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明治前期の洋裁書とその周辺

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明治前期の洋裁書とその周辺

桜 井 保 子

Yasuko Sakurai 〔緒 言〕 日本における洋装化は,盟治政府が近代国家の確立をめざして,文明開化と富国強兵のもとに推し進 めた諸改革のひとつとして理解される。すなわち,近代化政策がすこしずつ実現していく中で,職能服 や制服の形で洋服が取り入れられ,官吏や知識階級に一応の普及をみるに到ったのである。一方女子の 洋装に関しては,鹿鳴館以後,上流階級の人々に公式の場にふさわしい服装として受容された。こうし て明治20年頃には,明治期最大の洋服興隆期をむかえた。 前報では,この時期に洋装化の徴候として,婦人洋服店の開業,女子教育の中での洋裁教育,洋裁書 の刊行が行なわれたことを指摘した。 本心では,この洋裁書に焦点をあて,まずその周辺としての当時の社会情勢をさぐり,次に洋裁書の 内容を検討して,洋服受容の過程の中での位置付けを試みようとするものである。 〔研 究 方 法〕 表1に示すとおり明治初年から20年 頃までに発刊された洋裁書のうち筆者 が収集,閲覧可能なものを研究対象と し,各文献ごとに内容,構成,編集方 法等について検討した。なおこの文献 の探索にあたっては,国会図書館,渡 辺学園生活資料館などを利用したが, 保存状態が悪いことや私的機関では近 年希少本の相互貸借複写が困難になっ てきている等の諸事情から,重要性を

表1研究文献一覧表

書 名 著 者 発行所 発行年月日 改服裁縫初心伝 勝 山 力 松 三 府 書 店 明治6年 女學階梯 巻11 村 上 復 雄 文 泉 堂 明治三〇年 西洋裁縫教授書 原 田 新次郎 川勝利八刊 明治11年 日本西洋衣服裁縫の教 石 井 郁太郎 秩 山 堂 明治16年 日本西洋裁縫濁稽古 丸 山 万五郎 山鳥 声 社 明治19年 男女西洋服裁縫掲案内 大 家 松之助 大阪騒々 堂 明治20年 男女西洋服裁縫新書 渡 辺 二九三 大阪西野駒太郎 明治20年 男女服装西洋裁縫指南 正 木 安 子 正 文 堂 明治20年 男女洋服裁縫濁案内 森 兼次郎 野村長兵衛 明治20年 洋服裁断新法濁案内 フォークス著,鈴木義信謬 香 松 社 明治21年 認めながらも本法に記載できなかった文献もあったことを記しておく。洋裁書の周辺を探る資料として は,前報の文献に加え,鹿鳴館以後の風俗一般,女子教育をよく伝える女學雑誌を使用した。 〔研究結果および考察〕 明治時代にはいって,政府の開化政策や識者の啓蒙運動を通して,かっては少数の先覚者にしか理解 されていなかった西洋文化が,広い範囲に普及するようになった。 衣生活においても,それは洋装化という形になって現われた。この洋装化の過程は,都市と地方,男 子と女子で異なり,また生活をとりまく様々な社会的要因に左右され複雑である。が,癖南の役,鹿鳴

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館を経て,男女とも一部の人々に受容されるようになり,明治20年頃には,その最盛期を迎えるに到っ た。 この時期は,洋装化の途上の重要な一時期としてみのがすことができない。それは,明治という時代 が要求した洋装化が,社会である程度まで受け入れられ,そこから派生する問題が,社会の機構に組み 入れられていった時期であったからである。 1 洋裁書の周辺 鹿鳴館設立の明治17年から20年頃は,女子の明治維新ともいわれ,女性みずからが改革意識に目ざめ 3) た時期であった。それは各種の婦人会や矯風会などの活動となって現われた。女學雑誌の記述によれば, 明治19年をピークに,婦人同伴会,婦人読書会,婦人談話会,女子交際会,婦人慈善会,婦人矯風三等 5) 6) 7) 8) 9) 4) の様々な名称でよばれる婦人会が,都市,地方をとわず各地に設立されている。中には目的主意が明ら かにされていないものもあるが,前述の婦人同伴会は,福岡の教員諸氏の夫人が,「男子は毎日外に在 て社會公共の事件に汲々尽力するの暁に婦人は町内に居て我が良人の日々交際協力する士人の顔をも知 らず」として,夫妻同伴の「懇親睦会」を催したものである。また東京麹町に事務所をおく「女子交際 マ マ 会」は,その規則の第一条に「此會の目的は同志會合して交際を結び互に智識を養ふに在り」とうたつ ている。東京で大山夫人が会長をつとめた「婦人読書会」にしろ,宮城県で設立された「婦人談話會」 にしろ,これまで外に出ることが少なかった婦人たちが,親睦と教養を求めて集まる機会をつくった点

