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ン・エンテンとイスカンダル・ジャリル : シンガポールの現代美術と美術教育に影響を与えた現代作家の例

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Academic year: 2021

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(1)Title. ン・エンテンとイスカンダル・ジャリル : シンガポールの現代美術と美 術教育に影響を与えた現代作家の例. Author(s). 佐々木, 宰; 福田, 隆真; 小平, 征雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 47(1): 351-366. Issue Date. 1996-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2139. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第47巻 第1号. 平成 8年8月. lo f Hokka Journa i do Un i i t i Se i t l ve rs t on( c onIC)Vo y ofEduca .47 .I , No. Augus t , 1996. ン・ エ ン テ ン とイ ス カ ン ダ ル ・ ジ ヤ リ ル -- シンガポールの現代美術と美術教育に影響を与えた現代作家の例 --. 佐々 木. 宰 ・福. 田. 隆. 真・小. 平. 征. 雄. はじめに シ ン ガポー ル共和 国 (以 下, シ ン ガポー ル) は多 民 族 多文 化 国家 である 中 国系 マ レー系 イ ン ド系 , . , ,. の3つの民族的・文化的基盤の上に, これらの融合的な文化が形成されている また 植民地時代の宗主国 . , で あるイ ギリ ス の 文 化 も, こ の 国の 文 化 形成 に多 大な 影響 を与 えて いる .. 近年, シンガポールは経済的にも文化的にも急速な発展を遂げており 東南アジア地域における先進国と , して注目されている. こうした上昇気運にあっ て 学校教育の整備も着々と行われている 初等 中等教育 , . , にお ける 美術 工 芸 教育 で は, シ ン ガポー ル教育 部 (文 部 省) カ リ キ ュ ラム 開発研 究 所 の アー トア ン ドク ラ フ ) 教科 書 にお い て 取 ツ・ プロ ジ ェ ク トチー ム によ っ て教 科書 が刊 行 さ れ 内 容 と 指 導 方法 が示 さ れて いる1 , .. り上げられている教材の内容には, 多民族, 多文化国家としてのシンガポールの特徴が反映されている ‐ 本稿は, 平成7年度国際学術研究 (学術調査) 「シンガポール インドネシアにおける美術・工芸教育の , 調査及びカリキュラム研究」 の一環として行われた取材をもとに シンガポールの現代美術及び美術教育に , 影 響 力 を も つ 彫 刻 家 ン・ エ ン テ ン (Ng Eng Teng; 黄 栄 庭) と 陶 芸 家 イ ス カ ン ダ ル. ジ ャ リ ル ( l skandar 2 ) ) につ い て 報 告 す る も の であ る . 彼 ら の制 作 状 況 や 制 作 の コ ン セ プトを一例 と して 明 ら か にす る こ と i ー J ar. で, シンガポールの現代美術の発展過程や美術教育の基盤となる美術文化 について考察するものである ‐. 1 シンガポールの現代美術 今 日 の シ ン ガポー ル にお ける 現代 美 術 は 絵 画や 彫 刻 を は じめ 様々 な 表現 媒 体 によ っ て多様 に展 開 さ れて ,. いる‐ 作家たちは, 作品の発表場所を国内はもとより海外にも積極的に求めながら制作活動を続けている . こ の よう な 状況 下 での 彼 らの 作 品 は 一見 する と シ ン ガポー ルや ア ジア の 美 術 と して の アイ デンテ ィ ティ の ,. 追求というよりは, 芸術表現としての美術の普遍性を求めた表現のように映ることもある . しかし, シンガポールの現代美術の発展過程を概観すると 20世紀初頭のアジアにおける政治的・社会的 , 状況やシンガポール周辺の地理的, 民族的, 文化的な環境などに加え ヨーロッパの印象派以降の芸術運動 , の影響など, 様々な要素が複雑に作用 し合いながら今日の状況が形作られてきたことがわかる 特に19 40年 ‐ 代から1 950年代に活躍した先駆的作家たちは, 民族的な美術の素養をバックボーンとしながら西洋の美術を 受容し, さらにシンガポールの風土性を加 味した表現を追求している . シ ン ガポー ルの モ ダン ア ー トは 1930年代 前 後 に中 国南部 か ら移 住 した作 家 たち によ て そ の 基礎 が形 っ , , 成 さ れた. Lim Hak Tai , Chen Chong Swee , Liu. Kang Chen Wen Hs i eng らが, , , Cheong Soo pi. 先駆的作 家として挙げられている. 彼らはシンガポー ルに移民と して渡る前に 上海や腹門などで美術の専門的な教 , 育 を受 けて お り, チ ャ イ ニ ー ズ ・ペイ ンテ ィ ン グに代 表 さ れる 中 国の 伝 統 的な 美 術 の 素 養 をも っ て いた と考 351.

(3) . 佐々木. 宰・福 田. 隆 真・小 平 征 雄. え ら れる. 彼 らの 一 人 L i u Kang は1929年 か ら1933年 ま で フラ ンス で油 彩 を学 ん でお り, 当 時 の ヨー ロ ッ パ. 絵画に精通していたが, 先駆的作家の多くは移民後に西洋の現代的美術を受け入れている という. こう した 作家たちはチャイニーズ・ペインティングの要素と西洋の油彩画, 水彩画の要素を融合させるなどの表現方 法 の追 求 を して いる‐ ま た, モ ティ ー フ に シン ガポー ル周 辺の 風景, 都 市 生 活の 日常 的 な光景, 南 国特 有 の. 果物や植物を取り上げるなど, 表現主題の面でローカルな要素を取り入れる ことを試みている. 彼らの 一人 Lim. 3 ) i は, 1938年 に Nanyang Academy 。f Fine Arts を 開学 した . 当 時 と して は 唯一 Hak Ta. の美術専門学校であり, この学校がシンガポールの現代美術の発展に果たした役割は非常に大きい‐ 今日の シンガポールを代表する 作家を多数輩出している. 学生数に乏しかった開学当初や日本軍による閉鎖な どの 苦 しい 時期 があ っ た が, 同 校 は戦 後, 大 きく 発展 する こ と になる. フラ ンス 生ま れでパリ, 上 海 な どで美 術. の教育 を受けた. Georget te Chen. Superieure de s Beaux. l i l t を 講 師 に招 き, 彼 女 の 人 脈 に よ っ て フ ラ ン ス の 美 術 学 校 Eco ona e e Na. 950 Ar t sとの関係が生まれた. 彼女自身も学生に海外留学を奨励したこともあり, 1. 年代 後 半 か ら多く の 学 生 が留 学 し, ヨー ロ ッ パ の 絵画 を学 んだ‐ 留 学 生 は1960年代 に シ ン ガポー ル に帰 国 し, 彼 らは シン ガポー ルの美術 界 の 第二 世代 を 形成 して い っ た‐ 一 方, 先 駆 的 作 家 た ち も, 自 身 の 制 作 活 動 の 発 展 さ せ て お り, 1952年, 1960年 に Cheong Soo pieng , た バリ ・ ジ ャ ワ 旅 行 は, 彼 ら に 大 き なイ ンス ピ i Chen Wen Hs , Liu Kang の 4 人 で 行 っ , Chen Chong Swee レー シ ョ ンを 与え た といわ れて いる‐ この こ と によ っ て, 中国 的 な伝 統 とヨー ロ ッ パ 絵画 の 影響 に, さ らに. マレ-文化の影響が加わった絵画表現が促されたと考えられる‐ Nanyang Academy o f Fine. Ar t s の 指 導 者 及 び卒 業 生 の作 品 は, ナ ンヤ ン・ス タイ ル と いう 作 品傾 向 と し. て語られるようになる‐ それは, 先駆的作家たちの影響を色濃く反映した, 堅固な写実的絵画表現である‐ 彼らの写実主義は, 単に対象物の再現的方法という手段だけを意識したものではない‐ 先駆的作家たちが体 験した20世紀初頭の中国の社会的変化, 移民後に体験した日本軍からの解放, さらに植民地からの独立意識 4 ) という, ナ シ ョ ナリ ズ ム を伴 っ た社 会 的なリ アリ ズ ム でも ある と 考 え ら れて いる . 1960年代 は, シ ン ガポー ルの現代 美術 に と っ て, 大 きな 転換期 でもあ っ た‐ そ れは, シ ン ガポー ルの作 家 t anc e Sheares と Susie Kuay は, たち が, 新 た なアイ デンティ ティ ー を追 求 し始める 岐 路 でも あ っ た. Cons こ の 時 期 の 第 二 世 代 作 家 た ち を 二 つ の グ ル ー プ に 分 け て 説 明 し て い る. 一 つ の グ ル ー プ は,. Nanyang. Academy of Fine Ar t s の 伝 統 を 継 承 し, 自 国 で 各 自 の 表 現 を 発 展 さ せ て い っ た 者 た ち で あ る‐ ま た もう -. つ は, ロ ン ドン, ニ ュ ー ヨーク, パ リ な どへ 渡り, 世界 的な美 術 の流 れの 中 で, 自 らの美 術 の 表現 を適 合さ ) せて い っ た 者 たち である5 . 結 果 と して, こう した 第二 世代 作家 たち の活動 は, そ れま で の ナ ンヤ ン・ス タイ ルのス テ レオタイ プを超. えて, 国際的な美術の流れに同調した作品を生むことになる‐ 写実的表現から, 表現主義的要素, 抽象的要 970年 960年代後半から1 素, 構成的な要素をもつ作品傾向が増加し, 様々な実験的表現が試みられている. 1 代 にか けて は, シ ン ガポー ルの 現代 美 術 が最 も 発展 した 時期 と い わ れている. そ して1980年代, 1990年代 に 至 っ て はさ ら に多様 な 表 現 方 法やメ ディ ア が追 求さ れて いる. こ の よう に, シ ン ガポー ルの 現代 美 術 は, 中国の美 術, ヨー ロ ッ パ の美術, ア ジアの 美術 が融 合 し, さ ら. に国際的な美術の展開とともに発展を遂げてきたということができる. その過程 は必ずしも異なっ た文化的 要素の単純な融合ではなく, 歴史的, 社会的, 文化的な状況の複雑な関わり合いによって, シンガポール独 特の美術文化が生まれたといえる.. 352.

