1.はじめに 東日本大震災の津波において,岩手県の小・ 中学校では学校管理下で,一人の犠牲者も生ま なかった。校舎が完全に水没する状況に陥った 学校も,ぎりぎりで全員が高所に避難できた。 地域の消防団等との連携のもと,想定とは異な る避難地に変更して安全を確保した学校もある。 これらの行動には,当該地域における津波の破 壊力をその場で判断し,対応を実現する「学び」 の存在が見られ,津波の破壊力を地域の現実に あわせて対応する力が蓄積されていたと評価で きる。このような対応はなぜ実現できたのか。 本稿では,災害とは何かを問うことを出発点と し,その全体像を長いスパンでとらえる事を提 起し,その上で「学び」を生む「災害文化」の 形成と「災害学習」の積極的位置づけが減災に は不可欠であることを明らかにしたい。この探 求において,社会科が果たす災害学習の役割は 重要な位置を占める。その方向性を明示するこ とを課題とするものである。 従来の災害研究が,被災地の分析で終わり, その地域で人々がどのような生き方を選択し創 造したかの考察が充分とはいえないという小山 (1999)(1)の指摘は色あせていない。スミスとホ フマン(2006)(2)は災害の中心的要因に,社会が 持つ歴史的につくられた脆弱性(vulnerability) の顕在化をあげている。地域の脆弱性と回復力 (resilience:レジリエンス) の把握は,災害を 知り,減災を図る上で不可欠である。これらの 点を考えると,災害を一時の衝撃としてではな く,復旧・復興,予知・警報期を含め全体とし てとらえなおすことが必要であり,それぞれの ステージで地域が持つ弱点を把握し,その克服 を問うことが課題になる。磯田(2014)(3)は災害 が示す地域の脆弱性が特定の歴史過程を経るな かで拡大・縮小することに,現地に足を運びな がら着目している。東日本大震災後,災害につ いての多くの授業実践が生まれた。社会科教育 の実践事例のいくつかは三橋(2013)(4)の論考に 示されている。しかし三橋も指摘しているよう に理論研究にまで至っていない。これは授業実 践で事実を捉え返し,安全を確保するという, 緊急の課題に対応する現場の姿を示す段階であ るためと考えることができる。数見(2015)(5)は, 自ら実践した南房総での「防災学習」をもとに, 子どもたちの発達段階に応じた学習プログラム を示し,避難の主体者となる道筋をつける試み を行なっている。避難の主体者になる学習とは, 市民性の獲得を目指し,社会・経済・倫理を基 底に置き,地域の課題が災害として顕在化する 災害観を問うものであった。今日,レジリエン トな社会つくりにつながる災害研究が求められ ている。 それでは,東日本大震災の被災地域の学校は, 津波という地域の課題にどう対応したのであろ うか。犠牲者の年齢構成の分析から,東日本大 震災の特徴を簡潔に述べた上で,筆者の勤務地 であり主要な調査地域であった岩手県の沿岸部 の学校の事例をもとに,学校で展開している災 害学習を位置づけ直し,その発展の可能性を探
復興の鍵となる災害学習
── レジリアントな社会創りに向けて ──
山 崎 憲 治
Disaster Learning Holds the Key to the Creation of Resilience
Kenji YAMAZAKI
日本社会科教育学会『社会科教育研究』No>127(2016>4)───────────────────── 岩手大学
る事にした。災害を知るには総合的な視点が不 可欠である。この点において社会科は地域の具 体的事実を取り上げ,実証的かつ総合的にアプ ローチできる可能性を有している。まさしく, 災害学習を展開すべき教科であると考えられる。 発達段階に応じて,螺旋的に思考や学習方法を 高めることができるこの教科の特色を活かすこ とである。東日本大震災からの復興期に当たる 今日,学習を通して地域課題の発露として災害 を具体的にとらえ直すことができるか,社会科 を活性化する上で問われねばならない点である。 この学習は,発見とともに検証することが肝心 である。発表し,子どもの目線で防災を捉え返 す実践が展開できれば,市民性の獲得を目指す 生きた社会科の学習につながると言える。 そこで本稿では,以下の構成をもって論を展 開した。第2章で災害をトータルにとらえる視 座を示し,災害文化の提示を行なう。第3章で は岩手県の激甚被災学校を対象に安全確保の根 底に災害文化の存在を示す。第4章では災害文 化の中核に災害学習があるとともに,学習の展 開から新たな災害文化が生まれる可能性を示し た。さらに,社会科が担うべき災害学習の役 割・位置づけを明示し,その総合的視点を活か すことが,災害を介して地域を知り,地域をと らえ直すことになるとした。これは自然・人 間・社会・経済・歴史を総合的にアプローチで きる社会科の特性と有効性を強調することにな る。そして,地域の具体的な姿を経験・フィー ルドワークを通して共同で学ぶ手法の積極的意 義を示した。 2.災害をトータルにとらえる (1)東日本大震災の特色を犠牲者の年齢構成か らみる 東日本大震災の犠牲はいまだ確定することは できない。しかし,どこに課題があるかを知る ために,年齢別の犠牲者数を示したものが第1 図である。震災から1年後,毎日新聞が発表し た犠牲者を一人ずつ集計し,男女別5歳年齢区 分で示している。合わせて,福島,宮城,岩手 の沿岸市町村の5歳年齢区分の人口構成割合を 2010年国勢調査から集計して図示している。山 崎(2012)(6)は激甚被災地ごとの犠牲者数の分析 第1図 出典:毎日新聞2012年3月12日犠牲者名簿から集計,人口は2010年国勢調査から岩手宮城福島の沿岸部市 町村の人口を年齢別に集計
