︵源空・法然上人薯︶︵明庵・栄西上人箸︶ 鎌倉新仏教の誕生の時点を、﹁選択本願念仏集﹂と﹁興禅護国論﹂という両者の主著が、奇しくも同時に世に出た
︵二九八︶二一○一I言二九’一三三’三一三二’二西九’一三ハ○l
建久九年とすることには異論はなかろう。この両書が公刊され、建久・建仁・承久・貞永・貞応・建長・文応. 側﹁正法眼蔵﹂の現代語訳、意訳に の訳出文から多くの教示を得た。 伽本文のなかで、わずらわしい程に 側﹁正法眼蔵﹂の現代語訳、意訳については、前掲齋の寺田・水野両氏の校注、並に森本和夫﹁道元とサルトル﹂︵講談社現代新密︶ ③引用した﹁正法眼蔵﹂原文に付せられている振仮名︵カタ仮名・ひら仮名︶は、前掲岩波番店刊本のままにして付した。 仙本小論で引用した﹁正法眼蔵﹂の原文は、岩波書店刊・寺田透、水野弥穂子校注﹁道一否上下。︵日本思想大系廻・過︶を用いた. 穴=一 、 、 、目次
まえがき ﹁有﹂と﹁時﹂ ﹁飛去しない時﹂︵時間性・二︶道元の﹁時﹂の観念
一、まえがき ︵︶をもって付した注記。及びルビはすべて飛者が自らの理解を助けるために付したもの。 二、﹁有時﹂の意味 四、﹁有時の而今﹂︵時間性・一︶町田是正
(〃9)一二六一’一二六四I一二七五’一二七八−一二九二’一二九九l 弘長・文永・建治・弘安・永仁・正安と続く約百年余は、年号改歴三十四回に及ぶ。その度数からも分るように 有為転変・無常観ゑなぎる世相であり、この事が鎌倉仏教の生成と発展とに深く関りあっていることは周知のことで ある。法然・栄西・親鴬・道元・日蓮.一遍・などの各宗派の開祖が生命をかけて弘教に専心、また思索を深めてい ︵奈良・平安︶ た時代であり、他方旧仏教側に於ても覚醒、そして改革がおしすすめられ、当に日本仏教史上及び日本思想史上に一 大金字塔が樹立された百余年であった。 ︵一二二二’一二八二︶︵﹁善無畏三蔵紗﹂・﹁佐渡御勘気紗﹂・﹁本尊間巷鋤﹂︶︵﹁滴涯寺大衆中﹂・﹁聖人御難邪﹂︶︵﹁四条金吾女 日蓮聖人は安房の国東条の庁海の海人の子として生をうけ、建長五年の立教開宗を生涯の転機として、﹁日蓮﹂の
冴御密﹂︶︵﹁鮒目紗﹂には法華経の行者のコトバが二十六回使用︶
名号に象徴される法華経色読の宗教的実践は、当に忍難慈勝の法華経行者の軌跡であった。その実践の過程で教示さ ︵五綱教判の蕪本殿念︶ れた﹁時﹂の観念は、﹁末法為正﹂というコトバに凝集され、更には宗教理念にまで昇華されている。末法なるが故 にこそ一切衆生は救済されなければならぬ、とされた法華一乗の信の展開でもあった。 ︵一二n汽︶I一二五三︶ 永平道元禅師は、宋より新たにW洞禅を伝えた燗として日本曹洞宗の開山とされるが、しかし、禅師の立場は今日 ︵間澗禅の宗祉となろうとしたのではない︶ いうところの宗派の域をはるかに超えている。鎌倉新仏教の歴史的意味が、そうした宗派仏教の超克にあるとすれば ︵内大胞久我通晩・雛祐二年残︶︵藤原紙〃三女・放元な年残︶︵﹁正法眼蔵随聞記﹂鯛側 道元は岐も典型的な新仏教の第一人者である。幼くして、父の源通親を失い、母の伊子を喪い、﹁我れ始てまさに 。塔波宜叩六九画︶ 無常によりて柳か道心を発し﹂と、悲母を狸った孤独感、悲哀感を通して感得した無常観が宗教世界への誘いとなり それが学道粘進・衆生救済の念願へと昇華されてゆくのであった。 ︵中個五山の一、太白山天茄景徳寺住持︶︵正法眼蔵﹁仏祖﹂の巻。﹁三机行莱記﹂・﹁建錆 さて、先師古仏と仰ぐ天童如浄の膝下にあって、不惜身命・只管打坐、ついに宝慶元年夏安居も終りに近き頃、記﹂︶︵宝慶三年︶︵﹁空手還郷﹂﹁永平広録﹂鋪こ︵本証妙修︶
﹁身心脱落﹂して嗣書を相承して帰朝、ひたすら普勧坐禅・弘法救済の生涯をつらぬかれる。その生涯は修証一如・︵正法眼蔵﹁行持﹂巻︶︵﹁弁通話﹂︶
