迷信と犯罪との関係についての一考察
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(2) . 7巻. 第1号. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 昭和31年7月. 迷信と犯罪 との関係についての 一考察 辺. 渡. ・. 蔵. 人. 北海道学芸大学釧路分校法律学研究室. ‐ Kurando ▽VA「 iderat ion on the 1: A Cons rAN ABト Relat ion between Superst i ion t ,and Cri ・ne.. 目. 第一. 次. 問 題 の 所 在. 第二 迷 信 の 概 念 義 H 意 口 本 質 日 批 判 第三 迷信と犯罪との関連する態様. 第一. 第四 広義の迷信と犯罪との関連 第五 狭義の迷信と犯罪との関連 H 直接に関連する場合 口 間接に関連する場合 第六, 結 語. 問 題 の 所 在. )学者はこれを所謂 「迷 迷信と犯罪との関係についてはこれを詳かにしたものあるを知らない。1 aubi J 然 も 説 か れ る所、 極 めて 簡 潔 で あ 犯」 (abergl sches Verbrechen),の 場 合 に 限 られ、 2. )僅かに草野博士に「迷信犯について」 ) 「スイス新刑法と不者犯」5 ) が、 叉、 牧野博士に 「迷 4 。3 )の論文があられるに過ぎない 犯」6 。 然らば 第一に、 迷信と犯罪との関係は考究する必要の少いものであろうか。 即ち迷信は犯罪と如何なる るも の で あ る か。. 第二に、 上の関係について刑法上問題とすべきは所謂迷信犯に限るか。 第 三に、 所謂迷信犯とは学者の通常説かれるが如く丑の刻詣りに限定すべきであるか。 第四に、 丑の刻詣りは不能犯と して不問に付すべきものとされるが、 その理論構成ならびに斯か 処置の是非如何。 第五に、 迷信による犯罪の本質は何か。 其の処遇は適当 であるか。 此等の問題については幾多疑問とするところがあり、 此処に 「迷信と犯罪との関係」 を考究する 以 で ある。 1 62頁 ) 吉益博士 「犯罪心理学」1 2 1頁。 宮本博士 「刑法大綱」19 2頁。 木村 ) 牧野博士 「刑法総論」249頁。 小野博士 「刑法講義総論」19 博士 「新刑法読本」256頁。 同博士 「法律学辞典」 第四巻2370頁。 同博士刑事法講座二巻 「不能犯及び 事実の欠鉄」434頁。 草野博士 「改正刑法総則」103頁。 滝川博士 「刑法読本」166頁。 斎藤教授 「刑法 6頁。 江家博士 「刑法 4頁。 安平博士 「改正刑法総論」3 総論」 訂正版19 28頁。 同博士 「新刑法概論」19 0 総論」 166頁。 八木博士 「刑法総論」203頁。 市川教授 「刑法学」94頁。 不破博士 「刑法総則講義案」9 頁。 団藤教授 「刑法」52頁。 滝川・宮内 ・平場教授 「刑法理諭学」 総論203頁。 3 ) 上掲。 4) 草野博士 「刑事判例研究」5巻29 1頁以下。 同博士 「刑法改正上の重要問題」3 21頁以下。 5) 牧野博士 「国家試験」12巻2号1頁以下。. - 64 -.
(3) . 迷信と犯罪との関係についての一考察. 第二 迷 信 の 概 念 (一) 意. 義. 迷 信と 犯 罪 と の 関 係 を 述 べ るに 当 り、 最 初 に 問 題 と な る の は 迷 信 と は 何 か と い う こ と で あ る。 此. の解答は説者のよって立つ立場により異るものがあるが、 心理学上分類される所に従えば、 第一に、 科学及び知の見地に立つ立場があり、 第二に、 宗教及び信仰の見地に立つ立場があり、 ) 第三 に、 上 の 中 間 の 立 場 が あ るも の と さ れ る。 6. 最初の立場は更に三つに分れ、 (イ)純粋に科学及び知の見地に立つもの例えば 中 村 古峡 氏 の如 き、. Kant reud, , F.. l l の 如 き、 rdmpe (ロ) 感 情の 参 加 を も 認 め る も の と して 例 え ば L.St. ) 宗教及び信仰の見地に立つ立場をも顧慮するものとしては例えば ・. A. Lehmann. 更に. の如きがあ. る。. 次のものも更に五つに分れる。 即ち、 (イ) 原始宗教よりするものとして例えを 野 上 俊 夫博士 の如き、 (ロ) 科学及び知の見地に立つ立場をも 顧 慮するものとして例えば Ho賃mann‐Krayer, の如き、 (ハ) 知の不完全の影響を説くものとして例えば M. A. Le Boy の如 1wood の如き (ホ) 綜合的のも き、 (二) 社会の立場をも顧慮するものとして例えば C, A. EI のとして例えば森田正馬博士の如きがある。. Bachtold‐stanbel l. 最後の立場も次の二つに分れる。 即ち (イ) 不当の因果関係づけよりするもの と し て 例えば Bergen, Ste任en の 如 き 、. l lwig の 如 き (ロ) 超 自 然 と 自 然 と の 関 係 づけ よ りす る も の と して He. がある。. 迷信の意義に関 しては上述の如く立場の相違により異るものがある。 然しながら吾人が此処で問題とする迷信の意義は、 主として第一に所謂狭義の迷信に関するもの であり、 第二に、 一般人と関連を有するものたる事を要すると解する。 蓋 し、 犯罪と関連する迷信の大部分は心理学上に所謂 「狭義の迷信」 であり、 叉、 此の小論の述 べんとする主目的は異常人の異常現象たを本質を有する迷信による犯罪ではなく、 従来刑法学者の 看過せられた正常人 (一般人) の正常現象たる本質を有する迷信による犯罪即ち一般人と関連を有 す る もの た る が 故 で あ る。. 心理学上述信を広狭二義に分けるが前者は専ら知識学に於けるものを指称 し、 後者は人事 宗教 、 に関するものを指称する。 地球は局平であるとか、 天体は東から西に運行するとか言うが如きが前 者の例であり、 神懸り、 狐愚、 日の吉凶、 方位方角の善悪、 姓名判断、 手相、 骨相等に関するもの が後者の例である。 妓に狭義の迷信とは斯の如きものを意味する。 一般人と関連を有する迷信たる を要する所以は、 更に、 犯罪の本質は安平博士の翁かれるが如く 「刑罰法規所定の事実に該当する 行為事実の発生によって其処に法 律秩序背反性を有するものと認め得 らるべき非道 義的人格即ち日 本国民としての社会道義を欽くに出でた背徳性人格の法規的徴表である。 」 」が故でもある。7 8 従って純粋に科学及び知の見地に立つ立場や、 )叉、 宗教及び信仰の見地 に立つ立場9月ま賛し難 いも の と言 わねる ならず中間説を妥当と解する。 蓋 し、 刑法は一般 人の規範であり 一般人とは適 、. 度の知性・科学性を持ち同時に宗教心・信仰を持つが故である。 Ste”en によれば B拳信とは科 学上の研究及び批判に依って信ずる事の価値ある経験に 基かない o )此 の 説 に 従 う で 何も のか ゞ 客 観 的 に 実 在 す る と 信 ず る 事 で あ る。」と 説く が、l 。. (二) 本. 質. 吾人は迷信の概念を上の如く定めた。 然るとき其の本質如何が更に問題となる。 迷信に関する貴 - 65 -.
