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「わいふ」を読む
「わいふ」に書く
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デザイン/寓塚真由美 題 字/石渡希和子 表紙イラスト/箕輪絵衣子 イラスト/荒井知恵 梅村 苺 奥島千恵子 小沢恵子 力ステラネンコ 弘法堂建二 小林正子 小牧あい 佐藤瑞江子 田沼干恵 西宮さき 橋本美智子 山田京子 25 23 20 15 10 写真提供・文/林 千春一饗景紅血鱗.﹁⋮∼;F 睾
損をしない子育て法 山本雅子 ワーキング・マザーの本音永原香代子 親と子の間で 佐久間篤子 得したじゃん!大原みかん 子育ての損得勘定 私㊨場合新井純子 − 跳∼.u 106102 98 97
89 119 126 122 129 新連載いのち、はるか←︺嚢の日々1小林智枝
おすすめの一冊 鈴木田美子 コミック これが子供の生きる道⑭ 栗田笑ワーキングライフ
三枝きよみ・匿名 座談会 私も言いたいパソコンと私
石塚由記子・岩崎八恵・岡田美幸・加藤 恵・桜井淳子 ズバリ一一一=口 長谷部治子・田中慶子子育てフォ⊥フム●NMSのページ●
小栗明子・十河温子あなたヘスマッシュ
麦穂・後藤美幸五十年振りにたどつた通学路 三井早穂子
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今これに夢中
松井久美子・松本とみよ家族のスケッチ
浅川涼子・和田美代子・高梨陽子・三田サキ おすすめの一冊 菊池広美 連載 変わりゆく中国 最終回別れのとき 法村二季子
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麦穂フリートーク
高松恭子・青島典子・高橋安子・伊藤琴子 福島みさを・神山みどり子・須賀まり子 大沢陽子・広瀬サカエ・住吉七和子 一筆両断⑭ 西田淑子エッセイスト・クラブ
中松ミナ子 おすすめの一冊 野本美希子パソコンワールド
吉田淑子・島 初美 134 136 138 140 143 144私の意見
丸田よし江 コミック・あなたの意見
毎日が平日 海砂 ブック情報私もひとこと
高松恭子・米田けいこ・小栗明子・鴨川典子 石井しのぶ・太田啓子・伊藤てる子・ユッチー 伊藤千津子・島村君子・後藤 晶・安村豊子 小山佳世子・草野ゆき・新井純子・西尾裕子 大久保れい子 おすすめの一冊 南千歌子 情報コーナー スタッフから 募集します 編集だより 152 149 147 わいふインフォメーション 幣 投稿のきまり.− 21励 文章講座のおすすめ 14 バックナンバー 一 24 お友達にわいふを −80 自費出版はわいふへ− ㎜魅せられて
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rT 私が物心ついたころ、父はいくつ かの映画館︵銀星座・メトロ・ピカ デリー︶を経営していました。映画 全盛といわれた時代です。私は小学 生の頃から、学校帰りによく映画館 の試写室で映画を見て成長しました。 東映、日活、そして私の成長とと もに洋画が入ってくるようになって からは、洋画の虜になりました。映 愛の形など、いろんな人生を感じと っていきました。 父はまた、絵画や写真、音楽など も愛し、多感な頃の私は強く影響を 受けました。そんな親の思いもあっ て、私は幼い頃からピアノや日舞な どのお稽古にも通っていました。 なかでも私はピアノに夢中になり、 音大のピアノ科に進みました。音大 の頃は親元を離れ東京に下宿し、学 生時代を楽しんでいました。そんな ある日、ある喫茶店で耳にした一曲 のシャンソンに、私は心を奪われま した。バルバラのシャンソンでした。 愛と死を見つめた彼女の歌に強く憧 れました。バルバラのシャンソンに 出会わなかったら、今の私はなかっ たかもしれません。 4ゑ ボ 暖 肉ザ・麟詠ぎ 購嵐∴ さ ぜ ギ
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絵画 音楽 写真と趣味の多かった父(45歳)。 父か経営していた映画館 銀星座(高崎市)。ここの試写室て見た たくさんの映画は、私に「いろんな人生」を感しさせてくれた。 看板の「総天然色2本立1」の文字か時代を感しさせる。昭和35 年ごろ。 ”〒 劉㌘耀ヂ 壁織晦轡懸一説穂
七五三のお祝い。三歳の私。蟻i
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結婚式。昭和50年1月閉園
憧れのヨーロッパへ。主人とイタリア・フランスを巡る旅 を楽しんだ。セーヌ河の船上で。平成10年6月 活発な娘と少し内気な息子の性格は大きくなっても変わ らない。仲の良い姉と弟。 6勘癒麟.
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霧 賠聯騨’ そんなある日、日本人のシャンソン 歌手の歌ユ曲のシャンソンに出会い、 涙を流しました。シャンソンはフラン ス語でなければいけないというこだわ りは消え、日本人には日本語で歌つシ ャンソンもあるのだと気付き、この一 曲で私の心は﹁歌いたい﹂という気持 ちに変わっていきました。 二人の子供もそれぞれ好きな道を見 つけ、娘は大学を京騒騒後、アパレル関 係のプレス部へ、息子は専門学校を卒 業してサウンド・プロデューサーの道 を歩いています。 私もシャンソンの世界に入り、はや ⊥ハN。今はセミプロとして東京のシャ ンソニエ︵シャンソンを生で聴かせる ライブハウス︶でも歌っていますが、 これは主人の理解なくしてできること ではありません。 また、両親が音楽の道に進ませてく れたこと、これも基礎になっているこ とは間違いありません。それぞれに感 謝しつつ、心の中のセンシティブな部 分を表現できるような歌が歌えるよう に、これからも勉強を続けていきたい艦蹴蕩グ
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199∼2000年版●別冊rこみゆんと』轡、「’ i圏閥胴商講属
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◆不登校・登校拒否・いじめにかかわるさまざまな団体の特 色と対応の違いがわかる◆各団体の運営方針・活動状況など が具体的1こわかる◆全国1000以上の相談・受け入れ機関 の逼絡先がわかる 心とからだの主人公に ●B5判隔月刊◆定価1260円〔税込)性と生の
tL1!1!ngn−SSgK!,!g111ylt 編 集◎“A間と性”教育研究協議会 編集長◎山本直英 明日を拓く子どもと時代のニーズに応えて〈性〉と性教育をとおし て今日の学校や家庭や社会のあり方、さらに社会・文化を考察します。 N。.27[特集]総合学習としての《性》 N。,26[特剰性教育の検討課題一結婚・シングル・離婚 ・・L= i ・・三 、・ ・嘉灘の学校翻
白白白墨…響
