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フ ラ ン ス に お け る 狭域デモクラシーの新展開

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フ ラ ン ス に お け る 狭域デモクラシーの新展開

~参加・熟議のカフェデモクラシー~

Le nouvel essor de la démocratie de proximité en France

Les cafés démocrates au service de la participation et de la délibération citoyennes

熊本大学大学院

社会文化科学研究科

吉 住 修

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目 次

序 章 問題の所在と研究の方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P1 第1節 はじめに

第2節 研究の視点と方法 ~論文の構成と分析視角~

第1章 参加・熟議デモクラシーの概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P8 第1節 背景と理論展開

(1) なぜ今、参加・熟議か~代表制デモクラシーを巡る状況~

(2) 熟議デモクラシーの理論と歴史 (3) フランスにおける状況と特殊性

第2節 制度・手法と代表制デモクラシーへの影響 (1) 各国各都市での実践例

(2) 熟議の成立要件と期待される効果 第3節 小 括

第2章 フランスの参加・熟議デモクラシーの歴史的社会的準備状況 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P26 第1節 地方分権改革と狭域行政制度

(1) 法制度改革 (2) 多層な地方政府 第2節 フランス共和制の変容

(1) 中間団体の禁止から拡大へ (2) 共和制下の市民とアソシアシオン 第3節 小 括

第3章 事例研究 ~フランスにおける近隣住区の実態と考察 ~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P45 第1節 住区評議会(conseil de quartier)と地方都市事例

(1) 住区評議会の歴史と概要

(2) 先行研究から見た先進都市(パリ市、ブザンソン市、グルノーブル市、アミアン市)における現状と課題 第2節 住区委員会(comité de quartier)と地方都市事例

(1) 住区委員会の歴史と概要

(2) 一般都市(エクサンプロヴァンス市)における現状と課題 (3) 一般都市(エクサンプロヴァンス市)におけるアソシアシオン活動 第3節 地方都市における住民参加の制度

(1) 計画策定とコンセルタシオンの仕組み

(2) 都市における個別プロジェクト事例とその政治性 第4節 小 括

(3)

第4章 狭域デモクラシーへの政治論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P95 第1節 共和国理念のポスト中央集権的・ポスト代表制的転回

(1) 中央集権から地方分権へ (2) 代表制から直接制?へ (3) 共和国理念の変容=強化?

第2節 パフォーマンスの政治と熟議 (1) グローバル・ナショナルな政治的戦略

(2) パーソナルな支持獲得戦略と地域政治・代表制への影響 第3節 フランス的国民気質・市民性と熟議による市民の小社会

(1) 公共の事柄に参加する「市民」とその「空間」

(2) 国民気質・市民性と新たな熟議の現象<カフェデモクラシー>

第4節 小 括

終 章 フランスの新たな地域政治論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P121 第1節 狭域における市民社会と議会の新たな関係~参加・熟議の<カフェデモクラシー>と意見循環~

第2節 おわりに

参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P130

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1

序 章 問題の所在と研究の方法

序章 第1節 はじめに

本論は、一般に中央集権的と見做されているフランスにおいて、コミューン内の区域単位である近 隣の住区(quartier)1を主なアリーナとして、2002年の近隣民主主義法2の制定を契機に顕在化しつつ ある「狭域におけるデモクラシー」の新しい動きを探ることを目的とする。

この試みの中で、現代におけるフランスデモクラシーの理念と実践を取り上げ、同法に基づき設置 された住区評議会と従来から存在する住区委員会3、及び住民との協議であるコンセルタシオン

(concertation)制度4の活動や運用の実態を解明するとともに、共和国を従来の国家-個人ではなく、

国家-中間団体-個人という三元論の関係から捉え直す中で、共和国市民の参加・熟議の背景と含 意を考察するものである。

デモクラシーの歴史は古代アテネの時代まで遡り、今日まで、例えば、定期的な市民の集会や、

抽選や投票で選ばれた市民や政治エリート、職能団体などが代表する、あるいはこれらの組み合わ せからなる様々な直接制的・間接制的なデモクラシーの制度化や実行が試みられてきた。当然なが ら、このようなデモクラシーは、時代や地域によって社会の置かれていた状況が大きく異なることか ら一様には捉えられない。例えば、市民全員が参加する集会が機能し得た古代アテネの時代と、ア ンシャンレジーム期後のフランス共和国やアメリカ合衆国が建国された18世紀中葉以降の時代、ファ シズムの広がりや社会主義の興隆、超大国による冷戦の20世紀、そして21世紀初頭の今日における デモクラシーを取り巻く状況は、人民やエリアの規模や市民の範疇に対する考え方を見ただけでも 大きく異なり5、今日のデモクラシーに込める意味は、理念的にも現実的期待感としても、わずか四半

1 コミューン(commun)とはフランスにおける基礎自治体のことであり、今日でも 3 万 6 千以上存在し、市町村の区別はない。ま た、ここで言う住区とは quartier(カルティエ)のことであり、コミューンにおける身近な行政区等となっている生活に密着した近 隣エリアのことを指す。

2 loi relative à la démocratie de proximité(近隣民主主義に関する 2002 年 2 月 27 日の法律第 2002-276 号)。

3 住区評議会 : conseil de quartier、住区委員会 : comité de quartier。これらの近隣自治組織については第 3 章第 1 節及び第 2 節で詳述。

4 事前の住民協議のこと。「住民合意」と訳されることもある。第 3 章第 3 節で詳述。

5 ロバート・A.ダール『ダール、デモクラシーを語る』,岩波書店,2006年,1-7頁を参照。

例えば古代アテネの時代には、基本的に市民とは一定の土地を所有している成人男子であった。また、1830年代にトクヴィル がアメリカ訪問をした時期の合衆国における参政権の状況としては、女性、アフリカ系、ネイティブアメリカンが排除されており、

その総数は成人人口の約6割に上ったとされる。近代においても、1900年時点での独立国49ヶ国のうちでデモクラシー体制をとっ ていたとされる6ヶ国(ニュージーランド、アメリカ、カナダ、フランス、スイス、ベルギー)の中で女性に参政権を与えていたのは ニュージーランドだけとされる。今日、例えば外国人や移民問題を抱えるシティズンシップの考え方は様々であり論争的であるも のの、民主主義国においては基本的に成人男女の参政権は平等に認められていると言ってよい。

