カンボジア語 ― 地域研究の視点を取り入れた外国語教育
基盤教育院 山田 裕史1.はじめに
カンボジア語は、世界遺産アンコール・ワットで有名な東南アジアの小国、カンボジア 王国(人口約 1,400 万人)の公用語である。この言語は、同国の 9 割を占めるクメール族 の言語であることから、クメール語とも呼ばれる。 日本では、メディアや街中など、日常生活でカンボジア語の文字や音を見聞きすること はほとんどないため、多くの人々にとって、カンボジア語はまったく馴染みのない言語で あろう。カンボジア語を学ぼうと思っても、そもそも語学のテキスト自体が非常に少ない。 カンボジア語を学ぶための書籍は、辞典や単語集、会話集を加えても、これまで日本では 十数冊程度しか出版されていない(絶版になった書籍も含む)。 カンボジア語をめぐるこうした環境のなか、桜美林大学はカンボジア語の授業を開講す る希少な大学のひとつである。他に日本でカンボジア語を学ぶことのできる大学は、国内 で唯一のカンボジア語専攻を有する東京外国語大学や、第 2 外国語として開講する上智大 学と慶応義塾大学くらいしかない。4 段階のレベル(カンボジア語ⅠとⅢは春学期、Ⅱと Ⅳは秋学期)の授業を開講する桜美林大学は、第 2 外国語としてのカンボジア語のコマ数 がもっとも多く、いかに外国語科目に力を入れているかがうかがえる。 筆者はカンボジア地域研究を専門とし、2008 年度から「カンボジア語Ⅰ~Ⅳ」を担当 している。本稿では以下、これまで約 3 年半の経験を振り返りながら、カンボジア語の授 業の実践について紹介したい。2.履修者の背景と傾向
そもそも日本で馴染みのないカンボジア語という言語を学ぼうとするのは、どのような 学生たちだろうか。これまでの「カンボジア語Ⅰ」と「カンボジア語Ⅱ」の履修者数は多 い年でも 20 人前後であり、他の外国語科目と比べると少ない。履修した理由を学生に聞 いてみると、毎年もっとも多いのは、「中国語やコリア語など、人気の高い外国語科目の 抽選に落ちたから」というものである。積極的な理由から履修したとはいえない学生たちに、興味と関心を持ってカンボジア語 を学んでもらうことは難しい課題であるが、同時に、非常にやりがいを感じる点でもある。 カンボジア語には、中国語検定試験やハングル能力検定試験、実用タイ語検定試験のよう な公的試験がなく、日本では就職後も社会で役立てる機会はほとんどない。それでも、当 初はまったくカンボジア語に関心がなかった履修者のなかにも、翌年度に「カンボジア語 Ⅲ」、さらに「カンボジア語Ⅳ」を継続して履修する学生が意外と多い。 他方、少数の履修者からは、「カンボジアを旅行して関心を持ったから」、「カンボジア でボランティアがしたいから」、「小学生や中学生の頃、難民として来日したカンボジア人 の同級生がいたから」などの理由も聞かれた。さらには、「カンボジア語の授業があるか ら桜美林大学に入学した」という意欲的な学生もいた。 少数とはいえ、こうした積極的な理由でカンボジア語を学ぼうとする学生がみられる背 景には、リベラルアーツ学群の国際協力専攻や国際交流センターの国際協力研修(カンボ ジア研修は 2009 年 8 月~ 9 月に実施)の存在といった学内の要因や、難民として来日し たカンボジア人の多くが在住する神奈川県出身の学生が多い、という学外の要因があると 考えられる。 カンボジア語を学習するきっかけはどうあれ、これまで筆者が受け持った履修者には非 常に意欲的な学生が多かった。たとえば、スタディ・ツアーや旅行で実際にカンボジアを 訪れた学生が 10 人以上いたほか、数人の学生は大学のウェブサイト上の投書箱を通じて 「カンボジア語Ⅴ」と「カンボジア語Ⅵ」の開講を要望したという。また、カンボジア研 究で著名な大学院へ進学した学生も複数いる。さらに、他の外国語科目の抽選に落ちたこ とがきっかけで履修したある学生は、熱心にカンボジア語を学んで卒業した後、カンボジ アで NGO 活動に参加するために、アルバイトをしながらカンボジア語の学習を継続して いるという。 以上のように、当初からカンボジア語に興味と関心を持って履修した学生は少数である が、カンボジア語を学んだことをきっかけに、カンボジアに足を運んだり、引き続きカン ボジアにかかわる進路を選択したりした学生は決して少なくない。それでは、カンボジア 語の学習に学生を惹きつけるにはどのようにしたらよいのか。次節では、筆者が担当する カンボジア語の授業のコンセプトと実践について述べたい。
3.授業のコンセプトと実践
