ミツバチ科学23(2)一75-84 HoneybeeScience(2002)
フ ィ リピンでの協力隊活動 か ら
私 は1999年 4月に,青年海外協力隊員 と し て フィ リピンにおける養蜂技術の向上 と普及の ため派遣 され,その後約2
年半 の問,環地 の 人々と共 に活動 させて もらうことがで きた.そ の経験 を この場 をお借 りして報告 したい. 青 年 海外協 力 隊 は外務 省 一国際協 力事 業 団 (JICA)内のボランテ ィア派遣 プロジェク トで あり,2年間の任期中に専門分野の技術支援, 人材育成のはかEg際交流 などを行 な うものであ る. その コンセプ トは一言でいえば 「住民の立 場 に立 った草の根的活動」 といえるだろう. フ ィ リピンの養蜂 につ いて はす で にCervancia (1997) の包括的な報告があるが, ここでは現 地養蜂家 と共 に仕事を した経験を もとに して, これ とは違 った視点か らフィ リピンの養蜂 にも 触れ るつ もりである. 任地での生活 協力隊鼻 は基本的 に研究機関や政府機関 (国 レベルか ら村 まで さまざ ま) な どに配属 にな り,そこを拠点 に して2年 間の活動 を行 な う. 私が配属 になったのはル ソン島 (図 1) の ラウ ニオ ン州 にある州立 ドン ・マ リアノ ・マル コス 記念大学 の養蜂研修 セ ンター (図2,3)であ っ た. しか し大学 と言 って も,外線電話 は1つ し かな く,停電 ・断水 もしょっち ゅうとい う日本原野 健一
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バク ノー タ ン バ ギ オ { ご 、し■1こ、
サン.フエルナン ド : /一日 媚 .. jrvT A.: ∇ フィリピン全土㌔ll マニラ tも SlTヽ ∩ 図1 ルソン島北部の地図 図 2 配属先であるドン・マリアノ ・マルコス記念 大学養蜂研修センターのスタッフたち 奥に座っているのがディレクターのDr.Silo. ではあ りえない状況であ る.赴任 そ うそ う台風 r ∼ が上陸 したため,大学へ電力 を供給 している送 電線か何かが壊れて,大学全体が (キ ャンパ ス の中にあった私 の家 ももちろん)1か月以上停 電 になった こともある.何 日た って も復 旧 しな いので,職場の同僚 にいっになった ら直 るのか と聞 いた ところ,
「大学 に予算がな くて直せな 図3 広大で緑の多い ドン・マリアノ ・マルコス記 念大学のキャンパス 養蜂研修セプターはここから2kmはど離れた 丘の上にあるがまだ敷地内である.7Ll. 図 4 州都サン・フェルナンドの郊外にて 7k道はあるが水を大量に使う洗濯などは井戸水 を使うことが多い. いか ら, いっ復 旧す るか はわか らない.JICA 事 務 所 か ら修 理 費 を も らって きて くれ な い か
?
」 と,言葉がで きればすか さず突 っ込みを いれたいような回答を もらった.電気 はその う ちに回復 したが, とにか く, そ ういったところ になれていない私 は, まず暮 らす ことだけで一 苦労だ った.普段 は学食で食事 を作 って もらっ て三食食べていたが,土 日は閉 まって しまう. そのため私 は土 日だけ自炊 を していた. は じめ の うちは水が出るタイ ミングが分か らず (そ こ で は一 日数時間 しか水が出なか った), いっ も 食事 を作 りそびれた.外で は食べ るところもな か ったので,そ うい う時 は食事 を抜 いて いた ら, あ る 日倒 れて病 院 に担 ぎ込 まれて しま っ た.体内のカ リウムが足 りな くなっていた らし く, もっとバナナをた くさん食べなさいといわ れた りした. なれて くると病気 もしな くな り, かな り快適 に過 ごす ことがで きるようになって きたが,それはまだ先 の話 である. 私 の任地だ ったルソン島西海岸 にあるラウニ オ ン州の平野部 では,人 々の生活 はた しかにそ の 日暮 しの感があったが,食べ る物 もないほど 貧乏 な暮 らしを している人 もここにはいなか っ た (図 4,5).7時間かか るとはいえマニラに続 く舗装 された国道 (図 6)が走 っていることや, 夏 になると国会が移動 して くるため夏の首都 と 言われ る高原の都市バギオ市が近 いこと,海 と 山に囲 まれ 自然か らの豊富 な恵みを受 けている ということで,他の州 よ り経済的に有利であっ たのか もしれない.