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「改宗」の政治 : 南アジア系ディアスポラとペンテコステ派キリスト教

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「改宗」の政治 : 南アジア系ディアスポラとペン

テコステ派キリスト教

著者

辻 輝之

雑誌名

関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review

of the institute for advanced social research

5

ページ

37-45

発行年

2011-03-31

(2)

はじめに

 関西学院大学先端社会研究所は、「<他者>問題」、つまり、ある個人、集団、社会が共約不可能 な「他者」として分節され、領域化された「われわれ」の外部に排除されるか、あるいは、その内 部に支配、管理する対象として包摂されるメカニズムの解明を目指している。筆者は、この「われ われ」と他者の分節をもたらす重要なメルクマールとしての宗教に焦点を当て、「改宗」という越 境が引き起こす帰属意識の変化とモラルを巡る政治、それに伴う集団間関係の動態と社会統合への 影響について研究を行っている。具体的な事例として、ここでは、旧英領カリブ地域、特に、トリ ニダッド・トバゴ(以下、トリニダッド)1)で最大のエスニック集団を形成している南アジア系ディ

アスポラ(the South Asian Diaspora; 以下、SAD)2)のヒンドゥー教からペンテコステ派キリスト教(以

下、ペンテコステ派)への「改宗」3)を対象とする。本稿は、先行研究の検討や現地予備調査(2009

8 月)の結果を踏まえつつ、問題の所在と問いを明らかにし、今後の調査・研究に向けて批判や

示唆を受ける機会としたい。

1) トリニダッド・トバゴ(Trinidad and Tobago)は、スペインによる統治から 1802 年に英国に割譲され、 1962 年に英国から独立を果たした(英連邦加盟国として、1974 年に共和制へ移行)。2000 年の国勢調査に よれば、総人口1,114,772 人、人種・エスニシティによる内訳は、南アジア系 446,274 人(総人口の 40%)、 アフリカ系418,268 人(同 37.5%)、混血 228,089(同 20.5%)、欧州系 7,034 人(同 0.6%)、中国系 3,800 人 (同0.3%)、シリア・レバノン(中東)系 849 人(同 0.1%)、その他および明記なし 8,487 人(同 0.8%)。 2) 現在、トリニダッドにおいて、「インド人(Indian)」、「東インド人(East Indian)」、「インド系トリニダッ ド人(Indo-Trinidadian)」など語は、すべて南アジア系ディアスポラの総称として互換的に用いられる半面、 それぞれの呼称には政治的意味合いによる違いもある。例えば、「インド人」は、トリニダッドだけではなく、 現在のインド本国にいる者も含む語であるのに対して、「東インド人」は、本稿でも述べたように、彼ら の文化的不変性、共約不可能性を強調し、カリブ、つまり「西インド」社会を形成する者(West Indian) から分節する意味合いを帯びている。19 世紀半ばからトリニダッドや他のカリブ地域植民地に移住した契 約労働者の出身は、現在のインド、パキスタン、バングラデシュを含むインド亜大陸であり、本稿および 本研究においては、彼らの地理的、文化的背景を包括的に表現しうる名称として、「南アジア系ディアス ポラ」を使用することとする。 3) 予備調査は、SAD が従来信仰していたヒンドゥー教からペンテコステ派へ宗旨を改めることについて、「改 宗(Conversion)」という語句を以て表現することを拒否する傾向があることを確認した。何故、この傾向 が見られるのか、そして、それは、一般的な用語である「改宗」を彼らがどのように理解した上で起こっ ているのか、などの問いについては、本稿を基礎として今後執筆する論文で議論することになるが、ここ では取り敢えず、改宗を括弧で区切って用いることとする。

研究ノート

「改宗」の政治

−南アジア系ディアスポラとペンテコステ派キリスト教−

辻   輝 之

(関西学院大学先端社会研究所)

