中世における基本的憲法理念とその影響 : 「中世法思想および新トマス主義法理論に関する小研究」(12)
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(2) . 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 第 15 巻 第 2 号. 昭和39年12月. 中世における基本的憲法理念とその影響 「中世法思想および新トマス主義法理論に関する小研究」12 ム . ー坂. 直. 之. 北海道学芸大学旭川分校法学政治学研究室. Naoyuki 恥sAKA : The Fundan dea ofthe D江ed I i 〔 lenbal1 eVa Const i tut ion andi t s lnauence ‘ ‘sあoγZ SZ“〆〆e Z r力o“gあお α7 2 ル彰ぽ彩りメ エegα -r珍o炊け“” s o7 2メ ハ侮り “ i “ 〆 i J“ s力γ“ 8“” seres 12. 目 1. 序説 ロ. 統治者にたいする法的抑制の理論. { 1 ) 統治者の法遵守義務. 2 ( ) 実定法の認定およびその内容. ( 3 ) 合法, 非合法行為の判断規準. m. 人民代表の理論 1 ( ) 近代の共和制立憲君主国との比較 ( 2 ) 人民の政治参加の理論と実際. 次 ( 3 ) 統治者にたいする人民の同意権 Nr . 抵抗権の理念. q } 政治責任の原則 傷 ) 抵抗権の根拠 (契約理念の否定) 3 ( ) 予防的抵抗権の誕生. V. 近代憲法理念発生の前提 1 ( } 近代国家発達との関連 鑑) 人権思想に内在する永遠の中世. 西欧社会において, 中世ほど数々の実 定法的, 政治的二律背反が横 行していた時代はまずある ま い. た と えを 法の理念とその執行とがしばしば一致しなか った事実, そして国家とその他の団. 体, 統治者と法, あるいは慣習法と制定法, 王法と人民法などにつ き, 互の優劣, 上下 の問題に 関 し て’ 正に相反す る多く の文 献を遣しているのがなによりの証拠である. もちろ ん中世千年に. およぶ錯綜した民族歴史からみれる , 各文献はそれはそれなりに正しく .評価されねばならない. したが って 中世を通じて, 民族を超越した画÷実証的な憲法確信を抽出することはおそらく至難 であろう,. しかしわれわれは中世の西欧が一大世界国家として, 精神的ないし霊的 「きずな」 に. よる統一体であった明らかな事実 から, 多くの具体的な憲法事象についてはともかく, 中世の教. 父その他の碩学が示した法理念の世界における共通 の場の存在については, おおよその中世人が 納得してく れるものと確信している.. .中世の碩学が, ギリシァ の自然主義的見解にたいして人格が負う究極の道徳責任と いう原理を ト教世界観の現出に成功したことはいうまでもない. こと に St Thomas 注入し, 独特のキリス, Aquinas. て い る.. は人格の形成に由来する人間の統一性を主張して, 人間の運命に形而上学的基礎を与え inus に は じ まり S St t . August . Thomas をも って ピークとする中世の形而上学は帰納演 一 37 -.
(3) . 高. 坂. 直. 之. 輝の論理の法則が入 念 に研究され, 理性活用 の分野が大 巾 に開拓された結果, 社会の秩序ある政. 治構造を理解する人間理性のカ ー一いわば憲法意識一一にたいして不抜の信念を 抱かしめるにい た っ た の は, き わ め て 自 然 で あ る.. 中世におけるトマス学者の多くはま たす ぐれた数学者で, かれらは法・政治理論の諸問題を代. 数方程式のようにあつかう傾向があ った. かれらにと って正しい憲法的秩序は, まず教皇と皇帝 i i t a (ま た は との調和した力の配分をその前 提条件としたのである. ち ょ うど Aristoteles の iust i tas) が算術的平等と幾何学的分配に基づいて述 べられている (N aequi chomachean Ethics, v. 1-5) のに全く類似している. かれらは人民の選挙こそ, 王または皇帝選任の本質的要請である と考え, 教皇は人民の決定を裁可するにす ぎないという権限の配分を論究した. がんらい自然法 l i i l i l ) は人民に支配者選任の権限をあたえ, 神法 ( t ex na ( num) は俗界の支配者は教 s ex d v Ur a. 皇によって任 命せらるべきことを要求する. しかし自然法, 神法ともに 矛盾するものでなく, 両 者はこのことに関し共働するといわねばならない. すなわち人民は選挙し, 教皇はこれ を確認す るという意味において註) . 中世の憲法理念はここから進展してゆく. ’ ’ ‘The Prob i ddl dge Uni l i s ks:‘ l v em of Sovere nthe Lat er Mi e Ages 註 M.J gntyi .Pres , , 1963,Cambr . Wi PP .296ハJ7 .. 1 I. 1 ( ) 統治者の法遵守義務 ; 憲法なる言葉が近世の所産であることはいうまでもなく, その用 法は政治権力および行政機関と国民との相互関係を規整する国家の一般的規則うち, その主要部 分を指称するものとされている. この意味における憲法が果して中世において存在したかどうか. ははなはだ疑いなきをえない. がんらい国民主権理論は中世 において支配的とはいわれない し, 君主はいかなる人にも超越し. た地位にあるので, 特定の憲法的制限にたいして無条件には従わなか った. また中世の実 定法が もつ抑制力も, 実際上の憲法的機構からみるならば, おそらく実に不完全かつ不安定であ ったと. l erna) に おもわれる. しかし君主とても不文法たる至高の法 ( ex naturalis,lex divinum,lex aet は, キリスト者の一人として服従を余儀なくされたといわざるをえない. したが ってかれは全能 無制限なこの法に直接 の根拠をもつ実 定法には, 遵守する態度を示 したこと が十分推定されるの. で, 君主の権限はかかる法によ って制限され束縛されたとわれわれは考えるのである. すなわち 純理論的観点のみ にしぼるならば, 中世においては君主にたいする完全な抑制と法への徹底的な. ) 服従が結果づけられる1 . そのためか国家に関する政治的考察と国家の政治活動にたいしては あ ま り問題とされなか った. ロ. 中世君主がとく に法の拘束をうけた原因と して次の三項目をあげることができる. (i) まず i i )そ ←マの史家 Tacitus の時代 早く ・も立証されていた ゲルマンの慣習がその一つである. (. i i i ) 最後にあ ( ) らゆる統治者は神の行動の用具ないしは代理者であると いうキリスト教理念が考えられる2 . こ の二は教会 の司祭によ って伝えられたストア哲学の自然法思想があげられよう.. れによ っ て. F. Kern. emanistso の指摘 する, 「法を制圧しうるような国王はありえない」(Ni. here ) と い う ゲ ル マ ンの 原 則 こ そ 中 世 の 一 大 特 徴 で あ る こと が 理 解 さ れ る. z reht zware . , so da. また人民と ‐教会も, 君主が法に束縛されるのを支持する点で完全に一致していたことが看取され ) るのである3 , ともかく中世の実 定法 ,(客観的法) は共同社会のあらゆる個 人権 (主観的法) を 包含していたというよりは, むしろそれは単なる個人権の集積にす ぎなか ったとい ってよい. 君 一 38 一.
