• 検索結果がありません。

<研究・制作ノート>海神の姫から見た世界 ─海道、人神性、超自然契約

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "<研究・制作ノート>海神の姫から見た世界 ─海道、人神性、超自然契約"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)研究・制作ノート. 海神の姫から見た世界 ─海道、人神性、超自然契約. 榑沼範久. “I am the ocean Lit by the flame I am the mountain Peace is my name I am the river Touched by the wind I am the story I never end” (King Crimson,“Peace – A Beginning” [Robert Fripp, Peter Sinfield], In the Wake of Poseidon, 1970). 「渚は二人の夢を混ぜ合わせる」 (スピッツ「渚」、草野正宗作詞・作曲、 『インディゴ地平線』、1996 年). 1. 伊勢、鳥羽から『古事記』へ 2019 年(平成 31 年/令和元年)の春に、生まれてはじめて『古事記』を 買って読んだ〔1〕。もっとも、腰を据えて読んだのは、神代の物語で. 海神の姫から見た世界. 145.

(2) ある上巻にとどまる。天皇の交替とともに人代の歴史が進行してい く中巻と下巻は、まだ読み切れていない。 『古事記』を読もうと思ったのは、この 3 月下旬に二見興玉神社と 夫婦岩、伊勢神宮の外宮と内宮に行ったあとのことだ。敬愛する明 仁天皇と美智子皇后の両陛下が、譲位の御奉告のため 4 月中旬に御 参拝するという。とはいえ、自身も平成から次の元号に変る節目に 是非参拝しておきたい、と考えたわけではなかった。5 年前から住 んでいる信州の軽井沢から、途中でどこかに宿泊しながら、妻の実 家のある姫路に車で家族旅行しようと決めたとき、口の達者な幼稚 園児の希望は聞かず、久しぶりに海も見たいし、海の近くでもある 伊勢神宮に行ってみよう、という話になったのだ(海に行くとなれば息子 も納得するはずだ)。. 息 子 が 気 に 入 っ て い る ス ピ ッツ『CYCLE HIT 1991–1997 Spitz (2006)などを聴きながら、ようやく伊勢 Complete Single Collection』. に到着したときにまず感じたのは、ああ、ここは数年前に行った沖 縄に何か似ているということだった。同じ春の陽光と海辺近くの風 景が、たまたま重なったのかもしれない。携えていた柳田国男の最 (1961[昭和 36 年])の中身を予期していたのかも 晩年の論集『海上の道』. しれない。沖縄の東海岸と九州や四国の南部、そして紀伊半島や伊 勢湾を「海上の道」でつなぐ海洋文化圏の存在という仮説。旅の初日 に宿泊する二見の宿屋で『海上の道』の頁をめくり、海流を示す図版 を見ると、黒潮の流れは台湾の沖から琉球諸島、屋久島や種子島を 経由し、九州、四国、紀伊半島の沖を通り、駿河湾、相模湾の遥か彼 方、八丈島や三宅島を横断しながら、房総の沖に至って太平洋に放 たれていく〔2〕。 二見の夜が明けて、翌朝に訪れた伊勢神宮の外宮と内宮では、. あまてらすおおみかみ. 天照大御神たちを祀って20年ごとに遷宮する数々の社殿や、社殿を 移したあとの古殿地にぽつんと立っている小さな社、そして神宮内 外に広がる森林や、風吹く五十鈴川の流れもさることながら、ふと 積んである石や、殿地に敷き詰められている石が気になった。そう 146. 研究・制作ノート.