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2 世紀前と比べても大きく異なっていると言ってよい6

その現代のデモクラシーのあり様は様々な観点から多様な類型化が可能であり、唯一の最善モ デルを選択することはほとんど不可能と思われる中で、現代をデモクラシーの実験の時代と形容す る研究者もいる7。今日、政府の政策決定プロセスへの国民・市民の関わり方として直接制か代表制 かという二分法の面から見れば、世界の大多数の国や地方政府で当然の如く代表制デモクラシーが 採用されている。しかし、両者の関係はトレードオフではなく、相互補完的な関係で成り立っていると 言う方が適切であろうが、単なる補完関係では片付けられない政治学の大きなテーマとなっている。

また、実態面から、現代の政府のかたちを見ると、20世紀終盤から、いわゆるグローバリゼーショ ンの進展、ポスト冷戦、情報技術の発達などによって、世界的に社会全体のパラダイムが転換する 中で、中央政府の役割が相対的に低下している傾向が挙げられる。例えば、一方ではEUをはじめと する超国家機関が出現するとともに、他方では住民により近い存在である地方政府や地域コミュニテ ィの役割が重要視されはじめ、各国・各地域でその新たな制度設計が模索されている。

これらの新たな地域ガバナンスの動きは、大きく分けて二方向へのベクトルがあり、その一つは、

地域間競争を背景として、規模の利益や地域のアイデンティティの確立を求める政府機構の多層化

(州や広域行政組織の創設)、あるいは行政の効率化を求める集約化・大規模化(基礎自治体の合 併)など、その機能と変革の方向性は一様ではないものの、より広域的な自治を求める制度改革の 動きである。もう一つは、地域経済の停滞、治安の悪化、NIMBY問題などへの地方政府の対応と住 民の意思との乖離が見られる中で、狭域的な地域におけるデモクラシーの実質化を求める動きであ る。従来の代表制デモクラシーの不完全性がより可視化されたり、地方分権が進み政府の意思決定 が住民に近くなるにつれて、住民が実際にどのように地域のガバナンスに関わるのか、地域の様々 なステークホルダーがシステムとしてどのように異議申し立てができるのかといった具体的な仕組 みとその実効性が、地域政治の課題として俎上に上がっている。多くの国においては、そのステージ の中心は、政府の対応やその結果が住民にとって見えやすく、関与しやすい範囲である基礎自治体 レベルであり、さらには、補完性の原理、近接性の原理から、基礎自治体内でもその住区などのより 狭域的なエリアである。すでにいくつかの国の地域では住民の政策決定への関与や参加の実例が 一定の成功モデルとして報告されている。

このような地域におけるガバナンスを求める流れの中で、今日的ガバナンスの状況をデモクラシ ーの規範的モデルの側面から見ると、実際に近年、代表制に補完的、あるいは挑戦的な、様々な新 しいデモクラシーの捉え方や手法が提起され、導入される例が見られる。例えば、キャロル・ペイトマ ンやC.T.マクファーソン等に代表される「参加」や、ユルゲン・ハーバーマスやジェイムス・S. フィシュ キン等が言うところの、一定の合意を前提とした「熟議」(討議)、さらには、その熟議に異を唱えつつ

6 四半世紀前の 1980 年代は東西冷戦の只中にあり、まだ東欧の民主化や EU の創設は見られていない。

7 ジェイムス・S. フィシュキン『人々の声が響き合うとき』,早川書房,2011 年,11-12 頁。

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「政治的なるもの」の領域を探求し、友敵関係を鍵概念に闘技的多元主義を提起するシャンタル・ムフ の「闘技」などがあり、いずれも参加デモクラシーや熟議デモクラシーと呼ばれるものと深く関係して いる。ただし、これらの捉え方は国や論者によって異なり、実施のレベルや方法は様々といった状況 である。

本論では、このようなデモクラシーのあり方の再構築の潮流の中で、狭域のエリアでの展開例に 注目することとし、先進民主主義国と呼ばれる国の中でも特異な形で進行しつつあるフランスの狭域 における「参加デモクラシー(la démocratie participative)」及び「熟議デモクラシー(la démocratie délibérative)」の理念と実践を取り上げる。元来フランスは強度の中央集権国家であり、地方分権も参 加・熟議のデモクラシーも早くから進んできたほうではなく、あまり注目もされてこなかった。しかしな がら、近年、とりわけ1980年代から地方分権が急速に進展し、かつて厳しく制限されていた国家と個 人の間の様々な中間団体(corps intermédiaires)が飛躍的に存在感を増すとともに、2002年に施行さ れた近隣民主主義法によって、近隣民主主義における熟議を伴う参加デモクラシーも進展してきてい る。

そのフランスの特異性とは、一言で言えば、エリアを狭域に限定していることや法整備を行いシス テマティックに進めようとしていることが挙げられる。さらに、米国等で見られるような莫大な資金投 入やアドボカシー団体の積極活用などを通した多数派形成により物事を決めようとする状況とは根 本的に異なり、限定されたエリアにおいて地域の名望家、あるいはサラリーマンや退職者等の(半)

ボランティアとしての地方議員と住民が、日常の話し合いから政策議論に至るまでのコミュニケーショ ンを図りながら決定に向かうという、より地域密着型の政策決定プロセスの存在ではないかと思われ る。すなわち本論では、これらの現象の中で、政治エリートによるデモクラシーや古典的な代表制の 枠組みを超えて、市民性の伝統に依拠した市民の日常の議論による熟議の流行の兆候が見られる のではないか、このことは、フランスの、あるいはその他の国や地域も含めて、従来のデモクラシー とは大きく異なる新たな展開の一例であるのではないかという仮説を論証し、さらに、このことがどう いう意味を持つのかという点に関心がある。

そもそもフランスにおいて地方分権や住民参加が遅れていた理由の一つは、フランスの共和国の 理念から説明されうる。旧体制の変革以後、すなわち1789年の大革命以後のフランスにおいては、

一にして不可分の国民国家(nation)と人権主体たる均質な諸個人(hommes)を創出するためには、

「国家」と「諸個人」の間に存在するあらゆる中間団体を徹底して破壊することが必要であると考えら れ、国家と市民の間にいかなる中間団体も置かないというジャン・ジャック・ルソー以来の伝統があり、

あらゆる中間団体を否認することによって、人権主体たる個人が初めて成立すると考えられたので ある8。したがって、地方政府も中間団体の一つと数えられるのであり、市民は理論的にはルソーの