言語を学ぶということは、単に単語や文法を暗記したり、実践的なコミュニケーション 力を身に付けたりすることにとどまらない。それは、自分たちとは異なる言葉で話したり 書いたりする人々の考え方や情緒、そしてその背後にある歴史や文化までも包括的に学ぶ ことであると考える。 カンボジア語の授業を行なううえで筆者が常に重視しているのは、こうした「地域研究 (Area Studies)」の視点である。外国語科目である以上、カンボジア語の授業の一義的な 目的は、カンボジア語の語学力の向上にあることは言うまでもない。しかし、地域研究を 専門とする筆者がさらに目指すのは、カンボジア語というひとつの外国語を学ぶことで、 自分たちとは異なる言語や考え方、歴史、文化を持つ人々について学び、多様性を理解で きる能力を身に付けることである。外国について学ぶことを通じて、日本の社会や自分の 日々の生活を見つめ直すきっかけにつながればと考える。以下、このようなコンセプトに もとづく授業の内容の一部を紹介したい。 カンボジア語には人称・数・時制による活用がないため、欧米の諸言語に比べて基本的 な文法はそれほど難しくはない。3 つの語順の規則(①主語+述語+目的語、②被修飾語 +修飾語、③付属語+自立語)を頭に入れ、基本的な単語を覚えてしまえば、初学者でも 簡単な文章を作れるようになる。そこで、年度初めの授業では、基本的な文法と単語、そ して挨拶など簡単な会話の習得に力を入れている。 その際、筆者が重視しているのは、履修者同士でペアを作って会話の練習を行ない、全 員の前で会話を発表してもらうなど、履修者が互いにコミュニケーションをとる時間を多 く設けることである。外国語科目は週 2 回行なわれるため、履修者は互いに他の授業以上 に頻繁に顔を合わせること、そして、欠席が続くと授業についていけなくなることが多い ことから、一人ひとりが参加しやすい授業の雰囲気作りが重要となる。 そうした雰囲気作りの一環として、そしてカンボジアの食文化の学習を兼ねて、カンボ ジア語の授業では毎年 5 月頃、町田駅近くで在日カンボジア人が経営するカンボジア料理 店で食事会を開催している。例年、この食事会をきっかけに履修者が互いに打ち解け合い、 授業中に気軽に発言や質問をするようになったり、授業の欠席者数が減ったりするなどの 効果が出ている。こうしたことができるのも、少人数クラスならではの利点といえよう。 他方、カンボジア語の文字は文法に比べて複雑である。文字を学ぶ際は、王立プノンペ ン大学外国語学部の外国人向けのカンボジア語コースで使用されているテキストや、カン ボジアの小学校 1 年生用の国語教科書を活用し、履修者ができるだけ楽しみながら文字を 学べるようにしている。文字を学び始めた当初、履修者の多くは「こんな文字、絶対に覚えられない」と投げ出しそうになる。しかし、「カンボジア語Ⅳ」レベルになると、辞書 を引きながらカンボジア語の文章を読めるようになっており、自身の語学力の向上に驚く 履修者は多い。 こうした語学の学習に加えて、カンボジア語の歴史や人々の生活の様子、そしてカンボ ジアの現代社会が抱える諸問題などについて学ぶ時間も設けている。カンボジアに関する 映像を見たり、筆者がカンボジアで行なう NGO 活動や調査研究について話したりするほ か、カンボジア人ゲストや NGO 関係者を招聘して講演会を行なうこともある。また、カ ンボジアに関する各種シンポジウムやセミナーなど、学外での学びの機会についても紹介 し、積極的に参加するように促している。 以上のように、カンボジア語の授業では語学力を身に付けるだけにとどまらず、その言 葉を話す人々とその国についても包括的に学ぶという、地域研究の視点を重視した教育を 行なっている。マイナーな言語であるカンボジア語は履修者の数が少なく、少人数クラス ならではの利点があるが、同時にいくつかの課題も抱えている。次節では、今後の課題に ついて言及することをもって結びとしたい。
4.今後の課題
カンボジア語の授業を行なううえでの最大の課題は、身に付けた語学力を実際に試した り、活かしたりする場がほとんどない、という点である。 桜美林大学には多彩な留学プログラムがあるが、残念ながらカンボジアは留学先に含ま れていない。また、学内には 500 人以上の外国人留学生が学んでおり、そのなかには桜美 林大学で学べるアジア諸国の言語(中国語、コリア語、インドネシア語、タイ語、ビルマ 語、ベトナム語)を母語とする留学生も多い。しかし、カンボジアからの留学生は一人も いないため、留学生との交流を通じてカンボジア語を実際に試す機会がないのが現状であ る。こうした学内の環境に加えて、先述のようにカンボジア語には公的試験がないため、 語学力を試したり、「○級合格を目指す」というような明確な目標を設定したりすること が容易ではない。 このような環境のなか、実際にカンボジアを訪れる行動力のある学生も少なくない。た とえば、今年の夏は 2 人の履修者が、筆者がかかわる環境 NGO の研修プログラムに参加 してカンボジアを訪問し、カンボジアの人々と一緒に植樹したり、農村でのホームステイ を体験したりするなどした。カンボジアの人々とカンボジア語で話して通じたときの喜び や、あるいは、通じなかった時の悔しさはことのほか大きかったようで、研修に参加した2 人の学生は帰国後、以前にも増して熱心に授業に参加している。 桜美林大学でも、こうした実際にカンボジアを訪問できる何らかのプログラムを実施で きれば理想的である。2009 年度には、現地の治安悪化が原因で中止となったインドとバ ングラデシュでの国際協力研修の代わりに、カンボジアで国際協力研修が実施され、筆者 も同行した。しかし、その後は国際協力研修を含め、カンボジアでの留学や研修プログラ ムは実現していない。せっかく言語を学んでも、身に付けた語学力を実際に試したり、活 かしたりする場が身近にないのはもったいないことである。今後、カンボジア語に関して も何らかのプログラムが設けられることを期待するとともに、その実現に向けて、筆者に もできることがあれば協力していきたい。