緒
言
小
山
正
文
酒
田
市
安
祥
寺
蔵
の
十
字
名
号
-親 鸞 に よ っ て は じ め ら れ た 本 尊 と し て の 十 字 ・ 九 字 ・ 八 字 ・ 六 字 の 名 号 は 、 真 宗 教 団 の 発 展 と 共 に 種 々 様 々 の 様 式 形 式 の も の が お び た だ し く つ く ら れ 、 ﹁当 流 二 ( 木 像 ヨ リ ( 絵 像 絵 像 ヨ リ ﹁ 名 号 卜 云 ナ リ ﹂ の 宗 風 を 築 き 上 げ る に ま で 至 っ て い る こ と は 、 す で の 周 知 の 事 実 で あ ろ う 。 ま さ に 名 号 本 尊 こ そ は 、 真 宗 の 歴 史 そ の も の で あ っ た と い っ て も 過 言 で は な い の で あ る 。 親 鸞 以 来 の こ う し た 名 号 本 尊 の 諸 相 に つ い て は 、 ﹁真 宗 重 宝 聚 英 ﹂ 第 一 巻 ・ 第 二 巻 、 当 研 究 所 編 ﹁蓮 如 名 号 の 研 究 ﹂ 等 々 の 労 作 を 通 し 、 現 代 の わ れ わ れ は 容 易 に 窺 知 し う る こ と を 感 謝 し な け れ ば な ら な い 。 し か し な が ら 巷 間 に は ま だ ま だ 知 ら れ ざ る 名 号 本 尊 が 、 無 数 に 存 在 す る こ と は 酒 田 市 安 祥 寺 蔵 の 十 字 名 号 い う ま で も な い の で あ っ て 、 か つ て 筆 者 も 右 の 良 書 に 導 か れ つ つ 、 多 彩 な 展 開 を 遂 げ た 名 号 本 尊 の 一 例 を 紹 介 し た こ と が あ る (千 葉 乗 隆 博 士 傘寿
記
念
論
集
﹁日
本
の
歴
史
と
真
宗
﹂
所
収
﹁名
号
本
尊
の
一
事
例
十
高
僧
・
太
子
を 描 く 九 字 名 号 卜 ﹂ )。 そ れ は 図 版 二 こ 一丁 四 の よ う な 九 字 名 号 の 左 右 に 真 宗 八 祖 や 聖 徳 太 子 の 像 を 描 く と い う あ ま り 例 を み な い も の で 、 あ る い は こ う し た タ イ プ の 対 幅 的 な 十 字 名 号 も 存 在 す る の で は な い と 指 摘 し て お い た 内 容 で あ っ た 。 そ う し た ら は た し て 平 成 十 六 年 (二 〇 〇 六 )九 月 七 日 の 当 研 究 所 に よ る 酒 田 市 安 祥 寺 調 査 で 、 図 版 二 の 宝 光 寺 本 九 字 名 号 と 全 く 同 一 様 式 の 十 字 名 号 (図 版 一 ) に 接 す る 機 会 を え 驚 喜 き わ ま り な か っ た 。 よ っ て こ こ に そ れ を 報 告 し て お こ う と お も う も の で あ る 。同 朋 人 学 仏 教 え 化 研 究 所 紀 要 第 ● I ¥ ・ l S ● 4 図版- 101. 2×36. 8cm 酒 田市 安祥寺蔵 卜 .瓦 い.り
図版二 字 わ ︰ケ 酒 田 巾 安 祥 か 蔵 の 36. 8cm 堺市 宝光寺蔵 98. 5×
同 朋 大 学 仏 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 ニ ト 五 号 四 図版三 103. 8× 44. 9cm 尾西市 安楽寺蔵
椚 川 巾 安 祥 か 職 の 卜 字 お ︰ゲ だ. 図版四 109. 6×38. 4cm 三条市 長泉寺蔵
六 や 退 色 気 味 と は い え 、 製 せ ら れ た 当 初 は 想 像 以 上 に 蓮 台 と 同 じ く 色 あ ざ や か で あ っ た だ ろ う 。 八 祖 像 の う ち 竜 樹 か ら 曇 鸞 ま で の 正 面 観 を 強 調 し た 下 よ り 上 に 向 う 構 成 は 、 三 条 市 長 泉 寺 、 白 山 市 林 西 寺 、 豊 田 市 原 田 家 、 京 都 市 徳 正 寺 、 大 阪 市 恵 光 寺 等 々 に 所 蔵 さ れ る 光 明 本 尊 の そ れ と 同 一 手 法 で あ り 、 特 に 曇 鸞 ・ 道 緯 ・ 善 導 が 腰 掛 け る 巾 広 い 鳥 居 型 曲 象 は 、 そ れ ら 光 明 本 尊 の 影 響 を 明 ら か に 受 け て い る と い え る 。 