で共通していた・この鰍綿繭夫人會」や洛大臣の夫人洛国公使の夫人の集まる「押人交濟

會」なども含めて多くの会があったが,それらの会の目的に特に違いはなかったようである。 このような風潮の中で,表2に示す ような婦女子の糠と娯楽のため嗜 誌も多く刊行されている。 さらに一 歩進んで,我国の婦女は,「其父兄良 13) 人に便りて,其衣食を仰ぐのみにして, 自ら生業を螢むこと知れる当直少し」 として,女子の職業学校を設け,女子 に適する職業を授けなければならない。 とする趣旨書が明治19年4月にだされ ている。発起人は,鳩山春子や渡辺辰

表2女學雑誌類の襲兇高

マ7 7▼ 爽行度数 東京府下へ配附 各府縣へ配付 計 いらっめ 1 1,025 274 1,299 文明之母 1 310 ユ,058 1,368 貴女之友 2 1,360 649 aOO9 君子と淑女 1 510 350 860 日本之女學 1 2,028 984 3,O12 女 新 聞 4 4,880 628 5,508 情 1 524 224 748 大日本婦人教育會雑誌 1 548 一 548 婦人教育雑誌 1 77 535 612 東京婦人嬌風雑誌 1 357 130 487 婦人教権雑誌 1 1,150 ユ,282 2,432 女學雑誌150号 明治22年2月23日 五郎を含む29名である。これをうけて,共立女子職業学校が設立されたのである。明治20年には,京都 14) 15) 看病学校もでき,女子の職業に目が向けられるようになった。 このようにしだいに旧来の儒教道徳に基づく女性観がゆらぎ始めていた頃,いちはやくその思想に目 ざめた女性たちが,洋服を実用性の面から受容していった。この頃,藩京女子師範学校をはじめ,秋田 女子師範,宇都宮女子師範等で,教員生徒共に,洋服を着用する者が多くなったことが知られている。 この時期の洋服着用者の増加に関しては,前々に記しているとおりである。 さて女子の一部に,また男子にあっては,すでに職能服や制服として官吏や知識階級に普及していた ことを考えると,それらの洋服の生産,調達はどのようになっていたのかという疑問がでてくる。

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まず素材の洋服地であるが,この件に関して嫡盗のような記録が残っている。 是迄婦人の洋服地は多くは舶來品のミを用ひ來りし庭京都西陣織場の會和嘉兵衛氏は新に 鍛子の洋服地を織出し此程上京して国号人の品評を乞ひしに頗る句構賛を得しかば…… これは西陣で婦人洋服地を織り始めた人があったことを示すものであるが,その後の女學雑誌の記録を ひろっていくと,盟治20年3月には,暑后宮女服改良の思召に基づき,女服地として綾鍛子小紋形ちら し鼠,黒,その他各色の織目に着手し,製造品の見本を宮内省へ差出している。同年4月には,西陣の 20) 冬物女服地が東京で評判がよいので,夏服地として尊卑の両面更紗と金糸の紹の見本数十種を東京へ送っ たことが記されている。この頃京都府立織殿でも女服地を女官の夏物として織っていたという。 21) 軍服,職能服として受容された男子服の場合は,衣服仕立局や洋物裁縫所などで,軍や国が一括して 調達したものがその後広まっていったと考えられる。これに対して女服地は,確かな技術を伝える伝統 的な民間の織場で,創意工夫を凝らして織りだされたのが嘱矢となったのであろう。 次に洋服の製作とその技術の伝達の問題がある。 明治20年頃をピークとする洋服着用者の増大にともない「洋裁」を何らかの形で教科として課す学校 が増えてきた。教科としての「洋裁」は,霧制発布当初から,「東京女学校」や「京都女学校」等の急 進的な女学校で,外国婦人を雇い「西洋女紅」 「西洋裁縫」「西洋手芸」等の教科目で課されていた。 しかし明治19年から20年を中心とするこの時期は,東京,大阪,京都等の都市の女学校に加え,「岡山 23) 女学校」2唇野県の「開智学校」等の地方の女学校にまで及んだ。また,洋服裁縫を専門にする亀炉人洋 服裁縫女学校」が,平島喜平により明治20年1月に設立されている。霧島氏は同校の校長を務めるかた わら,「平島商店」において,西陣の織物を売捌いたり店員を米国に送って,洋服について学ばせる等 の活動をしていた。また同校は,当初京橋区山下町に開設されたが,生徒が多くなり翻年4月には山城 町四番地に移転している。この他,早戸や大阪でも同様の学校が開設されていた。 このような学校の他に,小規模な伝授所も各地にみられた。これは特に大阪に多く,財(阪府下にて 裁縫仕立屋又ハ通常の婦人にして豫て各家の少女に裁縫を教授し居る向き少奈からざるより同府にてハ 今度右等の向にして三人以上を教授し居る者を至急調べ申出づ可き」とする通達がでたほどであった。 また個人的に洋裁を学んだ人もあったようで,務學雑誌の記述によれば,海軍武官の夫人令嬢や医師 の夫人の中には,洋服裁縫師を横浜から招き,機械(ミシン)を購入して裁縫術を学ぶ者もいたことが 記されている。 洋裁書が多く発刊されたのは,このような時期であった。当時,女学生や女子教員がよく購読してい た女學雑誌の広告欄には,次のような洋裁書が掲載されている。 63号 明治20年5月7日 西洋裁縫教授書 野口幾太郎 66号 明治20年7月9日 男女西洋服裁縫猫案内 大家松之助 91号 明治21年1月7日 洋服裁縫新書 加藤鶴吉 このうち「男女西洋服裁縫濁案内」は,国会図書館に収蔵されていたので,他の文献とともに内容を紹 介する。