で,それぞれの地域特徴を示している。ここで は犠牲者の年齢構成から脆弱性と回復力の特性 を検討し,本稿の主題に接近してみよう。 挙げるべき第一の特色は,高齢者(65歳以上) に犠牲が集中している点である。犠牲者のうち 高齢者が占める割合は女性で58.2%,男性で 53.7%である。福島,宮城,岩手の沿岸部市町 村の年齢別人口構成で高齢者の割合は,女性 26.0%,男性20.1%であるから,高齢者に相対 的にも絶対的にも犠牲が集中した。高齢者に対 する支援,警報から短時間で安全な場所へ避難 可能なハードとソフトの実行プログラムの確 立・実施が後回しにされていた。これは,今回 の激甚被災地が広範囲にわたることから,日本 という地域が持つ脆弱性が一気に顕在化したそ の現れの一つであるといえる。 第二の特色は,犠牲者の年齢構成でボトムを 形成するのは,男女とも10∼14歳である。人口 構成割では女性4.5%,男性5.1%であるが,犠 牲者数に占める割合はそれぞれ1.0%,1.2%で ある。この年齢は小学校高学年の児童と中学生 にあたっている。3月11日に多くの小・中学校 が集団で避難・安全確保を実施でき,犠牲を最 小にとどめた結果を知ることができる。それぞ れの地域でこれらの学校と同様の組織的避難・ 危機回避を行うことができれば,いずれの年齢 構成階層でも犠牲者数値をここまで下げること ができるという姿を示している。犠牲を少なく する上で学校が果たした役割とその内容はどの ようなものであるか,それを将来に向けて広げ て確実なものにすることができるかが,復興期 の課題である。この方向での活性・回復を実現 することが問われている。学校が実現した安全 確保の姿を,地域をつくる筋道に位置づけるこ とが重要課題になっている。 東日本大震災の犠牲者の年齢構成の特色を2 点示した。ここには今日の日本という地域がか かえる課題とそれを克服する道のヒントが示さ れている。まず災害を全体像としてとらえるこ とから始めてみよう。 (2)衝撃・復旧復興・予知警報の各ステージを 関連づけて捉える 災害は当該地域が持つ弱点や課題が,自然の 異常な力によって一気に顕在化したものである。 災害を一時の衝撃という現象にとどめ,その全 体像に目を向けない把握であると,被害を軽減 するうえの方策に結びつかない恐れが生じる。 まず,災害を予知・警報の段階,衝撃の段階, 復旧・復興の段階という一連の動きの中におい てみよう。第2図はこの一連の流れを図化した ものである。 中心部に「地域が持つ課題」を位置づけた。 衝撃時,この課題が異常な自然力のもとで一気 に顕在化することになる。これに止まらず,地 域が抱える課題は,さまざまな場面で形を変え ながら災害に関わって表出する。その端的な表 第2図 トータルにとらえた災害像(筆者原図)
れは,影響を受けやすい社会の弱い部分に打撃 として集中する。さらに弱者にとって被災の影 響は長期に及び,復興への路を自力で切り開く ことを困難にさせる。K.ヒューイット(2006)(7) は災害の社会構造を見るうえで,脆弱性を把握 することが不可欠であることを強調する。しか し見方を変えれば,災害を契機に地域の持つ弱 点が示され,それを克服する中から災害に強い 地域に変わることもありうる。災害を克服する, 回復力を持つ社会への転換を強く求められるが, 一気にここに達する可能性は少ない。 第2図では災害のサイクルを破線で示した。 地域の抱える課題と共に,それぞれの地域が有 する内発力と,当該地域への外部からの支援力 が,被害を軽減する上で重要な働きをなすこと を山崎(2013)(8)は明らかにしている。衝撃の 段階,その直後は外部からの支援は望めない。 コミュニティ内部の相互扶助が最大の救助力と なる。被災地では災害ユートピア(9)といわれる 状況が生まれることが多い。時間の経過ととも に外部からの救援・支援活動が入っていくが, 受け入れ態勢を整えるうえでも地域の内発力が 必要となる。 復旧・復興の段階では,復興に向けた内発力 が発揮されない場合,外部の力で地域の市場・ 労働力・金を一気に吸引する「ショック・ドク トリン」(ナオミ・クライン 2011)(10)状況が生ま れる。近年,「復興〈災害〉」(塩崎 2014)(11)とい うタームが生まれた。被災地は衝撃時ばかりか, 復興時において二度目の「破壊」を被ることは 少なくない。地域の復興の可能性を拡大させる 内発力が外部の支援と合わさり発揮されるか否 かで,復興は具体化する。復興期は被災地にあ って矛盾が拡大し,新たな課題が顕在化するこ とも少なくない。いわば地域の未来が先取りさ れる時でもある。 予知・警報の段階でも地域に防災意識が希薄 で,避難訓練が不十分な場合,あるいは災害の 正確な情報が入らなければ,被害は拡大する。 同時に情報が被災地,コミュニティ内部で正 確・的確に伝達され,確実な避難ができれば被 害を最小にとどめることができる。過去何度も 津波を体験している宮古市田老は津波防災シス テムが確立しているといわれていた。しかし, 3.11時,住民への的確な避難指示が伝わったか は課題が残った(12)。東日本大震災では,電源喪 失で被災地は情報が途絶え,最初の津波警報が そのまま「独り歩き」する例が見られた。遠方 の衝撃を受けなかった地域の視聴者の方が現場 の生の情報を得ているという,「逆の情報のなが れ」が生まれてしまった。 (3)災害文化という視座の提起 もうひとつ重要な事柄がある。