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『孤独地獄』小考――漱石の影響――

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はじめに

『孤独地獄

ー漱石の影響

「青年と死」の終末部において「第一 1 一の声」が「A」を誘い込 む「黎明の光の中」は、 預廃的な日常的生を克服し獲得した新た な次元の世界である。 「A」がこの世界を獲得することができた のは、 「死のほかに何も知らない人間」として常に「死」を待ち 構え、そして、 「死」 を忘れなかったからに外ならない。 うに、 「胃年と死」の芥川は 死と対峙することによって高次な 生を獲得していく経緯を機軸 に、 新たな生の認識を開いたのであ るが、 「ひよっとこ 「仙人」r揖生門」「鼻」を祖き終えた芥 川が、 『孤独地獄」に至り、何故、 再度自死への下降的 生に傾斜 しなければなら なかったのか、 r孤独地獄」の作品史的位置を考 える場合、 この問国はやはり重要なことと考えられる。 人間乃至は人生の一角を鋭利に切り取り、 鮮烈なイメージ形象 を核とした完結的な小世界の構築を目指す短編作家の一特性とし て、 非連続的な認識傾向は、 極く自然なものであったということ

』小考

もできるが、 津藤および禅超の形象背景を辿つてみる時、そこに は、 意外 に大きな芥川固有の非連続的要因を見出すことができる のではなかろうか。 この小論では、 まず、 禅超の苦悩の造形に見られる「行人」( 目漱石)の影響面に注目し、次いで、 禅超および津蘊の作品史的 位阻を抑え、 最後に、 反措定の連続過程のもとに認識の深化を果 すことのできない 芥川固有の形象背景の問題を尋ねてみたい。 (夏目漱石)の影響 「行人」の 「座労」の章が朝日新聞に連載されたのは、 大正二 年九月十六日から同年十一月十五日までである。そして、 単行本 としての初版の刊行は大正三年一月七日である。そこ で、 大正五 年四月、 第四次「新思翔」に「孤独地獄」を発表した芥川が、そ の執筆前に、 「行人」を託了することは十分可能なことであった といえる。 「行人」

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用者)

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《兄さんの苦しむのは兄さんが何を何うしても、 それが目的に

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ならない許りでなく、 方便にもならないと思ふからです。 たゞ

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不安なのです。従って凝と してゐられないのです。兄さんは落 ち付いて寝てゐられないから起きると云ひます。起きる と、 ゞ起きてゐられないから歩くと云ひます。歩くとたゞ歩いてゐ られないから走けると云ひます。既に走け出した以上、 伺処ま で行っても止まれないと云ひます。 止まれない許なら好いが刻

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一刻と速力を増して行かなければならないと云ひます。 其極端

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を想像すると恐ろしいと云ひま す。 冷汗が出るやう に恐ろしい

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と云ひます。怖くてlヽ・堪らないと云ひます。》(塵労、一_干一、 傍点引用者) 《孤独地獄だけは、 山間喋野樹下空中、 何処へでも忽然として 現れる。 云はば目前の塊界が、 すぐそのまA地獄の苦嗣を現前 するのである。自分は二三年前から、 この地獄へ堕ちた。一切

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の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時でも―つの

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境界から―つの境界を追つて生きてゐる。 勿論それでも地獄は 逃れられない。 さうかと云つて境界を変へずにゐれば猶、 苦し い思をする。そこでやはり転々としてそ の日その日の苦しみを

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忘れろやうな生活をしてゆく。しかし、 それもしまひには苦し

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くなるとすれば、 死んでしまふより外はない。昔は苦しみなが らも、 死ぬのが嫌だった。今で

