源師房﹁初冬屋従行幸、遊覧大井河。応製和歌﹂序注︵上︶
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鈴木 徳男
北山 円正
延久四︵一〇七二︶年十二月に践甘した白河天皇は、四年後の承保三年十月二十四日に大井河行幸を行う。天皇
は、まだ二十四歳の若者であり、摂関勢力に対抗して親政を推し進めようとしていた時のことであった。この行幸は 自ら発意したものであり、その規模は諸資料によればかなり大きかったようである。強大な皇権を内外に示そうとす る意図を看取してよいだろう。間もなく院政が本格化しようとする、平安時代後期政治史における意義を認めうるとともに、和歌史上においても、この大井河行幸は重要な位置を占めると見られる。大井河行幸の前年つまり承保二
年、天皇は近臣である蔵人藤原通俊に勅撰集撰進を下命している︵﹃後拾遺集﹄仮名序・﹁後拾遺和歌抄目録序﹂︶。三 番目の勅撰和歌集﹃拾遺集﹄撰進からおよそ七十年を経た頃のことである。天皇は、これまで摂関家が主導して行わ れてきた和歌を中心とする文事を、天皇及びその周辺に取り戻そうとしていたようである。治世初期に天皇を中心と した文事の隆昌を図ろうとする意図が窺える。すでに撰集を近臣に命じていた承保三年十月、大井河行幸において催す歌会は、勅撰集を意識したものとなるだろう。これから活発となる白河天皇の和歌活動の初期に位置するととも
172二 源師房「初冬雇従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) に、院政期和歌の始発を告げる催しでもある。 この大井河行幸の模様は、種々の資料に記録されている。﹃扶桑略記﹄﹃帝王編年記﹄などの史書はもとより、﹃三 無首吊抄﹄﹃柱史抄﹄などの故実書、﹃中外抄﹄﹃十訓抄﹄などの説話集、歴史物語﹃今鏡﹄にも、編者・著者の目的 ・関心に応じてその一こまが記されている。また、勅撰和歌集﹃後拾遺集﹄がその折りの和歌を収載しているのは、 生の記録として貴重であるゆそんな中にあって、詳細に行幸のありさまを述べ、雰囲気をも伝えるのは、歌会を催し た時に源師房が書いた和歌序︵﹃本朝続文身﹄巻十所載︶である。これは、行幸に随従した一官人が、実施に到る経 緯も含めて、自らの見聞をもとにして草した一文である。序の常である文飾を多分に含むとは言え、当事者の記録と して尊重してしかるべきである。橋本不美男﹃院政期の歌壇史研究﹄や上野理﹃後拾遺集前後﹄など、この行幸及び 歌会の意義を問う研究では、必ずこの和歌序を取り上げ、重視して扱っている。和歌序の重要性を認識すればこそで あろう。ただ、目下序の注解という面では、考究が十分ではない憾みがある。そこで本稿では、用例を踏まえて食む ことに主眼を置きながら読解を試み、その過程で見出した問題に検討を加えることとする。 序の本文は、内閣文庫本︵内閣文庫発行の複製本︶を用い、土左文庫本︵蓬︶・明治二十九年発行の版本︵版︶に よって適宜校訂を行った。まず全文を掲出する。それに句読点を付し、対偶を明らかにするために該当部分を二行書 きにして、その頭に括弧をつけた。また便宜上、ωからωの段落に分けている。本文中の*印は校訂した箇所を示し ている。各語注においてその理由を述べた。段落ごとに、まず訓みを示し、次に墨田を行って用例を挙げ︵○印以下 に引く︶、その上で現代語訳を記す。最後に、本稿末尾に﹁付説﹂を設け、問題点等を指摘して意見を述べた。 171 初冬屋従行幸、 遊覧大井河。応製和謁一首。井序 従一位行右大臣兼左近衛大将皇太躁狂正装朝臣師房上
鈴木 徳男・北山 円正 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
︵藷鶏︵羅難聖上︵讃難繍螺
命関皇丞告爾︵騙蕪慧灘鱗賄 ︵鰭酷麟讐薙奈蕎
ホ勅命未畢握翫如蒸音聾讐難韓 請︵雛糧 含三蓋在子殺
夫︵器響雛畷懸盤況乎︵雑書蕪撒難雛 加以︵翻蕪
ホ毅 ︵儲翻麟鷲難繭
既而︵欝懸 ︵螺醐勲紡臓蘇山水三二蔑
墾酔各相酉︵舗難壁鷺踊穐鰍∵豆三三君︵離離繍
如臣煮︵糠閣所轟僑麟︵譜舗猛蕪 旧習
︵﹃本朝続文粋﹄巻十・和歌序︶ 被稽碕載に富麟して、耀拒瀧を遡豫す。襲に鵬ずる秘諦い↓っ齢。聴せたり駿 三 170源師房「初冬唇従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) (i) 四 じゅいちみぎやううだいじんけんさこんゑたいしゃうくわうたいていのふみなもとのあそんもろふさたてまつ
