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大和川, この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史

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Academic year: 2021

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(1)大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 大和川、この50年の洪水と河床変動 ならびに河川堆積物の形成史 鈴. 木. 一. 久*. Flood Event, River Floor Deformation, and Sedimentary History of the Yamato River during the Past Five Decade Years (SUZUKI Kazuhisa). 1 はじめに 大和川は、笠置、生駒、金剛の各山地と奈良盆地に降った雨を集めて流下し、生駒山地を抜 けたところで石川の水を合わせて大阪湾にそそぐ、幹線流路長 68km、流域面積 1,070km2 の一 級河川である。源流は桜井市北東部の貝ケ平山(822m)であり、上流部では初瀬川と呼ばれる (第1図)。 現在の大和川の流れは1704年に付け替えられたものである。それ以前、大和川は河内の平野 を北に流れ、氾濫を繰り返しながら沖積平野を形成していた。縄文海進で生じた河内湾を埋め 立ててデルタを形成したわけであるから、相当な量の土砂を運ぶ河川であったことが推定され る。付け替え以降の大和川も土砂を運ぶ河川であったことは1948年撮影の米軍空中写真からも うかがえる。この写真では柏原から河口部まで大和川の河床は川幅いっぱいに砂礫で埋めら れ、その間を網状に水が流れていたことが読み取れる。しかし、戦後の復興開始とともに、全 国の河川と同様、大和川の河床は低下を始めた。川の流れは蛇行流に変わり、かつての河床は 段丘化し濃い植生に覆われるようになった。そして現在、このような場所は河川敷内の公園や グランドとして開発されている。 本論では、柏原付近の大和川の変遷を、洪水イベント、河床変動史、河川堆積物の形成史の 観点で述べるが、川はまた地層の形成を学ぶ生きた教材となる。今まさに、洪水が発生するた びに河床の砂礫が移動し、高水敷では氾濫による細粒な堆積物がもたらされ、地層が形成され ているからである。また、本論で扱う場所は、近鉄大阪線安堂駅あるいは近鉄道明寺線柏原南 *近畿大学教職教育部教授. 〔キーワード〕洪水履歴、河川堆積物、河床変動、大和川. ― ― 95.

(2) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第1図 大和川の流れと水位流量観測所の位置. 口駅からすぐ近くにあり、児童・生徒を引率しての観察に適している。本論が理科教育あるい は郷土理解教育の教材として役立つことを願っている。. 2 洪水イベント 河川は洪水のたびにその姿を変えている。すなわち、増水した川のエネルギーによって、河 岸や河床が侵食され、堆積物は移動あるいは堆積をくり返している。大和川の堆積環境の変遷 を検討する上で、まず、洪水の歴史について述べる。 洪水資料の入手にあたっては、国土交通省のウェブサイト「水文水質データベース」を利用 した(国土交通省 2014)。柏原水位流量観測所は、河内橋のすぐ下流の左岸(藤井寺市大井5 丁目)に位置している(第2図) 。観測所は河口から 17.03km、量水標零点高は TP 13.50m で あり、これより上流の流域面積は 962km2 である。平常時は-2m 程度の水位で、細長く伸び た砂礫州が良く観察できる。水深は深いところで1~2m である。雨が降ると水位が上昇す ― ― 96.

