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明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響

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Academic year: 2021

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(1)Title. 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. Author(s). 斎藤, 祥子. Citation. 北海道教育大学紀要. 第二部. C, 家庭・養護・体育編, 36(2): 37-49. Issue Date. 1986-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/6642. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . ) 第3 6巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第2部C. i Se i l i i t IC)Vo t i doUn t on( c onl lofHokka r s ve Jou yofEduca rna ,36 ,2 ,No. 昭和61年3月. Mar 86 ch ,19. 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 子 祥 藤 斎 北海道教育大学函館分校家政教室. Thelnfluence ofthe Dress Regulation iod i iPer i formsinthe Me i on the W earing of E1ementary SchooI Un sachiko sAITO ion ive i i do Un t rs Laboratory of Home Economi cs y ofEducat , ,Hokka Hakodat e040. Abstraet. i ipe iod was i i r oni nthe Me ideredinthi at lhavecons ng dressregul s paper how the bindi 1 i fl forms thregardtothe Wearing ofe1ementary schooluni enforced wi ,through ananaysso ). i lothesrequ ion leducat l )thec i redto be tabl 1 [ lentofe ementaryschoo the process ofthees sh・ ,2 d di i i b d i i i dh h M T f h l e ntothree i h t s e e n v land3)t enatureo sc oo evens wornatschoo . e e pero a ter lns .. ights l lus i rtfor l lowingconc na(adividedski eeveandhakan lhavecometothefo ons .Thet lpoint of iona ’sfornnal wear or a eatedski rom afunct rtfora woman) wereadoptedf man. i i f f li t h f i l il it,af i i f d d t ect on,thr view,ontheotherhand , ,asexpress on o e uca ona eassuc as a pey t t i i l i l t d ff c o o n r e r u e r s w o n v l l n e x r e s s o ma e i n a s a o e i t & e a t g o u r a t c p g, respec,snce ry , oya y l te eand iped partterns whi lashed ors t loth wi edeepblue thsp r orcashmere c ,purpl ,black,whi marooncameto beused as colors,. ional ion & rat ‐ l i zat Theresultoftheconf ctbetweenthedressregulationaimingat moderni l l i i b h i t d u c s n e r a e e i d d e r o n s c o u s n s s n h r e n n o e n c amo g i p i i izat ion dur M g ng t e ei pero an p iminated i bedabove l finthes scr tyl chdi fes t deredto have mani tedi eofdressdescr i se cons ,whi. l l fl l l , between ma l tweenjapaneseandEuropean modes e eandfemal ,and wasfu o oca coor ,be. 1, は じ め に. 明治時代は, 封建的秩序の 解体と資本主義社 会の開幕でむかえられ, 日本の立ち遅れを克服すべ くとられた 「近代化」 政策は, 各方面 で推進された. すなわち欧米先進諸国の文化, 政治, 経済, (1).

(3) . 38. 斉. 藤. 祥. 子. 軍事, 医療, 教育等の各分 野にわたって知識, 技術の習得を急務とし, 諸法規を整備し, 加えて欧 米の生活様式を積極的に移入した. これらは, 我国の伝統的, 習慣的に続けられてきた生活様式に 大きな影響を与えた. まず外観上, 服飾に現われてくる. その顕著なものとして服制を確立し, そ れによる軍人, 官吏, 中等教育以上の男女の洋服制服着装の成立があげられる. しかしながら服制 によ って 一般社会人や子供の服装を急激に変えることは 難しか った.. およそ服飾変遷の誘因には, 気候の強制, 文明の移行, 政治の変革, 経済の変転, 法規の統制, }があげられ そ 宗教との関係, 思潮の反映, 戦乱, 和平の影響, 科学, 技術の影響, 実生活の誘導5 ,. れが複合して着装を変えていく. 明治期には, とりわけ服制の影響が強いことに注目し, 一般に服 制は難しいとされる 児童服を対象に, 服制の影響の実態をみようとした. そこで今回, 政府が, 明治5年, 大政官布告をもっ て 「厚クカラ小学校ニ可用事」 として力を入 れた小学校教育の成立と共に, 生徒の着装に変化が見られる事に 着目し, これをとりあげる事にし た.. 小学校校服の変遷は, 子供の日常服の変遷の側面としてとらえることも出来, また保護者である 一般成人の当時の服装観もかかわってくると考えられる. 小学校校服の変遷について, 先行論文 があり, 明治期の地方における校服の形態の変遷が, 参考文献2 ) 2 1 ) 1 8 ) 2 2 ) 3 実態調査により明らかにされている. しかし, 教育の普及に伴なって出された服制と, 服飾変遷の. 諸誘因とのかかわりを中心として, 小学校校服の着装の変遷をとらえた研究はない. 本論文 では,近代国家体制の実現を急ぐ政府の出した数多くの法令の中でも少ない服制について,. 明治期における強い拘束力を持つ法令が, 小学校校服に直接, 間接に与えた影響をとりあげた. し か し, 国民各層の子弟を有する小学校校服において, 法の下での一律化は難かしいが, 公的機関か ら発布された服制の基盤とその影響が, 他の誘因をともなって着装に どのような形となって現われ てきたかを, 1) 小学校教育成立の過程, 2 ) 通学服の場合 3 ) 学校行事の場合から, 教育 史,. 学校史を資料として, 小学校校服変遷の時期を, 服制の現われる1 9年迄を前期, 目指されていた教 育理念, 方針, 目標, 人間像の方向がほぼ定まっ てきたと思われる就学率90%に達した35年(日本 帝国文部省第三十年報) ま でを中期, 以降を後期と3期に分け, 明らかに していっ た.. 1 1 . 小学校教育成立の過程 明治5年8月, 明治政府は「学制」を布き, 「階級観念」 , 「男女差別」を否定, 児童の「義務就学」 の方針を打ち出し, 近代教育制度の基礎を築こうとした, 一方, 福沢諭吉は『学問のすすめ』によ っ て, 資本主義競争社会の原理を述べ, 社会的地位と学問を結びつけた. そこで, 政府の勧学主義, 民間側の立身出世主義が成立する. 以後児童の生活には, 学校生活が重要な位置を占めるようにな. り児童の日常的, 体験的生活感覚に基づく知識や生活行動に, 客観的知識や思考と国家主義的行動 様式の影響が反映されていくようになる.. 初期の教育内容について文部省は, 西欧文物の摂取を急ぎ, 指定教科書に, 翻訳書を用い, 近代 国家に見合うよう努めた. その中で, 文明開花の流れは, 自由民権運動に変わり,1 0年代, 政府は,. 国家的取締まりを強化する教育方針に変える, 「教学大旨」 (明治12年) の公布により, 「学制」 の. 欧化主義的文明開花主義教育の方針を非難, 「仁義忠孝」を教育の基本とすべき儒教主義復活を唱え た.. 明治1 2年, 中央集権的 「学制」 は廃され 「教育令」 を布き, 国の統制を緩和し, 教育の権限を地 (2).

