「祭り」の準備 ―英語スピーチの学びをうながす実践共同体の演出―
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(2) 本研究は、上記の活動と研究の背景理論となるものである。協働学習やアクティブラ ーニングは学会でも様々な設定のもと実証研究がなされているが、「『グループ』で『ア クティブ』に『協働』させれば教育が良くなる」という結論の予定調和になる懸念があ る。一方、これまでの英語学習の歴史を丁寧にみていけば、認知的徒弟制度や正統的周 辺参加の概念を通じて説明を受けたアクティブな協働学習はすでに存在しており(三熊 2003)、OPP の大会はそのような既存のアクティブ・協働学習の現代的文脈における発 現である。ここでは OPP 大会で披露された活動をテクストとして通覧し、その英語学 習が成立する社会環境要因を、「祭り」になぞらえることにより描写する。さらに、「祭 り」の人間にとっての根源的意味合いを総括することにより、教育的舞台としての正当 性の輪郭を浮き上がらせる。最後に、英語学習活動としてのスピーチ・プレゼンテーシ ョン関連活動を意味あるものに仕立てるには、何らかの「祭り」が必要であると結論す る。. 1. テクストとしての 2 種類のパフォーマンス指導事例 1.1. Oral Presentation & Performance 2016, 「電車で TED チャンツ」. リズムに合わせて英語を音読するパフォーマンスであるチャンツは、もともとスピリ チュアル(宗教的、霊的)な発達へ至る道筋として用いられた発話行為であり、グレゴ リオ聖歌のような音楽的な表現形式から読経・念仏などの形態、あるいは現在ではレク リエーション的な意味合いにまで拡張されて様々な目的に転用されている。英語教育の 文脈においては、1978 年に Caralyn Graham によって Jazz Chants が出版されて以来 その有効性の期待から日本人向けのものも多数出版されるようになり、現在では本家も 含めて広く認識されるようになっている。見出しの「電車で TED チャンツ」は私が指 導を担当した広島工業大学の ESS が 2016 年の OPP で披露したものであり、題材には TED talk から Melissa Marshall (2012)を使用した。内容は以下の通り。 ペンシルベニア州立大学の工学部でスピーチを教える Melissa Marshall は、理系 /工学系の学生のアイデアは素晴らしいが、専門用語を並べ立てるなどコミュニケ ーション下手で、自分たちの世界から門外漢を排除してしまう、と嘆く。しかし様々 な社会問題の解決のためには彼らの知見が必須なのも事実。だからこそ、非専門家 とのコミュニケーションが大切だと訴え、複雑な科学を一般の人に紹介する際のコ ツを、比喩を交えながら開陳する。. スピーチ教材としてのこのプレゼンのメッセージは素晴らしく、レシテーションの教材 として流布されるべきものであろう。この題材を使用して、レシテーションに至るトレ. 12.
(3) ーニングの柱をチャンツに求めて戯画化したのが「電車で TED チャンツ」である。パ フォーマンスとしてはストーリー的要素を盛り込んだ寸劇形式になっていることがユニ ークな点であり、プロットは以下の通りであった。 三熊教授の授業では最終日である 15 週目にクラス内レシテーションコンテストが 行われる。その本番当日、広島駅から五日市駅まで電車に乗る緊張気味の学生たち が、電車のリズムに揺られているうちにそのリズムに合わせてテキストを口ずさみ、 その場が Imaginary Rehearsal と化す。場面は三熊クラスに移動し、学生たちは「電 車チャンツ」によるリハーサルを糧に、素晴らしいプレゼンテーションを披露する のであった。. 電車の「ガタンゴトン」というリズムに乗せて語るチャンツは、1962 年の米国ミュージ カル映画 “The Music Man” の Opening で地方回りの販売員たちが電車のリズムに合 わせて朗じた “Rock Island” をモチーフとするトリビュート的作品である。. (“The Music Man” WARNER HOME VIDEO [ASIN: B005NFJAZS] ) 広島駅から大学最寄りの駅までの車窓の映像は ESS の学生が自ら撮影してきたもので ある。そして「ガタンゴトン」という音は、効果音のサイトからダウンロードした短い 電車音をループさせて加工した、オリジナルなものである。広島から最寄り駅の電車は はっきりしたガタゴト音は発しない。発車の徐々に加速する音も停車前の減速の音も加 工品である。その音源を自前の映像の音に差し替えることによって、チャンツで使用可 能な映像を作ることができた。このような演出は、のちに祭りの概念による説明で意義 が解明されるであろう。 このチャンツの大きな特徴は、これまでのものと違いチャンツ本体がそのままスピー チ本番ではないということである。例えば 2014 年の OPP では、同じ“Talk Nerdy to Me”をフルコーラスのユニゾンでチャンツし、それがパフォーマンスの本体となるとい う荒業にチャレンジしたし、2015 年もネットで見つけた分数計算を教える教育ビデオ の語りを取り上げ、オープニングからエンディングまでノンストップでチャンツを完走 した。そのような取り組みに寄せられた不評の一つに「何を言っているかわからない」. 13.