復興,衝撃, 予知,それぞれの段階ごとに様々な対応形態が 個人,地域,行政で作られ蓄積されている。一 点破線で示した課題群はこの災害対応形態を示 している。身近な技術から,危機意識の形成, 危機に対する過去の経験,対応技術の進歩,法 整備や政策の思想的背景まで含めたもので,こ こでは災害の時系列(予知・警報,衝撃,復 旧・復興)別に形態を示した。 衝撃直後は交通が遮断され,外部からの支援 は不能となる。地域内の相互扶助が唯一の救援 となる。交通路確保と共に,地域外部からの支 援が活発化する。被災地域で救援やボランティ アを受け入れる体制がつくれないと,迅速な救 援につながらない。この活動は一時のものでな く,地域の再生につなげることが問われる。ボ ランティア活動と地域住民の交流・発展が継続 することも課題になる。 復興期にかけて多くの災害遺構が指定される。 それだけでなく,それを幾世代に渡ってどのよ うに活かすか,教材化できるかが課題となる。 昭和8年の三陸大津波復興においても,青森県 から宮城県の沿岸部に多くの碑が朝日新聞社の 義援金を用いて建てられている。その代表は姉 吉の碑であろう(13)。今回の津波において,この 教えを守った姉吉集落は津波の直撃を免れてい る。復興過程において,多様な対応策が作られ ていく。集落の高所移転,避難路の建設,防潮 堤の設置などの構造物の設置から,ハザードマ ップ,土地利用規制,法整備,防災訓練さらには 自然観・災害観まで多様な展開を見る。先住民 族がピナトゥボ火山災害・復興過程で,自らのア
イデンティティを覚醒する経緯を清水(2003)(14) は現地の長期調査と支援から報告している。災 害防衛対策はハードな構造物では充分でない。 しかし,被災後の時間の経緯と共に「安全神話」 が生まれていくのも現実の姿である。 社会が複雑化すると災害も多様化・進化する ことが少なくない。同時に脆弱性も表出する。 田老では3月3日昭和の大津波の日に避難訓練 を進めていたが(川島 1988)(15),対応の弛緩化 は避けられない課題になっていった。「正常化の 偏見」を克服する上で,地域住民が災害の実態 を知り,早めの避難に移る行動をコミュニティ で支援する仲間と内容つくりが問われている。 これら諸形態(可能性,能力,リテラシー, 適応)を大枠でとらえる概念として災害文化を 提示したい。E.B.タイラー(1871)(16)は「文化 または文明とは,知識,信仰,芸術,道徳,法 律,習慣,その他,社会の成員としての人間に よって獲得されたあらゆる能力や習慣の複合体 である」としたが,この古典的定義は災害文化 の基本的枠組みにも適応できると思われる。今 日一般的に示される,文化が知的ならびに芸術 的活動に限定された適応よりはるかに広がりを 持つ定義である。宇沢(2000)(17)はハイデン= ライヒとホールマンが示した「社会的に伝えら れる行動様式,技術,信念,制度,さらに一つ の社会ないしはコミュニティを特徴づけるよう な人間の働きと思想によって生み出されるもの 全てを含めて,一つの総体としてとらえたもの」 として伝統社会が持つ文化(観)を,北ヨーロ ッパの人々がいう文化より,広がりの持つもの として提示している。佐藤と吉見(2007)(18)は 文化をとらえるまなざしを,歴史性,根源性の 実現,生産され消費される構造物として,全体 が重層される構造を持ち,人間が関わる全ての 領域に対して「つくりだされ」「構造化され」 「いきらされた」側面をもつことを提示してい る。第2図で示したように,災害文化は他地域 の災害と比較検討による伝播と連携が創られ, 新たな醸成が進む。破線で示した被害の構造把 握に止まらず,一点破線で示したこの災害文化 まで,災害をトータルにとらえることが災害の 本質把握,減災を進める上で肝心なこととなる。 そこで,安全を確保した学校現場を紹介し,安 全を実現する上で災害文化といえる知識や習 慣・学習が存在し・機能したことを具体事例で 確認していきたい。 3.学校と安全 (1)岩手県の小学校・中学校の被災状況 岩手県沿岸部の小学校・中学校において,学 校管理下での児童・生徒の犠牲はゼロである。 沿岸部に位置する学校は小学校122校,中学校 65校ある。海岸から3袰以内,海抜高度40m以 下の「津波危険地域にある学校」(19)数はそれぞ れ56校,36校を数える。第1表は海岸線から1 袰以内,海抜高度30m未満の学校の被災状況を 示している。また,津波が校舎を襲い,被災後 は他の施設等で授業再開をせざるを得なかった 激甚被災学校は小学校14校,中学校7校を数え る。これは高台への避難が的確・確実に行われ た結果を示している。 被災時,大半の学校は電源喪失・外部からの 津波警報等の情報が途絶える中で避難が行われ ている。高台への避難が,教員・生徒にあらか じめ刷り込まれており(20),その成果がゼロに結 びついている。もっとも,実際の避難では集団 で組織的に行動した例もあれば,子どもたちが 第1表 学校の立地条件と激甚被災学校 地形図より計測。激甚被災学校とは2011年6月末日,現在地の学校・施設に避難して授業を実施している学校 海からの距離 0∼100m 100∼200m 200∼500m 500∼1000m 小 計 10m未満 5 4 4 4 5 2 7 2 21 12 海抜高度 20m未満 5 4 2 0 3 0 10 2 20 6 30m未満 2 0 5 1 8 1 17 1 30 3 合 計 12 8 11 5 16 3 34 5 71 21
