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「茘枝」札記(承前) : 宋詩を中心として

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(1)Title. 「茘枝」札記(承前) : 宋詩を中心として. Author(s). 後藤, 秋正. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 48(2): *1-16. Issue Date. 1998-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2088. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 一部 A)第 四十八巻 第 二号 北海道教育大学紀要 (. 「 承前) 藷枝」札記 ( ー 宋詩を中心とし て ー. 平 成 十 年 二月. 其九〉 以 下 の四篇は、義枝 に ついての感慨を詠 杜甫 の 「 解悶十 二首L の 〈 ず る。 〈 其 九 〉 の前 半 は 次 のよ う に 言 う 。. 寂莫. 還ほ復 た長安 に入 る. 先帝貴妃今寂真 先帝 貴妃 今 蕩枝還復 入長安 蒸枝. 二. 後. 藤. 秋. 正. 同) 蕩枝譜』があ り、福州 ( 蕩枝 に ついて の専著 であ る 『 福建省)、泉州 ( 『 の知事を歴任 した禁裏 (一〇 一ニー 一〇六七) の七絶 「 侃文斎 詠 物 務枝」 (. 翠葉 枝を織り て縫嚢を雑 へ. 詩 選 』 巻 三 一四、 嘉 枝 類 ) は 、 次 のよ う に詠 じ ら れ る。. 翠葉織枝雑維嚢. 使君分寄駅人忙 使君 分かち寄せて駅人忙し. 妃 唐書』 巻七十六、楊貴妃伝 に、 「 楊貴妃が新鮮な藷枝を好 んだ こと は、 『 妃 藷支 暗蕩支、必欲生致之、 乃置騎伝 送、走数千里、味未変己至京師。」 (. 彩竃分処曾留筆 彩墓 の分か るる処. 曾 て筆を留む. を暗 み、必ず生 にし て之を致さんと 欲す、乃ち騎を置き て伝送し、走 る こと. のこの皮。禁裏 は、蕩枝 の中心的な産 地 であ る藷 陽 ( 福建省黄 田市) の人 で. 開く時 香を減ぜず. に含桃 ( ゆすらう め) が宗廟 に供え られ、 それ に続 いて務枝 が献上された の であ る。従 って、楊貴妃が好 んだからと いう 理由だけ で藷枝 が長安 に運ばれ. あ るから、務枝 に関心を抱き 、称賛 し てやまな いのは当然 のこと であ ろう 。. 若片開時 不減香 若 片. た わ け で は な い往 2)。 し か し 、 杜 甫 に あ って は 、 藷 枝 は 楊 貴 妃 の 死 及 び 自. 彼 より百年 ほど のち の人 であり、職業詩人と し て 一生を終え た戴復古 (一 一. 未 だ 変 ぜ ざ る に 己 に 京 師 に 至 る。) と 見 え て い る 径 .)。 五 月. 身 が左拾遣とし て朝廷 にあ った栄光 の日々と密接 に結び ついて いた。それ以. 六七 ー 一二四八?) の 「 遠景賢 送蕩枝」詩 は、 『 藷枝譜』 に言及 し て いる。. 数 千 里、 味. 前と以後 の詩人たちはど のよう に蕩枝を詠 じた のか、杜甫 の詠 じ方とはど の. こ こ で先 に触 れ てお こう 。. 色香倶 不同 色香. 務 子固多種. 小緑を嘗は へば. 倶 に同しからず. 固より種多く. 「緯 嚢 は 、 赤 い ふく ろ。 藷 枝 の実 。 「 彩 墓 」 は、 画 筆 。 「 若 片 L は、 た け 」. 嘉 枝』 札 記 よ う に 異 な って いる のか 。 そ のよ う な 関 心 か ら 執 筆 し た のが 「『. 本学紀 要、 一九九 七 ・八) と いう拙文 であ る。 し ー漢 代か ら唐代ま でー」 (. 新来. 嘉子. かし、紙幅 の関係 で晩唐 の韓優 ま でしか記述す ることが できなか った。そ こ. 新来嘗小緑. . で今 回は、宋代 の燕枝を詠 じた詩 に ついて概観 し てみた い。.

(3) . 正 秋 藤 後. 又勝壁軽紅 又 軽紅を壁く に勝 る. 大喝思千樹 大 ひ に噛 み て千樹を 思 ふも 分甘僅 一龍 甘きを分か っは僅か に 一寵. 嘗観察公譜 嘗て観る票公の譜 夢想到斎 中 夢 に想 ひ て藷 中 に到 る. 客有り山中より来リ. 空余皮輿核 空しく余す皮と核と 狼籍入燥鰹 狼籍 爆 燈 に入 る. 「生 眼 は 、 生 ま れ て こ のか た 。 「 鰻 燈 」 は 、 燃 え 残 り 。 他 の詩 には 見 ら 」. れな い、子供ら の珍 果を得 た喜びが生き生きと描 写され て いる作 品 であ る。. 永福 ( 福建省永泰県) の人、張元幹 (一〇九 一ー --七 0?シ の五律 「 叔易 目 三呉帰 同赴竹篭義 子之集 二首」 へ 其 ▽ にも触 れ てお こう。 こ の詩 の冒頭 には、「 嘉子」 ( 務枝 の果実) が見え る。 「三呉」 は、江蘇省 一帯 の地。. 三. てき た の であ ろう 。. 叔易 は、 梅 雨 の降 る陰暦 三月頃 に出かけ、 まだ嘉 子 の実 って いる初秋 に帰 っ. 来帰す るは嘉 子 の秋. 惜 別梅花雨 惜別せしとき は梅花 の雨. 有客来山中 云 ふ漉南 の信を附すと. 文同 (一〇 一八ー 一〇七九) の 「 謝任漉州師 中寄務枝」詩は、 ユー モアに あ ふれた詩 であ る。「 任漉州師中」は、眉山 の人、任 仮 (一〇 一八ー 一〇八 こ のこと。漉州 は、今 の四川省漉州市。宋代 に至 っても、蕩枝が四川 で栽培 さ. 云附漉南信 ー 門を 開き て君 が書を得. 来帰嘉子秋. 開門得君書 歓喜 し て都客を失 ふ. れ て いた こと が 知 ら れ る 。. 歓喜失 都客 篤贋包藷子 鋳匝 嘉子を包み. 北宋期 に最も多 く藷枝を詠 じ ている のは蘇戦 であ ろう。 元祐五年 (一〇九. ○)杭 州 で の作、 「 寄繁 子華」詩 は、票褒 に託 し て故 郷 の知人 に寄 せたも の. 群来立如陣 競 ひて言 ふ此 の佳果. 群 れ来 って立 つこと陣 の如 し. 故 人送我東来時 故 人 我 が東来す るを送りし時. 四角倶封印 四角 倶 に封印す 童稚瞥聞之 童稚 観 やか に之を聞き 競言此佳果. 手栽義子待我帰 手づから嘉子を栽 ゑ て我が帰 るを待 つ. であ る。前半 四句は次 のよう に言う 。. 生 眼不識認 生眼より識認せず. 穎穎紅且潤. 相煎求掠観 衆手. 穎穎. 相 ひ煎り て訴き て観 んことを求む. 蘇戦 は、眉州眉山 ( 四川省 眉山県)の人。薬褒 は、眉山 に南接す る青神 ( 四 は、 川省青神 県) の人。 同 郷 の人 であ る。故 郷 で栽 培 さ れ て いた藷枝 径3). 逢塩久己成枯脂. 塩 に逢 ひ て久しく己に枯謄 を成 し. 猶作江南未帰客 猶 ほ江南未だ帰 らざ るの客と作 る. 巳に丹く吾 が髪白 し. 衆手提之去. 争奪 し て遁 ひに追 ひ診り. 嘉子. 争奪遮追診. 望 郷 の念 の象徴とな って いる。元祐 八年 (一〇九 三)冬から翌年 にかけ て定. 嘉子己丹吾髪白. 賃多 乃為得 貧 ること多ければ 乃ち得と為す. 河北省定 州市)に いたとき の七律、「 州 ( 次韻曾仲錫承議食密漬生務枝」は、. せま. 廉恥曾不論 廉恥 曾て論ぜず. 加 工した藷枝を詠 ず る。 阻嚇し て 一時 に尽く. 紅 にし て且 つ潤 ひ 之を総 んで去 る. 喧間俄傾間 喧間 俄傾 の間 阻噌 一時尽.

(4) . 「蕩枝一 札記 (承前). 得蜜猶疑是薄刑 蜜を得て猶ほ疑ふ是れ薄刑. 州 ( 広東省英徳県) に赴く途中 の蘇戦 は、改め て寧遠 軍節度副使恵州安 置を. 梅雨 儀儀と し て義 子然 ゆ. 紅紗中単白玉膚 紅紗 中単 白 玉 の膚. 海山仙人縫羅橋 海山 の仙 人 経羅 の橋. 枝」 は、紹聖 二年、恵州 でこ の年 の初物 の蕩枝を食 べた ことを言う。. 鮮紅 色 の果実 が燃え んば かり だ った の であ る往 4)。 「四月十 一日初 食 蕩. 梅雨憐篠嘉 子然. 漠漠と し て桂花湿ひ. 命 ぜられ、十月 に恵州 に着任 した。. 水 に著く万浮弾. 江雲漠漠桂花湿 江雲. 務枝 は極め て腐敗しやす いのでさまざま に加 工された。禁裏 『 藷枝譜』第 六は、 「 塩梅」 の液 に浸 し、仏桑花 で着色し て乾 燥 させた 「 紅塩」、外殻を剥 き、水 分を抜 いて蜜 で煮 た 「 蜜煎」などを紹介 し て いる。同じく 「 再次韻曾 仲錫薦枝」 は、白 居易と楊貴妃 の故事 に言及す る。 柳花. 柳花著水 方浮捧 天を周る両歳星. 本と自ずから玉肌 にし て鵠 の浴す るには非ず. 嘉実周天両歳星 蔦実 本目玉肌非鵠浴 くびき. 狸 の 刑 らるるに似たり. 不須更待妃子笑 須 ひず更 に妃子 の笑 ひを待 つを. 至今 丹殻似狸刑 今 に至り て丹殻 侍郎賦詠窮 三峡 侍郎 の賦詠 は三峡を窮 め. 世を渉 る本と □の為なり. 風骨目是傾城妹 風骨 自ず から是 れ傾城 の妹 我生渉 世本為 口 我生. 久 しく己 に尊 麹を軽 んず. 妃子畑塵動 四漠 妃子 の畑塵は 四湧を動かす 且らく香草 に随 ひ て騒経 に附せよ. 莫遣詩人説功過 詩人を し て功過を説かしむ る莫かれ 且随香草 附騒経. 一官. 人間何者非夢幻 人間 何者 か夢幻 に非ざ ら ん. 一宮久 己軽薄飽. 結実す ることを言う。 ただし、白居易 の詩 には、十年 で結実す るとあ った。. 南来万里真良 図 南来. 二句目は、木星 が十 二年 で天を 一周す ることから、蔦枝 が 二十 四年 た って 三句 目 は 、 果 肉 が く ぐ い の 羽 よ り も 白 いこと を 、 四 句 目 は 、 外 殻 が 狸 々 の血. 楊貴妃 の微笑を待たず とも藷枝 は十 分 に傾城 の美女と言え る。 美酒を 飲 み、. 万里 真 に良 図. よりも赤 いことを 言う。 「 侍 郎」 は、白 居易。忠州 ( 四川省忠 県) 刺史 左 遷. 四時 の春. 藷 枝 を つま め ば 、 夢 幻 の 世 にあ って、 恵 州 に左 遷 さ れ た こ と も 、 「良 図 」 と. 山下. 中 に、「蕩 枝 図 序 」 のほ か 、「 種 務 枝 」な どの 詩 を 残 し た 。「 妃 子 」は 、楊 貴 妃 。. 羅浮. 思え る。彼は同様 の感想を、七絶 「 食藷枝 二首」 へ 其 二〉 でも吐露す る。 羅浮山 下四時春. 楊貴妃 のもと に新 鮮な藷枝を運 ぶ駅馬が塵挨をけた てて長安 に到 った。それ が 一つ のき っか け と な って安 史 の乱 が 起 こ り 、 天 下 を 揺 り 動 か す こと と な っ. 魔橘楊梅次第新 慮橋 楊梅 次第 に新 たなり 日ミ に藷支を咳 ふこと 三百穎 日唆蕩支三百穎. 舟行至清 遠県見顧秀才極談恵州風物之美」 の領 い、と言う のであ る。七律 「. を 論 じ さ せ る こと な く 、 香 草 の例 に従 って 『 離 騒 』 に書 き こ ん でお いた ら 良. てさら に南 の壌州 ( 海南省璃山県)に赴く直前 の紹聖 四年 (一〇九七)の 「三. し て知られた。 この詩 のような達観 ぶり が当路者 に忌避 され る。恵州を 発 っ. 「 羅 浮 山 L は、恵州 の西北 にあり、す でに南朝 のこ ろから蕩枝 の名産 地と. 不辞長作嶺南人 辞せず長 へに嶺南 の人と作 るを. 清 遠 県」 は 、 広東 省 清 遠 市 。 「 恵 州 」 は 、 清 遠 か ら さ ら に百 四 聯 は美 し い。 「. 其 二〉 も、実 り始 めた蕩枝を詠 じながら閑適 の境地 を 言 月 二十九 日 二首」 へ. た。しかし、蘇戦 は これら のことを深刻 には受 けとめな い。王逸 「 離騒経章 善鳥香草以配忠貞、悪禽臭 物 以比護 優。 善鳥 ・香草 以 て忠貞 句」は、 「 」( に配し、悪禽 ・臭 物 以 て譲仮 に比す。 )と 述 べる。詩人たち に藷 枝 の功罪. 十キ ロほど東南 の広東省恵陽市。紹聖元年 (一〇九 四)六月、左遷 され て英.