(4) . 渡. 辺. 蔵. 人. 重な研究を数多く 発表せられ、 心理学者として知られる関氏は成人迷信として一万二千種類を採録 1 )氏は予知迷信として兆候 (二種類) され、 これを各種の類 型に分類されて居られる。1 、ト占 (六種 ) 類) 、 を挙げられ、 解釈迷信として先科 学的解釈(四種類 、伝説解釈 、相法 (七種類) 、運命 (六種類) (二種類) 、奇術解釈 (五種類) を挙げられ、 禁呪迷信として歴 、歴法解釈、 異常心理解釈 (六種類) t sm. 呪 (八種類) o emi 日 (三種類) 、支配力迷信として神仏 (二種 、禁忌 (四種類)t 、方位 (二種類) 類) 、魔神、 妖異 (六種類) を挙げて居られる。 関氏の分類される如く迷信とは、 かくも多種多数であり、 然も其の範囲は極めて広きに亘る。 然 て夢占、 観相、 書相 (筆蹟判断) 、九星、 干支、 神託、 交霊に関するものの如 しき 、名相 (姓名判断) は生活に深く惨透 して居るものと言わざるを得ない。 例えば兆候に関するものの如き、 即ち 「茶柱が立つ」 とか 「鼻緒がきれた」 とか 「噴嘘が出る」 や相方に関する 「北 向の家」 や 「井戸の埋め跡」 や運命に関する 「五黄の寅」 の如き、 叉禁忌に関 する 「喪中の神詣 で」 「一本箸立て」 「元日の掃き掃除」 「箸の挟み合い」 「三人写真の真中の人」 「葬式帰りの塩花」 の如き、 呪に関する 「帯の倒立」 の如き、 方位に関する 「鬼門」 の如きがこれ で あ る。. 重ねて関氏の言を借用するならば、 迷信とは 「それ自体生活になっており、 特殊の生活方法即ち 2 )その本質は 「正常人の正常現 生活技術と解釈法とを有する生活に対する態度即ち生き方であり」1 1 3 ) であられる ) 後述丑の刻詣り参照 象である。」 と。 (尚、 牧野博士も関氏と同説 。 (三) 批. 判. 4 )職業により或は病気に 思うに迷信は特殊な職業に属する人々や病気の際存在する事が多いが、1 より容易に陥る如き迷信は一般人と密接な関連を有するものであると言わざるを得ない。 蓋し、 一 般人とは既述の如く適度の知性、 科学性を持ち同時に宗教心、 信仰をも持ちかくの如き種類の迷信 に は 容 易に 陥 る如 き 人 々 で,あ る か ら で あ る。. 然しながら関氏の如く迷信の本質をすべて正常人の正常現象であると説く事には賛し難いものが ある。. 即ち迷種の本質には二種類あり、 これを一律に説く事を許さない。 その一種は特殊な者 (例えを 精神薄弱者) や特殊な状態に在る者 (例えば心神耗弱の状態) の陥る如き迷信であり、 他は既述の 如く一般人の 陥る如き迷信である。 前者は極めて強度の迷信であり従来刑法上においては所謂迷信犯として考察されて居るものの如 きがこれに属する。 後者は弱度の迷 信と称 し得べく刑法上においても考察不充 分のものと解するが 此の点については後に詳説する。 前者の本質は 「異常人による異常な現象」 であり、 後者の本質を「正常人の正常現象」と解すべき である。 (尤も強度の迷信と弱度の迷信との区別は客観的に解すべきであり、 迷信は疾病時や特殊 淀も強度の迷信に陥る虞なしとし 職業家に多く、 而も疾病は人間の正常現象である以上、 通常人とd ない。 その意味では迷信の 本質を正常人の正常現 象と解せぬ事もないかの如くであるが不明確であ る。) 6) 関寛之氏著 「日本児童宗教の研究」277頁。 7) 安平博士 「新刑法概論」119頁。 8) 中村古峡氏著 「迷信に陥るまで」 13頁。 氏によれば 「迷信とはその時代時代の科学叉は一般的常識によって既に明白に不合理・不確実乃至虚偽妄 誕なりと実証せられることを、 なお真実なり合理的なりと思惟 し、 確信 し主張し、 渇仰せんとする心理現 象を指 していう。 即ち其の判断の誤謬に陥れる点については智能の異常に属するけれ ども、 共の誤れる信 念を固持する点においては主として感情の執着に基くものである。」と説かれる。 9 ) 「迷信とは自然法則で説明し得ない力の作用及び認知の信仰をい 、 宗教学上でも根拠を持たぬもので. 一 66 -.
(5) . 迷信と犯罪との関係についての-考察 あ る。」 と。 i l l Ho賃mann一Krayer l old-S鏡 cht ube terbuCh des deut aube , chen , E. und B… , 日. : Aberg . Handw6r h i 6 6 l 1 2 R Aberg 9 7 e e aubensl . , , ia l 10) Ste仔en,G.: Die lrrwegezoz er Erkenntni ss . 1911 .. 11) 関氏前掲書285頁。 12) 同2 81頁。 13) 同284頁。 2頁。 14)吉益博士 「犯罪心理学」 16. 第 三 迷信と犯罪との関連する態様 迷信は上に述べた如き本質を有するものであるが、 それは人間の社会生活に深く根ざし従って叉 人間の行為と密接な関連を持つものであると言う事が出来る。 いま犯罪行為との関連を考察するに 次の如く解する。 即ち 第一に広義の迷信と関連する場合があり、 第二に狭義の迷信と関連する場合がある。 (一) 直接に関連する場合と. 後者は更に. (二) 間接に関連する場合とに分け得る。. 燕に直接に関連する場合とは) (イ) 所謂迷信犯 (丑の刻詣りの如き) の場合。 (ロ) 悪霊下げ (狐つき、 犬神つき) の場合。 5 6 7 」 放火1 」 墳墓発掘、 死体遺棄の如き場合を指称し (ハ) 殺 人1 ′ 強姦1 薮 に所謂間接に関連する場合とは (イ) 丑の刻詣りの場合、 被呪阻者がこれを知り神経衰弱となりその結果発狂 したり自殺したり す る如 き場 合。. (ロ) 他人の迷信を利用する場合。 i 即ち ( ) 直接に利用する場合として (a) 病 気 を治 す奇 効 が あ る と い っ て、 い か ゞ ゎ しい 薬 を 売 る 場 合。. (b) 非医者的詐欺の場合。 8 」 i (c) 災厄を予告して其の人の財物を捲き上げる様な場合1 i ) 間接に利用 。 がこれであり、 ( す る場 合 と して. (a) 相手方が迷信家なるを知って為す普通人なら畏怖心を生ぜ しめるに足らない程度の害 悪 の 告 知の如 き場 合。. (b) 相手方が迷信家なるを知って敢て為し行為を止めしめようとするが如き場合である。 更に迷信と犯罪との関係は私の所謂強度の迷信、 弱度の迷信と関連するものに分け考察し得る。 前者に属するものとして上述の第二中 (-) の (イ)(ロ)(ハ) ) 、 (二)の(イ) 及び (ロ) の (i)(a i i ) がそれであり、 (二) の (ロ) の( )( )(b ) の如きが後者に属する。 (b)( c a 以下、 上の分類に従い迷信と犯罪との関係を詳論する。 15) 吉益博士前掲書244頁、256頁によれば 「或る惨虐事件の犯人は他人を便嚇して一少年を殺させその肝臓を食って痛疾を治そうとした 叉所謂魔 。 女の虐殺例多数あり。」 と。 2頁に 「性病を治すと云う迷信から純潔な少女を強姦する様な危険な犯罪もある。」と 16) 吉益博士前掲書16 。 17) 吉 益博士前掲書248頁に 「迷信からの放火。 著者の観察例は未だないが He l lwi g によって多数の例が報 告されて居る。 例えばヂプシーの女から此家を焼かないと不幸な事が起ると云われて自家に放火した り、 叉此家には病魔がついて居るから病人が断えないのだと云われて住宅に放火したような事件がある。」と。 2頁。 18) 吉益博士前掲書16 - 67 -.
