランスに呼び寄せた子供たちは何とかやっています。でも,まだコモロに子 供たちがいますし,お金が必要なんです。朝4時に起きて,いくつも地下鉄と路面電車を乗り継い で仕事場に行くのは大変ですが,お金を貯めるためには働かなければなりません。もう,子供も産 めませんし。」 筆者がザイナバへの聞き取りをはじめてずいぶんになるが,インタビューのたび ごとに,生活費をくれない夫と生活のたいへんさについて,ザイナバの愚痴をくり返し聞かされて きた。

4.遠距離家族をつなぐ方法

マヨット島で家政婦の仕事に就き,収入を得るようになると,ザイナバは故郷の子供たちのため に,毎月のようにお金と小包を送った。封筒に入れたお金を小包とともに,船便でマヨット島から グランドコモロ島へ行く人に託して運んでもらい,姉が首都モロニの港でそれらを受け取った。金 額は50ユーロのときもあれば,200ユーロのときもあり,姉が生活費として管理していた。子供た ちの学費や医療費など特別な出費が必要な時には,姉が手紙や電話で知らせてきたので,ザイナバ はその要求にできるだけ応えた。小包には,子供たちの衣服や学用品などを詰めて送り,少しお金 に余裕ができた時には,中国製のテレビや冷蔵庫を送ったこともある。

多くの場合,コモロ人移民による海外送金の第1の目的は家族の扶養である(Abdillahi 2011)。

コモロでは,雇用がほとんどないにもかかわらず,工業製品だけでなく食料品や日用品などの輸入 依存率が高いため,現金収入がないと生活できない状況にある。家族に移民がいる多くの世帯は,

日常の食料や日用品の購入,電気代や医療費など,生活費のほとんどを海外送金に依存している。

家族からの要求に応えて,中古の自動車やバイク,テレビや冷蔵庫,スマートフォンなど高価な製 品が,送られることもしばしばある。

また,海外送金は子供たちの教育費として,家族戦略上の重要な役割を果たしている。教育は,

子供にチャンスを与えるだけでなく,学歴により子供がよい仕事に就くことが,家族全員の生活の 保障にもなりうるからである。しかし,子供が多い場合,全ての子供に平等に教育費を提供するこ とは難しく,キョウダイの中から選ばれた子供のみがリセ(高校)や大学へと進学することが多 い。

ザイナバの子供たちの場合,次男は海外の大学を修了したが,3男は専門学校,あとの子供たち はみなコレージュ(中学)卒業か,コレージュ中退である。ザイナバによる子供たちへの海外送金 の中でも,次男への教育資金の提供は大きな割合を占めている。次男は学校の成績が優秀であり,

リセを卒業してバカロレアを取得後,2004年から2006年までの3年間セネガルの大学に留学した。

奨学金による留学ではなく,費用を出したのはザイナバである。渡航費用として800ユーロ,学費 として年間2,000ユーロ,さらに生活費として月に200ユーロほどを送金していた。セネガルから帰 国後,次男は国会の事務職員の仕事に就き,給与は月額300ユーロほどであった。コモロではなん とか生活はできていたが,自分の状況に不満を持っており,いずれは海外に行きたいと思ったいた という。次男はザイナバに相談し,再び,2015年から2017年までハンガリーの大学に留学する。こ の時も,留学費用のほとんどはザイナバが負担し,渡航費用として700ユーロ,学費として2,000

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ユーロ,生活費として月額200ユーロを送金した。

3男への海外送金は,学校を卒業後,子供が経済的に自立した生活を築くことができるよう,就 業を支援することを目的としたものだ。3男はコレージュを卒業後,ザイナバの支援を受けて2年 間コンピューターと広告の専門学校に通った後,イベントの案内やチラシなどを作成する自営業を 起業した。そのための設備投資としてのパソコンやプリンタなどの器材,インクや印刷用紙などの 消耗品は,すべてザイナバがフランスで購入して送ったものである。パソコンやプリンタはしばし ば故障し,インクなど消耗品はすぐに無くなるので,3男はたびたびザイナバに電話して,さらな る援助を要請してくる。これまで,総額3,000ユーロ以上は援助しているという。しかし,仕事は 不安定であり,広告業によって得られる収入は少なく,3男もまたフランスへの渡航を考えはじめ ている。