8 高村学人『アソシアシオンへの自由』,勁草書房,2007 年,3 頁参照。

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4

言うところの一般意思(volonté générale)たる法の形成に関わるとしても、断片化し、また日々忙しい 現代社会の個人は、例えば、現実政治への参加としての国政への意見表明を、フランス的市民行動 となっている街頭でのデモ等による連帯を例外とすれば、それほど生活に即して行っているわけで はないだろう。このような背景の中で、今日のフランスにおけるデモクラシーを巡る新しい動きは、そ の強固な中央集権制や、「自由・平等・博愛」という共和国の理念の下に結集した個々の人々が導出 する一般意思との整合においてどのような説明が可能なのだろうか。

そこで本論は、2002年の近隣民主主義法の制定を契機に表舞台に登場してきたフランスの近隣民 主主義の中で、コミューン内部の区域単位であるカルティエでの住区評議会の設立の経緯と運用実 態や、事前の住民協議であるコンセルタシオンの試みを手がかりとして、現代のフランスデモクラシ ーの理念と実践を取り上げることによって、共和国市民の政治・社会への参加・熟議の背景を考察し、

その含意の再定義を行おうとするものである。この試みにおいては、従来の国家-個人の二元論の 関係から捉えるのではなく、国家-中間団体-個人という三元論の関係から捉え直す中で、コミュー ン、特に狭域の地域政治の実態の中での新しいデモクラシーのキープレイヤーを地域の様々な中間 団体であると見立てて、その活動の空間と機能、役割の面から、ポスト中央集権・ポスト代表制のデ モクラシーの意味と作用を明らかにすることを企図している。したがって、本論で注目する鍵概念は、

理念としての共和国、デモクラシーを取り巻く状況としての地方分権、場としての狭域(proximité、プロ キシミテ)、そのキープレイヤーとしてのアソシアシオンやコミューン(及びその議員)などの中間団体、

手法としての参加と熟議、そして市民である。

(8)

5

序章 第2節

研究の視点と方法 ~論文の構成と分析視角~

本研究では、先行研究に依拠しつつ、新たなケーススタディによる実態面の分析を加えた上で、考 察を進めていくこととする。

そこで、フランスの国家や共和国の理念に関して、その源流とも言うべきルソーや、地方自治に関 するトクヴィルの思想や言説をはじめ、公共性や市民社会、参加と熟議などに関する先行研究、及び 地域研究として日仏の研究者によって地方都市をフィールドに展開されている地域民主主義(la démocratie locale)の実証研究と理論展開を踏まえた上で、実際にコミューンの議員や行政関係者、

アソシアシオン関係者の意見や情報から得た視点や素材を基に考察を加える。

さらに、具体的なケーススタディとして、近隣民主主義法による住区評議会を適用しているパリ市、

ブザンソン市、グルノーブル市、アミアン市を取り上げるほか、このような法令必置を受けて先駆けて 制度を導入した先進都市だけではなく、同法に基づく制度を導入していないものの、計画等の策定に おける義務的及び任意の住民との事前協議のシステムとしてのコンセルタシオンに取り組んでいる 一般都市の代表として、南フランスのエクサンプロヴァンス市を取り上げた上で比較考察を行う。

研究を進めるにあたっては、いくつかの側面から考えてみたい。

まず、一つ目は、樋口陽一が定義する「ルソー=一般意思モデル」(ルソー・ジャコバン型共和国)

と「トクヴィル=多元主義モデル」(トクヴィル・アメリカ型のデモクラシー)という類型9を援用しつつ、

共和国の理念の側面から考察する。

二つ目は、国・地方における政治性や政治活動からの面、すなわち、国及び地方の政治的代表者 の思惑や観察されるパフォーマンスの側面から考察する。

三つ目は、共和国を構成するために必要なフランス的国民気質・市民性の側面から、地域社会に

9 樋口陽一『近代国民国家の憲法構造』,東京大学出版会,1994年,樋口陽一『国家と個人-今なぜ立憲主義か』,集英社,2000 年、及びJ・P.シュヴェヌマン,樋口陽一,三浦信孝『<共和国>はグローバル化を超えられるか』,平凡社,2009年を参照。

「ルソー=一般意思モデル」と「トクヴィル=多元主義モデル」とは、樋口が提示する類型論である「ルソー=ジャコバン型共 和国」と「トクヴィル=アメリカ型デモクラシー」を、「ジャコバン」という語彙を巡る用語法が論争的であることから自ら言い換え たもの。本論では同じものとして扱う。「ルソー=ジャコバン型」とは、大革命以来のフランス型近代国民国家を指し、「トクヴィ ル=アメリカ型」とは 1980 年代以降になって展開してきた新しい傾向を指す。(上記,樋口,1994 年,39,72 頁)。

樋口は、「ルソー=ジャコバン型共和国」と「トクヴィル=アメリカ型デモクラシー」を対比し、ルソー=ジャコバン型共和国の 歴史的意味を説くが、トクヴィルが「アメリカのデモクラシー」の中で指摘した裁判権力の役割、地方分権及び結社への好みと いったデモクラシーの特徴に対して、フランスは、個人と国家の二極構造が優先され、個人を抑圧する中間団体を置かず、人 権主体としての個人を創出する一方で一般意思を主体的に適用する国家を設け、その一般意思を表明する役割を法律に求め る共和国とする。これを「ルソー=ジャコバン型共和国」と呼んだ。一方で、トクヴィルの言うようなアメリカモデルを移植するた めには、個人を抑圧する中間団体がないという前提条件が必要で、新世界には事の始まりから個人しかなく、共同体が個人を 抑圧する恐れのないアメリカ社会だからこそ「共同体」という価値を主張できたのであるが、現在のフランスにおいては、今や 結社に共感を持つことができるほどまでにルソー型個人主義を十分に体験してきたとする。(上記,2009 年,63-66 頁参照)。

(9)

6 おける参加・熟議の現象を考察する。

そこで具体的に次のような分析視角(問い)による仮説を設定する。

(1) 共和国の理念としての「ルソー・ジャコバン型共和国」と「トクヴィル・アメリカ型デモクラシー」の 面から見れば、今日の中央集権制、代表制デモクラシーの限界により、共和国は古典的な理念 から現代社会の実情に即した適合、すなわち、ルソー・ジャコバン型の個人と国家で構成される 中央集権的であり、また実態としては代表制の色合いの強い体制10から、地方分権下で地域の 多様な中間団体が活躍するトクヴィル・アメリカ型の新しいデモクラシーへと向かう傾向が見ら れるのではないか。さらに、参加・熟議デモクラシーの進展によって、むしろ共和国の理念が再 定位されている、すなわち、ルソー・ジャコバン型からトクヴィル・アメリカ型のデモクラシーへ移 行しているだけではなく、同時に共和国の理念そのものが強化されている面もあるのではない か。(仮説1)

