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伝プラトン著『第七書簡』の再検討 ―前四世紀の書簡文学から―

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 ロレンツォ・ヴァッラは 15 世紀前半に「コンスタンティヌスの寄進状」の 真正性に疑義を呈し,リチャード・ベントレーは 17 世紀末に「ファラリス書 簡」を偽作と論定した(1)権力や権威への学術的批判の代表として語り継がれ てきた古典文献学最大の成果が,共に偽作の認定であり,共に書簡に向けられ たことは興味深い.だが,伝統に挑戦する現代の書簡真偽問題には,プラトン 哲学の帰趨がかかっている.プラトンの自伝と政治思想を含む『第七書簡』へ の批判は,哲学と政治の交わりを否定する解釈につながるからである. 1.研 究 動 向  後 1 世紀にトラシュロスが編纂した「プラトン著作集」末尾に含まれる書簡 集をめぐって 18 世紀末以来続いてきた真偽論争は,21 世紀に新たな段階を迎 えた.種々の疑問が投げかけられる中,20 世紀後半には 13 通の一部,とりわ け『第七書簡』は真作4 4 であるとの判断が優勢をしめ,一旦は落ち着いた感があ る.最重要の『第七書簡』は,仮にプラトンの執筆でないとしても事情をよく 知る人物が書いた作品であり,資料的価値は少しも減じないとの見方が共有さ れてきた(2)偽作論者も記述内容は歴史にほぼ忠実と考えたため,実質的な違 いは大きくなかった(3)  だが,20 世紀末に『第七書簡』の真作性を退ける新たなタイプの議論が英 米圏で登場し,有力研究者たちの権威ですでに一定の影響を与えている.現代 の古代哲学研究を代表するジュリア・アナス,マルコム・スコフィールド,そ してマイルズ・バーニェットとミヒャエル・フレーデの共著である.近年の偽 作論が以前と根本的に異なる点は 2 つある. ① 従来は個別書簡を検討して,それぞれの真偽をどう認めるかが争われてき た.だが,最近は「プラトン書簡集」の全体を問題にし,まとめて4 4 4 4 偽作とする 方向が打ち出されている(アナス,フレーデ).

伝プラトン著『第七書簡』の再検討

 ― 前四世紀の書簡文学から ― 

納 富 信 留

は じ め に

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② これまでは,仮に『第七書簡』が偽作であるとしても書かれた内容,とり わけシチリアへの政治的関与は事実であり,歴史的に信用できる情報と見なさ れてきた(無論,仮にプラトン自身が書いたとしても全てが事実で自己弁護や 修正がないとは言えない).だが近年は,シチリア行きや自伝的記述の一切に 疑問を向け,架空やでっち上げと考えることで,現実政治との関わりをプラト ン哲学解釈に読み込む態度を退ける(アナス,スコフィールド,バーニェット). 偽作論はプラトン哲学の内容理解に決定的に関わってきている. 2.アナスとスコフィールドの偽作論  アナスは 1997 年の論文,及び 1999 年の著書で,『ポリテイア』が魂論の著 作であり,古代のプラトン主義者はそれを政治哲学として扱っていなかったと 論じる.『第七書簡』の真偽問題には決着がつけられないとしつつ,古代の書 簡は正確な報告を意図するジャンルではないが故にその叙述を(真偽はともあ れ)プラトンの生涯に関する資料として使えない4 4 4 4 と論じる(4)シチリアへの政 治関与についてこの書簡が全情報源である以上,『ポリテイア』をその記述と 結びつけて解釈し政治との関わりを論じるのは不適切である.プラトンが当時 のアテナイ政治に失望したという告白もこの書簡以外で証言はなく,概して前 5-4 世紀の政治状況をプラトン哲学に読み込むべきではない.アナスはこのよ うに『第七書簡』を排除したプラトン哲学の理解を提案する.  スコフィールドは 2006 年の著書『プラトン』でプラトンの政治哲学をソク ラテスの静寂主義の継承として論じる.それは,政治に直接関与することなく 哲学から政治を検討する態度であり,アカデメイアでの研究はその実現であっ た.彼はシチリアで政治に関与したとする『第七書簡』の自伝的記述に疑義を 向け,それがプラトン著作からの真似に過ぎないとし,政治哲学の解釈から排 除する(5)スコフィールドはまた,対話人物間で交わされる対話 との対比で, プラトンが一人称で思想を述べる書簡の違和感を表明する(6)  アナスとスコフィールドは『第七書簡』を単独に論じている訳ではなく,プ ラトン哲学の政治との関わりで触れるが,そこには 20 世紀前半にプラトンが 全体主義に結びつけられナチス・ドイツで濫用された背景がある.カール・ポ パーが 1945 年に亡命先で公刊した『開かれた社会とその敵,第 1 部,プラト ンの呪文』は,プラトン哲学を全体主義の根源として厳しく糾弾した(7)ポパ ーの議論には様々な問題点も指摘されているが,プラトンの哲人統治論を危険 思想とする見方は広く流布した.マリオ・ヴェジェッティの分析によれば,プ