以上のように,ザイナバは子供たちの養育に必要な基本的な生活支援だけでなく,子供たちの将 来のための教育や就業のために多額の海外送金をしてきた。それは,コモロで子育てする母親には 到底稼ぐことができない金額であり,海外でしか稼ぐことのできない収入を得て,遠くに住む子供 たちに送金するという選択は,子育ての経済的可能性を広げているといえるだろう。

しかし,母親の海外移住という家族戦略は,その代償として,母子が離ればなれになり,めった に会うことができない状況を生み出す。グローバル化の進展により,現代の移民は頻繁に移住地と 故郷を往来し,携帯電話やインターネットを通じて故郷の家族と連絡し合う機会も増えてきたが,

実際に移民の家族が顔を合わせることができる時間は限られている13

1995年にザイナバがマヨット島に渡ってから,S村に残してきた子供たちと会う機会はほとんど なかった。当時は,まだ携帯電話が普及していない頃なので,電話も頻繁にはかけることができな かった。長男とは,1998年にマヨット島に呼び寄せて数か月共に暮らした後,2003年にマルセイユ で再会するまで5年間離れていた。その他の子供たちとは,2001年にマヨット島からS村に一時帰 郷したときに6年ぶりに会ったが,1ヵ月ほど共に暮らしただけで,ザイナバは再びマヨット島に 戻った。その次に子供たちに会ったのは,ふたたび6年後の2007年に姉の葬儀のために帰郷した時 である。この時,フランスで生まれた3人の子供たちと,S村で生まれた子供たちが初めて顔をあ わせた。その後,家族全員がS村に集まったのは,5年後の2012年,姉の娘のアンダの大結婚式の ために帰郷した時である。

2018年の時点で,長男と次男と4男がフランスに渡り,ザイナバの近くで暮らしているので,S 村に残っているのは,3男,5男,長女の3人である。彼らは,1995年にザイナバと別れた時には まだ幼く,ほとんど母親の記憶もない。その後,実際に母親と会ったのは2001年,2007年,2012年 の3回のみであり,いずれも短期間である。

ザイナバは,子供たちを育てるために海外で努力してきたが,身近で子育てする母親のように は,子供たちに愛情を注ぎ,子供たちを躾ける,母親としての役割を十分に果たすことができ無か ったことが残念だし,後悔もしていると言う。

しかし,長期間の母親不在にもかかわらず,子供たちはみな,ザイナバを母親として慕い,自分 たちを育ててくれた「よい母親」だと言う。長女は,ザイナバが子供たちに与えてくれたことにつ いて,次のように話してくれた。

「ザイナバは,私たちの生活を支えてくれました。彼女が働かなければ,私たちは生きることが

13例えば,Parreñas(2005)が,インターネットや携帯電話などの媒体の利用を通じた遠距離母子の「親密さ」(inti- macy)の構築について分析しているように,現代の電子通信機器を通じた,言葉の交換による関係性の構築は重要 であるが,本稿では,海外送金以外のコミュニケーションについては対象としない。

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できなかったのです。彼女は働いたお金を,私たちに送ってくれました。 … 毎月ではないです が,50ユーロ,100ユーロ,200ユーロのときもありました。そのお金で,私たちは食べることがで きたし,学校に行くこともできたのです。 … 冷蔵庫やテレビなども送ってくれましたし,イデ ィの日(イスラームの記念日)には,私たちのためにきれいな衣服を送ってくれました。すべて,

すべて,すべて,母が送ってくれたのです。 … ですから,ザイナバは私たちの母親なのです。

フランスに行っても,常に私たちの母親でしたし,今でもそうです。 … 私もいつか,フランス に行き,母と一緒に暮らしたいと思っていますが,そのためには,まだ時間がかかりそうです。」

