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バルト三国のアーカイブズ

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Academic year: 2021

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 世界のどこに行ってもアーカイブズ(文書 館)はある。ただ、日本ではアメリカかイギ リス(コモンウェルスを含む)の情報が中心 なので、とかくアーカイブズを米英基準で考 えがちである。  私は日本人のなかで世界のアーカイブズを もっとも「利用(見学ではない)」している と「自称」するが、実際に世界各地のアーカ イブズを使ってみるとそのあり方は国や地域 によってさまざまで、優れた面もあれば「?」 と思う面もある。そうしたなかでも今回はあ まりなじみの薄い国のアーカイブズを紹介し てみよう。  社会主義の総本山であったソ連のアーカイ ブズ(アルヒーフ)は、実に奥深く興味深い ことばかりなのでそれだけで枚数が尽きてし まう。ここではソ連(その継承国であるロシ ア)のことはまたの機会に譲るとして、かつ てソ連を構成していたバルト三国(リトアニ ア・ラトビア・エストニア)のアーカイブズ を紹介しよう。  バルト三国は、もともとはドイツ騎士団領 を淵源としロシア帝国の支配を経て第一次世 界大戦後に独立した。しかし、1939年の独ソ 不可侵条約の密約によってソ連に併合され、 1941年に独ソ戦がはじまるとドイツ軍が再び 占領、大戦末期にソ連軍の反攻によって「解 放」された。戦後はソ連を構成する共和国と して組み込まれたが、ペレストロイカ末期に 独立運動が起こり、1991年にソ連から独立、 これがソ連崩壊の序章となった。  このようにドイツとロシアの狭間で翻弄さ れてきた複雑な歴史がアーカイブズにも影響 を与えている。では、それぞれの国ではどん なアーカイブズがあって、どのような使われ 方をしているのだろうか。 ソ連の支配と「特別公文書館」という存在  まずリトアニアについて。バルト三国のな かでもリトアニアは、13世紀のリトアニア大 公国以来の歴史があるが、18世紀末にロシア 帝国に併合された際、多くの古文書が奪われ た。その後、1852年にリトアニア大公国時代 の文書を保存する機関が創られ、これが近代 リトアニアにおける文書館の始まりとなって いる。  第一次大戦後にロシア帝国から独立すると 1921年に中央政府の公文書館が設立された が、ソ連占領期にソ連型のシステムに整備さ れ、1990年の再独立後、現在の制度となった。  リトアニアには5つの国立公文書館があ る。1つは13世紀から独立までを対象とした 歴史文書館、2つ目は第一次世界大戦後の独 立からソ連占領期までを対象とした中央公文 書館、3つ目は1990年の独立から現在までの 現代公文書館、4つ目はソ連支配時代の特別 公文書館、5つ目は文学芸術関係の文学・芸 術文書館で首都ヴィリニュス市内の別々の場 所にある(現代公文書館と文学・芸術文書館 は同じ建物)。その他、4つの地域文書館と 6つの地域支部がある。そして、これらの全 体を統括する組織としてチーフ・アーキビス ト・オフィスがあり、アーカイブスに関する さまざまな指針の策定と計画の立案を行って いる。  歴史文書館は中世の古文書やロシア帝国期 の文書が中心で教会文書や個人のさまざまな 記録も含まれる。中央公文書館は第一次大戦 後からソ連時代の文書だが、民間団体や個人 文書も含まれる。また、オーディオ・ビジュ アル記録もここで管理されている。現代公文 書館は政府文書が中心だが、政治家や法人の 他、政党の文書もここにある。文学・芸術文

バルト三国のアーカイブズ

国文学研究資料館

 