(3) いうことかもしれないと膝を打ったのは、旅から戻って岡本太郎の 言葉を見つけたときだ。 「ぼくは沖縄へ行ってえらい感動した。沖縄 には、黒潮がずっと南のほうからも来ているだろう。その黒潮に乗 って沖縄から日本にずっと入って来た。たとえば伊勢神宮は、そも そも日本の皇室のものじゃなくて、沖縄のシャーマニズムと同じも のだったと思う。このあいだ遷宮をやったけれども、いまでもあそ 〔3〕 。 この下には石ころが置いてある」. 旅の 2 日目の夜は志摩に泊まる行程のため、伊勢をあとにして、 真珠貝を養殖している海岸に沿って車を走らせ、鳥羽市立海の博物 館に立ち寄った。1992 年に公共建築百選に指定され、翌年に日本建 築学会作品賞、吉田五十八賞などを受賞した内藤廣建築設計事務所 デザインの建築を見に行ったというよりも、3 月にそこで開催して いた「チームラボ お絵かき水族館」で遊ぶためだった。軽井沢から の運転疲れも蓄積し、妻と私は志摩に直行したかったのだが、 「おえ かきはこどものきほんなんだからね」と宣う幼稚園児に引っ張られ 4. 4. 4. たかたちになった。 しかし、われわれはこの海の博物館で、山幸彦と海幸彦の物語を 紹介する展示に出会うことになる。旅から帰ったら「記紀」を読まね ばと、この物語のことを手帳に記した。まずは『古事記』から読んで みよう。 『日本書紀』よりも『古事記』のほうが、文字で記される前か ら語り継がれてきた物語の気配を残していると、どこかで耳にした ことがある。 今年度の講義では「 『人新世』以後のリヴァイアサン」を主題に、 ノモス. 『古事記』も組みこみながら、社会契約を超えた地球の新しい法を探 ることになった。紙幅の都合上、この研究ノートでは主題と問題を 絞る。以下は『古事記』を初めて開いた私が、山幸彦(山佐知毘古、また ホ. ヲ. リ. ホデリ. の名を火遠理)と海幸彦(海佐知毘古、またの名を火照)の物語を読み解いたこ. との要点になる。. 海神の姫から見た世界. 147.

(4) 2. 海道と人神性 『古 事 記』に は 死 者 と 生 者 を 大 き く 分 割 す る 黄 泉 の 国 の 物 語 い ざ. な. み. い. ざ. な. き. (伊耶那美と伊耶那岐の物語)のみならず、人と人ならざるものを大きく分. 割する物語(山幸彦と豊玉姫の物語)が書きとめられている。われわれの 身の回りの自然を形成する秩序や、その自然をつかさどる法則や慣 習を超えた超自然的出来事が、この物語には刻まれているのだ。 しかも、この物語は同時に、この国では誰が誰を支配、統治する のかという物語(山幸彦と海幸彦の物語)と、ひとつに撚り合わされてい る。そこに刻まれるのは地政的出来事である。弟の山幸彦(陸の神的 民)は兄の海幸彦(海の神的民)を従える。そして、この山幸彦と豊玉姫 わたつみ. (海神の姫)のあいだに産まれた子が、その後の神武天皇の父になって. いくのである。 これら一連の物語は、 『古事記』の記述が神代から人代へと移行す みぎわ. る、まさにその汀のすぐ近くに置かれている。人代へと移行する直 前に、いったい何が起きたのか。これは人が神から離れていく、そ して神が人から離れていく潮目に位置する物語でもあるのだ。物語 の大筋を追いながら、以上のことを展開して説明したい。 ある日、弟の山幸彦が兄の海幸彦に、互いの佐知(道具 – 獲物)を交 換してみようと提案する(佐知は道具であると同時に獲物としての幸でもある)。 山幸彦は海幸彦の道具を使ってみるが、魚は釣れないばかりか、兄 の釣り針を海で失くしてしまう。困った山幸彦が海辺に座っている と、そこに潮流の霊が現れ、山幸彦を小舟に乗せて海神の宮へと送 り出す。その門のところで山幸彦は海神の娘である豊玉姫に出会い、 互いに見初め合うことになる。青木繁の描いた《わだつみのいろこ (1907[明治 40 年] )は、 の宮》 『古事記』のこの場面を描いたものだ。. 山幸彦は 3 年間、その国に住みついて豊玉姫と一緒に暮らすが、 ここに来た理由をあるとき思い出す。豊玉姫は海神に相談し、海神 は魚たちを召し集め、山幸彦の失くした釣り針を見つけ出す。そし て海神は釣り針を山幸彦に返すとき、呪文を唱えるようにと教える 148. 研究・制作ノート.