彼女の語りからも,子供たちが,ザイナバと強い紐帯をもっており,海外送金を通して子育てし てくれたことに対し感謝していることがわかる。ザイナバが,長期間に渡り,ほぼ毎月のように子 供たちのために海外送金を続け,子供たちに多額の支援をしてきたことが,親子の結びつきを維持 してきたのだ。

遠く離ればなれに暮らす母と子の間の距離と時間を埋めるための媒体として,贈与としての海外 送金は,単に経済的支援であるだけでなく,母子の関係を結び,維持するための重要な機能を果た している。遠距離の関係は,身近に互いの状況を観察することができず,限られた情報の中で互い を思い合う関係であるため,切断の可能性も潜在する不安定な関係となる。そのため,関係を維持 するためには,海外送金という贈与を継続することで,相互の関係を確認し合い,関係性を更新す る必要があるのだ。また,何年も会っていない母親からの海外送金という贈与には,通常の母子関 係以上の,特別な意味が与えられ,より強い思いや感情が伴うものになりうると言えるだろう。海 外送金という贈与を通じて,ザイナバと故郷の子供たちは,トランスナショナルな母子関係を維持 し,その親密な関係性を再構築してきたのである。

5.家族再結合の裏技

コモロ人移民による海外送金は,家族の扶養のためだけでなく,家族をフランスに呼び寄せるた めの費用としても用いられている。先に移住した者が渡航費用を送金し,移民が家族を呼び寄せる チェーン・マイグレーションで,コモロ人移民は増加し,移民ネットワークを拡大してきた。フラ ンス政府による移民規制が厳しくなったため,正規で入国できない者は,購入した他人のパスポー トを利用するなど,インフォーマルな方法での入国も行われている。こうした裏技は,コモロ語で

「取引き」や「商売」を意味する「ムカラカラ」(mkarakara)と呼ばれており,フランスに入国する ためのさまざまな闇取引の情報が流通している。

フランスに入国するためには,渡航費用だけでなく,入国するための手段を購入する費用,ある いは,入国後に正式な滞在許可証を獲得するための諸費用が必要となる。ザイナバは家政婦として 働いた賃金や,母子家庭への家族手当などをやり繰りして貯金し,10年かけて,故郷に残してきた 3人の息子たちをフランスに呼び寄せた。

1998年,16歳の長男をマヨット島に呼び寄せると,二人で相談して,子供たちとフランス本土へ と渡る計画を立てた。まず,ザイナバは長男の顔とよく似たマヨット島の男性のパスポートを300 ユーロで購入し,それをもたせて長男を一旦S村に帰した。それから約2年間,家政婦の仕事で稼 いだお金を貯蓄し,700ユーロが貯まると,それを渡航費用として長男に送った。長男はそのお金 で航空チケットを購入し,2000年にフランスに渡った。

2003年には,ザイナバ自身が次女とともにフランスに渡り,長男と一緒に住むようになった。し かし,長男は滞在許可証をもっていない非正規移民であったため,なかなか仕事に就くことができ なかった。そこで,2005年,ザイナバは臨月間近のコモロ人女性と取引し,生まれてくる子供の

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「出生届」extrait de naissance)の権利を7,000ユーロで購入した。長男は,自分の子供ではない新 生児の出生届に父親として自分の名前を記して役所に提出し,これにより,フランスで生まれた子 供の父親という身分を獲得し,滞在許可証を取得することができた。その後,長男は正規移民とし て大手スーパーの仕事に就くことができた。

