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アンダースン地代論の研究

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アンダースン地代論の研究

安 達 新 十 郎

 国民経済の発展は、その史的過程において国民経済的な農業問題を発生するが、その問題の解決のためには問題の基底

にある経済の現実に関する歴史的1一理論的な研究を必要とするであろう、しかも、また、その認識結果を価値判断を通じ

て政策関聯に編入することによって政策的要請を担うことを必然とするであろう。したがって英国における差益地代理論

の学説史的発展は、e英国国民経済の史的発展において 口推移する農業巨穀物法問題を媒介として ⇔著者の主体的.

思想的・理念的立場とその政策的要請との関聯において研究されなければならない。それはアンダースン←ウエス.ト・マ ルサス←リカードという発展をもつ英国差益地代理論そのものが英国国民経済の史的発展に従って発生.推移する農業11 穀物法問題に対する︵その改正・維持・反対等の︶政策的要求を基礎付けるための、即ち、その論理的支柱を確立するための

理論的考察の発展であったことの当然の帰結でもある。したがって以下にアンダースンの地代理論を老察する場合にも以

上の、19掴民経済の史的発展における 口穀物法問題の推移 国そのための理論的11地代論的研究 ㈲その主体的.思想

的.理念的立場と穀物法問題えの政策的要求等の観点より解明が加えられなければならないであろう。しかし、ここでは

いささか順序を変更して第一に彼の地代理論そのものの考察より始めることにする。   以下アンダースンの著作の原典に関しては、ブレンターノ︵ピεoゆ話馨き。︶編する下記独訳本を使用する。 冒ヨΦ。・﹀巳Φ誘。PU同鉱      アンダースン地代論の研究      一九

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アンダースン地代論の研究 二〇 ω。貯洋魯§曾図。ヨαq霧①什器口民O遷乱二項Pぴ①6け西︼c。89尚、同書は左.記の如き論文・言意を含むが同書よりの引用に関しては︵以下 のごとき略記号を用い︶唯、頁数のみを記入するにとどめる。 ︹H︺﹀’ ○げし。残差鉱。ロ。紙子①ζ$富○︷①×Ω江コσq⇔Gつ豆凱け。︷臣ゴ。昌昌一Hコ畠島#ざ国曲口げ島αQF一跨“.一ゆの茸gプεづσq口げ。﹁︵巳Φ]≦津梓9  N二﹁駈込≦ΦO屏=コσqQΦω09段Φω︶円4山コO口巴Φ︻︾同ぴ①霊.︵ぴ帥q自門沙O匡曲︹ぴ自閉閑︻δ猛獣6ケ叶山口鳩集Φ周0畦亀Φ層=昌帥q魁Φω諺。犀⑦畦げp=9缶飴5﹄①冨覧  OΦ≦¢﹃σΦω口昌ααΦ﹃男尻げ①﹃Φ一くO昌Gり6げ。洋冨コ穿︶一︶円9N①コ盆﹁ゆユ①︷ ︵目一コ①幻①一口①くO昌︸W﹃一ΦhOコ鋤口O一5Φ5同﹁Φロコα 胆①ω07﹃一①び①昌帥筥閣国ず円①︶  <。づ霜刈9︵︿。p富3雰﹀巳。目ω。P国ユぎげ二蹟﹂謡ご以下﹁IA﹂と略記する。 ︹H︺ ゆ, ソ﹃Oぴω07臥Φ州NロヨO﹁Φ凶NO津叶O直しu=①頃 ︵αq㊦σqΦコ︾ユ凶日のヨ詳,︶口﹃Φ﹁臼ΦZ鷺ξg嵩亀飢2国5州ぎ。り。っ亀①H国ONご帥島ごび壱感ヨ冨仁ごα﹁  らΦ⊆。巳臼Φ口囚。ヨσq①ω2NΦOHo。・。。げ葺食。5ユΦコ。。.以下﹁IB﹂と略記する。 ︹閏︺  >p国昌ρε曼ぎδけげ02p⊃再ロ﹁Φo︷叶7①Oo円コーい餌≦ω≦詳げ。<δ≦5ロ①≦OOヨーしd三ロδで○ωΦ匹︷o同GDooけ二p。ロα.国αヨげ二﹁σq﹃ 一刈“メ  一閏冒Φq冨陸白質07自ロσq口﹃①﹁匙5Z象口憎α角囚。﹁旨σQ霧象N①∋昇¢doH自亀畠ざ7きσqq富σq亀①。ワ国三≦に欺①ぎ霧國oHご㈹窃簿N①ω︷賦鰍Gつ。げ9こ。コ畠﹁  国匹巳げ自σq.霜翻.以下﹁五﹂と略記する。 ︹日︺  国ぎく臼σq眠目げ匹雪国ぢ出﹃。っ沼。。ユ9菊①昆①ニコ畠山①。・NΦプ三①pQ島野Φ頃σ﹃Φ匹臼囚。ヨ肩Φ一ωΦ︿国畔○ごコσq。。。。εロαgぎり帥目零を一︻け零げp。h♂  ツ㌶ε﹃σq①ωo露。ぴ再Φ︾因口昌しワ件①コ己コ黒目=σq①ヨ①巳①﹁↑一簿①﹃讐[︻﹁︿9日冒ヨ①。。︾コ匙qしり。コ.O臼Nを會8富QD臼﹁δ臼の叶臼しd鋤躍匙︵噛臨目h叶Φ﹁ ヒu山昌鎚︶Uob儀ob邑  茜or  U冨﹀げ訂ロら§σq。。θ⑦年讐hψき一一蕗。。▽以下﹁皿﹂と略記する。  以下、本論に入るに先立って、ここにアンダースンの略歴を記すれば、彼は一七三九年スコットランドのエデンバラー近辺の一村 顕震怒。・8コに生れ、化学・自然自学諸部門を研究しつつ小作として農場を経営したが、のちζ○自浄田︵﹀び①﹃血①①5ω,H脱ゆ︶に移り小作を しっっ、著作を始めた。一七八三年に離農してエデンバラー近辺に移住、著作に従事しベンタム︵旨ゆΦ暮冨∋︶と親交があ.つたが絶交 した。一七七七年ロンドン近郊に移住し新聞︵力Φ8ロユ。ロぎ﹀σQユ。巳ε﹃①︶を発行したが一八○八年十月十五日芝Φ・。マ¢。日︵国ωω窪︶で 六十九才で死亡した。 ︵ブレンターノ序文三−八頁︶  なお、彼の著作目録に関してはブレンターノの一覧表がある。︵序文六一八頁︶

