巻頭言:ジュラ語
著者
原口 武彦
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アフリカレポート
発行年
2010-03
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00008071
doi: 10.24765/africareport.50.0_2私がはじめてコートジボワールの地を踏んだのは1967年のことであるから,私とコー トジボワールとの付き合いもかれこれ40年余りになる。現地にも3回にわたって都合4 年半長期滞在し,調査研究に携わってきた。しかし今振り返ってみて努力したかいがあ ったと感じることができるのはジュラ語の学習ぐらいかもしれない。大別しても5系統 になるコートジボワールの60余もある部族語の中から私はジュラ語を選んで学ぶことに した。ジュラ語はもともと植民地化前から遠隔地貿易に従事してきたジュラと呼ばれる 商人層の言語である。コートジボワールの経済発展に伴って,公用語のフランス語がま まならぬ庶民の間に部族の枠を超えて,特に国家の保護を受けることもなくジュラ語は いわば自生的に普及してきた。今日,コートジボワール国民の6割ぐらいがジュラ語を 多少なりとも理解することができるという。同じ系列の言語は西アフリカ内陸部に広く 存在し,それらを合わせると西アフリカ内陸部中心に800万に近い話者人口をもつと推 計されている。 1980年代の第2回目の現地滞在時から私は本格的にジュラ語を学習し始めた。当時は フランス人の研究者が作成した500語余りの単語を収録した語彙集しか存在しなかった。 私は個人的に師事したジュラ語の先生に監修してもらい私の学習ノートをもとに1000語 余りの基礎単語を収録した『Lexique du Dioula』(ジュラ語語彙集)を1993年にコートジ ボワール国立大学付属応用言語研究所から刊行することができた。といっても私のジュ ラ語の会話能力は流暢というにはほど遠い。それでも現地調査の途次パリで西アフリカ 出身と思われるタクシーの運転手さんに出くわすと「イ・ボラ・ミン?」(どこの出身です か)と話しかけることができるくらいにはなった。2年前,パリの日本大使館に立ち寄 った際,守衛さんにも話しかけてみたら通じた。2人は異郷で出会った同胞のように意 気投合し,お互いの家族のことなど語り合った。公用語のフランス語ではこうはいかな い。小さな言語は暖かい。 「クマ・マン・ディ・ダ・ケレン・ナ」(話というのは1つの口からでは良くない)は,話し 合いの大切さを諭すジュラ語の諺である。日本の大学の講義で私の「アフリカ論」はい つもこの諺で締めくくることにしてきた。バオバブの大樹の木陰で車座になって語り合 う人びとの姿が目に浮かんでくる。