この時,ザイナバの収入だけでは7,000ユーロを用意することができなかったので,お金を工面 するために利用したのが,「シコア」(shikoa)と呼ばれる頼母子講である。シコアとは,コモロの 慣習的な互助的金融組合であり,希望者が集まりグループを作り,それぞれが一定の金額を出し合 い,抽選や相談により,順番にその中の1人が集まったお金を全額受け取ることができるというシ ステムである。全員がお金を受け取った時点でシコアは解散する。例えば,10人が集まり,1人が 200ユーロずつ出し合えば,そのうちの1人が2,000ユーロを受け取ることができる。シコアはグ ループの娯楽的楽しみとして行われたり,海外への渡航費用や結婚式など,一時的に多額のお金が 必要な場合に利用される。借金の利子を支払うことなく,お金を融通することができるので,信用 に基づく金融システムとしてコモロ人のあいだで広く行われており,ザイナバもシコアをたびたび 利用してきた。

4男の場合,フランスに来るまでに3年の時間と多額の費用がかかった。コレージュを出てから も,リセにも行かず,仕事もせずぶらぶらしていた息子を心配したザイナバは,フランスに行きた いという4男の要望を聞き入れ,2008年,マルセイユでフランス国籍をもつコモロ人のパスポート を購入し,渡航費用とともに4男に送った。4男はタンザニア経由でフランスに行こうとしたが,

タンザニアの空港で偽パスポートがばれて捕まり,コモロに強制送還された。2009年,ザイナバは 再びパスポートと渡航費を送り,4男はマダガスカル経由でフランスに行こうとして,マダガスカ ルの空港で偽パスポートがばれて捕まり,コモロに強制送還された。そして,2010年,今度はドバ イ経由でフランスに渡り,入国審査官に1,600ユーロの賄賂を支払い,無事に入国することに成功 した。ザイナバは毎回約7,000ユーロほどを4男のために都合し,計3回,21,000ユーロを支援し た。このうち,10,000ユーロはシコアを利用したが,8,000ユーロは民間の金融機関から借り受け て都合し,その借金は2018年になってもまだ返済し終えていない。

次男が2015年からハンガリーに留学したのも,フランスの家族に合流することが目的だった。

2000年代以降,フランスの入国規制が厳しくなる中で,正当な方法でフランスに渡ることは困難に なっていた。そこで,次男は,まずハンガリーの大学に留学し,そこからフランスに渡るという計 画を立て,ザイナバから留学費用の援助を受けた。ハンガリーを選択したのは,シェンゲン協定を 結ぶEU加盟国であり,ヴィザなしにフランスへ移動することができることと,大学の学費が安 く,フランス語で学位が取得できること,比較的物価が安いことなどの理由による。そうした情報 は,インターネット上のコモロ人のネットワークから取得したという。

2017年にハンガリーの大学を修了した後,次男は,在学中に結婚したS村出身の女性とともにフ ランスにやってきた。最初は,マルセイユに来てザイナバの家に夫婦で居候していたが,パリにい る妻の母親が,コモロの妻方居住婚の慣習に従えば,夫婦は妻の母親とともに住むべきだと主張し たため,2018年からパリに移動し,そこで長男が生まれた。妻の母親は,ザイナバより少し若い が,同じように子供をS村に残してマヨット島に密航し,その後,マヨット島の男性と結婚してフ ランス本土にやって来た女性である。現在は夫と別居中であるが,パリで清掃の仕事をしており,

そのお金で娘夫婦と孫を養っている。次男はまだ滞在許可証を取得しておらず,無職なので,ザイ ナバはたびたび100ユーロほどを次男のために送っている。

2018年の時点で,S村に残っているザイナバの子供は,3男,長女と5男の3人である。ザイナ A 10

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バには,家族についての長期計画があり,3男と長女をフランスに呼び寄せ,6男と次女が学校を 卒業し,仕事に就くか,結婚するのを見届けた後,自分はコモロに戻り,老後はS村で5男ととも に暮らすという計画だ。そのために,S村の一族の土地に,将来住む家を建築することも考えている。