(6) . 渡. 第四. 辺. 蔵. 人. 鹿義の迷信と犯罪との関連. 此の場合特に樫柄、 邪教と結びついて宣伝される場合が考えられるが、 災厄を予告 して其の人の 財物を蕩尽させたり叉財物を捲き上げる如き場合にも問題 となるものと解する。 此等が淫桐邪教と 結びついて宣伝される場合、 裁判所は宗教法人について著しく公共の福祉を害すると認 、定するとき 当該宗教法人の解散を命ずることが出来る。 (宗教法人法第八十一条一項一号)然 して叉、 財物を蕩 尽させたり捲き上げたりする如き行為は、 それにつき財産上不法の利益を得若しくは他人を してこ れを得せしめるものであるならば準詐欺罪の規定 (刑二四八) を以て律すべきも のと解する。 通説 判例は詐欺罪 (刑二四六) を以て処罰すべしとするが此等の点については後述第五 (二) の (ロ) 中 (i) の (c) に お い て 述 べ る 事 と す る。. なお、 唯単に天変地異を説くに過ぎぬ場合、 脅迫罪が成立するかにつき通説は消極に解する。(牧 3頁) 少数説は或場合に 野博士日本刑法842頁。 小野博士刑法講義各論199頁。 滝川博 .土刑法各論11 1 32 7頁 4 3 5 6 頁 尚 牧野博士刑法研究九巻 頁 新保教授刑法各論 ( 木村博士各論 其成立を認めるが 。 。 、 )何れにせよ旧警察犯処罰令第 二条第十七号の如き規定の必要は考えられるが軽犯罪法 以下は同旨。 中これらに該当する規定なく、 従って脅迫罪を以て律し得ぬ場合は如何とも為 し難いのではあるま い力)。. 0条) の早急な具体化を必要 と解し (精神衛生法第25条による 観護処分 (刑法改正仮案127条~13 救済では狭きに失する) 更に軽犯罪法中に、 旧警察犯処罰令第二条第十七号の如きを設ける必要 あ り と考 え るc. 第五 狭義の迷信と犯罪との関連 (一) 直接関連する場合 (イ) 所謂迷信犯に ついて (a). 意. 義. 迷信犯の意義につき学者の説かれるとこ ろ極めて簡潔である。通常学者は其の概念を示さずに「迷 9 )木村博士は 「迷信に依り客観的 信犯例えば丑の刻詣りの如きは……」 と説かれるに過 ぎないが、1 laubi sches Verbrechen) と に 結 果 発 生の 可能 性 な き 手 段 を 以 て 犯 罪 を 為 す 場 合 を 迷 信 犯 (aberg. 0 ) 不破博士は 「迷信犯即ち迷信を信奉するものが之によって 犯罪を犯さんとする 謂う」 と説かれ2 1 )と説かれる。通説及び木村博士の説かれる迷信犯の概念は丑の刻詣りの如きに限ると解 も……」2 7 2 ) するが 不破博士の説かれるところは通説より広く私見に所謂狭義の迷 信と直接関連する 場 合を 意味するものと解する。 然し迷信犯とはしかく狭く解さねばならぬものであろうか疑問とするとこ ろ がある。 思うに迷信による一切の犯罪を広義における迷信犯と称し、 強度の迷信によるもの即ち 主として私見に所謂 「狭義の迷信と直接に関連する場合」 を狭義における迷信犯と指称すべきであ る と 解 す る。 5頁, 同博士 「改正刑法総論」323頁 団藤教授 「刑法」52頁 江家博士 「刑 19 ) 安平博士 「新刑法概論」 19 4頁。 66頁。 八木博士 「刑法総論」 2 03頁。 斎藤教授 「刑法総諭」 19 法総論」 1 166頁は、 「……例えば人を祈り殺そうとする行為が迷信犯であり」 と、 尚、 滝川幸辰博士 「刑法読本」 ’ 叉滝川春雄・宮内格・平場安治教授共著 「刑法理論学総論」203頁は 「……自分の敵を祈り殺そうとする 所謂迷信犯の如き」 とある。 20) 法律学大辞典第四巻2370頁。 但 し同博士 も刑事法講座二巻 「不能犯及び事実の欠鉄」434頁では 「…… 迷信犯例えば人を殺そうと思って迷信によって丑の刻詣りを しても……」 と説かれる。 1) 不破博士 「刑法総則講義案」90頁。 2 ・ 22 ) 砂糖水を毒薬と信 じて殺人の目的を達 しようとした場合の如きもこれに属する。 此の例は ドイツの一地 - 68 -.
(7) . 迷信と犯罪との関係についての一考察 方の迷信で砂糖水に呪を込めて三昼夜祈るとその砂糖水は毒薬に化するというのが ありか る行為者を 連邦裁判所が無罪とした事例がある。 尚参照。 Thormann und overbeck, Dasschweizerische strafgesetzbuch 2 Lieferung l935 Art . , . ,. 231 12 S . 118 .. (b) 丑の刻詣 り 3 通説はこれを不能犯として不問に付して居 り2 」昭和六年改正刑法仮案第二十二条に「結果ノ発生 ス ル コ ト不 能 ナ ル場 合 二於 テ、 其 ノ 行為 危 険 ナ ル モ ノ ニ非 ザ ル トキ ハ 之 ヲ 罰 セ ズ」 と あ る 此 の 規 。. 定は ドイツ19 25年案第二十三条四項の Der Versuch bleibt straflos, wenn der Tater die Tat ‐gesetze an einem Gegenstand ober1 aus grober UnWi t 菖ber Natul ssenkei i t ei tel 1 [ 1 ] ne1 ] n 八征t versucht hat t dem di iberhaupt ni e Tat【 【 ihrt werden Kann cht ausgef , an oder mi , に庭 胎. したものであるが一方処罰を肯定 し刑の減軽免除の可能を認める立場もある 例えば ドイツ192 7年 。. 案第二十六条三項に. K0nnte der Versuch schon wegen der Art des vo i ]m Tater ausersehenen ルl ttels oder Gegenstandes 茸berhauPt nicht zur vol lendung f t ihren, so Kann des Gericht die Strafe .dern.ln besonders .eichten Fal nach frei e ] . ・ Errnessen rni len kannesvoln Strafe absehen .. と あ る。. 問題となるのは丑の刻詣りを不能犯として不問に付する理論的根拠如何である 。 第一説は、 構成要件に該当 しない事を理由とする。 滝川・宮内・平場教授等の説かれる所であっ て日く 「自分の敵を祈り殺そうとする所謂迷信犯の如きは行為者自身が如何に 人 ヲ殺 ス 行為だ と思ったとしても日常生活上の社会的行為類型に該当 しない以上は実行ではないとせねばならぬ 。 即 ち構 成要 件 に 該当 しな い。」 と。. 更に教授等は 「不能犯論は問題提出をあやまって いる。 此処で問題となっているのは行為が危険 であるかどうかの違法性の問題でなく行為が構 成要件にあてはまるかどうかの構成要件該当の問題 である。 此の際構成要件該当か否かを決する標準は一応相当因果関係説の意味での客観的相当性で 5 ) ある と い える。」 と。 2. 此の立場即ち因果関係を欠くの故を以て犯罪を構成せずとするのは ドイツ判例の定説とする所で 6 ) ある。 2. 第二説は危険性が無い事を理由とする。 此処に言う危険性の意義については説が分れ科学的に危険性がないとする立場2 7 )と科学的 に も 8 )前者例えば島田教授は 「呪阻は殺人の方法として 社会観念上も危険性がないとする立場がある。2 現代の科学では不能の事とされている。 それ故 呪 阻 に よ る 殺 人行為は不能犯と して 論 ぜ ら れ 9 ) と説かれ、 後者例えば安平博士は 「迷信犯--丑の刻詣リー--の如 きは科学的に危険性が る。」2 ないのみならず社会観念上危険性なしとせられるが故に不能犯である 」3 )とされる。 此の点小野 。 0 博士の説かれるが如く、 危険性の意義は後者の如く解すべきである 蓋 し 「元来危険性は事実的可 。 能 性の問題であり、 従って無 限の程度を包含する概念である 。 而して今の場合、 それは刑法の目 的、 其の道義的な文化維持及び社会保全の目的によって其の限界を劃する外 ない 其は単純な科学 。 的見解の問題ではなく歴史的な実際生活に於ける観念 (謂わゆる社会観念) 及び其の国家的統治の 立 場 に 於 ける評 価 を必要 と す る 問 題 で あ る。」が 故 で ある か ら で あ る 3 1 。 ). 第三説は犯意が無 いと云う事と危険性がない事の競合する事を理由とする 。 一面に於いて主観的危険説の立場から丑の刻詣りが不能犯に属するものである事を容認されつ 丑の刻詣りに犯意の不成立を強調されるのは牧野博士であられる 3 )博士の説かれる所によれば日 。2 - 69 -.