行持現成そのものであったが、その修証一等の徹底した現実主義の主唱のなかで、とくに﹁時﹂に関する観念はいか ("0)︵時川諭︶ 道元禅師の﹁時﹂の観念が集中的に論じられているのは、主著﹃正法服蔵﹄第二十﹁有時﹂の巻においてである。 ︵ヨーロッ・︿哲学が二十世紀に入って、はじめて展開したとも思える ﹃正法眼蔵﹄は中国禅にはない道元の独特の語法による理論書であり、日本思想史上の股尚の傑作課であり、その雌 時剛諭・押在銅について、事もなげに随所で勘じられていることは駕さの一語につ労・る︶ 解の点もまた最高とされる苔である。とりわけ﹁有時﹂の巻の内容は難解かつ重要とされている。 う︵いう︶ ﹁有時﹂の﹁有﹂とは、存在のこと。﹁時﹂とは時間のこと。ここで﹁有時﹂︵あるとき︶とは、時間がそのまま 存在であり、存在はみな時間であることをあらわしている。通常、我々が﹁ある時﹂︵○画8ゞの○日①庁目の︶と副詞的 に使用する譜感から、﹁有時﹂︵存在と時間︶の思想を導き出すことは並の能力ではない。禅師は﹁有﹂と﹁時﹂と いう二つの問題を、﹁有時﹂と直結して密接な関連に於て論じようとされている。 さて、﹁有時﹂の巻が、存在と時間を問題としていると理解したとき、誰もがハイデガーの﹁存在と時間﹂aの宮 屋ロ旦圃のごなる書を想起するであろう。しかし禅師とハイデガーの思索の背景には大きな違いがある。即ちハイデガ ーの思考の背景には、永い西洋哲学の伝統とキルヶゴール・’−−チェの実存的思考がある。ところが、禅師の思索の 背景に中国曹洞禅はあったとしても、﹃正法眼蔵﹄的思考は前代にはなかった。﹃正法眼蔵﹄の文体と表現は道元の 念について、基礎的な理解を得たいと思う。 許しねがいたい。本小論では、専ら﹁正法服蔵﹂第二十﹁有時﹂の巻を追条的に読むことで、道元のいう﹁時﹂の観 を扱うことは、本誌﹁棲神﹂の性格からすれば場違いとも思えるが、今は鎌倉仏教思想の研究の一端であるとしてお なるものであったか。いまの我々を哲学の世界から根源的な世界へと誘うに足る思索がそこにある。逆元禅師の思想 うじ︵いうじ︶
二、﹁有時﹂の意味
("I)独特の日本文である。﹁有時﹂の巻に展開される思想内容は実存的思考が濃いのである。道元の独創的思想と云って よいと思う。だからと云って、禅師の著書を介して、実存思考を追求しても意味はない。 ○﹁宣侭認識岸感電識寓郵有時識戟蹴厩続 シユジヤウほつす 有墜毒雄僻有時丈エハ八尺有時柱杖払子 らしゆとうろうちやうさんりし 有時露柱燈寵有時張三李四有時大地虚空 いう こんじん しやうどんくわうみやう ○いわゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆへに時の荘厳光明あり、いまの十二時 いうじ シウ銚く いちによ らやうワンたんソク タヶリヤウ に習学すべし。三頭八臂これ時なり、時なるがゆへにいまの十二時に一如なるべし。十二時の長遠短促、いまだ度通せずといゑど こらい︽ウセキ 母らや も、これを十二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せず。﹂︵寺田・水野校注﹁道元﹂上・二五六頁︶ 右に引用したのは﹁有時﹂巻頭のコト・︿である。ここで﹁有時﹂とは、ある時.有る時・在る時.或る時のように 多くの意味に理解されよう。しかし、道元が﹁有﹂といっている意味は、行為とか状態のことではなく、存在するも の・存在しているもの・のことである。 ︵承天巡原﹁景徳伝灯録﹂に収録︶ 先づ巻頭に於て、薬山惟臘の語録を引用して、﹁有時﹂の意味を具体的に説明しようとしている。そこでいま、惟 ︵句偶︶︵商山の山頂に立つ︶︵深く蒼い海底をゆく︶︵阿修脳の像︶︵丈六八尺の仏身︶︵訓育川の杖と払子︶︵長瞳の熊さん八五郎︶ 畷の語録にみられる、高々峯頂立・深盈海底行・三頭八臂・丈六八尺・柱杖払子・張三李四・などは、この肉眼 で見える現象や事物の事例であって、その個別的な存在や事象は、富士山・花子さん・観世音菩薩なんでもよいので ある。ともかくも、それらの存在は夫々に﹁有時﹂なのである。即ち夫盈に﹁時間を有している﹂のである。だから ﹁有時高々峯頂立﹂・﹁有時三頭八臂﹂・﹁有時○○○○﹂というように、表現したのである。 いま﹁有時﹂の巻の冒頭のコトパを読み下してみて、禅師の独特な表現、独創的な思考に教えられる。存在が時間 であり、時間が存在であるという。﹁丈六八尺﹂が﹁有時﹂だというのである。つまり立って一丈六尺・坐って八尺 (〃2)