教育 レベル も比較的高か っ 図5 市場の魚売場 海が近いので新鮮な魚介頓が豊富. たのではないか と思 う. どの人 も少 な くとも義 務教 育 の11年 間 は学校 に通 って いた よ うだ し, とにか く英語 をよ く話 す. 英語 はフィリピンの公用語であ り,だいたい どこで も日常的に使 われている.公文書 はもち ろん英語だが学校の授業 も英語で行 なわれ るこ とが しば しばあり,テ レビのCM で も英語の も のがあるくらいだ. 私が業務上っ きあっていた大学の職員や,秦 蜂家 はラウニオ ン州の中で も中の上 くらいに位 置す る人々だ. フィリピンではた くさんの養蜂 家 に出会 ったが,非常 に貧乏 な暮 らしを してい る人 はいなか った. これは養蜂の収入で生活が 改善 されたか らではな く, ある程度資金か学歴 がないと養蜂がは じめ られないか らである. 私 の配属先 は1991年 に, 養蜂 による村落開 発をすすめるために設立 された. フィ リピンで ∼ ]J 図 6 任地ラウニオン州バクノータンの中心街 右手に市場があり,町を貫 く国道はマニラに通 じている.は大学が一般市民 に対 して普及活動 をす るのは 珍 しいことではない.職員 は設立時には じめて 養蜂をは じめたのだが, 私が赴任 した時 には9 年 目とい うことで100群 を こえ るセイ ヨウ ミ ツバチ コロニーを飼養 してお り (トウヨウ ミツ パテは飼 っていなか った),一通 りの作業 はで きていた.私 はといえば,蜂 との付 き合 いは大 学3年 の時か ら数えてた ったの 3年で,しか も 経済的な利潤を目的 と した養蜂 に関 しては素人 に毛が生えた程度だ った といってよい.そ うい った状況で不安がなか ったわけではないが, い っ しょに作業 した り話 を聞いた りしていると, 自分 の力で もなにか貢献 で きるものがあるよう な気が して きた.
蜂ろう石鹸づ くり
最初 に本格的 にとりかか ったのが,蜂 ろうと ハチ ミツを利用 した石鹸作 りだ った.赴任 して 4ヶ月 くらいは, どうにか配属先の養蜂の技術 レベルを向上 させようとさまざまなアプローチ を してみたが, どれ もうま くいかなか った.私 の経験不足のため,適切 な提案がで きていなか ったのか もしれない し, まだ配属先の人々に受 け入れ られていなか ったのか もしれない. とに か く,私 のいうことはほとんど聞 き流 されてま ともに相手 にされなか った. どうにか意味のあ るものを残 したいとい う思 いが,強いあせ りに 変わ って きた頃,思 いっいたのが養蜂生産物 を 利用 してなにかを作 るとい うアイデアだ った. 養蜂技術の改善 は,私が もっと配属先の人達 と 良好 な関係を築 いてか らの方が うま くい くので はないか.それまではなにか別の事 を して,時 間を稼 げばいい. まず,-チ ミツとプロポ リスを使 ってエタノ ールをベースに した ロー シ ョンをっ くってみ た.手近 にある物でなにかで きないか と,寒天 を買 って きて肌 に塗 るための ジェルのような も の もっ くった. これは見た目はジェル らしくな り,海草 なので肌 に もよいのだろうが 自分だ っ た ら買 わな いな と思 った. そ して カ ビが生 え た. よ くみ るとそれは寒天培地 に似ているのだ った. こういった経過を経て,石鹸作 りに専念す る よ うになっていった.石鹸の作 り方 は意外 と簡 単で,基本的には油脂 と水酸化 ナ トリウムや水 酸化 カ リウムなどの アル カ リを混 ぜればで き る. それに蜂 ろうを入れればB]さが増 し, きれ いな琉王白色 になる.匂 い付 けにハチ ミツを加 え て もいい. どうや ってアルカ リを手 に入れ るか が問題だ ったが,バナナの葉 を燃や した灰 にこ のよ うな物質が多 く含 まれてお り, これで石鹸 がで きるという.バナナは, とくにフィリピン の田舎では, どの家の庭 にも生 えている. これ こそ フ ィ リピンにふ さわ しい石 鹸作成法 で あ る !と確信 し, は じめての石鹸作 りにとりかか った. ところが,で きたのは灰色でどろどろべ たべたと中途半端 に固 まった,石鹸 とは程遠 い ものであ った. それを見た配属先の秘書の人に 「ケ ン,私 はそんな石鹸は使 いた くないわ!」