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ラトン政治哲学への全体主義批判を回避するため,20 世紀後半のアメリカで レオ・シュトラウスやエリック・フェーゲリンらが,プラトンが実際には政治 的な提案をしていない4 4 と論じた(8)ポリテイア』を魂論・倫理学に限定する アナスはこの非政治化解釈の上にあり,政治と哲学の区別を強調するスコフィ ールドもこの流れに附合する.近年に復活した『第七書簡』偽作論は,プラト ンの政治哲学を非政治化する英米圏の文脈で理解される. 3.バーニェットとフレーデの偽作論  バーニェットとフレーデが 2001 年にオクスフォードで開催した『第七書簡』 共同セミナーの議論は,フレーデ没後の 2015 年に単行本『偽プラトンの第七 書簡』[BF]として公刊された.フレーデがまず 5 回のセミナーで偽作論を展開 し,続いてバーニェットの 2 つの論考が独立に偽作論を提示する.まず後者を 見よう.  バーニェットの第一論考「『第七書簡』の偽哲学的脱線部」は,書簡の脱線 部(342a-344d)で展開される哲学議論を検討し,それが論理的に妥当せず著者 は哲学的に無能な人間であると結論づける.語彙がプラトンと異なり,『クラ テュロス』などの誤解であると論じる.脱線部の認識論がプラトン哲学にそぐ わないとの危惧は多くの研究者から提出されてきたが,彼はこの「哲学的無能 さ」を論拠に,書簡の作者がプラトン自身どころか学園アカデメイアの近しい 弟子でもないと主張する(9)第二論考「第二の散文悲劇:偽プラトン『第七書 簡』の文学的分析」はその前提の上で,この書簡を「散文の悲劇」(10)として書 かれた想像上の文学作品と見なし,三幕物の悲劇として分析を加える.この作 品は従来そう見られてきたようなプラトンの弁明的自伝ではなく,むしろ「哲 学が世界を理解するだけではなく,世界を変えようと試みることの悲劇」(138) である.書簡全体をよく構成された悲劇として読み解く試みはこの書簡の文学 効果と緊密性を示してくれるが,哲学とは無縁の創作とする仮説をそのものと して証明はしない.私は第一論考の結論を受け入れず,それに依拠する第二論 考もここでは考察しない.  フレーデ講義の前半部(セミナー 1∼3)は「プラトン書簡集」をセットとし て歴史的に考察し,2 つの結論を出す. ① 古代の書簡集は概して後代の創作であり,前 3 世紀のエピクロス以前に伝 えられる哲学者の書簡で確実に真作と言えるものはない.それゆえ4 4 4 4 ,それに 60-70 年先立つプラトン書簡集は疑わしい(3, 6, 11).この議論のためにフレー