(5) しおみつたま. のだ。それで兄が貧しくなり、恨んで攻めてきたならば、塩盈珠を しおふるたま. 投げて溺れさせてしまえ。もし兄が降参するならば、塩乾珠を出し て海水を引かせ、兄を生かすようにと。釣り針を携えて、海神の宮 から陸に戻った山幸彦は、海神に言われたとおりに事を進める。 この場面は、石ノ森章太郎のマンガ『古事記』のクライマックスに もなっている〔図 1、2〕。塩盈珠の威力はすべてを飲みこむ大津波とし て描かれ、その轟音はコマをはみ出し、それどころか紙面からもは み出して響いている。石ノ森の第二の故郷と言われ、石ノ森萬画館 もある石巻を、2011年5月6日に私自身、建築家の山本理顕さんたち と歩いてきただけに、より一層、 『古事記』のこの場面から地球の事 象を感じるところだ。. 図 1. 石ノ森章太郎『古事記』、マンガ日本の古典 1、中央公論社、1994 年、256–257 頁。. 図 2. 同前、258–259 頁。. ところで、海神から山幸彦に贈与された塩盈珠や塩乾珠は、海の. 海神の姫から見た世界. 149.

(6) 民の道具である釣り針や、山の民の道具である矢などとは、まった く異なる性格を持っていることに注意が必要だろう。それらの珠は、 可視的な形態からは機能がわからない魔術的物体と言える。科学技 術を媒介に化合され、組み立てられた機械が、道具と異なるものに 化すときにも、これと同じことが言える。道具とは異なり、科学技 術を媒介にした機械は外見を超えた魔術的威力、火力を生み出すの であり、その力の集合は「人新世」を画するとおり、地球の事象に匹 敵することになるからだ。 こうした道具と魔術的物体の質的差異は、神の水準の違いにも対 応する。山幸彦や海幸彦は神でありながら、道具の水準で自然と関 わり、生活を営んでいる山の民、海の民のような人神である。それ に対して、塩盈珠や塩乾珠など魔術的物体を贈与する海神(海の「大 神」とも記される)は、道具を持った海の民では届かないような大海、大. 津波を引き起こす大陸プレートを擁するような大海の存在なのだ。 この海の大神から魔術的物体を贈与されてはじめて、山幸彦は兄 の海幸彦を服従させることができた。陸の民は大海の魔術的物体を 媒介に、海の民を支配する。海幸彦の子孫は隼人と呼ばれる海の民 であり、この出来事のあとも山幸彦の子孫である天皇に屈服するこ とになる。遠くの火(魔術的威力)の理を使った山幸彦と、その火に照 らされた海幸彦の物語は、こうした地政的出来事、そして技術的出 来事をまずは物語っているのである。 もっとも、 『古事記』に記された地政的出来事は、日本という国家 の起源や天皇制を考えるために、これまでも随分と研究されてきた に違いない。私自身に発見があるとすれば、ひとつには上述したよ うな道具と魔術的物体の違い、それに対応する神の水準の違い、そ してこれらの違いを媒介にした国家統治の起源、すなわち技術的出 来事と地政的出来事の結びつきにあると考えている。そして、もう ひとつには、この山幸彦と海幸彦の物語とひとつに撚り合わされて いる出来事、すなわち山幸彦と豊玉姫の物語に刻まれた超自然的出 来事の把握にある。人と人ならざるものを大きく分割するその物語 の骨子は、次のようなものだ。場面は海神の宮に戻る。 150. 研究・制作ノート.