彼の差益地代論はスミス﹁国富論﹂読了後の一七七七年の第一論文Bに、その起源と崩芽をもつ。彼はいう。

﹁各国には異なる肥沃度をもつ各種の土壌があり、したがって最も肥沃な土壌を耕作する小作人は肥沃でない土壌を耕作する小作人

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 よりも一層安価に彼の穀物を市場にもたらし得るというようになるに違いない。しかし、かかる肥沃な耕地に産する穀物が市場の需要.  を、それだけで満たすのに十分でないとすれば、かかる市場での価格は他の人に肥沃でない土壌の耕作費用を償うよう.な高さに自然と  引上げられるであろう。しかし肥沃な耕地を耕作する小作人は肥沃でない耕地を占有する小作人と同じ価格で、その穀物を市場で販売  し得るであろう。したがって彼は、その生産する穀物の内在価値以上を受取るであろう。したがって多くの人は肥沃な耕地を占有しよ  うという希望をもつであろうし、それを耕作する排他的特権に対して一定の割増金ε器ヨごヨ︶を喜んで支払うであろう。即ち、それ  は土壌の肥沃度の大小に従って大小があるであろう。かかる割増金は我々が現在、地代と呼ぶものであり︵それによって︶非常に異る肥  沃度の土壌の耕作費用を完全な均等に還元し得る手段である。L︵八六頁︶

 したがって穀物の市場価格と1耕地の肥沃度の差等の結果としての一差等ある耕作費用との差額が差益地代として

i市場価格11耕作費用の耕地︵け限界地︶以外の一編耕地に成立することとなる。かくして彼は各耕地の耕作費用に、

その差益地代を加えることによって差益地代が差等ある耕作費用を均等化する手段であるという。勿論、私経済的費用観

念としては確かにそうである。とすれば彼が、ここにいう穀物の﹁耕作費用﹂あるいは﹁内在価値﹂は如何なる内容をも

つものであろうか。彼は後者に関していう。    ﹁穀物は労働の一定の費消なくしては産出され得ない。もし、かかる支出を償うに足る価格を農業者が得なければ穀物は市場にもた  らされ得ない。穀物の産出に必要な、かかる労働に対する賃銀を私は穀物の内在価値と名付ける。﹂︵八五頁︶

 とすれば穀物の耕作費用・資本家小作の利澗・流動口固定資本の消耗価値等を彼が、どう考えているかが問題となるで

あろう。要論参考。また彼は以上の点で土壌の肥沃度の差等に基く差益地代を把握しているが市場位置の差等に基く差益

地代を見落しているであろうか。璽彼はいう。   各国には産出される主要な穀物の種類という点で相異があるが﹁肥沃度や位置等に関する種々の国の性格は、しばしば一国の穀物貿  易に関する、ある特別の規定を非常に有利にし、他国のそれを非常に不労にするであろう。したがって、かかる種類の貿易の調整のた  めに法律が起案されるときには各の特別の国の事情が注意されなければならない。﹂︵八四頁︶         ,       アンダースン地代論の研究      一二

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      アンダ;スン地代論の研究      二二

 即ち彼には位置という点での認識はあるが彼は、それを国内市場における愚作の市場位置として考察せずに穀物輸出奨

励金政策の観点より国際間の肥沃度と市場距離の差等、したがって国際間の耕作費用と運送費用との差等を考察するとい

うように国際間の穀物生産と貿易に問題を回避している。

 ところで以土の第一論文Bにおける彼の差益地代論の起源と萌芽は一七七七年の彼の第二論文では、どのように深化さ

れ開花して行くであろらか。第二論文では彼の地代理論は﹁小作に支払われる穀物の高価は地主の側における高い小作料

と所有欲ある取奪の結果であり、小作料を低下すれば小作人は穀物を消費者に一層安価に供給するであろう﹂という地主

に対する非難の検討と反論より出発する。︵一四三頁︶彼はいう。    ﹁しかし土地の小作料が、その生産物の価格を規定するのでなく生産物の価格が小作料を規定するのである。即ち、例え土地の小作  料が最も安い地方で生産物の価格が、しばしば最も高いとしても。このことは解明に値いする矛盾であるように見える。﹂ ︵一四三頁︶ とすれば、それは如何なる理由によるものであろうか。彼はいう。  ﹁今、最も肥沃でない土地の耕作費用が最も肥沃な耕地の耕作費用に均しいか、あるいは、それより大きい限り、その結果は必然的 に同量の穀物陛各耕地の牧穫が均しい価格で販売され得れば最も肥沃な土壌の耕作の利潤は他の耕地の耕作におけるよりも一層大きく なければならない。そして肥沃度が減少するに比例して牧穫が減少する限り終局的には最も悪い等級の土地の耕作費用は全野穫の価値 に均等するというようにならなければならない。﹂ ︵一四三−四頁︶  即ち0各耕地における︵農業技術の同一、したがって平均利潤を含む︶全耕作費用の同一 ω同一市場価格の支配を前提として 国土壌 の肥沃度の差等よりi差等ある牧卸量−差等ある全牧穫価格iその全耕作費用との差額としての差等ある利潤が形成される 四限界地 では全牧穫価格はその全耕作費用に均しい。したがって地代はない 国かくして限界地以外の超過差等利潤は地代に転化される。  したがって︵差益︶地代は穀物価格の構成部分でなく超過差等利潤であり限界地の全耕作費用︵あるいは最大費用︶が、 その牧穫の全価格︵あるいは市場価格︶に均等するという見解を表明している。かくして、限界地には︵差益︶地代は成立し