●別冊『こみゆんと』 不登校情報センター編 翻12−0003鯨都文京区春日2−17−3あゆみ出版ftO3(3815)5511FAXO3(3815)3777教育史料出版会:611,醐出直2−4 一’ 6
●生徒・父母・教師が綴る私の北星余市物語早川裕子高校のえらび方
自分にあった★,、。,・.・
屍
、 謹驚藻 、... . 兀..奪、. 北星学口余市高校編 中退生を受け入れる北の学園! ★1500円+子ども捗なぜ★⋮一
渡辺位学校に行くのみ
入学してからでは遅すぎる! ▼ 服装・頭髪規定は?生活指導の中身は? どんな行事があるのか? 力を入れてい ★る教育内容は? 進学への取り組みは? 学校生活がこの一冊で見えてくる! 園釜澤凹わいぶ編集部編4月末刊★1900円+税 闘帯下公立校も収録/5月末刊★1800円+税自分にあった学校をえらぶ私立高校ガイド
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損をしない子育て法
東京都板橋区山本雅子︵66歳︶
私は四人の子どもを育てて、とても 得をしたと思っている。現在左うちわ ︵死語になったか︶の身の上である。 ●自分の持ち家に住んでいる。 ●夫婦二人充分生活できる年金があ り、且つ二人とも健康である。 ●一年に一、二度海外旅行、三、四 回国内旅行を楽しみ、月に一、二 回の観劇を楽しんでいる。 ■四人の子ども達は、それぞれ世帯 をもって生活している。その上 に、、毎月私達に送金してくれる。 何のために?? ゆっくりお話したい。はじめに
二人のはじめての共同作業は、家を 建てる事だった。 見合いの話があったのは、昭和三十 一年夏のことである。彼二十六歳、私 二十三歳、いわゆる適齢期といわれた 頃である。双方納得して世帯をもつべ く部屋を探したのだが、どうしても自 分の気に入った部屋が見つからず、 ﹁自分の家を作りたい﹂と提案する。 結婚式もしなくてよい、新婚旅行に も行かなくていい、どんな小さなあば ら家でもいい、自分の家が欲しい、と いう願いは、たった三カ月でかなえら れたのである︵信じられない!って? でもこの話は長くなるから省く︶。 四帖半、六帖、玄関に台所というか わいい新居ができ上がったのは、十二 月も押しつまった頃である。仲人さん と私の両親と兄、そして私達だけの仮 祝言をして新年を迎えた。 前おきが長くなったが、この家が あったからこそ、四人の子どもが育て られたのである。 1育児にお金をかけない
第一子は女児だった。生まれる前か ら、ふとん、産着、おしめすべて自分 で作った︵母に教えてもらったり、手 伝ってもらったりしながらであったが︶。その頃はまだ近所に助産婦が何 人もいて、自宅出産が当り前、助産所 で産んで四、五日居て帰るという人も いたが、私は夫の仕事の関係上出産の 時家にいるかどうか判らないので、万 全を期して病院出産にしたがった。そ れで安いと言われている都立病院に予 約をする。正常分娩で軽くすみ、満員 なのを幸い、﹁早く帰りたい﹂を連発 ノ
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して、五日目で退院する。兄や姉の出 産費の半分ですんでしまった。以来四 人とも出産はその病院である。 はじめての育児で大変だ大変だと 言っている間に、生理をみないまま第 二子を妊娠してしまった。それからも う﹁今は子育てするっきやない﹂と居 直って、身も心も子育てに専念する。 冷蔵庫も洗濯機もない時代である。ミ\
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●一特集 子育ての損得勘定 ルクを作るのに十五分もかかるといっ ても、今の人は信用しないかもしれな い。離乳食も三食手作り。でも親と子 が見つめ合う時間はたっぷりあったよ うな気がする。 二人分のオムツを洗濯するのがいや で、上の子は一年足らずでオムツを外 した。日々大きくなって間に合わなく なる着る物は、自分のものをリフォー ムしたり、ほどいて編み直したりして 着せた。最低の出費で最大の満足を得 るためにはどうしたらいいかと、常に 考えていた。 第二子出産。丁度一年違いであった ため、男児ではあったが、すべて昨年 通り復習すればよく、育児は楽だっ た。二子のためにお姉ちゃんにさせら れてしまった一子に、より多くの愛情 をかけるよう注意した。 2最大の損は病気やけが
二歳を過ぎる頃から上の子は喘息を 患うようになる。これは夫の母からの遺伝だそうで、一生治らないだろうと 言われた。上の子を連れて病院に行く 時、下の子を背負って行く。何でもな い下の子が、病気をもらってくる事も ある。近所の医院や、売薬では治ら ず、バスを乗りついで病院通いをする のはとても大変だった。 下の子はよくけがをした。高い所か ら飛びおりて骨を折ったり、頭を縫う 程のけがをしたり、手をちょっとつい ただけで骨にひびが入ったりと外科に はよく通った。幸い治るけがで特に後 遺症はない。四子も鼻炎で長期通院し たが、一子が一緒に行ってくれて私の 記憶は薄い。どんなに心配しても、お 金をかけても︵いまのように乳幼児の 医療費は無料でなかった︶元に戻るだ けの病気やけがは、一番大きな損であ る。というわけで、栄養管理、安全管 理、健康管理に力を入れた。 3
子どもの数は
多い方がいい
二子と三子の生まれる間に増築す 、9、
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る。夫と同じ給料で家賃を払って暮ら している人が居るのだからと、毎月家 賃分を貯めておいたものを頭金にして 勤務先から借り入れた。 三子を背負って、一子二子を幼稚園 に送迎する時など、何度大変だと思っ たかしれない。園長先生に﹁三人地獄 というのです。四人目は楽になります よ﹂と言われたが、のちに本当にその誕蔚
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通りと思った。 四番目の子が生まれると、七歳違い の第一子はまるで自分の子どものよう に四子の面倒をみてくれた。上の子は 下の子をかわいがり、見本になれるよ うに努力する。下の子は親の言う事は きけなくても、上の子の言う事はよく 聞く。いい事をしてほめられると、 きょうだい争っていい事をしょうとす 12る。逆に、いけない事をきちんと叱っ ておけば、私が言わなくてもきょうだ いが指摘する。食べ物も大量に作った 方が安上がりだし、おいしい。着る物 も履く物も順に下にさげていく事がで きる。少し大きくなって、親の言う事 に理不尽を感じれば、子ども連合で立 ち向かう事もできる。そして子育てが 終わった今、子ども達は感謝してこう 言う。﹁私達は四人きょうだいでよ かった。何しろ四人で二人の親をみれ ばいいのだから一﹂と。 4
貧乏していた方が
子育てはしゃすい