(4) . 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 39. 方へ委譲して小学校教育の普及を図り 地方分権的教育行政を重視した. 小学校の指導と経営の権限 は, 文部省から府知事県令に移行する方向をたどることになる. 1 3年, 「教育令」 を改正, そこで, 教科目順序の筆頭に「修身」をあげ, それは, 後の教育勅語に 発せられる礎と なってゆくことに なる. 1 8年, 大政官制を廃止, 内閣制度が創設, 初代文部大臣に 森有礼が就任, 国家主義的教育政策を 19年) の中 で就学に始めて 「義務」 という表現を用い, 明確な規定を設けた. とり 「小学校令」 ( 教科書は, 16年に定められた認可制から検定制に変わり, 国家統制となっ た. 国家主義者である森有礼の教育観を 「兵式体操に関する建言案」 にみると 「国家富強ノ根本ヲ培. 養シ内ノ・以テ上下ノ安寧昌栄ヲ致シ, 外ノ・以テ万国ノ敬信ヲ厚フスルハ専ラ教育学問ニ基スンハア ラス」 とし 「国家富強ノ・忠君愛国ノ精神旺実スルョリ来ル, 故ニ文部ノ職ノ、主トシテ此精神ヲ養成 ) 」 といっ た徹底した考えを持っていた. 漢発スルノ責ニ当テサルヘカラス1. 21年, 市制, 町村制, 23年, 府県制, 郡制の公布 により,府県,都市, 町村というわが国における 地方自治の系統が樹立された. 2 3年, 「教育ニ関スル勅語」を発布, 国体に 基礎をおく教育の基本方針が示され, 道徳の根本を天 皇への忠義と親への孝行におき, 天皇と国家の為に尽すことを, 国民の最高の義とした. 教科書も. 国家主義的性格を呈してくる. 2 4年, 「祝日大祭日ノ儀式ニ関スル規程」が示され, 儀式は, 学校行事の中で大き な位置を占め, 天皇を象徴化する儀式に 変わる. 道徳, 倫理面 で 「忠孝」 という封建的道徳が, 家族制 度の讃美と共に, 唱えられ, それらには, 絶対に批判や 反対はゆるされなかっ た. 当時を, 中勘助は, その著 『銀の匙』 で, 孝行という言葉 9 ) 」と,知識を鵜呑みにさせる授業を振り返っ ている. を聞かされたことは,百万べんにもなったろう1 2 7年, 28年の日清戦争勝利によ って忠君愛国の精神は 高まり, 国民の個 人的立場は 埋没さ れて い っ た.. 表1 毛織物, 綿織物輸入品表 一一-- 綿織物 一 - - 毛織物. (1 0万) 220 200 180 160 . E 140. 2 0 嚢1. /. 鰯 100 80 御 40. ハ /. \. /. /\. \. 〆 〆. \. 知 1. 5. 10. 15. 20. 25. 30. 35. 40. 45. 明 治 (年) 『横浜市史資料編2 日本貿易統計』( ( )横浜市から筆者表に作成) 1 962 (3).

(5) . 40. 斉. 藤. 祥. 子. 36年, 小学校令改正 で, 国定教科書制度に踏み切り, 日露戦争の軍国主義調を背景に, 教育勅語 の忠君愛国を基本精神とした国家主義的教科書が発行される. 唐沢富太郎は, 国家主義的児童観として 「国家という 一視点からのみとらえられ, 子供の生活の } 権利, 価値は, 国家によ って規制された7 」とみている. 日清, 日露戦争後の産業, 経済の伸展と共 に明治40年, 義務教育年限は, 6年に延長さ れ, 小学校の就学率も増加 していっ た.. こうした学校教育の 成立を背景に, 明治時代を小学校校服着装の過程からとらえれば, 小学校理 念の形成されてくるのは, 小学校の就学率が90%に達する明治35年頃と推測される. この期に, 殖. 産興業政策による繊維産業も発展してゆき (その例を表1, 表2によっ て示す) 小学校校服の確立する時期としてとらえることが出来る.. 本論では小学校における通学服と学校行事着とが明瞭に分化して, 近代化へ向ける 「服制」 と前 近代的意識を持つ一般社会人との競合の結果が, 児童の服装となっ て定着してくることをみる.. 表2 綿糸(綿製品)の輸出入量. {1000 オ { =) 420 400 380 360. 一一一 輸出数量. 340. 一 一 一 輸入数量. ^. ′\ ′ \ ′ \ ハ / \ \ / \ ′ \ \/ \/. 、 \. ハ. / \. \ / \ / \. \. \. 15 17 19 21 23 25 27 29 31 33 35 37 39 41 43. 明 治 (年) (田中穣(19 65)『日本の繊維産業』 至誠堂p65より筆者表に作成). (4).