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な、いこととなる︵一四四頁︶。したがって、かかる限界地は無地代で小作によってか、あるいは、所有者の自作によってか

で耕作されなければならないであろう。また地主は、かかる限界地の小作人に地代を強要することは経済的に不可能であ

る。︵一四四頁︶彼はいう。   限界地以外の優良地の﹁所有者は、かかる小作料を受取るのに何等、困難を見出さないであろう。蓋し小作人は、かかる小作料を支  払うにせよ全く小作料を支払はずに耕地D︵11限界地︶におけると同様に、そのような土壌で生活し得ることを知っているから後者と同  様に前者を引受けるであろう。﹂︵一四四頁︶       ,

 即ち、小作料を支払うにせよ支払わないにせよ、小作人は唯、投下資本に対する平均利潤を確保すれば十分であるとい

うことになる。彼はいう。   人口の増加の結果、穀物の市場価格は上昇するが劣等地の耕作の結果、隈界地以外の各耕地の地代は上昇する。ところで今、地主が  工業を奨励するために穀価を引下げんとして各耕地の小作料を要求せず、あるいは低減するとしても穀物価格は下落せす、その結果は  土地所有者を犠牲として小作階級は富裕となり、消費者に少しも利益を与えす逆に小作人の勤勉も、そのために弛緩するであろう。   ︵一四四−五頁︶   また、ある政策によって穀物の価格が限界地の耕作費用以下に引下げられれば限界地の耕作放棄・優良地の小作料の低下・穀物生産  数量の減少を招来し、住民は、その食糧の不足分を外国に依存せざるを得なくなるであろう。︵一四五頁︶したがって    ﹁小作料は任意ではなく穀物の市場価格に依存し、しかも市場価格は、その側で再び穀物えの実際の需要やそれらが耕作される地方  における土壌の肥沃度に依存し、その結果、小作料の引下げのみで穀物が一層安価になるというような結果をもち得ないことは明白で  ある。﹂ ︵一四五−六頁︶  即ち、これが当初の地主非難に対する彼の反論である。かくして地代が穀価を規定するのでなく穀価が地代を規定する、

したがって差益地代は価格の構成部分でないということになる。       ・

  オソペンハイマー︵O署Φ弓9B興︶はアンダースン差益地代論の優先権には疑問があるとして以下のごとくいう。 ヒュームG帥く冠       アンダースン地代論の研究      二三

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アンダースン地代論の研究 二四 閏ロヨ①︶は彼と同時に詳しい論証をしないで決定的な見解を表明している。即ちヒュームは︵スミス国富論の最初の読了後、﹁七七六隼四丹 一日付の︶スミスに送った書簡中﹁私は農場の地代が生産物の価格の一部をなすとは考え得ない、その価格は全く、その数量と需要と によって決定されると考える﹂とのべている、しかしスミス自身かかる見解を表明しているが唯、一貫して、それを.固持しなかったに すぎなかったと。︿閃童言○薯Φロゲ二二費U仁。<戸口8費αoω○.民§島①三チのoHHρH一︾牢甘コPお培.ψ。。ひ.fbd自8戸ぼ︷①⇔巳Oo昌①。・℃o〒 傷①g①ohUロ≦匹誕ロヨρHH.℃■AcOひ.︵U①ωω窪.q葺①屋口。匡口口αq①口N貰O①。肛〇三〇窪①α興乞構一〇口巴。吋。昌。目一①・旨①コp■一。。c。一●ω﹄㎝︶﹄oプ昌菊器●い露① o︷﹀畠pヨω白詳げつ悼ひ’︵O置①簿国ω叶−霞ω8胃①α①。。一︶09二器。・国8口。巨ρ器。。.おN③.昭・謡1㎝hい︶﹀ とすれば合理的な穀価の引下げは如何にして可能であろうか。彼はいう。  ﹁しかし最初に最低の等級にあった耕地が、よい耕作によって改善され得、時とともに、より高い等級の耕地と同位になる限り市場 に不変性を、農業者に適当な奨励を与えるために適切な処置が採られれば自然に穀物の価格は漸次、前よりも一層下落するであろう。 他方小作料も、また上昇し得るであろう。かかる効果が繁栄する農業によってのみ達成され得る限り工業家のために穀物価格を引下げ 同時に土地所有者の牧入を改善するために役立ち得る唯一の手段は市場に不変性を、小作人に確実性を与えることであり、これは穀物 法の正しい制度によって非常に促進されるであろう。﹂ ︵一四六頁︶また  ﹁以上の考察より生ずる必然的な結論は、その国のある特別の地域でエ業が前よりも一層繁栄し、その結果、人口が増加し自然と栄 養食糧に対する一層大きな需要が生ずるであろうということである。しかし農業が、かかる技術における改良︵私は人が多年の閻に人間 に前よりも一層多くの生活手段を与える状態に一定の耕地をもたらすときの農業における、ある改良をいうが︶を促進するために適当に奨励されな ければ穀物の市場価格が非常に高くなり、その結果、肥沃でない耕地︵あるいは等級Gの耕地11新劣等地︶の耕作費用が支払われ、それで 増加する需要が満たされ得るという必然性が加わる。﹂ ︵一四六頁︶他に  ﹁永続的な支援が農業を保証する方策を採用すれば小作人は漸次その耕地を前よりも一層肥沃にし、その結果︵最下位の等級の耕地も 時とともに最上位の等級にまで上昇するであろうし︶産出された穀物量は全住民を養うのに完全に十分であろうし、なお一.層少い費用で、そ うするで.あろう。したがって小作人は、また同時に前よりも一層高い小作料を支払い、その生産物を一層安い価格で販売しなければな らないにせよ︵以前と︶同じ程度の利潤を受取り得る。 このようにして人は賢明な方策の採用によって工業も農業も支援され得るとい うことを知るのである。小作人は一層、富裕且独立となり、穀物価格は下落し、同時に小作料は上昇し得る。﹂ ︵︸四六−七頁︶