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》(孤独地獄、傍点引 右の二文の共通的内容は、 一読して明らかであ り、 密接な対応 関係を読み取ることができる。第一は、 一郎の「何を何うしても、 それが目的にならない許りでなく、 方便にもなら」 ず、 「ただ不 安」で「凝としてゐられない 」状態と禅超の「一切の事が少しも 永統した興味を与へ」ず、 「伺時でもーつの境界から―つの境界 を追つて生きてゐる」状態との対応である。第二は、 一郎の「何 処まで行っても止まれ」ず、 「其極端を想像すると」「怖くてく‘ 堪らな」くなる 気持と禅超の「転々としてその日その日の苦しみ を忘れるやうな生活をしてゆ」きながら、 「死んでしまふより外 はない」と思う気持との 対応である。 さらに、 右二文以外のものとして、 次のような対応も見落すこ とができない。 それは‘ ]郎の存在不安を客観的に捉え分析する 認識者•Hさんの判断と禅超の存在不 安を客観的に捉え分析する 認識者・陣 藤の判断との対応である。生 気のない禅超 様子に 「娯 客のかか りやすい倦怠」を見出し、 「酒色を恣にしてゐる人間が かかった倦怠は、 酒色で痘る筈がない」と判断する津藤の分析過 程は、 「何も 考へてゐない人の頷が一番気高い」(座労、三 十九) とする一郎の不幸を「 此判断に到達したのは、 全く考へた御蔭で す。 然し考へた御蔭で此境界には這入れない」(同)と判断す Hさんの分析過程にそのまま 重なり合うものである。 勿論、 両者の間に大きな差異の存すろことはいうまでもない。 その第 1 は、 一郎と禅超と の間の人閥的差異である。 l 郎は「知

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-66-「行人」の強い影蟹を受けながら も、歴然 と認められるこのよ うな差 異が 、芥111のどの ような独自の形象モ チーフの働きによって生じたものなのか、また、そのモチーフに よって、芥川のどのような独自の世界が開かれたかと いう ことで ある。酒色を恣にし て存在不安 の危機状 況に 陥った僭侶.禅超と 抑制の利いた通人・津籐と いう主要人物には、 「 行人」の一郎お とこ ろで、問題は、 的にも美的にも、倫理的にも鋭敏な」(同、三十八)天性でもっ て世俗の欺鳶性 を裁き ながら、 自閉的孤立の世界で自己の紹対化 を図るビューリタン的知識人である。これに対し禅超は、出家 の 身でありなが ら、「酒色を恣にしてゐる」デカダン的知諜人であ .る。第二は、一郎と禅超の危機的状況の差異である。一郎の危 機 状況が、「内省の力に勝」(癌労、一二 十九)り 陥った存在不安で あるのに対し、禅超の危機状況は 、「酒色を 恣にしてゐる 人間」 のかかる「 倦怠」である。第三は、一郎、禅超の危機的原質を作 中で客観的に認識化するHさんと津藤との間の人物的差異である。 Hさんが、一郎と同じ潔 癖篤学の知識人であるのに対し、律藤は、 風雅と人情の機微を弁えた通人で ある。第四は、一郎と禅超の生 活背景に関する叙述の差異である。 「 行人」の漱石は、存在不安 に怯える一郎の苦悩の形象 を、妖しい性の力 と前近代的な生活秩 序と鋭利な理知の病弊と が錯綜する 力学のも とに捉えているが、 『孤独地獄」の芥川は、禅 超の酒色に溺れる背只叙 述を行っては いない 。 よびHさんと は異 なる芥川固有の性格殷定を見出すことができる が、こ こで、この主要人物の形象性と作品史的位置に注目してみ たい 。 通人・津藤の 生涯については、森国外碑f細木香以」に、より 詳細な記事が 見ら れ る。これによると、津 藤は 「クリジスに遭つ」 (細木香以、 五)て も「遊所通は」「罷ま」(同)ず、また、父 の死に際しても「四十九日の配物が済んだ頃から遊所に通ひ」 ( 同、七)、そ し て、「身代が棺傾きはじめ」(同、九)ても云ぷー 遊は」「衰へな」(同)い放蕩を重ねた人物であるが、「俳諧師、_ 狂歌師、狂言作者、告家、彫エ 、両エ」(同、七)との交遊を持 ちながら風雅に 遊び、「酒色の筵にあっても品位を墜さぬ心掛 (同、六)を持した「通人」である。没落後、「店を継母に渡し」 (同 、+)「猿寺の佗住ひ J (同、十一)に阻居した津藤は、m{ ける為送の補足」(同)に「市村座の 作者」「俳諧の判」「狂歌 の判」(同)などの仕事を 引き 受けたりしてい たが、「廊室は昔 馴染 の芸 人考の遊所」(同)となって負債が嵩み、下総にまで退 問する始末。やがて、山城河岸に帰ったが、その津藤は「倒され たる大いなるものJ (同)と して 、昔馴染との親交を「喜ばな か った」 (同)ので ある。放蕩と遊芸に一 生を覇尽した『老年」 の 津藤の作品史的背景と位置

