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(1)

commencer a inf. について

著者

安達 博明

雑誌名

人文論究

54

2

ページ

87-98

発行年

2004-09-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/6232

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commencer à inf. について

0.はじめに

本稿は commencer à inf. という構文を扱う。使用実態を観察すると,先行 研究の記述では説明が困難な用例が存在する。そこで,commencer à inf. の 機能を再考することが本稿の目的である。 論を進めるにあたって,まずこの構文の意味価値について論じた主要な先行 研究を概観した後,用例に照らし合わせて内容を検討し問題点を指摘する。次 にその問題点を解決するような新しい仮説を提案する。なお,フランス語のコ ーパスは主に Le Monde sur CD-ROM 1999−2000 を使用した(1)

1.先行研究の紹介

この章では commencer à inf. について論じた主要な先行研究を刊行年順に 3 つ紹介する。いずれも commencer à inf. と se mettre à inf. の意味的な差 異をめぐっての研究である。

1. 1. FRANCKEL(1989)(2)

F(1989)は,se mettre à P(3)との対比で commencer à P について示唆

に富む論を展開している。commencer à P に関する F(1989)の仮説はおお よそ次の通りである。

(01)P はあらかじめ想定されており,commencer à P はその P の開始を

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表す。

se mettre à P について F (1989)は,soudain, tout à coup, brusquement などの副詞的表現と結びつきやすい点を指摘している。 1. 2.谷口(1991) 谷口(1991)は F(1989)の問題点を指摘した後,新たな仮説の提示を試 みている。問題点は次のとおりである。 (02)まず F においての一番の問題点は,予見という概念を問題にしてはい るものの,何(誰)による予見なのか言明されていないという点であ る。(p. 143) また,谷口(1991)は se mettre à P と同様に commencer à P も突発性を 表す表現と共起することを指摘している。谷口(1991)は最終的に F(1989) の主張を退け,新たに次のような仮説を提示する。

(03)commencer à P と se mettre à P の意味的差異は,non P から P へ の移行の明確さの程度によって説明できる。

(03)を支持する根拠として谷口(1991)がいくつか挙げているが,ここで は(03)の内容を最もよく伝えていると思われる箇所を紹介しておこう。

(04)*La chambre se mettait à devenir sombre.

(05)?Le téléphone a commencé à sonner dans la chambre.(p. 145) (04)の場合,部屋が暗い状態とそうでない状態との間にはっきりした境界 を設けることは困難である一方,(05)の場合,電話がなっている状態とそう でない状態との間にははっきりとした変化が認められる。(04)の se mettait を commençait に,(05)の a commencé を s’est mis に置き換えると各文は 適切となる。

1. 3.佐藤(1994)

佐藤(1994)は commencer à P, se mettre à P のいずれについても F (1989)を支持する立場を取っているようだ。さらに,「発話者の観点」およ

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び「談話レベルにおける用法」という項目を追加している。各項目の内容を概 観しておこう。

1. 3. 1.「発話者の観点」

「発話者の観点」とは出来事(=P)に対する発話者の位置づけを指す。 (06)??Je me mets à travailler maintenant.(p. 33. 斜字体は佐藤による)

佐藤(1994)によると,se mettre à P は発話者を出来事の外側に位置づけ るために,発話者は観察者という客観的な立場におかれる。(06)が不適切な のは,se mettre が一人称でかつ現在形であることに起因する。進行中の自己 の行いを客観視して叙述するのは通常不可能であるからだという。これに対し て commencer à P の場合,発話者は出来事に対して主観的な立場と客観的な 立場のどちらにも置かれうる。この場合の主観的とは,一人称の主語が出来事 の内部から,当事者として出来事の開始に言及することである。したがって, commencer を使用した(07)および(08)はともに容認される。

(07)Je commence à travailler maintenant.