(4) . 中世における基本的憲法理念とその影響. 主の統治権といえどもその例外ではなく, も っとも卑賎であるとされていた農奴でさえ耕地権 を も っていたように, 君主は個 人権としての統治権をもっと考えられ ていた. 実定法におけ るあら. ゆる権利相互の統一的不可分的性質は, 中世憲法思想の決定的要素である. そしてさらに留意す べきは特別法としての 公 法が存在しなか ったということと, 私法から公法が発生した事実も なか ) . 中世にお いては私権と実 定法の不可分性, 私法と公法の未分化を理解する ったことであろう4. のでなけ れば憲法理念の究明は不可能であ る,. しかし法は部分的には国家の政策に従 属するも ので, それがしばしば私権を無視する結果と な 去の事象を決して否定するものではない. われわれは法が, 独断による総意的命令によっ た過 っ ては左右されな いという条件でこれに甘んじ, そしてそれが共同社会,の代表者によ って作出され. ねばならないとする保障を要求する. ところが中世においては, その法理念の純粋な保守性や法 と道徳, 理想法と実定法との混乱 (むしろ不可分性) から, 私権を制限したり破壊するような国 ) 法は, いかなるものも全く認められなか った5 , というのは中世の君主は, 古くから伝わる適切. な法を援用 し擁護するために存在していたということが, われわれの想像 しうるも っとも厳密な ) 判断から引き出せ るからである6 . かれが君主として選ばれたのはこの古い法に尽すためであっ. i i t t a で あ る の は も ち ろ ん, suum cuique のあらゆる個 人の主観的法(権利) て, それがかれの jus. の維持 こそ, pax すなわち自国の平和の源泉でもあれば, 国内政治の根本的なねらいでもあ っ た. また法を持続させることは結局, 統治者にかれの支配権の安全を保障したといいうる. なぜ. ならも っとも賎しいとされていた農奴の耕地権までも含めて, 民族各個人が有する権利の尊厳認 容が, 終局において統治権を安全なら しめたと伝えられているからである. 中世 の君主はその即 位に当 って法に 誓を立て, かれ自身を法に緊束せ しめたことは有名で, 現代憲法の冒頭に規定す. る宣誓の 起原は, こ の中世君主の戴冠式における宣誓にまでさかのぼらなければならない. とも あれ成女憲法発達史の起点として, 中世君主のこの法にたいする自己束縛をとりあげようという ) 主張は, すでにかなりの学者に って支持され ている7 . 中世文化は古代文化の遺風とともに, ロ ーマ皇帝絶対主義という中世とは全く 相容れない観念. から派生 した幾多の法諺を引き継いだ. しかし注目すべきは中世の学問が, 古代の伝統のなかで 不適当とな った部分を除去し, あるいはこれを中世化するために独特の解釈方法を用 いたことで busabso lutus” を 全く 支 障 の な い よ う incepsl egi あ る. た と え ば 従 来 の 標 準 的 語句 で あ る “Pr. に解釈したこと, また政治は法の上にあるという伝承された法諺を, 道徳概念としては明らかに e× は animata 法が政治の上に, より高い権限を留保すると解釈したことなどがあげられよう.r. 自己 と呼ばれるが, しかしそれは法が君主の窓意であることを意味せず, むしろ君主が法を, 皇 吸収した状態の表現なのである 教会法においてもまた あらゆる法は教 の胸 の意志のなかに . ,. l e×. 中に存在すると声明したのは決して教皇絶対の謂いではなく, 教皇の公布する諸法令は古い教会 法をよく理解した上で, それとの調和において 発せられたものであるという法的推測が行なわれ ) ていたからである8 . たしかに当時は人民代表制について技術的欠陥があ ったために, かなり独. 裁的にみえる処分も行なわれた. しかし歴史は中世人がそれらの処分を専制主義の特徴とは考え なか ったことを示している. したが ってわれわれはロ ーマ法の専制主義方式をあまり重視して, これを中世に適用するには当らないようにおもう. のちに一応の独裁者精神をとも・ な って専制主 義者の諸形態がはなばなしく出現した時代も到来はしたものの, それは中世の政治理念および法 理念双方の終局を意味していたのである. 中世の特徴である理想法と実定法との無差別的性格が, 中世をして伝 統的な法にたいする厳格 一3 9一.
(5) . 高. 坂. 直. 之. な服従を避けられないものとしたといえる. しかしこれをあるていど媛和したのは実に教 会であ った. も っ とも教会の立場をも って しても, 政治 の法 にたいする従属はこれを,当然としなければ i ) t a a ならな いが, ただこ こに指摘したいのは, 国家の制定した法に政治が従うのは,「聖寵」(Gr. も教会や君主は, 実 によ ってのみ正当づけ られるという 中世ならではの考え方である. 歴史的に, 無条件に 定法よりはむしろ 「公平」 という理念に縛られていたのは明らかで. 公平こ ,そかれらが ・ . 拘束される法といってよか った. つまり実定法に何か不公平なも のがみられるばあい, それはも はや法ではなく, 統治者はそれを維持する義務かないどころか, むしろそれを破棄する責任さえ ) あ る と い う の が, St ・ 一方 , Thomas の言をまつまでもなく 全中世を被う一貫した思潮であ った9. 明らかに適法にして 公平な 行為は, いかなる統治者の交代とも 全く関係なく法の力をも つもので 実際にはそれらの法が古いも ので あればあるほど, いっそう聖なるものと一般に了解されていた の で あ る.. 2 { ) 実定法の認定およ びその内容 : 中世は国家による純粋の立法を知らず, 国家の法はただ 明確な人民法または, ほとんど慣習法を回復するか実行することのみを目指していた. もちろん 中世法はそれ自身の最高の活力を追求する.、しかも中世国家は決してそれを改廃変更するもので o ) はなく, いわば単に 外部からこれを防衛する責務を負うていたにすぎないl . したが ってわれわ. れの 感覚でいういわゆる立法行為に ついては, 中世を通じて全く何らの徴候もなか ったと確信し て い る.. 君主の法防衛責任が他のあらゆる共同社会構成員のそれと違うところは, かれのみがあらゆる. 個人 の権利について責任があるということであろう. それは君主が共同社会の法と私権をば, そ の社会の必要 のみに合致させることを 固く禁じられていた当時の法理 念傾向から推して明らかで ある. が んらい ゲルマソの観念にしたがえば, 国家 の唯一 の目的は現存する法または権利を保護 . それらの観 することであり, 教会の観念にしたがえばゞ 神の命令を遂行することであるからID, ・ ・国家 の行為を直接国家の目的にのみ当 念に当時の社会的必要が合致するかしないかは別 として, てはめる ことだけは許されなか ったと考えてよい. つまり現代憲法の傾向とは根本的に異なり, 本質, を理由に国家が私権に介入す 社会の実利 (共通善 bonum commune とはその- を異にする) ・ L弾されたわけである, ただ国家によ って一方的に課 せられる有効な法令は, たと ることは断乎糸. えば戦敗者や法の保護を奪われた不運の徒のような 当時の無権利者にたいしてのみ該当したこと. が知られ ている. これらを除けば, 自然法の支持者がいうように, 私権はす べて国家にたいする 基本的権利 であるから, 国家が認定した新しい 法によ っては破棄 しえないものとされていた. i igener しかも 国 家それ自体は何ら権原 ( s) を も た な か っ た と い い う る. た と え ば 国 家 が 単 su 独で税金 の増額を図ることができるなどという見解は, およそ中世 のもの ではないからである.. 中世人にと って税 金は 財産の没収以外の何ものでもなく, 私権たる財産権にたいする国家の税金. 攻勢は, 被課税者全員 (少なく ともかれらの代表者) の 自由な同意によ ってのみ, なし遂げられ るにすぎない. それゆえ中世 の課税制度は 「恵み深い援助」 にほかならず, 国家または君主 はそ. の 課税が一般 に慣習と認められるに至 っ て, はじめてそれにたいする確実な権限を取得するので 1 2 ) ある、 . つまり共同社会 の個人的財産権は, 神聖な全法律秩序におけるも っとも神聖な一部をな すものとされ, そして財産権の 基準は国家のそれと等 しく, これを 「良き古き法」 に求めた こと. が看取される. いずれにせよ 中世において, 基本的人権を明確 な部門、 に分類せずにただ無制約的 保障のみを強調したことは, 国家にと って (個 人にで はなく) たしかに損失であ った. これは公 権と私権, 法と道徳, 実 定法と理想法をは っきり区別 しなか っ た中世のいわば怠慢による損失で - 40 一.