︵﹁丈六金身これなり。時旋るがゆへに時の荘厳光明あり﹂︶ の黄金の仏身がそのまま時間なのである。仏身そのものが時であるから、あらゆる時に﹁時﹂の荘厳な輝きがあると いう。ところで﹁時の荘厳光明﹂と形容されている﹁時の光明﹂とか、﹁時の輝き﹂といっても、それは特別な﹁時﹂ のことではなく、いまの我なの時、日常の時のことであって、道元の独特の表現である。 さてそこで、﹁有時﹂の巻の冒頭のコト・︿を直訳的に読んでみて、先づ我々の注意をひくことは、禅師は当初から いわば 感覚的にも、数量的にも計測することができない、所謂、根源的な時間を志向されていることである。このことは、 只管打坐・行持現成を勧める禅師の姿勢からすれば、感覚的なものから根源的なものへと昇華されることは、当然の 帰結であったかも知れない。だが然し、道元は現実の日常的時間の考察をや承くもに排撃するのではなく、むしろ ﹁十二時の長遠短促いまだ度量せずといへども﹂と、数量的な時間を手掛りとして、根源的な時間を思考する立場を くずさなかったのである。したがって、﹁有時﹂の意味を理解するためには、禅師が思索された軌跡を追条的に象る ことで、理解を深めることが要求されるのではなかろうか。 ハflレジ
てうてうぶつぶつしよケンSうげ
○﹁われを排列しおきて尽界とせり、この尽界の頭々物々を、時々なりと観見すべし。物々の相凝せざるは、時々の相凝せざるがこ どうじ腿つしんどうしん腿つじ とし。このゆへに同時発心あり、同心発時なり。および修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時 ○﹁怠腰の道理なるゆへに、尽地喝蕊誕露斡あり、一草一草おのおの尽地にあることを参学すべし。かくの一﹂とくの往来は、修行の インモ 血クソク タウインぞでんら エざうふユザウ 発足なり。到悠塵の田地のとき、すなはち一草一象なり、会象不会象なり、会草不会草なり。正当悠腰時のみなるがゆへに、有時 ユウさういうざうじんユウじんかいクワンサウ
みな尽時なり。有草有象ともに時なり。時々の時に尽有尽界あるなり.しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想 すべし。﹂全寸田・水野校注﹁道元﹂上・二五七頁︶ なる道理、それかくのごとし。 三、﹁有﹂と﹁時﹂ ("3)※日蓮宗徒である筆者は、日本曹洞宗の現情については余り多くは知らない。立ち入った論はさしひかえるが、しかし或る識者︵秋 右に引用したコト・︿、始めてここで時間の性格と、﹁有時﹂︵存在と時間︶について説明されている。もちろんそ の説明は、道元の独特の語法で表現されている。
︵世界全体︶すきまならべた
﹁尽界﹂というのは、実はこの自己を間隙のないように配列したもので、その配列された自己が世界を観ているか︵個々の小物︶︵個公の廟
ら﹁尽界﹂なのである。しかも世界の﹁頭々物々﹂を﹁時﹂そのものと見るべきであるとする。更に続けて、﹁物々 物が互に妨げ合わないことは︶︵個全の時朋が妨げ合わないのと同じである︶ の相擬せざるは﹂、﹁時々の相擬せざるがごとし﹂と。つまり、世界の個々の事物が存在するということは、この自 己が持続的に、時間の切れ目がなく配列されていることである。だから、﹁尽界﹂は﹁尽時﹂なのである。したがっ て、この自己が発心・修行・成道すれば、尽界と同時に発心・修行・成道するのであり、自己と同心一体の﹁時﹂が はじまるのである、とするのである。 ﹁有時﹂︵存在即時間︶について、これ程見事に表現されることは、並の能力ではなく、また単に思索だけの帰結 ではなかろう。それは、道元の参禅参学の行持の帰結︵大悟︶の表現であろう。いとも簡単に存在・時間・自己の一 体性を説明される背景には、厳しい只管打坐・仏道を正しく修行して止まなかった行持のあったことを忘れてはなら ない。それ故にこそ、中国にもない、まして日本にもなかった、道元禅師の独創的思考が展開されたのである。 ︵このような遊理であるから︶︵全大地に極々梯々な事象事物があり︶︵象は森甑方蚊の﹃象﹂・草は林立する森騒に比定される︶ そして続けて﹁悠硬の道理なるゆへに﹂、﹁尽地に万象百草あり﹂、﹁一草一象おのおの尽地にある﹂ことを参学 ︵反復思弁︶ すべしといい。そして﹁かくのごとくの往来は、修行の発足なり﹂としている。つまり前進と遡行を繰り返す思考 ︵身心脱落l身心を放下してただひたすら吃坐禅して仏の大海に入る︶︵﹁正法眼蔵随聞記﹂館三を参照のこと は学道精進の出発であるとするのである。只管打坐︵ただひたすらに坐るl仏になるため、悟りを開くために坐るの ・岩波文即五三頁以下︶ ではなく、ただ無心に三味に坐る︶を勧める道元禅師にとって、この﹁往来﹂こそ最も大事とする行持であった。 ("4)第一とする︶ 大切である。