と いわれたが,私だ って使 いた くない. しかたが ないので,で きるだけ他 の職員 に見 られないよ う,そ っとごみ箱 に捨てた. バナナの葉 を使 った方法で も, うま くや ると 固形 の石鹸がで きるそ うだ.だが, この石鹸は 今 日本で使われている物 ほど固 くな く,匂 いも よ くない.それではだめなのだ. フィ リピンで は電気 も来ていないよ うな田舎に行 って も,私 たちが使 っているような質のよい石鹸が安 く手 に入 る. アメ リカなど外Egの資本 と技術で作 っ た ものだ.それ以上の もの, またはなにか付加 価値 のあるものを作れな くては話 にな らない. 石鹸作 りは軸 となる活動が決 まった後 も,サ イ ドワークとして帰国間際まで続 けた.固い石 鹸 は実験用の水酸化 ナ トリウムを使 うと作 るこ とがで きた.その後,各種のエ ッセ ンシャルオ イルを混ぜ るなど して安価で質のよい石鹸を目 指 したが,残念なが ら完成 させ ることはで きな か った.試作品を使 って くれた人の中には, こ の石鹸を気 に入 って くれ る人 もいたが, ス-/ヾ -で売 っているもの と競争で きるほどの商品に なるとは思えなか った.油脂の質が悪か ったの ではないか と思 うが, それに気づいた時には本 来の業務が忙 しくな ってお り,石鹸作 りにかけ る時間がなか った.78
プロポ リス
石鹸を作 っているあいだ にプ ロポ リスを採集 し,抽 出す ることも試 みた. プ ロポ リス石鹸を 作 ろ うと考 えたか らで もあ ったが,配属先が流 蜜期以外でで きる新 しい生産物 を欲 しが ってい たか らだ.配属先 はは じめ ローヤルゼ リーを考 えていたよ うだが,採蜜が終 わ って弱 って いる 群で ローヤルゼ リー生産 をす るのは難 しそ うだ った し,冷蔵施設が不十分 な フィ リピンで はロ ーヤルゼ リーはあま り向か ないよ うに思 い, プ ロポ リス生産 の提案 を してみたのである. は じ めは, タブ レッ トやカプセル入 りの ものの指導 を期待 されて困 ったが, エ タノール抽 出だけで 我慢 して もらうことに した. 始 めて み て わか ったの は,私 の いた地 方 で は,蜂 はプ ロポ リスをあま り集 めないとい うこ とだ. 日本で は春先,巣箱 のふ たの隙間 にプロ ポ リスがか な り付 け られ て い るのが み られ る が, フィ リピンで はそのよ うな例 に出会 うこと はなか った.雨期が始 ま り本格的 に雨が降 り出 す7・8月 をのぞ いて, プ ロポ リスはほ とん ど ないとい ってよい状態だ. そのためか,細か い 網 をっか ったプ ロポ リス トラップでの採集 は う ま くいかなか った.1年 目はそのよ うな経験 か ら, フィ リピンではプ ロポ リスを量産す るのは 難 しい と思 っていたのだが, 次 の年, 職員の1 人が私 のためにと拳大 もあ る原塊 を もって きて くれた.何群か内検 したっ いでに取 って きたの だ とい う. うま くすれば この くらいは取れ ると い うことだ. フィ リピンのプ ロポ リスが どの植物 を起源 に しているのか は知 らないが, わた しのみたか ぎ り3種類 はあるよ うだ った. 1つ は緑 がか って いてあまりべたっかず, 香 りが強 い.2
つ 目は 茶色 でかな り粘 りけがあ り,匂 いはほとん ど し ない. もう 1つ は同 じよ うな茶色だが,やや粒 状 で粘 りも匂 い も少 ない. これ らを抽 出す ると 薄 い茶色 の抽 出液が取れ る.色 も匂 い も日本 で 見 る もの と違 い,抽 出を失敗 したのか と思 った が, フィ リピンで見 た もの はみん な この タイプ だ った. プ ロポ リス製品か ら多 くの収入 を得 るとい う ことは,今 の ところフィ リピンで はで きそ うも な い. ローヤ ルゼ リーに しろプ ロポ リス に し ろ,一般 の人 には全 く知 られて いない し,生産 者 もほとん どいないとい っていい. しか し,健 康 ブームはここに も押 し寄 せてお り, とくに上 流階級層の人 々は健康 を気 にか けているので, 今後,-チ ミツの副産物 と しての位置付 けで次 第 に生産 されて くる可能性 はあ る. ラウニオン養蜂家協会 (LUIiAI
)