夫は公務員であるし、給料以外の収 入は望むべくもない。四人の子どもの 成長を考えれば、貯金も欲しいし、生 活は決して楽でない。だから子どもに 何かねだられても、うちは子どもが大 勢だからダメ、お金がないからダメと 断らざるを得ない。それでがまんする 事も自然に覚えた。 中学生になってからは家計簿を公開 し、一人当りが使えるお金を計算させ、 まわりに流されるぜいたくは許さな かった。勿論、学校は大学まですべて 公立︵第三子だけが私大︶。外食など は殆どした事がなかったが、誕生日や もの日には、家中でお菓子作りやご馳 走作りを楽しんだ。 第四子が小学生になったのを機に、 私も勤めに出る。幸い試験にうかって 公務員になることができた。当然家事 をする時間が減ったので、子ども達に 家事を分担させ、その仕事に対して報 酬を与える事にした。例えば、お風呂 掃除一カ月五百円、食事の片付け一カ 月五百円、というように一。それは 仕事に対する責任感を培う事ができ た。また、子どもが欲しいもの︵自転 車、ラジカセ等︶は、﹁どうしても欲 しかったら三分の一の全額を貯めなさ い。そうすれば後の三分の二はお父さ んとお母さんが出してあげるから﹂と 言って、長期間かけて自分の欲しいも のを見つめ直すようにしつけた。きょ うだいで共同したり、助け合ってもの ●llll−特集 子育ての損得勘定 事をした方がよいという事も、自然に 学んだようである。 私が働くようになっても生活をゆる めることなく、収入は教養娯楽費と、 教育費と住宅関連費にもっぱら使っ た。借地を自分のものにし、家を全面 改築し、子ども達に一部屋ずつ与え、 ピアノや車も購入した。 5もとをとろう
先生︵教員︶になりたいという第一 子には、﹁うちは子どもが多いから国 立じゃなければ出せないよ﹂と言っ て、その方向で努力させ、運も手伝っ て現役から入学した。小遣いはアルバ イトをさせたが、学費は全額出してや るから奨学金を借りたつもりで、将来 にわたって返すように言っておいた。 第二子の時は一浪したし、大学院に も行ったので、給料をもらうようにな ったら、その給料の五%は私によこす という誓約書を書かせた。 そして今︵第一子四十歳︶、彼等が十年前に家を建てる時に、夫の退職金 のうち一千万をきちんと公正証書を 作って貸してやった。税金対策と、そ れに大切な老後の資金、娘にもしもの 事があったらただ他人のものになるな
んて一︵一子夫婦には子どもがな
い︶。きちんと計画を立て、返済して くれた。十年経ってこの夏﹁殆ど返し てもらったようだから、これ返そう ね﹂と公正証書を返してやる。﹁でも お母さんのお陰で建った家だから、お 母さんが死ぬまで家賃のつもりで送ら せてもらうよ﹂と言ってくれた。 第三子もこれにならい、千五百万円 ノ ノ 口 戸( E へ、d
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借りて家を買い、私のところの近くに 住んでいる。中学の先生をしながら三 児を育て︵私のところへもしばしば応 援の要請がある︶一年に百万円を目安 に返金して五年経った。 第二子は誓約書より少しだけ多く、 盆と暮れには二十万円ずつ持ってきて くれる。 第四子は事情があって子ども二人と 共に私達と同居しているが、部屋代と 食費だと言って一カ月十万円いれてく れている。 それらを全部使い切るわけではな く、何かのためにと貯金していると、 ﹁自分達の事は自分達でするから、身 体の自由のきくうちに充分楽しんで ちょうだい。後に残すことなんてない からね﹂と口を揃えて言ってくれる。 墓地を購入した時も、﹁そんな事、 あとに残された者のする事でしょ!﹂ と言われた。あと何年、どのように生 きるのかわからないが、子どもを信頼 して任せておけばよいと思っている。 子ども萬歳!わいふ文章講座のおすすめ
公民館、女性センター、社会教育課 などのご依頼で、しばしば﹁わいふ文 章講座﹂を開いています。 編集長田中、副編集長和田、﹁わいふ﹂ から巣立ったライター達を講師とし、 五回から十回までのコースがあります。 その他に、﹁子育て﹂﹁教育﹂﹁女性﹂ ﹁高齢者﹂﹁社会参加﹂など、各種の問 題について講演をいたします。老人 ホーム情報センター主任研究員の水落 も担当します。 お住まいの地域で開きたい方は、お 電話をください。資料をさし上げます。 それを持って公民館、教育委員会の社 会教育課などに開講を頼んでみてくだ されば、引き受けてくれるところも多 いと思います。 ●PTA主催の成人教育、家庭教育学 級での講師としてもご依頼ください。 14ワーキング
●マザーの本音
千葉県浦安市永原香代子︵36歳︶
前々から妊娠しやすい体質とは思っ ていた。たまたま夫との相性が良いの だろうが、拍子抜けするほど簡単に妊 娠してしまう。ミレニアム︵新千年. 紀︶・ベビーに挑戦しようかと夫に 言っていたら、もう春先には妊娠の兆 候を実感するようになってしまった。 小学三年の息子と来年小学生になる娘 と、六歳も離れて赤ちゃんに恵まれた ことになる。できれば三年おきくらい に続けて子供をと願ってきたが、結婚 十年、共働きの夫とは、新婚時代から 通算四年近く単身赴任による別居期間 があって、私の希望はかなわなかった のだ。 ゴールデンウイークが近づいたこ ろ、九月末から来年二月末まで半年弱 休むが三月には復帰したいと上司に報 告した。私が採用された十年余り前の 男女雇用機会均等法施行当時は﹁女は 使い物にならない﹂など心ない言い方 をされたものだが、最近はずいぶん様 相が変わってきた。セクハラと言われ るのをおそれてか、上司は公表の時期 を含め私の希望を尊重してくれた。周 囲の同僚たちは三番目ということにあ きれ返る人あり、﹁頑張るねえ、うち はひとりでたくさんよ﹂という人あり、 いろいろだった。 今度の妊娠は、われながら打算の結 果と思う。育児について、この六年 間、実に安逸な生活を送ってきたの ●llll−特集 子育ての損得勘定 だ。六十キロ離れたリゾート地に、退 職後の﹁終の住み家﹂を建てて住み始 めた私の両親を引っ張りだし、月曜か ら金曜までわが家に泊まり込んでもら ってきた。日中は、保育園や学童保育 に預けているが、仕事柄、夕方五時や 六時には帰れない。﹁自主夜勤の常連 だね﹂と冷やかされても、男性と遜色 なく働き続けたい。そのために、両親 の労力をあてにしてやってきたのだ。 その安逸さは一度やったらやめられ ない。帰るといつも夕飯が用意してあ り、ふろも沸いている。家の中はピカ ピカに片付いている。男が結婚生活で 手に入れるであろう安逸さを、第三子 が生まれれば続けられる 。そんな 下心があったことはたしかだ。 ただ、こうなるまでには紆余曲折も あった。同じ職場で知り合った夫は、 当初は子供が生まれてからの共働きに 反対だったためだ。﹁そんなこといっ ても、子供が無事に育たなかったらど うするの﹂﹁母親は子供のそばにいるべきじゃないか﹂II第一子で一年間 育児休業をした私に、そんな言葉を投 げてきたものだ。 復帰に難色を示すのは、彼だけでは なかった。十キロほど離れたところに 住む彼の両親も、週に一度はわが家を 訪れ、初孫の顔を見ていく。私の軟弱 な態度もいけなかったのかもしれない が、専業主婦として生きてきた義母は、 何かにつけ私に電話をかけ、﹁なぜ働 かなきゃならないの﹂﹁赤ちゃんの顔 を見たら、仕事に出るなんて言えなく なったでしょう﹂などと彼女なりに真 剣に問いかけてくるから始末が悪い。 