(3) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 第2図 柏原水位流量観測所周辺の大和川の河床地形. るが、水防団待機水位は 1.5m、氾濫注意水位が 3.2m、氾濫危険水位は 4.0m である。1.5m と いう高さは、右岸柏原市側にある高水敷が浸水を開始する水位である。柏原水位流量観測所で は、時間水位と日平均水位、ならびに日平均流量に関して1955年以降のデータが公開されてい る。加えて、1970年以降については時間流量も公開されており、ピーク水位とピーク流量が検 討できる。 大和川の平常時の流量は日平均で 10m3/s 程度である。時々刻々と変動する流量であるが、 00m3/s 以上の洪水 ここでは日平均 1 00m3/s 以上を洪水として、第3図に示した。そのうち 5 は網掛けをして強調した。また、第1表には、5 00m3/s 以上の洪水の最高水位と最大流量、そ れらの生起時刻、ならびに日平均水位と日平均流量を示した。なお、表の備考欄(雨量順位、 最大2日間雨量、原因)については大和川河川事務所(2014a)を参照した。 日平均 100m3/s 以上の洪水の月別発生頻度を第4図左に示す。北太平洋高気圧におおわれ る8月は降水量が少ないため洪水も少なくなっている。1 2月~2月の冬季は冬型気圧配置とな り、太平洋側では降水量が少なくなるため、やはり洪水は少なくなっている。洪水が多く発生 するのは梅雨期と秋雨・台風期である。 次に規模別の頻度について述べる (第4図右)。日平均 1 00m3/s 以上の洪水日というのは、56 年間の全日数の3.7%を占める。大きな洪水は指数関数的に減少するが、500m3/s 以上の洪水は 955年から2010年までの5 6年 洪水日数全体の中の5.6%を占めている。5 00m3/s 以上の洪水は1 ― ― 97.

(4) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第3図 大和川の洪水(1955~1982). ― ― 98.

(5) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 第3図 大和川の洪水(1983~2010). ― ― 99.

(6) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第1表 日平均流量 500m3/s 以上の洪水の最高水位・最大流量とその発生時刻、 ならびに日平均水位と日平均流量 発生日時. 最高水位 最大流量 日平均水位 (m) (m3/s) (m). 日平均流量 (m3/s). 雨量順位、最大2日間雨量、 原因. 1956年9月27日18:00. 3.80. 3.34. 937. 1957年6月28日18:00. 3.42. 2.77. 508. 1957年9月12日06:00. 2.60. 2.27. 514. 1958年9月26日18:00. 3.25. 2.23. 510. 1959年8月14日06:00. 4.73. 3.92. 1,021. 第2位 210mm 台風7号. 1960年6月22日18:00. 4.06. 3.48. 888. 第7位 167mm 梅雨前線. 1961年6月27日18:00. 3.48. 2.67. 593. 第8位 145mm 台風6号と梅雨前線. 1961年10月28日18:00. 3.80. 3.62. 958. 第6位 177mm 前線豪雨. 1965年5月27日11:00. 2.42. 1.83. 501. 1965年9月17日23:00. 4.12. 1.85. 657. 1966年7月2日07:00. 3.88. 2.67. 768. 1966年7月9日06:00. 2.70. 2.23. 538. 1968年7月6日08:00. 3.10. 1.94. 631. 1968年7月16日09:00. 3.03. 2.10. 657. 1972年7月12日21:00. 2.72. 1,045. 1.17. 527. 1972年9月17日01:00. 3.50. 1,209. 1.59. 563. 1976年9月9日10:00. 2.48. 950. 1.52. 631. 1978年6月23日14:00. 3.00. 1,179. 1.22. 598. 1979年6月29日11:00. 3.42. 1,460. 2.16. 913. 1981年10月9日11:00. 2.21. 964. 0.97. 501. 1982年8月2日02:00. 4.64. 2,497. 2.63. 1,289. 1982年8月3日10:00. 4.46. 2,363. 3.29. 1,631. 1985年6月25日13:00. 2.80. 1,199. 0.92. 553. 1988年6月3日19:00. 2.23. 978. 0.74. 503. 1989年9月3日14:00. 2.56. 1,137. 1.00. 581. 1990年9月20日04:00. 2.66. 1,105. 0.95. 539. 1993年7月5日07:00. 3.30. 1,546. 1.38. 757. 1995年5月14日23:00. 2.02. 1,010. 0.81. 522. 1995年7月4日11:00. 3.92. 2,016. 1.31. 850. 1999年6月27日14:00. 2.59. 1,340. 0.22. 555. 1999年8月11日07:00. 3.18. 1,614. 0.95. 807. 2003年8月15日08:00. 2.13. 1,150. 0.54. 604. 2007年7月17日04:00. 3.47. 1,548. 0.65. 587. 2009年10月8日07:00. 3.50. 1,590. 1.11. 695. 2010年7月14日08:00. 1.71. 807. 0.78. 523. ― ― 100. 第3位 207mm 台風1 5号. 第5位 189mm 梅雨前線 第1位 286mm 台風10号ほか. 第4位 189mm 梅雨前線.