従一位行右大臣兼左近青大将皇太弟傅源朝臣師房州る
き・・やうしや・ げ・・んは・・き・ ・う・んか・し乏・ −んそう・蔓い・・ せ・・やう・・せ・せ・さ− あ かき・う 酌金商謝を告げ、玄陰肇て来る。風雲に寒色凝り、林野に秋栄留まる。聖上忍男の薫索なるに当たりて、 佳境
いうしん と の幽深なるを訪ふ。 歌会記録の三筆と聖者の位階・官職・姓名、そして序の冒頭に、冬が到来して天皇の行幸があったことを述べる。 ﹁初冬﹂は、冬の初め、十月。 む ○﹁初冬従レ幸..漢故青門コ応レ制﹂︵初唐沈倥期、詩題︶ む ロ ○﹁初冬迂二大井河ハ詠二紅葉薦花.和歌序﹂︵﹃本朝文粋﹄巻十一、源道済、歌題︶ む む ﹁雇従﹂は、天子のお出かけに付き従う。﹃文選﹄︵巻八︶司馬長卿﹁上林賦﹂の﹁庵従横行、出二面四校之中・﹂︵李善 書﹁瞥長日、雇大里。張揖日、践麿縦横、不レ案二歯黒一也﹂。五臣注﹁謂大衆従レ君也﹂︶は、天子のお出かけに随行す る人。天子に随行する意の例には次がある。 ○﹁属三従幸..章嗣立山荘っ応レ制﹂︵盛唐張説、詩題︶ む む ○﹁屋二従梵釈寺っ応レ製﹂︵﹃文華秀麗集﹄巻中、大伴親王︿淳和天皇﹀、詩題︶ ﹁行幸﹂は、天子が宮城の外へ出かけること。 む む ○上行幸河東、祠・・后‡︵﹃文選﹄巻四十五、漢欝欝﹁秋風辞﹂序︶ む ○﹁行幸後朝、憶雲林院勝趣、重器・二部紀侍郎一﹂︵﹃菅家文草﹄巻六、詩題︶ ﹁遊覧﹂は、外出してあちらこちらを見物すること。 む む ○渉・青林・以游覧分、楽二羽族之群飛 ︵﹃文選﹄巻髪、播安仁﹁射輩出﹂︶ ロ む ○﹁暮春陪都督大王、遊.覧法画院馬同平庭花押レ旧開っ応レ教﹂︵﹃本朝麗麗﹄巻上、源道寺、詩題︶鈴木 徳男 北山 円正 ﹁大井河﹂は、丹波山地から亀岡を経て、洛西嵐山へ流れ出る川。嵐山の麓あたりの流域は、歌枕として知られてい る。平安時代貴族らがしばしばこの辺りで遊んでいる。なかでも延喜七︵九〇七︶年九月の宇多法皇大井河御幸は有 名で、白河天皇の行幸の先躍である。 む む む ○﹁暮秋迂二大井河、各言レ所レ懐和歌序﹂︵﹃江吏部集﹄巻中、歌題。﹃本朝文粋﹄巻十こ む む む ○﹁初冬於二大井河一翫二紅葉・和歌﹂︵﹃本朝続文粋﹄巻十、藤原国本、歌題︶
む
﹁応製﹂は、みことのりに応えて詩文・和歌を作ること。唐の時代には﹁縦組﹂を用いるのが普通。 む ロ む ロ ○﹁春日芙蓉園侍レ宴。応レ制﹂﹁幸二少林寺っ応レ制﹂︵初蝉宋之問、詩題︶ む む ○﹁九月九日、侍二議神泉苑っ各部.二物凸墨壷蓮っ応レ製﹂︵﹃凌雲集﹄、牛島安世、詩題︶ む む ○﹁暮春侍−中殿内詠二竹不ワ改レ色。応レ製和歌一首﹂︵﹃本朝続墨壷﹄巻十、源俊房、歌題︶ ﹁蔦蔓﹂は、序を加える意。ここでは、歌会の序を付け加える。﹁序﹂は、作品成立の経緯や意図などを述べる文体の 名称。この序は、歌会の序。遊覧を行うまでのいきさつから、大井河での歌会までの模様を記している。詩会での例 には、﹁晦日宴・高野林亭.井序﹂︵盗塁陳子骨︶・﹁早春内宴、侍・仁寿殿∼甲立.・春娃無・気力コ応レ製一首。井序﹂︵﹃菅 家文草﹄巻二︶などがある。 ○﹁梅花歌計二首井序﹂︵﹃万葉集﹄巻五、題詞︶ ○﹁春日住吉行旅述レ懐。応・太上皇製・和歌一首井序﹂︵﹃扶桑古文集﹄、源経書、歌題︶ は、歌会での例。ここまでが端作。この白河天皇の行幸は承保三︵一〇七六︶年十月二十四日にあった。﹃扶桑略記﹄ には、 ○関白左大臣、引率公卿馬向夫井河内二士⋮・.定行幸頓宮・︵十月十二日目 ○行.幸大井河ゆ御鷹遣遙也。公卿侍臣等、皆以供奉。右大臣源朝臣師房、述和歌序っ出居式部卿敦賢親王、参・五
168源師房「初冬屋従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(E) ノ、 於御船噛列・.大臣座之上っ但馬十二高房、画意河梅津騰馬作髭在処・ ︵十月二十四日︶ とある。藤原着実を中心に行幸の準備が進められていたこと、鷹狩りを中心とした、公卿侍臣が挙って供奉する盛大 な催しであったことなどが分かる。 つづいて二者の位署・姓名が記される。序を書いたのは而立房︵一〇〇八一一〇七七︶。山房が﹁従一位﹂に回せ られたのは、延久六年正月廿八日︵﹃公卿補任﹄︶。﹁行﹂は、位に官が相当せず、位相当より低い官に就いている場 合、官位を記す時に位の名と官の名との間に置く語。北山﹁藤原敦光﹁白居易祭文﹂注釈﹂︵﹁神戸女子大学文学部紀 要﹂第三十五巻︶参照。﹁右大臣﹂は、左大臣とともに太政官の長官であり、行政上の責任者。左大臣を上位とする 慣行はあるが、職掌は同じ。﹃令義解﹄︵巻一・職員令︶には、﹁左大臣一人︿掌、統一工務、挙﹂.持綱目噛惣﹁判庶 む む 事っ弾正糺不・当者、兼得・弾之﹀、右大臣一人︿掌、同・・左大臣.﹀﹂とある。補せられたのは、治暦五︵一〇六九︶ 年八月置二日︵﹃公卿補任﹄︶。﹁兼﹂は、兼官︵前記北山拙稿参照︶。﹁左近衛大将﹂は、左近衛府の長官。近衛府は、 む む