主体的に高台へ避難した例も少なくない(21)。聞 き取りをする中で,あと数秒,数メートルで津 波にさらわれる危機に瀕した例があった。岩手 の学校管理下のゼロという数値は,危機一髪の 数値であった。岩手県三陸沿岸の学校は背後に 山が迫る狭い平地部に立地することが多い。後 ろの山に躊躇なく避難できるかが鍵となる。そ こに避難路が開かれていれば(22),子どもは率先 して高台に走りこめる。保護者がその後につい て避難できることも,地域の学校の役目である。 (2)被害を最小にとどめた学校から見えてくる もの 漓 宮古市立田老1中の場合 田老1中は田老町中心に位置する。田老は過 去幾多の津波に襲われている。明治29年の津波 では犠牲者1859名,罹災生存者36名という壊滅 状況に陥る被害を受けている。さらに37年後, 昭和の大津波が襲い911名の犠牲者を出してい る。昭和8年の津波では,この学校が立地する 土地までは浸水していない。この歴史を踏まえ て中学校が建設された。校庭の標高は,6.7m, 校庭前の道路標高は4.7m,500m先の防浪堤(23) 上は8.3m。田老は昭和8年の津波災害後に満蒙 開拓団参加を拒否し,住民が10mの防浪堤や山 への避難路を持ち,夜でも混乱なく避難できる 区画整備を実施して海と密接な関わりを持つ街 つくりを進めた。 3.11地震が発生すると校長は全員の安全を確 認した上で,軋みの聞こえる校舎から校庭に出 て待機を指示した。一方で,地元出身の職員が プールの縁に立って自主的に海の監視を続ける。 みぞれが降りいてつく中,監視をしていた職員 は津波第1波が防浪堤にあたり白波があがると 同時に,「つなみだ!逃げろ!」という大声を発 する。校庭には中学生の他に田老保育園の園児 30名余り,田老診療所に通っている高齢者10余 余名が避難していた。「逃げろ」の声に生徒全員 が反応して押し寄せる津波に追われながら,園 児を抱きかかえ,高齢者を引いて,校庭背後の 山に登る。全員が山に登り眼下の校庭を見ると, 瓦礫の山になっている(24)。 滷 宮古市鍬ケ崎小学校 鍬ケ崎地区は,宮古市内で唯一防潮堤がない 地区である。津波対応は高台への避難であった。 小学校校庭の標高は6.8m,学校前の道路は3.8 m,避難した熊野神社は25.3mにあった。3.11 地震直後,児童全員を学年ごとに整列させ,避 難先に指定されていた宮古市第二中学校へ移動 を開始しようとしていた。消防団から二中に行 く道でがけ崩れが発生,通行不能の情報がもた らされる。管理職は指定避難所とは反対側にあ る熊野神社への避難を決定。5年生を先頭に, 1年2年3年4年6年の隊列で熊野神社に避難。 これを見ていた鍬ケ崎の住民が児童の隊列の後 を追うことになる。児童・教職員は全員無事で, 住民もうまく避難している。 澆 大船渡市立蛸ノ浦小学校 学校に止まることで全員が安全を確保した例 である。蛸ノ浦小学校は海抜27.8mの台地上に 立地する(25)。校長は津波の際,地域の中で最も 安全な場に学校が立地していることを認識して いた。大船渡はチリ津波の被害が大きかったた め,住民の津波に対する警戒は強かった。地震 が発生し,津波警報が出ると,多くの保護者が 子どもの「引き取り」を求めに学校に集まって きた。管理職は保護者に対して,子どもを沿岸 地区(港湾沿いの道路は標高0.2m)に下ろすの は駄目だ,保護者も含めこの学校に待機するよ う,強く説得。集まった保護者全員が納得し, 学校に待機した。沿岸地域は10mを越える津波 に襲われるが,蛸ノ浦小学校はまったく影響を 受けることなく,児童・押しとどめられた保護 者全員が無事であった。 潺 大船渡市越喜来小学校 越喜来湾に隣接した小学校である。海岸から 250m,標高3.5mに立地する鉄筋3階建ての校 舎である。3.11当日,揺れが収まると同時に, 校長は三陸鉄道駅前の広場へ,避難を指示。1 年2年生は玄関から,3年,4年,5年,校舎 と国道をつなぐ橋(26)を使って避難した。津波は 何度も校舎を襲い,体育館の屋根を内部から突 き破る破壊力だった。駅前まで副校長を先頭に, 校長をしんがりにして避難したが,さらに校長
は高い神社まで避難指示し児童・教職員の全員 が無事であった。 この4つの例は何を示しているか。現象的に は,避難が遅れた例,マニアルに従わなかった 例,避難しなかった例,国道への橋が2ヶ月前 に完成して機能した例等であるが,本質はそれ ぞれの地域でどのような津波が襲うのか,あら かじめイメージを持ち,行動を整えていた共通 項が見える。学校の避難行動が地域の安全確保 の役割を果たし,地域が持つ独自の課題を把握 していた。そして,避難対応に主導的役割を果 たしたのである。 (3)自助・共助・公助と学校 安全確保には自助・共助・公助が連携して働 くことが問われている。田老第一中学の場合, 防浪堤を津波が越えることは想定外のことだっ た。津波警報は3mという情報を発した後,電 源喪失で伝わっていない。防浪堤への信頼が極 めて高い地域である。しかし,田老出身の職員 が自分の目で監視を怠らなかった。同時に公助 として位置していた防浪堤は津波を防ぎきれな かったから,役に立たなかったのか?第一波が 防浪堤にあたり高波があがってから,第二浪が 堤防を越えるまでのおおよそ6分間,津波を防 御していた。この時間が避難をぎりぎりに可能 とするものであった。「逃げろ!」という大声 に,すぐ生徒全員が行動できた。しかも幼稚園 児や高齢者をサポートしながらの避難である。 鍬ケ崎小学校では防潮堤がない地域であるがゆ えに,避難へ直ちに行動することになる。地域 の消防団からの情報が避難場所の変更という道 をとらせた。