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 したがって以上の点において

 一、土壌の肥沃度は彼においては人間による改良の結果であり、地代の大さを規定するものは静態面では、かかる意味

での土壌の肥沃度の差等であり動態面では人間の改良による、その上昇であるということになる。   ブレンターノが﹁実際的な農業者であり学識ある化学者であったアンダースンは︵リカードのいうような︶土壌の︵本源的にして︶破壊  できない力については何も知らす、むしろ彼には土.壌の種々の特性の大部分が種々の人間努力の所産であった﹂︵序文二一二頁︶という点        あ   はーリカードの、その規定が農業︵地代︶と鉱業︵地代︶等とを区別する標識を示すものであるにしても1正しいといわなければな  らない。   ︵註︶ 閏轟口NOO℃Φ﹁シ①一唐①ぴ①.β。.O.ω●。。メ  二、彼の地代理論には動態面で 囚人口増加←糖価上昇←地代⊥昇という過程︵N新劣等地耕作による耕地の下降過程︶と それに対立する 働農業改良←高価下落と地代⊥昇という過程︵”限界地の改良による上昇過程  これをリカードの農業改良 の作用と対比せられよ︶とが存在する。   当面の問題としてB過程において穀価の下落と地代の上昇とが同時に可能となるためには各耕地の全耕作費用を同[としても一農  業改良によって  限界地群Cが肥沃度を高めるとともに、それに所属する若干の耕地群αが優良地群BあるいはAに上昇し、ま  た優良地群B・Aが限界上勝Cとの肥沃度の差等を1限界地鼠Cの肥沃度の改良程度より以上に1拡大し、 増加する全牧穫量  が全需要に均等することが必要である。したがって一部の限界地のみならす全耕地群の農業改良による肥沃度の上昇が必要となる。

 ところで、かかる限界地の改良巨優良地化を可能ならしめる農業改良は誰によって遂行されるか。引用文のごとく、そ

の改良の主体を彼は、地代増加のために土地改良を行う地主に求めずに小作契約期間中に農業改良を行う小作に求めてい

る。また、彼のいう農業技術の改良は土地生産力の長期的一1漸進的な増大を可能にする技術改良である。とすれば、それ は具体的に如何なる方式をとるか。︵博論参考︶ところで、かかる農業技術の改善を促進するために農業が適当に奨励され       アンダースン地代論の研究       噛      二五

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      アンダースン地代論の研究       二六

なければBの過程の代りにAの過程が貫徹することとなる。

 三、したがって、かかるBの過程とくに農業技術の改良が可能となるためには一つの前提条件が必要である。即ち、そ

れは彼がいう﹁市場に不変性を農業者に適当な奨励を与えるための適切な処置﹂あるいは﹁市場に不変性を、小作に確実

性を与える⋮⋮穀物法の正しい制度﹂である。即ち、この点に彼の地代理論と穀物法論との結合点がある。︵後置参考︶

 四、かくして正しい穀物法制が採用され農業技術の改良が促進されれば、その結果、穀価下落による消費者の利益・地

代上昇による地主の利益・小作入の富裕11独立化、したがって工業と農業の利益等は相互に調和せられると彼は主張する

      ま  が、ここにスミスの影響を受けた彼の階級利害の自然的調和観を覗うことがでぎよう。︵書論参考︶  ︵註︶ これをスミスの影響と解することも出来るが、彼はスミス国富論出現以前一七七五年の第一論文Aで穀物法の目的が国民全階級に有益な機能をも   たらす点にあるとも説いている。 ︵後論参考︶

 然らば以上の第二論文において深化され開花した地代理論は一八〇一年の第三論文ではどのように発展され結実するで

あろうか。彼は第三論文において自己の研究課題を限定していう。    ﹁耕地の地代と穀物価格との間には必然的な結び付があり、ある点において両者の内の一方の高さが他方の高さに影響を及ぼすとい  うことは思索的な人によっては否定されないであろう。しかしながら各人は、その土地の地代の高さに影響を及ぼすものが穀価である  か、あるいは、穀価に影響を及ぼすものが地代の高さであるかを知らない。しかし、かかる点が確定されないうちに、かかる対象に関  して正しい意見をもつことは出来ない。﹂︵一六一二頁︶

 しかし、その問題設定は既考第二論文のそれと異るところはないであろう。かくして彼は、まず﹁穀物の内在価格﹂を

説明していう。    ﹁如何なる場合でも穀物は、ある程度の労働や費用なくしては産出され得ないといことは非常に明白である。即ち、そのための価格  が生産者に償われなくてはならない、そうでなければ彼は、それを生産し得ない。これが所謂る最も厳密な意味で、その内在価格を規

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、  .定する。﹂︵一六一二頁︶  即ち、第一論文Bにおける内在価値は、ここでは、その内容を変えて内在価格︵11利潤を含む耕作費用︶となって現われ る。  ところで、かかる内在価格が各耕地の肥沃度の相異によって相異る︵↓六四頁︶とすれば次のことが問題となる。即ち    ﹁異る肥沃度の各種の土壌をもつ広い土地面積の上で、その内在価値は、どのようにして決められるか、また、各生産者が、その穀  物に対して殆んど均しい価格を受取り、殆んど均しい利潤を得るにはどうすればよいか。﹂︵︸六四頁︶  かくして彼は、この問題に関して次のよう、に答える。    ﹁これら凡ては地代によって最も容易に最も自然な方法で行われる。地代は実際、肥沃度の異る等級の耕地とi耕作費用の増加あ  るいは減少に導く  異る位置的関係より得られる利潤の均等化に対する単純にして聰明な発明に外ならない。﹂ ︵一六四頁︶

