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追悼の辞 (八代斌助先生追悼号)

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Academic year: 2021

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title 追悼の辞

Author(s) 学長 太田一雄

Citation Shoin Literary Review,No.5:ⅰ-ⅲ

Issue Date 1971

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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Right

(2)

学 長

昨 年 秋,八 代 斌 助 先 生 御 逝 去 の 報 に接 し た私 達 は,痛 惜 の 念 に た えか ね て言 葉 を きえ知 らなか った の で す が,あ れ か ら一 年 あ ま り,今 な お 尽 きぬ 思 慕 の 情 を抱 きな が ら,追 悼 の 辞 を献 げ た い と思 い ます 。 孔 先生 は 日本聖 公 会 首 座 主 教 の重 職 に あ りな が ら,基 督 教 の理 念 に則 して 愛 と誠 と調 和 の 精神 を鼓 舞 す るた め,青 年 の指 導 に力 を注 い で教 育 の発 展 に寄 与 せ られ,市 民 の精 神 生 活 の向 上 に偉 大 な役 割 を果 され ま した。 昭 和6年4月,松 蔭 高 等 女 学 校 の理 事 に就 任 され てか らは,今 日 の松 蔭 女 子 学 院 の基 とな っ た 中学 校 及 び高 等 学 校 の発 展 に努 力 され,そ の後,同 学 院 の 理 事 長,院 長 と して,松 蔭 短 期 大 学,松 蔭 女 子 学 院 大 学 の 設 置 に も 尽 力 し,こ れ ら を近 代 化 され た 本 学 院 諸 学 校 の育 ての 親 で あ ります 。 それ の み な らず,立 教 学 院,桃 山 学 院,八 代 学 院,国 際 キ リス ト教 大 学 等 々の 理 事 長又 は 理 事 と して 長 年 に わ た って 学 校 法 人 の経 営 に あた り,,その進展 に 貢 献 され ま した 。 故 人 は70年 の生 涯 に お い て,広 く国 際 的 視 野 に基 く社会 奉 仕 者 と して数 々 の功 績 を残 して居 られ ま す 。 その数 余 りに も多 く枚 挙 の 暇 が あ りま せ ん が,昭 和23年,全 世 界聖 公 会 ラ ンベ ス会 議 に 戦 後 最 初 の 日本 人 渡 航 者 と し て 出席 し,世 界 の人 々 と交 わ りを篤 く され た の は 忘 れ る こ との で きない ζ との 一 つ で す 。 そ の 厚 い 信 望 は,国 籍,人 種 を間 わず 多 くの人 々の 讃 嘆 の 的 とな って 居 られ ます 。 師 の お名 前 は これ らの 人達 の心 の底 に いつ ま で も 深 く刻 み こまれ て い る こ とで しよ う。 岬'-1囎 一