(6) . 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 41. 1 1 1 . 通学服の場合 ) 」 (明 「学制」以前は, 塾入学に「1. 入門ノ節官員ノ子弟ノ・礼服着用農工商ノ・羽織袴ニ可罷出事6 治4年) と, 規則による身分別着装が存在していた. 「学制」 が布かれ 「階級観念」 , 「男女別」 が否定され, 以後, 形態別の規則は消滅している. 10. 年以前には, 着方, 形態についての規則は登場しない, 着装に関しては, 教科書により 「……衣服等ヲ 清潔ニシテ」 (東京師範学校刊 『小学校生徒心得』 4 } 第九条2 )と, 衛生上の注意を促しているのみ である. したがっ て, 小学校校服に, 洋服は, 男子のワイシャ ツ, ネクタイ, ズボン, 和服は, 男子に, 『図説明治百年の 児童 長着, 袴, 羽織, 女子には, 長着, 帯, 被布とその形態は, さま ざま である( 表3. 浅 19. 中央・地方別・年代別服装に関する公的機関の発布例 中. 央. o′ 」 ・学校生徒衣服改良の旨趣書 (東京府学務課). 20. 21. o公立小学校男子職員服制 (東京府). 24. o小学校ニ於ケル祝日大祭日儀式ニ 関スル規程 (政府勅令第二百十号). 25. 27. o三, 小学校生徒ノ・活発ナル運動ニ 便スル為不得己場合ノ外学校内ニ 於テハ洋服又ノ・和服ヲ問ハス都テ 筒袖ヲ用ヰムヘシ (文部省訓令第六号). 31. 32. 33. 44. 地. 方. (例). 服装に現われた特色 鼠小倉織 背広ズボン. o生徒衣服改良希望書 (長野県上伊那郡殿垣外尋常小学校) 筒 袖 o生徒の制服制定 (茨城県師範学校附属小学校) o公立小学校男子職員服制 (滋賀県) 軍衣を原流とする洋服の o生徒制服制定 採用 (ドイツ軍衣) (東京, 明治小学校). o小学校祝日大祭日儀式次第制度 (長野県, 福岡県). 袴. 筒 袖. (地質)適宜. o公立小学校教員服制 (色彩)黒又は紺, 夏は白 (千葉県, 福岡県) (又は鼠, 福岡県) o生徒服制 筒 袖 (北海道松前郡福島小学校) (冬)黒又は濃紺ノ羅紗, セノレ o公立小学校教員服制 , ′\ノレノ (北海道) (夏)白色ノセル, リンネ ル, 小倉 o児童服装ニ関スル内規 筒袖又は洋服着用 (東京府下王子尋常高等′ i学校). (収集可能な上記の例を地方とした。 ) (5).

(7) . 42. 斉. 藤. 祥. 子. 史上』 の 「連語図 で教わる生徒」 , 「小学入学教授図解第一」 明治10年より) , 和洋混在する生活様. 式の影響とみる. こう した初期の状況から, 小学校生徒に対する服装は, 教育目標に合わせて一定の方向を持っ た 服制に関する法令によ って整理されてくる, 小学校校服に直接関係のある中央から出された法例と その影響を受けて発布されたと思われる地方例を表3に示す. 以下, これらを中心にみる.. 和服, 洋服自由な着装 ではあっ たが, 体操等の学科開設に伴なっ て, 子供の体型, 機能性にそわ 6 } 」 9年, 東京府学務課は 「小学校生徒衣服改良の旨趣書1 ない現状に気づくようになる. そこで, 1 によ って, 従来の服装に対し 「其製概ね瀬惰に 流れ易く 奮に衛生上に於て害多きのみならず動作進 退にも甚しき不便を覚ゆる」 と指摘し, 当時の洋服は 「今日の小学生徒にし間々 洋服を着すものあ れども概ね大人の服製に倣ふが故に 実用に不便を見ること多く著修の具たるに過 ぎず」 と, 児童の. 実情に合っていない服装を指適している. (村井不二子氏等の研究により縫製上「機能性」の欠如を. 指摘されている事とも 一致する.). そこ で, 経済性を強調 した改良案として 「鼠小倉織に して-揃 (脊贋 ズボン) 価格金七十五銭若 し之に袷羽織を着くるときは其価 金九十銭なれども洗濯の都合等もあれば小学の生徒には却て単衣. の方を便とす故に帽子靴下足袋及靴の価 を合算するも試円内外にて十分なり」 としている, この改良案は, 地方に影響を及ぼし, 他県の学務課からの照 会もあ っ た (現在, 東京の公文書. 0年, 長野県上伊那郡 殿垣 館蔵の19年 『往復録』 に 記載さ れている) , 具体的に 実現 した例に, 2 外尋常小学校の 「生徒衣服改良希望書」 がある. その内容は 「1. 長袖を筒袖にする時は, 大凡四 尺の布を余すべし, 2. 快なき時は, 隠し喰い立喰ひ等を防ぎ行状を正しく するの功あり, 3. 筒 2 ) 」と, 経済の節約, 衣服の管理, 運動, 袖にする時, 綻ひ縫ひの患ひ少し, 4. 運動体操に便なり2 行為の教育上の利点を掲げ, 衣服の改良に対して父兄の理解を求めている. 同時期,衣服改良への動きが知事から郡長に内訓されてゆく方法で各地に広まっていくことが『教 育 時論』 , 『女学雑誌』 に記されている.. 警護親形態とし幸手畿逸の① 中央から地方へ, ② 直接官僚下にある師範学校附属小学校から. 周辺の小学校へ (明治16年, 文部省は, 同省通達第十 二号 で「第十条, 府県師範学校ノ、……附属小 学校ヲ設ケ兼テ管内小学校ノ模範トナスヘキモノトス」 としている) が, ある. 2 0年) の 「生徒ノ服装」 が定まった影 ②の例として, 先の改良案と, 東京府尋常師範学校細則 (. 響と推測される茨城師範学校附属小学校の 制服は, 20年4月1日 「本日ヨリ生徒ノ着服ノ、洋服ト 5 } ス2 」 と 定 め た.. )の小学校で生徒の衣服改良が 教育会で検討され 一方 『教育時論』 において, 茨城県北部五郡9 , , l o 久慈多賀二郡 }で洋服に改められていく様子が報告されている. その他, 慶応義塾のような私学に, 独自の制服成立を行っている場合もある, 「衣服仕立局」を置き, 和洋の衣服仕立を行っていた背景 D 」 の制服が成立し もあり, 1 8年, 幼稚園で, 洋服の型は, 自由 であ ったが 「ジャケツ, 半ズボンI て い る.. では, 中央との距離による普及の差は, どう であっ たか, 遠距離の例として, 北海道をみる. 服制以外の方法として, 教科書により, 地域性と密着させ洋服着用の奨励を行っている.『北海道. 2 7 「小学生徒の筒袖衣」 に 「……茨城師範学校附属小学校にては, * 石井研堂 『改訂明治事物起原上巻』p .5 生徒に悉く筒袖の衣服着せられし……」 (6).