天皇身辺の警護に当たる令外の官。﹃半日本紀﹄天平神護元︵七六五︶年正月三日の条に、﹁改授刀衛∼為・近衛
む む む 府っ其官員、大将一人、為・・正三位官⋮::﹂とある。﹁皇舎弟傅﹂の﹁皇孝弟﹂は、皇太子で天皇の弟である人。こ の﹁皇太子﹂は、白河天皇の異母弟である実仁親王︵一〇七〇1一〇八五︶。﹃日本書紀﹄︵天武天皇元全ハ七二﹀年 む む む む む む 五月︶に、﹁亦草露道守レ橋者へ遮ド皇大弟宮舎人、車糖糧・事﹂、﹁凌雲集﹄の嵯峨天皇詩題に﹁夏日皇太下層池﹂む
とある。﹁傅﹂は、東宮の職員で皇太子を輔導する官。﹃令義解﹄︵巻一・東宮職員令︶に、﹁傅一人︿掌、以・道徳輔・ 導東宮・﹀﹂とある。﹃続日本紀﹄︵宝亀十︿七七九﹀年十二月︶に、﹁︵藤原︶縄麻呂⋮⋮宝亀初、拝中納言内尋兼・ む む む む む む む む 皇太子傅・勅旨卿・﹂、﹃日本後置﹄︵大同元︿八〇六﹀年閏六月︶に、﹁今山陽道観察使参議正四位固守皇太弟重藤原園人言﹂とある。師房が﹁左近衛大将﹂﹁皇太弟傅﹂に補せられたのは、ともに承保二年十二月十五日︵﹃公卿補
任﹄︶。﹁源朝臣師房﹂は、村上天皇の皇子である具平親王の男。村上源氏の祖。藤原頼通の猶子となり、また藤原道 167鈴木 徳男 北山 円正 長の女尊子の婿ともなっており、摂関家との結びつきが強い。当時を代表する政治家であった。詩歌の道に長じてお む む む り、のちに大江匡房は、﹁源大相国、風月之主、社稜幕臣也﹂︵﹃本朝続文鳥﹄巻十一、﹁暮年詩書﹂。﹃朝野群載﹄四 三︶と讃えている。極官はこの和歌序の位署の通り。大井河行幸の翌年二月十七日に麗じている。その生涯について は、片山剛﹁彫師房序説−後期摂関時代の変奏1﹂︵古代学協会編﹃後期摂関時代史の研究﹄所収︶が詳しく述べて いる。姓名の後に小字で記した﹁上﹂は、白河天皇に奉献することを意味する。
む
○従五位上左馬頭兼内蔵頭美濃守臣小野朝臣雰守上︵﹃凌雲集﹄序︶む
○従五位下守大舎人頭兼信濃守臣仲雄王上︵﹃文華秀麗集﹄序︶む
○東宮学士従五位下臣滋野朝臣貞主上︵﹃経国集﹄序︶ と、勅撰漢詩集はいずれも序の作者の姓名に続けている。歌会の序の場合はこの体裁に倣ったものであろう。む
○参議正三直行右大弁兼侍従美作権守藤原朝臣行成上︵﹃本朝小序集﹄﹁冬日侍.震蔭言レ志和歌﹂序︶ ○参議二二位大蔵卿兼左大弁中宮権大夫播磨権守源朝臣経潮上︵﹃本朝続文粋﹄巻十、﹁春日住吉行旅述レ懐。応・太 上天皇・和歌﹂序︶ ○内大臣正二位兼行右近衛大将臣源朝臣有吉上︵﹃扶桑古文集﹄﹁春日侍卜太上皇幸・白河院翫雪花。応レ製和歌﹂序︶ 次に序の本文ω。﹁金商﹂の﹁金﹂は、五行の一つ。四季では秋に当てる。﹁商﹂は、五音の一つ。五行では秋に当 てる。したがって﹁金商﹂は秋の意。 む む ○金商七月之候、銀漢二星之期︵﹃本朝麗藻﹄巻上、大江千言﹁七夕於秘書閣噛同書・織女雲為レ衣。応レ製﹂序。 ﹃本朝文粋﹄巻八︶ ○函夏丈安之時、金商清涼之候︵﹃本朝続文粋﹄巻十、藤原明衡﹁秋夜詠.月照レ松和歌﹂序︶ ﹁告レ謝﹂は、去る、別れを告げる。秋が去り行く。対をなす﹁肇﹂とともに、次に引く﹁射維賦﹂に基づく。 ヒ 166源師房「初冬麗従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上)
八
む む む ハ ○青陽告レ謝、朱明手話︵﹃文選﹄巻九、播安仁﹁射雑賦﹂。李善注﹁楚辞日、青春受レ謝。王逸聞、謝去也﹂。五臣 注﹁春為・青陽ハ告レ謝為春終一也。痴言朱明っ肇始也。始授謂・・夏初也﹂︶ ﹁玄陰﹂は、冬、冬の気。 む む ○玄陰凝不レ昧二其潔噛太陽曜不レ固−其節・︵﹃文選﹄巻十三、謝男連﹁雪賦﹂︶ む む ○赤日旱天毒心レ雨、書影置月早筆レ雷︵﹃白菊文集﹄巻五十八・b。Q。曾、﹁題一平泉縁家黒門荘﹂。﹃千載佳句﹄上・ 地理部・泉︶ む む ○金石糸竹之韻、清−脆本経輔車終∼賜与斉秦之声、幽二黒於玄陰之始・︵﹃本朝続文粋﹄巻一、大江匡房﹁落葉 賦﹂︶ ﹁肇﹂は、﹁射鑑賦﹂の重臣注に言うとおり、始めての意。﹃象隷万象名義﹄︵第五︶・﹃新撰耳鏡﹄︵巻十︶には、とも に﹁始也﹂とある。 