法の文脈におけるドイツ語単語
“Strafe” の定義
江
藤
隆
之
Ⅰ 本稿の目的 Ⅱ ドイツ語文献における “Strafe” の定義 1)アプローチ方法 2)Lampe 3)Duden 4)Creifelds 5)B. -D. Meier 6)Müller 7)Greco 8)Fuchs Ⅲ 分析 1)Strafe, Rechtsstrafe 2)Übel3)Missbilligung, Vorwerfbarkeit, Tadel, sozialethisches Unwerturteil 4)Staat, Verfahren
Ⅳ 結語
キーワード:刑罰,Strafe
Ⅰ 本稿の目的
Beling は,構成要件論を提案する初期のモノグラフィー “Die Lehre vom
Verbrechen” において,彼の時代における犯罪概念の定義の曖昧さ,不正
確さを嘆いた。その際,彼は当時の犯罪概念の問題性を際立たせるために,
ある対比描写を用いた。それは,「刑罰(Strafe)の定義はひとまず…… いずれにせよ 明確である……のに対して……」というものであっ (1) た。 この表現は,もちろん犯罪概念の曖昧さを強調するためのものだが,それ でもひとつの疑問が浮かんでくることは避けられない。はたして,刑罰 (Strafe)の定義は明確であろうか。 この問いに対する我々のとりあえずの応答は,刑罰の本質・意義・機能 をめぐる議論はそれこそ終わりなき議論の様相を呈しているが,刑罰の定 義それ自体,すなわち刑罰を刑罰以外と区別する基準は明確な一致を見て いる,というものであろう。「国家による非難の形式として犯罪の有責行 為者に対して科せられる法益剥奪」や「犯罪行為を行った者に対して国家 が与える強制的制裁たる害」などという表現がこれである。では,我々は この定義から,刑罰について何か有益な示唆を得ることができるだろうか。 この定義は,我々に刑罰以外の国家的処分との関係を探るにおいて重要な 探究の糸口をもたらすだろうか。「刑罰はこのように定義される。それは さておき,刑罰の本質については争いがあり……」とはなっていないだろ う(2)か。 あるいは,刑罰は結局のところ刑法典に刑罰として定められるのだから, 一般的な定義など不要である,となってはいないだろうか。たしかに, Feuerbach はその教科書において「刑罰は,刑法典から出発する。刑法典 における定義の多様性は,それゆえ刑罰の定義を違ったものとす (3) る」と述 べている。しかし,このように考えるのでは,刑法典が刑罰であると規定 すればあらゆる措置が刑罰として認められてしまい,「法律がそのように 定めようとも,それは定義上刑罰ではありえない」という批判的武器を 我々から奪ってしまうだろう。 もっと深刻であると思われるのは,我々は保安処分や行政処分と刑罰と の線引きをいつまで維持できるだろうか,という問いと対峙するときで あ (4) る。非難が込められているかいないか,社会防衛目的か否かなどの区別 は,現在は有効かもしれない。しかし,社会において拡大する必ずしも実 証的ではない厳罰化による社会防衛を求める声,換言すれば刑罰に対する
過度の期待と刑罰が自由主義の諸原則を厳格に守るなら必ず訪れる社会一 般の刑法に対する失望は,「刑罰が使えないなら処分を」という要求をも たらすだろう。それでも刑罰の領分を守り,保安処分との区別を維持し続 けるなら,刑罰はますます古い時代の使えない道具とみなされ,刑罰の諸 原則の適用外たる保安・行政処分の利用が進むことが予想される。新たな 立法には刑罰を定めずとも,保安・行政処分を定めれば国家はもっと奔放 に強制力を使えるということになりかねない。もちろん,そのような刑罰 にはめられた自由主義の枷を巧妙に回避し,ラベルの貼り替えられた処分 でもって国家が個人の自由を剥奪する事態を自由主義は肯定しない。仮に 保安処分を使用するのであれば,西欧諸国で行われているように,保安処 分にも刑罰同様に法定主義をかけたコントロールを行うことになろ (5) う。と なれば,保安処分は,結局のところ,行為者の有責要件を不要とする使い 勝 手 の 良 い 刑 罰 と 実 質 的 に 同 義 に は な ら な い だ ろ う か。Jescheck と Weigend の報告するところによれば,イギリス,ギリシャ,スウェーデ ン,ベルギー,アメリカおよび旧社会主義諸国において完全または部分的 な刑罰・保安処分の一元主義的立法が行われているとい(6)う。また,明確に 二元主義をとる国においても,実質的には部分的一元主義なのではないか と思われる運用がなされている。たとえば,スペインでは,もし完全責任 能力であれば刑事施設に収容して教育刑を受けるべき行為を行った責任無 能力者には,保安処分として同等期間の教育施設収容を命じることができ る。また,限定責任能力者には,責任に対応する期間刑務所に収容して受 刑させた後,完全責任能力であれば科されていたはずの刑期満了期間まで は,保安処分として引き続き教育施設に収容することができる。結局,責 任能力があろうとなかろうと減退していようと,同じ期間の収容が「刑罰」, 「保安処分」,「一部刑罰・一部保安処分」のラベルの下に可能なのであ(7)る。 そこで,今一度刑罰・保安処分の意義・目的・関係を見直すことが必要 になるが,その最初の一歩は「刑罰」という言葉の意味の確定,すなわち 定義の確定であ(8)る。本稿はさらにその一部分たる「ドイツ語において “Strafe” という言葉がどう定義されているか」を探り,その形式定義の外 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 91
枠を確定することを目的とする。
Ⅱ
ドイツ語文献における
“Strafe” の定義
1)アプローチ方法 刑法学者・法哲学者の Ernst-Joachim Lampe は,そのモノグラフィー “Strafphilosophie” の冒頭において「“Strafe” の哲学へのアプローチを試み る法律家は,“Strafe” という言葉の日常の使用から出発しなければならな い」と述べ (9) た。言葉の意味は,日常的な言語の使用であ (10) るということに鑑 みても,法の言葉は社会の言葉から遊離してはならないという意味にお いても,Lampe の指摘は正しい。そこで,まず Lampe が何を述べている かを確認しよう。その後,Duden を引き,続いて Creifelds の法律用語辞 典を引く。さらに,近年のドイツの刑法研究者数名の定義を確認する。 具 体 的 に は,Bernd-Dieter Meier の 教 科 書 で あ る “StrafrechtlicheSank-tionen”, Matthias Müller の博士論文 “Vergeltungsstrafe und Gerechtigkeitsfor-schung”, Claus Roxin の 教 科 書 を Luís Greco が 補 訂 し た “Strafrecht Allge-meiner Teil Band I 5. Aufl.” の Luís Greco による記述を確認する。この人
選には理由がある。それは,本稿が対象とする「“Strafe” という言葉の意 味」すなわち単語の形式的な定義をそれぞれに明確に,しかも問題意識を もってここ数年の間に記述したもの(Meier については記述の初出はここ 数年ではないが,改訂版が出ても記述を維持したもの)だからであ(11)る。ま た,参照の最後に,オーストリアの Fuchs の記述も確認する。これは, オーストリアとドイツにおいて “Strafe” の意味が基本的な方向性として異 ならないことを確認するためである。 2)Lampe Lampe は,日常言語を出発点に措定し,次のようにいう。 この(日常言語の)用法では,起こるべきでなかったにもかかわらず