石鹸作 りやプ ロポ リスの加工 など実験室 内で の仕事 はたの しか ったが, それで も実際 に蜂 を 扱 う活動 を したい とい う気持 ちはいっ もどこか にあ った. そんな時 に,配属先 のデ ィレクター か ら地元 の養蜂協会 の様子 を見て くるよ うに頼 まれ た. ラ ウニ オ ン養 蜂 家 協 会_(LaUnion BeekeepersAssociationlnc.;以下LUBAI) は3年 ほ ど前 に配属 先 で養蜂 の トレーニ ング を受 けた人達 が結成 した組織 であ る.配属先 の 養蜂 トレーニ ングは,年 に3-4回行 なわれ る が,期間 はまちまちで1週 間 くらいの ものか ら 最長 で1年間の ものまで ある. 1年 の トレーニ ングで は,毎 日講習があ るわけで はな く,初 め の数 週 間 の集 中講習 を終 え る と蜂群 をわ た さ れ,職員が月 に1度 ほど研修生 を訪 問 して ア ド ゲ ァイスをす るとい う形 にな っている.私が訪 問す ることにな ったLUBAIもこの1年間の コ ースを修了 していた. 配属先 か らは,LUBAIの現状 を報告 して く れればいいといわれて いたので, そのつ もりで メ ンバ ーの家 を巡回 してい った (図 7).養蜂 を 図7 ラウニオ ン養蜂家協会 (LUBAI) の会長 と一 緒にコロニーの内検始めて3年 目に しては,あまりよい状況ではな か った.3枚群 くらいの小 さな コロニーが多 く, ミツパテへギイタダニの被害 も目立 った. なん とかできないか と考えなが ら巡回を してい たのだが,ある養蜂家の家で蜂を見 させて もら って いるところへ, もう一人 の男がや って き た. この人 もLUBAIのメ ンバーで 1年前か ら 養蜂を始め,近所に住んでいるという.蜂を見 終わ りコー ヒーなど飲んで話を していると,彼 が とつぜん ヨーロッパ腐姐病の薬を教えて くれ と言 い出 した. 自分の養蜂場で ヨーロッパ腐岨 病がでているというのだ.時間があったのでそ の足で彼の家に行 くと,巣房の中に白 く固まっ た幼虫がいた. ヨーロッパ腐岨病ではな くチ ョ ーク病である. この群 は蜂の数か らいうと実質 3枚群 なのだか,2枚 も巣礎が入れ られていた ので蜂が分散 して,幼虫が育っのに十分な温度 が保たれていなか ったために羅病 したのだと思 えた.だか ら彼にはコロニー内の温度調節の し くみか ら始めて,チ ョーク病の対策 ・予防法 ま でをはな した.言葉 も不慣れなため,長 い話 に な って しまいかなりわか りづ らか ったと思 うの だが,なにか思 い当たるふ しで もあったのか, うなず きなが ら聞いていた.そ して最後に 「お まえの言 っていることは正 しいか もしれない
,
」
といった. とて もうれ しか った. これが半年以 上活動 していて始めての,私の意見を肯定する 言葉だ ったか らだ.それか ら彼 は話 し出 した. 「大学 は トレーニ ングはす るが,それが終わ っ た らなにもして くれない.何度 も見に来て くれ と頼みに行 ったが,彼 らは1度 も来て くれなか った.机の前 に座 ってああ しろこうしろという だ け.一 目見ればわか るって もの もあ るだ ろ う.おまえがす ぐにこれは違 う病気だとわか っ たみたいに. このままではこの辺 りの養蜂家 は みんな失敗 して しまう.今年 は数千ペソの収入 があったが,同 じくらいの金を蜂に使 った. こ れではや っていけない.つ ぎの年 もそうだ った らおれは養蜂 をやめな くて はな らない.
」聞 き なが ら, この人達 は今 自分 を必要 としているの ではないか, ここでな ら自分の力を活かせるの ではないか と感 じていた. いっで も遊びに来て 図8 ラウニオン養蜂家協会のメンバーの家をたず ねる.彼は養蜂の他,豚,ティラピア (淡水魚) を飼っていた. くれていいと言われていたので,次の日か ら毎 日LUBAIのメンバーの家 に行 って話を聞 きき つつ,蜂の管理で注意すべ きことを 1人 1人説 明 していくことに した. LUBAIの会員 は皆 20代半ばか ら40代の男 性である.他の地方では女性の養蜂家 もいるが, LUBAIにはいない. 職業 はさまざまで, 農業 や雑貨屋の経営,ホテルの従業員,看板書 きな どで,そのかたわ ら蜂を飼 っている(図 8).フィ リピン全土で も専業養蜂家 は少な く,なにか他 の職業を持 っていることがおおい.