(08)Paul commence à travailler maintenant.(p. 33. 斜字体は佐藤によ る) 1. 3. 2.「談話レベルにおける用法」 「談話レベルにおける用法」とは,commencer à P と se mettre à P がそれ ぞれの意味価値に基づく談話内での使用を指す。佐藤(1994)によると,se mettre à P が使用されるときには談話の流れに変化が認められることが多い のに対して,commencer à P が使用されるときにはそのような変化は認めら れないという。 最後に,佐藤(1994)は谷口(1991)への反論も行っている。(03)だと, 主語人称や動詞時制に関する制約が説明できないというのがその内容である。 この章では commencer à P に関して我々が参照した先行研究の内容を概観 した。次章ではそれらの研究を検討する。 89 commencer à inf. について

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2.先行研究の検討と問題点

前章では,あくまでも先行研究の紹介が目的であったために本稿での立場を 明らかにしなかった。この章では,F(1989),谷口(1991),佐 藤(1994) を用例に即して検討し,2 つの問題点を指摘する。 F(1989)は se mettre à P と commencer à P を対比させ,両者の相違点 を記述したが,主張の骨子は「予見の有無」(4)であった。se mettre à P との 対比の産物ではあるが,この概念を出発点として以下考察を進めよう。 さて,この概念に関しては谷口(1991)が(02)のような形で批判してい るのは先に見たとおりであるが,谷口(1991)も佐藤(1994)もこの点につ いては「発話者の予見」という立場を取っているようだ(5) 「予見の有無」という概念を棄却した谷口(1991)は,F(1989)を支持す る 佐 藤(1994)に よ っ て 反 論 さ れ る が,こ の こ と は F(1989)や 佐 藤 (1994)の主張が再検討を必要としないというわけではない。なぜなら,用例 を観察すると,谷口(1991)が F(1989)に対して行った 2 つの反論は妥当 であるからだ。まず,commencer à P と突発性を表す語句との共起であるが, 谷口(1991)は(09)を挙げている。

(09)Soudain, le vent commence à souffler.(p. 143)

我々のコーパスでも次のような用例が見られることから,commencer à P と突発性を表す語句との共起については検討に値する。

(10)Et c’est en faisant les exercices les plus académiques que tout à

coup, des gestes totalement incongrus ont commencé à m’échapper.

(05/11/1999)

一方,佐藤(1994)は(11)−(13)を挙げて,se mettre à P が突発性の 価値を持つことを主張している。

(11)Il se mit à / ? commença à pleurer, il se mit / ? commença à hurler. (Souris chauve, p. 34)

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(12)Il se mit à / ? commença à crier de toute sa force.(A cheval, p. 94) (13)Mais il se mit à / ? commença à rire et donna des ordres en

alle-mand.(La folle, p. 48)(p. 31. 斜字体は佐藤による)

(11)−(13)で使用されている不定詞は喜怒哀楽の動作を表すが,こういっ た動作は何の予告もなしに発生するものであるから,このような動詞と組み合 わされ易い se mettre à P は突発性を表す価値を持つと佐藤(1994)は主張 する。しかし,我々のコーパスでは次のような用例が見られる。

(14)Avant de venir au stade, j’ai commencé à pleurer.(02/10/2000) (15)Il se plante sous la fenêtre du jeune chauffeur de bus et commence

à hurler, à tempêter, à menacer.(10/10/2000)

(16)La salle commence à rire. Premier monologue : Les poils.Deuxi-ème : L’Inondation. Troisipoils.Deuxi-ème : L’Atelier du vagin. Il y a ainsi une dizaine de monologues dans le spectacle.(05/09/2000) 以上から,突発性を表す語句や感情を表す不定詞との共起を指摘しただけで は se mettre à P と commencer à P の意味的差異を記述するにあたって十分 ではないことが分かる。したがって,commencer à P の意味特性をこれらの 研究から取り出すことは必然的に困難になる。「突発性」という観点から com-mencer à P の意味価値を記述できるかどうかが 1 つ目の問題点である。 次に,「予見の有無」をめぐって,谷口(1991)と佐藤(1994)は se met-tre à P と commencer à P が未来に関わる時制とともに使用できるかどうか をひとつの目安としている。まず佐藤(1994)は,(17)−(18)を挙げ,se mettre à P が使用されるときには,発話者には想定されていない出来事の出 現が問題になっていると主張する。

(17)??Je me mettrai à travailler.