(4) とあったことに思いを馳せ、チャンツの部分を「のちに演じるレシテーションのリハー サル」と位置づけたため、 「電車で TED チャンツ」のセクションでは幾つかのセンテン スを選択的にチャンツし、また同じフレーズを何回もリピートする演出をした。そのリ フレインはパフォーマンス的には聞き手の手拍子やノリを引き出す効果があり、ストー リー的には難しい発音や聴かせどころの練習という印象を与える効果があったのである。 レシテーションは、従って各々が「電車で TED チャンツ」でチャンツしたパートを 含む段落を担当する形でリレー形式で行なった。聞き手は、チャンツで強調された言語 的特徴が、リズムを取り払った状態の発話で意味を伴って耳に馴染む感覚を体感したで あろうと推測する。. (岩井 他. 2016). 例えばある学生のチャンツは出だしが以下の文であった。 I experienced a bit of what it must have been like to be Alice in Wonderland. (私はもし不思議の国のアリスになったならきっとこんな風だったに違いない、とい う一端を体験しました). ここは、この学生が発音に課題を感じ、リエゾンを中心に試行錯誤している、という設 定である。このパートを練習する際、私は「関西人になれ」と指導した。漢字を利用し て「I experienc… 食 べ たッ 、ワ レッ増 田 弁 like」のように関西のアクセントで発音する 練習を積み、英語らしさへと移行していく手法をとった。その結果、レシテーションの 第一声は大変スムーズなものになっており、聞き手は電車でのチャンツに納得がいった のではないかと推察する。また別の学生の演じたチャンツには以下のセリフがある。 You can clearly communicate your science without compromising the ideas. (内容を妥協せずに、科学を明確に語ることは可能なのです。). 14.
(5) 普通に “You can clearly communicate”と言ってみて何か違和感を感じ、数回反復をするうち に 、Melissa は お そ らく 「 内容 を妥 協 しな いで 門 外漢 に易 し く話 すな ん てで きない (cannot)と思っているでしょ、でもできる(can)んですよ」と言っているのだろう、と考 え て 言 い 方 を 変 え な が ら チ ャ ン ツ ( こ こ で 手 拍 子 が 起 こ っ た )、 “You CAN clearly communicate”という言い方にたどり着くという設定である。レシテーションでの彼のデリ バリーは、このチャンツでのリフレインがはっきりと生かされており、そのことは聞き 手にも伝わったであろう。. 1.2. Oral Presentation & Performance 2017, 「PPAP (オリジナルスピーチ)」. 前年の電車で TED チャンツの成功で「行くところまで行った」感覚があり、次に何 をするか模索していた時を前後して世界を席巻したチャンツが現れた。それがピコ太郎 の「PPAP」であった。PPAP の体裁はメロディのない歌、つまりはチャンツである。次 のチャンツは「PPAP」、と考えていたところ、年が明けて 2017 年 3 月に、ある学生が オリジナルスピーチのテーマとして「アンチ PowerPoint 論」を挙げ、私とのディスカ ッションを通して内容を練り始めた。このスピーチは当該学生が自らの大学生活におけ る憤懣に突き動かされて起草したものである。彼女曰く、大学に入学して以来 「PowerPoint」を使用した授業は悩みの種であった。スライドには文章がびっしり書か れており、それをすべてノートに書き写すように指示され、その最中に教授が説明をす る。