(6) . 1 . ・ ●. ‘ ‘ ● . J ● ・ . ● 1 . . .. 中・世における基本的憲法理念とその影響. あることを卒直に認めなければならない. } 合法, 非合法行為の 判断規準 : 中世の法理念としては統治者が, 単に 国家政策の必要の ( 3. みに したが って行動する自由はなか ったといわれている. 実際問題として中世人が個 人的に受け た被害記録を ことさらに隠蔽するような意図は毛頭ないけれども, そういった現象は国家の機能 が理論上制約されていたために, かえ ってこれが実際生活の上にひどい反作用とな って現われた 3 ) に ほかならないといわれる Kern 博士の所説を信じたい1 . しかしその高遠な 理想にもかかわらず, 中世の憲法には現代のそれと比較するばあい, 多くの 技術的 欠陥が目につくのはも ちろんであ る. それらの不備を集約すれば, 問題はまず人民代表の あり方が事実 上不徹底であ ったこと, および憲法の強制力 がこれも事実上あいまいであ ったとい. う二点にしぼられるとおもう. そのいずれに してもわれわれが最初に中世憲法の諸原則にたいし て関心をもっとき, それらの憲法理 念を実行に移す唯一の実際手段として 「君主が即位に当 って の誓言」 を 一応脳裡に画く のが順当というものである, しかし実際上, 中世憲法理念の完遂に, この誓言 がどんな具体的保障をあたえたかはま ことに疑わしく, 思い半ばにすぎるものカミあるこ と で あ ろ う.. いったい君主の行 為が法に適合していたかどうか, またはかれが憲法に沿 って行動していたか どうかを, 当時どのように して決定できたであろ うか. これに関 しては現代のように成文憲法を. 規準として決めるのと違 って, 不女のしかも流動的な古きよき法について確認しなければならぬ 中世の方が 比較にならぬほ ど困難であ ったといわねばならない. しかしそれでも法への適否を決 める最後の手段と して, 唯一の決定的拠点をあえて求めるならば, それは. inus St , . August , St. 4 ). Thomas や Dante に よ っ て 説 か れ た 「共 同社 会 の 正 義 感」 と す る こと が で き る1. 註. ’ ’ .Medi l & Kegan Paul i lldeas I Po l i t eva ca 1 ) B. Lewis:‘ .162~3 , pp . , 1954, Routedge. “ al ” l i l t ae og ca 2) St ,5 . ×CV1 , , Ar , Qu . Thomas: Summa Theo , l ’t ’ ・ ‘ im鮎, 1948, Bas i IB1 M i d d i d i h A i L l h K t rans ack- F K e e a a w n 3) , ern: g鮎, ngs p n , B, Chr .by S l l 2 1 8 we p p , . . ’ ’ ‘A Hi l l f i I Theor i i ing:‘ t 2α ル鰹蕗健脚Z an g”Zq 7 st ca es ory of Pol 4) W. A. Dunn .PP . , 1930, Macmi , A”c ”1953 Macmi ‘The GrowthofPo l l i t in:・ l i lwa l t es a nthe 頓′ n caIThoughti P 122~3; C. H. Mc .282 , , , P . l i i I Theory・in the Wes f Med i 1 I Po tory o t tr vol l l aeva ca e:”A Hi s e & A,J 5) R, W,Car ,1 y , ,Carlyl k d & S l J5 i l i ac woo ons 1950, VV am B1 ,14^ . ,pp. 940 6) 栗生武夫:「法律史の諸問題」1 , 岩波, 25~6頁; 王と顧問官はすでに存在している完全な法体系の意 ‐えていた, 〔 i I Th‐ l l:”Po l i J t c r r a a 味を説明し, これを明らかにするのがその責務のすべてと考 .B . Mo ’1958 Hut i t chinson,PP evaI Timesノ n Medi oughti . ・16〕; F . Kern . ,op.c ,pp.182~3 ,. i dge i l i dd fthe Mi l t lbr i I Theor and,1951, Can i t rans so e Ageぞ t e ca 7) ○. Gierke:”Pol , by F. W. Ma i l tseqq. l l t Uni e s v y .219e .c . . v1 . Car .37; R.vv , vo ,pp , Pre鰍 ,op ,pp. ‘Medi / i f i f例の CQ“のz i l d Z ご免〆 ?加好ま s sr 1949, Me- 2 8 Me 1mann:‘ 榔 off evaIPaPa sm, ?方e po 8) w. UI thuen ,1 , ,chap ‘Be ‘ ” ‘ lby:‘ t - 1 l t l l ae Qu 9) St .2; T. Gi .6 conc . ×CVI .; Qu , Ar . ×CV1 . lal , Art , Thomas: Sum. Theo “ L S i C d 0 i 2 7 t 1 9 5 3 m a s o o c e n n y an g ween ommunt y . ′pp . , ,. 10) 中世の法思想は, 立法を現代のように国家の最高機能とはせず, これを単に裁判手続の一部として, また ‘ ‘j i J ck nson:”Thestatesma寸sBook cere“ の多少内密な付帯事項として認めたにすぎない. 〔 us di .Di. ’ 1927 New York int i i 1man:”Pr inc esof Go- i ro v pl sbnry/ oflohn of sal .164〕; W. UI . .l ,n , ,pp , “ rAge ーe ル h di dd l 2 8 1 3 i t ′ v l the ハ 1 9 6 1 e i s u n t e p p cSin. vernmentand Po . . , , , l l i 1 1 . t e 11) R. w. Car y ,1 ,40 ,c ,op , リ vo , pp i l t ta s 12) E.Lewi . .c . .93e ,pp ,op i t 13) F . . Kern .c .186 . ,pp ,op. “ iv l i s l cago Un t i I Thoughtof Thomas Aquinas by:”The Po ca 1 4) T, Gi . Pres ,224; w, ,pp , 1958 , Chi i I R VV C ll,op t i t A, Dunning .c .459 , . V, pp . .c , VO . .158 ,op ,pp , 196, 231; . . arye. 一4 1一.