ゼロ歳から保育所入所の手続きを済 ませ、ベビーシッター会社などを当た っているときもそうだ。義母は﹁そん なことをするくらいなら、お手伝いさ んでも雇ったら。私自身は体が動かな いけれど、赤ん坊がどんなことをされ るかくらいは見てあげられるから﹂な どと言い出したのだ。毎日夜中に帰宅 する夫とは、こうした電話をめぐっ て、険悪なムードになった。彼は﹁母 の言っていることにも一理ある﹂と言 い、彼女の言葉の棘が、私の心にどう 突き刺さったか顧みようとしなかっ た。私自身も、不愉快さは伝えられる が、何がどう間違っているのか分析で きず、議論は平行線をたどるのだっ た。 今なら、義母の発言のベースには、 彼女が子育てした時代ならではの、他 人に対する不信感があるとわかるし、 複数のプロの目が光る保育所はそんな にひどい所ではないと断言できる。夫 にも﹁信頼できる大人によって子供は 育つのよ。そんなに心配ならあなたが 会社を辞めて子供についていれば﹂と 切り返しただろう。自分は一日の育児 休業も取らず、私だけに育児を押し付 け、その上、自分の親の分まで私に心 理的負担をかけていたのだから、何と ふがいない男だったろう。 そのふがいなさが露呈するのは、第 二子の出産前後だった。それまで夫の 両親には週一回だけ長男の保育所から の迎えを通いでしてもらい、残り週四 回は、私の両親に泊まり込みで来ても らっていた︵あれほど保育所に反対し ていた夫の両親も、私の職場復帰に合 わせて、最大限手伝ってくれることに なったのだ﹀。 一年余りそうした生活が続いた。し かし、正直言って私は気の休まる暇が なかった。たった週一回だが、夫の両 親は私が帰宅する夜八時近くに、二歳 になった長男を、駅のプラットホーム まで連れ出し、そこでバトンタッチす るのが常だった。ところがある時、息 子はホームの一番端に駆け寄り、そこ で排尿したがつたのだ。一階下がれば トイレがあるのに、義父母はいつもそ うさせていたらしい。保育所でも﹁お 迎えの時に、園庭でおしっこをさせて いますが、できるだけトイレを使わせ て﹂と注意を受けた矢先のことだった。 一事が万事。しつけの一貫性を保つ 上では、具合が悪い。目の中に入れて も痛くないほどかわいい初孫ゆえに、 たががゆるんで、どうしょうもないの
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だ。何も夫の親へ援助を仰ぐ必要はな いのではないか。そう考えた私は子供 がふたりになるのを機に、夫と話し 合った。 ところが、夫は私の意見を聞くやい なや、﹁君の親にばかり頼って、なぜ 僕の親が、ないがしろにされるのか﹂ と怒り出したのだ。彼が﹁僕だって自 分の親に孫を見せたい﹂と言ったのに は驚いた。なぜ﹁見せたい﹂かを聞い ていくと、長男としての自分の立場と いう。三十ヅラを下げて、子供なんて だれかが育ててくれる、と甘えている のだ。一度たりとも保育所からの迎え をしたこともなく、自分の親とバトン タッチしたこともなく、自分自身は
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●i特集 子育ての損得勘定 ﹁父親なんてそんなもの﹂ 物を決め込んでいるのだ。 当事者ならそれなりの能力を発揮す べきだと考えた私は、初めて夫あてに 長い、長い手紙を書いた。嫁・姑とい う立場ゆえに、無自覚な発言が下の者 を傷つけることもあるということ。そ のトラブルを避ける上では、例えば夫 の両親に手伝ってもらった日に子供を 引き取るのは、夫自身が担当するなど 具体策が必要だということ。育児には 一貫性が必要なのだから、子供の様子 がどんなだったかきちんと耳を傾け、 同時に費用の清算も行う。その単純な ことが成り立ちにくい今の義父母との関係は最悪ietC。問題点をひと
つひとつ整理していくと、それまで嫁 姑問題と思っていたことが、実は彼自 身のふがいなさだとわかってきた。 結局、夫の両親の手を借りずにやっ ていくことになり、生後四カ月になっ た娘を保育所に預けて私は仕事を再開した。彼も少しは反省したのか、自分 で夜八時くらいに帰宅できる職場へと 異動し、二週間に一回は子供たちの迎 えを担当するようになった。当時は私 自身、仕事を制限していたから彼など あくまでお手伝い程度なのだが、経験 してみると、育児とは想像以上に骨の 折れる仕事と実感したらしい。少なく とも私の両親に対して﹁孫を見せてや っている﹂などという高慢ちきな態度
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■ ◆ 9 ■ ■ ‘. 9 ● ■ ■ はなくなった。 その後、夫の単身赴任もあって、決 して夫婦円満とばかりはいかずに来た のは、そもそも子供が生まれてからの 生活をどうするか、具体策を考えずに 出産に踏み切った私の軽率さが引き起 こしたことと言えるかもしれない。だ が、あのまま彼や彼の母親のペースに はまって、﹁母親になったら家に入る のが当然﹂と職を抱っていたら、私自の
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三
身の気持ちは治まらなかったろうし、 全エネルギーをまだひ弱な子供たちに 傾けて、彼らを圧倒していたにちがい ないと胸寒くなる。 三十六歳の今、わくわくする気持ち で指折り三番目の赤ん坊の登場を待っ ているのも、仕事を続けられるという 見通しがあってのことだ。勤め先でも 組織改正や労働強化など雇用条件は厳 しさを増すばかりだが、私生活で﹁も う妊婦でいるのに飽きちゃったわ﹂な どと夫に軽口をたたける環境だからこ そ、落ち着いてもいられる。 少子化は、社会的な地位が向上した 女性たちが結婚や出産に慎重になった ため、とよく言われる。しかし、現実 の女性たちが変わったのに、そういう 女性たちに旧来通りの生き方を押しつ けようとする﹁男性の責任﹂まで問わ れなければ本当の解決にはならないだ ろう。この社会において、仕事による 達成感も、収入も、将来の見通しも、 すべて奪われて生きうと言われたら、 18自分で子供を産みたいと思う︵産むの は女性に限られているから︶かどう か、一度同じ立場からよく考えてみて ほしい。結論は明らかなはずだ。 子供を産み、一人前に育てるのはた しかに大事業だ。しかし、女性でも、 男性でも、自分で人生を選択していく 自由はひとりひとりに保障されるべき だし、女が母親になった途端、自分の 経済力を失い、夫に頼って生きるしか なくなったら、その損失はばく大なも のだ。共働きがすべてとは言わない が、どんなスタイルで子供を育てるか は、いわゆる﹁世間体﹂に振り回され ずに夫婦がよく話し合って決めること であって、だれも価値観を押し付けら れないはずだ。若い夫婦がそれぞれ得 ている収入をもとに、子育ての損得勘 定をしたって、決して眉をひそめるこ とはないだろう。 友人には、やはり姑から子供を育て ながらの共働きを反対され、﹁お母さ
峰.