(5) . . 後 藤 秋 正. 猶ほ的蝶 たり. 注5)0 、 っ(. 門外橋花猶的蝶 己 に欄 斑たり. 門外 の橘花. 膿頭蕩支 己欄斑 橋頭 の慕支. 新 年 五首」 へ 其 五〉 でも、 其 五〉、 「 こ のほか蘇戦 は、 「 和陶帰 園 田居 六首」 へ 為枝を詠 じ て いる。. 蘇就 の弟、蘇轍 (一〇三九 ー : = ; にも、兄 の蘇斌 に和した詩を含 め 毛 君恵温柑務 て、務枝を詠 じた詩 があ る。何首か見 ておこう。まず、七絶 「. 樹暗く草深く人 静かな る処. 樹暗草深人静処. 『 支 二絶」 へ 築 城集』 巻 一一) を 引 く 。 其 二〉 (. 務支生紅無奈逮 蕩支 紅を生ずるも遠きを熱 する無く. 巻簾歌枕臥看山 簾を巻き枕を欲 てて臥 し て山を看 る 全 二十 四句 の 「 藷枝歎」 の前半 は藷枝 に関す る 一種 の詠史詩と 言え よう。. 5飛車跨山鶴横海. 4識是蕩支龍 眼来. 3顛院 仲谷相枕籍. 2五里 一喉 兵火催. 風枝 ・露葉 新 た に採 るが如 し. 飛車. 識 る是 れ務支 ・龍眼 の来 るを. 航に顛 れ谷 に朴れ て相 ひ枕籍す. 五里 に 一族. 毛君は、毛維謄。 元豊 二年 (一〇七九) から、蘇轍 が兄 の筆禍事件 に連座. 尚得佳人 一笑歓. 難無駅騎紅塵起. 陳家畷白 到猶難. 尚ほ得 たり佳人 の 一笑 し て歓 ぶを. 駅騎 の紅塵 起 こること無 しと難も. 陳家 の凝 白. 到 ること猶 ほ難 し. 6風枝露葉如新採 宮中 の美人. 1十 里 一置飛塵灰 十里 に 一置 塵 灰を飛ばし. 7宮 中美人 一破顔 驚塵. 海 に横 たはり. 血を濃 いで千載 に流 る. 一たび破顔し. 山 に跨がり鶴. 兵火催す. 8驚塵澱血流千載 永元 の藷支 は交州 より来り 天宝 の歳貢 は之を浩 に取 る. 含露. 迎風 惜 しむ らく は嘗はず. 紅消白痩香猶在 紅消え白痩 せ て香り猶ほ在 り. 故将赤 日損容光 故 に赤 日を将 て容光を損 ふ. 含露迎風情不嘗. させた務枝を詠じたも の。. 佳人」 は、楊貴妃 変 に密 封 し てさら に水 分を抜 いた加 工品が見え て いる。 「 『 築城集』巻 --O も、乾燥 ならぬ家 人を言う のであ ろう。七絶 「 乾蕩枝L (. 蕩枝 の品種 に陳紫、小陳紫 が見え、また、白畷と いう、 日光 にさらした のち. し て、鋳州 ( 江西省高安県) に左遷され て いたとき、州 の長官だ った。蘇轍 新江省温 温柑」 は、未詳だ が、温州 ( は彼 と の酬 和詩を多 く残 し て いる。 「 陳家畷白」 は、薬蓑 の 『 務枝譜』 によ れば、福州産 の 州市)産 の蜜 柑か。「. 9永 元燕支来交州 0 1天宝歳貢取之浩. 雨は順 ひ風は調ひ て百穀登り. みの. 尤物を生じ て療病を為 さしむ る莫 からんを. 1 1至今 欲食林甫肉 今 に至 るま で食は んと欲す林甫 の肉 2 1無 人挙腸爵伯瀞 人 の鵬を挙げ て伯涛 に爵す るも の無 し 3 1我願天公憐赤 子 我 は願 ふ天公 赤 子を憐れ み 4莫生尤物為痛渚 1 5雨順風 調百穀登 1. 想見当年十八娘 想見す当年 十 八 の娘 「 眉州作」 にもあ るよう に、初夏 含露迎風」は、 のち に引く陸瀞 の七律 「 の風を浴び、露 に潤 って実 った藷枝 の実。鋳州 では、味わえ なか った ので、. 十 八娘」 は、福 建 香 り のわず か に残 った乾燥 した務 枝を食 べた のであ る。 「 産 の蕩枝 の品種。曾葦 の 「 藷 枝録」命元豊類藁』巻 三五)にも記録があ る 葎 6). 6民不飢寒為上瑞 民 飢寒 せざ るを上瑞と為す 1 第十句ま では、務枝 の運搬 に多大 の犠牲 が伴 った ことを、第十 一・十 二句 は、 人 々が諌言を納れな か った宰相 の李林甫を憎 み続け ても、後漢 の時 に、 唐売 が上書 し て蓋枝 の進 貢を中止 させた ことは知 らな いことを言う。彼が願. が 、 こ こ で は 、 ほ ぼ 同 文 の、 禁 裏 の 『 蕩 枝 譜 』 を 引 い て お こう 。. 十 八娘蒸枝、色深紅而細長。時人以少女 比之。狸伝、間 王王氏有女第十. う のは、豊作 で人民が飢寒 に苦 しまな いこと であ る。南方 の薦枝を味わ った 蘇戟 は、決 し て義枝 運搬 にま つわる人民 の苦難を 閑却 し ていたわけ ではな い。.

(6) . 爾 「 こ. . 札 椀. 「藷枝一 札記 (承前). よろ. 巧 みに人を留む. 蕩支 の好 しきを. 嘉支色味巧留人 務支 の色味. 白髪 の新 たなる に. 独数山前蕩支好 独り数 ふ山前. 十 八娘務枝、色深紅 にし て細長。時 人 少女を 以 て之 に比す。狸 に伝 ふ、. 不管年来白髪新 管せず年来. 八、好峨此品、因而得名。其家今在 城東報 国院、 家芽猶有 此樹 云。 間王 の王氏 女 第十 八有り、好 ん で此 の品を 職 ふ、因り て名を得と。其 の. 葉栗園林 不須顧 裏栗 の園林は顧 みろを須 ゐず. ひと. 丹実 十株を須め. 丁寧 に書を附す老農 の圃. . 東波南蛮」は、紹聖元年 (一 炎風」 は、北東 の風。 「 鷹 」 は、蕊枝 の品種。「 広東省恵 陽市) に流 された ことを言う。蘇戦 の 〇九 四)十月、蘇蝋が恵州 ( 「 海南省珊山県) へ移 った 藷枝歎」は、恵州滞在 中か、 さら に南方 の壌州 ( 広東 江西省高安 県) から雷州 ( 頃 の作品 であ ろう。 このころ蘇轍は、鋳州 (. 白 若 寵 」 は 、 竹 で編 ん だ か ご 。 杜 甫 「野 人 送 朱 桜 」 詩 に見 え る 。 「 見 え た。 「. 蜜漬璃膚」は、保存 す るた め に蜜 で煮 た白 い果実。蘇戦 の詩 に 紅 の果実。 「. 縫紗萄」 は、藷枝 の深 一句 は、霜害を避 けるため に火を焚 く ことを 言う。 「. 「稲 糠 」は 、脱 穀 し た あ と の稲 の殻 。「宿 火 Lは 、 一夜 た っても 消 え な い火 。. 丁寧附書老 農圃. 青枝丹実須十株 青枝. 得帰便擬尋郷路 帰り得 ては便ち 郷路を尋ねんと擬 るも. 家 今城東 の報 国院 に在り、家 の芽 に猶ほ此 の樹有りと云 ふ。 送買誘朝奉通判眉 残り香から新鮮 な藷 枝 の姿を想像した のであ る。七律 「. 嘉子 の丹きを. 明年 我 桑梓を情めんと欲す. 『 築城集』 巻 一四) では、 郷里 眉 山 の燕枝 を 想起 し て いる。 尾聯 に、 州」 ( 明年我欲情桑梓 為賞庭前嘉 子丹 為 に賞 せよ庭前 、 。 眉 と あ る。 「桑 梓 」 は 、故 郷 。自 注 に、「眉 州 俸 庁 、旧 有 蕩 支 二株 甚 大 」 ( 、 。 州 の体 の庁 に、 旧 と 義 支 二株 有 り 、 甚 だ 大 な り 。) と あ る 「体 」 は 通 判 の. 『 築城 奉 同子謄嘉支歎」 ( 義支歎」 に同した、 やや散文的な 「 別称。蘇蝋 の 「 後 集 』 巻 二) は 、 二十 二句 か ら な る 。 いな. 眉 に及ぶも半ば有 るや不や. 濁蓋 枝止嘉州 濁中の姦枝は止だ嘉州のみ 余波及眉半有不 余 波 宿火 霜霞を割け. 稲糠. 省海康県) へ流され、雷州ま では蘇斌と同道し て いる。末聯は、しば らく は 「 老農」に教えを乞 いなが ら、 裏栗」の実 る北方 に帰還す ること は考慮 せず、「 義枝 を植えようと言う のだ ろう。嶺南左遷中 の兄弟 の生活 には、 さした る差 築城集墓誌銘」は、紹聖 四年 (一○九七)七 月、 はなか っただ ろう。蘇轍 の 「 昌化 軍 ( 傭州。海南省備 県) に移 った頃 の蘇蝋 の生活 ぶり に ついて、次 のよ. 稲糠宿火都霜霞. 蜜漬 の壊膚 甘く且 つ滑 らかなり. う に 述 べ て いる 。. こと僅か にし て黄金と体 し 子を結 ぶ. 蜜漬壇膚甘且滑. 京洛 に北遊し て紅塵を堕と し. 結子僅与黄金律. 北遊京洛堕紅塵 若寵 の白曜. 近 ご ろ聞く間 のヂ 種法を伝 へ. 若寵白曜称最珍. 帰 るを思 ふは復 た尊菜 の為ならず. 築室、昌化士人春土運蔓 以助之、為屋三間。人不堪其憂、公食芋飲水 著書. 近聞間 事伝種法. 思帰不復為奪菜. 炎風 朝露 の句 なき に及ば んと欲す. すく. 最も珍なりと称す. 名園競瀕 羅紗萄 名 園 競 ひ て撤む緯紗 の萄. 移種成都出 巴峡 種 を成都 に移し て巴峡より出づと. 欲及炎風朝露勾. 以為楽、時従其父老遊、亦無 間也。. 平生 に非ず. 流猷 せ る者を以 て未だ 足らずと為 し、 四年、 復た. 壌州別駕を 以 て昌化 に安置す。昌化 は人 の居 る所 に非ず、食飲具はらず、. 居ること 三年、大臣. ‐ 人所居、食飲不具、薬石無有、初 俄官屋以庇風雨、有 司猶謂不可、則 買地. 居三年、大臣以流観者為未足也、 四年、復以饗州別駕安置昌化。昌化非. 平居著鞭苦不早 平居 著鞭 苦だ早からず 海 辺 の百物. 東城南鼠嶺南道 東披 南蛮 せら る嶺南 の道 海辺百物非平生.