︵このような境地・認識に達したと堂、︶︵個なの事物と個々の現象︶
道元はここで﹁到態歴の田地﹂のとき、といいながら奇妙なコトバで論を展開する。即ち、.草一象﹂はまさし ︵現象を理解するも、しないも同じ︶︵瑚物を理解する小理解しないも同じ︶︵まさに、こ く一草一象として存在するのであり、﹁会象不会象﹂であり、また﹁会草不会草﹂であるとする。そして、﹁正当鱈 のような時である︶︵個全に存在する時Ⅷ︶︵全時側︶︵この世界に存在する事物と現愈︶︵個殉の時剛︶ 塵時﹂であるから、﹁有時﹂はすべて﹁尽時﹂となるのである。﹁有草有象﹂はすべて﹁時﹂なのである。﹁時々﹂ ︵全存在・全世界︶ の時に、﹁尽有尽界﹂がある、というのである。何とも奇妙なコトバ、禅師独特の語法で戸惑いをおぼえる。﹁有時﹂ はぶな﹁尽時﹂なり、という表現は論理的に云えば矛盾はらみである。しかし、宗教的天才はこのような矛盾の論理 を揚棄して自己の主張を強めることが常である。 ここで﹁尽地﹂とか﹁尽界﹂と使用されるコト縁︿の内容を理解しておきたい。幸いにも、道元自身が﹃正法服蔵﹄ の﹁身心学道﹂の巻で次のように説明されている。 ● ● しゆい ○﹁尽十方世界といふは、十方面ともに尽界なり。東西南北四維上下を十方といふ。かの表裏縦横の究尽なる時節を思識すべし。思 けいげ 量するといふは、人体はたとひ自他に睾凝せらるといふとも、尽十方なりと諦観し決定するなり﹂全寸田・水野校注﹁道元﹂上。 つまり﹁尽地﹂とか﹁尽界﹂というのは、﹁尽十方界﹂或は﹁尽十方世界﹂ということで、それは世界の数量につ いて云うのではなく、また広いとか狭いと云うことでもない。一つ一つが全体的な体験なのである。従って、尽界は 月煎眠﹁道元入門﹂︵講談社現代新書二一八頁︶のように、﹁本証妙修という思想の上に観念的にあぐらをかき、口には只管打坐を ときながら、身心脱落という身内から湧きあがる法悦の経験内容を忘れかけている﹂と深い憂いと痛切な呼びかけを、臨済禅門の 著者が同修の人々に投げかけている現実も見逃しえない。また我々日蓮宗徒にしても他山の石としなければならない教示がある。 ︵﹁永平初祖学遊要心粟﹄全十ケ条中、鮒︵条に示さる︶︵聰明・学問・理解を鰯一としないで、身心をととのえ反復思弁することを ﹁参禅学道は一生の大事なり﹂とのコトバをまつまでもなく、﹁往来は修行の発足﹂なりとの認識にいたることが 七八頁︶ (血5)﹁有時の而今﹂とは、﹃正法眼蔵﹄の﹁有時﹂の巻において特徴的に示されるコトバであり、また成語としても使 用される程で、﹁有時﹂の巻の中で最も大事なコトバである。また﹁而今﹂というのは、﹁山水経﹂の巻において、 しきん︵今ここにある山水は、柵仏のさとりの境地である︶ ﹁而今の山水は、古仏の道現成なり﹂などと使用されている﹁而今﹂である。 にこん︵しきん︶そここん ﹁而今﹂とは即今ともいい、現在・今のことである。﹁有時の而今﹂といえば、過去も木来もすべて含めた時であ ● る今、仏道行持を実現する今、真実の実現としての今、ということである。このように国語的に意味をとらえれば、 何か簡単のようであるが、道元禅師が﹁有時の而今﹂というときは、仏道行持の実現の今のことであるから、その意 味する内容は深いのである。そしてまた難解である。ともかく、ここで禅師のコトバを読むことにしよう。 八万四千の教えの集りであり、八万四千の坐禅であり、八万四千の作法なのである。だから、十方世界のどの部分を ︵﹃正法眼蔵﹂の﹁身心学逝﹂の巻において﹁尽十方界これこの真実人体なり﹂と鋭いている。