起きてしまった何らかのことに対する規制を “Strafe” と呼んでい(12)る。 しかし,単なる望ましくない出来事の規制がすべて刑罰と呼ばれるわけ ではない。Lampe は, もちろん,この語法は,あらゆる規制をそのように呼ぶわけではない。 たとえば,単なる損害賠償はそうは呼ばれない。“Strafe” はむしろ, 「規範」(Norm)を破った者の「懲罰」(Züchtigung)としてのみ使われ(13)る。
という。続いて,Lampe は Duden を引きつつ,一般的な “Strafe” の意味 を述べる。 ここから,“Strafe” は,日常言語使用においては,「不法,悪い所為 またはそれに類することへの贖罪(Buße)として,償い(Sühne)の ために誰かに科されるもの」であ (14) る。 このように,日常言語における “Strafe” の意味を考察した後,Lampe は,法律家は日常言語に結びづけられており,所与の用法から逸脱するこ とはできないと主張する。ただし,Lampe は,法律家が日常言語の “Strafe” の用法から離れることができる部分を限定的に認める。それは,法的な限 定の付け加えである。つまり,日常言語が一般的な文脈において “Strafe” という語を使用するのに対し,法律家は,そのうち法的な意味に限定され た “Strafe”, すなわち “Rechtsstrafe” を法の文脈で使用する。その文脈にお いて,“Strafe” の定義における「悪い所為」は,法に基づいた(von Rechts wegen)ものとして限定的に理解される。ここから,Lampe は,法的な意 味における “Strafe” を次のように定義する。 “Strafe” は「法的な答責性ある者への懲罰的な法的措置を通じた法規 範違反の規制」として定義でき (15) る。 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 93
Lampe はさらに続けて,“Strafe” と区別された “Bestrafung”(処罰)を 定義する。彼によれば,“Strafe” は社会的な出来事(soziales Geschehen) であるのに対して,“Bestrafung” は,社会的な行為(soziale Handlung)で ある。“Strafe” は規制の機能を有し,“Bestrafung” はその “Strafe” の機能
を充足しようとする答責的規範違反者に対する意図ある社会的行為であ(16)る。 そこで,彼は次のように “Bestrafung” を定義する。 ここから,処罰は法的(juristisch)に,「有責的な規範違反者に対す る刑罰の法的な強制的要求(Zumutung)」と定義でき (17) る。 ここで,後の分析のために注目すべき点を2点ほど指摘し,簡潔な論評 を加えておく。
第1に,Lampe は法的 “Strafe” の定義に “Recht” という言葉を3回も 使用している。すなわち,違反される “Norm” が “Rechtsnorm” であるこ と,答責性が “rechtlich” な答責性であること,措置が “rechtlich” な措置 であることをそれぞれ明記している。このような慎重な態度は,日常言語 における広い “Strafe” から “Rechtsstrafe” を取り出すための戦略であると 理解できる。 第2に,後に見る他の刑法学者の “Strafe” 定義において,当然のように 登場する “Übel”(害・苦痛)という語を Lampe は使っていない。Lampe の定義において,“Strafe” が受刑者にとって害・苦痛を与えるものである ということは,わずかに “züchtigend”(懲罰的な・折檻の)に表現されて いるにすぎない。“Bestrafung” の定義における “Zumutung”(強制的要求・ 無理な要求)という語も,刑罰が害であることを直接的には示してはいな い。Lampe 自身が明確に区別しているように,実体は “Strafe” であり, “Bestrafung” は罰するという社会的行為であるから,この “Zumutung” は 科刑が「強制」であるという意味であってもその実体的な価値判断を含ん でいると解すべきではない。もちろん,形式的な強制は,たいていの場合 それを受ける者にとっては害であるが,“Strafe” の定義において一般に使
用される「害」(Übel)は,内容的な害を意味しており,強制形式による害 を意味してはいない。世に(法的に)強制されることはいくつもある
たとえば Covid!19 の流行に対していくつかの国で行われた強制力を有す
るロックダウン が,それらすべてが強制されるが故に害であり,内容
的に刑罰であるということにはならない。
Lampe の定義に “Übel” のないことが,Lampe の意図によるものか否か, あるいは “züchtigend” で害性の表現は十分なのかはわからない。 3)Duden Lampe の方法に倣って,我々もドイツの日常用語としての “Strafe” の 定義を確認しておこう。 まず,“Strafe” の語源を探ろう。Duden の語源辞典によると,中高ドイ ツ語に “straˉfen” という動詞が見られ (18) る。これは,「責める」,「叱責する」,
「叱る」(tadeln, zurechtweisen, schelten)という意味だったようである。 その語源は確かなことはわかっていない(nicht sicher erklärt)が,おそ ら く “straff”(「ぴ ん と 張 っ た」,「厳 格 な」)と 関 連 が あ る と 思 わ れ る。 “straˉfen” が「裁きによる罰を与える」,「折檻する」という意味で使用さ れたのは13世紀に入ってからのことである。 現代ドイツ語における刑罰の定義は,現代語を採録する Duden による と, 犯された不法または軽率な所為に対する償いとして(何らかの不快な ことを行いまたは耐える強制の形式で)人に報いとして科されるところ のものによって人が処罰されるも (19) の である。
ここでは,「それにより人が処罰されるもの」(womit jemand bestraft
wird)という表現で動詞の “bestrafen” が使われており,循環論法に陥り かねない不安が残る定義であるものの,“Strafe” のいくつかの重要な要素
が含まれた定義であるといえる。 第1に先行する不法とそれに対する報いとしての性質である。Duden は,“zur Vergeltung” という表現を使用しており,応報刑論の先取りにな りかねないため,本稿では「応報として」よりも一般化して「報いとして」 と訳すことにしたが,ここで表現されているのは,“Strafe” の「反応的性 質」である。“Strafe” は,先行する好ましくない行為が前提として存在し, それに対する反応としての性質を有する。後に,Müller の叙述で確認す るように,反応的性質は,応報刑論を前提としなくても認められるもので ある。 第2に,それが「何らかの不快なことを行いまたは耐える強制の形式」 (in Form des Zwangs, etwas Unangenehmes zu tun oder zu erdulden)と