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御生 前,「死 の 際 まで 働 くの だ」 と言 わ れ ま した が,命 懸 けの 伝 道 活 動, 特 に戦 時 中軍 事 内閣 の 弾 圧 下 で 行 な わ れ た 聖 公 会 の 指 導 施 策 等 を想 う時, 仕事 に傾 注 され た情 熱 が 如 何 に強 か った か,今 更 なが ら感 動 させ られ ます 。 先 生 は温 情 の あ ふれ る中 に凛 々 とし た気 骨 を そ な え,独 自の見 職 を もた れ,事 に処 して は細 心 で した。 同時 に,色 々 の会 合 に そ のお 姿 が 見 え る と, 何 とな く和 や か な 空気 の漂 う,人 間性 の豊 か な人 で した。 師 の周 囲 に は, 主 義 主 張 を超 越 し,社 会 的地 位 や年 令,性 別 を 問 わず,常 に人 々 が集 い 合 い,人 間 味 あ ふ れ る空気 が た だ よ って い ま した 。 元 立 教 大 学 総 長 松 下 正寿 師 は,か つ て(昭 和45年12月)中 外 日報 に故 人 の こ とを連 載 され ま し たが,そ の 中で,八 代 先 生 は一 見 豪 傑 らしか っ たが 英 国 紳士 ら しい と ころ もあ り,又 そ の神 学 は しっか り して い た。 八 代 師 が な くな られ る と,心 の 中 に大 きい穴 が あ い た感 じがす る,と 言 って 居 られ ます 。今,こ れ等 故 人 の事 共 を思 い 出 しま す と,過 ぎた 日のお 姿 が 眼 底 に 浮 か び万 感胸 に迫 る思 い が い た します 。 故 人 の 言葉 で 忘 れ られ な い もの の一 つ は,世 の 中 で 一番 大切 な もの は父 母 と友 人 で あ る。 昔 は 教 育 勅 語 が 生 徒 に は一 番 大 事 な もので あ った 。 明治 憲 法 時 代 で は,天 皇 は神 で あ り国家 の元 首 で あ った が,今 日の天 皇 は そ の 人 格 が 国 家 の 象 徴 として 国 を治 めて 居 られ る。 世 の 中 は変 わ った が,い っ まで も変 わ らな い もの は親 子 の 関係 で あ り友 人 の関 係 で あ る。 それ は 交 わ りを意 味 し,信 仰 の 元 で あ る,と い わ れ た こ とです 。 昭和34年4月,英 国 カ ン タベ リー大 主 教,ド ク ター ・フ ィ ッシ ャ ー が来 日の瑚 り,松 蔭 女 子 学 院 に 立 寄 られ た 際,大 主 教 は 私 に,八 代 師 の働 きを た た え た後,ビ シ ョプ八 代 は大 勢 の家 族 を もって幸 福 で あ る。 ビシ ョ ップ の 信念 で あ る愛 と寛 容 の 中に 人 生 を見 出す とい う こ とは家 庭 に お い て 実 践 され て い る,と 言 わ れ た こ とを思 い出 します 。 -tii一

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私 は,故 人 の 御 遺族 と 時 々話 し合 い ます が,い つ か 「日本 人 と ユ ダ ヤ 人 」 と題 す る本(山 本 書 店)に つ い て語 る機 会 が あ りま した。 この本 の 中 に,日 本 人 に は 真 の ク リス チ ャ ンは居 な い,日 本 に は 日本 教 の キ リス ト派 が あ るだ けだ と書 い て あ りま したが,八 代 先 生 の地 上 の生 活,特 に最 後 の 1か 月 間 の病 床 生 活 は,ユ ダ ヤ人 の見 解 が 誤 りで あ る こ とを証 して居 られ ます 。 師 は真 に 立 派 な ク リス チ ャ ンで あ りま した。 こ うし て先 生 の 想 い 出 をた ど って い ます と,残 され た数 々 の功 績 が ひ と きわ 目立 って 輝 きを増 し生 き生 き と よみ が え って来 る感 が い た します 。 八 代 先 生 は今 は 居 られ ない 。然 し伝 道 の書 に あ ります よ うに,神 を信 じ る者 に は死 は 決 して 生 命 の終 りで は あ りませ ん 。地 上 の生 涯 は 絶 え て も生 命 に は それ 以 上 の もの が あ ります。 この世 の終 りは他 の世 界 に お け る生 命 の 始 め です 。 お ご そか で 偉 大 な人生 の 終 りの彼 方 に は,想 像 の で きな い新 しい 生 命 の始 が 待 って い る もの と信 じ ます 。 師 は必 ず や次 の世 で安 らか に 居 られ る こ とで し よ う。 世 は断絶 の 時 代 と言 い ます が,故 人 の偉 大 な 人格 と私 達 との 間 に いつ ま で も続 くつ なが りを持 ち,師 の 人 間像 を人 生 の 指標 と して,又 大 きい励 ま し と して生 き る こ と を誓 い 合 い た い と思 い ます 。 彼 の ロー マ法 王 の詞 「現 在 生 きて い るの は パ ウ ロで は な く,イ エ ス キ リス トの生 命 の 延 長 で あ る」 とい う教 えが 示 唆 す る よ うに,各 々 の 道 に 精 進 した い と念 じま す。 弦 に,故 八 代 斌 助先 生 の 遺 績 をた た え,そ の 風 格 を しの び な が ら,心 か らの 敬,意と哀 悼 の誠 を捧 げ て追 悼 の言 葉 とい た します 。 (昭和46年12月) -111一

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