多くの住民が学校の取った避難行 動に追従している。蛸ノ浦小学校では,立地条 件を十分勘案して待機という選択をしている。 しかも,保護者に子どもを渡せば,保護者とも ども危険にさらされることになるという判断を 下し,それに保護者が従っている。これらの学 校は3.11以前においても津波学習を展開してい た。鍬ケ崎では津波カルタ製作を卒業記念とし て行なっている。田老一中では,岩手大学と連 携した合同授業で,田畑ヨシさんの「津波かみし ばい」(27)や堺工学部長(当時)の津波の仕組み講 義が展開されている。また,宮古市職員による津 波レクチャーもたびたび行なわれていた。津波 「てんでんこ」という言葉が生まれた地域である。 現代の「てんでんこ」は自助,共助,公助が 連携して安全を実現することである。国・自治 体,コミュニティ,自己という三層の安全への 対応は,災害に対する文化が育まれているか否 かが課題となる。異常事態においては,ある部 分がダウンしても,他の部分で代替が可能か, サポートがなくとも安全確保できるかが問われ ることになる。自然営力が大きければ大きいほ ど公助が機能しなくなり,ついで共助もダウン する,自助だけで命をつなぐ状況におかれてい く。第3図は学校に関わる災害対応形態を,自 第3図 自助・共助・公助と学校(筆者原図)
助・公助・共助のカテゴリーで区分したもので ある。これら3つの対応が合わさって,それぞ れの学校における災害文化がつくられていく。 「土地勘」とも言うべき地域の実態把握と弱点の 確認を前提とした避難と学習プログラムが作ら れているか,学校における災害文化の形成が問 われることになる。 4.災害学習と災害文化 (1)災害学習の可能性 災害の学習は,いずれの教科にもかかわりを 持つ。地域の課題が明確になると共に,生きる ことを直接学習するのだから,学習者に課題を 明示し関連を指摘できれば,学習の深化をスト レートに進めることができる。災害学習は現代 に生活する人間に不可欠な課題である。自らの 地域が体験した課題にとどまらず,過去の学習 や他地域の課題を重層的に配置したものとなる。 災害多発地域あるいは危険地域であれば,この 学習は動態的な手法がとられなくてはならない。 体験を踏まえれば,学習の展開は一気に広がる。 知ること,共に学ぶこと,学びを通して市民へ の成長が学習に期待され,さらには地域の課題 を学習者の視点から「変える」という広がりを 有す構造として捉え返すことが重要である。 小学生と大学生が同じ教材で災害学習を実践 できたという岩手大学の実践例から,幼・小・ 中・高・大・生涯学習を貫く災害教育の串刺し 的展開の可能性を山崎(2012a(28),2012b(29))は 示している。2014年の連携授業は,東京の中学 教員である田中氏を特別講師に招き,姉吉の碑 を教材に中学生・大学生を対象にした国語授業 を行なった(30)。異種学校間を貫く災害学習の実 践は,学習者自身の学びを産む新しい試みを示 している。 一方,災害学習は教科間のネットワークを形 成する。災害を課題とした授業は,理科,社会, 国語,体育,家庭,芸術そのいずれとも関わり と広がりを持つものである。特定の教科に収束 するものではない。各学校で地域の特色を知る ことができる独自の可能性を持っている。異常 な自然力の仕組みを知ることだけでは,災害の 学習にならない。被害の構造が地域の生活の中 に見えてくれば社会科の学習になる。同時に訓 練は不可欠だ。災害ボランティア活動をするこ とで,地域の姿を知ることにもなる。ボランテ ィア活動を通して地域の実態を知り,自らつく ることにつながっていく。災害学習が災害文化 に結びつくことが重要である。 生涯学習においても災害は重要テーマである。 学習を進めるにあたり,市民が被災地を訪れ, 被災地に学ぶことで学習は深まる。さらに学校 教育と連携を図れば一層高い学習効果が期待さ れる。地域の災害を知り,避難の具体的プログ ラムを地域住民と地域の学校とが連携してつく れば有効であり実践的である。 東日本大震災の復興期にあたり,復興の現実 を被災地の実際から学ぶことは今日でなくては できない学習である。同時に,日本全体の減災 にむけた動きをつくり,それを確実なものにし ていくことが復興の内実をつくることにつなが る。そのような視点で多様な災害学習のネット ワークつくりが問われている。 (2)災害学習における社会科の果たす役割 現行高等学校学習指導要領「地理A」では, 生活圏諸課題の地理的考察の中項目に「自然環 境と防災」を挙げている。「災害日本」という環 境の下で,災害一般ではなく地域性を踏まえる 学習として,地域の自然と社会の接点で具体像 として災害をとらえ直すことが問われている。 防災意識を高め,減災の方向を確立するうえで, 社会科がはたす役割を考察してみよう。社会科 がどう災害学習に対応できるかを,縦と横とい う二つの観点から論じたい。社会科の学習は, 歴史,地理,経済,政治,倫理と多岐にわたる。 それぞれの分野が災害学習にどのように対応で きるかを横の対応と呼び,小学校から高等学校 へという発達に応じた社会の教科指導の展開を 縦の対応と呼ぶ。 減災という大きな課題は災害学習を地理Aに 留めては実現できない。社会科を構成する科目 で相互に関わって学習を展開できるかどうか, これは災害克服への試金石である。第4図は, 社会科を構成する科目ごとに,災害文化で示し