 したがって、ここに第一論文Bにおける差益地代を以て耕作費用の差等を均等化する手段と解する見解より差等利潤の

均等化に対する発明という見地えの移行が見られる。   ところで、この点に関してオッペンハイマーは次のような註解を加えている。﹃ここでは位置的関係という言葉で均しい肥沃度の土  地に属する耕地整理︵﹀壇噌O昌α一①﹁¢5帥q︶農地の位置︵出ぴ富巳畠①︶傾斜や類似のものの明白な相異は理解されているが、市場位置の相異は  理解されていない、蓋し、そうでなければ﹁耕作費用の増加あるいは減少に導く﹂という追加は無意味であろう﹄と。しかし彼はアン  ダースンにおける市場位置の差等に基く差益地代の欠如を、それほど重視していない。︵甲きNO毛Φ︸①一ヨ①ひP国■O’ω■QQ■。。切1⊂・じ︶  かくして以上の問題を解明するために彼は穀物の内在価格の外に﹁穀物に関する現実の需要﹂を説明する。    ﹁人間の住んでいる各国には一定量の穀物に対する現実の需要がある、現実の需要を私は全住民が適当に養われねばならないときに  充足されねばならない需要と解する。あらゆる場合に穀価を規定するものこそ、かかる需要である。蓋し、かかる場合に要求される穀  物量がもたらされなければならないし、かかる穀物を産出するために必要な価格1それは常に、ある金額となろうが  が支払われ       アンダースン地代論の研究      二七

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    アンダースン地代論の研究       二八 ねばなら、ない。かかる欲求は充足されねばならないような緊急なものである.L︵一六四−五頁︶ 即ち、この点で以上のアンダースンの見解をマルサスの穀物︵の需要面で︶の性格に関する見解と対比せられよ。  ブレンターノはマルサスがアンダースンの地代理論を利用したが、どうかという点に関して次のようにいっている。マルサスは一八〇 三年の人口野中にアンダースンの他の著作をよく知っていることを示しているが、かかる事情のもとでマルサスがアンダースンの地代 理論を知っていたことを実証的に証示しないとしてもマルサスがアンダースンの地代理論を知らなかったということはありえないと。 ︵序文九頁︶ ら

  ところで問題の土壌の肥沃度の差等に基く利潤の差等は地代によって如何にして均等化されるか。この点に関する彼の

説明︵一六五頁︶は第二論文におけるそれ︵∬・一四三⋮四頁︶と異るところはない。しかし地代が差等利潤を均等化するの  でなく平均利潤率の支配が、その均等化を可能にし限界地以外の差等超過利潤を地代に転化するのである。したがって彼.  は平均利潤率の法則を明確に前提として限界地以外の差益超過利潤の地代化を解明すべきであった。   かくして彼は以上の問題の結論としていう。  ﹁これが地代が穀物価格に影響するように作用しないで、各種の土質での利潤を最も自然な、最も単純な方法で均等化する仕方であ る。﹂︵一、六六頁︶したがって﹁このことより地代に影響を及ぼすものは穀価であって一しばしば誤って考えられているようにi穀 価に影響を及ぼすものが地代ではないということを我々は明白に知る。﹂ ︵一六六頁︶

 以上において地代の静態的局面を考察した彼は次いで動態的局面における地代を論考する。しかし、それは第二論文に

おける既考A・B両過程や人口減退の作用に関する老察に露ならない。ただ、第二論文における五二のB過程の前提条件

は、ここでは﹁不変の統制﹂︵=ハ七頁︶となって現われる。  彼は限界地における農業技術の改良11肥沃度の改善が具体的に如何なる方式で行われるかに関してつぎのごとくいう。

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  限界地において﹁かかる穀物が一度び生産されれば、より多くの肥料が生産され土地に聰明に使用されれば、もう一度より大きな生  産物が生ずる。﹂︵一六七頁︶       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ  したがって、それは限界地における穀物生産←家畜の飼育←肥料の増加←穀物の増産という彼の﹁合理的農業﹂︵一六六 頁︶を媒介として遂行せられることになる。  かくして最後に彼は第三論文当初の研究課題に対する結論としていう。  ﹁これが穀物の生産えの地代の自然的な作用と穀物が生産される農場での地代と穀価との相互の関係である、それらは一度び理解さ れれば、その結果が単純であり反抗し難いとしても自然の凡ゆる他の相互の関係と同様に事物の皮相な観察によっては、決して明確に 認識されるものではない。私利は、この点で秩序ある祉会では各の場合に、そうでなければならないように公益の真の第一の発条であ り、また源泉でもある。それは見えすに作用するにしても若干の近視的な政治家の詰らぬ規制によって迷わされないならば一般福祉の ために不滅の力と不変の永続性を以て作用することを一瞬も止めるものではない。﹂︵=心積−九頁︶

 即ち、その結論は地代は穀価を規定せず唯、差等利潤を均等化するにすぎず、したがって穀価が地代を規定するという

法則的支配を私利の追求による一般福祉の実現という原理によって類推するものである。即ち、ここにスミスの彼えの影

響とともに彼の思想的立場を把握することが出来よう。   即ち彼はスミ畠ス的な﹁最高の実在︵一神︶の計画に従い一般に自愛の原則、あるいは正義によって導かれた自利の作用より生する自然  の調和﹂︵一七七頁︶を信奉している。   ブレンターノは、アンダースンの方法論に関して﹁歴史的H現実的研究による演繹的研究の補充﹂あるいは、 ﹁理論を先験的な方法  で建設せずに唯、彼によって既に確定された因果関係を後から先験的な演繹法で解明﹂するという点に方法論的な特徴を求めている。   ︵序文二五頁︶   ところでブレンターノによれば、かかる先験的な演繹法とはヒューム・スミス・ベンタムの思考法であって彼は問題が﹁とくに農業  上の物事に関係しない限り﹂ベンタム・ヒュームに従い﹁彼が独創的に研究しない全領域に関して﹂、﹁彼が農業の特殊な関心について       アンダースン地代論の研究       二九