(7) 豊玉姫は山幸彦と一緒に海で暮らすうちに、子を身ごもることに なる。山幸彦は天のほうから到来したのだから、その御子は海原で はなく、陸に上がって産むのだという。豊玉姫は渚に造った産屋に 入るまえに、山幸彦に告げる。出産のとき、わたしを見ないでくだ さいと。にもかかわらず、山幸彦は覗き見てしまう(死者と生者を分割す る伊耶那美と伊耶那岐の物語の反復だ)。. ワ. ニ. すると豊玉姫は、体をくねらせる大きな和迩(サメとも解される海の怪 物)に化してしまう。驚き、恐ろしくなった山幸彦は逃げ出す。豊玉. 姫は覗き見られたことを恥ずかしく思い、御子をそこに置き、こう 言い残して海神の宮に帰ってしまった。 「わたくしは、いつまでも 〔4〕 海の道をとおって通い来て、子を育てようと思っておりました」 。. (海の境)である。 そのときに閉じられたのが「海坂」 (柳田国男)とはまた したがって、われわれは海の道─「海上の道」. 別の次元にある海の道─、そして海坂が閉じられた世界に生きて いる、ということだ。では、いつまでも海の道をとおって通い来る 海神の姫の願いを叶えることは、もはやできないのだろうか。海の 道が、海坂が閉じられた世界のなかで、海神の姫の願いを聞き届け、 その願いを叶えようとするのが、われわれの世界における芸術の使 命のひとつではないか。 だがそのまえに、解きほぐしておくべきことはまだある。なぜ豊 玉姫は和迩(サメ)と化したのか。自分の国ではないところで子を産 むときには、もとの国の姿に戻って子を産むのだと『古事記』には書 かれている。しかし、海神の宮での豊玉姫はあくまでも山幸彦と見 初め合って、一緒に暮らした姫なのであり、和迩(サメ)ではない。お まけに、海神の宮に和迩(サメ)は和迩(サメ)として登場する。山幸彦 が禁止を破って出産を覗き見てしまったとき、豊玉姫は和迩(サメ) と化したはずだ。 かたや山幸彦は豊玉姫のように変身はしていない。しかし、豊玉 姫という海神の姫を失ったことは明白だ。そして御子は豊玉姫が陸 に遣わせた妹の玉依姫に育てられ、その子は玉依姫と結ばれて子ど. 海神の姫から見た世界. 151.

(8) もたちを賜り、そのひとりが天皇になっていく。 『古事記』は神代の 上巻から、人代の中巻へと移っていく。海神の姫の血を継ぐ天皇も、 人になっていくのだ。この一連の物語は、神代から人代に移行する 汀のすぐ近くに置かれている。つまり人が神から、そして神が人か ら離れていく潮目に位置する物語でもあるのだ。 ならば、この物語を文字通り読み解くのが、神話の原義に近いよ うに思われる。すなわち、山幸彦も豊玉姫もみな人神だった。人の ような姿をした神々だった。その人神性を山幸彦も豊玉姫もともに 失ったのだ。そして、それと同時に生じた出来事として、人と人な らざるものが大きく分割されたのである。 この出来事を、アメリカ大陸先住民の神話世界と対比させて考え てみたい。文化人類学者のエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カス トロによると、クロード・レヴィ゠ストロースの『神話論理』4 部作 (1964, 1966, 1967, 1971)の「あまり注意されてこなかった地点で語られ. ている」のは、人間と動物に共通する人間性だという。進化理論を 真理とする近代人は、人間の起源は動物であり、人間は動物から差 異化されて人間になると考える。だが、アメリカ大陸先住民の神話 世界は逆だと言うのだ。 「人間と動物に共通する原初的な条件とは、 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 動物性のことではなく、人間性なのである。神話的な大いなる分割 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. が示すのは、文化が自然から分かれるというよりも、自然が文化か (……[中略] ……)人間とは、自らと同じ ら分かれるということである。. ままであり続けた者なのである。動物が元–人間なのであって、人間 〔5〕 が元 – 動物なのではない」 。. かたや『古事記』では、人間と動物に共通する起源は人間性ではな い。それは神代に記録されている人神性なのである。動物が元–人間 なのではなく、動物も人間もひとしく元–人神だった。文字通り豊玉 姫や山幸彦のような人神だった。その意味で、この国は人間が不在 の無人島だった。人間と動物に共通する原初的な条件とは、動物性 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 44. 4. 4. 4. のことではなく、人間性のことでもなく、人神性なのである。おそ 4. 4. 4. 4. 4. 4. 44. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 44. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. 4. らく人間もまた、自らと同じままであり続けた者ではない。. 152. 研究・制作ノート.