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主人公・房吉を叙した次の一節は、この団外の描く香以像と同質 の人間的特徴を見 せている。 「老年」は、細木香以の生き様をモ チーフに、はじめて形象化した作品と いうことができよう。 《十五の年から茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金 瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云ふが、それか ら閥もなく親ゆづりの玄米問屋の身上 をすつてしま ひ、器用貧 乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者 もやると云ふ具合に、 それか らそれへと微禄して一しきりは、 三度のものに も事をかく始末だった が、それでも幸に、僅な縁 つゞきから今では此料理屋に引きとられて、楽隠居の身の上に なつてゐる。》(老年) 「隠居の身の上」となった房吉は、一見 注q黄昏の意識」とか

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ゴ名廃」を感じさせる零落振りであるが、「六金さん」の「浅間 の上」の語り場面ならびに房吉の随居部屋での独 白場面に着目し てみる時、そ こには、「辻番の老爺のやう」な外観とは裏腹に、 逼塞した生活にも疲弊することの ない生々とした通人的「遊び心」 の躍動を見ることがで きる。とり わけ、房吉の隠居部屋での独白 場面は印象的である。この場面の房吉の「遊び心」は、省の静謹 に映えるあえかな残照の哀しみとして純化され、軍い余韻を残し ている。こ の余韻を支える芥川の主要な形象モチーフは、大叔父 に大通・細木香以を持ち、また、「代々お奥坊主 」(文学好きの 家庭から)を勤めて伝統的 な江戸趣味を守っている由緒ある芥JII 家に寄せる自負であり 、そして、衰微する通人的文化への愛惜の 情であったといえよう。 「一切の事が少しも永続きした興味を与へ」ず、「何時でも一, つの境界から―つの境界を追」いながら「転々としてその日その 日の苦しみを忘れ るやうな生活をしてゆく」禅超の苦しみは、こ の「老年」の主人公・房吉の放恣な生活の中に生れる苦しみであ り、禅超の生は房吉の生の延長線上に位置するものといえる。し かし、す でに見てきたよ.うに、 放癌と遊芸に一生を癌尽した房吉 の造形には、通人・津藤の大きな影が落ちているのであり、禅超 の苦しみは、本来、 津藤の背負うべきものである。芥川は、何故、 それを津藤に背負わせなかったのか、これは、「孤独地獄」の形 象モチーフを考える際、重 要な意味を持つものといえる のではな かろうか。 ところで、 「死んで も悔いないやうに烈しい生活をするつもり」 (或阿呆の一生、三十五)でいながら、「不相変養父母や伯母に 遠慮勝ちな生活をつづけ」(同)なければならなかった芥川にと って、冷厳な自己確認と自由な夢想の拡大は、共に、抑えが たい 衝迫となっていたと思われるが、これは、そ のまA、「老年」で細 生門」のような浪浸的憧恨志向の強く働く作品群と「ひょっとこ」 「鼻」のような検索的認識志向の強く働く作品群を生み出したと いえよう注f老年」に働 く憧憬志向は、主人公・房吉に日常性を 突き抜けた通人的遊び心 の生み出す生々とした命の昂傷を賣し、