(7) . 正 秋. 藤 後. 其 の憂 ひ に 堪 へざ る に 、 公 芋を 食 ら ひ. 薬 石有 る無く、初 め官 屋を倣り て以 て風雨を庇 く るに、有司猶 ほ不可と謂 ふ、則ち地を買ひ て室を築 か んとす、昌化 の土 人 土を参り嵯を運び て以 て之 を 助 け 、 屋 三 間 を 為 る 。 人. 水を飲 み書を著 し て以 て楽 しみと為す、時 に其 の父老 に従ひ て遊び、亦た 間無 き な り 。. 蕩枝 が、嶺南 にあ っては、わずか に故 郷 の濁地を連想 させるも のであり、 彼 ら の孤独を癒し てくれ る貴重 な存在だ った こと は間違 いな い。. 四 ついで、黄庭堅 (一〇 四五ー - -0五) の嘉枝を詠 じた詩を見 てみた い。 『 黄庭 堅 の 「 次韻任道食蕩支 有感 三首」 ( 山谷詩集注』 巻 一三) は、戎州 ( 四 川省宜賓市)安置在任 中 の作 であ る。李仔、字 は任道は、梓州 ( 四川省 三台. 一銭にすら諺『せず程衛尉. 県) の人。江津 ( 四川省 江津県) に寓居し て いた。. 一銭不直程衛尉. 更接 狸血染段紅 更 に狸 血を接 み て段紅を染む. 〈 其 ▽ の、 「 程衛尉」 は、程 不識。 一句 は、自 分 が価値 のな い存在 であ. ることを 言う。 「 司馬 公」 は、 司馬徽。 一句 は、 分を 越え た栄華を望ま な い ことを 言う。「 六年」は、紹 聖 二年 (一〇九 五)四月、繋州 ( 四川省彰水県) 安置と し て赴任 し てから、元符 元年 (一〇九八) 六月 に戎州 へ移り、今 に至. るま で六年間、濁 の地 で蕩枝を 目にす るはめ にな ったことを 言う 。「 太史公」 は、司馬談。借り て、か つて神宗実録院検討官と し て史書編纂 に携 わ った自. 分 が 濁 に留 ま って いる こと を 言 う 。 〈 其 二〉 の、 「五 月 」 の句 は 、 李 白 「 裏腸. 歌」 の、 「 遥見漢水鴨頭緑、恰似蒲萄初 醗酷」 ( 遥か に見る漢水 の鴨 頭緑、恰 も 似たり蒲萄 の初 め て醗酷す る に) を 踏まえ る。 「 鴨 頭緑」 は、 かも の頭 の. 毛 の よ う な み ど り 色 。 「六 月 」 の句 は 、 杜 甫 「 秋 野 五首 」 へ 其 四 〉 の、 「 遠岸. 秋沙白 、連山晩照紅」( 遠岸 秋沙白く、連山 晩照紅なり)を踏まえ る。「 柘 枝」は、蕩枝 の 一種。任淵 の注 に、「 山谷 与 王観復書 云、今年戎州嘉子盛 登、. 一種柘枝頭出於過賦平、大如難卵、味極美 。 山谷 の王観復 に与 ふる書 に云 」( ふ、今年 戎州 の嘉 子 盛 んに登 る、 一種 の柘枝頭 遍照 平 に出づ、大 な る こと 難 卵 の如 く 、 味. 照江 鴨頭緑 に. 愁 ふる莫かれ太史公を留滞 せしむ るを. 粉. 頭 標 に 繁 し ) と 詠 ず る のを 踏 ま え る。 ま た 、 「殿 紅 L は 、 黒 み を. 『 為戎州第 一」 ( 山谷 詩集 注』 巻 一三) は、 元符 三年 (: ○ ○)、戎州安置. 帯びた紅色。杜甫 「 白糸行」の、婦人が錦を織 る描写、「 象琳玉手 段紅乱」( 象 珠 玉手 段紅乱 る)を踏まえ る。務枝 の鮮紅色が際立 つほど、黄庭堅 の愁 いは逆 に沈潜す る。七言古 詩 「 勝致平送緑務枝為戎州第 一王公権蕩枝緑酒亦. 狸 の血 繰. 縮 んだ薄ぎぬ。薦枝 の実 の皮殻を言う。 「 宝誓」 は、婦人 の美 し いまげ。蕩 枝 の木 に除え る。末句 の 「 狸血」は、蕩枝 の実 の鮮紅色を狸 々の血 に職え る。 晩唐 の張砧 の 「 上巳楽」に、あ やぎ ぬ のか ぶりも のを、「 狸狸 血繰繁頭標」( 狸. ( 宋 玉 愁ひ空 しく断え、嬬嬢. 極 め て美 な り と 。) と あ る 。 へ 其 三〉 の冒 頭 の句 は 、 柘. 万事称好司馬公 万事好しと称す司馬公 倍 侵す嘉支 の紅. 白髪永無懐橘 日 白髪 ま で永く橘を懐 ふの日無き に 六年慣 恨務支 紅 六年. 枝舞 と いう舞 踊があ ること から、蕩 枝を 舞女 に瞭えたも の。 「 悩公」 は、私 を悩ま せ るの意。李賀 に 「 悩公」詩 があり、冒頭、「 宋玉愁空断、嬬嬢粉目紅」 自ず から紅なり)と詠 ず る。「 摩羅」は、. 莫愁留滞太史公 五月. 連山 柘枝紅なり. 義子 南風 に熟す. 五月照江鴨頭緑. 六月. 今年嘉 子熟南風 今年. 六月連山柘枝紅. 舞女燕支熟難晩 舞女 の嘉支 熟す ること晩 しと難も 天 鷲羅を与 へて宝誓を装 ひ. 臨江照影目悩公 江 に臨む照影 自ずから公を悩ます 天与燈羅装宝誓.

(8) . ) 前 体. . 「. 碗. 札. コ し. 「蕩枝一 札記 (承前). 在任中 の作 であ る。 嘉枝緑 に. 目如点漆射清揚. 目は点漆 の如くし て清 揚を射 る. 帰時定自能文章 帰 る時 定 め て自ず から文章を能くせん. 王公権 の家. 王公権家蕩枝緑 莫随間嶺 三年 語 間嶺. 方績 の箕 を転却す る莫 かれ. 三年 の語 に随 ひ て. 慶致平家緑蔦枝 脇致平の家 緑藷枝 転却中原方績資. 中原. 試傾 一杯重碧 色 試 みに 一杯を傾く重碧 の色 機酷 の蒲萄 未だ数 ふるに足らず. 快剥千穎軽紅肌 快く千穎を剥く軽紅 の肌 撰酷 蒲萄未足数. 「束 芽 」は 、名 茶 の名 。「点 漆 」は 、う る し を つけ た よ う に真 っ黒 な 瞳 、「 清 揚 」 は 、 眉 目 が ぱ っち り し て い て美 し いこと 。 いず れ も 鳳 児 の素 質 が 豊 か な 間 嶺 」 は 、 一本 に 「阿団 」 に 作 る 。 「阿 団 」 な ら ば 間 の方 言 で こと を 言 う 。 「. 盤 に 堆 き馬乳. 子ども。土地 の方言を言う。末聯は、 父 の三年 の任期 の間 に南方 の発音 に馴. 時を 同じうせず. 堆盤馬乳不同時 誰か能く此 の勝絶 の味を同じう せん. れ親し んでしま い、中原 の優雅な笛 の音を忘 れな いよう にと親しく忠告 し て. うづたか. 誰能同此勝絶味 唯だ老杜東楼 の詩有 るのみ. 五. るとは想像も でき なか った であ ろう。. 嘉子L は 、 間 の地 の象 徴 と な って い いる。名茶と女児 の赤 い頬 の色 に似た 「 る。 このころの黄庭堅は、自身 が濁 の地 に左遷 され て務枝を味わう こと にな. 唯有老杜東楼詩 霧致平は、霧有衡。致平は字。醍誉T(一○六八 ー 一○七七) の進士。王公. 春酒を粘り、軽紅 蕩支を壁く)を踏まえ る。. と. 権は不詳。鯵有衡 から送られた務枝を つま みながら、王公権 から送られた藷 重 宴戎州揚使君東楼」の 「 枝 の緑酒を味わう のであ る。第 三 ・四句 は、杜甫 「 重碧 碧拍春酒、軽紅壁務支」(. 「軽 紅 は 、う す く れ な い色 。「援 酷Lは 、醗 酷 と 同 じ 。再 び 醗 酵 さ せ る こと 。 」 堆 盤 馬 乳 」 は 、 皿 い っぱ いに盛 った 馬 乳 ぶど う 。 裏 陽 歌 」 に見 え た 。 「 李白 「 老 杜 東楼 詩 」 は 、 前 述 の詩 。 蒲 萄 〉 に見 え た。 「 韓 愈 「題 張 十 一旅 舎 三 詠 L へ. 十年遊宜但神馳 十年. 家在眠峨飽務枝 家 は眠峨 に在り て務枝 に飽き. 四川省 眉山県) の人、唐庚 (一〇七 蘇戟と同じく霧枝 の産地 であ る眉州 ( 『 一ー 一: : ) の七律 「 和程大夫 蕩 枝」 ( 眉山詩砂』) の例を 見 よう。 彼 は. は酒と務 枝 の味を称賛す る。 さら に、 元祐 三年 (一○ 八八)、史 局 にあ った. 側生 流落 し て今 に千載. 勝絶え て身 の老 ゆるに驚き、情忘 勝絶驚身老 、情忘発興奇」 ( そ の冒頭 に、 「. 『 山谷外集』巻 一七) にも 務枝 が現れ る。曹 時の 「 戯贈 曹 子方家 鳳児」 詩 (. 側生流落今 千載. 入貢 珍と称 せらるるは彼 の 一時. 安置恵州 ( 広東省恵陽県) に左遷された こと があ る。. 子方 は、曹輔。子方は字。 元祐 三年九月、太僕丞から福建転運判官となり、. 入貢称珍彼 一時. れ て興 の奇な るを発す)とあ る。杜甫 は戎州 の絶景を勝絶と言うが、黄庭堅. 間 に赴 任 し た 径 7)。 一篇 は 、 曹 輔 に つ い て 間 に 行 く 彼 の 子 、 鳳 児 に戯 れ に. 定自不将凡果比 定 め て自 ら凡果を将 て比せざ るに. 遊宣 し て但だ神馳す る のみ. 贈 った も の。. 如何偏与薄姻宜 如何ぞ偏 に療畑と宜 しき や 湯 に入り て獅子脱し. 束芽入湯獅子肌 束芽. 事負山中故友期 山中 の故友 の期 に宰負く 「 萎 芽挺龍 目、側生蔦枝 。 街都賦」に、「 側生」は、蕩枝 の異称。左 思 の 「 」(. . 目頭莫作 江南客 白頭ま で江南 の客と作 る莫かれ 鳳郎 但だ風土 の楽しきを喜び. 嘉子新 剥女児頬 嘉子 新た に剥く女児 の頬 鳳郎但喜 風土楽. 不解生愁山畳畳 解せず愁を生じ て山畳畳たろを. 7丁.