︶ 取ってみても、それは真実であり、一つの体験は全世界的な体験であり、この身が既に真実の世界に現成しているの ○﹁しかあれども、道理この一条のみにあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし。われすでに ︵とhあえず、現実の時に洩れた全存在・全世界があるか、ないか、上深く思索してみよ︶ 先に引用したコトバの末尾の﹁しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想すべし﹂との教示は、そ ︵形而上学的関係︶ のコトバ通りに頑味すべきであろう。禅師にとって、﹁有﹂とか﹁時﹂とかの問題は、哲学の世界でとらえることが 目的ではなく、有を尽し、時を尽すという、参禅学道にこそ大きな関心があったのである。従って、﹁有時﹂の問題 ︵ただひたすら正法の修行︶ は、只管打坐の厳しい行持のなかで鍛えあげられたものであった。 である。 うじ︵いうじ︶にこん︵しきん︶
四、﹁有時の而今﹂︵時間性のこ
(血6)︵、ま︶︵山に
ともかくも、﹁有時の而今﹂の状態で現在があらわれるとすれば、現在の無い過去というものはない。だから﹁か のぼり、河を渡った時、この金銀をち伽ぱめた御殿にいる時、時を呑みこんでしまい電時が無くなるとか、吐き出されイ時があらわれるとか︶ の上山度河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや﹂と云うことはありえない。即ち、山を越︵坤去︶︵いま︶
え、河を渡ったときの時間は消えてしまい、玉殿朱楼に坐しているときの現在︵刹那︶だけがあるという事はない。︵絶対的︶︵有時の而今︶
山にのぼり、河を渡るという、その時が自己にとって﹁有時﹂である。金銀ちりばめた御殿に坐っていることも絶対 なのである。﹁時間﹂とは、自己の置かれている環境・現象の対照でもって変ることはないのである。 ﹁有時の而今﹂というコト雫︿は、簡潔で特徴的である。コト・︿が簡潔である場合、その思考の論理は複雑であり、 意味する内容も深い。たとえば、日蓮聖人の宗教理念とされる﹁末法為正﹂のコト・︿も簡潔であるが、その内容を展 開すれば、聖人の世界観・人生観・歴史観・宗教観に及ぶのであって、並の思考をもってしては理解し難いのであ る。こうした意味で、道元禅師の云う﹁有時の而今﹂の意味は深々微妙である。﹃正法眼蔵﹄の﹁大悟﹂の巻に於て ︵﹁正法眼蔵﹂館十・寺田・水野校注﹁逆元﹂上・一二二頁︶ ﹁令我念過去未来現在いく千万なりとも、今時なり而今なり、人なの分上はかならず今時也﹂といっている。つまり︿そうではあっても︶︵自己は時の中にいたいであ
﹁しかあれども﹂、道理はこれ一つだけではない。山にのぼり、河を渡ったときに既に自己がある。﹁われありき﹂ る小ら、自己に時が存在しない筈はなじ︵時間が去ったり、来たり十るもの山考え、また去来しないものと考えたとしても︶︵山に句ぽつたとき︶︵存在する時の今︶﹁われに時あるべし﹂。﹁時もし去来の相にあらず﹂だとしても、﹁上山の時﹂は、﹁有時の而今﹂
︵鋳側が去ったり来たりする変化を持っているとずれば︶盟燐驍嶬籠笠祭﹂。それが﹁有陸 ︵存在即時閥︶ として現在があらわれるのである。﹁時もし去来の相を保任せば﹂ であるとするのである。 こらい グャウサン ユウじソォン きうぽう梶ん しぼん あり、時さるべからず。時もし去来の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今 ジヤウサント力 たんざや グウギヤ ある、これ有時なり。かの上山度河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや﹂︵寺田・水野校注﹁道元﹂上・ 二五七・二五八頁︶ ("7)道元はこの世界の事物事象は、そのまま時間として受けとめている。ここで繰返して云えば、﹁有時﹂の巻の目頭 に掲げられる薬山惟倣の句偶’三頭八臂・丈六八尺・臂杖払子・張三李四・大地虚空lなど、この世界の存在はすべ て﹁時﹂であった。このように事物事象即時間︵﹁有時﹂︶であるということは、実はこの自己がすべての存在に関 わり、すべての時間にかかわっていることなのである。 ︵三つの頭・八本の骨の憤怒相の不動明王︶︵立って丈六.坐って八尺の全身の仏像︶ たとえば、﹁三頭八臂﹂は昨日の時であり、﹁丈六八尺﹂が今日の時であったとしても、その﹁昨今の道理﹂は、 ︵山中に踏承わけ入って︶ 昨日が消滅してしまい、今日だけが到来しているというものではない。あたかもこの事は、﹁山のなかに直入して﹂ 一望千里に遙かに千峯万峯の山波を目に収めている時と同じなのである。誰れもが山頂に立って、一望千里の景観を ︵意識し櫃いであろう︶ 眼下にしたとき、その人は時間の経過を忘れるであろう。然し、その時間の経過を﹁意識しない時﹂であっても、時