意識は写すことと聞くことに分断され、理解は全く進まない。このため「PowerPoint」 に嫌悪感を抱くようになったとのこと。この吐露は私も大いに共感するものであった。 現在の日本は PowerPoint かぶれのプレゼンターの巣窟である。PowerPoint のおかげ でスピーチのできない人(してはいけない人)がプレゼンをするようになった現状をス ピーチの指導者としてつとに憂いていたのである。ここにこの学生との「協働」が開始 された。 ディスカッションを通じて私たちには1つの着想が降りてきた。 「 PowerPoint かぶれ」 を英語で PowerPoint-Addicted-People と表現すれば Acronym は PPAP ではないか! このことに気がついた私たちは、PPAP スピーチを中心におき、その露払いとして司会 者的な導入と締めの部分を PPAP のリズムでチャンツするというパフォーマンスを構想 した。スピーチの学生とはアウトラインを話し合い、資料集めを協働で行い、まずは日 本語で原稿を作成させてから英文の作成を指示し、添削修正を経て原稿が完成した。理 想的には最初から英語で作文させたいところであるが、一方日→英の取り組みにも日本 人にとって語族的距離が決定的に大きい英語の学習における様々な気づきを促す文脈を 構築できる利点がある。ここではその利点をテコにして多くの指導を施した。と言いつ つ、実はここで当該学生は英文作成にネットの翻訳サービスを用いていたと告白してい る。現状では、学習者に自由に英作文をさせると目の前で監視のもと取り組ませない限. 15.
(6) りほぼ間違いなくこのような状況になると考えられる。以前の私なら血相を変えてサー ビス利用禁止を打ち出していたであろうが、これも昨今の教育現場の現実というもので あろう。とりわけ工業大学のような英語だけに時間を費やすわけにはいかない学習者の 場合、 「翻訳サービスを使ったとしても」得られる最大限の英語の滋養を摂取する方向に 発想を転換した方が建設的という考え方もできる。この場合は、ウンウン唸って英作文 を(本当はやってほしいが)する時間を発表トレーニングに当て、その中で覚えた英語 の応用力を高めて行くという考え方になる。日本語との発想の違いなど本来は英作文で こそ身につく英語の滋養も、まずは覚えてからそれを「テクスト」として日本語との比 較における解釈対象とすることでも効果はゼロではない。パフォーマンス指導のこのよ うな相は、中高の現場でも参考になる視点を提供してくれるはずである。. (岩井 他. 2017). 幸い彼女は発表トレーニングでは非常に自律的であった。私の前で発表練習をしたの は片手で数えられるほどである。では私が他に何をしたかというと、少し変わったモデ ルの提供を試みた。実は彼女が手にしたのは「自分の声によるスピーチモデル」であっ た。具体的には、録音室で彼女自身が原稿を朗読していつでもスマホなどで聴ける音声 教材を作ったのであるが、その際録音機器を操作しながら私は発音をこと細かく矯正し ていった。発音させては矯正し、その間録音は続け、最終的に録音終了まで何テイクも 録り重ねていった。その過程で彼女自身が「できている」部分を編集し、音源を仕立て たのである。私は以前、三熊(1995)において「最高の教材はできたときの自分である」 と論じた。それを実践して見せたのであるが、彼女は見事にそれに応えてくれた。彼女 のパフォーマンスは、発音といいデリバリーといい例年私がつきっきりで練習を施す学 生と遜色ない、あるいはそれ以上の出来栄えであった。もちろん彼女の持つナチュラル な資質も要因としては大きいであろうが、それにしてもよくここまで仕上げて来た、と いうほかない結果であったと言える。. 16.
