椙山女学園大学
《隅田川》試解 : 我が思ふ人はありやなしやと
著者
飯塚 恵理人
雑誌名
椙山女学園大学研究論集 人文科学篇
号
32
ページ
57-62
発行年
2001
URL
http://id.nii.ac.jp/1454/00001274/
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椙 山女学 園大 学 研究 論 集 第32号(人 文科 学篇)2001 一 は じめ に 世 阿 弥 が 能 作 の上 で ﹁本 説 ﹂を 大 事 と し た こ と に つい て は 、﹃ 風 姿 花伝﹄第 六花修 に こ と さ ら 、 脇 の 申 楽 、 本 説 正 し く て 、 開 口 よ り 、 そ の 謂 れ と 、 や が て人 の知 る ご と く な ら ん ず る来 歴 を 書 く べし 。 と あ る こと や 、 同 じ く 第 六 花 修 に し か れ ば 、 よ き 能 と 申 は 、 本 説 正 し く 、 め づ ら し き 風 体 に て 、 詰 め 所 あ り て 、 か ゝ り 幽 玄 な ら ん を 、 第 一と す べ し 。 風 体 は め づ ら し か ら ね ど 、 わ ず ら は し く も な く 、 直 に 下 り た る が 、 面 白 き 所 あ ら ん を 、 第 二 と す べ し 。 と 述 べ て い る こ と に よ っ て 知 ら れ る 。 一 方 、 世 阿 弥 は 、 ﹁本 説 ﹂ に よ ら な い能 が あ る こ と も 、 ﹃ 三 道 ﹄ に 作 能 と て、 さ ら に本 説 も な き 事 を 新 作 に し て 、 名 所 ・ 旧跡 の縁 に作 な し て、 一 座 見 風 の曲 感 を な す 事 あ り 。 是 は、 極 め た る達 人 の才 学 の態 な り 。 と 述 べ て い る。能 の作 り 方 と し て は下 位 で は あ るが 、﹁ 本 説 ﹂が な い 事 柄 を 、 ﹁ 名 所 ・ 旧 跡 の縁 に 作 な ﹂ す 方 法 が あ っ た の で あ る。 そ し て、 そ れ は ご く 限 ら れ た 能 で は な く 、 そ れ ら の 総 称 と し て ・ ﹁作 能 ﹂ と い う名 前 が 存 在 し た 。 世 阿 弥 は 成 功 す る ﹁作 能 ﹂ の作 成 を ﹁極 め た る達 人 の才 学 の態 ﹂ と し て いる 。 で は現 存 の曲 に つ い て、 ど のよ う な 基 準 でそ れ が ﹁作 能 ﹂ であ る と 認 定 す れ ば よ い のだ ろ う か。 物 狂 能 等 の ﹁儀 理 能 的 性 格 ﹂ を 持 つ 曲 と 本 説 と の関 係 に つい て は 、竹 本 幹 夫 氏 が 問 題 は む し ろ、 典 拠 に関 す る根 拠 の有 無 であ る。 従 来 は 、 これ を、 当 時 一 般 に 流 布 し て いた であ ろ う 世 間 話 に求 め よ う と す る こ と が ふ つ う で あ っ た。 し か し な が ら 、 こう し た 想 定 を 、 特 定 の説 話 を 題 材 に し て、 或 は 、 当 時 実 際 に お こ った 事 件 を そ のま ま翻 案 し て、 一 曲 を 制 作 し た と 拡 大 解 釈 す る こと は 大 変 危 険 で あ る と 言 わ ねば な ら な い 。 こ う し た 能 に は 、 例 えば ︿自 然 居 士 ﹀ の如 く 、 実 在 の人 物 を シ テ に す る も のも あ り 、 そ の点 、 典 拠 が 五七恵理人 塚 飯 全く存在しないとは断言できない。