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-68-そして、土皿生門」に働く憧憬志向は、 主人公·下人に社会的な 規範とか日常的な生活習慣とか合理的な思考判断を超えた反射的 な自然情 動を与えている。放蕩と遊芸に一生を蕩尽した「老年」 の主人公・房吉の遊び心に 胎生するはずの存在不安の様相は、こ •うした領恨志向の強く働く作品群において追求されるはずはない。 これを果すことのできる作品は、認識志向の強く働く作品 群であ るが、しかし、まだ、房吉とか下人の僅憬的な生を現実のものに することのできていない芥川にとって、酒色を恣にする源客の存 在不安は無縁のものであり、「ひょっとこ」「鼻 における認識 志向は、自ずと、房吉とか下人になりきれない芥川自身の抱え持 つ危機的状況に向けられていたといえるのではなかろうか。 津薩の形象性は、このようにモデル次元を離れ、芥川自身の形 象モチーフとの関連のもとに捉えなおす時、新たな側面を見せて くれるものと考えられる。

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《津藤は酒を一滴も飲まないが 、禅超は寧、大酒家である。そ

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れからどららかと云ふと、禅超の方が持物に贅をつく してゐる

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最後に女色に沈涌するのも、やはり禅超の方が甚しい。津藤自 身が、これをどちらが出家だか解らないと批評した。大兵肥満 で、容貌の醜かった津薩は、五分月代に銀鎮の懸守と云ふ姿で、 平素は好んでめ くら 縞の着物に白木の三尺をしめてゐたと云ふ 男である。》(孤独地獄、傍点引用者) この「孤独地獄」における津藤の、「酒を l 滴も飲ま」ず、 「持 物に贅をつく」さず、そして、「女色に沈面する」ことも少いと いう性格づけからは、閾外の描く細木香以のような豪遊への眈溺 振りを思い浮べることはでき ない。r孤独地獄 J の芥川にとって 細木香以は、芸者や暫間を連れて遊里に遊ぷ螺客であっても、「暮 末の芸人や文人」の多くと交遊を持ち、風雅と人情の機微を弁え、 しかも、自 己抑制を十分に利かせながら遊ぴ心を充すことのでき る理想的大通でなければならなかったのだといえよう。自己抑制 を利かせる津藤の芙学的乃至は心理的背棗を伝記的な生活事実そ のものを もって具象化しなかった芥川は、髄憬的な理想像を最も 純粋な形で表す ことができたのであるが、この酒色に溺れず贅を 慎しむ自己抑制を理想的な通人像の骨格に据えた芥川は 、このこ とによって、自己獲得の足場を取得することが できたといえるの ではなかろうか。 《我々と前後した年齢の人々には、漱石先生の「それから」に 動かされたものが多い らしい。そ の動かされたと云ふ中でも、 自分が此処に書きたいのは、あの小説の主人公長井代助の性格 に惚れこんだ人々の事である。その人々の中には惚れこんだ所 か、自 ら代助を気取った人も、少くなかった事と思ふ。》(点 心、長井代助) これ は、大正期の若き知諜人の多くを魅了した漱石の「それか ら」の主人公•長井代助 の形象性について芥川の語った「長井代 助」(点心)の一節であるが、宮裕な経済的基 盤を足場に「特有