(9) . . 後 藤 秋 正. に龍 目 を 挺 で、 側 に蕩 枝 を 生 ず 。) と あ る の に基 づ く 。 「流 落 」 は 、 落 ち ぶれ. てさす らう 。第 三句 は、漢代 に蕩枝 が京師 に知られ てから ほぼ千年 が経過し た ことを言 い、第 四句 は、楊貴妃 のため に藷枝が長安 に運搬され て珍重 され た ことを言う。 一篇は、蕩枝 の美質 に類 いす るほど の才能を抱きな がらも、 恵州 の地 に左遷され て いる嘆きを訴え るも のであ る。. 計を作す。 ) と詠 じ て いる。 頭聯 は、薪枝 は、あ え て長安 に運ば れずとも、. 蘇鞍 の住ま いの近く にあ ってそ の孤独を慰 める のが ふさわ し いと 言う のであ ろう 。 「照 紅 鴨 緑 Lは、黄庭 堅 の 「 次韻任道食蕩支有感 三首L へ 其 二〉 に、「 五 月照江鴨 頭緑」 とあ った。広東 の嘉枝 は、黄庭堅 の味 わ った四川 のも のと 比. べ てど う だ ろう か と 言 う の であ る。 『 漏 杢 律 髄 』 の方 回 の評 は 、 「此 難 晩 出 、. 内多 用東城事、似亦精神 。 此れ晩出すと難も 、内 に多 く東技 の事 を用 ゐる、 」(. □腹 之を嘗は ふ. 茶山 に又 六言 の嘉 子詩有り て云 ふ、紅城 羅橋を解く処、清香 玉肌 を 開く時と。又 云 ふ、蕉子 定め て暗 伍を成す、梅花 応 に直前 に惚づ. 狸 血染羅欣入手、泳肌飲露欲濡唇。皆佳。. 噌 伍、梅花応憶鹿前。 又云、金谷危楼魂断、白州旧井名伝。又有七言 云、. 二と. 臨済宗 の僧、恵洪 (一〇七 一ー -一一一 八) は、 政和元年 (一一 一一)、崖. 口腹平生厭事治 上林 の珍果 亦 我が流挺 の甚 しきを見. つ. 海南省 三亜市 の西南) に流された。蘇蝋 が海南島 に左遷 され てから 三年 州 (. 上林珍 果亦嘗之 天公. 『石 門 詩 秒 』) を 見 よ う 。 後 の こと であ る。 「 初 至崖州 喫嘉枝」 (. 精神を亦ぐが似 し。 )と指摘す る。また、 「 福帥張淵道嘉子」 に付 された方 回 の評は曾幾 の六言 「 嘉 子」 詩等 に触れ て いる 注 8)。 茶山 又有六言義子詩云、紅鮫解羅橋処、清香開玉肌時。又云、蕉子定成. 天公見我流挺甚 遣り て崖州 に向 ひ て藷枝を喫 せしむ. 平生 事 の治まるを厭 ひ. 遣向崖州喫蕩枝. 前 半 は 、 か つて徽 宗 のと き に 、 朝 廷 に仕 え て いた こと を 言 う 。-. 云 ふ、 金 谷. 危楼. 魂 断え、 白州. 菖蒲節後 日偏長 菖蒲 節後. 荷花 の葉. 日偏 に長し. 旧井. 名 伝 は ると。 又. 督日 蒲節」 は、端午 の節句。彼は こ の藷枝堂を しば しば訪れたらしく、 五. 浸得 一瓶泉水香 浸 し得たり 一瓶 泉水 の香. 落残数柄荷花薬 落残す数柄. 嘉 子陰中風絶涼 嘉 子 陰 中 風 絶 だ涼しく. 一七九)から九年 にかけ て、広東 ( 広東省広州市)に赴任 し て いた時 の作、「 蕩 『 枝堂 昼憩」 ( 南海集』 巻 一八。 注9 を見よう 。前半 四句を引く。. 次 に、楊 万里 (: 二七 ー : - ○六) の詩を 見よう。まず、淳 無 六年 (一. べし と 。 又. 七言有り て云 ふ、狸血 羅を染 め て手 に入 るを欣び、氷肌 露を 飲 み て唇. 飽くま で渠を聞く. 『 曾幾 (一〇八四ー - -六六) には、七律 「 福帥 張淵道嘉 子」 ( 茶山集』巻 六、 『 瀕窒 律髄』巻 二七) のほか、「 嘉子」 ( 同) 及び 「又詠義 子」 ( 同) があ 中半. を濡 さ んと欲すと。皆な佳し。. 百年. る 。 こ こ では 後 者 を 引 い てお こう 。. 百年中半飽聞渠. 名 下親承果不虚 名 下 親 しく承く果し て虚しからず 乃ち其れ余りあり. 可愛 風流 元有種 愛 す べし風流 元と種有 るを 自然富貴 乃其余 自然 の富貴. 白鶴 の居. 肯 随妃子紅塵駅 肯 て随 はんや妃子 紅塵 の駅 甘伴先生白鶴居 甘 んじ て伴 ふ先生. 可惜 不経山谷賞 惜 しむ べし山谷 の賞を経ざ るを はた. 照紅鴨 緑定何如 照紅 鴨緑と定 し て何 如 「 白鶴 居」 は、白鶴峯 のふも と の住 居。白鶴峯は、恵州 ( 広東省 恵陽県) の北龍江 のほとり にあ った。蘇就は紹寧年間、恵州 に左 遷 されたとき の 「 遷 居」 詩 で・ 己買白 鶴峯、 規作 終老 計。 !「 巳 に白鶴 峯を 買 ふ、規 り て終老 の 」(. O O.