(7) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 第4図 大和川の月別洪水頻度(左)と規模別洪水頻度(右). 間に35回発生しており、平均すると1~2年(1.6年)に1回規模の洪水となる。次に 9 00m3 /s 以上の洪水についてみると、同じ期間に6回発生しており、これは1 0年に1回規模の洪水と なる。また、900m3/s 以上の洪水は、雨量順位の上位6位とおおむね一致する。. 3 河床地形の変遷  空中写真から読み取る河床変動 空中写真から読み取ることができる河床の変化を第5図に示す。1948年当時の大和川は堆積 物が多く、川幅いっぱいに大小さまざまな砂礫州が発達していた。それに対し、1961年では、 かつての流路中の砂礫州に植生が侵入し始めている。これは、この高さのところに洪水流が届 きにくくなったこと、すなわち河床(とくに流路部分)が低下したことを示している。 1961年の写真では大きな落差工が建設されているのがわかる。これは1952年に建設が始まり 1954年に完成した柏原堰堤である。大和川河川事務所のホームページにかつての柏原堰堤の写 真が掲載されている(大和川河川事務所 2014b)。水遊びをする子どもと比較して、建設当時の 堰堤の高さは 1.5m 程度と判断される。堰堤の建設は、河床が低下し、築留における取水に支 ― ― 101.

(8) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第5図 空中写真から読みとる砂礫州の変遷(1948~1979). ― ― 102.

(9) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 第5図 空中写真から読みとる砂礫州の変遷(1984~2007). ― ― 103.

(10) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 障が出てきたことを表すものである。 この時期の急激な河床低下に伴って流路の位置が入れ替わった。すなわちそれまで右岸寄り を流れていた区間では流れは左岸寄りに変わり、左岸寄りであった区間は右岸側に移動した。 流路の位置に関しては、これ以降、基本的な変更は見られないが、1964年、1971年と時間が経 過するにしたがって植生が濃くなっていき、1975年にはかつての砂礫州は完全に植生におおわ れ、段丘化していった。そして、1979年にはかなりの部分が人工の高水敷としての形態を示す ようになった。 1984年以降に関しては、現在までに6枚の空中写真が撮影されているが、流路と高水敷の形 態は大きくは変化していない。しかしながら、継続する河床低下に対応するため、新たな落差 工が建設されていることが、1994年、1999年、2004年の空中写真で読み取れる。なお、柏原堰 堤はその後改修され、落差は 2.7m となった。また、2010年3月には新しい魚道が設置されて いる。.  河床縦断面の変化から読みとる河床変動 第6図に奈良盆地から河口に至るまでの区間の水面高曲線を示す。水面高は量水標零点高と 通常水位をもとに求めたものであり、遠里小野(河口から 4.2km)で 0.76m、柏原(17.0km) で 11.2m、国豊橋(19.4 km)で 1 7.3m、藤井(2 5.5km)で 25.8m、王寺(2 9.2km)で 30.7m、 河合(33.1km)で 3 4.5m、板東(3 5.8km)で 3 7.1m である。 図に示されているように、柏原量水標付近の河床低下が著しい。国豊橋における水面高と遠. 第6図 大和川の水面勾配. ― ― 104.