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H 洋裁書の内容分析 洋裁書の内容分析にあたっては,いくつかの分析の視点を定めること が有効であるが,各々文献の固有性が強いため,その特徴をつかむ事の 方が重要と考えた。そこで,内容,構成,編集等を総合的に判断して相 互に類似点のみられるものを4つに分類し,表3のようにまとめた。た だ裁断のシステムについては,すべての文献から推察,考察できるので, 個々の文献の解説ののちにまとめてみたい。 1類油鼠裁縫初心伝,女學階梯,男女西洋服裁縫新書,男女洋服裁 縫猫案内 これらの内容は表4∼7に示すようにひとつの二種につき,各々デザ イン画,製図,裁方,縫 表4 「改服裁縫初心伝」の内容分析 方の図が付けられている。 この製作工程の呼び名は すこしずつ変わっている が,さし示すものは同一 である。ただどの文献に あっても縫い方の図は少 なく,わずかに,袖付け 表5 「女學階梯 巻11」の内容分析 ラペルの八刺し等の説明 図があるだけである。ま た全体に文章による説明 はほとんどみられず,そ れぞれの図が,唯一のた よりとなっている。 表6 「男女西洋服裁縫新書」の内容分析 表3 研究文献分類表 分類 文 献 名 1類 改服裁縫初心伝 李{階梯 巻11 j女西洋二二縫新書 j女洋服裁縫濁案内 n類 西洋裁縫教授書 m服裁断新法濁案内 皿類 日本西洋衣服裁縫の教 坙{西洋裁縫蜀稽古 W類 男女西洋服裁縫濁案内 j女服装西洋裁縫指南 禮 服 平 服 達摩 ヒダ脊広 トリ 脊広 下胴服 騙蟷 一 写真1,2 iデザイン画) ○上着前後 Z胴服,袴 o上着前後Z胴服,袴 o 前後 O 前後 o 前後 ○前のみ o前のみ 其三 写真3 i製 図) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 其四 写真4 i裁断図) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 其五 写真5 i縫方の図) ○ 説明付 ○ ○ ○ ○ 下闇服 禮 服 平服 背広筋 背広 裁法(製図・裁断図) ○ Z胴服,袴o 上着 O ○ ○ 縫 法 平服or背広のものと推定? 仕立上の圖 O 0 通常禮服 .ス服 ヒダ心服 背廣服 フロック R 一 ト 達摩服 外套 蠕蟷 シヤッツ 袴下 女服 裁方之圖 o 上衣Z胴衣,袴 Q 上衣@短胴服 Q Q Q 上衣@短胴服 Q ○ O O(寸法付) 0(寸法付) 明細之圖 (製図) O ○ ○ ○ O 0 ○ ○ ○裁 @方 @縫 @方 @明 @細 @之 @圖 縫方之圖 Q 0 ○ 0 ○ 一之圖(デザイン画) ○ ○ G ○ Q Q O Q ○ o o 表7 「男女洋服裁縫濁案内」の内容分析 子 供 服 子供服 陸軍正服 フロック R 一 ト ヂャケット エンピ @コート モーニン Oコート 半マン @テル ドイツセビロ qダツキ(子供) セビロ i子供) セビロ オーフル R 一 ト アスター R 一 ト マンテル形 Aスターコート 子 供 Wョンベル 着用雛形ノ圖 Q Q 3体 ○ 0 3体 0 4体 02体 0 3体 03体 03体 Q 3体 0 3体 Q o

縫 卜占 圖 o O(仕立上の図) ○ 縫方n裏面の図 ○ o縫方O裏面 ○ 割裁及

リ離シノ圖

O ○ 0 3体 0 2体 02体 02体 05体 0 2体 0 2体

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次に表8に示すとおり,「男女洋服裁縫猫案内」を除く三文献は,服種,製作工程の説明ともに同一 であり,個々の図,寸法にいたるまで一致している。写真1∼5は,「改服裁縫初心伝」の禮服を例に 示したものであるが,他の文献の他の服種にあっても,同様の説明図が続くわけである。 写真1「改憲裁縫初心伝」

し、羅

睾 襲 ・ 重 姦塾 壷 臓>

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1 ’ 上下一般四型之圖一 写真3 「改服裁縫初心伝」 瀞、 ’ ヨギ ξ’ 犠 無憂