(10) . ) 前. 億 繍 碗 「. 絶「 藷枝堂夕眺 三首」命南海集』巻 一九)も残 っている。「四月八日嘗新養子」 一点 の腕脂 葉芽を染 め. 『 ( 南 海 集 』 巻 一六 ) は 、 初 夏 の 一日 、 新 鮮 な 燕 枝 を 味 わ った こと を 言 う 。. 一点 膝脂染葉芽. 雪 に吠 ゆるは差事 に非ず. 江省杭州市) に時ならぬ壇が降り、蕩枝 に積も った ことを詠 じ て いる。 尊大吠 雪非差事 再大. 泳を蔵 し て工夫を減じ. 専 人語体夏虫似 野 人 汰を語るは夏虫 に似たり 去年蔵汰減 工夫. 守りを失 ひ て西湖 に嬉む る. 忽然紅遍緑 衣裳 忽然と し て紅は遍し緑衣裳 骨格 丁香痩せ. 山鬼失守嬉西湖 山鬼. たわ. 紫塊 骨格 丁香痩 紫饗 肌膚 午暑涼し. 一夜. 去年. 白 雪肌膚午暑涼 白 雪. 北風 一夜動地悪 北風. 地を動 かし て悪しく. 掌上体丸 那忍触 掌 上 の妹丸. 尽吹 北体作南壇 尽く北泳を吹き て南 壇と作 る. 那ぞ触 るるに忍び ん. 樽前風味独難忘 樽前 の風味 独り忘れ難し. 飛来嶺外務枝梢 飛び来 る嶺外. 紅錦包. 務枝 の梢. 老 養要咳 三百穎 老嚢 咳 ふを要む三百穎. 終衣朱裳紅錦包 繰衣 朱裳 露珠. 凍り て腸を断 つを. 三危露珠凍寒批. 林を焼き て下水と成 る. 却伯 甘寒凍断腸 却 って伯 る甘寒. 火傘焼林 下成水 火傘. で いく ら でも 食 べら れ る が 、 冷 や や か な 甘 味 が 腸 を 凍 ら せ は し な いか と 恐 れ. と 三百穎、妨げず 長 へに嶺南 の人と作 るを)とあ るのを踏まえ て、美味な の. 白 雪」 み て 北 風 の軽 き を 帯 ぶ) と あ る。 第 四 ・五句 は 、 蕩 枝 の白 い果 肉 を 「 と 「 泳 丸 」 に 喰 え て、 そ の み ず み ず し く す ず や か な 様 子 を 言 う 。 「 饗 」 は、 饗 饗 。悪 獣 の名 。転 じ て飲 食 を 貧 る者 を 言 う 。「三 百 穎 」 は 、 蘇 斌 の 五 絶 「食 日 ミ に藷 支 を 咳 ふ こ 嘉 枝 」 の後 半 に、 「日咳 蕩 支 三 百 頭 、 不 妨 長 作 嶺 南 人 」 (. 梅花 国裏藷枝村 梅花. 巻 二五) の前半を見よう 。. 『 を言う。 ついで七律 「 送林 子方直 閣秘書 将漕 間部 三首」 へ 其 二〉 ( 朝 天集』. か で 冷 た い水 。 「火 傘 」 は 、 強 い日差 し 。 一句 は 、 太 陽 が 堰 を 溶 か し た こ と. 北人 体を蔵 し て天之を奪 ひ. 寒批 に凍 り. 「 骨 格 」 は 、 骨 格 と 同 じ 。 「丁 香 」 は 、香 木 。 一句 は 、自 身 が 痩 せ てし ま っ た こ と を 言 う の であ ろう 。 彼 の 「 務 枝 堂 夕 眺 三首 」 へ 其 二〉 に は 、 「 病骨秋耀. 北人蔵泳 天奪之. 三危. 病骨 秋 に 耀せて暮清 に怯 ゆる に、涼風 愉 し 怯暮清、涼風愉帯 北風軽」 (. 『 南 海 集 』巻 一六 )は 、 一字 が 二字 に見 え 、 る と 言 う の であ る 。「夏 日 書 事 詩 」(. 顔記張燈作上元 頗 る記す燈を張り て上元を作 せしを. 国裏 注m)蕩枝 の村. は 、 いず れ も 藷 枝 の紅 色 に警 え た も の。 「三危 」 は 、 未 詳 。 「 寒流 L は、 清 ら. 「 鼻 」は 、今 の広 東 省 一帯 。「工 夫 」 は 、骨 折 り 、努 力 。「維 衣 朱 裳 紅 錦 包 」. 却与南人錨暑気 却 って南人 に与 へて暑気を鎗す. 白 髪 が多 く な って来 た こと を 嘆 き つ つ、 薦 枝 を つま ん で酒 を 飲 み 、 憂 いを 遣. 一別. 頻 り に蒙 る生 死 を 訪 ふ こと を. 一別 頻 蒙 訪 生 死. 七年. る詩 であ る 。 後 半 を 引 く 。. 七年 再見叙寒温. に、元宵節 の提灯 に書かれた文字 がま だ残 っているだ ろうと言う のであ る。 『 楊 万里 の詩 の最後 に、「 走筆謝吉守越判院 分銅三山嘉枝」( 退休集』巻 四○) を見 よう。 『 退休集』 は、 最晩年 の詩 を集 めたも の。 こ の詩 は、福 州 の越 吉. 再び見 ゑて寒温を叙 ぶ. 嘉子紅初搬 嘉 子 紅初 め て搬 み. 酔 ひ来 って愁 ひ 目 づ か ら 去 ら ん. 林 子方 が赴任す る福建 では、梅 の花 咲く都会 の近郊 の、嘉枝を植え た村 里. 酔 来 愁目 去. 去らざ るも亦た他 に従す. 春酷碧欲波 春酷 碧 にし て波だた んと欲す 不去亦従他. 『 南 海 集 』巻 二○ )を 引 こう 。 こ の詩 は 晩 夏 の帝 都 臨 安 ( 次 に 「蕩 枝 歌 L ( 断.

(11) . 吾州 五馬住闘 山 吾州 の五馬 間 山 に住 み. 守 が 務 枝 を 送 ってく れ た の に感 謝 し て いる 。. ら れ た 往 n)。 「陳 家 紫 」 は 、 福 建 産 の上 質 な 藷 枝 であ り 、 『 薦 枝 譜』 第 七 の. 下 流 の爵 江 と の合 流 点 に停 泊 し た と いう 記 録 が あ る 。 こ の詩 は 、 そ の時 に作. 西川紅錦無比色 南海 の緑羅. 西川 の紅錦 猶 ほ酸を帯 ぶ. 比色無 く. の であ る 。. 七. つ いで、 陸 源 の詩 を 見 よ う 。 陸 瀞 に は 、 詩 題 に の み 見 え るも のを 除 外 し て. 「間山 は 、鳥 石 山 。福 州 市 ( 福 建 省 ) の旧 城 内 の 西 南 にあ る 山 。九 仙 山 、 」 越 王 山 と 合 わ せ て 三山 と 称 す る 。「吾 州 」は 、未 詳 。「五 馬 」は 、太 守 の車 駕 。 転 じ て太 守 を 言 う 。 「西 川 」 は 、宋 の西 川 路 。 四 川 省 一帯 。治 所 は 成 都 にあ っ. 迎馬緑楊争払帽. 満街 の丹蕩. 迎馬. 銭を論 ぜず. 争 って帽を払 ふを. 却億初来尚少年 却 って億 ふ初 め て来るとき尚 ほ少年 にし て. 照らし得 て野人寒 ゆ. 浩 州 のよう な僻 地 に妃子園などと いう 果樹園は存在 しなか っただ ろう と言う. 冒頭 に挙げられ る陳紫と 同じも のであ ろう。楊貴妃 が こ の味を知 って いれば、. 甘露 落ち来 る鶏 子 の大 なるに. 分我 三山嘉子丹 我 に三山 の嘉 子 の丹きを 分か っ 甘露落 来鶏子大. 南海緑 羅猶帯酸 是れ今 年. 暁風凍作水晶団 暁風 凍り て作す水晶 の団な るを. 不是今年 天不暑 玉膚. 天暑からず んばあ らず. 玉膚照得 野人寒. た 。 こ の詩 の自 注 に、 「五 羊 嘉 子 、 上 上 者 名 緑 羅 。 予 嘗 間 濁 生 藷 三 歳 、 亦 嘗. 満街丹蕊 不論銭. も 、 「藷 枝 」 十 二例 、 「 嘉 子 」 四 例 、 「丹 為 」 五 例 が 見 ら れ る 径 迄)Qまず 、. 正. 広義、当 以間 為最。楊妃所愛 者 濁藷、亦小而酸ー 五羊嘉 子、上上な る者を 」(. 浮生. に間 を 以 て 最 と 為 す べ し 。 楊 妃 の愛 す る 所 の者 は 濁 務 、 亦. 興市)を 発ち、通判とし て十月 に萎州 ( 四川省奉節県) に着任し、 そ の後、. と詠 じられる。陸瀞は乾道六年 (: 七○) 閏五月 に故郷 の山陰 ( 断江省紹. 何れ の処か繋旅 に非ざ ら ん. 緑楊. 『 江漬池酔帰馬作」 ( 七律 「 剣南詩稿』巻 五) の後半 は、. 秋. 浮生何 処非鯖旅. と あ る。「五 羊 」は 、今 の広 東 省 広 州 市 。楊 万 里 の赴 任 地 。ま た 、こ の詩 は 『 瀕. 金と の最前線 に近 い南鄭 に赴き、さら に乾道 八年 の年末 には、安撫 司参議官. 緑羅と名づく。 予 閣 ・濁 の生藷を嘗 は ふこと 三歳、亦. 杢律髄』 巻 二十七 にも収 め られ、方 回 の評 に、「 此詩 三四非 親嘗生薦者、 不. と し て成都 に赴 任した。銭 仲聯 『 上海古籍出版社、 一九 八 剣南 詩稿校注』 (. ) 小 に し て酸 。. 広義を嘗は ふ、当. 藤 後. 此 の詩 の三 ・四 は 親 ら 生 燕 を 嘗 は ひ し 者 に非 ず んば 、悟 ら ざ る な り 。) 悟 也 。L(. 3 五 。注 1二. の成 都 の街頭 では、為枝 がはなはだ安価 に売 られ て いた のであ る 径 麓)。 七 『 四川省 律 「 高斎 小飲戯作」 ( 剣南 詩稿』巻六) は、淳醍型冗年十 二月、栄州 (. は 、 こ の詩 を 淳 購 元 年 (- -七 四) 六 月 の作 と し て い る 。 六 月. と 述 べ て いる。. 楊 万里と ほぼ同時代を生き た蒐成大 (: 二六 ー - -九三) にも蔦枝を詠 じ た 七 絶 、 「妃 子 園 」 があ る 。. 万里寛 やかな るを. 又発く鬼門関. 栄県)在 任中 の作。前半 四句を 引く。 露葉 風枝. 駅騎伝 へ. 露葉風枝駅騎伝. 梅花 又発鬼 門関 梅花. 一たび嬬然たり 華清. 坐覚春 風万里寛. 時 に酒を縦 にし. 天上. 華清 天上 一篤然. 当時 若 し陳家紫を識らば. 嘉 子陰 中時縦酒 義子 の陰中. 彊 ひて歓を追 ふ. 坐 るに覚 ゆ春風. 当時若 識陳家紫. 何処蛮村更有園 何れ の処か蛮村. 竹枝声裏彊追歓 竹枝 の声裏. 更 に園有 らん. 苑成大 の 『 呉 船 録 』 の七 月 十 四 日 の条 に、 浩 州 ( 四 川省 浩 陵 市 ) よ り や や. ,.