(4) . ン. エ ンテ ン とイ スカ ン ダル ・ ジ ヤ リ ル. 2. シンガポールの現代彫刻と作家ン・エンテン シンガポールの現代美術は絵画を中心として発展してきた経緯があるため, 彫刻分野での制作活動が本格. 化 する の は, 絵画 に比 べ か なり 遅 れを と っ て いる. 少 なく とも1950年代 以 前 は, モ ニ ュ メ ンタ ル な 肖像彫刻,. 古典的建築物の付加的な彫刻を除いて, 今日的な芸術表現としての彫刻は皆無であったという. シンガポー ルの 現代 美 術 を 導 い た 先 駆 的 作 家 た ち が画 家 であ り, Nanyang. Academy o f Fine. Ar t s での 教育 が ほ と ん ど. 950年代から, ようやく彫刻作品が絵画の展覧会の付加的な 絵画中心であったことが大きな理由であろう‐ 1 展 示 物 と して 置 か れる よう にな っ た と いう. した が っ て, シ ン ガポー ルの 現代 彫刻 は極 め て 短 い歴 史 しかも っ て い な い. シ ン ガポー ルの 絵画 が直接 的 にせ よ 間接 的 にせ よ 西 洋 絵 画 の 流 れの 一端 を 汲 ん で いる の に対 して, 彫刻 は1950年代 に, 作家 たち の 独 自 の. 方法や発想で取り組まれていたのである. もちろん, こうした取り組みの中で西洋の伝統的な彫刻は大いに 参考 にさ れて いる の で ある が, シ ン ガポー ルの 現代 彫 刻 は西 洋彫刻 の 美 学 をそ のま ま 踏襲 せ ず に, か なり 自 由度 の高 い 表現 のメ ディ ア の ひと つ と して 追 求さ れて き た と思 わ れる‐ l ly ら と と も に, シ ン ガ ポー ル の 現 代 彫 刻 にお け る 先 駆 , Tan Teng Kee や Joseph McNa. ン ・エ ンテ ン は. 的な作 家 と 言 わ れて いる. ン・ エ ンテ ン が彫 刻 を始 めた の は1950年代 半 ばであ り, 彼 の 記憶 に よる と そ れ以 前 に彫刻 を して い た も の は 誰 も い な か っ た と いう こ とで ある か ら, ま さ に シ ン ガポー ルの彫刻 界 にお ける パ イ オ ニ ア であ る. した が っ て, シ ン ガポー ルの 現代 彫刻 の歴 史 の 大部 分 は, ン・ エ ンテ ンの彫刻 の歴 史 と重 複 して いる とも い える‐ こ こ で は, シ ン ガポー ルの 現代 彫 刻 の 発展 の 過程 を ン・ エ ンテ ンの制 作 過程 と とも に述 べ る こ と にす る‐ ン・ エ ン テ ンは1934年 7月12日, シン ガポー ル に生 ま れて いる. 父 親 は 銀行員 で, 息 子 が芸 術 を志 す こ と に 理解 を示 した と いう. ン・ エ ンテ ンの 作 品 に は, 母 と 子 や 父 と 子 と いう 家 族愛, 家 庭 愛 を テ ー マ と したも. のが多いが, こう した家族に対する気持ちが育まれる背景には, 父親や母親の多大な影響があったと推察で きる. 芸 術 を 志 し た ン・ エ ン テ ン が 本 格 的 な 美 術 の 専 門 教 育 を 受 け る の は, 1958年 に 入 学 し た Academy o f Fine. Nanyang. Ar t s で の こ と で あ る‐ しか し, 同 校 に 入 学 す る 以 前 の1955年, 彼 は ブリ ティ ッ シ ュ ・ カ. ウンシルで夜間に開講された美術教室に通っている. この教室での内容は様々な表現技法に関するものであ り, そ の 導 入 プロ グラム の 一 つ に 彫 刻 があ っ た と いう‐ ン・ エ ンテ ン は後 に こ れ が彫刻 と の 出 会 い であ っ た. と回想している. また, 立体表現に対する興味は彫刻ばかりではなく陶芸にも及んでおり, ジュロン地区な どの 陶 芸 工 房 や レ ン ガ工 場 な どで作 品制 作 に取 り 組 ん で いた. Nanyang Academy of Fine Ar t s での 教 育 は. 絵画中心であったため, 立体表現に関しては独学で取り組み始めたといえる. l 1958年, も しく は1959年 に, ン・ エ ン テ ン は, シ ン ガ ポ ー ル に や っ て 来 た 女 性 彫 刻 家J ock に出 ean Bul. ) の 技 法 を教 わ っ て いる シマ ン. フ ォ ン デ ュ は工 業用 の セメ ン トを利用 した彫 会い, シマ ン. フ ォ ン デ ュ6 ‐ 刻 技法 で あり, 後 の ン・ エ ンテ ンの 作 品の ほ と ん どはこ の 技法 による も の で ある. 当 時 ジ ュ ロ ンの 工房 で約 五 割 と いう 焼成 成 功 率 に悩 ん でい た ン・ エ ン テ ンに と っ て, こ の 技法 は大 き なイ ン パ ク トとな っ た. ン ・ エ ン テ ン が Nanyang Academy of Fine Arts を 卒 業 す る の は1961年 で あ る. こ の 年, Ta e gor Centerary open paint ing Compet i ion t Universi ing ty open paint. で 金 賞 を 受 賞 し て い る‐ さ ら に, 翌 年 の1962年 に は,. Nanyang. Compe i i t t on で 銀 賞 を 受 賞 して お り, 絵 画 にお い て も 才 能 を 発 揮 して い た. こ の. f l l 年 にイ ギリ ス へ 渡 り, Nor h Staf t ordshi re Co ege of Technology, Stoke‐ on ‐ Trent School of Farnham Schoo l of Ar tで 彫刻 と陶 芸 を学 んで い る.. Art ,. さら に. 4 年 にわ たる イ ギリ ス 留 学 を 終 え, 1966年 に帰 国 した. ン・ エ ンテ ンは本 格的 な制 作 活動 を 始め る こ と になる. こ の年 に は, ジ ョ イ ン トシ ョ ー で 石膏 や シマ ン・ フ 353.