世界

窓1

加藤 聖文

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書館はなかなか特徴的で、ソ連時代の文化監 督機関の他にも芸術関係の協会や学校、出版 社といった団体、さらには芸術家や学者の個 人文書まで多種多様だ。  リトアニアを含めてバルト三国で特徴的な のは、特別公文書館(Special Archives)とい う存在だ。保管されている文書は、ソ連時代 の共産党、反ソ抵抗運動、市民の監視記録、 さらには政治的迫害に関する個人記録といっ たもの。  社会主義国家は、計画経済を遂行する歯車 として国民の管理(management)が必要だっ た。さらに、政治面では国家の一体性を保持 するために管理の枠を超えて国民を強力に統 制(control)した。このために国家は、個々 人の詳細な記録を作成、要注意人物に関して は徹底的な監視を行った。  ソ連や東欧、そして中国やベトナム、北朝 鮮など単一政治権力による独裁体制を採る国 家では、アーカイブズが発達している。特に ソ連では記録作成の段階から保管にいたるま で完璧に近いかたちで文書が残されていた が、個人記録もそのなかの一つだった。  独裁国家は、記録管理が恣意的で都合の良 いものだけ残されるというのは俗説で、極端 な官僚主義であるため、民主国家よりも記録 はちゃんと作成され、かつ管理されていた。 日本なんてソ連の足下にも及ばないのだ。余 談だが、日ソの国境紛争だった張鼓峰事件 (1938年)では、スターリンが電話で現地司 令官に指示した内容まで一言一句残されてい る。日本の大本営では、指令文書はともかく 通話内容まで記録化して残す発想は最初から 無い。さらに、ソ連以外でもナチス・ドイツ と結んだ三国同盟について、日本側は松岡洋 右外相が意図的に詳細な記録を作らせなかっ たが、ドイツは日本よりもはるかに内容が詳 細で充実した記録を作成していた。しかも、 敗戦になって大慌てで焼却処分されることも なく連合国に押収された。  このような記録に対する拘りと管理の完璧 さは、国家の統制力の強さに比例する。しか も、記録作成の現場では担当者の「命」が常 に関わっていた。つまり、文書を作成する官 吏もいつ何時、無実の罪を着せられて粛正さ れるかわからないので、自分たちがきちんと 仕事をしていた、または妙な政治的意図は 持っていないという証拠を出来るだけ残そう とした。スターリン時代のソ連では、ちょっ とした不注意で仕事をミスしただけでも、反 革命罪に問われて銃殺刑か強制収容所送りに なるほどだったからなおさらだった。  日本では「記録が無い」といえば、今でも 責任を逃れることができるが、外国は逆で、 「記録が無い」となるとどんな罪を被せられ ても反論ができない。皮肉なことに独裁権力 が強ければ強いほど、誰もが自分の「正し さ」を証明するため記録を残すことに真剣に なる。もっともそれが行き過ぎると責任逃れ のために記録の改竄も横行するが…。 個人記録と国家のアイデンティティ  さて、話を戻そう。リトアニアの特別公文 書館は、国家保安委員会(KGB)のリトア ニア支部の建物で、今は政府機関が使ってい る。なお、ソ連時代の弾圧を展示するジェノ サイド博物館も同じ建物だ。外から見ると ヨーロッパによくある洒落た建物だが、中庭 はかつての政治犯の処刑場、外壁にはソ連時 代の犠牲者の銘板がぐるりと埋め込まれてい て、歴史の重々しさが痛いほど伝わってくる。 リトアニア特別公文書館が入っている建物