(8) . 渡. 辺. 蔵. 人. く 「惟ぅに犯意は犯罪事実の認識であり犯罪事実は一定の行為と一定の結果と、 従って更にその両 者の間の因果関係から成立するのであるから犯意の成立には因果関係の認識がなければならぬ訳で ある。 されば迷信犯の場合には、 その予見された結果は犯罪事実に属するものであるけれ ども 其処 に因果関係として犯罪の成立に必要な事実上の聯 絡が認識されていないことになるのであるから実 行行為に該当する事実の 認識が欠けている事になるのである。 かような認識の内容は犯罪的なるも 3 ) 」 と。3 のという事を得ない。 即ちかような場合においては犯意の成立がない。 牧野博士が迷信犯 例えば丑の刻詣りの如きを犯意の方面より論ぜられる所以は 「一方に於いて迷 信犯を事実の欠歓 (の場合から区別 される当然の帰結であり他方に於いて主観主義の考え方からされ ) 要するに博士の立場の重点は 「先づ客観的な方面からとしては不能 4 る論理上の結果である。」 が3 犯としての迷信犯であり、 主観的な方面からとしては犯意を欠くものとしての迷信犯である。 迷信 犯についてはか. 5 ) る 両 っ の 方 面 か らの 考 察 が 相 競 合 す る。」も の と さ れ る。 3. 第四説は行為者の性格怯儒を理由とする。 宮本博士の説かれるところであって日く 「迷信犯は行為者の性格 が怯儒であって他の自然的方法 を採るに堪えないものである。 換言すれば如何なる自然方法をも辞せない反 規範的性格者が偶た斯 かる方法に出でたの でなくして一切の現実なる自然的方法の前に恐催する者が超自然的方法なるが 故にその力を籍らんとするのである。 果して然りとすれば斯かる行為者に在っては性格的に何等現 実的な手段を行う危険もなく従って斯かる性格に基く行為も亦何等抽象的な危険もない訳であるか 6 ) ら叉 その 行 為 は違 法・でも あ り 得 な い の で あ る。」と。 3. 第五説は責任能力の欠鉄叉は不完全を理由とする。 草野博士の説かれる ところであって日く 「迷信犯の如きは観察如 何によっては正気の沙汰と言う る、更に「行 」 とされ3 を得ず。イタリア刑法が保安処分を講ずべしと言った事の真理なるを痛感する。 為者が主観的に認識 した所を現実の事実として考察しても今日の科学の教うる所に従えば其処に結 果発生の危険が感じられないからである。 更にこれを別方面から言えば超自然方法を択ぶ迷信犯の 如きは性格怯儒であると言わんよりは寧ろ精神に異常ある者と言うのが当るので其の故を以て刑罰 8 ) が 科 せ られ る べ き で は あ る ま い。」 と さ れ る。 3. 博士が特に精神異常者なる語を用いられたのは 「宮 本 教 授 の性格怯儒という語や ドンヌデュ・ i es t ) という語などよりも責任能力の欠鉄叉は不完全を表 ド・ ザーブルの精神虚弱 p faible d pr 9 } わ す に ふ さわ しい と 考 え た か ら」 で あ る と さ れ る。 3 第フ 説として迷信犯は法律の対象でないという事を理由とするものがある。. 江家博士の説かれる所であって白く 「丑の刻詣りの様ないわゆる迷信犯は刑法上、 これを犯罪と して評価するに足らないもの即ち不能犯とす べきである。 何となれば迷信犯は超自然力に依頼して 犯罪を実現しようとするもので超自然力に依頼する行為は法律の対 象となるべき行為ではないから 0 ) で あ る。」 と。 4. 上の如く学説は其の理由は異るがすべて 丑の刻詣りの如きを不能犯即ち犯罪でないとして不問に 付 して い る。. 果して此の立場は正当であろうか。 理 論 的に将叉結果的にみて妥当か否かの見地より考察した し、。 ・. 先づ第一説である。 丑の刻詣りの如きは日常 生活上の社会的行為類型に該当しないから実行ではなく構成要件に該当 せずと説かれ更に問題は構成要件該当性のものであり違法性の問題ではなく一応客観的相当因果関 係説により其の構成要件該当か否かを決せよと主張 されるが確かに一般的に言って丑の刻詣りの 0- -7.
(9) . 迷信と犯罪との関係についての一考察. 如きは実行ではない。 刑法第百九十九条の 「人ヲ殺ス行為」 を正当に解釈する事によっては吾々は呪岨を以て殺 人の着 手ありと為すを得ないのである。 然しながら日常の経験から 「犯罪に一般な行為」 があるとき実行 1 )と言われるがそれでは犯罪に一般な行為とは何かという事も 明 確 で はないのであ の着手がある4 る。 叉 例 え ば甲 あ り。 乙 を 呪殺 しよ う と して 丑 の 刻 詣 り を した と こ ろ、 た ま た ま 乙 が こ れ を 知 り神. 経衰弱とな り自殺した場合や発狂した場合の如き如何。 此等の場合において甲の呪術と乙の死亡等 との間に果して因果関係は絶無と言えるであろうか。の これらの場合、 確かに構成要件には該当 し ないが因果関係はあるのであってこの場合構成要件に該当 しないからといって全然不問に付す事は 妥当であろうか。 刑罰を以て臨む訳には行かない事勿論であるが何等かの処分を以て之に対する必 要がないであろうか。 この点については後述するが 「一応客観的相当因果関係説により其の構成要 件該当か否かを決せよ」 と主張される第一説は上に述べた如く因果関係があって然も構成要件に該 当しない場合があるので一応の基準とはなるが絶対的なものとは解 し難いものと言-ゎ ねを ならな い。 更に叉丑の刻詣りの如きは構成要件該当性の問題であり違法性の問題ではないと言われるが、 両者は一応分別 し得るも両者の関係は煙と火との如きものであり M.E r の言う如く 構成 . Maye 3 4 要件該当 性は違法性の認識根拠であり、 」丑の刻詣りの如きは構成要件該当性の問題であるが違法 性の問題ではないとは言い得ないと解する。 次に第二説であるが果して丑の刻詣りの如きは危険性がないのであろうか。 ier Gaut. は 「不能犯なるものは絶対に法規上の空想ではなくそれは極めて屡々存在するところで. 3 ) De laqui あ り且 危 険な もの で あ る。」 と 説 き4 s は 「不 能 犯 の 場 合 は決 して 無 害 で あ る の で は な く. 具体的な法益を危殆なからしめることがない場合でも法 律秩序が危殆ならしめられるのが一般であ る。 例えば人を呪殺せんとする者が呪阻の効なきとき刃物を執るに至らしむる事は考え得られる処 5 )と。 であ る。」4. 6 )日く 「迷信犯の場合は常に危険性の徴表なきもの 同旨を牧野博士は次の如く説いて居られる。4 と して い かが問題になるのである。 迷信に困る行為はその具体的な事案の関係においては危険の 成 立を認むべきではない。 しかしその具体的の関係において或は一場の笑柄たるに過ぎない事も あるのであろうが叉或は真塾なる犯罪的意向の現表と見得る場合もあるわけである。 此の後者の場 合--‐即ち決定の真塾性がその徴表を具有する場合即ちその迷信的行為の効果なきを覚るにおいて は効果的な他の方法を採るであろうと考えられる場合一一においてはやはりこれを未遂罪として処 理することが未遂論の原理に適する事でなかろうか。 」と。 危 険性が無い事を理由とする第二説への批判として上の三家のそれは尽して足らざるところがな いと解 す る。. 7 )日く 「不能犯は犯 第三説中犯意がないという事については草野博士からの厳しい批判がある。4 意なき故を以て罪とならないと云うことには初学者にとって相当理解に困難なものがあるように思 われる。 それと云うのは普通に犯意が無いとか故意がないとか云うときは客観的には危険なり違法 性なりの備わって居る事実について主観的に其の違法性なり危険なりが備わって居ないと否定する 場合--例えを 他人の物を自己の物と誤認して持来つたような場合に窃盗の故意なしと 言 う の 類 であるのに対 し、 此の不能犯の場合の犯意な しというのは客観的には危険性の備わって居ない事実 について主観的に其の危険性か備わって居ると肯定する場合であるからである。 加之、 此の説も結 局は当該行為に危険性がないということを以て犯意否定の論拠として居る以上何もわざわざ犯意が ないと云う様な煩わ しき説明を附加する必要はなかりそうに思われる。 」と。 此の見地を妥当と解す る。 1- 一7.