(2) 国・地域における政治性や政治活動という面から見れば、国政、地域政治において、地方政治エ リートの政党戦略や地域における政治家の活発な活動が観察される。地方分権の進展から派生 してきた参加・熟議デモクラシーは、組織・集団として見れば、政党の政権獲得戦略の一つであ り、個人の政治家として見れば、全国51万人を超える地域に根ざすコミューン政治家達の日常に おけるコミュニケーションの重大な理由、動機として、つまり、地域内での支持獲得戦略として利 用されているのではないか11。(仮説2)

(3) フランス的国民気質・市民性の面から見れば、参加・熟議とフランスにおける市民性の間には強 い相関関係が見られ、地方分権の進展から派生してきた参加・熟議デモクラシーは、市民性に 適合した発展を遂げており、このことは、言わば特異性のあるモデルとして参加・熟議のデモク ラシーの一類型を示すものではないか。すなわち、教育や社会的学習により合理的思考と議論 に長けた気質を備えた市民が、公共の事柄や地域社会の課題に対して、身近な場所で気軽に 意見交換や議論を行うことで、インフォーマルなコミュニケーションとして量的にも質的にも確保 された参加と熟議が行われているのではないか。そうであるならば、フランス全土の身近な場 所場所で、言わばカフェ的なコミュニケーションが繰り広げられているものであり、このことは市

10 樋口はこの類型論の中で、中間団体の敵視のうえに力づくで「個人」を析出した集権主義と個人主義については論じているが、

代表制については論じていない。本論は、樋口の類型論自体を論ずるものではなく、そのモデルを一般化して援用することから、

独自の解釈の枠組みを設定している。ルソー=ジャコバン型については、「中央集権性」に加えて、人民の個々の意思からなる 一般意思の面からすれば代表制(代議制)というよりも直接制的な志向が強いものの、一般意思はフィクション的であり、少なくと も第五共和制以降の政治状況としてはエリートによる「代表制の色合いが強い」ものであると捉えている。また、「トクヴィル=ア メリカ型」については、ポスト「ルソー=ジャコバン型」の地方分権を基調としたアソシエーティブな参加型として捉えている。

11 中田晋自『フランス地域民主主義の政治論―分権・参加・アソシアシオンー』,2005 年を参照。

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民の小社会における新たな展開と位置づけることができるのではないか。(仮説3)

すなわち、本論は、これら3つの問いを出発点として、フランスデモクラシーの理念と実像を結びつ け、近年の新しい動きに新たな解釈と意味づけを行うことによって、それが特異なデモクラシー・モデ ルとして機能している新展開であることを明らかにすることを企図している。

そこで、本論の全体構成は次のとおりとする。

すでに見た通り、序章において、フランスの近隣民主主義の中で参加・熟議デモクラシーの研究意 義を確認し、いくつかの仮説を示した上で、研究の視点と方法を設定する。

第1章では、今日の代表制の状況や参加・熟議デモクラシーの背景と理論等を確認した上で、課題 や代表制に与える影響なども含めて参加・熟議のデモクラシーについて概観する。

第2章では、時間軸の視点から、まず地方分権改革の流れを追う中で、フランスの参加・熟議デモ クラシーの歴史的状況を確認しつつ現在の地方政府を取り巻く状況を概観し、次に、共和制の変容と その動きから派生してきた市民の特性やアソシアシオンの興隆の状況を確認し、今、フランスのデモ クラシーにおいてどのような文脈の変化が起こっているのかを考察する。

続く第3章では、近隣民主主義法の施行を契機とした、狭域におけるデモクラシーの動向を把握す るため、事例研究として具体的にフランスのいくつかの都市における実態を確認、整理する。

そして第4章では、序章で提示した仮説と具体的都市事例をはじめとする第3章までの展開を踏ま えて、共和国の理念が現実の地域課題の中でどのように対応され始めているのか、政治的な、ある いは政治活動の面からは近隣の住民自治組織や参加・熟議のアリーナはどのように機能しているの か、様々な場で繰り広げられる新しい参加・熟議の形態は国民気質や市民性とどのように関連してい るのか等について考察する。

最後に、終章において、これらの動きを総括し、インフォーマルでカフェ的な市民の活動と代表制 の正統な制度・プロセスとの接合、すなわち様々なステークホルダーからなる「市民」と、選挙で選ば れた代表で構成され、決定権を持つ「議会」の間の意見循環システムについて考察し、代表制の枠内 外で展開されるフランスの参加・熟議デモクラシーの可能性とわが国のデモクラシーのあり方への示 唆について言及する。

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第1章 参加・熟議デモクラシーの概要

本章では、フランスにおける狭域デモクラシーの考察を始める取り掛かりとして、まず現代の参加 と熟議のデモクラシーについて、その背景や理論展開、先進的に展開されている制度や手法等を確 認しつつ、代表制デモクラシーに与える影響も含めて概観する。

第1章 第1節 背景と理論展開

本節では、フランス国内外のグローバルな代表制デモクラシーを巡る状況と先行研究の理論展開 を確認する。

(1)なぜ今、参加、熟議か~代表制デモクラシーを巡る状況~

まず、今日の代表制(代議制)デモクラシーを取り巻く状況について概観しておきたい。

代表制デモクラシーは、現代のデモクラシーにおいて、最も多用され、安定して機能するデモクラ シーの類型であると広く認識されている。しかしながら、一方では、今日、様々な角度から代表制に おける現実政治の不完全性が指摘されている。

アメリカの政治学者である B・R・バーバー(Benjamin R. BARBER)は、「1970 年代に明らかになり つつあったデモクラシーの退潮は、アメリカ国内にとどまらず国境を越えて非常に広大な範囲に伝 播していった。名目上ではデモクラシーの国家の数は増え続けているものの、(中略)デモクラシー を徹底的に実践している国家の数は限定されたままであり、そしてその中にアメリカを含むと常に 言い切れる自信などはない。」12などと述べ、現代の代表制が市民の意思を十分に反映していない とし、政治的条件に対していくつかあるデモクラシーの回答のうちの一つとして、「参加」と「熟議」を 柱とした「ストロング・デモクラシー」を提唱する。

また、ヨーゼフ・シュンペーターの理論に依拠しつつ、代表制デモクラシーに替わりうる制度はな いとして多数の獲得を目指すエリート間の競争としての多元主義やポリアーキーを主張してきたロ バート・ダール(Robert A. DAHL)も、近年ではもう一つの構想としての個人と政治的決定を繋ぐ媒介 手段として、J・S.フィシュキンが唱える市民の直接デモクラシー的なかたちである集中討議方式