(8) . 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 帽. 袴. 衣. ミ憂. 衣. 又黒 ノ・ 又 鼠 ノ・ 色紺 ヲ無 用 地. 章. 衣ニ 面ハ文字 準 ス. 銀 、 色 紐 シ ノ、 、 総 ハ 黄金. 蔓 亨. 曇. 色 、 鏡 形 状井. 同. フ ト ノレ ス. 図 ノ 如. 称. 色. 髪 i ラ ハ 得白. 希肇 烹票. ニ シ形 大サ. 徽章. 帽. 衷4 町村立小学校正教員服制 (明治31年) 帽 名 鑓 釦. 43. 形. 呼 黒. 盟. 状. 孟. 背. 前. 図1 町村立小学校男正教員服. 用尋常小学読本巻4』( 30年)「第二十一課, 衣服……和服は我々の常に 多く用ふるものなれども, 5 ) 立居はたらきに便利なるは, 洋服なり, 北海道の如き, 雪国にて殊にしかり1 」と, 気候風土を重視 し, 服装の機能性を強調 している. 7 ) 」 がある, 運動上, 著修を矯め品性を高める為, 服制に, 32年, 松前郡福島小学校 「生徒服制2 男子に洋服又は筒袖, 女子には特に規定はなく, 袖を狭くし, 総て綿服とするように定めている.. 実状に則した簡素化, 合理化の規制をかかげている. では, 児童に最 も影響を与える教員はどうか, 官吏に準ずるとされている立場上, 軍衣の影響と. なって現われてくる. 以下に, それらをみる. 〉 明治3年「海軍ノ・英吉利式, 陸軍ノ・法朗西式典晒勺御編制相成候条4 」と布告され, 軍衣もそれにな ら っ た.. 陸軍徽章の正衣のボタン9個が7個になり, 帽章, 徽章は, 日本の象徴である桜花, 桜葉が多く とり入れられた, 1 9年, 内閣第十四号, 下士卒, 諸生徒, 勅命第四 八号を持っ て将校の服制が公布. され, 全面的に ドイツ式になる等の変遷を経る. 21年, 尋常師範学校教員に制服採用, 同年, 東京府知事より「小学校職員服制」が, 「尋常師範学. 校服制に準拠する」旨通達される, その形態を『明治小学校開校百年記念誌』にみると, 「先生方は, 8 〉 黒ヘル地立襟中広の縁取りホック止, 海軍将校の通常服に似ていた. 帽子は陸軍型黒筋数本2 」であ り, 各地で, ドイツ, フランスの軍衣の影響を備える服制が成立する. その1例を図1, 表4に示 す. 制服採用の時期は, 東京府明治21年, 滋賀県明治2 2年, 千葉県明治31年, 福岡県明治31年, (7).