(7) 2. スピーチ・プレゼン指導が成立するための「祭り」という文脈 2.1. 「聖関与性」と「非日常性(儀礼性と祝祭性)」. 私は、英語を取り払った「学習」そのものが普遍レベルにおいて、その完結を目指す 道筋として「祭り」を必要としている、と考えている。この点について、渡邊. (2013). は祭りの準備では伝統的価値が正統的周辺参加の学びによって伝えられ、祭りにおける 非日常性の中で自己確認・自己表現・自己実現が味わわれ、またその空間を共有する準 備仲間や外部者たちとの一体感や連帯感が体験されることを示し、祭りの教育的意義を 暗示している。祭りの本来の意味は、日常的次元から区分された非日常を時間的・空間 的に構成することによって,何かを祝ったり記念したりする儀礼的行為を指すものであ るが、今では宗教以外の学園祭や音楽祭を含む祝祭全般を表すために用いられている。 ここでいう英語教育における祭りとは、例えばスピーチコンテストや英語劇などがプロ トタイプとして念頭に置かれている。前節で開陳されたスピーチおよび発音指導のパフ ォーマンスも、そのような祭りの1つ、Oral Presentation & Performance においてな されたものである。 そこで、上記のようなイベントを「祭り」という概念で分析してみたい。祭り研究の 動向は、デュルケムを祖とする宗教学的アプローチに始まり、人類学・民族学的な研究 を経て、都市人類学者や都市社会学者による知見を巡って議論がなされている。その中 で、祭りを簡潔かつ的確に定義したものとして芦田 (1999)の以下の言説が有用であると 思われる。. 一般に「祭り」と呼ばれているものの、比較的外形的に認識しやすい構成要素(祭 りとよばれるための諸要件)としては、「聖関与性」「非日常性(儀礼性と祝祭性)」 「共同性」「周期性」「催事性」といった諸特性を上げることで、大方の合意が得ら れるのではないかと考えている。すなわち、 「聖なるもの」を求心的シンボルにして (聖関与性)、日常生活とは異なる規則に従い—無規制ではない—(非日常)、厳粛 —厳格(儀礼性) と熱狂—放埒(祝祭性) の中で、人びとが—時には対抗しつつ —一体化し(共同性)、定期的に繰り返し営まれる(周期性)、制度的集合行動(催 事性)を、暫定的な祭りの定義としておきたい。 こうしてみると、一般に「イベント」と呼ばれているものは、祭りからその構成 要素のいくつかが脱落した催事ということができそうであり、また、そうしたもの として、祭り論の射程に収めることができるであろう。 (中略) 研究の目的と状 況に応じて、あるときは祭りの構成要件を厳格に、また別のときは緩やかに適用す ればよい。(芦田. 1999, 101). 17.
(8) ここで明示されている「聖関与性」「非日常性(儀礼性と祝祭性)」「共同性」「周期性」 「催事性」の意味付けを検討しながら、スピーチ指導がなされる祭りの文脈を吟味する と以下のようになるであろう。 「聖関与性」について、上野 (1984). は以下のように述べて神なき祭りのシンボル設. 定の可能性を示唆している。. 「下からの」祭りとしては、縁日をまったく自発的にプロデュースした、フリーマ ーケッ卜やリサイクルフェアのようなものがある。 (中略) フリーマーケッ卜が、中 古品の再利用という省資源目的に寄与するだけの機能的なものだとしたら、お祭り にはならない。フリーマーケッ卜の担い手(主催者・出店者・参加者)には、 「使い 捨て時代」に対する対抗価値へのコミットメントが存在し、また期待されている。 (中略) 祭り全体を支配しているのは、対抗文化というシンボル媒介的な共同性への 同一化である。だからこそ参加者は、何も買うものがなく「トクをした」という思 いを味わわなくとも、あるいはつい無駄な買物をしてしまったとしても、一定の共 同性にコミッ卜した満足感を抱いて帰路につくことができる。(中略)「市」を主宰す るのは、かつては神であったが、ここでは対抗価値の共同性が神の役割を果たして いる。 (上野 1984: 75) スピーチコンテストのような祭りは、かつては「机上の学問としての英語」や、いわゆ る「受験英語」に対する強烈な対抗価値であった。そこに祭りとしての「代替聖関与性」 が見て取れる。コミュニケーションへの制度的関与が喧しい今日でこそ対抗的意味合い は薄れたが、むしろ逆にベクトルを同じくする価値の重みは増しているとさえ言える。 上記の「電車で TED チャンツ」における、 「関西人になれ」という羽目を外したような アドバイスから実践に移る発音練習は、当該学生をデスクから引き剥がす机上の学習へ の対抗価値として意識されたことであろう。「 ワ レッ増 田 弁 like」という戯れ句が示す 文法構造は実は what it is like to be〜の表現に must have been という仮定法が連なる 机上英語でも歯ごたえのある項目である。受験英語への強力な対抗価値たる壇上のパフ ォーマンスで「実用的発音」が反復訓練されていることのシンボル性がこの場を祭りた らしめているのである。 日常生活とは異なる規則に従う非日常性に関しては、英語を使い、英語のみで社会事 象を語りとるというこれ以上ない非日常性を有しているといえよう。OPP の場合、クリ スマスソングやミニミュージカルなどの華やかなパフォーマンスを選択する場合の非日 常性も見逃すことはできない。また、壇上であるという厳粛さをも内包する儀礼性は非 日常を際立たせている。この非日常という空間を通り抜けようとするエネルギーは、後 述する「練習の反復」を可能にする。. 18.