︵擬餌に見ほれている時︶︵過ぎ去るもの
間内に居ることは確かである。実は意識しない時にこそ、その人の充実した時があったのである。つまり﹁すぎぬる ではない︶ にあらず﹂ということである。此処には、昨日の三頭八臂も、今日の丈六八尺もある。三頭八臂は昨日の三頭八臂で 争〃ゴソ麓うり ○﹁三頭八臂はきのふの時なり、丈六八尺はけふの時なり。しかあれども、その昨今の道理、ただこれ山のなかに直入して、千峯万 〃い○ン 峯をみわたす時節なり、すぎぬるにあらず。或郵稚陣もすなはちわが有時にて一経す、鯉裁にあるににたれども而今なり。丈六八 上シコ ンキン 尺もすなはちわが有時にて一経す、彼処にあるににたれども而今なり﹂︵寺田・水野校注﹁道元﹂上・二五八頁︶ ﹁有時の而今﹂ということ毎 いま いうのである。﹁而今﹂と樫 実現としての今なのである。 ということで 禅師は続けて、時間の連続性について言及されている。そのコトバをきくことにする。 ある。一切の世界はすべて時であり、過去・未来・現在の時はすべて自己の内にあると いま ﹁而今﹂とは、過去と未来の一切を含めた時の﹁今﹂のこと、或は仏道の行持を実現する今、真実の (血8)※﹃正法眼蔵﹄の﹁有時﹂の巻に示される﹁彼方にあるににたれども而今なり﹂﹁彼処にあるににたれども而今なり﹂とのコトバは、 日蓮聖人が﹃種々御振舞御書﹄で示される﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂︵昭定遺九七一頁︶とのコト・ハと同意のものと領解 してもよいのではないか。日蓮聖人のコト・ハを直訳的に受けとめれば、﹁在世﹂︵仏在世︶と﹁今﹂︵末法世︶という次元を異に する世界を同質のものとして認めようとされている。これは大変な論理的思考である。また宗祖は﹃観心本尊抄﹄に於て﹁再往勘 之以凡夫正像末為正。正像末三時之中以末法始為正中正⋮以本門論之一向以末法之初為正槻。。:本門序正流通倶以末法之始為詮﹂ ︵昭定遺七一四頁︶と示され、﹃法華取要妙﹄においても﹁以滅後論之正法一千年。像法一千年傍也。以末法為正。末法中以日蓮 為正也﹂︵昭定遺八三一頁︶と示されているが、これらのコトパを簡潔にして﹁末法為正﹂と表現することができるとされてい る。︵望月歓厚﹁日蓮教学の研究﹂︶・ところで、﹁末法為正﹂というのは、﹁末法である故に一切衆生は救済されなければなら ない﹂とする論理である。しかし、本来末法思想は、仏教が正像末三時の経過の中で衰退し、末法時には白法が隠没して衆生の証 はないとするのである。にも拘らず日蓮聖人は﹁末法為正﹂﹁末法正機﹂と主張されるが、この思考は並のものではない。﹁末法 為正﹂とか、﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂との主張が成り立つためには、末法と在世とが同質であるという論理が成り立た 永遠の今であり、丈六八尺は今日の丈六八尺で永遠の今である。だから、住杖払子・張三李四・玉段朱楼・上山度河 ︵道くに雄肌ているようであるが、実は永遠の今である︶ すべてが永遠の今なのである。我々はここに於て、禅師のいう﹁彼方にあるににたれども而今なり﹂とのコト・︿を、 素直にうけとめることが大事であろう。 だが然し、仏在世と末法世という次元の異なる概念を同質のものと認めることは、論理的に云えば矛盾であり、二律背反であるこ とはいうまでもない。そこで、﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂との思考論理が成り立つためには、我々の日常的な思考を倒錯 することが要諦される。