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なる細緻な思索力と鋭敏な感応性」(それから、 一)を存分に働 かせながら、 「精神の困惣」(同、 六)と「身体の衰弱」(同) と「道痣の敗退」(同)を招いている開化の「 暗黒」(同 )を裁 き、 そして、 「思はせ振りの、 涙や、 煩悶や、 真面目や、戚実」 (同)を侮蔑するニル・アドミラリとか「自分の脳裡に願望・嗜 欲が起るたび毎に、 是等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的」 (同、十一)とする自己中心の自然的衡迫に よって、 己れの尊厳 を守ろうとした代助の生き方は、 現実次元での闘いを厭う絡大な 弱者・芥川にとっては、 やはり、 魅力溢れるもの であったといえ ・ よ う。 自己抑制を保らながら遊びの心を究 め、 そして、 課客の苦 悩をも対象化し得る『孤独地獄」の津薩の生 は、 ーール・アドミラ リを保ちながら自然衝迫に生き、 そして、 開化の暗黒を鋭利に裁 く代肋の生に重なり合うものといえるのではな かろうか。 勿論、 作品の内的構造から見ても、 沖藤の自己抑制は、 避けら れない必須の条件であったと 見ることができる。 その 理由の第 1 は、 禅超と同様に酒色に沈涸する遊蕩を津藤に許す時、「地嶽の .苦限」を超脱する認識視点は求めが たくなるからであり、第二は、 芥川自身の 認識者としての破綻的側面を背負う禅宗の僧侶.禅超 を、 わざわざ地獄の苦蝦に沈ませる設 定意味が失われてしまうか らである。 ここ で、禅超の形象的意味に若目してみたい。 禅超の作品史的背景と位置 「孤独地獄」以前の作品で悩侶の登坦するものは 、 習 作r弘法 大師御利生記 J と出世作「鼻」である。 この両作の僧侶には、 共 に、 偶像破壊のモチーフが働いているのであ るが、 これは、常識 を破る意外性のもとで人 涸の心の深厨を照らし出す手法として、 有効に生かされているといえよう。 r鼻」の主人公・禅智内供に 覗く人間の度し がたい我執とか哀しみ は、 求道者・僧侶の見せる 意外性によっ て、 その 印象度はより強力なものになっており、荒 i 独地獄」の禅超の作品史的位殴は、 こうした技法上の面から見る と、 『弘法大師御利生記」「鼻」を結ぶ線上に捉えることができ る。 また、 認識上の面から見ると、 すでに見てき た検索的な認識 l

7 志向の強く働く「ひょっとこ」「鼻」を結ぶ線上に掟えることが l できる。 ここでは、「孤独地訊」の作品史的位囲づけを、 技法上、 認識上の両面から規定しているr鼻」を中 心に取り上げ、禅超に 託されている認識上の問題点を尋ねてみたい。 r鼻の主人公・禅智内供は、 世間の人の眼を敏感に意織しな がら過剰な自意識を働かせている が、 「悪くこだはった恋愛問題」 (別稿「あの頃の自分の事」)を契機に「羅生門」と共に書きは じめられたこの作品には、 恋愛問題を通して獲得した芥川自身の 人間認識とか 自己認識が色濃く投影してい るものとみて差支えな かろう。 ところで、 大正五年初めの「手級」 メモには、芥川の 三つの愛