(10) . 渡. 辺. 蔵. 人. 8 )字書によれば 「おそれおこたること」 第四説であるが問題となるのは性格怯儒の概念である。4 1 撰する者が超自然的方法なるが故 とある此の語を宮本博士は 「一切の現実なる自然的方法の前に恐‘ にその力を籍 りようとする」 場合であると説かれるが、 自然的方法夫 こると超自然的 方法たるとを問 わず 他人を殺害 しようとの意思で行為したのであり、 これを 「おそれおこたっている」 として不 問に付す事 は果して妥当であろうか。 更に博士によれば、 か る行為者に危険性なしと言われ、 か る行為も亦何等抽象的な危険がないと言われるが此等に対 しては既述 第 三 説 中 の Gautier, laqui De s , 牧 野 博 士 の 批 判 を 以て 答 え 得 る。. 性格怯儒とは何であろうか。 草野博士の言われる責任能力の欠鉄叉は不完全を意味するものであ 3 ) ろ うか。4. 私は宮本博士が責任能力の欠鉄叉は不完全の話を使用せず 「性格怯儒」 なる語を使用せられた所 以を素直に採り度い。 それは常人の意思力・実行力を不当に欠いた意気地のないもの (犯罪を実行 する者が意気地があると言う意味ではないが) であり、 極端に気の小 さいもの、 臆病なものな どが 0 )の分類によれば所謂意志薄弱性を意味 これに属するであろう。 然るに此等は精神薄弱や精神病質5 するものである。 勿論性格怯濡は性格に関するものであり、 意志薄弱は智能に関するものであり、 両者は異るも、 多く前者は後者に由来するものである。 吉益博士の説かれるところに 従えば此等は 最もあ りふれた類型であって意志の被影響性によって特徴づけられ独力性と持続性に欽けて居り犯 )叉気質として粘着性 ( i 罪の原 因と して極めて大きな役割を演ずるが5 1 ) の者がなる場合もあ s v sk6 2 )思うにこれ等の者を危険性なしとして放置する事は妥当でないと解するが此の点 ると説かれる。5 3 )即ち日く 「草野判事は については後述する。 第五説について は牧野博士は次の如く批判される。5 宮本教授の性格怯儒論を超えて精神異常論を唱えられるのである。 そこに創見がある。 しかし不能犯を以て責任能力の問題とされる事については異論が待ち設けられねばならぬ0 われ われは現に精神鑑定上異常者とされない者で強い迷信を持って居る幾多の人を知って居るからであ る。 迷信というのは知識の足りないことを意味するのであるが当然に精神異常を意 味するものとは 考えられない。 唯或場合において迷信的な行為をする者には精神異常者があるというだけの事に過 ぎない。 そうして迷信犯についてわれわれが問題とするのは精神異常者でない者が迷信的な行為を 為す場合であるのでこれを精神異常に依って説こうとするのは方法的には逆 になっているものがあ る とも せ ね ばな ら な い。」と。. 結論より先に言えば私見は第五説に 賛する。 其の理由及び第五説に対する牧野博士の批判に対す る再批判は第六説の後一 括して述べる事としたい。 最後に江 家博士の説かれる第六説であるが、 この説に対しては次の事が言い得ると解する。 即ち 超自然力に依頼する行為は法 律の対象となるべき行為でないと説かれるが丑の刻詣りにおいて手段 は超自然力に依拠するが故に法 律の対象ではないが客体は人であり法律の対象たる事明瞭であり叉 行為者の 危険から(前述の Gaut i l er aqui s , De , 牧 野 博 士 の 批 判) 手 段 も 容 易 に 法 律の対 象 に 変 じ得 る以上これを不問に付すべきかについては疑問がある。 私は先に迷信と犯罪との関係を広義の迷信と狭義のそれに関連するものに分け更に後者を直接に 関連するものと関接に関連するものとに分けたが一般社会の通念に従い強度の迷信と弱 度のそれに 4 )此処に強度の迷信 と関連する犯罪とは一般人が 関連する犯罪とに分けても考 察し得る と述べた。5 5 )異常人による異常な現 通常陥らない如き迷信による犯罪であり、 斯かる迷信の本質は既述の如く5 象たるべきものであって丑の刻詣り、 悪霊下げ、 迷信による殺人・傷害 o 暴行o放火の如きがこれ に属すると解する。 通説はこのうち悪霊下げ以下を犯罪として処罰を肯定する。 然しながら丑の刻詣りを不能犯とし 一 72 -.
(11) . 迷信と犯罪との 関係についての一考察. て不問に付す以上は如何に実害があろうともこれらも同様であるべき筈であり、 叉此等の処罰を肯 定する以上は如何に 実害がないとしても丑の刻詣りの如きも不問に付す訳には行かない。 私見によ れば丑の刻詣りの如き行為者が強度の迷信に陥っているものであり其の迷信に陥るに至った所以は l t 「無 智 に 因 る」 (aus Unvers ) と ・鈍 に 因 る (aus Einfa tand) が た め で あ る。 無 智 に 因 る と は角 7 )精 6 )魯鈍とは精神薄弱の一種類に属し、 白痴・痴愚に次く 者 を 指 す。 5 同義であると解せられるが5. 神薄弱とは知能障碍の一種であり、 先天的に或は幼少期の脳の段損により生じた智能の発達制止を 云い、 其の原因は遺伝、 酒其の他の毒物による親の生殖細胞の殿損、 梅毒による胎児の殿損、 出産 8 )鱒 時の脳の穀損、 幼少時の脳膜炎、 脳炎其他の伝染病、 脳の外傷などによるとされている。5 、鈍と は此の 一 種 で あ りアメ リ カ で は 智 能 指 数50~70、 イ ギリス で は55~75 、 ドイ ツ で は75~85迄 を 指 称. 9 )丑の刻詣りの如き強度の迷信に陥る者は草野博士の言われる如く 「正気の沙汰」 では している。5 なく斯かる見地から責任能力の欠欽叉は不完全の方面より説からる第五説に賛する。 此の説に対す る牧野博士の批判は当 らないと解する。 蓋し、 牧野博士は第一に、 迷信による迷罪を丑の刻詣りの みに限定されて居られるものの如くである。 然しながら既述の如く迷信と犯罪との関連する態様は 各種であり、 迷信による犯罪即丑の刻詣りとし其の、 本質を究明する態度には賛し難いものがある と言わねばならない。 第二に、 迷信の本質を正常人の正常現象と解する点である。 此の間題につい ては既述の如く、 一 義的に断ずるを得ず、 迷信に二種あり、 正常人の正常現象たるものも存在する が他方に異常人の異常な現象たる本質を有する迷信も存する事である。 博士は関氏と同様迷信の本 0 ) 質を考察する点につき不明確なるものがあると解する。6 そして第三に、 博士は強度の迷信という事を看過して居られる事である 。この点は上の第二とも 関連する事であるが強度の迷信は 「正気の沙汰」 ではない。 既述迷信と犯罪との関連する態様に於 いて述べた如く、 迷信による行為には各種があり正常人の正常現象と言い得ぬ極めて強度の迷信が 存在する。 これらの迷信に陥る如き人が仮令精神鑑 定上異常者とされない人々であろうとも少くと も其の迷信に陥っている状態に於いては異常人と異るところがない。 強度の迷信とは特殊な者 (例 えば精神薄弱者) や特殊な状態にある者 (例えば心神耗弱の状態) の陥る如き迷信であり、 丑の刻 詣りは正に斯くの如きものに属する。 従って丑の刻詣りを解明するに責任能力の問題とする立場を 妥当と解する。 上に述べた如く丑の刻詣りは不能犯であり犯罪ではない。 これを刑法上不 問に付すべきものであ るが果して然らば先に考察した如く行為者の危険、 法律秩序に対する危険を如何にすべきかの点で ある。 i icura 宜 しく 千 九百三十 年 のイ タ リア 刑 法 の 如 く 治 療 監 護 所 へ の収 容 (r coveroin una case d d icus iar i tadi comi o giudi a) 司法精神病院への収容 (ricoveno in un mani z o). を図り保安処分. に付 す る べ きも の で あ る と 解 す る。 3頁。 島田教授 「刑法各論」16 23) 滝川博士 「刑法読本」 166頁。 八木博士 「刑法総論」20 3頁。 小野博士 5頁。 但し泉二博士 「刑法各 「刑法各論」161頁。 斎藤教授 「刑法各論」141頁。 小泉教授 「刑法各論」17 2頁は呪阻も殺人行為たりうる場合があるとせられる。 5頁及び岡田 (庄) 博士 「各論」41 論」 49 0 3頁。 24) 滝川・宮内・平場教授共著 「刑法理論学」2 25) 前掲書2 02頁。 5頁。 26 ) 斎藤教授 「刑法総諭訂正版」19 27) 島田教授 「刑法各論」1 63頁。 小泉教援 「刑法各論」175頁。 山岡博士 「刑法原理」376頁。 1頁。 安平博士 「新刑法概論」 1 9 6頁。 28) 小野博士 「刑法総論」 19 29 ) 島田教授 「刑法各論」163頁。 6頁。 30) 安平博士 「新刑法概論」1 9 1頁。 31) 小野博士 「刑法総論」19 2) 国家試験12巻2号1頁。 3.