(11) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 里小野のそれを結ぶと(図の破線部分)かなりスムーズな水面曲線が得られるが、これがかつ て多くの砂礫が運搬されていたころの水面を表すのであろう。その勾配は、河口~遠里小野 (沖積低地)で0.18/1,000、遠里小野~国豊橋(丘陵末端部)で1.1/1,000、国豊橋~王寺(生駒 山地の峡谷部)で1.4/1,000、王寺~板東(奈良盆地)で1.0/1,0 00となっている。ちなみに、 2010年現在の遠里小野~柏原の水面勾配は0.81/1,000である。 以上は水面勾配の検討であるが、次に河床勾配について述べる。測量による平均河床高につ いては沖村(2 005)を参照した。これによると、遠里小野の河床はほとんど変化していないが、 柏原付近の河床低下が著しい。沖村(2005)に示されている図を判読すると、遠里小野~柏原 の河床勾配は1 932年で1.22/1,00 0、1953年で1.10/1,000、1962年で0.97/1,000、1972年で0.83/ 0となっている。すなわち大和川は、1932年から 1,000、19 85年で0.82/1,000、1994年で0.82/1,00 1972年まで柏原付近の河床が急速に低下し河床勾配が緩くなってきていたが、1985年以降はお おむね安定しているようにみえる。.  水位の経年変化から読みとる河床変動 第7図は柏原量水標地点における、平均河床高、年平均水位、年最低水位の変遷を示したも のである。グラフ作成にあたって、平均河床高は沖村(2005)の図から読みとったものであり、 1932年で 1 6.2m、1 953年で 15.1m、1962年で 13.2m、1972年で 12.2m、1985年で 11.6m、1994 年で 1 1.5m である。年最低水位については水文水質データベースの「任意期間水位検索」を用 いて最低値を調べた。年平均水位については、データベースの「位況表」を利用した。なお、 水位に関するグラフはいずれも前後3年の移動平均を示したものである。 鈴木(2 014)で指摘したように、年最低水位は1 955年から1960年の間、0m のまま全く変化 せずデータに不自然な点がある。しかし、年平均水位については1960年以前と以後でスムーズ に連続する。これは年間を平均することで最低値の影響が薄まったものと考えられる。年平均 水位と年最低水位はおおむね同じ傾向を示すが、特に1978年以降現在まではきわめてよく連動 している。低下の著しい時期は、年最低水位でみると1961年~1966年ごろである。年平均水位 では1961年~1 964年の期間である。その後、1966年から2000年ごろまでは多少の上昇下降を繰 り返しながら全体として緩やかに低下を続けている。しかし、最近の10年間ではわずかながら も上昇する傾向が認められる。一方1 961年以前についてみると、低下のしかたはゆるやかであ 50年ごろには安定的であるように見える。 り、19 ― ― 105.

(12) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第7図 大和川柏原水位流量観測所における、平均河床高、年平均水位、ならびに年最低水位の経年変化. 平均河床高の低下は水位低下と同様に明瞭である。特に著しいのは1953年から1962年の9年 間で、年平均 2 1cm の低下を示している。先に見た河床地形の変遷と合わせて判断すると、こ のような急激な河床低下は、1948年ごろから始まり1968年ごろまで継続していたとみられる。. 4 堆積物の層序と年代 現在の河川の堆積物は河床で観察できる。それに対し、過去の堆積物は段丘化した河岸の崖 を利用して地層を観察することになる(第8図) 。しかし大和川は側方侵食がほとんど見られ ず、河岸には樹木が立ち並び草本類によって覆い尽くされていることが多い。そのような中で 唯一、河内橋と新大井橋のほぼ中間地点の右岸 1 00m ほどの区間で露頭が見られたので、4ケ 所において地層の観察を行った(第9図)。 各地点とも河岸を構成する地質は大きく2つに区分される。すなわち、一番下に基盤をなす 粘土層があり、その上に大和川の現河川堆積物が重なる。現河川堆積物はさらに下部をなす厚 ― ― 106.

(13) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 第8図 大和川現河川堆積物の写真と柱状図(観察地点は第2図B). さ 10cm~1.5m 程度の砂礫層と、上部の氾濫堆積層に区分できる。なお、第9図に示した柱状 図において標高を示しているが、これは観察した露頭の水面位置と量水標水位、ならびに水面 勾配(0.81/1,000)などから求めたものである。.  基盤の粘土層 全体として暗青灰色シルト質粘土層からなり、かなり硬い。最も水位が低くなったときには 1.5m ほどの厚さで露出する。 ― ― 107.