む ○痒序肇興、儀形・国冑・︵﹃文選﹄巻六十、任彦昇﹁斉寛陵文宣王行状﹂︶ ﹁風雲﹂は、風と雲。 キテ む む ○珍怪麗 奇隙充、径路絶風雲通︵﹃文選﹄巻五、左熱望﹁呉都賦﹂︶ む む ○風雲易ド向・人前・暮い歳月難ド従.一老底・還h︵﹃和漢朗詠集﹄巻上・歳暮、惟良春道︶ ﹁凝﹂は、こり固まっている、はり付いている。﹁風﹂と﹁雲﹂に﹁寒色﹂がへばりついている。﹁寒色﹂がくっきり と表れている。 む ロ む ○桑柘凝・寒色∼松篁暗二晩暉一︵﹃李嬌百廿詠﹄・﹁煙﹂︶ む ○紅凝舞袖急、黛惨歌声緩︵﹃白氏文集﹄巻六十二・悼㊤誤、﹁山遊示・小妓﹂︶ り む ○玉里沈レ景、与正水一再可レ鑑、金波凝レ色、混・細浪・而難レ分︵﹃本朝文粋﹄巻八、三善清行﹁八月十五夜、同賦・ 165鈴木 徳男・北山 円正 映レ池秋月明L序︶ ﹁寒色﹂は、寒々とした色。冬らしさを示す色である。 む む ○毎レ看.風霜之寒色一画レ堪・.幽閑之虚血一︵﹃本朝文鳥﹄巻十、紀長谷雄﹁九日後朝、侍−宴朱雀院ハ同賦.二秋思入・ 寒松℃応・太上皇製・﹂序︶ む む O栖レ葉清光迎レ日媚、封レ枝寒色与レ雲深︵﹃類聚句題抄﹄、菅野名明﹁山明望.亘理﹂︶ ﹁林叢﹂は、草木の茂ったところ、林と草むら、藪。 ハヤシ む む 0山谷為レ之風森、林叢為レ之生レ塵︵﹃文選﹄巻八、楊子雲﹁羽黒賦﹂︶ む む ○秋過物色変・・林叢馬興味自催在此中一︵﹃江善部集﹄巻上、﹁初冬感興﹂︶ む ○台殿究レ巧、林叢説レ奇︵﹃扶桑古文集﹄、藤原実光﹁秋日侍・・太上皇仙洞噛同詠菊送二毎秋っ応レ製倭歌﹂序︶ ﹁秋栄﹂は、秋の花。 む む オホフ ○涼葉照沙喚内秋栄冒−水煎・︵﹃文選﹄巻三十一、江文通﹁雑体詩三十首﹂ノ﹁温光禄自記荘﹂︶ む む ○秋浅菊難レ無レ発レ栄、意蘭衰後遂彰レ貞︵﹃法性寺殿御集﹄、﹁秋怪猫・貞心﹂︶ 冬になっても﹁林叢﹂には秋の花がなお留まっている。風と雲には﹁寒色﹂つまり冬の色が窺えるのと対をなす。 ﹁聖上﹂は、天皇。天皇は白河天皇︵]〇五三∼一一二九。在位は一〇七二∼]○八六︶。後三条天皇の第一皇子。 詳は貞仁。この行幸の時は、即位四年後。﹃拾芥抄﹄︵中本・官位唐名部︶に、﹁帝王 天子、皇帝、主上、天皇⋮⋮ む む 聖上﹂とある。 む む ○方今聖上、同・夫号於帝皇馬掩二四面一而為レ家︵﹃文選﹄巻二、張平子﹁西京賦﹂︶ む む ○聖上出・彼九重之城閾馬幸.此仙洞之幽奇一︵﹃本朝続文金﹄巻九、大江隆兼﹁暮春於−秘書閣↓同書二品平虫表ワ貞 詩﹂序︶
九
1“源師房「初冬庵従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上)
一〇
﹁令節﹂は、よき時節、佳節。 む む ○偶因.令節一会二嘉賓へ況是平生心所レ親︵﹃白氏文集﹄巻六十六・。。怒。α㊤、﹁里下鄭上司録与・李六郎中日寒食日相図 同宴見占贈﹂︶ む ○在二此令節↓縦以二宴遊一︵﹃本朝文粋﹄巻十一、紀長谷雄﹁九日侍レ宴、観レ賜.群臣菊花っ応レ製﹂序︶ む む ○当二十月之令節一命二一日並置遊.︵﹃扶桑古文集﹄、大江匡房﹁冬日同詠一松影浮ワ水。応太上皇製・和歌﹂序︶ ﹁薫索﹂は、物寂しいさま。 む り ○其為レ状也、散漫交錯、氣塩瀟索︵﹃文選﹄巻十三、謝恵連﹁雪景﹂︶ む む ○寒林薫索、落葉輿論︵﹃本朝文粋﹄巻十、慶滋保胤﹁冬日於極楽寺禅房荒江賦落葉声如レ雨﹂序︶ む む ○子壷二四瀕之莫宙天賞・三秋之薫索・也︵﹃本朝続文粋﹄巻十、藤原明衡﹁秋夜同詠・.華菊臨レ水。応レ教和歌﹂序︶ ﹁佳境﹂は、景色の良いところ、風情ある土地。 む む O洛中佳境応レ無レ限、若欲・生知・問老兄.︵﹃平氏文集﹄巻六十九・。。α諮、﹁和二敏中洛下即事・﹂︶ む む ○洛陽城中、有二佳境’︵﹃本朝文豆﹄巻八、大江匡衡﹁夏日陪二左並置無業馬同賦・・水樹多佳趣っ応レ教﹂序。 ﹃江吏部集﹄巻上は、﹁勝境﹂に作る︶ む ○天下佳境、雍州為レ最︵﹃本朝続文面﹄巻九、藤原敦宗﹁初冬於..仙院書閣内同類.一仙洞多松竹詩﹂序︶ ﹁幽深﹂は、奥深いさま。 ダトヒ む む O活計縦貧長浄潔、池亭難レ小心幽深︵﹃白氏文集﹄巻五十七・卜。謡①、﹁偶吟二首﹂ノニ︶ ヲカ ンコア む む ○干−宥蒼一翼独秀出、凝積翠.以常龍田︵﹃経国集﹄巻十四、良農安世﹁雑言奉レ和.太上天皇青山歌﹂︶ ○人者誇.一山天才士魂攣う聖者三値地勢之幽深 ︵﹃本朝文粋﹄巻斗、源順﹁初冬過.源才子文芸へ同音紅葉・﹂ 序︶ 163白河天皇は、よき時節を迎えて佳景の地を訪れた。 ︵現代語訳︶ 秋が別れを告げて、冬がやって来た。風と雲には寒々とした色がくっきりと現れており、林や草むらには秋の花 が留まっている。主上は、よき季節のもの寂しげな時に当たって、すばらしい景色の所の奥深さを訪ねて行かれ る。 鈴木 徳男 北山 円正 (2) くわんばくざじょうしやうおほ い つたき てんかしようち おほるがはす な じゃうちゅうめいく いまさがの