(12) . 渡. 辺. 蔵. 人. 33) 牧野博士 「刑法総論」259頁。 34) 国家試験12巻2号1 頁。 35) 国家試験1 2巻2号1頁。 36) 宮本博士 「刑法大綱」19 2頁。 37) 草野博士 「改正刑法総則講義」 103頁。 38) 草野博士 「刑事判例研究5巻」 昭和15年298頁。 39 ) 草野博士 「刑法改正 上の重要問題」 スイ ス新刑法と不能犯。343頁。 40) 江家博士 「刑法総論」166頁。 41 ) Finger ・ rbuch des deut schen St rafrecht s ,Lel ,1904 .313。 ,s 4 2) 大正八年七月 三十一日、 大判、 刑録25輯899頁によれば傷害致死の因果関係の例として 「海上に於 、 いて既に犯人の暴行により頚部に挫傷を負っていた被害者が更に犯人が自分 の乗っている舟を沖合へ引 き去るうとするばかりでなく余勢に乗じてこれに飛び乗り、 殴打しようとするのを見て、 その急迫な危 険を免れようとして、 やむなく急進海中に飛び込み、 そのま 溺死 した場合」 にも傷害致死罪の成立あ る も の と した。. ine Te 4 i 3) M.E. Mayer l l l des deut geme s chen St raf recht s (1915) s , Der a .10 , 45任. 44) 草野博士 「刑法改正上の重要問題」 スイ ス新刑法と不能犯。337頁 。 Protokol i l derzwe i i t en Experヒ enko ] ml l ・ s s on l s . Band . 161 . ,1912 ,s. 4 5) 46) 47 ) 4 8 ) 49). 草野博士 「前掲書」3 35頁。 0号22頁。 国家試験12巻1 草野博士 「刑事判例研究第5巻」296頁。 啓成社版、 大辞典8 34頁。 草野博士 「刑法改正 上の重要問題」34 3頁。. der 50) K. Schne l. 51) 吉益博士 「犯罪心理学」46頁。. 52) Kre i t i 1 h t der At l i ke schmer e Per nl s6 chke t 36 によれば 「粘着性気質の人は粘液 質性と爆 e r , Di .19. 発性との間を動き精神運動性速度は粘 着性で遅く、 緩徐・鈍重・荘重・社会的態度は丁寧・義理竪く、 信心深く、 凡帳面、 固順、 頑固、 執勘なところがある。」と。 吉益博士 「前掲書70頁。 5 3) 国家試験12巻2 号10頁。 54 ) 既述、 第三 「迷信と犯罪との関連する態様」 55 ) 既述、 第二 「迷信の概念」 日批判の部参照。 56) 草野博士 「刑法改正 上の重要問題」34 2頁。 57 ) 吉益博士前掲書44頁。 58) 吉益博士前掲書74頁。 59 ) 吉益博士前掲書74~75頁。 6 0) 前述第二の同参照。 (ロ) 所謂 「悪霊下げ」 について. 次に悪霊思想の如きを考察するが此の思想は全国的に散在し、 例えば四国の 「犬 神 悪」 信州の 「クダ孤悪」 三河の 「豊川稲荷悪」 島根の 「人孤悪」 等々あり、 悪霊を落すため如持・祈祷をし淫 桐邪教と結びつく事も多く 暴行・傷害・殺人に至る事もある。 所謂 孤下げの如き場合については学 説分れ、 第一説は岡田 (庄) 博士の説かれるところであって日く 「孤下げを施す者は之に依て疾病は治癒 すべきものと之を確信して居るもので該行為は不正でないと信じたもの 換言すれば違法の認識なき 1 ) も の 従 っ て 犯 意 な き も の で あ る か ら 無 罪 で あ る と 謂 わ ね ば な ら ぬ。」と。6. 2 )日く 「危険なる迷信的 (例、 孤下し) 治療術に 第二説は宮本博士の説かれたところであって6 しても、 少くとも違法性阻却原因である。 従って斯る方法に基因する死傷に付いては違法暴行に付 3 )EK 故意がない。 故に傷害ではなくて過失傷害である。」 と。 泉二博士も亦次の如く説かれる。6 「素人治療はは其傷害が医師法違反罪 を構成する点は別として傷害の点のみからみれば医師の行う 場合と同一であるから第三十五条に準じて傷害罪を構成しないものと解せられる。 而して斯く疾病 治療行為は傷害罪と しての違法行為とすることを得ないとすれば実際上治療の効果を奏し得ない手 - 74 -.
(13) . 迷信と犯罪との関係についての一考察. 段でも、 それを行為 者が其故ありとする事実上の誤信に基いて此手段を用いたときは傷害罪に於け る犯意の存在を認められない。 惟ぅに孤下げの為にする傷害行為が死の結果を生じても傷害致死罪 を以って論ずべきものでないことは従って当然である。 尤も事情の如何に依っては之を過失致死罪 と して 論 ず べ き場 合 が あ る で あ ろ う。」と。. 思うに丑の刻詣りの如きを不能犯として不問に付するならば孤下げの如きも亦 第一説の如く解 、 すべきである。 蓋し、 両者は共に強度の迷信より発するもので其の行為 に至る心意に於いては そ 、 れとこれとの間に差異はなく寧ろ前者は後者よりも其の心意における危険性の度合 強度であると 、 言い得るo 然しなが ら孤下げの如 き場合は現実に危険がある 其処で第二説は過失致死傷罪の規定を以てこ 。 れに備えているのである。 処が此等を過失犯とみる事は妥当であろうか 。 結果的にみても刑法第 09条の過失傷害罪の刑罪は 「五百円以下の罰金 叉は科料」 であり此の罪は親告罪 2 1 0条の 。 刑法第2 過失致死罪の刑罰は 「千円以下ノ罰金」 に しか過ぎない (罰金等臨時措置法のもとにおいては五 。 十倍。 ) 今、 田中・伊尾・平出・河井検事等が過失致死傷害に該当する例としてその教科書に挙げ られる 4 ) 所を示せば6 例一。「A 女は生後三十五日の長男 Bに対 し添寝しながら授乳して居たが実母Cの看護のため 数日 来極度に睡眠不足であったので其侭眠った為 乳房でBの鼻ロを圧し窒息死させた 如き場合 6 5 」 、 。) 例二。「A女は生後二年のB女を交通頻繁な道路脇 に於て遊ばせて居たが其の監視を怠り隣人と 立 話に夢中になって居る間にBは道路中央に歩 いて行った為に偶々わき見を しながら自動車を運 転し て来た運転手 Cの自動転にはね飛ばされて死亡 した」 如き場合 6 6 ) 。 例三。 「B男は小学生 ( 12歳) でA方に屡々遊びに来て無断で座敷に入りA空気銃 を 弄 ぶ 様 な 間柄であった。 感日、 A男 (大学生で21歳) は空気銚に弾丸を込めた侭自宅床の間に之を 立掛けて おいた処、 B男はC外数名の友人を連れてA方に遊びに来たのでAはBが叉 空気銃を弄ぶ かも知 、 れないとは思ったが急用のため、 其侭外出したo Bは空気銃に弾丸が込めてあるのを知らないで引 が ねを引き弾はCの左眼球に命中 し、 Cは之れが為 脳震畳を起して死亡 した が如き場合 6 )更に 。」 。7 判例によれば、 例四。 「街路の中央に電車軌道あり、 其の両側は人車道にして人車の通行頻繁なるのみならず 偶 々一台の貨物自動車が其の片側車道に停車し 其の側より透視の障害とな りたる場合に該側より自 、 転車を操縦して街路を横断せんとするときは、 万一貨物自動車の蔭より何物か顕出することなきや を確め更に街路の最短距離即ち街路と直角に横断し 人車との衝突を避くる為 適当なる処置を執 、 、 るべき義務あるものにして若し漫然斜に進行して貨物自動車の蔭より来りし自転車乗用者と衝突 し て 負 傷 せ しめ たろ と き は、 過 失 傷害 の 責 を 免 れ ざる も の と す 」と 6 ) 。 。 8. 例五。 「生後間もなき乳児に対し添寝しつ 乳房を噛ませ授乳する者は その授乳に伴い通常生 、 ずることあるべき一切の危険を未然に防止すべき義務あるものにして 若し授乳者に於て其の義務 、 を怠り、 授乳中睡眠したろ 為、 乳房を以って乳児の鼻口を圧 し之を窒息死に致したろ場合に於ては 授乳者は乳児の死亡に付不作為に因る過失死の罪 責を免れざるものとす 」と 6 ) 。 。9 これらの設例と比較して明らかなる如く、 孤下げの如きは単なる過失犯として刑法第2 09条、 第 2 10条により処罰する事が妥当であろうか 其の為すに至った心意は強度の迷信である 。 。 強度の迷 0 )無知に因る ( 信とは既述の如く7 aus Unverstand) も の で あ り そ れ は 即 ち 魯 鈍 に 因る ( 、 Einfa l t ) もの で あ り、 草 野 博 士 の 所 謂 「正 気 の 沙 汰」 で は な い も の で あ る 。. aus. 宜しく丑の刻詣りと同様に保安処分に付し、 治療監護所( i r cove r oin unacase dicura dicustad 一 75 唖.