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 この建物の二階に特別公文書館がある。ソ 連時代の政治犯やシベリアへ追放された市民 に関する個人情報であり、そこには家族構成・ 職歴・学歴・移動歴はもちろん、過去の言 動、尋問調書、そして判決まで記録されてい る。かつて存在した東ドイツにもシュタージ (MfS)という秘密警察が住民を監視してい て、膨大な個人情報を収集していたが、バル ト三国も同様で、こうした活動はKGBが行っ ていた。  シュタージの場合、東独崩壊の際にシュ レッダーで廃棄されているところを市民が差 し押さえて、今はベルリンの元シュタージ本 部にあるシュタージ・アーカイブズで公開さ れている。ただし、内容がセンシティブなの で、それらを閲覧できるのは自身の記録があ るドイツ国民に限られていて、外国人は週1 回の見学日に施設を見せてもらえるだけだ。  これに対して、リトアニアは外国人を含め て誰にもオープンだ。一部非公開のものもあ るが、これは旧共産党関係者またはその協力 者の個人ファイル。当たり前だがリトアニア 人のなかにも共産党員は相当数いた。この記 録が独立時に廃棄されずリトアニア政府に引 き渡されたのは、記録を管理していた職員と のあいだで、彼らの生命の保障と記録の保全 を取引したからだった。  ソ連時代の政治的迫害に関する個人記録を 扱う特別公文書館は、ラトビアやエストニア にもあって、存命中の共産党関係者など一部 を除いて同じように原則オープンである。ま た、エストニアのように非公開であっても利 用希望者と当事者とのあいだで同意があれば 閲覧可能で、その橋渡し役を公文書館が担っ ているケースもある。  忖度ばかりで無意味なほど個人情報に過剰 反応している日本から見ると、ちょっと信じ られないかもしれないが、こういった姿勢を 取っているのは、それぞれの国のアイデン ティティに関わる問題だからだ。バルト三国 にとってソ連時代は「占領時代」と位置づけ られている。各国にはそれに特化した博物館 もあり、ソ連時代の人権抑圧を訴える展示で 構成されている。しかも、エストニアやラト ビアは博物館の名前に占領(Occupation)を 冠しているが、リトアニアは前述したように もっと過激な虐殺(Genocide)としているく らいだ。  三国はいまでもロシアという大国と接して いて、しかもソ連時代に移住してきたロシア 系住民がいる。そのため、常に緊張感があっ て、ウクライナ危機があってからはなおさら だ。そうしたなかで、国民統合を維持して独 立を保つためには、過去の歴史を強調しなけ ればならない。それをもっとも有効に訴える ものがソ連時代の人権抑圧の記録となる。  アーカイブズで管理されているソ連時代の 「個人情報」については、国家による個人の 抑圧を示す象徴的な記録となっているため、 個人のプライバシー保護よりも国民的記憶の 共有が優先されているといえよう。  なお、一般的な個人情報に関しては、リト アニアを例に取ると、アーカイブズ・記録法 と個人データ保護法があるが、アーカイブズ・ 記録法で個人のプライバシーに関するアクセ ス権も規定されている。個人の死後30年、没 年不詳の場合は生後100年、生没年不詳の場 合は文書作成から70年間は制限されるが、そ れを超えるとアクセスは自由だ。また、制限 期間中もまったくアクセスできないわけでは ない。いつまで保護しなければならないか曖 昧な日本と異なり、基本は市民のアクセス権 を優先している。とかくポリシーが欠落して 些末な法解釈が横行する日本にとって、ポリ シーに基づいた法の運用の大切さは見習うべ きであろう。 デジタル化が進むエストニア  さて、リトアニア以外のラトビアやエスト ニアも複数の公文書館を持っている。ラトビ アは4館、1つ目は中世から1945年までの文 書を扱う歴史文書館、2つ目はソ連時代から 現代までの政府文書を扱う政府公文書館、3 つ目は主にソ連時代の個人記録を扱う公文書