(7) . 高. ・. 坂. 直. 之. 皿. 1 ( ) 近代 の 共和制立憲君主国との比較 三 中世国家における君主の命令が, 理論上当時の理想 とする法的基礎原理を根拠として公布されねばならなか ったのはいうまでもないが, それらの理 想を今世紀における立憲君主国の目的とおきかえても矛盾なく通用すると断言できる. そればか. りか共和制組織の君主国のばあいでも, その適用される理念は中世国家の基本的憲法理念と本質 的な違いはない. なぜなら共和制社会の長と国民との関係, 君主と臣民とのそれを比較するとき に, 実際面においてはともかく, 憲法理念としては類似した関係に立 っているとみられるからで ) ある1 . もちろんいわゆる 「事実のかげで論ずる理論」 のそしりは免 がれないであろうが, われ. われは. l iores et ma i me or es を も っ て 中 世 に お け る 人 民代 表 と す る こと が 可 能 で あ る と 考 え, そ. こに共和制的色彩を看取するからである. ともあれ問題は (i) 君主に国民の同意をうる義 務が i) も しあるとすればいかなるば あいに義務 づけ られるか. ( i i i あるか, (i ) また どの点でかれ. は 自由か. の諸点を検討することによ って解明されるであろう.. 中世の 君主は法に拘束されていたために, 理窟の上では専制的でないといえるけれども, かれ は形式的に明定された方法によ っ て 法と調和を保つように義務づけ られていたわけではないから. かれの外形と行動の面において 一応専制的であるようにみえたのは止むをえないことであっ た. 統治者の行動と法との調和について, 確乎たる監視様式がなか ったのは明らかな事実である. た だその調和が疑わしいばあい, 人民またはその代表者の同意によ ってその調和女川可が論証決定さ ) れ た と し て い る け れ ども2 ,. ど ん な と き に 同意 を 要 す る か に つ い て の 法 則 は も ち ろ ん な か っ た.. しかしそれ らの様式, 法則がなくても普通のばあいにおいて, あらゆる統治者の行為は人民によ っ て明らかに, あるいは暗黙裡に法および共同社会の正義感と調和していると推測されていたは. ずである.. この点をは っ きりさせるためには, 中世における国家あるいは民族社会の性質があいま いであ たこと っ , そして君主と国民との間には雲泥の差とか正反対的性格など存在しなか っ たことを留 意しなければならない. 君主は人民のマウス ピースとして語り, その行為は人民の意志の名にお. いて, かれらと一致した行動にでなければならなか っ た. 両者はともに法に したがい, ともにこ れ が 保 護 に 当 る 義 務 が あ る か ら, ま こと に Ger son のいうとおり, 反対証拠がないかぎり君主に. よ って宣言されるすべては, あたかもそれが人民すなわち国民から発せられたと同じ意味で法な ) ) ことが のである3 . つま り反証がなければ, 君主は国民とその法の常任代表と評価されていた4. 原因となっ て, 現実に君主 が人民の同意をうる方法に関する法則の未開発状態, また同時に法に. たいする君主自身の調和の漠然さを払拭しきれなか ったのだといえる.. 2 ) 人民の政治参加の理論と実際 : 中世に おける一般 大衆の政治参加, すなわち (. iores mel. et maiores など選ばれた代表によ る政治への参加は,. これを次の三種類に分別できるとおもう. (i) 第一は 「暗黙の同意」 である. そこでは皇帝や王は単に形式的にのみ行動し, したが って i i i) 第二に 「助言と承認」 が指摘され, ( i ) そし かれの専制的行動は実質がともなわない. (i. て最後は 「裁判上の決定」 が考慮されなければならない. しか しこれら政治参加の各型に つい て はその適用を 規 整する確固たる法則が存在せず, また各型はそれぞれ平等で区別なく 国家の有効 ) r世の 典 型 的 な 特 徴 と な っ て い る5 r な 行 為 た り え た こ.と が, と も にF .. 現在各国憲法の支配下においては, 庶民大衆の政治協力に関する前記三 つの型が明確に分析さ れてそれぞれの分野をはっ きり打ちだしている. また法的処分の裁判所々管, 裁判手続に関する 一4 2- ..
(8) . 中世における基本的憲法理念とその影響. 政府の干渉排除はいうにおよばず, 国家的な行政決定事項が国民の代表者によるア ドヴァイスを. その成立条件とすることなどは, いま でこそ自明の理とされているが, 中世においてそれらは, なにひとつ決定されていなか った. 急速を要する行政処置のためには,中世の君主が法と調和を保. つという条件で, これら三つの方法を全くかれの自由裁量にまかしていたことが知 られている. すなわちかれが事を決 するばあい, 自己の個人的な命令によるか,公衆 の代表者たる顧問官の援助. を受けるか, あるいは最終的に法廷 (貴族による審理) の裁決に服するかどうかは, 全くかれの 自由意思で決 められた. たとえ君主の純粋に個 人的な命令でも, それが法と調和しているかぎり. 命令は法 の効力を帯び, 公衆の適切な暗黙の同意がえられるのである. その反面, 公衆の代表者 ・え誤判がな いとは保証のか ぎりでなく, それが君主と国民との や王国のも っとも厳粛な法廷でさ . ) 明 らかな同意による公布であっても, その誤ま った裁決は即刻取り消されなければならない6 .政 治ない し行政行為の実体が法と一致しているならば, その行為が行なわれる形態 などはどうでも よ い と い う の が, 中 世 を 一 貫 した 法 傾 向 で あ っ た.. がんらし ・中世の憲法を論究するについては, まず民族法 (人民法ある いは国民法) の原則と王. 法のそれとの違い, 人民の法廷と 国王の法廷との相違をは っ きり区別しなければならな い. これ はフランク王 朝 に例を求めるまでもなく 明らかなことであるが, ただ中世の人々 は理論上この差. 異を知 らなかったか, あるいは意に介しなかっ ただけの話である. たとえ人民, 国王の両法廷が それぞれ異な った原則にしたが って判決を下したとしても, かれらが決定したこと は, 全く一つ. の法として取り扱われていたのが何よりの証拠である, 王が人民の明白な, あるいは暗黙の許諾 によ っ て発した命令は法であり, それがかれらの正義感と一致するか ぎり, たとい斬新なもので あっても, それは良き古き慣習の一部とみられていた. このような王法は人民法として通用 し, 王自身もこれに たいする拘束を認めないわけにはいかなかったことが知 られている, だから現代 の法史 家が王法と人民法とを区別するにしても, 明確な近代的意味の対比を中世に. 求める ことは無理ではな かろうか. 人民法は成文, 不女にかかわらず, 中世的感覚においては君 主と人民によ って承認されたがゆえに法であり, そ して人民がかれらの法的権力を確認している ) かぎり, それは王の個人的命令を包含するものなのである7 , 王のもつ憲章 公布権, 交戦権その. ほか事物を抑 制禁止する権能などは, す べて自 由人の個人的 (主観的) 権限の総計として先在的 客観的法たる人民法の主要部分に 属し, これによ って規律されるものであった. そして王 のあら . かれの後継者とその全共同社会を永遠に拘 束するはずなのである しかし中世 ゆる法的行動は, . 法理論としてはたしかにそれに違いないけれども, 実際 は必ずしもその通りに行なわれなか った というの が本当である, 淳朴な中世人が王の独裁的な施政に 舷惑されて, 中世初期 の法や憲章を 全く見逃さなか ったとは断言できない. この理論と実際との矛盾は, 中世に おける法の継続, 固 定化につき方法的技術的に欠陥があっ たこと, そして中世の法および憲法理論の範囲内では説明. できなか っ た政治的急迫状態の出現が, 実証的に無統制な役割りを演じたことから説明できると おもう. しかるに このような事態は, け っ して中世の理想とする深遠な法理論の発達を阻害するもので. はなかっ た. 実 証法の施行も画一的でなく, まことに弾力的で, 個別的事情を十分酌量する理性 的措置 がなされたというかなりの文献がみられる. しかも法の施行は, 当時の聖職者や学者から ) 受けた明らかな事実8 よく批 判を , またこの批判にたい し, いかなる統治者もキリスト者と して 、 精神的霊的に, これを甘受しなければならなかうた明白な事実によ っ て十分納得できる問題であ る. 一 43 一.