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デは,偽作とされるヘラクレアのキオンの書簡を検討し,それがプラトンやア カデメイアの弁明として果たす機能を示してプラトン書簡分析のモデルとする. また,現代で真作とされることの多いスペウシッポスのフィリッポス二世宛書 簡( . 30 .)を詳細に検討して偽作と結論づける.前 4 世紀の哲学者に 書簡が残っていない以上4 4 ,プラトンの書簡集も疑わしい. ② 後 1 世紀のトラシュロスによる「プラトン書簡集」の編集過程は不明であ り,彼の判断は一般に信頼性が低い.書簡のほとんどが明瞭に偽作である以上, そこに真作が含まれるとすると,そう考える側に挙証責任がある(11)  フレーデ講義の後半部(セミナー 4∼5)は,政治哲学的な分析からこの書簡 が前 354-3 年にプラトンが書いたとは考えられないと論じる.プラトンのシチ リア政治への関与の核心は哲人統治論の実現にあるが,2 つの問題がある. ① プラトンが『ポリテイア』の哲人統治論と『法律』の法律に従う政治との 混合でシラクサの人々を幸福にすると信じていたとは考えられない.『法律』 を書いている時期なのに次善の国制が提案されず,それ以前の論が維持される のはおかしい.『法律』の政治論では哲学者が政治に携わるとはされず,両対 話 の違いやその間の政治哲学の変化が無視されている(51-52, 56)(12) ② 哲人統治を実現する希望を持ってプラトンはシチリアに行くとされるが, ディオンが『ポリテイア』の定義する哲学者に当たるとは考えられず,まして ディオニュシオス二世やヒッパリノスに哲学者教育は期待できない(59, 65).  プラトン哲学と対話 の解釈に関わる後半部の論点は,偽作と断定するほど 不整合を強くとる必要はない.他方で,前半部は対話 や書簡の内容理解に依 存するものではないため,独立の検討が必要である.「プラトン書簡集」の可 能性に関して 3 つの反論を提起したい. ①「プラトン書簡集」を全体として真か偽か論じるのは不適切である.フレー デ自身が論じているように,古代にプラトン作とされた書簡が 13 通以外にも あり,トラシュロスがある基準で真作を認定した以上,それらを「書簡集」と いうセットとして扱うのではなく,個別書簡ごとに検討すべきである. ② 挙証責任が真作とする側にあるとする態度は,古典学の方法論として不適 切である.伝統4 4がプラトン作として伝承してきた作品を偽作とする場合,そち らに責任があり,もし証明できない場合は灰色で開かれたままとすべきである. ③ 前 3 世紀のエピクロスに至るまで哲学者の真作書簡がない4 4 という見方は, 現代の書簡研究でも一般に前提されている(13)だが,当時の人々が様々な状 況や目的で書簡(手紙)を書き通信手段として用いていたことが確実である以上,

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もし他に残っていないとしても,その推論は決定的ではない.しかし実際には, フレーデの歴史考察には明白な欠陥がある.真正書簡は確かにある4 4 . 4.イソクラテスとの関係  フレーデの偽作論は,プラトンと同じ前 4 世紀の哲学者4 4 4 に真正の書簡集は残 っていないとの考察に依拠していたが,その断定は誤っている.彼が検討する 「哲学者の書簡集」リストにイソクラテスとデモステネスの名前は含まれない が(14)イソクラテス著作に含まれる 9 通の書簡は通常全て,あるいは多くが 真作とされ,彼の他の著作と合わせて論じられているからである.つまり,フ レーデに不都合な事実として,プラトンが活躍する同時期に書かれたとされる 書簡集が伝承されており,かつそれを全体として疑う論者はいない4 4 4のであ る(15)彼らを哲学者から排除する扱いは,プラトン哲学の枠組みでのソフィ スト・弁論家の区別によるが,イソクラテス本人はソフィストと同時に哲学者 であると自認していた.  イソクラテスに帰される 9 通の書簡は概して真作とされるが,それにも増し て重要な点は,彼が執筆した多様な演示弁論の作品にも書簡スタイルが用いら れていることである.『デモニコスに向けて』[1]『エウアゴラス』[9]『ニコク レスに向けて』[2]というキュプロス関係弁論,そして『フィリッポスに向け て』[5]と『ブシリス』[11]の 5 作品は演示弁論として書かれたが,一人称の著 者が特定の個人に向けて語る形式を採っている.  『デモニコスに向けて』は前 374-2 年にキュプロスの友人ヒッポニコスの子 デモニコスに宛てた助言形式の著作である.著者はまず,友人宛に哲学の勧め を書く人がいるがそれは行わないと宣言する.その弁論は「デモニコスよ」と の呼びかけで始まるが,この形式は前 370 年頃の追悼祭礼の演説『エウアゴラ ス』に共通する.後者はキュプロス王エウアゴラスの子ニコクレスに呼びかけ (1, 73),彼らが亡父を模範とすることで哲学に励むように勧める(76-81).や はりニコクレスに向けて語りかける『ニコクレスに向けて』(前 370 年頃)も, 「ニコクレスよ」の呼びかけで始まる.  宛先への呼びかけはこの弁論形式の特徴であるが,それが書き物として届け られると書簡と重なる.実際『書簡九』は「アルキダマスよ」の言葉で始まっ ており,「フィリッポスよ」と呼びかける『フィリッポスに向けて』に類似す る.逆に,書簡には君主など具体的な宛先があるが,実際に送られたと考える 必要はなく,弟子や仲間たちの間で流布させていた可能性もある.