(9) 祭におけるこの異常な表象の位相は,社会行動の二つの相反する様式の強調によっ て実現される。ひとつは,日常に内在する規律を極端なほど厳密に強調した行為を 通して日常性を超える方式であり,他は,逆に日常の規律を逆転する破壊行為に徹 して日常性を突破する方式である。これらの方式は,両方とも祭り特有の存在秩序 によって象徴的な意味が与えられている。それが祭儀(ritual)と祝祭(festivity) とである。この二つの相反する要素が複合して初めて祭りの超越的な表象力が発揮 される。リーチの言う形式性と仮装性とが両者の特性に該当する。 (薗田 1990: 60) どのような新理論が海外から輸入されようとも、これまでに実在してきた英語学習を通 覧してみれば、その成功は本人のやる気、モチベーション、学習継続力に帰される部分 が大きいのは公理的レベルで疑う余地はないであろう。ところが、前述の語族的隔たり や英語が社会生活に使用される場面の欠如などのため、英語学習は日本人にとっては基 本的に苦行である。また付言するなら PPAP スピーチを作り上げた学生がくぐり抜けな ければならなかった、論理思考や資料収集、分析、オリジナリティの希求をめぐる私と のシビアなディスカッションは、パフォーマンス練習以上の苦行であり、歴史上スピー チを通じての英語学習はそのような英語学習以外の、あるいは英語学習にまつわるシビ アさを携えたものであった(三熊 2003)。そういった苦行の壁を乗り越える「突破力」と いうものが、祭において用いられる仮装や役割転換などの手法と地続きに存在するので はないだろうか。この点においては、祭り研究の文脈で地域社会の変化に伴って増加し た「選択縁」に着目すべきとし、血縁、地縁、社縁を「選べない縁」 としてひと括りに し、それと対比される概念として、 「選べる縁」を提唱した上野(1984)は、次のように述 べる。. 包括的で拘束的な伝統社会で、選択縁を創り出そうとすれば、時間的な分節による ほかない。伝統社会の祭りは、持続する同質な時間を切断して、異質化することで 創り出される。同質な空間の中で異質な時間を創り出すのは、もともとありもしな いものを呼び出すことだから、象徴的な装置の助けを借りるほかない。リーチの言 うように、異質な時間はしばしば現実の逆転(役割転倒、異装等) によって表示さ れ、それには時間を切断する聖化の儀礼と、もとの時間を回復する俗化の儀礼とが 伴っている (上野 1984: 64) 苦行たる彼方の目的地、英語のマスターを日本人が成し遂げるのは「同質な空間の中で 異質な時間を作り出す」ことであり、 「もともとありもしないものを呼び出す」に等しい 倒錯の事象が英語をマスターすることであるとすれば、ただ人を集めて「協働」で「ア. 19.