(12) . 「嘉枝」 札記 (承前). 「 鬼 門 関 L は 、 奉 節 県 の東 北 十 五 キ ロ に あ った 。 「嘉 子 」 と 言 う が 、 果 実 で は な く 、樹 木 を 言 う の であ ろう 。淳 醸豊ニ年 二月 、成 都 で の作 、 「錦 亭 」 (『 剣. 建安 ( 福建省建甑県) に赴 いた。次 に引く、七律 「 客意」 は、淳 鴎六年 六月 の作 であ る。後半を引く。. 龍熔. 更 に燕枝 の留む ると ころと為 る. 一たび嘗むれば端 に去く べき に. 晩億茶 甘作遠遊 晩 に茶 の甘きを億 ひて遠遊を作す. 早 に食 ふこと少 なき に因り て高臥を妨げ. 天公 我 が歯頬 の計を為 し 龍精 一嘗端 可去. 無心. 早因食少妨高臥. 天公為 我歯頬計 ぁ 黄 甘 と 丹蕩 と を 飲 か し む. 無心更為蕩枝留. 南 詩稿』 巻七)も 、 濁 の蕩枝を詠 ずる。 冒頭 の四句を引く。 遣 鉄黄 甘 与 丹藷. 又 狂眼 の老 いて更 に狂な るを憐れみ. 武夷山 に源を発す る建酪 ( 建渓) のほとり の建安 の茶は、特 に名 品と し て 方輿勝覧』巻十 一、建寧府 の 「 知 られ て いた。『 土産」の条 に、「 貢龍鳳等 茶。 」 ( 龍 鳳等 の茶を貢す。 )とあ る。 龍培も品種 の 一。建安 は、福建 の蕩 枝 の主. ゆ. 又憐狂眼老更狂 広陵 の持薬と濁 の海案とを看 せしむ. 普 通、嘉 枝は初 夏 に熟す る窪 祐)が、 こ の丹嘉 は、藷枝 が柑 橘類 と並 ん で 濁地 の名物 であ る ことを言う。淳無四年 六月、苑成大 が臨安 に帰 る のを送 っ. 要な産地 であ る福州 に近 いから、 ここでも心惹かれる良 い藷枝が産 した ので. まさ. 令看広陵持薬濁海業. 『 て眉州 ( 四川省眉山県)に到 ったとき の七律、「 剣南詩稿』巻 八) 眉州作」 ( 汀洲 漸く歎く顔花 の老 ゆるを. 放翁遊濁十年 回 放翁 濁 に遊 ぶこと十年 にし て回る. の後半 にも蓋枝 が見え る。 汀洲漸 歎義花老 風露 初め て嘗味は ふ嘉子 の新たな るを. 病 眼荘荘毎嬢開 病眼 だ蓬とし て毎 に開く に嬢 し. あ ろう。建安 には、黄 田 ( 福建省 黄田市)の藷枝が届けられ ることもあ った。 「 『 嘉子絶句」 二首 へ 其 二〉 ( 剣南詩稿』 巻 一一)を見 よう。. 風露初 嘗義 子新 便ち鯨 に騎り て東海 に去ら んと欲す るも. 怪底酒辺光 景別 怪 しむ底 ぞ酒辺 に光景別 ると. 一時 に来 る. つね. 便欲騎鯨東海去 勝遊 未だ峨眠 に別 るる に忍びず. 方 紅江緑 一時来 方紅 江緑. なん. 勝遊未 忍別峨眠. 眉 州 の 藷 枝 に つ い ては 、 苑 成 大 も 記 録 し て い る 径 焔)。 な か な か 濁 地 を 離 れ ら れ な か った 陸 涛 だ が 、淳 塵 五 年 二月 、成 都 を 離 れ る こと に な る 。万 州 ( 四. 雲巌)ま で下ると、濁地 の務枝 は、 回想 の 川省 万県市) のやや下流、下巌 (. 家 紅 」 の輝 き であ った と いう の であ る 往 賂)。 濁 地 の燕 枝 は 陸 海 にと って懐. 「方 紅 と 「江 緑 は 、 と も に 『 嘉 枝 譜 』 第 七 に見 え る。 『 蕩 枝 譜』 が 蒲 」 」 田産 のう ち 、 最 高 のも のと し て挙 げ る 「 陳 紫 」 に次 ぐ のが 「江 緑 」 と 「 方家 紅 」であ る。何 か 二種 類 のも のが 光 って いると い ぶ か し んだ ら 、「江 緑 」と 「 方. 対象とな ってくる。 下巌 には崖 に沿 って瑞光 閣があり、そ の前 に大きな藷枝 『 が 二本植え られ て いた 径豆 。七律 「 万州放船 過 下巌 小留」 ( 剣南 詩稿』 巻. 『 ( 江西省臨 川市) に赴任 し て いた淳席七年 四月 の作、 「 感旧」絶句 ( 剣南 詩. かし いも のであり、しば しば 回顧され る。江南 西路常平茶塩公事 と し て撫 州 四月 満旗 の風. 一○ ) の前 半 を 引 く 。 画船 四月満旗風 画船. 稿 』 巻 : ; は 、 次 のよ う に 言 う 。. 鵜黄酒辺緑燕枝 鵜黄. 飲 散じ勿勿とし て鶴首東す. 酔裏偏憐江水緑 酔裏 偏 へに憐む江水 の緑 なるを. 摩詞池上納涼時 摩詞 池上 納涼 の時. 飲散勿勿鶴首東. 意中己想藷枝紅 意 中 己 に想 ふ藷枝 の紅な るを. 凍紋 不画勝鷺女 凍執. 却得 江南白狩 辞 却 って帰す江南 白狩 の辞. 画かず勝鷺 の女. 酒辺 の緑蔦枝. 長江 の緑 の水を見 ると、す でに深紅 に色づ いた嘉枝 の実 が想像 され るので あ る。淳席 五年 (: 七八)冬、提挙福建常 平茶塩公事 に任 じられた陸瀞は、. u.

(13) . . 後 藤. 秋 正. 四川省宜賓市。 「 摩 詞池」 は、成都 の西 にあ った。権 通判 易州事 であ った陸. 酒名。緑藷 枝 は殺州 より出づ。)と 言う。広漢 は、 四川省 広漢市。銭州 は、. こ の詩 の自注 には、「 鵜 黄、広漠酒名。緑藷枝 出鍍 州。 鶏黄 は、広漢 の 」(. 同在輔 村折蕊支. 傷心忽入西蜜夢. 同 に輔村 に在り て蕩支を折 る. 傷心 忽ち入 る西宙 の夢. 尉曹詩酒楽新知 尉曹 詩 酒 新知を楽 しむ. 白鶴峯前試吏時 白鶴 峯前 吏を試 みし時. 『 ○ 五)秋、郷里 の山陰 での作と し て 銭注』 は、 この詩を開蒋 元年 (: -. 瀞 は 、 乾 道 九 年 (: 七 三) 春 、 こ こ を 訪 れ て いる 。 「 体 歌 」 は 、 薄 い白 絹 詠 扇 」を 踏 ま え て いる。. いる 。 「 白 鶴 峯 」 は 、 曾 幾 の詩 にも 見 え た 。 「 嶋 村 」 は 、 寧 徳 県 の近 郊 にあ っ. を 張 った 扇 。 一句 は 、江 掩 「雑 体 詩 」中 の 「班 捷 好. 末句 は、納涼 の宴 に侍 った妓女 が、懐 かし い江南 の歌曲を書 いた ことを言う。. 東楼 誰 か記す春碧を 傾け しを. 道院雑 興」へ 其 三〉 た村 であ ろう。朱景参と の交際 は、この年 の冬 の作 であ る 「 東楼誰記傾春碧. 陸 海 にと って、 濁 地 は 印 象 に 深 く 刻 ま れ た も の ら し い 径 鯵)。 淳 暇 八 年 夏 、. 億 ふ昔. 北嶺 空 しく思ふ晩紅を壁き しを. 、そ の領聯には次 のよう に言う 。 でも 回顧され ており 窪 鴻). 憶昔浮江発剣南 夕陽 船尾 毎 に相 ひ街む. 北嶺空思壁晩紅. 『 億昔」 ( 断江省紹興市) に帰 っての作 「 剣南詩稿』巻 一三) で 故郷 の山陰 ( も、 濁地をな つか しむ気持ちを吐露 し て いる。前半 四句を引く。 夕陽船尾毎 相街 楠陰 暗き処 高寺を尋ね. 江 に浮び て剣南 より発 し. 楠陰暗処尋高寺. それぞ れ の句 には自注 があ って、 「 鍍州 、蓋 古戎 州也 。有東楼。 厨醍 本名 鍍州は、蓋し古 への戎州 なり。東楼有り。厨醍 本 重碧、苑至能易春碧。 」( )、 「 北嶺在福 州。 予少時与友 人朱 景 と重碧 と名づ く、苑 至能 春碧 に易 ふ。 北嶺 は福 州 に在 り。 予 少き 時 参 会嶺 下僧舎。 時 秋 晩、義 子独晩 紅在。 」( )と 友 人朱 景参と嶺 下 の僧舎 に会す。時 に秋晩、義 子 独 り晩 紅在 る のみ。. 下巌 に宿す 嘉子 紅な る時 1. )と 高寺 は漉州 に在 り、 下巌 は雲安 軍 に在 り。 寺在 漉州、 下巌 在雲安 軍。 L(. 晩紅」 は、 遅 言 う 。 「春 碧 」 は 、 春 に醸 さ れ た 酒 の名 。 苑 至 能 は 、 苑 成 大 。 「. 務子紅時宿 下巌. 言う。実際 に下巌を通 ったとき には紅色 に色づく姿を想像した のみであ った. 宴戎 州楊 使君東楼」 詩 に、 「 軽 くま で実 って いた藷枝 の実。 一句 は、杜甫 「. 騎を馳せ て遠く 丹蕩を分かち て到 る. ○八) 二月、陸涛は名目 のみ の官職 であ る宝諜 閣待 制 いる。嘉定 元年 (: - と し て俸給 の半額を支給 され て いたが、これを剥奪 される。そ の夏 の作 、「 夜. 「下 巌 」 は 、 「万 州 放 船 過 下 巌 小 留 」 に見 え て いた 。 こ の詩 の自 注 に、 「 高. が、 追 憶 の中 の薦 枝 は 既 に は っき り と 色 づ い て いる の であ る 。 慶 元 五年 (-. 紅壁慕枝」 とあ る のを踏まえ る。 この詩 にお いても壮年期 の体験と蕩枝 が密. 馳騎遠分 丹蕩到. 大盆 寒 に浸 し て碧 瓜香 る. 接 に結 び つ い て いる。 蕩 枝 は 、 ご く 晩 年 に近 い時 期 に な っても 陸 海 を 慰 め て. -九九)夏、前年 に致仕 し て郷里 にあ った陸瀞 のもと に蕩枝と瓜が届けられ 『 逃暑小飲熟睡至暮」 ( た。七律 「 剣南詩稿』 巻 三九) の後半を引く。 大盆寒浸碧 瓜香. 坐小飲L は 、 次 のよ う に詠 じ ら れ る。. 零落 せし椀花 巳 に溝 に満ち. 湖辺 誰か謂 ふ幽居隠しと. 零落梶花 己満溝. 湖辺誰謂幽居雁. 也愛 逼迫夏 日長 也た愛す逼迫と し て夏日 の長きを. 甘寒. 遠致を労 し. 又 見 る 一番 の秋. 水輪有轍凌空上 体輪 轍有り空を凌ぎ て上り. 江湖. 福建 ま た、蕩枝 は、紹 興 二十 八年 (: 五八)、 三十 四歳 で福州寧徳県 ( 予 省寧徳市) の主簿となり、初め て出 仕 した時 の体 験とも 結び つく。七絶 「. 銀漢無坐戸接地流 銀漢 声無 く地 に接 し て流 る. 江湖又見 一番秋. 初仕為寧徳県主簿而朱孝聞景参作尉情好甚篤後十余年景参下世今又幾四十年. 丹務甘寒労遠致. 丹義. 忽夢見之若平生覚而感歎不己Lを見よう 。. 2 1.