右 掲 の 光 明 本 尊 の う ち 恵 光 寺 本 に は 大 永 二 年 ( 一 五 二 二 ) の 襄 書 を み る の で 、 安 祥 寺 本 ・ 宝 光 寺 本 名 号 本 尊 製 作 時 期 の 上 限 も お の ず か ら 定 ま る で あ ろ う 。 他 方 こ う し た 五 祖 像 に 対 し 源 信 ・ 源 空 ・ 親 鸞 の 三 祖 像 は 、 近 世 本 願 寺 下 付 の 型 に は ま っ た 七 祖 像 ・ 宗 祖 像 に 同 じ で あ る か ら 、 結 局 安 祥 寺 ・ 宝 光 寺 の 両 名 号 も 江 戸 時 代 前 期 あ た り の 作 と み て 大 過 な い と 考 え ら れ る 。 そ の こ と は 八 祖 像 の 個 性 乏 し く こ じ ん ま り と ま と め ら れ て い る 顔 貌 の 表 現 や 、 枠 取 り を し た 胡 粉 上 に 書 か れ る 札 銘 の 萎 縮 し た 文 字 の 書 体 か ら も 十 分 是 認 で き る と こ ろ か と お も う 。 な お 、 札 銘 は 次 の よ う に 記 さ れ て い て 、 宝 光 寺 本 と 全 く 違 わ な い 。 同 朋 大 学 仏 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 二 十 五 号 二
名
号
と
八
祖
像
願
池
原
匹
落
胤
灰
巨
匠
関
吠
巨
匯
聴
11
匯
阪
閣
閣
仄
﹂
隠
匿
印
区
区
㈲
㈲
巨
灰
㈲
陪
匯
図 版 一 に 示 し た 安 祥 寺 の 十 字 名 号 は 、 タ テ ー ○ 一 二 ( セ ン チ 、 ヨ コ 三 六 ・ ハ セ ン チ の 絹 本 著 色 で 、 使 用 料 絹 は 近 世 初 頭 か ら 本 願 寺 で よ く 使 用 さ れ る よ う に な る 比 較 的 目 の つ ん だ も の で あ る 。 中 央 に ﹁帰 命 吉 一十 方 先 尋 光 如 来 ﹂ の 名 号 が す こ し 弓 な り で 大 害 さ れ る が 、 そ の 文 字 は ま ず 一 字 ず つ 字 の 輪 郭 線 を 写 し て の ち 、 墨 で 中 を 埋 め て い く 双 鈎 填 墨 の 手 法 が 用 い ら れ て い る 。 中 世 品 の そ れ は 艶 墨 や 金 泥 を 使 っ て 埋 め る 場 合 が 多 い の に 対 し 、 安 祥 寺 本 は 図 版 二 の 宝 光 寺 本 、 図 版 三 の 安 楽 寺 本 、 図 版 四 の 長 泉 寺 本 と 同 様 ふ つ う の 墨 で 済 ま せ て お り 、 や や 品 格 的 に 落 ち る と も い え る 。 こ れ が 近 世 に 入 る 作 品 で あ る こ と を 物 語 ろ う 。 名 号 の 書 体 は 古 風 で 、 津 市 専 修 寺 に 所 蔵 さ れ る 建 長 七 年 ( 一 二 五 五 )親 鸞 八 十 三 歳 筆 絹 本 著 色 黄 地 十 字 名 号 を 淵 源 と す る そ れ に 倣 っ て い る 。 下 に 置 か れ る 蓮 台 は 少 々 剥 落 が 進 ん で い る が 、 青 ・ 黄 ・ 赤 ・ 白 ・ 緑 な ど の 顔 料 を 多 用 し た 立 派 な も の で 、 そ の 彩 色 、 か た ち 、 大 き さ が 宝 光 寺 本 と ほ と ん ど 同 じ で あ る か ら 、 同 一 紛 本 を 使 っ て い る の で あ ろ う 。 紛 本 と い う 点 で は 、 両 本 の 最 も 大 き な 特 徴 で あ る 名 号 左 右 の 八 祖 像 も 、 像 容 の 形 姿 、 衣 体 、 衣 文 、 座 具 、 札 銘 の 位 置 等 々 よ り 推 し て 、 や は り 同 じ で あ る こ と が わ か る が 、 安 祥 寺 本 で は 各 像 の 間 隔 が 均 等 で あ る の に 対 し 、 宝 光 寺 本 で は そ う な っ て い な い 。 八 祖 像 各 個 別 の 紛 本 の 存 在 を 想 定 し な け れ ば な ら な い 現 象 で あ ろ う 。 八 祖 像 の 彩 色 は 安 祥 寺 本 に お い て や三