(10) クティブ」に「学習」させるだけではその取り組みは完結しない。そこに挑むには祭り を介するしかない。祭り(OPP)がなければ PPAP スピーチは起草さえされなかったし、 祭り(OPP)がなければ 発音が苦手だった学生が“what it must have been like to be Alice in Wonderland”という発音をマスターしたり、“CAN”を強調するデリバリーの存 在を意識したりすらしなかったのである。 もちろん、ESS のような集団の存在を起点とする活動であったスピーチコンテストや ドラマイベントは、 「共同性」をベースに営まれる活動であり、その組織を作り上げ育て る営みとも強く関わる。むしろスピーチコンテストに出場することを前提に活動する集 団というアイデンティティを生み出しているとも言える。そして、毎年必ず実施される 定期的なイベントという「周期性」も重要である。「祭り」は「将来、○○のために…」 などといった遠大でぼんやりとしたゴールではなく「○月○日の晴舞台に向けて…」と いう “short- or middleterm goal”を仕立てて再帰的に展開される活動である。目標を 段階的に設定して形成的評価をする手法はポピュラーだが、祭りの持つ「周期性」を結 びつけて語られることは多くないであろう。英語学習が、これらの要素を携えた祭りを 起点に展開するようあつらえられていることに意義がある。さらに、それが制度的集合 行動として成立していることも重要である。. 2.2. 英語プレゼンテーション学習者としてのアイデンティティ. 私の「祭りを必要とする」との主張の根底には、英語学習者としてのアイデンティテ ィ獲得に関わる関心がある。祭りにまつわるアイデンティティ形成の要素について、昨 今、 「協働学習」とそれに伴う「アクティブラーニング」が錦の御旗として言及されるが、 このようなタグづけがトレンドとなると、いきおい学習者が「協働」して「活動」する ようなプランが策定され、それに沿って指導がなされ、統制群との比較においてその効 果のほどを数値化して「協働学習の効果を認定する」ための研究が乱立する。そのよう なアプローチでは、私には直感として学習者アイデンティティが育まれる文脈の輪郭が 滲むように思われる。英語学習というのは、とりわけプレゼンテーションを念頭に置い た場合、詰まるところいかに「英語で『物言う』わたし」というアイデンティティを獲 得するかに落とし込まれる取り組みであると考えられる。そう考えた時、果たして授業 の中で「協働活動」を仕立てることで英語プレゼンターとしてのアイデンティティ獲得 に繋がるのであろうか。これまで教室内でそのようなアイデンティティ形成が成功した 例はもちろんあっただろう。一部の魅力的天才教師によっていくつも実現してきてはい るだろう。だが、普遍的な道筋としてのアイデンティティ形成を引き起こす要因とはな りにくいのではないかと思われる。 前出の上野(1984)は、祭りを集団帰属の選択によるアイデンティティの獲得という観 点から「『選べない関係』を『選べる関係』へと鋳直す契機である」と定義し直した(上. 20.
(11) 野 1984: 55)。その意味で、祭りは参加者にとってのアイデンティティ獲得装置である と位置付けられる。さらに上野は以下のように続ける。. 「コミュニオンによる集団同一化」は、外部という地を呼びこんで共同体という図 を際立たせる手続きによって、個人による集団帰属の自覚的な選択という契機を含 んでいる。 「僕って何」というアイデンティティは、赤はだかの個人によってではな く、彼が「どこに所属しているか」によってしか示されない。アイデンティティの 獲得とは、個人がどういう集団および集団的カテゴリーに帰属しているか、を選ぶ ことである。(上野 1984: 54) 祭りを、集団帰属の選択によるアイデンティティの獲得という観点から再び定義し 直せば、祭りとは、 「選べない関係」を「選べる関係」へと鋳直す契機であると言え る。(ibid: 55) 「選べる関係」と「選べない関係」の方向が逆転していても両者に共通しているの は、相互転化のメカニズムを通じて、所与の関係が特権的な「選ばれた関係」へと、 シンボリックに変容していることである。集団帰属は、それが「選ばれた関係」で あることによってはじめて、人々に安定した自覚的なアイデンティティを供給する ことができる。(ibid: 63) つまり、これらの言説は自分が「祭りに参加する」という行為によって自ら選び取った 集団帰属によってアイデンティティが形成されると言い換えられる。すなわち、外部と の繋がりからくる現在位置への所属意識の所在を問題にする場合、教室で意図的に作ら れたグルーピングによる協働学習がどれほどのアイデンティティ供給源になっているの かを問いかける必要が出てくるのではないか。三熊 他(2016)では、OPP の場合、他大 学のやっていることやレベルなどを意識している振り返りが見られた。先に述べたよう に、様々なパフォーマンスが混在する OPP では、 「自分たちは毎回チャンツだよね」と か「うちはドラマに全力投球」などのような自己意識を掻き立てられていると考えられ る。英語スピーカー/プレゼンターとしてのアイデンティティ形成は、教室の中でおい それと実現するものではないのかもしれない。. まとめ これらのことを考えると、今回の考察は協働学習・アクティブラーニングの狂想曲を 冷静に観察する必要があることを示唆してくれる。協働学習やアクティブラーニングの 効果として「学び合い」「自己開示」「批判的思考力育成」「協力」「目的達成」など様々. 21.