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 前 346 年のマケドニアとアテナイの和平締結時にフィリッポス二世に語りか ける形式で書かれた『フィリッポスに向けて』は,彼の功績を称揚する演示弁 論作品(153)であり,「言論を送る」(17)と明示した書簡形式で書かれている(16) その一節で(シラクサの)「ディオニュシオス(一世)にも書簡を送った」(81)と いう表現で『書簡一』に言及する(17)途中までしか伝わらない『書簡一』の 真作性が保証されると同時に,弁論作品と書簡との連関が確認される(18) ィリッポスに向けて』の「古注梗概」は,フィリッポスはこの弁論を受け取っ て一読したが説得されなかったと記すが,実際に送られたとしたら書簡との違 いは大きくない.書簡は遠く隔たった相手に意見を伝える重要な手段で,直接 会いに行く便宜を考えると,より速やかに時宜にかなったアドバイスが与えら れる利点がある( . 29).また,イソクラテスは高齢を書簡利用の理由にす る( , 1).だが,この弁論作品は宛先であるフィリッポスだけでなく,自 分の仲間や弟子たちへのアピールも意図していると明言される( . 12)(19)  書簡形式は書き物における説得性への試みであり(25),弁論家の中でとりわ けイソクラテスが採用した理由があった.彼は生来の声の弱さから自ら弁論を 人前で披露することがなく,ゴルギアスやアルキダマスら正統な弁論家が得意 とした即興演説を行わず,長い時間をかけて文章を彫琢する「書かれた言論」 を追求した.最初から書き物で流布する弁論作品は,祭礼や法廷での演示弁論 より書簡に親近性がある.イソクラテスが弁論を書く4 4 ことで書簡スタイルを取 り入れたのは自然な流れであった.  この形式は,著者の意図や状況を説明しながら,特定の宛先との関係を枠組 みとして自説を説得的に展開できる.また,キュプロスやマケドニアの君主に 向けて書く設定の書簡は,政治的アドバイスやアピールとして効力を発揮する. 読者には宛先の君主だけでなく,地元アテナイや他国の名士も期待されていた はずである.書き言葉にこだわったイソクラテスにとって書簡という形式は, 様々なスタイルを混合しながら弁解やコメントを加える意識的試みを実践する, 格好の言論の実験場であった(20)  この点でとりわけ重要なのは,人身御供で悪名高いエジプト王ブシリスを称 揚し弁明する『ブシリス』である.この演示弁論は『ブシリスの弁明』を書い たソフィストのポリュクラテス宛書簡という体裁をとるが,イソクラテスは本 人と面識がないと明言していることから,おそらく実際に私信として送ったも のではなかろう.冒頭で彼は「ポリュクラテスよ」と呼びかけ(1),二人称で ポリュクラテスにむけた言葉が綴られる.書き物でだけ面識のある相手に,書