讃
銘
の
問
題
量 寿 経 ﹂ の 四 十 八 願 文 に つ い て も い え る と こ ろ で 、 こ れ ら 四 本 に 共 通 す る 親 鸞 の 筆 風 は 、 忽 諸 に で き な い も の が あ る と み な け れ ば な ら な い 。 こ れ に つ き 筆 者 は 拙 稿 で 詳 述 し た ご と く か か る 現 象 の 背 景 に は 、 次 掲 の よ う な 七 項 目 か ら な る 康 元 元 年 こ 二 五 六 )十 一 月 廿 九 日 親 鸞 八 十 四 歳 撰 述 の 自 筆 本 ﹁浄 土 和 讃 ﹂ が 、 西 本 願 寺 よ り 坊 官 の 下 間 刑 部 卿 頼 廉 ( 一 五 三七
-一
六
二
六
)
に
よ
っ
て
持
ち
出
さ
れ
、そ
れ
が
人
目
に
よ
く
触
れ
る
よ
う
に
な
っ
た 事 実 と 大 い に 関 係 す る も の が あ る と 考 え て い る 。 A 浄 土 和 讃 (総 計 十 三 首 か ら な り 、 三 重 ・ 専 修 寺 蔵 国 宝 本 ﹁正 像 末法
和
讃
﹂
の
第
二
十
丁
七
・
二
十
五
・
二
十
六
・十
・十
丁
八
・九
・
﹁
一丁
三
・
三
十
七
二
二十
八
首
目
と
同
内
容
﹂
B 大 兄 量 寿 経 言 ( ﹁仏 説 無 量 寿 経 ﹂ 上 巻 四 十 八 願 の 第 十 一 ・ 十 二 ・ 十 三 ・ 十 七 ・ 十 八 ・ 十 九 ・ 二 十 ・ 二 十 二 ・ 三 十 三 ・ 三 十 五 願 の 計 十 願 文 を 収 め る ) C 死 量 寿 如 来 会 言 (四 十 八 願 の 第 十 一 願 文 ) D 業 報 差 別 経 言 (高 声 念 仏 読 経 有 十 種 功 徳 文 ) E 大 集 経 言 (若 欲 証 得 於 仏 道 文 ) F 涅 槃 経 言 (梵 行 品 阿 闇 世 王 供 讃 偶 文 八 句 ) G 往 相 回 向 還 相 回 向 分 類 (三 重 ・ 専 修 寺 蔵 ﹁如 来 二 種 回 向 文 ﹂ に 同 じ ) ﹁浄 土 和 讃 ﹂ と 題 さ れ る こ の 親 鸞 自 筆 撰 述 書 の B に 出 て く る 第 十 九 願 文 、 第 二 十 願 文 、 第 三 十 三 願 文 が 、 安 楽 寺 本 ・ 長 泉 寺 本 の 九 字 名 号 に 。 七 さ て 、 安 祥 寺 本 十 字 名 号 で 注 目 す べ き 今 ひ と つ の 点 は 、 上 部 と 下 部 に し た た め ら れ る 墨 書 銘 で あ る 。 こ れ ら の 墨 書 銘 は 図 版 二 の 宝 光 寺 本 に も 同 様 上 下 に み ら れ 、 図 版 三 の 安 楽 寺 本 、 図 版 四 の 長 泉 寺 本 で も 上 部 に の み 沓 か れ て い る 。 普 通 こ う し た 銘 は 色 紙 型 を 置 き 胡 粉 を 塗 っ た 枠 取 り 内 へ 書 く べ き も の で あ る に 、 こ れ ら 四 本 と も 直 接 料 絹 へ 筆 を 下 し て い る た め に 、 あ た か も あ と か ら 余 白 に 追 筆 し た か の よ う な 感 を 与 え る 。 こ う し た や り 方 は や は り 中 世 品 で な い こ と を 意 味 し よ う 。 安 祥 寺 本 上 部 の 銘 は 次 の よ う に 読 め る 。 大 集 経 言 若 欲 鐙 得 於 佛 道 廳 常 除 滅 疑 勤 修 死 上 信 心 者 即 能 獲 得 於 菩 提 こ れ は ﹁大 集 経 ﹂ の 文 を 讃 と し た 銘 文 で あ る が 、 三 行 目 と 四 行 目 と の 間 に ﹁網 心 ﹂ の 二 字 を 脱 落 し て い る 。 よ く み る と こ の 讃 銘 の 文 字 は 、 親 鸞 の 筆 致 に 似 せ て 書 か れ て い る こ と を 注 意 し た い 。 