(12) な観点から実証研究による affirmation がなされつつある。しかし、ここに提示した視 点、すなわち「聖関与性」や「非日常性」から来る強力な学習継続力あるいは困難突破 力の所在、および英語スピーカー/プレゼンターとしてのアイデンティティ供給力の所 在などは、協働学習・アクティブラーニン研究においては等閑に付されているように思 われる。「外国語学習には祭りが必要」。そう仮説を提供して筆を置くこととしたい。. 参考文献 芦田徹郎 (1999) 「現代都市祭礼のアイロニー─祭りの不可避性と不可能性をめぐって ─」『宗教と社会』16 (1), 1-14. 岩井千秋 他 (2016) 「Oral Presentation & Performance(OPP)のイベントを通じた協 働学習活動とその教育効果の理論化」 『大学英語教育学会中国・四国支部研究紀要』 13, 1-18. ——————— (編著) (2016) 『Oral Presentation & Performance(OPP)研究会─OPP2016 報 告書』 大学英語教育学会中国・四国支部 OPP 研究会. ——————— (編著) (2017) 『Oral Presentation & Performance(OPP)研究会─OPP2017 報 告書』 大学英語教育学会中国・四国支部 OPP 研究会. 上野千鶴子 (1984) 「祭りと共同体」 井上 俊 (編) 『地域文化の社会学』(pp.8092).. 世界思想社.. 坂本 旬 (2008) 「『協働学習』とは何か」 『生涯学習とキャリアデザイン = 生涯学習と キャリアデザイン』5, 49-57. 薗田. 稔 (1990) 『祭りの現象学』弘文堂.. 津田ひろみ (2015) 「協働学習の成功と失敗を分けるもの」 『リメディアル教育研究』10 (2), 25-33. 三熊祥文 (1995) 「英語のスピーキング力をつけるために」『現代英語教育』 32 (5), 21-23. ——————— (2002) 「パブリック・スピーキングの実践と知的昇華」 JACET オーラル・ コミュニケーション研究会(編)『オーラル・コミュニケーションの理論と実践』 (pp.41-73). 三修社. ——————— (2003) 『英語スピーキング学習論─E.S.S.スピーチ実践の歴史的考察─』レタ ープレス(発売:三修社). ——————— (2013) 「『祭り』の準備―4技能の統合をうながすスピーチ実践共同体の演出 ―」『大学英語教育学会中国・四国支部研究紀要』10, 68-78. ——————— (2015) 「レシテーションを中心に据えた TOEIC 系授業」『広島工業大学紀要教 育編』14, 57-67.. 22.
(13) ——————— (2014) 「レシテーションを中心に据えた TOEIC 系授業」『広島工業大学紀要教 育編』14, 57-67. 三熊祥文・岩井千秋・三宅美鈴・二五義博 「英語のオーラル・プレゼンテーション活動 による協働学習(祭り)の効果─仮説モデルの検証─」第 42 回 全国英語教育学会 埼玉研究大会 (口頭発表)(獨協大学 2016 年 8 月 21 日) 渡邊洋子 (2013) 「『祭り』という文化伝承・継承空間」『円環する教育のコラボレーシ ョン』, 120-131. Graham, C. (1978). Jazz chants: rhythms of American English for students of English. as a second language. Oxford University Press. Marshall, M (2012) “Talk Nerdy to Me”「私に科学を熱く語って!」 <http://www.ted.com/talks/melissa_marshall_talk_nerdy_to_me>. TEDGlobal. 2012・4:34・Filmed Jun 2012. “The Music Man” WARNER HOME VIDEO [ASIN: B005NFJAZS]. 付録 PPAP! PPAP! I have a pen I have an apple. Our next performance, A formal speech:. Ugh Apple pen! I have a pen I have a pineapple. “PPAP !” You may be wondering what it’s about. You’ll find out !. Ugh Pineapple pen! Apple pen, pineapple pen Ugh. P.P.A.P. is the title of the speech by Marin Yao. Let’s hear what she has to say.. Pen-Pineapple-Apple-Pen. Let’s hear what she has to say.. PPAP! I’m sure you’re all familiar with this acronym as standing for “PenPineapple-Apple-Pen.” It’s a 45-second music video released by Pikotaro last year, which went viral on social media, getting a major boost when pop star Justin Bieber tweeted that it was his favorite video. PPAP was among the winners of the 2016 buzzword of the year award. Everyone and his brother had this phrase on their lips and it went around like crazy. To me, however, PPAP means something else; something that poses far more serious problems than you think; something that may. 23.