いう表現で,強制的害であるということが表現されていることである。こ こでも,“Übel” という単語は使用されていないが,刑罰が受刑者にとっ て心地よいものではないこと(etwas Unangenehmes)は定義に表現され ている。ただし,これもまた後で触れるように,“Strafe” の害は,受刑者 にとって不快であるという主観的性質として理解されるべきでなく,受刑 者から法益を剥奪するという意味において規範的に把握されるべき概念で ある。Duden の定義では,害が主観的に把握されているように読めるた め,刑の執行を心地よく感じる者に対する強制形式が “Strafe” の概念から 外れてしまうことになりかねない。この点,法的文脈においては正確性を 失しているといえるであろう。 4)Creifelds 次に,一般的なド イ ツ 語 の “Strafe” に “rechtlich” な 限 定 の か か っ た “ (Rechts)strafe” の語義を参照しよう。ここでは,Creifelds のドイツ法律 用語辞典を引く。Creifelds による “Strafe” の項目は次のとおりである。 “Strafe” とは,刑法を通じて,構成要件に該当し違法で有責な行為に対 して威嚇された,社会倫理的無価値判断を含む,改善保安処分と異なり責
任清算に資する,法的帰結であ(20)る。 この Creifelds の定義は以下のように特徴づけられる。 第1に,この定義では “Strafe” が害であることは明示されていない。マ イナスの意味合いを持つことは,「威嚇された」“angedroht” と「社会倫 理的無価値判断」“sozialethisches Unwerturteil” によって表現されている が,後者はあくまで評価についてであり,“Strafe” が事実的に害であると いうことを表現していない。「害に無価値評価を乗せる」という観点から は,害と無価値評価とは区別されよう。したがって,この定義では “Strafe” が行為者にとって不快なものを内容とするということが,“angedroht” に かろうじて表現されているにすぎないことになろう。また,この表現では, 仮に害が表現されているとしても,主観的な意味での害であるようにも読 め,不正確のきらいがある。 第2に,この定義は犯罪を刑法学の犯罪論における構成要件,違法性, 責任の三段体系に基づいて記述しているという特徴を有する。このことに より,刑法学的な文脈における正確性は増すように一見思われるが,か えって細かい点での問題を抱え込むことになる。まず,三段体系でない犯 罪論を前提とする刑罰にはこの定義は当たらないのか,たとえばフランス の “peine” は “Strafe” と対応しないのかという疑問が生じる。また,仮に 三段体系を前提とするにしても,客観的処罰条件が欠ける場合はどのよう に解されるのかとの疑問がある。正確な定義を試みると,より細かい点に おいての指摘を受けることになる。もし仮に,この定義においては刑罰の 発動には構成要件該当性,違法性,責任の充足が求められかつそれで十分 であるというのなら,それは定義というにはあまりにも特定の見解を前提 としすぎているのではないかとの疑問が向けうるだろう。 第3に,社会倫理的無価値判断とはどういう意味であろうかという疑問 がある。この言葉は,説明のないままでは一定の警戒感を惹起する可能性 がある。Creifelds においてはこの言葉の意味が解説されていない。この 点については,次に見る B. -D. Meier も使用しており,彼自身が解説を加 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 97
えているので,その際に改めて検討したい。さらに,Greco による批判的 な言及もある。これも後で触れる。
第4に,「刑 法 を 通 じ て」(“durch Strafgesetz”)と い う 表 現 に よ り,
“Straf(e)” が定義内に入ってしまっている。“Strafe” を定める “Gesetz” が
“Strafgesetz” なのだから,“durch Gesetz” という表現で刑法を表せたので はないかと思われる。 第5に,改善保安処分との区別を定義に取り入れ,その違いを「責任清 算」に求めた点である。これは,“Strafe” 定義の果たすべき “Strafe” と処 分の区別という極めて重要な機能を取り入れたものであるが,その違いを 「責任清算」のみに求めることができるかについてはなお検討の余地があ ろう。 Creifelds の定義は,ドイツ刑法学の成果を取り入れた法律用語辞典ら しい法学的な定義が採用されているという点で優れたものであるが,その 長所に起因して,反面,刑法学上の特定の立場に依拠しているのではない かとの疑問が残る。 5)B. -D. Meier
Bernd-Dieter Meier の定評ある刑事制裁に関する教科書 “Strafrechtliche
Sanktionen” も,“Strafe” の定義を行っている。それは次のとおりである。 行為者に対して強制的に科せられる害であり,かつ必要的前提である 有罪判決の帰結として有責的に行われた所為に対する公的社会倫理的無 価値判(21)断 この定義について,Meier は2つの要素に着目して解説を加えている。 第1は,「害の付加」(Übelzufügung)である。害は,どのような “Strafe” を加えるかによって,異なった態様のものとなりうる。Meier は,自由刑 (Freiheitsstrafe),罰 金 刑(Geldstrafe),運 転 禁 止(Fahrverbot)を 例 に 挙げている。ここで Meier が注意を促すのは,この「害」の性質は,規
範的(normativ)であるということである。たとえば,自由刑が害である のは,憲法上の権利である市民的自由が害されているからであって,受刑 者が自由刑の執行を「良いものである」と感じているとしても,それが規 範的意味における害であることに変更はな (22) い。 さらに Meier は,「“Strafe” が強制的に付加される害であるということ だけでは,それを他の制裁との区別するためには十分ではな (23) い」という。 秩序違反法の過料は,強制的に付加される害であるが,法的な意味におけ る “Strafe” ではない。そこで,Meier によれば,“Strafe” は,有罪判決お よび処罰によって行為者が犯した所為に対して向けられる公的な“非難” (Tadel)であるところの「社会倫理的無価値判断」でなくてはならないと い (24) う。 こ の 第2の 要 素 た る「社 会 倫 理 的 無 価 値 判 断」(sozialethisches Un-werturteil)は,有罪判決によって行われる。これは,所為が行為者に人 的に帰属し,非難可能であるということを前提とする。“Strafe” と結びつ いた無価値判断は,無罪の推定を破り,人的答責性を割り当てる公的な行 為者の行いへの烙印付け(Stigmatisierung des Täterhandelns)によって 構成される。したがって,「科せられる “Strafe” の重さに,出来事への非 難の程度が表現されている」のであ
(25)
る。
Meier は,ここに “Strafe” と害の付加を行うその他の処分との違いを求 める。“Strafe” は行為者の行いへの非難可能性(Vorwerfbarkeit des Täter-handelns)を前提としており,“Strafe” 以外の処分はそうではない。“Strafe” は,人的な非難可能性,すなわち「責任」(Schuld)の要件が満たされて いることを前提とす(26)る。
Meier の “Strafe” 定義の特徴は, Creifelds の定義にもあったが内容
が不明であった 「社会倫理的無価値判断」という言葉が使用されてい
る点にある。Meier の説明を読み解けば,この「社会倫理的無価値判断」 という語は,“Strafe” の非難としての性質を表現しており,責任(Schuld) 連関的な意味で使用されていることがわかる。