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き物で応答するスタイルである.  しかし,私たちはまだお互いに面識もないので,他の事柄については, いつか私たちが会合する折に時間をかけて交流できるでしょうが,目下私 があなたの役に立てることは手紙でお送りして,他の人々にはできる限り 秘匿しておくのが必要だと思ったのです.(2)  この作品は,プラトン『ポリテイア』の理想国論を受けて,あるいは対抗し て書かれたと推定される点,『パイドロス』で展開される弁論術の議論が意識 される点,そして『ティマイオス・クリティアス』のアトランティス物語と照 応が見られる点で研究者に注目されている(21)とりわけ理想的国制をめぐる 提案は,ペルシアやスパルタをモデルにしたクセノフォンも含めて,同時代人 が対抗的に展開した言論であった.イソクラテスが演示弁論として書いた4 4 4 言論 は,ポリュクラテスやアルキダマス,プラトン,さらにアリストテレスを巻き 込んで,言論とは何かをめぐる論争を形成する.  イソクラテスとプラトンの関係を論じる上で最も重要なのは,前 353 年に完 成したとされる『アンティドシス』[15]である.『第七書簡』は前 354-2 年に設 定されるため,影響や応答の関係も推測されている(22)通常はイソクラテス が応答しているとされるが,『第七書簡』が前 352 年作とするとプラトンが応 答した可能性もある(23)両者の共通点,呼応関係は次の 6 点にまとめられる. ① 法廷弁論形式の『アンティドシス』は自分への批判に対する弁明として提 示される.自らの政治活動への弁明の要素がある『第七書簡』に共通する. ② 老年に達した著者(イソクラテス 82 歳,プラトン 74 歳頃)が自身の生涯の 活動を振り返る特異な作品で,古代の自伝文学の先駆けとなった(24) ③ 哲学説が開陳され,哲学教育が論じられる.『第七書簡』の脱線部同様, 『アンティドシス』にも哲学を讃える議論が組み込まれている(167-214, 243-309). ④ プラトンにとってのディオン,イソクラテスにとってのティモテオスとい う,親しい弟子との関係が弁護される(102-139). ⑤ 特定のスタイルを用いながらそれを超える書き物の冒険となる.『アンティ ドシス』は自作から多数の引用を含む,通常の法廷弁論を超えた長大な論考で あり,『第七書簡』も書簡の規模をはるかに超えた政治哲学論文である. ⑥『アンティドシス』はプラトン『ソクラテスの弁明』を明瞭に受け,『ポリ

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テイア』の哲学理念に反対していることが指摘されている(25)ソクラテスを 気取ったイソクラテスの弁明作品に対して,彼が得意とする書簡スタイルで書 かれた『第七書簡』は,極めて興味深い対比をなす.  プラトンが対話 でイソクラテスに言及するのは,リュシアスの弁論術を批 判的に論じる『パイドロス』の末尾だけである.若きイソクラテスにどのよう な伝言をするかと尋ねられたソクラテスは,彼が哲学に関心を深めて,リュシ アスよりも立派で高貴な弁論家になるだろうと予言する(278e-279b).これは 通常プラトンからライバルへのエールとも解されているが(26)アルキダマス 『書かれた言論を書く人々について,あるいはソフィストについて』を下敷き にしながら「書かれた言論」を批判的に論じる,書かれた対話 『パイドロ ス』で,アルキダマスが標的にしたイソクラテスをリュシアスと対置して締め くくる幕引きは意味深長である.イソクラテスの『書簡一』では,書き言葉に 対する慎重な擁護が与えられており,『パイドロス』への応答とも推測され る(27)互いに言及しない両者だが,関係は密接である.  プラトンはソクラテス対話 のみを執筆し一人称で自分の考えを表明しなか った,という現代の偽作論者の信念は,言論ジャンルとスタイルの観点からは 偏狭に見える.『ソクラテスの弁明』は法廷弁論であり,『メネクセノス』に葬 送演説,『パイドロス』に模擬弁論,『 宴』に即興演説,『法律』に法律文案 が組み込まれている.死後のミュートスやアトランティス物語など,多様なジ ャンルを縦横に活用した著述家プラトンが,書簡という言論スタイルを哲学に 活用しなかったと断じる理由はない.  書簡スタイルは,特定の相手に向けて特定の状況で書いたという了解に基づ くため,『パイドロス』が批判したような「書き言葉」の不確定性,読み手の 不特定性を回避できる利点がある.一人称をそのまま著者の意見ととる必要は ない(かえって危険かもしれない)が,その体裁で自由に考えが表明される.デ メトリオス『文体論』は「書簡は一方向の対話 である」という説を紹介して おり(28)古代において両者は類縁と考えられていた.書簡スタイルの採用に は,現代の私たちが考えるよりもハードルが低かったのかもしれない. 5.偽作論への反論  フレーデは前 4 世紀に書かれた哲学者の「書簡集」の存在そのものに疑問を 呈し,挙証責任は真作とする側にあると主張した.私は伝統として受け継がれ た重みを受けとめ,偽作とする場合にはそう主張する側に論証の責任があると