(18)??Paul se mettra à travailler.(p. 32. 斜字体は佐藤による)

(19),(20)が容認可能なのは,commencer à P が使用されるときに,出 来事が発話者の意識に昇っているからだという。

(19)Je commencerai à travailler.

91 commencer à inf. について

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(20)Paul commencera à travailler.(p. 32. 斜字体は佐藤による) 一方,谷口(1991)は発話者の予見が commencer à P と se mettre à P の 使い分けに関与しているという考え方に異を唱える。se mettre à P が使用さ れる際に発話者が出来事を想定していないとするならば,未来に関わる時制形 を使用できないはずである,というのが論拠である。谷口(1991)は近接未 来におかれた(21)を示す。

(21)Si je ne lui donne pas ces bonbons, il va se mettre à pleurer.(p. 143)

用例の観察結果に基づくと,F(1989)に対する谷口(1991)の反論は支 持できそうだ。我々のコーパスでは se mettre à P が近接未来ではなく,未 来形におかれた用例が確認されているからだ。

(22)“Si on prend très rapidement la décision d’élire les représentants des intercommunalités au suffrage universel, alors la vieille France se mettra à bouger! ”lançait M. Mauroy, le 5 avril, devant l’Institut de la décentralisation.(04/05/2000)

(23)Qu’une horloge avance ou retarde et votre voix au téléphone sera inaudible, votre télécopie illisible, la retransmission d’un événe-ment sportif sera brouillée ou les ordinateurs d’un système ban-caire se mettront à dérailler.(11/10/2000)

ところが,(22)や(23)をもって,se mettre à P と commencer à P が 「予見の有無」という概念では区別ができないと即座に決めることはできない。

なぜなら,(24)は予見の存在を読み取ることが可能な commencer à P の用 例であると言えるからだ。

(24)Impossible d’emprunter les ascenseurs. J’ai commencé à descendre à pied les 94 étages qui me séparaient du rez-de-chaussée. Le

Fi-garo(12/09/2001)

(24)はアメリカ同時多発テロの直後,建物の中にいた人物(=発話者)が その時に取った行動を語ったものである。一刻もはやく建物から脱出しないと

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いけない状況で,エレベーターが使用できないと分かったときに,次に取るべ き手段,つまり「階段で降りる」ということを発話者は想定し行動に移したと 解釈できる。 谷口(1991)の指摘にもかかわらず,(24)のような「予見の存在」を読み 取 る こ と が で き る 用 例 が commencer à P で は 観 察 さ れ る。な ぜ,谷 口 (1991)の記述と言語実態とが一致しないのだろうか。「予見の有無」という 観点から commencer à P の意味価値を記述できるかどうかが 2 つ目の問題点 である。 この章では,用例を通して先行研究を検討し,2 つ問題点を指摘した。次章 ではこれらの問題点の解決を試み,commencer à P に関する仮説を提案する。

3.新たな仮説の提示

commencer à P には,「発話者」,「動作主」(=commencer の主語),「出来 事」(=P)といった 3 つの要素の関わりを認めることができる。これらの要 素を念頭におくと,第一章で概観した先行研究は次のように捉えなおすことが で き る。「P を 想 定 す る の は 発 話 者 で あ る」と い う 谷 口(1991)や 佐 藤 (1994)の見方を援用すると,F(1989)の主張である(01)は「発話者」を 中心にした考え方であると言える。F(1989)を支持する立場 に あ る 佐 藤 (1994)においても,「発話者」がこの構文を記述するための中心的要素であ ると言ってよいだろう。これに対して谷口(1991)の主張である(03)は P のアスペクト的価値によって同構文を特徴づけたことから,「出来事」を中心 にした考察であると言える。すると,F(1989),谷口(1991),佐藤(1994) のいずれもが「動作主」には着目していないことになる。そこで,この「動作 主」も commencer à P を記述するために加えることにしよう。 3. 1. commencer à P に関する仮説 「動作主」を commencer à P の分析に加えると,P の性格は動作主との関 93 commencer à inf. について