(5) . 佐々木. 宰・福. 田 隆 真・小 平 征 雄. ォ ン デ ュ, プフ コ ッ タ による 作 品20点 を発 表 している‐ シ ン ガ ポ ー ル の 現 代 彫 刻 の 発 展 の 中 で, 大 き な 意 味 を も つ 展 覧 会 がエ967年 に 国 立 図 書 館 で 開 か れ た‐ 「Scu 67」 と題 さ れた こ の展 覧 会 は, シ ン ガポー ル 国内 で初 め ての 彫刻 の展 覧 会 と して 意 味 をもつ も l t ur e‘ p の で あ っ た‐ Choy weng Yang が企 画 し 4月2 2か ら26日ま での 会期 であ っ た‐ 参加者 は ン・ エ ンテ ンの他, , ・ A W Eng Kwang Cheong Soo pieng Lim Nan seng Lim Yew Kuan Vincent Hoisin啓on Yeo Hwee Bin で , , , , ,. あ っ た‐ 粘 土, 木, 石, 石膏, 銅, シマ ン・ フ ォ ン デ ュ, 軟 鉄, ア ルミ な どの 素 材 による116点 の 作 品 が展 示 さ れ, 主 と して 人 体像 であ っ た と いう. こ の展 覧 会の 気 運 にの っ て,マ レー シアの ク アラ ル ン プー ル にある ナ シ ョ ナ ルア ー トギ ャ ラリ ー でも「Five singapore Scu ン ・エ lpt ors」 と 題 し た 展 覧 会 を 開 い た‐ Cheong Soo pi eng , Lim Nan seng , Lim Yew Kuan, ンテ ン , Yeo Hwee. Bi n の 作 品 を展 示 し, こ れ は, マ レー シ アの 美 術 史 に, 初 の 現代 彫刻 の 展 覧会 と して足. 跡 を残す こ と にな っ た‐ そ して1969年11月, 再 びシ ン ガポー ル での彫 刻展 が ビク トリ ア・メ モリ ア ル・ ホー ルで 開か れ, 2 年 前 の. 展覧会と同じメンバーの作品が発表された. ここでの作品は具象的な人体像の他, 抽象的, 幾何学的な表現 の試 みも な さ れてお り, 彫刻 表 現 の 可 能性 をそ れ ぞれに 追 求 して いる‐ 1967年 と1969年 の2 回の 彫刻 展 を シ ン ガポー ルにお ける 現代 彫 刻 の幕 開 けと 理解する こ と がで きる. こ れらの展 覧 会 のメ ンバー は ほ と ん どが ,. 独学で彫刻に取り組んだ者たち であっ た‐ 例えばAw. Eng Kwang は 中 国 の 伝 統 的 な 陶 芸 家 で あ っ た し,. Cheong soo p i eng は 絵 画 に お い て シ ン ガ ポ ー ル の パ イ オ ニ ア 的 存 在 の 一 人 で あ っ た. Lim Yew Kuan は Nanyang Academy 。 f Fine. Ar t iの息子で, イギリス留学経験をもつ油彩画家 s の創 始 者 である Lim Hak Ta. であ っ た. した が っ て, 禁 明期 の シ ン ガポー ルの 現代 彫 刻 は, 独 立 した 表 現 のメ ディ ア と しての彫 刻 の意 識. が喚起される一方で, 絵画や陶芸などの表現によっ て創作活動を行ってきた作家たちの新たなメディアの開 拓 で あ っ た とも い える‐ Cheong soo p i eng の レリ ー フ 作 品 な どは平 面 表 現 と 立 体 表 現 の 融 合 の 試 み であ っ た と いわ れて いる. 1950年代 後半 か ら1960年代 に か けて のこう した萌 芽 的 な動 き は, 1970年代 にな っ て 開花 する こ と に なる. 1976年 にナ シ ョ ナ ルミ ュ ー ジアム . ア ー ト ギ ャ ラリ ー が開館 さ れ, そのオ ー プニ ン グの展 覧会7) で ン . エ ン テ ン, Joseph McNa l ly ng , Kim Lim, Tan Teng Kee, Teo Eng se , イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ル の 作 品 が 出 品 さ. れている. この展覧会は彫刻だけの展覧会ではなく, 作品点数や作家数の上では絵画作品が圧倒的であった. しか し, そ れよ り も そ れ ぞれ独 自 に彫 刻 に取 り 組 ん で い た彫刻 家 たち の作 品 が, ナ シ ョ ナ ルミ ュ ー ジ アム で. 公開されたという意義は大きかっ たと思われる. 同 年 に, や は り ナ シ ョ ナ ル ミ ュ ー ジ ア ム で 開 催 さ れ た 「Contemporary singapore sculpture」 展 は 国 内 初. の 彫刻 作 品 の ナ シ ョ ナ ル シ ョ ー であ っ た‐ 28人の 作 家 による125作 品 が展 示 さ れ た‐ ン ・ エ ン テ ン を は じめ. と し て,. l ly Joseph McNa eng , Tan Teng Kee , Beng Ch。ng , Cheong soo pi , Teo Eng , Chong Fah Che。ng. seng Seah Kim Joo Tenh Ti カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル, Choy 帆/ en Chong eng Yang ら力ぎい た. ン ・ エ ン , , , イス. テ ン ら が1950年代 半 ばか ら継続 して き た彫刻 に対 する 地 道 な活 動 は, こ の展 覧会 によ っ て 一つ の成 果 と して 報 わ れる こ と にな っ た. 彫刻 が芸 術 表 現 の 一 つ のメ ディ ア と して広く 認 識 さ れた こ と を示 す も の であ る. 1970年代 は彫刻 だ けで なく, シ ン ガポー ルの 現代 美 術 自 体 が大 きく 発展 した 時代 でも あ っ た. ン・ エ ンテ. ンも精力的に活動している‐ 1 970年に国立図書館で個展を開き, さらに1 972年に再び国立図書館とタイ の s i l pakorn 大 学 ヴィ ジ ュ ア ル・ ア ー ト・ セ ンタ ー で個 展 を 開 い て いる. ま た, 1974年 に はイ ギリ ス を 再 訪 し て彫 刻 家 や 陶 芸 家 を訪 ね たり, 1976年 には オース トラリ ア のイ ース ト・ ウ エス ト・ ギ ャ ラリ ー で グルー プ展 を 開 催 して い る. 1981年 に は, 文 化省 か ら 文 化 勲 章, シ ン ガポー ル 美 術 協 会 か ら 受 賞 して い る‐ 354. Tan Tsze Chor Meda lを.