だが、この「典拠」或は「題 材」が、能の中で描かれたほぼそのままの形でかつて存在した とは考えるべきではなく、時の人気者や有名人を主人公に設定 し、その際彼らのイメージを構想の中にとりこみつつ一曲を制 作したと考えた方が妥当であろう。そして、こうした場合の能 作に必要な種々の材料を本説と呼ぶことは出来ないのである。 と言われる。この竹本氏の言は、少なくとも儀理能には「本説」が ない、もしくは能が「本説」通りに作られていない理由を述べたも のとして説得力を持つものと言えるだろう。そして、この竹本氏の 説に拠れば、世阿弥もまた「作能」を作ったと考えられるのである。 ではその「作能」についてどのような研究方法が可能であるのか。 私は、世阿弥が「作能」を「名所・旧跡の縁に作な」した能である と述べている点が手がかりになるように思う。「本説正しき」能につ いては、能と、当時流布していた注釈・説話などの比較によって、 能作者の劇作法を検証することが出来る。しかしながら、「作能」に 関しては、「本説」がそもそもないのであるから、「本説」との比較 という方法をとることは出来ない。「名所・旧跡の縁」として詞章中 最も考えられるのは引用されている和歌であろう。能に用いられて いる和歌の当時の理解、及び曲中において用いられている意味を吟 味する必要があるのではないか。 本稿は、《隅田川》を対象とする。そして、《隅田川》とそれが下 敷きとする『伊勢物語』第九段の記事を吟味する。そこから、《隅田 川》と「名にし負はばいざ事とはむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなし ハら やと」(以下「名にし負はば」の歌と略称)という名所の和歌の関係 について考えて行きたい。 二 《隅田川》と『伊勢物語』第九段 五八 伊藤正義氏は《隅田川》の素材について、 《隅田川》はひとり子も人買に連れ去られた母親が、物狂となっ て東国へ尋ね下るという設定で、その点では先行の《桜川》に 酷似する。本曲の素材を、巷間あり得た話と考えるよりも、よ り直接には先行物狂作品をふまえたとしてよいだろう。その東 下りを、はるかに恋しき人への物思いという共通点から『伊勢 物語』の業平東下りに重ね合せ、隅田川という名所に舞台を設 定したのも、それまでの物狂能とは全く異なる方法であり、本 曲が単なる悲劇作品に止まらぬ、古典的香気を漂わしめる要因 となっている。 ア と言われる。伊藤氏は《隅田川》を先行の物狂作品を踏まえた作品 とし、「恋しき人への物思い」という点から隅田川という名所に舞台 を設定したと考えておられる。伊藤氏は、 《隅田川》は子を尋ねる女物狂の能である。物狂能は伝統的類型 をふまえつつ、世阿弥において新境地を拓いているが、《隅田 川》においてはその類型の範疇を逆手に用いるなど、全く新し い構想下に仕立てられた曲と言えよう。まずそれまでの親子物 狂が再会謳で、ハッピーエンドになる点を、非再会、もしくは 亡者の幻影との再会という悲劇諦に仕立てた点が、最大の特徴 となろう。 ハゑ と、《隅田川》の特徴を悲劇性に求められる。ただし伊藤氏は、『伊 勢物語』第九段について この物語は、《隅田川》一曲の構想に深くかかわってはいるが、
《隅田川》試解 世阿弥の言う本説には当らず、主題を側面的に支えるという意 味で、とりあえず脇本説とでも考えておきたい と、『伊勢物語』自体を「本説」とはされない。しかし、この『伊勢 物語』の世界は、《隅田川》にとって、単なるその土地の和歌を提供 するのみであるのかは注意する必要がある。物狂能の中で、《隅田 川》は唯一母子が再会しない悲劇諌となっている。しかしながら、 この曲が「非再会」の曲と仕立てられ、成功している仕組みについ ては、この曲の筋と下敷きとなった『伊勢物語』の世界の関係を吟 味する必要があると思われるのである。 順を追って、《隅田川》の詞章を吟味してみたい。