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     アンダースン地代論の研究       三〇  発言する場合﹂利己心の機械的な支配より演繹される古典学派経済学説・全体の利害の完全調和観・個人の自利の追求による全体の最  大幸福の実現という思想に依拠したという。︵序丈三二⊥二頁︶

 以上において一八〇一年の第三論文における彼の地代理論を考察したが彼の差益地代の理論は一七七七年の第二論文に

おいて既に完成されていて第三論文では、それ以上の発展はなかったと解してよいであろう。  ところで誰を以て差益地代論の最初の建設者とするかという点には問題がある。   アンダースンを以て﹁正しい地代論の発明者﹂、﹁地代論の起源に関するアンダースン﹂と解するマカロソク︵竃鴛。巳δ9︶あるいは       こ   ﹁地代論は一七七七年アンダースンによって最初に発見され明確に論述された﹂とするヂェボンス︵冨く。蕊︶の説、あるいは以上に対        ︵註二︶  するオッペンハイマーの反対説等があるが。      、   ︵註一︶ ブレソターノ序文八t九頁。   ︵註﹁・二︶ 閃冨ロNO毛g滞一目醇魑。■pO’ω■しQ●c。朝IO■

 彼以前、既にスミス国富論にも差益地代説的見解が存在するにせよi農業者たる経験が、その創造を可能にした純粋

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

な形態における彼の差益地代論は既に]七七七年の第二論文において確立されているがゆえに彼を以て差益地代論そめも

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ のの発展過程における端緒者と解しても誤りはないであろう。

 既考の如く一七七七年の第二論文において彼の地代理論と穀物法論との結合関係を把握したが  勿論、彼の穀物法論

が地代理論に先行して形成された、否、彼の地代理論が穀物法論のうちに、その一部として内在するにせよ一彼の地代

理論は、その穀物法論を理論的に基礎付けるというよりは農業改良のための前提条件として﹁穀物法の正しい制度﹂の必

要なることを論示するとともに地代理論が逆に穀物法論によって条件付けられているという点に特徴がある。かかる関聯

は時代の進展とともにウエスト・マルサス・リカードの段階においては全く逆転して現われるところであるが。  かくして第二に彼の地代理論との関聯において彼の穀物法論とそれに内在する彼の主体的1一理念的立場を簡単に考察し

(13)

よう。  彼の穀物法論はスミス国富論出現以前の一七七五年の第一論文Aに起源をもつ、即ち彼は単価を出来る丈け正常額に保持し、それ以上 ・以下えの暴騰落を許さす国民全階級に有益な機能をもたらす穀物法をスコットランドに要請しているが、︵IA二七頁︶その後スミス 国富論の出現と、その穀物輸出奨励金反論を読むに及び一七七七年の第一論文Bにおいて前論における穀物法の目的11難曲変動の防止 と国民各員の福利えの寄与に対して  スミスが穀物輸出奨励金政策を.以て対価を引上げ小作者・穀物商入に高利潤を与えんとする意 企をもつ計画と解する点を非難し︵IB三一−二頁︶スミスの反奨励金論の各点に対して、反批判を加え奨励金の有益な機能を論証する。

 かくの如く彼は穀物法の目的と機能を実現せしめる手段を輸出奨励金に求めるとはいえ、以上の如く国民各階級の利益

を重視し他の階級以上に特定︵農業︶階級に不当な利益を与えることには反対であった。 ︵IB四三頁︶  かくして彼は輸出が禁止され輸入が許可される単一の基準価格以上・以下に国内穀価が変動する場合i無交付←滑尺的に漸増する輸 出入奨励金の交付をイングランドとともにスコソトランドに提示している。︵IB五一・八八頁︶  つぎに一七七七年の第二論文においては国内の穀物価格は穀物法上、輸入が許可される基準価格によって規定されるものでなく一 その影響は少なく  市場えの供給数量と需要との関係で決定されるものであるが、かかる輸入許可の基準価格の決定如何によっては 一豊凶の作用を媒介として  穀価の変動を惹起すると論じスコソトランドのために、かかる弊害を除去する手段を穀物輸出奨励金 制度に求める。他万、穀物の自由貿易に関しては各国に土壌の肥沃度の差異や穀物貿易の制限が存在するがゆえに有利であるよりもむ しろ有害であると論じ英国に対する穀物輸出奨励金政策の必要を主張する。︵皿九九一﹁〇五頁︶  かくしてスコットランドに関して、その主要産物たる燕麦とオートミールは、他国︵北欧三国︶では一層安価に生産されるがゆえにス コットランドの平均価格が、それらの国の価格以下に低下するまで輸入を阻止するために輸入許可の基準価格を国内の平均以上に規定 し豊作の余剰の輸出のためには奨励金を必要とすると論じ国内価格の変化︵上昇︶に依存して変化  野里的に漸減←無交付︵←輸出禁 止︶iする輸出奨励金制度を提示している。 ︵皿九九−一一四頁︶

以上の如く穀物法論における彼の基本的立場は穀物輸出奨励金の主張にある。したがって彼の第二論文の穀物法論と地

     アンダースン地代論の研究       =二

(14)

      アンダ∼スン地代論の研究       三二

代理論との結合点における﹁穀物法の正しい制度﹂は、ここに穀物輸出奨励金制度として現われる。かくして輸出奨励金

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

は、農業改良の奨励金として機能することになる。しかも反スミス的な輸出奨励金政策は、それによる一藩論のごとき

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

1限界地の農業改良の結果としてのスミス的な階級利害の自然調和観と奇妙にも結合している。

  ブレンターノは穀物輸出奨励金が農業改良を促進し、その結果、穀物の増産︵と、それによる増加人口の維持︶を可能にするがゆえに地  代の上昇を来たすとはいえ穀価の上昇となることなく逆に穀価の下落をもたらす機能をもつという見解は彼以前に既にアーサー・ヤン          て   グ︵︾誹ぴ塁畷。§ゆq︶によって主張されているという。︵序文二五頁︶   ︵註︶ ﹀﹃自棄団。帽コ㈹・℃o一一臨。巴﹀ユ穿日①ユp嵩置’︵。h噛旨国。同ず。﹁〇一〇幻。αq①諺.Oo﹃腎ピ①≦ωぎ勺巴ゆq雷ぐΦ∪一〇二〇只只蔓。臨℃o一圃二〇9ρ一国oo〒   oヨざ︶