以上のように,移住により離れて暮らすことと,呼び寄せにより共に暮らすことを選択すること も,新たな家族の形を模索しながら生活を切り開こうとする移民の家族戦略となっている。ザイナ バは,子供たちをフランスに呼び寄せる理由について,「家族は一緒に住むべきだ」という考え方 によるものというよりも,「コモロには仕事が無い」,「コモロにいてもお金を稼ぐことはできな い」,「フランスでも生活はきびしいが,チャンスはある」というように,子供たちによりよい生活 を与えるためフランスへの呼び寄せを選択したのだと言う。

ザイナバによる海外送金は,新たな移動を可能にする資金となり,それにより家族の再配置と,

新たなライフコースの選択いう家族戦略を可能にしている。海外送金は,家族がともに村で暮らす という従来の家族関係とは異なり,家族関係を維持しながら,別々の場所,時には複数の場所に分 散して暮らしたり,離れていた家族が再び結合したりといった,柔軟に移動する新たなトランスナ ショナルな家族の形を生み出しつつあるのだ。

ただし,子供たちの呼び寄せという家族戦略により,移住という人生の賭けに勝ち,子供たちが 幸福な生活を送れるようになれるかどうかは,また別の問題である。

「私は,今無職です。フランスに来てから1年経ちますが,滞在許可証もなく,仕事もありませ ん。 … 母は私にたくさんのお金を送ってくれました。母のおかげで,私は2回も留学すること ができました。セネガルにも行きましたし,ハンガリーにも行きました。なのに,私はまだ母親か らの援助を受けて生活しています。もう,移住するのも,学校で学ぶのも終わりです。もう十分で す。 … 妻と子がいますし,私は働かなければなりません。でも,方法がないのです。まだ,私 の行き先は見えません。」

30代前半の次男は,現在の自身の状況についてこのように語った。次男の語りには,ザイナバか らの支援に対する負い目と,経済的に自立できていない状況への歯がゆさがあらわれている。ザイ ナバがフランスで働き,相当な額の海外送金を送ることができなければ,次男や他の子供たちがフ ランスに来ることはできなかったであろう。しかし,子供たちが,移民としてフランス社会の中で チャンスをつかみ,成功し,幸せな生活を送ることができるかどうかは,移民排斥の風潮が強まる フランス社会の厳しい状況の中で,ますます不確かなものとなっていることも事実である。

6.名誉のための蕩尽

海外送金の金額において最も大きな割合を占め,コモロの海外送金を特徴づけているのは,「ア ンダの大結婚式」ndola ya anda)の開催のための消費である14。「アンダ」anda)とは,村の年齢階 梯制度あるいは組織のことであり,原則的に,村の男性はすべてアンダに加入しなければならな 15。アンダの規則には村ごとに細かな違いがあるが,S村の場合,村の男性はまず「ワナムジ」

wana mdji:村の子供たち)と「ワンドゥワババ」wandru wa baba:父なる者たち)の二つの階層

に大きく分けられる。さらに,ワナムジには6つの「階梯」(hirimu)があり,ワンドゥワババには

14コモロの海外送金に関する従来研究(Andillahi 2011, Imani 2008, 2011a, 2011b, Katibou 2011, 2014, 2015)では,海 外送金によって実現するアンダの大結婚式での消費の大きさと,その資金獲得が海外移住の動機になってきたこと が示され,大結婚式での海外送金の消費がコモロ経済の発展につながるか否かが中心的に議論されてきた。

15アンダの制度と,移民の経済力によってアンダの大結婚式が高額化,贅沢化してきたことによる村社会への影響に ついては,花渕(2016)で詳しい記述と分析を行っている。

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5つの階梯がある。男性は年齢とともに階梯を上昇するが,ワナムジ階層からワンドゥワババ階層 に上がるためには,多額の費用を要する大結婚式を開催しなければならない。大結婚式を行わない と,いつまでもワナムジ階梯に留まることになり,「一人前」(wandru wadzimwa)と認められず,