(9) . 高. 坂. 直. 之. 1 君主にたいする人民の同意権 ご 中世社会全体に亘っ て ある法に反対の機運 が生じたとし { 3 ・ても, 社会の有力な部分がその法に旧来の解 釈で協力する態勢を敷いているかぎり, 大きな問題 はおきなからた. ところが君主個 人として輿論の重要な面と衝突するに至るばあい, かれは非常 ) i) 君主の に危険な立場にあ っ たといえる9 . すなわち (i) 国家権力に欠陥が生じたこと, (i 行動にたい して君主自身が理論上重大責任を負うに至 ったこと, これである. このようなときに君主は予期した反対について, 人民あるいはその代表者の承認をえた後,それ. を成文化することによ って自己の安全を保障できたのである. も っとも君主はこの方法でかれの. 地位を保障するつもりかどうかの自由選択が許されているわけであるから, 人民の事前承認など 0 ) なくても君主はあえて危険を覚悟の上, 法的に有効な命令を発することが できるはずである1 . しか しながら人民の既得権に関するかぎり, 共同社会またはその代表者そ して君主も当然に,. これを勝手には処理できなかった. この点に ついて中世国家にたいする法の制限はとく に顕著で その厳しさは近代立憲国家の政治機関に課せられているいかなる制約にも, 決して劣るものでは. ないといわれている. 中世の各権利者はその自由意思による権利放棄のみが法的に有効で, 王の これにたいする命令は, たとえそれが代表会議による投票とい う広い 基盤に支えられていたとし. ても, その権利を破棄することなどできるものではなかっ た. つま り権利の受益者による同意な く しては, いかなる国家の行為も有効に 公布されなか ったというの が, 中世憲法理論の重要な一. 帰結である. それゆえ中世法理論の厳正な解釈によれば, 個 人は団体意思の成立を徹底的に妨げることも可 ・であっ ても, 現実の政治状態を維持するのは, 社会を構 能となる. たとえ細部末端にわたる政治. 成する各個人の権利であるという中世的な観念がこれをよく証明してくれるとおもう. この真の 中世的原則を高度に, しかもかなり長期間持続 した国は, 貴族社会に関するかぎりそれはポ」ラ ン ドであった. そしてそのためにポーランドは個 人の拒否権を不合理なまでに拡張してついに 破 滅に追いやられたけれども, ゲルマン民族の間でさえ同じような傾向があっ たことを次 の例によ っ て知 る の で あ る. か つて メ ロ ヴ ィ ソ グ 朝 の フ ラ ン ク 王 C1 ovi s l (Chl odwig , 465~511) は 戦 利 品 に 関 し, か れ の. 取分を越えてある高価な花瓶の保有を強要 したことがあっ た. 教会への寄贈 がその目的とわか っ て, ただ一人を除いたあとすべての諸候は王に賛成 したのである. ところがこの唯一の反対者は. i 無 法 に も, そ の 貴 重 な So ssons の花瓶を 損壊する暴挙にいでたにもかかわら ず, ついにかれは処 罰されずに終っ たのはなぜであろうか. 中世思想によれば, その反対者は 「戦利品の分配を強行 2 ) する権利」 という不滅の権利を単に確 証したにすぎないとみられるからなのである1 , そ してか. かる権利こそ客観的な実 定法の一部とされてきたのは法史の示すところで, したがっ ていかに多 数決とはいえ, . この個 人の既得権を無視するような変 更は許されないと信じられていたためであ る. も っとも実際には C1ovi s工 はその後一年たら ずで, 反対者処罰の常 套手段である軍総司令官 としての権限行使から, 上に述べたかれ の主張を おし通して しま った. つまりかれは反対者に報 復 した わ け で あ る. C1ovi sl がこのように 復讐の機会を利用 しなければならなかったのは, かか. る事件につき, かれ に は通常処罰する権限が与えられていなか ったことを意味していよう. そし てそれはまたあらゆる人に均霧される権利を王が制限し, それが満場一致で支持されようとも敢 然としてこれを変更しうるフランク人たちの立場が確立されていたことを示している. すなわち 中世には私権を超越するいかなる国法もなく, 法原則の厳格な遵 守を強要する個人の権利は, た ) 3 と え 多 数 決 に よ っ て も 奪 え な か っ た1 .. 一4 4 .一.