関白左丞相に命せて曰はく、﹁伝へ聞く、天下の勝地は、大井河に過ぐる莫く、城中の耳蝉は、未だ嵯峨野
し しば いってう よか じよう しめん てうりん もは ぜんかんあ いへど くわうらく いか に若かずと。暫らく一朝の余暇に乗じて、四面の再臨を専らにせむとす。前鑑有りと難も、荒楽を奈何にせむ﹂ といふ。 天皇が関白左大臣藤原師実に対して、大井河・嵯峨野への出遊を希望するものの、浪費に走り遊楽に耽るのではな いかと危惧を告白している。﹁命﹂は、おおせになる。﹁関白﹂は、天皇を補佐してすべての政務を執り行う官職。 む む む ﹁左丞相﹂は、左大臣。﹃拾介抄﹄︵中本・官位唐名部︶に、﹁左大臣 左丞相、左僕射、左府﹂とある。職掌は右大臣 に同じ。先の亡師房の位署﹁右大臣﹂参照。大井河行幸があった承保三年十月における﹁関白左丞相﹂は、藤原理解 (一 Z四ニー=〇一︶。師実の関白と左大臣の補任は、それぞれ承保二年・延久元︵一〇六九︶年︵﹃公卿補任﹄︶。 ﹁伝聞﹂は、伝え聞く、耳にする。この語から﹁奈.尭楽.何﹂までが天皇の言葉。 む ○鄙生生二乎三百之外噛伝−聞於未レ聞聾者・︵﹃文選﹄巻二、張平子﹁西京賦﹂︶ む ロ ○伝聞魯人浮二東海へ見屋並尼及七十子遊・海中.︵﹃本朝文型﹄巻九、大江澄明﹁仲春釈奨、聴レ講・・古文歯面、同賦二 162源師房「初冬唇従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) 二 夙夜匪レ慨﹂序︶ ﹁天下﹂は、一国のうち、国中。 リ ロ ノボルハ ○盟唐天下険、夜上 信難哉︵﹃白氏文集﹄巻十八・旨OO、﹁夜中一盟唐峡.﹂︶ む ○雲林院西洞、天下霊地也︵﹃本朝麗藻﹄巻下、源道済﹁冬日於・雲林院西洞ハ同賦.公爵少二人事・詩﹂序︶ ﹁勝地﹂は、景勝の地、風景のすぐれた土地。 マコトニ ○頭陀寺者⋮⋮信楚都之勝地也︵﹃文選﹄巻五十九、津蟹棲﹁頭陀寺碑文﹂︶ む ○歳光時物、好レ事者自記可レ憐、勝地良器、相遇継馬而忘レ返︵﹃朔風藻﹄、下毛野虫麻呂﹁秋日社長隠宅馬宴二新 羅客己序︶ む ○恋二尊閤之遺徳へ慕−勝地之旧遊・︵﹃本朝文粋﹄巻十一、古楽﹁秋日遊白河院馬同賦・秋花逐レ露量・﹂序︶ ﹁莫レ過二大井河﹂は、大井河にまさる地はないの意。﹁城中﹂は、京城のうち、洛中。 む む 〇二月置皐春草浅、千乗犯レ暁出城中・︵﹃凌雲集﹄、淳和天皇﹁奉レ和一春日遊猟、日暮宿・江頭亭子っ応レ製﹂︶ む む ○色品二常花内艶勝他樹っ馬繋城中第一者耶︵﹃本朝文粋﹄巻十、藤原篤茂﹁仲春於・左武衛将軍謳う黒垂二雨来花 自湿・﹂序︶ ﹁名区﹂は、名勝の地、名所。 む ○惟此名区、禅慧仮レ託︵﹃文選﹄巻五十九、三岳棲﹁頭陀寺碑文﹂︶ む む ○鳥羽勝境者、象病名区也︵﹃扶桑古文集﹄、藤原宗兼﹁春日於・鳥羽院直会へ同柱松為二久友一和歌﹂序︶ む む ○誠論意下之勝境、象外之名士也︵﹃本朝続文理﹄巻九、藤原実綱﹁暮春侍行一.幸白河院ハ同賦・挙上落花軽っ応レ 製詩﹂序︶ ﹁嵯峨野﹂は、山城国葛野郡の平安京西北郊の丘陵地。貴族らの遊覧の地であり、別業が数多く営まれた。詩題に 161
鈴木 徳男 北山 円正 む む む む む む は、﹁嵯峨野乱費﹂︵﹃江吏部集﹄巻上。﹃和漢兼作集﹄巻雲、藤原為時︶、歌題には、藤原国津﹁秋日於一嵯峨野内濠.. 虫声・和歌﹂︵﹃本朝続文粋﹄巻十︶などと見える。 む む む ○嵯峨野亭、其地勝絶、甲於城外之山庄.︵﹃雲州往来﹄中本︶ む む ○嵯峨野之花、大井河之月、尤可レ被−賞翫一歎︵同中末︶ ﹁未レ若−嵯峨野﹂は、嵯峨野に及ぶ所はないの意。 ﹁乗・一朝之余暇﹂は、ある一日の休みを利用しての意。﹁乗﹂は、ここでは⋮⋮を使って、利用しての意。 む ○錆レ憂乗・・暇日馬誰識仲宣才︵﹃李嬌百廿詠﹄、﹁楼﹂︶ ロ ○柳乗.休仮景噛入レ苑望・青陽・︵﹃懐風藻﹄、葛野王﹁春日三富梅.﹂︶ む ○当・.三月之閏余、乗・五日之休暇・︵﹃本朝麗藻﹄巻下、大江謡言﹁三月尽日、陪−吉祥院聖廟∼同賦二古廟春方 暮っ各分レ字詩﹂序。﹃本朝文粋﹄巻十︶ コ朝﹂は、ある日。 