 ところで、ここで注意しなければならないことは彼の輸出奨励金の主張が終局においてイングランドよりもスコットラ

ンドーその燕麦とオートミールーに関してあったという点である。即ち、この点に彼のスコットランド干たることと

農業者としての経歴が、その政策局面においてスミスに対立する穀物法論上その主体的11理念的立場を規定したと解して

よいであろう。  以上において彼の地代理論と穀物法論とを考察したが、今ここに彼に関するブレン無妻ノの論評を引用して置こう。    ﹁彼は独創的な研究者であり、彼の独創的な業績は現実の生活に関する観察によってアダム・スミスの先験的な立論と闘って勝利を  得、農業における彼の実際の経験に基いて彼の地代論を建設する点にある、彼の誤謬は同時代の人々と同様に自利より経済の定理を演  繹するところにある。﹂︵序三三頁︶彼の自然法的側面の批判。

 かくして最後に英国国民掃農業11経済の史的発展過程における農業目穀物法問題の推移という観点より彼の穀物法論と

地代理論の意義と地位とを考察してみよう。 ︵附表参考︶   チャールズニ世の王政復古後、地主階級は羊毛工業の保護︵羊毛輸出禁止︶に対する代償として穀物輸入関税︵事実上の輸入禁止︶や穀

(15)

イングランド(ウェルズ)小麦価絡‘人ロ数量囲込法令数・小麦貿易数量の変闘 附表1 小麦・同粉輸出入数量 輸  入 (クオーター)

輸 

出 (.クオ・H・ター)

部数

人口数量〔註皿〕 増加率. 課 口 人 年度 ウィンチェスター 八ブッシェルクオ ーター当小麦価格

¢一美窒1嚢

間 期. C1697−1700>      2,580      2, 168         36     115, 125      5, 572      8,222     162, 083    967,285   1,304,227   1,747,279   5,088,954   6,651,417   7, 157, 607  10,286,343 (1697−1700>      71, 198   1, 016, 349   1, 054, 121   1, 170, 191   2, 927, 171   3, 805, 034   2, 732, 863   2, 027, 646   1, 016, 390   1,101,968     822, 021     655,065   1,工30,663     822,884 14 Q5 26

庶モ畑㎜卿獅謝97

 3.04  0.58 −O.66  0.08  3.90  6.60  6.90  6.40  8.30 11.50 14.39 16.39 13.74  5, 835, 279  6,012,790  6, 047, 664  6, 007, 638  6,012,750  6,252,924  6,664,989  7, 123, 749  7,580,938  8, 216, 096  9, 168, OOO 10, 488, OOO 12,218,000 13, 906, 741

㎜㎜㎜㎜㎜聯㈱㈱㎜㎜㎜魏㎜㎜

d6

s40 41 32 47 35 37 36 31 28 37 42  d  3 10  0  4  5  2  7  6 10 11 10 10 16 11  6  5 s 43 44 33 49 38 39 37 33 29 38 44 罰 則 1 〕  d  8  2 1b 13 12 11  4  3 10 11  7 s 45 4・8 63 83 87 59 1661−1670 1671−1680 1681−1690 1691−1700 1701−1710 1711−1720 1721−1730 1731−1740 1741一1750 1751−1760 1761−1770 1771−178e 1781−1790 1791−1800 1801−1810 1811−1820 1821−1830 アンダースン地代論の研究 職1 1771年以後はイングランドエーウルズ官庁発表インプエリァルクオーター当り小麦価格。 註皿 1790年まではGriffithの推計。1801年以後は官庁発表数字の修正。 小麦価格表はThomasTooke. A History of Prices. Vol. VI.1857.(1928)pp.398−400, pp.405−5, pp.428−39。による。 人口数量表はGriffith. Population Problem of the Age of Malthus,1924. p.18. p.21.による。 囲込法令数はSlater. The English Peasanrry and the Enclosure of Common Fields. 1907.pp.268−313. より算出。 /J・支貿易数量はBarnes. A History of English Corn Laws.1930. pp.299−30D.より算出。 物輸出.に対する奨励金を要求し、.その 結果、一六七〇年の輸入関税制度と一 六八九年の輸出奨励金制の創設をみ、 ここにイングランド穀物法体系.は確立 されるに至った。とくに後者は一時的 な中断はあったが工業と貿易の発展の 結果としての低利子率の支配のもとに 農業えの資本の流入一耕地面積の拡大 ・土地け農業改良を結果し不作の年に も穀価を過度に騰貴せしめす安定価格 で穀物供給を可能にし︵一七一五年一 一七六五年間は豊饒な季節の作用によつて 小麦は安価︶豊作の年にも対外輸出を 容易にし穀物輸出を維持して来た。  然るに一七五〇年頃よりの−産業 の発展︵一七六五年以後の産業革命︶と 貿易の進展に伴う1人口増加は不利        ヘ   へ な季節とともに一七六五年以来、穀価 へ  ヘ  へ の上昇.を招来し、その結果、一七五↓ 年−一七六一年以後、囲込の発展によ る劣等地の耕作目耕地面積の拡大と、 土地11農業改良・農業方式の高度化が          ヘ   エ  ヘ   ヘ  へ 遂行され、かくして地代も上昇した。 三三

(16)

附表皿  英国穀物法令の変遷(1670−1815)価格基準小麦一クオーター、 年 度

1670年

(輸入関税制)