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考えるが,フレーデの偽作論(前半部)に対しては,十分に反論を提示したと考 える(29)  まず,イソクラテスの書簡,及び書簡形式の弁論作品は真作であり,プラト ンの同時代にすでにそういったスタイルは積極的に活用されていた.プラトン とイソクラテスはジャンルに関して互いを意識するライバル関係で新たな言論 を展開しており,プラトンが書簡という言論スタイルを採用して哲学に活用し たということは,状況として十分に可能である.  なお,近年のプラトン哲学の非政治化解釈に対しては,この書簡を偽作とす ることでプラトンの政治関与が彼の哲学から抹消できるという考えは,不健全 で危険であると考える.  以上から,私自身は『第七書簡』を真作として扱うべきであると判断する. 真偽どちらの説でも 100 パーセントの確実さを確保することがこの場合はでき ないことを確認した上で,3 つの論拠を示したい. ① ステファヌス版 29 ページにわたる『第七書簡』はあまりに長く情報が豊か であり,弁論学校で模擬作品として書かれた可能性は考えられない.この長さ は通常の通信手段をはるかに超えており.練り上げて構成された作品として, 宛先以外に公開して流布する意図があったことは間違いない.だが,プラトン 自身が書いたとしても,ディオンの身内や同志の要請に応じて実際に送ったも のなのか,執筆意図については議論の余地がある. ② 内容に明確なアナクロニズムは確認されず,文体についても偽作とする決 定的な証拠はない.脱線部の哲学議論には独立した分析が必要であるが,対話 のどこかに書かれている主張との整合性で判断する必要はない.アカデメイ アでの所謂「書かれざる教説」との関係も検討されるべきである. ③ 古代から「プラトン著作集」に含まれ重視されてきた伝統は,最大限尊重 すべきである.アリストテレスやイソクラテスら同時代人によるプラトン書簡 への言及がなく,その点がしばしば偽作の論拠とされるが(30)アリストクセ ノスはすでにプラトンのシチリア行きに言及していたと推定される(31)現存 する最初の言及は前 1 世紀のキケロとされるが,前 2 世紀に るかもしれない デメトリオス『文体論』にも引用や言及がある(32)なお,プラトン主要著作 でも同時代の言及がないものがあり,その事実は偽作の証拠にならない.  近年の『第七書簡』偽作論が提起する問題に反論することで,私は哲学者, 人間プラトンについて,研究者が現代から投影させる 3 つの偏見を退けた. ① プラトンは現実政治から身を引く「書斎の哲学者」ではなく,哲学理念を