し ば し ば 比 較 対 照 に 出 す 宝 光 寺 本 の 上 部 は ﹁涅 槃 経 ﹂ の 文 に な っ て い る が 、 や は り 親 鸞 の 筆 癖 を 模 し て お り 、 同 様 の こ と は 安 楽 寺 本 ・ 長 泉 寺 本 の 上 部 に み え る ﹁無 酒 田 市 安 祥 寺 蔵 の 十 字 名 号文 永 一 一 非 八 同 朋 大 学 仏 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 二 十 五 号 ま た E の 文 が 主 題 の 安 祥 寺 本 十 字 名 号 に 、 そ し て F の そ れ が 宝 光 寺 本 九 字 名 号 に そ れ ぞ れ あ ら わ れ て い る 事 実 を 確 認 で き る で あ ろ う 。 実 は 親 鸞 が ﹁浄 土 和 讃 ﹂ を 撰 述 す る 一 ヶ 月 前 の 康 元 元 年 十 月 に し た た め た 四 幅 の 著 名 な 紙 本 墨 書 名 号 上 部 に 着 讃 さ れ る 文 も 、 B に み え る 第 十 一 願 文 、 第 十 二 願 文 、 第 十 三 願 文 、 第 十 七 願 文 、 第 十 八 願 文 と C の 文 で あ り 、 安 祥 寺 ・ 宝 光 寺 名 号 の 祖 師 像 に 影 響 を 与 え て い る 三 条 市 長 泉 寺 本 光 明 本 尊 の 上 下 讃 銘 も 、 ﹁浄 土 和 讃 ﹂ B の 第 十 九 願 文 、 第 三 十 三 願 文 と F お よ び G の 文 と な っ て い る 事 実 か ら も わ か る ご と く 、 ﹁浄 土 和 讃 ﹂ の B よ り G ま で の 諸 文 は 、 名 号 本 尊 の 讃 銘 と し て 使 わ れ る こ と が 多 か っ た の で あ る 。 そ の 親 鸞 自 筆 の 本 願 寺 秘 蔵 本 が 、頼 廉 の 持 ち 出 し に よ っ て 再 注 目 さ れ 、 讃 の 文 字 ま で 親 鸞 の そ の 筆 蹟 に 似 せ て 作 ら れ た 一 連 の 名 号 本 尊 こ そ が 、 安 祥 寺 ・ 宝 光 寺 ・ 安 楽 寺 ・ 長 泉 寺 の 十 字 や 九 字 の そ れ に ほ か な ら な か っ た の で あ る 。 し た が っ て こ れ ら 四 点 の 名 号 本 尊 は 、 本 願 寺 の 正 式 下 付 物 に は 見 当 ら な い と こ ろ よ り 、 本 願 寺 と 一 定 の 距 離 を 置 い た 下 間 家 あ た り が 関 与 し て な さ れ た 可 能 性 が 高 い と い え よ う 。 初 冬 上 旬 安 祥 寺 本 十 字 名 号 で 、 最 後 に み て お か な け れ ば な ら な い の は 下 部 の 紀 年 銘 で あ る 。 次 の よ う に あ る 。 四
紀
年
銘
の
疑
問
讃 之 (花 押 ) こ れ は 上 部 ﹁大 集 経 J yの 銘 文 を 親 鸞 没 後 三 年 目 に 当 る 鎌 倉 中 期 の 文 永 二 年 ( 一 二 六 五 ) に 着 讃 し た こ と を 意 味 す る も の で あ る が 、 花 押 の み で 誰 が 讃 を し た の か は わ か ら な い 。 し か し 宝 光 寺 本 に も や は り こ れ と 同 類 の 次 の よ う な 紀 年 銘 が 下 部 に あ っ て 、 そ の 筆 者 に 当 る 人 物 を 明 ら か に す る 。 正 安 二 ″ 莽 初 春 中 旬 秤 而 讃 之 権 大 僧 都 中 納 言 憚 受 如 (花 押 ) す な わ ち 宝 光 寺 本 の ﹁涅 槃 経 ﹂ の 文 は 、 鎌 倉 後 期 の 正 安 二 年 ( 一 三 〇 〇 ) に 、 本 願 寺 第 三 代 の 覚 如 が こ れ に 讃 を 加 え た と い う の で あ る 。 こ こ に み え る 花 押 と 安 祥 寺 本 の 花 押 と は 全 く 同 じ で あ る 上 、 そ の 紀 年 の 記 し 方 も 一 致 す る の で 、 安 祥 寺 本 も 当 然 覚 如 の 筆 と い う こ と に な り 、 げ ん に 安 祥 寺 本 は ﹁覚 如 上 人 御 筆 ﹂ と 金 泥 で 1 か れ た 黒 漆 塗 り の 立 派 な 箱 に 納五