(9) . 44. 斉. 藤. 祥. 子. 北海道明治33年等である. それらは, 直ちに, 生徒の校服に影響してくる. 明治小学校 (明治6年, 日本最初の東京公立小. 学校) は, 高等科に対し, 21年, 制服を定め, 形態は 「男子小倉地ホッ ク止上衣半 ズボン深紅のス 8 ) トッ キン グ独逸型帽子 (大枚一円十銭) 女子紫袴に靴2 」 であり, また32年, 慶応義塾では 「七 2 ) 」 の制服制帽を定めている. つボタンの詰 衿に半 ズボン1 しかし, こうした管理体制 上の服制は確立されても, 地方の受容基盤がなかった為, 再度, その. 制を定める必要が生じてくる. 明 治44年6月 5 日刊 『教育時論』 第九 四一 号の 千葉 県の全国 教育 大会におけ る 各教育会提 出 題 で「第五号議案, 学校職員の服制を定められんことを其筋に建議するの件」が出され, 「現今各府. 県に於ては, 各学校職員の服制があるが如しと難も其の効果は甚だ狭少なり, 学校職員中小学校教 員の服制を定むるは最も切要なり……」 の記述からも, 先の訓令は, 全国的には定着していなかっ. たことが伺える. 生徒の校服について, 明治末期頃の中央における様子を, 鯛絵小学校 (明治小学校と同期の創設 の6校中の1校) の43年卒業生によ ると, 男子は「全部といっ ていいく らい紺ガスリの着物が縞の 木綿,それに必ずハカマをつけて帽子をかぶっていました.……帽章は今と同じ……」女子は 「筒っ ぽの着物に ハ カマをはきましてハイカラな方は靴をはいていま したが, 一クラスの半分くらいいま し た か し ら ん, 筒 そ でに も 改 良 そ で と い っ て, そ で口 の と こ ろ に ヒ ダを と っ た も の … … 元 録 そ で を. 7 ) 着る方は, よほどモ ダンな方です. クラスに一名 ぐらい洋装1 」とある. 明治末期の中央では, 男子 は, 学帽, 縞又は緋の着物に袴, 女子は, 筒袖, 改良袖, 元録袖の着物に袴, 洋服と少しづつ合理. 化の方向へ整えられてきていることがわかる. しかし, 地方においては, 縞や緋の着物といっ た明 治初期と変化しない通学服 であった. そこに, 服制実施を敢行出来ない土地の習慣に密着 した小学 校 の 実 状 を 見 る. ・. m 参考文南 E. l v . 学校行事の場合 森有礼は, 明治憲法体制と照応すべく, ドイ ツの国家統一の手法を採用 し, 教育の国家主義化を 図っ た. その為, 紀元節, 天長節等の国家行事は, 学校行事に実現され, それが同時に教育上の服. 制を伴なっ た.. 明治期の学校行事の儀式, 学芸会, 展覧会, 運動会のうち服制と関連のある儀式, 運動会を通し *」である行事着としての校服 て, 団体行動の統制を目的とした制服化への動きと, 「学校のマツリ* に現われた式服の 「 ノ・レ」 と通学服の 「ケ」 の区別の発生をみる. 1)儀式の場合 儀式には, 国家に関する儀式と, 入学式, 卒業式等のような学校に関する儀式に分けられるが, ここ では, 国家に関する儀式を服装にかかわっ てみてゆく. 明治初年以来, 祝日大祭日は, 学校が休日 であったが, 21年を境に, 全国的に祝賀挙行の日にな り,23年, 政府は,「勅令第二百十号小学校令第十五条ニ基キ小学校ニ於ケル祝日大祭日, 儀式ニ関 97 3 PI15- 山本信良, 今野敏彦 『明治期学校行事の考察 近代教育の天皇制イデオロギー』 新泉社 1 1 16 祝祭日儀式は 『日本の祭り』 であると同時に 『学校のマツリ』 であり, 国家権力によって設立された 『官制 のマツリ』 でもあった.. **. (8).

(10) . 明治の服制 が小学校校服の着装に与 ロ ス こ吊 ジ 」 えた影響. 45. スル規程」 を設け, 紀元節, 天長節, 元始祭, 神嘗祭及新嘗祭 孝明天皇祭 春季皇霊祭 神武天 , , , 皇祭及秋季皇霊祭, 1月1日(四方拝)を祝日大祭日とした その後 明治26年 文部省令第9号 , , , , 明治33年, 小学校令施行規則第2 8条で, 紀元節, 天長節, 1月 1日が義務づけ られ, いわゆる三 大節として簡略化されたが「式」は, 終戦の年ま で存続される事になる その構成は 両陛下の「御 . , 真影」に対し, 最敬礼, 万歳を奉祝し, 学校長の「教育勅語奉続」 「勅語に関す る訴告と演説」 全 , , 員の 「唱歌」 で式を閉じ, 式後, 生徒の心 情を快活に向ける為 体操場や野外 で遊戯体操を行い , , 茶菓または教育上, 国体観にこたえられる有益な絵画を与えるのもよいとしている , 儀式の参列には, 市町村長, 吏員, 学事関係者, 父母 親戚 住民にも出席を奨励 した 「家族国 , , . 家観」の下で, 厳粛な雰囲気の儀式を挙行し, 国家主義の使徒としての忠誠心 が養成されていっ た , 学校行事は 「教授」 , 「訓育」 , 「管理」 と, 密接な関連を持っている, 森有礼は, 文部省において 直轄学校長に対する演説のなかで 「二大節ニ於ケル学校ノ式 毎年 紀元節 天長節ノニ式アリ , , , ……帝国大学ノ如キハ率先シテ之ヲ行フヘキモノナラン 余ノ考案ニテハニ大節ニハ学校生徒ノ・午 , 前ナリ午後ナ リ制服制帽ヲ着シ, 宮城下ニ整列 シテ 敬礼ラ スルラ可トス 大学総長ヲ始メ各学校 , , ) 等協議スルラ要ス2 」 という考えを持っていた. 服制としてではないが, 中央では, 早くから制服が促されていた 明治24年の規程の第8条に「祝 . 日大祭日ノ儀式ニ関スル次第等ノ・府県知事之ヲ規定スヘシ」 としていることから 全国的に統一 し , た服装に対する規定はない. しかし, 地方によ っては 服装に対する細かい規定 がある 長野県に , . そ の例を見ると, 25年2月 「小学校祝日大祭日儀式次第制度」 の県令で 「第六条 町村長学校職員 , 其他参列員ノ・礼服又ノ・袴羽織着スヘシ, 第七条, 生徒及参観人ニハ可成礼服羽織袴又ノ・洋服ヲ着セ 0 } シムヘシ2 」 とし, 3 0年, 校規, 第二章, 儀式の中 で 「七, 服装ノ・清潔ニシテ華美ナラザルラ旨ト シ, 男子ノ・成ヘク羽織袴又ノ・洋服ヲ着用 スヘシ 女子ノ・通常服ニテ可ナレドモ 半纏前垂樟ルベシ2 3 } 」 ,. の例からも, 服装を正し式に臨む様規定されていた . 6 〉 では, それらの定着性については どうか, 中央の状況を『文京区教育史2 』に見ると, 30年頃「儀 式の日には……男子は羽織, 袴をつけ, 女子は帯をしめ た 和服礼装で袴をつけなか っ た 」 . , 30年代半ばになると, 女子は, 通学服にも袴を着け るようになるが 式服とは 区別している そ , . 4 )の45年卒業生は「私の組は 洋服が二人あとは 和服 でした 着 の例を東京文京区立金富小学校1 , , , 流しは, 許されなくて袴でした……祝典のときは二人位洋服を着ていました 式には 全部白衿黒 . , 紋付で袴は, 紫で平常と区別 していました 」 とある 式には 袴をはくことが 一般的になる , . , , . 中央から遠距離の例を, 北海道函館亀田小学校 「明治未年」 の写真にみると 式服には 緋の着 , , 物に帯の男女, 袴の男女, 振袖姿の女 子 男の先生は 立衿 又は背広にネクタイ 姿が見られる 服 . , . 装の統一はないが, 「 ノ・レ」 の様子が伺える, 儀式挙行の形式は, 訓令により規定される為 中央 地方の差は見られないが 小学校の場合 , , , , 服装の統一は, 中央から離れる程難かしく 伝統的習慣の着 装形式からの脱皮は 経済性のみでは解 , 決できない種々の受容基盤となる要 因が潜ん でいる . しかし, 羽織, 袴や軍衣を原型とする洋服は 明治末期 中央 地方にお いて通学服として常用 , , ,. されなくとも, 式服時の 「 ノ・レ」 の服装として羽織, 袴と共に着用され, 集団統率を目的とした服 装の統一化の方向に向かっていた事がわかる. 2) 運動会. 森有礼は 「兵式体操に関する建言案」 の中で, 教育に必要な智育 徳育 体育のうち 体育の遅 , , , れている現状を指摘し, それに対する強化案を述べている その考えを基に 19年 「小学校の 学科 . , , 及其の程度」で, 「 1 0条, 幼年の 児童には遊戯, やや長じたる 児童には, 軽体操 男児には隊列運動 , (9).