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現実社会に突き合わせて生きる実践的な哲学者である. ② プラトンは自身を登場させない対話 でのみ哲学をしたのではなく,学園 アカデメイアでの仲間との対話では一人称で自らの考えを表明し議論していた. 書簡という形式での言論執筆もその哲学活動の一部と考えられる. ③ プラトンは対話 内4 での整合的な理論体系を意図したのではない.彼の言 論は,哲学の仲間やアテナイ,いや全ギリシアの人々に向けて開かれていた. プラトンは,イソクラテスら同時代人と言論を交わす場で,批判や応答を通じ て現実と向き合う思索と執筆を展開した.  『第七書簡』は前 4 世紀の開かれた言論文化の主要作品であり,プラトン哲 学の重要な著作である.それは伝統の貴重な遺産である. 注  ( 1 ) Lorenzo Valla, (1439-40); Richard Bentley, (1697).『第 七書簡』( )の批判においてフレーデはベントレーの仕事を強く意識している; Myles Burnyeat & Michael Frede, , Dominic Scott ed., Oxford UP, 2015[以下 BF と略], 7, cf. 86.但し,ベントレー自身はプラト ンの全書簡を真作と考えていた.

 ( 2 ) W. K. C. Guthrie, , Cambridge UP, 1975, 8 参照.この見方をバーニェットは批判する;BF, 121-2.

 ( 3 ) 20 世紀の代表的な偽作論 L. Edelstein, , Brill, 1966 も, プラトンの死後 10-20 年間に書かれた作品(クセノクラテスと同時人の作)とする.  ( 4 ) J. Annas, Politics and Ethics in Plato s (Book V 449a-471c), Otfried Höffe ed., , Akademie Verlag, 1997, 20052, 154-7;

Cornell UP, 1999, 74-7.

 ( 5 ) M. Schofield, Oxford UP, 2006, 13-20. スコフィ ールドは,バーニェットの未公刊論文(BF の第一論考)に言及して の扱いが それに依拠すると記す(44, n. 19).これらの考察が 1989 年にケンブリッジ大学で開催 された セミナーでの議論に由来することは,偽作論を共有する G. E. R. Lloyd, Plato and Archytas in the , 35(1990), 159-74 も参照.  ( 6 )  . V でソクラテスが表明する哲人統治論と , 325d-326b の「私」 の立場との関係が問題となる( , 15-7, 44, n. 20).私はそこでの「結局はこう言わ ざるを得ませんでした」という表現が . の当該箇所を指すと前提する必要はない と考える.  ( 7 ) 佐々木毅『プラトンの呪縛』(講談社,1998),拙著『プラトン 理想国の現 在』(慶應義塾大学出版会,2012)参照.

 ( 8 ) M. Vegetti, How and why did the become unpolitical? , N. Notomi & L. Brisson eds., Politeia (Republic), Academia Verlag, 2013, 3-15. ヴェジェッティ自身は . を間違いなく政治的な対話 であるとし,現代の

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常識から歪めて標準化する非政治化動向を厳しく批判する.前注の拙著も参照.  ( 9 ) 私はバーニェットと異なり,343a-c が . の言語慣習説に依拠する議論で はなく, . の流動説に関わると解するため,非妥当とはならない.詳細は改めて 論じる.  (10) BF, 136 参照.『法律』VII. 817b で,法律と国制の制作者こそ最も優れた悲 劇の作者とする表現である.バーニェットがこの箇所に注目する意図は説明されてい ない.  (11) 挙証責任については BF, 33,及び編者のまとめ xiii, xiv 参照.偽作論の Edelstein, 2 も挙証責任を真作論者に求めている.  (12) この点には編者のスコットが 337c-d を典拠に疑問を呈し,最初のシチリア 行きの際には哲人統治を信じていたが,その後に次善の考えを導入した可能性を示唆 する.

 (13) Cf. M. Trapp, , Cambridge UP, 2003, 12; P. Cecca-relli, ( -, Oxford UP, 2013, 286-7, n. 70.  (14) BF, 8(cf. 4, 11)を参照.編者は 103, n. 13 でデモステネスとイソクラテスの 書簡の真偽問題に触れるが,イソクラテスが論点に関わる点を無視している.デモス テネスの 6 つの書簡には偽作の疑いが強い.  (15) L. F. Smith, , Lancaster, 1940 は の真作性を擁護し,全 9 通が真作であると結論づける. 真偽論争は一部偽作説と全真作説の間で19 世紀から続いていたが,Budé 版 G. Mathieu(Isocrate, , 1962, 166)や Loeb 版 Van Hook( , 1945, 368)は全てを真作と見なす.  (16) 書簡ではなく「言論」(1, 11, 16, 17, 18, 23)「本 βίβλιον」21)とも呼ばれる. 書簡と他との区別の困難は,Trapp, 1, n. 3 参照.  (17) その内容は , 9 に対応する.Ceccarelli, 288 は が人々に知られる 公的領域の記録として扱われていると指摘する.N. Livingstone, Busiris, Brill, 2001, 6, n. 5 はこの箇所を典拠に,書簡と言論の根本的な種別 はないとする.  (18)  の中断については Y. L. Too, , Cambridge UP, 1995, 194-8 参照.この書簡は,後のマケドニア王フィリッポス二世 宛書簡や弁論作品の先駆けとなる(cf. Smith, 19-21).