(9) 3. 「大いなる分割」のあとで 東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)を卒業した青木繁は、明治も (1904[明治 終りに近づくころ、房総の布良に滞在して《海景(布良の海)》 37 年])や《海の幸》 (同年)を描いた。. 柳田国男の『海上の道』で図示されるように、房総は琉球諸島の彼 方から大きく運ばれてくる黒潮が、太平洋へと放たれていくところ (2000)の口絵としても に位置している。網野善彦『 「日本」とは何か』 (富山県作成)を、網野が注目する「日 広く知られる「環日本海諸国図」. 本海」という内海ではなく、太平洋に面する房総に注目して観てほ しい。通例の日本地図では、東京湾と相模湾を房総半島と伊豆半島 がはさむかたちになって判然としないが、それを反転させた地図で 見ると、房総半島は太平洋に張り出した、日本の国土の涯に位置す ることが明確になる。ヘンリー・ソローが歩き、アメリカ合衆国の 主権の涯の世界に遭遇した、大西洋に張り出すコッド岬のように〔6〕。 領土が大洋にもっとも入りこんだ場所であり、大洋がもっとも領土 を洗う場所でもある。 『古事記』を青木は愛読していたという。 《海 の幸》は人と人ならざるものが大きく分割されはじめた世界を、す なわちわれわれの世界の始まりを描いたのではなかったか。 《海景(布良の海)》をはさんで、 《海の幸》は《わだつみのいろこの 宮》と並べて観るべきだろう〔図 3、4〕。 《海の幸》は、通い来て子を育て ることのできる海の道が閉ざされ、人間とサメに大きく分割された 情景を描いている。人間たちは海に潜ってサメの命を奪い、獲物と して浜辺に引き上げている。その3年後に描かれた《わだつみのいろ この宮》では、この場面をさかのぼり、大いなる分割が生じる以前 の世界が描かれる。物語の順番を逆転して青木繁が描いていること も重要だろう。豊玉姫と山幸彦が等しく人神だった世界を、 《わだつ みのいろこの宮》はすくい上げるのだ。 ただし、 《海の幸》の情景は大いなる分割後の世界には違いないが、 《海景(布良の海)》の眼差す海原に、人間たち(男たち)はサチをもって. 海神の姫から見た世界. 153.

(10) (上)図3. 青木繁《海の幸》 (1904[明治37年] )、アーティゾン美術館 (旧ブリヂストン美術館) (右)図4. 青木繁《わだつみのいろこの宮》 (1907[明治40年] )、アー ティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館). 丸裸で潜りこみ、生死をかけた死闘のす えにサメを浜辺に運んでくる。人と人な らざるものの距離は、まだ隔絶されてい るわけではない。人間と道具と獲物は区 別されつつも、渾然一体となっている。 さらに《海の幸》で肝心なのは、肌を焦 がした男たちのなかに、ひとり色白の少 年と、顔をこちらに向けている、化粧を した女性と思しき人物が描かれているこ とだ。その人物は青木繁が房総にともに 滞在した福田たねをモデルにしていると よく指摘されるが、それよりも遥かに重 要なのは、描かれた人物の顔の肌の色が、 ところどころ朱の混じった青白いサメの腹の色と重なることである。 この女性は、大いなる分割にもかかわらず陸に上がってきた豊玉姫、 あるいは豊玉姫が遣わせた妹の玉依姫ではないか。そして色白の少 年は、豊玉姫と山幸彦のあいだに生まれた子かもしれない。 付言すれば、 『古事記』と異なり『日本書紀』には「海道」 「海坂」の 154. 研究・制作ノート.