ん、日本国憲法を読んだことあります か﹂と切り返した体験の持ち主もい る。私の場合は、そこまで骨っぽくな いが、ふらふらしながらも、働きつつ 育てつつ、という生活を続けてこれた のはとても幸せなことだと思う。 しかし、無自覚のうちに親から引き 継いできた旧世代の価値観というもの ●一特集 子育ての損得勘定 は、思ったより頑強で、これからも夫 を通して、きっと顔をのぞかせる時が あるだろう。でも、そうしたらそうし たときだ。私自身は、母親という役割 を過剰に担うことなく、働き続けるこ とで得られるものと失うものとを冷静 に秤にかけて、自分なりに幸せを築い ていければいいと思う。はざま
親と子の間で
宮城県仙台市佐久間篤子︵33歳︶
三人目の子供ができた、と母に電話 で伝えたら、﹁三人も子供を産んでど うするの。教育費がいくらかかるか考 えてみなさい﹂と、言われた。 ﹁そんなこと考えて子供は産めないよ﹂ と私は母の言葉に反発して、電話を切 った。 子供というのは、見返りを期待して 育てるものなのだろうか。 私は大学を卒業して、就職もせずに 結婚した。二十歳の頃、卵巣のう腫の 手術をして以来、体力に自信がなくな っていたこともある。結婚したいと思 っていた相手は、大学のサークルの三 歳年上の先輩で郷里に帰り、遠距離恋 愛をしていた。早く近くに住みたいと 思っていた。それには結婚しかないと 思った。 振り返ってみれば、私は何かの手段 で親元を離れたいという気持ちが強か ったのだと思う。このまま就職しても 親元から通わなければいけないかと思 うと、うんざりしていた。就職して家 を出るという発想がなかったのは不思 議であるが、長女のあんたが親の面倒 をみるんだよ、と言われてきたことが 頭の中にあったのだろう。とにかく無 理矢理にでも、家を出ること、それに は結婚であり、これが私の親からの自 立の一歩でもあった。 私が遠くの人と結婚をすると決めた ときの母親の反応はすさまじかった。 ﹁何のために大学まで出したと思って るの﹂﹁あんたは何でも自分で決めて から、言うんだから﹂と。 確かに母は商業高校を出て、家の事 情で進学できずに苦労してきた人であ る。六十歳の今まで、きちんと働いて きた入である。 でも、私が中学生の時、刑事になり たいと言ったら、どう言ったか。﹁と にかく大学へ行きなさい﹂ 高校生の時、看護婦になりたいと言 ったらどう言ったか。﹁とにかく大学 へ行きなさい﹂ そして、私は何とか有名私大には入 ったものの、大学に入った途端目的を 失っ.た。何のために大学へ入ったの か。母親のために大学に入って、何を すれ拭よいのか。 学ぶ意欲を失い、過食症になった。 大学⋮に意味はなかった。母は結果で判 断する人だった。どんなにがんばって 勉強じても、結果が悪ければだめ。こ んなに悩んで苦しんでいる、というこ とを聞いてもらいたくて話を始めて勿
も、﹁それでどうしたの﹂と、結論だ けを求める。 私は親に話をしなくなった。食卓に つくときが、唯一ゆっくり話をできる 時なので、母はここぞとばかりに説教 を始めるようになった。食事をきちん ととる間もなく、私は場を立つ。 ● ● 「 ● 9 ● o ● ● ●。 の ﹁もういい。食べたくない﹂ 私に暖かい食卓の記憶はない。 何でも決めてしまう、ということに 関しても、親が思ったとおりの行動で あれば、何の文句もない。テニス部に でも入ればいい、という親の思惑に反 して、ハンドボール部へ入ってきた時 ●一特集 子育ての損得勘定 にも、親はそう言った。 ﹁何でも決めてから言う﹂ でも、何でもなんか決められなかっ た。親の思うとおりの人生を歩んでほ しいと願われた長女の苦しみを母は知 っているのだろうか。 私ははた目にはいい子だったろう。 学級委員、生徒会役員をこなし、ある 程度の成績をとる。でも、私は非行に 走ることもできない勇気のない子供だ った。三十歳にして初めて髪の毛を染 めた時、肩の荷がおりたような気がし たくらいである。 子供の幸福が自分の幸福になってし まった親は不幸だ。子供は親のために 生きてはいない。私は自分の行動に責 任をとれなくなっていた。何をしても 親のせいなのだから。 うまくいけば﹁ほら、お母さんの言 ったとおりね﹂。失敗すれば﹁言うと おりにしないから﹂と言われて育て ば、そうなるだろう。 自分で人生を生きているという気も しなくなっていた。何のために生きて
肥
り ギ へ●一︶ ぐ ︾ 忘 ● 亀 ’ 亀 馳 ︵㌔へ之
.O O 噸 、、こ、 いるのかもわからなくなっていた。自 分が大嫌いだった。どん底だった二十 歳の頃。それが母の育てた子供のなれ の果てだった。 自分のできなかった事を子供にやら せ、できない時は自分の挫折感と共に 子供を責める。自分の幸せのために、 子供を育てて見返りを求める。こんな 子育てはまっぴらだ。私は、母のよう な子育てはしないと決心して、子供を 産んだ。 長女が四歳になっていた。私はあん なに憎んだ母とそっくりの子育てをく り返していた。子供を自分の思いどお りに育てようとして、そうではない長 女がどうにもかわいくなくなってい た。﹁お母さんのバカi﹂と反発して くる長女に﹁なによ、あんたこそバカ じゃない﹂と対等になって腹を立てて いる自分がいた。 そんな自分に気づかせてくれたの が、私にとっては“親業”であった。 子供には自分の悩みや問題があり、人 生がある。親が子供をどう育てるかで はなく、子供が育つのに親がどう関わ るか、というスタンスは私を精神的に 楽にしてくれた。 相手の悩みを聞き、自分の本音を語 る。親と子の対立を力で解決しない。 親業のメソッドは、私を一人の大人と して育ててくれ、自己受容のひとつの きっかけになったのである。 私は今、親とは異なる子育てができ る幸せを感じている。 子供を育てることが損か得かという 話は、次元の違うことだ。 見返りを期待すること自体が、子供 の心に傷をつける。私はしたくないと 思っている。得したじゃん!