た課題を例示配置したものである。どの科目か らも災害学習へのアプローチが可能だし,学習 課題が相互にかかわりを持ち,災害を多角的に とらえる可能性を示している。また,学習者の 側に立てば,自然・人間・歴史・社会・政治・ 経済と多様に災害をとらえる学習が進むことに なる。自然災害は地域性と歴史性を持っている。 これは社会科で災害を学習しやすいことを示し ている。どの地域でも災害を経験した歴史を探 ることが可能だ。子どもの小さな発見が,大き な発見や新しい視座につながることも少なくな い。麦倉ら(2014)(31)は被災地の社会調査の結 果を社会科の教材にすることに関心を寄せてい る。倫理の側面でも直江,越智(2012)(32)は震 災の経験と古今の思想を折り合わせた学習の提 起をしている。岩田,山脇(2013)(33)に見られ る地理教材開発は,減災に直接関わる方向を持 つものと認識したい。災害学習では社会科が持 つ多面的で総合的なアプローチが発揮できる。 災害学習は高等学校の課題に限られるもので はない。中学校学習指導要領の「身近な地域学 習」,小学校学習指導要領社会でも5年生の目標 に「環境の保全や自然災害の防止の重要性」が 明示され,6年生では「社会的事象を具体的に 第4図 自助・共助・公助と学校(筆者原図)
調査する」ことが目標になっている。小学校か ら高校まで,社会科という教科において地域を 介して災害学習を展開できる枠組みが整いつつ ある。地域の災害・防災を取り上げ,観察や調 査で具体的に実態を把握し,学習成果を公表し, 生徒目線から地域の安全を実現する具体的提案 に結びつけたい。 縦に展開する教育活動を主題図作成という 具体例で考えてみる。水害実態図(34)や地形分類 図(35),土地条件図という地理学研究の蓄積から, ハザードマップをつくる実践は数多く展開され ている。身近な地域学習で災害を主題に置くマ ップつくりは,地域の災害を知る有効な手段で あり,発達段階に応じた展開が可能な具体的手 法である。自らの危機回避と地域の課題が見え てくる可能性も高い。ハザードマップをもとに, 子どもたち目線でとらえた「子どもハザードマ ップつくり」は,街つくりの提言を込めること もできる。通学路での危険箇所発見や緊急避難 場所確認というリアリティのある基礎資料を提 供する。安全地帯はどこか,安全地帯まで何分 で行けるのか,実際に行動する中から検証され た地図は極めて有効である。大量の落下物と火 災発生が予想される都市部では,通学時に子ど もが逃げ込める多数の安全家屋(地)が必要で あり,その取り決めを地域行政の課題にするう えでも,地図つくりは安全確保の可能性を生む ものとなる。地震に止まらず,風水害や冷害, 干ばつはぞれぞれの地域特性を明確に示すもの だ。まずは絵図に,古い建造物,神社(山崎 2013)(36),仏閣,記念碑,集落・家屋(自宅), 聴き取りから得た情報,地形的特色,過去の被 災状況等を落してみる。学年進行とともに大縮 尺の地形図に正確に示され,新たな位置づけを 持った情報として蓄積されていく。聴き取りか ら,史料収集・解読へと視野が広がれば,地域 への関心が広がる。さらに,子ども達の学習成 果を保護者や地域住民に発表することが必要と 思われる。 地域を対象にした災害の教材開発は,教師に とっても問題解決学習を勧めることにつながる。 リアリティのある教材開発は,教師が地域に何 を学ぶかを問うことである。災害を地域の課題 の顕在化ととらえるが,これを問題解決の源と して地域の可能性の発見として位置づけること も指摘したい。課題の克服は社会を活性・回復 に向ける動きを持つものである。それぞれの地 域が持つ豊かさの発見に結びつけば,地域が持 つマイナスの課題をプラスに転じる契機になり, 生きた教材になっていく。足元を掘る教材開発 が求められている。 災害の典型モデルから学ぶことも重要だ。被 災地のいくつかは,研修・修学旅行を受け入れ ようとしている。修学旅行を被災地に学ぶフィ ールドワークとして実施することは,社会科の 学習としても極めて有効だ。被災の現場で,被 災者の声に耳を傾けることは,実現可能な学習 である。典型モデルから学ぶことは,自らの地 域の課題発見につながる。被災地の学校が自ら の経験を発表する機会をつくる学校交流も展開 している(37)。災害を介して地域を見る,この主 題の検討は社会科における災害学習展開で一層 明確になるはずであろう。多くの教材開発と交 流の可能性が問われている。社会科が持つ総合 性の視点と学習方法を積極的に活かし,災害学 習をすすめ,他教科との連携を図ることを学び の軸に据えたい。 (3)災害学習の展開が災害文化の醸成と伝播に つながる ユ ネ ス コ2 1 世 紀 教 育 国 際 委 員 会 は 教 育 が 寄って立つべき4つの柱を提示している(38)。 Learning to know から Learning to do,Learning to live together,Learning to be へ相互のかか わりを持って展開することが示され,いずれの 学習もこのような広がりが問われていることを 明らかにしている。前述した田中の「姉吉の碑 に学ぶ」授業実践はto know を出発点として, 生徒が自らの碑をイメージし,そこに彫る作品 をつくり,それを東京の田中に送り,田中はこ れらの作品に丁寧なコメントをつけ,生徒に送 り返す作業を行った。また,自らが勤務する学 校でも「碑」つくりの実践を進めた。Learning to live together を深める手法がとられている。 同時に新しい高みへ教員が変わっていく過程も