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関西学院大学 先端社会研究所紀要 第5 号

旧/英領カリブ地域おけるペンテコステ派教会の動向

 英領カリブ地域において、ペンテコステ派教会が布教を開始したのは、20 世紀初頭である。以来、 常にアフリカ系ディアスポラの帰属と支持を勢力拡大の原動力としてきた。19 世紀後半、プラン テーション産業の衰退、それに伴う農業労働市場の縮小が、奴隷解放によって「自由」になってい たアフリカ系ディアスポラを都市部へと押し出した。「改宗」と「更生」を通じた過去との決別を 強調するペンテコステ派のイデオロギーは、都市部において社会的、経済的、政治的周縁に暮らす こととなったアフリカ系ディアスポラの間に急速に広まっていく。また、ペンテコステ派の世界観 を具現しながら儀礼を構成する重要な要素−例えば、憑依、異言、音楽と身体動作など−は、アフ リカ起源の宗教伝統を基層として再構築されてきたアフリカ系ディアスポラの宗教においても重要 な役割を果たしており、この共有、あるいは表象的な交換の可能性がアフリカ系ディアスポラの改 宗を促した、と解釈される4)  トリニダッドにおけるペンテコステ派の定着と発展も例外ではない。同植民地に最初のペンテコ ステ派教会が設立されたのは、1906 年頃、首都ポート・オブ・スペイン(Port-of-Spain)に隣接す るウッドブルック(Woodbrook)という地区であり、労働者階級の黒人およびカラードと呼ばれる 混血の中産階級が混在するアフリカ系ディアスポラの集住地域であった。その後は、首都とその周 縁に加え、トリニダッド島南西部に位置し、都市化が進んでいたサン・フェルナンド(San Fernando)に教会が設立され、20 世紀半ばまでは、主にアフリカ系ディアスポラを中心に支持を拡 げていく(Osborne 1988)。  しかし、アフリカ系ディアスポラが人口の絶対的多数を占める域内の旧英領諸国、例えば、ジャ マイカと異なり、トリニダッドにおいて、1970 年代以降、ペンテコステ派が急速に勢力を拡大し ているのは、アフリカ系ディアスポラから継続して支持を獲得するとともに、この宗派のイデオロ ギーがSAD に浸透、彼らの「改宗」をもたらしている結果である。トリニダッドの国勢調査によ ると、同国でペンテコステ派を信仰する者は、1960 年の 4,051 人から、2000 年までに 20 倍近くの 76,327 人(総人口比で 0.1% 以下から約 0.8% に増加)に増加した。人種・エスニシティに基づく 内訳はないが、参考として居住別の宗教統計を参照すると、1960 年には、信者の 3 分の 2 近くが 都市部とその周縁地域に集中しており、最も大きなペンテコステ派信者の集住地域(1,786 人が登録) は、首都北東部に隣接する低所得層アフリカ系ディアスポラの集住地区、セント・ジョージ(St. George)郡であった。その後、ペンテコステ派信者の分布は全国に広がったが、とりわけ、かつて は砂糖産業の中心であったことからSAD の伝統的集住地域であるカロニ(Caroni)郡やヴィクト リア(Victoria)郡に多くの信者を獲得したことが看取できる。これらの郡が位置するトリニダッ ド島中南西部は、1990 年代の経済発展に伴って、国内移住者を大量に受け入れたことから、かつ てのように、ほぼ農業に特化した地域から都市部のベッドタウンとしての機能も果たすようになり、 人種・エスニシティによる人口構成は、以前に比べて多様化傾向にある。しかし、未だに、SAD が郡人口の大多数を占めていることを考慮すれば、彼らのペンテコステ派への「改宗」が無視でき 4) ペンテコステ派の形成におけるアフリカ系黒人とその文化の影響については、MacRobert 1988; Anderson 1997 など。

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な い 規 模 で 起 こ っ て い る と 考 え る べ き で あ る(Singh 1996; Khan 2004; Census of the Colony of Trinidad 1960; Trinidad and Tobago Population and Housing Census 1970, 1980, 1990, 2000)。

問題の所在

なぜ、南アジア系ディアスポラか

 トリニダッドを含め、多人種・文化・宗教を特徴とする旧英領カリブ地域におけるペンテコステ

派の伸張と、その影響に関する民族誌研究は、アフリカ系ディアスポラを対象としてきた(e.g.