(14) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 第9図 大和川現河川堆積物の層相と堆積年代(調査地点は第2図参照). 最もよく観察ができたC地点では下部、中部、上部に細分される。下部は水面から 5 0cm ほ どを構成する層であり、有機物が特に多く、暗紫色の泥炭質粘土からなる。また、他と比べ露 頭表面が六角形に割れる特徴がある。その上に中部をなす厚さ 2 0~30cm の灰色極細粒砂~細 粒砂が重なる。この中には細かい雲母片が多く含まれる。上部は 4 0~50cm の厚さの青色粘土 を主とするが、最上部5~15cm は褐色~灰色を呈し、植物の根などが認められる。これは水 面近くの酸化的環境を表している。青灰色粘土中には数mm~1cm の礫片を含むところがあ る。この粘土は下方に次第に砂質になり、中部の砂層に漸移している。 これらの粘土層の堆積年代を示す直接の証拠はみられないが、河内平野の地下を構成する沖 ― ― 108.

(15) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 積層の一部であると考えられる。.  大和川の現河川堆積物 砂礫層 大和川の流路あるいは砂礫州の堆積物であるが、場所によってかなり厚さと層相が異なって いる。A~C地点では 1 0~30cm の厚さの砂質礫層であるが、D 地点では 150cm の厚さに達 する。すなわち、この範囲内では全体として下流側へ厚さが減じており、A地点では欠如する ところも見られるようになる。 D地点では砂礫層はさらに下部と上部に分けられる。下部は相対的に礫径が小さく、基盤の 粘土のブロックを礫として含む。粘土礫は基底に近いほど多い。礫層には鉄分の染み込みが普 遍的に見られる。それに対し上部はきれいな砂礫層をなす。礫は数cm~1 0cm 程度の円礫が多 い。基質は極粗粒砂からなる。露頭の制約により、斜交葉理などの堆積構造は観察できなかっ た。 氾濫堆積層 砂礫州の形成が進み、高度が増していくとやがて植生が進出する環境となる。このような所 には大洪水のときに河床から巻き上げられた浮遊物により砂~砂礫質の氾濫堆積層が形成され る。また、中小洪水の時にはシルト~粘土質の氾濫堆積層が形成される。一般に現世河川の氾 濫堆積層は、1回の洪水で数cm から数10cm の厚さで、逆級化構造をなすことが多い(例えば 鈴木 2012)。大和川のこの場所でも、砂~砂礫質の堆積物には逆級化構造が認められる。ま た、氾濫堆積層はその場の流れの強さによって層相が変化するので、同一洪水による堆積で あっても、場所により堆積構造や級化の様式、粒度などが異なってくる。 さて、氾濫堆積層はおおむね14層確認されたので、下位から順に番号を付けた。それらのう ち、上半部の第6~12層については各地点でよく連続する。下半部の第1~5層についてはA ~C地点で分布する。以下、各層の特徴を述べる。なお、第10層の上位、地表から 20~30cm のところには灰色で硬く、角礫が混じってくる層が見られる。これは何らかの工事で人為的に 形成されたものと判断されるが、対比の材料となる。 第1~5層:いずれも黄灰色シルト層中に挟在する黄灰色極細粒砂~細粒砂で、明瞭な層理 面を持たない。A地点では5層に識別されるが、B、C地点では2層の黄灰色極細粒砂~細粒 砂と1層の細礫層からなる。この細礫層はA地点のどの層に対応するのか判別できない。これ ― ― 109.