「名士」kabaila)としての社会的威信と,「村の集会」bangweni)における発言権をもてない。

大結婚式の内容については,ここでは詳述できないが,長い時間をかけた準備の後,約3週間か けて盛大に行われる。「ウバイニショ」(ubayinisho)とよばれる大結婚式の告知式に始まり,花婿側 と花嫁側との幾度にもわたる贈り物の交換と,花婿の年齢階梯への義務の支払い,花婿の花嫁の家 への婿入り式,村や村外の招待客へのご馳走のふるまい,「マジリシ」(madjilissi)というイスラー ム式の祈祷式,「タァラブ」(twarab)というダンスパーティー,「ウクンビ」(ukumbi)という花嫁披 露宴など,さまざまな儀式や祝宴が毎日のようにくり返され,それぞれ,花婿側,花嫁側の親族が 費用や準備を負担する。

花婿側は,「花嫁代償」(mahali)として現金を花嫁の父親に支払うほか,花嫁が身に付ける金の 装飾品,冷蔵庫やテレビやタンスなどの家具一式,花嫁とその家族の化粧品,衣装,日常生活用品 などを贈らなければならない。また,年齢階梯組織の成員に対して慣習で決められた量の米や肉,

現金を支払うほか,ご馳走やお菓子や飲み物などで何度ももてなさなければならない。花嫁側は,

まず新居を建設し,花婿が婚礼で着用する金の刺繍が入った豪華な衣装や,花婿側に贈るための慣 習に従ったさまざまな食料を贈り物として準備するほか,大勢の招待客に対するご馳走などを負担 する。

大結婚式の開催は,村の男性にとって強い拘束力をもつ義務であるが,費用は高額である。その ため,1970年代から,多くの男性が大結婚式の費用を稼ぐためにフランスに渡ったとされており,

大結婚式の実現は移住の主要な動機の一つにもなってきた。1990年代より,移民の経済力の影響に より名誉の競争が激しくなり,年々大結婚式は大規模化し,より豪華に,より贅沢になり,開催費 用が高騰してきた。そのため,現在では,移民の経済力なしに大結婚式を行うことが難しい状況と なり,村に残っている壮年男性の多くが大結婚式を行うことができずに,ワナムジの地位に留まら ざるをえない状況も発生している(花渕2016)。それに対し,移民たちはフランスで貧しい生活を 送りながらも,わずかな収入を貯蓄して資金を準備し,こぞって故郷での大結婚式を実現するよう になってきている。バカンスの時期になると移民が一斉に帰郷し,多額の費用を支出し,移民自身 の大結婚式や,家族の大結婚式を行うことが慣例となっている。総額では,大結婚式のために,少 なくとも10,000ユーロ以上,高額な場合は100,000ユーロもの費用がかかるとされている。

アンダは男性だけのものではなく,母系親族と女性の地位に関わる制度でもある。母親は,息子 たちをみな大結婚式で結婚させなければならないだけでなく,長女は必ず大結婚式で結婚させる義 務を負っている。妻方居住婚であるため,花嫁側が花婿を迎えるための新居は,母系親族が「マニ ャフリ」(manyahuli)という母系相続される共有地に建てなければならない。また,すべての女性 は村の中で組織される「ベヤ」(beya)というグループに属しており,ベヤの成員は,一生に一度は 必ず子供の大結婚式を行う義務を果たさなければならず,義務を果たせないものは非難を受ける。

義務を果たさずに女性が亡くなった場合には,その姉妹や娘が義務を引き継がなければならない。

このように女性もまたアンダの義務を負っているため,女性の労働移民が増えるなか,アンダの 資金を女性が分担したり,主に女性が用意したりするケースも増えてきている。ザイナバが,姪で ある姉の娘の大結婚式をS村で行ったのは,亡くなった姉の義務を果たすためであった。2007年に 姉の葬儀のために帰郷した時,ザイナバは親族や義理の娘と相談し,大結婚式を行うことを決めた のだという。ザイナバは,姉の娘の大結婚式の費用を負う理由を次のように語った。