Glazier 1980; Wadenoja 1980; Austin-Broos 1997, 2001)。学術調査・研究が経験的事実の「後追い」で

あることは自明であるが、漸次的ではあれ、少なくとも半世紀近くに亘ってSAD に及んでいるペ ンテコステ派の影響について、調査・研究が実質的に行われていないのは何故か。本研究がSAD を対象とするのは、ペンテコステ派を含め、これまで旧英領カリブ地域の宗教に関する研究の視座、 調査対象や設問を一定の範囲に制限してきた「力」を明らかにし、それを構成してきた歴史的・社 会的文脈そのものを「問題化(problematize)」する狙いがある。19 世紀半ば、英国は、奴隷制廃止に伴うプランテーション労働力の深刻な不足を補うため、「契 約労働制」を導入し、インド亜大陸の余剰労働力を自国領に「輸出」し始めた。砂糖生産の中心で あったカリブ地域には、1838 年から契約労働制が廃止される 1917 年までに、約 40 万人の労働者 が向かい、そのうち36%にあたる 143,900 人がトリニダッドに移住した。当初、移民労働者が南ア ジア起源の宗教を再建、実践することに対して、受入社会は、「寛容」あるいは、少なくとも「無 関心」であり、キリスト教各宗派も彼らへの布教活動を行っていなかった。これは、彼らが契約満 了とともに帰国する「一時的滞留者」であるという契約労働制の前提に加え、社会制度における差 別、住居、就労などプランテーションにおける明確な棲み分けによって、南アジア系移民は他集団 から隔離された、社会の「見えざる」成員であったことによる。また、当時、カリブ産砂糖の国際 競争力が急速に低下する中で、恒常的労働力不足を緩和し、生産性を維持するために南アジアから の移民労働力に依存しなければならなかったことから、農園主や資本家が労働者に対して、一定の 妥協を迫られていたとも考えられる(Tikasingh 1980; Vertovec 1992)。  しかし、1860 年代後半に入って、契約満了した労働者の大半がトリニダッドに留まり、その一 部が職を求めて都市部への移住を始めると、事態は一変する。1891 年に実施された国勢調査によ れば、SAD は、既に植民地総人口の 35.1%に達し、また、宗教統計でも、ヒンドゥー教徒が英国 国教会に帰依する者を既に数の上で凌駕し、最大のカソリック教徒に迫る勢いであった(Census of

the Colony of Trinidad 1891; Comins 1893)。キリスト教植民地エリートは、「可視化」し、「比較され

うる」存在となったSAD を「他者」化する指標と論理的根拠を必要とした。トリニダッドを含め、 プランテーション経済を基層として発達した社会において、それまで個人を識別可能な集団に分類 し、階層化してきた「人種」という指標と論理は、多様な生物学的表現型を示す南アジアからの移 民と、その子孫を一つの集団として弁別するには不十分であった。また、同じく周縁に包摂されて いたアフリカ系ディアスポラとも差別化するため、SAD が実践する「非キリスト教」宗教伝統が 他者化の指標、論拠として採用された。

(5)

関西学院大学 先端社会研究所紀要 第5 号  異なる「人種」は、「(性的)交わり」を通じて、「混血」を生み出す―「人種」によって弁別さ れるアフリカ系ディアスポラは、他人種との「混交」が可能であり、文化的起源から奴隷として強 制的に連行されたことによって「空虚」となった黒人の身体は、その内に様々な文化(血)を抱く ことができる。一方、「自発的な」移住者であるSAD の身体は、ヒンドゥー教という「下等な」文 化によって飽和されており、異なる文化(血)を受け入れることはできない。「人種」と「(人種化 された)宗教」―これら異なる象徴は、同じエスニック・マイノリティ集団ながら、アフリカ系ディ アスポラを「下等」であるが、他集団との混淆を通して融和、社会的上昇が可能としてキリスト教 的価値観を基盤とする社会に包摂し、他方、SAD には、その可能性を否定し、恒久的「他者」と