(6) . ン. エ ンテ ンとイ ス カ ン ダル ・ ジ ヤ リ ル. ン・ エ ンテ ンの 制 作 活 動 は 国 際 的 な広 がり をも つ よう に な り, 1980,1986年 に福 岡 で 開催 さ れた 第 1 回お よ び2 回現代 ア ジ ア 美 術 展 に出品, 1985年 にタイ ペイ 美 術 館 での 国 際陶 芸展 に招 待 出 品 して いる‐ 1987年 に はイ ン ドネ シ ア の バ リ 島 での C 1 ub. ピッ クの. Medi irst As terranee f ian Arts Festival に 参加,. 1988年 は ソ ウ ル オリ ン. Wor ld 工nvitational open‐ Ai i t r Sculpture Exhibi on にも招 待 出 品 して いる.. 1970年代 以 降, 急 速 に発展 した シ ン ガポー ルの 現代 彫刻 は, 今 日 に至 っ て 様々 な展 開 を見 せ て いる. そ の. 多様さは, 今日も現役の彫刻家として活動を続けるン・エンテンをして自らの作品傾向を因習的で古くさい と い わ しめる ほ どであ る. こう した ン・エ ン テ ンの発 言 に は, 前 衛 的な 彫刻 表現 に対 する いく 分批判 的な 意 味あ い が含 ま れて はいる が, シン ガポー ルの現代 彫刻 はいう な ら ばは じめ か ら西 洋 彫刻 の アカ デミ ッ ク な 流. れと切り離された形で発展を遂げており, その意味でははじめから多様な展開であったともいえる. T K sabapathy は シ ン ガ ポ ー ル の 彫 刻 を 二 つ の 傾 向 と して 要 約 して い る. 一 つ は ン ・ エ ン テ ン や Tan Teng Kee J l ly らの作品のように抽象であれ具象であれ , oseph McNa ,. 実体を伴っ た形として作品を提示す. る も の で ある. もう 一 つ は, コ ンセ プチ ュ ア ルな 手 法 によ っ て 作 家の アイ デンテ ィ ティ を 表現 しよう とす る ) も の で あ る8 .. 多 様 化 を 続 ける シ ン ガポー ルの 現代 美 術 の状 況 にあ っ て, こ の 国の 現代 彫刻 を 牽引 して きた ン・ エ ンテ ン. は意欲的な制作活動を継続 しており, 強い影響力をもっているといえる. また, 彫刻に並行して行ってきた ) 前 述 した1976年 の 二度 にわ たる ナ シ ナ ルミ ー ジ アム で の 陶 芸 に関 して も 興 味 深 い作 品 を 残 して いる9 ョ ュ . 展 覧 会 に出 品 して いるイ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ル は, 今 日 では 陶芸家 と して 高 い評価 を 受 けて いる ン. エ ン . テ ンやイ ス カ ン ダル. ジ ャ リ ルの 彫刻 と 陶 芸 の 双 方へ の 関 わり は, 粘土 と いう 素 材 を 巡る 関 わ り であ っ た と. 推察される. そこには, 立体表現のための素材の可能性を追求する姿勢がうかがえる. シンガポールの現代 彫刻を支える作家たちはそれぞれ得意とする素材をもっており, 例えばTan Teng Ke eは金属素材を溶接し て 構成 的 な作 品 をつく っ て お り, l ly はス ク ラ ッ プ素材 を 組 み 合 わせ た制 作 を Han sa i por は os eph McNal ,. 石彫で抽象形態を作っている. こ のよう に見 る と, シ ン ガポー ル の現代 彫刻 は そ れ ぞれの素材 の可 能 性 を 生 か した 自由度 の高 い表 現メ デ ィ ア と して 扱 わ れて いる よう である. した が っ て, 絵 画 のよう に直裁 な シ ン ガポー ルや ア ジ アの 美術 と して. の特徴が表面化されることは少なく, むしろ作家たちは芸術表現として普遍的な内容を作品に内在化させて いるように思われる. しかしながら, 西洋彫刻の伝統的な美学を踏襲しない立体表現としての自由な展開こ そ が, シ ン ガポー ルの 現代 彫刻 の アイ デンテ ィ ティ という こ と も できる.. 3. ン・エンテンの彫刻と特徴 ン・ エ ンテ ンの 彫刻 は, 制 作 活動 の 変 遷 に伴 っ て 様々 に変 化 して き て はいる も の の そ の根底 には ヒ ュ ー ,. マニティに関する彼の信念が貫かれている. 作品のモティーフは人体であるが 人体の有機的な曲線や曲面 , を 誇張 した半 抽 象 的 な 形態 が多 いよう であ る. ン・ エ ンテ ンは 表 現 と主 題 につ いて 次 のよう に語 っ て いる . 「ヒ ュ ー マ ニ ティ は私 の主 題 であ り ライ フ ワー ク です 作 品 の 形態 は どん どん抽 象化 さ れて い ま て い っ , .. す. そして物語りなどよりももっ と象徴的な広がりをもち続けています. チャンギ国際空港の二つの作品は 抽象的な形態ですが, 本質的には人間についてのものなのです. ヒューマニティ の抽象化です 外観が抽象 . 的 なも の であ っ て も, 人 間的 な 形 と しての ヒ ュ ー マ ニ テ ィ の確 か な側 面 があ る と思 いま す 一 10) ‐ 「基 本 的 に ヒ ュ ー マニ ティ が私 のイ ンス ピ レー シ ョ ンで す ヒ ー マ ニ ティ が私 に制 作 の枠 組み を与 え ュ , .. てくれます‐ 私のやり方は (ある意味で) 古くさい. 例えば私は家族, 家族集団, 家族の中での個人という も の を信 じて いる し, 頼 っ て いま す. だか ら母 と 子 と か近 作 の 父と 子 な どと いう 主 題 が出 てく る の です こ . 355.

(7) . 佐々木. 宰・福 田. 隆 真・小 平 征 雄. うした主題は個人的な感情が強く現れています‐ 精神的, 肉体的な状態に対する独自の努力です‐ 不安や恐 れ, 緊張, 侵略, 温かさや優しさなどです. 私は基本的な感情の力を信じています. 人間の高貴さと醜さの ) 1 両側 面 です.」 1 ン・ エ ンテ ンの 彫刻 作 品 は, い わ ばこ の ヒ ュ ー マニ ティ の 具 体化, 具 現化 である と い える. 作 品の ポー ス や 形態 は, こう したテ ー マ を 象徴 的 に表 現する よう に意 図 的 に作 ら れて いる‐ した が っ て, 作 品 と して 表さ. れる人体像は, 人体の写実的な再現を目的とするものではなく, あくまで表現意図の擬人化としての側面が 強調されている. その擬人化は明瞭な人体として認識できる形を残す表現となることもあるし, チャンギ国 ) の よう に幾何 学 的 な抽 象 形態 を とる こ とも あ る ン・ エ ン テ ンの 作 品 にお ける 具 2 際 空 港 の モ ニ ュ メ ン ト1 ‐ 象, 抽 象 と い っ た 区 分 け は必 ず しも 明 瞭なも の では な い‐ この こ と につ いて ン・ エ ンテ ンは次 のよう に述 べ て い る.. 「抽象的な表現 具象的な表現を意図的に分けて考えてはいません. それらの混合型もありえます. 大切 , な こ と は, 作 品そ のも の の 生命感 や エ モー シ ョ ン, 存在 感 です. その ため に手 法や 技 法も 変 える こ とも あ り ます‐ 塑 造 と彫 造, 具 象 と抽 象 のコ ン ビネー シ ョ ンも必 要です‐一 13) ヒ ュ ー マ ニ テ ィ と いう ン・ エ ンテ ンのテ ー マ が最も わ かり や すく 表さ れた シリ ー ズ の 一つ に 「母 と子」 の シリ ー ズ がある. 文字 どお り 親子 の愛 情 をテ ー マ と した も の である. この シリ ー ズ は早く か ら ン・エ ンテ ン が 手 が けて きた テー マ でも あ り, 多く の 作 品 を残 して いる‐ オー チ ャ ー ド・ ロー ドの フ ァ ー ・イ ー ス ト・ シ 4 1 ) は シ ン ガポー ル 市 民 に も 親 しま れて い ョ ッ ピ ン グセ ンタ ー 前 に展 示 さ れて いる モ ニ ュ メ ンタ ルな 作 品 , る も の である. 大 ま か な 曲面 で整 理 さ れ, 下半 身の ヴ ォ リ ュ ー ム を 誇 張 して いる‐ 最 近 で は, 「父 と子」 の シリ ー ズ にも 取り 組 んで いる‐ 母 と子 や 父と子 な どの 親 子愛, 家 族 愛 を表現 した シリ ー ズ は, ン・ エ ンテ ンの ヒ ュ ー マ ニ ティ に対 する 根 本 的姿 勢 をよく 表 して いる. こう した ン・ エ ンテ ンの作 品傾 向 は多 様 化, 先 鋭化 する シ ン ガポー ルの 現代 美 術 の 中 にあ っ て, 本 人も 言 っ て いる よう に古 め か しい感 も 確 か にある‐ シ ン ガポー ルの社 会 が急速 な 発展 を. 遂げ, 東南アジアの中でも最も先進的な都市となった今日的な状況において, 親子愛, 家族愛といっ たテー マ はある 意 味で は 牧歌 的 と 捉 え ら れる こ とも ある だろう. この 点 につ いて は, ン・ エ ンテ ン本 人も 急 転 する 時代 の 進行 との 距 離 感 を 意 識 して いる よう である が, 自 分 自 身の モ チ ベ ー シ ョ ンを素 直 に表現 する という - 貫 した 姿 勢 を保 っ て いる.. また, 母と子, 父と子のシリーズは人間存在に対する肯定的で善意的な解釈と捉えることができるが, 戦 争や虐殺, 迫害といっ た社会的な矛盾, 人間の負の側面に対する問題に背を向けているわけではない‐ 社会 的な問題に対してもン・エンテンは作品を通して明確な態度表明をしている. 抑圧された人間の恐れをうず )な 6 5 ) や 自 由や 解 放 へ の 願 い を 球形 に デフ ォ ルメ さ れた 人体 で表 現 した作 品1 く まる 人 体 で 表 現 した 作 品1 , 金的 に現 れて いる こ とがわ どを見 る と, 社 会 問題 に対する ン・ エ ンテ ンの真 塾 な 態度 が直接 的 にある い は 暗口 かる‐ ン・ エ ンテ ンの 根 本 的な テ ー マ である ヒ ュ ー マ ニ ティ は, 社 会の 現 実 的な 状 況や 実態 か ら切 り 離 さ れ たも の では なく, 彼 自 身の 人間や 社 会 に対 する 鋭 い洞 察 によ っ て作 品 と して 具 現化 さ れて いる の であ る. ン・エ ンテ ンの 彫刻 のもう ひとつ の特 徴 は, シマ ン・ フォ ン デ ュ と いう 素材 である. 彼 によ れ ば, 1958年 l も しく は1959年 に女 性 彫 刻 家J ock に 教 わ っ た 技 法 で あ る と いう. シ マ ン・ フ ォ ン デ ュ は, 工 業用 ean Bul. の セメ ン トを用 いる 技 法 で ある‐ セメ ン トに様々 な素 材 や色 を加 えて, 何層 にも 重 ね, 思 い通 り の色 合い と テク ス チ ュ ア を作 る こ と がで きる とい う‐ ン・ エ ンテ ンの作 品の多く はこ の 技 法 による もの である. 作 品の 仕 上 がり は一 見 する と ブロ ン ズ に酷似 して いる. 1950年代 半 ば, 独 学 で彫刻 を学 ん でい た ン・ エ ンテ ン は ブロ ン ズ の作 業 工 程 も 知 らず, 施 設も 満足 にな か っ た と いう‐ 耐 久 性 をも ち, なお かつ 安価 な 素材 と して の シマ ン・ フォ ン デ ュ は彼 にと っ て 良い 意 味 での 妥 356.