(10) . 中世における基本的憲法理念とその影響. ことにおいてわれわれは 「抵抗権」 の問題に想到 せざるをえなし. それは単に君主に反抗する. ばあいのみに止まらず, 少なくとも中世においては自己を除くすべての人民に反対するばあいに も用いられた. 自由かつ有効に樹立された権利を国家が改廃変更しようとするに当って, 国民の ただ一人でもこれにたい し拒絶の意を表明するならば, そのことだけであらゆる権利が根拠づけ. られている実 定法の変 更を未然に防ぐに十分の効果があ ったといわれている. したが って中世に は多数決の原理もなければ, また政治的妥協や政 治権力 の濫用に関するいかなる観念も, およそ 中世思想の論理とは相容れないものに属する.. さてこれまでの了解事項を要約するならば, 次の二項目になるであろう. すなわち (i) 君主. の行政行為(たとえば課税)は, かれと人民との間に協定が成立したときにのみ有効であること. i) そしてこの協定は少なくとも理論上強く要望され, 人民が進 んで義務を履行するかどうか (i. に関しては, 各人と個別交渉の形式をと ったことである. したがって王法または人民法ばか りで なく, 個人が自由に処分しうる財産権もまた王の独断で左右できない法であると一般に考えられ ていた. 中世において少なくとも理論上, 人民の了解をえなければならないとする一連 の文献を 4 ) 発見するのは さほど困難でない1 . も っ とも実際問題となるとまた別 で, それらに関する具体的. 事件の真意を明らかにするのは必ずしも容易でなく, 有力な王がいかなる点において民意獲 得の. 義務を無視し, 人民の抵抗を誘発したかを確認する のはなおいっそう容易でない. このように政 治権力にたいする反抗が中世 を通じて自由に表明されなかっ た第一の理由は, 政治権力 なるもの. が中世理論としてはともかく, 事実面においては断固決定的であ ったことが挙げられる. 第二の 理由として中世人は余りにも恥ず べき事実が, 抵抗によ っ て外部に露呈されるのを恐れたた めと. みられよう. 註. t )S s の実証的政治理論は, 君主制, 貴族制と現在民主制といわれているものとの三つの流れを合 1 ,Thoma せて, 一つの regimen benecommixtum なる存在であった19世紀の立憲君主国のそれに類似している. ‘TheLegacyoft “ l i t he Mi dd l 〔T, Gi 9 4〕; C, G, Crump & B, F,Jacob:‘ by e Ages , ,2 .c ,op ,pp , 1951, oxford,pp .465 . “ 1957 oxf i l i i ium, l and Po t 2) B. Barker:”Soc caI Thoughtin Byzant a ord .146, 156 ,pp , , l V V l i 1 t l 9~6 0 3) R. W. Car 1 5 e o c o p p p y . . 、 , , . , . i t 4) C . G. Crump ,c . .466 , op ,pp . i K t 5) F r n c e o .188~9 . , . ,pp , p . l l i I 1 1 t 6) R. W. Car e y ,c . .1 .71 , pp ,op , VO .. i l 7年, 皇帝 otto l が Ve ) 一例をあげれば96 t )は, かれとかれの息子の ot 7 rona で公布した勅令(Cap t u a o 王, 司教, 修道院長および裁判官をはじめ全人民によって定立されたといわれている. 〔R. W.Ca l l r e y , i t I op . .149〕 .c .ID,pp , VO .. ’や Bi ‘ . ‘De i i imi i l ius Co / ne Pr nc ) たとえを St 8 onna の . pum ad Regem Cypr gd . Thomas の De Reg ‘Trac ’J ” lnnocentl i imine Pr f Par i Reg inc i ta t ia et Papa l tus de pot t l lの sの‘ e s e Reg ohn o a pum/ , ’ ま たは Honor “Dec “ ま た13 l ‐世 i l 1 や Gregory IX の 書 翰, lnnocentIV の ”forma paci s/ usl ret a s , ‘S ecu ” Boni ‘Regi face VI I Iの‘ s の‘ tof Beauvai um, t s 紀後期の教会法学者たち, Vi n rum’ cen p l ,そ の inus Tr iumphus などが同 ほか Henry of Cremona, Ptolemy of Lucca, Jamesof Veterbo や August l I i l t e じような批判を表明している. 〔いずれも R. W. Car y .c . .1~VIより引用〕 , VO ,op . ) 統治者はかれの正常な方向としての政治義務を遂行するに当り, その立法行為にたいする共同社会の同意 9 をえない民衆の支配は許されるべきでない. 統治者の法がその後継続者を拘束すると考えられているよう ima ta の性格をもつ共同社会の同意は, その当時とそしてそのあとの人々にも有効であるとさ に, l ex an. ks i l t ‐ れ て い た. 〔M.J . Wi .c . .221〕. ,op ,pp ‘The Med i I Mind l ど aeva 10) H. ○, Tay sわり o/ 劫B D卿〆噂粥彩煽 げ ?肋〃g霧 α”〆 B粥防ぎ雛 ” or:‘ ,A 猛 “ 1 枕8 ルのdd′ s B Age s .1 . Pres .307 ,1951 , Harvard Univ . , Vol ,PP ” i I Thoughtin the Wes l i l t t ca ) C. H. Mcnwain:“The Growth of Pol an,pp 1 1 .367; あら , 1953 , Macmi l ゆる法に縛られることなく, かれ自身が supraius で あ り legibussolutas であるといわれる教皇 ( n-. - 45 一.
(11) . 高. 坂. 直. 之. lrs ”supraius′ in De l t 1 1 i i i nocentl r c e a s e ,v ,4) でも, すべてのキリスト者の同意 (その媒介とし ,1. て教務総会の同意) をえて, 社会の福祉のために教会法令を制定する. 〔M.J ks l i t .Wi . .c .131 ,op , ,pp. 173〕. i t 12) F. Kern i t . .193; C. G. Crump ,c . .468 .c ,op ,pp ,pp ,op . ・Pol ’ 1958 Hut l:‘ i i I Thoughtin Medi I Times/ t 13)J lks ca eva chi nson . B. Morral , ,pp.43~6; M. Wi , i tリ pp op 5~6;S t sは共通善 (bonumcommune-公共の福祉) を追求することが, 自動的 .c .9 .Thoma ‘Comm in Bthi ” 2;“Dereg に, 私権の獲得に専念する こ と に な る と 述 べ て い る. 〔‘ imine Pr i i - c nc . , , i , ’ i / o pum ,14〕 し か し c c am はさらにこれを進めて全体の利益を推進するためには, 私権の進展を図るこ “ 1 1 1 とが必要であると主張す る. r‘Dialogus i i l ks t i ed by M. Wi t , 1 ,1 ,op . ,i ,27--c .c .135〕. , pp. ) このことは人民は政治権力の源泉として自己の利益擁護のためには, 統治者に背いて行動しうる絶対権が 14 “ ” 許されるとする二重権力理論に見い出される. たとえを St l lae . Thomas: Sum.Theo .XCV1 . lal ,Qu , Ar l imponathomini neces t i tat ex humana. i rum l em in foro cons s c ent ae; Dur andus ,4conc ,--- Ut de Porc i i i i i l l t i ano:”Deor sdi ct onumr ch t c ed by M. wi giQe iur く s 2 0 3 〕 o c p p p .4 〔 ・ . . , , ・. ( 1 ) 政治責任の原則 : あらゆる人にたいして (国家にたいしてさえ) 法を擁護するのは個 人 の責務であると共に人民に課せられた義務でもあっ て, これが中世的抵抗権理論の基底をなして. いる. しか し中世における一般原則としての抵抗権は, その理念と技巧においてま ことに素朴な ものにすぎなか った. 技,術的にい っそう高度な措置が中世 以後において発見されたことは歴史の ) 明らかに示すところである1 . 中世を通じて法の擁護は, どちらかといえば一般民衆 よ り は む ) の責任を L る政 府の政治責任の問題 であるとみて差し支えなく, 具体的には王とかれの顧問官2. 意味したといってよいであろう. 政府そのものが法擁護のた めの創設であ ってみ れ ば, 政 府 の 法侵犯は政府自身の権威喪失を意味するからである. それゆえ一般に法を乱す君主は, 同時にま. た領地にたいするかれ自身の権利 (客観的法秩序の,重要部分) を破壊する ことになると信じられ. た. しかしながら具体的にいって王の法侵犯とか, 正当な手続によらない人権侵害にたいする人 民の判断, あるいは新 しい王の選任などのように, すべて中世の抵抗権が実際に行なわれた事件 は数もむしろ意外に少なく, その体様は単に宣言的意味をもつにすぎなかっ た事実を知らされて い る.. 一方,中世における統治権の喪失は実質上, 君主が法の制限をふみこえた瞬間に完成されたとみ るのが正しい. なぜなら他人の権利を侵犯する者は, 自分自身を法秩序の外側におく ことになり かれ自身の権利を 防衛するあらゆる 主張を失う に至ると考えるのが正統な中‐ 世法理論だからであ る. 政治権力を擁護すべき特別法が存在していなか った中世においては, 一般人と同様に国家権 力の掌握者にたいしても上述のことが当てはまるのである. 適法に即位した君主は, 農夫がその. 受け継いだ農地にたいして有するものと同じ権利をかれの領地 について保有し, ともに神聖視さ. れていた. しかも それらはみな等 しく 「私権」 にほかならないのである. したがって統治者たる もの, 人民の同意なく してかれらの権利を侵害するならば, かれは即時に暴君とせられ, 同時に. )ものと信じ 人民の側からいかなる形式的な法手続の必要もなく して, かれは服従請求権を失う3 らメ て い た. ) 抵抗権の根拠 : 契約理念を導入 して説明する 近世抵抗権の考え方を中 世に援用すること { 2. は, およそ正 しいとはいえない. 中世法理念を究明すればす るほど, 契約理念の理論的重要 性は むしろこれを排除 しな ければならないように おもわれるからである. も っ とも, 中世後期におい ) ては政治的契約の理念が,あらゆる政治分野に渉みでてきたことは否 めない4 . なるほど学問的思. 考と しての契 約理念は, 法にたいする君主と人民との相互義務をも っ ともよく説明できるとはい ー 46 一.