新潟県長岡市大原みかん︵41歳︶
四九七万二九二〇円也。 二人の息子が三年保育に入園してか ら、それぞれ中三、小六の十月までに がかった教育費の合計です。一カ月平 均約三面五〇二〇円になります。 習いごとは二人共月一〇〇〇円の剣 道。長男三年間、次男六年間。通信添 削は長男五年間、次男は四年間。次男 は小三から習字を習っています。他に は、この夏休みから大手の塾に行き始 めた長男の月謝や、子供たちだけで参 加した旅行や催し物も含まれています。 この額は多いのか少ないのか。は て? さあ本題に入りましょう。子供を生 んだのは損か得か。私の場合、長男の 出産と同時に教員を辞めたので、もし 辞めなければと思うと、やっぱり損を したのでしょうか。 だってあの頃いつもいただく給料は 銀行振込なんかではなく、隣の年配の 先生の袋の膨らみが自分とあまりに違 い、いっか自分もああなるのかな、な んて浅はかな考えをもっていたもので す。 さて、主人の給料だけで生活をしな ければいけないという状況のなかで、 確かにうまくやりくりができるのかと いう心配はありましたが、農家に育っ た私には、決まったお金が毎月手元に 届くという安心感が何よりでしたの で、別に贅沢したいとも思わず、ただ ●−一−一特集 子育ての損得勘定 ただ有り難く思っていました︵こう書 くとだからだめなのよ、と誰かの声が 聞こえてくる⋮⋮︶σ 私が一番心配したことは、大学時代 の友人はほとんど教員でしたので、老 後、彼女達はきっとお金に困ちない。 わあっ、私はどうなるの。その日のた めに貯めなくちゃ、という身勝手な心 配でした。 おかげで息子達と遊びながち本を読 み漁り、自分なりに勉強しました。新 聞を読む時間もなかった教員時代に比 べて細切れでも自分の時間があるとい うのは何よりも喜びでしたし、教員時 代の自分の世界の狭さが分かり、まさ に目から鱗の毎日でした。 そのかいあってか、おかげでマイホ ームが建ち、ローンも返済し、今年は 息子たちの部屋も増築しました。一人 大学まで出すには一千万かかるわよ、 と先輩にアドバイスされていたのもな んとかクリアー。ええっ一なんでそん なに貯まったかって? まあそれはい つか﹁わいふ﹂の紙面にて。ただ一言。まだ子供の年齢に﹁つ﹂ がっく間に︵ひとつ ふたつ⋮⋮︶ せっせと貯めること。増やすなんて考 えないで貯めること。知らぬ問にきっ と増えているし、後が楽ですよ。 そうなのです。まあ皆と遊べるお金 も貯まりつつあるし、この頃では、お 金よりも、まず元気でなきゃ、とせっ せと歩いています。 結局仕事を辞めて、得したじゃん。 と今はそう言えます。だって子供二人 分の人生とも関われて、まるで三人分 の人生を経験しているようです。 運動音痴、美的センスゼロの両親か らどういうわけか、体育の授業を心待 ちする長男と、図工と給食が生き甲斐 の次男が誕生してしまったからです。 いろいろな大会で息子の追っかけがで きるのも時間が自由に使えるおかげ。 今は心から子育てできてよかったと 思っています。 ただし、親というのは悲しいもの で、いつもこれでいいのかと悩みつぱ なしで受験、就職、結婚⋮⋮と子供へ の心配はまだまだ続くらしい。子育て 11個育ての意味がようやく分かりかけ てきました。 さあ、問題はこれからです。これを 機に四十代、五十代、六十代と十年ご とに総決算を﹁わいふ﹂に綴ってみた い。私の人生の収支決算を自分の手で。 どうかその日まで皆さん御元気で。 281 219 218 217 2T5 274 273 272 269 265 264 263 261 260 259
号号号号号号号号号僧号号二号号
自分にあった高校えらびの決定版 ハイスクールレポート︵関東版︶2000年度版
一九〇〇円+税 シリーズ老後の暮らし お年寄りが安全に暮らすために 一五〇〇円 変わる主婦・変わらない主婦 一五〇〇円 お申し込みは容〇三−三二六〇1四七七一 ★わいふバックナンバー 夫の過労死は他人ごとか?・ トラブル旅行記 嫌われる姑・好かれる姑 わが家の親子ゲンカ ふるさとの伝統行事 私の初体験 再就職で得た仕事・得られなかった仕事 カウンセリング体験 子どもとテレビ 引っ越し騒動 料理と私 不妊治療・私の場合 “おけいこごと”との格闘 あなたの夫は何番目の男?・ 思い出の地・再訪 私立高校ガイド忽
子育ての損得勘定
私の場合
埼玉県大宮市新井純子
はじめに
プロ野球選手のイチローが結婚した。 記者会見の席、﹁どんな家庭にしたい か﹂という質問に、彼の答えがいい。 ﹁今まで結婚している人たちをつかま えては、﹃結婚っていいですか﹄とい う質問をした。﹃結婚はいいものだ﹄ と答えたのは三組ぐらいでした。ぼく は﹃結婚はいいものですよ﹄と答えら れるような生活にしたい﹂と。まっと うで、さわやかだ。 世は少子化。いったい何が原因で、 女たちは子どもを産みたがらなくなっ たのだろう。 ﹁子どもがいるって、女は損よね。子 どもを産むとおばさんになるし、子ど もってうるさいし、自由に旅行や映画 行けないし、きれいな洋服着れないじ ゃないの﹂ ﹁でも、男は違うよね。結婚しても、 子ども産まれても、つき合いやめない し、結構自由だよね。仕事って言え ば、すべての育児から逃れられると 思っていて、子どもとの関わりを放棄 しているよね﹂ そんなわけで貧乏くじは引きたくな い、と女たちは思っているのだろうか。 男女共同参画だ、男女雇用均等法だ、 男も育児休暇だ、と新聞や国は騒ぎた てるけど、現実はそんなに、女たちに →特集 子育ての損得勘定 優しくはない。 それでも、子どもがいる暮らしは悪 くない。子どもがいるからといって、 貧乏くじを引いているわけでもない。 子どもがいるからこそ、生活に張りが 出て、元気で暮らしているということ もある。 私も、イチロー選手のように、﹁子 どもがいる生活っていいですよ﹂と、 まっとうでさわやかに答えたい。お金で、損!
子どもを育てるには金がかかる。わ が家の中三の娘、小六の息子の食欲は 大人なみ。自分のこだわりも出てき て、服や物に対してもこちらの思惑通 りにはいかなくなった。 学校は今のところ公立だし、習い 事、塾なんていうところに金は支払っ ていないから、最低必要経費というと ころだ。しかし、中三の娘が、志望し ている高校は私立だ。 今年︵一九九九年︶の春、娘の同級生のある男子生徒のおかあさんに、 ﹁学資保険を高校の入学金、準備金に するつもり﹂と話したら、鼻先きで笑 われた。 ﹁あらっ、新井さん献言っているの。 そんな物は中三のうちに使うものよ。 三月から、家庭教師に来ていただいて いるけど、長期休業の指導料、テスト なんていうのもあるから、月平均七万 円よ﹂と言った。 私は、あんまり驚いたので、三メー トルほど後ずさりした。 子育て中に出会った多くの人たちの 中で、たくさんの出来事の中で、失敗 を繰り返し、悩み、﹁わいふ﹂を心の 支えに私は人生を学んだ。だから二流 の生活スタイルができてきたと言える 私は、三メートル後ずさりはするけれ ど、彼女の意見をうのみにしてあせっ たり、子どもの尻はたたかない。 ﹁フーン、そういう家庭もあるよねつ﹂ だ。 一九九二年七月、わいふ編集部から ﹃子育てはつらい﹄という本が出版さ れている。数名のライターたち︵﹁わ いふ﹂で生まれ、育った︶が、各々興 味深いテーマで執筆している。そのな かでも、立花芳子さんの書いた﹁子育 てはもとがとれないっ9﹂は特におも しろい。ちっとも色あせた印象がな い。 今の日本なら、金で買える幸せがけ っこうあって、これらを買える金があ れば、人生はそれなりに楽しめるもの だということから話は始められていた。 ﹁子どもはいくらかかるのか?﹂、彼 女が提示した金額は、子どもひとり成 人させるのに最低二千五百万だ。さら に﹁逃がした金﹂ということで、妻が 仕事を続けて嫁いだであろう賃金のこ とも書いている。年功序列を考慮に入 れれば十年間で四千万円は稼げたこと になる、と。再就職したその後十年間 は、働き続けた人十年間で五千万円に 対し、二千万円にもならないだろう ︵退職金の差を加えればもっと大きな 開きにする︶。 二人目子どもを育てる五千万円を加 算すると、子持ちかつ妻が仕事を棄て た夫妻と、子どもを持たず、妻が仕事 を続けた夫妻の差として、約一億二千 万円という具体的な数字を掲げている。 今の時代、年功序列もボーナスも退 職金もあてにはできないし、個人の収 入の差、子どもたちへかける費用は、 各家庭で違うにしても、﹁これってす ごい金額﹂と思う。 確かに、私も大学を卒業して専門職 に就いた。三年で辞めることをせず、 今も働き続けていれば、もし夫と離別 するようなことがあっても、なんとか 親子三人生活するだけの経済力はあっ たはずだ。もったいないことをした。 ﹁金﹂というフィルターを通せば、子 どもを持ち、育てるのは﹁損﹂という ことになる。
時間で、損!