需 磁・嚢

蔑譲 蓬i } 上下「般職服の圓其欝 κ 4 上下「般禮服の圖其四 写真2 「改服裁縫初心伝」 縞 凄 ≧ ‡護 参 ㌦ i 上下一般禮服の圖其二 写真4 「改服裁縫初心伝」 弧矯無職 欝β

嚢1錺鷺囎il

ただ「女訓階梯」は,序文にもあ るとおり「女の道の教え」であり, ぬいたち おりつむぎ 初巻の「縫裁,織紡,洗濯,染物, かしぎわざ 炊業等の法」の巻之壼である。した がって,前半は和裁に紙面が費やさ れているか,ここであつかった後半 の「西洋服裁法」 「洋服縫法」は, 他の二文献と同様の特徴をもってい る。 写真5「改服裁縫初心伝」 燈 護 量 上下「般禮服の圓其五 表8 「改憲裁縫初心伝」「女學階梯」「男女西洋服裁縫新書」の内容比較 ノ ヤ ノ 礼 服 平 服 背 広 ヒタとり w 広 蠕 蟷 達 摩 フロノク R 一 ト 外套 袴 下 女服 改服裁縫 艶S伝M6 ’下灘服・ノヤノ ㌧、 @ 禮服 、(3つナタ/) @ 脊廣 ‘。鰐証 女學階梯M10 ド胴服 r 翻弄 ((3つ十タノ)@ 無難 ・(ヒダ幅3尺5分) @脊廣ヒダ取 男女西洋服 ル縫新書M20 ノヤノノ 通常糧服 _1 ●(4つナタノ) @ 謎謎服 ヒダ採取 蠣説服 、馬場服 、 (図のみ) Q 子供服 女 服 子供三州ル }タズ十ノ 女長マ! @ テル 女皇マ @ノテル 女ノヤケ @ ノト 女フロノ Nコート 女セヒロ 女アスター @ コート 逮 摩 短骨服 iチョノキ) 股 引 m† ノ 外 套 乗馬外套 クリヌキ @マノト 枚 nキマノト 一 看 }ノト Q り c) り ( 仕立七 ?面 5体 前後 O後裏面 O r)(大人) (! ぐ、 ⊂ L 、 3体 4体 、 L」 女服裁方之圓 (裳)

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1類の文献は,発行年からみると明治10年までのものと,少し時代を経て20年のものになるわけであ るが,この二者には,とりあげられている洋服の数に大きな差異が認められる。すなわち「男女西洋服 裁縫新書」では,「初心伝」「女學階梯」にはみられなかった女服がとりあげられ,「未だ普く世間に はやら に 流布せず故に本書にも其一班を掲げ」として,ツーピース型の女服を紹介している。また「男女洋服裁 縫猫案内」では,さらに子供服も加わり,ここで掲載されている服種は実に28種を数えている。ここに, 鹿鳴館を経験する前後の洋服に対する考え方の違いをみることができる。1類の洋裁書の特徴である服 種別にその製作工程にしたがって説明図をあたえていく方法も,洋服が多様化してここまで種類が増え てくるともう限界の感はまぬがれない。28種類の服を,逐一「着用雛形之圖」 「縫方之圖」 「割裁及切 離シノ圖」 「裁方之圖」と説明していく方法は無駄も多く,繁雑である。 製作以外の事項としては,「男女洋服裁縫新書」では,裁縫人の心得,洋服に使用する布地,一採寸の し方,「男女洋服裁縫搦案内」では,裁縫用具,裂地の入用寸法,裁縫学の心得について書かれている。 また巻末には,裁縫口授の項目がもうけられ,裁方,縫方等について全般の注意事項が網羅されている。 皿類 西洋裁縫教授書 洋服裁噺新法猫案内 皿類に分類した両文献は原著は明らかにされてはいないが,共に訳本である。 「西洋裁縫教授書」は 「原田新治郎課」とあり,「洋服裁断新法猫案内」は,「米国裁縫技師フォークス氏著,日本裁縫師鈴 し たてや 木義信三下」と明記されている。いずれも「裁縫師」を対象としたもので,専門性,職業性の高い内容 である。 ずひきほう 内容を分析すると,「度のはかり方」「図線法」等と訳されている採寸,製図のし方を中心とした説 明が主となっており,裁断,縫製については,ほとんど触れられていない。また服種は紳士物に限られ, 女子服,子供服についての記述は一切みられない。 両文献ともに,「解の部」と「圖の部」に分かれており,ふんだんに使われた図や,作図上のポイン トごとに付された記号が,詳細な説明と共に,より実際的な洋裁書を構成している。 「西洋裁縫教授書」が製作の過程にしたがって書かれ,「洋服裁断新法濁案内」は服種ごとに説明が なされているため,以下,各々の内容を別々 に紹介する。 西洋裁縫教授書 巻焼切では,経度尺の用法,教導線,体の 有様の事(写真6)など洋裁の基礎となる事 項について説明されている。教導線は,「手 本」(型紙)を作る際の基準となる組立線の ことであり,善国界の形が例にあげられてい る。また,体の有様を区別する四要素に幅, 丈,形状,肩をあげ,「曲碧潭」とよぶ体型 分類を試みている。 写真6 「西洋裁縫教授書」巻 之壼第三躰の有様の事