(12) . 中世における基本的憲法理念とその影響. うものの, それは本来 ゲルマン民族のものではない. 「契約理念」 の ゲルマン的代用語は 「相互 忠誠忠実の義務」 観念であって, 双方の責務はその中で実定法に繋がれている. すなわち忠誠義 務を通じて人民と政府は互いに結ばれていたといってよい. 統治者が誓いを破れば, 人民の忠誠. 義務にたい して いかなる請求権をも失うという ゲルマン的理念は, 暴君に関する聖会の教義と全 . また統治者の違法行為による政治的契約の消滅を標梯する近世自然法 く符合するばかりでなく, ) 理論にも相応するといわねばならない5 .. たとえ政府が実 定法の範囲内で行動していたとしても, ある事情の下においては, 国家にたい して人民の自然権を強調するための反抗が正当視されることもあるであろう. 中世における実定. 法は実 証の世界においては決 して最終的のも の でもなければ, 唯一無二のものでもなか ったはず である. 理論上許されないにせよ, ばあいにようては実際上の政治的考慮から実 定法の廃棄が行 なわれたこともた しかにあ った. ま して道徳的信念あるいは自然法理念が, 実 定法を失効に導く ことのありうるのはいうまでもない. かく して中世の実定法の政治 (実際上) と自然法 (理論. 上) にたいする従属性が明らかにされるのである. さらに, ある事情の下では政治的抵抗が非合 ) を知ら ね ば な ら 法のばあいでも, これを止むをえない必要悪と認めていた中世の指導的理論6. ぬ. それがいっそう実定法のこの従属的性格にたいする理解を強めてくれるであ ろ う. た だ し 断っておかなければならないのは, 中世の抵抗権はいわゆる 「革命権」 ではないということであ る. 中世における抵抗権の真意は, 憲法上も っとも顕著な要素の「 つ, すなわち 「人民の権利擁 護」 に関する憲法的承認にほかならない. 公法と私法, 理想法と実定法との混渚 が, よく これを. 裏付け しているとおもう. ことに中世人が法を超越するものとした道徳の力を, 中世法理念の中 に幾多の具体的事例を背景として表現させ ているのが何よりの証拠である. 実定法の妥当性を政府が認めたか否かには関係なく, 中世においては実定法そのものの本質的 価値について実際上争われたことはなかったといわれている. したがっ て個人 が法を確認しても. 政府はこれを認容 しなかっ たり, あるいはまた不認を装うよ うなばあいも時には起っ たことを否 定はしない, .しかしな がら中世における純粋な法理念は,政府を法によ ってつくられ た,そ して法 のための存在となし, 法を執行するかぎりにおい てその権威を認めるにすぎなか ったのである. ) すなわち不正な権力には いかなる権威も伴わないとするのが 一般的理念であ ったといえよう7 . それゆえ個人が政治権力の横領者にたいして反抗権 を有するのは, 単に個 人が政府から受けた特. 定の不正に起因するばかりでなく, む しろかかる侵犯者が不法に政府当局と して 国民を代表 して e× たりえなか きたことに我慢ができなかったからである. 実際上, 遵法精神のない者は決 してr っ た.. } 予防的抵抗権の 発生 : 純粋な国民意識によ っ て正しい と認めたものが, 必ず しも法とは ( 3 ) いわれないことを了解するのは, 中世人には困難であ った8 . 国家の政治が常に正義の一般的意. 義に合致 しているとする擬制から, 国家がたとい国民多数の意識とずれを生じても, その存在価. 値を失うものではないという現代的思惟は, 中世のそれではない. かかる国家は中世においては さ しずめ民衆の抵抗権を意識せずにはいなか ったであろう. ただ し中世政治の実態が民意を尊重 し, 遵法的傾向を一般に示 していたかどうかについては,. あらゆる実情にてらして異論のあるところである. それが当時の実定法概念のあいまい さ, そし て実定法のもつ中広い弾力性と順応性に起因することも, すでに幾たびかく り返した. しか し現 代においてこれらのことは すでに決定済の問題であり, あるいは容易に決定しうる問題であ る. たとえばこんにち個 人がまだ抵抗権を有するとしても, いついかなるばあいにそ の法的行使が許 -4 7一.