 (19) R. G. Sullivan, Classical Epistolary Theory and the Letters of Isocrates , C. Poster & L. C. Mitchell eds.,

, Univ. of South Carolina Press, 2007, 8 は弟子への見本として持つ意義 を強調する.書簡形式では自身の意図,スタイル,創作経緯やジャンルの越境などに コメントをつけやすい.

 (20) Sullivan, 16 はイソクラテスにおける書簡と弁論作品との密接な関係を結論 づけているが,彼の独創によるものか,当時の慣習の反映かはオープンにしている.  (21) Cf. Ch. Eucken, , De Gruyter, 1983, 183-95, 208-12; Livingstone, 48-73.

 (22) Cf. J. Harward, The Seventh and Eighth Platonic Epistles ,

22(1928), 154; L. A. Post, The Seventh and Eighth Platonic Epistles , 24 (1930), 115. バーニェットも . と対比させ,間テクスト的関係を示唆する(BF,

(12)

 (23) R. Hackforth, , Manchester UP, 1913, 84 は前 353-2 年,長坂公一(プラトン全集 14,岩波書店,1975)は前 352 年 1 月とす る.

 (24) A. モミリアーノ,柳沼重剛訳『伝記文学の誕生』(東海大学出版会,1982), 97-101 は,前 4 世紀の自伝的作品として をプラトンの真作と見なしている.  (25) Cf. Y. L. Too, Antidosis, Oxford UP, 2008, 24.  (26) 廣川洋一『イソクラテスの修辞学校』(講談社学術文庫,2005),217-30 参照. 古代に両者の個人的敵対関係は論じられていない;cf. A. Riginos, , Brill, 1976, 118.  (27)  の書き言葉への批判的コメント(341a-342a)も,これと関係がある かもしれない.アルキダマス,イソクラテス,『パイドロス』の関係は,拙著『ソフ ィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫,2015),第 8 章参照.イソクラテスがディオニ ュシオス一世に宛てた , 2-3 にも「語り言葉,書き言葉」の対比があり,Sulli-van, 9 はアルキダマスとプラトンの攻撃への応答と考える.  (28) アリストテレス書簡の編者アルテモンの説として紹介される(223).デメト リオスは書簡がより形式的で,対話 は即興の語りであると対比する(224).  (29) 挙証責任としては,偽作論の側が,この書簡がいつ,誰によって,どのよう な意図や経緯で書かれたか,そして,それがヘレニズム時代にどのようにプラトン著 作集に紛れ込んだのかについて,説得的な議論を提示する必要がある.BF は,その ような疑問に答えていない.

 (30) N. Gulley, The Authenticity of the Platonic Epistles ,

, Fondation Hardt, 1972, 105-30 の論点に,P. A. Brunt, Plato s Academy and Politics , , Oxford UP, 1993, 317 が有効な 反論を加えている.  (31) Fr. 64 Wehrli「流浪 πλάνη」という語が , 350d, , 358e への 言及と取られる.Fr. 62 Wehrli も参照.  (32) キケロ, . V. 100( , 326b), . II. 92.デメトリオスは書簡文体 に関してプラトンに言及し(228, 234), , 349b を引用(原文と少し異なる)する (290).この著作の執筆年代には諸説があるが,近年は前 1-2 世紀とする見方が有力 である. (東京大学)

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