して排除する言説を生み出した(Segal 1993; Munasinghe 2001, 2002; Tsuji 2006; Khan 2007)。  しかし、非キリスト教宗教伝統が象徴として選別され、人種化されたプロセスは、植民地エリー ト層の意図と戦略のみで制御されていたわけではない。アフリカ系とSAD を二分法によって弁別、 支配する言説が社会に定着したのは、SAD 自身による抵抗の「戦術」によって、この言説が結果 的に強化されたことによる。1880 年代に自らの組織化と動員を開始した SAD は、彼らの「非融和性」、 「不変性」の象徴とされた非キリスト教宗教伝統を、「インド人(性)」の象徴として流用することで、 強制的な同化を正当化するキリスト教的価値観に抗うと同時に、限られた資源を巡って競合するア フリカ系ディアスポラに対抗すべく、既にその価値観に「追従」していた彼らとの差別化を図った。 異なる主体の意志と戦略が交差した帰結として、南アジア起源の非キリスト教宗教伝統は、他集団 に属する者が、SAD を人種/文化的に混交しない「インド人」として他者化すると同時に、SAD が人種/文化的に不変な「インド人」として自らを差別化する象徴として、この集団を囲む境界の 内と外で共有されることになる(Munasinghe 2002; Khan 2004; Tsuji 2006, 2009)。

 旧英領カリブ地域における脱植民地主義の「科学」が、この植民地主義言説の脱構築に努めてき たとは言い難い。1940 年代から脱植民地主義、国家主義の強い影響を受けて発展した社会・人文 科学は、これらの思想が掲げる政治的目標に貢献することが要求された。労働力の商品化を前提と する移民政策が創り出してきた人種/文化のモザイクから秩序ある社会を生み出すことは可能か― 植民地主義から引き継いだこの問いに対して、欧州起源を「定点」として異なる人種/文化を、そ の距離によって階層化してきた植民地主義を否定しながら、多様な社会を統治可能な統一体にする 新たな理論が求められた。一つの答えとして提示されたのが、植民地支配の権力、資源の不平等な 分配にもかかわらず、異なる人種/文化同士が有機的に混淆し、その優良な要素をお互いに取り込 みながら、もはや何れの起源にも還元できない全く新しい文化が創出される「クレオール化」とい うプロセスである。しかし、植民地主義ナショナリズムのアンチテーゼとしての概念化は、人種/ 文化の「純血/真正性」が否定してきた「混淆性」の価値を高めることによって、未来、現在だけ

ではなく、「過去の再建(rehabilitation of the past)」を目指したために、トリニダッドでは、上述し

てきた文化混淆に関するマイノリティ集団の二項対立の言説を取り込んだ。その結果、「クレオー ル化」のモデルを検証するために実施された調査・研究の対象は、アフリカ系ディアスポラにほぼ

限定され、特に、SAD の宗教は、この集団の「不変性」を象徴し、有機的融和を通じた社会参加

を妨げているとして、研究者の関心外に置かれた。ペンテコステ派の浸透と、そのイデオロギーが 引き起こしている文化変容に関して、民族誌調査・研究の実施が遅れている背景にも、植民地期以

(6)

来、構築されてきたSAD の宗教に関する観念が明らかに作用している。 なぜ、ペンテコステ派か  トリニダッドにおいて、SAD にキリスト教の影響が及ぶのは、ペンテコステ派による布教が最 初ではない。例えば、1868 年にカナダから到来した長老派(Presbyterian)の宣教師一団は、当初 から南アジア系(及び中国系)契約労働者を対象として布教活動を展開、記録によれば、1911 年 までに5,000 人を超える「非キリスト教徒」が長老派へ改宗したとされる(Harricharan 1975)。長 老派に加え、「可視化した」SAD に対して布教を本格的に開始したカソリック教会、英国国教会へ の改宗により、19 世紀末からキリスト教諸派に属する SAD の数は確実に増加していく。キリスト 教諸派への改宗を一つの原因として、SAD のうち、ヒンドゥー教徒の割合は、1891 年の 76.8% から、 契約労働制廃止後の1921 年には 72.7%、そして、1946 年には 64.5% まで減少した(West Indian