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係において次の 2 つに大別することが可能である。

(25. a)P は動作主の意思によって生起すると考えられる場合。 (25. b)P は動作主の意思によって生起するとは考えられない場合。 例えば,(26)では P は動作主の意思によって生起したと考えられる。

(26)“En sortant de l’école, je me suis lancé dans le marketing direct politique, en fondant la SDP. C’est à ce moment-là que j’ai

com-mencé à travailler pour Jacques Chirac.’’(29/11/2000)

これに対して,(27)では,P は動作主の意思によって生起するとはいえな い。

(27)Dans les foyers de l’association Aftam, un des organismes, avec la Sonacotra, logeant les travailleurs immigrés, ils sont nombreux à ne plus attendre que la mort, au terme d’une vie de labeur, loin de leurs familles, laissées《là-bas》dans un lieu dont ils commencent

à oublier les couleurs et les odeurs. Le Monde édition internatio-nale(05/06/2004) 人間が意思を働かせることによって,特定の記憶をある時点から消すという ことは一般的に不可能だからである。つまり,(25. b)の場合,P が生起する 時点は事前に特定できないことになる。 す る と,commencer à P が 突 発 性 を 表 す 語 句 と 共 起 す る と い う,用 例 (10)に支持された谷口(1991)の主張は,次のように説明することでより説 得力を持つことになるのではないだろうか。 (28)P の生起が突発的かどうかを判定する絶対的な基準が共有されていな いのであれば,その突発性を判定するのは最終的には「発話者」であ る。したがって,soudain, tout à coup, brusquement などの表現が commencer à P とともに使用されるためには,発話者が P の生起の 突発性を伝えようとする意思があれば十分である。こういった意思を 発話者が持つ限りにおいて commencer à P と突発性を表す表現との 共起は保証される。

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(27)では P の生起する時点が事前に特定できないのだから,P の生起に対 して突発的という性格づけが行われるか否かは発話者の判断によると考えるこ とができる。すると,(10),(24),(28)から,commencer à P について次 のような仮説を立てることができる。 (29)発話者は commencer à P を使用するとき出来事(=P)を予見して いる。ただし,出来事が生起する時点は常に特定できるわけではな い。したがって,発話者が出来事の出現に関して突発的であると判断 すれば,発話者はそれを表現することが可能である。 つまり,「予見の有無」と「突発性」は不可分ではなく,むしろ分離してい ると考えられる。前もって出来事の予見が可能であっても,その出来事を動作 主の意思によって生起させることができないのであれば,発話者はその出現を 突発的と判断することもありうるからだ。 前章では,「予見の有無」と「突発性」という概念によって commencer à P を記述することができるかどうかが問題となった。しかし,この問題が生じる のは「突発性」と「予見の有無」を関連づけたことが大きな原因であると考え られる。例えば,佐藤(1994)は(11)−(13)を挙げて,「突発性」と「予見 の不在」を関連づけている。しかし,この 2 つを表裏一体の関係と捉えてし まうと,(14)−(16)が適切な理由を説明できなくなってしまう。「予見の有 無」と「突発性」は commencer à P を記述するにあたってどちらも必要な概 念であると言えるが,それぞれ独立して commencer à P に関与していると考 えることで,どちらも棄却する必要はなくなる。 この節では,「発話者」と「出来事」に「動作主」を加えて commencer à P を分析することで(29)を得ることができた。また,「予見の有無」と「突発 性」という概念はどちらも棄却する必要がないことを主張した。次節では,P の性質を動詞のアスペクトの観点から分類してみよう。 3. 2. P の分類 出来事は一般に持続するものとしないものとに区別される。動詞のアスペク 95 commencer à inf. について