島ゆ

叢1 曇

r纏綿

胸より胴の大きな人の製 図を示し,子供の体型は これに属することを指摘 している。 写真7 「西洋裁縫教授書」巻 之二第五手本形の概暑

欝欝嚢

1藻鰻

懸難

通例の形5体,重ね癖の 形4体の計9形の手本形 を示したもの

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巻之二は,インチテープによる度の測り方,圖引法,手本型の概略(写真7),風に準ずる形の作用 等の項目があり,採寸,製図とその応用,展開にいたる広い範囲の内容を含む。度のはかり方は,前巻 で示した体の四要素に着目し,全部で18か所の採寸箇所を示している。図引法は,経度尺とインチ尺を 用いる各々の引継について説明し,インチ尺は,「避がたき算用を爲を要する」としている。また,手 のびちぢみ 本形を図にひく場合,「織物に継て延縮に多少があれば…(略)…度に多少の愛化を用ふるものなり」 との指摘もしている。なお,写真7に示すように,基準になる手本形は,通例の形として,善心形,長 躰形,短二形,前屈形,後傾形の5形,重ね癖の形として,長躰の前屈形,長雨の後傾形,短躰の前屈 形,虚字の後屈形の4形の合計9形が記載されている。 あやまち さけかた 巻之3画面正法についての説明である。すなわち「衣服に生ずる謬誤は避方に依って宿泊を減ずる事 マ マあり漏りといへども出来し以上は最早避難ければ」と前置きして,「丈により生ずる謬誤」と「幅によ マ マ る謬誤」にわけ,その原因と矯正方法を説明している。 巻之4以後は,服種にわけ,一巻ごとにその裁縫術を詳細に説明している。巻之4は短胴衣,巻之5 は股引,巻之6は上着である。短胴衣は,風に準ずる形の作用として,衿のあるもの,ボタンの数の違 うもの等,数種類の手本形がのせられている。また,股引は足の方向によって人体にあわせる製図上の 工夫がなされている。上着には,「ヲバアコヲト」「イスパニヤマワシ」とよばれる外套類も含まれて いる。 写真8 写真9 洋服裁土嚢法猫案内 「洋服裁噺新法猫案内 どはかるほう」 「洋服裁断新法猫案内」 皿一ヨーク 第1圖測度法 第2綴織釦カットウエー 本文献は,鈴木義信氏が米国紐育府にいた 頃,フォークス氏に習学していたので,帰国 後,恩師の書を翻訳したものである。訳者に よれば,この本が五版めですでに四版までを 発行し賞賛を受けているとのことである。氏 は,翻訳にあたり,洋服裁断新法の国訳を漏 らさず記載したと自負しながらも,日本では 画学が開けていないので,術語を訳すのに苦 労したという。 削■》,’@}’』{

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〆/7

轟・.ノ払箋

ゾ 1

陀論叢『『 臨一一:一・認m高欝 また緒言では,雇主に対する態度,接客態度,裁縫師の地位等も含む裁縫師の心得について記され, 本書が裁縫を職業とする裁縫師のための書物であることがわかる。 ひいながた 本文の説明は,服種ごとに,寸法の測定方法と測定場所(写真8),整形の寸法,心線に用いる寸法, 隠線法(写真9)が示され,それぞれ「圖之部」にまとめて図解されている。写真8,写真9に示した のはその一例である。図線法を一つ例にあげても,本文献の場合,基準線,補助線がはいり,ポイント ごとに記号が付られているので,本文と照合すれば,作図も比較的容易である。この点が1類の文献と の違いである。(写真3参照)隠宅は,紳士服に限られているが,合計42種におよぶデザインが記載さ れ,現代の洋服に相当する名称がみつからないものもあり,これは今後の課題として残しておく。 たいふあはぬ みそこない 巻末では,不合格の原因に,不正の度,語勢の誤解,書線上注意の不足の3点をあげ,その解決方法 からだのなり について,解説している。また,心血の項では,人体には前屈と後屈があるので,「測度法と纏験上の か た 三豊とを以って充分なる書線圖を得べし」と指摘し,次の「霊木の用法」で標準形でとった心木を前屈, 後屈の体型にあわせる方法を説明している。