(DP:deliberative poll)を評価している13

さらに、フランスにおける参加デモクラシーの理論的、実証的分析をリードしているイヴ・サントメ (Yves SINTOMER)やロイック・ブロンディオ(Loïc BLONDIAUX)は、今日、代表制デモクラシーは正

12 B・R・バーバー/竹井隆人訳『ストロング・デモクラシー』,日本経済評論社,2009 年,7-8 頁。

13 ロバート・A.ダール『ダール、デモクラシーを語る』,岩波書店,2006 年参照(例えば 38,164-165 頁)。

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統性の危機に陥っているという認識を基に、熟議プロセスが政策決定において避けられなくなって きたとする「熟議の不可避性論」を展開している。

我が国においても、例えば、岩崎美紀子は、「デモクラシーが、統治の正当性の源泉である人民 の意思をいかに反映するか、対立する利害や意見の相違や衝突をいかに調整するかではなく、

人々に単にイエスかノーかを言うだけの機会しか与えない表決型になっている」とし、「特に国家レ ベルの政治機構は、政治的に市民を代表しているとの主張は正当性を失いつつある」と指摘する14 また、山崎望は、「現存する民主主義」、すなわち、「国民国家と結合した自由民主主義、その制度 的表現たるナショナルな代表制デモクラシー」を前提にした上で、「もう一つの民主主義」としての

「熟議民主主義」が近年模索されているとし、その背景として、代表制民主主義という擬制が揺らぎ、

機能不全に陥っているという現象があると指摘する15。さらに、田村哲樹は、(代表制)デモクラシー は、一部の人々の利害と都合で物事が決められているのではないかという懸念が存在する意味で 常に「過少」であるとともに、一方では多数派が独善的な決定を行う「多数派の専制」への懸念が存 在し、何らかの制限が必要とされるほど常に「過剰」であるゆえに、不満や危惧の対象になっている とする16

このように様々な課題が指摘されている現代の代表制は、古代アテネの市民の集会による直接 制や、「主権は代表されえない」とし、個々の自立した市民が法という形で一般意思を体現するよう なルソーの言う共和国の理想とは異なり、自立した個人の主体的参加の度合いは薄れ、多かれ少 なかれ、多様な意見とは無関係にその決定は国民・市民の代表者たる政治エリートが握っている面 がある。このような様々な現代的課題から、「もう一つの民主主義」のかたちとして参加や熟議が参 照されることが多くなってきた。

このような課題を具体的に挙げてみれば実に様々な点が挙げられるだろう。例えば、一つには、

代表者以外の普通の国民・市民は、与えられたいくつかの選択肢の中から自分の選好に最も合うも のを選ぶ、あるいは細かな差異を無視することにより、選好を擬制しているとも言えるかもしれない。

また、このように選好の単純化を強いるだけでなく、決定権への関与の度合いが低い、もしくは視認 しづらいために、人々の無関心を助長する面があるとも言ってよいだろう。

また、間接民主制における代表者である議会(議員)が住民の意見を真に代弁していないのでは ないか、民意との乖離が大きいのではないかということも常に指摘されている。声の大きい市民やア ドボカシ―団体の主張は議会や執行部に届きやすく、サイレントマジョリティの声はどこにも代弁され にくい。民意を測ることを目的として、メディアによる電話やネットなどで行われる世論調査や、行政

14 岩崎美紀子「デモクラシーと市民社会」,神野直彦、澤井安勇『ソーシャル・ガバナンス 新しい分権・市民社会の構図』,2004 年,36-37 頁。

15 山崎望「民主主義対民主主義?EU における熟議デモクラシーの限界と可能性」,小川有美編『ポスト代表制の比較政治』,

2007 年,179 頁。

16 田村哲樹『熟議の理由 民主主義の政治理論』,勁草書房,2008年,i 頁。

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による市民へのアンケート調査などが実施されたとしても、様々な背景を持つ市民が正確で十分な 情報の公開、提供に基づいた理解を得た上で、さらに議論を経たわけではないイシューに関する意 識調査結果は、単なる現状値の集計でしかないかもしれない。これらは必ずしも市民個人の自律的 な意見ではなく、ひょっとするとうわさや憶測などによる思い込みや、マスコミ等を通して形成された 一方的で各一的な世論を表している可能性もある。また、地域間格差を見ると、人口集中地域の都市 部住民の意見が反映されやすく、周辺部の住民の意見は通りにくくなることも指摘されるべきであろ う。制度的にも規模の面から見ると、例えば平均人口260万人を超えるわが国の都道府県の知事をリ コールできる住民の署名を集めるのは事実上ほとんど不可能である。また、EU政治を見れば、EU市 民からは直接には選挙で選ばれてはいない代表者が決定権を持つといった、委員会政治・官僚政治 に観察されるような「民主主義の赤字」の問題も挙げられる。

一方、このような代表制の課題ばかりではなく、直接制の課題も指摘しておくべきであろう。

まず、現代では、多くの民主的な先進諸国において、一国の大統領や議員、地方政府の首長など を国民・市民が直接選んだり、個別イシューについてのダイレクトな意見聴取が珍しくなくなるなど 直接的な手法が重用され、多くの民主主義国が何らかの直接的な大衆への意見聴取を導入し始め ている傾向が見られることを挙げておかなければならない。しかし、直接民主制の過度の導入は、

歴史経験的に見れば常にブレーキが働いてきたと言える。その一つは、例えば合衆国建国時のマ ディソン的デモクラシーに見出すことができる。合衆国の憲法制定時のフェデラリストらの議論では、

人民には情念や私益があり、これらが呼び起こされると党派が生まれ、他者の権利に害を及ぼし かねない暴徒的行動を引き起こすことがあるとされ、合衆国憲法のもともとの構想では、世論に政 治や政策に関する直接的な影響を持たせるのではなく、世論を濾過し、間接的な方式によって、世 論を洗練することが意図されていたとされる。すなわち、憲法制定時の議論においては、ある面に おいては大衆の政治参加は脅威にもなりうることが危惧されていた17。すなわち、フェデラリストは、

「代表制は世論を熟議により洗練させるためのもの」と捉え、また反フェデラリストは、「民衆の代表 は、大衆やその実際の声の鏡になる」という点で捉え方が異なっていた18。もちろん一方では、古く からスイスのカントンやアメリカのタウンミーティングなどでの市民総会や、レファレンダムなどが実 践されてきた歴史もあるものの、それでも大多数の国や地域において、本格的な直接デモクラシー が憲法改正などの限定的なトピックを除いて適用されてこなかったのはこのような背景がその理由 として挙げられる。