セイヨウミ ツバチの養蜂は投資が多 く,大規模 に飼 うと リ スクが大 きくなるので,あまり多 くの群を持て ないのだ.LUBAIではその当時, 多 くて大小 含 め15群,他の地域ではまれに数百群を持っ 養蜂家がいるが,一般的にはこの くらいである. 巡回はかなりうま くすすんだ.養蜂家 ともだ んだん仲良 くなってきた し,蜂についての話を して も反応がよ く,通 じているという実感を得 ることができた.配属先ではあれほど悩んだ自 分 の居場所が, ここではあっさり見つかった感 じだ った. それか らはLUBAIの技術支援を活 動 の軸 にすることに し,配属先か らも (しぶ し ぶだったが)承諾を得た.その代わ り適時報告 を して,現状を知 らせるということになった. ある日,LUBAIの会長 とコー ヒーを飲んで いると,最初 は会員が20人 くらいいたという 話 になった. しか し,その時点で私が知 ってい た会員は7人 しかいなか った.あとの会員の蜂 群 はすでに全滅 していて,残 った人達の群数 も80 -時 に くらべて減 って きているという.洪水で 蜂群が流 されたり
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潤蜜期 にお金がな くて給餌 用の砂糖が買えなか った りと原因 はさまざまだ った. その中で も, ミソバチへギイタダニの被 害 と女王蜂生産 は,配属先 の大学で も悩んでい る問題で もあ り,かな り大 きな割合 を占めてい るよ うにみえた.他の地方 の養蜂家の話 を聞い てみて も,だいたい問題 は似通 ってお り, しか も同 じよ うな順序で問題点が推移 していること に気が付 いた.普通,始めて 1年 目はそれなり にうま く行 く.女王峰 も若 い し, ミツバチへギ イタダニは元の持 ち主が防除 しているのでまだ 出て こないか らだ. しか し, 2年 目になると ミ ツバチヘギイタダニ も増 えて きて,被害が出る よ うになる. これをどうにか乗 り越え ると,吹 は女王蜂の産卵が悪 くなった り,死んだ りとい った問題が出て くるのだ. ミツパテへギイタダ二 LUBAIで は ミツバ チへギイタダニの防除 は 急務で,人 によっては全 コロニーの半分 ほどに ちぢれ羽が見 られ るなど,末期的な症状を示 し て い る もの も少 な くなか った. フ ィ リピンで は, ミツバチへギイタダニ防除 には主 にア ビス タンを使 う. ただ, この殺 ダニ剤 はアメ リカや カナダか ら輸入 している物 なので高価で, しか もいっで も手 に入 るわけで はなか った.そのた め LUBAIの メ ンバ ー は防 除法 を知 って いて ち,十分な防除がで きなか ったのだ. このよ う な状況なので, ア ビスタンの再使用 も日常的だ った. 私が見た最悪のケースでは,3年前 か ら 使 っているア ビスタンを効果が薄れているか ら といって単箱 に5枚入れていた (使用法通 りで は2枚). そのころ配属先では, 高価で入手困 難 なア ビスタンに替わ って,手 に入 りやすいギ 酸 を使 って防除 しよ うとい う試 みが されて い た. これ は数年前 に来 て いたBoeking氏 が配 属先 に導入 した方 法で あ り,巣板1枚 につ き 60%のギ酸2mlを トップバ ーに載 せた新 聞紙 にか けるとい う処理 を3-4日お きに 3-4回 行 な う. ア ビスタンより手 間がかか って, いっ 処理す るべ きかが難 しいが,方法が確立 されれ 図 9 アビスタンに代わって導入さjlた殺ダニ剤マ ーベリック ばフィ リピンに合 った技術 であるように思 う. 一時 は日本か らア ビスタンを取 り寄せようか と も考えたが,玉川大学 の ミツバチ科学研究施設 に問い合わせると,中国製 でア ビスタンと同 じ 成分のマーベ リック (フィ リピンではマ ンプー と呼ぶ人 もいる)を紹介 して くれt;(図 9).さ っそ く配属先 にこの ことを知 らせ ると, マニラ でマーベ リックの小売業者 を見っけて,そ こか ら取 り寄せた ものを養蜂家 に供給す ることにな った. この と きは1枚 45ペ ソ (1ペ ソ ≒2.5 円) とア ビスタンの半額で安 くはあったが,原 価3-5ペ ソのはずの ものがなぜそんな値段 に なるのか理解で きなか った. このマーベ リック を使 っている養蜂家 はフィ リピンの他の地域 に もい るのだが, そ こで はさ らに高 くな って50-70
