近世における播州三木金物の流通:―仲買問屋の活動を中心として―
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(2) 存在していた鍛冶職人の大半が野道具を生産し. べた。すなわち、江戸打物間屋と三木仲買問屋. ていたことを確認し、古来より伝承された金物. のやり取りの申で文政年間において「難破船」. 産業の中し子的な存在であるという見解を疑問. に対する負担問題が発生している。この際、三. 視した。. 木に半額負担を要求する江戸に対し、三木は拒. 第一章では、三木金物が産業として発展する. 否姿勢を示した。三木の強硬姿勢に属すること. 契機を作った仲買問屋に着目し、仲買問屋の発. になった江戸であるが、このまま江戸が負担を. 生と活動について述べた。本論の主な参考史料. 続けたというより、時間を置いて新たな策を講. である間屋史料を所有している「黒田清右衛門. じたのではないかと考える方が自然である。そ. 家」とr井上善七家」の両家の沿革だけでなく、. してその策が、大坂からの要求という立前でr積. 織方とのやり取りを史料から読み解くことで、. 口銭」を徴収することであったのではないかと. 士農工商における工と商の関係性の一例を示し. いう仮説を示した。. た。. この見解の妥当性が認められるだけの決定的. また織方と仲買間屋の関係は、経済的に考え. な史料は未だなく断定はできなしソしかしなが. ると仲買間屋が優勢であることから仲買間屋に. ら、江戸と大坂のやり取りを示す史料があれば、. よる織方の支配という構図も考え得るが、製品. 明らかにすることができる可能性があると考え. の値段交渉等の史料から見られるように、織方. る。. の主張を、仲買間屋が受け入れるケースも見ら. 以上のように、合戦の地となった三木から勃. れた。. 興、そして発展した三木金物の流通に着目し、. 第二章では、大坂及び江戸へと販路を拡大し. 大都市の間屋を相手にしながらも強硬姿勢を示. た三木金物の流通について述べた。仲買問屋の. した三木の仲買間屋の邊しさを見ることができ. 活動により遠隔地間の取引を行う申で、海運が. た。しかし、r三木金物間屋史料」から読み取. 関わることによりr難破船」やr濡荷」等の諸. ることができる庶民の達しさは本論にて述べた. 問題が発生する。それらについて間屋同士の交. ものに限らない。また、三木仲買問屋の史料を. 渉が行われたが、その際にも織方と仲買間屋と. 中心としたが、大坂や江戸の間屋の史料があれ. の関係性が見られる。これに関しては、織方と. ば、本論にて述べた内容を裏付けることができ. 三木の仲買問屋の間で交わされた文書が見られ. る可能性があるので、今後史料の探索を続けた. ないことから疑わしい点もあるが、織方の拒否. い。. 姿勢を理由に三木の仲買間屋は強硬姿勢を見せ ている。. また、大坂から産地に対し要求された「積口. 主任指導員 河村 昭一. 銭」について、要求される経緯ややり取りの史. 指導教員 河村 昭一. 料を挙げた。これまでは大坂が新たな収入を得 るための要求であるという見解が一般的であっ た。しかし、江戸と三木とのやり取りについて、. それ以前のものを取り上げ、新たな可能性を述. 一287一.
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