矛盾を止揚した思考が必要である。即ち、日常的な時間感覚を否定して、宗教的な純粋時間︵根源的な時 間︶を思考するときには、時間倒錯の思考がなければならない。こうした意味で、道元禅師が﹁われに時あるべし﹂、﹁われすで にあり﹂、﹁時さるべからず﹂、﹁彼方にあるににたれども而今なり﹂︵有時の巻︶と教示されるように、時間は流れ去るものと か、去来するものとは考えないで、常に﹁われに有時﹂している﹁時﹂と思考することが大切であろう。さすれば、日蓮聖人が示 唆される﹁末法為正﹂とか、﹁在世は今なり﹂﹁今は在世なり﹂との意味も理解されよう。そして永遠なる時間︵永遠の生命︶、 日蓮聖人と一体となる時間、宗祖と共に生き続ける時間が存在する。もっと平たく云えば、七百年の時間の壁を超越して、日蓮聖 だが然し、仏在世︲ なければならない。 ("9)
道元禅師は、時間・存在・自己の一体なることを見究めようとされた。否、参禅学道の行持のなかで三者が一体で ︵自己の生命をも あることを見究めたのではないか。刹那的な今・過去を担った今・未来をはらんた今・永遠の今、つまり絶対の現在 えたたせている今︶ を見究めたのである。道元にとって、永遠とは、時間の継続ではなく、現在の刹那の中にあるとするのである。全部 ︵行持現成・修証の証・の時を体験している今︶ の過去と全部の未来とが刹那の中にふくまれている。だから、この刹那の間に自己の生命を燃焼させることが、永遠 いのち の生命として生きることになるのである。 人の生命が今の我々のなかに存在しているのである。
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道元の時間の観念に関して、もう一つ我々の注意をひくものは、正像末三時説の否定、つまり末法思想を否定される立場をとられ ることである。もちろん、﹁有時﹂の思想から推して考えれば、末法思想の否定は当然の帰結かも知れない。ともかく禅師のコト バをきくことにしよう。﹃弁道話﹄のなかで﹁問ていわく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうぺしや。示していわく 教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし。修すればみな得道す﹂等田・水野校注﹁道一匹上・ 一美頁︶と教示されている。しかし、末法思想を否定されると云っても、禅師自身が末法の現在に生きる身であり、自身の生き方 を求めた行持の帰結としての﹁正像末法わくことなし﹂のコトパである。だとすれば、かえって末法世そのものを肯定した事にも なるであろう。大体に於て、﹁わくことなし﹂︵別くことなし︶とは、差別のない、違いがないということであるから、禅師は在 世時の﹁機﹂が、末法世の﹁機﹂よりも勝れているとはみないのである。﹁仏在世にも、てまりによりて囚果を証し、袈裟をかけ て穴道をあきらめし、ともに愚暗のやから、凝狂の蓄類なり﹂︵﹁弁道話﹂前掲番三○頁︶とも説かれ、仏の在世にも﹁人々みな 俊なるにあらず、善人もあり悪人もあり﹂、だとすれば末法世の衆生といえども悲嘆することなく﹁只身命を顧みず発心修行する こそ.学道の最要なれ﹂︵﹁正法眼蔵随間記第六﹂︵岩波文庫一○一頁︶と示され、末法世と積極的に対決して克服すべきである とする。即ち、道元禅師にとって、時擬の善悪は問題ではなく、﹁学道の般要は坐禅是第一也﹂︵﹁正法眼蔵随聞記﹂第六の二四︶ という、発心修行し、行持現成するか否かが問題であったのである。 (I20)︵全世界に存在する個々の率物は、個々の時間であると理解すべきである︶ 先にも道元のコト・︿を見たように︵四﹁有﹂と﹁時﹂の項︶、﹁この尽界の頭々物々を時をなりと観見すべし﹂、 ︵個々にある時間は熟んな全時間であり、個々に存在する事物事象もまた時間である︶︵個々の時間の、その吟に全存在と全世界がある︶︵我々は今の時間に洩れた全存在と ﹁有時永な尽時なり、有草有象ともに時なり﹂、﹁時々の時に尽有尽界あるなり﹂、﹁いまの時にもれたる尽 、全世界があるかないか、よくよく考えるべきである︶ 有尽界ありやなしやと観想すべし﹂と、﹁有時﹂している基本的立場を主張する。