《隅田川》の詞 章の引用は、表章氏が校訂された『謡曲集 上』の堀池識語本に拠 る事とする。 最初に隅田川の渡守が登場する。そして、「この在所にさる子細候 ひて、大念仏を申すこと候ふ間、僧俗を嫌はず人数を集め候。」と大 念仏があることを触れる。そして、そのあとにワキ連の旅人が都よ り下ってくる。《隅田川》の場合、「都」と「隅田川(東国)」とが常 な に比較される。『申楽談儀』に「能に色どりにて風情に成こと、心得 べし。(中略)隅田川の能、あまりに初めは色なき能なれぼ、此旅人 などには、大口を着てもよろしかるべし。」とある。渡守は身分が低 い者と言う設定で、装束も地味なものにせざるを得なかったことか らの言葉と思われる。 シテの狂女の登場の一セイは、「げにや人の親の心は闇にあらねど セ も、」というものである。『五音』には「人ノ親ノ心ハ」とこの部分 が引かれ「元雅曲」と書かれている。この記事は厳密に言えば、《隅 田川》の一セイが元雅の作曲であることを示しているに過ぎないが、 通説としてはこの《隅田川》全体が元雅作と考えられている。隅田 川を、和歌に詠まれた場所としての「名所」にした『伊勢物語』第 九段の「名にし負はば」の和歌は、本来恋の歌であって親子の情を 詠んだ歌ではない。元雅がこの一セイの部分の作曲をしていること は、《隅田川》を「親が子を思う」能として作成したのが元雅である ことを示唆している。この意味で、《隅田川》が元雅作である可能性 は極めて高いと思う。 そして舟中での問答となる。この場で重要なのが「名にし負はば」 の和歌である。《隅田川》の世界は『伊勢物語』第九段の世界を投影 している。ワキを諸国一見の僧ではなく隅田川の渡守とする設定も、 『伊勢物語』を下敷きとしていると考えて良い。さらに《隅田川》に おいては、この『伊勢物語』の渡守とワキの渡守が常に比較される 形で用いられる。例えばシテがワキに舟に乗せるよう頼む部分の問 答、 シテ のうのうわれをも舟に乗せて賜はり候ヘ ワキ おこと はいつくよりいつかたへ下る人ぞ シテ これは都より人を尋 ねて下る者にて候 ワキ 都の人といひ、狂人といひ、面白う 狂うて見せよ、狂うて見せずはこの舟には乗せまじいそとよ シテ うたてやな 隅田川の渡守ならば、日も暮れぬ 舟に乗 れとこそ承るべけれ、かたもごとくも都の者を、舟に乗るなと 承るは、隅田川の渡し守りとも、覚えぬことな宣ひそよ。 では、シテは、隅田川の渡守が、『伊勢物語』の渡守と同じように 「早く乗れ」と言わなかったことに対して抗議しているのであり、こ の問答は観客が『伊勢物語』を知らなければ成り立たない。また、 『伊勢物語』においては、「京には見えぬ鳥一がいたので、渡守に尋 ねるのだが、この狂女も同様に都に見えない鳥を尋ね、 のう舟人あれに白き鳥の見えたるは、都にては見馴れぬ鳥なる 五九
飯 塚 恵理 人 が あ れ を ば な に と 申 し 候 ぞ ワ キ あ れ こそ 沖 の 鴎 よ シ テ う た てや な 浦 に て は千 鳥 と も 言 へ 鴎 と も 言 へ 、 な ど こ の隅 田 川 に て白 き 鳥 を ば 、 都 鳥 と は答 へ 給 は ぬ と 、 渡 守 が ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 中 の渡 守 の返 事 を 踏 ま え て ﹁都 鳥 ﹂ と 答 え な か った こ と に 抗 議 し て い る。 ま た ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ の業 平 と こ の狂 女 が共 に、 隅 田 川 に お いて会 え な い 人 を 恋 し く 思 っ て い る共 通 点 が あ る こ と を 、 昔 に帰 る 業 平 も 、 あ り ゃ な し や と 言 問 ひ し も 、 都 の ひ と を 思 い 妻 わ ら は も 東 に思 ひ子 の、 行 く へ を 問 ふ は 同 じ 心 の 、妻 を 忍 び 、 子 を 尋 ぬ るも 、 思 ひ は同 じ恋 ひ路 な れば と述 べ て強 調 す る。 