(14) . ) . 一段. 公事閑なり. 詩中 一段閑公事 詩中. 玉酷 醇例喜新頻. 幸 不妨人喫務枝 幸 ひにも 人 の蔦枝を喫す るを妨げず. 玉酷 醇例 新範 を喜 ぶ. 移床坐対 西南電 床を移し坐し て対 ふ西南 の電. 新 城 」 は 、 酒 の糟 を のは 新 鮮 な も のだ った の であ ろう 。 「玉 酷 」 は 、 美 酒 。 「. や か な さ ま 。 「遠 致 」 は 、 遠 方 か ら も た ら さ れ る 。 こ の時 、 陸 瀞 が 味 わ った. 甘寒」 は、 甘く て冷 や 赤 く熟 した藷枝 が遠方 から届けら れた のであ る。 「. 旅し て いた時 の作品 であ ろう。南宋滅亡ととも に北方 に連行 された経験 をも. 船 の鼓声 が聞 こえ なくな ってから次 の船を出す ことを言う。戴復古 が嶺南を. とあ る。急流 で船が衝突す る恐れ のあ る時、船を出すとき に鼓を打ち、前 の. 鼓を打ち船を発す何の郡郎ぞ) 塩を負ひ井を出づ此の渓女、 打鼓発船何郡郎」(. 「 其 二〉の鎖聯 に、「 打鼓」は、杜甫 「 十 二月 一日三首」 へ 負 塩出井此渓女 、. 漉 す 、 す の こ。 薦 枝 が 酒 の肴 にな った こと は 、 し ば しば 見 ら れ た 。 こ の詩 の. 漉州」 つ注 元量 ( 生没年未詳)が霧地を旅したとき の詩 にも、嘉枝 が見え る。「. 好雨 心 に知 る求む るを待 たざ るを. 『 送邪郷甫 入間」二首 へ 其 二〉 ( のち、最晩年 の嘉定 二年夏 の作、「 剣南詩稿』. 『 水雲詩秒も の最後 の四句は、次 のよう に詠 じられ る。 (. 好雨心知 不待求. 巻 八 二) に、燕枝 が登場す るのが最後とな る。 想見臨傷為破顔 此 の外. 想見す筋 に臨 んで破顔を為すを. 1長官相見後 1. 0 1山庭藷 己疏. 9野沼荷将尽. 長官 相 ひ見 て後. 山庭 藷. 野沼 荷. 己 に疏なり. 将 に尽き んと し て. 君行正及蕩枝丹 君 の行 くや正 に藷枝 の丹き に及ば んとす 此外但宜烹着雪. 但だ宜 しく着 雪を烹 る べし. 傷生不用壁蟻山 生を傷 んで蟻 山を 撃くを用 ゐず m 縦興中. 戎州 第 一の奇. 戎 州 五首 L へ 其 二〉 は 、 蕩 枝 の見 事 な 実 を 詠 ず る。 る。 ま た 、 七 絶 「. 2 1置酒析鯨魚 酒を置き 鯨魚を祈る 四川省漉州市) の藷枝 の実は、まば らだ った のであ 夏 の終り には、櫨州 (. 「 蟻山L は、 山と 積ま れた牡 蝿. 五律 着雪」 は、建安 の名 茶。 「. 予初仕為寧徳主簿与同官飲酒食蝿房甚楽後五十年有鋼此味者感歎有賦酒海者. ( 櫨. 碗. 錦蕩戎州第 一奇 錦蕩. 大如難 子圧枝垂 大な る こと錐子 の如く枝を 圧し て垂 る. 腐 昔 領閑、 同寮 飛酒海、小吏 肇嫁山」 (. 金刀勢 下三千穎 金 刀 勢り 下 ろす. 客馬労人事 己灰 客馬. 復た使 人 の来 る無し. 人を労す るは事. 己 に灰び 長安無復使 人来 長安. 満園蒸蔚千千樹 満 園 蒸蔚 たり千千 の樹. 尽是楊妃死後栽 尽く是れ楊妃 死後の栽. 高低 満穎 種く. 歳収 百斜足生涯 歳ミ 百鮮を収 め て生涯 足 る. 錦樹高低種満穎 錦樹. ほろ. と 、 黄 庭 堅 の姿 が あ った 。 〈 其 三〉 と へ 其 四〉 も 見 て お こう 。. 戎州 の務枝 は、しば しば詠 じられ ていた。注元量 の脳裏 にも楊貴妃 の故事. 三千穎. 閑なり、 同寮は酒海を飛ばし、小吏 は嫌 山を壁く)とあ る。若 い友 人、邪 洪. 対客従容把酒屋 客 に対ひ て従容と して酒尼を把 る. 恰如江上阻風時 恰も 江上 風 に阻ま るる時 の如し. 侃文斎 詠物 詩選』 など によ って、陸海以後 宋代 の藷枝 の用例 の最後 に、 『 趨 の詩人 に ついて簡単 に見 てお こう。戴復古 (--六七 ー 一二四八?) の 「 『 石扉詩紗』)を見よう。 書事 」 ( 景賢送藷枝」 は、既 に引 いた。七絶 「 打鼓行船未有期 打鼓 行船 未だ期有らず. 八. の福建 への赴任を見送 った時 にも、自身 の壮年期 が想起された であ ろう。. 『 昔 仕間江 日、 民淳 簿 剣南 詩稿』 巻 六四) に、 「 大勧盃容 一升当 時所尚也 ( 」 間江 に仕 へし 日、民 淳 にし て簿 領. 「蕩枝一 札記 (承前).

(15) . . 後 藤 秋 正. 八銭買得 一斤重 魯直 の詩中 特地 に誇 る. 八銭 買 ひ得たり 一斤 の重きを. 魯直詩中特地誇 「特 地 は 、 特 別 、 こ と の ほ か 。 「 魯 直 」 は 、 黄 庭 堅 の字 。 黄 庭 堅 の戎 州 」. 安置在任中 の詩はす でに見た。. 九 こ のよ う に見 てく る と 、 宋 代 に お い ては 、 務 枝 と 楊 貴 妃 の関 わ り は 、 時 に. 想起 されると は い っても、 歴史 の後景 に退 いた感 があ る。また、詩人が実際 に務枝を 目 にし て味わう機会 が増え たためか、蔦枝 の個 別 の品種 に言及 され ること が多 くな って いる。 そ のよう な関心 の最大 の所産 が務枝 に つい ての専 著 の登場 であ ろう。唐代 にも白 居易 の 「 蕩枝 図序」 があ ったが、 これは 四川 忠州 の藷枝を対象としたも のであ った。 これに対 し て、薬裏 の 「 嘉枝譜」と 曾葦 の 「 薦枝録」 は、とも に福建 の蕩枝を対象と し て いる。 四川 の藷枝 にも 上質 のも のがあ ったようだが、詩人たち の認識は福建産を第 一とす ること に ほ ぼ 一致 し て いる。 ま た 、 各 詩 人 に つ い て見 れ ば 、 嘉 枝 を 自 由 自 在 に詠 じ て. いると言え よう 。文同 の詩は、蔦枝 に狂喜す る子どもを詠 じた ユー モアあ ふ れる作品 であ った。蘇斌 にと って藷枝 は、 郷里を象徴す るも のであ ると同時 に、左 遷地 におけ る大き な慰 め にな って いた。 「 不辞 長作嶺南 人」 の句 は、 ど んな境遇 にあ ろう とも、平静 さを失うま いとす る彼 の精神をよく表 現し得 て いる。黄庭 堅は同じく左遷 の境遇 にあ って、杜甫 の詩 に共感を寄 せ て いた。 陸海 におけ る蕩枝 は、郷里 に帰 った後 の無柳を慰め てると いう側面を持 ち つ つ、 一方 では壮年期 の記憶 と密接 に結び ついて いる。特 に、金と対蒔す る最 前線 であ る濁地 に赴任した、活力あ ふれ て行動 し て いた頃 の追憶とは切り離 せな いと言え よう。. 注. こ の文 章 は 、 『 旧 唐 書』 には な い。 李肇 『 唐 国 史 補』 には、 南 海 の務 枝 が 運 ば れ た こ. と が 見え て いる。. 1. 2 『 詳注』杜修可注引 『 唐史遺事』 に、「 乾元初、明皇幸濁而回、嶺南進鳶枝、上感念 楊妃、 不覚悲 働。 ( 乾 元 の初 め、明皇 濁 に幸 し て回 るに、嶺南 薦枝を進む、 上 」 楊妃を感念し、覚えず悲働す。 )とある。 3 続国訳漢文大成 『 蘇東城詩集』は、「 嘉子」 の 「 字解」 に、韓愈 の 「 羅池廟碑」を弓. いて、 「 間 越 に多 く 産 す る 果 物 」 と 言う が 、 こ こは 濁 の地 でも 嘉 枝 が栽 培 さ れ て いた こ と を 言 う べき であ る。. 4 前掲 『 嘉 子 の花 は 燃 ゆ る が 如 く であ る。」 と 解 す る が 、 蘇 就 が 清 蘇 東 波 詩 集』 は 、 「. 、開花 の時期 遠県を通 った のは九 であり ( 蘇戯 に 「 十 二日、 恵 初 到 詩がある) 月 月 州 」 ではな い。また、藷枝 の花 に ついて、 『 福建特産風味指南」 ( 福建科学技術出版社、 一 。 九八五)は、「 花似木犀、淡黄色、微香。 」と いう 赤や紅 ではな い。. ママ. 5 中島 敦 の南 洋 群 島 滞 在 中 の作 品 「風物 抄 V ロタ」は 、蘇 戦 の こ の詩 を 引 用 し つ つ、 以 下 のよ う に言 う 。 「 宿 舎 と し てあ てが は れ た家 の入 口 に、 珍 し く 薦 枝 の実 が 熟 し ては. ぜてゐる。裏 には レモンの花が匂 ふ。門外橋花猶的蝶、懸頭義子己欄斑、と いふのは 蘇東波 ( 彼は南方 へ流された)だが、丁度そ っくり其 の儀 の情景 であ る。但し、昔 の. 支 那 人 の いふ嘉 枝 と 我 々 の呼 ぶ藷 枝 と 、 同 じも のか ど う か 、 そ れ は知 ら な い。」. があ る。 こ こ に、 〈 其 二〉 と 自 注 を 引 いてお こう 。 「玉 潤 氷 清 不受 塵 、仙 衣 裁 勢 羅 紗 新 、. 6 曾輩 (一〇 一九ー 一〇八三)に、福州 の藷枝を詠じた 「 蕩支 四首」衛元豊類藁」巻八). 千門万戸誰曾得、只有昭陽第 一人」 ( 玉潤氷清 塵を受けず、仙衣 裁勢して羅紗新た 。自注 「 なり、千門 万戸 誰か曾 て得ん、只だ有り昭陽 第 一の人) 白楽天詠義支詩. 甘 酸 な る こと. 五、津液甘酸如醒酪。杜工部詩云、紅穎酸甜砥自知。此皆 巴濁務枝而巳、不知間越姦 一 枝酸也。 白楽 天 の蕩支を詠ず る詩 に云ふ、津液 甘酸な ること畦酪 の如しと。杜 工 」( 部 の詩 に云ふ、紅顎 酸甜 紙だ自づから知ると。此れ 皆 巴濁 の薦枝 のみ、 闘越 の嘉枝 の酸なるを知らざ るなりなり。 ). 白 楽 天 の詩 と いう のは、 「 務 枝 図序」 中 の 「 柴 液 甘 酸 如 醸 酪 。」 ( 髪液. 酸甜. 紙 だ 自 づ か ら 知 る) を 指 す 。 た だ し 、 間 の慕 枝 が す べ て 「 酸」 だ と す る の. 醒酪 の如し。 )を、杜甫 の詩句は、「 解悶十二首」へ 其十〉の結句、「 紅顎酸甜横自知」( 紅 顎. は臆断であ ろう。. 7 間 に赴任す る者を送 る詩 にお いては、しばしば蕩枝が登場す る。黄庭堅 の 「 送曹子 方福建路運粗兼簡運使張仲謀」詩もそう であり、また、蘇試 の 「 送曹輔赴間漕」詩は、. 4 1.