(16) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). らの地層には古いビニール類がたくさん含まれる。ほとんどは判読できないが、A地点の第2 層から食品袋「アメリカ堂の挽茶あん」が出土した。また、C地点の第5層から、菓子袋「大 和屋のピーナツ」、整髪料袋「ポマラッカー」、ヒガシマル醤油「めんスープ」と読めるビニー ル袋が出土した。 第6層:AとC地点では薄い細粒な砂層であるが、B地点では中粒砂に至る明瞭な逆級化構 造をなし、平行葉理が発達する。D地点では粗粒砂~極粗粒砂に至る逆級化をなし、最上部に は1cm 程度の礫も散在する。 第7層:A地点では中礫混じりの細礫層、B地点では細粒砂からなるが、CとD地点では極 粗粒砂に至る明瞭な逆級化構造をなす。C地点では最上部は数cm の礫を含んでいる。 第8層:A地点ではリップル葉理を示すシルト質細粒砂からなる。B地点もシルト質細粒砂 からなるが、ここでは葉理は観察できなかった。C地点でもリップル葉理をなす細粒砂からな る。この層は上流方向に薄くなり、D地点では確認できない。 第9層:A地点では、他の地点とは異なって、中粒砂から上方に細粒化しシルト質細粒砂に 至る級化構造が見られる。ここでは地層の下底が明瞭であり、内部には平行葉理が発達する。 BとD地点では、シルト質細粒砂から上方に粗粒化し中礫混じりの極粗粒砂に至る層理をな し、逆級化構造が明瞭である。C地点では細粒砂からなり、リップル葉理が発達する。 第10層:A地点では中粒砂からなる。BとC地点ではシルト質細粒砂から細礫混じりの極粗 粒砂に至る逆級化層理をなしており、平行葉理が発達する。D地点では腐植質のシルト質細粒 砂からなる。 第11~12層:腐植質褐色の細粒砂で、BとC地点では2層に識別できるが、AとDでは1層 のみとなる。層位と層相から、第12層が全体に連続しているものと推定される。 第13~14層:現在の植生を覆う極めて新鮮な細粒砂である。A地点では2層に区分できる が、B~D地点では上の第14層のみが認められる。.  現河川堆積物の年代 空中写真から1964年以降、A~C地域の砂礫州に植生が進出を始めたことが読み取れるの で、第1層の堆積はそれ以降のものと考えられる。D地域は、空中写真からは1971年ごろから 植生が進出をはじめ、1975年ごろには完全に植生に覆われるようになったことがわかる。した がってこの場所での氾濫堆積の開始(第6層の堆積)は1970年代の後半と考えられる。 ― ― 110.

(17) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. 先に述べたように、A地点の第2層から「アメリカ堂の挽茶あん」、C地点の第5層から、 「大 和屋のピーナツ」、「ポマラッカー」、「めんスープ」が出土している。製造年月日を問い合わせ たところ、アメリカ堂については、あて所に尋ね当たりません、と返送されてきた。大和屋に ついては住所記載がなかった。ポマラッカーには大阪市東住吉区の古い住居表示が示されてい たが、区役所に問い合わせた結果、1980年新住居表示に変更された時にはその会社はその住所 には存在していなかったことがわかった。 「めんスープ」はヒガシマル醤油に問い合わせた結 果、1968年から1981年に製造販売されたものであることが判明した。 第5層に含まれる「めんスープ」の年代から直接わかることは、第5層は1968年より新しい ということのみである。しかしながら第5層より上に重なる地層群は相当厚く、また地層の枚 数も多いことから考えて、第5層があまりに新しくなることは考えにくい。おおむね1970年代 とするのが妥当なところであろう。次に、一番上の第13層と14層は現在の植生を覆う新鮮な堆 積物であるので、順に2013年6月2 6日(1 5時ピーク水位 3.29m)と2013年9月1 6日洪水(9時 ピーク水位 4.57m)の洪水氾濫堆積物であると認められる。また、第6層から第1 0層はかなり 厚くまた粗粒であるので、大きな洪水による堆積であることを考慮する必要がある。 以上述べたことと第1表に示した洪水の履歴を総合して判断すると、第1層から第4層は 1964年から1968年のあいだの6回の洪水のどれかにあたると考えられる。厚い地層は大きな洪 水で形成されたという仮定で選ぶと、第1層は1965年5月27日、第2層は1965年9月17日、第 3層は1966年7月2日、第4層は1968年7月6日ということになる。そしてそれより上位の地 層については、第5層は1972年9月17日、第6層は1979年6月29日、第7層は1982年8月2日、 第8層は1993年7月5日、第9層は1995年7月4日、第10層は1999年8月11日、第11層は2007 年7月17日、第12層は2009年10月8日、第13層は2013年6月26日、第14層は2013年9月16日の 洪水によって堆積したと推定される。これらの洪水は、おおむね最高水位が3m 以上の大きな 洪水にあたっている。 次に下部の砂礫層の堆積時期について述べる。先に述べたように、氾濫堆積は1964年頃から 開始しているので、それに覆われるA~C地区の砂礫層は1964年以前の砂礫堆の堆積物とみな すことができる。堆積の開始時期については確たる証拠はないが、砂礫層が薄いことと、絶え ず砂礫は移動していることを考えると、それほど古くはならないであろう。おおむね1950年代 から1960年代前半のものと思われる。 D地点での砂礫層については、堆積の開始はA~C地区と同様であるが、堆積の終了は第5 ― ― 111.