代表制デモクラシーは、このような直接制との関係性も含めて、歴史的に様々な異なる考え方や 試行の中で、今日まで問題点を抱えているのである。

17 ジェイムス.S.フィシュキン 『人々の声が響き合うとき』,早川書房,2011 年,78 頁。

18 ジェイムス.S.フィシュキン,同上,早川書房,2011 年,33 頁。

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そのデモクラシーの理論モデルは様々な形で提示されうるが、例えば規範的理論の面から見る と、次の 4 つの類型を挙げることができよう19。すなわち、一つ目は、ヨーゼフ・シュンペーターやロ バート・ダールに代表される、公衆意思の形成のプロセスにではなく、人民の票をめぐる競争的な 闘争、権力の平和的な移行を重要視する、すなわち、人民の票をめぐる競争的な闘争による「誰が 統治するのか」ということ、あるいは「どちらの人(政党)が役職に就くのか」を決定する平和的プロ セスである「競争的デモクラシー」である。二つ目は、ジェームズ・マディソンや J・S.ミルに代表され る、大衆世論の間接的濾過を強調し、多数者の専制を避けることと熟議に専念することを重要視す る「エリートによる熟議」である。三つ目は、キャロル・ペイトマンなどが提唱する、政治参加と票の 平等に主眼があり、直接的意見聴取が多用され、重要な意思決定の方法となる、すなわち「誰が統 治するのか」ではなく「どの政策にするのか」に主眼が置かれる「参加デモクラシー」である。そして 最後の 4 つ目は、今回取り上げる「熟議デモクラシー」である。

現代の代表制は、国民国家の退潮が言われる中で、様々な制度疲労と機能不全の現象が現れ、

正統性の揺らぎを制御できなくなってきたことなどから、何らかのオルタナティブ、あるいは補完的 な制度を備えた、新しいデモクラシーのあり方が模索されている状況にあると言える。その解決策 の一つとして考えうるのが、前述の 4 つの類型で言えば、少なくとも競争的デモクラシーやエリート による熟議ではなく、参加デモクラシーであり、熟議デモクラシーであると考えられる。しかし、後者 の 2 つの論は、論者によって捉え方や範囲が様々であるとともに、現実的には大規模な参加か小 規模の熟議かという選択にもなりがちであり、果たして大規模の熟議、あるいは地域全体や社会全 体での熟議というものは可能なのかは自明ではない。また、各国で現代社会の現状の閉塞感を打 破する方策として、近年直接制を志向したり、導入する傾向も見られる中で、前述の合衆国建国時 の議論から引けば、ともすれば形式的な直接制とも共通点のある参加デモクラシーは十分に考え たり、議論を経たりすることとは関係なしに、参加の量の拡大を目指して国民・市民の生の意見の 神聖化につながる可能性があり、このような意見を濾過せずにそのまま取り入れた場合には、ポピ ュリズムの助長につながりうるなどかえって危険な面もあるだろう。第2次大戦時のファシズムの大 衆動員を挙げるまでもなく、近年でも 2002 年のフランス大統領選挙における国民戦線(FN)のルペ ン党首の決選投票進出に象徴されるように、ポピュリスム(populisme)やデマゴーグ(démagogie)、あ るいは国民の意思を問うのではなく自己の地位や権限を強化する目的や役割をもって行う国民投 票制度であるプレビシット(plébiscite)制などの台頭の危険性を孕むことも危惧されうるのである。

そこで、このような直接制との関係も含め多くの問題を孕む代表制の中で、今、「参加」や「熟議」

はどのように機能しているのか、あるいはこれから機能することが可能なのか、まずはその前提と しての理論的展開と現実社会の中での具体的状況について、次節以降で確認していく。

19 ジェイムス.S.フィシュキン,前掲書,早川書房,2011 年参照(例えば 113-114,136,303 頁)。

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(2)熟議デモクラシーの理論と歴史

では、熟議デモクラシーとは何かということについて、先行理論に依りつつ整理してみたい。

まず、「参加」を政治学事典で引くと、「広く意思決定過程への影響力の行使を目的に行われる活動 を意味するが、とりわけ政治の意思決定過程に対して影響を及ぼすことを目的とした一般市民の活 動を指していう場合が多い」(政治参加)とされる。一方、「熟議」(討議)については、「ディスコース」

の説明の中で扱われており、ディスコースとは「コミュニケーションが集合的選択にもたらす影響に着 目するもので、(中略)相互理解を志向し、説得的議論により社会行動を調整することを目的とするコ ミュニケーション的合理性の存在が想定されている。ここでのディスコースは「討議」の意味に近い。」

との説明がなされている。20

そこで、「参加デモクラシー」とは、様々な定義が可能であるが、端的に言えば、政策決定のプロセ スの一つ一つに住民が参加していくことを保障していく政治モデルであり、デモクラシーの方法論の 一つであると言える。一方、「熟議デモクラシー」21とは、これも様々な定義が可能であるが、公的な事 柄について、平等な立場で参加する者が熟慮に基づく議論を経ることを重視する政治モデルと言え るだろう。例えば、田村哲樹は、この熟議デモクラシーについて、「単なる多数決でものごとを決める のでなく、相互の誠実な対話を通じて、異なる立場の人々の間に合理的な一致点を探っていこうとす るタイプの民主主義」22、あるいは「人々が対話や相互作用の中で見解、判断、選好を変化させていく ことを重視する民主主義の考え方」23などと述べている。

この他にも多くの研究者による様々な説明がなされているが、例えばJ・S.フシュキンは、参加デモ クラシーにおいては直接的意見聴取が多用され、それが重要な意思決定の方法になること、また、

単に政策を決定するのがどのエリートかということではなく、どの政策にするかという問題も直接意 見聴取にかけられる、つまり、競争的デモクラシーとは対照的に、人々はどの政党が政権を握るかと いうこと以上の問題について民意を問われることに特徴があるとし、一方、熟議については、参加者 が誠実に賛否両論を検討し、公共の問題の解決策について熟慮の上で判断を下すと定義している

24

また、フランスのロイック・ブロンディオは、熟議の哲学として、熟議デモクラシーはこれまでアン グロサクソン諸国や北ヨーロッパで経験されてきた参加デモクラシーに対してインスピレーションを 与える源になるものであると言い、熟議デモクラシーが参加デモクラシーに与える影響について指