なお,「必要的前提である有罪判決の帰結として」(als Folge des
wendig vorangegangenen Schuldspruchs)との要素は,国家による手続を 前提としているものと読める。この点は,次の Müller が明確に触れてい る。
6)Müller
Matthias Müller は , 博 士 論 文 “Vergeltungsstrafe und
Gerechtigkeitsfor-schung” において,序論的な考察として同論文で検討対象とする “Strafe” の概念を定義している。 その定義は以下のとおりである。 法的規則を侵害したことへの反応として人に対して,その規則違反が その人に非難として帰責できるかぎりにおいて科される,形式化された 国家手続による自由を制限する強制的措 (27) 置 この定義を Müller 自身が3つの要素に分解し,それぞれに説明を加え ているので見てみよう。 そ の 第1が「自 由 を 制 限 す る 強 制 的 措 置」(freiheitsbeschränkender
Zwangsakt)であり,「害の付加」(Zufügung eines Übels)とも換言され
る。Müller は,「このような強制的措置が例外的場合においては行為者に とって害であると感じられないかもしれないこと」があることを認めつつ, 強制を受ける側の主観的受け取り方は問題ではないため, Meier と同 じく この定義には変更はないとい (28) う。 この要素については,表現上の疑問が向けうるだろう。ここでいう “Freiheit”(自由)は広義の意味で取られるべきであるとしても,“Frei-heitsstrafe”(自由刑)に狭義の “Freiheit”(自由)が使用される以上,別 の表現が用いられるべきであったのではないかと思われ(29)る。仮に “Frei-heit”(自由)を狭義に理解してしまえば,“Geldstrafe”(罰金刑)や “Todes-strafe”(死刑)は刑罰でないということになりかねな (30) い。 第2の要素は,形式化された手続(formalisiertes Verfahren)である。
刑法の文脈において対象となるのは,公権力による措置,すなわち法的刑 罰(Rechtsstrafe)である。Müller は次のようにいう。「強制的措置は,一 定の形式的な手続にかけられている限りにおいて,“Rechtsstrafe” である ということができる」 (31) と。Müller が実体たる “Strafe/Rechtsstrafe” の定義 に手続の観点を入れたことは,彼の定義を特徴づけるものであ(32)る。 第3が反応的性格(reaktiver Charakter)である。これは,彼の定義の “missbilligend zuzurechnen sein” という語によっても表現されており, “Strafe” が行為者に非難として帰属可能な法規違反を前提とすることを意 味してい (33) る。すなわち,過去に起きた出来事に対する反応としてのみ “Strafe” は発動するという性質である。Müller は,ここで結論の先取りに なることを避けようとする。彼によれば,“Strafe” の実在根拠を過去の犯 罪に求めたとしても,“Strafe” の目的根拠を未来に設定することはなお可 能である。つまり,“Strafe” の定義に反応的性質を組み込むとしても,必 ず応報刑を帰結するすなわち定義内に応報理論を先取りするものではなく, “Strafe” の目的根拠を予防目的ととらえる見解にも至りうる。したがって, “Strafe” の反応的性質を定義に組み込むことは,いかなる刑罰論を採用す るかと無関係に認められうるとい(34)う。 たしかに,Müller のいうとおり,予防刑を主張する論者であっても, 犯罪行為の存在を要件とした法的帰結としての “Strafe” を前提とする限り, その反応的性格を否定することはないだろう。 7)Greco
2020年 に Greco に よ っ て 改 訂 さ れ た Roxin の 教 科 書 “Strafrecht
Allge-meiner Teil, Bd. I, 5. Aufl.” において注目すべき箇 所 は,第2章 B の「実
質的刑罰概念」(端番号1a ないし1i)の記述である。この箇所は,Greco が補訂の際に挿入したものであり,Roxin 単独名義の旧版には,この項目 自体が存在しない。第5版の Greco の前書きによれば,彼は補訂にあた り明確な意図をもってこの一節のみを挿入したとい(35)う。この Greco の行 為自体が,本稿の主張のするところの “Strafe” 概念を定義することの重要 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 101
性を如実に示しているといえよう。 Greco によれば,“Strafe” は形式的には,立法者が刑罰として呼ぶもの のすべてであ(36)る。そして,実質的には次のように定義する。 “Strafe” とは,つまり,特別に非難しうる態度に対する反応として, 人間が人間として(換言すれば「持って生まれた権利として」)扱うと ころの害の付加であ(37)る。 この定義に至る道筋を Greco 自身の言葉を追うことで詳細に見てみよ う。 Greco によれば,「“古典的な”見解においては,“Strafe” は,間違った 振る舞いを犯したことによって科される害(Übel)であ」り,まずもっ て「苦痛」(Schmerz)であ (38) る。このような害を要素とする定義の長所は, 刑罰の前提たる刑罰の厳格さを軽視しないことにあるが,これだけでは十 分ではない。というのも,ほぼすべての国家的制裁が害を内容とするから である。したがって,“Strafe” にいう害は,その特別な重さ(besondere Schwere)に着目することもできるだろう。だが,“Strafe” でない制裁に も重いものがあることに鑑みると,この定量的アプローチは,さほど役に 立たないといえ(39)る。かくして Greco は,害の要素を “Strafe” の一要素と して置きながらも,それだけでは足りないことを指摘する。 Greco は,“近代的”な見解においては,“Strafe” はまずもって「非難
の表明」(Ausdruck von Missbilligung)であるという。だが,Greco はこ の見解にも必ずしも満足しない。それは,秩序違反法上の “Strafe” でない 制裁にも非難が含まれているように見える,という理由からだけではない。 Greco によれば,「非難の判断」(Missbilligungsurteil)への着目は,2重 の問題を引き起こすという。 第1に,このような見解は,仮に行為者の道徳的な否定的評価を意図し ているのではないと強調された場合であっても,“Strafe” の倫理化の傾向 を内部に有している。もとより,国家がその市民を非難する権利があると
いうことすら自明のことではないのであ(40)る。
第2に,この見解は,古典的な “Strafe” 概念の長所であるところのもの を放棄してしまう。すなわち,この見解は,数年の刑務所での科刑も,人 間の振る舞いに対する裁判官による批判の表明のレベルで捉えることにな り,“Strafe” を科すことを無害化してしま(41)う。