(8) . ン. エ ンテ ンとイ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ル. 協 策 だ っ た. その 後, ブロ ン ズ 作 品や 大 理 石作 品 を制 作 して いく が, 多 種 の素材 による 制 作 の 中 で, シマ ン・. フォ ンデュの長所や生かし方を研究していった. 作品の重さを維持できる強度を与えるための処理や, 表面 のテク ス チ ュ アや 色 の 生 か し方 な ど, 経験 を通 して体得 して い っ た. ま た, 1350度 で焼 成 する こ とも できる と いう. 彫 刻 に 並 行 して 陶 芸 を研 究 して きた 成果 が生 かさ れて いる と い える. セメ ン トを重 ね, 表 面 処 理 を しな がら作 り 上 げら れる 作 品 の 形 態 は, オ ー ガニ ッ ク な 曲面 をもち, 全 体 が. 外側へと膨らんでいるようなイメージを与える‐特に人体像では下肢に誇張された膨らみが与えられており, 作品の重心が置かれている. 上肢は比較的誇張が抑制されており, 垂直方向に伸びている. こうした曲線的 イ メ ー ジと 凸面 で作 ら れ た腫 れ ぼっ た い 量感 は ほ と ん どの作 品 に見 受 け ら れる‐ さ らに, 作 品 表面 の テク ス. チュアを, 故意にあばたのように仕上げたものも多い‐ このため, 作品から受ける印象は素朴であるがどち らかといえば鈍重なものとなる. 軽やかさや洗練された印象はあまり伝わってこないが, 逆に立体表現を通 してヒューマニティ を追求する作家の真塾な制作態度や信念が感じられる. T K sabapathy は, ン・ エ ン テ ン の 彫 刻 か ら感 じと る こ と の で き る 二 つ の 力 を, トラ ンス フ ォ ー メ ー テ. ィ ヴな力 とメ タ モ ルフ ィ ッ ク な力 と して 説明 して いる. トラ ンス フォ ーメ ー ティ ヴな力 と は シマ ン. フ ォ ン デ ュ と いう 素 材 の属 性 を彫刻 作 品 に転用 し, 作 品 に 形 を与 えて いく力 である. メ タ モ ル フィ ッ ク な力 と は作. ) 7 者の観念的, 情緒的, 社会的イメージを独特の人体像や抽象的形態として解釈し実体化していく力である1 . Sabapa hy の こ の 指摘 は, ン・エ ンテ ンの 作 品 につ い て そ の 素 材 の 特 徴 と 主 題 の 特 徴 か ら述 べ たも の と 理解 t する こ とも で きる.. シンガポールの彫刻は, 絵画に比べてこの地域特有の風土性や民族性が, 作品の形態そのものに直接的に 反映されることは少ない. また, 西洋彫刻の美学をそのまま踏襲しているわけでもなく, 素材を基にした立 体表現の追求という点で独特の性格をもっていると思われる. 自身の制作における東洋的な要素や西洋美術 の 影 響 につ い て, ン・ エ ンテ ン は次 のよう に述 べ て いる. 「自 分 の 作 品 は ある 意 味でイ ンター ナ シ ョ ナ ルな も の だと思 いま す しか し 特 に西 洋 のス タイ ルの 影 . , , 響 を受 けて いる とも 思 いま せ ん. 東 洋 的 な 要素 は確 か にあ る かも しれま せ ん‐ ア ジア の哲 学 と い っ たよう な も の は感 じま す‐ ア ジ ア は一 つ の 家 族 な の だと いう よう な こ と です. 作 品 にも そ れを シ ン プル に表 現 して い ま す. いう な ら ば, 平和 や 人 間の 精神 です‐一 18) ン・ エ ン テ ン が自作 をイ ンタ ー ナ シ ョ ナ ルと述 べ たの は作 品 の主 題 が 人間 に関する 普 遍 的なテ ー マ をも っ. ているからであろう. またア ジア人としての意識は, 天安門事件や湾岸戦争などのアジア地域の社会的な問 題 に対 して ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の立 場 か ら 明確 な態 度 を 表 し, 制 作 の モ チベー シ ョ ンとする 彼 の 姿 勢 と 一 致 する も の で ある. 今 日, ン. エ ンテ ンの 作 品 はナ シ ョ ナ ルミ ュ ー ジ アム の コ レク シ ョ ンを は じめ, チ ャ ン ギ国 際空港 オー , チ ャ ー ド. ロ ー ド の フ ァ ー . イ ー ス ト . シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー , プラ ザ ・ シ ン ガ ポ ー ル な どシ ン ガ ポ ー ル 国. 内 の様々 な 公共 の 場 な どで見 る こ と がで きる‐ ま た, こう した作 品 や ン・ エ ンテ ンの彫 刻 の特 徴 な ど につ い. ては, 中等教育美術科教科書の鑑賞教材としても取り上げられており, 立体表現, 彫刻表現の学習の対象と 9 ) な っ て い る1 .. 4 イスカンダル・ジャリルの陶芸 イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ル は今 日 で は シ ン ガポー ルの 陶 芸家 と して知 ら れて いる が 1976年 にナ シ ョ ナ ルミ , ュ ー ジ アム で 開 か れた2 度 の展 覧 会 に, 立 体作 品を招 待 出品 して いる. 前 述 した が, こ の展 覧 会 は シ ン ガポ ー ルの 現代 彫刻 の発展 の上 で極め て 重 要 な 意 味 をもつ も の である. イ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ルも こ の 国の現 , 357.