ペソで取引 されている. マーベ リックを導入す ると,LUBAIの ミツ バチへギイタダニ被害 もど うにか沈静化 して き た. 女 王蜂 生 産 私がLUBAIとの活動 の中で最 も力を入 れた ことの一つが,女王蜂生産 だ.冬がないここフ ィ リピンで は,女王 は 1年 中産 卵 を続 け るた め,年 に1度女王蜂を交換 す ることが強群 を維 持 す るの に不可 欠 で あ る とお もわれ る. しか し, フィ リピンではどの地域 に行 って も女王蜂 は不足 していて,高価であ る.1匹の女王の値 段が,単純労働者の賃金の約2日分であ り,10 群以上飼養 している養蜂家 などはこれに使 う費 用がかな りの負担 にな っている.配属先の大学図10蜂を食べるというピリックビリックと呼ばれ る鳥 養蜂家が空気銃で撃ち落とすこともある. は女王蜂を生産 しているが,私が赴任 した時に はあまりうま くいってはいなか った.一つは質 の問題で,せ っか く養成 した女王 もす ぐに産卵 が悪 くな った り,死 んで しま った りす るとい う.体 サイズ も小 さい ものが多 いよ うな気が し た.もう一つ は,交尾成功率が低 く,5割か ら 6 割 しか交尾飛行か ら帰 って こないことだ った. 大学の職員 も養蜂家 も, これは交尾飛行中の女 王が鳥 に捕食 されるか らだ と考えていた.蜂 を 食べ る鳥 は, アマツバメの仲間のフィ リピンス ィフ トや, ピリック ビリック (図10), ピリウ ピリウと呼ばれ るものが いる.確かに雨期の初 め頃になると, こうした鳥が養蜂場の上 を盛ん に飛んでいるのが見 られた. LUBAIで も前年 か ら自分 たちで女王蜂 を作 っていたのだが,わずかな数の小 さな女王 しか で きなか ったようだ.それで足 りない分 は大学 か ら買 っていたが, 2年 目3年 目とい う女王 も まだ使われていた. このよ うに,女王蜂生産の 技術改善 はLUBAIの念願だ ったわけだが, 配 属先でのや り方 をLUBAIのよ うな村 の養蜂家 にそのままや らせ るのは,少 し無理があるよ う な気が した.配属先 で は基本的 にDoolittle法 をお こな っていたが, い くつ もの群か ら集 めて きた有蓋蜂児巣板 だ けで2段群 の養成群 をつ くり,一つの養成群 に100個近 い王台を養成 さ せ るなど,小規模養蜂家 には向かないところが 多か ったか らだ. とくに, これだけの数 の王台 を 1度 に養成す るとい うのは誰がや るにせよ, よ くないのではないか と思われた. い くら育児 81 蜂が多 くて も,与え られ るローヤルゼ リーの量 には限 りがあるわけだか ら,それぞれの王台に 十分 にいきわた らない恐れがある.十分 な餌を もらえないで育 った女王 は小 さ くて産卵が悪 く て もおか しくはないだろ う. しか もそれだけの 数 の交尾箱 を一度 に用意 するのはたい-んだ, この事 は早 くか ら配属先 に言 っていたのだが, 先 に も書 いたよ うにその頃の私 の発言 はまるで 信用 されていなか ったのである. LUBAIの ミーティングでは,1)大 きく生産 力の高 い女王を2) 更新 に必要 な数 だけ生産す る, ことを目標 にす るときまった.そのために 王台 は一つの養成群 につ き15個 まで と した. そ して, 1度移虫 した幼虫を次の 日取 り除 いて 再移虫す る2回移 虫法 を試 してみ ることに し た (図 11). こうす ることによって,発生初期 か ら豊富 なローヤルゼ リーを供給す ることがで き,立派な女王を作 ることがで きる, と教科書 には書 いてある. まずは質の向上を目指 そ うと いうことだ った.交尾率が低 いのか鳥のせいな らどうしよ うもないか らだ. 途中受付 けが悪か った り,見逃 した変成王台 か ら先 に羽化 した処女王 に養成 していた王台を 全部壊 された りと失敗 はた くさんあったが,紘 果 はまずまずだ った (図12).第- に, ある程 度大 きな女王が生 まれて きたこと. その後の観 察では1年間 は産卵力を維持 しつづけた.そ し て予想外 だ ったが,交尾 率 が よ くな った こと だ.前年 の 20-40%か ら70-80%にな り,す 図11 新女王蜂養成のための移虫 もともとは細筆を用いていたが,2回移虫をしや すくするため日本式の移虫針を自分たちで作り, 使い始めた.