そこで,Greco は,「害と非難の結合」(Verknüpfung von Übel und Miss-billigung)に正しい道があるという。まさに,Roxin が Volk の Festschrift において「高度に社会侵害的な非難可能な態度を理由とする国家的害の付 加」と定義したよう (42) に。非難の観点は,“Strafe” が常に特に非難可能な態 度に対する反応(Reaktion)であるという意味であり,これは “Strafe” の 「回顧的要素」(retrospektives Element)を示している。“Strafe” は時間的 に所為の後(zeitlich nach der Tat)に発動するのである。そして,特に非 難可能な振る舞いへの反応としての害の付加は,その者を人間として扱う ことを意味する。厳格な要件が特に充足される場合に限り “Strafe” がある ということは,人間の生まれながらの権利(angeborenes Recht)である。 “Strafe” は,それゆえ,質的に極めて特別な侵害(Eingriff von einer ganz besonderen Qualität)なのであ (43) る。 “Strafe” とはすなわち,一般的な行為の自由の侵害と一般的な人格権の 侵害の正当化を問うものであり,“Strafe” が特別であるがゆえに刑法 “Straf-recht” もまた特別である。Greco はいう。「ある行為の犯罪化に賛同しよ うとする者は,その行為を行ったがゆえに,隣人を刑務所に送る覚悟がで きていなければなら (44) な (45) い」と。 Greco の見解には,“Strafe” の定義構成の中に,一定の謙抑性を導入し ようとする点で,特徴的である。他の見解が単に「非難」と言っていたと ころに Greco は「特別に」“besonders” を挿入する。また,倫理という表 現に対して否定的なニュアンスの記述をしているのも,Creifelds や Meier が「社会倫理的無価値判断」という言葉を使っていたのとは対照的である。 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 103
8)Fuchs ここまで,ドイツ語の “Strafe” をドイツの文献をもとに追ってきたが, 他のドイツ語圏においても “Strafe” が同じ意味で使用されているかを確認 するために,“Strafe” 定義について明快な記述のあるオーストリア の Fuchs の教科書を参照してみよう。 Fuchs は,まず次のように宣言する。 “Strafe” は,本質的に2つの要素からな (46) る。 2つの要素とは「害の性質」 (Übelscharakter)と「非難の機能」(Ta-delsfunktion)である。それぞれの要素がどのように説明されているのか を見てみよう。 「害の性質」を Fuchs は,「“Strafe” は,それ自体,犯された所為を理 由として国家から人間に対して科される害を本質とす(47)る」と説明し,続け てこの「害は,所為を犯さなければ “Strafe” によって保護される法益(自 由,財産,以前は生命までも)の剥奪(Entzug des Rechtsgutes)によっ
て構成され(48)る」という。もちろん,このような害は行為者の法益の侵害で あるが,その目的はまずもって(潜在的)被害者の自由および法益の保護 であることを見失ってはいけないと Fuchs はいう。刑法は,一方的に自 由を制限するものではなく,むしろ自由を保障するものとして理解され (49) る。 なお,Fuchs は,害としての性質を説明する節に段落を落とした小さい フォントで,“Strafe” は「適性手続によってのみ」(nur in einem “fairen Ver-fahren”)科すことができる旨を挿入している。 「非難の機能」は,Fuchs によれば,害の性質によって表明される機能 である。Fuchs は,「害の付加は,“Strafe” による行為者に対する国家的 非難の表明である」といい,「“Strafe” は,その所為による行為者への無 価値判断およびそれとともに行為,つまり犯罪行為の否定的評価を含む (評価規範としての刑罰規(50)範)」という。 では,なぜ非難の機能がなくてはならないのか。Fuchs は,「非難の機
能は,特殊な法的効果である “Strafe” が存在するためには,害の性質に付 け加えられていなければならない。そうでなければ,税金と刑罰との区別 ができなくなってしまう。その違いは,“Strafe” においては次のようにい えることにある。すなわち,あなたはこの法的効果を発生させる行いを避 けるべきである,と。これに対して納税義務を発生させる行いは,法的無 価値判断を含んでいな(51)い」と説明している。
Ⅲ
分
析
1)Strafe, Rechtsstrafe対 象 と な る “Strafe” が “Rechtsstrafe” で あ る こ と を Lampe は 何 度 も “Recht” という言葉を使って定義に実体的に取り込もうとした。これに対 して Müller は,国家による形式的手続の要件をかけることで “Strafe” を “Rechtsstrafe” にしようとした。 “Strafe” が “Rechtsstrafe” であることを明示する者もそうでない者もい るが,それは当然の前提である。 2)Übel “Strafe” の “Übel” としての性質について触れない定義があった。たと えば,Lampe や Creifelds の定義には害の要素が明確には含まれていな かった。Müller は,その内容解説において定義中の「自由を制限する強 制的措置」(freiheitsbeschränkender Zwangsakt)が「害の付加」(Zufügung eines Übels)である旨を説明しているが,定義そのものに「害」という言 葉が使用されているわけではなかった。 思うに,“Strafe”(だけでなく世界中のすべての刑法における「刑罰」) の定義において,「害」は欠くべからざる本質的な要素であろう。ドイツ 語においても,かつて「刑事の」として使われていた “peinlich” には,そ の名詞形 “Pein” が「苦痛」を意味することからも明らかなように,「苦痛」 という意味が原義としてあった。現在では “peinlich” よりも “straf-” が好 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 105
んで使用されるが,それによって刑事罰が無害化されたわけではない。そ もそも “Pein” は,ラテン語の “poena” に由来し英語の “pain” に相当する 単語だが,これを「刑罰」という意味で使用するのは英語の “penalty”, フ ランス語の “peine”, スペイン語の “pena” “などに残っている。ドイツ刑 法・ドイツ語が特に “Strafe” の害性を放棄したというのでない限り, “Strafe” の定義には「害」が明示されるべきであるように思われる。
なお,この害 “Übel” については Meier および Müller の指摘のとおり, 害は法的・規範的な意味であって,受刑者本人がどう受け取るかには無関 係である。衣食住を得るためにあえて刑務所に入ろうと罪を犯した者が, 現に刑務所での処遇に満足するとしても,規範的には自由が剥奪されてお り害である。
3)Missbilligung, Vorwerfbarkeit, Tadel, sozialethisches Unwerturteil “Strafe” の定義において,最も表現に揺れがあるのがこの「非難」の部 分である。これまで見てきた見解から明らかなように,また「“Strafe” は 責任を前提とす(52)る」と通常いわれるように,責任非難があってはじめて “Strafe” を科すことができ,それが “Strafe” と他の処分とを区別するメル クマールともなっている。したがって,責任非難をどのような言葉で表現 するかがここでの焦点となる。