(11) . 46. 斉 藤 祥 子. を交う」 とし, 小学校高学年に, 兵式体操の初 歩である隊列運動 を設置している. 18年, 19年から各地で, 運動会が行われるようになる. その内容は, 初期に, 戦争に擬した「旗 影響を受け た 「遠足運動会」 では, 行進や隊列 運動が, 奪」 , 20年代は, 師範学校, 中学校の行軍の 主体として行われた. そこ で, 行進の統制と共に 校旗を掲げ, 学校別の服装の 統一, つまり制服が 促され始める. 森有礼は, 全国の教育効果を 巡視しているが, 石川県の小学校についての 記録に 「生徒ハー様ノ 3 } 帽子ヲ被フ リ洋服ヲ 着シ, 軍旗へ, 後備軍曹 一名 之力進退挙動 ヲ指揮シ劇 臥手之ニ随フ 」 と, そ の制服が, 完全な軍隊調の形式であった事が記されている. 2 1 ) 運動会のよ って, 洋服着用が啓蒙されていく例を 『長野県教育 史 』 に見ると, 21年 「遠行運動 ニ付我生徒中西服ヲ着シ往復靴ヲ穿チ従軍スルモノアリ其年令ニ比シ殊勝ナリト認定ス」 と, 洋服 着用者の名前を記し称えている. 当時の運動会は, 町 ぐるみ, 村ぐるみの 「祭り」 的性格を含め た今日のレクリエ ーショ ンの要素 8 ) を持 っていた為 「此運動会につきて生徒, 父兄は, 洋服の便利さを知り 」 等と, 運動会を通して, 洋服への認 識が啓蒙され, 一般社会の洋服定着にも影響を与 えている. 2 3年, 尋常小学校の体操は, 随意科目となり, 27年, 文部大臣井上毅は, 体育, 衛生に関し, 訓 令第6号 「2, 高等小学校男 生徒には, 兵式体操を課するの 際, 軍歌を歌い, 体操の気勢を壮んに することあるべ し, 随意科目として簡易なる器械体操 を授くべ し」 とし, 服装について 「3. 小学 生徒は運動に便するためにやむを得 ざる場合の 外, 学校内においては, 洋服または和 服を問わず, す べて筒袖を用いむ べし」 と始めて 着装に対する訓令が出されている. では, 女子の体操 時の服装はどう であっ たか, 実技に, 男子は, 網引き, 駈けく らべ, 旗取り, 女子は, 玉おくり, 鬼ごと等 「いさましい」 運動に比べ, 女子には 「おも しろい」 実技程度であっ た. その中の1つ 「お手玉」 を例にあげる. 3 ) 』 誌上で 「お手 玉」 に対し, 東京女子高等師範学校教授 井口あくり, 東京女子 41年 『少女之友1 れ評を 医学校長鷲山弥生は 「少女の体育に 必要なお手玉」 , 「日本の少女に 適当な遊戯」 と, それぞ のせている. 同誌上の写真の女子3人は, 長袖, 袴, 白足袋, 草履姿である. 一般に, 明治期の女子の体操服は, 元録袖又は筒袖, 袴姿に 止まっていた. 履物は, 前出の東京, 獅絵小学校, 明治45年卒 業生は 「運動会のときも平 生はかない靴をはく とマメができるんですが, 連 それでもはきたいもので……もちろん運動靴でなくて 皮の靴 です」 , 「六年のとき…… 日韓併合の して ま 合運動会がありまして, その時み な走るのに足袋は だしでした. カシミ ヤのハカマをはき 8 } 」 と述べている. 履物は草履 又は靴, 足袋はだしとさま ざまあっ た. ね1 以上, 学校行事を通して, 小学校校服の 形態, 着装が学校 の規則上に現われ, 変化していく過程 を見た. ノ・レ」 の場を借りて洋服は従来か らの礼服であっ ノ・レ」 と 「ケ」 の区別が行われ 「 儀式を通して 「 た羽織, 袴と同格に位 置づけられ, 啓蒙されていっ た. また, 同時に, 儀式, 運動会を通して, 集団の統制の目的の為服装の個性を否定し, 服装は, 精 神の画 一化, 統一化が, 目指される手段 として定着し, 制服化へとすすむ.. ) ( 1 0.