Census, Population of the Colony of Trinidad 1946)。

 カソリック、英国国教会、長老派などが改宗者を多く取り込んだ19 世紀末から 20 世紀半ば、 SAD は社会的地位を向上させるために不可欠な「資源」へのアクセスを有していなかった。特に、 キリスト教諸派が支配していた教育制度の下で、SAD は、教育を受ける機会をほぼ否定されていた。 多くの先行研究によって議論されているように、20 世紀半ばまでの改宗には、SAD が経験してい た相対的剥奪が大きく影響していたと考えるべきである。実際、この時期に多くの改宗者を受け入 れたキリスト教諸派は、SAD に特化した教育機関の設置、あるいは、既存の機関に彼らを選択的 に受け入れることを布教活動の重要な一環としていたし、ヒンドゥー教を基盤とする宗教学校が全 国に建設される20 世紀半ば以降、ヒンドゥー教からこれら諸派への改宗は明らかに減速する。一 部の研究者、そして、ヒンドゥー教の宗教指導者は、伝統的なキリスト教諸派の場合と同様に、相 対的剥奪がSAD をペンテコステ派への改宗に動機づけていると解釈している。しかし、この分析 枠組みは、ペンテコステ派が、SAD のうち、社会的・経済的周縁に置かれた者だけではなく、高 い教育水準と社会経済的地位にいる者を含め、多様な改宗者を得ているという事実を見過ごしてい るばかりか、その合理的、唯物論的解釈によって、この宗派に特徴的なイデオロギーの「魅力」と、 それが引き起こしている諸問題に対して無力である。  ペンテコステ派の世界的な拡がりが「最も驚くべき世界変容の一つ」(Berger 1990: vii)として、 研究者の注目を集めるのは、歴史上前例のない速度で進んでいることだけではなく5)、それが国、 地域、社会、人種・エスニシティに特徴的な「文化」の境界を横断して進行しているからである6) 5) キリスト教の他の宗派や他の如何なる宗教伝統と同様、様々な変化を経験してきたペンテコステ派につい ては、その起源に多くの議論がある。しかし、最も広く受け入れられている説―1906 年、ロス・アンジェ レスのアズサ・ストリート教会主催による伝道集会に於いて誕生した―に依拠しながら、その後の多様化 を教義や儀礼に関して一定の共通項を持つ一つの「家系」として理解した場合、僅か一世紀足らずの間 に、5 億人以上の信者を抱える宗派に成長したことになる。特に、過去 40 年間の伸長が著しく、1970 年 代末と比べると、ペンテコステ派信者は8 倍以上に増加しており、その数は、同時期にキリスト教すべて の宗派が新たに獲得した信者の4 分の 1、プロテスタント系宗派の 3 分の 2 を占めている(Casanova 2001;

Robbins 2004; Anderson, Bergunder, Droogers, and van der Laan 2010)。現在、ペンテコステ派の信者として数

えられる約5 億人のうち、3 分の 2 は、起源である北米ではなく、「非西欧」発展途上地域に居住している

(Barrett and Johnson 2002; Robbins 2004)。

6) この文化変容の「両面性」は、グローバル化という現象に一般的な特徴である。それを最も劇的な形で 具現するペンテコステ派は、神学や宗教学だけではなく、歴史学、社会学、人類学、経済学などが、グ

(7)

関西学院大学 先端社会研究所紀要 第5 号 多様な社会的文脈や文化的前提に対して、この宗派が発揮する柔軟性と適応能力は、「原理主義」 とも解されるキリスト教的保守主義の浸透を可能にし、その結果、根を下ろした社会や集団の価値 観や規範を急速に画一化している。ペンテコステ派内部の歴史的な変化に加え、教義、儀礼におい て多くの特徴を共有しながらペンテコステ派から距離を置く様々な宗派の存在、また、ペンテコス テ派とキリスト教カリスマ運動の複雑な関係など、「ペンテコステ派」の境界を明確にすることは、 一層難しくなっている。しかし、多様化を経験する中で固持される要素―(1)直接的、個人的な

聖霊(The Holy Spirit)体験をきっかけとする自発的な改宗、2)不断の聖霊体験を通じた再生(Born

again)、(3)明確な善悪二元論的世界観―が共通のイデオロギーを構成し、ペンテコステ派を一つ の「家系」として理解することを可能にしている(Droogers 2001)。本研究が、伝統的な宗派では なく、ペンテコステ派への改宗を問題とするのは、これらの要素を中核とするイデオロギーに従っ て新たに獲得される帰属意識やモラルが、ヒンドゥー教を基層として構築されてきた伝統的なもの と弁証法的関係を形成し、そこに多くの「政治」を引き起こしていることに注意を向けるためであ る。