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トの観点からすると,commencer à P ではいずれのタイプの出来事を表す不 定詞も P の位置を占めることができる。例えば,(30)の exister は持続型 に,(31)の comprendre は非持続型に属する。

(30)Cette Allemagne commence à exister dans les années 60.(06/10/ 2000)

(31)Quand je dis“on”,je désigne large, je commence à comprendre le monde : on, les pouvoirs, notre désir de modernité, notre goût français pour les systèmes, l’hostilité que suscite le pouvoir médi-cal, le souhait d’absolue transparence, la chasse aux gaspillages et la nécessité d’économies, le libéralisme, la nouvelle économie, la mondialisation, d’autres facteurs convergents.(03/06/2000) ところで,時間軸上で一切の幅を占めない出来事の始まりについて言及する ことはできない。すると,ここで問題になるのは,(31)が示すように,非持 続型の出来事を表す不定詞が P の位置を占めることもできるという事実であ る。この問題について考察してみよう。 確かに exister と comprendre は動詞のアスペクトの上では対立する。しか し,comprendre については,理解が即座になされる場合と,徐々になされる 場合とを容易に想像することができる。後者の場合,P の表す内容が達成され るまでに必要な段階的過程の存在を仮定すると,この「段階的過程」は時間軸 上で一定の幅を占めることになるので,「持続」と同じ性質を持つことになる。 すると,「時間軸上における持続の存在」が exister と comprendre の間に見 出すことのできる共通点として浮き上がってくる。このことをまとめたのが (32)である。 (32)P の位置を占める不定詞の事行のタイプが持続型の場合,持続は事行 がもたらす。P の位置を占める不定詞の事行のタイプが非持続型の場 合,事行の達成に必要な「段階的過程」が持続に相当する。 96 commencer à inf. について

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4.おわりに

本稿では,commencer à P という構文を扱った。先行研究の記述に対して は,用例を中心とした調査によって反例を提示するという形で疑問を投げか け,この構文に関する仮説を立てた。その仮説とは次のようなものであった。 commencer à P に関する仮説 発話者は commencer à P を使用するとき出来事(=P)を予見している。 ただし,出来事が生起する時点は常に特定できるわけではない。したがっ て,発話者が出来事の出現に関して突発的であると判断すれば,発話者は それを表現することが可能である。 今回は扱わなかった構文である se mettre à inf. についても詳細に検討する 必要がある。また,「はじめる」や「はじまる」との比較も行う予定である。 これらについては今後の課題としたい。 注 盧 刊行年月日を記した用例はこのコーパス中のものとする。その他の用例について は出典をそのつど記す。また,用例中の斜字体は特にことわりがない限り筆者に よるものとする。 盪 以下,F(1989)とする。 蘯 F(1989)は inf. に相当する箇所を P としている。本稿も以下,この表記にし たがう。 盻 谷口(1991)の表現を使用した。 眈 それぞれの原文は以下のとおり。 谷口(1991):一人称が動作主の場合には,当然話者による予見なのであろうが, それ以外の人称が動作主のときには動作主の予見なのか,話者による予見なのか はっきりしない。しかし,一般に話者による予見と考えてよいだろう。(p. 143) 佐藤(1994):こうした場合,問題の出来事はその動作主体が発話者自身であっ てもなくても,すでに発話時点において発話者により想定され,(. . .)(p. 32) 97 commencer à inf. について

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参考文献

FRANCKEL, J.-J.(1989):Etude de quelques marqueurs aspectuels du français,

Li-brairie Droz.

町田健(1989):『日本語の時制とアスペクト』,アルク.

佐藤淳一(1994):「se mettre à / commencer à の意味価値について」,『フランス語 学研究』第 28 号,日本フランス語学会.

谷口千賀子(1991):「commencer と se mettre の意味的差異」,『人文論究』,関西学 院大学人文学会,第 41 巻 3 号.

VENDLER, Z.(1967):“Verbs and Times”,Linguistics in Philosophy, Cornell

Uni-versity Press.

Corpus : Le Monde sur CD-ROM 1999−2000

──大学院文学研究科研究員──

参照

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