図12 王台を収穫 枠を持っている人もれっきとしたフィリピン人 LUBAIのメンバー.フィリピンでは様々な人種 が入り乱れている. べてで はなか ったがかな りの旧女王 を更新 させ ることがで きた.生産数 は約2倍 になった.秦 成す る女王の数 を減 らしたので,一度 に交尾飛 行 に飛ぶ処女王の数 も減 り,十分 なオス蜂が確 保で きたか らか もしれない し,長 い交尾飛行 に 耐え うる強健 な処女王を養成で きたか らか もし れない. とにか く鳥の影響 は言 われているはど ないよ うだ った. ハチ ミツ生産 このよ うに ミツバチへギイタダニを防除 し, 質のよい女王を得 られ るよ うになると, 自然 に -チ ミツの生産量 も増 えて きた. 私 の いた地域 で は 1年 に2回採蜜 で きる シ ーズ ンがある. 大学やLUBAIがある海岸 に近 い低地ではフィ リピンの夏 に当たる3・4月 に マホガニーやアカシア,Narraと呼ばれ る木の 国 13 高地でのハチミツ生産 (ヌエバエシ7州) 主な蜜源は野生のヒマワリで,低地の流蜜とは 比べものにならないくらいの太い流蜜がある. 流蜜があるが, その前 の11月か ら1月 まで高 地では野生 の ヒマワ リが大量 に咲 き, こち らの はうがよ り多 く収穫で きる.そのためにLUBAI で は10月の終わ りにコロニーを高地へ移動 さ せ る.2時間 も行 けばバギオ市 とい う街の周 り によいサイ トがあるのだが, そこには養蜂家が 100人以上 い るため LUBAIで はわざわざ 5-6時 間かか るヌエバ ェ シア州 まで運 んで い る (図13).そこに会長の親戚が住んでいて,蜂を 置 くスペースを確保 しやす いとい うことも大 き いよ うだ. そ こでの採蜜 で 1群 あた り平均28 kgの収穫があった (図14).これは前年度 とく らべて25%増で,一人 あた りの収穫量 は,やや 過剰評価ではあるが,倍増 (73- 147kg) とい う結果 とな った. LUBAIで は自分 たちのハチ ミツを一般 の店 には卸 してお らず, 自宅で直接販売 した り,大 学の生協 に置かせて もらった りしているだけで あるが,売れ行 きはよ く,次の シーズ ンまでに すべて売 りきれ る. しか し, この年 はそれまで よ りだいぶ収穫が多か ったので,大学 に買 い取 って もらう養蜂家 もいて,一般市場への販路を 開拓す る必要性 を感 じた. 採蜜量が増加 したのはよいのだが, まだ未解 決の問題が残 っていた.高地での採蜜が終わる と異常 に蜂群が衰 えているのだ.採蜜の後群勢 が弱 るのは当た り前だ と思 われるか もしれない が,18枚群が5・6枚 まで落 ちこんで しまうの 貰 鯵 -ATry 包 14 ヒマワリ蜜の採蜜 ヒマワリの蜜は淡い黄色ではどよい香りがする. 低地でとれる褐色の-チ ミツとは味も見た目も 大きく異なる.
を見 ると異常 だ と しか思 えない.配属先 の職員 の意見 を聞 いてみ ると, これ も鳥が外勤蜂 を食 べて しま うか らだ とい う.確か に鳥 は多 いが, あれだ けの大群 が食べ尽 くされ るとは思 いづ ら い. その はか ミツバチへギイ タダニによるとい う説,蜜圏が蜂児圏を圧迫 して十分 に働 き蜂が 供給 されないか らとす る説 など原因 につ いては さまざまな説 があ った.始 めはダニによるもの で はないか と疑 っていたが, きちん と防除 した あ とも,多少改善 はあ った ものの決定的な変化 はなか った,観察 してみ ると,確か に蜂児圏が 蜜圏 に押 され るよ うにどん どん小 さ くな ってい く.直接 的な原因 は ここにあるよ うだ った. こ まめに巣板 を入 れ替 えた りで きれば改善で きる のか も しれないが,車 で5・6時間 の ところな ので, しょっち ゅう来 るわ けに も行 か な いの だ.LUBAIだ けで はな くヒマ ワ リの蜜 を とっ て いる他 の養蜂家 の中に も同 じ悩 みを抱 えて い る人がい る. 高地 の流蜜 の後 は,低地でハ チ ミツ生産が あ り, その後 に女王蜂生産 が くる. そのため この 蜂減 りはすべての養蜂活動 に支障を きた してい る大 問題 なの だ. これ を解 決 で きれ ば また1 歩, フィ リピンの養蜂が進歩す るのであるが. 養蜂の普及 こうや ってひ とりひ とりの技術 は向上 し,収 入 も着 実 に増 えて きて いた に もかか わ らず, LUBAIの会 員 は増 えなか った.大学 よ りも農 村 の実状 をよ くわか って い る彼 らに,普及 の中 心的な役割 を果 た して もらいたい と私 は考 え る よ うにな って いたので, この事実 はち ょっと残 念 だ った. 養蜂家が増 えない 1番 の理 由は,初期投資が 大 きす ぎるとい うことだ ろ う.大学 やLUBAI で は 5枚群 が 3500ペ ソ (約 8500円)す る.大 卒初任給が 7000ペ ソといわれているか ら (配 属先 で働 いて いるア シス タン トは月給 4000ペ ソだ った) どの くらい高価 な ものかわか る. だ か らLUBAIをは じめ, いま蜂 を飼 っている人 はほとん ど,州や町 あるいは外国か らの補助 を 受 けて蜂群 を手 に入 れた人達 だ.