寄稿論文・自由論題
日本の保険会社におけるアジア進出が業績予想に与える影響
*The Impact of Asian Expansion on Business Forecast in Japanese Insurance Company 中井教雄
広島修道大学 Norio Nakai
Hiroshima Shudo University
1 .はじめに 日本の保険会社の海外進出は,1980年代から顕著 に現れ始めた。当時の保険会社の海外進出は,日系 企業の進出国におけるリスク負担に因るところが大 きかった1 )。しかし,1990年代半ばから2000年代初 頭において,日本のバブル崩壊やアジア通貨危機が 生じたため,日本版金融ビッグバンによる日本の保 険会社への即効的な効果は殆どなく,むしろ日本の 保険会社は外資系保険会社から国内シェアを奪われ るという状況に直面していた2 )。その後,国内の金 融システムの安定化や国内保険市場の成熟化を起因 として,日本の保険会社は再び海外事業の強化を試 みたが,2008年のリーマンショックを発端に,日本 の保険会社の海外進出件数は減少傾向をみせた3 )。 しかしながら,2015年以降,日本の保険会社の海 外進出はアジア圏を中心に再び活況の様子をみせて いる。ただし,昨今の日本の保険会社の海外進出 は,2010年以前のような要因よりもむしろ,①日本 における少子高齢化による保険市場の成熟・衰退 化,②長期的なデフレ経済による保険料の引き上げ 抑制または(一部の)保険金の不確実性の増大およ び③日本銀行の超低金利政策による資金運用の困難 性などの要因の方が大きい。 一方,アジア諸国(特に ASEAN 加盟国)の経 済発展は顕著であり,人口ボーナス期にある国も少 なくない。ゆえに,日本の保険会社にとって,保険 業務においても資金運用業務においても,アジア圏 への進出による収益拡大の余地は大いにあるといえ る。 よ っ て, 本 稿 で は, 日 本 の 保 険 会 社 に よ る ASEAN 域内への進出が実際に当該企業の業績にプ ラスの影響を及ぼすのかについて検証する。具体的 には,財務諸表に基づく(事後的な)効果だけでな く,保険会社の ASEAN 進出に関する発表が株式 市場から(事前に)どのように評価されるのかにつ いても,イベント・スタディを用いた実証研究を試 みる。 本稿は以下のように構成される。次節では,先行 研究と本稿の位置づけについて述べる。第 3 節で は,分析方法および使用データについて述べる。第 要約:本研究では,日本の保険会社による ASEAN 域内への進出が株式市場からどのような評価がなされ るのかについて,イベント・スタディを用いて検証を試みた。本研究の主な結論は,以下の通りである。ま ず,保険会社の ASEAN 域内進出に関する株式市場からの評価は一様ではなく,保険会社が有する海外業 務経験,進出形態と提携相手,進出国の国内環境,国内外の経済情勢および現地での業務着手状況に依存す る。また,こうした株式市場からの評価は,短期的には進出以降の業績と直結するとは限らない。これら の検証結果を踏まえると,日本の保険会社による ASEAN 域内への進出は,あくまでも(将来的な)国内 収益の低下を補うための収益拡大を期待したものであり,国内の業績と合わせた総合的な評価において, ASEAN 進出が保険会社の業績に大きな影響を及ぼさない可能性があることが結論付けられる。
50 4 節では,検証結果を示し,その解釈を行う。最後 に,本稿で得られたインプリケーションおよび今後 の課題について述べる。 2 .先行研究と本稿の位置づけ 本稿と先行研究との関係は,以下の通りである。 鈴木(2015)は,1980年代および2000年代におけ る損害保険会社の海外進出について比較検討してい る。その結果,1980年代における日本の損害保険会 社による海外進出の主たる目的が日系企業の現地リ スクの引き受けという点において海外進出に同質性 があったのに対し,21世紀における大手 3 損保グ ループの海外進出の目的には差異があり,各企業の 競争優位性の向上,進出先ローカル市場の獲得およ び事業(リスク)の国際分散化など様々な要因が複 雑に混在している点を明らかにしている。 一 方, 崔(2015) は, 生 命 保 険 業 界 に お け る M&A の状況とグローバル生命保険会社の海外進出 戦略の関係性について考察している。その結果,ア ジア新興国で市場シェアを確保しているのは既に競 争上優位な欧米系グローバル生命保険会社であるこ とから,新興国の生命保険市場の競争には大きな参 入障壁がある点を指摘している。 また,木下(2016)は,国際的に活動する保険グ ループ(IAIG)に対する金融規制の変更が当該保 険会社に及ぼす影響について考察している。その結 果,より強固な資本規制やリスク評価手法が金融シ ステムの安定性向上に寄与する一方で,当該金融規 制を反映した保険業法改正が急務である点を述べて いる。 これに対し,美藤(2016)は,サービス業の海外 進出への動機や参入方法を踏まえた日本のサービス 業における海外進出戦略の企業行動と企業成果の影 響との相互作用について実証分析により検証してい る。その結果,経済成長が著しくサービス業が発展 している国への海外進出が,日本企業の主な参入動 機となることを明らかにしている。 一方,丸山(2016)は,相互会社がその特異性ゆ えに自社の業務多角化(とりわけ海外進出)の障壁 となり得る点を指摘している。当該論文では,こう した問題の解決策の1つとして,相互会社の株式会 社化により,様々なコストや事務負荷を大きく軽減 できることが期待されることを明らかにしている4 )。 また,金(2017)は,保険自由化後の20年間にお いて生命保険市場にどのような変化が生じたのかに ついて,累積集中度とハーフィンダール指数を用い て検証している。その結果,生命保険市場が競争的 になりつつあり,マーケティング上の競争手段とし て価格戦略が重要度を増したことを示唆している。 さらに,栗山(2017)は,保険業法改正による保 険自由化や国際金融規制の改正が損害保険業界に与 えた影響について検証している。その結果,損害保 険業界が,保険業法改正による保険自由化および国 際的な保険監督への急速な対応に集中したため,大 規模な統合・再編や保険金支払い漏れ事件に直面す るなど,新たな課題が生じた点を指摘している。 これらの先行研究の踏まえると,保険会社の海外 進出の主たる動機として,①進出先の環境,②収益 性の国際的な安定化,③金融規制の変化および④ 第 3 者(企業・政府等)からの要請などが挙げられ る。 上述した既往文献では,これら 4 つの要因が保険 会社の海外進出に及ぼす影響について理論・実証分 析を用いて研究しているのに対し,本稿では保険会 社による ASEAN 域内への進出が株式市場から(リ アルタイムに)どのような評価を受けるのかについ て,イベント・スタディを用いて実証的な検証を試 みている。こうした点が,本稿の特徴として挙げら れる。 次節では,本研究のリサーチ・デザインについて 述べる。 3 .リサーチ・デザイン 3 . 1 . 標本データの選択 本研究では,金融危機の影響を除くため,2010年 以降の海外進出(報道)のみを分析対象とし,2010 年 1 月から2019年 4 月における日本の保険会社によ る ASEAN 域内進出の発表日をイベント日として, イベント・スタディの手法で分析した。 サンプルの抽出方法については,上記の期間の日 本経済新聞の発表から,株価データ等が入手不可能 な企業(相互会社等)は除外した。その結果,表 1