(16) . 前 係 「務枝一 札記 (承前). 以下のよう に薦枝 に言及する。三 従嘉支食、畳念菖稽盤、我亦江海人、市朝非所安」(一 たび嘉支 の食 に従はば、豊 に曹稽 の盤を念はん、我も亦 江海 の人、市朝は安 んずる 所 に非ず) 、 「 『 び 「 8 に 方 回 六 言 の 評 く 嘉 子 詩 及 言 は 珍 版 書 本 山 集 に は 見 引 七 粟 叢 茶 当 』 」 L 『 らな い。ただし、このほか、七律 「 寄泉南守緒表之」( 茶山集』巻五)の領聯には、「 香 来海外沈煙碧、果熱林間嘉子紅」 ( 香り来 って海外 沈煙碧 に、果熟して林間 嘉子紅 なり)とあり、七律 「 送李似挙尚書帥桂州 二首」 へ 同) の類聯には、「 其▽ ( 親嘗嘉子 親ら嘉子を嘗はふ薫風 の浦、静かに梅花 に対 ふ小雪の村) 薫風浦、静対梅花小雪村」 ( 食 楊 梅 三首」 へ と あ る。 ま た 、 七 絶 「 其 一〉 の転 ・結句 に、「 風味十分如嘉子、何妨盛. 『 南海集』 は、淳無六年 (= 七九)から同九年 にかけ ての、広東 に赴任中 の作品. あ る。. 著終紗嚢」 ( 風味 十分にして嘉子 の如し、何ぞ妨げ ん盛 んに緯紗 の嚢を著くるを)と 9 を 収 め たも の。 「国裏 」 は、 一に 「園裏 」 に作 る。. m. 1 原文は以下の通り。小 環樹訳 『 呉船録』 ( 養徳社、 一九四七) の訳文を付す。内容 川 1 は、詩意とほぼ重なる。「 目眉嘉至此、皆産藷枝。唐以浩州任貢、楊太真所暗、去州数. し な ん だ も の であ って、 州 を さ る数 里 のと こ ろ に 妃 子 園 と いふ の が あ る。 し か し 実. 里有妃子園。然其品実不高。今天下藷枝、当以間中為第 一。間中又以黄 田陳家紫為最、 川広蕩枝子生時、固有厚味多液者、乾之肉皆藩。間産則否。 ( 眉州 ・嘉州から此処ま 」 でず っと藷枝を産するが、唐代 には浩州 の貢ぎ物と定められ、楊太真 ( 楊貴妃) のた. に至 らざ る者 な り 。 成 都. 山無 く 、亦. 蕩 支 無 し。 蘇 黄 門 の詩 に云 ふ、 『 濁 中 の藷 支 は. 繋州 に出づ、其 の余及び眉は半ば有るや不や。 』と。蓋し眉 の彰山県に己に蕩支無し、 況んや成都をや。 )と いう記事を引き、「 拠此、則此詩云 『 満街丹蕩』、蓋販者自他地、 而非成都本地之産也。 此れに拠れば、則ち此 の詩 に云 ふ 『 満街 の丹務』とは、蓋し 」(. 販す る者 は 他 の地 より す 、成 都 本 地 の産 には非 ざ るな り 。)と 述 べ て いる。「張 文 昌 」は 、. 張籍 ( 蘇黄門詩」は、蘇轍 「 七六八ー八三0?)、「 奉同子階務支歎」を指す。張籍 の 詩に ついては、拙稿 「『 嘉枝』札記 ー醜晋南北朝から唐代ま でー」( 本学紀要、 一九九七 ・ 八)を参照。蘇轍 の詩は、本稿で触れた。. 5 『 合江鳶枝L には、「 四川特産風味指南』 ( 四川人民出版社、 一九八四) の 「 所産薦 1 枝品種繁多、有大紅砲、妃子笑、楠木葉、緯紗蘭等。:;:毎年六月下旬至七月上旬成熟。. ::・ 楠木 葉 蕩枝 、 ・ 七 月 中 旬 成 熟 。 と あ る。 」 6 淳 廠凶 年 辛 巳 ( 1 に引 いた 小 川 訳 『 六 月 一三 日)の条 に、次 のよう にあ る。注 1 呉 船 録』 1. の訳文を付す。「 嘉子巳過、郡中猶余 一株皆如渥丹尽欄、以見鏑。偶有両梓留館中経宿. け た のが あ る の で、 そ れ を 取 ってす ・め ら れ た 。 そ のう ち 二 皿だ け 館 中 に の こ って ゐ. 取視緑葉紅実泰然、乃知尋常用藍絡盛貯徒欲透風、不知為雨露活綴風日炎薄、経宿色 香都変≧ ( 燕子 の季節も終わ ったが、州庁の中 に 一本だけまだ朱 のやう に赤 い実を つ. た の が 一夜 す ぎ ても 葉 の青 さ 実 の紅 、 色 あ ざ や か であ る のを 視 て、 ふ つう 藍 の 中 に. た く は へる のは 風 通 し が い ・やう にと す る の であ るけ れ ど も 反 って雨 露 にう る ほ さ れ. 日 に さ ら さ れ るた め に 一夜 で色 も 香 も 失 せ る こと を 悟 り 得 た。)陸 瀞 の味 わ った薦 枝 も 、. 大義枝両株、交河蔽映。入濁道、至此始見蕩枝ー ( 閣 のま へに大きな薦枝 の木が 二ほ. 摘 み取 った ば かり のも のだ った にせ よ、 や や盛 り を 過 ぎ たも のだ った はず であ る 。 7 『 呉 船 録』、 甲 寅 ( 七 月 一七 日) の条 を 引 いてお く 。 同 じ く 小 川 訳 を 付 す 。 「閣 前 有 1. んあ って、 枝 を さ し か は し、 こ んも り と 茂 って ゐ る。 私 は 東 か ら 濁 に 入 る道 中 こ ・で. 際は格別上等 ではな い。今 日では 間中 ( 福建)産 の蕩枝を天下第 一とすべき であらう。 間中 でも蒲田県 の陳家紫が最上 であ って、四川 ・広東 ・広西の薦枝は実 のなま のあひ. 始めて藷枝を見たのであ った。 ). 「 藷 陽 鏑 蕩 子」 詩 でも 、 黄 田 の藷 枝 が 送 ら れ た こと か ら、 濁 地 を 回 顧 し た こと を 以. 両 極 と し、 四 川 に いた こ ろ への回 想 、 つま り 働 き ざ か り の精 力 を 思 い のま ま に発 散 で. で続 く 。 :::そ の間 を 通 じ て、 か れ の詩 は、 憂 国 の情 熱 と 清 澄 な 隠 遁 生 活 の楽 し み を. 江駅 山程 日夜馳せ、鋳寵 初め て掠く に露猶ほ 滋 ふ、星種 鞍玉 奇品 姦枝」 ( と難 、終 に億 も ふ 戎 の 緑 枝 ) 州 藷 、 濁漢 ( 9 剣南詩稿』巻六四) の冒頭には、「 億昔遠遊濁漢間、辰腰五十尚 」 『 1 例えば 「 朱顔」 ( 億ふ昔 濁漢 の間に巡遊せしを、腰屡たる五十 尚ほ朱顔)とある。前野直彬 『 陸瀞』 ( 集英社、 一九六四。 一二 一頁)は、「 浪人生活は淳塵八年から十 三年 の春ま. 下のよう に詠ずる。「 江駅山程日夜馳、鋳寵初孫露猶滋、星巷鱗玉難奇品、終憶戎州緑. 8 1. いふ こと が無 い。) 陸瀞 『 嘉 枝 」「 蕩 支 」「嘉 子」「丹藷 」な ど の語蕪 を 検 索 す る にあ た っ 剣 南 詩稿 』中 の 「. だ は味 よ く 汁 気 の お ぽ いのも あ る が、 ほ し てしま ふと 肉 が やせ る。 間 産 のも のは さう 2 1. 銭注』 と略す 。 以 下、 陸 海 の詩 の引 用と 制 作 年 次 は これ に拠り 、 『. スに基 づ く資 料 の提 供 を受 け た 。. ては、吉備国際大学の小田美和子氏から、氏 の作成し て いる 『 剣南詩稿』 データベー 篇. 、 、 、 、 、新 、 4 「 「 『 『 『 『 ‐ 『 『 陸 注』 は は、 陸 の の 曲 曲 海 海 農 庵 庵 筆 筆 記 記 巻 巻 五 五 云 江 張 張 文 文 成 成 云 銭′ 注 老 学 錦 近 西 煙 水 緑 昌 昌 都 』 1 、 雨山頭薦支熱。万里橋辺多酒家、遊人愛向誰家宿。 』此未嘗至成都者也。成都無山 亦 無姦支。蘇黄門詩云、『 濁中藷支出嘉州、其余及眉半有不。 』蓋眉之彰山県巳無藷支炎、 況成都乎。 張文昌 の成都曲 に云ふ、『 錦江 近西 煙水緑 に、新雨 山頭 藷支熟す。 」( もつば お 万里 橋辺 酒家多し、遊人 愛 ら誰が家 に向 いてか宿す。 』と。此れ未だ嘗 て成都. 5 1.

(17) . 正 秋 藤 後. きた、再び帰らぬはなやかな時代をな つかしむ気持ちと、老境 には いった現在 への悲 、 嘆とを交錯させながら、大きく揺れ動く。 」と指摘している。ただし 成都時代をな つ かしむ感情が起 こる時期は、もう少し遡れるだ ろう。 、「 、「 0 『 朱 と れ 鷺 参 の 交 は 青 案 九 遊 玉 ( 漕 文 集 巻 四 ) で も 回 さ て お り 詞 南 顧 小 槽 2 」 」 紅酒、晩香丹蕩、記取蛮江上。 ) 小槽 の紅酒、晩香 の丹務、蛮江の上に取るを記す。 」( と言う。. 〔 付記 一〕 本稿は、宋詩中 に詠じられる務枝 の梗概を記したにすぎな い。以下、本稿 で取り上 げられなか った、 『 宋詩秒』 ( 中華書局、 一九八六)所載 の詩 のうち、蕩枝に関す る詩 題を有するも のを管見 の範囲で挙げ ておく。 韓 維 「 謝送妃子園務枝」 『 南陽集砂』 五五八頁 明水逢老以黄甘嘉子土芋 孫 観 「 詩答謝」 『 鴻慶集砂』 一四三二頁 為 鏑 小 張元幹 「 藤川帰来集秒』 -四六六頁 叔易三呉帰同赴竹蕎嘉子之集 二首」 『 後村詩砂』 二五六; 頁 劉克荘 「 和南塘食務歎」 『 同 右 「 後村集補妙』三五四〇頁 寡枝巌 『 」 斎田雑詩十首」 『 龍雲集妙』 三三 一六頁 劉 弁 「 桝欄集紗」 三三八八頁 部 粛 「 風雨損嘉子」 『 嘉子歌」 『 劉子擬 「 帰山集砂」 三四二七頁 黄公度 「 知稼翁集補秒」 三五三七頁 和宋永兄詠養子用東城刑字韻」 『. 〔 付記二〕 、 ぶどう ・ぶどう酒」札記 ー漢翻晋南北朝期から宋代 注2 1に記したよう に 前稿 「『 ま でー ( 北海道教育大学紀要第 一部A、第四七巻 一号、 一九九六 ・八)に引き続 いて、 」 膨大な陸瀞 『 剣南詩稿」中から、蕩枝 に関する用例を取り上げることができた のは、 ひとえ に吉備国際大学 の小田美和子氏 の御高配による。改めてここに記し、謝意を表 す る。.

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