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「姉が私の子供たちを育ててくれたのです。私がマヨット島に行ってから,ずーっと,姉が子供 たちを世話してくれました。姉の娘も,私の子供たちも一緒に育ったのです。… 姉は娘を大結婚 式で結婚させることができませんでした。姉は義務を果たしていないのです。ですから,私がその 義務を支払うことは当然です。姉の娘は私の子でもあるのですし,これは家族の名誉に関わること なのです。」

ザイナバが,実の子ではない姉の娘のために大結婚式の費用を負担することは,村の慣習的規範 に従って家族の義務を果たすというだけでなく,自分に代わり,子供たちを育ててくれた姉への負 い目に対する返礼という意味をもっているのだ。

ザイナバは,2007年から大結婚式の費用のために少しずつ貯蓄を始め,開催の1年前からは,大 結婚式に必要な物資を購入するなど具体的な準備を開始した。まず,新婚夫婦の新居として,母系 親族の共有地に新たにブロックの家を建築した。さらに,新居の家具と結婚式の材料をそろえるた めに,次男に送金して物価の安いタンザニアのザンジバル島に行かせ,ソファー,食器棚,カーテ ン,テレビ,冷蔵庫などの家具や,米,小麦粉,砂糖,塩,油などを購入した。この準備だけで約 30,000ユーロの出費であった。

結婚の準備が整った2012年,滞在許可証を持たないためフランスから出ることができない4男を 残し,ザイナバは,夫,長男,次女,6男,3女とともにS村に帰郷し,亡き姉の娘の大結婚式を 執り行った。この時,ザイナバはシコアによって調達した10,000ユーロと,さらに長男が貯蓄した 10,000ユーロ,合計20,000ユーロを結婚式の費用として持って行った。さらに,家族全員の渡航費

用なども加えると,大結婚式の開催にかかった費用は総額約55,000ユーロ以上かかったという。

ザイナバは,老後はS村に帰郷するつもりであるが,その前に,フランスにいるうちに,長女と 長男のアンダの大結婚式を行わなければならないと考えている。姉の娘の大結婚式は,姉の義務の 履行であるが,自分の子供をアンダの大結婚式で結婚させるという,ザイナバ自身の義務の履行は まだ果たされておらず,これを完了しないと,村に帰郷した時,ザイナバのベヤの女性たちから非 難されてしまうというのだ。ザイナバは,アンダの慣習について次のように述べている。

「アンダはとてもお金がかかるので大変です。お金がないと大結婚式を行うことはできません。

だから,たくさんの人がアンダを行うためにフランスに来るのです。… 移民の中にはアンダを行 わない人もいます。でも,それはとても危険なことです。アンダは村の慣習であり,義務なので す。もし,アンダを行わないと,村の人々がみな非難するでしょう。それは恥です。私の恥です し,家族の恥にもなるのです。そうすれば,村の中で生活できないでしょう。でも,そんなことは できないのです。」

ザイナバは,アンダの義務を果たさないことは「恥」(ayibu)であり,「危険」(hatwari)だとさえ いう。長年かけて貯蓄したお金を蕩尽的に消費するアンダの慣習についてはコモロ社会の中でも賛 否の意見があり,移民にとってもそれは大きな選択である。フランスでの家族の生活や子供のため の消費を優先させ,アンダの大結婚式の慣習を拒否する若者も少なくない。しかし,ザイナバがそ うであるように,村から遠く離れて暮らしながら,移民は同郷移民に属し,同郷移民とのネット ワークをもち,トランスナショナルな共同体の規範の中で生活しているため,多くの移民にとって アンダの慣習に従うことは,自分や家族の名誉の問題として重要な価値をもち続けている。アンダ の義務と名誉をめぐる競争は,村から移民コミュニティへと,トランスナショナルな社会空間に拡 張して展開しており,移民の人々の思考や行動を強く拘束しているのだ。アンダの大結婚式におけ る蕩尽的消費は,移民による海外送金が経済的理由だけではなく,コモロの文化的規範や社会的制 度による文脈に基づく実践であることを示している。

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参照

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