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を覗くことが できる。海老井英次氏は、このメモ内容からこの当 時の 芥川の気持を整理されて コy(吉田弥生)はこの時までに 「日日5ryJの領域に退いてしまっているが、C(吉村千代)に 対する思慕は多分に憐憫を含みながらいまだ持続しており、F(塚 •本文)に対する愛 情がようやく芥川の心の中心に位恒しはじめた かのようである」 と述ぺておられろが、この三つの愛は、「鼻」 の主人公・内供の造形に意 外に大きな 影響を与えているといえる のではなかろうか。 第一 は、長い鼻によって毀損し た自尊心を恢復し ようとして様 々な方法を試みる内供の造形と吉村千代に愛を寄せる自己隠蔽時 期のコムブレックスおよび偽善との関連である。 《とても一し よになれる甲の 出来ない お前をこんなにふかく こんなに心から愛すると云ふ事は ひぷんなさけない事だと 思ふ。(略) ぼくは、お 前をいつまでも今のやう に思ってゐた い、(略)さうして出来るだけ よめなどもらはずに お前一 人をなつかしく思ってゐたい もつとも出来るだけお前もかた ずかずにゐた方がいヽな どとは ぼくの口から云へたぎりでは ないけれども さうだ ったらなほいAやうな気がする しかし これは気だ けだ》(大 正2 .3年頃、吉村千代宛害簡草稿) この書簡草稿に見られ る芥川の吉村千代に対す る愛の基底には、 芥川の厳しく裁いた「新生」における藤村と同じ「老祖な偽善」 (或阿呆の一生、四十六)をそのまヽ見出す こと がで きる。下女、 千代との 古風な身分 関係を新しい近代の人間的論理で超克するこ ともなく、甘美な感傷の愛に耽る芥川は注玉論理そのものでなく 古風な非人間的なシキタリや顔への単純な屈服でもなく、その中 間で両方を壊さずに自分を貰くような、強力で暖昧で儀礼的な」 偽善に生きていたという外 はない。千代の「下女」であろという ことに見すぼらしさを感じ、世間に恥じ して、自己隠蔽を図 りながら養家の愛を慎ましく受けていた芥川の偽善は、「彼より 背の低い、頭の禿げた父」(大導寺信輔の半生、一 l一)を「只見す ぼらしさの為に」「憎」(同)み、「友だ ちの前にかう云ふ父を 恥ぢ」(同)る信輔のコムプレックスに根を持つものであり、こ のコムプレックスと偽菩を核とした芥川自身の内心の劇が、内供 の造形に色濃く投影しているといえよう。 なお、この自己阻蔽時期における芥 111の危機的原質を見定めた 作品としては、「ひょっ とこ」を挙げることができる。「円顔の、 頭の少し禿げた、眼尻に小霰のよってゐる、何処かへうきんな所 のある男で、誰にでも腰が 低い」という平吉の外貌は、勿論、芥 川自身のものとはいえな いが、このような温和で控え目な好人物 としての日常的外貌の裏に潜む、正気の自分 と酪訂状涸の自分の どちらが 「ほんとう」の自分か「判然とわからない」自己分裂乃 至は自己喪失の危機状況とか、また、「人と話してゐると自然に 云はうとも思はな い随が出てしまふ」欺謀性とか、あるいは、「ひ よっとこ面」で素顔を 屈し「馬鹿難」に眈る自己鞘晦は、芥川自

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身のものと見ることができよう。こ のような自己の危機的原質を 認識化する ことので きた芥川は、『仙人」「羅生門」において 、 新たな生の可能性を探ることになるが、これは不本意な結果に終 った といわざるを得ないのである。 第二は、弟子僧のF熱心な勧告に聴従」し鼻を治療することの できた内供と吉田弥生IL愛を寄せる自己顕示時期の虚栄心および 不安感との関連である。 《こは人に御見せ下さるまじく候/YACHANとよびまつら むも/かぎりあるぺ<候 いつの日か/再 し・ゆ・う・ペ・ る・とが哀調を 共/にきくこと侯ひなむや》(大正3・末、 吉田弥生宛魯簡) この弥生に宛てられた書簡文は、千代宛のものとは対照的な特 徴を具えたものである。幾何学的な構築美と洗錬された都会的感 党と甘美な感偏を、端正な文体によって統一するこの脊簡の特性 は、「汝と住むぺく下町の/水どろは青き溝づたひ/汝が洗協の 往き来には/昼もなきづる蚊を聞かむ」(澄江堂遺珠ー_佐藤春 夫網ー_)という詩IL歌はれた芥川の魂の古巣fL根を下ろすもの ではない。この書簡の形式的構成には、吉本隆明氏の鋭利な分析 の示す喜下唇階級的平安を、潜在的に念願しながら 、〈知識と いう巨大な富〉をパネにしてこの平安な境涯から脱出しよう」と するための彫琢を見出すことができる。安らかな充足感を齋して くれる素朴な千代との愛を心底で希求しながらも、教育とか家柄