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皿類 日本西洋衣服裁縫の教,裁縫猫稽古 いずれも,日本と西洋の 両方の裁縫を簡単にあっかっ 表9 「日本西洋衣服裁縫の教」と「日本西洋裁縫独稽古」 の内容比較 た小冊子であり,内容,編 集,装丁にいたるまでほぼ 一致している。両者の内容 比較は,表9に示すとおり である。 m類の内容は,H類の「西洋裁縫教授書」の内容と通じるところが多く,巻之四,五,六を手短にま とめたものではないかと考えられる。それは,幅,丈,形状による体型把握をした後に,それぞれの服 種に必要な寸法を測り,製図に生かしていくというH類の文献の根本原理と一致するからである。 序文に,衣服に関する著者の考え方が明らかにされていることも1皿類の文献の特徴であるが,両文献 とも表現に多少の違いはみられるものの,その主張は同じで,まとめると以下のようなものである。 か み 世の中に衣食住より必要なものはなく,その中でも衣服は,人間第一の必要品である。造化は,鳥 獣虫魚には,寒暑を防ぎ身体を保つ毛皮,羽毛等を与えた。しかし,各々異なる好みをもつ人類に は,生まれながらに衣服を与えることは避け,衣服を作る工夫の智と,これを裁縫する自由自在な 手足を与えた。 「日本西洋裁縫搦稽古」の洋服裁縫の導入部では,「諸事分業の人間社会において,縫仕事は女子の 務めである」として「當今ハ官員社會に於てハ過半,洋服となり,民間に於ても坦々洋服に傾きか、り しもの、如し…(略)…彫れバ洋服の裁縫ハ今日女子の学バざるべ可らざるものと須」という記述がみ られる。鹿鳴館以後,欧化政策や女性みずからの意識改革により一部の人たちに着用された洋服ではあっ たが,多くの女性にとっては,着用よりもまず,裁縫という形で,洋装化が進んでいったのではなかろ うか。従来から家族の衣生活をとりしきっていた女性にとっては,裁縫の内容に西洋風のものが加わる という一大改革がおこったわけである。 皿類の文献は,「日本西洋衣服裁縫の教」の「結話」にもあるとおり,「大略を記し以て其荒々を示 すにとどまる」内容のものである。 マ ン テ ル 短 胴 着 股 引 日本西洋衣服裁縫の教 マンテル裁縫の法 短胴着寸法の測り方 股引の総論並 股引裁 ノ度の定め法 切の法 結話 日本西洋裁縫独稽古 上 着 裁 方 短胴服寸法の測り方 股 引 裁 方 IV類 男女西洋服裁縫猫案内,男女服装西洋裁縫指南 表10 ’「男女西洋服裁縫猫案内」と 用 具 基 礎 縫 材 料 採 寸 男女西洋服 2.裁縫器具種類 3鍼縫名四及 マ マ 4.洋服に用ゆる マ マ 裁縫濁案内 及び用法定則 び法主 織布及び種類 6.躰格寸法取の法方 M.20. 井に用聞 ( 1.尺測度の測り方 男女服装西 1L裁縫用土器械 12.服地の種類 上 2.身体の形状 洋裁縫指南 及名稻 3風に準ずる方法 M.20. 巻 4.衣服より生ずる誤謬 ) 及其匡正方

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IV類の文献は,表10に示すように内容を分析すると,用具,材料,採寸,裁断,縫製など製作の根本 となる事柄に関して,漏らさず記載されている。20年置にはいり,しだいに洋裁書としてのまとまりを 整えてきたといえよう。さらに,編集順序,方法などを総合的に考えあわせると,それぞれの文献の意 図がよみとれ,それが前出の文献とは異なったレベルの高いものと評価できよう。以下二文献を比較し ながらその内容を紹介する。 「男女西洋服裁縫濁案内」は,書名のとおり一般の人を対象とした独習書であり,このことは,用具 ミ シ ン みしな の説明のくだりで,「裁皇,裁刀,刻縫器械の三器は素人は無くとも事足るも能奈里」として,次の マ マ 「鍼縫名門及び法方」の章で,洋服によく使用する基本的な手縫いの方法について説明していることな どから推察できる。本文献の構成は,まず用具や素材についての知識を固め,洋服に使う基本的な縫い 方も学習したのちに,採寸を行ない個々の洋服の製作にうつるように配列されている。製作に関しては, 縫方と,裁方に分かれているが,縫方が示されず,裁方のみが示されている服種も多く,基礎縫を応用 して,独習者の工夫によって製作することを期待したものと思われる。