(11) 語は見当たらず、豊玉姫が海原に戻ったことをもって「海陸不相通」 と記している〔7〕。かたや『古事記』は「海陸不相通」と結ぶことはな く、豊玉姫と山幸彦が通い続けることができたはずの「海道」 「海坂」 の軌跡に(In the Wake of ...)、言葉は差し向けられるのだ。 (1933[昭和 8 年])と題した随筆で、 寺田寅彦は「神話と地球物理学」. 「われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが 国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の 中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤してい ることである」と述べている。塩盈珠や塩乾珠に関する言及はない ものの、ここで寺田寅彦が面白いのは、地球物理学の対象である現 象が真実で、神話はその翻案にすぎないとは考えないことだ。 間違ってそう理解してしまわないように、 「誤解を防ぐために一 言しておかなければならない」と寺田は読者に注意を呼びかける。 「きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場 合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含ま れている場合もあるであろう」。古の昔から口承で伝えられてきて、 後代に文字で記された物語にしても、 「神々の間に起こったいろい かっとう. ろな事件や葛藤」を、大事な地球物理学的出来事をもって今に伝え る「貴重な真実」ではないか。だからこそ、寺田寅彦の随筆は「地球 物理学から解読する神話」ではなく、 「神話と地球物理学」と題され ているのである〔8〕。 大いなる分割によって、人間と動物がともに人神性をいかに失っ たのか。この超自然的出来事と、海と陸を行き通うことができたは ずの元 – 人神のありかを、 『古事記』は地政的な覇権争いの彼方に物 語っている。超自然的な人神たちが渚で夢を混ぜ合わせることがで きたはずの、社会契約を超えた超自然契約の神話として。人神性か らすれば、海坂が閉じられたあとの世界のほうが悪い夢であり、海 の道を通い来る願いこそ現実なのだ。われわれは「人新世」以後の地 ノモス. 球の新しい法を探るとき、こうした神話に含まれる「貴重な真実」を 見る。 寺田寅彦はこうも述べていた。 「少なくもわが国民の民族魂とい. 海神の姫から見た世界. 155.

(12) ったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりも さらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないか という気がする」。同じように、少なくとも日本の政治神学や領土 領海の由来を語るならば、万葉や明治などよりもさらにより以上に、 「記紀」の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がす る。. 註 1.. 『口語訳 古事記[完全版]』、三浦佑之訳・注解、文藝春秋、2002年。 『新版 古事記 現代語訳 付き』、中村啓信訳注、角川ソフィア文庫、2009 年。. 2. 3.. 柳田国男『海上の道』、角川ソフィア文庫、2013 年、328–329 頁。 岡本太郎・司馬遼太郎「稲作文明を探る」、 『司馬遼太郎歴史歓談』、中央公論新社、2000 年、45 頁。この発言は、赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』 (岩波書店、2007 年)359–360 頁 で知ることができた。. 4. 5.. 前掲『口語訳 古事記[完全版]』、117 頁。 エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ「アメリカ大陸先住民のパースペクティヴィ ズムと多自然主義」、近藤宏訳、 『現代思想』、2016 年 3 月臨時増刊号(44 巻 5 号)、 「総特 集*人類学のゆくえ」、45 頁。. 6.. ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『コッド岬』、飯田実訳、工作舎、2017年。今福龍太『ヘン リー・ソロー 野生の学舎』 (みすず書房、2016 年)の「V 死者たちの岸辺」 (91–109 頁)も参 照のこと。ただ、生者たちの国家や領域に死者たちを回収してしまっているように読め るところ(今福、前掲書、108 頁)に私は異論があり、それを今福さんに伝えたこともあ る。回収不能な死者たちや事物たちの「主権」を、ソローは合衆国の東端の岸辺で発見し てしまった。だからこそ、この「主権」から見た世界は、生者たちの国家や領域に逆転を もたらす可能性があるのではないか。. 7. 8.. 『日本書紀(一)』坂本太郎他校注、岩波文庫、1994 年、476 頁。 寺田寅彦「神話と地球物理学」、 『寺田寅彦随筆集』第 4 巻、小宮豊隆編、岩波文庫、 1948/1963 年、148–151 頁。. (都市イノベーション研究院・教授). 156. 研究・制作ノート.

(13) . 海神の姫から見た世界. 157.

(14)

参照

関連したドキュメント

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

ピンクシャツの男性も、 「一人暮らしがしたい」 「海 外旅行に行きたい」という話が出てきたときに、

2)海を取り巻く国際社会の動向

「海洋の管理」を主たる目的として、海洋に関する人間の活動を律する原則へ転換したと

海なし県なので海の仕事についてよく知らなかったけど、この体験を通して海で楽しむ人のかげで、海を

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

「海にまつわる思い出」「森と海にはどんな関係があるのか」を切り口に

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から