(14) . 渡. 辺. 蔵. 人. io) へ の 収 容 を 図 る べ き で あ る と 解 す るo iudi iar i comi og z i r coveno in un mani )司法精神 病院 ( a 更に 孤下げの如き場合、 これらを過失致死傷罪として財産刑を以って臨むは無意義である。. 蓋し、 安平博士の説かれる如く財産刑は 「比較的軽微の犯罪に対する刑事制裁として将来叉短期. 7 1 ) 自 由 刑 の 欠 陥 を補 わ ん と して 適 用 さ れ ん と す る と こ ろ に 刑 政 上 格 別 の 意 義 が あ る。」か ら で あ る。. 結果的にみて孤下げの如き場合に過失致死傷害の規定を以て律する事の不当なるは上に述べたろ が如くであるが刑行刑法の下、 此等を律する規定がない。 仮令迷信 は正常者の正常現象と説かれる 説があろうとも (牧野博士) 現代に於いて丑の刻詣りや孤下げの如 きは極めて強度の迷信より生ず るもので 「正気の沙汰」 とは言い得ないものがある。 尤も強度の迷信と弱度の迷信との区別は客観的に解すべきものであり概述の如く迷信は疾病時や 特殊職業家に多く 而も疾病は人間の正常現象である以上通常人と錐、 強度の迷信に陥る処なしとし ない。 従って孤下げの如きを放置する訳には行かず此等に対する処分の必要性を痛感する次第であ る。. 然して此等を保安処分に付するに際しては、 大正八年の精神病院法第二条第二号の 「罪ヲ犯シタ 者ニシテ司法官庁二於テ特二危険ノ虞アリト認メル者ニハ地方長官 ガ精神病者ヲ精神病院二入院セ シメ得ル。 」の規定や、 昭和十五年の改正刑法仮案第十五章第百二十七条第一項の 「禁鋼以上の罪ヲ ・塘唖ナル場合二於テ公益上必要アリト認ムルトキ」 この処分に付す べ 犯シタル者、 心神障凝者叉ノ きものとするの規定や、 同案第百二十八条の 「之ハ監護所 二収容シ、 治療ソノ他監護ノ為必要ナル 処 置 ヲ 為 ス ベ キ モノ トス ル。」の 規 定 を 参 照 す べ き で あ る。 61) 岡田 (庄) 博士 「刑法各論」4 37頁。. 6 2) 6 3) 64) 65) 66) 67) 68) 69 ) 70) 71). 宮本博士 「刑法学粋」584頁。 泉二博士 「刑法各論」544頁。 田中万一・伊尾宏・平出禾・河井信太郎共著 「実習刑法概説」 217頁。 前掲書217頁。 参照大判昭和二、 十一、 二。 前掲書221頁。 参照大判大正十二、 十、 二十二 大判昭和四、 七、 六。 大判昭和 八、 十、 十。 前掲書224頁。 参照大判明治四 三、 一、 十八。 大判明治四十三、 九、 三十。 32頁。 大判昭和九、 五、 十五。 大判刑集十三巻6 2頁。 大判昭和二、 十、 十。 大判刑集六巻41 丑の刻詣りの末 尾に於て述べた如く。 安平博士 「改訂刑事政策概諭」152頁。. ・) 殺人・強姦・放火・墳墓発掘o死体遺棄の如き場合。 3 2 4 ) )7 )強度の迷信によるこれらの犯罪の存在する事は疑えない。7 吉益博士の説かれる が如く7 これ等は単なる犯罪ではなく やはり強度の迷信から出たものである以上、 保安処分が講ぜらるべ として其刑を減軽 き事、 既述の丑の刻詣り、 孤下げの如き場合と同様である。 刑法上心身耗弱行為. 7 ) し得るとしても (刑法第三十九条二項) 果して此等の者に刑罰威力は発揮されるであろうか。 72) 既述の註1 5~註18参照。 ~左右下肢を順 i 7 3) 大判昭和八れ675同年七、 八 「……人を殺害したろ上、 死体を全裸体と為して其の頭音 次切断 したるのみならず胴体を雑木材の樫に叉頭部を渓流中に隠匿 したるが如くに至りては仮令被告人に 於て其死体より肝臓脳味噌等を採取せんとして再び其の死体の存する場所に来るの意思 ありしとするも殺 人罪の外に死体損壊遺棄罪を構成するものとす。」と。 5頁に 「或る地方で姫婦の死体から死胎を分離して葬らなければ 74) たゞし植松正教授著 「刑法学各論」16 その姫婦の成仏は覚つかなし,との迷信が行われているため、 死体の一部にメスを加え、 胎児を分離した上 で葬ったとしても死体損壊罪とはな らない。 迷信に端を発 してはいるが、 本質的には保護法 益は何等害せ られないの であるから、 違法行為と見るべきではない。」と。 2頁。 大判昭和七、 十一、 二十一。 判例集十一巻二十一号 75) 大判昭和六、 十二、 三。 判例集十巻十二号68. - 76 -.
(15) . 迷信と犯罪との関係についての一考察 1644頁。 「心神耗弱」 とは判例によれば精神の障凝未だ事物の理非善悪を弁識する能力を欠如する程度に 達せざるも其の能力著しく減退せる状態を指称するものである。」と。 (二) 間接に関連する場合. (イ) 第一に問題となるのは 「丑の刻詣りの如き場合、 相手方がこれを知り神経衰弱となった り自殺したりする如き場合である。 此の点につき既述丑の刻詣りの項で簡単に蝕れたが重要なの は因果関係の有無である。 殺人罪においては手段の有形たろと 「例・身体傷害) 無形たろと (例・ 6 )少くとも因果関係に関する条件説、 客観的相当因果関係説に従えば 奥悩) を分っ事がないが7 精神1 因果関係の存在を肯定し得る。 此の場合所謂 Conditio sine qua non の関係の存在は否定出来な い。 若し責任の本質を以て道義的応報であると解するならば相当因果関係説が妥当であるが刑罰を 道義的応報と考えない立場においては必ず しも相当因果関係説を支持する必要がなく条件説を妥当 と解する。 然るとき本件の如き場合に於て因果関係の存在を否定出来ないのではあるまいか。 丑の 刻詣りの如きを不能犯として不問に付する事の許されない例証の一つである。 7 6). 1頁。 ・泉教授 「刑法各論」160頁。 木村博士 「刑法各論」 14頁。 江家博士 「刑法各論」19. 0l l i shausen se . .350 .949; Rus ,S211-3ゴs ,p. (ロ) 第二に問題となるのは他人の迷信を利用して行われる場合 である。 更に二つに分れ (i) 他人の迷信を直接に利用する場合と、 i i ) 他人の迷信を間接に利用する場合とがある。 ( 7 ) 前者に属するものと しては吉益博士も挙げられるが7 (a) 病気を治す奇効があると言って、 いかゞわしい薬を売る場合。 (b) 非医者的詐欺の場合。 (c) 災厄を予告して其の人の財物を捲 き上げる如き場合。 があり後者に属する例としては (a) 相手が迷信家なるを知って為す普通人なら畏怖心を生ぜしめるに足らない程度の害悪の告 知。. (b) 迷信家なる事を知って敢て為 し、 行為を止め しめようとするが如 き場合。 がある。 此等の i 場合の迷信は私見に所謂弱度の迷信即ち 「正常人の正常現象」 たろものであるが 先 ず ( ) の場合 より考察する。 8 )「顧 (a) の病 気 を治 す 奇効 が あ る と 言 って い か ゞ わ しい 薬 を 売 る場 合 で あ る が、判 例 に よ れもま7. 客の面前に於て……物品の効用に付、 自ら実験を為すに止らず、 叉別に人を使役し俗にさく らを用 いるが如き方法により、 其の商品の効用甚大なるのみならず、 世評売れ行共に良好にして各方面よ り注文ある旨虚構の事実を以て顧客を欺岡 し、 因て以て其の買受の決意を為さしめた如き場合詐欺 〕「一般にこの種の詐言については相手方が告知事実の真偽を十分 9 罪となる。 」と説くが植松教授は7 検討せずに軽信したのめ錯誤に陥ったとしても欺岡たるを妨げないが現在我国の商業道徳の一般標 準からいえば商業広告に多少の誇大性が伴ったからといって、 それは通常商業広告に於いて放任さ れた誇大性とみるべく直ちに詐欺罪に所謂欺園の手段であるとは言えない。 」と説かれる。 然しなが ら軽犯罪法第一条、 第三十四条、 薬事法第二十八条、 第四十一条に詐欺に至らない誘惑行為殊に誇 大広告に関する警察的刑罰法規があるが、 広告の内容が人をして錯誤に陥らしめうるものであって 相手方の迷信を利用し人を欺園するに足りるものであるときは詐欺罪を構成する事、 通説判例の認 0 )其の理由は錯誤は事実に関するものたると否とを問わず人の価値判断を誤らし むる所である。。8 めたろ場合、 例えば価値ある物を価値なしと信ぜしめたり価値なき物を価値あるが如く信ぜ しめる 1 ) 思 う に か る迷信--弱度の迷信 --の本質を 「正常人の正 事 も 敷 岡 で あ る か ら であ ると す る。8 - 77 -.