の差異という力によってそれを抑え、虚栄心を華やかに満してく れる弥生との愛に傾く芥川は、当然、得意な気持と同時に大きな 不安感を背負っていたものと思われるが、この魂の古巣を忘れて 爪先立つ弥生との華麗な恋愛の抱え持つ 得意な気持と不安感が、 長い鼻を治寮し「満足さうに眼をしばた ヽ 」き ながらも同時に、 「又長くなりはしないかと云ふ不安」に陥らねばならなかった内 供の 心理形象に色濃く投影しているといえるのではなかろうか。 なお、弟子僧達の「同情」と「傍観者の利己主義」というアム どパレンスの心理は、「何度も互に愛し合ふも のは苦しめ合ふの かを考へ」(或阿呆の一生、三)なければならなかった伯母との 生活の中で確認された ものであり、弟子僧達の「傍観者の利己主 義」の形象に最も関係の深い生活背景としては、芥川と弥生の結 婚話に対して見せた伯母の意外に強硬な反対を挙げることが でき よう 。 第三は、「鼻が一夜の中に、又元の通り長くなった 」内供の造 形と塚本文子との婚約を決めた頃の平即な小市民的充足との関連 である。 《僕のうちでは時々文 子さんの噂が出る、僕が貰ふと丁度い ヽ と云ふのである 僕は全然とり合はない /何時でも いヽ加減な 冗談にしてしまふ 始めはほんとうにとり合はないでゐられた 今はさうではない 僕は 文子さんに可成の興味と愛とを持つ 事が出来る しかし僕は今 でも冗談のやうにしてゐる

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-72-何故かと 云ふと僕は或予感がある そして僕のvanity は此 予感を利用して僕の感情を露すなと云ふ 其の予感と云ふのは 文子さんを貰ふ事は不可能だと云ふ予感である》(大正5.1 .23、 山本喜誉司宛書簡) この文面か らは 、親友•山本喜誉司の助力を無意識のうちに探 りながら、家族の容認する文子 に向って傾斜していく芥111の新た な愛を院み とるこ とができる。この愛はこれまでの二つの愛とは 異なる安息を 芥川の心に賓すものであるが、この安息の中で芥川 の確めなければならなかったものは、 「最も賢い処世術は社会的 因襲を軽蔑しながら、しかも社会 的因襲と矛盾せぬ生活をするこ とである」(保珠の言菜)という思いであり、芥川は何の術もな く、 この思いをた だ苦々しく噛みしめなければならなかったので はな かろうか。末尾における突凶とペーソスは、この安息への希 求と襄めた自意識との結合がたくまずして生み出した余情といえ よ う 。 むすび r覇生門」の芥川は、 「仙人」における李小二の、他人の思惑 を付度懸念する他者中心の生活姿勢ならびに相対化の思弁処理を 超えようとして、主人公・下人からその付度懸念を払拭し、 そし て、他者の言動を契機とする心情や行動に、社会的な規範とか日 常的な生活習慣とか合理的な思考判断を超えた反射的な 自然情動 としての特性を負わせたのであるが、 「鼻」における芥川は、再 ぴ、主人公を他者中心の生 活姿勢に陥れなければならなかったの である。これは` 主体的な生の展 望を放棄し、そし て、李小二と 老道士、下人と老婆という二人の人物の交錯のもと にほの見えて いた認識 止揚化の視点をも展失したとい わざるを得ないのである 。 「鼻」において、 主体的な生の姿 勢と認識止揚化の企図を放棄 せざるを得なかった芥川が、 「孤独地獄」において、自力本固の 求道者である禅宗の僧侶.禅超を放蕩と存在不安に陥れたのは必 然の結果であったといえるので はなかろうか。 芥川が三つの愛の体験を通して確認しなければならなかったも のは、このように、自己分裂や自己喪失へと傾斜していく自分自 身の不幸な危機的原質であ ったとい う ことができる。 《彼はいつ死んでも悔いないやうに烈しい 生活をするつもりだ った。が、不相変養父母や伯母に遠慮勝ちな生活をつづけてゐ た。それは彼の生活に明暗の両面を造り出した。》(或阿呆の 一生、 1 二十五) 「退慮勝ちな生活」の造り出す「明暗の両面 j は、恋愛時の情 念と複雑に絡み、その上、「世紀末」の「靱暗がり」(同、一) との戦いとも深く関りながら、 屈折したアムビパレンスの心理を 形成し、やが て、自己分裂とか自 己喪失の危機的状況を賓したも のと思われ るが、その存在不安を日常的な生活次元での闘いによ