“Missbilligung” の語を定義に使用するのが Müller(定義内では missbilli-gend と表現)である。彼は,“Missbilligung” の意味を “Strafe” の「反応
的性格」(Reaktiver Charakter)であると説明している。彼の説明によれ ば,“Missbilligung” は,“Strafe” が「帰属可能な法規違反」を前提とする ということを表してい (53) る。 これに対して,定義には使用しないが,説明の中で “Missbilligung” を 使用するのが Greco である。Greco は,近代の刑罰論にとって “Strafe” は
まずもって「非難の表明」(Ausdruck der Missbilligung)であるという。
だが,Greco は,“Missbilligung” ばかりに注目すると問題が起こることを 指摘したうえで,「害と非難の結合」(Verknüpfung von Übel und
Missbil-ligung)の道を正解であるとする。その上で,彼は,「特別に非難しうる 態度に対す る 反 応」“Reaktion auf ein besonders vorwerfbares Verhalten”
という言葉を定義に導入す(54)る。なお,Greco
の非難には「特別に」“beson-ders” という限定要件(すなわち,「すべての非難しうる態度」が前提と
なるわけではないという注意書き的な副詞)がかけられていることは見逃 してはならない。
こ の Gerco が 定 義 に 導 入 す る “vorwerfbar” と 同 じ 単 語 を 使 用 し て “Strafe” の説明をするのが,Meier である。Meier は,“Strafe” は「行為者
の行いへの非難可能性」(Vorwerfbarkeit des Täterhandelns)を前提とし,
“Strafe” 以外の処分はそうではないと説明する。彼によれば,この言葉は 行為者に “Schuld” があるということを意味している。
“Tadel” という言葉は,Duden の語源辞典によると,中高ドイツ語の
“straˉfen” の意味そのものだったのであり,一般用語としての “Strafe” に
とって語源的に最も古く本質的な要素であるといえる。法的な文脈での “Rechtsstrafe” においては,“Tadel” の語を定義に入れていたのは Fuchs であり,説明に使っていたのは Meier である。Fuchs は,“Strafe” の2要 素のうちのひとつを「非難の機能」(Tadelsfunktion)とし,この要素の根 拠として,「非難の機能は,特殊な法的効果である “Strafe” が存在するた めには,害の性質に付け加えられていなければならない。そうでなければ, 税金と刑罰との区別ができなくなってしまう。その違いは,“Strafe” にお いては次のようにいえることにある。すなわち,あなたはこの法的効果を 発生させる行いを避けるべきである,と。これに対して納税義務を発生さ せる行いは,法的無価値判断を含んでいな(55)い」と述べていた。Fuchs にお い て,“Tadel” は,単 に 反 応 的 性 格 を 表 す 言 葉 で は な く,他 の 制 裁 と “Strafe” とを区別するための刑事的な意味における「非難」,すなわち無 価値判断を含んでいると解することができる。Meier が説明で使用する “Tadel” も同様である。Meier は次に見るように,「社会倫理的無価値判断」 (sozialethisches Unwerturteil)という表現を使用するが,それと並列で同 義として「有罪判決および処罰によって行為者が犯した所為に対して向け 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 107
られる公的な“非難“」(der öffentliche “Tadel”, der mit der Verurteilung und Bestrafung über die vom Täter begangne Tat angesprochen wird)と い う 表現を使用している。ここでは単なる反応的性格を意味しているのではな く,無価値判断であることを表現している。
さて,ここで Meier の,そして Creifelds にも用いられていた
“sozial-ethisches Unwerturteil” という表現を検討しなければならない。「倫理」 (Ethik)という言葉は,刑法研究者に対してしばしば警戒心を惹起する。 それは,公的・法的な価値ではなく,あたかも個人的な道徳の侵害を処罰 の契機とするのではないかとの警戒を呼び起こす。たしかに,個人的な道 徳的価値観や一時代の空気のようなものによる処罰は肯定できないため, このような警戒心が惹起されるのは必要かつ正当なことである。Greco も また,そのような「“Strafe” の倫理化の傾向」(Tendenz zur Ethisierung der Strafe)を問題点としてい (56) た。だが反対に,社会倫理,すなわち社会的な 行動の規範としての倫理を法からまったく放逐することはできない旨の主 張にも説得力があ (57) る。本稿では “Ethik” と “Recht” の関係如何を考察する ものではないため,深い議論には立ち入らないが,少なくとも Meier の “Strafe” 定 義 に 用 い ら れ る「社 会 倫 理 的 無 価 値 判 断」(sozialethisches Unwerturteil)の意味するところを一定程度明らかにしておかなければな らない。 そこで,Meier の記述を追ってみると,Meier のいう「倫理」は一般に 刑法研究者が警戒を示す「倫理評価に基づいて犯罪の成否・処罰の可否が 決まる」というものとちょうど逆のベクトルのものであることがわかる。 Meier は,犯罪を構成する要素としての「社会倫理的無価値判断」につい て述べているのではなく,有罪判決に込められているのがそれであると述 べている。Meier によれば,「社会倫理的無価値判断」は,有罪判決によっ て行われ,この無価値判断は,無罪の推定を破り,人的答責性を割り当て る公的な行為者の行いへの烙印付けによって構成され (58) る。すなわち,社会 倫理的無価値であると判断されたから処罰されるのではなく,処罰そのも のに無価値のメッセージが乗っている。これは,“Strafe” の発動要件では
なく,“Strafe” の有する社会的意味を表現しているにすぎない。したがっ て,Meier の「社会倫理」には,処罰範囲の曖昧化や拡大などの意味は込 められていない。いわば,“Missbillgung” や “Tadel” とほとんど変わらな いものであるといえる。ただし,やはりそのメッセージが「法的」非難か 「社会倫理的」非難かの「規範的色合い」についてはなお議論の的とする ことはできよう。本稿の立場では,“Sozialethik” という言葉は,Meier の 文脈において理解可能であるものの,やや論争的であることもあってあえ て使用する理由に乏しく,定義としては広く “missbilligend” などの言葉 を使用しておくのがひとまずは良いのではないかと考える。