〇一朝得レ謁大明宮、歓呼拝舞自論レ功︵﹃白氏文集﹄巻三・O置O、﹁馴犀﹂︶ む む 〇一朝焼滅旧経営、苦問遺孤何処行︵﹃菅家文草﹄巻二、﹁路次観涼相公旧宅・有レ感﹂︶ ﹁余暇﹂は、休暇、休日。 む む ○飽レ餐侃曇起、余暇弄.亀児 ︵﹃白氏文集﹄巻十六・Oりト。O、﹁官舎閑題﹂︶ む ロ マサニ ○寛平聖主、萬機余暇、挙レ宮而方有レ事レ合レ歌︵﹃新撰万葉集﹄巻上・序︶ ム む ○乗・・閏月自余鞍馬策・浮雲・而放遊︵﹃本朝続文粋﹄巻十、藤原実範﹁殿上花見﹂和歌序。﹃朝野群載﹄巻こ ﹁専・・四面之眺臨.﹂は、ひたすら周囲を眺望するの意。﹁専﹂は、もっぱら⋮⋮する。⋮⋮ばかりする。 む ○﹁自レ到・郡斎由僅経旬日、方専−公務↓未レ二一.宴遊・⋮⋮﹂︵﹃白氏文集﹄巻五十四・b。艀b。b。、詩題︶ [三 160
源師房「初冬雇従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) 一四 ○花序昔専蘭省侍、姻波今累竹劇中︵﹃田氏家集﹄巻之上、﹁奉レ饅二紀大夫斗出刺レ肥、柳因・詩酒っ各車・・一字内得レ 行﹂︶ ﹁四面﹂は、あたり一帯、周囲、四方。 む む ノゴトク ○群底如二蝟毛ハ而起四面へ雨 射・・城中・︵﹃文選﹄巻五十七、播安仁﹁馬野鼠謙﹂︶ む ロ ○銭塘湖上白沙頭、四面荘荘楼殿幽︵﹃本朝麗藻﹄巻下、藤原公任﹁同二諸知己銭塘水心寺之作﹂︶ ﹁眺臨﹂は、風景を眺めること、眺望。﹁臨眺﹂に同じ。 む ○即レ事既多レ美、臨眺殊復奇︵﹃文選﹄巻二十二、沈休文﹁外山詩、応二西陽王教﹂︶ ○従来多古意ハ臨眺独躊躇︵盛唐杜甫﹁登⊥党州城楼﹂︶ む む ○薫寺上方好二眺悪馬人身自隔動・春心・︵﹃中右記部類﹄巻線紙背漢詩、藤原挙動﹁春日遊・長楽寺・即事﹂︶ 右の第二・三例のように、高いところがら眺める意の場合が多いが、ここはそうとも言えない。たんに眺め渡すと解 しておくのがよいだろう。 む む ○﹁秋夕南池亭子臨眺﹂︵﹃文華秀麗集﹄巻上、大伴親王︵淳和天皇︶、詩題︶ ロ ○従レト主ロ盧一好甘薯臨∼地形卑湿一今林︵﹃本朝無題詩﹄巻二、藤原敦基﹁有二田家。主客会談、恣以翠玉⋮⋮﹂︶ 白河天皇は、万機の余財の一日、景勝の地として知られる大井河・嵯峨野への遊覧を望んでいた。 ﹁前鑑﹂は、先人の残した手本、先人の失敗に基づく戒め。 む む ○此皆前鑑之験、後事之師也︵﹃文選﹄巻四十三、孫子荊﹁為右仲南三二..愚女・書﹂︶ む む ○前側不レ遠、覆車継レ軌︵同巻五十三、李薫遠﹁運命論﹂。李善注﹁毛計上、股僧号レ遠。曇子春秋、当日、前車 覆、後車戒﹂︶ む む ○前鑑不レ遠、後悔可レ思︵﹃本朝文官﹄巻上、大江匡衡﹁入道大相国、謝・官文書内覧・表﹂︶ 艮59
鈴木 徳男 北山 円正 ﹁奈何﹂は、どのようにすればよいのか。扱いに苦慮するさまを言う。 む む ○少壮幾時分奈レ老何︵﹃文選﹄巻四十五、漢武帝﹁秋風辞﹂︶ む り ○明.其無レ好客何内局・其不レ由.智力.︵同巻五十四、劉孝標﹁弁命論﹂。晶晶注﹁荘子日、知レ不レ可.奈何ハ而安レ シタガフハ ヨクスルナリ 之若レ命、唯有徳者能之 ﹂︶ む む ○於レ此世不レ勉、其奈・・後悔一二︵﹃本朝文面﹄巻十、紀斉名﹁暮春勧学会、聴レ講.法華経内同賦レ摂二念山林.﹂序︶ ﹁荒楽﹂は、気ままな遊びに耽る、放将な遊楽に走る。 む む ○白雲黄竹歌声動、一人荒楽萬人愁︵﹃白氏文集﹄巻四・O目αO、﹁八浮図﹂︶ 右の白詩は、周の穆王が八頭の駿馬を駆って思うがままに遊び回ったために、民が愁えた例を引いて、天子への戒め としている。その穆王の逸遊を﹁軍楽﹂と呼んでいる。白河天皇は、行幸が二王の﹁荒楽﹂のようになってしまうの ではないかと、危惧しているのである。行幸は莫大な費用がかかり、華美奢修にも向かいかねない。勝地への遊覧を 望んではいるものの、天子としての配慮から、逡巡しているのである。あるいは、民の財産・労力を消費するのを惜 しんで、行幸を控える天子の深慮を称えた、同じく新楽府の﹁騒気高﹂︵巻四・O犀α︶を念頭に置いているであろう か。﹁難レ有・・前鑑価奈−五五何﹂は、関白左大臣藤原師実や他の臣下への問い掛けであるとともに、自らへの問いで もあるだろう。 ︵現代語訳︶ 帝が関白左大臣藤原師実に仰せられたことには、﹁伝え聞くところによれば、国中の景勝の地では、大井河にま さる所はなく、京城の名所も、嵯峨野には及ばないとのこと。しばし一日の余暇を利用して、かの地の周囲の眺 めを存分に味わいたいものだ。ただ先人の戒めがあって参考にすることができるけれども、天子の行幸は過度な 一五 158