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館、4つ目はオーディオや写真などを扱う文 書館でいずれも首都リガにある。その他、11 の地域文書館がある。これらは別々の組織で あったが、2011年にラトビア国立公文書館と して一体的に運用されることになった。  エストニアは第一次大戦後に独立した1920 年に公文書館が創られ、1935年には法的な整 備も行われていた。その後、ソ連からの独立 を経て1998年に成立したアーカイブズ法に よって1999年から現在の体制となり、2012年 の法改正によって現用文書のレコード・マネ ジメントにも権限を持つようになって、公文 書館の機能が強化された。  かつては、歴史・政府・映像の3館体制で、 歴史文書館は首都タリンからバスで2時間半 かかるタルトゥという古い教育都市にあっ て、主に中世から帝政ロシア期(主に19世紀 まで)のものを扱い、20世紀以降のものはタ リンの政府公文書館、政府公文書館は、本館 の他にソ連時代の文書や個人文書、共産党関 係の文書を保管する2つのオフィスを持ち文 書の閲覧はすべて本館で行っていた。その後、 2017年に新館がタルトゥにオープンすると国 立公文書館としての一体性が確立、現在は全 国4カ所の公文書館(中心はタルトゥとタリ ン)と映像の5館体制となった。また、三国 のなかでもデジタル記録の管理に力を入れて いる点が特徴で、積極的にアーカイブズのデ ジタル化を進めており、2014年から2017年に かけて行われたEUの共同研究プロジェクト E-ARKにも参加していた。  三国に共通するのは、個人記録の他にも映 像・写真・芸術専門の文書館があることだ。 これはソ連の影響で、旧社会主義国にはこの ようなオーディオ・ビジュアルや文学芸術専 門の文書館が多い。ソ連はオーディオ・ビ ジュアルについては、専門の文書館で管理し ていた。ロシアになってもそのスタイルは変 わっていない。  また、芸術関係の文書館も完備していたが、 これは文化にも国家の統制が及んでいたとい う一面もあるが、ロシア帝国時代の影響とも いえる。モスクワ音楽院やボリショイ劇場に はそれぞれアーカイブズが建物内にあって、 帝政期の記録が残されている。ボリショイ劇 場では帝政期からの台本はもちろん、小道具 や衣装の他にも劇場運営にかかる記録も残さ れていて、役者のギャラや職員の給与もわか るくらいだ。  バルト三国や東欧諸国へのソ連の影響は、 文化芸術資料のアーカイブズ化に関してはプ ラス面もあって、決してマイナス面ばかりで もない。  バルト三国は、帝政ロシアとソ連の支配を 受けた歴史が長く、ソ連時代はモスクワで アーキビストの教育を受けていて、文書の作 成から保管に至るまでソ連式だった。ソ連で は決裁文書には必ず決裁者の意見(同意・指 示など)が書き込まれ(帝政ロシアも同じ)、 いつ誰が原案を作成し、誰が決定したのか、 またその決定の意図と重要度はどのくらいな のかにいたるまで一目瞭然である。 ラトビア歴史文書館 かつて本館だったタリンのエストニア国立公文書館

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 また、作成された文書は4階層(フォンド →オプシ→ジェーラ→リスト)に割り振られ て、体系的に管理されていた。しかし、バル ト三国は独立後、独自にアーキビスト教育を 行うようになり、さらには2004年のEU加盟 後は西欧諸国との交流がますます深まって、 体制の整備と権限の強化が図られるなか、文 書管理のあり方も変化しつつある。また、近 年ではとくにエストニアにおいて電子文書化 が進んでいて、ソ連式はすっかり過去のもの になった。  検索手段を含む閲覧システムのオンライン 化に関しては、バルト三国のなかでもエスト ニアは他の二国よりも格段に進んでいる。登 録・検索・申請すべてをネットでできるので、 事前にウェブで登録してリクエストしておけ ば、館に着いたらすぐに閲覧可能だ。また、 作成してから10年経つと公文書館へ移管され ており、公開の迅速さも特徴といえる。  このように、利用の便利さにおいて、バル ト三国のなかでもエストニアは随分と進んで いるが、公開については、誰にでもオープン であることは三国に共通する。また、各国一 館あたり50名程度の専門スタッフを抱えてい る。人口規模(リトアニア270万人/ラトビ ア200万人/エストニア130万人)から考える と、三国を合わせた数の20倍の人口を抱える 日本よりはるかに充実しているといえよう。 ちなみに、ソ連時代はもっと職員が多く、 例えばラトビア政府公文書館では150名のス タッフを抱えていたそうだ。  バルト三国のように小さな国は万事小回り がきくので、アーカイブズも使い勝手は良い。 これは北欧や東欧も同じだ。また、東洋人だ から物珍しいのか、私のような外国人がアポ 無しで来館しても親切にあれこれ教えてくれ るし、書庫まで見せてくれることもある。ラ トビアの歴史文書館では押収したドイツ軍文 書の他にもロシア本国では閲覧不可能な帝政 ロシア期の皇帝の勅書までわざわざ見せてく れた。保管状況はお世辞にも良いとはいえな かったが…。  ただ、こういった気安さは、それぞれの国 が抱えている複雑な現代史と表裏一体の関係 にあることは忘れてはならないだろう。

参照

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