(18) 近畿大学教育論叢 第26巻第1号(2014・9). 層が堆積した1972年頃と考えられる。すなわち、砂礫州の先端では流れが強く砂礫が堆積する が、砂礫州の中ほどや末端では同じ洪水で氾濫堆積物が形成されるのが一般的であるからであ る。 D地点の粘土礫を含む礫層については、堆積時の河床に基盤の粘土層が露出していることが 堆積条件となるため、かなり古くなる可能性がある。もしかすると、1704年大和川付け替え直 後の堆積物かもしれない。. 5 おわりに 洪水イベント、河床低下、河川地形の変遷、および、堆積物の性質と年代から、柏原市河内 橋付近の大和川の変遷は次のようにまとめられる。①1940年代末から1950年代、大和川には砂 礫が豊富に供給され、河床には砂礫州が発達し網状の流路が形成されていた。②しかしその後 河床が低下をはじめ、1954年取水確保のため柏原堰堤が設置された。そして1950年代に流路位 置は大きく変化した。③下部の砂礫層は、この時代から1960年代初めまでの砂礫州堆積物であ るといえる。④1964年以降、A~C地域の砂礫州には植生が進出を始め、これ以降、大和川河 内橋付近では氾濫堆積物が形成されることとなった。⑤氾濫堆積層は全部で1 4枚識別される が、これらは最高水位3m 以上の大きな洪水のイベントとよく一致する。 はじめに述べたように、この地域は近鉄電車からの便がよく、生徒を引率しての自然観察に 適している。また、少人数であれば、スコップで露頭を削って地層の観察もできる。本論が理 科教育ならびに郷土理解教育に活用されることを期待する。. 文献 国土交通省(2014)水文水質データベース.国土交通省ウェブサイト http://www1.river.go.jp/ 沖村 孝(2005)大和川の河床変動の経過と亀の瀬地すべりによるダムアップの可能性につい て.第7回大和川流域委員会配布資料.国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所ウェ ブサイト http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/iinkai/report/pdf/7/02-09-06.pdf 鈴木一久(2012)京都府南部,木津川玉水橋付近の河川堆積物.近畿大学教育論叢23巻2号15 42. 鈴木一久(2014)全国河川年最低水位の経年変化.近畿大学教育論叢25巻2号113. 大和川河川事務所(2014a)大和川について.国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所ウェ ― ― 112.

(19) 大和川、この50年の洪水と河床変動ならびに河川堆積物の形成史. ブサイト http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/about/ 大和川河川事務所(2014b)大和川の懐かしい写真展示館.国土交通省近畿地方整備局大和川 河川事務所ウェブサイト http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/memory-photo/16.html. ― ― 113.

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参照

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