(16) . 渡. 辺. 蔵. 人. 常現象」 と解する以上、 詐欺罪を以てこれを 律するは妥当と思うが然しながら、 強度の迷信による b) ) 共に同様に解するので c 犯罪の刑罰との権衡上、 疑問とする所がある。 此の点については ( 、( 後述する所に譲る。 2 )「盟祷、 禁圧等の方法を行 (b) 非医者的詐欺の場合であるが泉二博士の説かれる所によれば8 い報酬を得る行為は此等の術が実際上治病の効能あり、 叉は該行為者が其効能を確信せる場合に於 ては詐欺罪の成立を認むべからざれども若し全然治病の効能なき手段たる事を知りつ 効能ある如 く作りて詐欺したろの事実ありとせば詐欺罪を以て論ずべきものとす。 」と。 b)Kc ) )の三 a (c) 災厄を予告して其の人の財物を捲き上げる如き場合も問題となるが此等 ( 、( の場合は其の犯罪の本質は等 しく何れも弱度の迷信即ち正常人の正常現象たる本質を有もるものか ら発するものである。 通説・判例はこれらの場合詐欺罪を以って 律するが私見の如く強度の迷信即ち異常人による異常 な現象たる本質を有するものから発するものを保安処分に付する事との権衡上、 他人の迷信を直接 に利用する此等の場合は、 刑法第二百四十八条に該当するものと解す べ きである。 蓋し、 同条に所謂 「心神耗弱」 とは 「全然意思能力を喪失するに至らざるも精神の健全を欠き事 3 iであって 「其心神耗弱と謂 物の判断を為すに充分なる普通人の智能を具 えざる状態を謂うもの」8 うは被害者が其現に関係する事項につき心神耗弱の事実あるを以って足る。 換言すれば被害者が其 の心神の不健全若く に未熟なるに因り、 其現に関係する事項に関する利害得失に付き思慮不充分な )叉「心神耗弱とは意思決定 る事実あらば抜に所謂 心神耗弱の事実あるものと為すを得べき」であり鍵 5 )「心神耗弱の原因に何等の制限なく、 先天的の低能者なると老衰叉は疾 の能力の薄弱な事であり8 b) ) ) の場合弱度の犯信に陥った事を a c 病に因る耗弱者なるとを区別しない。 」 が故であって ( 、( 、( 1 )次に 直接に利用された場合の如きは此処に所謂 「心神耗弱」 に該当すると解するのである。8 i) の他人の犯信を間接に利用する場合である。 (i (a) 相手方が犯信家なるを知って為す普通人なら畏怖心を生ぜしめるに足らない程度の害悪 7 )相手方 の告知の場合 であるが、 この場合、 脅迫罪は法律的安定の意識に対する危殆犯であるから8 の特殊の心理例えを 迷信家たることの性質上畏怖心を生せしめるに適 したものたること を 以 て 足 8 )普通人なら当然畏怖心を生せしめるに足る程度の害悪の告知が脅 り、 脅迫罪は成立すると解する8 迫罪を成立させる事、 論をまたない。 (b) 次に問題となるのは相手方が犯信家なるを知って敢てなし行為を止めしめようとするが 如き場合である。 例えば、 主人の迷信家なるを知れる被傭者が商談のために出かけようとする主人 の下駄の鼻緒の裏側 を切り、 下駄を履こうとする途端に鼻緒を切 断させ当日の商談のための出発を 中止させ其の為、 商談を不成立ならしめたり、 叉、 出発前の主人の眠前で茶碗等を故意に落しこれ を破壊し、 所謂縁起 が悪いと思わせ出発を中止させるが如き場合である。 此等を単なる悪戯として 不問に付す訳には行かない。 か>る種類の迷信は軽度のものであり所謂 「正常人の正常現象」 であり或種の職業にある人々に は広く存在する処のものである。 か る場合は刑法第二百三十三条の業務妨害罪に該当し、 三年以 下の懲役叉は千円以下の罰金 (罰金等臨時措置法の下では五万円以下) に処すべきである。 蓋し 「業務妨害とは業務の執行自体を妨害する場合は勿論、 執行行為に障害を与えざるも広く業 9 )からであり、 行為は偽計の使用である。 即ち偽計とは 務の連行に障害を与えうる行為を含む。」8 0 ) 「欺園誘惑に限らす汎く陰険な手段を用いることを言うのである。9 77) 吉益博士犯罪心理学」162頁。 78) 大半 =昭和 六、 十一、 二十六刑集十巻6 27頁。 - 78 一.
(17) . 迷信と犯罪との関係についての一考察 79 ) 植松教授 「刑法学各論」 257頁。 8 0) 小野博士 「刑法各論」 258頁。 同旨。 泉二博士 「刑法各論」788頁。 大場博土 「刑法各論 上」 78 3頁。 滝川博士 「現代法学全集」27巻453頁。 大判昭和6れ1 26 057同年11 . . 。 81) 木村博士 「刑法各論」141頁。 但し1イ ッ刑法第26 3条は事実に関する欺問と限るが故に、 価値判断に 関する欺園は詐欺罪とならぬとする。 FranK,S263-1 1-1 .581 ,a ,s. 82) 泉二博士 「評論」 四巻刑法100。 同旨。 「刑法各論」822頁。 小野博士 「刑法各論」2 81頁。 大判大正三れ2 037同年lo 7 . .1 , 8 3) 大判明治四五れ1 266同年7 1 6 . . . 同旨。 新保教授 「刑法各論」59 6頁。 山岡博士 「刑法原理」491頁。 84) 大場博士 「刑法各論上」 874頁。 85) 神谷神原詳論1076頁 86) 此の場合、 幼者、 精神病者に対し財物の所持の移転能力を認める説 (牧野博士86 8頁。 Li d t 「Schmi z t s , s l d e .614 Anm.lo; Wachenf ) では準詐欺罪として誘惑罪 (刑24 8条) により十年以 .373 Anm ,s .1 下の懲役。 之を認めない説 (大場博士 上87 1頁。 AI f 1 l d 3 Anm.12) では幼者、 精神病者を誘惑して財物を e ,s ,44 交付せしめる場合を以 て窃盗罪とする (泉二博士82 0頁。 滝川博士1 8頁。 小野博士58 35頁。 ) 。 折衷説は宮本博士37 3頁。 花村教授10 30頁は被害者の能力欠陥 が極 限に達 し事実上の処分行為の意義を 全然理解し得ざる場合には窃盗罪の成立ありとする ) 木村博士 「刑法各諭」 1 52頁。 。 87 ) 大判明治四三、 十一 十五刑録十六輯19 、 ,38頁。 88) 木村博士 「刑法各論」59頁 89 ) 大判明治四三、 二、 三刑録一六輯154頁。 90) 宮本博士 「刑法大綱」411頁。 第六. 結. 語. 以上の如く吾人は迷信と犯罪との関係を考察したが、 重ねて述べれば通説の如くこれらを 単純に 迷信犯と称し、 而も 其の意味する内容を丑の刻詣りに限り、 不能犯であると断ずるが如きは許され な い と解 する。. 迷信と犯罪との関連する態様は上述の如く複雑であり其等に対する処遇も亦先に述べたろが如く 一様ではない。 これらを既述私見の如く解する事 は社会秩序を維持し個人の基本的人権を 全うせん とする刑法の 日的に合致する所以 であると解する。 1955年1 1月 稿) (. r 79 -.
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