明確になっていく。東京に住む田中が,田老の 生徒と交流し,共有する世界をつくっていく。 その後,田老1中では生徒の代表作を選び,ロ ータリークラブの支援で,校舎入り口に生徒作 品の碑が建てられている(39)。 学習から得られるもの,その目的はどこにあ るのか。災害学習では地域の課題が明確になる。 それを可視化することで知識をより確実なもの にできる。共同で学習にあたることで「学びの 共同体」が生まれ,そこから新たな学びの内容 や課題が明らかになる。学びを通して人格の形 成が展開されていく,これがユネスコで提示され ている学びの展開だと思われる。災害が地域の 矛盾から出発しているのだから,これを変える力 も求められている。第5図はこれら5つの課題 のかかわりを鳥瞰する。体験は,学習の展開が 一気に進むものとして位置づけることが出来る。 フィードワークを含む体験学習は知を確かな ものにし,定着を促進させる。避難行動の課題 が見えてくる。共に支援し合わなければ生き残 れないという学習も生まれるし,何よりも私の 成長・社会の中の私が見えてくる。さらに地域 で何が課題かなのか。素朴だが,被災者目線で 社会を見て,その地域の持続には「変えるこ と・変わること」が必要であることが明らかに なっていく。 5.おわりに 災害は地域を映す鏡である。被災地域が持つ 脆弱性 は被害の実態を形成する。一方,回復力 のありかたに,当該地域の将来を見ることが可 能である。災害を一時の衝撃として捉えるので はなく,衝撃・復旧復興・予知警報と一連の流 れの中で捉えることを提起した。さらに,災害 に対する対応諸形態もこの流れの中に位置づけ ることを示した。このようにして災害をトータ ルに捉える視座が獲得される。 災害は地域が抱える課題・矛盾が,異常な自 然力を介して,一気に顕在化したものであると 定義することができる。つまり,地域の課題の 現れであるから,復興の段階でも,予知の段階 でも矛盾という姿で顕在化し,ときには可能性 を示すことになることもある。このような対応 の諸形態を包含する概念として災害文化を提示 した。災害文化というサーチライトを当てれば, 課題が一層はっきりする。災害文化の主要な部 分に災害学習を位置づけ,社会科における災害 学習の理論形成への橋渡しを図ることを進めた。 東日本大震災の犠牲者の構成を5年ごとに区 分すると,10歳から14歳がボトムを形成する。 小学校高学年から中学生にかけての年齢である。 この数値は緊急事態の中で高台避難できた学校 の姿を示している。岩手県では小・中学校で, 学校管理下での犠牲は生まなかった。学校での 津波災害への対応が成果をあげたといえる。そ の根底には地域の津波についての学習の存在を 知ることができた。「自助」「共助」「公助」を鳥 瞰すると,学校・教育が災害文化の主要な部分 をつくっていることに気がつく。さらに,地域 の住民が学校の避難にしたがって行動した事実 から,学校と地域を結ぶ継続的で密接な連携が, 児童・生徒・地域住民の生存に深く関わってい ることを知ることになる。 地域の課題が災害につながるという視座から, 第5図 災害学習の展開の可能性(筆者原図)
社会科が災害学習に果たす役割は大きいことを 示した。災害を知るには多面的なアプローチが 不可欠である。社会科を構成する地理・歴史・ 社会・経済・政治・倫理いずれの科目からも災 害の姿を知ることができる。学習者の立場に立 てば,これら科目による災害学習は災害を総合 的に学ぶ機会を得ることにつながる。災害学習 を進めることは社会科という教科の活性化に直 結する。地域の災害を教科内容に織り込み,多 面的に学習を進化できるチャンスが生まれてい ると考える。とりわけ復興期に当たる今日,災 害学習の多様な展開が,復興の質をすなわち回 復力の内容を形成することにつながる。活きた 学習にするには,学習者あるいは教師が現地に 学び,他の地域と交流することが必要だ。災害 という極めて現実的で命にかかわる課題の学習 を介して,地域の主権者への成長が期待でき, 課題を解決する方法と意欲が生まれるとき,ユ ネスコが示した学びの4つの柱ともに,Learning to change も学びの柱になる。 (本稿の一部は,2015年 Association of American Geographers Annual Meeting で 発 表 し た Education for Disaster Management : An Essential Factor to Mitigate Damage に加筆修 正をしたものである。) 注 (1) 小山真人「地震学や火山学はなぜ防災・ 減災に十分役立たないのか」『科学』69巻3 号,1999年,pp. 256−264 (2) アンソニー・オリヴァー=スミス/スザ ンナ・M・ホフマン『災害の人類学』若林佳 史訳,明石書店,2006年 (3) 磯田道史『天災から日本史をみなおす』 中公新書,2014年 (4) 三橋浩志「社会科教育における防災研究 の動向─東日本大災害後の学会論文等を中心 に─」『社会科教育研究』No.119,2013年, pp. 100−110 (5) 数見隆生『子どもの命と向き合う学校防 災』かもがわ出版,2015年,pp. 169−213 (6) 山崎憲治「東日本大震災と被災地の漁業」 『観光研究』24巻1号,2012年,pp. 4−11 (7) ケネス・ヒューイット 「災害の社会構築 が除外してきた視点」『現代思想』34巻1号, 2006年,pp. 182−201 (8) 山崎憲治「風水害」『人文地理学事典』 丸善出版,2013年,pp. 608−611 (9) ベレッカ・ソルニット『災害ユートピア』 亜紀書房,2010年 (10) ナオミ・クライン『ショック・ドクトリ ン』上下,岩波書店,2011年 (11) 塩崎賢明『復興〈災害〉』,岩波新書, 2014年 (12) 立ち上がるぞ!