(9) . 佐々木. 宰・福 田 隆 真・ ・ 平 征 雄. 代 彫 刻 や 立 体 芸 術 に早く か ら関 わ っ て いた こ と がわ かる‐ イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルは, 1940年 に シ ン ガポー ル に生ま れて いる. シ ン ガポー ル生ま れのイ ン ドネ シア 人 で あ る. 1972年 に Co larship によ り 来 日 し, 名 古 屋 で陶 芸 技 術 を 学 ん で いる‐ こ れ 以 降, lombo plan Scho. 日 本 各 地 の 窯 を訪 れて 陶 芸 を研 究 して おり, 日本の 陶 芸 につ い ての 知 識や 技術 を 修め て いる. 今 日, シ ン ガ ポー ルで 活 躍す る 多く の 陶芸 家 は, そ の ほ と ん どがヨー ロ ッ パ や オース トラ リ ア で 陶芸 を学 ん でお り, イ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ルのよう に日 本で 陶芸 を学 ん だ者 は 珍 しい という. イ ス カ ン ダル. ジ ャ リ ルの制 作 の コ ンセ プ トは, 伝統 的 な要 素 と 現代 的な 要素 の融 合, さ ら に様々 な地 域 や 文 化 か ら生ま れた 陶芸 の 要素 を融 合 させる こ と にある. 日 本 を は じめ, 中 国, イ ン ド, イ ン ドネ シ ア, マ レー シ ア, ネ パー ル, オース トラリ ア な どの 陶 芸 にかな り造 詣 が深く, よく 研 究 して いる. ま た, ス ウェー デン で6ヵ月 間陶 芸 を学 ん だこ とも あ る‐ した が っ て, イ スカ ン ダル・ ジ ャ リ ルの 陶芸 は かな り広 い地 域 か らそ のイ ンス ピ レー シ ョ ンを得 て制 作 さ れて いる と い えよう. そ の 中 でも, 日 本の 文 化 とイ ン ドの 文 化 には. 大きな影響を受けたという. 特に, 志野焼に関しては強い関心を示しており, シンガポールに帰国後, 現地 で志野焼を再現した作品を制作している‐ イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの使用 す る 粘土 は ほと ん どがシ ン ガポー ル産の 粘土 である. こ の粘 土 は工 業用 の レン ガ の 素材 と して用 い ら れる よう な も の で, きめ が粗く, 収縮 率 も 大 き い ため にあま り 質の 良い粘 土 で は な い と いう. 日 本 で 一般 的 に用 い ら れて いる 陶芸用 粘 土 とく らべる とそ の 収 縮率 は か なり高 い. シン ガポー ル周 辺 のイ ン ドネ シア や マ レー シア は資 源 に富 ん でおり, 特 にマ レー シア の 粘土 の 品 質 は 良い と いう. イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの 作 品 を見る と, 粗い 肌 合 い をう まく 利用 した作 品 の 形 や 文 様 を施 してお り, こう した. 素材の欠点を転用して美的効果を生む作者の制作態度がうかがえる. イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの 作 品 には, 茶 器 を は じめ, 様々 な 器, 皿, 壷 な どがある‐ こ れ らはロク ロ によ る 成 形や 板 づ く り な どの 技法 を用 い たも の である. 作 品傾 向 を一 概 に述 べる こと は難 しい が, 日 本の 伝 統 的. な陶芸の要素に加えて, 東南アジアの要素, イスラム文化の要素など様々な地域の文化的要素を融合させて 独 自の ス タイ ルを 導 い て いる と い える. 均 整の と れた 静的 な形 や 抑制 さ れた色 づ かい をもつ 作 品も あ れ ば,. ダイナミックで動的な形と色をもつ作品もある. 茶器などでは日本的な要素を色濃く残した形や色彩が使わ れており, 日本の伝統的な美観を意識したものとなっている. 反対に, 実験的な作品では大胆な形や色 づか いが試されたり, 原始的な美術をイメージさせる文様が使われるな どしている. オブジェ的な作品は多くは なく, 実用機能を維持できる範囲で形態や色彩の実験的制作が行われている. ン・エンテンの陶芸は彫刻と の境界が感じられない粘土による立体表現という感があるが, イスカンダル・ジャリルの場合はあくまでも 工芸領域の中の陶芸であることを意識した作品制作である といえる‐ これには, 日本で伝統的な陶芸を学ん だという 経 験 が, イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの 美 観 の 形成 に大 きく 影響 している と いう 理 由 が挙 げら れる‐ イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの 近作 に は, コ バ ル ト ブルー を使用 した作 品 の シリ ー ズ がある‐ 作 品 の 表 面 が鮮 や か なコ バ ル ト ブルー に彩 ら れてお り, 焼 き しめ ら れた褐 色 の 素 地 との コ ン トラス トが南 国 的なイ メ ー ジを 喚起す る 作 品群 である‐ イ スカ ン ダル・ ジ ャ リ ル 自 身は こう した色 づ かい につ い て, 海の色 のイメ ー ジであ る と 説 明 して いる. 作 品 の 形 は, テ ィ ー ポ ッ トな どの 機 能 上の制 限のある も の を 除い て は, かな り 自 由度 が. 高く, 形態上の実験的取り組みがなされている‐ 表面全体に線条文様を施した作品では, 原始的なイメージ の表現が試みられている‐ ボロブドゥール遺跡に見られるような原始的な浮き彫りの要素を取り入れた作品 な ども ある. ま た ロー マ 時代 の 絵壷 のイメ ー ジ をも っ た 壷 な どもある‐ こ れ らの作 品群 を みる と, イ ス カ ン. ダル・ジャリルの制作は多くの異なっ た文化的要素や伝統的要素を現代的に解釈し, 形や色彩を与えるとい う方法によるもの と思われる. それは作品に内在する様々な文化的要素を直裁に表面化するのではなく, そ れらを現代の陶芸のコンテクストや作者自身の素養の基で解釈し, 再構築するという作業である‐ 358.

(10) . エ ン テ ン とイ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ル. イ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの初個 展 は1984年 である が, 以 来5 年 ごと に個展 を 開催 して いる‐ 作 品 は 東 南 ア ジ ア や 日 本 で も 発 表 さ れ て い る. 1977年 に は Commun i t y Development 省 か ら SpeciaI Award Medalを受賞 して お り, 作 品 の評 価 も 高 い. 現在 は デザイ ンス ク ー ル で 教鞭 を執 っ て お り 自 ら 「パー トタイ ム」 の作 家 , ) 0 であ る と 述べ て いる. シ ン ガポー ルの 後期 中等 教 育美術 科 教科 書 の 鑑賞 教材 と して紹 介さ れて いる2 .. 日本の伝統的陶芸の技術を習得した数少ないシンガポールの陶芸家の一人であり, 陶芸の分野においてシ ン ガポー ル の美術 教育 に影 響力 をもつ 作 家 の 一 人 でも ある とい える‐. }王 1)シンガポールの美術教科書は,シンガポール国教育部カリキュラム開発研究所( l i i S) Cur i l t t opmentl ngapor ns ut r eofS e;CDI cu um Deve の The Ar f t & Cra t t Team によって編纂・刊行されている. 初等教育用教科書は, 「Ar s Pro j ec f t & Cr t a s (図画工作)」 として1学年 「 か ら 6学年までの6冊が刊行されている. 中等教育用教科書は 前期中等教育用として 「ART f or Se condary one or 」 及 び ART f , , Se condary two」 が,. 後期中等教育用と して. 「ART f t A」 及 び 「ART f or Upper Se tB ry Par conda or Uppe r Se ry Par conda 」 が刊行. さ れ て いる‐. 2) 筆者は199 5年8月 3 日にン.エンテンのアトリエを訪れ, 直接取材 した. また, 199 5年8月 5 日 にイ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ルの ア トリ エを訪れ, 直接取材した. 3) 現在, シン ガポール国内の美術を専 門とする 高等教育機関 は, Nanyan Academy of Fine A i t i l r t s の 他 に, Baharudd n voca ona ‐ l i l l ft he ar t t ns ut e t eg eo s の 二つ があ る. ,LASALLE‐S工A co ” 4) ChiChingl i i t i i I Mus t i t tゞ,Na t s si n Par s s ona ngapore の オ ンラ イ ンミ ュ ー ジ アム によ る 展 覧 会 「pont eum S , Nanyang Ar , About Ar de i i t t t s Ar s:Nanyang Ar t i s si n Pa r s t/nya t t t r s s/abou p://www.ncb .gov ・sg/nhb/PondesAr ,1925一1970一 収 録, ht ・ .1996 .html . ・ ” Na 5) Constance Sheares & Susi M d A l i d d i i e Kuay t t t t I M S i o e r n r n r t T o c o n u a n c a o n s o n m a u s e u n a o r ル p e だ s “ だ s m 肋e o g p , , , , ~のめれ d r 1 9 7 ‘A I S i 8 2 3 6~2 3 9 { 2 “““欄 S れgαP o γ n r e a o e gp , . , , pp 6) Cimentf ondu . セメントを主材とした彫刻の技法‐ 7) Na i I Mus l l f i i t t Ga l open i ona eum Ar t76 ery of c a ng 21 Augus .. 8) T K sabapathy,”Sculptors and Sculpturesin Singapore;An lntroductめnr, Nat i I Mus l l ingapor t Ga ona t eum Ar ery e z〆 〃≠ ” ,S , ScmP 諦れgα γ p o e . ,1991 , pp27~28 9) 例 え ば, 1993年 に は 「TEAWARES BY 14 POTTER. と題された1 4人の陶芸家による茶器の展覧会に彫刻的な作品を出品している.. 会期は19 93年2月 3 日から 7 日, 会場 は ナ シ ョ ナ ル・ ミ ュ ー ジアム ・ ア ー ト ギ ャ ラ リ ー. i I Museum Ar 10 ) Nat l l i t Ga ona ery ngapor e ,S ,. 粥弱加efれ 溌れgαぬ。γ e . , p46 ,1991 ” Sc“‘ ) T K sabapathy,”Vi 11 llmag fL i f t ( N E N E T 丁 ‘ a eo e i p ” γ 8 れ g g 貌g g ng eng 第 6 回個 展 カ タ ロ グ), S ngapor e , . , pp3~4 ,1988 12 チ ) ャンギ国際空港には198 4年に作られた2つのモニュメントが設置されている. 作品名はSp i i tof Man. r 13 )199 5年8月 3 日に筆者が行った取材のインタビューに対する回答. 4 ) ”Motherand Chi 1 l d” i tShopp ondu s ng Cent r e , Cimentf . ,Far Ea ) “Fear”, 1988 imentf 1 5 i l l i t t ondu va eco ec on ,C . ,Pr ) “Freedom Chi 1 6 ld’ i l l i t t ondu va eco ec on , 1978 , Cimentf ,Pr ,. 17 ) 前掲1 ) 1 1 , pplo~1 18 )199 5年8月 3 日に筆者が行った取材のインタビューに対する回答. 19 ) Curr i l l i i t t t cu IPub l i um Deve opment工 ns u eofS ngapor i i e c o脚αり 鯛e t a ca ons ngapore 1986 , Ad 尤γ Se , Feder ‐ ,S ,. 20 ) Curr i l l i fS i cu um Deve t t t opment工 ns I Pub l i i u eo ngapor e i γS t e c鯛血7 ca ons ngapor e y 物性 β, Federa , An たγ び妙8 . ,S ,1989. 参考文献 ・Cur i l l i fS i r tlns t t cu um Deve opmen IPub l i i ut eo ngapor i t e c oれ吻7 e ca ons ngapor y oれ e , A汀 おγSe , Federa . ,S ,1986 ・Cur i l l i fS i t工ns t t r cu um Deve opmen ut eo ngapor IPub l i i e i c oれ血り 卿o t ca ons ngapor e , Aだ んγSe , Federa ‐ ,S ,1987 ・Cur i l l i fS i t工ns t t Aだ ひ r cu um Deve S opmen α P F ut ngapore d IP b l i i eo ル ‘A i γ γ か e e c 鋼 t α Q γ r ngapor “ e , , e ea u ca ons . ,S ,1988 ・Cur i l D l i fS i t工ns rcuum eveopmen tt 云尤γ び神e IPub i S ut eo ngapor l i i 1 9 e γ Seのれαα“ P僻むB t 8 9 ca ons n a r o e g p , Aγ ,Federa . , , ・Ri f f i 士 i i chard Lim, S れgα p o 劣 e Aγ s s sp e αた ngapor e e gnapor .日.Yeo S ,C . ,S ,1990 ・Na i I Museum S i t 丁 肋 M M ona 加 Z S ngapor γ I i e e s 方o粥 8 α 熱α “s e“侃 ”g呼”& S ngapor e , e賜γ . ,1987 359.