(12) . 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 47. V. ま と め. 国民各層の子弟を 対象とする小学校の成立と共に, 教育制度が整い 就学率が高まっ ていく中 で , , 学制以前身分によっ て区別されていた着装が廃さ れた後 政府の推進していっ た 「近代化」 の為の , 法令のうち服制 が, 小学校校服に, 他の変遷誘因を伴なって どのように推移していっ たかを明治 , 期を3期に分け明らかにしてみた. 1) 前期 (明治19年迄). 1 0年ま では, 通学服に対して, 着方, 形態の規定はなく一般社会におけ る和洋混在しは じめた生 活様式を反映して, 和服, 洋服とその形態はさま ざま であっ た 学校 では 『小学生徒心得』 等で衛 . 生上の注意が促されているのみであっ たが 1 年 東京府学務課は 9 , , ,現状の和服,洋服は,衛生上, 機能上適切 でないとし, 「小学校生徒衣服改良の旨趣書」により 児童服見直しの機会を与えること , に な る,. また, 服装に男女差が現われてくる, 小学校は, 12年「教育令」の第42条で「男女教場ヲ同 クス ルモ妨ケナシ」 と表面上の男女分離は していないが, 教育内容は 「忠信孝悌 仁義礼智」 が 女子 , , 用の教訓とされ, 儒教主義的女性像 をあるべき姿とし, 以後出さ れる服制も主として男子に 対する ものが多く, 女子は旧態依然としたままとなる . 2) 中期 (明治20年~35年迄) 国家主義的体制 の下で, 「教育勅語」 に教育の基本方針が示され 儀式が挙行さ れる 「御真影」 , . を前にした 「 ノ・レ」 の場で, 忠君愛国の共通の精神を持つ-臣民として 服装上 一 律化が草!まれ , , る, そこ で各地方 で服装規定が出されるが, 多く袴, 羽織又は洋服着用と規定され 通学服と区別 , さ れる.. 男子の洋服は「富国強兵」の下 で軍衣に源流を持ち今日における男子学生 服の成立のもとになる . 体操や運動会における機能面も合わせ て服装は 簡略化の方向へ向う , . 3) 後期 (明治36年以降) 日清, 日露戦争の勝利と 殖産興業奨励の結果 繊維産業の発展を見 これが洋服の定着す る要因 , , と な っ た,. この期に中央では, 式服であっ た洋服, 袴が通学服として着用さ れ 男子は洋服 筒袖 の紺緋 , , , 縞木綿の長着に袴, 学帽, 女子は筒袖, 改良袖, 元録袖の長着に袴 洋服が着用され 式服として , , は黒紋付も着用されるようになる. 以上, 中央から発布される服制は 地方へ影響し 本来自由 で , , 個人的なも のであるはずの服装に, 教育目的を伴なっ た法規の統制が強められ 社会的国家的規制 , が加えられ, 服飾変遷の誘因となる. 前期は文明の移行 中期は 政治変革 後期は 経済の変転 , , , , が他の誘因と融合しな がら強く作用 していると考えられた . 国家全体の 「近代化」 を目 ざして多くの法令が出されたが その中でも数少ない服制 特に小学 , , 校生徒を対象とした場合, それは, 教育目的が, 日常的に表出したものと考えられる 明治,大正 . 期の女子中等教育における服装改善は, 「機能性」 に加えて 「容儀」 「優美」 「雅致」 を失う事のな , , い形態が実現さ れ, 色彩 に 「質素」 , 「地味」 の精神の貫ぬかれたもの が実現さ れたことを 見てき たが, 小学校においては, まず第一に,「機能性」がとりあげられ筒袖 袴という形態が考えられ「風 , 1. 蓉翫整う庵主二趨ヵン」( ィ 2 3年, 小学校教則 畑岡 ) 3 3年, ,「羽弟 , 親愛, 勤倹, 恭敬, 信実, 義勇」( 小学校令施行規則) また女子に は 加えて 「貞淑の徳」 の実際化が 長着の地質に緋 縞等の木綿 , , , , 袴にカシミヤ, 色彩に, 紺, 黒, 白 エビ茶 紫を選 ばせたと考えられる , , . ( 1 1 ).