宮古市田老(NPO 田老) によれば,田老の災害緊急システムがOFF に なっていたことや水門の遠隔装置が壊れてい たことが示されている。平成の大合併でシステ ムに精通していた職員が配置転換になり,不慣 れな職員が対応不能になっていたことも想定 される。第三回世界防災会議ポスターセッシ ョンでNPO 田老が提示したポスターによる。 (13) 碑文は「高き住居は/児孫の和楽/想へ惨 禍の/大津浪/此処より下に/家を建てるな明 治二十九年にも/昭和八年にも津/浪は此処ま で来て/部落は全滅し生/存者僅かに前に二人 /後に四人のみ幾歳/経るとも要心あれ」(題 字以外は縦書き,/は改行を表す。)都都逸の 表現法を用いて記されている。 (14) 清水展『噴火のこだま─ピナトゥボ・アエ タの被災と新生をめぐる文化・開発・NGO─』, 九州大学出版会,2003年 (15) 川島正幸「防災教育の地域システム化に 関する研究─岩手県田老町における津波災害 の場合─」新地理,35巻4号,1988年 (16) Tylor, E. Primitive Culture (2vols), London:
John Murry, 1871 (17) 宇沢弘文『社会的共通資本』,岩波新書, 2000年,p. 210 (18) 佐藤健二,吉見俊哉『文化の社会学』有 斐閣,2007年 (19) 岩手県では津波の内陸部への進入は3袰 (陸前高田),最大遡上浪高40.4m(重茂半島
姉吉)を参考に,その数値内に校舎が立地す る学校を「津波危険地域」にある学校とした。 (20) [津波てんでんこ」と言う用語が生まれ るのは,明治29年の津波からと言われる(山 下文男『津波と防災─三陸津波始末』古今書 院2008年)岩手県沿岸部では昭和8年津波以 降,これは定着していた。 (21) 群馬大学片田教授は避難の3原則を示し ている:漓率先避難滷想定にとらわれない澆 最善をつくす。鵜住居地区での片田教授の教 育実践が子どもの避難行動に直結した。 (22) 避難路は時間を短縮し高度を上げる点で 有効であり,学校が複数の避難路を持つべき だという指摘を山崎憲治「『命てんでんこ』の 実践から災害文化形成へ」地理,Vol.57< NO.5<2012年cで示している。 (23) 田老では昭和8年津波直後から,村主導 で建設を始めた海岸堤防を「防浪堤」と呼ん でいる。 (24) 当時の田老1中校長の佐々木力也は「命 を育む教育 防災から復興に向けて」におい て,復興教育の在り方を教育現場から述べて いる。山崎憲治,本田敏秋,山崎友子編著 『3.11後の持続可能な社会をつくる実践学』明 石書店,2014,所収。 (25) 学校に隣接して縄文中期の国指定の貝塚 が存在する。学校は縄文海進の海岸線と並ぶ 位置にあることを示している。 (26) 大船渡市議会議員が議会で越喜来小学校 は津波の危険にさらされている,教室から国 道へ直接出ることができる渡り橋が必要と主 張。2011年1月に新敷設された。敷設後,こ の橋を使った避難訓練を実施。この橋は,議 員の名前をとって平田橋と呼ばれていた。 (27) 田畑ヨシさんは,娘夫婦が教員として田 老に赴任したとき,孫に田老の津波の実際を 教えるため紙芝居を作成した。その後,この 紙芝居が評判を生んで,沿岸部各地での講演 活動がつながった。その実践は40年以上にわ たっている。田畑ヨシ著 山崎友子監修『おば あちゃんの紙芝居つなみ』産経新聞社2011年。 (28) 山崎憲治 2012年a「命を守る教育と災 害文化の形成」『震災から教育復興─宮古市の 記録』国立教育研究所監修,悠好堂,2012年, 所収。 (29) 山崎憲治 2012年b,「災害文化の醸成は 復興への確かな路」地理教育41号,pp. 45−56. (30) 体育館で黒板を前に全校生徒及び大学生 を対象にした授業となる。姉吉の碑の内容と 込められた史実,碑に示された韻文と散文を 丁寧に解説した。生徒は自分が住む地域の近 くにこのような碑があることをはじめて知る ことになる。 (31) 麦倉哲,土屋正人,及川仁,角谷隆章, 木田俊「岩手の震災(津波被災)と社会科教 育内容の検討」平成25年度岩手大学教育学部 プロジェクト推進支援事業報告会,2014年 (32) 直江清隆,越智貢編『災害に向き合う』 岩波書店,2012年 (33) 岩田貢,山脇正資編 『防災教育のすすめ ─災害事例から学ぶ─』,古今書院,2013年 (34) 東京都『東京水害史』1947年にはキャサリ ン台風時の利根川及び荒川の洪水進行状況が 示され,その後の水害実績図のモデルとなった。 (35) 大矢雅彦「地図は悪夢を知っていた」中 日新聞1959年10月11日濃尾平野地形分類図。 この地図は大矢『河道変動の地理学』古今書 院2006年に再録。 (36) 山崎憲治「津波と神社」2013年日本地理 学会秋季学術大会発表,2013年 (37) 田老第一中学校では毎年東京への修学旅 行を利用して,震災と復興に焦点を当てた全 学年生徒による発表会を宿舎や交流する学校 で行っている。2015年で3回目になるが, 2015年は宿泊ホテルのホールで行うととも に,神奈川県の自修館中等教育学校でも発 表・交流会を実施した。 (38) 天城勲『学習・秘められた宝』ユネスコ 「21世紀教育国際委員会」報告書,ぎょうせ い,1997年 (39) 御影石に彫られた生徒作品は「たとえ防 潮堤があったとしても,走って逃げよう高台 へ,津波てんでんこ」である。 (2016年2月14日受理)