そ し て ︽ 隅 田 川 ︾ の狂 女 は 、 いざ 言 問 は ん 都 鳥 、 いざ 言 問 は ん 都 鳥 、 わ が 思 ひ 子 は 東 路 に 、 あ り や な し や と 、 問 へど も 問 へど も 、 答 へぬ は う た て 都 鳥 、 鄙 の 鳥 と や 言 ひ て ま し 。 と ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ の業 平 同 様 に 、 都 鳥 に 対 し て ﹁ 思 う 人 ﹂ が ﹁ あ り や な し や ﹂ と 問 う 。 そ し て、 舟 中 で渡 守 の 語 り を 聞 く こと に よ っ てわ が 子 が ﹁な し ﹂ と 知 る 。 こ の 部 分 を 引 用 す る と 、 さ ても 去 年 三 月 十 五 日、 し か も け ふ に あ ひ当 た り て候 ぞや 、 人 商 人 都 よ り年 の程 十 二 三 ば か り な る 幼 い者 を買 ひ 取 つて奥 へ 下 り候 ふが 、 こ の幼 い者 、 いま だ 慣 ら は ぬ 旅 の疲 れ に や 、 以 て の 外 に 違 例 し 、 今 は ひ と足 も 引 かれ ず と て、 こ の川岸 に ひ れ伏 し ぬ 、 然 る を な ん ぼ う 世 に は情 な き 者 の候 ふ ぞ、 こ の幼 き 者 をば そ のま ま 路 次 に 捨 て て、 商 人 は奥 へ 下 り て候 、 さ る 間 こ の邊 の 人び と こ の 人 の姿 を 見 候 ふ に、 由 あ りげ に見 え 候 ふ ほ ど に 、 さ まざ ま に いた は り て候 へ ど も 、 前 世 の こと に て や候 ひけ る 、 た 六 〇 ん だ 弱 り に弱 り に 弱 り 、 す で に末 期 に 見 え 候 ふ時 、 お こ と は い づく いか な る人 ぞ と 、 父 の 名 字 を も国 を も 尋 ね て候 へ ば 、 わ れ は都 北 白 河 、 吉 田 の某 と 申 せ し 人 の、 た だ ひと り 子 に て候 ひ け る が 、 父 に は遅 れ、 母 ば か り に 添 ひ奉 り候 ひ しを 、 人 商 人 に拐 は さ れ て、 か や う に な り 行 き候 、 都 の 人 の足 手 影 も懐 か し う候 へ ば 、 こ の道 の ほ と り に築 き 篭 め て、 し る し に柳 を植 ゑ て賜 は り 候 へ と 、 おと な し や か に申 し 、 念 仏 四 五 返 唱 へ 、 終 に事 終 つ て候 、 な ん ぼ う あ は れ な る物 語 り に て候 ふ ぞ 。 と な る 。 こ の 部 分 は 、 能 の ﹁本 説 ﹂ に相 当 す る 部 分 で あ り 、 ︽ 隅 田 川 ︾が背 景 と し て持 っ て いる話 であ る。︽ 隅 田 川 ︾ は こ の 悲 劇 を 前 提 の ﹁本 説 ﹂ と し て、 ﹁都 の人 ﹂ が ﹁ 我 が 思 ふ 人 ﹂ を 隅 田 川 の 船 中 で ﹁な し ﹂ と 知 る 現 在 能 で あ る 。 私 は こ の部 分 を ︽ 隅 田 川 ︾ の中 心 と 考 え 、 ︽ 隅 田 川 ︾ は ﹁ 我 が 思 ふ 人 は あ り や な し や と ﹂ と 言 う 歌 の問 いか け に対 し て、 ﹁ 我 が 思 ふ 人 ﹂ は ﹁な し﹂ で あ った と 言 う 場 合 を 舞 台 化 し た ﹁作 能 ﹂ で あ る と 考 え る。 