20 猪口孝/大澤真幸/岡沢憲笑『政治学事典』,弘文堂, 2004 年参照。

21 熟議に近い語彙に「討議」があるが、討議は「討議的対抗」の意味をより含むと思われることなどから、厳密な意味において は明確に論じ分ける必要がある。本論では、基本的には熟議を使用しているが、本論は熟議デモクラシー、討議デモクラシー の概念的分類を試みるものではないことから、その差異については厳格には区別せず、文脈や引用に応じてそれぞれ使用し ている。

22 田村哲樹『語る 熟議/対話の政治学』(政治の発見5),風行社,2010年,28頁。

23 田村哲樹『熟議の理由 民主主義の政治理論』,勁草書房,2008 年,ii 頁。

24 ジェイムス.S.フィシュキン,前掲書,早川書房,2011 年参照(例えば 36,122-123 頁)。

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13 摘している25

このように、熟議デモクラシーは多くの論者によりそれぞれに定義されうるが、本論での一時的な 定義として、「参加者が十分に議論と熟慮を重ねた上で、単に個人の利益・選好の総和を求めようと するのではなく、互いの意見を比較考量する過程の中で価値の変化を伴いながら、議論の結果では なくプロセスによって正統化されるモデル」としておく。その熟議の過程では、自分の意見をできるだ け明確に述べる論理性やコミュニケーション技術と、他者の異なる意見にも真摯に耳を傾け、納得し たり、自分の意見を修正するという態度が必要となるが、それは相手を負かし、勝敗を決めるディベ ートのようなものとは異なる発想である。

そもそも「デモクラシー(democracy)」とは、古代ギリシャのポリスの時代の語源から見ると、一般 民衆を表すdemos(デモス)と支配を表すkrastia(クラシア)からなる「民衆による支配」ほどの意味で あったとの説明がされるが、王制や貴族制は過去の話としても、現実世界の中で民衆の意見がどの 程度反映されているのかは疑わしい。民衆のデモクラシーは代表制の下で最終的には投票により物 事を多数決で決めることが中心となっており、その典型は選挙であるが、これを否定的な意味で「集 計デモクラシー」と呼ぶ場合がある。これは前述した競争的デモクラシーとほぼ同義とも捉えることも できる。熟議デモクラシーの政治理論は、このような集計デモクラシーの対峙概念として登場したと いう見方がされることもあり、その集計デモクラシーの問題は多数決の限界であり、さらには人々の 意思の質の問題である。この意味において熟議デモクラシーは、「多数決」や「意見の質」の問題と深 く関係している。

これらに関して現代的状況を挙げれば、例えば、投票においては、無記名投票の個々人の含意や 選好の度合いは明らかとならず、見た目の印象や名前の覚えやすさや書きやすさ、テレビで知って いる人であるかどうかなどの理由で投票したのかもしれない。同様に世論調査も匿名で行われるも のであるから、人々がどの程度熟考したのかは不問に付され、数値や結果ばかりがクローズアップ され、政治家や行政がこれに反すると世論、民意の無視と批判されることになる。今日、このようなデ モクラシーの根本的な課題に対処しようとする動きがいくつかあり、そのうちの一つは、政治家側か らの発信としてのマニュフェストを挙げるとすれば、もう一つは、本論で取り上げる熟議デモクラシー 的手法の導入を挙げることができよう。この場合、政治が白か黒かの分かりやすさに陥りやすい単 純な「世論」に左右されないためには、政治家や行政の政策立案者、実行者の質だけでなく、世論の 質も高め、「よく練られた世論」によって政治や行政をコントロールすることも必要となってくる。その ためには人々がより深く議論していく仕組みが必要となり、このことを地域社会においていかに実行 していけるのかということが大きな課題となる。このことが、本論においてその実践の場としての狭

25 Loïc BLONDIAUX, Le nouvel esprit de la Démocratie, actualité de la démocratie participative, Seuil, 2008, pp.43.

また、ブロンディオは、フランスがこれまで熟議デモクラシーを十分に導入していない理由、影響を受けにくい理由として、熟議 (délibératon)という語彙が、フランスでは刑事裁判や議会の議決といった効力のある決定を意味することを連想させること、文化 的に熟議という美徳に対する愛着が少ないという 2 つの点を挙げている。(同上 43-44 頁)

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14 域のエリアに注目する理由でもある。

では、このような熟議デモクラシーの理論はどのように展開してきたのか、歴史を振り返りつつさら に確認してみたい。

まず、熟議デモクラシーという言葉は、合衆国憲法の統治構造に熟議の原理が組み込まれている ことを強調し、「熟議デモクラシー」、すなわち「思慮ある多数派支配」を提唱したアメリカの政治学者J.

M.べセットの「熟議民主主義―共和制における多数決原理」(1980年)に始まるとされる26 また、その80年代には、B.R.バーバー27によるストロングデモクラシー論や、ロバート・A.ダールに よる参加デモクラシー論の重要性が叫ばれ、バーバーは、「thin(シン)」、「strong(ストロング)」という 表現を用い、代表制やリベラル・デモクラシーを「シン(薄弱な)デモクラシー」として批判しつつ、その 対抗軸として、市民の政治参加を基調とした「ストロング(強靭な)デモクラシー」を提示した。また、多 数派による専制、画一化された大衆社会、全体主義に通じるシンデモクラシーの克服には、人々の 政治参加を拡充させるだけではかえって危険であり、参加や熟議を介した政治判断の積み重ねを伴 った政治過程の重要性を説いて、その実践のための処方箋として、数千人規模の住民総会、抽選制 やローテーション制を取り入れた代議員の選出、テレビ討論などを提唱した。また、ダールは、1989 年に、ランダムサンプリングにより抽出した1000名程度の市民がテーマごとに1年間かけて討議し、

その結果を発表するという「ミニポピュラス」の仕組みを考案した。その検討結果については議会の 補完機能を果たすものと期待した。

さらに、90年代になると、同じくアメリカのフィシュキンは、①母集団から無作為に参加者を抽出し、

②参加者はアンケートに答えた上で、小グループまたは全員で会議を何時間も行い、③熟議の終了 後、再度同じアンケートに答える(熟議を経てどのように意見が変わったか、というようなプロセスか らなる、世論調査と熟議に基づく討論フォーラムを結びつけたシステムである「討論型世論調査

(DP)」を多くの国で開始し、加えて、「熟議の日」という大胆な提案も行い、国政選挙前に祝日を設け、

全有権者に各地域の討論会への参加を提唱した。

一方、欧州においても、同時期にユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)28による討議倫理論 が注目され、現代のデモクラシーの本質が問われた始めていた。ハーバーマスの議論は、篠原が紹 介しているように29、制度論と両輪をなす市民性の回路を説いた二回路デモクラシー論とも言われ、