小さい子どもを抱えていたころ、専 業主婦だったころの私には、時間はた っぷりとあったはずだ。その時間をど%
んなふうに使っても誰にも文句を言わ れることがなかったのに、純粋に自分 のための時間に使うということがなか った。 子ども中心の生活を考え︵今思え ば、それが子ども中心だとか、子ども のためなどとは言えないけれど︶、ア トピーにならないようにふとん干し だ、そうじだ、体のために散歩だ、ス 一 s、亀、 b 、 、 ■幽、 ’t u
乏
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、 、 、 尋 、b 、 ’ ノ ノ ’ ノ o 〆 コ ロ 4 、 、、 、 、 、 、 イミングだ、心と頭のために絵本の読 み聞かせだ。食後の歯みがきは、必須 アイテムのように、せっせとやってい た。栄養に偏りがないようにと手作り のおやつを作り、あいさつができるよ うにと躾る。病気になれば各種病院 へ。子どもの友だちのところへ連れて 行ったり、招んだり。それから、それ から。 も \\ ’ ’ ’ 8藍
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’ ●一特集 子育ての損得勘定 うんざりするほど、私の労働は多 かった。 私に残されていたものは、細切れに された時間、くたくたにくたびれはて た体、すり減った精神だけで、﹁何か 自分のためにやる﹂なんていう気力は 残されていなかった。 二十代の私であったはずなのに﹁若 い﹂なんて思えなかった。﹁夢﹂なん ていうものは、遙か彼方へ遠のき、 ﹁希望﹂といえば、﹁ひとり、ゆっくり 眠りたい﹂。なんとも情けないもので あった。 小さな子どもの愛らしさ、柔らかさ を楽しむ、幸せを感じる余裕は当時の 私にはなかった。残念ながら、子ども は、私の時間と自由を奪う、最悪の存 在だった。子どもがいるって
﹁本当﹂に損なの?
子どもたちが成長して、細々とした 世話から開放された今でも、﹁なんで うちの子頭悪いのかしら、ちゃんと高.校行けるのかしら﹂﹁悪いことしてい ないかしら﹂﹁登校拒否にならないか しら﹂﹁友だちに意地悪されていない かしら。意地悪していないかしら﹂ 親は、際限なく心配する。 学校のPTA、地域の子ども会、ス ポーツ団体との関わり。あいかわらず 子どもに振りまわされ、小間使いのよ うに働いている。 やれやれだ。 子育てって大変で、つらいと思って いたころの私は、子どもを持たない私 を想像したり、子どもを持たずに働い ている人たちをうらやましく思ってい た。 子育ては地味で、だれからも認めら れず、誉められず一だからともいえ る一おもしろみに欠けていた。 図書館で今の私を肯定するべく本を 借りて読み漁った。 反対にシングルの人の暮らしを綴っ た本を読み、彼女たちのつらさを捜し たりした。 私がそんなことをしているうちに、 .r幽∂づ、 A N 噺 、 vN . ) ’s一一L NNN s N N s × k. .. b −≒ 、 ’
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子どもたちはそれぞれ成長していっ た。 そのことに私は感動した。子どもた ちは私のようにぐちゆぐちゆしていな い。昔にしがみついていない。未来だ けを見つめて、新しいことにチャレン ジをする。 そんなふうに思ったら、私にとって 彼らは豊かな存在、私の力をさらに大 きくしてくれる存在に逆転してしまっ た。 また、彼らは、私が育つ過程でおと しまえをつけてこなかった感情を引き 出してくれた。たとえば五歳の淋しい 思いをした気持ち、十二歳の腹立たし い気持ち、十八歳の苦しい気持ち。そ んな時々の気持ちを再び私につきつ け、﹁大人はああいったけど、それで よかったんじゃないの﹂﹁十二歳のあ なたはくやしかったよね﹂﹁それって 逃げだよなあ﹂﹁もう一度挑戦してみ ょうがなあ﹂という具合で、大人の私 が、幼い私をなぐさめ、勇気づけてい る。・そうやって私は、少し大人になれ詔
たようだ。すっかりあきらめていた人 生に、夢や希望も抱けるようになった。 子どもたちと関わることで、世の中 の問題矛盾に気づかされる。食べ物、 環境のことなど、ひとりの時には興味 も関心もなかった。政治、経済のこと も普通のこととして考えられるように なった。私の目は、人間の営みのあり とあらゆることに向けられた。 さらに、彼らは実際よく役に立つ。 家事労働も分担してくれる。私はどん どん力がなくなるが、彼ちは力をつけ
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ていく。買い物袋は私よりたくさん 持ってくれる。あ∼あ頼もしい。学ぶ こと、スポーツ、何でも上達する。 彼らは、まぶしいほどに光り輝いて 見える。こんなにおもしろく、ステキ な存在とご飯食べたり、おしゃべりし たりするのは、得ではないか。 私たち世代は、優劣をつけられて 育ってきた。そのせいか、いつも損だ とか得だとか考えて暮らす癖が抜けな い。判断する基準、選ぶ基準がいつ も、﹁損﹂か﹁得﹂だ。 ・へ . 4一 ψ、・★ ”3:・洋
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T特集 子育ての損得勘定 子どもたちといると﹁好き﹂か﹁嫌 い﹂。﹁楽しい﹂か﹁楽しくない﹂。﹁気 持ちよい﹂か﹁気持ち悪い﹂。﹁おもし ろい﹂か﹁おもしろくない﹂。宇宙レ ベルで基準が広がっていく。 今私たち大人が考えなければならな いことは、経済効率一本槍、合理的は 善、ひとりより多数、の価値観の見直 しだ。 お金がかかるから、めんどうだから 子どもはいらない、という論理が日本 を覆うことになれば、日本は近い将来 滅びてしまう。人がいなくなるという 前に、世界から相手にされないという 意味において。 女に生まれたのだから、子産みは体 験してみてもいいのじゃないかなあ。 その後に続く子育ては、母親ひとりが 負うのでなく、父親をはじめ社会の手 を借りて楽しくやればよい。変わりうる者が一それも激変−
近くにいる暮らしって、おもしろ過ぎ て得でなくて何だろう。 ︵え・小沢恵子︶歌姫