(13) . 斉 藤 祥 子. 48. 強い拘束力を持つ明治期における服制は, 国民各層の 子弟を有する小学校において, 前近代的意 識を持つ一般家庭の当時の思潮と競合し, その結果, 男女別, 和服, 洋服別, 地方性のある着装と. なっ て現われたと見ることが出来る. 本研究に 際し, 御指導いただきました北海道教育大学函館分校清野きみ教授に 深謝いたします.. 引用文献 4 8 一巻 宣文堂書店 34 7一3 森有礼全集第 ) 近代日本教育資料叢書 人物篇1 森有礼全 19 72 1) 大久保利謙 ( - - 7 )に同じ 66 2)1 9 )に同じ 71 3)1 ) 写真集, 日本の軍歌 国書刊行会 17 1 3 98 4) 太田臨一郎 ( 2 7一2 ) 服飾変遷の原則 文化出版局 1 2 19 8 5) 小川安朗 ( ) 神奈川県立図書館 82 9 196 6) 神奈川県史料 第5集 政治部4 ( 5 ) 図説明治百年の児童史上 講談社 21 8 196 7) 唐沢富太郎 ( 3 1 ) 開発社 1 88 7 8) 教育時論 第六一号 ( 7 ) 開発社 2 188 7 9) 教育時論 第七一号 ( ) 開発社 14 1 88 7 ) 教育時論 第八五号 ( 10 ( ) 406 1940 ) 慶応義塾百年史 中巻 (前) 11. )に同じ 41 7 )1 1 12 9 8一1 ) 東京実業之日本社 1 1 908 0号 ( 13 ) 少女之友 1巻1 立金富小学校 東京文京区 ) あゆみ ( 1 9 5 8 4 ) 創立五十周年記念五十年の 1 ) 文化評論社 26 19 82 ) 地域教育史資料1 北海道尋常小学読本巻4 ( 15 ) 7 ( 1 8 8 6 8号 ) 東京教育新誌 第11 16 東京港区掘絵小学校 89一91 記念 1 ) ともえ九十周年記念会 196 ) ともえPTA会誌 ともえ九十周年記念号 ( 17 )に 同 じ 91一92 18 ) 17. 1-1 52 ) 銀の匙 岩波書店 15 19 82 ) 中勘助 ( 1 9 ・ ( ) 1 1 97 6 78 ) 長野県教育史第11巻 史料編5 2 0 25 )1 )に同じ 5 9 2 1 )に同じ 65 0 9 2 2 )1 23 )1 9 )に同じ 661 ) 講談社 561 1961 ) 日本教科書大系 近代編 第一巻 修身(-) ( 24 ) 茨城大学教育学部付属小学校 21 1 968 25 ) 附属小学校拾年史 ( 1 ) 東京都文京区教育委員会 2 1983 ) 文京区教育史-学制百十年の歩み ( 26 0 ) 北海道教育委員会 12 196 3 27 ) 北海道教育史 全道編三 ( ) 東京江東区立明治小学校明治同窓会 46 3 1 97 28 ) 明治小学校開校百年記念誌 (. 参考文献 I 繊維産業 岩波書店 ) 現代日本産業講座W 1 96 0 1) 有沢広己 ( 大修館書店 学校体育制度史 ) 19 59 2) 井上一男 ( ) 子どもの生活と教育の歴史 川島書店 196 6 3) 江藤恭二 穴戸健夫編 ( ) 教育行政概要 学文社 1973 4) 太田卓 ( ・下 講談社 ) 図説明治百年の児童史上・下 1 96 8 5) 唐沢富太郎 ( 第一法規 日本の近代化と ) 教育学研究全集第2巻 日本の近代化と教育 1 97 6 6) 唐沢富太郎 ( ) 26 188 7 7) 教育時論第六二号 ( 1887 ) 19 8) 教育時論第九二号 (. ) ( 12.

(14) . 明治の服制が小学校校服の着装に与えた影響. 49. 、 9) 斎藤祥子 ( 198 4 ) 学校の体操教育が女子日常服に与えた影響 明治時代 明治時代( ( 1 86 8年-19 12年) 北海 北海道教育 大学紀要 (第二部C) 第35巻 第1号 10 ) 斎藤祥子 ( 1 ) 女子校服の洋服化 大正時代 ( 98 5 19 12年-1 9 26年)北海道教育大学紀要 (第二部C) 第 35巻 第2号 ) 斎藤祥子 ( 11 19 ) 明治・大正期の女学校の 「体操」 開設が女子着装に与えた影響とその先駆的役割, 日本 85 服飾学会誌 第4号 12 ) 笹川小学校百年の回想 ( 1 97 ) 富山県笹川小学校 7 1 3 ) 佐藤秀夫 ( 19 ) 学校における制度の成立史 日本の教育史学 第1 76 9集 1 4 ) 佐藤弘 ( 1 ) 産業貿易 雄風館書房 9 3 1 1 ) 角山幸洋 ( 5 1 965 ) 日本染織発達史 三一書房 ) 皇至道 ( 1 6 1 9 ) 日本教育制度の性格 玉川大学出版部 7 8 ) 女学雑誌第六〇号 ( 1 7 1 88 ) 1 7 98-2 0 0 1 ) 高島愛 松田歌子 ( 8 1 9 ) 明治.大正・昭和前期の学童の衣生活とその背景 (第2報) 文教大学教育 8 3 文教大学 学 部紀要17 1 9 ) 田中穣 ( 1 96 ) 日本の繊維産業 至誠堂 5 2 0 ) 仲新編 ( ) 日本子どもの歴史5 富国強兵下の子ども 第一法規 19 8 0 ) 松田歌子 高島愛, 伊地知美知子 ( 2 1 1 ) 明治・大正・昭和前期の学童の衣生活とその背景 (第 9 83 第1報) 文教大学教育学部紀要17 2 ) 松田歌子, 伊地知美知子 ( 2 1 ) 明治・大正・昭和前期の学童の衣生活とその背景 9 84 の背景 (第3部) 文教大 学教育学部紀要18 ) 村井不二子 安蔵裕子 ( 2 3 ) 明治洋装史の研究(1 1 982 1)-学校制服の一考察 第1報, 第2報 学苑, 昭和. 女子大学. 2 4 ) 文部省 ( ) 学制百年史 帝国地方行政学会 19 72 2 5 ) 文部省内教育史編集会編 ( 19 ) 明治以降教育制度発達史 第二巻 龍吟社 3 8. ( 1 ) 3.

(15)

参照

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