源師房「初冬厘従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) (3) 遊楽になりがちなのをどうしたら良いであろうか﹂とのことであった。
轄製だ郵らざるに・臥虚ふること嬬んずるが費し・識轄が露の避び、農鶴㍊野烏
たれ くわうらく い こ あんぐう やまべ し はうしう かじゃう よそ も、誰か荒楽と言はむ。請ふらくは行宮を山辺に占め、方舟を河上に礒はむことを﹂といふ。 ここ あ し斯に在るなり。 六 とも てんしゃう の皆に典章に載る
こんにち りやうえん けだ今日の野宴、蓋
白河天皇の心配に対して、先例を挙げて放将な遊びにはならないことを述べて不安を打ち消す。そしてその宴の良 さを強調する。﹁勅命﹂は、天皇の下す命令。ここは帝の言葉の意。 む む ○公家之准二斎会一也、忽降・・鳳衙之勅A眼皇后之臨尭転帰、暫移−椒披之尊儀.︵﹃本朝続文粋﹄巻十二、藤原実 綱﹁法成寺塔供養願文﹂︶ ﹁未レ畢﹂は、天皇の言葉がまだ終わらないうちに。﹁臣﹂は、天子に対して臣下がへり下って自分自身を呼ぶ語。こ こでは、和歌序の作者源師房。 ロ む ○先帝知.臣謹慎ゆ故臨レ崩寄レ臣以・・大事・也︵﹃文選﹄巻三十七、諸葛孔明﹁出師表﹂︶ む O臣恭非.鴻オへ誤奉.鳳梨・︵﹃本朝文粋﹄巻十一、大江朝綱﹁早春侍・.内宴う同賦払添筆難事っ応レ製﹂詩序︶ ﹁臣応如レ先﹂は、自分は天皇がしゃべり終わる前に答えたということ。﹁黄軒洞庭之遊﹂以下﹁犠.方舟於河上﹂ま でが、天皇からの問い掛けに対する師房の答え。 ﹁黄軒﹂は、黄帝軒韓氏の略。中国太古の伝説上の帝王。 ヒトシクス む ハ 0改レ奢即レ倹、富合−美乎斯干∼口封降禅、則斉.・徳乎黄軒・︵﹃文選﹄膝掛、張平子﹁東京賦﹂。醇綜注﹁言光武 登.上泰山へ下・禅梁父へ則与.黄帝軒韓隔斉・其功徳・﹂︶ 157鈴木 徳男・北山 円正 ○仰.玄鑑以来砥、、望・飾軒之往駕.︵﹃菅家文草﹄巻七、﹁未レ自求レ意見﹂。﹃本朝文粋﹄巻こ む ム ○黄軒膚レ籔、盛岡得・希世之六出夏禺受レ図、涯重事.佳土之貢 ︵﹃本朝続文粋﹄巻三、藤原敦光﹁得.宝珠.﹂策 問︶ ﹁洞庭之遊﹂は、黄帝が洞庭の野で成池の楽を奏した遊びを言う。 む り む ヲハリニ ○荘子日⋮⋮又日、北門成問.黄帝.日、帝張..威池之楽於洞庭之野へ吾始聞之而催、後聞之而怠、卒聞之青雲、蕩 蕩黙黙、乃不・自得・︵﹃芸文類聚﹄巻⊥ハ・地部・野︶ む む へ ○洞転転レ楽地、瀟湘判子遊︵﹃文選﹄巻二十、謝玄暉﹁二野薫別..萢零陵詩﹂。五雲注﹁洞庭山名。黄帝奏二成池之 楽於上・﹂︶ む む ○鳳管鳳絃寺運、雅音疑−黄軒之張洞野冊画龍画鶴受腰、徳彩嘲・罪証之乏・寺池・︵﹃本朝続文型﹄巻九、藤原義 忠﹁暮春侍レ宴、同賦花樹逡池岸っ応レ製詩﹂序︶ ○巌前木落商風琴、謹上花開楚水清。青草旧名遺レ岸色、黄軒古楽寄レ昇華 天暦御屏風詩 菅三品 む ロ む む 汐時郭者伝、作者以此句心レ入為レ愁。判者重着日、黄帝張.楽於洞庭母野℃尤是斜文第一、道面レ詩。作者聞 之弥久愁。後代臨終車立−怨詞一云々。又故大府富江匡衡云、坤元録屏風洞庭詩海黄軒古楽之句、維時難云、如二 む む む む 荘子成英疏・之、天地之間、有・洞庭之野ゆ非二大湖面洞庭・云々、此難頗強難歎。文章有レ所レ異事。或人間云、 件事以其華言詩詞・為・難歎。被・答日、此為憲案僻事。注・・千載佳句注・也。非・件義っロハ非.大湖之洞庭之義一 也︵﹃江談抄﹄第四︶ ﹁洞庭﹂は、﹃文選﹄の五聖注と﹃江談抄﹄にいうとおり、湖の名前ではなく、天地の間にあるという山の名。黄帝が 音楽を奏した地としてよく知られていた。﹁夏后﹂は、中国太古の帝王の二王。夏禺。夏王朝を開いた。﹁后﹂は、き み、天子。
一七
156源師房「初冬唇従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上) 一八 ロ ○昔者夏重氏、朝二群臣於菰土噛而執・玉吊・玉無萬国︵﹃文選﹄巻五、左手沖﹁呉都賦﹂。拝撃細注﹁左伝日、禺会・・ 諸侯於塗山ハ執主吊・而朝者萬国﹂︶ む む ○夏導入レ家、子男断レ足之結合レ契、呉王譲レ国、兄弟晦レ身之田島レ符︵﹃本朝文粋﹄巻三、藤原博文﹁論一運命﹂ 策問︶ む ロ ○彼軒皇之称二上徳一焉、熊山之風南暖、音量富麗−地宜一 、龍門之月西低︵﹃本朝続文粋﹄巻十二、藤原敦光﹁鳥 羽院参二御熊野山・願文﹂︶ ﹁会稽之会﹂は、禺が会稽の塗山に諸侯を会せしめた故事を言う。 