時が飛び去るという観念は、その ︵全世界にあ 人の一観念にすぎないから、大いに自覚することが大切となる。したがって、﹁飛去﹂の観念をしりぞけて﹁尽界に 我狗は日常生活において、時間と関わりある出来事に遭遇しないかぎり、時間性について余り考えることはしな い。ょしんぱ、考えたとしても、時間は過ぎ去るもの、時間はやってくるもの、つまり﹁時間は流れ去る﹂ものとし ︵去ったり、来たりする移り行きの方向や形跡が明らかなので、人はこれを疑わないでいるが、し ていよう。禅師はここでガッンと一撃を与える。﹁去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せず、疑著せざ かし、疑わないからといっても知っているわけではない︶ れどもしれるにあらず﹂︵﹁有時﹂の巻︶と、厳しいまでのコト・ハで警告される。 ︵時間はとび去るものだとばかり理解してはならない︶︵とび去ることが時間のはたらきであるとばかり こうして注意を喚起しておいて、禅師は﹁時は飛去するとの象解会すべからず﹂、﹁飛去は時の能との承学するべ 考えてはならない︶︵時間がとび去るものだとすれば、時間のあるところと、時聞のないところができてしまう︶ からず﹂、﹁時もし飛去に一任せば間隙ありぬくし﹂、と説くのである。これらの教示は痛いほどの響きをもって我 ﹁飛去しない時﹂とは、我々日蓮宗徒は余り耳にしない奇妙なコトバである。いま関連する一節を引用して承よう。 ひこ げえ ○﹁しかあれば、松も時なり、竹も時なり。時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去 ケン革ヤク に一任せば、間隙ありぬくし。有時の道違纒畔ぜざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり。要をとりていは震、尽界にあらゆ る尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり﹂︵寺田・水野校注﹁道元﹂上二五八頁︶ 々にせまる。
五、﹁飛去しない時﹂︵時間性の二︶
(I2I)道元は続けて、時間のはたらきは﹁飛去﹂ではなくて﹁経歴﹂にあると説明される。そのコトバをきくことにする。 キヤウリヤクくどく 々ヤケリヤク ○﹁有時に経歴の功徳あり、いはゆる今日より明日へ経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日ゑ経歴す。今日より今日に経歴 す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆへに﹂︵寺田・水野校注﹁道元﹂上・二五八頁︶ ︵概能・はたらき︶ 時間は明日へも動き、今日へも動き、昨日へも動いてゆく。だから﹁有時に経歴の功徳がある﹂のである。﹁今日 より明日へ経歴す﹂、﹁今日より昨日に経歴す﹂、﹁昨日より今日へ経歴す﹂、﹁今日より今日に経歴す﹂、﹁明日 つらなりはた より明日に経歴す﹂ることができる。コトバをもって表現するのに困難をおぼえるが、ともかくも、時間は経歴の功 らき 徳によって、﹁有時の而今﹂︵永遠の今︶なのである。禅師は時間性について、過去←現在←未来という一方向︵一 直線上︶に延びるものとはしない。それは去来︵往来︶であり、無去来であり、互に緊張をはらんだ相互関係として 直線上︶に延永 ながら時時﹂と表現されるのに興味がある。時間は連続的・持続的・不断で中絶がない。しかもとび去るものではなながら時時﹂ あらゆる尽有はつらなりながら時時なり﹂、﹁有時なるによりて吾有時なり﹂とされるのである。禅師が﹁つらなり るところの全存在は、連なりながら個々の時間である︶︵有機的な時間であるから、自己と離れることのない有時である︶ ●● 道元禅師にとって、﹁時間﹂とは﹁行持現成するいま﹂︵﹃正法眼蔵﹄﹁行持﹂の巻上︶のことであった。いささ かの間隙もなく、際限なく連続する、道環して断絶しない、そんな時間を志向されたのである。もちろん、無去来・ 去来の時間を志向したといっても、そうした時間だけを思索の対象とされたのではない。仏祖が大道を行持現成した