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ で は 、京 に ﹁ 思 ふ 人 ﹂ が 現 実 に いる が 、遠 い 所 に 来 て 生 死 す ら 確 認 し よ う が な い こと を 悲 し む 。 そ し て ﹁名 に し負 はば ﹂ の 歌 を 詠 ん だ と す る 。 ﹃ 伊 勢 物 語 冷 泉 抄 ﹄ は 、 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ の ﹁ 思 ふ 人 ﹂を 、 ﹁京 に思 ふ人 な き にし も あ らず と 云 ふ は 、 京 に 二条 の 后 の御 座 ぬ に も あ ら ざ れ ば ﹂ と 、 二 条 后 と す る 。 二条 后 が 業 平 の東 下 り 中 に亡 く な った と す る 注 釈 書 は 管 見 にな い。 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄の当 時 の理 解 に お い て 、 こ の 和 歌 の 答 は ﹁ 思 ふ 人 ﹂ は ﹁ あ り ﹂ な の で あ る 。 古 注 釈 で は あ る 和 歌 に お い て 、 そ の よ う な 例 が ﹁ あ る ﹂ ﹁ な い ﹂と い う 例 を 挙 げ る様 式 が あ る。 例 と し て ﹃古 今 和 歌 集 聞 書 三 流 抄 ﹄ の 古 今 集 序 文 の ﹁花 に 啼 く 鴬 ﹂ が 和 歌 を詠 む と いう こ と に関 し て の注 釈 を 見 て み た い。 こ の 部 分 を 引 用 す る と 、 わ れ も ま た
《隅 田川 》試解 問 、 花 に啼 鴬 、 水 に住 蛙 マ デ 哥 ヲ ヨ ム ト 云事 如 何 。 答 云 、 ニ ノ 義 ア リ 。 一 ニ ハ、 鴬 ハ 鳥 ノ 中 ニ モ 最 初 二鳴 モ ノ 也 。 蛙 ハ虫 ノ 中 ニ テ 最 初 二鳴 物 也 。 故 二、 一 ツ ヲ 挙 テ 万 ヲ 篭 ル 義 也 。 依 之 、 花 二鳴 鴬 、 六 二住 蛙 ト 云 ナ リ 。 ニ ツ ニ ハ、 鴬 ・ 蛙 ノ 己 レ が 正 躰 ニ テ 哥 ヲ ヨ ム 事 、 余 ノ 虫 鳥 ハ カ カ ル 事 ナ キ ニ ヨ リ テ 此 不 思 議 ヲ 顕 ハサ ン 為 二、 鴬 ・ 蛙 ト 書 ル 也 。 日 本 紀 云 、 孝 謙 天 皇 ノ御 時 、 大 和 国 天 間 寺 二 僧 有 。 彼 僧 二 最 愛 ノ弟 子 アリ 。 彼 ノ弟 子 死 テ後 、 師 深 ク 歎 キ ケ レ ド モ、 月 日 ヲ経 テ後 忘 レ ヌ。 或 年 ノ春 、 住 ケ ル家 ノ前 ナ ル梅 ノ 木 二 鴬 来 テ鳴 。 其 声 ヲ 聞 バ、 ﹁初 陽 毎 朝 来 、不 相 還 本 栖 ﹂ ト啼 ク 。是 ヲ見 レ バ哥 ナ リ 。 ハ ツ ハ ル ノ ア シ タ ゴ ト ニ ハ キ タ レ ド モ ア ハデ ゾ カ ヘ ル モ ト ノ ス ミ カ ニ 此 時 、 師 、 弟 子 ノ 鴬 ト 成 タ リ ケ ル ト 知 テ 深 ク ト ブ ラ ヒ ケ リ 。 と な る 。 これ は 、 僧 の弟 子 が 死 後 鴬 に 生 ま れ 変 わ り 、 和 歌 を 詠 ん だ と す る も の で、 鴬 が 和 歌 を詠 む こ と は ﹁あ る﹂ こと だ と す る 例 証 と し て 挙 げ て い る 。 ︽ 隅 田 川 ︾ の筋 は、 ﹁名 に し 負 はば ﹂ の歌 の 注 釈 と し て 、自 分 の 思 う 人 が 亡 く な っ て いた 例 と し て、 ﹃ ﹁吉 田 の少 将 の子 に 梅 若 丸 と いふ ﹂ 人 の母 の ﹁思 ふ 人 ﹂ の ﹁ な し ﹂ と いふ 事 ﹄ と いう 話 を ﹁作 り な し ﹂ 、 す な わ ち 創 作 し 、 そ れ を ﹁本 説 ﹂ と し て舞 台 化 し た 性 格 の作 品 で あ る と 言 え る 。 ︽ 隅 田 川 ︾ の ﹁ 本 説 ﹂ が 、 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 第 九 段 で あ る か と 言 え ば 、 そ れ は そう で は な い 。 ﹁本 説 ﹂ の定 義 は ﹁素 材 と な った話 、典 拠 ﹂ で あ り 、 主 人 公 の設 定 も 、 筋 立 て も 、 も と の話 と 全 く 違 う 以 上 、伊 藤 . 氏 が 言 わ れ る 通 り 、 ﹁本 説 ﹂と 呼 ぶ こと は 不 適 当 で あ る。 つま り ︽ 隅 田 川 ︾ は世 阿 弥 の言 う と こ ろ の ﹁本 説 正 し い﹂能 で は な い。 ﹁ 所 の和 歌 ﹂ を ﹁名 所 ・ 旧 跡 の縁 に作 な ﹂ し た ﹁作 能 ﹂ の 一つ であ る 。 ﹁名 所 ﹂ の 和 歌 に対 す る ﹁作 な し ﹂ に は、 当 時 の和 歌 の解 釈 の 方 法 が 踏 ま え ら れ て お り 、 ︽ 隅 田 川 ︾ は そ の よ う な 方 法 を 用 いた 曲 の 中 でも 特 に 成 功 し て い る 。 こ の能 は ﹁作 能 ﹂ であ った と し て も 、 世 阿 弥 当 時 から 高 い人 気 を 保 っ て いた と考 え ら れ る。 世 阿 弥 周 辺 で演 じ ら れ て いた こと は、 ﹃ 申 楽 談 義 ﹄ に 、 隅 田川 の 能 に、﹁ 内 に子 も な く て殊 更 面 白 か る べし 。 此 能 は あ ら は れ た る 子 に て は な し 。 亡 者 也 。 こ と さ ら 其 本 意 を 便 り に てす べ し。 ﹂と 世 子申 さ れ け る に、元 雅 は 、え す ま じ き 由 を申 さ る。 か やう の こ と は 、 し て見 て よき に つく べ し。 せ ず ば 善 悪 定 が た し 。 と あ る こ と に よ っ て知 ら れ る。 世 阿 弥 の提 案 を 元 雅 が拒 絶 す る の は 、 元 雅 が ︽ 隅 田 川 ︾ の 演 出 に自 信 を 持 っ て いた 証 拠 であ り 、 世 阿 弥 も そ れ に 一 目 置 いて いる よ う に 見 え る。︽ 隅 田 川 ︾ は、 ﹁名 に し 負 はば ﹂ と い う名 歌 を も と に 、 ﹁ 隅 田 川 ﹂ と いう 名 所 と 、 ﹁親 が 子 を 思 う ﹂ こ と を結 び つ け 、全 く 新 し い筋 を 創 り 出 し て、 コ 座 見 風 の曲 感 ﹂を な し た作 品 であ る。 こ こ に元 雅 の能 作 者 と し て の ﹁極 めた る達 人 の才 学 の わ ざ ﹂ が伺 え る作 品 と 言 え るだ ろ う 。 三 ま と め ︽ 隅 田 川 ︾ の場 合 は 、和 歌 の、 わ が 思 う 人 は ﹁ あ り や な し や と ﹂ と 言 う 所 を ﹁質 問 ﹂ と 捉 え て、そ れ に対 し て答 え る形 で 筋 が 作 ら れ た 。 こ のよ う な形 で土 地 の和 歌 に ﹁作 り 寄 せ た﹂ と 考 え ら れ る例 と し て は 、︽ 黒 塚 ︾ が ﹃ 拾 遺 和 歌 集 ﹄ や ﹃ 大 和 物 語 ﹄ 五 八 段 に 見 ら れ る ﹁陸 六一