(11) . 佐々木. 宰・福 田 隆 真・小 平 征 雄. i i Na I Museum S i r ngapore t ngapor “ 諦れgq o e e 汐 ona . ,1991 ,S , sc“影“だ f Sc“‘ t Ng Eng Teng 第 6 回個 展 カ タロ グ), Singapore ・ ”γ p e Ng E鰹 丁の g( . ,1988 ”N n n stl andt ご N i I M i F h 工 n t h i i e の オ ン ラ イ ン ミ ュ ー ジ ア ム に よ る展覧会 Long Th a o n a s e um S ngapor n n c u e r e n c u e n a e en‐Sh a y g y , 「pon f / l 収 録 / / b tml h 1 9 2 5 ‐ 1 9 7 0 t/nys i i t e t t t tde n Pa r y s si s s:Nanyang Ar s Ar p: www.nc.gov . 」 .h .1996 .sg nhb/pondesAr , t , 「 fS i i t t Na i I Mus i ngapor er so e Ar t one p://www. ncb ona eum S ngapor e の オ ン ラ イ ン ミ ュ ー ジ ア ム に よ る 展覧 会 P 」, ht . gov . i one ers/ sa sg/nhb/ p . .html .1995. 1 福田隆真, 「シンガポール国教科書について( ) ‐ 」 , 人文論究第53号, 北海道教育大学函館人文学会, 1992 1 9 9 3 号 北海道教育大学函館人文学会 2 ) 人文論究第 5 5 福田隆真, 「シンガポール国教科書について( . 」 , , , 93 6号, 北海道教育大学函館人文学会, 19 ) 福田隆真, 「シンガポール国教科書について( 3 . 」 , 人文論究第5 ー 5 号, 199 3 福田隆真, 「シンガポール国の美術科教育についての考一無÷÷教科書を中心にして 」 . , 大学美術教育学会誌第2. 付記 本稿は, 平成7年度国際学術研究 (学術調査) 「シンガポール, インドネシアにおける美術・工芸教育の調査及びカリキュラム研究」 (研究代表者:福田隆真, 研究分担者:小平征雄, 佐々木宰) の調査・研究結果に基づくものである‐ 執筆については, はじめに, 第1 章を福田が, 第2章と第3章を佐々木が, 第4章を小平が担当し, 全体を佐々木がまとめた. (佐々木宰:本学助教授釧路校) (福田隆真:山口大学教育学部助教授) (小 平 征 雄 : 本学 教授 函 館 校). 360.

(12) . . ン. エ ンテ ンとイ ス カ ン ダル・ ジ ャリ ル. . . . え. ず . ↓ . 争 - し. ず ‐ 」 .- ず 、: 滋. . 事r : き三当 イ 幅い ゲ稽経塾圭三 - - . ↓′ 、、 - キー 三 宝1. . - -. ー. . 彫刻家ン・エンテンと筆者 (小平). 図2. . [ - , .ボ. . ー. 1. 彫刻家ン・エンテンと筆者 (福田). へ 「一一川. ド ′ 、. ,. ご. 、吏 , ,. ′ ・ 惚, .「 ・, ヒ , .. ← ・! ) ” -γ.--. 、.. ;. さ. - , こぎ・. . 図4. 一. 」. ,\. /. . . 、 一 瞥誓 きざ 三 三一 ニキ メ ニ :. ′. . 司 ・畑 く ・忠. ‐. . . . ・ 「r 鵡{ /「 を騨. メテ. . . . 図5. ミ ,. ン . エ ン テ ン の 作 品FREEDOM CHILD , シ マ ン・ フ ォ ン デ ュ, 1978年. 訓嘉川 『. ー 1‘. . さ き - ぞ き t総評 ,rノ ム ゼ. :; 三 一. ード ノ 響き さ ム r 、 ー ′ さ 、 、 . 1. ン ・ エ ン テ ン の 作 品FEAR, シ マ ン ・ フ ォ ン デ ュ, 1988年. . . r 一三 「 、ふ,÷. ▼ - ノ ー ノ .. r ,. 図3. ′. も. 、 、 ・1 . ~ ・ -. r ノ- L !1 」\ \ L - 1 - - L -. ′ , ^L - - .- , 』 ;. -. . . ー. \ !. -. ~ ー. . \一三キミ キ ; \ - ー. ] 、. トー. - -- - 1. - - . . 、. ・ 三需. ‐ 三 1. 図1. tフ - 、-i 」 ゴ 」 ; “ 、 毒気 好き ー, - , . 器, , ,. 一口. . ド キ ミ- , 1- ー “ - -. 三 . ‐ , ・‐ ,『 一 ., - ー・. 、. . . 食 ‐ . . . 1 . . /. . ニ E 1 1 , , 1 1 1 ” ド ” 」1 . ン ・ エ ン テ ン の 作 品SURVIVAL, シ マ ン ・ フ ォ ン デ ュ, 1973年. ir f. . . . 山 , y巻 き 霊 ,. 1 」. 一三 - -. 図6. . . . . . . ′ ・ 一・. . . - -. ン ・ エ ン テ ン の 作 品ACROBAT, シ マ ン ・ フ ォ ン デ ュ, 1988年 361.

(13) . . . 佐々木. 宰・福 田 隆 真・小 平 征 雄. . . . i 州ii - L三. ,. 一. - ′. ′ r さ≠ 角 一 一 . ′ 」 ‘ ‘ ・ . . - ー. 図7. ン ・ エ ン テ ン の 作 品FRIGHT, シ マ ン ・ フ ォ ン デ ュ, 1979年. ン . エ ン テ ン の 作 品LOOKING AHEAD, シ マ ン ・ フ ォ ン デ ュ, 1987年. 図8. .. い議 屋騒 , 獲 ‐ 1一= -一 ▼ー ÷- Lr-. 1 . . 図9. . ピ オーチャド・ロード ,ファー・イースト・ショッ ング・センター前 にあるン・エンテンの作品MOTHER ANDCH I LD. つく. 「 篭琴平だ . . . . . 362. ノリ. r. . . . L ず ,. ニーr ゴー 三一 三 ノ 、 一. 馨 ′ ニ ー′- - ‐ ‐ iき」 ↑ → 二 : ニ ,. ー. キ 1. - - -‘ ... キ ,弘. ヤ. . 図11 ン・ エ ンテ ン の 作 品, SPLITの シリ ー ズ. . . . . . . 三. う袋 ー ・ 日等 J ム鞄対ーヂ . . r ; r. /. . . 図10 チ ャンギ国際空港にあるン・エンテンの作品 SPIRIT OF MANの模 型. . . 」 ‐ L. . L 、 、 L L ー L ー ・ . 〜 L . ・ ・ L ・. - - L ゞ rゞ 1 . ′1 ・ 」 1 1ず L 1 11 ー. . ’ “ 、. ● .・ -. 、 . ぞ ← ”. 鮒ゴ 望もさ 4 ′ . 図12. ン・ エ ン テ ン の 作 品, 母 と 子 の シ リ ー ズ.