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-74-って 解決することのできない非力な自己の認識を深めていかねば ならなかった芥川にとって、 富裕な資産を拠り所に鋭敏な感性と 細緻な思索力を自由に働かせ、 日常性を突き抜けた精神の高みを 築く「それか ら」の主人公・代助の生は、 自己防衛の、 魅力溢れ る武器になり得たはずであり、 さらに、 これ は、 芥川の自負の中 に生きる津藤の、 宮裕な資産を拠り所に胎湧とした風雅と洗錬さ れた酒色の遊びを自由に満喫し、 日常性を突き抜けた美学の高み を築く生に通じるものであり、代助的生 は、 「孤独地獄」の津藤 の形象に対し、次第に、 大きな影響力を持ちはじめ ていったもの と考えられる。 このように、 津藤の理想化のための自己抑制に強い影響力を持 った「それから」の主人公 ・代助の日常化を突き抜けた精神の石 みと、 禅超の地獄の苦懇の形象に大きな影響力を及ぼした「行人」 の主人公・一郎の底知れない存在不安の様相は、津藤および禅超 の生活背景を抜きにした「孤独地獄」の省略的美学を支える中心 イメージの核となっているが、これは、 同時に、芥川独自の認織 を連続的な反措定のもとに深化させていく上での大きな阻害にな っていたといえるのではなかろうか。 〈注〉 (1)拙稿《「育年と死」論覚え書ーニつの愛とアルチパシェ フ「死」の影響ー_》(岡大国文綸稿9、 一九八一、 三)なお、 平岡敏夫氏は、 「楽天的な 〈青春〉の全肯定とは逆に、芥川は〈老 年〉のしめつける〈青春〉の悲痛、 優情、 その純なるものを噛み しめつつ、 生き」(《〈青春〉と〈老年〉ーー文学の閥題として》 国文学、 一九七九、 四、 学燈社)はじめろとされている。 (2)一九一七、 九、 一九?十、 十三、 東京日日新聞と大阪毎日 新間に連載。 (3)佐古純一郎〈〈芥川龍之介における芸術の迎命》(-九五六、 四、一古堂害店) (4)進藤純孝《芥川龍之介》(一九六四、 ―一、 河出書房新社) (5)11(1) (6)拙稿〈〈「紐 生門」小考1形象イメージを手掛りにー》(-九八二、 三、 岡大国文論稿10) (7)〈〈龍之介の恋〈その理性と感性〉》 (解釈と鑑賞、 一九七四、 八、 至文堂) (8)伊藤整〈〈小説 の認織》(-九五五、 七、 河出誓房) (9)《芥川龍之介の 死》(一九五九、 二、 「芸術的抵抗と挫折」未来社) (10)石割透氏は、 塚本文子への愛を 育てはじめた 生活背景に若 目されながら、 「自己変革」の志向を棄て「自己の資質通りに生 きようとする」「「諦念」の影」を読みとっておられる。 (早稲 田大学「国文学研究」54、 一九七四‘ 1 0) (11)三好行雄 氏は、作者が主人公との閲に保つ「〈距離〉のからくり」(〈〈芥 川龍之介論》一九七六、 九、 筑摩書房)を読みとっておられろ。

参照

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