これに対して,「男女服装西洋裁縫指南」は副題の「The tailor’s master」のとおり,洋服仕立を

業とする職業人のために書かれたものであろう。内容は,表10に示したとおり,上巻では採寸,身体の 形状に応じた型紙の製図のし方,補正のし方等,かなり専門的に詳細な説明を加えている。続く中巻で は,股引,短胴服,上着について,各々の寸法のとり方,裁方について図入りで解説している。下巻で は,「裁縫切揚倹約法」と題して,「切が少し位不足しても適宜に使用すべき事」 「切を無益にせずし み し ん て多く利便ある仕方に定むる事」を指導している。また「足踏器械針」や「手操器械針」をはじめとす る用具や,服地の種類についても述べている。これらの中でも特に,採寸,仮縫いなどに多くの紙面を さいて「洋服は和服と違い,人体に程よく適合させなければならない」ものである事を随所にもり込ん で説明されている。 ずぼん 次に掲載されている洋服の種類であるが,両文献とも,紳士物の上着,短胴服,袴の三種に分け,1 類の文献のように個々のスタイルについては述べられていない。ここにW類の文献の特徴が表われてお り,個々のスタイルの説明より,総説的な説明を試み,応用範囲を広くしたものと考えられる。ただ表 10に示すとおり「男女西洋服裁縫濁案内」の裁物定則の節で,小児服や外套,女服などの裁方や置土り の図が載せられているのが例外である。 以上のように,4つの分類にしたがい内容の紹介をしてきたが,次にこれらをまとめてみると表11の 「男女服装西洋裁縫指南」の内容比較 裁 断 ・ 縫 製 そ の 他 7.縫方法則 8,裁 物 定 則 上 口

蒼キ中

マンテル,脊廣,ジャケツ,短胴服,袴 ャ児マンテル,小児袴,通常禮服,外套 ャ児服,女服,小児女服,支邦国常服 ( 5.股 引 ?6.短胴服 ェ 7,上 着(雨衣,トレンコート,フロックコート,) ヲノ「ミコー ト) 8裁切の 趨 法 9衣服 伯` 1α雑言 13.洋服着用 @彫心得

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とおりである。なお, 表11 明治前期の洋裁書のまとめ 本の性格,対象は筆者 が洋裁書を分析,考察 したのちの総合的な判 断である。それでは, この表に基づいて説明 を進めていくことにす る。 1類の洋裁書は,個々 の服種について製図, 裁断等の製作工程ごとの図が示されてはいるが,採寸についての記載がなく,文献に示されている寸法 以外の応用がきかない。また,洋服の着用経験もない当時の人々にとって,与えられた図だけでは,と ても裁断,縫製が不可能であると判断した。発行年月Bが,明治6年と10年の「改服裁縫初心伝」 「女 學階梯」の二文献は,特にこのことが顕著であり,実用目的よりも啓蒙書としての性格が強かったので はなかろうか。 H類の翻訳の洋裁書は,当時の米国の仕立をよく反映した本格的なものである。職業人の実用書とし て,実際に洋服仕立にたずさわる人たちが,師匠の技術を学びながら使用していたことも充分に考えら れる。 皿類は,発行年月日やその内容から考えて,H類の文献,特に「西洋裁縫教授書」を読破した人が書 いたものと考えられる内容である。しかし,判が小さく頁数も少ない上に,まったく図による説明がな されていないため,H類の文献にみられるような複雑な内容を解明するにはほど遠い。また,はしがき などには,前時代の往来物を思わせる書き方もあり,一般の教養書と判断した。 IV類は,それぞれ編集,構成を異にする二文献であるが,内容を分析すると,共に現代の洋裁書の基 本となる事項が記されている。「男女西洋服裁縫猫案内」は,和裁の手法からは親しみやすい鯨尺によ る寸法断ちを用い,手縫いの説明があることから書名どおりの独習書と判断した。また,「男女服装西 洋裁縫指南」の方は,ミシンを使ってより専門的な技術を求めていることから,実用書と判断した。 次に裁断のシステムであるが,今回の10文献の調査では,寸法断ちとフリーハンドによるふたつの方 法がみられた。この二方法については,すでに蛎達者の研究により明らかにされているが,ここで特筆 すべき事は,裁断のシステムと発行地が,相関をもって分かれていることである。すなわち,大阪が発 行地のものは,鯨尺による寸法断ち,東京のものは,インチによるフリーハンドとなっている。寸法だ ちは,和服の裁ち方のように裁ち切り寸法で裁断するもので,寸法と目で形を描きながら裁断する方法 である。大部分が曲線で構成されている洋服の場合は,本来多くの経験と専門的な技術を要するが,明 治前期の日本にあっては,和裁の応用で洋服型のものを裁縫しようとしたためこの方法が取り入れられ たものと思われる。これに対して,フリーハンドは,器具を用いないでフリーハンドで製図をし,型紙 を作ってから裁断する方法で,現在では最も一般的な方法であるが,当時の日本にはなかった方法であ る。 今回,このふたつの方法が,東京と大阪で分かれた事は,偶然なのか。必然なのか。その理由ならび に,二方法の将来への展開は,今後の課題として残しておく。 分類 文 献 名 発行年 対 象 性 格 裁断のシステム 発行地 癒 改一働縫初心高 李{階梯 巻1ユ j女西洋服裁縫新書 j女洋服裁縫濁案内 明治6 @ 10

@20

@20

一般 啓 蒙 書 鯨尺1寸法断ち 大阪 皿類 西洋裁縫教授書 m服裁断新法濁案内 11 Q1 職業人 実 用 書 インチiフリーハンド 東京 懸 日本西洋衣服裁縫の教 坙{西洋裁縫濁稽古 16 P9 一 般 教 養 書 インチiフリーハンド 東京 蟻 男女西洋服裁縫濁案内 j女服装西洋裁縫指南 20 Q0 一般u般・職業人 実用書(独習書) @実 用 書