(14) . . ン. エ ンテ ンとイス カ ン ダル・ ジ ヤ リ ル. ・ 、 十 / でr 、 , 」 ‐ も . . r ノ ・ - - 一 ・ - 、 ず ・ ● . ・ 二 .駅 / か 一 ー . - 十 r r # 一端ド せ幅三歳 一 . ‐′ - Y -- ・ “ - . .ー. 【 き 憲電 ざ護. . - 醜 い、 . # . 誘電. -ず ′ ( . ・》 .. ン ・ エ ン テ ン の 作 品,. 父と子のシリーズ. 、 . ・. “ ・. . 図14 女性像をイメージ したン・ エンテンの抽象的作品. . ; - 三 養護藍 キ 二嘉繋ぎ ー. . . ′. ‐ . 図13. ′. - - . \. 「 ー ノ ‐ 、 ー \ - - - - ‐ 〕. ″◆. . ー 要 . ・ - * む納税 遵 きざさ 薫. 図15 女性像をシメージ したン・エンテンの. 抽象的作品. 6 幾何学的抽象形態と人体像を組み 図1 合わせたン・エンテンの作品. 溝 , . . . ノド *. . ず戦. 7′. 一図. 戦争や迫害をテーマにした ン・ エ ンテ ンの 作 品. 1 = 「. ー ~ 義三 イ. ・ / , 嫌 1 h 1 ‐ - ・r i 1 . 「 . ′ 熱影響テ ノ ▼ ーラ ン ‐ … , , ’ . ・ ′. ん. 」 . L‐ 図18 人体像のユニークな組み合わせ による ン・エンテンの制作途中の作品 363.

(15) . . . 佐々木. 宰・福 田 隆 真’小 平 征 雄. . モ‐ ・ , - -. 筆者 (中央3人). 」. -▲. 噂. . ‘デ. ,. , ,. - !.. L I I. . . ・ L . 」- , - . .ヤ 詩一÷// ノ ー -. . . .. 織 L. 1 ‐ ‘ 』 ,し・ ‐‐. . . ゴ ハノ イ ー. - -. .. . . 』- 「一 ノ. . 会 二 ー ′ ミ- - ‐. -. 図20 陶芸家イスカンダル・ジャリル (右端) と. 図19 人体像のユニークな組み合わせ による ン・エンテンの制作途中の作品. ・. 1 . 1 二 : . ・ . . ‐ 1 . ‐、 ‘/ ▲ .′ . ▼ i附輯陥^ ず 〆 {″ ′-ノ , イ ー ヰ = ”喝義′, , れず ?‐ . - . - ‐デ y - ー . ず- 1畠■■■■-国. 戸 ー . ー ーニ繋 三 然感 ぜ 綱 ニ瞥 榊F ぎ耕 隠. ーー. ー. r ’ . 1 . , ”, , . だ . み ;. ー. . -. . 1 イスカンダル・ジャリ ルの作品, 志野焼を 図2. 1 .・ 」 、 ▲ ‘ ・ . . 一 . . . . 図22 イスカンダル・ジャリルの作品 (成形の段階). 再現したもの (手前). .・一 . ご と ”. ソー1. 』 謙講 -. i. ≠) F ▼. r 舞 鶴 さ . 際. 、 ふ 、 , 黛 〆た 」. / ・. - - . ノ. 好 L FFも TfilI. . i r ふ 頭 上 i 窪ま 参. .・ ′ \ \ \. -. 図23. イ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ル の 作 品,. 掻き落と しによる文様のある壷 364. 図24 イスカンダル・ ジャリルの作品, 上部の 文 様 に ボロ ブ ドゥ ー ル の イ メ ー ジ が あ る.

(16) . . . ン・ エ ンテ ンとイ ス カ ン ダル・ ジ ャ リ ル. . . ー‐ ”. 〜. ド. . . . ー -. ー . ・ ゞ 、 ・ 一 ・ ′ - . ′ - ′. 幸手. 一 瞥.. ・ ′ ー .. . ′. ー ・ 一. . . . ニ 高評ミ. . . . - 一 等響 きもごt - . - \ -、 - , .. 、 ‐ 「 、 i ” も , 、 .. 雪--- ,. 、 - -二 選塁審 ニミ ド コ L‘, 」; - 間 枯 , . , ‐. イ ス カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル の 作 品, 上 部 の 文 様 に ボロ ブ ドゥ ー ル の イ メ ー ジ が あ る. 図25. 図26 イ ス カ ン ダル ・ ジ ャ リ ル の 作 品, 上 部 の 文 様 に ボ ロ ブ ドゥ ー ル の イ メ ー ジ が ある. L L , , \ 二. 1. . 、. . . . 」. ド , ,. 蕊 ・ r ′.. 霧 メ 愛 三 ー. --y ーノー 一デ .. L・. 、 --・ き-…. 』. も. ・. - r1’ -婁触と .. . . . ふ. 図28 イ ス カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル の 作 品, 直 線 的 で モ ダンなイ メ ー ジの 花 器. .. 夢. . . イ ス カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル の 作 品, 全 体 が コ バ ル ト ブル ー に色 づ け ら れて いる. i. . ,. i. . 7 図2. . ≧≠ . 」 J. 」. . も 三 ぎ 一 き 漕. ・ 鯵. t ‘ ′ .・- . メー. .. . ¥. . . “- - - ---一一. . 言響きもぎ 二 」 . ・ 〆三言 署考察ー]キト -′ . ーネル・ キテ 『ニー ” 一一〆、. 一 ー 一一- -. 9 図2. ず一. --. イ ス カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル の 作 品, 原 始 的 な. 美術をイメージさせる文様が施されている. - -. - -. ′. ー メ ・ 三 ;;窒雫 三豊キメ ニ ー, ルー ,一 二 ;;↑. 図30 イ ス カ ン ダ ル ・ ジ ャ リ ル の 作 品,. オー ガニックな形態のオブジェ. 365.

(17) . . . 佐々木. 宰・福. 田 隆 真・小 平 征 雄 . L FF r 1」EI1 1 ‘\ 1111 1 1 1 ノ \. キ キヒ ‐ デ ・ r ノ . r ・ , . . も ぎ 熱愛 ‐. . -キ キ メ. .. ー キ. . 1 イスカンダル・ジャリルの作品, 線条文様と 図3. ・ . . 図32 イスカンダル・ジャリルの作品群. 持ち手の枝が対照的である. ー .. - ,. ′-. ー.. ー ; - ‐ -キ ヂ. , ‐ 、‐. . b-△-- J し山一 J. . き ざ 嫌鮒 ′ ′、 ん. キ . ー ルじきき 盤繁多 警醒 ÷ ぜん. 》 r デマ- 号. 、. . . ′- ー{ ・き , ;‐. ‐′. . . . ’ - 「 - r 三 甚 議題一 組 環 駆 り 喜市 ÷「 - 一 一 M - 一. ‘ ¥. ′ : ミニーノ ー 二 ÷. . ・ ・--‘. 図34 イスカンダル・ジャリルの作品群. - - M「 ▼ ぜ - が - ー雑ぜ卵 F 認 ゴ. -. . . 図35 イスカンダル・ジャリ ルの作品群 366. ま二三鷺 きさ. . 一筆壷 鱈 睡 ー. . . . ずこ ÷ 繍J. ー 三関デ 三一. . ′. ー. 連書 ぎ 騒↓増1嘘 【 一 剥 す,. . 三篭さき喜ん」 ‐ ・ , ゞ ‘}き 一. .・ ノ デ も ′ ▼ゴ マ、 」- 二▼. 図33 イスカンダル・ジャリルの作品群. . ー. ・ r 二 . -- 1 . . ,. 図36 イスカンダル・ジャリルの作品群.

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参照

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