なお,Müller は,「反応的性格」(reaktiver Charakter)という言葉も使 用す (59) る。たしかに刑法は反応的性格を有しており,この表現であれば「規 範的色合い」はほとんど消えるため,優れた表現方法であるように思われ るが,結局のところ反応的な保安処分との区別のために「非難」はどこか に入れなければならず,かつ「非難」を入れる以上予防的・事前的な性質 のものを排除可能であるため,ここまで「規範的に無色」な表現を使用す る必要はないと思われる。現に Müller 自身も,彼の定義の中では “missbil-ligend zuzurechnen sein” という表現によって反応的性格を表現している のであ (60) る。 Duden は “Vergeltung” を使用するが,この表現は応報刑論を想起させ るため,定義の段階では使用しない方が無難であると思われる。 この「非難」要素検討の最後に,何に対する非難なのかが問題となるが, 「有責的に行われた所為」(Meier),「法的規則を侵害したこと」(Müller), 「構成要件に該当し違法で有責な行為」(Creifelds),「特別に非難しうる態 度」(Greco)などと様々な表現がある。この非難対象の確定は,刑罰論 ではなく犯罪論の役目であることに鑑みると,ここは「犯罪所為」として おけば足りるように思われる。 4)Staat, Verfahren 主体たる “Staat” と手続たる “Verfahren” とはその意義が異なる が, 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 109
Müller の定義に用いられている「形式化された国家手続によって」(in einem formalisierten staatlichen Verfahren)の表現に従い,ここではひと つの項目で扱うことにする。 “Strafe” の定義において,主体は重要な要素である。「犯罪を行ったこ とに対する非難として加えられる害」であったとしても,それが私人によ るものであればリンチ(私刑)ではあっても法的な意味における “Strafe” ではない。国家が行って初めて “Strafe” 足りうる。だが,国家が主体であ ると明記している定義は Müller のものしかなく,その Müller の定義も, 手続主体が国家的であるというにすぎず,科刑主体が国家であるとまでは 言っていない。これはおそらく,“Rechtsstrafe” の定義の文脈においては, 主体が国家であるのは当然の前提とされているものと推察される。だが定 義に主体としての国家を入れるか否かは,法が国家的手続により私人に対 して害の行使を認めるような場合,それが “Strafe” に当たるか否かの分水 嶺になる。この観点からは本稿としてはひとまず国家が主体となること を明記しておくのが望ましいと考える。というのも,たとえば, 懲 罰的損害賠償制度を採るならばなおさらだが,仮にそうでなかったとして も 損害賠償にも不法な行為に対する非難的の意味が(わずかでも)込 められていることは否定し難いように思われ (61) るが,それが民事裁判を経て 執行されたとき,これを “Strafe” と呼ぶのは概念の周縁を曖昧にしかねな い。そこで,各論者が前提としていると思われる主体としての国家も定義 の中で明記すると明確さが増すように思われる。 手続によることもまた “Strafe” の内容を為していると思われる。我々は, 国家が犯罪行為者に対して手続を経ずに非難としての害を科すことを “Strafe” とは呼ばない。Müller の定義のこの点は採用されるべきであろう。
な お,Fuchs は,“Strafe” は「適 性 手 続 に よ っ て の み」(nur in einem “fairen Verfahren”)科すことができ (62) ると小さなフォントで “Strafe” の害の 性質を説明する欄に挿入している。なぜ,Fuchs にとって,適性手続は “Strafe” の第3の性質でも,「非難」の要素でもなく,「害」の一部分を構 成するものなのかはわからない。
V
結
語
ここまでの “Strafe” 概念の定義を巡る探究から,“Strafe” の定義の大枠 をおおよそ次のように抽出することができる。 法的な意味における “Strafe” は, ① 国家を主体とする。 ② 規範的な意味において害である。 ③ 犯罪所為に対する非難である。 ④ 形式化された国家的手続に基づく。 これらの要件のすべてが充足されるとき,それは “Strafe” という単語に よって捕捉される議論対象となりうる。反対に,これらの要件のひとつで も欠けるとき,たとえば私人が行うものであったり,非難を含んでいな かったり,手続に従っていなかったりしたときは,それは “Strafe” ではな い。“Strafe” でないものは「刑罰論」“Straftheorien” の対象とはならず, 別の議論の対象となる。この定義は “Strafe” 定義において最も大きい外枠 をとったものであるから,“Strafe” の必要条件であり,十分条件ではない。 そうであるから,これに含まれたら刑罰論の議論対象と「なりうる(なら ないこともある)」のであり,これから外れたものは刑罰の議論対象と 「ならない(なることはない)」のである。前者については,たとえば, 「非難」に程度を求める「特別の非難」とし,「軽い非難」の場合はこれに 当たらないという限定的な立場も取りうることを念頭に置いている。 本稿の考察は,法的文脈におけるドイツ語の “Strafe” の形式的な定義を 探ったものにすぎない。しかし,それでもこれまで未整理であった議論の スタート地点である形式的定義を整理してその外枠を提示した意義がある だろう。“Strafe” すなわち日本語では「刑罰」は,およそ誰もが外枠をつ かめている概念として,ともすれば形式的な定義なく実質的な議論が始ま 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 111りがちである。しかし,議論のためにも,社会における厳罰化や刑罰改革 や保安処分等との区別といった現実のニーズに肯定的にあるいは否定的に 応答するためにも,この定義は忽せにできないものであるといえよう。 この探究は,究極には,犯罪への対応が刑罰である必然性はどこにある のか,という問題へとつながっていく。また,我々は,刑罰は国家による 最も過酷な強制処分であると考えてきたが,私は,責任の要件なしに同等 のものが科せるのであれば,すなわち付加のための要件が少なく同等の害 が科せるのであれば,刑罰よりも保安処分の方が厳しいのではないかとい う疑問も持っている。これらの検討は別稿に譲らざるをえない。 (了) 注
(1) Ernst Beling, Die Lehre vom Verbrechen, 1906, S. 5.
(2) たとえば,刑罰論を網羅的に扱った Tatjana Hörnle, Straftheorien, 2. Aufl., 2017. は,「刑罰」という言葉の定義を欠いたまま議論が進められ ているように思われるが,それでも問題がないのが刑罰論の現状である。 「刑罰」という言葉で,我々はすでに「刑法典に刑罰として定められて いる処分」という程度の合意を得ており,解釈論を展開するのならその 程度の合意で差し支えないのである。だが,本稿の根底にある問題意識 は,それは「立法論」も視野に入れ,あるいは今後なお拡大する可能性 のある「保安処分」との有効な線引き,もしくは保安処分さえ含めた国 家による強制処分の拡大阻止の防衛線を明確に設定することを視野に入 れるなら,言葉の定義を疎かにすることはできないといえるだろう。 (3) Paul Johann Anselm von Feuerbach, Lehrbuch des gemeinen in
Deu-tschland geltenden Peinlichen Rechts, 1801, S. 122.