誓聖画し,

大阪 結

(11)

〔要 約〕 鹿鳴館の設立から,明治20年頃にかけては,男女とも洋装化の上で,重要な動きがみられた時期であっ た。特に女子の場合は,それまで男子に一歩遅れをとっていた洋装化が急速に進み明治期最大の洋服興 隆期をむかえた。その背景には,女性みずからが改革意識に目ざめ,各種の婦人会を設立し,これに参 加するなどの新しい動きがみられた。 このように洋服が,男女ともに一定の着用者をみるようになると,従来,舶来にたよっていた女服地 が西陣で織りだされたり,各地に洋裁伝習所や洋裁学校が創立されたりして,社会的にも,洋服調達の 手段がととのっていった。これが,多くの洋裁書を生み出す社会の周辺であった。 こうして生み出された洋裁書の内容は,様々であった。新しい風俗としての洋服を紹介するにすぎな い内容のものや,製作に必要な実用的な説明を欠くものなど,指導書としての性格が希薄なものもみら れた。これらの洋裁書はそれぞれ,啓蒙書,教養書として,当時の人々に,上からの欧化政策である鹿 鳴館とは別の洋服の間接体験を与えたであろう。 また,翻訳本や,20年代発刊の洋裁書の中には,洋裁の基本を適確にとらえ,本格的な仕立を詳細に 説明した現代の洋裁書につながるレベルの高いものもみられた。これらの洋裁書は当時の社会にあって, 留学経験のある洋裁教師や,居留地の外国人指導者と同様に,洋服の知識と技術の伝達の一担をになっ たものとして,みのがすことができない。 稿を終えるにあたり,終始ご懇切なご指導を頂きました。岡山大学教授西村帽子先生,奈良女子大学助教授相 川佳予子先生に,深く感謝致します。尚,本研究の一部は,中国短期大学研究費助成を受けたものであり,関係 各位に深謝致します。

〔参考文献等〕

1)桜井保子 中国短期大学紀要 13 p.10 G982) 2) 同上 3)女結雑誌 21p.145∼147明治19年4月25日 ○有力なる婦人會「今日は女面損張の氣運正に熟した る好機會にて……(中略)……女権の維新は一昨明治17年に其々を現し今年に至りて…(後略)……」 4)女學雑誌 16p.69 明治19年2月25日 5)前掲誌 6)前掲誌 7)前掲誌 8)前掲誌 9)前掲誌 10)前掲誌 11)前掲誌 12)前掲誌 16 p.70 明治19年2月25日 19 p.116 明治19年3月25日 22 p.163∼165明治19年5月5日置24p.197明治19年5月25日 30 p.306 明治19年7月25日 41 p.1∼3 明治19年11月15日 27 p.244 明治19年6月25日 O海軍軍筈夫人會 27p.244 明治19年6月25日 ○貴婦人交濟會 124 p.96∼97 明治21年8月25日 ○婦女子に関する雑誌 142 p.127 明治21年12月29日 ○明治21年内主奈る女學書

(12)

女學雑誌 150 p.213 明治22年2月23日 ○女學雑誌類の護党高 13)前掲誌 21p.148 明治19年4月25日 14)前掲誌 22 p.166 明治19年5月5日 15)前掲誌 49 p.182−2 明治20年1月29日 16)前掲誌 4 p.64 明治18年9月10日 工7)前掲誌 43 p.58 明治19年12月5日 18)前掲誌 55 p.100 明治20年3月12日 19)新聞集成明治編年史 6 p.405明治20年1月19日 朝野新聞 ○女子の服制に関する皇后宮の御 思召書 20)女學雑誌 59 p.180−3 明治20年4月9日 21)前掲誌 59 p.180−3 明治20年4月9日 22)関ロフサ 女子教育における裁縫の教育史的研究 家政教育社 23)女學雑誌 27p.245 明治19年6月25日 24)前掲誌 48 p.160−3 明治20年1月22日 25)前掲誌 47 p。120 明治20年1月15日 ○婦人裁縫 前號に記したる婦人洋服裁縫女學校は今月末 に開校の手筈なり。…(後略) 51 p.20 明治20年2月12日 ○婦人洋服裁縫女學校 彌よ開校ありたるが毎學期六ケ月 にして三學期(則ち一年半)を以て卒り…(後略) 26)三二雑誌 55 p.100 明治20年3月12日 27)前掲誌 85 p.100−5 明治20年11月19日 28)前掲誌 95 p。1io 明治21年2月4日 29)前掲誌 16 p.70 明治19年2月25日 30)二二雑誌 58 p.158 明治20年4月2日 31)牛込ちゑ 被服教育の変遷と嚢達 家政教育社

参照

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