(13) . 高. 坂. 直. 之. され るかを決定することのほうが, 中世において具体的に決定するよりもはるかにたやすい. 政 治権力の維持と法的安定性の獲得に関 しても, もちろん同じことがいえる. だがいわゆる抵抗権. なるものは, 外国政府の下で虐げられている人々の間に 想定されるものを除き, いまやその必要 性がなくな った. なぜなら, いかなる国家機関も権能を逸脱すれば, これを法的自衛による統制. の下に自動的に 抑制しうる力を, 現代憲法それ自 体がも っ ているからである. 国民の不平の声が 実際的な反乱の形を とって現われる可能性は, こんにちおいてまずないとい ってよい, ただこの. ことはいつでもそうだとは限らず, ここでも実際の権力は実力という最後の手段が決定するとい えるであろう. 事実問題として憲法侵犯, クーデターや暴動は起こりうること である. しか しこ のような事象は法の範囲に属 しない. 法的ないし憲法的圏内での抑圧的な抵抗権は, 現在国民の ) 側における予防的監視によ っておき代えられている9 . 現代憲法の本質的保障 である予防的監視 (これをも っ て一種の抵抗権とみるならば, さ しずめ 予防的抵抗権とすることが できる) は決して現代の所産ではなく, すでに中世の最盛期において その萌芽がみ られた. すなわち12 15年の Magna Carta Libertatum に お い て, 25名 のノミロ ソに. よる王への制肘を許す一方, 過激な革命的行動を避けるように規定した第61条を中心に多くの典 o ) 型的な予防監視的規定を見い出すl . がんらい憲法それ自体がいわば予防的監視規範であること. からみれば, 成文化された基本的公法が誕生 したとたん, 抵抗権は法的には一応予防的なものに 変貌 したと考える べき である. した が って13世紀初頭のこの画期的法現象が現代の完備 した予防 的監視規定の基礎をなすというに何ら差し支えないわけである.. また中世における純粋法理論のうち, 動揺や混舌 i if Lを避け られないような (n t e propter o r s. tandum scanda lum ve lt i vi ) 抵 抗 (悪 法 に た い す る 不 服 従) は こ れ を 認 め な い St urbat onem, .. l l ) の 思 想の中 に は あく ま で 攻撃 的 抵 抗 ( Thomas l i es ive) や 極 端 な 防衛 的 抵 抗 tanceagr ar es s s ,. l f i ( e a resistanced ens ve) を排除 しようとする意図がうかがわれ, 従来の抵抗権と絶対主義 の対. 立を一歩前進させたものと して特筆すべきも のである. それはむ しろ予 防的監視へ向う 示唆的な 根拠を示 したとみるべきであろうか. がんらい政治的カオスのなかにこそ優れた法理論が生まれ. るもので, 無事太平の時代に一世を画する法思想が培われたため しを聞かない. とすれば, St . Thomas Aquinas のきわめて教示的な抵抗理論が中世 の欄熟期に現われたことは決してゆえなし と し な い の で あ る.. .. 註. ‘A Hi i l 1) G. H. Sab I Theory′ 1950 i i t t l ne:‘ s ory of Po ca t .431 , Henry Ho ,pp .. 2) 中世における王の顧問官は王にたいして人民の代表者たる地位と, 人民にたいし王と共同して政治を行な う地位との二重の性格を有していた. この二重性はc l i i onc um の後継者たちによってますますはっきり打 i ち だ さ れ た こ と が 知 られ て い る. 〔F, Kern,op tリ pp .c .195〕 . i 1 1 は1 3) Lou s× 498年イ ギリス公領に与えた特許証によって住民の権利と自由を確認し. , かれらの慣習と憲 法に改正の理由が生じたばあいは, 議会と各階級の集会の同意によって決すべきであると確証した. 〔R . W, Car l l i l t e 37 〕 また Ge s y r on も王の権威は共同社会の同意によって与えられ,か .c , . V1 .2 ,op , Vo ,pp i i れらへの義務によ っ て 制 限 さ れ る と い う. ロ. Gerson:“Sermo pro Just t l a ad Regem ” (opera , Vo ,. i l る筋. t v ed by す .855) -Ci , co .159~60〕. ,pp l i 4) Wes s e us は統治者にたいする人民の真の関係を条件付きのものとなし, むしろそれは両者の契約の性質. を帯びているという. すなわちもし統治者が契約条項を無視するならば, 人民もそれに拘束されるわけが l ius Gr ingens i t i ないと して い る, 〔Wesse t t l i i i-c on a e et pot es t i s:“De di t gni ateecc es as car *▽i ed by. R. W. Car l l I i t e y .c , , VO . V1 .180〕, ,op ,pp i 5) F tり pp , Kern ,c ,196 ,op ,. ) これについては拙諭 「中世法思想における抵抗権の問題」 (北海道学芸大学紀要, 第1部,・第13巻, 第2 6 号) を参照されたい, 一 48 一.
(14) . 中世における基本的憲法理念とその影響 lwai i l t 7) C. H. Mc n,op .c . .189~90 ,pp .. ‘ ‘ “ i I Per l f Law in Hi tor i i i t ca spec v 8 )C osophy o s ve cago Press .Friedrich: The Phi .J , 1963 , Un .ofCh ,. pp ,49()50 . i t 9) F. Kern .200~1 .c . ,pp . ,op ・ he Governance of Medi i t l 10) F. Kern,op chardson and G, 0. Say e s:・「、 ae- ,c . .127~8; H. G. Ri ,pp ’ ’ IB l d C C b d i 彰 B i ルo zZ ル 加 ね ’ 明 9 3 Z o”q”e s O va ngan , n urgh Un v s α αγ , 1 6, 樟2 . Pres ,376~7 ,PP , ‘ ・ “ l lae l t 11) St .4 Q)nc . Thomas: Sum. Theo . lal . , ×CV1 , Ar , Qu V. 1 ) 近代国家発達との関連 : 中世を通じてその区別があいまいであった実定法, 成文法, 公 ( 法な どの各部門を独立発展させた近代法概念は, 中世法思 想という大建築物が支えられていた礎. 石を揺るがすにいたった. その徴候はすでに中世後期において, 従来の古い法概念体制を変貌さ せたある技術的革新のなかにみられる. すなわち階級代議制の基礎の上に政治社会が組織された. ときに現われた 「同意」 の実行が, しだいに 改善され組織化されてきたこと, またそれと同時に も っ と重要な ことは社会それ自体が意思, 目的をもつ人格性を与えられるに至ったことがその起 因をなすといわねばならない. かく してそこに, 西欧 の政治的伝統の永遠の姿をとどめてしま っ ). た1. 中世欄熟期 の社会が, 来るべき王候専制社会と比較して, 中世憲法思想の主要な原則である人 権の擁護と政府の弱体化 ないし制限をむしろ強調している傾向についてはすでにいくたびか述べ たところである. も っとも, 統治者が国民の同意をえるよう義務づけられていた法的限界は, 中 世初期にはまだはっ きり した形で現われていなかった. そ ・れが後期に近づくにつれ確定したもの となっ たのは, 全体と しての大衆の重要性がしだいに増 し, その代表たる三階級組織が明確化す. るにいたったからである. そ してその結果, 貴族, 僧侶, 庶民の各階級が公衆のなか の, あるい はその上に位する一種の社会団体--いわば政府を扶助する共同摂政的階級社会←- とな ったの この三階級にたいしては制限 である. 中世的原則を貫くた めに絶対必要とされていた抵抗権も,・ ) され ざるをえなか ったという2 . したが って抵抗権はその無計画な強圧方策をやめて, そのかわり 予防的政策と して恒久的な憲法上の制度に脱皮していったのはきわめて自然であっ た. かく して. 政府と代議院の二元的責任制という現代的フォ ームに導かれてゆく. この代議院構成 員とその権 威が明確になるにおよんで, 後期中世国家はその憲法の地位を高度 に浄化したとい っ てよい. も. ろもろの政治機関およびその権能の明白な限界決定も, 後期中世にな ってあるていど 達 せ ら れ た, 各個 人の意思は併合され, 全共同社会を法的に束縛する方法において, 人民の代表者の大多. 数の意思のなかにそれが表現 されるという重要な擬制が生じたのも中世末期である,. われわれはこの代議制の発達を中世精神から引き出さなければならない. 中世における各階級 はそれぞれ真の中世精神を共有していた. かれらは政治にたいして他の何ものよりも厳格な抑制 機関と しての働きを示 し, 個 人の権利と利益を推進することによ ってそれを証明 したのである.. しかしな が ら以上の結果から推して, 現代国家 (専制政治時代の地域 国家はともかく, 現代の民 ) 族国家) が中世の階級組織に基づく 国家から直接発達 したとみることはできない3 . 近代国家が i t 発達するためには歴史の明示するとおり, 国 是 ( ) または国家の必要から, ある専 r a a s on 寸禽t. 制的な地位がま ず認められねばならなかった. それが要請された時期は正に王候 による専制政治 のころで, むしろ基本的には国家と法に関する非中世的ないし反中世的理念に基づ いている. な ぜなら中世的概念には徹頭徹尾道徳 法則が染み こんでいるた めに, 中世の憲法理念は国家と権威 にたいして余りにも敵意を示しすぎたからである. われわれはまず中世の終りに起 りた王候絶対 一4 9一.
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