(4) 保安処分の歴史的経緯については,ドイツについては,Vgl. Heinz Kammeier, Maßregelrecht, 1995, スペインについては v. Jaime de Lamo Rubio, Penas y medidas de seguridad en el Nuevo Código, 1997 を参照。 (5) すでに Roxin は「刑法」(Strafrecht)という名は実に不正確(eigentlich
inkorekt)であり「刑罰およ び 処 分 法」(Straf- und Maßregelrecht)と いうのが正確であると明確に述べている。Claus Roxin und Luís Greco, Strafrecht AT, 5. Aufl., 2020, S. 2. 参照したのは Greco 補訂の第5版だが, この部分は,第4版以前にもある Roxin による記述である。
(6) Hans-Heinrich Jescheck und Thomas Weigend, Lehrbuch des Straf-rechts, 5. Aufl., S. 88. (7) もちろん,その処分における「非難」の有無に違いはあり,そのため 処遇内容は同じではないが,スペインにおける刑事施設は教育・社会化 を目的としており,刑罰の方が相当に保安処分に近づいているとはいえ る。 (8) 方法として,先に刑罰論を議論し,その帰結として刑罰の定義が示さ れるという考え方もあろう。だが,そのようにすると,論者ごとに「刑 罰」という言葉に違う意味を込めることが内容・実質についてだけでな く,外枠・形式についても認められることになってしまう。その先にあ るのは議論のすれ違いであろう。内容・実質に込めるものが論者ごとに 違おうとも,それを注ぎ込む器の容積と耐用温度くらいは共通して確定 しておいた方が良い。たとえ細部,たとえば器の柄,についてはなお争 いが残るとしても。
(9) Ernst-Joachim Lampe, Strafphilosophie : Studien zur Strafgerechtigkeit, 1999, S. 1.
(10) Ludwig Wittgenstein, Philosophische Untersuchungen, 1953, N. 43. (11) たとえ ば,刑 罰 を め ぐ る 優 れ た 思 索 で あ っ て も,Günther Jakobs,
Staatliche Strafe : Bedeutung und Zweck, in Strafwissenschaftliche Bei-träge, hersg. Michael Pawlik, 2017, S. 3 ff. などのように,実質に関する 作品であって,日常言語的な定義が必ずしもなされていないものがある。 なお同論文は,ギュンター・ヤコブス〔飯島暢・川口浩一訳〕『国家刑 罰―その意義と目的―』(関西大学出版部,2013年)として邦訳が刊行 されている。 (12) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 1. (13) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 1. (14) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 1. (15) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 1. (16) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 1 f. (17) Lampe, a. a. O.(Anm. 9),S. 2.
(18) こ こ で の 記 述 は,Der große Duden, Bd. 7, Etymologie, Herkunfts-wörterbuch der deutschen Sprache, 1963. に依拠している。
(19) Duden, Das große Wörterbuch der deutschen Sprache in 10 Bänden, 3. Aufl., 1999. お よ び Duden, Deutsches Universalwörterbuch, 9. Aufl., 2019. から引用。どちらにも同一の説明が掲載されている。
(20) Creifelds, Rechtswörterbuch, 23. Aufl., 2019.
(21) Bernd-Dieter Meier, Strafrechtliche Sanktionen, 5. Aufl., S. 15 f. (22) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16.
(23) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16. (24) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16. (25) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16. (26) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16.
(27) Matthias Müller, Vergeltungsstrafe und Gerechtigkeitsforschung, 2019, S. 12. (28) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 10. (29) 同じではないが日本における似たような表現として,たとえば井田良 『講義刑法学・総論』第2版(有斐閣,2018年)607頁が保安処分につい て「犯罪が行われたとき,再犯を防止するために行為者に科される,自 由の剥奪または自由の制限を伴う措置のことをいい,非難としての性格 をもたないもの」という例を挙げることができる。ここでの自由はもち ろん広義の自由であろう。狭義の自由については剥奪も制限もしない保 安処分も存在するのであるから(たとえば,スペインにおける自由を剥 奪しない保安処分 “medidas de seguridad no privativas de libertad”)。 (30) あるいは,死刑は定義からして刑罰として認めないという立場も考え うるが。 (31) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 10 f. (32) ドイツ語の “Strafe” 探究からすこし脇にそれるが,スペインの “pena” の定義においても,「犯罪を行ったことに対して,法律に定められ,管 轄ある司法機関によって科される法益の剥奪または制限」という定義が あり(de Lamo Rubio, nota 4, 1997, p. 23),ここでは「管轄ある司法機 関 に よ っ て」(por el órgano jurisdiccional competente)と い う 表 現 で “pena” の主体が明示されている。
(33) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 11. (34) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 11.
(35) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),Vorwort, S. VI. したがって,当該 部分の邦訳はない。
(36) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 21. (37) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 24. (38) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 22. (39) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 22.
(40) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 22. (41) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 22. (42) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 23. (43) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 23. (44) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 24.
(45) Greco は,自由刑を刑罰のプロトタイプとし,罰金刑を形を変えた自 由刑として実質的意味における刑罰とする。その根底には,「(死刑およ び体刑が廃止された)今日」(heutzutage(nach Abschaffung der Todes-und Leibesstrafe))(Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5), S. 23.)が 前 提 としてある。だが,日本にはおいては死刑が依然として存在する。日本 の現状を前提とするならば,我々は罪質によっては隣人を死刑台に送る 覚悟までも求められよう。
(46) Helmut Fuchs, Strafrecht Allgemeiner Teil I, 8. Aufl., 2012, S. 3. (47) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 3.
(48) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 3. (49) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 3. (50) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 4. (51) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 4.
(52) Rolf-Peter Calliess, Theorie der Strafe im demokratischen und sozialen Rechtsstaat : Ein Beitrag zur strafrechtsdogmatischen Grundlagendiskus-sion, 1974, S. 179.
(53) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 11.
(54) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 24. (55) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46), S. 4.
(56) Roxin und Greco, a. a. O.(Anm. 5),S. 22.
(57) 増田豊は,「堕胎,安楽死,緊急避難,自然環境の破壊,臓器移植, 動物虐待,拷問,テロリズム,脳の改造,死刑それに自由意志などの問 題をもち出すまでもなく,法と道徳ないしは道徳哲学(倫理学)とが密 接な関係を有していることは否定し難い」という。増田豊『法倫理学探 究』(勁草書房,2017年)2頁。 (58) Meier, a. a. O.(Anm. 21),S. 16. (59) Greco もまた使用するが,本文で Müller について検討したのと同様 の論評が当てはまる。 (60) Müller, a. a. O.(Anm. 27),S. 11. (61) 加害者の行為が故意か過失かによって賠償額に差異が生ずるのは,故 法の文脈におけるドイツ語単語 “Strafe” の定義 115
意行為に対する過失よりも強い非難が認められるからであるように思わ れる。また,現実にも被害者による加害者への損害賠償の請求には事実 的に非難の意が込められていることがしばしばである。なお,損害賠償 に非難の性質がそのまま含まれるか否かについてはなお争いうるとして も,精神的損害の賠償(慰謝料)の算定に「倫理的非難の程度」は含ま れてこよう(我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメン タール民法 総則・物権・債権』第6版(日本評論社,2019年)1520頁)。 (62) Fuchs, a. a. O.(Anm. 46),S. 3.