(14) shake our intellectual activities. That is “Power Point Addicted People.” PPAP— That’s what you are! Invented in 1987, the Microsoft presentation software PowerPoint is reportedly installed on more than 1 billion computers around the world. It is estimated that more than 30 million PowerPoint presentations are given every day. There are many people, however, who question the effectiveness of the software, and some even go so far as to hate it, of whom I am one. Sure, it would be going overboard if I said PowerPoint should be eradicated from the surface of this planet altogether. But I believe it should at least be cut down to size. So here today, I want us to think about why PowerPoint is harmful and what should be done about it. When I entered university, something really bothered me: some of the PowerPoint presentations. What irked me most was that the slides were literally packed with letters and the profs made us copy what was projected on the screen while they were talking. Our attention was divided between copying and listening to the prof ’s explanation, which made understanding an impossibility. This is how I began to doubt the value of PowerPoint. It turns out that my hostility toward PowerPoint wasn’t a hang-up of mine but an issue relevant to many. In fact, there are many universities and institutions that ban PowerPoint. Fermilab, a noted American particle physics and accelerator laboratory, for instance, have decided not to use PowerPoint in their forums, so they can have more interaction among attendees. Brig. Gen. H. R. McMaster, currently serving as National Security Advisor to President Trump, banned PowerPoint presentations when he led the successful effort to secure the northern Iraqi city of Tal Afar in 2005. Do you know that there is actually a political party in Switzerland whose platform is banning PowerPoint? They are called Anti-PowerPoint Party (APPP). So you can see that antipathy toward PowerPoint is widespread. So what’s so bad about PowerPoint? According to Edward Tufte, professor emeritus at Yale University, the shortcomings of PowerPoint, in a nutshell, can be attributed to its cognitive style, which is represented by bullet lists. Mr. Tufte thinks that bullet outlines dilute thought. Bullet points place information in a hierarchical structure. which. reduces. complex. relationships. among. ideas. into. generic. simplifications. This might lead to misunderstanding and miscommunication. Mr. Tufte claims that the 2003 Space Shuttle Columbia disaster was caused partly because of PowerPoint-based miscommunication between NASA executives and engineers when they learned the wing was damaged by a piece of foam insulation. 24.
(15) that broke off after liftoff. The executives decided that it was safe for Columbia to reenter the atmosphere. It wasn’t. It burned up during re-entry, killing all seven crew members. So far, I have based the danger of blind dependence on PowerPoint on my research. But I think we Japanese should take this issue even more seriously than westerners have ever had to. That’s because we haven’t had proper speech education. If we had better speech skills, those missing links between ideas displayed on PowerPoint could be compensated for verbally. Japanese, however, have long been known for their poor public speaking skills. Yet with the advent of PowerPoint, those who really can’t handle a speech suddenly started giving PowerPoint presentations. This, I believe, was a mistake. With their speech skills still low, it was just like providing little kids with guns, killing presentations. All they do was cram letter after letter on one page and just read them word for word. In my opinion, we should first improve as public speakers. The debate of whether or not to use PowerPoint comes after that. So what can we do? It’s simple. This is what we should be doing. We should increase the ability to speak without PowerPoint. We should learn to make speeches without depending on visual aids. As Steve Jobs says in his biography, “People who know what they’re talking about don’t need PowerPoint.” The government is also to blame. They seem to be dead set on leading school curriculums in a more presentation-oriented direction using the buzz phrase, ‘active learning.’ But nobody seems to be including straightforward ‘speech’ in lower or upper middle school curriculums. Come on! Speech education is not simply a case of learning how to use PowerPoint. The official introduction of speech classes is overdue. In view of what I have said, you can see the importance of this kind of speech contest. I would like to thank the organizers for granting us this opportunity. My fellow PPAP! Won’t you join me in starting our own APPP (Anti-PowerPoint Party)? The platform is to eliminate PowerPoint from our school life. Whenever you have to give a presentation in classroom, avoid using PowerPoint. Let’s start a new age of communication. PPAP! We have PowerPoint. We have a hang-up ’bout it. Ugh We’re stuck with it. We have to learn to speak without it. Communicate!. P.P.A.P. is what we are We have to quit being PowerPoint Addicted People ! We have to quit being PowerPoint Addicted People !. 25.
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