だが,LUBAI 図15 ラウニオン養蜂家協会のメンバー 隣町でのプロジェク トが成功 し,会員が増えて いくことを願わずにはいられない. に も自分 で購入 して は じめた人が 1人 いる し, 隣のバギオ市 で は自分 のお金で研修 を受 け,蜂 群 を手 に している人達 もだいぶ いる. なん とい って も,蜂 にとってよい環境 にあ る ミンダナオ 島で は,5枚群 が 2000ペ ソだ とい う話 は希望 を持 たせて くれ る. この地域 で も養蜂が もっと 成功 して ポ ピュラーになれば値段 も下 が り,節 たには じめ る人 も増 えて くるので はないだ ろ う か. LUBAIが主体 とな って他 の住民 に養蜂 を教 え る日はまだ来 ないだろ うと思 っていた帰国間 際のある日,隣町で養蜂 プ ロジェク トが始 まる とい う話 を聞 いた (図15).中心 にな っている人 物 は,私が赴任 す る前 に蜂群 を失 って しまって いたLUBAIの元会員で, 現役の会員 たち と共 に村人 の指導 にあたるとい う.予算 は町か ら出 るが,す ぐにとい うわけにはいかず,私が い っ しょに活動す ることはで きな さそ うだ った. そ れで も,予期 しなか った ことで嬉 しい話 だ った. 再 び振 り出 しに戻 る しか し,活動 を終 えよ うと していた この頃, LUBAIの状 況 は嬉 しい話 ば か りで は なか っ た. まず,会長 が飼 って いた蜂群が スズメバチ に襲 われて半分が死滅 して しまった ことだ. フ ィ リピンにはオオスズメバチは生息 していない ので,群勢 を強 く保 っておけばスズメバチはた い した害虫で はないのだが,女王蜂生産 の とき の交尾群 と分割 した小群 を ことごと く襲 われて しまったのだ.彼 は もとか ら弱 い交尾群 を作 る
84 傾向があ り,前年度 も盗蜂 のために新女王 を何 匹 も失 っていた.そ して,最 も多 くの群 を持 っ て いた メ ンバ ーが本業 の雑 貨屋 で大損失 を出 し, それを うめるためほとんどの群 を売 って し まった. これでLUBAIの合計群数 は私が赴任 してきた時よりも落 ちこんだ.その上, また ミ ツバチ-ギイタダニの被害が出て きていた.前 述 したよ うに,一度 はマーベ リックの使用で防 除で きたのだが,ギ酸処理 で十分だ ということ で大学 はマ-ベ リックを売 るのをやめて しまっ た.養蜂家達 はその間ギ酸処理を行 なっていた が,大学側が薦 める量 よ りも少 ない量 しか使わ なか った.彼等 はそれで十分効果があるといっ ていたが, それは単 にダニの繁殖速度 を落 とし ただけに過 ぎなか ったのだろう. この頃にな っ て急 にダニの密度が上が りは じめていた. まるで私が赴任 した当初 に逆戻 りしたようだ った.果た して この2年間の うちにどれだけ貢 献で きたのか,悩 まざるを得ない.協力隊員が よ くいうよ うに,種をまいて きたと考えればよ いのだろ うか.それが花 をっ けたとして,種を まいたのが 自分だといえ るだろうか. とはいえ, これだけの活動がで きたのはた く さんの人達の支えがあったか らだ とい うことは 間違 いない.赴任前か ら帰Eg後 まで親身 にな っ てサポー トして くださった玉川大学 ミツバチ科 学研究施設 の方 々,女王蜂生産 に関 して重要 な ア ドヴァイスをいただいた天然園の藤原瑞永 さ ん,私 を フ ィ リピ ンに送 って くれ たJI CA-JOCV事務局の方 々, そ して私 に養蜂を教えて くれ,温か く見守 って くれたフィ リピンの人達 に心か ら感謝 したい. (〒183-8509府 中市幸 町3-5-8 東京農工 大学農学部獣 医学科) 引用文献 Cel・vanCia,C.R 1997 ミツ-チ科学 18(i).29-35
KEN-ICm HARANO.Volunteerworksin beekee p-ing in thePhilippines.HoneybeeScience (2002) 23(2):75-84.Lab.ofEthology,°ept.ofVet.&
Med.,Tokyo Univ ofAgri& Tech.,Fuchu, TokyO,183-8509Japan.
IrepoltaboutmyexperienceofJapallOver -seasCoopelation VolunteelSin thePhilipplneS asbeekeeplnglnStruCtOrfrom 1999to2001My recipientagency was ApICultura!Tlalnlng & DevelopmentCenter of Don Mariano Marcos Mem01-ialStateUniversity inLaUnion,no】-t h-em Luzon.Imaillly worked on extension for localbeekeepersespecially witllLaUnionB
ee-keepersAssociationInc.,whofinishedone-year training ln theuniversity 3yearsago.Weac -complished toimplOVethetechniqueofqueen
rearing and Varroa mite control.Asa result,
theirharvestofllOneyincreased 25% perhive.
Just before the end of my assignment they started extension beekeeping to thepeopleof nexttownbythemselvesthoughtheyhadbeen suffered from some p1-0blems with their beekeepingagain.