設問

 第1 に、「インド宗教(Indian religions)」と総称される南アジア起源の非リスト教宗教、特にヒ ンドゥー教の信仰を「インド人であること(Indian-ness)」の象徴として、また、エスニック集団 への帰属、社会資本への参加「資格要件」とする言説が力を持っている社会において、1970 年代 以降、SAD を「改宗」へと動機付けている、あるいは可能にしているコンテクストとは何か。予 備調査の結果によれば、特に、SAD の集住地域において、ヒンドゥー教からペンテコステ派へ改 宗した者の多くが、伝統的な「インド宗教」を基層とする社会資本、地縁、血縁、友人関係など「コ ミュニティ」からの疎外、排除を経験している。にもかかわらず、多くのSAD が実際に「改宗」 することを可能にしている条件とは何か。  第2 に、エスニシティが主観的概念ではなく、「他者」との交渉を通じて社会的に構築されるも のであると考えるならば、多人種・エスニシティによる分節、その間の対立と交渉を特徴とするト リニダッドの政治、社会的状況では、「改宗」者が、自動的にSAD に関する固定観念、SAD とし て期待される役割から解放されるわけではない。彼らは、引き続き社会から押し付けられる「イン ド人」というイメージと、ペンテコステ派信者として新たに内在化した帰属意識、モラルの間に発 生する矛盾にどのように対応しているか。予備調査の結果は、聞き取り時点での年齢と改宗年齢が、 改宗者の帰属意識に大きく影響することを示唆した。例えば、中高年齢(40 歳代後半以降)になっ て改宗した者は、「<インド宗教>への帰依=インド人であること」という言説を全面的に受け入れ、 「インド人」という帰属を強く否定し、自らの帰属を「神の子(Children of God)」とする傾向が顕 著に見られたが、青年期(20 歳代半ば)までの改宗者は、「インド宗教」以外の文化的要素―例えば、 ローバル化に関する既存の理論を検証するための「実験場」としてアプローチしてきた結果、「ペンテコ ステ派研究(Pentecostal Studies)」というダイナミックな学際的研究領域が形成されている(Robbins 2004; Anderson 2001, 2010)。

(8)

南アジア起源の衣装、音楽、食事など―を強調することで「インド人であること」そのものを再定 義し、ペンテコステ派信者とSAD、複数の帰属を矛盾なく達成できると主張した。  第3 に、ペンテコステ派の勢力拡大、特に、最大のエスニック集団であり、宗教がその組織と動 員において基幹的な役割を果たしているSAD への浸透は、トリニダッドにおいて集団間の関係や 社会の統合にどのような影響を及ぼしているか。トリニダッドでは、植民地期から現在まで、宗教 は「われわれ」と他者を分節するメルクマールであると同時に、それら分節された人やモノを接合 するという両義的役割を担ってきた。また、他宗教間の婚姻に対して比較的寛容な社会であること から、異なる宗教に帰依する者が一つの家族を形成することは珍しいことではない。このため、伝 統的なキリスト教諸派に改宗した者が、ヒンドゥー教に帰依する者、ヒンドゥー教を基層とする組 織や地縁と関係を維持することを可能にしてきた。「透過性の高い空間」(Khan 2004)を形成、維 持してきた伝統的諸派と異なり、ペンテコステ派の指導者、信者は、改宗を不可逆的な「一方通行」 の道程と見なし、改宗によってもたらされた肯定的な変化を、過去に抱いていた世界観やモラルと の明確な決別、あるいは、それらからの霊的、精神的な発展の結果と解釈する傾向にある。予備調 査において、情報提供者が述べたように、この解釈は、ペンテコステ派の二元論的世界観に照らし て、改宗前に帰依していたヒンドゥー教を「無力な(helpless)」、「効力のない(dead)」、「変化を 拒絶する(static)」、「偶像崇拝(を是とする)(idolatry)」宗教と断じることで強調される。ペンテ コステ派の勢力拡大は、これまで、エスニック集団間関係を制御し、暴力的な紛争に発展すること を防いできたトリニダッド特有の宗教多元主義にどのような変化をもたらし、社会の統合にどのよ うな影響を及ぼすだろうか。

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