飯 塚 恵理人 奥 の安 達 の原 の黒 塚 に鬼 こも れ り と 聞 く は ま こと か﹂ と い う 歌 の ﹁質 問 ﹂ に対 し て、 鬼 が篭 も っ て いる の は ﹁ ま こと ﹂ だ と 言 う 筋 で作 ら れ た 可 能 性 を 挙 げ る こと が 出 来 る 。 こ の ﹁作 能 ﹂ の方 法 は 、 原 則 的 に は ﹁本 説 ﹂ のあ る能 の作 り 方 と 変 わ ら な い。 ﹁本 説 ﹂ は そ の曲 中 で使 わ れ る ﹁所 の和 歌 ・歌 語 ﹂ に対 す る ﹁理 解 ﹂ であ る。 ﹁作 能 ﹂ は、 ﹁ 所 の和 歌 ﹂ を も と に し て そ の理 解 を ﹁作 ﹂ り 、 そ れ を 曲 中 の ﹁本 説 ﹂ と し て 利 用 す る。 和 歌 に関 係 し た 、 ﹁本 説 ﹂ 正 し い能 と ﹁作 能 ﹂ の違 い は そ こ の み であ り 、そ の和 歌 と 解 釈 に 関 わ っ て ﹁ 亡 霊 ﹂ な ど登 場 人 物 を創 作 し て行 く 点 は共 通 で あ る 。 あ る謡 曲 の ﹁本 説 ﹂ が 、 そ の 謡 曲 に用 いら れ て い る和 歌 の古 注 釈 や 説 話 集 な ど に見 当 た ら な い 場 合 、 そ の ﹁本 説 ﹂ を 探 す事 に 意 を 注 ぐ だ け で な く 、 そ の 和 歌 の ﹁謂 れ ﹂ と し て ﹁本 説 ﹂ に相 当 す る部 分 に 書 か れ て い る内 容 と 、 和 歌 ・ 歌 語 の解 釈 と の距 離 を 吟 味 し 、 そ の 部 分 の当 該 和 歌 ・ 歌 語 に 対 す る解 釈 の形 態 を 検 討 す べき で あ る。 そ れ が ﹁作 能 ﹂ であ る こと を 見 つけ る 手 が か り に な る よ う に 思 う 。 注 ( 1) ﹃ 世阿 弥 禅竹 ﹄ 表 章 加藤 周 一 校 注 日本 思想 大系 24 岩波 書 店 昭和 四九 年 四月発 行 四七 頁 ( 2 ) 同 ( 注 1 ) 四 八 頁 ( 3 ) 同 ( 注 1 ) 一 三 四 頁 ( 4) ﹃ 観阿 弥 ・ 世 阿弥時 代 の 能楽 ﹄ 竹本 幹夫著 明治書 院 平 成 一 年 二月 発行 四 三六 ︱ 四三七頁 ( 5) ﹃ 竹取物 語 伊勢 物 語 大和 物語 ﹄ 阪倉篤 義 大津 有 一 築島 裕 阿倍俊 子 今井 源衛 校注 日本古 典文 学大 系 9 岩 波書 店 昭 和 三 二年 一 〇 月発行 一一 七 頁 六 二 (6) ﹃ 謡曲 集 中 ﹄ 伊藤 正 義校 注 新潮 日本 古 典集 成 73 新 潮 社 昭 和 六 一 年 三月発 行 四五九 頁 (7 ) 同 (注 6 ) 四 五 八 頁 (8 ) 同 (注 6 ) 四 五 九 頁 (9) ﹃ 謡曲 集 上﹄ 横道 萬 里雄 表 章校 注 日本 古典 文 学大 系 40 岩 波書 店 昭和 三 五年 一 二 月 発行 (10 ) 同 (注 1 ) 二 九 五 頁 (11 ) 同 (注 1 ) 二 一 〇 頁 (12) ﹃ 伊勢 物語 の 研究 ︹資 料篇 ︺ ﹄ 片桐 洋 一 著 明治書 院 昭 和 四四年 一 月発 行 三 一 三 頁 ( 13) ﹃ 中世 古今 集注 釈書 解題 二﹄ 片桐 洋 一 著 赤尾 照文 堂 昭和 四 八 年 四月発行 二 二 五 頁 (14 ) 同 (注 1 ) 二 七 〇 ︱ 二 七 一 頁 (15︶ ﹃ 拾遺 和 歌集 ﹄ 巻 第九 雑 下 五 五九番 歌 小 町谷 照彦校 注 新 日本古 典文 学大系 7 岩波 書店 平成 二年 一 月発 行 一 六 〇頁 (16 ) 同 ( 注 5 ) 二 五 七 頁 付 記 本研 究 は、平 成 一 一 年 度後 期松 下 国際財 団 研究 助成 、平 成 一一 年 度 堀情 報科 学振 興財 団研 究助成 、 平成 一 二年度 科 学研究 費基 盤 研究︵ C︶ に よ る 成 果 の 一 部 と な り ま す 。 記 し て 感 謝 申 し 上 げ ま す 。