 1689年

(輸出奨励金制) ,

1773年

.←

1791年

●←

1804年

1815年

輸 出

国内価刷事

項 48s以下 48sを超すとき 奨励金 5s 輸入税 ls 1698.1699.1700.1709.1710.1741. 1757.1758.1759. 1765−1774年二 輸出自由と奨励金支払の申断 44s以下〔引下〕 44sを超すとき 奨励金 5s 輸出禁止 11782−1791年鰍の舳と奨励金  支払の中断 44s以下 44s−46 s以下 46s以上〔引上〕 奨励金 5s 奨励金なし 輸出禁止 1791−1814年輸出自由と奨励金支 払の中断 48s以下 48sを超えて54s 54sを超すとき     〔引上〕 奨励金 5s 奨励金 なし 輸出禁止 輸 入

国内価剰事

項 53s以下 53sを超え80 s まで 80sを超すとき 関税  16s 関税  8s 関税  4d 1741. 1751. 1758. 1765. 1766−8. 1772−3年減税・無税で輸入許可 44s以下 44sを超え48s以 下 48sを超えるとき’     〔引下〕 関税  22s 関税  17s 関税  6d アンダースン地代論の研究 1783.1790年減税。無税で輸入許 可 50s以下 50s−54 s以下 54s以上〔引上〕 関税24s3d

関税2s3d

関税  6d 1792−1814年輸入奨励金附与・減 税●無税で輸入許可 63s以下 63s−66 s以下 66s以上〔引上〕 関税30s3%d 関税 3sl%d 関税  7% d

ll纒諮1撃墜失

註 〔 〕内は基準の引上・引下を意味する。資料は下記による。  Tooke, A History of Pr!ces. (1928) VoL VL pp. 444−7.  Ernle. English Farmmg. Past and Present. 1927. pp. 261−5. pp. 443−6.  Fay. Corn Laws of social England. 1932. pp. 29−30.  ︵ヨーマソの分解と資本制大農経営の形成  えの出発︶   しかし、かかる傾向にも不拘、需要  の増加に対応することを得す一七六五  年頃一小麦に関しては、一七七二年  1を転期として輸出超過より輸入超  過に逆転して行く。かくして穀物法も  かかる状況のもとに一七五六年一一七  七三年間の変則的処置を経て一七七三  年に農工利害調整のため改正 ︵輸入自  由と契励金交付の価格基準が引下︶された  が、∼七九﹁年に再度、改正︵輸入自由  と輸出禁止の価格基準の引上︶ を見るに  至った。︵附表参考文献・序文二二一九頁  ・二九頁︶

 アンダースンが、その第一論文B

・第二論文を発表した一七七七年当 時のイングランドは、まさに、かか

る状態にあった。とすれば一以上

の史的環境より考察して農業改良に

よる限界地の上昇φ穀物増産←穀価

の下落と地代の上昇という彼の地代 四

(17)

理論は非現実的、その前提条件としての輸出奨励金数策も当時、既に無意味ではなかったか。否、彼の所説は農業者とし

ての体験と確信に立脚するものであった。即ち、彼.は産業革命の進展に伴う人口増加に基く穀物需要の増加が反スミス的

な輸出奨励金政策による農業奨励←農業抜術の改良“当時盛んとなった経営方式の高度化11合理的農業の経営←穀物の生

産増加によって充足され得ると確信していた。即ち彼の農業改良による肥沃度上昇の論理は、かかる当時の現実の農業改

良の反映であり、それによって穀物の増産←穀価の下落と地代の上昇が可能となると確信していた。︵また、彼の輸出奨励金 政策の重点が既考のごとくイングランドよりもスコソトランドに置かれていたことは忘れられてはならないであろう。︶その限りでは彼 の穀物法論と地代理論とは一応の意味をもつ。しかし彼以後、穀物法問題と地代理論はどのように推移したであろうか。       ヘ   ヘ   ヘ   へ   産業革命による人口増加は対仏戦争間︵一七九三年−一八一五年︶趨勢的に不利な季節の作用と穀物輸入の困難によって、穀価を騰貴せ  しめ−輸出奨励金制度の無機能化一資本の土地えの流入←共用地の囲込i既耕地の改良以上の劣等地の耕作と集約度の強化によっ  て増産を可能にし地代を上昇せしめた。かくして彼の輸出奨励金政策は無意味となる。   ブレンターノは一八〇一年の左記著作に関して次のごとくいっている。 ﹁アンダースンは彼が自から農場主として実際に活動してい  た当時の観察の印象のもとに旧穀物法番茶の必要に関して一増加する穀物需要を充たすものこそ常に既耕地の改良のみであるかの如  く書いた。﹂と︵序文三〇頁︶勿論それは一八〇一年の既考第三論文においても同様である。 また、そこでの﹁不変の統制のもとでは﹂  の意味も明白である。   旨︾ロ鎚①諾09諺O巴ヨぎく⑦ひ・二σQ仁・ユ。昌ohチ①。一﹁2ヨ。。富江①。。チ9。け﹃mぐ。一&8件一δ箕①ω①馨。。四。コ蔓。噛σqHQ55bd=冨ぎ堕門。昌匹。巨一。。O一.   かくして一八一五年の穀物法問題ではアンダースンのBの過程の理論は背影に退きウエスト・リカード・農業階級は耕作の下降過程  ︵ーアソダースソのAの過程︶や牧穫漸減法則の上に、その論理や要求を基礎付けた。また穀物法も、その改正を通じて戦前の穀物豊饒の手  段より戦時中の土地取奪の手段え、さらに一八一五年の法令では高僧価維持の手段えと、その機能を変化して行く。︵序文二九⊥三頁︶

 かくして、ここに英国経済の発展による穀物法問題の推移1その政策的要求を基礎付ける地代の論理発展あるいは穀

物法と、その機能の変化のうちに一七七〇年代のアンダースンの穀物法論と地代理論の意義と地位とを理解することが可

能となるであろう。       アンダースン地代論の研究       三五

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