む む ○孔子銀漏日、禺会・諸侯於下山馬防重氏後車、禺数之、其骨専レ車︵﹃芸文類聚﹄巻八・山部下・会稽諸山︶ む む ニクム イツハルヲ O朝早行二条湯谷一分、従−伯五色稽山へ嘉群神之執レ高分、疾’防風之食レ言︵﹃文選﹄巻十五、張平子﹁思玄賦﹂︶ ﹁皆﹂は、ともにの意。黄帝の遊びと禺の集いを指す。﹁典章﹂は、おきて、規則。天子のなすべき事柄を記した書物 であろう。あるいはたんに典籍・書物の意に用いているのかもしれない。 む む ○錐三明珠兼レ寸、尺壁土レ盈、曜レ車二六、三型−五城、未レ若ド申二錫典章.二軍占遠雷︵﹃文選﹄巻六、左太沖﹁魏都 賦﹂︶ む む O宜下稽一之典章う莫占処・疎隔・︵﹃本朝文粋﹄二十二、菅原淳茂﹁大宰答二新羅一返牒﹂︶ ﹁荒業﹂は、㈹に﹁奈二荒楽一何﹂とある。この言句は、黄帝の遊びと禺の集まりを、だれも気ままな遊楽だと非難し てはいないと、天皇の危惧を打ち消している。
ホ
﹁請﹂以下の二句は、﹁臣﹂聴官の希望を述べている。﹁行宮﹂は、底本が﹁行官﹂に作るのを、︵蓬︶︵版︶によっ て改めた。﹁行宮﹂は、天皇が行幸する時に、仮に設ける住居。仮宮。観智院本﹃類聚名義抄﹄︵置碁︶の訓には、 ﹁カリミヤ﹂とある。 155鈴木 徳男・北山 円正 イヅクンゾ む む ○鳥策窒素、玉敷首記、立聞梁混有.・本方之館、行宮之基一歎︵﹃文選﹄巻五、左太沖﹁呉都下﹂。事解注﹁天子 行所レ立、名日・・行宮・﹂︶ む ロ ○行宮見レ月傷心色、夜雨聞レ鈴過断声︵﹃白氏文集﹄巻十二・Oα㊤①、﹁長恨歌﹂。﹃和漢朗詠集﹄巻下・恋︶ む む ○魏両主之遊事河∼月虹二行宮土地噛唐二帝野宴・・前殿∼燈残余郷音錘・︵﹃本朝続文旦﹄巻九、大江言論﹁早夏 陪三行二幸太上皇城南水閣∼同賦・一松樹臨・池水っ応レ製詩﹂序︶ ・﹁山辺﹂は、山のほとり。 む む ○千花苑外紹芳暖、一鳥山辺翠色寒︵﹃千載佳句﹄上・四時部・春興、解叔禄﹁長安登望﹂︶ む む ○影映山辺水、枝凋暁後霜︵﹃菅家文草﹄単二、﹁晩秋二十詠﹂ノ﹁黄葉﹂︶ ﹁礒﹂は、船を整えて漕ぎ出そうとする、舟の準備をする。観智院本﹃類聚名義抄﹄︵流下本︶の訓に﹁フナヨソヒ﹂ がある。 トドメ む ○弼一節羅潭噛礒舟泪渚・︵﹃文選﹄巻六十、顔延年﹁祭二屈原一文﹂。如暑寒﹁南方人謂、整レ肛向レ岸日レ礒﹂︶ む ム ム ○礒レ適者摂州刺史、尽・・水陸之珍.︵﹃警吏部集﹄豊中、﹁暮秋澄−大井河馬各言レ所レ懐和歌序﹂。﹃本朝文粋﹄巻十 こ ﹁方舟﹂は、並べた舟。つなぎ合わせた舟。﹁方﹂は、ならべる。﹃新撰字母﹄︵言言︶には、﹁□並也﹂とある。観智 院本﹃類聚名義抄﹄︵僧中︶の訓に﹁ナラブ﹂がある。 む ハ ○水浮陸行、方レ舟結レ駆︵﹃文選﹄巻五、左太沖﹁呉都賦﹂。五臣注﹁方・舟、並・舟也﹂︶ む む ○城西勝境一相尋、水上方レ舟血豆レ心︵﹃本朝無題詩﹄巻七、藤原明車﹁初冬遊・浸西河・﹂︶ ﹁河上﹂は、川のほとり。 む む ○萢姦収.責勾践ハ乗二扁舟於五湖ハ答犯三二罪文公∼亦逡−巡於河上・︵﹃和漢朗詠集﹄巻下・述懐、後漢書︶
一九
量54源師房「初冬麿従行幸、遊覧大井河。応製和歌」序注(上〉 二〇 む む ム ○小蔵山下、大堰河上︵﹃本朝蓄財﹄巻十一、源道済﹁初冬迂・.大井河馬詠.・紅葉萱花・和歌序﹂︶ 師房が望んだのは、山の近くに行在所を設け、並べた舟を川のほとりに用意することであった。この程度であれば、 ﹁荒楽﹂つまり特別豪奢な設えには当たらないと考えたのであろう。 ﹁良宴﹂は、すばらしい宴。 む む ○今日良宴会、歓楽難亘ハ陳・︵﹃文選﹄巻二十九、﹁古詩一十九首﹂ノ四︶ む リ ム ム 0良宴旨趣、恩姫宮レ斯︵﹃本朝文粋﹄巻十、大江基軸﹁晩春陪二上州大王臨水閣噛同旨香住花難レ識。応レ教﹂序︶ ホ ﹁蓋在子斯一也﹂の﹁斯﹂を、底本が﹁期﹂に作るのを︵版︶によって改めた。この句は、師房のその日の宴につい ての見解を述べたもの。宴会のすばらしさは、﹁心墨﹂を捨て去った用意のつましさにあるのだと言う。 む む む ○以珍貨・供養、以二詩篇・讃揚。今夜之庚申、蓋在レ斯而已︵﹃江吏部集﹄巻上、﹁夏濃墨二樹相府池⊥口﹃守.庚申馬 同賦池清知雨晴℃応レ教﹂詩序︶ ︵現代語訳︶ 帝の仰せがまだ終わらないうちに、私は先んじて申し上げた。﹁黄帝の洞庭の野における奏楽の遊びや、夏の禺 の会稽での集まりは、ともに天子のなすべき事柄を記した書物に載せてはいるものの、だれがこれを荒畠だなど と言うでしょうか。仮宮を山のほとりに設け、繋いで並べた舟を河畔に用意させていただきとう存じます﹂と。 本日の宴のすばらしさというのは、まさにこの倹しさにあるのだ。 153