決定に至るまでの議論・公論の形成過程だけでなくその質も重要視したものであった。

熟議デモクラシーの理論的源泉の一つは、このようなハーバーマスの規範的コミュニケーション論

26 大矢吉之「熟議民主主義論の展開とその政策理念―市民参加・熟議政治・合意形成―」足立幸男・森脇俊雅編著『公共政策 学』,ミネルヴァ書房,2003 年,343 頁参照。

27 B.R.バーバー、竹井隆人訳『ストロングデモクラシー 新時代のための参加政治』,日本経済評論社、2009 年参照。

28 「公共性の構造転換」の上梓は 1962 年。

29 篠原一『市民の政治学』,岩波書店,2004 年参照。

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であり、議論の手続きを定式化することで全員一致のコンセンサスを目指すという性格が強い。この ようなハーバーマスの「討議デモクラシー」概念に対しては、より対案を重視した議論の改良を目的 の主眼とする、ジョン・ドライゼク(John S. DRYZEK)の「ディスカーシブ(言説的)デモクラシー」、そし て合意を求めるのではなく敵対した相手に議論を対峙させることこそ真のデモクラシーにつながると するシャンタル・ムフ(Chantal Mouffe)による「闘技デモクラシー論」も注目されている。ハーバーマス が国家制度を軸として、あくまでもそこで捉えきれない声を市民的回路に求めていることとは逆に、ド ライゼクは、ハーバーマスの熟議デモクラシーに対して合意形成における現実的困難性や敵対関係 を軽視していると批判し、ディスカーシブデモクラシーの概念を対置したが、これは市民社会が異な る意見を持つ対抗的な諸勢力により成り立っているとの前提に立ち、合意を形成することよりも意見 を戦わせることによりデモクラシーが高まるという立場である。さらに、ムフは、カール・シュミットの 理論を基に政治的なるものの本質を探究し、デモクラシーが健全に機能するためには、政治的でイ デオロギー的な左右の対立が重要であり、アンソニー・ギデンズ(Anthony GIDDENS)により主導され たブレア政権下の英国における第三の道のような合意を目指す中道政治に異を唱えるなど30、合意 形成を前提としない政治的な闘争(敵ではなく対抗者と呼ぶ)が民主主義の発展のためには重要と考 える。

このように手続き主義、コンセンサス志向が批判された結果、熟議のプロセスに考察の焦点を置 く過程論的アプローチも提唱されている。例えば、ドライゼクやジェームス・ボーマン(James BOHMAN)は、全員が同じ一つの理由から結論を支持するコンセンサスではなく、それぞれが異な る理由から結論を支持する同意(agreement)という形態の集合的決定のあり方を提唱している。ドラ イゼクはグローバル社会における差異の問題にも熟議は有効であるとして、新しい地平を切り開こ うとしており、このような国の枠組みを超えたテーマ設定や手法は、狭域に注目する本研究の射程 を超えており、本論でのアプローチとは異なる捉え方であるものの興味深い31

一方、フランスにおいては、1980年代にベルナール・マニン(Bernard MANIN)が「一般意思か熟議 か」と題する正統性と政治的熟議の理論32を展開し、集合的意思決定の正統性の問題は、選好を所与 ではなく、熟議の過程において変容するものと捉えることによって解決できるとし、ルソーやロールズ の理論は、集合的意思決定に参加する以前に、「すでに自分の意思を決定してしまっている」個人を 想定しており、多数決原理を全員一致の要請と一貫して調和させることは不可能であるとした33。しか

30 シャンタル・ムフ(著),葛西弘隆(訳)『民主主義の逆説』,以文社,2006年,165-171頁。

31 一方、ロバート・ダールは、デモクラシーと規模の≪難問≫として、そもそもデモクラシーは国際関係や国際機関においては 馴染まないものであると言及している(ダール,前掲書,2006 年,95-103 頁)。

32 Bernard MANIN,Volonté générale ou délibération? Esquisse d’une théorie générale de la délibération politique,, 1985.

33 Ibid, Bernard MANIN, 1985, pp.19-20:Tant que l’on prend la volonté déjà déterminée des individus comme base unique de la légitimité, on parvient inévitablement à la conclusion que seul est légitime ce qui fait l’accord unanime. L’exigence d’unanimité est tout à fait justifiée dans une théorie pure de la justice dans la mesure où celle-ci ne se préoccupe pas des conditions réelles de sa réalisation ni des moyens nécessaires pour l’approcher. L’unanimité est cependant un réquisit inadéquat pour une théorie de la

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し、フランスにおいて熟議デモクラシーが大きく注目され始めたのは、1990年代以降であり、とりわけ 2002年近隣民主主義法によって、クローズアップされてきた概念と言ってよい。

このように、熟議デモクラシーの理論面では、フランスより先に、まず、アメリカやドイツ等で積極的 に研究、提唱されるようになり、近年では一部の政治学者や社会学者が主導して、公共圏における 議論を考察する方法として熟議的デモクラシーの手法導入も試みられ、その報告が盛んに見られる 状況となっている。

décision politique, mais simultanément, sauf à sombrer dans l’empirisme et le relativisme, la théorie de la décision ne peut abandonner le souci de la légitimité. Or, faire l’hypothèse que les individus confrontés à la nécessité d’une décision politique savent déjà exactement ce qu’ils veulent est irréaliste, mais aussi injustifié. L’individu libre n’est pas celui qui sait déjà absolument ce qu’il veut, mais celui qui a des préférences incomplètes et cherche à déterminer par la délibération intérieure et le dialogue avec autrui ce qu’il veut précisément. Lorsque les individus abordent la décision politique ils ne savent que partiellement ce qu’ils veulent. Aussi est-on fondé à prendre pour base de la légitimité non leur volonté pleinement déterminée, mais le processus par lequel ils la déterminent : la délibération. Une telle perspective est rigoureusement compatible avec les principes de l’individualisme ; elle n’implique pas du tout que quelqu’un d’autre, doté du savoir, doive apprendre aux individus ce qu’ils veulent, mais simplement qu’ils le recherchent eux-mêmes. Elle permet, en outre, sans renoncer au souci de la légitimité qui, pour le monde moderne, ne saurait procéder que de l’individu libre, d’échapper au réquisit exorbitant de l’universalité et de l’unanimité.

田村哲樹『熟議の理由 民主主義の政治理論』,勁草書房,2008 年,37 頁参照。

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