神奈川県伊勢原市松井久美子 今、コーラスに夢中である。朝から 晩まで歌っている自称﹁歌姫﹂。 高校の時、合唱部に友達がいて、ど うして人前であんな発して歌えるの か、気が知れないと思っていた。その 私が、母と同年代のおば様に混じり、 キンキラの衣装で大口開けて歌ってい る。 きっかけは、気の合う友達が誘って くれて、ちょくちょく会えていいな、 と思ったから。歌うことは好きだった けれど、得意でもなんでもなく、キン キンした声を持て余していた。 見学に行くと、メンバーの平均年齢 はかなり高いし、﹁わりとカッコいい わよ﹂と聞いていた先生も、そろそろ おなかが気になる五十代後半のおじさ ん。﹁ちょっとパスかな一﹂というの が第一印象だった。 が、練習が始まると空気が変わっ た。ガハガハ笑っていた太めのおばさ ん達のどこから出てくるのか、透明で 深みのある声がホールに響く。 ﹁体で歌う! もっとおなかを使っ て!﹂。先生の指示に魔法のように声 が変わる。 ビリッと電気が走ったように体が震 えた。その場で入会を決めた。 最初はつらかった。私が入ると合唱 の質が落ちるのが明らかにわかる。声 が出ない、音程が外れる。ますます自 信がなくなって、小さな声で不安そう に歌うと先生の叱咤が飛ぶ。 練習をテープにとり、自分のパート のところを繰り返して入れて、一日中 聞いた。ごはんの仕度、洗濯、アイロ ンがけ。掃除機や片付けの時はウォー クマンで聞いた。窓を閉め、部屋のド アも閉め切って、鏡の前で口の形と姿 勢を見ながら歌った。 先生にもほれ込んだ。現役オペラ歌 手だけあって、音のとらえ方や音色に 込められる感情が全く違う。恥ずかし さや不安も捨てて、先生に言われるま ま身を任せていると、気持ちが高ぶ り、思いもかけない声が出る。恋愛か 宗教にはまっていく感じによく似てい て、かなりアプナイ。 初めは一時間も歌うと声がかすれ、 カぜひきのようなしゃがれ声になって しまったが、次第にコツがわかってき た。正しい場所で発声すると、体が空 洞のようになり、音が息にのって頭の 中まで響く。歌えば歌うほど声量も増 してくる。 今まで、通りは悪いし、疲れやすい詔
声だと思っていたけれど、声を出すこ とが楽しくなった。音にも感じやすく なるのか、賛美歌を三部できっちりハ モルと、心が揺さぶられ、涙があふれ そうになる。 子供たちを叱る声がやたら通るよう になったのには困ったが、いっか童謡 の好きな祖母の前で、ミニ・コンサー トを開くのがひそかな夢。 ﹁もっと自分を出して! オリジナル で歌うよ﹂ 先生のこのセリフが一番好きだ。 週に﹁回二時間、 歌姫になる。 私は日常を離れて
おもしろ特派員体験
熊本県天草郡松本とみよ︵43歳︶ テレビ局の特派員になって二年、こ れがけっこう面白い。 今、県内には四つのテレビ局がある1!zき三二/:
纏驚く
やゆ @ ゆドけ。讐・礎\・
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嵐・識。塵
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球勲r爵翼→今これに夢中
.、 のだが、その中の一つ、熊本県民テレ ビでは、﹁テレビタミン﹂という県内 情報番組を放送している。毎週月一金 の午後四時五十五分から六時四十五分 まで。全国ニュースをはさんで県内各 地のイベント、おすすめの旅や食物を 紹介しているのだ。 この番組が始まった時、ちょうど主 婦は料理に忙しい時間だし、見る人な んているものかと思っていた。ところ が、視聴者参加ですごく身近な物や 人、場所がたびたび登場するのが受け て、今では熊本県ではすごい人気番組 になっている。 ある時、たまたまテレビをつけたと ころ、﹁テレビタミン﹂の放送中で、 その日のテーマは、﹁プロポーズの言 葉教えて﹂であった。テーマについて 電話なりファックスなりすると番組で 読んでくれる。番組の最後には一番良 かったものに寿司券一万円が贈られ る。 早速、﹁うちの主人のプロポーズは、 ﹃僕について来てくれませんか﹄でした﹂とファックスした。これには後日 談があり、夫は芸のないことに同じ言 葉を他の女にも言ったことがあったそ うな。その時、彼女は﹁どこまで?﹂ とたずね、夫は何とも言いようがなく ﹁ちょっとそこまで﹂と言うしがな かったらしい。 これは読まれるという自信があった ので、ビデオをセットして待ってい た。すると本当に読み上げられたの だ。キャスターが大笑いしてしばらく しゃべれなかった。これがやみつきに 咽 磯 ゆ ⑪ 脚 曜 癌 。・ 金 φ 軸 導流 ・ 脾 ㎎ ψ
⑫ ・鯵
φ ヂ ① 鋤 δ ⑪ ㈱x.
なって、この番組のファンになった。 この番組は県内の市町村に一人ずつ 百人の特派員を置いている。毎日二人 ずつ特派員情報コーナーで担当地区の イベントや面白い物や人の話題をレ ポートしている。 県内のことは知っているようで知ら ないもの。この番組を見ていると色々 と役立つことも多く、お得な気分だ し、熊本県民の連体意識も高まるので はないかと思う。 最初のうちは、私はただの視聴者に すぎなかった。ところが町の特派員さ んが、自分はどうも好きじゃないから あなたやってみない?と言われた。そ の時は、本気で考えなかったが後日、 正式にテレビ局から依頼の電話があっ た。やってみたい気持ちと、テレビカ メラの前で出来るのかと心配する気持 ちでゆれたが、好奇心の方が強かった。 実はこの番組が始まった時に特派員 募集があったそうだが、私は知らな かった。天草地区は全く応募がなかっ たそうだ。そこで役場に人選依頼した そうで役場職員がなっているケースが 多い。 最初の仕事は町の﹁鬼んピック﹂と いうイベントの取材。家庭用ビデオで 撮影した後、ディレクターにいるか聞 いたところ﹁送って下さい﹂とのこ と。普通は、ディレクターのOKが出 てから取材に行くのだが、まれには撮 影の後で諾否をもらうケースもある。 放送日が確定すると、ディレクター から連絡が来る。当日はお昼頃にディ レクターから﹁今日はよろしく、フィ紹
ルムはこんなふうに編集しました。だ いたいこんな感じで説明して下さい﹂ との電話が入る。キャスターからもう ちあわせの電話がある。特派員情報 コ:ナーでは、自分の撮影したビデオ をテレビ画面で見ながら自分は電話で 生出演して説明するというもの。司会 者と会話しながらなのでそのためにう ちあわせするわけだ。 私の場合、このうちあわせの後、フ ィルムの流れにあわせて原稿を書く。 どんな角度から質問が来ても答えられ るように準備もしておく。というのが、 司会者がうちあわせと違うことを言っ たりするのはよくあることなのだ。 番組スタートは四時五十五分だが、 スタジオ内では、その前に通しでのリ ハーサルがある。特派員コーナーのリ ハーサルは四時頃。自宅に電話がかか り、﹁リハーサルです。よろしく﹂で 待機。スタジオ内の声が聞こえる。天 気予報で失敗して笑う声など交じる。 ﹁それでは次は、特派員情報です﹂の 声に生つばをのみこむ。